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『劇場版 響け!ユーフォニアム』はテレビシリーズを凌ぐ熱さの傑作映画だ。

 喩えるならば情熱の赤。  『劇場版 響け!ユーフォニアム』は、登場人物ひとりひとりが放つパッションの炎で赤々と燃え上がるような映画だった。  いままで数々の傑作を生み出してき京都アニメーションが制作した劇場映画は、みごと新時代を切り拓く名作として完成を見た。  限られた尺でありながら、テレビシリーズにまさるとも劣らない、否、大きく凌ぎすらする感動で見る者の心を打つ。  青春映画の新しいマスターピースといっていいだろう。  ぼくは暗い劇場の座席で心震わせながら、ひとり思った。  いっしょうけんめいに生きるということは、なんと美しいのだろう。そして、なんと強くひとを揺り動かすのだろうか。  これが、これこそが物語の力なのだ。素晴らしい。実に素晴らしい。見に行ってほんとうによかった。  テレビシリーズを再編集してまとめあげた総集編でありながら、一本の映画作品として過不足なくできあがっている。  見に行くべきか迷っている向きはぜひ行ってみることをお奨めする。後悔はさせない。  これは現代を代表する青春映画の豊潤な果実だ。  物語は、主人公・黄前久美子が中学生の頃から始まる。  吹奏楽部だった久美子は、コンクールで金賞を取りながら全国大会出場を逃してしまう。  予想以上とも思える結果を喜ぶ久美子。しかし、彼女のとなりでは高坂麗奈が悔しさを噛みしめて泣いていた。  そんな麗奈に対し、久美子は「ほんとうに全国大会へ行けると思っていたの?」と声をかけてしまう。  彼女には理解できなかったのだ。落涙するほどに悔しがるということが。  そして高校入学。久美子と麗奈は同じ高校に進学し、やはり吹奏楽部に入る。  新たに部の顧問を務めることになった滝昇によって、彼女たちは猛練習をすることになるのだが――。  これは泣くほどの悔しさを知らなかったひとりの少女が、それを手に入れるまでの物語だ。  ひとは、ほんとうに真剣に努力することなしには悔しさを知ることがない。  心の底から悔しがるためには、自分の限界まで頑張り抜く必要がある。  だから、久美子はそれまで悔しさを覚えることがなかった。  中途半端な結果にも満足することができた。  しかし、滝によって導かれ、鍛え上げられ、限界を超えていくことを知った久美子は、もう、半端に妥協することはできない。  あるいは、知らないほうが楽だったかもしれない。目覚めないでいれば泣くこともなかったかもしれない。  だが、彼女は知ってしまった。ほんとうにいっしょうけんめいに生きることの意味を。  そして、一度知ったならもう引き返せない。自分のなかに眠っていた炎が爛々と燃え上がる。  ひとり、街を走りながら久美子は叫ぶのだ。「うまくなりたい、うまくなりたい、うまくなりたい」。  それまでの彼女なら飼い慣らせていた内なる獣は、いまや自由に闊歩し咆哮し慟哭する。「うまくなりたい!」。  それまでは生ぬるく生きてきた久美子がひとりの音楽者として覚醒した瞬間だ。  はたしていち学生がこのように部活動でしかない音楽に力をつぎ込むことが正しいのか、否か、議論があるところかもしれない。  じっさい、ぼくもテレビシリーズを見ていた頃は「これでいいのだろうか?」と思うこともあった。  しかし、 

『劇場版 響け!ユーフォニアム』はテレビシリーズを凌ぐ熱さの傑作映画だ。

『響け! ユーフォニアム』のたったひとつの瑕。

 ペトロニウスさんが『響け! ユーフォニアム』の記事を上げていますね。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150807/p1  で、ぼく、これを読んでびっくりしたのだけれど、『ユーフォ』のキャラクターデザインって、『青春しょんぼりクラブ』の作者さんなんですね……。  いやー、いまさら何をいっているんだお前はといわれるかもしれないけれど、ぼくのなかでこのふたつの名前は結びついていなかった。  アサダニッキってどこかで聞いた名前だとは思っていたんだけれども。  予想外のところで色々関係が繋がっているものだなあ、とあらためて感嘆。  いや、ぼくの予想が貧弱なだけかもしれませんが、それにしてもね。  ぼくはそんなにアニメを見る人ではないのですが、『ユーフォ』は『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているのだろうか』と並んで、ここ最近見たもののなかでは収穫といえる秀作だと思います。  何か異常な熱気があるというわけではないかもしれないけれど、とにかくていねいに脚本が組まれていて、作画も綺麗にまとまっている。  『けいおん!』以降の青春ものアニメとして、最高の作品といっていいのではないでしょうか?  青春の光と闇、栄光と挫折を、非常に美しく描いているように思えます。  ひと言でいうと「やる気のない人間がやる気を出すまでのお話」なので、気に食わない人もいることでしょう。  しかし、どこまでも続く永遠の日常もさすがに苦しく思えて来ている昨今、その突破を目ざす作例のひとつとして本作は記憶されてもいいと思います。  なんといっても、圧倒的に出来がいい。  コメディにも依らずシリアスにも依らず、しかし全体的にはきわめて感動的に演出された物語は、まさに「さすが京都アニメーション!」といいたくなるクオリティです。  特に後半の盛り上がりは素晴らしく、パーフェクトではないにしても、限りなくそれに近い作品といってもいいでしょう。  しかし――そこにひとつだけ瑕疵があるように見えることもたしか。  これは以前、友人たちと話をした時もその話題になったことですが、ほとんど完璧に組まれているように見えるこの物語の唯一といっていい問題点が滝先生の描写だと思うんですよ。  かれがどういう動機でもって吹奏楽部の生徒たちを指導しようとしていて、それにどこまでの正当性があるのか、その点がいまひとつあきらかになっていない。  もちろん、かれ個人の内面では正当性がある話なのだろうけれど、客観的に見ればそうでもないわけで、その問題点が突き詰められずに終わっているところが隔靴掻痒の印象を残す。  当然、制作スタッフはその点に気付かなかったわけではなく、検討の結果、そこは描かないと決めたのだと思います。  あるいは 

『響け! ユーフォニアム』のたったひとつの瑕。

『響け! ユーフォニアム』を観て「あずにゃん問題」を再考する。

 今季の新作アニメを粛々と消化しています。  今季の目玉はやはり『アルスラーン戦記』あたりかと思いますが、そのほかにも注目作は多いですね。  そのひとつが『響け! ユーフォニアム』。  武田綾乃による小説を京都アニメーションが映像化した一作です。  京アニの音楽ものということで、どうしても『けいおん!』を連想させられるのですが、それとはまたひと味違う雰囲気の一作に仕上がっています。  非常に王道の青春ものという印象を受けますね。  『けいおん!』は音楽ものとはいっても、じっさいにはぬくぬくとした仲間空間の心地よさを描くことに主眼がありました。  しかし、『響け! ユーフォニアム』は何らかの「競争」を描くことになるのではないかと思います。  ただ仲良くしているだけではいけないような何らかの競争原理が働く世界なのではないかと。  どこまでシリアスな話になるかは未知数ですが、京アニの新境地を期待したいところです。  ところで、この作品を見ていると『けいおん!』放送当時の議論(?)を思い出します。  その頃、「あずにゃん問題」(笑)という問題提起がぼくたちの間であって、つまり「中野梓(あずにゃん)は軽音部のあのぬるい空気のなかで堕落していってしまっていいのか?」という話だったんですね。  努力すれば光るかもしれない才能を持っているのに、それを微温な仲良し空間で腐らせてしまっても良いものなのか、と。  もちろん、明確なアンサーが出る話ではありませんが、この問題をぼくはずーっと抱え込んで考えているのです。  ペトロニウスさんは「日常をたゆたい「いまこの時の幸せをかみしめる」か、それとも志と夢を持ってつらく茨の道をかけのぼるか?」と書いていますが、つまりは「成熟か、成長か」という問題であるのだと思います。  ひととして成熟し幸福になればなるほど、そのすべてを捨ててさらなる成長の試練に挑もうというモチベーションは薄くなる、ということ。  ぼくは昔、 

『響け! ユーフォニアム』を観て「あずにゃん問題」を再考する。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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