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山崎貴監督『寄生獣 完結編』はエクセレントな傑作映画。

 映画『寄生獣 完結編』を見ました。  上映時はついつい見逃してしまい、いまになってブルーレイディスクで見ることになった作品ですが、いや、これが相当に完成度が高かった前作をあきらかに上回る傑作。  いま、映画として往年の名作漫画『寄生獣』を復活させることの意味に満ち満ちた素晴らしい野心作でした。  『寄生獣』が名作であることは論を待ちませんが、そうはいっても20年前の作品。  いま、そのままに映像化したら古さは禁じえないはずなので、数々の映画としての脚色は秀逸だと思います。  映画と原作では、根っこのところの設定から何から多くの部分が改変されて違っているわけですが、それらの改変は一点を除いておおむねうまく処理できていると感じました。  その一点に関してはネタバレになるのでここでは話しません。  ただ、ここらへん、あくまで「映画としての完成度」、「面白い映画であること」を最優先にした設定変更なので、原作優先の立場から見ると微妙だったりするかもしれません。  しかし、個人的にはどれも秀逸な改変と感じました。  原作から一切変えてはならないという原作至上主義の立場に立つなら別ですが、そういう人はそもそも映画なんて見なければいいわけで、それ以外の人にとっては望みうる限り最高の演出がなされていると感じたわけです。  『寄生獣』を映画化するということは、『デビルマン』をそうするのと同じくらいむずかしいことだと思うのですが、その制作に果敢に挑み、結果として最高の成功を遂げた監督を初めとするスタッフには拍手を送りたいです。  いや、ほんと、いいものを見せていただきました。  映画では、『寄生獣』という単行本全10巻に及ぶ長大なストーリーを2時間×2本の尺にはめ込むために数々のキャラクターが切り捨てられています。  そのなかで最大の存在は主人公である泉新一の父でしょう。  また、新一にとって「仲間」といえそうな幾人かの人々の存在も切り捨てられている。  結果として、『完結編』の新一は原作以上に孤独を抱えています。  信じられるのは、自分の右手に宿ったミギーただひとり。  映画の泉新一は一切の暖かな人間関係から切り離され、暗い目をした「どこまでも孤独なヒーロー」なのです。  その孤独な新一が、「人間とは何か?」という問いに直面しながらも幾人もの寄生獣たちと戦いを続けるさまは胸を打ちます。  今回も実に質の高い映画化でした。エクセレント。  監督の山崎貴さんはネットではさんざん叩かれている人であるわけですが、今回の『寄生獣』、『寄生獣 完結編』を含むかれのフィルモグラフィーを虚心坦懐に見ていけば、じっさいには質の高い作品を作りつづけている一流の映像作家であることは瞭然としています。  現実にそれは各作品の大ヒットという形で表れているわけで、一部のひねくれた映画ファンがなんといおうと、大衆がかれを支持しているわけです。  もちろん、ヒットしていてもつまらない作品も多々あることでしょう。  しかし、 

山崎貴監督『寄生獣 完結編』はエクセレントな傑作映画。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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