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『フルバ』にも『カレカノ』にも罪はない。少女漫画と「真実の愛」幻想。
2016-09-20 07:5551pt
恋愛工学に始まった「ナルシシズム/エロティシズム」の話は前回で一応完結しているのですが、今回はおまけ篇として宿題になっていた少女漫画の話を書いておこうと思います。
まずは、「『彼氏彼女の事情』『フルーツバスケット』がアラサー女子の恋愛観にもたらした闇」という記事を引用しましょう。
http://papuriko.hatenablog.com/entry/2016/09/13/184709
タイトル通り、少女漫画往年の名作『彼氏彼女の事情』と『フルーツバスケット』を扱った記事です。この記事によると、両作品には以下のような共通点があるとされています。
・女子(主人公)が努力家、優等生、いい子
・男子(恋の相手)が特別な存在(人気者、特殊能力あり)
・でも男子は「過去のトラウマ」を抱え、心の闇を持っている
・男子、トラウマが爆発した時、女子を傷つけて避ける
・女子、そんな男子を偉大なる -
頑張って生きるのが嫌な人が自由になる方法。
2016-06-04 21:5351pt
「頑張って生きるのが嫌な人のための本」。おお、ぼくのことだ、と思って読んでみました。
タイトルはこんなですが、中身は「自由」を巡る真面目でまっとうな思索です。
著者は若くして亡くなった友人「K」に対し語りかけるかのように文章を綴っていきます。
自由を追求したあげく、死を選んでしまった「K」。その選択は必然だったのか、それとも避けられるものだったのか。さまざまに志向を巡らせていくのです。
自由。
思うに、ぼくも結局、自由になりたいのだと思います。
しょせんヒトである限り一定の制約は受けるかもしれないけれど、べつにそこまで「極限的な自由」を求めているわけじゃない。
ただ、いまよりもう少し「不可能」を「可能」にしたい。それだけ。
たとえばいくらかお金があればそれだけでできることはたくさんあるし、身体が思ったように動くというそれだけのことも大きな自由を保障している。
あらゆる -
伊藤ハチ『合法百合夫婦本』と百合漫画の歴史。
2016-05-18 18:4051pt
伊藤ハチさんの百合漫画新刊『合法百合夫婦本』と『チヨちゃんの嫁入り』を読みました。
どうやら伊藤さんによる過去の同人誌をまとめた本らしいですが、ぼくは初読なのであまり関係がありません。甘酸っぱい世界を堪能させていただきました。
読むほどに多幸感が増していくドラッグ的な2冊です。あー、幸せー。生きていてよかったー。愛って素晴らしい(何かいってる)。
Kindleは欲しい本が一瞬で手もとにやってくる偉大なシステムだな。何よりいったん購入した本はなくならないのが凄い。これからも新刊はなるべくKindleで買おうと思います。
それにしても、最近は百合漫画もいちジャンルとして確立された感がありますねー。
ひとりのなんちゃって百合オタとしては感慨深いものがあります。
もっとたくさん百合漫画が出るようだといいのだけれど、まあ、マイナージャンルには違いないからなかなかそういうわけにもいかないか。
無数の作品のなかから読むものを選べる腐女子な人たちがうらやましい。
そもそも百合の歴史はBLに比べると浅いのです。
いや、吉屋信子の『花物語』とか、女学生同士の「エス」の関係だとかまでにさかのぼれば古いだろうけれど、オタク文化としての百合作品の歴史は相対的に浅い。
あまり迂闊なことはいえませんが、『美少女戦士セーラームーン』の百合二次創作が流行ったあたりが皮切りなんじゃないかな?
もちろん、それ以前にも少女漫画には「レズビアンもの」がありました。しかし、それは往々にして重苦しい内容で、悲劇的結末を伴うものだったそうです。
ここらへんは藤本由香里さんの名著『私の居場所はどこにあるの?』にくわしい。
なぜBLに比べ百合の普及が遅れたかといえば、うん、なぜなんでしょうね?
当然、ひと言ではいい表せないような複雑な原因が絡みあっているのだと思いますが、まあやっぱり生々しく感じられたんだろうなあ。
あと、女性同士の関係に「先」が感じられるような社会状況ではなかったのかもしれません。
それがゆっくりと受け入れられるようになっていった背景には、おそらく「女性キャラクターのイメージの多様化」が関係しているのだろうと思います。
ここ20年くらいで、漫画のなかの女性キャラクターたちはだいぶ変化しています。特定の性役割に縛られることも、あるいはまだ十分ではないかもしれないにしろ、だいぶ減ってきているのではないかと思う。
そういう事情が、百合作品の発展にも影響を与えているのではないか。
少女漫画でいうと、清水玲子の『輝夜姫』あたりから百合テーマは新時代に入っていった感じがしますが、結局、この作品は百合を全うできずに終わった印象が強い。ちょっと時代が早すぎたということでしょうね。
で、そのあと『カードキャプターさくら』とかが発表されたこともあって、しだいに百合は一般化していくという流れで良いかと思います。
いや、CLAMPはその前に『聖伝』とか、色々あるにはあるのですが。
そういう長い歴史を経て、百合のいまはあるわけです。
「百合」という言葉が広く使われるようになったのは、やっぱり『マリア様がみてる』あたりからだと思うんだけれど、どうだろう? あまり確信はないのでなんともいえないところです。
まあ、いまでも百合業界には注文があって、個人的にはもっと物語として「面白い」百合作品を希望したいところなのだけれど、むずかしいのかなあ。むずかしいのだろうなあ。
あまりストーリーテリングに特化した百合作品って見ないものなあ。『魔法少女まどか☆マギカ』とかは、あるいはそれにあたるかもしれないけれど。あとは高河ゆん原作の『悪魔のリドル』とか?
前の記事でも書きましたが、「面白い」物語は -
セックスワークの現場には性の問題が「凝縮」されている。(2204文字)
2013-09-28 04:5453pt
【デリヘル嬢みやび】
夜中にめざめてしまいました。ひとはどうだか知りませんが、ぼくはいったん目が醒めるとなかなか眠れないほう。
いくら世界が闇に包まれていも、いちど覚醒した意識を闇のなかへ還すことはできません。どうもこの頃睡眠が不規則で良くないですね。
とにかく起きてしまったものは仕方ないので更新します。
さて、皆さんは『デリバリーシンデレラ』という漫画をご存知でしょうか?
タイトルからわかるように、東京でひとり暮らしするデリヘル嬢の少女「みやび」を主人公とした物語です。
デリヘルとはデリバリーヘルスの略称で、マンションやラブホテルなどに女性が赴いてサービスする性風俗のこと。
みやびはときに自分の仕事の社会的な立場に悩みつつも、あくまで明るく、一生懸命に風俗の仕事をこなしていきます。
こう書くと「ああ、その手の漫画ね」と早合点される方もいらっしゃるかもしれませんが、なかなかどうして、これがあなどれない作品に仕上がっているのです。
というのも、この『デリバリーシンデレラ』、デリヘル嬢をあくまでひとつの「職業」として描ききっている画期的な漫画なのです。
【『デリバリーシンデレラ』の画期性】
過去にも売春をテーマにした作品は無数に
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