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スポーツにおける「フェアネス」の本質とは何なのか?

 井上雄彦『リアル』の最新刊が出ていたので読みました。  なんとじつに六年ぶりの新刊。『ファイブスター物語』じゃあるまいし、常識では考えられない速度なのですが、そこは文句をつけてもしかたない。とにかく何であれ新刊が出たことを喜びたいと思います。  その最新刊は例によって素晴らしい出来。まさに圧倒的な画力によって描き出された「リアル」な世界に、心が震えます。この人、やっぱりめちゃくちゃ絵がうまいな。  物語は、ここに来てようやく各登場人物が「ダンコたる決意」を抱くに至ったのかな、どうかな、という感じ。いままでまさにリアリスティックに紆余曲折していた主人公たちですが、ついに一直線にバスケへ向かうのかもしれません。まあ、これからもまたいろいろな試練が待ち受けてはいるのでしょうが。  おもしろいのが作中で高橋が挑む「ローポインター」と呼ばれる役割です。これはさまざまな障害の人間がチームを作る車いすバスケで、ゲームをフェアにするためわりあい低いポイントで参加できる障害が重い人を意味する概念であるらしいのですが、ぼくはここでスポーツにおける「フェア」とはそもそも何なのか?と考えてしまいます。  スポーツは基本的に「フェアな戦い」を求め、そのために性別で分けたり、体重で分けたりするわけです。最近ではトランスジェンダーの人をどのように分類するべきか?といった議論も起きていますね。「どのように分けることがフェアなのか」という問いは近代スポーツの根幹をなすものです。  とはいえ、スポーツにおける「フェア」あるいは「公平/公正」とは何なのか、よくよく考えてみるとわからなくなる。  たとえば、女性の競技に、肉体的には男性であるトランスジェンダー女性が参加する。これはアンフェアだ、ということはすぐに思い当たる。なぜなら、生まれつきの肉体低能力が格段に違っているのだから。  障碍者スポーツにおいて「障害の重さ」で分類が行われるのも同じ理屈によるものでしょう。  しかし、ぼくは考えます。それなら「たまたま優れた肉体的能力を発揮できる遺伝子を持って生まれた」人物と「たまたま劣った肉体的能力しか発揮できない遺伝子を持って生まれた」べつの人物を競わせることはフェアといえるのか? もしそういえるとすれば、それはなぜなのか?  あるいは、それは「生まれついての才能」の差なのだからしかたない、性別や体重の差とは違う、といわれるかもしれません。でも、性別や体重や障害の程度だって、ある意味ではその人の才能のようなものではありませんか。  ほんとうにフェアにやるのだとすれば、それらの条件を一切撤廃して、ただ実力だけ、結果だけを評価するべきなのではないか、ということです。  もちろん、それでは女性や、体重の軽い人や、重い障害を負った人は一切勝てなくなる。しかし、理屈でいえば、それがいちばん「フェア」だということになるのではないかな。  そういう意味では、あまり「フェアネス」だけを追求していくことには意味がないという話になりそうです。  あるいは徹底して同じ条件をそろえることがフェアなのだという人もいるかもしれませんが、しょせん異なる遺伝子と異なる背景を持つ人間同士を競わせることがスポーツの本質である以上、同じ条件などありえるはずもありません。  現実に大半のスポーツでは、科学的なトレーニングが遅れている国の選手はほとんど勝てない状況になっていますよね。そのことをどう考えるかという問題なのです。  そういうことをつらつら考えていくと、 

スポーツにおける「フェアネス」の本質とは何なのか?

自己憐憫の地獄を超えて行け。(2268文字)

【ターニングポイント】 今週号の『ヤングジャンプ』で、井上雄彦『リアル』がひとつのターニングポイントを迎えました。  第1巻で交通事故に遭って以来、鬱々と苦しみつづけていた高橋が、ついに立ち上がったのです。  もちろん、かれの足はもう永遠に動くことはない。しかし、高橋は車椅子バスケの最強チーム「ドリームス」への入団を決意します。  いずれタイガースに入るのかな?と予想していただけに、ドリームスへの参入は少し意外でしたが、ここに来て高橋が変わったことはやはり感動的です。  頭脳でも運動でもひとなみ以上の才能に恵まれ、そのためにかえって必死に努力することなく生きてきた高橋。しかし、かれの人生は交通事故に遭ったことによって決定的に変わります。  二度と立ち上がることはできないと宣告された高橋は、その事実を前に絶望し、自らの足をガラス片で刺し貫くのです。 「西高の高橋―― バスケ部キャプテンで成績も上位キープ 仲間達から一目置かれ 他校の女たちにもけっこう名を知られてる感じ そこそこ悪いこともやって―― 家庭の事情はある 両親は小学4年のとき離婚した でもよくある話 もともとは幸せな ――エリートサラリーマンの家に生まれ育ったことに変わりはねえ ABCDE――俺のランクはA 最低でもBより下ってことはねえだろう (幻想だそんなもん…) リアルな俺は立つこともできねえ役立たず」 【変化】  ところが、周囲の人々とのかかわりによって高橋はしだいに変わっていきます。  それはきわめてゆっくりとした変化であるに過ぎませんが、 

自己憐憫の地獄を超えて行け。(2268文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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