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記事 16件
  • 同人誌を作りたい。(1423文字)

    2013-06-26 21:51  
    53pt




     また本を作りたいなあ、と思う。この場合の本とは同人誌のことだ。かつてぼくは二冊だけ同人誌を制作し、発売し、まあ、それなりに売れた。
     同人誌の良いところはセールスなどをあまり考慮に入れずに好きなことを好きなように書けることだ。ぼくは自己満足を唯一の目標に置き、好きなテーマで好きな話題を好きなだけ書いた。
     その結果としてできあがった本は商業出版ではなかなか書けないようなものに仕上がった。それが『BREAK/THROGH』であり『戦場感覚』である。
     この二冊の特徴はとにかく改行が少なく、文字が詰まっているということだ。そういう意味では読みづらい本だったと思う。しかし、そのときは読みづらくても良かった。
     「読みたいひとだけ読んでくれればいい」「わかるひとだけわかってくれればそれでいい」とは、いかにも傲岸な態度だが、そのときはまさにそういう気分だった。
     『BREAK/THROGH』にしろ、『戦場感覚』にしろ、文体はきわめて硬く、内容は難解でこそないが錯綜しており、一読ですべてを把握し切ることはそうたやすくはない。しかしまあ、そういう本を作りたかったのである。
     『戦場感覚』を書き終えたあと、ぼくは本を作ることをやめた。それは二冊ぶんも文章を書いてそれなりに満足したからでもあるし、その二冊で「もうこれ以上のものはできない」と思ってしまったからでもある。
     さまざまな試行錯誤の末、最終的にできあがった二冊は、客観的な出来不出来はともかく、自己満足としては十分なしろものだった。
     
  • 『GUNSLINGER GIRL』が乗り越えた限界。(2131文字)

    2013-06-24 15:57  
    53pt




     いまから十数年前、「少女と銃の物語」と銘打たれた『GUNSLINGER GIRL』が始まったとき、ぼくはそれほど感心しなかった。
     国を害するテロリストたちと戦うため、薬物投与され機械改造された少女たちと「兄」の役割を与えられた男たちが、銃弾が乱れ飛ぶ架空のイタリアで戦いつづけるという物語は、あまりにも同人誌的というか、ロリータ・コンプレックスの夢じみていると思ったものだ。
     じっさい、途中まで『GUNSLINGER GIRL』はそれ以上の作品とは思えなかった。甘ったるいセンチメンタリズムと加虐趣味のほか、特別に見どころがある作品とも思われなかった。
     しかし、話が中盤に至ったあたりから、作家の表現力は奇跡のように向上し始める。ぼくには具体的にどこがどう上手くなったのか、くわしくはわからないが、圧倒的に画力が増したことはたしかだ。
     ひとりひとりのキャラクターもよりリアルタッチになっていくのだが、それ以上に背景の描写が濃密になった印象が強い。
     あるいは有能なスタッフがひとり入ったとか、そういうところに原因があるのかもしれないが、とにかく『GUNSLINGER GIRL』は中盤を過ぎて一気に変貌し始める。
     あたかも作品のなかから新しい作品が生まれ落ちたかのように、作品そのものがドラスティックに生まれ変わってゆくのだ。それと並行して、物語もいままでにない深みを見せるようになる。
     初め、義体少女たちと兄(フラテッロ)の関係は、ひたすらにセンチメンタルで先が見えないオタク好みの悲劇に過ぎなかったはずだ。
     しかし、話が進展していくにつれ、作家は「希望」を模索しだす。このすべての未来が閉ざされたかにすら見える世界でなお、雲間から差し込む一条の光のようにかがやく希望。それをこそ、作家は追い求めてゆくのである。
     そもそも長くても数年で寿命を迎える義体少女たちに未来はない。彼女たちの進む道はすべてあらかじめ潰されている。しかし、その苦しみ、その哀しみと痛みは、彼女たち一身を超えて、「次の世代」へとつながってゆく。
     この「次の世代」の物語を構想することによって、初めて、この物語ははてしなく続く絶望と苦悩の堂々巡りからの出口を見いだすことができた。そこで初めて『GUNSLINGER GIRL』は「少女と銃の物語」を乗り越えていくことになる。
     「少女と銃の物語」とは、あえていってしまえば、ロリータ・コンプレックスと武器フェティシズムを安直に結びつけたオタク好みのありふれたテーマに過ぎなかったようにも思える。
     
  • 作家成田美名子の静かなるたたかい。漫画はどこまで幽玄の世界を表現しきれるか。(1924文字)

    2013-06-24 15:09  
    53pt




     漫画界は広く、いわゆる伝統芸能を主題に据えた漫画も少なくない。たとえば歌舞伎を扱った作品ならいくつか思いつく。しかし、これが能となると、さすがにそう多くはない。
     ぼくが知るかぎり、成田美名子『花よりも花の如く』のほかは、飯田晴子の『風姿花デンツァ』があるくらいだ。それだけ能の世界を漫画で表現することはむずかしいのだろう。
     その『花よりも花の如く』は能楽師の青年を主人公にした物語で、前作『NATURAL』と一部の登場人物が共通している。成田美名子ならではの能表現が美しい可憐な物語だ。
     かつて『エイリアン通り』や『CIPHER』を物して話題をさらった成田にしても、さすがにもう少女漫画の第一線の作家とはいいがたいから、少女漫画らしい花やかさは乏しく、決して派手な作品ではない。しかし、しみじみと染み入るような情趣がある。一読に値するといっていい。
     それにしても、この世代の少女漫画
  • 紙が音楽を奏でるとき。『四月は君の嘘』のリズミカルな漫画表現が圧巻だ。(1937文字)

    2013-06-24 11:27  
    53pt




     紙は音を奏でない。むしろそれを吸い取るばかり。だから音楽を漫画で表現しようとすることは、それじたいひとつの冒険であり、挑戦だ。
     いま、その偉業に挑んでいる作品として、たとえば新川直司『四月は君の嘘』がある。
     主人公は天才ピアニストの少年。長いあいだピアノにふれない生活を送っていたかれは、あるひとりの少女との出逢いをきっかけに、ふたたび音楽の世界に足を踏みいれる。
     それは世界がカラフルに息づく体験。ひとつの想い、ひとつの恋が、世界すべてをあざやかに染め上げていく。その描写のなんという清新さだろう。
     新川が描きだす物語世界は、その隅々にいたる一々が瑞々しく、生気に充ちている。そしてまたこの漫画のコマの構成は 実にリズミカルとしかいいようがない。
     ひとつひとつの絵が、コマが、セリフが、それこそ音楽のように連なって流れてゆく快感。この圧巻のリズム感は、もちろん後天的な努力もあるには違いないが、やはり作家の天性としか思われない。
     『四月は君の嘘』。印象的なタイトルの物語だ。そしてその内容はタイトル以上にインパクトがある。女子サッカー漫画『さよならフットボール』に続くオリジナル長編第二作にして、新川は自分の世界を生み出すことに成功している。
     なんて独創。なんて斬新。あたかもサイレントミュージック、新川が紡ぎだす無音の音は、たしかに読む者の耳にとどき、心をふるわせる。紙は音を奏でないにもかかわらず、ここには紛れもなくミューズの祝福があるのだ。
     しかし、読むほどに唸らされるこれほどのスキルとオリジナリティにもかかわらず、『四月は君の嘘』にはどこか物足りないところがある。
     どこがどう悪いというわけではない。むしろこれほど優れた漫画は少ないと思われるのに、何かもうひとつ、欠けているものがあると感じさせられるのだ。
     いったいそれは何だろう? ぼくの単なるないものねだり、作品があまりに綺麗すぎるがための錯覚だろうか? そうかもしれないが、そうではないかもしれない。
     ぼくはこの作品を読んでいるとどうしても羽海野チカ『3月のライオン』と比べてしまう。そしてやはり『3月のライオン』は凄いなあ、と思うのだ。
     
  • 雨の新宿御苑に始まる恋。新海誠の映像詩『言の葉の庭』が「異世界」を魅せる。(2030文字)

    2013-06-24 00:04  
    53pt


     先日、映画『言の葉の庭』を観て来た。池袋の映画館に駆け込むようにして観てきたのだが、それだけの価値がある作品だったと思う。
     映画を観に行くことは、平凡な日常の一部であるのと同時に、非日常的で特別な出来事でもある。観客たちは劇場の席に座り、くらやみに沈んでいきながら、あたりまえの日常から切り離され、物語と映像の世界へ旅立つのだ。
     『言の葉の庭』の場合、舞台となっているのは現実世界の新宿だが、その美しくも繊細な情景描写が生み出すセンス・オブ・ワンダーはまさにひとつの異世界。ぼくは一時間弱の上映時間のあいだ、雨の新宿という「架空の世界」を楽しんだ。素晴らしい。
     新海誠はいうまでもなく才能あふれる映像作家である。しかし、格別のストーリーテラーという印象はない。その破格の才能は主に華麗な映像空間を形づくることに偏っていて、お話そのものが特別に面白いという印象はなかった。
     じっさい、前作『星を追う子ども』は新海誠唯一の大作でありながら賛否両論の出来だった。
     しかし、『言の葉の庭』の物語は悪くない。ボーイ・ミーツ・ウーマン。靴作りを目ざすひとりの少年が、雨の新宿御苑(をモデルにした架空の公園)で、ひとりの女性と出逢い、惹かれ、恋をし、そして想いを伝えるまでを、新海誠にしかできない細やかなタッチで描いている。
     たしかに少々、少年にとって都合のいいストーリーという気はしなくもない。少年にとっては「年上のあこがれの女性との奇跡のような出逢い」であっても、その女性のほうから見れば、そういう甘やかな展開ではありえないのだから。
     そういう意味では、男性主観的な物語といえるかもしれない。しかし、いままで以上に緻密に組み上げられた映像世界そのものは、観るひとを選ばない。
     各登場人物たちの内心をナレーションで綴りつつ、写実的に描かれた風景で魅せていくやり方は、デビュー前の作品から変わっていないが、あいかわらず洗練されている。
     ぼくはこのひとの映画を『ほしのこえ』からリアルタイムで追いかけているのだけれど、やはり「たしかに息づいている動的な風景」をアニメーションの形で見せる能力は無二のものがあると思う。
     新海誠の目に見える世界は、凡人の目に映るそれとはまったく違ってでもいるのだろうか。かれが映像にして見せてくれる日常世界は、あまりにつややかでふしぎな魅力に充ちている。あたかもそれは現実の風景であるのと同時に、映画のなかを闊歩する人々の心象世界でもあるかのようだ。
     今回、新海は「雨」という表現にこだわっている。空から降りそそぐ水で覆われた都会の風景は、まるでひとつのアクアリウム。
     あたかも長谷川等伯の松林図屏風がそのままに動き出したかのような雨の表現は、きわめて湿度が高い日本の住人ならではの表現という気がする。
     
  • 日本映画最高の秀作。岩井俊二監督『リリイ・シュシュのすべて』の美しくも絶望的な世界。(2038文字)

    2013-06-21 15:11  
    53pt






     そこにはひとかけらの救いもない。あたかもすべてがもう終わってしまっているかのように。
     そしてその物語はありふれた青春の屈折と絶望と呼ぶにはあまりに暗く、鈍い痛みに充ちている。ほとんど正視しかねるほどに「痛い」展開ばかりが続いてゆく。
     ひとり激しい苦しみのなかに叩きこまれた少年に残されたたったひとつの希望は、天才歌手「リリイ・シュシュ」。世界にただようエーテルを感じ取り歌にするというこの呪術的シンガーの歌声のみが、少年に生命を感じさせる。しかし、それすらもやがてかれから奪い去られてゆく運命なのだ――。
     岩井俊二監督による映画『リリイ・シュシュのすべて』を見たとき、ぼくはそのあまりの美しさと残酷さに、思わず息を飲む思いがした。
     なかば擬似ドキュメンタリー的な手法で撮られたその映像世界の透明感と迫真性は、岩井の天才を示して余りあるのだが、そのまたとなく佳麗な世界でくりひろげられる物語はひどく凄惨だ。
     おそらく極端に好みが分かれる映画だろう。ひとことでいえばもの寂しい地方都市で暮らす少年少女たちの過激な暴走の物語なのだが、その描写はひたすらに凄愴で、残酷で、痛々しいばかり。ひとによっては単なる悪趣味と受け止めることもあるに違いない。
     しかし、それでもなお、あるいはそうだからこそ、この映画にはひとを強烈に惹きつける昏い魅力がある。いまから十数年前の映画だけあって、当時の不安な空気をみごとに映像に収めているといえる。
     いやあ、いい映画だった。居候先の家主であるてれびんとふたりで見たのだけれど、ひとりだったら途中で見るのをやめていたかもしれない。それくらい救いがないプロットで、正直、見ていていやになる。
     いじめがひとつのテーマになっているのだが、その執拗かつ克明な描写は辛い。いったい何を考えてこんな映画を撮ったのかと想うくらいだ。
     しかし、それでいて、やはりこれは傑作だとしかいいようがない。ある種のひとたちは強く惹かれるに違いない。それこそ、人生をねじ曲げられるほどに。
     どこまでも暗黒な現実と、彼岸にいる神秘の存在リリイ・シュシュが対比される世界は、ある種の強烈な魅力を感じさせる。ひとはなぜかひどく痛かったり辛いものに惹かれる一面を持っているようだ。おそらく、それが世界の現実を強く思い知らせるからだろう。
     ハッピーエンドが約束されたハリウッド的なお伽話は、あるいはそれはそれで綺麗かもしれないが、やはりどこかリアリティに欠ける。
     ダークでソリッドな物語にこそ、この世の真理があると考えるひとは少なくないだろう。しょせん世界はそういうふうにできているのだから、と。
     
  • ふたりのデートは牛丼の吉野家。ベリベリキュートな恋愛映画『箱入り息子の恋』が面白い。(2052文字)

    2013-06-13 13:46  
    53pt




     恋と映画は昔から相性がいい。いままで世界中で作られてきた恋愛映画は何万本にのぼるだろうか。
     『箱入り息子の恋』はその積み上がった山にさらに載せられた新しい一作。とびきりピュアで、イノセントで、ロマンティックで、好感がもてるラブコメディの傑作だ。
     本作の天雫健太郎(星野源)は、市役所に勤めながら地味で目立たない生活を送る男。趣味はおたまじゃくしの頃から育てているカエルの飼育と、テレビゲームだけ。それもたいして楽しんでいるようには見えない。
     昇進とも縁がなく、恋人も友人もなく、職場でも孤立している。当然、恋人いない歴=年齢の童貞だ。いやあ、同じように34歳独身のぼくとしては身に詰まされる設定なんだけれど、映画は当然、そこでは終わらない。
     この「何もない男」にひとつの出逢いが待っているのである。健太郎は両親がかってに参加した代理お見合いの会をきっかけに、盲目の令嬢、菜穂子(夏帆)と知り合い、急速に惹かれていくのだ。
     菜穂子の母親の助力を得て、健太郎と菜穂子のぎこちなくも微笑ましい逢瀬は続く。しかし、それはやがて彼女の傲慢で横暴な父親の知るところとなり――。
     こうしてあらすじを書き出せば、どうということはない話である。よくある「禁じられた恋」のバリエーションであるに過ぎない。
     しかし、映画の魂は細部に宿る。この作品はディティールの描写が実に素晴らしい。スタッフたち、キャストたちはじつに瑞々しい感性でいくつもの名場面を生み出した。
     健太郎が35歳、菜穂子が26歳と、必ずしも若くはないふたりだが、童貞の健太郎にとっても、盲目の菜穂子にとっても、これが文字通りの「初恋」である。
     映画はふたりが少しずつ少しずつ、初めての恋に落ちていくようすをリリカルに描き切っている。いや、ほんと、胸がきゅんきゅんしちゃいますよ。
     男性でも女性でも文句なしに楽しめる作品なので、デートムービーには最高の一本といえるだろう。ぼくは母と出かけたけれどね。何か文句でも?
     それはともかく、コミカルでありながらシリアスで、切ない涙と明るい笑いに満ちた、ちょっと好きにならずにはいられないような一作だ。いま近くの劇場で上映しているひとは、見に行っても損はないはず。
     おそらくこの映画を観ただれもが記憶にのこる名場面として挙げるのは、牛丼の吉野家の場面だろう。
     
  • 幼女連続殺人鬼を守り、陸路1200キロメートルを走破せよ。迫力の映画『藁の楯』を観た。(2030文字)

    2013-06-11 20:50  
    53pt




     映画『藁の楯』を観て来た。最近、話題作は一応は観ておこうかな、という気分になり、色々と映画を観ているのだが、ふしぎなもので一作観るとほかの作品も観たくなる。いままではほとんど観ていなかったのにね。やはり劇場で予告編を観る意味は大きい。
     さて、『藁の楯』。過激なバイオレンス描写で知られる三池崇史監督が大沢たかおを主演に据え、松嶋菜々子、藤原竜也、山崎努、岸谷五朗ら豪華役者陣を脇に配して撮り上げた大作である。
     物語は日本の財界を牛耳る大物、蜷川隆興(山崎努)の孫娘が猟奇殺人鬼・清丸国秀(藤原竜也)の手にかかり殺害されるところから始まる。
     清丸は容疑者として全国指名手配されるものの、なかなか捕まらない。そんなある日、全国紙の紙面に「清丸を殺し、有罪判決を受けた者に10億円の謝礼を支払う」という広告が掲載される。
     清丸への復讐を狙う蜷川の策略だ。結果、清丸は自首し、SPの銘苅一基(大沢たかお)と白岩篤子(松嶋菜々子)は清丸の護送中の警護を命じられる。
     福岡から東京まで、陸路1200キロメートルの長い「旅」。しかし、その過程には清丸を狙う者たちが群がり、さまざまなトラブルが発生しつづけるのだった、というお話。
     個人的な感想をいわせてもらうと、なかなかの力作、というところだろうか。何より荒唐無稽なアイディアを、色々な視点から考察しながら、それなりに現実世界に着地させている力技は凄まじい。
     どう考えても無理で無茶なアイディアなのだが、物語のなかだけなら筋は通っている。もちろん、仮に現実に同じことが起こったとして、同じように展開するとはとても考えがたいわけだが、あくまでも映画のプロットとしては十分に「あり」だろう。
     だれよりも殺人者を憎んでやまない主人公が、命だけで幼女殺人犯を守らなければならない深刻なパラドックスが決まっている。ドラマの掴みはバッチリだ。
     そのあと、映画はその葛藤を中軸に、過激にヒートアップしていく。外の殺人者予備軍に備えながら内に裏切り者を抱え、だれも信じられない状況に追い詰められていくサスペンスフルな展開は素晴らしい。ひとつひとつのガンアクションも迫力十分。
     ただ、この映画、ぼくはもうひとつ熱くなりきれないものを感じた。
     
  • 海燕さん、住所不定になる。(1099文字)

    2013-06-11 19:06  
    53pt




     ども。海燕です。今週末、ふたたび上京します。まあ、いろいろ用事はあるのですが、とりあえず前回観られなかった『言の葉の庭』を観て来ようかと。
     『攻殻機動隊ARISE』の公開までは1週間あるのですが、山梨のてれびんのうちで1、2週間つぶす予定なので観れるはず。そう! 東京で用事を済ませたら山梨に遊びに行く予定なのです!
     まあ、きのう決めたんだけれどね。いや、何しろブロマガの更新(と、もうひとつのお仕事)はいつでもどこでもできるので、山梨で1週間や10日くらい過ごしても何の問題もないのでした。
     ぼくはたしかに親もとで暮らすニートブロガーですが、ブロマガの収入ともうひとつの収入源と組み合わせれば何とか生きていくことくらいはできます。
     だったらなるべくニートであることを活かしてあちこちに出没したいと思っています。何だったらそのまま関西にまで足をのばすのもありか、とか思うけれど、そうすると今度は帰ってくるのが大変ですね。関西から新潟へは交通の便が悪いんだよなあ。
     しかしまあ、こうして旅行の計画を練っていると、わが身の軽さがあらためて実感されます。ふつうの社会人には絶対ありえない身軽さ。まさに「生活実験(笑)」で「ノマドワーカー(笑)」。
     いや、それはただ単に友達のうちに転がり込んでいるだけじゃないかといわれればまさにその通りなのですが、その友達のうちで仕事ができるあたりが何とも現代って感じですね。
     家でキーボードを叩いて対価を得ることがほんとうに「仕事」の名に値するならば、ですが。ひきこもりは最高だぜ! ヒャッハー!
     
  • 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』最終巻に感じるライトノベルの魅力と限界。(2268文字)

    2013-06-11 12:57  
    53pt




     伏見つかさ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の最終巻を読み上げました。以下、ネタバレはしないつもりですが、結末を匂わせる文章があるかもしれないので、一切、最終巻の情報を仕入れたくないというひとはここから先は読まないでください。よろしくおねがいします。
     OK? さて、『俺妹』待望の最終巻なのですが、個人的には「まあ、満足かな」という出来でした。
     「満足」の前に「まあ」が付くあたりがキモで、完全に絶賛するつもりにはなれないけれど、楽しかったし、面白かったし、痛快だったし、笑えたし、とりあえずは文句なしというところ。
     ぼくがいうのも生意気ですが、伏見さん、ほんとに小説が上手くなりましたね。第一巻の頃とはべつの作品のよう。掛け合いのテンポといい、細かいくすぐりといい、実に絶妙。小説読んでいてここまで笑ったのはひさしぶりかも。
     単なる文字の羅列でここまで笑わせられるんだからただごとじゃない。それに加えてヒロインたちの可愛いこと! 黒猫といい、あやせといい、桐乃といい、単なるありきたりの萌えキャラの域を超えて、ひとりの人間としての存在を感じさせるものがあります。
     伏見さんは書いています。

     声も表情も動きも、目をつむれば想像できてしまうし、あいつってこんなやつだったよなと、多くの人が知っていて、ときには共通の話題にもなる。
     こうなってしまうと、もう本当に生きているのと変わらないな、なんて思います。

     まさに、まさに。初めは書き割りに近かったキャラクターたちを活かし切り、「それぞれに長所も欠点もある、生きて動いている生身の人間」を感じさせた技量は生半のものではありません。
     いまでは膨大な数にのぼるライトノベルのなかでもほぼ頂点に立つベストセラーだけあって、その面白さはまさに格別。売れている作品には売れるだけの理由があるというべきでしょう。
     さて、そのことを踏まえた上で、本作の結末はどうだったのか? 今回、ぼくが観測した範囲では「これしかない結末」という意見をいくつか目にしました。
     まさしくその通りで、終わってみるとこれしか考えられないエンディングとなっています。それはポジティヴな意味でもネガティヴな意味でもそうです。
     『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は、おそらく現在のライトノベルの限界にまで踏み込んでいる。これ以上踏み込んだなら、まともな評価は得られないはず。
     その意味で、作者が打った手は最善手といえる。物語としてのテーマ的な一貫性を維持した上で、可能なかぎり読者の反発をそらすギリギリの一手。いやあ、よく考えたものだと思います。