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記事 2件
  • 『風立ちぬ』再考。堀越二郎はほんとうに冷血の天才なのか。

    2016-06-09 21:21  
    50pt

     瀬名秀明の『瀬名秀明ロボット学論集』と並行して、杉田俊作『宮崎駿論』を読んでいる。何度目かの再読である。
     宮崎駿の漫画や映画を題材にした批評書は何冊も出ているが、この本は際立って面白い。
     宮崎駿の過去の全作品を素材に、表現論、自然論、さらには宮崎駿その人の人物論に至るまで、縦横に語りつくしている。
     興味深いのが、宮崎監督の(いまのところの)最新/最終作である『風立ちぬ』への評価だ。この本にはこう記されている。

     ひたすら戦闘機を作っては失敗し、作っては墜ち、炎上した。そして夢の飛行機の制作にようやく成功しても、何の達成感も喜びもなかった。目の前には、あたり一面、夢の残骸と廃墟が広がっている。人生を賭した夢は、ついに誰をも生かさなかった。国民も、家族も、愛する人も、そして自分すらも。
     『風立ちぬ』は、そんな映画に思えた。
     
     (中略)
     堀越二郎の、あの、無表情な顔。あれ
  • 『タイタニア』に、矛盾の作家・田中芳樹の真骨頂を見る。

    2015-02-07 22:42  
    50pt


     田中芳樹『タイタニア』最終巻を読了した。小学生の頃から読んでいる作品を、四半世紀もの時を越え読み上げたことになるわけで、さすがに感慨深い。
     思えば25年前、当時流行していた『ファイナルファンタジー3』の主人公たちの名前を、タイタニアの四公爵から拝借した記憶がある。
     アリアバート、ジュスラン、ザーリッシュ、イドリス。いずれ劣らぬ豊かな才能を持ち、20代にして全宇宙を睥睨する立場にある若者たち。
     『タイタニア』はこの俊英ぞろいの四公爵と、かれらの上に立つ藩王アジュマーン、そして期せずして「反タイタニア」の象徴になってしまった天才戦術家ファン・ヒューリックを中心に語られていく。
     およそ200年にわたってタイタニア一族の専横が続く「パックス・タイタニア」の時代を舞台に繰りひろげられる支配と叛逆、戦乱と謀略の物語。
     はるかな未来を舞台にしているにもかかわらず、ほとんどSF的な意匠が登場しないことも含めて、まさに『銀河英雄伝説』に続く「田中スペースオペラ」の典型かと思わせる。
     『タイタニア』の前作にあたり、いまなお傑作として歴史にその名をとどろかす『銀英雄伝』は、対等なふたつの巨大勢力、そしてふたりの主人公の戦いを描いていた。
     『タイタニア』も一見するとその規範を踏襲しているかに見える。しかし、全5巻の物語が中盤に至ると、しだいに『タイタニア』独自の個性が見えて来る。
     つまり、これはあくまでタイタニアと呼ばれる人々を中核に据え、「タイタニアとは何か?」をテーマに据えた小説なのだ。その意味で『タイタニア』は決して『銀英伝』の亜流ではない。
     いや、ほんとうはもっと決定的なポイントで『銀英伝』と『タイタニア』は異なっているのだが、それについては後にしよう。
     個人的な見解だが、田中芳樹のすべての作品は権力志向的な人物を中心に置いた作品と、そうではない人物を主人公にした作品に分かれる。
     まさにその両者の対立と対決を描いているのが『銀英伝』であるわけだが、『タイタニア』はほぼ前者に属する作品だといえる。
     ほぼ、と書くのは一向に権力に目覚めないファン・ヒューリックという人物が主役級の活躍を見せるからだが、全編が完結したいま考えてみると、やはりヒューリックはこの物語の主人公とはいいがたく思える。
     むしろ、この長編にただひとり主人公というべき人物がいるとすれば、それはジュスラン・タイタニア公爵だろう。
     宇宙を支配するタイタニア一族の血統に生まれながら、タイタニアとして生きる自分に疑問を抱くこの青年は、そのきわめて思索的な性格で強い印象を残す。
     かれ自身は権力にそこまでの価値を見いだしていないものの、権力の中枢に生まれ、また激しい権力闘争のなかで生きのこる才覚に恵まれたために否応なく宇宙屈指の地位を得ることとなったジュスランや、かれと同格の実力を持つアリアバートを主役に据えたことで、『タイタニア』は権力をめぐる物語となった。
     もっとも、この小説にただひとりで全宇宙を統一できるような「天才」は登場しない。タイタニアの藩王アジュマーンにしろ、かれの下の四公爵にしろ、傑出した才能のもち主ではあるものの、人類史に冠絶する天才とはいいがたい。
     作中、唯一「天才」と称されるファン・ヒューリックの才能は限定的なものである。その意味で『タイタニア』とは、いわば二流の役者たちが演じるオペラであり、ここにはラインハルト・フォン・ローエングラムも、ヤン・ウェンリーも不在なのだ。
     しかし、だからといって即座に『タイタニア』が『銀英伝』に劣るということにはならない。むしろ、不世出の英雄たちの「伝説」を綴った『銀英伝』の後に、かれらより才能的に劣る人物たちを主役にした物語を書こうと考えた田中芳樹の発想は一驚に値する。
     この人は、『銀英伝』を書き終えた後に、『銀英伝』と同趣向で、それよりもっと壮大なスケールの物語を書こうというふうには考えなかったわけだ。
     それでは、『銀英伝』に続く『タイタニア』で田中芳樹が描こうとしたものは何だったのか。そこを正確に捉えられなければ『タイタニア』を的確に評価することはできないだろう。
     それに対するぼくなりの解答をいわせてもらうなら、『タイタニア』とは権力を巡る無数の矛盾を描いた小説である、ということになる。
     『銀英伝』は「戦争」を主題に置き、戦争の天才同士のやり取りを綴った作品だった。しかし、『タイタニア』のテーマはむしろ「権力」にあり、だからこそ戦争の天才であるところのファン・ヒューリックは脇役に留まることになった。
     それなら、田中芳樹はこの作品のなかで、権力に取り憑かれた者の愚かさを描いているのか、それとも権力を目指す野心家たちの競演を肯定的に綴っているのだろうか。これが、実は単純ではない。
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