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『氷と炎の歌』、『ダークソウル』、ダークファンタジーの伝統とは。

 ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』、ゲーム『ダークソウル』など、さまざまなメディアで世界的に流行を続けるダークファンタジー。そのジャンルはどのような歴史と特徴を持っているのか、ひと通りのことを解説しました。 『ENDER LILIES』が面白そうだ。  明後日の6月22日、『ENDER LILIES: Quietus of the Knights』が発売される。「死の雨」によって壊滅した王国を舞台に、少女と騎士の昏い冒険が描かれる、とか。  「2Dグラフィックのマップ探索型アクションゲーム」を意味する「メトロイドヴァニア」と呼ばれるジャンルの作品で、バリバリのダークファンタジーだ。  「メトロイドヴァニア」という言葉は『メトロイド』+『キャッスルヴァニア(悪魔城ドラキュラ)』から来ているのだが、まあ、ようするにそういうゲームであるらしい。  すでに先行版が発売されていて大好評だし、何よりぼくはこの手のダークファンタジーが大好物なので、ぜひプレイしたいと思う。  いま、ゲームの世界に留まらず、映画でもマンガでもダークファンタジーは大流行だ。否、もはや流行というよりメジャーな一ジャンルとして印象した印象すらある。  世界的に見て、そのなかでも最も大きいタイトルはやはり『ゲーム・オブ・スローンズ』だろう。  ジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』を原作に、「七王国の玉座」を狙い合うさまざまな野心家たちの策謀と戦いを、ドラゴンやゾンビといったファンタジー的なキャラクターをも絡めて描写したテレビドラマ市場に冠たる大傑作にして大ヒット作である。  原作も優れた傑作にして世界的なベストセラーだが、その人気が広まったのはやはり映像化されたことが大きいと思う。  また、ゲームの世界では、ダークジャンファジーと呼ぶべき名作が山のように発売されている。  どこからどこまでをそう呼ぶべきなのかは微妙なところだが、たとえば日本のゲームである『ダークソウル』などは、世界的に熱狂的なファンを抱えていて、「ソウルライク」と呼ばれるゲームもたくさん出ている。  『ドラゴンクエスト』の新作もどうやらダークファンタジー風味の作品になるらしい。このダークファンタジーのブームはどこから来ているのか、なるべくわかりやすく解説してみよう。 ダークファンタジーとゴシックロマンス。  歴史的に見れば、ダークファンタジーと呼ぶべき作品は、そのときはそう呼ばれてはいなかったにしても、じつは大昔からあった。  そもそも世界中の神話やお伽噺などがかなりダークな性質を持っていることは広く知られている通りであるわけで、そういう意味では数千年前からダークファンタジーは存在していたということもできるかもしれない。  ただ、それだけではあまりにざっくりした説明になる。より近代的な意味でのダークファンタジーに注目してみよう。  おそらく、いまのダークファンタジーにとって先祖ともいうべき作品があるとするなら、それはいわゆる「ゴシックロマンス」の小説たちだろう。  ウォルポールの『オトラント城奇譚』に始まる18世紀のロマンス小説は、たしかに狭い意味でのファンタジーとはいえないだろうが、その昏い魂を凝らせたような展開の数々、また荒涼たる風景の描写は、非常にダークファンタジー的である。  エドガー・アラン・ポーという例外はあるにしても、その大半がいまの目から見ると冗長で無駄が多いように思えるところも含めて、ダークファンタジーはゴシックロマンスから生まれた、といっても良いものと思われる。  それらの作品については『ゴシックハート』、『ゴシックスピリット』といった解説書にくわしい。  悪の魅力と異国情緒(オリエンタリズム)あふれる『マンク』などは、今日のたとえば『アラビアの夜の種族』の遠い祖先といえるかもしれない。  ただ、これらの作品は一般にホラーの先祖とみなされていて、ダークファンタジーとのつながりを考える人は少ないだろう。  また、その雰囲気はいかにもダークファンタジーと似ているとしても、もっと直接的にいまのダークファンタジーと関係があるというものでもない。  その上、18世紀はあまりにも遠い。したがって、よりダイレクトにダークファンタジーといえる作品たちは、20世紀初頭のアメリカに見ることができるはずである。 100年前のヒロイックファンタジー。  いまの視点から振り返ってみると、エンターテインメントとしてのダークファンタジーの成立は、いまから100年ほど前、20世紀前半の頃なのではないかと思えて来るのである。  『ウィアード・テールズ』などといったアメリカの娯楽雑誌で、いわゆる「パルプフィクション」として誕生した「ヒロイックファンタジー」のうちのいくつかがそれだ。  いまではほとんどは取るに足りない凡庸な作品に過ぎなかったともいわれるヒロイックファンタジーだが、なかには素晴らしい名作もあった。  たとえば、ロバート・E・ハワードやC・L・ムーアなどの作家たちが物した『英雄コナン』や『ジレル・オブ・ジョイリー』などのシリーズがそれである。そのなかでも『コナン』のシリーズはいまに至るも名作中の名作として知られている。  これはいまから一万年以上も昔の時代に、頽廃した文明のなかで活躍した野生児「コナン」を主人公とした物語で、かなりダークでデカダンでエロティックな作品群である。  その即物性というか、ある種、プラグマティズム的な雰囲気も含めて、ある意味では、『コナン』は最初期のダークファンタジーといえるかもしれない。  これもまた、日本では100年以上が過ぎたいまでも新刊として読むことができる。いかに優れたシリーズであるかがわかろうというものだろう。  一方、当時のヒロイックファンタジー作家にはめずらしい女性作家であるムーアは、その傑出した感性で、きわめて官能的なファンタジーを綴った。彼女の「ジレル」や「ノースウェスト・スミス」のシリーズはいまでも読まれている。  また、「ジレル」にしろ「ノースウェスト・スミス」にしろ、「やおい趣味」的なフレーバーが濃厚で、そのような意味でも興味深い作品なのである。  そして、それらの作品よりさらにダークでデカダンな作品を物したのが、クラーク・アシュトン・スミスだ。  

『氷と炎の歌』、『ダークソウル』、ダークファンタジーの伝統とは。

C・A・スミスからG・R・R・マーティンまで。ダークファンタジーの黒い血脈。

 いまさらながら『ダークソウル3』が面白いです。やたら複雑な操作があるダークファンタジーアクションゲーム。暗鬱で陰惨な世界設定にダークファンタジー好きの血が騒ぎますね。  ダークファンタジーというジャンルは昔からあって、たとえばクラーク・アシュトン・スミスという作家がいます。  栗本薫の『グイン・サーガ』などにも影響を与えたといわれる伝説的な作家で、クトゥルー神話ものなども書いているのですが、その作品は暗く重々しく、現代のダークファンタジーに近いものがあります。  100年ほど前のパルプ雑誌でその名を響かせた作家であるにもかかわらず、なぜか現代日本で再評価され、何冊か新刊が出ているようです。悠久の過去とも久遠の未来とも知れぬ世界を舞台に、闇黒と渇望の物語が展開します。く、暗い。でも好き。  栗本さんの作品でいうと、このスミスの影響が直接ににじみ出ているのは『グイン・サーガ』よりむしろ『トワイライト・サーガ』のほうかもしれません。  『グイン・サーガ』の数百年、あるいは数千年後、世界そのものがたそがれに落ちていこうとしている時代を舞台にしたダークファンタジーの傑作です。  全2巻しかないのだけれど、その妖しくも頽廃したエロティックな世界の美しいこと。主人公の美少年ゼフィール王子と傭兵ヴァン・カルスの関係は、のちにJUNEものへと発展していくものですね。  あとはやはり、マイケル・ムアコックが書いた〈白子のエルリック〉もの。いまの日本では『永遠の戦士エルリック』として知られる作品群は素晴らしいです。  この物語の主人公であるエルリックは、一万年の時を閲するメルニボネ帝国の皇子として生まれながら、生まれつき体が弱い白子の身で、斬った相手の魂を吸う魔剣ストームブリンガーなしでは生きていけません。  しかし、この意思をもつ魔剣は、時に主を裏切り、かれが最も愛する者たちをも手にかけていくのです――。この絶望的パラドックスと、〈法〉と〈混沌〉の神々の対立と対決という壮大な世界が、何とも素晴らしい。  一時期、映画化の話があったようですが、さすがに実現しなかったようですね。まあ、ひとことにファンタジーとはいっても『指輪物語』よりはるかにマニアックな作品ですからね。  ちなみにムアコックは『グローリアーナ』というファンタジーも書いています。これはマーヴィン・ビークの『ゴーメンガースト三部作』に強い影響を受けたと思しい作品で、とにかく凝った文体と世界を楽しむものですね。  エンターテインメントとして読むならエルリックとかエレコーゼのほうがはるかに面白いでしょうが、この作品には文学の趣きがあります。そういうものが好きな人は高く評価するでしょう。  ただ、かなり読むのに骨が折れる作品には違いないので、気軽に手を出すことはできそうにない感じ。よくこんなの翻訳したよなあ。  あと、最近日本では、アンドレイ・サプコフスキの『ウィッチャー』シリーズも翻訳されています。ぼくはいまのところ未読ですが、売れないと続編が出ないそうなので、先の展開が心配です。  早川書房は時々こういうことがあるんだよなあ。ぼくはマカヴォイの『ナズュレットの書』の続きを楽しみに待っていたんだけれど、ついに出なかった……。  この手のヒロイック・ファンタジーものとは系列が違いますが、ダークファンタジーを語るなら天才作家タニス・リーの偉業は外せません。  彼女の作品は数多く、すべてが日本に紹介されているわけではありませんが、訳出されたものを読むだけでもその恐るべき才幹は知れます。その代表作は何といっても『闇の公子』に始まる平たい地球のシリーズでしょう。  「地球がいまだ平らかなりし頃」を舞台に、数人の闇の君たちの悪戯や闘争を描いた作品で、アラビアンナイトの雰囲気があります。耽美、耽美。すべてが徹底的に美しく、あるいは醜く、半端なものは何ひとつありません。  主人公である闇の公子アズュラーンは邪悪そのもので、人間たちの意思をからかって遊びます。しかし、この世界に神はおらず、いや正確にはいるのですが人間たちに関心を持っておらず、かれの悪戯を止める者はだれもいないのです。  まあ、こういう作品たちがダークファンタジーの世界を切り拓いてきてくれたからこそ、ぼくはいま『ダークソウル3』を遊ぶことができるわけですね。  はっきりいってめちゃくちゃ好みの世界だけれど、クリアまで行けるかなあ。ちょっと無理そうな気がする。いまの時点で操作の複雑さ、多彩さにココロが折れそうだもの。  それから、もちろん、現代におけるダークファンタジーの巨峰として、以前にも何度か触れたことがあるジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌(ゲーム・オブ・スローンズ)』があるのですが、これはスケールが壮大すぎてダークファンタジーの枠内にも入りきらないかもしれません。  世界的に大人気の作品ですので、未読の方はぜひどうぞ。 

C・A・スミスからG・R・R・マーティンまで。ダークファンタジーの黒い血脈。

追悼タニス・リー。バビロニアの女神の名を与えられた天才作家。

 タニス・リーが亡くなったそうで、追悼として、以前、『悪魔の薔薇』のレビューとして載せた記事を再録しておきます。世界は不世出の天才物語作家を失いました。残念です。 1947年9月19日。  この日付は記憶されるべきだろう。この日、世界は不世出の語り部を得たのだから。  もちろん、そのときにはだれひとりそうとは気づかなかったことだろうけれど。  その日生まれた赤子はタニスと名づけられた。タニス・リー、と。  バビロニアの月の女神にちなんだ命名である。いかにもそのひとにふさわしい名前ではないか。  やがて赤子は育ち、九つのとき、作家を志す。  初めて長編を上梓したのは二十を三つ過ぎた頃。  そして、その生涯の傑作といわれる『闇の公子』を生み落としたのは、さらにその数年後のことだった。  その物語を一読した読者は、リーの才能が尋常なものではないことを、いやでも悟らずにはいられなかっただろう。  リーの世界はトールキンの箱庭には似ていなかった。C・S・ルイスのナルニアにも程遠かった。  それははるかに遠い日、はるかに遠い国で語られたアラビア夜話に似た世界であり、しかもはるかに暗く、はるかに邪悪で、美しかった。  リーには言葉で異世界をつむぎ出す天稟があった。  その昔、地球が平らかなりし頃、と彼女は語りはじめる。  平たい地球には五人の闇の君がおり、それぞれ、〈悪〉や、〈狂気〉、あるいは〈死〉を司っていた。  王侯も奴隷も、学者も乞食も、しょせん彼らのチェスの駒。  しかし、ときには、おそらく数千年年に一度のことではあるだろうが、駒が操り手を上回ることもあった、と。  リーの紡ぐ神秘的な物語は、灰色の都市生活に疲れた人びとを熱狂させたことだろう。  そして、彼女は飽くことなく新たな物語を生み出し続けた。  彼女は泉である。尽きることを知らない物語の泉。そしてその水の芳醇さときたら。 

追悼タニス・リー。バビロニアの女神の名を与えられた天才作家。

世界一面白いファンタジー小説は何ですか?

 川上さんとの対談のなかで、少しジョージ・R・R・マーティン『氷と炎の歌』の話が出ました。この小説、『ゲーム・オブ・スローンズ』のタイトルでドラマ化されていて、そちらも傑作らしいのだけれど、原作は歴史的なウルトラマスターピース。  およそ世界のファンタジー小説のなかで、これ以上に面白いものはないのではないか、と思うくらいのとんでもない作品。普段あまりふれないのだけれど、田中芳樹とか栗本薫の小説が好きだったひとには文句なしでオススメの超名作です。  いやー、云ってしまえばどこにでもある平凡な設定で、ありふれた筋書きなんだけれど、それを力技で超絶レベルの作品に仕上げているんですね。  ひたすら王道。どこまでも正統。ただあたりまえのことをあたりまえにこなす、それだけでほんとうに凄まじい作品を仕上げてしまっている。  作者のマーティンはSFも書けばファンタジーも書くというひとですが、典型的な「物語作家」で、書けば書くほどに長くなっていくんですねw  これはストーリーテラー型の作家の特徴で、どうも「物語の自走性」に任せるとそういうことになるらしい。『グイン・サーガ』が予定を超えて長くなったのと同じ理屈です。  おそらく、書いている最中に「あれ、この展開も面白いな」とか、「こいつの過去はどうなっているんだろう?」ということを際限なく思いつくのでしょう。  だから、書けば書くほどに新たな物語が生まれてくる。どうやらそういうことらしい。もっとも、例によってぼくは途中で止まっているので、そろそろ最初から読み返したいと思っているところではあります。  いや、ほんとうに面白いのだけれど、ひたすらマジメでギャグがないから、読んでいて疲れるんですよね……。  それでもまあ、この手の戦記小説のなかでは最高の出来で、歴史的な重要作品であることは間違いないけれど。日本でどれくらい売れているのかわからないけれど、北方謙三の『水滸伝』シリーズとか好きなひとは楽しめるはず。  とはいえ、マーティンの小説をファンタジーの代表のように語ることは、少々違和感があります。たしかにめちゃくちゃ面白いのだけれど、そこにファンタジーの息吹があるかというと、ちょっと違うよね、と。  つまりは具象性が高すぎるのですよ。すべてがリアリスティックに描きぬかれていすぎる。ぼくにとってファンタジーとはもっと抽象的なもの。  やっぱりタニス・リーとか、ロード・ダンセイニ、フィリス・アイゼンシュタインという作家が思い浮かぶわけです。  フィリス・アイゼンシュタイン! 最期に翻訳されたのは何十年も前だけれど、いやー、ぼくは好きだったんだよなあ。『妖魔の騎士』に『氷の城の乙女』。素晴らしいですね。  ただ、早川書房は最近あまりこの種の象徴性の高いファンタジーを出してくれなくなった印象がある。いや、たぶん売れないんだろうけれど、ぼくは好きなんだよなあ。  ジェイン・ヨーレンとか、そこらへんの女性作家ですね。ジェイン・ヨーレンの『夢織り女』、大好きでした。ここらへんの流れはこの頃あまり見かけない気がします。  やっぱり具象的で男性的な作品のほうが売れるのでしょう。抽象的で女性的な意味でのファンタジーは、受け手にある種の素養を要求するところがある。  それは知識ではなく感性。感じるひとしか感じない世界なんですね。マーティンの小説にはないものがそこにはあります。  とはいえ、一部の出版社はがんばっていろいろと出しつづけてくれていることも事実で、パトリシア・A・マキリップとか、気づくとたくさん翻訳されていますね。  そこらへんも読まないといけないとは思っているんですが、どうも時間が。いや、 

世界一面白いファンタジー小説は何ですか?
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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