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どんどんひとが死んでいく物語は刺激的だろうか。

 ども。海燕です。  どうやら風邪をひいたらしく、ふらふらしています。  いまは薬が効き始めたようで正常になったけれど、さっきまでもうろうとしていました。  失って初めてわかる健康のありがたさ。ぼくもいいかげん歳老いたので、健康に気を遣わなくては。  さて、そういうわけできょうは特にネタはありません。  そこで、最近ちょっと興味がある「デスゲーム」の話でもしようかと。  デスゲーム。ある厳密なルールのもと、命を賭けてゲームを展開する物語の一ジャンルです。  古くは山田風太郎があり、また横山光輝があるわけなのですが、現代的な意味でのデスゲームものの嚆矢はやはり『バトル・ロワイアル』になるでしょう。  いまさら詳細に説明する必要はないと思いますが、この小説の目新しさはデスゲームの戦場を現代(一応は架空の国家ではありますが……)に持って来て、一般の中学生たちを主人公にしたところにあります。  話の展開そのものは『甲賀忍法帖』や『バビル2世』に近いところがあるとしても、その文脈がまったく違っているのですね。  先日のラジオでLDさんが話していましたが、デスゲームものが流行する背景には「生の不全感」があるように思います。  「生きているということ」が満たされていないから、死が目の前にある極限状況に「生の燃焼」を求める。これは非常にわかりやすい話だと思います。  デスゲームものの最高傑作のひとつである『DEATH NOTE』にしてからが、主人公夜神月が「退屈だ」と感じている場面から始まるわけです。  社会を変えるとか新世界の神になるとかいった野望はあるにしても、あくまで「退屈な生」を充足させることが本来の目的。  スリリングな戦いの日々はすべてそのためにあるのです。  つまり、デスゲームものとは「生の不全感」を癒やす方法論のひとつだということ。  その意味で、暴力に充足感を求める『ホーリーランド』とか『自殺島』といった作品に近いところにあるといえます。  ここまでは、まあ、わかる。  ところが、ぼくが見るに、最近のデスゲームものは「死」が非常に軽く扱われているように思えるんですよね。  『少年マガジン』の『リアルアカウント』とか『神さまの言うとおり』あたりが象徴的ですが、「死」の描写がやたら軽い。  あたかも文字通り「ゲーム」に過ぎないかのように見える。  いや、ゲームであってもかまわないのだけれど、そのゲームに命がかかっているという切迫感が、『リアルアカウント』などには見られないと思うのです。  これには異論もあるかもしれません。 

どんどんひとが死んでいく物語は刺激的だろうか。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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