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「贅沢貧乏」に憧れて。お金を使い過ぎず豊かに暮らすことは可能か?
2015-04-09 22:4051pt
お金が欲しい。
収入を増やしたい。
一方でそう願いながら、他方でぼくは「つましい生活」に憧れている。
むろん、貧乏を希望しているわけではない。清貧の思想とやらにかぶれたわけではさらさらない。
ただ、わが身の浪費を思うとき、もう少し少ないコストで快適に暮らしていけるのではないかと思わずにいられないのだ。
いまのままでは、仮に収入が倍になったとしても、その分をすべて無駄に使い尽くして終わるだけかもしれない。
それは相対的に贅沢な暮らしではあるだろう。だが、ぼくが考える「豊かな人生」とは異なる。
お金が欲しい、収入を増やしたいと強く望みながら、反面、ぼくは「極力お金に頼らずに生きて行く方法」について考えているわけなのである。
西園寺マキエ『稼がない男』を読むと、その「お金に頼らない生活」を成し遂げたひとりの男性の人生を見ることができる。
著者の恋人であるヨシオ(仮名)は、早稲田大学を優秀な成績で卒業し一流企業に就職しながら、あっさりとその就職先を捨て、「稼がない人生」に突入する。
ヨシオの年収はわずか150万円弱。かれは生活のすべてをその金額でまかなっている。
常識的に考えれば困難だが、そもそもあまりお金を使わない生活をしている上、生活に必要なあらゆる雑費を緻密に算出して管理しているため、この金額でも困らないのである。
もっとも、たとえば突然パソコンが壊れたとき、途方に暮れるしかないことも事実。
それでもヨシオはどこまでも楽天的で、「稼がない人生」をほとんど享楽的に味わい尽くす。
著者はこの心優しい「稼がない男」の生きざまを数十年も追いかけていく。
ぼくがこの本を読むと、「ああ、この収入でも生きてゆくことはできるのだな」となんとなく安心する。
そして、その上で自分はなるべく稼ごうと考える。
人間の幸福はお金では決まらない。それはたしかだが、一定額のお金はある程度の「自由」を保障する。
そして、ぼくはヨシオとは違って、その「自由」を放棄できるほどに悟ってはいないのである。
とはいえ、「最低金額での生活」はそれはそれで魅力的だ。
じっさい、様々なものが安価になったいま、無駄な出費を避ければ、限りなくローコストで楽しい人生を送ることができるだろう。
テレビアニメの録画にも、ニコニコ動画の鑑賞にも、LINEやSkypeでのやり取りにもほとんどお金はかからないことであるし。
山崎寿人『年収100万円の豊かな節約生活』を読むと、その節制生活をさらに突き詰めた人物を発見できる。
この本の著者は、生活のあらゆる無駄を切り詰め、年間わずか100万円で暮らしている。
この「楽しく」というところが重要で、かれの生活は決して暗くもなければ憂鬱でもない。
ただ無意味な出費を避けているだけで、かれは十分に「贅沢」な人生を送っている。
ぼくがあこがれる「つましい生活」の理想形がここにある。
何より、日々の食事に凝っているところに惹かれる。
そう、あえて大金を蕩尽しなくても、手間さえかければ美味なものは食べられるのである。ラグジュアリーなレストランの最高級ディナーとまでは行かないとしても。
「お金に頼らない人生」は -
支出はどこまで減らすことができるか。一生無職で生きていく人生のリアリティ。(2113文字)
2013-05-17 09:0353pt
守銭奴という言葉がある。「銭を守る奴」というわけで、一般にはネガティヴな意味で使われる。「銭を守る」ことは世間的には良いこととは思われていないようだ。
しかし、いまあるお金を守ることはとても重要なスキルである。そのスキルなしにまともな人生計画を立てることはできない。たとえ年間何千万円も稼いだところで、それをすべて使ってしまえば手もとには1円も残らないわけだ。
それは極端な例としても、支出を適切にコントロールしなければお金は自然となくなるものである。
よくネットで「貧乏なのに贅沢をしている」と非難されるひとがいるが、かれらもそうしたくて「贅沢」をしているわけではないかもしれない。
ただ「支出削減スキル」を身に着けていないために、自然と支出が高くなってしまうということもありえると思う。「支出削減スキル」は人生をマネジメントするために必須の技術である。
さて、それでは、その「支出削減スキル」を極限まで磨いていくとどうなるか。「無職のまま、いまあるお金を守って一生生きていく」というライフプランが見えてくる。
これは無茶なようでいて現実的な選択肢だ。ひとが生きていくために必要な出費は家賃、食費、光熱費、医療費、衣料費あたりが主なところだろう。そこに通信費(ケータイ、スマホの代金含む)や家具や大型家電などを購入するための資金も必要になる。
それらすべてをミニマルに削減すれば、たとえば年収100万円程度の収入でも生活していくことは可能になる。じっさいに100万円で生活している「支出削減の達人」の記事を見てみよう(インデントだけこちらで加えさせてもらいました)。
ぼくの年収は、約100万円。日本新党の立ち上げに関わった一時期を除けば、会社をやめてから、親が遺してくれた古マンションの賃貸料でやりくりしてきた。
国民年金保険料や国民健康保険料、NHK受信料、住居費などを支払うと、1カ月間で使える食費、光熱費、通信費、交通費などの生活費は、3万円。1日3食の食費は、500円。当初、月の生活費は8万円ほどだったが、それではプータロー生活の継続が難しい。そこで、5万円、3万円と徐々に落とした。
だが、ムリをして切り詰めているわけではない。ストレスが溜まるほどの節制を自らに強いるなんてもってのほか。月3万円あれば、節制や我慢とは無縁な豊かで楽しい毎日を送ることができる。いま、そう実感している。
(中略)
その日食べたい料理を手間暇をかけておいしく作る。月に何度か、ぼくのマンションに友人たちが集まってホームパーティが開かれる。付き合っている女性もいる……。ぼくは、年収100万円の生活に不満もストレスもまったく感じていない。いまの暮らしが、本当に楽しくて仕方ない。
http://news.livedoor.com/article/detail/7672372/
このひとの本は以前にも紹介したが、まったく驚きである。年収たった100万円でただ生きていけるというだけではなく、「豊かな生活」を送れるというのだから。
これもハイレベルなコストカットができているからこそだ。収入こそ年間100万円でしかないが(これは労働報酬ではなく、賃貸物件から入ってくるお金らしい)、「人生の勝ち組」といって差し障りないだろう。
「格差」というとき、ぼくたちは「収入の差」を思い浮かべる。しかし、考えなければならないのは、同じ収入でも「生活の豊かさの差」は存在するということだ。
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【無料記事】年収100万円でどこまで豊かに生きられるか。東大卒ニートに生き方を学ぶ。(2390文字)
2012-10-04 15:45
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