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グリット――ベイビーステップで成長するために必要なメンタル。

 小説を作っていると、「才能」ということについて考えます。何をするにしろ、ひとには才能の有無がある。もちろん、「ある」か「ない」かに分けられるほど単純なものではありませんが、他人より秀でた人もいれば劣った人もいることは事実です。  たとえば音楽などの芸術的才能などは歴然と差が出るものだといえるでしょう。小説ももちろんそうです。創作をするとき、多くの人が「才能の限界」にぶつかり、その道をあきらめてしまいます。  しかし、ほんとうに良い作品を創り出せるかどうかはあらかじめ才能によって決まっているのでしょうか? ぼくは、必ずしもそうではないと考えています。  たしかに才能の差は大きい。あまりにも大きい。しかし、それがすべてではないと考えたいのです。為末大さんの『限界の正体』という本も書かれていますが、ひとは限界に到達する前に「ここが限界だ」とかってに自分で決めつけてしまうものです。  「どうせいくら頑張ったってあいつにはかなわないよ」とか「才能がないからダメに決まっている」とか。つまり、人はしばしば「ほんとうの限界」の前に「心理的限界」を設定してしまうのです。  そして、さらにその「心理的限界」の手前で努力をやめてしまうこともあります。そうなると、「ほんとうの限界」のずっと前までしか到達できないことになります。これでは、結果が出ないこともあたりまえです。  為末さんはかつて陸上界で信じられていた「1マイル4分の壁」という話を持ちだします。その昔、スポーツにおいては「1マイルを4分以上のペースで走ることは人間には不可能である」という「常識」がまことしやかに信じられていたといいます。  その記録は長年にわたって越えられず、まさに「壁」であると考えられていました。ところが、ある人物がその「壁」を乗り越えると、それから1年以内に23人もの人物がその「壁」を越えてしまうのです!  つまり、じっさいには「限界の壁」など実在せず、ただ「心理的な壁」だけが存在していたということです。これこそまさにひとが「ほんとうの限界」に到達することを阻む「心理的限界」です。  それでは、「ほんとうの限界」に到達するにはどうすればいいのか? 

グリット――ベイビーステップで成長するために必要なメンタル。

『ベイビーステップ』の説明できない作劇術。

 勝木光『ベイビーステップ』を読み返しています。  第1巻から始めて、いま、第20巻くらい。全日本ジュニアの全国大会が始まったあたりですね。  あらためて読み返してみると色々気づくことも多いわけですが、今回特に思ったのは、作劇の方法論がほんとうに独特だな、ということ。  通常のスポーツ漫画とストーリー展開の方程式が異なっている。非常にオリジナリティが高い。  通常のスポーツ漫画の代表格として、たとえば『スラムダンク』を挙げたいと思いますが、『スラムダンク』と『ベイビーステップ』の作劇を比較してみると落差が露骨にはっきりしています。  『ベイビーステップ』のほうが変わっているんですよ。  いまさらいうまでもないことですが、『スラムダンク』の全体の構成は非常に美しく完成しています。  各試合が過不足なく描き込まれ、日本最強の山王工業への勝利で終わるという流れ。  主人公桜木花道は全体を通し一貫して成長していて、その頂点で物語そのものが完結します。  なんて素晴らしい。  しかし、逆をいうなら、あまりに美しくできているからこそ次の展開は予想しやすいということもいえるわけです。  すべてが「物語的必然」に沿ってできあがっているわけで、たとえば湘北が突然無名の高校に負けてしまうなんてことは起こりえない。  『スラムダンク』の展開は厳密な「漫画力学」にきれいに従っているということもできるでしょう。  しかし、『ベイビーステップ』は違います。  主人公であるエーちゃんがだれに勝ち、だれに負けるかが「物語的必然」で決まっていないように見える。  もちろん、適当に決まっているはずはないのですが、エーちゃんの試合結果は「漫画力学」とはべつの理屈でもって決まっているように思えます。  予想外のところで勝つこともあるし、負けることもありえる。  なぜそこで勝ち、負けるのか、「そのほうが面白くなるから」という理屈では説明できない。  読者から見れば非常に先が予測しにくい漫画といえます。  まあ、読者の予想を先読みしてあえて外しにかかる漫画ならほかにいくらでもありますが、『ベイビーステップ』の作劇はそれとも違う。  どういえばいいのか、「こうなれば面白いはず」という期待をかなりの程度、無視しているようなのです。  典型的なのが 

『ベイビーステップ』の説明できない作劇術。

人生を勝ち抜くにはどう生きれば良いのか? 『ベイビーステップ』が出した「答え」とは。

 先日、dアニメストアとバンダイチャンネルに入会したので(月額合計1480円)、『ベイビーステップ』のお気に入りの試合を見ています。いま、原作は非常に白熱しているところですが、アニメのほうも面白い。  まあ、原作のクオリティが飛び抜けて高いので、そのまま映像にすれば優れたものができあがるはずなのだけれど、そう単純に行かないのが映像化。その点、『ベイビーステップ』はうまく処理してあります。さすがにテニスシーンの迫力はもうひとつですが、全体的には満足のいく作品かと。  それにしても、この話もすっかりビッグタイトルになりました。いつも『マガジン』の後ろのほうに掲載されているので、ひょっとして人気ないのだろうか? いつか打ち切られるんじゃないか? と怯えていた頃がなつかしい。  ここ10年間のスポーツもののなかでもベストといえる作品なので、もしまだしらないひとがいたら「体験」してほしいですね。テニスものには違いないんだけれど、それ以上に「人生の教科書」として味わえる作品になっています。  「人生」の「教科書」。何とも重たい言葉同士を結びつけてしまったものですが、じっさい、この作品はそういうふうに称することがふさわしい。  主人公の「エーちゃん」こと丸尾栄一郎はべつだんテニスの天才でも何でもありません。ただ、かれは懸命な努力によって一歩一歩着実に成長していくのです。  こう書くと、いわゆる「スポ根(スポーツ根性)もの」を連想されるかもしれませんね。しかし、それは完全に間違ってはいないとはいえ、『ベイビーステップ』のイメージからはかけ離れています。  この作品のひとつの魅力は知性(インテリジェンス)。エーちゃんは何冊ものノートを活用し、常に自分と対戦相手のストロングポイントなりウィークポイントを洗い出しながら戦っていくのです。  生まれつき特別な身体能力に恵まれているわけではないかれにとって、その頭脳に裏打ちされたその分析能力は唯一の武器ともいえるもの。エーちゃんはノートによるアナライズを駆使して格上の選手たちを破って行きます。  しかし、そうかといってただ策略だけで勝ち上がる頭でっかちな内容かというと、そういうわけでもない。たしかにエーちゃんは分析を用い、確率を駆使して戦うのですが、やはりテニスは机上の理論だけでは勝てない。  かれほど頭脳明晰なプレイヤーであっても、しばしば圧倒的なフィジカルにねじ伏せられることもあるのです。というか、じっさいの試合はほとんど頭で考えたとおりにはならない。  エーちゃんはそのどうしようもない現実を踏まえた上で、それでもなお徹底して真剣に問題に挑んでいきます。  かれは高校に入ってからテニスを始めているので、そもそもスタートダッシュで遅れてしまっている。そこからどうその遅れを挽回するのか? 自然、このアニメのテーマはそこに収斂していきます。  エーちゃんは『SLAM DUNK』の桜木花道のような傑出した天才ではないので、ひとと同じことをやっていてはひとを凌駕することはできません。  だから、「どんぐりの背比べ」から抜きん出て活躍するためには、ひとを上回る「何か」が必要になって来る。そこでかれが出したひとつの答えは、成長に必要な作業を極限まで効率化することだったと思います。  練習においても、試合においても、徹底的に方法論を洗練させていく。あらゆることに対してどこまでも生真面目に望むかれらしいやり方です。  面白いのは、それまでひたすら勉強に力を注ぎ、オールAの成績を維持してきたというかれの人生が、テニスにおいても決して無駄にはなっていないということです。  昔からガリ勉の頭脳派がスポーツを始めて活躍するという物語はいくつかありますが、勉強とスポーツがシームレスに繋がっている印象は『ベイビーステップ』独自のものでしょう。  いや、こういういい方は正しくないかもしれないですね。むしろ、エーちゃんは勉強に対してもスポーツに対しても、そして恋愛に対してもひたすら真摯に向き合うというキャラクターなのです。  ひとに笑われようが、貶されようが、どこまでもひたすらに真剣であること。それが『ベイビーステップ』の方法論であり、魅力です。  もちろん、「ちょっと真剣になったくらいでそんなに成長できるものか?」と疑問を投げかけるひとはいるでしょう。しかし、『ベイビーステップ』はひとがほんとうに真剣になるということがどれほど凄いことなのか、その実相を描いて行きます。  ただ努力することだけなら、いままでのスポ根アニメと変わりがないかもしれませんが、エーちゃんはその努力の内容を自分の頭で納得いくまで考え抜きます。  その上でいつでも新しい課題を探しつづけ、少しでも無駄なところがあれば排し、どこまでも基本に忠実に一段また一段と成長の階段を上っていく。  かれは赤ん坊の歩幅(ベイビーステップス)でしか成長することができない凡人ですが、それでも、常によどみなく成長しつづけることによって、やがて並の凡人にはとうていたどり着けないような高みへと行き着いてしまいます。  やがてその成長の堅実さが物語の説得力となって、見る者を感動させるのです。「万里の道も一歩から」といいますが、エーちゃんはどんなときも一歩を踏みだしつづけることをやめない。辛いときも苦しいときも、辛いなりに、苦しいなりに、「もう一歩先へ」と進みつづける。  そのメンタルの強さがエーちゃんの持っている最強の武器でしょう。エーちゃんはどれほどシビアな状況でもあきらめないし、考えることを止めない。  現実はあまりにもきびしく、いつも試合に勝てるとは限らないわけですが、敗北したときもそこから多くのものを学んでいく。そこに、『ベイビーステップ』が出した「答え」があります。  つまり、 

人生を勝ち抜くにはどう生きれば良いのか? 『ベイビーステップ』が出した「答え」とは。

「グレートネス・ギャップ」――天才と凡人を分かつ条件とは。(2075文字)

 勝木光『ベイビーステップ』がひとつのターニングポイントを迎えています。  熾烈を極めた全日本ジュニアが終わり、主人公のエーちゃんはベスト4、ヒロインのなっちゃんは優勝という成果が出たのです。  「優勝できなければテニスをやめる」と両親に約束していたエーちゃんは、これで人生の岐路に立つことになったわけで、いったいかれがこの先、どんな決断を下すことになるのか、実に見ものです。  かれの性格からして、簡単に約束を反故にするとは考えがたい。また、両親もそんなことは赦さないでしょう。  しかし、だからといってここで完全にテニスをやめてしまうとも思えない。  つまり、エーちゃんはここで初めて「理」に逆らう決断をしなければならないはずで、それがどのような描きになるのか、楽しみでなりません。  まあ、ちゃんと受験勉強をして大学へ行ってそこでテニスを続けるという選択もないことはありませんが、さすがにないんじゃないかなあ。  エーちゃんならもちろん受験でも成功するだろうけれど、ここでそういうブランクを置く展開はね、ちょっと考えづらいですよね。  いずれにしろ、先の展開がとても楽しみです。赤松健さんも『ネギま!』以来の新連載を開始するそうですし、『マガジン』はちょっと楽しみになって来ました。わくわくわくわく。  それにしても、高校生でテニスを始めて、卒業する前にはベスト4、エーちゃんの成績は一般的な常識で見れば圧巻です。  エーちゃんはもちろん優勝を目指してがんばったわけだけれど、ベスト4でも十分に凄まじい成績と云えるでしょう。  何しろかれのライバルたちは子供の頃から延々とテニスをやって来たひとたちばかりであるわけですから、常識で考えれば追いつけるはずがない。  それをエーちゃんは追いついてしまっている。「漫画だから」といえばそれまでではありますが、かれは決して一足飛びに進歩してはいません。  地道な練習と成長をくりかえし、「ベイビーステップ(赤ん坊の歩幅)」で進みつづけることによってここまでたどり着いたのです。  その努力は脅威的としか云いようがありません。じっさい、エーちゃんが敗れた準決勝の対戦相手、神田はエーちゃんのことを「天才」と称しています。  自身、十分に才能に恵まれているはずの神田の目から見ても、エーちゃんは天才としか云いようがない成果を出しているわけです。  それにしても「天才」とは何でしょう? ただ単に少し才能に恵まれただけのひとを「天才」とは呼びません。  それは、周囲に冠絶する圧倒的な 

「グレートネス・ギャップ」――天才と凡人を分かつ条件とは。(2075文字)

なぜ浅倉南は上杉達也を選んだのか。「賞品」でなくなったヒロインたち。(2180文字)

 NHKの朝ドラ『あまちゃん』の百合展開が美味しい海燕です。それとはまったく関係ありませんが、『ベイビーステップ』が盛り上がっていますね。スポーツ的にも、恋愛的にも。  スポーツ的にはエーちゃんはついに全国大会準決勝までたどり着き、あと二勝で優勝という佳境にありますが、恋愛的にはなんとすでにあっさり勝負がついてしまいました。なっちゃんの勝ち!  って、おい、どうなっているんだ。エーちゃんと清水さんとなっちゃんで三角関係やるんじゃなかったのかよ! どう考えてもそういう振りだったじゃないか! 楽しみにしていたのにー。わーん。  そういうぼくは清水さんが大好きなのですが、まあ、なっちゃんも好きだからいいや。以前にも書いたかもしれませんが(最近、何を書いていて何を書いていないのか思い出せなくなりつつある)、『ベイビーステップ』がラブコメ漫画としておもしろいのは、エーちゃんが大会で優勝する前になっちゃんとくっついてしまうことです。  昔の少年漫画だったら、こういう展開にはならなかったでしょう。そこではヒロインは、いわば勝負に勝ったときの「賞品」であり、戦いの勝敗と恋愛の決着は密接に結びついていたからです。  これはLDさんが言っていたことだけれど、かつての最もベタな少年漫画では、「相手に告白させた上で振る」とか、そういうのが美学だったと。『あしたのジョー』とかね。  しかし、『ベイビーステップ』ではトーナメントでの勝敗と恋愛での好き嫌いが乖離してしまっているわけです。作中にエーちゃんよりテニスが強い人間はまだ何人か登場しているにもかかわらず、エーちゃんはなっちゃんとくっついてしまう。  なんとなく不自然な展開であるような気すらするほどですが、よくよく考えてみるとそんなことはありません。あたりまえですが、「テニスのトーナメントで優勝すれば女の子も同時に手に入るべき」なんて理屈はないのです。  ここらへん、少年漫画やライトノベルではおかしな理屈が成り立っていて「勝負ごとで勝ったり、ピンチを助けたりしたら女子は惚れる」という展開が常識化しているんだけれど、冷静に考えてみたらそんなわけはない。それはそれ、これはこれ、と考えるのが普通ですよね。  もちろん、そういうことがありえないとは言わないけれど、いつもそういうルールが成り立つというのはおかしい。「いくらテニスが強くても、人間的にちょっと好みじゃないな」と思う女の子がいるほうが自然です。  なっちゃんとか清水さんはエーちゃんの優しさにひたむきさに惚れたわけだけれど、必ずしもかれが強いから好きになったわけではないというところが重要。  いままでの漫画やライトノベルで忘れられがちだったもの、それは「女の子にも選ぶ権利がある」という当然すぎるほど当然な事実だと思います。べつにトーナメントで勝ち上がれば自動的に女の子が好きになってくれるというわけではない。  

なぜ浅倉南は上杉達也を選んだのか。「賞品」でなくなったヒロインたち。(2180文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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