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2014年6月の記事 13件

ヒューマニズムの臨界と自然世界のルール。

 ひとつ前の記事の続き。さて、しばらく前に映画『風立ちぬ』が販売開始されました。もういちど見返したいのですが、なかなかレンタルが空かないので観れません。  購入して観ても良いのですが、そこは貧乏暮らしの身、安く済ませられるものなら済ませたいという思いがあります。  で、同時期に、この『風立ちぬ』の制作現場を追ったドキュメンタリー『夢と狂気の王国』も発売されています。この2本を合わせて見ると非常に面白いので、オススメです。  まあ、『夢と狂気の王国』のほうは比較的発見しづらいかもしれませんが、それでも観る価値あり!の傑作ですので、ぜひ探してみてください。  前の記事の続きなのになぜ『風立ちぬ』の話かといえば、まあ、宮崎駿の作品が描くものが、現実の世界って、人間の作り出した色々な理屈はあまり通用しないよね、という話に繋がっていくからなんですけれども。  どこから話をしようかな。昨日書いたように、そもそもこの世界は人間にとって非常に不都合なシステムで成り立っています。ひとは死ぬし、努力は報われないし、愛は通じないし、資源は不足するし、まあ、ろくなものではないといえるでしょう。  その意味では正しくリアルはクソゲーなのです。この、非情な「自然世界のルール」のことをぼくは「グランド・ルール」と呼んだりします。  グランド・ルールを変えることはひとにはできません。まあ、人間にとって都合の良いように部分的に改善(あくまで人間から見てそうだ、ということですよ)してゆくことがせいぜいです。  そう、人間はそもそも「自然世界」のなかではほとんど生きていけません。あるいは少なくとも繁栄することはできません。だから、人間は「自然世界」のなかに「人間社会」を作り出そうとします。  この「人間社会」のなかでは、比較的ひとは死ににくく、努力は報われやすく、愛は通じやすく、資源は管理されやすいということになります。  「人間社会」は当然ながら人間にとって都合が良い場なのですね。人間が生み出した人間のルール、すなわちヒューマニズムが通用しやすい優しい場であるといってもいいでしょう。  愛は素晴らしいとか、平和は尊いとか、ひとの命は重いといったヒューマニズムは、この「人間社会」のなかではそれなりに正しく、また気高い理念だといえますが、「自然世界」ではまったく通用しません。  何度もいいますが、「自然世界」は本質的に人間に合わせて作られていないからです。よって「人間社会」の支配領域をどんどん拡大し、最終的には「自然世界」を支配してしまおう、あらゆるものを管理し尽くそう!というのが、つまりは「近代の夢」というものだったと思うのです。  そして、近代主義者(モダニスト)である宮崎駿は、この「近代という名の壮大な夢」の魅力をこれでもかと描いていきます。それはあるときは『風の谷のナウシカ』の墓所となり、またあるときは『天空の城ラピュタ』のラピュタ城となるわけです。  しかし、そうやって近代化を推し進めていってもなお、やっぱりほんとうは「人間社会のルール」は「自然世界のルール」に包摂されているんですよね。  その証拠にどんなに高度に洗練された都市空間においても、やはりひとは死ぬし、偶然の死や破滅は避けられません。グランド・ルールはどこまで行っても絶対なのです。  ひとが生きることはグランド・ルールを前にこうべを垂れることです。「この世界の偶然性」、つまりこの世界はほんとうは無意味で、偶然がすべてを支配していて、人間の努力や成長と結果との因果関係など存在しないということを受け入れる、あるいは少なくともそれと折り合いをつけることが、ひとの「成熟」というものだと思います。  『グイン・サーガ』のアルド・ナリスは「なぜわたしはこのように生まれてきたのだ!」と悩み、世界に向けてその問いを突きつけましたが、最後には「自然世界のルール」を受け入れて死んでいきました。  かれは死に際してついに人間として成熟したのです。ちなみにこれはまさに近代の悩みで、ナリスは『グイン・サーガ』でグインその人を除くと唯一の近代人だったのだと思う。  また一方で、この近代と科学(サイエンス)を信奉する人々に、アーサー・C・クラークやJ・P・ホーガンなどのSF作家の系譜があります。  現代でいえば、グレッグ・イーガンですね。イーガンは 

ヒューマニズムの臨界と自然世界のルール。

努力も、成長も、誠意も、愛情も通用しない世界とは何か。

 最近やる気がないなあ、やたら眠たいなあ、と思ったらどうやら病気だったことがわかって愕然。そりゃまあそうだよな。1日の半分以上平気で寝ているんだから。  いままで気づかなかったことがおかしいようなものですが、なまじ昼間寝ていてもだれにも文句をいわない環境にいたのでわからなかったのです。  いや、鼻炎がひどいとは思っていて薬ももらっていたのだけれど、それが睡眠を阻害しているところまでは思い至らなかった。とりあえず新たにお薬をもらって来て呼吸がスッキリしたので、気分よくこの文章を書いています。  いやー、今月は書かなかったですねえ。ひどいものです。これで会員が減るどころか増えているんだからありがたいというか。さすがにいいかげん書かなければならないと思います。書こう、書こう。  さて、今月のトピックといえば、やはりワールドカップと『HUNTERXHUNTER』再開でしょうかねー。いやー、とても面白かったです、どちらも。  ワールドカップの日本代表戦の三試合はすべて観たのですが、まあ、圧倒的な世界との格差を見せつけられた形の結末で、非常に残酷な展開と云えるでしょう。  でも、これこそが「現実」なんですよね。現実は物語のように都合よく動かない。どんな真摯な努力も、ひたむきな想いも、扉を開けるとは限らない。  こういう非情な事態に遭遇した時、多くのひとは「何が足りなかったのか?」と考えます。しかし、さらに残酷なことに、ひょっとしたら足りないものなんて何もなかったのかもしれないんですよね。  日本代表は、あるいはほんとうに最善を尽くしたのかもしれない。それでも、届かないということがありえる。それが「現実」。  現実はクソゲーだ、とは『神のみぞ知るセカイ』の桂木桂馬の口ぐせですが、今回の試合を観てまさに現実の不条理さを思い知ったひとも多かったのではないでしょうか。  物語ならば、努力と成長の末にはそれなりの勝利が待っているもの。どんなにきびしくても、ただ悲惨なだけの展開で終わる物語はめったにありませんし、あってもウケません。  しかし、現実はそういうふうにはできていません。シャレにならないくらい過酷で、ありえないほど残酷、「あってはならないこと」があたりまえのように起こることが現実なんですよね。  この現実世界ではほんとうはいかなる人間的な「正しさ」も通用しません。そこはもとより人間中心に作られた世界ではないからです。  「努力は報われるべきだ」とか「まごころは通じなければならない」といったことは、ある意味では「正しい」と思いますが、じっさいにはいつもそういうふうに行くわけではありません。現実はどこまでも非情なのです。  さて、ここで『HUNTERXHUNTER』の話に繋がるのですが、 

努力も、成長も、誠意も、愛情も通用しない世界とは何か。

コミケ参加のお知らせ&寄せられた質問に答えてみたよ!

 夏コミに受かってしまったので、数年ぶりに同人誌を出します。『Fate』の小説本になる予定です。サークルスペースは「3日目西せ04a」。良ければ買ってください。通販とかもします。委託販売もするでしょう。  内容についてはそのうち告知しますが、シリーズものの第1巻になるはず。うひー、大丈夫なんですか海燕さん。た、たぶん大丈夫なんじゃないかな。内容はたぶんなかなか面白いと思います。よろしくお願いします!  というわけで、きょうはAsk.fmに寄せられた質問に答えてみるよ。 ・自分も新潟県人です。あなたが思う、大都市ではなく地方を拠点にすることの利点を教えてください。‎   んー。何でしょうね。最近だとイケダハヤトさんが高知県に移住を決めたことが話題になっていますが、まあ、ぶっちゃけ、地方で暮らさなければならない理由は特にないかと。  反対に都会で暮らすべき理由も特に思いつかない。好きなところで好きなように暮らせばいいんじゃないでしょうか。  もちろん、会社が東京にある人は東京ないし首都圏で暮らすしか選択肢がないだろうけれど、ぼくみたいななんちゃってノマドワーカーは、インターネットさえあれば仕事ができますから、そこらへんはどうとでもなります。  そもそも現代においては、地方と都会(大都市)という二項対立がそもそもあまり意味がないんじゃないかな。東京だって郊外はけっこう田舎だし、反対に地方の中心地は都会化している。  問題は「住居にどのような条件を求めるか?」であって、単純に都会がいいとか田舎がいいという議論はできないように思います。  いま読んでいる『週末は田舎暮らし』はいわゆるデュアル・ライフ(都会と田舎の二重生活)について記された本なのだけれど、読んでいるとこういうのもいいなあ、と思いますよ。  もはや住居を一箇所に定める意味もそれほど大きくなくて、ほんとうの意味で「好きなときに好きなところで好きに暮らせばいい」といえる時代なのかな、と思います。  もちろん、東京にしかないショップとか施設はいまだ多いので、東京はきわめて魅力的な都市です。でも、新幹線を初めとする発達した交通網のおかげで、いまとなっては数百キロ離れた新潟からでも東京へ行くのはそれほどむずかしくないわけで、どうしても東京に住まなければならない理由は特にないかと。  というのがぼくの意見。ちなみにぼくが新潟に住んでいるのは実家が新潟にあるからで、ほんとうはどこに住んでもいいと思っています。季節ごとにマンスリーマンションを借りてあちこち移動とか、いいよねー。もうちょっと収入があったらそうするんですけれど。 ・海燕さんが感じるエロゲの魅力はなんですか?3つ教えてください。  んー、ひと口にエロゲといっても当然、色々な作品があるわけで、なかなか「これがエロゲの魅力だ!」というのはむずかしいですよね。  それでもあえて云うなら、「発想的になんでもありなこと」、「ダークでアダルトな表現が許されること」、「エンターテインメントを志向していること」の三つが挙げられるかなあ、と。  まあ、最近はエロゲが話題になることは少なくなっていて、斜陽の業界と云われていますけれど、エロゲが面白かった時期というものはたしかにあったんですよ。  もちろん、いまだって探せば面白いものはあるんだろうけれど、やっぱりちょっと時代的に旬を過ぎてしまった感はありますよね。  ぼくが積極的にエロゲをプレイしていた十数年くらい前は、『月姫』みたいな作品が同人からポッと出て来たり、クレイジーなシナリオの作品がそこかしこにあふれていたり、とその「なんでもあり」さは非常な魅力でした。  まあ、「なんでもあり」なだけならいまのネット小説界隈だって匹敵するだろうけれど、エロゲはそうはいっても商業作品ですから、基本的にはエンターテインメントを志向するんですよね。  そこらへんのギリギリのバランスのせめぎあい、みたいなものがぼくには面白かったのです。  およそ商業文化というものはなんでも、最初は混沌としていて、しだいに秩序だっていくものなのですけれど、その中間の時代がいちばん面白いように思えます。  あまりに混沌としていても、秩序化しすぎても面白くない。そういう意味では、最近は興味ある商業文化を発見できずにいますね。何か面白いものはないでしょうか。 ・物語に触れる際に、扱われる「テーマ」で好きな物は何ですか? テーマらしきもの自体が判断基準にはならないとしても、無理やり順位を付けて1位を教えて下さい  テーマかあ。まあ、お察しの通り、 

コミケ参加のお知らせ&寄せられた質問に答えてみたよ!

女性が自分の幸せを第一に考えることは「自分勝手」なんかじゃないよ!

 はてな匿名ダイアリーで、「恋人はいるけれど結婚はしたくない」という女性の記事を読んだ。 http://anond.hatelabo.jp/20140609130314  それ自体は「なるほど」と納得できるものだったんだけれど(そもそも、結婚するもしないも他人の納得など必要としない個人の自由であるわけだが)、それにコメントした記事が凄い。  こういう女は、社会のダニみたいな奴だから、さっさと駆除すべき。    自分がどう思おうと勝手だが、それを隠さずに、さっさと彼氏に告白しろ。  結婚したくないのに付き合うなんて、彼氏をだましているのも同然だ。彼氏の結婚する 機会を奪っている。女性の結婚する機会を奪う男と同じで、迷惑千万。  だからさっさと彼氏に正直に告白しろ。  はっはっは。すさまじいですね。こういう人にとって、いわゆる「お付きあい」はすべからく結婚を前提としているべきで、結婚の意志がないのに付き合うのは「彼氏をだましているのも同然」ということになるんだろうなあ。  ぼくにはあんびりーばぼーとしか思えないけれど、そういう価値観の人もいるんでしょう。ほかにも「要するに彼氏のことがそこまで好きじゃねえってことだ」とかまとめている人もいるけれど、好きなら結婚するのが当然って価値観なんでしょうかね。うひー。  ぼくは特別に相手もなく、このままだと一生結婚することなく終わってしまいそうな人生を送っているわけですが、この手のイミフな圧力団体に加入したいとは思いません。  「結婚したくないなんて云っているとあとで後悔するぞ!」などと脅迫しているひともたくさんいますが、そんなもん、後悔するもしないも本人の勝手でしょう。あなたの人生じゃないんだから心配しなくてもいいんですよ。  いやまあほんとうは心配しているわけじゃなく、「恋人にケチつけて結婚したくないとかいう女むかつく」以上のものではないのでしょうが。  ブクマを見ると肯定的な(少なくとも否定的ではない)意見もけっこうあるようなので安心したけれど、そちらはそちらで「どうせそのうち捨てられる」「後になって後悔しても遅いぞ」という意見の多さにげんなりさせられる。  そんなことはだれにもわからないし、仮に捨てられたり後悔したりするとしても、したくもない結婚をして恋人を繋ぎとめようとするよりよほど良いという価値観もありえるよね。  この人の人生はこの人のものなんだから、自由にさせてやればいいと思うんだけれどなあ。いや、ネットに上がっている情報であるわけだからコメントするのは自由だけれど、何も呪いの言葉を吐き出さなくてもいいでしょう。  そんなに結婚しようとせず家庭を作ろうとしない人間が憎いか。憎いんだろうなあ。がくがくぶるぶる。  この「とにかくわがままはいわず我慢して結婚しろ! そうしないとお前の相手をしてくれる男はひとりもいなくなるぞ!」という脅迫と、「男と付き合っていながら結婚したくないなんてわがままだ! 自分勝手だ! 自己中心的だ!」という合唱には背筋も凍るというか。これ、ほとんど宗教だろ……。  で、その背景にあるのは例の 

女性が自分の幸せを第一に考えることは「自分勝手」なんかじゃないよ!
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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