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百億光年の真空をこえて。『四月は君の嘘』最終回が本気で泣ける。

 物語の初めには仄かな予感がただよう。  その作品が何を伝え、何を訴え、何をとどけようとしているのか、すべてが春風のようにさわやかに匂う。  『四月は君の嘘』。  不思議と印象的なタイトルのその作品の場合、初めから既に見事な完成を示していた。  A boy meets a girl――使い古されたあたりまえの王道を、衒いなくなぞった冒頭には、そこから始まる展開を期待させて余りあるものがあった。  そしていま、アニメ『四月は君の嘘』は完結を迎えた。  何もかもが生き生きとした色彩に満ちて輝くその終幕を見ながら、ぼくはこの作品に出逢えた幸福を思った。  じっさいのところ、最終回において絶頂を迎えるテレビアニメはほとんどない。  しかし、この物語はその希少な例外のひとつとして長く記憶されることになるだろう。  無限にひろがっていくかに見える世界の、そのあまりの美しさに、自然と涙がこぼれ落ちそうになる、これはそんなアニメーションだ。  世界のすべてに生命が宿っている――そう信じられることの幸せ。  ぼくはいったい何を目撃したのだろう。  ステージのすべてを青空が覆い、はるかな遠くまで音が響いてゆく。その奇跡の演奏の目撃者となることで、ぼくは「至福」を目にしたのだと思う。  想いがとどくという至福。  ほんらい一方通行でしかありえないはずの感情が相互に伝わりあい、限りなく響きあってステージを満たすという、演奏家だけがしる至福。  その瞬間、ピアノはただ楽器であることをやめ、ヴァイオリンは単に道具であることを超えて、かれと彼女の想いで空間を満たす。  秀抜な才気と膨大な修練に裏付けられた演奏は、そのとき、時を超え空間を超えて、はるか高空にまで響きわたってゆく――シンフォニー。  もう怯えはしない。  もう座り込んでひとり悩み苦しみはしない。  なぜなら、かれはもう、ひとりではないのだから。かれは出逢ってしまったのだから。その、運命の少女と。  ――ほんとうに素晴らしいものを見せてもらった。恐ろしく力が入った最終回であった。  未見の方にはこの最終回だけでもぜひ見てほしい。アニメーション表現の粋を尽くした出色の一話がここにある。  漫画『四月は君の嘘』がアニメ化されると目にしたとき、正直、そこまで期待してはいなかった。  音楽もののアニメにするためにはそれなりの障害がある。なぜなら、漫画でただ「素晴らしい演奏」として描けば済むものを、じっさいに聴かせてみせなければならないからだ。  無音の漫画で表現可能なものを、自由に音を表現しうるはずのアニメーションでは表現できないという矛盾がそこにある。  ある意味でアニメーションは漫画より不自由な一面があるということかもしれない。  しかし、この感涙の最終回を見るとき、ぼくはどうやら自分がアニメーションをあなどっていたらしいことに気づく。  アニメーションは音と映像の芸術。線と音でもって世界のすべてを表現しうるのである。  この演奏シーンの美しさは多くのひとを感動させることだろう。それはこの世界そのものがもつ底しれない美であり、空間をわたって伝わりゆくひとの想いの美だ。  この世界はなんて豊かにカラフルなのだろう。人間とは、なんと素晴らしく美しい存在なのだろうか。  その神に選ばれた指先をなめらかにピアノへ滑らせながら、主人公はくり返す。  届け。  届け。  届け――この想いよ、あの人のところまでに届け、と。  そして、 

百億光年の真空をこえて。『四月は君の嘘』最終回が本気で泣ける。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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