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記事 4件
  • 2020年のベストを考えているよ。

    2020-12-22 23:13  
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     突然の疾病に明け暮れた激動の2020年がゆっくりと幕を閉じようとしています。ぼくにとってはなかなかの波乱の年でしたが、皆さんはいかがでしたでしょうか。
     ぼくはいま、今年のベストを考えたりしています。いざ振り返るとなると、どんな作品にふれてきたかよくわからなくなりますが、電子書籍のラインナップをたしかめてみると、今年も意外にいろいろな本を読んで来たなあと思い出します。
     そのなかからトップを一つ選びだすなら、非常にベタになってしまいますが、ぼくたちが「後期新世界系」と呼んでいるところの『鬼滅の刃』、『チェンソーマン』あたりになるか、それともバタイユの『エロティシズム』、あるいは予想以上の名作ぞろいの『リテラリー・ゴシック・イン・ジャパン』などになるか、微妙なところです。
     また、今年最大の掘り出し物の『せんせいのお人形』もあるし、ゲームなら『サイバーパンク2027』もありました。アニメだ
  • なぜ表現規制は創作市場を殺すのか。

    2020-12-11 16:48  
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     今月号の『ニュータイプ』掲載の『ファイブスター物語』を読みました。ストーリーは先月から詩女マグダルを主人公とした第17巻収録予定のエピソードに移っており、じっさい、辺境の衛星カーマントーにおける彼女の過酷な日々が描かれています。
     しかし、今月最大のトピックはそこではなく、マグダル及びデプレの従弟である剣聖マキシ登場に尽きるでしょう。マキシはジョーカー星団最強の騎士であり、成人したのちは凄まじい戦いをくりひろげ、最終的には昇天して「神」となった人物。
     しかし、この時点ではまだただの少年に過ぎません……いや、この時点ですでに一般的な騎士たちが束になっても敵わない圧倒的な実力を秘め、しかもまともな道徳、倫理が欠落した狂気ともいえる性格をも備えているようですが。
     『ファイブスター物語』にはいろいろな「悪人」、「狂人」たちが登場します。騎士として強大な力を持っているためにだれにも止められない殺人鬼など、アマテラスのミラージュ騎士団には何人もいますし、そのくらいはむしろ「普通」なくらいです。
     しかし、マキシの「狂気」はそういった殺人淫楽症とすらまったく違っているようなのです。人としての倫理を一切有していないかれはある意味では純粋です。
     殺人や強姦は「悪いこと」であるというその前提すら持っておらず、その超帝國の血を表すうつくしい顔で平然と「おかあさんに子供を生ませるのはお前じゃない、ボクだよ」などというとんでもないセリフを吐くのです。
     はたしてこの先、かれがどのようにして成長し、超帝國剣聖たちをも凌ぐジョーカー太陽星団の文字通りの最強騎士として勇名を馳せるようになるのか、注目です。
     それにしても、まわりが注意していないとあたりまえのようにじつの母親を犯したり殺したりしようとするマキシ、『ファイブスター物語』史上でも屈指のやばいキャラクターなのではないでしょうか。あのバランシェをも凌ぐかもしれません。
     そのマキシが神となって「この世に残した願い」を「奇跡」という形で叶えようとするエピソードがこの後にあるはずなのですが、いったい何が起こるのか楽しみでなりません。相当にものすごいことが起こるということなのですが、何だろうなあ。
     『ファイブスター物語』の凄いところはこういう世間の常識をも道徳をも完全に無視してしまう「自由さ」、それに尽きますね。この作品を読んでいると、やはり過剰な表現規制なんてことをしていてはダメだなあ、とあらためて思います。
     赤松健さんもインタビューで語っていますが、日本の創作のつよみは表現規制がゆるいところにあります。

     海外は強い表現規制があるのに対し、日本は規制が緩やかなので画期的なアイディアや過激な表現が生まれやすいのです。中国や韓国の作品はマニュアルを真似て上手なのですが、『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』など読者に広くインパクトを与える作品は少ないと思います。
    https://www.bunkanews.jp/article/225423/


     もし日本が海外に倣って表現規制に踏み切れば、 
  • 「壁」が存在しない「後期新世界系」はどのような物語になっていくのか?

    2020-11-15 22:19  
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     以前の記事で「後期新世界系」という言葉を使いましたが、いま、そのことについて色々と考えています。
     そこで今日は、新世界系が登場してから10年ちょっと、その内実も少しずつ変わってきているよね、という話をしたいと思います。
     まあ、いままで考えて来たことを整理するだけですが、かなり面白い内容になるはず。綺麗に整理したら後はペトロニウスさんやLDさんが思索を進めてくれるでしょう。きっと。
     さて、わかりやすくいうと、いままでの新世界系の定義とは以下のようなものでした。

    ・平和だが欺瞞に満ちた社会と過酷で残酷な世界を隔てる「壁」が存在する物語。

     この「壁」とはあくまで比喩であって、それは作品によって「海」の形だったり(『HUNTER×HUNTER』)、あるいは「崖」だったりするのですが(『約束のネバーランド』)、つまり平和な社会と残酷な世界を隔てる「境界」が存在することが重要であるわけで
  • 『鬼滅の刃』、『チェンソーマン』、陰鬱で残酷な『少年ジャンプ』の連載作品は「正しい」。

    2020-11-13 14:19  
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     何だか世界は変わったなあ、と思う今日この頃である。たとえば、『少年ジャンプ』。
     『鬼滅の刃』のヒットに象徴的なことだが、ぼくたちの『ジャンプ』は、たしかに変わった。ページを開けばあい変わらずそこでは熱いバトルが繰り広げられてはいるのだが、一方でその陰惨さ、残酷さも相当のものである。
     もちろん、歴史的に見れば『ジャンプ』では『北斗の拳』や『ドーベルマン刑事』のような過激な暴力描写が特徴の作品も連載されていたのだが、いまの『ジャンプ』の漫画たちはそれとも一風異なっている。
     かつてのスーパーヒーローたちは最強であるのみならずほぼ無敵に等しかったが、いまではそうではない。ただひたすらに無残な「死」が折り重なり、そのことによってのみ物語が先に展開するかのようだ。そのことについて、こんなことを書いている人がいる。

     たとえば近年の「週刊少年ジャンプ」で連載されている(た)『鬼滅の刃』、『チ