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『響け! ユーフォニアム』で考える百合論。

 『響け! ユーフォニアム』をようやく第8話まで見ました。  一応、最終回まですべて録画してあるのだけれど、ついつい見るのが遅れてしまっています。  いや、面白いんですけれどね。いつ見てもいいと思うと、すぐに見る気になれなくなってしまう。  もっとも、アニメはやはりリアルタイムで追いかけるのが良いと思います。  あまり放送から時間を置くといろいろネタバレも入って来るし、良くないことが多い。  まあ、そういいつつ今季のアニメも消化が遅れているぼくなのですが……。  『ユーフォ』の話でした。  事前に話に聞いてはいたのだけれど、この第8話はまさに百合回。  それもちょっとありえないくらい高いクオリティの神回。  京アニが本気だすとここまでのものが仕上がるのか!とキョーガクの渦にひきずり込まれるかのような傑作エピソードでした。  いやー、これは百合オタじゃなくてもずきずき来るわ。  狙っているとしか思えない台詞もばんばん飛び出してくるし。  いや、ほんと、いいものを見た。  あるひと夏の、ふたりの少女の、交錯する想いと「愛の告白」。たまらないですね。  ぼくはそんなにカップリング妄想をするほうではないけれど、このふたりのいちゃいちゃを見ていると、たしかにこれは恋愛だよなあ、と思ってしまいそうになります。  ただ、ぼくは百合という言葉に、またジャンルそのものに微妙に距離を置きたいと思っていて、それはこういう「名前のない関係」を恋愛と置き換えることによって失われるものがあると思うからなんですね。  友人、恋人、伴侶、先輩後輩、教師と生徒、同僚、仕事のパートナー――人間同士の関係は多くが名づけられているけれど、でも、同時に、この世には「まだ名前が付いていない関係」もあるはず。  そういう関係性の繊細さを、恋愛として、あるいは性愛として読み替えることは、ある種の単純化に近い側面があるように思えてしまうのです。  ここらへん、たとえば腐女子の人たちはどう思っているのだろう?と考えるのだけれど、まあそれはわからない。  ただ、ぼくの視点から見ると、あれこれの関係を恋愛とみなしていく作業によって喪失するものは確実にある。  それによって微妙で繊細で多様な何かが壊れてしまうように思えてならないのです。 あるいは、「百合」という言葉は、「名前のない関係」を名前がないままで語るためにあるのかもしれませんが――。  ただ、そうはいっても、「名前のない関係」を名前のないまま放置しておくと物足りないこともたしかなんですよね。  『ユーフォ』を見ていると、 

『響け! ユーフォニアム』で考える百合論。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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