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記事 2件
  • 論理的な文章を書きたい!

    2016-05-05 02:21  
    51pt
     ふう。さすがに1日10000文字前後も書いていると疲れますね。
     この記事は深夜の1時半から2時にかけて書いているのですが、一度風呂に入っているにもかかわらず、かなり疲労がたまっています。
     どうも1日10000文字というペースはオーバーペースのようです。
     いつもいっているように、ただ書くだけならどれだけ書いても大して疲れません。面白い記事を書けるよう集中するから疲れるのです。
     ただ書くだけなら「手」だけで書けるけれど、集中して書くには「頭」を使わないといけない。そういうふうに説明したらぼくの感覚をわかってもらえるでしょうか。
     だから「ただの10000文字」ならさほど疲れないと思うのだけれど、「集中しての10000文字」だとけっこうな負担になるようです。
     特に今回は3日で30000文字前後書いているわけだから、それなりに疲労してあたりまえということもできるでしょう。1週間もあれば薄い文庫本の1冊もできてしまうペースですからね。
     でも、ぼくはできれば毎日、少なくとも特別に出かけたりする以外はこれくらいの分量を書いていきたいのです。
     ということは、3日で疲れ果てるようでは困るということになります。どうすればいいのでしょうか。
     ひとつ考えられることは、なるべく疲れないように書くべきであるということです。
     いま、7割から8割くらいの力を使っているところを、5割でいいようになれば、あまり疲れなくなるでしょう。
     これは「手を抜く」ということではなく、長期過程を見越して、少ない労力で同じだけのパフォーマンスを発揮できるよう訓練するという意味です。
     そんなことが可能なのかと思う人もいるかもしれません。
     ぼくもじっさいにはやったことがないのではっきりしたことはいえません。
     しかし、理屈の上ではそう無理でもないのではないか、とも思うのです。
     おそらくいまのぼくには無駄に力が入っているポイントがあるはずで、そこで脱力することを覚えれば、もう少し疲れずに書くことができるのではないかと。苦手なんですけれどね、脱力……。
     あとは、記事を書く際の思考過程を整理して、よりシンプルに書くことを覚えれば、無駄に頭を回転させる必要もなくなるかもしれません。
     ぼくのような先天的に頭がよくない人間は(しくしく)、どうすればより聡明な人と対等のレベルで思考できるかを考えなければなりません。
     そのために必要なのが「無駄な思考過程をショートカットする」という作業だと思います。
     たとえば、ある映画について書くとする。その際、どのようにロジックを展開するべきなのか、ある程度事前に知っておくということは有効に思えます。
     ぼくは普段、まったく論理展開を考えず心の赴くままに書いているのですが、それでは説得力のある文章を書くことはむずかしいでしょう。
     ただ、毎回、一から自分で考えるのも労力がかかりすぎる。
     だから、「どのように問い(コンセプト)について答え(ロジック)を考えればいいのか」について事前に学んでおくことが大切だと思うわけです。
     これはあらかじめ構成力(論理力)をつけておくということと同義です。
     ただし、ぼくの場合は、いちいち構成を文章にして書きだしたりすることなく、瞬時にして構想できるようでなければならない。
     そうでないと時間も足りなくなるし、労力もかかりすぎる。
     つまり、あるテーマを決定して、それに対するコンセプトも決めたときに、同時にそれを語るためのロジックも思い浮かぶくらいに自分を訓練していかなければならないということ。
     幸いというか、文章的な意味でのロジックのパターンは限られていますから、それを勉強しさえすればぼくにも論理的な文章が書けるようになるはずです――たぶん、きっと、おそらくは。
     ただ、 
  • 面白いブログ記事を書くためにまずやるべきこととは?

    2016-05-04 18:12  
    51pt

     山田ズーニー『あなたの話はなぜ「通じない」のか』を読んでいます。
     なぜこの本を選んだのかといえば、前の記事でも書いた通り、コミュニケーションの技術を学びたかったからです。
     Amazonで「コミュニケーション」でサーチするとこの本が最前列に出てきたのですね。
     しかし、読んでみると、あにはからんや、単に対人コミュニケーションで役立つという次元を超えて、ブログの書き方にも参考になる点多数でした。
     いや、めちゃくちゃ参考になりましたよ。
     まあ、最も広い意味でのコミュニケーションについて書かれた本だから、あたりまえといえばあたりまえの結果なのですが、いかにこの本がコミュニケーションの本質を鋭く突いているかということだと思います。
     それでは、この本のどこがどうブログの執筆に役立つと思うのか?
     まあ、細かい文章の技術などについては書かれていませんし、役に立ちません。文章技術の本ではないのだから当然です。
     そうではなく、文章の構成の仕方そのものについて非常に有益な情報が多かったと思うわけです。
     ぼくはこのブログの記事を書くとき、何かしら「コンセプト」を設定しています。
     あるいは「主張」といったほうが良いかもしれないけれど、まず初めに「この記事は何をいいたい記事なのか?」を考えるのですね。
     それは最終的にタイトルに象徴されることになるわけだけれど(タイトルは最後に考えているのです)、たとえば前の記事だったら「ナンパとコミュニケーションスキルについて書こう」という程度のことは考えてから書き始める。
     ここがあいまいだと、あまり面白い記事が仕上がらない。「ナンパとコミュニケーションスキルについて書こう」もけっこうあいまいだから、前の記事はそこまで面白くないと思います。
     自分でそんなことをいってしまっていいのだろうかという気もしますけれど、まあ、いいでしょ。
     さらにいうと、まったくコンセプトを考えないでいきなり書き始めている記事もあります。
     以前はそういう記事が多かった。たとえば本の紹介なんかは、コンセプトがなくてもそこそこ書けてしまうのです。
     あらすじを書いて、それに対する感想を書いて、あとひとつふたつ雑談を付け加えておけば、それで一応、文字数は埋まる。
     でも、そういう記事は概して面白くない。まあ、なかにはそういう記事もあっていいのかもしれないけれど、ぼくとしては力が入っていない記事なのですね。
     こういうふうに書くと、おそらく読者の皆さまも「ああ、あの記事はそれだな」と思いあたるものがあると思います。そして、おそらくそれはあたっています。
     やっぱり力を抜いた記事は読むほうにしてもわかるものなんですよ。どうしたって内容が薄くなりますから。
     だからぼくは「コンセプトがない記事はダメだ」と思っています。
     ただ、それなら具体的にどうやってコンセプトを設定すればいいか? そして、どのようにしてそのコンセプトからロジカルに文章を展開すればいいか? それがいままで良くわかっていなかった。
     ぼくはいままでそこを「ただなんとなく」やっていた。
     ただなんとなくでできるのだからぼくもそこそこ偉いものだと思うけれど(増長)、やはり手なりで書いているから根本的に実力が足りなかったと思います(反省)。
     そう、十数年間ネットに文章を書いてきて、読みやすい文章を書くための細々とした技術はだいぶ身についたと思うんだけれど、根っこになる構成力がいまひとつなのです。
     うーん、致命的じゃね?
     で、構成力とはつまり論理力なんですね。いかに明晰なロジックに基づいて書くかということが大切。
     そのことはわかっていたんだけれど、それでは、どのようにすれば論理力を鍛えられるかということがわかっていなかった。
     「こういうふうに書けばいい」と解説している本はいくらでもあるのだけれど、そういう本を読めば読むほど反発しちゃうので(笑)、身につかないのですよね。
     しかし、この『あなたの話はなぜ「通じないのか」』を読んで、初めてわかりました。
     文章のコンセプトとは「問い」のことで、そのロジカルな展開とは「いかにして問いに答えていくか」なのだと。
     つまり、ある事実が初めにある。たとえば、前の記事だったら「ナンパ」という「テーマ」が存在している(より正確には、ナンパについて書かれた漫画があって、そこからナンパというテーマをひっぱりだしてきているわけですが、まあ、それはいいとしましょう)。
     その「テーマ」に対し、なんらかの「問い」を設定するのが「コンセプト」なのですね。
     前の記事でいえば、ぼくはなかば無意識的に「どうすればナンパができるくらいコミュニケーションがうまくなるのか?」という「問い」を設定していた。
     それが即ちあの記事のほんとうの「コンセプト」であり、記事全体を端的に象徴するタイトルにもつながっているわけです。
     言葉の正しい使い方として合っているかどうかはともかく、ぼくの理屈としてはそういうことになる。
     ようするに、記事の「コンセプト」を発見するためには、目の前にある「テーマ」に対し、なんらかの「問い」を仕立てればいいということになる。
     これは、ぼくにとっては非常に画期的な発見でした。
     いいえ、