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ひきこもりに居場所はない。だから自分で作るしかないということ。

 ども。『スプラトゥーン』と『ゼルダの伝説 風のタクト』を買おうかどうか迷っている海燕です。  さすがに未クリアのソフトを増やしすぎるのもどうかと思うんだけれど。うーん。  さて、日々、リアルライフを神ゲーにしたいと願っているぼくですが、じっさいにはそれとは程遠い生活を送っております。  いや、楽は楽なんですけれどね。働かなくても一定の収入は入って来るし、一日中寝転んでいても文句をいう人はいないし、ある意味でこれほど気楽な人生はないといえそうですが――でも、退屈。  星里もちるの漫画『本気のしるし』のなかに、すべてを失って無為に暮らす主人公が、公園のベンチか何かの上に座って「この退屈だけは耐えられない」と呟くシーンがありましたが、いまのぼくはその気持ちがしみじみとわかります。  やっぱりひとは無為には耐えられない生き物なのです。  何かを積み上げている実感、つまり「生きがい」がないと、生きていけないのが普通だと思う。  もちろん、積み上げることにどれほどの意味があるかといえば、何もないのかもしれない。  しかし、それでもひとは何かが積み上がっていくことそのものに喜びを感じるのではないでしょうか。  ひとはいくら頑張っても何も積み上がっていかない状況に長くいると、ついには狂ってしまいます。  そういうわけで、人生を神ゲーにするためには「努力の成果が積み上がっていく実感」がほしいところなのですが、そこでいったい何をしたらいいものやら途方に暮れてしまいます。  できれば、書くことで何か実りを得たいのだけれど、まあ、むずかしいよね。さりとて、ほかに何ができるわけでなし。  安定してはいるが退屈な生活という牢獄に閉じ込められて、この先、何をしたら良いものやら、悩み、迷うところです。  しばらく前にぼくは「自分自身を主人公にした自分のライフストーリーを生きて行きたい」というようなことを書きました。  これは、他人の物語を受動的に読んだり見たりしつづけることに限界を感じたことから出た発言です。  つまり、ぼくはやはり他人の物語を読んだり見たりするだけでは満足できないと気づかざるを得なかったのですね。  どうしても自分の人生を充実させなければ他人の物語を楽しむこともまたできないのだということです。  いま、 

ひきこもりに居場所はない。だから自分で作るしかないということ。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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