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21世紀の神話世界! リアリズムを超越し善悪の果てない死闘を描く『ダークナイト・ライジング』に驚嘆。

 現代の神話。クリストファー・ノーランの『バットマン』三部作を形容するときによく使われる言葉だ。  たしかに非現実的なアメリカンコミックの世界に仮託し、現代の問題を描写する超絶演出は、21世紀の映像空間に神話世界を現出させたと云っても過言ではない。  バットマン――コウモリの仮面に姿を隠し、夜な夜な、かれにとっての悪を成敗してまわるなぞの男。  このあまりに荒唐無稽な、子供の夢想じみた人物を、しかしノーランはリアリティあふれる同時代的ヒーローにまで高めてみせた。  その苦悩と絶望は三作目の『ダークナイト・ライジング』に至ってまさに神話の英雄の域に達する。  多くのひとは第二作の『ダークナイト』をシリーズ最高傑作に挙げるかもしれない。じっさい、あれは素晴らしい映画だ。  だが、ぼくとしては革命の美名のもと、巨大な伏魔殿と化したゴッサム・シティを舞台に、壮大な善と悪のハルマゲドンを描いた『ライジング』(原題では『rises』)に軍配を上げたい。  というか、ぼくはこちらのほうが好きだ。  たしかに『ダークナイト』は、アメコミ映画のイメージを一新するほどダークでインテリジェントな作品だった。  ヒース・レジャー演じる悪の化身ジョーカーは映画史上屈指の悪役だろう。  その深刻な描写に比べると『ライジング』はシンプルな善悪の対決に後退していると見るひとも少なくないと思う。ようするにありふれた勧善懲悪映画ではないか、と。  一理ある。しかし、それでは人間悪の化身、絶対悪を執拗に描けばそれだけで傑作に仕上がると云えるのだろうか?  もちろんそんなはずはない。『ダークナイト』の絶対悪の描写は、今後も容易に乗り越えられないであろうレベルに達している。  それを直接に描きつづけても、二番煎じに終わるであろうことは明白だ。  『ライジング』はおそらくは意識して絶対悪の追求を切り上げ、善と悪の戦いにテーマを絞りなおし、そこに「革命」というテーマを持ち込むことによって新たな傑作に仕上げた。  『ダークナイト』がバットマンの敗北を描いた映画だとしたら、『ライジング』はささやかな勝利の物語だ。  それは勝利と呼ぶにはあまりに悲愴であるかもしれない。とはいえ、 

21世紀の神話世界! リアリズムを超越し善悪の果てない死闘を描く『ダークナイト・ライジング』に驚嘆。

ついに『ダークナイト』を観たのだが――。

 いまさらというかようやくというか、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』を観ました。  いやあ、面白かった。評判に違わぬ大傑作!と云いたいところなのですが、実はこの映画を観終えたあと、微妙な気分になってしまったことも事実なんですね。  この映画が公開されてから5年ほど経っているわけですが、やっぱり5年前に観るべきだったという思いが消せません。  大傑作には違いないのだけれど、5年の歳月はこの作品からサプライズとインパクトを消してしまったような気がします。  誤解されたくないので急いで付け加えるなら、この映画がすごくないというわけではありません。  何という綺麗なシナリオなのでしょう。恐ろしく頭のいいひとが書いたということが一瞬でわかる物語です。  また、そのテーマの格調高さ。それぞれに歪んだ善と悪の対立と対決という構図には、まさに「現代の神話」と呼ぶべきスケールの大きさがあります。  でも、きわめてインテリジェントかつロジカルに作られていた物語であるからこそ、逆に頭で追いかけていくことが可能なんですね。  もちろん、5年前にリアルタイムで観ていたらぼくも圧倒されて言葉もなかったことでしょう。  でも、そのあいだにぼくは『コードギアス』や『東のエデン』を観たし、『まおゆう』や『魔法先生ネギま!』を読んだし、何より『ガッチャマンクラウズ』を体験しているわけなので、この文脈を整理できてしまっているんですよね。  だから、本来なら感じるはずの衝撃性をあまり感じることなく終わってしまったというのが正直なところです。  この映画は典型的な「ヒーローの孤独と苦悩」の物語です。おそらくこのテーマの最高傑作と云っていいかもしれません。  それには何の文句もないのですが、やっぱりもうちょっと早く観るべきだったなあ、というのが率直なところです。  まあ、いままでさんざん観ろ観ろと云われていたものを観ずに来たぼくが悪いのだけれど。  もっとも、全編を貫くスタイリッシュなアクションと緊密な展開、そしてジョーカー役のヒース・レジャーを初めとする俳優たちの演技は、それだけでも迫力十分で、決して映画を観る意味がなかったというわけでありません。  映画の最後でバットマンがすべての責任をひとりで背負い、悪の汚名を着て去っていくところは、『コードギアス 反逆のルルーシュ』を思わせます。  この映画を観てあらためて思ったのは、 

ついに『ダークナイト』を観たのだが――。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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