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  • 『もののあはれ』の実装は可能か──「necomimi」作者・加賀谷友典が師・江藤淳から継承した思想(PLANETSアーカイブス)

    2020-12-24 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、脳波で動く猫耳「necomimi」を作った、加賀谷友典さんのインタビューです。一見キャッチーなプロジェクトの先に浮かび上がったのは「もののあはれ」という意外な言葉。そのルーツには師である文芸評論家・江藤淳から継承した思想がありました。(構成:稲葉ほたて・池田明季哉)※この記事は2014年7月9日に配信した記事の再配信です。※インタビュー内容は、2014年当時の状況に基づいたものです。
    necomimiの作者は何をつくろうとしているのか
    宇野 僕は加賀谷さんを人に紹介しようと思う時に、いつもどう紹介したらいいか悩んでしまうんですよ。加賀谷さんのような立場でものづくりに関わっている人って、僕の知る限りほとんどいない。効率化と最適化を行うコンサルティングだけでもないし、単に表層的なアイディアを出すのでもない。何か思想を含めた、トータルなビジョンを提案しているように感じるんです。
    加賀谷 そうですね。僕のやっていることは説明が難しいんです。最近自分のことを「新規事業開発専門のプランナー」と言えばなんとなく耳慣れていて納得してもらいやすい、ということを覚えたんですが……(笑)。もっと本質的なことですよね。
    僕は情報ジャンキーなんで、純粋に知りたい欲求で動いているんです。だからたまたま物事がメジャーになる手前でキャッチすることが多くて、それをプロジェクトにしていく感じです。例えばphonebookはまだガラケー全盛のスマホ黎明期に、タッチパネルを使って絵本を作ったプロジェクトでした。
     
    ▲phonebook
    その後はiButterflyという、ARとGPSを組み合わせて、ある場所にしかいない蝶を捕まえてクーポンをゲットするアプリケーションを作りました(参照)。
    それでスマホはだいたいやったな、と思ってシリコンバレーに遊びに行ったら、脳波テクノロジー・ベンチャーのニューロスカイ社と仲良くなり、それでnecomimiに繋がっていったわけなんです。
    ▲necomimi
    宇野 加賀谷さんのプロジェクトって、言ってしまえば全てコミュニケーションなんです。でもその捉え方が普通と少し違っているのが興味深い。
    そもそも情報機器によるコミュニケーションって、文字とハイパーリンクによって人間の内面を陶冶していくような話が多いじゃないですか。しかも、現在のネット空間を見ていると、その可能性を語るのはかなり厳しくなっている。ところが、加賀谷さんのプロジェクトはそんなふうに人間を文字で内面から陶冶する可能性なんて一度も検討したことがないような気さえする(笑)。
    加賀谷 まさに、そういうところからは距離をおいてますね……。だって、動物の生態系なんて、非言語的ではあっても、情報のやりとりはなされているわけでしょう。別に言語に拘る必要はないじゃないですか。

    文芸評論家・江藤淳がコンピュータ・サイエンスについて語った"予言"
    宇野 プロフィールを見て気になったのですが、加賀谷さんはSFCにいたときに、文芸評論家の江藤淳のゼミにいらっしゃっいましたよね。
    加賀谷 そこに目をつけますか(笑)。江藤先生のことを話すのは初めてですよ……。僕が先生と出会ったのは、ちょうど江藤さんが学部での講義を再開した頃でした。後継者として文芸評論家の福田和也さんを連れて来られる数年前ですね。
    僕の方は当時大学の一年生で、SFCに政治哲学をやりたくて入ったばかりだったのですが、あの頃は現実の政治体制の分析みたいなことしかやっていなくて……もう正直なところ、退学しようと思っていたんです。でも、そんなある日、ちょうど病気の療養から回復してきたばかりの江藤淳さんが、それでまでに一度も話したことがないという「現代思想」の講義をするという機会があったんです。
    じゃあ、それだけは聞いて辞めようと足を運んで……僕は人生で最も興奮する講義を聞いたんです。
    宇野 それは、とんでもなく貴重な機会に恵まれましたね。
    加賀谷 その講義で一つ忘れられないのが、江藤さんがコンピュータについて言及して、「おそらくコンピュータサイエンスから、言語を否定するような言語理論が生まれてくるだろう」と言ったことなんです。
    正直なところ、当時は何を言ってるのかわからなかった(笑)――でも、なぜかめちゃくちゃに興奮したんですね。
    その後、僕は彼の日本文学のゼミで、言語哲学のようなことを始めました。周囲が坪内逍遥の作品だとかを研究している中で、「言語という秩序体系が、なぜ非秩序である"心"を表現しうるのか」みたいな思想的問題を、一人で延々と考えていたんです。そこで興味を持ったのが本居宣長でした。彼は「漢字の輸入によって、言語を文字として定着させられるようになったけれども、"もののあはれ"が失われてしまった」と「漢意」を批判しているわけですね。
    宇野 それは、江藤淳という人が近代日本のニセモノ性に極めて自覚的だったことと大きく関係してると思います。一般的には戦後日本の文化空間が敗戦とその後のアメリカによる統治によってもたらされたニセモノである、ということを批判した人だと江藤さんは思われている。それは正しいのだけど、より正確にはそんなニセモノであることに自覚的であることによってしか、現代人は成熟できないし、その自覚にしか文学は生まれない、という考えがあったと思うんですよね。そして同時にそれは日本語という日本の近代化が生んだ装置の不完全性への対峙こそが、現代文学であるという理解にもつながっていたと思うんです。
    ところが、加賀谷さんのアプローチというのは、言語が世界を表せないのなら、最初から言語以外のツールを使えばいいという発想になっている。だからそもそも言語の不完全性に向き合う必要がない。
    加賀谷 まさにそうなんです!
    だから、そういう話を江藤先生にしたら、「さすがに日本文学の研究室は違うよね」と言われて「どうしますかねえ」となって、一緒にお酒を飲んでました(笑)。
    宇野 江藤淳の弟子筋からこういう人が生まれたのは、いい意味で歴史の皮肉だと思うんですよ。
    加賀谷 でもね、それから僕は大学を出たあとに大学院にも行かずぶらぶらしていたのですが、その頃に江藤さんにお会いしたら「とりあえず、生き延びろ」と言われたことがあるんです。「俺なんて初めて給料をもらったのは30歳を過ぎたときだ。君はまだ8年もあるだろう」と(笑)。
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  • 本日発売!『ものづくり2.0――メイカーズムーブメントの日本的展開』宇野常寛による書き下ろしの「まえがき」を無料配信します! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.363 ☆

    2015-07-10 07:00  
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    本日発売!『ものづくり2.0メイカーズムーブメントの日本的展開』宇野常寛による書き下ろしの「まえがき」を無料配信します!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.10 vol.363
    http://wakusei2nd.com


    本日7/10に発売となる、宇野常寛(編著)の新刊『ものづくり2.0:メイカーズムーブメントの日本的展開』。本メルマガで約1年半にわたってお届けしてきた、「新しいものづくり」の最前線で活躍するプレイヤーたちへのインタビューが1冊の本にまとまります。
    今日はその刊行を記念し、カルチャーの批評家である宇野常寛がなぜいま「ものづくり」に注目するのか――その理由を語った「まえがき」を無料配信します。
     少し前にインターネット上で『ドラえもん』の
  • サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(後編)/井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.347 ☆

    2015-06-18 07:00  
    220pt

    サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(後編)井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.6.18 vol.347
    http://wakusei2nd.com


    本日は、『PLANETS vol.9』刊行記念イベント「サイボーグ化する身体と社会」の内容の後編をお届けします。サイボーグ的な義肢装具が普及することで社会制度や、私達の「人間観」はどう変わるのか――? 前編では義肢装具開発や光学迷彩研究、ゲームデザインなど様々な立場から議論しましたが、後編はさらに掘り下げて「サイボーグ化時代に人間の美意識はどう変わるのか?」について考えました。
    前編はこちらから。
     
     
    ■ 「人々がフェアだと感じられる楽しいゲーム=社会」をどう設計するのか
     
    宇野 『PLANETS vol.9』で僕らは、井上くんを中心にいろんなプランを考え、いろんなところに取材に行きました。そこで思ったのは、handiiiのように「高い技術による義肢装具を作っていく」のももちろん大事なんだけれど、それと同じぐらい「多様化する身体を受け入れられる社会のルールを整備する」ということについてしっかりと考えなければならいということだったんです。
     近代スポーツがそうですが、現代社会のルールってどこかで「健康な成人男性」を標準にしているんですよね。実はこれは民主主義にも同じようなことが言えて、「教育を通過した人間にはある程度の判断力が宿る」という幻想をもとにして動いているんです。その幻想をみなが共有していたから、何となく世の中がフェアに回っていると思っていた。
     でも今はその幻想が壊れつつあるわけですよね。「健康な成人男性」中心主義はマイノリティを抑圧してしまうし、「意識の高い市民」を前提にした民主主義はこの規模と複雑さをもつ社会に対応できなくなってきている。そのときに、どういったルールであれば人々に納得感を与えることができるのか――そういった議論を、僕らはこの本のなかでずっとしているんです。
     井上くんは、自分が関わってないページも含めて、この本のなかの議論を読んでどんなことを思いましたか?
    井上 僕が直接関わってないページで「おぉー!」と思ったのは、実際のパラリンピックの選手のインタビューですね。僕自身の原稿で「パラリンピックではこういう問題が起こっている」という話をしているんですが、どういう問題かというと「クラス分けを雑にしてしまうと、不利益を被る選手がたくさん出てきてしまう」という話だったんです。インタビューのなかでパラリンピックの選手の皆さんは、このこと問題について競技者として深く認識しつつも、それでも受け入れざるを得ないという話をしていて、すごく複雑な気持ちになりました。「その不平等を受け入れる事がリアリストなんだ」、というような認識が出てきてしまっているわけです。
     「良くない」と思っていてもそれを受け入れざるを得ないのはなぜかというと、その摩擦を調整する仕組みを動かす人が、現時点ではまだあまりいないからだと思います。このままだと不平等な状態がリアリズムによって維持されるという逆説的な状態が続いていってしまうので、『PLANETS』みたいな雑誌で新しい法則を打ち立てることを、とにかく何度もやっていくことが重要だと改めて思いましたね。
    小笠原 要するに「諦め」の境地に至ってしまっているわけですよね。でも一方で、義手はその「諦め」を無くすために作っていたりするわけですよね。諦める人がいるから逆に諦めない人も生まれる、そういうバランスもあると思うんですが、どうなんでしょうね。
    宇野 これは「フェアである」ことと「フェアと感じられる」ことの差の問題だと思います。人間が幸福だと思えるために必要なのは後者なんですよ。
     本当にフェアなゲームというのは、強い奴が勝ってしまう。それだとみんな嫌なんです。ゲームのルールって、裏技があったり運に左右される要素が多いほうが人々はフェアだと感じるし、もっと言うと幸福だと思えるわけですよね。現代の社会は残念ながら三歩手前くらいにいて、スポーツでいえば健康な成人男性以外はマイノリティとして不利になってしまう。
     これはスポーツだけではなく社会そのものにも当てはまる。仮に今日山浦さんや稲見先生が仰ってるようなサイボーグ化が身体的な条件を覆す――少なくともハンディキャップが単なる不利な条件ではなく、個性になるレベルまでは行ったとしたとき、その上で人々がフェアだと感じられる楽しいゲーム、面白いゲーム、やり甲斐を感じるゲーム=社会をどう設計するのか、という問題が浮上するのだと思うんです。
     この問題に対する井上くんの今回の本での回答は、「集団戦にすることによって運の要素を拡大すると皆フェアに感じやすいですよ!」ということだったと思います。この件に関して、他の三人がどう思うか聞いてみたい。稲見先生どうですか?
    稲見 まず、強い人が勝ってしまう、戦う前から結果が見えてしまうのはゲームをする意味がない、というのはその通りだと思います。何か不確定な要素を残しておくことが良いゲームデザインだと率直に思いますね。
     先日、「リアリティってなんだろう?」という話になって、色んなリアリティの考え方の一つとして、「パーフェクトじゃないものがリアリティかもしれない」という話をしました。つまりアイディアルな平面や直線は現実世界には存在しないわけじゃないですか。パーフェクトに予測された通りにならない部分を残しておくこと自体を、我々はリアルだと感じるのかもしれない。その部分では井上案に賛成します。
     また、そこまで制度を頑張って考えなくてはいけないのは移行期だからですよね。なぜならパラリンピックで「近視部門」なんてないわけでしょう。たとえば今日、この会場に来ている人で近視で眼鏡をかけている人はマジョリティですよね。
    宇野 そうですね。この場は圧倒的に眼鏡が多いですね。
    稲見 私はもともと小学生のときは宇宙飛行士になりたかったんですが、当時のスペースシャトルに関する本には「視力の悪い人は宇宙飛行士になれない」と書いてあって、諦めたんです。
     でも眼鏡やコンタクトが普通に存在する現代のスポーツでは、決して何か諦める必要はないですし、眼鏡をかけるようになったから別のカテゴリーでスポーツをやらないといけないということもありません。つまりサイボーグ技術や義手義足の技術がきちんと実装されたときには、眼鏡と同じぐらいの扱いになるべきですし、コンタクトレンズぐらいになった時に我々はそんな区別は気にしなくなるものだと思います。
     逆に言うと「眼鏡のためのスポーツ」が作られてきたわけではありませんし、「眼鏡をかけている人のための社会制度変革」も今まで行われてきませんでした。そう思うと私はあまり心配しなくてもいいのかなと、楽観的に考えています。
    山浦 総得点方式などの競い方をしたらいいんじゃないか、という提案についてですけど、私が義手を作っていてよく思うのが本当に義手義足ってパラメーターの振り分けだと思うんですよ。とにかく力が強い義手というだけなら、ただただ重いモーターを積めばできるんですけど、そうすると持続時間が短くなる。逆にただ持続時間の長い義手にすると力も弱くなる。そのトレードオフがあるんです。だから開発する上ではそのパラメーターの振り分けがキモになってくる。
     何かを競うときに、総得点方式にしてパラメーターの振り分けの上手さを競うというのは見ていても面白いと思うんですね。そういう意味で義手義足を使う人と、そうじゃない人も含めて競うという形はすごくアリですし、私自身、面白いなと思いました。
    小笠原 僕は「強い奴が勝つ」というのは、強くなるところまでがその人の努力であるということも含めてルールだと思っていて、その代替手段として例えば違う道具を使うというのはいいかもしれない。
     一方で、総得点方式はゲームとして面白いですけど、ルールに慣れてしまうと攻略法やパラメーターの振り分けの話だけにフォーカスしてしまう気がしていて、僕はそんなに長く楽しみにくいかなと思ってしまいましたね。
    宇野 つまり集団戦にするところまでは良いんだけれど、総得点方式のようなやり方でいくと意外と早くハックの方法が分かってしまって、ヌルゲーと化すんじゃないか、という疑問ですね。井上くんはお三方の反応を見てどう思いました?
    井上 小笠原さんの「ハックしやすそうだな」という話は最初のざっくりとしたルール案を作って当てはめた段階では、その通りだと思うんです。ただ、将棋などが典型的ですが、対人のルールの面白さは千年ぐらいかけて少しづつルールを修正しながら進化していくものです。「ズルされてつまんなくなる部分をもっているけど基本構成はすごくいいよね」という人が一定数いたら、どんどん修正パッチが作られてルールが洗練されていくと思うんですね。修正パッチを入れていく構造みたいなものまで含めて作れたら、そこで初めて成功だと言えるんだろうと思っています。
     山浦さんには基本構想に同意していただけたので、是非何か一緒に考えていければいいなと。稲見先生の眼鏡の話がありましたけれど、半分はおっしゃる通りだと感じました。ただ、眼鏡の基本的なコンセプトって、「普通の人よりも目がよく見えるようになる」道具ではなく、「普通の人のように目が見えるようになる」道具だと思うんです。その眼鏡が例えば、「この眼鏡を付けると透視能力が発現する」となってしまうとまた話が違ってしまうのかなと。
    稲見 最近コンタクトレンズ型デバイスで、ウィンクするとズームと普通とを切り替えられるのが出てきましたよね。市販はされていませんが、研究としては出始めています。
    (参考リンク)ウィンクでズーム! 望遠鏡機能つきのコンタクトレンズ : ギズモード・ジャパン 
    井上 あ、そうなんですか! ではその望遠鏡レベルの機能が付いたコンタクトや眼鏡が社会に普及して、普通に歩いている人が「実は500m先のマンションで何のテレビ見てるとかもう丸見えです」というような状態になってきたら、それは法制度なりの規制を入れなきゃいけないと思うんですね。現在の眼鏡と同様に上手く調和できれば話は早いと思うんですけど、オーバーテクノロジーつまり普通の人のさらに先を行ってしまったときにどうするかという問題が生まれます。社会的な身体ということで宇野さんが整理してくれましたが、そこで単に物理ではないところで対応していかなければいけないのかなという風に思いますね。
     

     
     
    ■ 稲見昌彦は、超身体を活用する為の脱身体をどう位置付けているのか?
     
    宇野 何となく対立点が明らかになってきたと思います。この五人の中では僕と井上君が、どちらかというとエンターテインメント的な考え方をしていますね。人々が幸福になるため、あるいは面白く参加するためにはゲームに運や偶然性の要素が大きく作用している必要がある。人々は単にフェアなだけでは参加してくれない、「フェアに思える」ということが大事なんだという発想をもっている。これはゲームデザイナー的な発想ですね。
     それに対してお三方、特に稲見さんや小笠原さんは、そんな単純な立場ではないことを承知で大雑把に言うと「そんなものはテクノロジーの進歩で基本的に打ち砕くことができるのだ」という立場ではないかと思います。稲見さんの冒頭のプレゼンの中で人間の身体の拡張のマップがありましたね。
     

     
     これって要するに、超身体と脱身体の関係の問題だと僕は思っているんです。要するに、僕や井上くんはゲームデザインの思想を背景に、超身体を社会が受容するためには脱身体のレベルにフォーカスした社会設計が必要だと考えていることになる。
     だから僕がここで聞きたいのは「稲見昌彦は超身体を活用するための脱身体をどう位置付けているのか?」ということなんです。
    稲見 たしかに、現代は〈脱身体〉の時代という言い方をしますが、今の技術レベルで実現できるオンライン上の身体ってまだそこまで発達しきっていないと思っていて、そういう脱身体的なテクノロジーが進化する前に、物理的な身体のほうを拡張しておこうという発想です。
     オンラインでアバターを使っているよりも物理的な身体のほうが楽しくなるのであれば、わざわざオンラインに行かなくてもいいわけじゃないですか。肉体だと食べ物も美味しいですし。『マトリックス』にも食べ物のシーンが出てきますが、それは大切なことです。そういう段階を経た後に、最終的に行くのが「分身体」「融身体」かなと思っています。ですから、いま私がやっているのはもしかすると「いったん脱身体から超身体に戻す」という作業なのかもしれません。
     
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    PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は6月も厳選された記事を多数配信予定!
    配信記事一覧は下記リンクから。
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201506

     
  • サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(前編)/井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.318 ☆

    2015-05-08 07:00  
    220pt

    サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(前編)井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.8 vol.318
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、『PLANETS vol.9』(以下、P9)刊行を記念しDMM.make AKIBAで行われたイベント「サイボーグ化する身体と社会」の内容をお届けします。
    『P9』ではパラリンピックで進む義肢のサイボーグ化にヒントを得て、人間の身体をより拡張的に使用することの可能性を議論しました。一方で、そのためのルール設計はこれからの社会にとっての課題でもあります。
    そこで今回は、実際にテクノロジーの開発に従事する研究者、そしてアカデミックなゲーム設計を考える専門家が集い、サイボーグ化で社会の在り方がどう変わっていくのかを考えました。
    ※今回は前半部分を配信します。後半は近日中に公開予定です!
      
    ▼出演者プロフィール
    稲見昌彦(いなみ・まさひこ)
    バーチャルリアリティ、ロボット工学を背景とし、拡張現実感(AR)や強化人間(AH)など、コンピュータや最先端の技術を誰もが自在に利用するための「自在化技術」を研究。人の「生理」に根ざして生じる「現実感」に着目し、五感をはじめとする感覚・知覚、および筋肉による運動という人間の入出力機能の特性に根ざしたシステム研究開発を手掛ける。現在まで光学迷彩、触覚拡張装置、吸飲感覚提示装置、動体視力増強装置など、人の感覚・知覚に関わるデバイスを各種開発。情報処理学会EC研究会主査、日本VR学会理事、コンピュータエンターテインメント協会理事、CEDEC運営委員等を歴任。米「TIME」誌Coolest Inventions、文化庁メディア芸術祭優秀賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞など各賞受賞。
     
    山浦博志(やまうら・ひろし)
    1984年、千葉県生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。パナソニック株式会社でデジタルカメラの設計開発に従事し独立。exiiiの共同創業者として筋電義手「handiii」の開発にあたる。おもな受賞歴に東京大学大学院工学系研究科長賞、James Dyson Award 2013 国際準優勝、Gugen2013 大賞、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞など。
     
    井上明人(いのうえ・あきと)
    1980年生まれ。関西大学特任准教授。専門はゲーム研究。2005年慶應義塾大学院政策・メディア研究科修士課程修了。2010年に日本デジタルゲーム学会第一回学会賞(若手奨励賞)受賞。2012年CEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞を受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。2011年より#denkimeterプロジェクトを提唱。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
     
    宇野常寛(うの・つねひろ)
    1978年、青森県生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、ほか多数。
     
    【コメンテーター】
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1990年、京都市の建築設計事務所に入社。データセンター及びホスティング事業のさくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役を努め、インターネット・インフラとモバイルサービスにそれぞれ黎明期から取り組む。以降、「Open x Share x Join =∞」をキーワードにスタートアップ向けシード投資やシェアスペースの運営などスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化し株式会社ABBALabとしてIoTプロダクトのプロトタイピングへの投資を開始。同年、DMM.makeのプロデューサーとしてDMM.make 3D PRINTの立ち上げ、2014年にはDMM.make AKIBAを立ち上げている。他、経済産業省 新ものづくり研究会 委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ等。1971年京都府京都市生まれ。
     
    ◎構成:大井正太郎
     
     
    ■ SF的思考実験の「サイボーグ化」を、社会的身体の再定義という観点から問い直す
     
    宇野 本日は、昨年11月にオープンしたばかりの「DMM.make AKIBA」(以下make)に場をお借り致しまして、PLANETS初となるトークイベントを開催させていただいきたいと思います。テーマはこの場にふさわしく『サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか』です。
     簡単に、このイベントに至る経緯をお話ししたいと思います。ここmakeのプロデューサーである小笠原さんには、日本版のメーカーズムーブメントとインターネット文化の関係を解説する役として、PLANETSにもよく出ていただいています。
     
    ▼参考記事
    ・過剰を抱えた人間のためのフロンティア――DMM.make AKIBAが目指す次のインターネット(プロデューサー・小笠原治インタビュー)
     
     小笠原さんには、僕が毎週月曜日に担当しているJ-WAVEのラジオにゲストに来ていただいたり、たびたびこのmakeを中心に何が起こっているのか話してもらっています。日本人の大半はこのmakeを中心にして何が起こっているのかにまだピンと来ていないので、その解説をお願いしているわけです。
     しかし、今回のイベントは趣旨が違います。今回のテーマは「サイボーグ化」です。これから情報技術の進化の恩恵を最も強く受けるジャンルの一つと言われており、これまではSF的想像力を媒体とした思考実験としてしか捉えられなかったこの問題を、どちらかというと「社会的身体の再定義」という観点から問い直そうと考えています。要するにサイボーグ化というのは、身体の多様性を前提とした社会設計の問題であるというところまで、今日は話していけたらいいなと思っています。今日はそのことを議論するために最適なメンバーを集めました。まずは真ん中に座っていらっしゃる、慶應義塾大学の稲見昌彦先生です。
    稲見 よろしくお願いします。
     

    ▲左から井上明人さん(Skype参加)、稲見昌彦さん、山浦博志さん、小笠原治さん、宇野常寛
     
    宇野 稲見さんは光学迷彩やバーチャルリアリティの研究で知られている方ですね。僕の知る限り、社会的身体としてのサイボーグ化という問題に最もアクチュアルに取り組んでいる研究家の一人だという風に思っております。稲見先生にはこの問題の見取り図の提示を定義してもらいたいと個人的には考えています。
     お隣が株式会社exiiiの山浦博志さん。このDMM.make AKIBAのCMにも登場する「筋電義手handiii」の開発スタッフの一人です。どちらかというと、エンジニアとしての実践から見える課題について今日はお話ししていただいきたいと思っております。
     最後にSkype参加になっている、ゲーム開発者の井上明人さんです。今は京都にある立命館大学のオフィスにいらっしゃいます。本業はゲーム研究者です。PLANETS vol.9ではその知見を活かしてオリンピックをサイボーグ化した身体を前提として、多様な身体を持つプレイヤーが同じルールで競い合うことが出来る新しいゲームにスポーツをアップデートするということを提案しています。なので今日は、そんなゲーム研究者の立場からサイボーグ的身体の社会へのアダプテーションの問題を主にお話ししていただいきたいと思っております。
    井上 よろしくお願いします。
    宇野 そしてコメンテーターを、小笠原治さんにお願いしています。
    小笠原 よろしくお願いします。
    宇野 本日のイベントはニコニコ生放送でも放送されています。コメントをいただいたら、僕の方で議論の途中に取り上げると思いますので、ばしばし投稿してください。Twitterハッシュタグ「#PLANETS9」の方も同時にチェックしております。
     
     
    ■ 拡張スポーツの先に、「身体と魂が一対一対応ではない未来」がある
     
    宇野 ということで、まずはゲストの皆さんに簡単な自己紹介とプレゼンをお三方にしていただいきたいと思います。それではまず稲見先生からお願い致します。
    稲見 ご紹介いただきました稲見でございます。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科という所で研究しております。私の比較的有名な研究としましては、光学迷彩があります。再帰性反射材と言う特殊な反射材で出来たスーツを着ているんですけれども、それとプロジェクター技術をうまく組み合わせることで透明になったかの様な効果を出すことができます。
     なぜこれを作ったかと申しますと、博士課程の研究室に入ったときに当時助手(現阪大教授)の前田太郎先生から、必読書として『攻殻機動隊』という本を出されたんです。普通は論文とかが出されますよね? なので「これが教科書ですか?」という感じで、最初はすごい苦労しながら読んだんですけど、そのうちいつか、自分の研究に繋がることがわかって作らせていただいた。『攻殻機動隊』にはだいぶインスパイアされているんですけど、今恩返しもしてまして『攻殻機動隊』のリアライズプロジェクトに関わっております。例えばロジコマの熱光学迷彩をリアルにしていくなど、『攻殻機動隊』の世界をどう現実化していくかという研究を行っております。
     

    ▲士郎正宗『攻殻機動隊』講談社、1991年
     
     今日、まさに秋葉原でこういう話ができるのは非常に意義深いことだと思っています。私も高校の頃からだいぶ通ってはいるんですけど、やはり秋葉原というとテクノロジーとサブカルチャー、その二つの日本における中心地と言えると思います。その二つがうまく混じり合うことによって、日本は世界の中でも非常にユニークな研究をリードできていると、日頃から感じております。
     最近の研究としては、メガネ屋さんのJINと一緒に「JINS MEME(ミーム)」というメガネ型のウェアラブルデバイスをつくっています。これ、何か映像が出るというわけではないです。その代わりに、電極がメガネの鼻の所についておりまして、眼の動きや頭の動きをリアルタイムに計測できます。生活の中で、皆さんが今集中しているのか、そろそろ眠いのか、ということが、例えば瞬きのパターンでクリアにわかるんです。それらをうまく計測しながら我々の普段気が付いていない自分を見守ったりとか、もしくはそろそろ眠くなったから休んだ方がいいんじゃないかということを行おうとしております。
     

    ▲JINS MEME
    https://www.jins-jp.com/jinsmeme/
     
     これは私が学部一年生の頃からの一貫したテーマなんですけど、「人機一体」ということをなんとか実現したい。「人馬一体」という言葉がございますよね。人と馬が一緒になる。我々がやりたくないことを機械にやらせるのは自動化ですが、人間が馬ではなくコンピューターやロボットと一体になることによって、我々がやりたいことを自由自在にやることができる自在化ともいえる物を実現していきたいと思っております。こういう考え方というのは、決して私がオリジナルではなくて、1945年にヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)という元MITの副学長の方が、「私たちが考えるように(As We May Think)」というエッセイの中で、頭の上にカメラがついている絵を紹介しています。これは1945年の絵で、この頃にもうコンセプトは出ていたんです。「Google Glass」とかもう古い感じですよね。
     

     
     戦争が終わったとき、彼は「科学者たちは軍事技術だけじゃなくて我々の能力を拡張するためにテクノロジーを使うべきだ」と主張しました。そのプロトタイプとして、GEが1960年代に「ハーディマン(Hardiman)」というエクソスケルトン型のスーツを作り始めました。私自身も1990年頃から、家電やアームロボットにパッと指さすとと動いたりする「データグローブ」というものを自作していました。人には橈骨神経という指を動かしている神経があるんですが、ここを電気刺激してあげることによって自在な手の形、握った感覚を出したりと、一種の人間の身体をハックする――そういうことを継続的にやってきて今に至ります。
     今私のやっていることは、今回のPLANETSでも紹介していただいているように、2020年がアジェンダになっています。最初、2020年の東京オリンピックが決まったのを見たとき、私も「自分には関係のないことだな」と思ってました。小学生の頃から運動は苦手で、どちらかというとのび太みたいな生活をずっとしていて、ドラえもんを待っていた。そして、待ちきれないから道具を作り始めたんです。
     ですが、もしかすると自分がやってきた人機一体の技術が、2020年に活かせるかもしれないと思い至りました。それが「超人スポーツ」というコンセプトです。身体とテクノロジーを融合することにより、誰もが身体的制約や空間的制約を越えて楽しむことができる。そんな新しいスポーツを日本発で出せないかと考えています。
     
     これまでのスポーツは、一つルールが決まってしまうとそれがすべてでした。ルールのなかでがんばって業績を出していく、レコードを出していくんですけど、そうではなくテクノロジーと共に進化し続けるということができるかもしれない。それを誰もがオリンピックとパラリンピックの区別が意味不明になるくらいまでにして、しかもみんなが見るときも非常に楽しめるものにできるのではないか。それをテクノロジーが支える、というのが私の目標です。
     私もプレイしてみて非常に面白かったんですが、聴覚でプレイする「ブラインドサッカー」というスポーツがあります。これもテクノロジーの力で、もっと鋭敏にコウモリの耳を持ったかのようにできるかもしれない。あるいは車いすを拡張したチームスポーツもあるかもしれない。身体を拡張したり、道具を拡張したり、フィールドを拡張したり、トレーニングを拡張したり、そしてプレーヤー層を拡張したり、観戦を拡張したりと、拡張スポーツにはさまざまな方向性が考えられます。そういうことを行うための組織として、超人スポーツ協会を6月に立ち上げます。
     また、似たような試みとして、スイスのETH(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)でロバート・ライナー先生が「Cybathlon(サイバスロン)」というのを2016年に開催しようとがんばっておられます。そういったところとも2020年にうまく連携できたらと思っています。ポイントとなるのが、スポーツを発明するということ。我々が小学生の頃は自分たちで遊びをさんざん発明してきたはずなのに、いつの間にか部活になってからいいレコードを出すことだけに集中することになってしまっています。でも、もう一回ルールごと発明することがあってもいいんじゃないか。つまりスポーツ工学というものがこのチャンスにできるかもしれない。そういう意味で超人スポーツを盛り上げていきたいと思います。
     
     プレゼンの最後に、「身体がどうなっていくか」という私の考えのロードマップをお話しします。実はここまでお話ししてきた取り組みは身体を再定義していく第一歩にしかすぎないと思っております。いわゆる人機一体化、超人化というのは、今ある身体を超身体に拡張していくという話です。私は平行しながら、もしくはその次の段階として脱身体という時代が来ると思います。これはSFとして言っているわけじゃなく、例えばテレイグジスタンス、テレプレゼンスといわれている技術は、自分がいる場所をロボットにして飛ばすことができるということです。もしくは、バーチャルリアリティは自分の身体像をサーバー空間に飛ばすことができるということ。そういった技術をきちんと進めていくと、脱身体、肉体と魂の分離が可能になるはずです。最終的に何がやりたいかというと、分身体、融身体、つまり「人類補完計画」みたいなことです。
     我々の身体と魂は一対一対応であるか? 決してそうではない。1人が複数の義体を操作したり、複数の人が一つのロボットを操作したりという時代もあるかもしれない。そうしたときに、今我々が想像した身体像が変わるかもしれない。そんな議論が出来たらなといいつつ、私の紹介を終わらせていただいきます。
    宇野 ありがとうございました。短い間にエッセンスがぎゅっと詰まっていましたが、今の身体拡張の問題やどのあたりまで射程に入っているのかについて、非常にコンパクトにまとめていただいたと思います。
     
     
    ■ 筋電義手「handiii」は安くてデザインも選べる「気軽な選択肢」
     
    宇野 続きまして、山浦さんにプレゼンをお願いします。
    山浦 はじめまして。exiiiという会社で義手の開発しております、山浦と申します。元々、大学でこうした義手やパワーアシストの研究をしておりましたが、その後はメーカーに就職をして、デジタルカメラの機械設計をしておりました。
     その時期に家庭用の3Dプリンターが出始めて、早速買ってみたら、1人でもいろいろ出来そうだなということで、昔の研究の義手を試しに作ってみようと2013年頃からスタートしました。そのときは本業の片手間というかたちだったんですけど、やっていくうちにだんだんのめり込んでいって、会社を辞めてこっちをメインにしようと、2014年10月にexiiiという会社を仲間と一緒に起こして、今は義手の開発をメインに行っているところです。
     僕たちが開発している筋電義手というのは、人間の筋肉の動きを読み取って、それを手先のメカの動きに伝える義手です。実際に手がない方でも筋肉は残っていますので筋肉に力を入れると手が動く。これをはめてしまえば、自分の手のように扱うことができるようになります。
     筋電義手はすでに世の中にあるんですが、非常に高価で、買おうとすると150万円以上します。実際に普及率が1%しかありません。デザイン面でも、人の手を模したものしかない。そういう事情があり、欲しい人が買えない状況が今の問題になっています。それに対し、欲しいなと思っている人が気軽に買えてデザインも選べるものを私たちは作ろうとしています。開発のコンセプトは「気軽な選択肢」です。
     

    ▲handiiの動作を実演する山浦さん
     
     私たちのつくっている「handiii」という筋電義手は、筋肉からの信号を電気信号にしてBluetoothでスマートフォンに送信し、スマートフォンがそれを解析してどんな動きをしたいのかを見て動かす仕組みです。なぜスマートフォンでやるかというと、スマートフォンで置き換えることができて、他の既存のシステムはいらなって価格を安く抑えられるという考えからです。
     そして次に中のメカも工夫して、少ないモーターでもいろんな物を握れるようにしています。これも、モーターが少ないことが低価格化に繋がるからですね。
     あとは3Dプリンターを活用して製造します。一個一個デザインの違ったものを安くするために3Dプリンターはすごく有利です。製造方法を見直して、部品を付け替えられるようにしてしまおうというわけです。そして現在のところは、ユーザーの方と協力しながら実用化を目指しながら開発を行っています。というところで、私の自己紹介を終わらせていただいきたいと思います。
    宇野 ありがとうございました。ニコ生のコメントを見ていたら、このサイボーグの手だとスマートフォンが操作できないんじゃないかという、ぬるいツッコミがあったんですけど、これは答えるべきじゃない(笑)? 
    山浦 そうですね(笑)。ツッコミに答えさせていただいくと、義手ではないほうの手でいろいろ出来ることは多いんですね。ただ、二本ないと、例えば傘や買い物袋を持ってしまうと出来ることが少なくなってしまう。そういう最低限の状況をカバーしたいと思っているので、「スマホは反対の手で動かしてください。買い物袋は義手で持てるようにしましょう」というイメージです。
    宇野 最初に稲見先生と山浦さんのプレゼンを見ていただいたんですが、小笠原さんはこのお二人の発表を見ていただいて産業側の人間の立場からどう思われましたか? 
    小笠原 僕はexiiiを最初の頃から見ているんですが、みんな同時に同じ様なことを考え始めているので、この5年10年くらいにアイデアを実現していくための動きがどんどん起こっていくんだろうなと想像しております。
    宇野 最初に僕と小笠原さんとでこのイベントを企画したときには、こんなに人が来ると思わなかったんですよね。実際には僕らの予想の2倍くらいの人がやってきていて、これも何かが動き始めている証明なのかなという気はしますね。
     

    ▲当日は100人以上もの方にご来場いただきました…!
     
     
    ■ ルールを見直すことで老人も障害者も混ぜこぜの新しいスポーツイベントが生まれる
     
    宇野 プレゼンの最後は、『PLANETS vol.9』でサイボーグ技術を使ったスポーツのアップデート、パラリンピックのアップデートのアイディアを考えてくれたゲーム研究者の井上明人さんです。
    井上 はい、よろしくお願いします。ちなみに稲見先生と山浦さんのプレゼンを聞いていて、人機一体と魂と身体の分離の話があったんですが、Skypeで参加している僕は今一番魂と身体が分離した状態だと思います(笑)。
     

    ▲Skype経由でプレゼンを行う井上明人さん(左のディスプレイ内)
     
     いま皆さんのお話を聞いていて確かに、人機一体ではないなと感じていました。というのも、Skypeだと自分で首を動かして視点を変えられないのが辛いですね。会場の方を見てしまうと、Skypeだとどうしてもプロジェクタで投影されている画面の方が見えないので、スタッフさんにLINEで「俺の首を動かしてください!」とお願いしながらパワポをなんとか見ているんですけど。これが終わったら、スタッフさんに僕の首になってもらって、逆側が見えるようにしてもらわないといけないですね。
     Skypeは素晴らしいですけど、まだまだこういうときに距離が感じられるなと改めて感じます。前置きはさておき、改めましてゲーム研究者の井上です。よろしくお願いします。
     
     PLANETSはvol.7の頃から5年くらい関わらせてもらっています。基本的に僕はゲームばっかりやっている人間なんですけど、「ゲームのデザインや何がゲームの面白さなんだろう?」ということだったり、あるいはゲームの面白さを突き詰めて「ゲームとして多くの人が楽しむ」ためにはいろいろなルールの調整をやらなければならない――そういったことを考えてきました。
     それが4年前にゲーミフィケーションというブームが国内で起こった時に、たまたま節電のゲームをつくったりして遊んでいて、それ以降ゲームの社会応用に関わるようになりました。
     今回の『PLANETS vol.9』では宇野さんがオリンピック、パラリンピックの話をやりたいということで、ぜひ、パラリンピックのルールの話をきっちりやってみたいということで、今回パラリンピックの拡張について書きました。
     
     僕がどういった原稿を書いたかを簡単に説明したいと思います。
     話はシンプルで、パラリンピックの基本ルール変えませんかということですね。パラリンピックで今、いろいろな問題が起こっています。パラリンピックのルールってけっこう複雑で、障害が重い人、軽い人というのが、競技によって5クラスとか10クラスに分かれています。その一番障害が重いクラスと障害がちょっと軽いクラスと、ボーダーラインのあたりにいる人が妙に不利になってしまう現象がたくさんあります。
     実際に、水泳で金メダルをたくさん取った選手がいるんですけど、選手が一つ級を変えられたとたんにメダルに絡むことが難しくなったことがありました。この単純な解決策は、級を細かくしていくことですね。パラリンピックの公平性はそうすれば増します。ただ、そこを細かくしようとすると、今度はパラリンピックの開催期間を延ばしたり、場所を増やしたりとさまざまな問題などが絡んできて、トレードオフの問題がある。なので、今はパラリンピックの級をそこまで増やさないようになってきています。
     ただ、この問題は実は「パラリンピックとオリンピックの間の行き来をどうするか」というさらに大きな問題にも絡んでいて現状のあり方でよいのかどうかが問われています。
     例えばオスカー・ピストリウスという義足の選手で、オリンピックに出場した方がいます。彼がオリンピックに出ることになったときに、義足の性能が問題になって一旦ストップがかかりました。というのも「義足の性能が普通の身体を持っている人よりも20〜30%いいんじゃないか?」ということが問題になったんです。これでオリンピックに出てしまうと、オリンピックの選手にとって不公平になり、ピストリウスが有利になるだろうということで揉めに揉めました。結局ピストリウスは最終的に出場できましたが、同じような話は他にもたくさん出てきています。
     ルール設計を「クラス分け」という発想でやっていると、サイボーグ的な身体を持った人、あるいは障害者の人を、一緒の場所に混ぜてなにかをやることは難しくなります。
     
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  • 過剰を抱えた人間のためのフロンティア――DMM.make AKIBAが目指す次のインターネット(プロデューサー・小笠原治インタビュー) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.305 ☆

    2015-04-16 07:00  
    220pt
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    過剰を抱えた人間のためのフロンティア――DMM.make AKIBAが目指す次のインターネット(プロデューサー・小笠原治インタビュー)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.16 vol.305
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガに登場するのは、PLANETSの「ものづくり2.0」イベントなどでもおなじみ、小笠原治さんです。さくらインターネットで日本のネット草創期を支えた小笠原さんは、いまなぜ「ものづくり」の拠点、DMM.make AKIBAをプロデュースしたのか? そして、そこから見えてくる「新しいインターネットのかたち」についてお話を伺ってきました。


     

    ▼プロフィール
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1971年京都府京都市生まれ。1990年、京都市の建築設計事務所に入社。データセンター及びホスティング事業のさくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役を努め、インターネット・インフラとモバイルサービスにそれぞれ黎明期から取り組む。以降、「Open x Share x Join =∞」をキーワードにスタートアップ向けシード投資やシェアスペースの運営などスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化し株式会社ABBALabとしてIoTプロダクトのプロトタイピングへの投資を開始。同年、DMM.makeのプロデューサーとしてDMM.make 3D PRINTの立ち上げ、2014年にはDMM.make AKIBAを立ち上げている。他、経済産業省 新ものづくり研究会 委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ等。
     
    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:鈴木靖子、中野慧
     
     
    ■ DMM.make AKIBAとはどんな場所なのか?
     
    宇野 この「DMM.make AKIBA(以下make)」という場所は、日本におけるメイカーズ・ムーブメントの象徴だと言えるのだと思います。これまでに小笠原さんにはいろいろなかたちでお話を伺ってきましたが、今回はズバリ、この「make」という場所について伺っていきたいと思います。
    小笠原 最初の事前登録が330人位で、現時点で180名の方に実際に使っていただいていて、すべて有料課金です。思っていた以上に初動はよかったですね。賃料は月額1万5000円〜2万円ぐらいなんですが、機材の使用などを含めると、一人あたりの平均は3万5000円〜4万円ほどです。2015年2月末の時点ではこの半分位だろうと見込んでいたので、こういう場所を使いたい人は潜在的にかなり多かったということだと思います。
    宇野 Cerevoのような家電ベンチャーや、ツナグデザインの根津孝太さんのような個人デザイナー、さらには大手メーカーの出張ユニットも入るんですよね?
    小笠原 まだ稼働はしてないですけど、インテルさんからは「edison」という開発プラットホームを絡めて、ここで何かしたいねというご相談はいただいていたりしますね。
     それと長年、「超音波モーター」の研究・開発を続けている新生工業さんが、新規事業のチームをここに置いたりもしていますね。旧来のメーカーさんがmakeを使うことで、社員の働く環境を変えて新しいことに挑戦させるという動きは、僕らが思っていたより早く起こり始めています。
    宇野 個人で登録して使っている方はどういう人なんですか?
    小笠原 ネットベンチャー出身の人が多いんですが、ここで実際にものづくりをしていますね。同じ秋葉原にある秋月(株式会社秋月電子通商)で買ってきた部品とかを使って、はんだごてで作ったりしていますよ。
     

    ▲DMM.make AKIBAの作業用スタジオ
     
     
    ■「作りたい欲求」から始まるものづくり
     
    宇野 読者は、いま個人単位でものづくりをしている人がたくさん出始めていることについてあまり実感がないと思うんですが、このムーブメントについて小笠原さんから解説していただけないでしょうか。
    小笠原 そうですね、じゃあ岩佐琢磨さんのCerevoを例にお話しましょう。そもそも、Cerevoをmakeに入れた理由って、僕が岩佐さんの言葉に反応してしまったからなんです。岩佐さんは「世界で戦うハードウェアスタートアップ企業はなぜ可能になったのか」というお話をよくするんですが、「ハードーウェアスタートアップ」という言葉を、「個人」に置き換えても同じなんですよ。
     Cerevoは「ネットと家電を繋げていく」という、「ものの再定義」のようなことを進めています。そうなると色んな人が岩佐さんたちの取り組みにイマジネーションを掻き立てられて、手を動かせる人はどんどん行動に移していくようになります。そういった、ものづくりをする人たちの精神面での変化がまずひとつあります。
     Cerevoはもとも45%ほどが海外シェアだったんですが、それがさらに伸びていて今は54%ぐらいにまでなっているんです。国内需要だけを見ているとどうしてもジリ貧になっていくんですが、Cerevoのようなハードウェアベンチャーはそこを気にしなくていいから、どんどん革新的な製品を作って、しかもそれが売れるようになっているという状況がある。
     
    ▼参考記事
    ・Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(前編)
    ・Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(後編)
     
     需要面ではそういう背景があるのですが、「じゃあ、なぜそんな革新的な製品をつくれるようになったの?」という疑問が湧くのではないかと思います。でも、実は「売れる」ということが先にあって、「作れるようになったから」ではないんです。
     デジタルファブリケーションがこうして盛り上がっていることについて、「3Dプリンターなどの登場によって”作れるようになった”」ということを主語にしたい人たちがいるんですが、実はそういうわけではないんです。「この製品が売れる」とか「新しい価値観が伝わる」のような、本来だったら「作れる」の後に来るようなことが先にできるようになったことが大きいですね。
     「売れる」というのをもう少し詳しく解説すると、やっぱりインターネット以降にニッチなコミュニティを見つけやすくなったということがあります。例えばスノーボーダーで「体重のかかり方を知りたい」という人たちがこんなにいるのであれば、じゃあ荷重センサで体重のかかり方を計測できるビンディングをつくろうというふうに発想できる。
     そして「作れる」というのは、まず作りたい欲求からはじまって、技術的に作れるようにならないといけないんですが、その「作りたい欲求」が身近な所で見つけやすくなったということもあると思います。
     
     もちろん、家電を構成する電子部品や、モジュール化した電子基板が自由に設計できたり、外装部品のラピッドプロトタイプが3Dプリンターで作れたりとか、そういったところからも「作れる」は実現されてはいますよ。でも、それだけでは、人は「作り出す」までは行かなかったはずなんです。
     「売れるから」「喜んでもらえるから」「新しい最適化ができるから」とか、そういうモチベーションがまずあって、そのやる気を起こしやすい時代になってきたんじゃないか、というのが僕の仮説です。
     

    ▲XYZ方向に加え、回転軸2軸の合計5軸から素材の切削が行えるCNCマシニングセンター。
     
     
    ■ どんな人たちがmakeに集まっているのか?
     
    宇野 実際にmakeに今入っているのって、どんな人たちなんですか? 
    小笠原 抽象的に返すとまだ「何者でもない人たち」なんですけど、でもインターネットの草創期だって「C言語が…」とか「組み込みが…」とか、そういう難しいレイヤーの話ではなかったと思うんですね。まず、「自分で何かを動かしたい」人たちがスクリプト言語だったり、htmlだったりで、自己表現をし始めていました。
     そういうネットの草創期に手を動かしだした人たちと、今リアルな物体を作ることで自己表現している人たちは同じ表現者というイメージです。
    宇野 なるほど。その彼らは、普段他の場所でものづくりに関係した仕事をしていたりするんですか?
    小笠原 平日の昼間にmakeにいる人たちはフリーランスが多いですね。事務系の仕事をされていたりする読者の方にはなかなかイメージしづらいのかもしれませんが、メーカーや町工場に所属しなくても、一人で仕事を受けて、ワンルームでこつこつと試作屋さんをやっている人ってけっこういたりするんですよ。
    宇野 つまり、これまで確実にいたにもかかわらず、日本のものづくりやデザインの表舞台に出てこなかった製造業のフリーランサーたちが、今自分たち自身で製品化するというところまで考え始め、その彼らがmakeに集結しつつある。さらにはCerevoのようなスタートアップに刺激を受けた家電ベンチャー志望の脱サラ組が加わって、makeのフリーランサー層を形成しているということですよね。
    小笠原 そうですね。それ以外には大手メーカーに勤めながら、副業規定があるんで商売にはできないけれど個人的な活動としてやっている方はけっこういらっしゃいます。そういう方々は土日とか水曜日の夜に利用することが多いですね。
    宇野 みなさん基本的には開発と試作をやっているわけですか?
    小笠原 企画、設計、試作あたりまでですね。企画というのは、ここに来て人とおしゃべりをするというのも含めてです。それと設計というのは、今のハードウェアベンチャーって言われている人たちはほとんどが設計屋さんたちで、そこがすべての基本になります。そして、試作というのはここの10階のスタジオを使ったりして「手を動かす」ことです。
     彼らのような人たちがどんどん個人的なものづくりを始めているのは、やっぱりクラウドファンディングのような仕組みがこのタイミングが出てきたのも大きいでしょうね。デジタルファブリケーションもクラウドファンディングも、インターネットがこれだけ接続されている環境も、すべてが「いま、僕たちは転換点にいる」ということの表れなんじゃないかな。
     

    ▲チップマウンター。電子部品をプリント基板に実装する装置。
     
     
    ■ 90年代後半のインターネット草創期とよく似た”熱さ”
     
    宇野 そもそも小笠原さんってさくらインターネットの創業メンバーですよね。その小笠原さんがいまこうしてDMM.make AKIBAを作っている。これってすごく面白いことだと思うんです。
     僕は大学生の頃にやっていたテキストサイトがきっかけで出版業界に入った人間です。当時のネットの世界って、世俗的な権威を頼みにしようとしない、野心的な若者たちが集まっていた。まだソーシャルメディアという言葉も、動画共有サイトもなかったけれど、いまの文化状況につながる二次創作文化がネットを舞台にして花開いていましたよね。さくらインターネットって、そういったネット黎明期の盛り上がりを支えたインフラだったと思うんです。
    小笠原 ええ、当時は同人の方がものすごく多かったですね。料金を安く設定した理由も、そういう方たちに使ってほしかったからなんです。「安ければ自己表現したいヤツはするやろ」、という(笑)。
     ちなみに、さくらインターネットのイメージって世代とか年代とか、インターネットにどう関わったかにもよって違っているんですね。宇野さんのおっしゃるように同人系の方も多かったですが、一方で、20代後半〜30代前半で起業した人たちにとって、さくらインターネットは、スタートアップ時に使う安いサーバーだった。例えばGREEさんとかFC2さんとかもそうでしたが、レンタルサーバーではなく、専用サーバーのイメージです。つまり、設備ってリーチする相手によって見え方が変わると思っていて、それがすごく面白いなと思っています。
    宇野 さくらインターネットのあと、どんなお仕事をされていたんですか?
    小笠原 そのあとの期間はiモードのコンテンツ屋だったり、携帯電話の販売なんかもやっていました。だからインフラからコンテンツ、そして物販までやっていたんですね。
    宇野 そしてmakeの前には、今も六本木で人気のスタンディングバー「awabar」を手掛けたわけですよね。だんだんとリアルの交流の場づくりにシフトしていっている。
     

    ▲awabar
     
    小笠原 実は、最初から今のmakeのように「ものづくり」に特化したかったわけではないんですね。
     僕はおっしゃるとおりインターネットの世界でずっと仕事をしてきましたが、awabarを作った時期はお節介なソーシャルとか、課金ロジックに絵を乗っけているだけのパズルとか、広告費を回すだけのメディアの亜流がとても目に付くようになっていました。そうではないアンチテーゼを打ちたかったという気持ちが大きかったと思います。
    宇野 僕は、小笠原さんが90年代後半のインターネット草創期に感じていたのと似たようなものを、いまの日本的メーカーズムーブメントに感じているんじゃないかと思ったんです。その点についてはいかがでしょうか?
    小笠原 僕は、いまでこそawabarやmakeのようなリアルで人が交流するような場を作ってはいても、気持ちはインフラ屋のままなんです。で、人間が使うインターネットって、これだけソーシャルメディア等が普及してくると、今の100倍に成長することはまずないと思います。でも僕らのようなインフラ屋は、自分たちが作ったインフラが今よりも何億倍も使われてほしい。だから、その「何億倍」を実現できる場として、「人間以外」が使うインターネットをもっと追求したくなったということかもしれません。
     それと、さきほどの「設備やインフラって、人によって見え方が違う」というのって、いまのmakeでも当てはまると思うんです。たとえば、大手のメーカーで頑張ってきたおじいちゃんからしたら、機械を置いているだけの場所にしか見えないかもしれない。そしてまさにその通りでもあるんですが、大手企業の設備がどれぐらい整っているかを実感として知らない人にとっては、makeって自分でできることが拡張していく全能感を与えてくれる場になるんですね。
     人によって感じるイメージがまったく変わるので、僕はmakeでやっているような機械のシェアってすごく面白い商売だと思っていますよ。
     
     
    ■「新しいインターネットのかたち」をつくりたい
     
    宇野 僕が思うのって、「情報テクノロジー×メディア」、つまり情報技術が画面の中やディスクの中を変えていた時代はもう終わるんじゃないか、ということなんです。Googleが何年も前から、ネット上の情報空間だけではなく、〈現実そのもの〉を検索する会社に変わっていったというのは、まさにその象徴ではないでしょうか。だから勘のいい人、鼻の利く人は「情報テクノロジー×現実」の時代がやってくると考えて動きだしている。
     「IoT(=Internet of Things。モノのインターネット)」はその代表です。それが具体的にどう世の中を変えていくのかということに関して、多くの人が想像できていない中、makeが出てきた。「情報テクノロジーで〈ものづくり〉が変わっていくんだ!」と、強烈に打ち出したのがmakeだと思うんですよね。
     

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  • Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.279 ☆

    2015-03-11 07:00  
    220pt
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    Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(後編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.11 vol.279
    http://wakusei2nd.com


    ハードウェアベンチャーCerevo代表の岩佐琢磨さんインタビュー後編は、知られざるハードウェア・スタートアップの歴史、そしてDMM.make AKIBAを中心としたメーカーズ・ムーブメントのこれからについて伺いました。前編はこちらのリンクから。
     
     
    ■ ハードウェア・スタートアップの歴史
     
    ――そろそろ、ハードウェアベンチャーの歴史について聞きたいんです。そもそも、家電のデジタル化はどこから始まったのでしょうか。
     
    岩佐 2000年代の頭に「デジタル家電革命」が起きたんですよ。例えば、ボイスレコーダーからカセットが不要になったのが、この時期です。アナログな部品の物理的機構がすべてシリコンに置き換わって、NAND型フラッシュメモリやSDメモリーカードみたいなものが入ることで、デジタルプロセッサで全て構築できるようになったんです。
     ちょうどその頃、電子機器の受託生産を行う「EMS」という業態が流行って、自社で工場設備を持たなくても、既存部品の組み合わせでモノがつくれるようになりました。
     そうなれば、もう自分たちで部品を設計しなくていいんです。実際、大手メーカーの安いボイスレコーダーなんて、自社部品はほとんど入っていないですよ。
     
    ――その背景にあったイノベーションは何だったのでしょうか。なんとなく、「ムーアの法則」でマイクロプロセッサが小型化していく波が、家電にも押し寄せてきたというくらいのイメージなのですが……。
     
    岩佐 いや、「小型化」は本質ではないです。家電メーカーは自社でアナログな部品を組み合わせて、テレビなどの表示機器を作っていて、その機能が小さなチップに収められるようになったのは、まさに仰るように「ムーアの法則」の賜物です。でも、別に「Intel 8086」のような汎用処理チップは、PC用として既にだいぶ前からあったわけです。
     だから一番重要なのは、90年代後半から家電に向けて専用のマイクロプロセッサ、いわゆるSoC(System on chip)を作る発想「それ自体」が登場したことです。家電の機能をチップに収めて、「全世界のテレビメーカーがこれを買ってくれたら、このチップへの初期投資数十億円がペイできる」なんて発想を抱く人たちが世界中で登場したわけです。当時は、かなりぶっ飛んだ発想でしたがその後当たり前になりました。
     
    ――IT産業の発想で家電ビジネスを捉える連中が登場したわけですね。
     
    岩佐 世界中のメーカーがアライアンスを組んで、共通規格を作り始めたのもこの90年代末のことです。
     例えば、SDカードの登場がこの時期でした。「SDアソシエーション」への入会を募って、スロットやカードの普及を頑張る人たちなどが出てきたんです。USBやBus共通化もこの時期ですよ。昔は、液晶や端末はもちろん、データの転送もエラーの訂正も独自方式だったんですね。それを、この時期にチップベンダーたちが、「そうした方が儲かるよね」という発想へと切り替えたんです。
     
    ――そうして自社工場を持つ必要がなくなった結果、2000年代に入ってハードウェアベンチャー企業が登場しはじめた、と。
     
    岩佐 僕らが始めるよりも3年くらい前、具体的には2002~2004年頃に、世界中で同時多発的に第一次ハードウェア・スタートアップの人たちが登場しました。
     そこで彼らが取った戦略は2通りです。「性能は多少低くても、デザインさえ格好良ければ売れる」という"デザイン派"と、「既成品より遥かに性能は低いけど、半額にしよう」みたいな"値下げ戦略派"の人たちです。安物のデジカメは、後者の流れから出てきたものです。一方で、いま主流のネットと接続するスマート家電のような戦略はありませんでした。
    その中で大成功したのが、海外勢の「Flip」ですね。ソニーが20年続けた全米ビデオカメラシェアを一つだけ蹴落としていた製品です。ただ、現在も生き残っているのはVIZIO社くらいかなあ。Flipを製造したPure Digital Technologies社も、最終的にCiSCO社に買収されてしまいました。
     ちなみに、iRobotの創業は1990年ですが、彼らはずっとBtoBの産業用ロボットを扱っていて、家庭用ロボットへの参入は2002年です。まさに、みんなが同時期に家庭向けに入ってきたわけですね。
     

    ▲Cerevoが企画・開発したスマート・スポーツ用品ブランド「XON(エクスオン)」の第1弾製品、スノーボード・バインディング「SNOW-1(スノウ ワン)」。
     


    ▲左右それぞれの足にかかった荷重やボードのしなりを計測し、そのデータをBluetooth連携したスマートフォンへリアルタイム転送することが可能。スノーボードのさまざまなテクニックを習得・上達することができる。
     
     
    ――結局、当時の新興企業が上手く残れなかった理由は何だったのでしょうか?
     
    岩佐 まず、デザイン派の人たちはコピーされてしまいました。デザインでの差別化なんて、せいぜい1年くらいしか持たないんです。実際、プラスマイナスゼロの加湿器デザインが発売された直後からウニョウニョした形の加湿器が増えてますよね。一時的にシェアを奪っても、すぐに形をパクられてしまうので、あとは価格勝負の持久戦です。そうなると、時価総額ウン兆円の大企業に勝つのは難しい。値下げ戦略派の人たちも同様の理由で、倒れていきました。
     だから、敗因は戦略ミスに尽きます。この辺の中小企業はもう2005、6年くらいにはだいぶ経営が厳しくなっていて、リーマン・ショックが起きた2008年くらいには倒産したり、再生ファンドに売られたりして、消えてしまいました。
     
    ――岩佐さんは、まさにその時期に登場したわけですが、勝算はどの辺りにあったのですか?
     
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  • Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.278 ☆

    2015-03-10 07:00  
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    Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(前編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.10 vol.278
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    「グローバルニッチ」な製品を発信し、世界中から注目を浴びるハードウェアベンチャーCerevo。今回のメルマガでは代表の岩佐琢磨さんに、起業のきっかけとなった原体験や、ハードウェア・スタートアップの歴史、そしてDMM.make AKIBAの抱く野望についてインタビューしました。
     

    ▼プロフィール
    岩佐琢磨(いわさ・たくま)
    1978年生まれ、立命館大学大学院理工学研究科修了。2003年から松下電器産業(現パナソニック)株式会社にてネット接続型家電の商品企画に従事。2007年12月より、ネットワーク接続型家電の開発・販売を行なう株式会社Cerevo(セレボ)を立ち上げ、代表取締役に就任。世界初となるインターネットライブ配信機能付きデジタルカメラ『CEREVO CAM live!』や、既存のビデオカメラをライブ配信機能付きに変えてしまう配信機器『LiveShell』シリーズなどを販売。
     
    ◎聞き手・構成:稲葉ほたて
     
     
    ■ DMM.make AKIBAの"裏"仕掛け人?
     
    ――岩佐さんがここ(取材場所のDMM.make AKIBA)に入居したのは、どんな経緯からですか?
     
    岩佐 いや、そもそも僕と小笠原さんとDMMで、この施設を仕掛けたようなものです。だから、機材のほとんどは僕が選定していますし、「秋葉原につくろうよ」と言い出したのも僕です。そこに自分で入らなくてどうする、という感じですね(笑)。
     
    ――そんなに深く関わっていたとは、知りませんでした。ITのイメージが強い渋谷や六本木ではなくて、秋葉原を選んだ理由は何ですか?
     
    岩佐 まさに、渋谷や六本木が、既に特定の業種の人間が集まる街になっているからですよ。
     もちろん、産業が特定の場所に集まっていることは大事です。例えば、iPhoneアプリを作っている会社が2つ営業に来て、所在地が葛飾区と六本木だったら、なぜか後者の方が信用度が高いと判断されそうでしょう?。あくまでもイメージですが、そういう現実があるのも事実です。
     僕たちハードウェアベンチャーには、そういう聖地的な場所がなかったんです。だから、僕は2007年に起業したときから、ずっと「そういう場所をつくろうぜ」と言ってきました。自分たちが旗を振って、「ハードウェアベンチャーといえば、やっぱアキバだよね」と思われるようにしたいんですね。
     
    ――大田区や品川区ではなくて、秋葉原でなければならない理由はありましたか?
     
    岩佐 販売店が多くて、部品も買える。店舗間のネットワークもあるので、テストマーケティングがやりやすい。その意味で、もう秋葉原はいきなり最適解です。しかも、日本でハードウェアといえば、ずっと秋葉原のイメージだから、とても自然です。
     あと、ハードウェアの場合は、海外戦略が重要になるのも大きかったです。「どこからお前は来たんだ?」と聞かれたときに、秋葉原なら「ああ! 知ってるぞ!」となりやすい。Tokyoのゲームやアニメを売っている街に、日本の最先端のハードウェア屋が集まっていると思われたら、なんだか良いじゃないですか。
     


    ▲Cerevoのライブ配信機能搭載スイッチャー「LiveWedge」(上)。ビデオカメラやパソコンをつなぐことでテレビ番組のようなカメラ切替やエフェクトに加えライブ配信が可能。高度な専門機材ではなく、タブレット端末から操作できる(下)。
     
     
    ■ 「ファミコンなんて薄っぺらくて、面白くない」
     
    ――今日は、岩佐さんに日本のハードウェアベンチャーの歴史を聞きたくて来たんです。
     
    岩佐 了解です。どこにもまとまっていない話ですが、大きな流れは語れると思います。
     
    ――……なのですが、取材のために調べながら、ビジネス系のメディアでの岩佐さんの発言の端々から、相当にガチなオタクであるとわかったので、少しその話をしたいな、と(笑)。実は、自作PCやパソコンゲームをかなり嗜まれてますよね?
     
    岩佐 ええ、そうですね(苦笑)。大阪にいた頃は、ずっと日本橋に通ってました。
     
    ……確か高1のときだったかなあ。当時は、自作PCじゃないとゲームが出来ない時代だったんですね。まだWindows 3.1で、Intel386からIntel486に移行するくらいの頃だったと思いますね。その頃にDOS/Vにハマって、洋ゲーの世界に行ったんです。
     
    ――早くから、パソコンゲームはやり込まれていたんですか?
     
    岩佐 最初は小学生のときです。友人の家に父親のPCがあって、それで『大戦略Ⅲ’90』をやったらドはまりしたんです。でも、その友人とは違う中学に進むことになってしまい、もう彼の家には入り浸れない。これは困ったと思って(笑)、両親にねだって中古のPC-286C(EPSON製PC98互換機)、と「大戦略III’90」を購入してもらったんです。
      当時は膨大な知識量がモノを言うゲームが好きで、だから一番最初にハマったのも、フライトシムと戦略シミュレーションゲームでした。「大戦略」は数百種類の兵器の情報が全て頭に入っているかで、戦略の組み立て方が全く変わってくるんです。その流れで「工画堂スタジオ」や「マイクロプローズ」の作品にハマって……ああいう当時のソフトハウスとともに育った人間ですね。フライトシムも500ページの辞書みたいな取扱説明書を読んで、プレイしていました。
     
    ――結構、ヤバい中学生ですよね。
     
    岩佐 逆にコンシューマーゲーム機のゲームなんて、中学にいってからは全然やらなかったですからね。「あんなのは薄っぺらくて、面白くないな」と思っている子供でした。結局、初代PlayStation(以下、PS)も買わなかったです。それどころか、セガサターンもスーパーファミコンも買ってない。ファミコン以降でPS2より前のゲーム専用機はひとつも買ってないですよ。そのPS2もほぼ『GranTurismo』シリーズ専用機でしたし。まあ、自動車が好きなだけなんですけど(笑)。家庭用ゲーム機は、どうしても深みがない気がして、嫌いだったんですね。
     
     
    ■ Cerevoの原体験はゲーマー活動にあり?
     
    ――それだけパソコンゲームをやっていたとなると、やはりパソコン通信もやってましたか?
     
    岩佐 中学生の頃には草の根ネットに入りびたってました。親が寝てからこっそり電話からモデムへと回線を繋ぎ変えて(笑)。でも、これが現在のCerevoでの事業の原体験なんですよ。
     もう若い人には想像がつかないかもしれないけど、インターネットがなかった時代には、学校は「箱庭」だったんです。学校の小さなクラスが世界そのもので、そこに自分と同じものを好きな人がいなければ、もうおしまい。しかも、僕はすっかり軍事オタクになっていたので、「どこのミサイルのフィンの高さが何ミリだ」みたいな話をしていて毎日楽しいという、実にイカれた、ダメな中学生になっていた(笑)。
     ところが、ある日そこにパソコン通信って世界が現れて、ネットに繋いだら見たこともない世界が広がっていた。フライトシムが好きな中学生や大人のおっちゃんたちと繋がれて――ああ、やっぱり日本には1億人がいて、オトンもオカンも学校の連中もみんな知らないけど、学校に縛られないもっと広い世界があるんだ――そんなふうに思えたんです。いちクラスの中では誰もほしいと思ってくれない超ニッチな商品であっても、実は日本だけでも1万人や10万人、世界に目を向ければ50万人や100万人がいる。中学生の頃にマニアックな草の根BBSの世界を覗いてそれを肌で感じたことは、やはり僕の原体験として鮮烈に残っているし、現在もなおその記憶を引っ張り続けています。
     
    ――つまり、Cerevoの「グローバルニッチ戦略」の原点には、パソコン通信でのオタク体験があったと。
     
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  • 【再配信】『もののあはれ』の実装は可能か――「necomimi」作者・加賀谷友典が師・江藤淳から継承した思想 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-02-02 07:15  
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    『もののあはれ』の実装は可能か ――「necomimi」作者・加賀谷友典が 師・江藤淳から継承した思想
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.2 号外
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    「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年7月に配信した、脳波で動く猫耳「necomimi」を作った加賀谷友典さんへのインタビューです。一見キャッチーなプロジェクトの先に浮かび上がる、「もののあはれ」という意外な言葉の真意とは――?(2014.7.9配信)
     

    ▼プロフィール 加賀谷友典(かがや・とものり)
    1972年生まれ、慶應義塾大学総合政策学部卒業。フリーのプランナーとしてデジタル・ネットワーク領域で多数のプロジェクト立ち上げに参加。新規事業開発における調査、コンセプトの立案、チームマネジメントが専門。主な事例としては坂本龍一インスタレーション作品「windVibe」「Phonebook」「iButterfly」(電通)、「GEOCOSMOS」(日本科学未来館)、読売新聞yorimoプロジェクト、脳波で動くネコミミ”necomimi”など。
     
    ◎構成:稲葉ほたて・池田明季哉
     
     
    necomimiの作者は何をつくろうとしているのか
     
    宇野 僕は加賀谷さんを人に紹介しようと思う時に、いつもどう紹介したらいいか悩んでしまうんですよ。加賀谷さんのような立場でものづくりに関わっている人って、僕の知る限りほとんどいない。効率化と最適化を行うコンサルティングだけでもないし、単に表層的なアイディアを出すのでもない。何か思想を含めた、トータルなビジョンを提案しているように感じるんです。
    加賀谷 そうですね。僕のやっていることは説明が難しいんです。最近自分のことを「新規事業開発専門のプランナー」と言えばなんとなく耳慣れていて納得してもらいやすい、ということを覚えたんですが……(笑)。もっと本質的なことですよね。
    僕は情報ジャンキーなんで、純粋に知りたい欲求で動いているんです。だからたまたま物事がメジャーになる手前でキャッチすることが多くて、それをプロジェクトにしていく感じです。例えばphonebookはまだガラケー全盛のスマホ黎明期に、タッチパネルを使って絵本を作ったプロジェクトでした。
     
    ▲phonebook
    https://www.youtube.com/watch?v=AQ-oQihxBws
     
    その後はiButterflyという、ARとGPSを組み合わせて、ある場所にしかいない蝶を捕まえてクーポンをゲットするアプリケーションを作りました(https://www.youtube.com/watch?v=HAQh-_nFH-s)。
    それでスマホはだいたいやったな、と思ってシリコンバレーに遊びに行ったら、脳波テクノロジー・ベンチャーのニューロスカイ社と仲良くなり、それでnecomimiに繋がっていったわけなんです。
     

    ▲necomimi
    https://www.youtube.com/watch?v=w06zvM2x_lw
     
    宇野 加賀谷さんのプロジェクトって、言ってしまえば全てコミュニケーションなんです。でもその捉え方が普通と少し違っているのが興味深い。
    そもそも情報機器によるコミュニケーションって、文字とハイパーリンクによって人間の内面を陶冶していくような話が多いじゃないですか。しかも、現在のネット空間を見ていると、その可能性を語るのはかなり厳しくなっている。ところが、加賀谷さんのプロジェクトはそんなふうに人間を文字で内面から陶冶する可能性なんて一度も検討したことがないような気さえする(笑)。
    加賀谷 まさに、そういうところからは距離をおいてますね……。だって、動物の生態系なんて、非言語的ではあっても、情報のやりとりはなされているわけでしょう。別に言語に拘る必要はないじゃないですか。

     
     
    文芸評論家・江藤淳がコンピュータ・サイエンスについて語った"予言"
     
    宇野 プロフィールを見て気になったのですが、加賀谷さんはSFCにいたときに、文芸評論家の江藤淳のゼミにいらっしゃっいましたよね。
    加賀谷 そこに目をつけますか(笑)。江藤先生のことを話すのは初めてですよ……。僕が先生と出会ったのは、ちょうど江藤さんが学部での講義を再開した頃でした。後継者として文芸評論家の福田和也さんを連れて来られる数年前ですね。
    僕の方は当時大学の一年生で、SFCに政治哲学をやりたくて入ったばかりだったのですが、あの頃は現実の政治体制の分析みたいなことしかやっていなくて……もう正直なところ、退学しようと思っていたんです。でも、そんなある日、ちょうど病気の療養から回復してきたばかりの江藤淳さんが、それでまでに一度も話したことがないという「現代思想」の講義をするという機会があったんです。
    じゃあ、それだけは聞いて辞めようと足を運んで……僕は人生で最も興奮する講義を聞いたんです。
    宇野 それは、とんでもなく貴重な機会に恵まれましたね。
    加賀谷 その講義で一つ忘れられないのが、江藤さんがコンピュータについて言及して、「おそらくコンピュータサイエンスから、言語を否定するような言語理論が生まれてくるだろう」と言ったことなんです。
    正直なところ、当時は何を言ってるのかわからなかった(笑)――でも、なぜかめちゃくちゃに興奮したんですね。
    その後、僕は彼の日本文学のゼミで、言語哲学のようなことを始めました。周囲が坪内逍遥の作品だとかを研究している中で、「言語という秩序体系が、なぜ非秩序である"心"を表現しうるのか」みたいな思想的問題を、一人で延々と考えていたんです。そこで興味を持ったのが本居宣長でした。彼は「漢字の輸入によって、言語を文字として定着させられるようになったけれども、"もののあはれ"が失われてしまった」と「漢意」を批判しているわけですね。
    宇野 それは、江藤淳という人が近代日本のニセモノ性に極めて自覚的だったことと大きく関係してると思います。一般的には戦後日本の文化空間が敗戦とその後のアメリカによる統治によってもたらされたニセモノである、ということを批判した人だと江藤さんは思われている。それは正しいのだけど、より正確にはそんなニセモノであることに自覚的であることによってしか、現代人は成熟できないし、その自覚にしか文学は生まれない、という考えがあったと思うんですよね。そして同時にそれは日本語という日本の近代化が生んだ装置の不完全性への対峙こそが、現代文学であるという理解にもつながっていたと思うんです。
    ところが、加賀谷さんのアプローチというのは、言語が世界を表せないのなら、最初から言語以外のツールを使えばいいという発想になっている。だからそもそも言語の不完全性に向き合う必要がない。
    加賀谷 まさにそうなんです!
    だから、そういう話を江藤先生にしたら、「さすがに日本文学の研究室は違うよね」と言われて「どうしますかねえ」となって、一緒にお酒を飲んでました(笑)。
    宇野 江藤淳の弟子筋からこういう人が生まれたのは、いい意味で歴史の皮肉だと思うんですよ。
    加賀谷 でもね、それから僕は大学を出たあとに大学院にも行かずぶらぶらしていたのですが、その頃に江藤さんにお会いしたら「とりあえず、生き延びろ」と言われたことがあるんです。「俺なんて初めて給料をもらったのは30歳を過ぎたときだ。君はまだ8年もあるだろう」と(笑)。▼【ここから先はチャンネル会員限定!】PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は2月も厳選された記事を多数配信予定です!
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  • 【再配信】3Dプリンタは最後の一ピースでしかない――株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-01-26 07:15  
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    ▼PLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」2015年1月の記事一覧はこちらから。
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    ▼今月のおすすめ記事
    ・國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第9回テーマ:「逃げること」・宇宙の果てでも得られない日常生活の冒険――Ingressの運営思想をナイアンティック・ラボ川島優志に聞く・井上敏樹書き下ろしエッセイ『男と×××』/第5回「男と女4」・ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)・『Yu-No』『To Heart』『サクラ大戦』『キャプテン・ラヴ』――プラットフォームで分かたれた恋愛ゲームたちの対照発展(中川大地の現代ゲーム全史)・1993年のニュータイプ──サブカルチャーの思春期とその終わりについて(宇野常寛)
    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ



    【再配信】3Dプリンタは最後の一ピースでしかない―株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.26 号外
    http://wakusei2nd.com


    「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年3月に配信した、「さくらインターネット」の起ち上げメンバーで現在は株式会社nomad代表取締役を務める小笠原治さんへのインタビューです。ネット業界15年になるベテランであり、現在ではDMM.make AKIBAの事実上のプロデューサーの一人としても知られる小笠原さんの興味はいま、「モノづくり」「場づくり」にあるといいます。ネットを前提とした"新しいリアル"について宇野常寛と小笠原氏が語り合いました。【2014.3.26配信】
    インタビュー終了後、株式会社nomadの入口奥にあるスタジオに案内されると、何台もの巨大な3Dプリンタが稼働する光景に出くわした。

    そして、テーブルの上にずらりと並ぶのは、作りかけの立体造形物の数々。だが、よく見ると何やら美少女フィギュアがやけに目につくような……。
    「日本では、やはりフィギュアなども多いですね。もちろん、一番多いのは僕らも何に使われるかわからない部品ですが。海外だと文房具なんかもよく作られているように感じます」

    そんな風に日本の3Dプリンタ事情を話しながら案内してくれたのは、株式会社nomad代表の小笠原治氏である。このスタジオは、氏の会社が運営する3DプリンティングセンターでIsaacStudioと呼ばれている。顧客にはDMM 3Dプリントなど国内大手が名を連ねる。
    株式会社nomad(公式HP)http://www.nomad.to/
    小笠原氏のインターネット業界での経歴は、国内最大手のホスティングサーバの老舗「さくらインターネット」の起ち上げなどを経て、既に15年に及ぶ。そんな彼が近年興味を持っているのが、なんとリアルでの「モノづくり」や「場づくり」。3Dプリンタだけでなく、飲食店やコワーキングスペースの経営にも乗り出しているという。
    今回、取材の中で見えてきたのは、それが決してインターネットからの「撤退」ではなく、むしろ彼なりのインターネット観にもとづくものであったことだ。メディア論に傾きがちな近年のインターネット論では見落とされがちな、「モノづくりのためのインターネット」の未来を、宇野と小笠原氏が話し合った。
    ▼プロフィール小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1971年京都府京都市生まれ。株式会社nomad 代表取締役、株式会社ABBALab 代表取締役。awabar、breaq、NEWSBASE、fabbit等のオーナー、経済産業省新ものづくり研究会の委員等も。さくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役。2006年よりWiFiのアクセスポイントの設置・運営を行う株式会社クラスト代表。2011年に同社代表を退き、株式会社nomadを設立。シード投資やシェアスペースの運営などのスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化、株式会社ABBALabとしてプロトタイピングへの投資を開始。
    ◎構成・稲葉ほたて
    現在のインターネットが面白くない理由
    小笠原 あまり取材慣れしていないので、恐縮しています。そもそも宇野さんは僕のどこに興味持ったのですか?
    宇野 『ITビジネスの原理』の尾原和啓さんが主催しているディスカッションイベントで、小笠原さんと同じテーブルになったことがあったじゃないですか。そこで小笠原さんが「今のインターネットはつまらない」と言って、「これからは場づくりやモノづくりなんだ」と強調していたのが印象的だったんです。今日はまさに、その辺をじっくりと聞いていきたいんです。
    小笠原 なるほど。まず、あの言葉の大前提には「僕、インターネット大好き」があるんです。今のインターネットが残念なのは「だからこそ」なんですね。
    例えば「さくらインターネット」(※)は、僕と今の社長と前の社長が発起人だったのですが、もう3人とも全然違うレイヤーで生きてきた連中だったんです。僕なんて、小学生の頃こそマイコン少年だったけど、その後は田舎のヤンキーになってしまい、結局高校も行く気がなかったような人間ですよ。でも、そんな僕みたいな人間でも、インターネットは選択肢を広げてくれたし、多様性を認めてくれたんですね。
    僕は「インターネット」という言葉は、"インター"の部分が大事だと思うんです。プロトコルさえ合っていれば、あらゆるネットワーク同士が繋がっていくわけですよ。当時の僕は、言葉のような壁を超えて、色んな人が繋がり合えるような世界を夢見ていました。その延長線上で、きっと地理上の特性も薄れていって、人間がそれぞれの好みで共感しあうような日が来るんじゃないかと思ったりしてね。そんなインターネットが新鮮で、すごく楽しくて、僕は15年くらいそこに没頭していたんです。
    でも、いまふと周囲を見ると、そんなことにはなっていない。こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、単に広告を販売するためのメディアに、お節介なソーシャル、そしてスマホゲームのインフラ……目立つのはそれくらいで、他はあまり目につきにくいんです。
    ※ さくらインターネット……ホスティングサーバを中心とする、データセンター事業およびインターネットサービス事業を行う企業。国内最大手の老舗で、GREEやはてな、mixi、最近ではSmartNewsなどの有名サービスが起ち上げ期から利用してきた。
    テレビ文化の延長線上でしかない「ネット文化」
    宇野 いまのお話は、要するに「最初のソーシャルメディア革命、ここ15年のインターネットで社会を変える運動は失敗した」ということですね。僕もそう思います。
    小笠原 もちろん、商業的に上手くいったのは事実なので、それ自体は良いことだと思っています。でも、その結果として、なんだか暇な時間の消費に使わされている気がしていて……。まあ、"お節介なソーシャル"なんて言いながら、僕もよくソーシャル上に張りついているし、周囲の方々が作っているソーシャルゲームをプレイして、それに課金だってしているわけです。でも、その時間って、本当はなにか物事を考えるのに使えたはずなんですよね。
    広告を載せたメディアにしても、かつて広告代理店の人がテレビCMを流すようなことを「コミュニケーション」と呼んでいたのを思い出すんです。でも、あれはある意図で一方的に情報を大量に流しているだけで、「何を言うか」より「誰が言うか」が大事な世界でした。でも結局、いま起きていることはそれがライトになって、多くの人に可能になっただけ。何も変わっていない気がするんです。
    宇野 いま小笠原さんが挙げたものは、ぜんぶテレビが生んだものだと僕は思うんですよ。現在のTwitter世間での陰湿ないじめ空間は80年代~90年代の"お節介なワイドショー"そのものだし、ソシャゲによる情報弱者からの時間収奪も現在のテレビバラエティや情報番組と同じ構造でしかない。広告についてはいわずもがな、テレビのCMが代表する代理店ビジネスが別のかたちで生き延びている。つまりは、バラエティ、ワイドショー、CMに該当するものがネットに置き換わっただけなんですよ。
    結局、日本のインターネットは、"第二のテレビ"のようになってしまったんです。テレビと広告代理店がバブル前後に作った日本的世間に反旗を翻そうとしてきたのに、気が付けば「センスが20歳若いテレビ」にしかなっていないんですね。
    小笠原 結局、誰かがピックアップしてきたものの増幅器にしかなっていないんですよね。だから、さっき挙げたような商売に乗れる3つしか話題にならない。その結果、確かに宇野さんの言うように、僕たちの周囲には「メディア論」みたいなものがやけに多くなっていますね。
    宇野 でも結局、メディアとしての側面って、インターネットのごく一部でしかないですよ。例えば、インターネットは、これまでとは違ったかたちでコミュニティを形成できるテクノロジーでもあるわけです。インターネットには地縁や血縁に基づかない、家族とも会社とも違う「100%自己責任で選んだ人間たちでコミュニティ」を作ることができる可能性がある。でも、そういう方向にはなかなか行かないでしょう。みんなインターネットをテレビや新聞の代わりに使うことばかりに夢中で、ネットでコミュニティを変えようとしない。
    小笠原 全くもって同意ですね。そう思ったときに、僕は当初の考えに戻ってみたんです。僕が大好きだったインターネットは、そもそもネットワークでコミュニティ同士を繋ぐものだった。じゃあ、まだ皆が目をつけていない場所にそれを作ればいいじゃん、と。
    そういう考えで、最近はIoTに取り組んでいます(※)。今年の頭に冒頭のイベントで話したときですら、尾原さんに「それを今年のキーワードに選んだの、あなただけだよ」と言われたのですが(笑)、結構周囲と喋っていると感触がいいんですよ。それで、まさに本格的に動いてみようと思っているところです。
    ※ IoT……「Internet of Things」の略称。日本語では「モノのインターネット」とも言われる。パソコンやサーバー、プリンタなどのIT関連機器だけでなく、自動車や家電などをインターネットに接続していく技術の総称。
    「回転率の逆を行け、滞在時間を増やせ」
    宇野 いや、本当にそんなこと考えているのは小笠原さんだけだと思いますよ(笑)。要するに小笠原さんはいま、インターネットの時代”だからこそ”の「モノづくり」と「場づくり」を考えている。その背景を今日は話してもらおうと思って来たんです。
    小笠原 ……うーん。今のタブレットやスマホでは、なかなか与えきれない要素についての話なんです。まあ、味覚や触覚のような五感も使いますし……。
    宇野 いや、何を言いたいかというと、ここで言葉をしっかり選ばないと「アナログ説教厨」みたいに思われてしまうということです(笑)。でも、小笠原さんは決して単に「デジタル技術に溺れるとアナログな人間の温かみが……」なんてことを考えている訳じゃない。むしろ冒頭におっしゃったようにインターネットが好きで、インターネットの時代「だからこそ」の「もの」と「場所」をつくろうとしている。
    小笠原 なるほど(笑)。わかります。ちょっと話が飛びますが、一つ例を出します。
    3年ほど前、六本木にawabarという立ち飲み屋を作ったんです。今でこそ本当に色んなお客さんが来てくれて、お陰様で毎日楽しくやっていられるのですが、最初の頃は誰も来ませんでした。周囲からは「急に飲食店なんか始めて、何やってるの?」と言われましたね(笑)。

    awabar(http://awabar.jp/)の外観写真。でも、awabarでは最初からずっと、店に来た数少ないお客さんのログを取り続けていたんです。飲食店の経営ってちっともデータ化されてないから、すぐ「回転率がどうこう」みたいな話になってしまうでしょう。でも、それは本当か、と思って。
    僕が考えていたのは、ウェブ風に言うなら、お客さんの「滞在時間」を上げることなんです。回転率を高めることをまず考えるという飲食店経営の常識とは違うかもしれない。でも、最初は机上の空論だったものを試行錯誤しながら形にしていったら上手く行くことなんて、ウェブでもよくある話でしょう。
    だから、スタッフにも「回転率の逆を行け、滞在時間を伸ばせるかチャレンジしてみろ」と言いました。おすすめする飲み物の値段も最初はあえて高めに置いて、そこから徐々に落としたりしながら、平均滞在時間のデータを取っていきました。事前に立てた仮説は、30分の滞在単価が900円、1人の来店単価は1800円だったのですが、滞在単価はピッタリ当たったけれども、来店単価が1400円くらいで伸び悩んでしまったんですね。
    そこで僕は次に、お客さんとしゃべるスタッフ数を増員したんですよ。人は長く居ると、飲み物ぐらいは頼んでくれますからね。しかも、僕らはお得意さんのことも少しは知っていますから、それを元にスタッフが人を紹介したりして、コミュニケーションを盛り上げるんですね。飲食店員と言うより「コミュニケーションマネージャー」みたいなイメージです。
    その結果、滞在単価は700円になったけど、来店単価は2200円になりました。みんな1時間半以上いてくれるようになって、全体の売上も伸びました。まあ、この滞在時間を伸ばして客単価を上げる手法は、実はウェブサービスのテクニックそのものなんですけどね(笑)。
    宇野 面白いですね。情報技術がこういうかたちで発展するまで、僕たちは人間の心理やコミュニケーションをこれほどコントロールできるとは考えていなかったはずなんですよ。でも、この10年、インターネットを中心にそのノウハウが積み上がって、社会全体にそれが共有され始めている。僕の考えではインターネットの普及はメディアの在り方をマスからソーシャルに変えたこと以上に、人間のコミュニケーションや、コミュニティの「空気」を可視化してコントローラブルにしたことで社会を変えたと思うんです。今のお話も、まさに後者の変化がもたらしたものですよね。
    小笠原 ウェブの考え方は、もっと色々な場所で使えるんじゃないかと思っていますね。僕としては、ウェブで行われてきた壮大な実験を、まずはリアルの極小の場所で試してみたかったんです。だから、わざわざ10坪の小さい店を選んだわけで。
    ちなみに、集客の仕方も色々とウェブサービスをヒントにしているんですよ。
    例えば、イベントの際にどうやったら人を誘いやすいかと考えたときに、「やはり、無責任に誘えるのがいいだろう」と思いついたんです。そこで、幹事の人がお金を集めなくてもいいキャッシュオンにしたんです。そうすれば、どれだけ人が来ようが、幹事は気楽なものでしょう。そのときに思い描いていたのが、「mixiの中でコミュニティを作るくらいの気軽さ」です。まあ、最近はFacebookイベントみたいになっていますが(笑)。
    あと、10坪しかない店なので、50人も来たら溢れちゃうんです。でも、ウチの店は外から店内が見えるようにしているので、周囲の人が「何だ何だ」とやってくる。これ、Twitterの「バルス祭り」みたいなものですよ(笑)。「あそこ、いつも混んでて入れねえ」「すげえ」みたいな。そんなときに、皆から「会ってみたい」と思われているような人がちょうど店に来ていて、TwitterでつぶやいたりFacebookでチェックインしてくれたりして、それで評判になっていきました。
    3Dプリンタはものづくりの最後の一ピースでしかない
    宇野 この視点はやはり「メディアとしてのインターネット」に拘泥している思考からは出てこない。僕は78年生まれで、ブロードバンドの普及期に大学生だった。その世代から見ると、当時のインターネットって、今思うとやけに「文化」としての側面が強いんですよね。インターネットで変わるのはニュースメディアだったり、ゲームだったり、マニアックな趣味のお店の通信販売が手軽になったり基本的に文化の領域だという印象があった。しかし、ここ10年で完全に変化は「生活」の領域に降りてきたと思うんです。
    僕はよく言うのですが、社会が変わるときには、まずは想像力のレベルで――つまり「文化」のレベルで変革が起きる。次に、それが実現していくことで、「生活」が変化していく。そして、最後に「生活」の必要性から、「政治」が変化していくんです。
    そういう意味では、現在のインターネットは「文化」の次にある第二段階としての「生活」の領域に入り始めている。実際、ネットなしでは僕はショッピングもできないし、銀行決済もほとんどネットバンキングにしているので、金融活動そのものが成り立ちません。何より、ここに辿り着くのだって、「Google マップ」がないと難しい。こういう「生活」の話というのは、おそらくリアルでの「モノづくり」と大きく繋がるような話だと思うんです。
    小笠原 まさに、そうですね。例えば、3Dプリンタがものすごく騒がれていて、僕自身も手がけていますが……でも、あれって「モノづくり」に必要な環境でいうと、最後の一ピースの話でしかないんですよ(笑)。

    ▲特に大きかった3Dプリンタ。購入価格を聞いてみると、目玉が飛び出しそうな額でした……。3Dプリンタが活きるのは、アリババ(※)を筆頭に部品やモジュールを探せばすぐに手に入って、さらには複数の販売者と交渉までできてしまうなどのような、この5年くらいに生まれた環境があってこそなんです。
    例えば、アリババで同じモジュールを売っている業者を見つけたら、その5社くらいとチャットでつないで、同時に見積依頼をしたりするわけです。ほとんど、「一人オークション」ですよ(笑)。しかも例えば、10万個くらい頼んでやっと1個100円くらいになる部品でも、いざ探してみたら1000個の発注でも150円くらいで出荷してくれる連中が見つかるんです。そうなると、少量生産が可能になるわけですね。3Dプリンタが騒がれる土台には、こういう環境の整備があるんです。
    宇野 まさに第一段階が終わったからこそ、第二段階があるわけですね。

    ▲株式会社nomadのオフィス1Fには、3Dプリンタで作成された沢山の模型やフィギュアが展示されている。▲3Dプリンタで作られたスマホケースも(汗)。宇野がTwitterに流したら大ウケでした……。 
  • ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.244 ☆

    2015-01-20 07:00  
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    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ




    ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.20 vol.244
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、昨年12月13日の「PLANETS Festival」にて行なわれたデザイナー・根津孝太さんとクラウドワークス代表・吉田浩一郎さん、そして宇野常寛の鼎談をお届けします。対談集『静かなる革命へのブループリント』(以下、『ブループリント』)にも登場し、「クルマ」と「働き方」というそれぞれ別の分野で変革を起こしつつある2人のイノベーターはいま、どんなことを考えて活動しているのか。『ブループリント』以降の視点から徹底的に語りました。 
    ▼当日の動画はこちらから。(PLANETSチャンネル会員限定)

    ▼プロフィール


    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、トヨタ自動車入社。愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多くの工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発も行う。パリ Maison et Objet 経済産業省ブース『JAPAN DESIGN +』など、国内外のデザインイベントで作品を発表。グッドデザイン賞、ドイツ iFデザイン賞、他多数受賞。2014年よりグッドデザイン賞審査委員。



    吉田浩一郎(よしだ・こういちろう)
    株式会社クラウドワークス 代表取締役社長 兼 CEO。
    1974年兵庫県生まれ。登録会員数24万人、4万社超の企業が利用する日本最大級のクラウドソーシングサービス『クラウドワークス』(http://crowdworks.jp/)創業者。ヤフー、ベネッセ、テレビ東京等と提携しており、電通グループや伊藤忠グループ、サイバーエージェント、リクルートグループ等から15億円を超える出資を受ける。日経ビジネス「日本を救う次世代ベンチャー100」選出。著書に『クラウドソーシングでビジネスはこう変わる(ダイヤモンド社)』等がある。
    ◎構成:中野慧
    オープン・イノベーションと「残りの9」の関係
    宇野 この座談会では「産業から社会を変える」というテーマで、カーデザイナーの根津孝太さん、そしてクラウドワークス代表の吉田浩一郎さんとトークをしていきたいと思います。それでは改めてご紹介します、PLANETSのイベントではすっかりお馴染み、カーデザイナーで「znug design」代表の根津孝太さん、そしてクラウドワークス代表の吉田浩一郎さんです。
    根津・吉田 よろしくお願いします。
    宇野 根津さんはもともとトヨタのカーデザイナーで、今は独立してクルマだけではなくいろんなデザインを手掛けていて、「デザインによって世の中をどう変えていくのか」というお仕事をされている方です。
     吉田さんは「クラウドワークス」というクラウドソーシングサービスを運営していて、一言で言うと個人が会社に所属するのではなく、ネットワークに繋がることによって仕事をしていく働き方の実現を目指している。
     対談集『静かなる革命へのブループリント』では、一番最初に根津さんとの対談、二番目に吉田さんとの対談が載っているんですね。僕はこの2人って、まったく異分野のようでいて、抽象的なレベルではすごく近いことをやっていると思うんです。根津さんは「クルマ」もしくは「ものづくり」、吉田さんは「働き方」。ともに戦後日本を支えてきたシステムそのものですが、それが耐用年数を過ぎ、社会全体にある種の閉塞感を生んでいる。
     普通は「じゃあしっかりグローバル化に対応しよう」と考えるんですが、この2人はそうではない。根津さんはたとえば、これまで日本のものづくりのスタンダードだった「トヨタイズム」を否定しているわけではないし、吉田さんも単純に日本的な雇用環境=つまり「正社員」をベースにした社会を否定しているわけでもない。2人とも「日本ならではのアップデート」を考えているわけです。
     『ブループリント』で収録した対談からおよそ一年が経ったんですが、この一年でどうお二人のビジョンが変わっていったのかを訊いてみたいと思います。
    吉田 私はやっぱり、20世紀的な「大企業で正社員が働く」ということを中心に据えた在り方がターニングポイントを迎え、もうすぐ正社員比率が50%を切るという世の中になっている今、働くインフラが未整備になっている状況を何とかしたいと思って日々仕事をしていますね。
    根津 『ブループリント』の対談のなかで吉田さんは「既存の正社員的な働き方もあってもいいけれど、そうではない働き方を広げていきたい」ということをおっしゃっていましたよね。僕が仕事をしている自動車業界って、やっぱり皆さんが思っているとおりの堅い業界で、働き方や組織の組み方はまだまだ動かしづらい。最近トヨタでも、一回アウトソーシングした技術系の会社の一部をもう一度本体に取り込むなんてことをしていましたが、まだまだすごく迷っていますね。
     で、これは本の中でも言いましたが、結局トヨタを辞めたあとのほうが、会社の中に残っている面白い人たちと繋がって仕事ができるようになるんですよ。吉田さんの取り組んでいらっしゃることも、要は「個人と大きな企業が組んででシナジーを起こす」ということだと思っていて。
    吉田 なるほど。ちなみに根津さんがトヨタにいたとき、なんで社内の面白い人たちと組むことができなかったんですか?
    根津 「僕、あの人と組んで仕事したいんですけど」って社内にいる状態で言ったら、それはただのわがままですよね(笑)。
    吉田 なるほど(笑)。でも、21世紀ってもはや「わがまま」ぐらいしか価値を持たない気がするんです。世の中の仕組みすべてがコモディティ化というか、誰がやっても変わらないようになっていくなかで、「わがまま」ぐらいのほうがワクワクするじゃないですか。
    根津 その通りですよね。僕は会社にいたときも自分なりにアンダーグラウンドで動きまわったりしていたんですけど、それをカタチにして価値にするのが難しかった。だから辞めちゃうほうが早いかなと思ったんですね。
     でも吉田さんのやっているようなフレームを上手く使って、社会保障も込みで独立してもやっていけるようになれば、「会社と個人のシナジー」がもっと有機的なかたちで実現できるんじゃないかと思ったりしますね。
    吉田 根津さんに一つ訊いてみたいんですけど、今までにない面白いクルマを考えたとして、それを世に出すには安全面での規制が立ち塞がるんじゃないかと思うんです。自動車ってやっぱり、人の生命を預かる器じゃないですか。
    根津 それはすごく大きい問題ですね。たとえば僕は『zecOO(ゼクウ)』っていう電動バイクをつくっていて、僕がスケッチを書いてから試作品が完成するまで、すごい人たちと組んだこともあって、だいたい3ヶ月ぐらいでした。それはそれで大変だったんですが、でも試作品をつくるハードルが1だとすると、製品として実際に発売されるまで持っていくには10ぐらいかかるんです。
    吉田 なるほど。我々がやっていることって要はオープン・イノベーションで、直近だとネスレさんがキットカットの新しいお菓子をうちのユーザーさんと組んで、クラウドソーシングで企画・デザインしていこうとしているんです。そういうやり方を最終的にはクルマの製品化とかにも使ってほしいんですけど、やっぱり「残りの9」というか製品化までが大変なわけですよね。
     で、私が気になるのは、その「残りの9」って果たしてコモディティ的な仕事なのか、それとも結構ノウハウが詰まっているものなのか、ということなんです。
    根津 その「残りの9」にはノウハウが詰まっていますね。大手のメーカーには、散々辛酸を舐めながらも製品化まで持っていく経験を積んでいる人たちがたくさんいて、そういう人がどんどん独立してもっと自由に活動できるようになったら面白い。機械やシステムにそういったノウハウの部分を任せるのは難しいですし、やっぱり人に属している部分がまだまだ大きいですから。
    本当にイノベーティブなものは「コミュニティ」と「プラットフォーム」のどちらから生まれるのか?――DMM.make AKIBAから考える
    宇野 これってすごく重要なポイントで、その「残りの9」――つまり、製品化までのノウハウやテクニックって、いわゆる企業文化のなかでしか蓄積されていないし、そもそも明文化されていない。結局コミュニティとか文化のレベルでしか養っていけないということですよね。
     これからはそれを、今の硬直した日本の大企業の外側にいかにつくっていけるかが大事になっていく。で、この問題に関して僕はなんとなく答えに近いものが出ているんじゃないかと思っていて、例えばDMM.make AKIBAというものが最近話題になっていますよね。
     どういう場所かというと、要は個人やユニット単位でイノベーティブなものづくりをする人たちのためのシェアオフィスなんですよね。ここでは今までは大企業の研究所にしかなかったような、プロダクトをつくるための環境――3Dプリンターを筆頭に、高圧電流を流す発生装置だったり、マイナス80℃にしても壊れないかテストできる箱だったり、そういった高価な機材が使えるようになっている。でも実はあの場所の一番の強みって、「コミュニティ」としての機能を備えているところだと思うんです。
    根津 実は僕、まさにそのDMM.make AKIBAに引っ越すんですよ(笑)。宇野さんのおっしゃるとおりで、僕があそこに引っ越す第一の理由は「人の繋がり」です。
     ちょうど昨日、SFCの学生さんから「ベンチャーで新しいものをつくりたいので相談に乗ってください」と言われて話をしたんですけど、DMM.make AKIBAに引っ越す話をしたら、その学生さんも「あ、僕もこないだ部屋借りました」って言っていて。やっぱりあの中にいることで、化学反応がより加速しやすいんじゃないかと思うんです。
    宇野 DMM.make AKIBAの事実上のプロデューサーである小笠原治さんって、さくらインターネットの創業陣の一人だったんですよ。つまり90年代後半のインターネット黎明期=テキストサイト時代に、サーバー屋としてイノベーティブなことが起こる環境をネット上に整備した人間なわけです。その彼が、いまDMM.make AKIBAをつくっている。これってすごく大きな思想的転換だと思うんです。
     はっきり言ってしまうと、実はあの場所ってアメリカから入ってきたオープン・インターネットのポピュリズム的な思想から切れている。いや、建物の壁には「Open Share Join」ってドーンって書いてあるんだけど、Openだけは条件つきの「オープン」じゃないかと思っていて、中に入る人をすごく選んでいてある種のエリーティズム的な空間になっているわけです。
     そこで僕が気になるのは、吉田浩一郎はあの場所をどう思うのかということ。つまり、クラウドソーシングって、未だに生き残っているオープン・インターネットの数少ない夢のひとつじゃないですか。
    吉田 うーん、私は小笠原さんとも友人なのでそれを前提にして言いますけど、エリーティズムは嫌いですね(笑)。私はやっぱり学歴コンプレックスもばりばりありますし、ものづくり工場でゼロからやってきた人間だから、そういう意味ではオープン・インターネット、オープン・イノベーションが大好き。いま、3Dプリンターを始めとしたテクノロジーの力で、今まで陽の当たらなかった才能ある人たちがどんどん出てこられるようになってきている。定年退職したシニアの人も子育て中のママも、独学でプログラミングやデザインを学んで稼げるようになってきている――そうやって、既存の組織に属していない個人が、横の繋がりで自由にモノや文化をつくってくことに夢を持っていますよ。
    宇野 僕の理解では、小笠原さんのやっていることってアップルっぽいんです。つまり最初から厳選された人々で狭いコミュニティをつくっていくとイノベーティブなものが生まれるという発想です。これはどちらかといえば、アメリカのハクティビズムに通じるオープンの思想が、日本ではこういった防波堤の中でしか通用しないというジレンマに彼がぶちあたったからじゃないかと思うんです。一方で吉田さんの思想は、それと真逆でグーグルに近いんじゃないか。グーグルはいわゆるオープン・インターネットですからね。
    吉田 そう、でもグーグルだと何でもグーグルの人が判定していて、それってあんまりワクワクしないなぁと思うんです。
     Rubyっていうプログラミング言語があって、これはオープンソースで運営されていて、上がってきたプログラムの可否は「コミッター」という評議員によって判定されるんです。彼らは企業に所属しているわけじゃない。評価する側もオープンなわけです。ああいったやり方のほうがワクワクするなぁ、と思ってしまいますね。
    宇野 あえてディベート的に突っ込むと、あの小笠原治がなぜDMM.make AKIBAに、つまりネットからモノに行ったかって、抽象化していうとネットがポピュリズム(=オープン・インターネット)と組み合わさると「悪い場所」になってしまうからだと思うんです。
     つまり、今のツイッターを中心とするネット文化って、ポピュリズム的に繋がりすぎてしまった結果、言葉の最悪な意味での日本的な「ムラ社会」が全国規模で形成されてしまった。炎上マーケティングが蔓延し、ワイドショー的な「いじめ文化」になってしまったわけです。上場したクラウドワークスも今後さらに規模が大きくなっていくと、やがてはその問題にぶつかるんじゃないでしょうか。
     で、これって2通りの考え方があって、要はコミュニティになっていくのか、プラットフォームになっていくのかだと思います。