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2013年2月の記事 19件

俺の幼なじみがこんなに計算通りなわけがない。恋愛戦国時代の物語ダイバーたち。(2597文字)

 昨日のラジオ、お聴きいただけたでしょうか。初めの辺りは埒もないことを喋っていたのですが、例によって後半になってノッてきて、おもしろいアイディアが出てきています。具体的にはペトロニウスさんがまとめていますので、以下をご参照ください。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130210/p1  しかし、これだけではわかりづらいかもしれないので、ぼくなりに補足しておきたいと思います。  さて、上記リンク先を読めばわかる通り、この話の根幹になっているものは、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の幼なじみキャラクター麻奈美は絡新婦(じょろうぐも)だ、というトンデモない話です(笑)。  彼女は一見すると平凡な幼なじみキャラクターに見えますが、ペトロニウスさんいうところの戦国恋愛絵巻において超人的な計算高さを示す計算通り子(LDさんの命名)なのだ、というところからこの話は始まっています。  というのも、麻奈実はこの手のラブコメのお約束として主人公の京介のことが好きで、かれを落とそうと画策しているわけですが、しかし決してストレートに告白したりしないのです。  ここが、麻奈実、恐ろしい子!というところなのですが、彼女は京介を攻略するために十数年にわたって戦略を実行します。それも、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』という物語がどういう構造になっているかというメタ的な認識をもとに京介攻略戦略を練っているのです。  この物語のメインヒロインは、タイトルにある「俺の妹」である桐野です。だから、なんの手も打たずに放置すれば京介は桐野と結ばれて終わってしまう。あるいはだれとも結ばれずに終わることになる。そこで田村・絡新婦・麻奈実は着実に手を打っていきます。  この物語のメインヒロインが桐野である以上、最終的に京介と桐野のドラマツルギーを解決しないかぎり、仮に表面的に京介と結ばれたとしても、最終的な勝者にはなりえないという認識をもとに、意識して物語を進めようとするのです。  ここらへんはじっさいに『俺妹』を読んでもらわないとわからないところなのですが、同じ事実に気づき、同じように対策しているのが黒猫です。彼女はいったん京介に告白しOKの返事をもらっておきながら、あえてかれと別れるという選択を行います。  これは、桐野と京介の問題を解決しない限り、たとえ一時的にかれと結ばれとしても意味がないということをわかっているからこその行動です。ここで黒猫は完全に物語のメタレベルに立ち、物語構造を「読んで」行動しているのです。  しかし、その黒猫の行動すら読み切った上でさらに計算ずくの戦略を練っているのが田村・諸葛孔明・麻奈実です。麻奈実は黒猫の行動を意図的に促進しさせします。物語を進ませ、京介と桐野の問題を解決した上で京介を自分のものにするためには、黒猫を利用する必要があったわけです。  すべて計算通り! いやー、怖いですねー。まさに絡新婦の理。「あなたが――蜘蛛だったのですね」と京極堂にいわしめるだけの強烈なメタ戦略思考のもち主といえるでしょう。  そう、一見すると普通のラブコメのように見えるこの作品の裏では、あたかも『ハチワンダイバー』での何百、何千手を読む棋士(ダイバー)たちの戦いのように、先の先まで読み切ったものだけが勝つというメタレベルの戦いが繰り広げられているのです(ほんとかなー)。  

俺の幼なじみがこんなに計算通りなわけがない。恋愛戦国時代の物語ダイバーたち。(2597文字)

ラジオ告知&近況報告。(1351文字)

 本日、午後10時頃からペトロニウスさんたちとラジオをやるかもしれません。とりあえず告知だけしておきます。くわしくはTwitterを見てください。それだけではさすがに何なので近況も書き記しておくと、先日始めたウォーキングを続けています。  とりあえず過去5日間で37キロくらい歩きました。ぼく的にはかなりよく歩いたつもりなんですが、どうなんでしょう。まあ、最初だけ歩いて後が続かないということもありがちな話なので、これからも続けたいと思います。継続は力なり。  これだけ歩いてようやく2300キロカロリーくらい消費した計算になるらしく、ダイエット効果はまだ目に見えて出てはいませんが、でもさすがにこれだけ歩き続ければいつかは痩せるんじゃないかなあ、などと考えています。  まあ、痩せるかどうかはともかく、体力づくりにはなるでしょう。いつか走りだす日のために、いまは歩き続けるのだ。  それにしても、Nike+というアプリは偉大ですねー。ウォーキングアプリ、いやほんとうはランニングアプリなのでしょうが、とにかく歩いたり走ったりすることを補佐するアプリとして、きわめて優秀です。  歩いた距離と時間を正確に測ってくれるだけでもありがたいけれど、その記録を自動でパソコンに残してくれることはさらに素晴らしい。あと、iPhoneで音楽を聴けるとウォーキングという行為はまったく意味が違ってきますね。  ぼく的にはただ音楽に耳を澄ましているついでに足を動かしている感じなので、非常に楽になりました。これが何もないと退屈で退屈でしょうがなくなってしまうんですけれど。とりあえず『ペルソナ4』のドラマCDを叩きこんで聴いたりしています。  

ラジオ告知&近況報告。(1351文字)

萌えの臨界点はどこにあるのか?(1917文字)

 『テイルズオブヴェスペリア』をひと休みして『トトリのアトリエ』を始めてみました。ガストの有名なアトリエシリーズの一作で、「アーランドのアトリエ」の第二作にあたります。  前作『ロロナのアトリエ』からやればいいようなものですが、どうもAmazonを見るかぎり『ロロナ』は評判がいまひとつなんですよね。で、仕方なく『トトリ』から始めることにしました。  『トトリ』をクリアして余裕があるようだったら『ロロナ』もやろうかな、と。まあ、システム的に『トトリ』の方が洗練されているだろうからあえて『ロロナ』をやる必要もないとは思うけれど。  このアトリエシリーズのゲーム的な特長は錬金術で様々なアイテムを作成しそれで冒険を繰り広げていくところにあるわけですが、ぼくは今回、『トトリ』をプレイして、むしろキャラクターの萌え度の高さに驚かされました。  このシリーズってここまで極端な萌えゲーだったのか。まず主人公のトトリは運動は苦手で頭もそれほど良くないドジっ子属性の13歳。容姿も普通という設定なんだけれど、どういうわけか作中人物は男性も女性もみんな彼女が大好き。  「トトリちゃんかわいい~」といって抱きしめたりする。必ずしも恋愛的な描写ではないはずなのですが、やはり百合っぽい雰囲気がただよいます。いやー、なんでしょう、この甘ったるい世界は。『カードキャプターさくら』とか、そこらへんの作品を思い出してしまいますね。  Amazonのレビューに、過剰な萌え描写には食傷気味で、『マリー』とか『エリー』の素朴な時代がなつかしいと書いているひとがいましたが、シリーズ初期作品をやっていないぼくも共感できる。キャラ萌えはいいんだけれど、さすがに甘ったるいよなあ、これは。  まあ、たしかにこういうのも嫌いではないのですが、「こういうの好きでしょ? ほらほらほらほら」といわれているようで、昔ながらの素朴な作品をやりたいなあという気分になってしまうのです。  でも人間は一度濃密な快楽を味わってしまうともう素朴な快楽には戻れない生き物だったりするわけで、過剰に甘ったるい萌え描写に慣れたひとはこれくらいじゃないと快楽を感じられなくなってしまうんだろうなあ。で、それにも慣れてさらに表現は過剰化していく、と。この表現と受け手のいたちごっこはいったいどこまで続くのでしょうね。  

萌えの臨界点はどこにあるのか?(1917文字)

軌跡シリーズ最新作『閃の軌跡』の発表に合わせ、いままでの作品をふり返る。(2094文字)

 『英雄伝説 閃の軌跡』の公式ウェブサイトが公開されたようです。じっさいにアクセスしてみると激しく重くてほとんどコンテンツが開けないのですが、いままで『空の軌跡FC』、『空の軌跡SC』、『空の軌跡The 3rd』、『零の軌跡』、『碧の軌跡』と続いてきた物語の最新作がいよいよ発表に始まるらしい。わくわく☆どきどき☆ですね!  といっても軌跡シリーズをご存じない方も多いでしょうから、今回はこの傑作シリーズについて簡単に説明させていただきたいと思います。いやー、ぼく、大好きなんですよ、このシリーズ。  といっても『零の軌跡』は途中で止まっていて、『碧の軌跡』は手付かずなんですが……。うん。『閃の軌跡』のリリースまでにはクリアしておこう。  物語は『空の軌跡』に始まります。主人公は元気溌剌な少女エステル。彼女が幼馴染みのヨシュアとともに遊撃士という特集な職業を目指すところから、壮大な、ほんとうに壮大な物語が幕を開けるのです。  どのくらい壮大かというと、『空の軌跡FC』と『SC』の二作を合わせて120時間ほどかかるにもかかわらず、ほとんど全体の序章でしかないというくらい(笑)。いや、「(笑)」と付けましたが、ほんとうに掛け値なしにそれだけのスケールがあるんですよ!  ちなみにその続編となる『零の軌跡』、『碧の軌跡』も合わせて120時間くらいかかるらしいのですが、そこまでやっても物語は終わりません。それどころか本筋はほとんど進んでいないらしいんですねー。  漫画界には『ベルセルク』だとか『ヒストリエ』だとか、作者の人生が終わるまで終わらないだろうと思われる超長編シリーズがいくつかありますが、ゲーム業界でここまで気を揉ませるシリーズは他にないんじゃないかなあ。  何しろ『空の軌跡』のラスボスは最終的に打倒すべき真ラスボスの部下のひとりでしかないらしく、この調子で行くとシリーズ全体の完結まであと何十年かかるかわかりません。まあ、一応、ひとつひとつの作品はそれ自体で完結しているのですが、でもね、やっぱりシリーズ全体に張りめぐらされた伏線が気になりますよね。  

軌跡シリーズ最新作『閃の軌跡』の発表に合わせ、いままでの作品をふり返る。(2094文字)

ダイエットの切り札となるか? ウォーキングアプリ「Nike+」が素晴らしい。(2054文字)

 太りすぎ!な事実といいかげん真剣に向きあわなければと考える海燕です。いやー、今日、体重計に乗ったわけですが、そこに出た数字がなかなかにスリリングでしたね。いままで何も考えず現実から目を逸らして暴飲暴食を続けてきた結果がそこに紛れもない数値として表れていました。  ほんとうにもう、仕方ないからダイエットしようかと考えざるをえませんでした。このまま行くと病気になるか足腰が体重に耐えられなくなるかどっちかだもんな。ダイエットという社会現象に関しては色々思うところもあるのですが、とにかく四の五のいわず始めないと身体を壊してしまいかねない。  というわけで、とりあえずウォーキングを始めることにしました。ダイエットの秘策といわれる方法は色々ありますが、つまりは方法はふたつ、「食べることを減らす」か「運動を増やす」しかない。  食べることを減らすことは大変なので、歩くことでエネルギー消費を増やそうという作戦です。まあ、いままでもぼちぼち歩いてはいたのですが、不定期で距離も短かったせいであまり効果が出ていなかったと思います。それでもやらないよりはずっと良かったと思っていますけれどね。  で、いままでそうやってイマイチな結果に終わってきたので、今回は切り札としてiPhoneを使うことにしました。そう、ぼくには人類がダイエットのために開発したウォーキングアプリがある!  この手のアプリはさまざまなものがあるようですが、ぼくはNike+を使うことにしました。iPhoneに入れておくとGPSと連動して距離と時間、コースを測定してくれるというスグレモノです。  いやー、いま使って歩いてみて帰って来たところなのですが、こいつは素晴らしい。何がいいって、全自動でパソコンとシンクしてその日のウォーキングを記録してくれるところがいい。  これをiPhoneに入れて持ち歩けばそれだけで毎日どれだけ歩いたか、歩かなかったか、すべて記録にのこるわけで、モチベーションアップにまたとない効果がありそうです。あと、BGMとして好きな音楽をかけられるところもイイ!  まあ、あまり音楽に集中しすぎると危ないかもしれませんが、片耳にイヤフォン刺して歩くくらいなら問題なかろ。それだけでも歩くことが一気に楽になってしまうのだから、ミューズの力は偉大だなーといまさらながらに思ったりします。  

ダイエットの切り札となるか? ウォーキングアプリ「Nike+」が素晴らしい。(2054文字)

一生大人になれないかもしれないと思いながら生きていく。(2079文字)

 いつも読ませていただいているブロマガ「未来の普通」に「20歳で大人は厳しい? 実はその先にある40歳で真大人」という記事がありました。 http://ch.nicovideo.jp/normahead/blomaga/ar81333  タイトル通りの記事なんだけれど、34歳にしていまだに大人になれている気が全然しないぼくとしては考えさせられる内容でした。  いや、34歳どころか、一生このまま大人になれないまま生きていくんじゃないかという気すらするわけで、ここらへん感覚のギャップが非常に大きいですね。  そもそも「大人になる」ということがどういうことかと考えると、「独り立ちする」「自分ひとりの力で生きていく」ということが非常に大きなウェイトを占めていると思うわけです。  しかし、ぼくはいまだに両親と同居していますし、この先、独立する予定もありません。そのほうがあらゆる面で快適だからですが、親といっしょに住んでいるとやはり感覚が「子供」に固定されるんですね。  そういうわけで、ぼくは34歳にしてなお、早く大人になりたいなーと思っているわけです。それでも以前に比べればたしかに少しは大人になれたような気がしますから、20歳の頃の自分の幼さというものは考えるだに恐ろしいものがあります。あの頃はほんとうに子供だったな、と。  まあ、そう考えるとひとの幼稚さを一概に責める気にはなれません。20歳なんて、中学校を出て5年しか経っていないわけですから、それは普通は幼いよね、と思いますね。  もちろん、そうはいっても一面では大人としての自立を求められるわけで、そういう意味では半分は大人になっていないと困るわけです(ぼくはなっていなかったので、困りました)。  だから20歳で「大人」、40歳で「真大人」という捉え方はなかなか的確かもしれないと感じます。まあ、ただ感性が老いることと大人になることは違っているわけで、可能なら若々しいセンスを保ったまま大人になりたいところです。その逆なら簡単なのですが。  日本人が総じて子供っぽくなったといわれるようになって久しいですが、たしかに昔のひとはずいぶん若く大人になっていた印象があります。それが良いことなのか悪いことなのかわかりませんが、ともかく社会にひとを大人にさせる強制力が働いていたのでしょう。  

一生大人になれないかもしれないと思いながら生きていく。(2079文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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