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まだ書いています。
2017-09-28 16:3651pt小説を書いています。ここに一部を載せた『トワイライトエンパイア』と題する作品で、第一章「双子の蛇」が終わり、第二章を過ぎ、いまは第三章「皇帝の恋」。
あと残り二章でたそがれの太陽帝國の滅亡を描き切らないといけないのですが、はたしてほんとうに終わるものか心配です。まあ、大丈夫だろう、たぶん。
しかし、じっさいにもうすぐ書き終わるとなると(たぶん長くてもあと一週間か十日以内くらいで完成すると思う)、この太陽帝國という舞台がなごり惜しくなります。続きを書きたい! 書きたいったら書きたい!
けれど、第一作目にして遥かな太陽帝國は滅び去ってしまうわけで、その先を書くのはいかにも蛇足めいています。こうなったら過去にさかのぼるしかないか、と思っているところです。
その昔、マリオン・ジマー・ブラッドリーという作家の『ダーコーヴァ年代記』と題する小説がありまして、ひとつひとつは独立したそれぞれの作 -
倍々ゲーム。
2017-09-23 17:4351pt申し訳ありません、いいかげんにしろとのお叱りの声も飛び交うかと思いますが、こりずにもういちど小説を掲載させていただきます。といっても今回は新作ではありません。前回載せた「双子の蛇」をリライトして分量を倍(!)にしたものです。
いろいろ書き足してみて、ようやく小説らしくととのってきた感じがします。行きあたりばったりの内容ですから、元々、まともな小説になるはずがないのですが、それでも、どうにか「小説らしきもの」には近づいているんじゃないかと。
あと一、二回、「壁」を超えたらついに「小説」が書けるようになる気がするんですけれどねー。まあ、そこからまた「面白い小説」とか「超面白い小説」までは距離があるのだろうけれど。
さすがに読んでいる人もほとんどいないかとは思うのですが、もしいらっしゃいましたらたびたび改稿してごめんなさい。でも、少しずつ「面白い小説」に近づいていると思います。あと5年か -
双子の蛇。
2017-09-22 20:3051pt大変恐縮ではありますが、調子に乗ってもう一作、小説を書いてみました。もし暇で暇でしょうがないという方がいらっしゃいましたら読んでみてください。
いや、わかっています。このブログに登録しているのは何もお前の稚拙な小説を読むためじゃないと仰りたいでしょう。しかし、どうか、そこを我慢してくださいませ。
今回の短編はいままでの作よりはだいぶ出来が良いと思います。ようやく自分で書いていて、そして読み返してみてなかなか楽しいと感じるレベルになってきました。
もちろん、まだまだ拙い作品ではありますが、作者としてはいくらか愛着が生じています。あと10年も書きつづければ自己満足できる域に達するのではないでしょうか。楽しみ。
ちなみに前作と同じ「太陽帝国」を舞台にした『トワイライトエンパイア』という設定なのですが、固有名詞を初め、ほぼ何もかも違っています(笑)。試行錯誤ということでご容赦ください。だって、変えたほうが面白いのだもの。
よろしくお願いします。
『トワイライトエンパイア 双子の蛇』
いったい人の一生にはあらかじめ運命と呼ぶべき星の軌跡が定まっているものなのだろうか、と綸子(りんす)は思う。もしそうなら、人生とは何なのか。遥か天上で神々の指さきが不可視の巻物に標す一篇の絵物語に過ぎないのか。それとも、自ら望み、試し、世界を切り拓いてゆくその自由が存在するのだろうか。その問は綸子にとって単なる哲学上のアポリアであるに留まらず、人生そのものを左右する難問であった。はたしてわたしには己の人生を開拓する権利が与えられているのか。否か。その答によって、数しれぬ人の生涯が左右されることになるだろう。なぜなら、かれはこの世で最も高貴な血筋に生まれ落ちたたったひとりの皇子なのだから。かれの行動は、俄かには信じがたいことながら、即ち全世界全人類の命運とそのままに重なっていたのである。
綸子はこの百年でようやく斜陽の季(とき)を迎えた偉大な太陽帝国の親王であった。かつてこの惑星全土を統べ、威風、神国の如きであったこの帝国も、いまとなっては中央大陸の三分の一を治めるに過ぎない。それでも、なお、世界最大の帝国であるには違いなかったが、その版図は北の蛮族や南の海賊に自在に荒らされ、往古の繁栄は夢のようだった。その只中、綸子はなぜか一向に男児が産まれなくなった帝室の希望を担って産み落とされた。母はその美貌を見初めた皇帝の手が付いた卑しい遊女に過ぎなかったが、かれは男子であったために皇位継承の一位に咲いた。もっとも、その容色に似合わず愚劣であった母は、肉欲に溺れて皇帝を裏切り、自ら生命を喪った。あるいは、何かしら陰謀に巻き込まれた挙句の死ではあったかもしれぬ。いずれにしても、綸子はこの母が皇帝に自死を命じられたとき、まったく哀しいとは思わなかった。それは、生母の死が何を意味するのか理解しかねるほど幼かったからではなく(かれは齢五歳にしてその政治的な意味を十分に理解していた)、ただ、生まれてからその後、ほとんど母と知りあう機会がなかったためであった。人は、何と情の薄い子供だと囁きあったが、それもかれにとってはどうでも良いことであった。たしかにかれは生まれつき人並みの哀惜の感情が薄く、母が自ら毒酒を喫することを怖れて逃げ惑い、最後には絞殺されたと聞いても、何ひとつ心を動かされなかったからである。綸子は、宮中で、まるで子供らしくない、可愛げがないとひそかに後ろ指さされるような御子であった。
ただ、かれは皇帝たる父と、この愚かだが美しい母から妖しくも艶めく美貌を受け継いだ。それは、かれが複雑怪奇を究める宮廷政治を生き抜くためにどうしても必要なものだった。太陽帝国においては、美こそが支配者たるものに必須の資質とされていたからだ。いまではたしかな肖像画さえ遺されてはいないが、伝説にあるこの国を切り拓いた神祖その人もまた類まれな美貌の人物であったという。そして綸子の父も驚くほど秀麗な人であった。その、どこかしら蛇か蜥蜴を連想させずにはおかない奇態な美は、太陽帝国の血脈に実に一千年にわたって伝わってきているものなのである。ただ、この皇帝もまた、宮廷においては暗愚と噂されていた。むろん、だれも綸子にその事実を伝えようとはしなかったが、風聞とはまさに風の囁きにも似ていずこからともなく耳に入るもの、かれはいつのまにかその事実を知るようになっていたのだ。しかし、そのようにして愚かな父母から生まれた綸子は、それでいて不思議なほど聡明な子供だったのである。
かれは幼くして読書に親しみ、宮中にあっては禁書扱いされている本をも手にいれて読み耽った。かれが知りたいと考えたのは、なぜ、何のために自分は産まれ、何を行うよう運命づけられているのかということであった。至尊の帝位を継ぐ。それは良い。しかし、いったいその帝位を何に使えば良いのか。ただ先代から、あるいはその遥か以前から伝わってきたものを後代に残す。それはいかにも無意味でくだらない仕事としか思われなかった。ほんとうに自分の一生はそのようなことのためにあるのだろうか。自然、綸子は思い煩った。
六歳のとき、かれは初めて父である皇帝と謁見する機会を得た。一千年のあいだ伝わる白金の玉座に傲然と座した皇帝は、すでに数しれぬ不思議に眩く宝石で彩られた帝冠の重さに困憊しているようにも見えた。その湖面の色の双眸にも、麻薬中毒者めいた倦怠が曖昧に浮かんでいた。かれは己の息子にほとんど興味を示さなかった。単に決まりきった文句を並べてこの頭脳明晰な息子の失望と軽蔑を誘っただけだった。ただ、別れ際のほんの一瞬、その美しいが魯鈍としか見えない眸が、砂漠の蜃気楼さながら、並はずれた知性を示したように思えたのは、綸子の願望に根ざした錯覚に過ぎなかっただろうか。
父と別れて乳母のもとに戻されたあと、綸子はひとり沈思に耽った。あるいは父は陰謀渦巻く宮廷で生きのこるために白痴を演じているのかもしれない。ほんとうは異数の知性のもち主で、まさにそうであるからこそほんとうの頭脳を隠さなければならないのではないか。それはいかにもありそうなことだった。何といっても、かれのような神童の父親なのであるから、それくらいのことはやってのけそうだ。だが、おそらく、たとえあえて愚かしく振る舞っていたのだとしても、数十年にわたって愚者を演じているうちに、ほんとうにその知性は衰えてしまったのであろう。そうでなければ、何かしら息子に自分の正気を示すサインを送っても良さそうなものだ。じっさい、最後のあの刹那を除いて、父からは一切のインテリジェンスが感じられなかった……。
皇帝がほんとうに凡愚だったのか。否か。綸子がその問の答を知ることは遂になく終わった。かれが十歳の誕生日を迎えたおり、皇帝は病を得て急逝したからである。下々の間で黒斑病として知られる呪われたはやり病であった。綸子が遺骸を目にする機会はなかったが、皇帝は世にも美しかったその貌を黒い斑に冒されて死んでいったものと思われる。そのことを思うと、綸子は、それでは一天万乗の天子も、市井の凡民と大して変わりなどありはしないのだと思えてくるのだった。かれのまわりの王侯貴族たちが思い違いしているような決定的な差など存在しないのだ。すべての生は儚くもむなしい。そう思うと命懸けで帝位を目ざそうという意志も萎れていきそうだった。だが、帝位をその手に掴まなければ、かれの命はない。それもまたたしかなことだったのだ。
いまなお、帝室一位の地位はかれのものではある。しかし、綸子には帝冠を争うべき強力な敵手がいた。帝室三位の紗汪(しゃおう)皇女である。本来であれば帝位は男子である綸子のものであるべき掟だが、齢十四の紗汪は恐るべき魔術と陰謀の名手であり、じっさいに帝冠を頭に載せるまでは――あるいは、その後も――決して油断はできないのだった。いかにして紗汪を打倒し、帝冠を頭上に戴くか。綸子は考えた。だれを味方とし、だれを敵に選ぶべきか。それはきわめて難解な遊戯だった。そして、懸かっているものはかれ自身の命なのだ。綸子は不要な発言を慎むようになり、人心を得るべくより高貴に見えるよう振る舞うことに努めた。心から信じられる者はいない。孤独な戦いが続いた。
◇◆◇
「殿下。綸子皇太子殿下」
どこか遠い処からかれを呼ぶ声がする。綸子はいままで読み耽っていた書物の頁を捲る指さきを止めた。三百年前に生きた哲学者の人生論で、なかなかに興味深い内容だったのだが。呼び声に反応するつもりはなかった。その声に聞き覚えはなく、いったい何者がかれを呼んでいるのか、瞭然としなかったからだ。あるいは、かれの命を狙う暗殺者ということも考えられる。さすがにかれの自室の前を殺し屋が徘徊しているとは考えづらいが――しかし、綸子の周りは日一日と危険を増している。用心するに越したことはなかった。しだいに声は近づいている。綸子は寝台の下か箪笥のなかに身を隠すべきかどうか、いくらか迷った。しかし、結局、卓の前から動かなかった。どうせそのような処に隠れたところですぐに見つかることだろう。それなら、正面から相手を説得する機会に賭けたほうが良い。仮に失敗したとしても、ただ死ぬだけのことだ。そう思った。
「殿下。どこにいらっしゃいます」
綸子を捜す声は遂に部屋の前まで至った。無視しても扉を開けて入ってくることであろう。綸子はなるべく冷静に聞こえるよう注意して返事をした。
「何者だ。綸子はここぞ」
かれは満足した。声に動揺の気配が微塵もただよわなかったから。綸子はまだ十歳であったが、己の感情を御すことに懸けて、並の大人以上に成熟していた。
呼び声は止まり、ほんのわずか軋みの音を立てて扉がひらいた。本来であれば、皇子の許可を得ることなく私室に立ち入ることは無礼きわまる。それに、乳母や護衛たちがこの男の侵入を許したことも不審であった。あるいは、すでにかれらは皆、死骸と化しているのか。それとも、だれもかれも皆、何者かに篭絡されてしまったのか。後者の可能性は考えづらいが、まったくありえないことではない。いずれにしても、綸子の命は風前の灯火というべきであっただろう。が、そこに現れた姿は、綸子の想像から外れた。それは人ではなく、きわめて曖昧な輪郭をもった黒い影のようなものだったのだ。かろうじて人の形を模した漆黒の滲み。いかなる魔術の仕業か、その影は自ら扉を開けることができるらしかった。ある意味では、暗殺者よりもさらに危険な相手であった。
「おお、殿下。ここにおいででしたか」
その影は言葉を口にした。あたりまえの人間のようなその口調がかえっておぞましい。しかし、綸子は何とか平静を保った。かれはこの世界の最も古い血脈の皇子であり、忌まわしい魔法にはなれている。人の影を操る魔術にも心あたりがなくはなかった。そのまま沈黙を続けると、影の口調が嘲弄を孕んだ。
「なるほど、わたしのこの姿を前にしてなお怯える様子ひとつ見せないとは、さすがは太陽帝国の皇子だけはある。まだ幼いのに、わたしが怖くはないのかな、皇子よ。それとも、恐怖のあまり言葉も出ないか」
「お前が何者であれ、妖魅よ、わたしはお前など怖れはせぬ。お前こそ、皇家の血を怖れることを知っているなら、いますぐ疾く去るが良い」
「いいおる、いいおる」
影はくつくつと不気味に嗤った。その眸にあたる箇所が紅くひかった。
「良いか、皇子よ。わたしはお前の想像を遥かに絶する或る高名な魔術師だ。ここで吾が名を告げればお前は畏怖におののくことであろうから、あえて名のりはしないが、伝説のなかに伝えられる偉大な賢者と知るがいい。いま、吾がこの部屋を訪ったのは、お前に吾が力を貸し与える旨、告げておくためだ。皇子よ、お前は未だ幼く無力だ。だが、いくらか見どころがあることもたしか。もしお前が望むなら、吾が甚大な魔力をもってお前を帝位に就けてやろう。その返礼として吾はわずかなものをいただくが、何、至尊の帝冠の値としては取るに足りぬものだ。お前に味方するのは吾が親切と思ってもらってかまわぬ。どうだ、皇子よ、吾が申し出、受け入れてくれるであろうな」
「断る」
綸子は一瞬も迷わなかった。
「亡霊よ、お前が何者であるかは知らないが、お前のようなおぞましいものに政(まつりごと)を壟断させるつもりはない。いますぐこの部屋を出ていって二度と戻るな。この宮には悪霊よけの結界が張られている。自在に力を振るえると思うなよ」
影は今度こそ大きく笑った。
「おお、いうではないか、小童よ。むろん、お前は吾が存在の真の偉大さを知らぬ故、そう威勢の良いことを申すのであろうが、かまわぬ。いまは語らせておいてやろう。何とも可愛らしい勇気だからな。欣快、欣快。さすがに太陽帝国のただひとりの正嫡の御子よ」
「去れ!」
綸子はひそかに卓の下に用意しておいた短刀をひき抜くと、影の心臓にあたる処を狙って突き刺した! それは処女女神の神殿によって正しく浄められた宝刀で、悪霊の類にも力を発揮するはずであった。実際、影は苦しげに呻くと、霧のように散っていった。しかし、その声はなお、部屋中に、あるいは綸子の脳内にひびいた。
「皇子よ、忘れるな! 吾はお前の味方だ。お前が頼るべきは吾を措いていないのだぞ」
綸子は皓い歯を食いしばってその声音に耐えた。が、どうしようもなく意識が薄れてゆくのを感じた。かれは気づくと、卓の上に倒れ込むようにして寝ていた。どうやらいつのまにか眠ってしまっていたらしい。周囲を見まわしてみたが、何ひとつ影とのやり取りを示すものは残っていない。つまり、とかれはひとつ頭を振って考えた。いまの問答は夢だったのだろうか――。が、とてもそうとは思われない。あるいは、自らの内なる悪そのものとの対話を夢のなかに視たのかもしれない。太陽皇帝として即位し、自らの命を護るために悪魔的な力を借りるつもりはなかった。しかし、もしそれしか生きのこる方法がないとしたら? 自分ははたして誘惑に打ち勝てるだろうか。綸子はいつ果てるともしれない重苦しい思惟に耽った。
◇◆◇
先帝の盛大な国葬が済むと、次なる皇帝の位を巡り、宮廷はふたつに分かれ乱れていった。それぞれ綸子と紗汪を支持する派閥である。その陣営の主が好んでもちいる色から、いつしかそれぞれ「白砂の党」と「赤金の党」と呼ばれることとなった。その勢力はまず拮抗しているといって良かっただろう。白砂の党の綸子には男子であるという正当性があるが、何といってもまだ十歳にしか過ぎないという弱点ももっている。一方、赤金の党の紗汪はきわめてカリスマに富んだ少女ではあるが、王位継承は三位であるに過ぎない。世界最大の金剛石が燦爛と輝く至高の帝冠をいずれが戴くべきか、臣下たちを二分して論議は尽きなかった。否、諍いは論議では終わらず、宮中を舞台に陰謀と暗殺が繰りひろげられるに至った。紗汪は魔術を得意とするため、綸子は何人もの名高い魔法使いを雇って護衛にあたらせた。しかし、それもどこまであてになるのかわかったものではなかった。
紗汪もまた太陽皇帝の血を継ぐにふさわしい凄絶な美少女であった。常日頃からより高貴、高潔であろうと努めている綸子と比べると、その性は冷酷、驕慢、そして奔放であった。十二歳の頃から幾人もの若者、そして美しい少女を褥にはべらせて玩具のように愉しんだ。ただ、その一方で決して愚かではなく、その知能の明敏さは綸子に匹敵し、あるいは上回るかとすら思われた。人の心の裏表を見抜く天才であり、碧い眉墨に彩られた吊り上がった眸はやはり蛇を思わせたが、その苛烈な眸に射すくめられると虚実なかばする宮廷政治に馴れた者ですら碌々、嘘を吐けなくなるのであった。敵である綸子ですらその猛々しくも禍々しい美には魅せられた。何とか彼女と和解する道はないだろうかと考えることもあった。むろん、それはありえないことであった。その選択は虎を野に解き放つようなものだ。安心して眠ることはできない。やはり、紗汪には死んでもらわねばならぬ。しかし、いったいこの少女の姿をした猛虎を相手に、ほんとうに勝利を収めることができるであろうか。綸子は思い悩んだ。
事態が決定的に推移したのは、葡萄月の七日のことである。この日、赤金の党の重要人物である伊佐(いざ)卿が暗殺されたのであった。綸子の指図ではない。どうやらかれの配下のひとりの独走であるらしかったが、ともかく、この暗殺によって両党の関係は一気に険悪になった。だれもが宮中でも帯剣を欠かさないようになり、じっさい、剣戟のひびきが宮廷の各地で聞かれるようにすらなった。一触即発。両党の主が少しでも対処を間違えたならば、国を割る内乱へと進んだとしてもおかしくないところだった。
「戦争は避けたい」
綸子は配下の六人の騎士団長へ告げた。
「たとえ勝つにしろ、喪うものが大きすぎる。国を割って戦うとなれば、北方の蛮族の侵入を許すことになるだろう。そうなれば千年続いたこの帝国は亡国の憂き目を見ないとも限らない。おそらく、そのことは紗汪もわかっているはずだ。どうにか政治的に決着を着けることはできないだろうか」
「むずかしいでしょう」
人魚騎士団の団長真砂(まあさ)が答えた。この騎士団は女のみで構成されている。団長もまた女性である。
「政治的な決着と申しましても、敗れたほうがすべてを喪う戦いです。紗汪殿下はなまなかの条件では納得しないものと思われます。それこそ、帝冠をそのまま渡すくらいしか、解決の道はないでしょう。あるいは――」
「あるいは?」
「綸子殿下か紗汪殿下、どちらかがお亡くなりになるか」
「ふむ」
真砂が示唆しているのは紗汪の暗殺だろう。強力な魔術に守られた紗汪を殺害することは容易ではないが、まったくの不可能でもないかもしれない。そして、紗汪が斃れれば、帝位は自然と綸子の懐に転がり込む。もちろん、それは逆もいえることだ。酷薄な紗汪は綸子の暗殺を躊躇したりしないだろう。しかし――
「何か他に方法はないだろうか」
綸子はべつだん、紗汪の命を救おうと考えているわけではない。自ら敵手に情けをかけるほど甘い性格ではないのだ。しかし同時に、暗殺はのちに禍根を残すこともたしかである。紗汪を毒物なり魔術で殺害してしまえば、赤金の党の人々は綸子に服従するだろう。しかし、内心では必ずしも納得しないに違いない。暗殺はやはり最後の手段と考えるべきなのだった。紗汪もまたそう考えるとは限らないが。
「斗真(とうま)殿下のお力を借りるのはいかがでしょうか」
そういいだしたのは天馬騎士団長の天柱(てんちゅう)である。全身を筋肉の甲冑で鎧ったような壮年の男で、剣の腕ひとつで騎士団長の地位までのし上がった人物だが、決して愚物ではない。綸子はその言葉に考え込んだ。
「斗真殿下か。しかし、殿下は事実上は中立を表明しておられる」
斗真は綸子に次ぐ帝室二位の男性である。先帝の弟で、綸子にとっては叔父にあたる。本来であれば綸子以上に帝位に近い位置にいてもおかしくない人物なのだが、穏健な性格で、政争に巻き込まれることを好まず、明に暗に中立の立場を表明している。かれの力を借りることができれば紗汪を打倒することはむずかしくないだろうが、実際にはかれを味方にひき込むことは容易ではないであろうと思われる。
「何か手段はないものだろうか。何か。もしわたしが姉上だとしたらどうする――?」
綸子は考えた。
しかし、かれが物思いに沈むうちにもいくつもの事件が起こり、事態は深刻さを増しながら次々と移り変わっていった。綸子は決断を迫られた。はたして暗殺や戦役という悪魔の手をもちいるべきか。否か。
◇◆◇
その豪奢な一室には主人の趣味で、仄かに麝香の香りが垂れ込めていた。大理石の床が敷かれた室内には、いくつもの裸体の彫像が飾られ、淫靡とも奇怪ともいえる雰囲気を醸しだしている。その人物、太陽帝国の紗汪皇女はいままさに綿の褥のなかで淫らな愛の行為に耽っているところであった。その指さきが繊細に動くたび、あいての少年は甘く濡れた喘ぎを漏らした。その少女めいた声はしだいに強く、甲高く変わってゆく。そして、紗汪が褥のなかで優しく指の抽送を続けると、遂にかれは悦楽の絶頂に達して高く叫んだ。紗汪は愉快そうにほほ笑みながら褥から半身をだした。ささやかに膨らんだ美しい乳房が露わになる。彼女は少年の碌にひげも生えていない白皙の頬を猫のように舐めた。
そこへ、ひとりの顔を黒麻の垂れ布で隠した女が静かに現れた。
「お楽しみの最中、失礼いたします、殿下」
「何の用じゃ、把留(ぱる)」
紗汪は不機嫌そうに答えた。が、蜜ごとの最中に立ち入られたというのに、怒るでもなく、追い出そうとするわけでもない。その女――彼女の謀客である把留がわざわざこのようなときにやって来たからには、それだけの理由があるとわかっているのだ。紗汪はたしかに淫奔ではあったが、べつの一面ではきわめて冷静で聡明な娘だった。
「斗真殿下の件ですが、失敗いたしました」
「何じゃと?」
紗汪は素裸のまま褥から起き出した。乳房のみならず、ほっそりした肢から黒々とした茂みまですべてが露わになったが、気に留める様子もない。側近である把留が口にだしたことは、そのようなことより遥かに大きな問題だった。
「どういうことじゃ? 叔父上の愛娘未那(みな)を誘拐して、かれをこちらの味方につける策はどうなった? もしや、未那を浚うのに失敗したとでもいうのか?」
「いいえ」
把留は典雅に首を振った。
「それより前の問題です。わたしたちの計略は事前に予期されていました。誘拐に出向いた兵たちは捕らえられ、真実を白状させられたのです。事は破れました。もはやどうしようもありません」
「愚かなことを申すな。きゃつらはわたしの魔術で心を支配しておいたはずだ。たとえ、捕まったとしてもわたしの仕業だと白状したりするはずがない」
「いいえ、いいえ」
把留は紗汪の汗と体液に濡れた白い裸身を痛ましそうに見つめた。
「あなたさまの魔術もまた敗れ去りました。綸子殿下は紗汪殿下以上の魔法使いであらせられます。あの方はいずこからか禁書を入手し、禁じられた魔法をもちいてわたしたちの裏を掻いたのです。あの方は百年来の魔術の天才です。紗汪殿下といえどもとても敵いませぬ」
「ばかな――ばかな! 綸子に魔術の才などあってたまるものか。きゃつは無才じゃ。だからこそ、幾人もの魔術師を雇い入れたのではないか」
「それもまた吾らの攪乱が狙い。わたしたちは欺かれたのです。殿下」
「いうな!」
紗汪は遂に激昂した。床に脱ぎ捨てた絹服を手に取って纏い、両耳に涙の形をした紅玉のピアスを身に付ける。はたして波留の言葉がほんとうに真実なのか、自らたしかめるつもりだった。仮に真実だとすれば、また、新たな対処を行わなければならぬ。
だが、そのとき、把留はその場に力なく斃れた。紗汪は唖然として彼女に駆け寄り、そして呻いた。すでに彼女はこと切れていたのだ。その胸からはじわじわと赤黒い血が溢れてくる。傷跡から考えて、どうやら、自ら命を絶とうとしたらしかった。紗汪はその端麗な貌を苦渋で歪めた。彼女の怜悧な頭脳をもってしても、なぜこのようなことになったのかわからなかった。と、室内にひとつの声が響いた。宮中で珍重される〈少年楽器(オルゴール)〉の音色の如く玲瓏たる少年の声音。
「姉上。もう遊戯は終わりです」
「――綸子」
さよう、そこに佇立していたのは綸子皇子に他ならなかった。その傍らには幾人かの兵士たちの姿がある。かれは一切の感情を殺した冷ややかな視線で姉でもある少女を眺めていた。紗汪は烈しい怒りが促すまま怒鳴りつけようとし――そして、やめた。彼女の強靭な理性は、己が戦いに敗れたことを悟ったのである。紗汪は朱唇を噛みしめ呟いた。
「綸子、おぬし、最初から手の内を隠していたのか? わたしに比肩し、上回るだけの魔術の才能をもちながら、それをあえて使わず秘めておったのだな?」
「はい」
魔法使いの皇子は沈痛そうにうなずいて、淡々と言葉を続けた。
「わたしは子供の頃から周囲には隠しながら魔術書を収集してきました。随分と苦労したものですが、その甲斐はあったといって良いでしょうね。こうして、どうにか姉上を上回ることができたのですから。姉上、あなたの頭脳はわたしより上です。しかし、わたしのほうが姉上よりほんの少しだけ狡猾だった。生まれの差でしょうか。わたしはいつも遊び女の子供であることを恥じて育ってきました。それに比べて姉上は正統の血筋を誇っていた。その差が出たのだと思います。いまでは姉上の策は破れて、叔父上はわたしの味方です。あなたの敗北ですよ、姉上」
「そうか……。わたしは驕っていたのか。悔しいものよ」
紗汪は力なく俯いた。が、やがて、その豊麗な唇から愉快そうな笑声がこぼれた。
「良い! たしかにわたしの負けじゃ。事この期に及んでは命乞いなどするまい。綸子、わたしを処刑し、その首より滴る血でもって神々との証文に署名するがいい。しかし、その前にひとつ良いかな?」
「はい。何でしょう」
「綸子、その貌をよく見せてくれ。わたしのたったひとりの弟の貌を」
「――はい」
綸子はあえて拒みはしなかった。紗汪は静かにかれのもとに歩み寄ると、その貌を両手で抱え、正面から覗き込むようにして見つめ、そして、その唇に優しくくちづけた。綸子はまったく抵抗しなかった。それは、彼女の人生で最後となるはずの接吻であったから。紗汪は小さく吐息した。
「さらばだ、綸子。この国はいまや斜陽にある。それでもかまわぬのなら、良い皇帝になるがいい」
「はい」
そうして、紗汪は兵士たちに連れられて行った。あしたにでも、彼女は叛逆罪でその頸を斬り落とされることになるだろう。そしてそれこそは、紗汪の弟への血の祝福なのだ。かれらはいわば双子の蛇だった。一方がもつ才は、もう一方もまたもち、一方が考えることは、もう一方もまた思いつく。ただ、ふたりの違いは、紗汪がその魔術や陰謀に関する才気を周りに見せつけたのに対し、綸子はそれをいくらか抑え、隠したところにあった。綸子はこの作戦を暗愚な父から学んだ。あるいは、父にそのつもりはなく、ただ自然に振る舞っていたのかもしれないが、結果としてかれは綸子の師となったのである。そのために、綸子はかろうじて勝利を得た。配下の暴走の末、苦い勝利ではあるが、かろうじて血のつながった姉の暗殺という悪魔の手を使わずに事を収めることに成功した。
かれは勝ち――そして、生きのびたのだった。
◇◆◇
こうして、綸子新帝が誕生する運びとなった。
紗汪は一切抵抗することなく首を斬り落とされ、十四歳にして儚くその命を落とした。赤金の党は解散し、白砂の党の傘下に入った。ただ、その斬り落とされた少女の首が、末期の瞬間、予言の言葉を放ったという噂が綸子の耳に入ってきた。
やがて、呪われた黒斑病はこの国を侵しつくし、叛乱はひとりの英雄を得て止めようもなくなり、北の蛮人、南の海賊たちは帝国の版図をことごとく奪い尽くす、そうして新帝は帝国最後の皇帝となるであろう。
生首はそう告げたというのだ。
あるいは、それは真実であるかもしれないと綸子は思った。類まれな魔術の才能をもって生まれた姉のことだ。死に際にそれくらいの予言を告げてのけても可笑しくはない。
しかし、綸子が往くべき道に変わりはなかった。かれの前途は洋々とはいいがたい。いくつもの困難が、内と外に待ち受けていることだろう。それでも、かれはこの国を救わなければならないのだ。それが、神々がさだめた運命とは関わりなく、かれが選んだ道であったから。そう、予言が何であろう。たとえ、それが真実を告げているとしても、だから戦わなくて良いということにはならぬ。戦って、戦って、いつの日か真紅の屍を前向きに散らして死んでゆく。綸子の道はただそれしかなかった。もしかしたら、いつか、たったひとりの孤独な戦いに疲れて、逃がれようとすることもあるだろう。しかし、あるいは、この戦いをともに生きる友を見いだすことができるかもしれぬ。希望は薄く、ほとんど信じがたかったが、それでも、綸子はそうであれば良いと願った。かれにしてなお、ただひとりで戦い、生き抜くことは、あまりにも辛すぎたから。
やがて、戴冠式の日がやって来た。綸子は処女女神に仕える神官長に導かれ、自ら、最大の金剛石とそのほかの無数の珠玉で飾られた煌びやかな帝冠をその頭上に戴いた。喝采を叫ぶ群衆のなかに、いつの日か見た影が混じっているのが見えた。あの影は現実の存在なのだろうか。おそらく、己が心弱まり、運命に絶望したそのとき、あの幻は再び誘いかけてくるのであろう。
ともかく、いまかれが被ったその冠はかつてかれの父親の頭に載っていたものである。そしていまこそ、かれは信じることができた。父はやはり、自ら暗愚を装い、かれなりの日々を戦っていたのだと。そうでなければ、この帝冠の重みに耐えられるはずがないではないか。かれは紛れもなく綸子の父であったのだ。そしていま、綸子はかれが歩んだ道をひとり往くのだった。
時に帝国暦一〇二三年。太陽帝国滅亡より十六年を残したある秋のことである。
完 -
この世で最も美しい小説。
2017-09-19 14:5151ptふと思い立って、山尾悠子の『破壊王』を読み返しています。三回にわたって雑誌に掲載されたきり、長い間、単行本にも収録されず、文字通り「幻」だった作品なのですが、いまは『山尾悠子作品集成』に収録されて読むことができます。
いやー、これがねえ、実にぼく好みというか、地上の美と悲惨を結晶させたような物凄い小説で、ひとこと、大好き、それに尽きるのですよね。
文学者でありファンタジストであって物語作家には非ざる山尾の作品としては、おそらく最も「物語」指向の強い作品でもあります。
四部作を志して始まったものの、諸事情で三作発表されたきりで終わってしまった未完の小説なのですが、『山尾悠子作品集成』にはある種のエピローグとして四作目のダイジェストである「繭」が収録されていて、これが――凄い。
四部作の完結編としての意味はほとんど成していないのだけれど、その代わり、ストーリーとしての整合性を犠牲に文 -
創作小説『トワイライト・エンパイア』。
2017-09-19 02:1851pt
どもども。暇なのでまたへたな小説など書いてしまいました。せっかくなので掲載しておきます。へたはへたなりにだいぶ上達してきたと思うのですが、いかがでしょう。うーん、プロットとキャラクターが弱いな……。
この短編は一作で完結していますが、同時に、前八作の連作の初めの作品でもあります。滅びに瀕した帝国を舞台とした『トワイライト・エンパイア』という作品の一部なのです。
破壊と殺戮、暴力と凌辱が相次ぎ、偉大な帝国が亡んでいこうとするときの物語を、それぞれ活躍時期も異なる複数人物の視点から描いていく、という構想です。
栗本薫の『トワイライト・サーガ』とか山尾悠子の『破壊王』のような、というとあまりにも傲慢ないい草になってしまうでしょうが、そういう方向性を目ざしています。この第一作ではいまひとつデカダンスが出ていませんが、頑張ろう。
では、もしよろしければ暇つぶしなりとご一読ください。
『 -
ゆーちゅーぶなう。
2017-09-10 21:2251pt暇なのでゆーちゅーばーでびゅーしてみました。
https://www.youtube.com/watch?v=ICF05oTi_Nc
ライブ配信ちうです。おひまな方は聴いてみてください。よろしくお願いします。 -
男女平等まで何マイル?
2017-09-09 06:0551ptども。ニート暮らしを良いことに夜中に記事を書いている海燕です。ぼく、来年には40歳になるんだけれどこんな暮らしで大丈夫なのかしら。
たぶん大丈夫じゃないけれど、まあ良いことにしておきましょう。この世に起こるどうしようもないことは、すべてみんなてれびんが悪いことにしておくと精神的に健康な生活が営めます。なんもかんもてれびんが悪い。この世すべての悪。
ちなみに、こうやって一気にまとめて書いた記事は、一気にまとめて載せてしまうのではなく、小出しにしたほうが良いのではないかという気持ちもあるのですが、面倒なのでそうはしません。
いままで幾度となくそうしようと考えたことはあるのですが、結局、続かないので好きなように書いて好きなように載せることにしています。あしからず。
さて、この記事もまた前の記事の続きです。ジェンダーフリーの話。いま、「ジェンダーフリー」で検索をかけると、半分くらいはこの概念や、この概念を用いた運動に対する批判の記事が出て来ます。
まあ批判するのはまったくかまわないのですが、問題は、その種の記事のほとんどが情報のソースを掲載していないことです。それらの記事を読んでつくづく思うのは、情報のソースが示されていない批判は批判として無価値だということ。
いい換えるなら、ある発言を批判する時には、その批判を読む人が「いつ、どこで、だれが行った発言に対する批判であるのか」はっきりとわかり、また自分でその件について調べることができるように書かなければならないし、そうではない批判には批判としての価値がないということです。
記事にソースが載っていなければ、そもそも批判されている発言が実在するのかどうかすら確かめることができないわけですからね。
そういう批判は、どうしたって、批判者が自分で「こんなとんでもない意見がある」と捏造した上で批判してみせているだけなのではないか、という疑惑を晴らせません。
じっさいに存在しない情報を仕立て上げた上でその情報を批判するマッチポンプなやり口を、一般に藁人形論法と呼びますが、ジェンダーフリーに関してはあまりにも藁人形論法が多すぎます。
それ以外の批判にしても、ジェンダーフリー概念を根本的に理解できていないのではないか、と思えるものがほとんどです。たとえば、この記事。
世界中の男女が、「男らしさ・女らしさ」から『解放』されたら、それって文化崩壊、人類滅亡のはじまり、ですよ。
「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」
「きみの全く女らしくないところに、美しい未来を感じるよ。一生女として扱わないから、女っぽさを絶対に見せるなよ」
「恋愛の歌は差別用語のオンパレードだ! 廃絶すべき!」
「今年の我がデパートの販売戦略を考えました。『父の日の贈り物に、ミニスカート』。これをトレンドにしましょう」
これじゃ、人類、繁殖できないよ!
しかし、これがジェンダーフリーの方々が求める、理想の世界ということになりますよね。
http://diary.onna-boo.com/?eid=164
なりません。やはりこの記事を書かれた方はジェンダーフリーという概念を根本的に理解できていないように感じます。
だれにでもわかるようわかりやすく説明すると、ジェンダーフリー概念は男が男らしく、女が女らしくあることを否定する思想「なのではありません」。
それは、男が男らしく、女が女らしく「なければならない」という傲慢な押しつけをこそ否定するのです。
世の中には色々な人がいて色々な個性を持っています。その万華鏡のような「色々さ」に対し「男は男らしく」、「女は女らしく」という単純すぎる区分を押し付けてくることがジェンダーの問題点です。
そのしょうもない押しつけを排し、色々な人が色々な個性のままで暮らしていけるようにしようというのがジェンダーフリー。ぼくはそういうふうに理解しています。
したがって、「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」というのは、「ジェンダーフリーの方々が求める、理想の世界」ではなく、単なるありえる可能性のひとつにしか過ぎません。
ジェンダーフリーは基本的に「こうでなければならない」という押しつけを解消するだけであって、その一方でべつの価値観を押し付けたりしないのです。
ちなみに「これじゃ、人類、繁殖できないよ!」と語っていますが、ほんとうにそうでしょうか?
上記の引用箇所は「男らしさ」や「女らしさ」という概念があくまでポジティヴなものであり、「男らしくなさ」、「女らしくなさ」はネガティヴな概念として受け取られるという前提で書かれているように思えます。
つまり、著者にとっての「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」とは、正確には以下のような意味なのです。
「あなたの(性格の弱さや意志の薄弱さといったネガティヴな意味で)全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、(明朗快活な性格や力強い意志といったポジティヴな意味で)男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」
その上で、これはおかしいだろう、といっているわけですね。そう、たしかにぼくもおかしいと思います。
しかし、じっさいには「男らしさ」や「女らしさ」をネガティヴなものとして受け取ることも可能ですし、その逆に「男らしくなさ」、「女らしくなさ」をポジティヴな意味で解釈することもできます。
だから、以下のように補完することだって不可能ではないのです。
「あなたの(優しい言葉遣いや繊細な感性といったポジティヴな意味で)全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、(粗暴な態度や暴力的なしぐさといったネガティヴな意味で)男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」
この意味で解釈するなら「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」という言葉もまったくおかしくありません。あきらかに人類は繁殖できそうです。
繰り返しますが、ある男性個人が「男らしい」性格だったり、ある女性個人が「女らしい」性格だったりすること自体は、まったく問題がないことです。
ぼくもそこに異論はありません。しかし、世の中には「男に生まれはしたけれど、「男らしい」ことってあんまり好きじゃないな」とか、「女には間違いないけれど、「女らしい」ことって何かイヤ」というふうに考える人もいるわけです。
そういう人は無理に男らしくなったり女らしくなったりすることなく、その人らしく生きていけるようになったほうがいいんじゃないの、とぼくは思います。何かむずかしいこといっていますかね?
「自然にしていて男/女らしい人はそのままに、男/女らしくない人もそのままに」。あまりにもシンプルな話だと思います。『アナと雪の女王』ではありませんが、人はありのままに生きるのがいちばんいい。ごくあたりまえのことではないでしょうか?
これが、通じない人には通じないのですねー。フェミニストを名のる人でも理解していないとしか思えない人が多い。これも繰り返しますが、フェミニストや社会学者がみんな偉い人だと思ったら大間違いなのです。
問題は「フェミニズム対バックラッシュ」、あるいは「リベラル対保守」といった単純な構図ではありません。どんな肩書きを名のっている人の発言であろうが、それとは関係なく正しいものは正しく、間違えているものは間違えている。
何であれ「お仲間」の失言を擁護しようとしたり、むやみに「敵」を攻撃したりといった党派的な行動は無意味です。まあ、人間はなかなかそういうことをやめられないわけですが。
うん、とうとう朝になってしまった。そろそろてれびんが起きて来る頃だ。バットで殴って意識を奪わなければ。では、地球の平和のために「男らしく」戦ってきます! あでゅー。 -
なぜジェンダーフリーには価値があるのか。
2017-09-09 03:4551ptよいやさ。うちに泊まりに来たてれびんが寝てしまって暇なのでもう一本記事を書こうと思います。いやー、昼間に寝ているので夜中になっても眠くならないんだよねー。困ったものだ。
ほかに書くべきこともないので、前の記事の続きをそのままに書きますね。前の記事でぼくは「生きること」について書きたいと記しました。それは同時に「自由」について考えることでもあります。
ぼくはなるべく自由に生きたいと思い、そのためにはどうすればいいのだろうとずっと考えているのです。
自由。
ぼくはわりと不自由に生きているように見えるといわれることもありますが、自由な人生へのあこがれはひとしおです。好きなように生きて好きなように死ねるといいなあ、と思うわけです。
しかし、前に書いたように、諸々の「思い込み」はそういう生き方を阻みます。「こうでなければならない」という「固定観念」こそが人の精神を硬化させるのです。
ジ -
「生きること」について書きたい。
2017-09-09 02:1851ptはいほー。あいかわらずいずこへ出すあてもない原稿を書いています。とりあえず3万文字は超えました。全体で12万~13万文字程度を予定しているので、だいたい4分の1くらいは書き上がったことになるでしょうか。
本にする原稿を書くときいちばん大変なのは全体の構想がはっきり見えない助走段階なので、そこはすでに乗り越えた感じですね。
ちなみにタイトルは『機械じかけの性と生 アニメ/マンガ/ノベルのなかのセンス・オブ・ジェンダー』となる予定です。テーマは「性」と「生」。アニメ/マンガ/ノベルのなかのジェンダーとセックスについて語り倒した本になるでしょう。
あまり過剰に長くはしたくないのですが、それにしても書きたいことが多すぎてうまくまとまるかどうか。何しろ何十という作品を並行して取り上げていますからね。
ほんとうならひとつひとつを可能な限りくわしく取り上げたいところなのだけれど、そんなことをしていたらまとまるものもまとまらないのであきらめようと思います。しかたない、しかたない。
このタイトルは、ぼくたち現代人はしばしば無痛文明的な都市生活のなかで自分の意志を失い、外からの圧力に流されるまま「機械じかけ(オートマティック)の生」を生きている、ということを意味しています。
「男らしさ」とか「女らしさ」といったジェンダーもまた自然な「その人らしさ」を封じ込める圧力に他なりません。それでは、いかにして都市文明のなかでジェンダーによって封殺された「原初のエロス」をよみがえらせ、その「機械じかけの生」から脱却すればいいのか、そこが本書の読みどころとなっています。まあ、これから書くわけですが……。
はたしてほんとうにまとまるかどうか、乞うご期待。たぶん来月中くらいには書き終わっているはず。
この本は、ぼくが普段ずーっと考えていることをどうにか言葉にまとめたものになると思います。あるいはそれは、ほんとうなら既存の作品を通して語る必要はない性質の話なのかもしれず、そういう意味では「批評」の本とはいえないかもしれません。
むしろ「自己啓発」とか「スピリチュアリズム」とかに近いとすらいえるでしょう。もっとも、疑似科学やオカルトに落ち込むような性質の本ではありません。
そういうありきたりのルートを排除した上で、なるべく真剣に「生きること」について考える、そんな本にしたいと思っているのです。
そうですね、ほんとうなら小説にして伝えるべきテーマであるのかもしれません。ですが、ぼくは何しろストーリーテラーとしてまるで才能がないのでこういう形で伝えたいと思います。
ええ、どういうメディアでどういうスタイルを選べばどのくらい伝わるのかということはいつも思い悩むところです。何しろ、自分が考えていることを正確に人に伝えるのはとてもむずかしい。
じっさい、ネットを見るていると、この人はこんなにはっきりとわかりやすく書いているのにまるで伝わっていない!というような記事をよく見かけます。
もちろん、100人が読んで全員が同じ感想を抱くという内容は無理でしょう。しかし、できることなら可能な限り正しく伝えたいと思うんですね。なので、中学生でもわかるように簡易に書くつもり。
この本の骨子を為しているのは、いま、不幸せな人、自己嫌悪に陥っている人、あるいは歩き出す動機がなくて動けずにいる人は、本来なら無限のエネルギーを生み出すはずの「生命そのもの」がすすけて曇っているからそうなるのではないか、という発想です。
この「生命がくもったままの状態」で生きることを、ぼくは「機械じかけの生」と呼ぶわけです。
では、その生命を汚す「すす」とは何でしょうか。ぼくは、それは「思い込み」であり「固定観念」だと思っています。ペトロニウスさんなら「ナルシシズム」と呼ぶかもしれません。
この本では、自分はこういう人間だとか、こんなふうに生きていかなければならないといった思い込みを排して、「生命そのもの」のエロスが促すままに生きていくことを奨めています。
ただ自分の望むことをやりたいようにやっていく原初的(プリミティヴ)なライフスタイル。ひとりひとりがそうやって「ありのまま」に生きていけば、その結果、社会にはいまよりはるかに多彩な多様性(ダイバーシティ)が生まれることになるでしょう。ぼくは、それが「ジェンダーフリーな社会」だと思っています。
もっとも、そうなったところで、社会から痛みや苦しみや哀しみが消えてなくなることはありません。むしろ、人はいま以上にごまかしが利かない状態でそういったネガティヴな感情に直面しなければならなくなるかもしれません。
なぜなら、そういった苦痛もまた、「生命そのもの」に属しているからです。正しく生きることの歓びを求めるなら、どうしてもその苦しみをも受け入れなければならない。ぼくはそう考えます。
ただ、それは自分の「思い込みの世界」でひとり悶え苦しむのとは違った形になるでしょう。ぼくが考えているのは、人生について悩み、たとえば新興宗教や疑似科学やオカルトやスピリチュアリズムに救いを求めるような人が、べつの形で希望を見つける方法はないかということです。
本来、それは「文学」や「哲学」の領域に求めるべきことなのかもしれませんが、いま、そういったジャンルに救済を求めることはむずかしくなっているように思えます。
だから、たとえばオウム真理教に入信して道を誤ってしまった人たちが、それ以外の道で生きていけるようになるにはどうすれば良かったのか。そういう問いのアンサーになるような本を書ければいいな、と思うわけです。
まあ、ある種の人は十分な「萌え」さえあればそれで十分に生きていけるのかもしれませんが、物語の魅力はただそれだけではありません。
そういうわけで、ぼくなりに「生きること」について考えた本なのです。どうにかして世に出したいので、完成のあかつきには、いっそどこかの出版社に持ち込みをすることも考えていますが、無理かなあ。まあいいや。さらにさらにがんばります。でわ。はいほー。 -
アニメはほんとうに女性を差別しているのだろうか。
2017-09-07 05:0051pt先日、「本を書きたい!」といった通り、アニメや漫画、ライトノベルなどのポップカルチャーとジェンダーについての本を、どこで発表するあてもなく(笑)書いています。
とりあえず20000文字くらいは達したかな。書いたら推敲しなければならないので単純にどこまで仕上がったとはいえませんが、まあ、それなりに進んではいます。
で、ぼくがそういう本を書こうと思い立ったのは、既存のこの種の本に文句があるからなんですねー。どうもこの手の本はあらかじめ「アニメやマンガのなかにはひどい性差別があるに違いない!」という結論を決めてしまって、それに見合う作品ばかりを取り上げているように思われるのです。
もっとひどい場合には、ありもしない問題を見つけ出してしまっていることすらある。
いや、ぼくはアニメやマンガのなかに性差別的描写が存在しない、といいたいわけではありません。ジェンダーの呪縛は大いにあるでしょう。
しかし、すべてのアニメ/マンガ/ラノベが一様に性差別の標本として使えるわけではないし、なかにはそこらの学者の本よりよほど先進的な内容の作品もあるはずなのです。
それを上から目線で「サベツしているに決まっている!」と決めつけるのはいかがなものか。たとえば、水島新太郎さんの『マンガでわかる男性学』にはこのような記述が存在します。
近年、マンガのなかに描かれる女性像には大きな変化が見られます。これまで母親や恋人といった脇役を押し付けられてきた女たちが、男から独立した、強くてたくましい女として描かれるようになったのです。
ガンダム・シリーズでは、マリュー・ラミアス(『機動戦士ガンダムSEED』)やスメラギ・李・ノリエガ(『機動戦士ガンダム00』)が、艦長として活躍しますし、スポーツマンガでは、百枝まりあ(『おおきく振りかぶって』)や相田リコ(『黒子のバスケ』)が、監督・コーチとして重要な役割を担います。『少女革命ウテナ』では、王子様になることに憧れ、自分を「ぼく」という一人称で語る男装の少女・天上ウテナが、男顔負けの戦いぶりを見せてくれます。
しかし、彼女たちは、本当に男から独立した、強くてたくましい女たちなのでしょうか。
『機動戦士00』の女艦長・スメラギは、重度のアルコール依存に苦しむ女として描かれていますし、女監督を務める百枝まりあや相田リコにしても、物語の主体として描かれることはありません。『少女革命ウテナ』に登場する女たちも、シリーズ構成を務める榎戸洋司いわく、「男に守られる女であり、守ってもらえるよう試行錯誤する女」でしかないのです。
『ベルサイユのばら』のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、『美少女戦士セーラームーン』の月野うさぎ、『スレイヤーズ』のリナ=インバースなど、悪者と戦う強くてたくましい女主人公たちにも同じことが言えます。オスカルにはアンドレ、月野うさぎにはタキシード仮面、リナ=インバースにはガウリイがいるように、彼女たちはみな、守ってくれる男ありきのヒロインなのです。
えー(疑いの声)。それはないでしょ。まさにそういう女性像を生み出す社会構造からの脱出をテーマにした作品であることを無視して、『ウテナ』の女性キャラクターを、榎戸さんの発言(出典がないぞ!)を引いて「「男に守られる女であり、守ってもらえるよう試行錯誤する女」でしかない」と総括するのもどうかと思うけれど、それ以上に後半が問題。
まあ、百歩譲ってオスカルや月野うさぎはまだ良いとしても(ほんとうは良くないわけですが)、どう無理筋の解釈をしてもリナ=インバースが「守ってくれる男ありきのヒロイン」だとは思えません。
たしかにリナはガウリイに助けられることもあるけれど、その反対にガウリイを助けることだってある。一方的にガウリイに頼って守ってもらっているわけではまったくないのです。
もし、リナの描写では「男から独立」度が足りないというのなら、いったいどんなキャラクターなら十分に主体的で独立していることになるのかと問いたいくらい。
この本にはほかにも納得のいかない箇所がたくさんあるのですが、ようするに、ぼくにはただ自論を補強するために漫画作品を利用しているように思えてならないのですね。
あるいはそうでなければ、初めから上から目線で作品を見ているので、作品を読んでいても読めていないことになっている。
「ライトノベルが自立した女性なんて描いているはずがない」とあらかじめ結論を固定しているから、じっさいには存在しない「守ってくれる男ありきのヒロイン」が見えてしまうのではないかと思えてなりません。
ぼくはこういうのが嫌なんですよねー。作品に対し特に愛情も敬意もない人たちが自分の主張を強化するためにアニメやマンガのなかのジェンダーを批判するという、あまりにも偏った構図。
これと同種の本である『お姫様とジェンダー』や『紅一点論』にも似たような不満を感じました。
アニメやマンガのなかのジェンダーを批判するな、とはいいません。大いに批判してもらってけっこうだけれど、そのときは偏見に曇らされていない目で見てほしいと思うのです。
その意味では、高橋準『ファンタジーとジェンダー』は良かった。この本はファンタジー小説のなかのジェンダー描写を取り上げて問題にしているのですが、よくある『指輪物語』などの名作どころだけではなく、『グイン・サーガ』や『十二国記』といった作品まで取り上げているのが面白いところです(できれば『カルバニア物語』も扱ってほしかったけれど、ひょっとしてこの本の刊行時期は『カルバニア物語』の開始より前なのかな)。
『グイン・サーガ』を初めとするファンタジー小説の男性中心性に関してはぼくはかねて疑問を抱いていたので、この本の語るところには非常によく納得できました。
まあ、『西の善き魔女』なんかは、あえてその構造を踏まえてメタ的にずらしているのでひと口にはいえないのだけれど。
とにかくぼくはここら辺の本を踏まえて、ぼくなりの本を書きたいのです。しかし、はたして書けるかな……? うん、まあ、がんばります。うす。ふぁいと。おー。
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