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もっと新しさを! 映画『ゴティックメード』は自己否定/自己破壊のプロセスそのものだ。

 何か良い作業BGMはないかな、ということで『花の詩女 ゴティックメード オリジナル・サウンドトラック』を借りて聴いています。  監督の意向により円盤が発売されていない作品なので、いまのところ作品を思い出すよすがとなるものはこのサウンドトラックと設定資料集くらいしかない。  『ゴティックメード』が『ファイブスター物語』と直接につながる作品であることがあきらかになったいま、円盤を発売すれば売れると思うのですが、原作・脚本・監督の永野護にはそんなつもりはさらさらないようですね……。  『ゴティックメード』は『ファイブスター物語』でいうところの星団暦451年の物語です。  本編のストーリーからおよそ2500年前の話ということになりますね。  それだけならまだいいのですが、この映画『ゴティックメード』を境にして『ファイブスター物語』の世界はその様相を一変させることになります。  それまでは騎士と生体コンピューター・ファティマ、それに巨大戦闘ロボット・モーターヘッドが活躍する世界でした。  しかし、ファティマは「オートマティック・フラワーズ」と呼ばれるようになって「アシリア・セパレート」という新たな戦闘服をまとい、何よりすべてのモーターヘッドが「ゴティックメード」へと姿を変えるのです。  それまでにもその展開を予感させるものはありました。  映画『ゴティックメード』の冒頭に現れるナイト・オブ・ゴールドらしき、しかし微妙に違うロボットは何なのか?  『ゴティックメード』の世界が星団史のどこかに位置づけられるとして、なぜこの巨大ロボットはモーターヘッドではなくゴティックメードと呼ばれているのか?  映画本編で一切活躍しないゴティックメードたちはいったい何のためにデザインされたのか?  しかし、ぼくを含むほとんどの視聴者がその微細な違和感をあたりまえのように捨て去ってしまったのでした。  そのときは、まさか永野護が世界ひとつすべての設定を捨て去り、リファインするつもりだなどとは想像すらできなかったのです。  かつてそんなことをやってのけた作家はなく、あるいはこの後もないかもしれません。  しかし、よくよく考えてみれば、その作業は「平行世界」を取り扱って来たゼロ年代からテン年代にかけてのアニメや漫画とシンクロするものでした。  ただ、永野は「平行世界」などという使い古された概念を使用することなく、一切の説明もなしに世界を入れ替えてしまったのです!  いままでも突然に超未来の話になったり、異宇宙、さらには神々の世界から物語が始まったりと、あらゆる意味で衝撃的な展開を遂げてきた『ファイブスター物語』ですが、それにしてもこれほどの展開を想像できたものはだれもいなかったでしょう。  連載30年にしてなお自分自身をアップデートしつづける。  ほかのクリエイターたちが追いついてきたならさらにまたひき離す!  その、想像力の冒険。  結果としてファティマやロボットのデザインはいままでにも増して異形となり、ある種、ピーキーな属性を持つに至りました。  好きなひとにとってはとてつもなく格好良く思える一方、そうでないひとにとってはまさに異常としか感じられないデザインではあるでしょう。  しかし、それでいいのだ、それこそが斬新ということなのだ、「超一流(プリマ・クラッセ)」でありつづけるということはそういうことでしかありえないのだ――そこに永野のその壮烈な宣言を感じないわけには行きません。  いままでにも 

もっと新しさを! 映画『ゴティックメード』は自己否定/自己破壊のプロセスそのものだ。

少年の夢と少女の視点は補完しあう。永野護、宮崎駿、虚淵玄の世界を比較鑑賞する。(2174文字)

 宮崎駿はどこまでも純粋に「少年の夢」を追いかけつづけるクリエイターだ。  少年の夢とは、たとえば世界の救済、囚われの少女を塔から救い出すこと、あるいは空を翔ぶ城――男ならだれもが幼い日に夢みるロマンだ。  多くのひとはやがてその日の情熱を失い、あたりまえの日常のなかに人生を埋没させていくのだが、この老天才作家の想像力は枯れることがなかった。  かれが70歳を過ぎたいまでも少年めいたロマンを保ちつづけていることは、映画『風立ちぬ』を見ればよくわかる。  しかし、きょうではピュアな少年の夢を叶えることはむずかしいことも事実だ。  それは暴力や戦争、そして帝国建設に直結していく想いだからだ(ラピュタ王を目ざしたムスカ!)。  しかし、そういう問題点を認識したうえで云うなら、ぼくはやはり「男の子の物語」が好きだ。そういう少年にしか感情移入できないと云ってもいい。  コナンが好きだし、ルパンが好きだ。パズーが好きだし、堀越二郎が好きだ。  ほかの作家の作品で云えば、『グイン・サーガ』のイシュトヴァーンが好きだし、『燃えよ剣』の土方歳三が好きだし、『ファイブスター物語』のダグラス・カイエンも好きだ(ぼくのハンドルネームはカイエンから採っている)。  どこまでも純粋で美しい少年の夢に殉じて一生を終える男たちの生きざまが好きでならない。  しかし、そういう「男の子の物語」ばかり見ていると、やはり物足りなくなる。そこに「少女の視点」が欠けているからだ。    これはべつに政治的正しさとか倫理的正当性といった話ではなく、自分の趣味の問題として云うのだが、「男の子の物語」ばかり見ていると、そこに「女の子の物語」が欠けていることに残念さを禁じえない。  あたりまえのことだが、少年の夢があれば少女の視点があり、男の子の願いを叶える物語があるなら女の子の祈りに通じる物語があるのだ。  ぼくとしては、少年の夢と少女の視点が拮抗した物語を見たいと思う。  いずれかに偏るのではなく、両方が緊張感をもって対決する世界を見てみたいと望む。  しかし、現実には少年の夢を描いた物語では、やはり女の子たちは脇に追いやられることになりがちなのではないか。  『Fate/Zero』が典型的で、あの小説を読んだひとが最も印象にのこるのは、征服王イスカンダルのキャラクターとエピソードだと思う。  イスカンダルのサーガは典型的な「男の子の物語」で、かれは夢に生き、夢に死ぬ。  かれの夢とは世界征服。まさに男の子がそのままになったような男で、イスカンダルはあった。  いまどきこういう男子は貴重だから、イスカンダルは非常に印象的なキャラクターとして成功していると云える。腐女子人気が沸騰したこともよくわかる。  しかし、そこに被害者の視点がない。イスカンダルが征服した土地にいた人々の想いは、そこではまったく描かれていない。  なるほど、男たちはかれの夢に魅せられ、ともに歩んでいこうとしたかもしれない。それがイスカンダルの軍団を形成していったかもしれない。  しかし、女はどうか? 少女や妻や母親たちはどうなのか?  おそらく彼女たちの平和な生活はイスカンダルの征服によって蹂躙されたはずだ。  イスカンダルは決して征服や略奪や陵辱を悪と見做してはいないように見える。  かれが赴いたところ、悪夢のような地獄が誕生したはずだ。そこで女たちはどうしたのか、その視点が必要だと思うのだ。  くり返すが、ぼくはそれが倫理的に重要だという理由で少女の視点を求めているわけではない。  そうではなく、少年と少女の両方の視座がそろって初めて、物語に緊張感が生まれると思うのだ。  そういう意味では、永野護監督の『ゴティックメード』は良かった。  

少年の夢と少女の視点は補完しあう。永野護、宮崎駿、虚淵玄の世界を比較鑑賞する。(2174文字)

『花の詩女ゴティックメードワールドガイド』を購入したよ!

 いやー、買うたった、買うたった。『ゴティックメード』は『ファイブスター物語』で知られるクリエイター永野護が監督・脚本・全デザインなどをひとりで務めたアニメーション映画で、『ファイブスター物語』とも深くかかわる内容になっています。  というか、実は『ファイブスター物語』の数千年前の出来事を描いたストーリーで、漫画を読んでいないとよくわからない箇所が多数出てくる始末。もっとも『ファイブスター物語』を読んでいればすべてがわかるかというとそうでもなく、さらに謎が増えるところもあるのだからひと筋縄では行かない。  そもそも『ファイブスター物語』自体、膨大な物語と設定のごくごく一部しか開陳されていない状態ですからね。そういうわけで『ワールドガイド』とはいっても、いつものごとく設定画集に近い内容です。  ひとこと、満足! 読んだところでスタント遊星とシステム・カリギュラに関する謎はいっこうに解けませんが、映画では把握しづらかった『ファイブスター物語』とのかかわりはわかりやすくなります。  ていうかドナウ帝国のハイランダーはサヤステ家の人間だったのか、まあたしかにカラミティ星の一族だもんな、とかいう、ほんとうにわかるひとしかわからない納得のしかたではありますが……。  『ファイブスター物語』と『ゴティックメード』を含む永野護ワールドは、ジョーカー太陽星団と呼ばれる四つの太陽系から成る星団を舞台にしています。しかし、ほんとうは物語のスケールはそれをはるかに越え、星団が存在するジョーカー宇宙全体に及んでいると思しい。  さらにはジョーカー宇宙もまた無数にある宇宙のひとつであるに過ぎず、ほかにタイカ宇宙、バスター宇宙などが存在しているよう。その各宇宙に全能の神々がおり、神々は神々なりの壮大な戦いを繰り広げているとかいないとか。  『ファイブスター物語』の主人公アマテラスはもちろん、サタンやジョーカー、ドラゴンといった神話的な存在はその戦いに関わるキャラクターであるという話もある。  まあとにかくよくわからないのですが、この「神々の戦い」こそ、『ファイブスター物語』の最大の戦いで、人間たちが演じる戦いはそれに比べると遥かにスケールダウンする戦いであるにすぎないのですね。  

『花の詩女ゴティックメードワールドガイド』を購入したよ!
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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