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タグ “Fate/Staynight” を含む記事 12件

増殖を続ける『Fate』シリーズに感じる嬉しさと残念さ。

 きょうは電撃文庫の発売日です。成田良悟さんの『Fate/strange Fake』最新刊が出ていますね。  これも設定を聞く限りめちゃくちゃ面白そうなんだけれど、ぼくはまだ読めていません。  最近ほんとに小説を読めていないので、なんとか時間を作って読まないととは思うのですが、なかなかね……。  それにしても『Fate』はいったいいくつシリーズがあるんだろ。  最初の『Fate/stay night』に『Fate/hollow ataraxia』まではまあ「正典(カノン)」といえるとして、そのあとの作品群が膨大なんですよね。  とりあえず『Zero』は「正典」に次ぐ地位にある感じですが、そのほかの作品群はどう解釈したらいいものやら。  パラレルワールドだと思って読むのがいちいばんいいのかなあ。  そういえば『Fate』世界にはパラレルワールドを飛びまわる謎のジジイがいたような気もするが、まあいいや。  『Fate』の番外編というと、『Zero』を除くと、まずは『Grand Order』が思い浮かびます。  これはソーシャルゲームですね。ゲーム的にはかなりひどい出来だとさんざんいわれているものの、キャラクターの魅力とストーリーの面白さによって大人気を博しているようです。  結局のところ、魅力的なキャラクターがたくさんいればほかはぐたぐだでもけっこうなんとかなるという典型的な例でしょうか。  それから、ゲームの類としては、プレイステーションポータブルで出た『フェイト/エクストラ』とその続編『フェイト/エクストラ CCC 』があります。  これは当然というか漫画化もされていて、『フェイト/エクストラ CCC Foxtail』という作品にもなっているようです。  あと、格ゲー仕様の作品としては『フェイト/アンリミテッドコード』がありますね。  やったことがないので評価はわかりませんが、そこそこの作品ではあるようです。  あと、小説作品としては『Fate/Prototype 蒼銀のフラブメンツ』というものもありますね。  『Fate/Labyrinth』はこの派生なのかな? よくわかりませんが関連作品であるようです。  さらには『Fate/Apocrypha』というものもありますし、いちばん最初に挙げた『Fate/strange Fake』もこの系統です。  さらに漫画では『Fate』を魔法少女ものに仕上げてしまった『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』という作品もありますし、『Fate/mahjong night 聖牌戦争』という、もはや何がなんだかよくわからない作品もあります。  あと、四コマの『氷室の天地 Fate/school life』も一応は『Fate』シリーズか……。  ざっと数え上げただけでもこれだけの『Fate』関連作品が出ているわけです。まだ取りこぼしたものもあるかも。  かつて高校生の奈須きのこがノートに書いて竹内崇に見せていた妄想ストーリーがここまで発展するとは、当時、奈須さんも竹内さんもまったく想像していなかったことでしょう。  ただ、 

増殖を続ける『Fate』シリーズに感じる嬉しさと残念さ。

『Fate/stay night』、背徳と頽廃の第三ルートがいま始まる。

 タスクオーナ『Fate/stay night (Heaven's Feel) 』最新刊読了。  既に発売から十数年を経るロングヒットコンテンツ『Fate』の第三ルート、漫画版です。  『Fate』は2004年の発表以来、さまざまな形でメディア展開して来たわけですが、『HF』はいままで触れられて来ませんでした。  この作品は満を持しての初漫画化というわけです。  また、『HF』は2017年に映画化も決定しているので、ほぼ同時に映像と漫画で同じ物語が展開することになりますね。  映画も楽しみですが、まずは漫画の話。  結論から書くと、とてもよくできている作品だと思います。  『HF』は正義の味方を目ざす少年・衛宮士郎と、かれを慕う少女・間桐桜の物語であるわけですが、『Fate』全編でも最も昏く淫靡な話なので、なかなか漫画にはしづらいところがあります。  しかし、作者はこの漫画版で可能なかぎり深いところまで描くことにチャレンジするつもりのようです。その覚悟やよし。  ちなみに、この第2巻まではまだ「共通ルート」の話で、いままでの『Fate』と同じ展開をたどっています。  セイバーの召喚とか、ランサーとの死闘といったところですね。  新しい物語が始まるのは次の巻から。だから、次巻がとても楽しみです。  ところどころ挟まれるオリジナルエピソードは『Fate』や『Fate/Zero』を意識した内容で、作者の原作への愛情を感じさせます。  この漫画版は読者が本編の物語を知っていることを前提として構築されているといっていいでしょう。  その意味では新味はないわけですが、作者がこの『Fate』第三の物語をどう料理して来るかという興味は尽きません。楽しみ楽しみ。  『HF』は『Fate』の三つのルートのなかで最も賛否が分かれる物語です。  ぼくは大好きなのですが、嫌いな人は嫌いらしい。  その理由は、 

『Fate/stay night』、背徳と頽廃の第三ルートがいま始まる。

『Fate/Grand Order』で英雄王を引いたよ。

 ども。いまのところ無課金で『Fate/Grand Order』を遊んでいる海燕です。  無課金でもけっこう遊べる、というかほぼ問題なく遊べる。  いやー、お金をかけずにこんなに遊んでいいのかというくらい時間を費やしていますね。  ストーリーは第二章の序盤まで行きました。例によってTYPE-MOONがシナリオを務めているわけですが、さすがにこなれた展開。  どこまで奈須きのこが手掛けているのかわからないけれど、十分に遊べることはたしか。  ただ、奈須きのこが関わっていると思うと一気に要求水準が高くなってしまうわけで、「もっと、もっとだ……!」と福本信行漫画に出て来るギャンブルマニアみたいに高みを望んでしまう。  実に個性的な面々が関わりあう掛け合いの面白さはとてもとても素晴らしいのだけれど、それを超えた大きな物語のうねりが感じられるかというと、もうひとつ。  「よくできた二次創作」という印象なんですよね。  このくらいなら西尾維新でも書けるぞと思ってしまいます(暴言)。  いや、清姫とエリザベート・バートリーの竜種サーヴァントコンビとか、とても可愛いのですが、それだけといえばそれだけ。  戦力度外視で戦闘に使いたいくらいには魅力的なのですが。  もっとも、「邪竜百年戦争オルレアン」とか「永続狂気帝国セプテム」とかいう中二心をそそる言語センスはさすがのひとこと。  何かめちゃくちゃ面白い物語が始まりそうに思えるものね。  課題だったシステム面も、最近、バランス調整が進んで、だいぶ遊びやすくなっているようです。  まあ、ソーシャルゲームの初期運用期間はどうしても完成度がいまひとつになるようで、いろいろ叩かれたりしているゲームではありますし、じっさい単調なところも多いのですが、シナリオの面白さとキャラクターの魅力ですべて許せてしまうというのがぼくの実感。  超面白いというほどではないけれど、魅力的なキャラクターがびしばしと出て来るところはやっぱり素晴らしい。  特に『Fate』の強みは可愛い女の子だけでなくさまざまな個性を持った老若男女が大量に出て来るところですね。  ダレイオス三世とか、萌え的な意味での人気が出そうなキャラクターではありませんが、強烈な個性がある。  ていうか、背が低かったという伝承のイスカンダルが大男になったために、かれより背が高いというダレイオスは超巨漢になってしまったんだな。  なんといいかげんな、という気もしなくはありませんが、まあ、そこがTYPE-MOONらしいともいえる。  TYPE₋MOONらしさといえば、今回はいままで以上に各キャラクターがデフォルメされていて、「TYPE-MOON世界史」とでもいうべき「もうひとつの歴史」を形作っているあたり、やはり面白いです。  アーサー王やジャンヌ・ダルクといった既出のキャラクターに加えて、カエサルとかカリギュラとか、モーツァルトとか「黒ひげ」ティーチとか、歴史上の偉人がたくさん出て来るのだけれど、どれも萌えフィルターがかかっていて、実にいまふうにデザインされているのがすごい。  ちなみに、戦闘でつまづく人もいるかと思いますが、ぼくは最初のガチャでヘラクレスを引いたので、戦闘にはそれほど苦労していません(自慢)。  あと、フレンドにレベル60のタマモキャットがいるので、非常に活躍してもらっています。  加えて、レベル50のアルトリアさんとか、かなり強い。  いやー、持つべきものはハイレベルのフレンドですね!  さらに自慢させてもらうと、先日、わくわくと二度目のガチャを引いたところ、キャンペーン期間中にのみ出るという英雄王ギルガメッシュが出ました(どやぁ)。 

『Fate/Grand Order』で英雄王を引いたよ。

アニメ『Fate』最終回にこの世界の真実を見た。

 ども。ペトロニウスさんが日本に帰国したことを機に、ひさしぶりに東京へ遊びに行って来ました。  いやー、めちゃくちゃ楽しかった&疲れた。  旅先だと気が昂って眠れない癖はなんとかしないといけないですね。睡眠導入剤でも使うしかないのかも。  プアなニートの身の上にもかかわらずフォアグラだのなんだの美味しいものを片っ端から食べてきたので、この上は働くしかないでしょう。そういうわけで記事を更新します。  まずはアニメ『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』最終回の話。  聖杯戦争が終わったあとを描くこの回はほぼアニメのオリジナル展開。  魔術協会の統治機構である「時計塔」が存在する街ロンドンに住む遠坂凛と衛宮士郎が描かれます。  激烈を究める闘争が終わったあとの平和な日々。癒やされますね。  あの過酷な事件を生き抜いた魔術使いである凛と士郎もここでは一学徒。  ふたり、幸せな時間を過ごしています。こいつら、いちゃいちゃしやがって。  聖杯戦争の物語がすべて終わったあと、舞台を変えることによって生じる「世界がひろがっていく」感覚が素晴らしいですね。  本編では聖杯戦争がすべてだったわけですが、ことここに至ってはそれも数ある事件のひとつに過ぎない。  『Fate』全編を内包してさらに続いてゆく広大な世界を感じさせるこの構成は凄いです。  アニメ版未視聴の原作ユーザーも、この最終回は一見の価値ありといえるでしょう。  しかし、ひとときの幸せはまるでまどろみの夢。おそらく士郎はいつかまた再び戦いのなかに身を投じることになるに違いありません。  それがかれがかれであるということ。  いっときの幸福を味わうことはできても、そこに浸りきるためにはあまりにも気高い理想を抱えているのが衛宮士郎という人間なのです。  また、それがあってこその『Fate』であるということもできるでしょう。  そんな士郎を凛はどこまでサポートすることができるのか? これから続いてゆく物語を予感させて長い物語は終わります。  平和が夢か、それとも戦いの時こそが夢なのか、むずかしいところですが、全編、戦いが続いたこの物語の終幕には、この平穏なエピローグこそがふさわしいのかもしれません。  それにしても、 

アニメ『Fate』最終回にこの世界の真実を見た。

どこまでもオリジナルあっての二次創作だと思うのだ。

 アニメ『Fate/staynight [Unlimited Blade Works]』の最終回をニコニコ生放送で視聴しました。  「フェイカー」衛宮士郎が本物の神話の王であるギルガメッシュを上回る迫力の展開を、よく映像化してくれていると思います。  「Unlimited Blade Works」はかっこいいよなあ、やっぱり。  ぼくは原作をプレイ済みなのでどうしてもその視点でしか見れないのだけれど、初見の皆さまはさぞ感動したことでしょう。  『Fate』が恐ろしいのはこれだけのシナリオであっても三部作の一でしかないということで、さらに物語は最終章「Heaven's Feel」へと続いていきます。  「Heaven's Feel」の映画版、18禁で上映しないかな、と思うのですが、さすがに無理だろうなあ。ここまで大きくなったプロジェクトだと。  でもなるべくえろえろしくしてほしい。桜のあの淫靡な背徳の魅力をどこまで描き出せるかで作品の出来が決まってくるのではないかしらん。上映されたら見に行こうっと。  それにしても、『Fate』もほんとうに大きくなりましたね。  前作『月姫』に続く同人サークルTYPE-MOON最後の仕事として企画された物語が、商業作品となって誕生してはや11年。  そのあいだ『Fate』は膨大な派生を生んできました。  しかし、オリジナルなのはあくまで『Fate/stay night』の三つのシナリオです。これは未来永劫変わらないでしょう。  初めて『Fate』をプレイした時の感動は忘れられません。セイバーシナリオで「終わった……。なにもかもみななつかしい」みたいな感動に沈んでいたのに、「じゃあ、そういうわけで全部もういちど初めからやるからね」と凛シナリオが始まり、その果てにはさらに桜シナリオまでがあって、というあの膨大なボリューム。  ひたすら圧倒されてプレイしていたことを思い出します。  ああ、まだあの頃はぼくもそこそこ純真だったんだなあ。いまだって枯れ切ったとは思っていないけれど。  で、『Fate』シリーズはさらに番外編のファンディスク『Fate/hollow ataraxia』へと続いていくことになります。  当時はまだエロゲが元気だった時代ですから、それはもうわくわくして『hollow』を待ちました。  そして発売されたものをプレイしてみた感想は――うーん、まあこんなものか、と。  発売されるまでは心待ちにしていたんだけれど、じっさいに『hollow』を読んでみたら、「ああ、二次創作は一次創作に勝てないものなんだな」ということを痛感させられたんですよね。  ファンディスクはファンディスクで悪くはないけれど、それはやっぱり「おまけ」の域を出ないんだなあ、と。  いや、 

どこまでもオリジナルあっての二次創作だと思うのだ。

安西先生、TYPE-MOONの完全新作をプレイしたいです。

 電撃文庫から『Fate』の新作が出ていますね。成田良悟『Fate/strange Fake』。未読なので内容はわかりませんが、ほんとに『Fate』の世界は果てしないなあ、と感嘆しきり。  正直、もう『Fate』はいいから他のシリーズを始めてよ、という気もなくはないのですが、発表される新作を読んでみるとじっさい面白いからあまり文句もいえない。むずかしいところです。  それにしても、『Fate』って過去11年間で何作くらい出ているんだろ? まずはシリーズの「正典」ともいうべき『Fate/stay night』、そのファンディスクの『Fate/hollow ataraxia』がありますよね。  それから虚淵玄が圧倒的迫力と完成度で『Fate』の前日譚を描いた『Fate/Zero』。それにプレイステーション・ポータブルのゲーム『Fate/EXTRA』、その続編『Fate/EXTRA CCC』。  『Fate』の原型を小説化した『Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ』、さらにパラレルワールドを描いた小説『Fate/Apocrypha』、何だかよくわからん漫画『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』があります。  さらにさらに、この春から『Fate/Grand Order』と題する何やらやたら面白そうなRPG(?)が始まるとか。もちろん、これらの作品群はそれぞれがアニメ化したり漫画化したりしているわけで、全部で何シリーズになるのかはちょっと数えきれない感じ。20作くらいは行っているのではないでしょうか。  いや、もうほとんど『ガンダム』とかに匹敵する、日本のオタク業界を代表する一大エンターテインメントシリーズに成りおおせた印象ですが、でも、これでいいのか?という一抹の疑問が残ることもたしか。  何といってもいまに至るも『Fate』のなかでいちばん面白いのはオリジンの『Fate/stay night』であって、その後の『Fate』はいわば「番外編」に過ぎません。  だから、ひたすら「番外編」を増やすのはこれくらいにして「新作」をこそ描いてほしい、そう思っても無理はないところではないでしょうか。  じっさい、『Fate/stay night』以降、『Fate』の実質的な「作者」である奈須きのこは、それらの「番外編」の展開に関わりながら、ほとんど「新作」を発表していないわけで、もういいかげんにしてくれないかな、と思ってしまう気持ちも正直あります(『DDD』とかあるけれどね)。  たしかに『Fate』の二次展開はどれもそれなりには面白い。なかには、『Zero』のようなオリジンをも超えたのではないか?と思わせられる破格の作品もある。  しかし、それでもなお、それらはどこまで行っても「外伝」、「外典」、「番外編」、「前日譚」、「パラレルワールド」の類であるに過ぎず、純粋に『Fate』を乗り越えたとはいえない。  そうだとすれば、いまこそ純然たる新しいイマジネーションを以って、『Fate』よりもさらに面白いエンターテインメントを志してほしい。そう願っているのはぼくだけではないでしょう。  いやまあ、永野護が『ファイブスター物語』を描きつづけているように、荒木飛呂彦が『ジョジョの奇妙な冒険』を更新しつづけているように、奈須きのこはひたすら『Fate』を書いていればいい、そういう考え方もあるとは思う。  しかし――やっぱりもったいないよなあ。本来、奈須さんの作品世界は『Fate』をも超えてもっとはるかに壮大に広がっているはずで、「それ」をこそ見せてほしいわけですよ。  たしかに『Fate』は面白い。単なる「番外編」であってなお、どれも十分以上に面白いのだけれど、でもね、ぼくは「最高」しか求めていない。  奈須きのこには「超一流」であってほしい。「最高」、「至上」の作品をこそ生み出してほしい。それだけの桁外れの才能を持ったクリエイターなのだから――そういうふうに思う。  初めて奈須きのこの名前を知ったのは15年前、血まみれの20世紀がようやく終わろうとしていた頃。『月姫』という同人ゲームのタイトルが耳に入って来たときでした。 

安西先生、TYPE-MOONの完全新作をプレイしたいです。

『ヱヴァ』と『妖怪ウォッチ』で考える責任論。

 ども。近所のゲオで『たまこラブストーリー』をレンタルしてきた海燕です。はたして寝る前に試聴することができるか、どうか。非常に楽しみな内容ではあるんですけれど、どうかなあ。  さて、ここ数日、腰痛を初めとする身体不良にボロボロになっていたぼくであるわけなのですが、数度に渡る電気ショックと、注射と、数多すぎて何が何だかわからない錠剤のマジカルパワーによって、ついにここに復活を遂げました。  まだ100%とは行かないけれど、だいたい90~95%くらいまでは回復したと思う。そうなると、いままで更新をサボってきたことが罪深く思えて来るわけで、枕を座椅子代わりにしてパソコンに向かおうと思ったしだいです。  しかしまあ、ほんとうに大変な数日でありましたことよ。肉体的に相当やばい橋を渡っていた上、精神的にもどん底のさらにどん底。ついには体内のどこかの血管が破れたらしく、血まみれの痰を吐き出すようになって、真剣に死を考えました。  というか、今回はまあ大丈夫だったとして、このままストレスフルな生活を続けていると、いつか確実にガンになって死亡すると思う。いまこそ人生を変える時!  とはいえ、そう簡単に生き方を変えられたら苦労はしない。もちろんさまざまな出来事を経験するたび、理屈としては色々な「悟り」があるものの、押し寄せる現実のプレッシャーは圧倒的で、それを前にどうしようもなく流されてしまうのがきょうまでのぼくだったわけです。  それはきっとあしたからも変わらないことでしょう。人生が格段に楽になる魔法のひと言なんて存在しない。ぼくの手もとにある美しい錠剤の数々も、人生そのものを一気に治療できるほどにはマジカルではないらしい。  ただ、いくらか人生の重みを軽くしてくれる言葉は見つけました。それでは、ぼくが地獄のような自己追求の迷宮の底で、ついに悟ったこの世の真理をお教えしましょう。  それはわずか一行で表せます。つまり、「この地上で起こる出来事は、何もかもぼくのせいではない」。以上!  いやー、この単純な「悟り」はぼくの人生にとって革命的な意味を持つと思う。もちろん、現実にはこの言葉をどこまで実感しつづけられるかという問題があるのだけれど、それにしても、思考の基板となっているところにある倫理をドラスティックに変えてくれる一行なんじゃないか。  この言葉にたどり着けた自分を褒めてやりたい気持ちである。偉いぞ>ぼく。まあ、いかにも極端かつ無責任きわまりまりない発言に思えることはわかっています。  でも、ぼくの硬直しきった人生を変えるにはこのくらいの劇薬が必要だと思うのですね。ぼくはいままで「何であれひとのせいにしてはいけない。自分で自分の人生を背負わないことには成長はない」と考えて生きて来ました。  ある意味では非常に「正しい」理屈だといまでも思う。「自分の問題をひとのせいにするな」というのは、ある意味で日本人好みのモラルではあると思うのですが――でも、これ、突き詰めていくと世界のすべてをひとりで背負わないといけなくなるんですね。  『Fate』のセイバーとか衛宮士郎がこの陥穽に陥った典型的なキャラクターだと思うけれど、果てしなく拡大していく責任を、すべて自分でひき受けようとすると必ず破綻する。  人間にはどうしたって個人でひき受けられる責任の限界があって、その外のことは「哀しいけれど、仕方ないよね」と割り切るしかないのです。  たとえば、ぼくが全人生をつぎ込めばアフリカの飢えた子供の数十人くらいは救えるかもしれないけれど、ぼくはそうしない。それはある意味でその子供たちを見捨てているともいえるわけだけれど、それを「仕方のないこと」と合理化することなしには、ひとは生きていけないわけです。  それでもなおかつ、「すべての人に平和を! 幸福を!」とかありえない理想を抱いてしまうと、それこそ『Fate/Zero』の衛宮切嗣のようになってしまう。  だから、自分の適切な責任範囲を設定して、その範囲のことだけに集中するのが、まあ大人の態度なのでしょう。  しかし――やっぱりそういう態度はどうしても妥協的なものに思えないこともありません。芥川賞作家の玄侑宗久は、金子みすゞや宮沢賢治の作風には「大乗仏教の呪縛」があるといい、まずは自利に努めなければならないと語っています。  うなずける意見ではありますが、ほんとうにそうでしょうか? そういう都合の良い云い訳を用意して、自分をごまかしているだけなのでは?  ぼくはずっとそう思って、割合に「理想の自分」を追求してきたように思う。「理想の自分」は無限に優しく無限に寛容です。  どんなに傷つけられても、虐げられても、決して怒ることもなく、まして暴力を振るうことなどありえないデクノボー――そういうふうになりたいと思って生きて来た。  ひとは知らず、己はそうでなければならないのだ、と信じて、滑稽な努力を続けてきたように思うのです。そうして、崩れつづける石を積むこと36年。よくやったものだ、と我ながら思います。  高すぎる理想にたどり着くことはついになかったけれど、それでもその青くさい理想を折らずに追い求めつづけてきた。自分なりに妥協せず、真理だと信じるところを追いかけて来た。  だけれど――その結果がストレスとなって積もりに積もって、文字通り血を吐く羽目になったわけです。あたりまえといえば、あたりまえのこと。決して手が届かない高すぎる「理想」と、醜怪にして卑小な「現実」との耐えがたい落差は、そのまま重圧となって自分を苦しめるのですから。  その苦しみを、しのぎ、しのぎ、何とか乗り越えて生きて来たのがぼくの人生だったと思います。  苦しかった。聖賢に非ず、どこにでもいる凡人であり俗人であるに過ぎないぼくが、届かない理想に手をのばそうとしてきたのだから、その無理、矛盾はあまりにも大きかったといえます。  そしていま、ついにぼくは「このままこの生き方を続ければ死ぬ」と悟らざるを得なくなったわけです。さて――さて。それでは、どうするか。  死ぬとしてもあくまで自分の理想を貫くか。それとも妥協して普通のあたりまえの人生を送りつづけるか。もっとも、元々、普通の人生を送っていることには変わりはないのです。  つまり、意識の上で理想を追うかどうかという違いがあるだけなのですね。だから、ぼくがどう決意しようと世界には何ら変化はないはずなのですが、それでも、迷いに迷い、苦しみに苦しみました。  そして、いま、ぼくはついに世界という重荷を手放そうと思う。自分の行動に完全な責任を取ることをやめようと思うのです。つまりは、生きることを選ぶ――それがぼくの選択です。  金子みすゞは、この究極の矛盾を整合させることができないまま、自殺を遂げました。その激烈な生に比べれば、ぼくの生き方はやはり微温です。ぼくにはそこまで自分を貫き通すことはできない。  だけれど、そうであるとしても、ぼくはとりあえず生きることを選びたい。妥協するとしても、理想を見失うとしても、心を折るとしても、ひとりの人間として生きていくことを選びたいと思う。  高すぎる理想と卑しい自分との乖離に苦しめられることは、もういいかげん限界だ。文字通り血を吐いてみて、それがようやくわかった。 

『ヱヴァ』と『妖怪ウォッチ』で考える責任論。

男性向けではなく、女性向けでもない群像劇を読みたい。(3142文字)

 ひとにはそれぞれ好みがあります。あるひとにとって理想的な作品もべつのひとにとってそうではないのは自然のこと。もちろんぼくにも好みの偏りがあり、「こういう物語を読みたいなあ」という漠然とした思いもあります。  で、きのうSkypeで話しあって気づいたのですが、ぼくは「男女が互角にやり合う群像劇」を読みたいという欲望があるらしい。  いままでも「もう少し女性キャラクターが活躍する話を読みたいなあ」とは思っていたのですが、それだけなら、当然、いろいろあるんですよね。でも、ぼくの好みとは少しずれている。  ぼくはやっぱり「複数の男性と女性が互角に入り乱れて戦ったり恋したり憎みあったりする物語」を読みたいのだと思う。  こう書いてもまだ、あれがある、これがある、と思い浮かぶひとはいるでしょう。しかし、じっさい、ぼくの好みにぴったり合う作品は少ない。  『Fate/Stay night』はなかなかいい線を行っていると思う。アーチャー、ランサー、バーサーカー、ギルガメッシュといった男性陣と、セイバー、キャスター、ライダーといった女性陣がほぼ対等に入り乱れて戦っている辺り、非常にぼく好み。  しかし、あれはやっぱり衛宮士郎を主人公とした「少年の物語」なので、群像劇としては一定の枷が嵌まっている気はします。そこが惜しいですね。  『Fate』には『Fate/Zero』という物語もあるわけですが、こちらはより男性中心の物語で、ほぼ紅一点のサーヴァントであるセイバーもあまり格好良くは活躍しません。  いや、十分、活躍してはいるのですが、あの作品で印象に残るキャラクターといえば、やはりライダーことイスカンダルなのではないでしょうか。そこがまあ、不満といえば不満です。  つまりまあ、完全な男性主人公の物語にぼくの好みを満足させるものを求めることには無理がある。それなら、女性向けではどうか。  ぼくはそれほどくわしくないのですが、コバルト文庫などには女性主人公で、壮大な物語を展開した作品もあると聞きます。あるいはそういった作品ならぼくの欲望を満たしてくれるかもしれない。  でも、どうだろう、女性向けの作品だと今度は男性キャラクターが、同性の目から見て弱い印象になってしまう気がするんですよね。  もっとも、少女小説と呼ぶのが適正かどうかはわかりませんが、小野不由美『十二国記』はほぼぼくの要求をほぼ完全に満たしているように思います。  けれど、あの作品にはなんというか「色気」がない。徹底的にストイックなので、ぼくはもう少し恋愛したり愛憎が絡んだりするほうが好みなのですよね。  女性向けの作品でいうと、よしながふみの『大奥』などはどうか。悪くない。むしろ素晴らしく性差を相対化できているとは思うのですが、ぼくはふしぎとこの作品のキャラクターに親しみやすさという意味での魅力を感じません。  これは相性が悪いとしかいいようがないかもしれない。ちょっとここらへんは要分析ですが、とにかく『大奥』に対しては「キャラクターの魅力」をあまり感じないのです(客観的にはよくできた造形だと思うのですが……)。  そういうふうに考えていくと、ぼくの欲求を満たす作品とは、男性向けでもなく、女性向けでもないということになりそうです。あるいは云いかえるなら男性向けでもあり、女性向けでもある、そういう作品を読みたいな、と思うのですね。  たとえば『咲』なんかはかなりぼく好みです。でも、この作品にはほぼ女の子しか出て来ませんから、ぼくとしては物足りない。もっと老若男女が混じり合っている作品が好ましい。  そういう意味では、『コードギアス』あたりはとても好きですね。この作品では男女がほぼ互角にやりあっているように見えるので、かなり理想に近いといえます。  ただ、これもあくまで「ルルーシュという少年の物語」なので、その根幹を揺るがすキャラクターは排斥されることになる。  ユフィことユーフェミアはそのキャラクターのひとりであったとぼくは考えていて、つまりはユフィが最後までルルーシュと互角に戦う『コードギアス』を見てみたいのです。  田中芳樹や栗本薫の戦記もの、あるいはファンタジー小説はどうか。ぼくはこれらの作品のファンなのですが、やはりきわめて魅力的な男性陣と比べると、女性キャラクターが弱い気がします。  ここらへんは時代的な限界かもしれません。たとえば『タイタニア』だと、四公爵のうちふたりくらい女性だと嬉しい感じ。  『グイン・サーガ』なら、リンダとアムネリスとイリス(オクタヴィアではなく)が、それぞれ一国を背負ってナリスやイシュトヴァーンと戦いを繰りひろげてくれたらぼくとしてはとても満足だったと思います。ケイロニアの男装皇帝イリス! 非常に見てみたかった展開ですね。  

男性向けではなく、女性向けでもない群像劇を読みたい。(3142文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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