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遊んでも、遊んでも。
2015-12-15 00:4751pt
寝て起きて、また寝てばかりいる日々です。
わずかに起きている間は『NEWスーパーマリオブラザーズU』などプレイしています。
3年ほど前に出た2Dマリオの最新作ですね。
WiiUは遊べるソフトが少ないので必然的に買うことになるのだけれど、まあ、さすがに面白い。
『マリオ』に何を求めるかによるとは思いますが、「いつもの『マリオ』」を求める向きならまず満足できるかと。
ただ、マンネリといえばマンネリの極みなので、そこらへんが気にかかる人もいるでしょう。
思えば、『スーパーマリオギャラクシー』は斬新で面白かった。
『マリオ』にしては相当にむずかしかったけれど、ぼくはなんとかクリアしました。
あの頃はまだ購入したゲームはクリアする意地があったんだなあ。いまはもうほとんどないけれど。
これはテレビゲームが全体に長大化していることとも無関係ではないと思います。
最近のゲームは平気で80時間とかかかるから、ちょっとやそっとじゃクリアまで持っていけないんですよね。
『ウィッチャー3』とか、それはまあ面白いけれど、何もかも本格的だからプレイ時間がかさむ、かさむ。
ただなんとなくやっていてクリアできるゲームが恋しいです。
また、『スカイリム』あたりはそもそも「クリア」という概念が存在しないわけで、その気になればいつまでもプレイできてしまう。
で、仕方ないから『マリオ』に回帰したりするわけです。
『マリオ』なら一定のステージをクリアすればそこで終わりになりますからね。
ゲームのボリュームが増えることは良いことなのかもしれないけれど、もうちょっとお手軽にプレイできる作品もやりたいところ。
とかいっていると、どんどん新しい作品を購入することになってしまい、やっぱりいつまで経っても終わらなくなってしまうのですが。
さらに、ぼくの場合、PlaystationPlusに入っているので、毎月、手もとに一定の数のゲームが増えていくのです。
PlaystationPlusとは、月額500円程度で何本かのゲームをダウンロードできるシステムのことで、これに入会すると際限なくゲームが増えていくのですよね。
自分で買わなくてもプレイできるゲームが増えるわけですから。
おかげでいわゆる積みゲーは増えていく一方。どうしたものかと頭を悩ませる日々です。
まあ、昔買ったゲームとかは切り捨てればいいのだけれど、ついもったいないと思ってしまうのですよねー。
ここらへん、生き方の不器用さがもろに出ています。
時間は有限なのだから、無限のゲームをプレイできないことはあきらかなのだけれど……。
そういえば、 -
仮想現実ゲームが中毒者を生むとき。
2015-07-24 02:3851pt
WiiUの『ヨッシーウールワールド』を遊んでいます。
たとえばプレイステーション4あたりと比べると露骨にプレイできるソフトが少ないWiiUなのですが、そこは任天堂だけあってじっさいやってみると面白いゲームが色々あります。
『ヨッシーウールワールド』もそのひとつで、スーパーファミコン時代から続くヨッシーシリーズの最新作。
今回は「毛糸の世界」での冒険を楽しめます。
ヨッシーが毛糸で編まれているのはもちろん、背景も毛糸。
画面に出てくるものすべてが毛糸で表現されているんですね。
なんともあたたかみのある世界としかいいようがなく、画面を見ているだけでかなり楽しい。
『スーパーマリオ』シリーズと比べるとあきらかに低年齢層向けで難易度も低め、ぼくがやるとさすがに物足りなさを感じるものの、すべてのアイテムを集めようと思うとそこそこむずかしいので、やっぱり攻略サイトのお世話になることに。
なるほど、そこにあったのかと膝を叩く隠し場所にはいちいち驚かされます。
WiiUユーザーでお子さんがいらっしゃる方にはオススメの一本です。大人は『マリオ』をやっていればいいかと。
ゲームの世界が暗殺だの強盗だのとサツバツとしている昨今、こういうあたたかいゲームを出しつづける任天堂には価値があると思いますね。
もっとも、サツバツとしたゲームも好きなわけで、いろいろ手を出しては投げ出したりしています。
PS3の『THE LAST OF US』とか。
異様に評価が高い作品なのでぜひクリアまで持って行きたいのだけれど、ゾンビものはいまひとつ相性が良くないので、さて、どうなるか……。
この頃、ゲームを買ってもクリアまで行かずに投げ出すことが多いので、なんとかクリアしたいとは思うんですけれど。
まあ、なかなかゲームをクリアできなくなった背景には、ゲームの容量が膨大になってきているということもあるとは思います。
最近の海外製オープンワールドRPGは、プレイ時間が数百時間に上るものも少なくないと聞きます。
ヴィジュアルが異常にきれいになっていることは素直に受け止めているものの、もう少しコンパクトに楽しめるゲームが増えてくれると嬉しいかな、と思ってしまうことは否めません。
もっとも、ほんとうに面白いゲームならなるべく長い間どっぷりと浸っていたいという思いがあることも事実で、プレイ時間の長大化はそういう気持ちに応えた結果なのかも、という気もします。
最近のゲームは、ほんとうに美しく背景が描き込まれているものが多いので、その世界に浸っているだけで楽しめるんですよね。
もっとも、ぼくは最新鋭のゲーム機を持っていませんが。
いいかげんPS4を買おうかな。たぶん買ってもほとんどプレイしないだろうとは思うんだけれど……。
さて、来年にはゲーム業界にまたも革新が訪れるであろうことが予想されています。仮想現実技術の普及です。 -
ひきこもりに居場所はない。だから自分で作るしかないということ。
2015-06-04 18:0451pt
ども。『スプラトゥーン』と『ゼルダの伝説 風のタクト』を買おうかどうか迷っている海燕です。
さすがに未クリアのソフトを増やしすぎるのもどうかと思うんだけれど。うーん。
さて、日々、リアルライフを神ゲーにしたいと願っているぼくですが、じっさいにはそれとは程遠い生活を送っております。
いや、楽は楽なんですけれどね。働かなくても一定の収入は入って来るし、一日中寝転んでいても文句をいう人はいないし、ある意味でこれほど気楽な人生はないといえそうですが――でも、退屈。
星里もちるの漫画『本気のしるし』のなかに、すべてを失って無為に暮らす主人公が、公園のベンチか何かの上に座って「この退屈だけは耐えられない」と呟くシーンがありましたが、いまのぼくはその気持ちがしみじみとわかります。
やっぱりひとは無為には耐えられない生き物なのです。
何かを積み上げている実感、つまり「生きがい」がないと、生きていけないのが普通だと思う。
もちろん、積み上げることにどれほどの意味があるかといえば、何もないのかもしれない。
しかし、それでもひとは何かが積み上がっていくことそのものに喜びを感じるのではないでしょうか。
ひとはいくら頑張っても何も積み上がっていかない状況に長くいると、ついには狂ってしまいます。
そういうわけで、人生を神ゲーにするためには「努力の成果が積み上がっていく実感」がほしいところなのですが、そこでいったい何をしたらいいものやら途方に暮れてしまいます。
できれば、書くことで何か実りを得たいのだけれど、まあ、むずかしいよね。さりとて、ほかに何ができるわけでなし。
安定してはいるが退屈な生活という牢獄に閉じ込められて、この先、何をしたら良いものやら、悩み、迷うところです。
しばらく前にぼくは「自分自身を主人公にした自分のライフストーリーを生きて行きたい」というようなことを書きました。
これは、他人の物語を受動的に読んだり見たりしつづけることに限界を感じたことから出た発言です。
つまり、ぼくはやはり他人の物語を読んだり見たりするだけでは満足できないと気づかざるを得なかったのですね。
どうしても自分の人生を充実させなければ他人の物語を楽しむこともまたできないのだということです。
いま、
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