• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 2件
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第4位】なぜデザインはマネジメントの武器になるのか――『デザインマネジメント』著者・田子學が語る"市場の作り方" ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-30 11:00  
    220pt

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第4位】なぜデザインはマネジメントの武器になるのか――『デザインマネジメント』著者・田子學が語る"市場の作り方"
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.30 号外
    http://wakusei2nd.com





    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第4位は、デザイナー・田子學さんへのインタビュー記事です!(2014年10月8日配信)
    これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    今まで選んだ記事はどれもネット上で反響があったものなんだけれど、この記事はほとんど話題にならなかったんです(笑)。でもここで田子さんはすごく大事なことを言っていると思っています。
    今は、思想や理念というものはコンテクストを共有できるローカルな共同体の中でしか通じなくて、リツイートの数とかFacebookの「いいね!」数のような断片的な「情報」しか遠くまで届かない。だから何でもゼロかイチかで判断する炎上マーケティング的な言論が強くなってしまう。でもその中で、「モノ」というのは「情報」に分解されずに、豊かな文脈を維持したまま世界の裏側まで届くことができる。
    田子學という人は、こうしたモノの優位というのを背景に「デザイン・ドリブン」のマネジメントやブランド構築を理論建てて実践している人物です。本文中でも出てきますが、彼の手掛けた「osoro」や「nasta」のような製品は「共働きのシンプルライフ」を基軸とした現代的なライフスタイルと、それを支える思想を、それこそ「地球の裏側」まで伝える強い力を持っているんじゃないかと思っています。
    ただ、別の側面から言うと、3Dプリンターの普及が象徴するものづくりの個人化は、オーダーメイドの価格破壊と共に、上で整理したような「モノの優位」を崩していく可能性が高い。だから田子さんが次の局面についてどう考えているかについて、近いうちにまた議論したいな、と思っています。




    ▼プロフィール
    田子學(Manabu Tago)
    MTDO inc.(株式会社エムテド)代表取締役、アートディレクター/デザイナー。東京造形大学II類デザインマネジメント卒。株式会社東芝デザインセンターにて多くの家電、情報機器デザイン開発にたずさわる。同社退社後、株式会社リアル・フリートのデザインマネジメント責任者として従事。その後新たな領域の開拓を試みるべく、2008年株式会社エムテドを立ち上げ、現在にいたる。現在は幅広い産業分野において、コンセプトメイキングからプロダクトアウトまでをトータルでデザイン、ディレクション、マネジメントしている。iF PRODUCT DESIGN AWARD、reddot design award、GOOD DESIGN AWARD、IDEA (International Design Excellence Award)  他受賞多数。日本デザイン振興会(JDP)「グッドデザイン賞」審査委員。慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科: SDM 特任教授。法政大学 デザイン工学部 非常勤講師。東京造形大学 非常勤講師。

     
    ◎聞き手/構成・稲葉ほたて
     
     
    ■なぜ経営にまで入り込んでデザインするのか
     
    宇野 田子さんの『デザインマネジメント』を読ませていただいたのですが、素晴らしい本だと思いました。年末になると、今年のベスト5みたいな依頼が来るのですが、今年はそこに絶対に入れようと思ったくらいに面白かったです。一冊の本として見ても、ビジネス書なのに読まれ方や見せ方を非常に考え抜かれていて、とても良かったです。
    田子 いや、プロの方に言ってただけると、大変にありがたいですね。
     

    ▲田子學『デザインマネジメント』
     
    ――あの本で最も印象的だったのが、OSOROの製作過程でした。おそらく、あのプロダクトが生み出された背景から聞いていくのが、田子さんの思想に最も迫れる気がします。
    田子 なるほど。ただ、キッカケは単純で、ちょうどリアル・フリートを辞める頃に、共著者の橋口寛さんに会ったことです。彼はファンドから呼ばれて、ナルミ復活のテコ入れに主にマネジメントの立場から入っていました。そこで初めてボーンチャイナという素材の説明を受けながら、僕は彼の悩みを聞いていました。
    宇野 僕もこの本で、ああいう高級洋食器の素材をボーンチャイナと呼ぶのを知りました(笑)。
    田子 でも、あの食器が使われるシチュエーションって、ホテルのディナーくらいしかないわけですよ。
    その場でかなり率直に話し合ったのですが、やはり僕らの世代は特に日常生活の中にあの食器を使う場面はないわけです。しかも、ホテルでの食器の買い替え需要なんてあまりないから、ひと通り行き渡ると次が難しい。そこに橋口さんは悩まれていて……まず第一印象は「特殊な世界だな」でした。
    ただ一応、掘り下げて聞いていくと、日本の洋食器業界は世界的に名前も通っていて、それなりに供給されているんですよ。それだけに、そのノスタルジーをずるずる引きずっているように見えて、そこが少し気になりました。
     


    ▲NARUMIの食器
     
    ひとまずその場では、「この技術を食器以外に使う手もあるんじゃないか」と話しました。例えば、京セラだって元々はセラミックの会社だけど、それを工業セラミックに活かして、いまや全く違う会社になっている。そういうふうに焼き物を焼き物のまま終わらせず、別の企業体になっていくブレイクスルーもありじゃないか、と。これまでの経験から可能なブランディングについて話して、その場は橋口さんと別れました。
    その後しばらく音沙汰はなかったのですが、半年ほどたった頃に急に連絡が来て、「社員の前でこの間の話をしてくれ」と言われたんです。どうやらその後、彼は何がデキるかを社内で掘り下げたようで、クリエイティブをどうにかしなければいけないという結論になったそうです。「もしよければ、田子さんにお願いできないか」と言われました。
    ――その後、かなり経営判断に関わるレベルで、このプロジェクトに関わっていきますよね。
    田子 そうです。すぐに契約に入ったのですが、その際に「何かの具体的な障害に対してデザインしてくれというのでは、単発の解決策にしかならない」とハッキリと言いました。
    僕が仕事をするときには、必ず経営判断まで含めてやらせてもらいます。そうでないと軸がブレたまま進む可能性が高いんですよ。「この企業が何を誇りに思う会社なのかというレベルまで、ちゃんと議論を落とし込みましょう」と言って、トップと話ができることを条件に入社しました。
    これについては、向こうも実は望んでいたそうです。僕としても、ファンドがナルミを復活させる構図の中で入れたので、半ば応援団がある状態だったのは助かりました。ナルミの再構築のようなところから着手できました。
     
     
    ■社内デザイナーを製作から外した理由
     
    ――そうして出来上がったのがOSOROですね。生活スタイルに合わせて色々な食器を選べるのですが、どの組み合わせでもデザインに統一感があるのが素敵だなと思いました。しかも、収納性や冷凍・温めへの配慮も行き届いていて、現代の食生活にピッタリだと思います。ここに行き着いたのは、どういう経緯ですか。
    田子 もし僕の目的が商品開発でしかなかったら、OSOROは出来ていなかったでしょうね。というのも、OSOROはナルミの商材の中でも異例なんです。
     
    ▼OSORO

     

    ©NARUMI CORPORATIONこれを作るには、ナルミの工場もそこに働く人間も変えなければいけなくて、つまりは会社を変えなければいけない。だから、とにかく色んな人にインタビューをするために、工場などに出向きました。
    そこで何がナルミの誇りになっているのかを見て、喧嘩とまでは行かないけれども、結構やり合いましたよ。ただ、そうやっていくと、だんだん議論が本質的になるんです。「あなた、会社ではそんなこと言ってるけど、家でボーンチャイナは使ってんの?」というと、実は使っていなかったりする(笑)。
    だったら、「ホテルだっていいけど、身近な場所でどう使えないか掘り下げてみませんか?」という話です。自分たちの誇りに思える部分をしっかり残した商材を作ればいいわけですから。
    最終的には社員とワークショップを開いて、そういう話し合いをやりました。最終的に、彼ら自身が導いたのは「幸せを作る器」という言葉です。とすれば、別に必ずしもボーンチャイナである必要はない。こんなふうに本質へと議論が向かうように導いて、OSOROの構想が固まっていきました。
    ――ブランドの本質を探り当てたわけですね。
    田子 現代のマーケティングって、すぐに細分化を進めてしまうでしょう。でも、本当の解答はもっと別の場所に転がっているんですよ。実際、よくマーケットが細分化されて難しくなったなんて言うけど、それはマーケティングの細分化を推し進めた結果でしかない。本当に何かが欲しくなったら、年齢なんて関係ないですから(笑)。
    一方で悩ましかったのが、インハウスデザイナーと言われる社内デザイナーたちとの距離感です。僕自身も、東芝時代に社外のデザイナーとコラボレーションしたときに、「何で俺たちじゃないんだ」みたいなせめぎあいを見てきたんです。こうして協力することで可能になることもあるのだけど、やはりレガシーな業界ですから……なかなかマインドを変えてもらうのは難しかったです。
    そこで僕は、「僕らに全て任せてくれ」と自らがプロダクトデザインをする意志を伝えました。これが唯一の経営陣への直談判ですね。せっかく社員を含むチームで本質を研ぎ澄ましたのに、ターゲットがどうこう、絵柄がどうこうみたいな従来型の話になって、元に戻されるわけにはいかない。プロジェクトとしては、ここが一番の勝負どころでした。そもそも誰にも突き刺さらないコンセプトになっては、ヒットするしない以前の問題です。
    ――ちょっと面白いなと思うのですが、つまり特定の年齢層や性別を狙うような作りにしないほうがヒットするというお話ですか。これってわりと普通の人が考えるマーケティング理論の真逆を言っているような……。
    田子 そうですよ。だって、僕らは理論値でのマーケティングはしませんから。
     
     
    ■ピラミッドの頂点を狙え宇野 その逆説はすごく重要だと思いますね。というのも、モノの持つ本来の力とは、そういうものだと思うからです。
    僕は消費社会のダイナミズムって、大量生産されるモノに人間の方が合わせて生活や文化を変えていくところにあったと思うんですよ。大量生産品の仕様に人間が合わせることで社会が変化していったわけです。自動車が人間の地理感覚を変えて、電気洗濯機が女性観を変えたように。だからこそ、統治権力はモノのスペックを規制してきた。
    しかし現代は中途半端にマーケティング技術が発達してしまったせいで、ターゲットに想定した人物像に合ったものを提供できるようになった。これが3Dプリンターの時代になるとオーダーメイドの一般化に近いことが起こってくる。そうなるとモノが人間に合わせる時代になるわけです。これはものづくりと市場の発展の成果であることは間違いない。しかし同時に、モノが自分で人間に歩み寄って行き過ぎているような気もして、そのせいでモノの力を失いつつあるようにも思えるんです。
    田子 まさにそうです。やはり、僕が東芝にいたときにも、広告代理店がつくったストーリーに乗っかった商品開発があるんですね。でも、例えばマーケットから出てきた「20%のホットなゾーン」が現在あったとして、それが本当に半年後もあるかは怪しい。しかも、みんなとりあえずそこに向けて投入するから、あっという間にレッドオーシャンですよ。
    ところが、過去をたどってみると、ウォークマンにしてもiPhoneにしても、ヒット商品は常に自分たちで市場を作り上げてきたんですね。
    宇野 あの頃のSONYやAppleは、モノに人間を引き寄せて市場をつくったんですよね。
    田子 先駆者になることが一番大事で、それによってこそブランド価値は上がるんです。
    モノを扱うときに重要なのは、最初に「憧れ」を作ることです。「憧れ」を作れば、自然にそれはブランドの発信力を生むので、あとから人間が追いついてきます。
    どんな時代でも、実は人間の消費行動は、先端ユーザーから末端のユーザーまでがピラミッドを成しています。そのときに現代の人間は、ついついピラミッドの真ん中から下を攻めてしまうんですね。現状を見れば、一番パイが大きいから。でも、本当に狙うべきは、最も数が少ないテッペンのユーザーたちです。「憧れ」は常にピラミッドの上を向いてますから、実は上に飛び込めば、シャワー効果で下におりていきます。
    ――なるほど、スタティックに現状を見ると、下の大きなパイを取るのが有利に見えてしまうけれども、ダイナミックに見れば、むしろ最小のパイであるテッペンに「憧れ」を喚起させるモノを投入するべきである、と。そこから一気に下まで全部取っていくのが正解というお話ですね
    宇野 現在のマーケティングって、いわば「北海道の気候は寒いから、それに適した米を作ろう」といった発想が、情報技術の発達で社会にも適用できるようになったのだと思うんですね。でも、本当は気候のような自然環境と違って、社会のような人工環境なんていくらでも変えていけるわけですよ。しかも、その変化の原動力こそがまさにモノだったりするわけです。そういう当然のことを、どこか忘れてしまっている気がしますね。
    田子 そうなんですよ。例えば、iPhone以前に日本のメーカーは、どこも既にiPhoneと同じようなスレート型のデバイスを模索していました。でも、そのときに必ず議論になっていたのが、「視覚障害者が使えないじゃないか」という話です。彼らはその人口の中で0.2%の盲目者を引き合いに出して、「彼らを犠牲にするのはブランドが崩れる」なんて話していたのだけど、結局どうなったか。iPhoneは人気が爆発した結果として、Siriを出しました。お陰で今や、逆にiPhoneのSiriで盲目者がメールやネットを使えるようになっています。
    これなんて、まさにいまの宇野さんの話そのものだと思います。一度はそういう人たちを切り捨てたとしても、彼らを戻してくるようなことは出来るんですよ。だけど、この国ではどうも議論がそういう方向には行かない。最先端の研究や技術が上手く投入されない背景には、こういう文脈もあります。
    ――ちなみに、「憧れ」を喚起するモノのパワーって、具体的にはどういうものでしょうか。
    田子 いろいろな側面があって一概には言えないですが、やはり「驚き」が出発点だと思いますよ。良いモノは、触れた瞬間になぜか「今までと全然違う!」という驚きが感じられてしまうんです。もうね、言語なんかとは全く別の次元で伝わってきますよね。
    宇野 要は「他者性」の問題で、自分が全く想像しなかったアクションがモノに出会うことではじめて可能になってしまって、そこから欲望が生じてくるんです。iPhoneが登場することで、ケータイでこんなことが出来るんだという欲望がたくさん生まれたようなものでしょう。
    そういう意味では、無印良品なんかは最後の最後でモノの力をどこか信じきれていないところがあるんでしょうね。無印良品のアイテムは僕も大好きでとても気持ちいいけれど、それは無印良品のアイテムが提案している消費社会との距離の取り方が気持ちいいだけで、あのアイテムからあたらしい欲望を教えられることはなかなかない。
    田子 そうそう。無印の良いところって、これまでのモノに存在していた余計な部分をちょっと削いでくれた事だと思います。だからブランドの思考は決して新しいものの提案ではないはず。だから、「これでいい」というのが売り文句に出来たのだと思います。
    そういう意味では、僕らがリアル・フリートを作ったときには「これでいいじゃなくて、これでなくては」という言葉を掲げていました。あくまで裏話ですから、あまり外では言ってないのですが、そのときの「これでいい」とは、実は無印良品を意識していたんです(笑)。
    ライフスタイル系ビジネスはひとくくりに同じと出来る訳ではありません。ですから欲する使用者は全く違うという事を意識させるために作られたワードでした。
     
    ▼リアル・フリートの"amadana"ブランドの携帯電話「N705i」
    ▼同じくamadanaのマルチユースのリモコン「CR-102」©REALFLEET
     
    宇野 なるほど、この本を読んで無印良品を思い出した僕は結構正しかったですね(笑)。
    ちなみに、このメルマガは「ほぼ日刊惑星開発委員会」というのですが、要は糸井重里的なものへのリスペクトと更新への意思を込めたんですよね。
    彼の「ほぼ日刊イトイ新聞」も無印良品も、東京の消費文化が生んだある種の最適解になってはいるけれども、どこか新しいものを生み出す想像力になっていない気がします。僕たちは彼らに敬意を込めつつも、その先に行きたいという思いも込めて、あえてこの名前にしたんですね。
     
     
    ■モノとは新しい言語である
     
    宇野 ところで、僕はこの本における橋口さんの存在は、とても重要だと思いました。
    田子さんはデザイナーとして、デザインの定義を拡張する中で、「デザインとはそもそもマネジメントなのだ」というテーマで書かれていますね。ところが、橋口さんにとっては、「マネジメントにとって、デザインが有効だった」という驚きがあったように思うんです。実際、橋口さんはマネジメントサイドから、デザインがいかに経営において決定的な影響力を持つのかを書いています。僕のようなデザイナーではない人間にとっては、橋口さんの視点こそが一番興味深いポイントなんですよ。
    なぜデザインを中核に据えることで、マネジメントの姿が変わっていくのでしょうか?
    田子 なるほど……それはですね、「モノ」という新しい言語が生まれるからですよ。
    モノは日本語でもなければ英語でもない。しかし、知性さえあれば、誰もが触れることで共通の感覚を得られるような、新しい言語なんです。しかも、その共通項としての体験は驚きを作り出し、理屈を超えた「欲しい」という欲望を生み出し、ついには人間を動かす運動へと変わります。そこに至って、初めてビジネスが成立するんです。
    だから、経営にとってモノは最大の武器ですね。結局、共通項は何かをいくら話し合ったって、所詮は自分の解釈を図や言葉にしているにすぎないんです。それが立体物になると途端に言い訳ができなくなるし、新しい現象がたくさん出てきはじめる。
    もちろん、これはモノの強みであると同時に弱みにもなりかねないところなんですよ。
    でも、そこをいかに万人に共感できるデザインに落としこむかが、僕にとって最も面白いところです。だからこそ、マネジメント側も「デザインこそが自分たちの最も誇りを持てる言語なのだ」と理解する必要があるし、そのクロスオーバーこそを書きたかったんです。
    宇野 なかなか共通言語がつくりだしにくい状況で、モノこそが逆説的に共通言語に近い機能を帯びつつあるという話ですね。
     
  • なぜデザインはマネジメントの武器になるのか――『デザインマネジメント』著者・田子學が語る"市場の作り方" ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.174 ☆

    2014-10-08 07:00  
    220pt

    なぜデザインはマネジメントの武器になるのか
    ――『デザインマネジメント』著者・田子學が語る
    "市場の作り方"
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.8 vol.174
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑には、「渋谷セカンドステージ vol.3 ものづくり2.0」にも登壇していただいた田子學さんが登場。日本のものづくりとマーケティングとの関係について、たっぷり話を伺いました。

    ▼プロフィール
    田子學(Manabu Tago)
    MTDO inc.(株式会社エムテド)代表取締役、アートディレクター/デザイナー。東京造形大学II類デザインマネジメント卒。株式会社東芝デザインセンターにて多くの家電、情報機器デザイン開発にたずさわる。同社退社後、株式会社リアル・フリートのデザインマネジメント責任者として従事。その後新たな領域の開拓を試みるべく、2008年株式会社エムテドを立ち上げ、現在にいたる。現在は幅広い産業分野において、コンセプトメイキングからプロダクトアウトまでをトータルでデザイン、ディレクション、マネジメントしている。iF PRODUCT DESIGN AWARD、reddot design award、GOOD DESIGN AWARD、IDEA (International Design Excellence Award)  他受賞多数。日本デザイン振興会(JDP)「グッドデザイン賞」審査委員。慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科: SDM 特任教授。法政大学 デザイン工学部 非常勤講師。東京造形大学 非常勤講師。

     
    ◎聞き手/構成・稲葉ほたて
     
     
    ■なぜ経営にまで入り込んでデザインするのか
     
    宇野 田子さんの『デザインマネジメント』を読ませていただいたのですが、素晴らしい本だと思いました。年末になると、今年のベスト5みたいな依頼が来るのですが、今年はそこに絶対に入れようと思ったくらいに面白かったです。一冊の本として見ても、ビジネス書なのに読まれ方や見せ方を非常に考え抜かれていて、とても良かったです。
    田子 いや、プロの方に言ってただけると、大変にありがたいですね。
     

    ▲田子學『デザインマネジメント』
     
    ――あの本で最も印象的だったのが、OSOROの製作過程でした。おそらく、あのプロダクトが生み出された背景から聞いていくのが、田子さんの思想に最も迫れる気がします。
    田子 なるほど。ただ、キッカケは単純で、ちょうどリアル・フリートを辞める頃に、共著者の橋口寛さんに会ったことです。彼はファンドから呼ばれて、ナルミ復活のテコ入れに主にマネジメントの立場から入っていました。そこで初めてボーンチャイナという素材の説明を受けながら、僕は彼の悩みを聞いていました。
    宇野 僕もこの本で、ああいう高級洋食器の素材をボーンチャイナと呼ぶのを知りました(笑)。
    田子 でも、あの食器が使われるシチュエーションって、ホテルのディナーくらいしかないわけですよ。
    その場でかなり率直に話し合ったのですが、やはり僕らの世代は特に日常生活の中にあの食器を使う場面はないわけです。しかも、ホテルでの食器の買い替え需要なんてあまりないから、ひと通り行き渡ると次が難しい。そこに橋口さんは悩まれていて……まず第一印象は「特殊な世界だな」でした。
    ただ一応、掘り下げて聞いていくと、日本の洋食器業界は世界的に名前も通っていて、それなりに供給されているんですよ。それだけに、そのノスタルジーをずるずる引きずっているように見えて、そこが少し気になりました。
     


    ▲NARUMIの食器
     
    ひとまずその場では、「この技術を食器以外に使う手もあるんじゃないか」と話しました。例えば、京セラだって元々はセラミックの会社だけど、それを工業セラミックに活かして、いまや全く違う会社になっている。そういうふうに焼き物を焼き物のまま終わらせず、別の企業体になっていくブレイクスルーもありじゃないか、と。これまでの経験から可能なブランディングについて話して、その場は橋口さんと別れました。
    その後しばらく音沙汰はなかったのですが、半年ほどたった頃に急に連絡が来て、「社員の前でこの間の話をしてくれ」と言われたんです。どうやらその後、彼は何がデキるかを社内で掘り下げたようで、クリエイティブをどうにかしなければいけないという結論になったそうです。「もしよければ、田子さんにお願いできないか」と言われました。
    ――その後、かなり経営判断に関わるレベルで、このプロジェクトに関わっていきますよね。
    田子 そうです。すぐに契約に入ったのですが、その際に「何かの具体的な障害に対してデザインしてくれというのでは、単発の解決策にしかならない」とハッキリと言いました。
    僕が仕事をするときには、必ず経営判断まで含めてやらせてもらいます。そうでないと軸がブレたまま進む可能性が高いんですよ。「この企業が何を誇りに思う会社なのかというレベルまで、ちゃんと議論を落とし込みましょう」と言って、トップと話ができることを条件に入社しました。
    これについては、向こうも実は望んでいたそうです。僕としても、ファンドがナルミを復活させる構図の中で入れたので、半ば応援団がある状態だったのは助かりました。ナルミの再構築のようなところから着手できました。
     
     
    ■社内デザイナーを製作から外した理由――そうして出来上がったのがOSOROですね。生活スタイルに合わせて色々な食器を選べるのですが、どの組み合わせでもデザインに統一感があるのが素敵だなと思いました。しかも、収納性や冷凍・温めへの配慮も行き届いていて、現代の食生活にピッタリだと思います。ここに行き着いたのは、どういう経緯ですか。
    田子 もし僕の目的が商品開発でしかなかったら、OSOROは出来ていなかったでしょうね。というのも、OSOROはナルミの商材の中でも異例なんです。
     
    ▼OSORO

     

    ©NARUMI CORPORATION
    これを作るには、ナルミの工場もそこに働く人間も変えなければいけなくて、つまりは会社を変えなければいけない。だから、とにかく色んな人にインタビューをするために、工場などに出向きました。
    そこで何がナルミの誇りになっているのかを見て、喧嘩とまでは行かないけれども、結構やり合いましたよ。ただ、そうやっていくと、だんだん議論が本質的になるんです。「あなた、会社ではそんなこと言ってるけど、家でボーンチャイナは使ってんの?」というと、実は使っていなかったりする(笑)。
    だったら、「ホテルだっていいけど、身近な場所でどう使えないか掘り下げてみませんか?」という話です。自分たちの誇りに思える部分をしっかり残した商材を作ればいいわけですから。
    最終的には社員とワークショップを開いて、そういう話し合いをやりました。最終的に、彼ら自身が導いたのは「幸せを作る器」という言葉です。とすれば、別に必ずしもボーンチャイナである必要はない。こんなふうに本質へと議論が向かうように導いて、OSOROの構想が固まっていきました。
    ――ブランドの本質を探り当てたわけですね。
    田子 現代のマーケティングって、すぐに細分化を進めてしまうでしょう。でも、本当の解答はもっと別の場所に転がっているんですよ。実際、よくマーケットが細分化されて難しくなったなんて言うけど、それはマーケティングの細分化を推し進めた結果でしかない。本当に何かが欲しくなったら、年齢なんて関係ないですから(笑)。
    一方で悩ましかったのが、インハウスデザイナーと言われる社内デザイナーたちとの距離感です。僕自身も、東芝時代に社外のデザイナーとコラボレーションしたときに、「何で俺たちじゃないんだ」みたいなせめぎあいを見てきたんです。こうして協力することで可能になることもあるのだけど、やはりレガシーな業界ですから……なかなかマインドを変えてもらうのは難しかったです。
    そこで僕は、「僕らに全て任せてくれ」と自らがプロダクトデザインをする意志を伝えました。これが唯一の経営陣への直談判ですね。せっかく社員を含むチームで本質を研ぎ澄ましたのに、ターゲットがどうこう、絵柄がどうこうみたいな従来型の話になって、元に戻されるわけにはいかない。プロジェクトとしては、ここが一番の勝負どころでした。そもそも誰にも突き刺さらないコンセプトになっては、ヒットするしない以前の問題です。
    ――ちょっと面白いなと思うのですが、つまり特定の年齢層や性別を狙うような作りにしないほうがヒットするというお話ですか。これってわりと普通の人が考えるマーケティング理論の真逆を言っているような……。
    田子 そうですよ。だって、僕らは理論値でのマーケティングはしませんから。
     
     
    ■ピラミッドの頂点を狙え宇野 その逆説はすごく重要だと思いますね。というのも、モノの持つ本来の力とは、そういうものだと思うからです。
    僕は消費社会のダイナミズムって、大量生産されるモノに人間の方が合わせて生活や文化を変えていくところにあったと思うんですよ。大量生産品の仕様に人間が合わせることで社会が変化していったわけです。自動車が人間の地理感覚を変えて、電気洗濯機が女性観を変えたように。だからこそ、統治権力はモノのスペックを規制してきた。
    しかし現代は中途半端にマーケティング技術が発達してしまったせいで、ターゲットに想定した人物像に合ったものを提供できるようになった。これが3Dプリンターの時代になるとオーダーメイドの一般化に近いことが起こってくる。そうなるとモノが人間に合わせる時代になるわけです。これはものづくりと市場の発展の成果であることは間違いない。しかし同時に、モノが自分で人間に歩み寄って行き過ぎているような気もして、そのせいでモノの力を失いつつあるようにも思えるんです。
    田子 まさにそうです。やはり、僕が東芝にいたときにも、広告代理店がつくったストーリーに乗っかった商品開発があるんですね。でも、例えばマーケットから出てきた「20%のホットなゾーン」が現在あったとして、それが本当に半年後もあるかは怪しい。しかも、みんなとりあえずそこに向けて投入するから、あっという間にレッドオーシャンですよ。
    ところが、過去をたどってみると、ウォークマンにしてもiPhoneにしても、ヒット商品は常に自分たちで市場を作り上げてきたんですね。
    宇野 あの頃のSONYやAppleは、モノに人間を引き寄せて市場をつくったんですよね。
    田子 先駆者になることが一番大事で、それによってこそブランド価値は上がるんです。
    モノを扱うときに重要なのは、最初に「憧れ」を作ることです。「憧れ」を作れば、自然にそれはブランドの発信力を生むので、あとから人間が追いついてきます。
    どんな時代でも、実は人間の消費行動は、先端ユーザーから末端のユーザーまでがピラミッドを成しています。そのときに現代の人間は、ついついピラミッドの真ん中から下を攻めてしまうんですね。現状を見れば、一番パイが大きいから。でも、本当に狙うべきは、最も数が少ないテッペンのユーザーたちです。「憧れ」は常にピラミッドの上を向いてますから、実は上に飛び込めば、シャワー効果で下におりていきます。
    ――なるほど、スタティックに現状を見ると、下の大きなパイを取るのが有利に見えてしまうけれども、ダイナミックに見れば、むしろ最小のパイであるテッペンに「憧れ」を喚起させるモノを投入するべきである、と。そこから一気に下まで全部取っていくのが正解というお話ですね
    宇野 現在のマーケティングって、いわば「北海道の気候は寒いから、それに適した米を作ろう」といった発想が、情報技術の発達で社会にも適用できるようになったのだと思うんですね。でも、本当は気候のような自然環境と違って、社会のような人工環境なんていくらでも変えていけるわけですよ。しかも、その変化の原動力こそがまさにモノだったりするわけです。そういう当然のことを、どこか忘れてしまっている気がしますね。
    田子 そうなんですよ。例えば、iPhone以前に日本のメーカーは、どこも既にiPhoneと同じようなスレート型のデバイスを模索していました。でも、そのときに必ず議論になっていたのが、「視覚障害者が使えないじゃないか」という話です。彼らはその人口の中で0.2%の盲目者を引き合いに出して、「彼らを犠牲にするのはブランドが崩れる」なんて話していたのだけど、結局どうなったか。iPhoneは人気が爆発した結果として、Siriを出しました。お陰で今や、逆にiPhoneのSiriで盲目者がメールやネットを使えるようになっています。
    これなんて、まさにいまの宇野さんの話そのものだと思います。一度はそういう人たちを切り捨てたとしても、彼らを戻してくるようなことは出来るんですよ。だけど、この国ではどうも議論がそういう方向には行かない。最先端の研究や技術が上手く投入されない背景には、こういう文脈もあります。
    ――ちなみに、「憧れ」を喚起するモノのパワーって、具体的にはどういうものでしょうか。
    田子 いろいろな側面があって一概には言えないですが、やはり「驚き」が出発点だと思いますよ。良いモノは、触れた瞬間になぜか「今までと全然違う!」という驚きが感じられてしまうんです。もうね、言語なんかとは全く別の次元で伝わってきますよね。
    宇野 要は「他者性」の問題で、自分が全く想像しなかったアクションがモノに出会うことではじめて可能になってしまって、そこから欲望が生じてくるんです。iPhoneが登場することで、ケータイでこんなことが出来るんだという欲望がたくさん生まれたようなものでしょう。
    そういう意味では、無印良品なんかは最後の最後でモノの力をどこか信じきれていないところがあるんでしょうね。無印良品のアイテムは僕も大好きでとても気持ちいいけれど、それは無印良品のアイテムが提案している消費社会との距離の取り方が気持ちいいだけで、あのアイテムからあたらしい欲望を教えられることはなかなかない。
    田子 そうそう。無印の良いところって、これまでのモノに存在していた余計な部分をちょっと削いでくれた事だと思います。だからブランドの思考は決して新しいものの提案ではないはず。だから、「これでいい」というのが売り文句に出来たのだと思います。
    そういう意味では、僕らがリアル・フリートを作ったときには「これでいいじゃなくて、これでなくては」という言葉を掲げていました。あくまで裏話ですから、あまり外では言ってないのですが、そのときの「これでいい」とは、実は無印良品を意識していたんです(笑)。
    ライフスタイル系ビジネスはひとくくりに同じと出来る訳ではありません。ですから欲する使用者は全く違うという事を意識させるために作られたワードでした。
     
    ▼リアル・フリートの"amadana"ブランドの携帯電話「N705i」
     
    ▼同じくamadanaのマルチユースのリモコン「CR-102」©REALFLEET
     
    宇野 なるほど、この本を読んで無印良品を思い出した僕は結構正しかったですね(笑)。
    ちなみに、このメルマガは「ほぼ日刊惑星開発委員会」というのですが、要は糸井重里的なものへのリスペクトと更新への意思を込めたんですよね。
    彼の「ほぼ日刊イトイ新聞」も無印良品も、東京の消費文化が生んだある種の最適解になってはいるけれども、どこか新しいものを生み出す想像力になっていない気がします。僕たちは彼らに敬意を込めつつも、その先に行きたいという思いも込めて、あえてこの名前にしたんですね。
     
     
    ■モノとは新しい言語である
     
    宇野 ところで、僕はこの本における橋口さんの存在は、とても重要だと思いました。
    田子さんはデザイナーとして、デザインの定義を拡張する中で、「デザインとはそもそもマネジメントなのだ」というテーマで書かれていますね。ところが、橋口さんにとっては、「マネジメントにとって、デザインが有効だった」という驚きがあったように思うんです。実際、橋口さんはマネジメントサイドから、デザインがいかに経営において決定的な影響力を持つのかを書いています。僕のようなデザイナーではない人間にとっては、橋口さんの視点こそが一番興味深いポイントなんですよ。
    なぜデザインを中核に据えることで、マネジメントの姿が変わっていくのでしょうか?
    田子 なるほど……それはですね、「モノ」という新しい言語が生まれるからですよ。
    モノは日本語でもなければ英語でもない。しかし、知性さえあれば、誰もが触れることで共通の感覚を得られるような、新しい言語なんです。しかも、その共通項としての体験は驚きを作り出し、理屈を超えた「欲しい」という欲望を生み出し、ついには人間を動かす運動へと変わります。そこに至って、初めてビジネスが成立するんです。
    だから、経営にとってモノは最大の武器ですね。結局、共通項は何かをいくら話し合ったって、所詮は自分の解釈を図や言葉にしているにすぎないんです。それが立体物になると途端に言い訳ができなくなるし、新しい現象がたくさん出てきはじめる。
    もちろん、これはモノの強みであると同時に弱みにもなりかねないところなんですよ。
    でも、そこをいかに万人に共感できるデザインに落としこむかが、僕にとって最も面白いところです。だからこそ、マネジメント側も「デザインこそが自分たちの最も誇りを持てる言語なのだ」と理解する必要があるし、そのクロスオーバーこそを書きたかったんです。
    宇野 なかなか共通言語がつくりだしにくい状況で、モノこそが逆説的に共通言語に近い機能を帯びつつあるという話ですね。