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周辺体験の消極性デザイン|栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY
2021-01-14 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は栗原一貴さんの寄稿です。年が明けても依然としてコロナ禍による生活環境のオンライン化の圧力が続くなか、急速に失われていっている「周辺体験」。その喪失を多少なりとも軽減するためには何ができるのか、引きつづき消極性デザインの立場から考えていきます。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第20回 周辺体験の消極性デザイン
こんにちは。消極性研究会の栗原です。前回はコロナ禍による社会の急激なオンライン化によってコミュニケーションが劇的に変質し、それに悪影響を受けている人と恩恵を受けている人がいて、また恩恵の影で失われてしまっているにもかかわらず気づきにくいことがある、ということにフォーカスを当て、対策を議論しました。
それから数ヶ月たった今、皆さんの生活はいかがでしょうか。再度執筆の機会をいただいた私は、この数ヶ月を振り返り、新しい話題提供のための構想を練り始めたのですが、ちょっとびっくりしてしまいました。前回執筆時から後、自分の体験したことがらがいまいちぱっとしないというか、嬉々として皆さんにお伝えしたいと思えるようなことがなかなか思いつかないなぁと気づいたのです。
それなりに窮屈なstay home生活の中で試行錯誤し、守りの中での攻めとでも申しますか、私はオンライン開催されるいろいろな「場」に出向き、色々な人と話しました。オンラインはすばらしい。前回語ったようにコミュニケーションは変質し苦労もありますが、感染拡大で深刻な苦しみに見舞われている方々も大勢いらっしゃるなか、個人的には在宅で労働できる境遇に感謝しつつ、これまで諦めていたようなイベントへの参加などが可能になり、充実した日々を送っていたようにも思えたのですが。
ふと俯瞰的に自分の生活を振り返ると、オンライン化により積極的な精神活動が可能になった一方で、身体を持つ動物としての私の生活は、極めて単調な繰り返しになってしまっていることに思い当たりました。そこにある喪失は何なのだろう。それを考えるのが今回のテーマです。
前回に引き続き、安易な懐古主義を嫌っていた自分が、コロナ禍の今、意外にもこんなに懐古的になってしまうのか、という驚きを語るシリーズの続編です。
周辺体験がない!!
我々が失ったもの、それはおそらく、「周辺体験」なのではないかと思い当たりました。普通我々はなにかやらなければならないことがあるとき、それにあてがった時間や労力の100%をその対象に費やすことはできません。たとえば会議をするには、会議の場所まで移動しないといけない。その際、本来しなくてもいいような体験をします。満員電車に辟易することかもしれませんし、街路樹から季節の移ろいを感じたり、まだ行ったことのないラーメン屋の匂いに心惹かれることかもしれません。偶然誰かに出会うこともあります。これらを「周辺体験」と呼ぶことにします。
以前の記事で、引っ越しによって満員電車通勤がなくなって自分のストレスが減って(良かったのだけれど)自分の創造性に対し負の影響があった、ということを書きましたが、そういった周辺体験が正であれ負であれ人に影響を与えることは日々実感しておりますし、皆様にも思い当たるところはあるのではないでしょうか。
オンラインチャットをベースとした仕事はコミュニケーションは、まさに(ありがたいことに)空間を超えて瞬時に人と人をつなぐことができ、それにまつわる移動や偶然の出会いといった余計なものを極端に排除してしまう副作用を生みました。基本的には自分から積極的に求めなければ新しい出会いも雑談も難しいのがオンラインコミュニケーションだと前回も述べましたが、それが人と人だけではなく、人と場所・モノといった有形・無形物との交流の排除にもつながっているのです。
Point:オンライン化は周辺体験を排除する。
やりたいことだけいくらでもできる弊害
そういう生活の「機微」とでも言うのでしょうか、ちょっとした人や有形・無形物との交流というものは、文字通り「微か」であることが自分にとって重要であったと実感します。「フツウ」に生活していれば、どんなに移動や仕事を効率化しても何らかの周辺体験が微かには伴うので、割とそのくらいの分量で私は満足していたのでした。つまり、たとえば「飛行機ですぐ行けるのに、雰囲気を味わうために寝台列車に乗る」のようなある種極端な趣向は個人的には不要だったわけです。
ところが職業生活がオンライン化し、効率的に業務上のコミュニケーションが取れすぎるようになった結果、何が起こったでしょうか。「ついつい朝から晩までオンラインでの会合を詰め込みすぎて疲れてしまう」というビジネスマンの悲鳴はよく聞かれます。強制される会合も多いでしょうが、私の場合は「ついつい自分でやりたいことを詰め込みすぎてしまう」という性質のものも多いように思いました。以前であれば会合の合間の微かな周辺体験が、強制挿入される息抜きあるいは刺激になっていたようで、その割合が激減したことにより、さすがに私のQOLも下がってしまっていたのです。
それで思い知りました。私は、「主目的に伴う、主目的以外のちょっとした活動の充実、つまり遊び心の充足こそが豊かな人生の指標の一つだ」という価値観を持っていて、今それがコロナ禍でダメージを受けてるのだと。
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オンライン時代のコミュニケーション支援情報技術|栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY
2020-07-16 17:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は情報科学者・栗原一貴さんの寄稿です。新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの生活様式はがらりと変わり、オンラインでのコミュニケーションが拡大しました。自分にとって心地よいペースでコミュニケーションが取れたりと快適になった一方、相手の反応が見えなかったり、雑談が生まれにくくなったりと、オンラインコミュニケーションならではの悩みも生じています。栗原さん自身による大学でのオンライン講義の実践から、やりにくいと考えてしまう原因と、オンラインでのコミュニケーションを促進する方法を考察します。※本記事に一部、誤記があったため修正し再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。【7月16日17:00訂正】
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第17回 オンライン時代のコミュニケーション支援情報技術
はじめに
コロナウイルス災害により外出自粛、リモートワーク、オンライン講義など、少し前までは想像もできなかった生活様式が始まりました。 「とりあえず会おうぜ! 語ろうぜ! 呑もうぜ!」というような陽気なマインドの人には、さぞや辛い時代になったことと思います。 一方でもともと内向的な性格、穏やかな性格の方からは、人と会わなくてよい生活、自分のペースで過ごせる生活に対して喜びの声も聞こえてきます。
私はと言えば……大学教員として、オンライン講義の運営で難儀しています。 小規模から大人数まで、講義を運営するうえでは何らかの「コミュニケーションの強制」を学生にさせねばなりません。私は消極性研究者を標榜しておりますので、どの程度の負荷を学生にかけるかは、常に苦心しておりましたが、講義がオンライン化して、「適度なコミュニケーションをとること」がさらに難しくなりました。目下、学生とともに手探りで最適解を模索しておりますが、まだ満足のいくものにはなっていません。
今後世界がどうなっていくのか、まだまだ不透明です。もしかしたら、じわじわともとの社会に戻るだけなのかもしれません。しかし少なくとも、コロナ後の世界を知ってしまった我々は、以前よりも柔軟にコミュニケーションについて考えられるようになったはずです。2020年前半の激動を総括して、今後のコミュニケーション支援技術のありかたについて、考えてみましょう。
逃げ道のある道具、ない道具
私は情報技術を用いたコミュニケーションの研究を好んで行ってきました。博士論文は、プレゼンテーションツールをテーマに書きました。プレゼンテーションというコミュニケーション様式は、そのあり方が使う道具(コンピュータ)によってかなり制約されます。それが面白くて、情報技術がどのような制約を人に与え、それがどのようにコミュニケーションに影響を与えるか興味を持ったのです。
私が最初に研究したものは、小中高校生の先生が授業中に使える電子黒板ツールです。特に小中高校の先生にとって、授業とは生徒・児童とのやりとりを通じて作り上げていく、インタラクティブ性と即興性の高い営みです。彼らにとって、一方通行的な情報伝達になりやすいパワーポイントを授業で使うことはとても納得がいかないものでした。そこで私は、より黒板に近い使い勝手を保ちながら、コンピュータならではの魔法的機能を加えられるよう、教育現場の先生方と何年もかけてツールを練り上げていきました。
その際に意識したことの一つは、「使いたい、あるいは使うことが効果的であると思われる局面で使えばよく、それ以外の時には無理に使わなくてよい」という性質を付与することでした。この性質を「逃避可能性」と呼びましょうか。人間、慣れている方法を捨てて全く新しいことをやれ、と言われると困惑し、拒否反応が出るものです。特に現場の先生方は、自分たちの「黒板とチョーク」に絶対の信頼と自信を持っています。それをまるまる置き換えようものなら、全面戦争になりかねません。一方でICT機器を用いることで、教育が実現できる可能性、それに対する期待も、先生方は持っています。上からの指示で学校にICT機器が導入されてきて、どう使っていいかわからない。使うと良さそうな局面は想像できるが、ほどよいタイミングで局所的に利用し、それ以外の時間は慣れ親しんだ黒板とチョークでやりたい。そういう都合の良さを実現すべく、「逃避可能性」を考えながらツールの設計を行いました。おかげさまで、無料公開したそのツールは1万ダウンロードを超える程度には活用されました。それなりに教育のICT化の黎明期に貢献できたかなという思いがございます。
今、コロナウイルス災害でリモートワーク、オンライン作業が席巻している状態は、まさにこの「逃避可能性」が失われた状態です。これまでのリモートワーク支援技術は対面型作業を補完する位置づけで、「便利に思うなら」「気が向けば」という条件付きで、選択肢を広げる意味合いで活用が進んできたのですが、今般、社会の多くの領域が「強制完全オンライン化」されてしまいました。オンラインコミュニケーションにはオンラインコミュニケーションならではの特長や制約があり、人々のコミュニケーションをかなりの部分で変質させます。便利さも確実にある反面、コミュニケーションというのは人間の個性や尊厳に深く関わっているので、そのあり方を特定の方法に強制されるのは、時に耐え難い苦痛となり得ます。
初等教育現場の授業のオンライン化の取り組みの状況については、皆さんも日々のニュースでお聞きのことと思います。先端的な教育を行っている地域では、いち早く授業をオンライン化しました。一方、従来の対面型の授業に対するこだわりと、変化を拒絶する性質から、だましだましオンライン化を先延ばしし、復旧を伺っている地域も数多くあります。どちらがよいのか一概には言えません。エンジニアの観点からは、「逃避可能性」の乏しい新規技術の導入は、たとえこのような国家の緊急事態にあっても拒否反応が強く、大変な混乱を生むのだという壮大な社会実験の結果を見せつけられたように感じています。
Point: ・「いまよりすこし便利な面もある」くらいのコミュニケーション支援新規技術は、逃避可能性のデザインを検討したほうがよい。ヒトは国家の一大事でも、ヒトとの関わり方の変化を拒絶する生き物なのだ。
大学のオンライン講義にみる、コミュニケーションの変容
舞台を大学に移しましょう。教員および学生全員に環境を整備し、かつ覚悟させることが初等教育現場に比べて容易であったからでしょうか、多くの大学は、早々に講義を完全オンライン化しました。私も大学教員として、この動乱の当事者となりました。純粋にほぼゼロからの教材準備となったので、忙しい日々となりました。一方でオンライン講義をめぐる教員と学生の間、あるいは学生と学生の間のコミュニケーションのあり方の変化は、消極性研究者である私にもかなりの衝撃を与えました。これからいくつかの立場の方々のオンライン講義に関する感想を列挙して考察してみます。
「必殺技」を奪われたカリスマ
夜回り先生こと水谷修氏は、オンライン講義について、学生の顔が見えず肉声が聞けない状況を憂い、「これが授業なのか」と完全否定します。彼のことを私はよく知りませんが、熱血教師として不良少年少女と向き合い、更生させてきた活動に敬意を表します。おそらく彼は、「面と向かって全身全霊で人とぶつかり合うこと」に重きを置く、例えるならコミュニケーションにおける、インファイター(ガンガン相手に近寄って殴り合う戦術を得とするボクサー)タイプのカリスマなのだと思います。
複数の人間の呼吸、顔色、姿勢、動きといった非言語情報を瞬時に把握し、判断する。 自分の目つき、表情、声量、ボディーランゲージ、発話するタイミングをコントロールする。 これらによってコミュニケーションのイニシアチブをとっていく能力に優れている人たちが、教員・学生を問わずインファイタータイプだと言えます。
オンライン講義では、zoomなどのビデオチャットでリアルタイムにコミュニケーションを取っていきます。しかしどうでしょう。相手はカメラ映像をオフにし、マイクをミュートし、自分のカメラ映像は見ていないかもしれないし、それがバレない。そして相手の発話ボリュームはお好みの値に調整。
これではインファイタータイプの能力が、壊滅的に無効化されてしまいます。なんとも大変やりにくい状況に置かれていることと推察します。 しかし、実世界での対面講義が復旧するまで、これはどうすることもできません。自身がこの環境に適合し、新しいコミュニケーションの様式を確立するしかないのです。 いうなれば現状は、全員がアウトボクシング(相手と距離を取りながら戦う戦術)することを強制される社会です。
Point: ・コロナで一番困っているのは、対面コミュニケーション至上主義のインファイタータイプ。
オンライン化を福音と感じるコミュニケーション弱者
では逆に、生粋のアウトボクサーの話をしましょう。世の中には、インファイタータイプが苦手な方がいらっしゃいます。コミュニケーションのタイミング、距離感、イニシアチブ。こういったものは、対面コミュニケーションにおいては弱肉強食で、インファイタータイプのような積極的な人がいると、その人にその場を支配されがちです。
そのような方々は、医学的に治療が必要な方から、そこまでではないものの外界からの刺激に敏感なHSP(highly sensitive person)の方、もう少しカジュアルに、ネットスラングで「陰キャ」とか「コミュ障」とか言われており、それを自称している人まで、その程度は人それぞれです。総合して、「コミュニケーション弱者」と呼ぶことにします。
「コミュニケーション弱者」にとって、社会活動のオンライン化はまさに福音です。 彼らは、決してコミュニケーションを否定しているわけではありません。自分にとって心地よいペースと強度でコミュニケーションを取りたいものの、人と交わればそのような自分の希望がいつも叶えられるとは限らないため、消極的選択として仕方なく人づきあいとは距離をおき、コミュニケーションの機会を控えめに調整することで社会に関わってきました。それでも、決していつでもうまくいくものではなかったはずです。 それがどうでしょう。オンライン化したコミュニケーションでは、コミュニケーションへの関わり方を、個々人が自由に選べるようになり、また関わり方にそのような個人ごとの多様性があることを、皆が認識し、許容し、配慮しているではありませんか!
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消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第15回 理想の国アメリカで凡庸化する私(栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY)
2020-02-06 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は栗原一貴さんの寄稿です。客員研究員としてシアトルに滞在中の栗原さん。多文化的で自主性を重んじる米国西海岸のコミュニケーション様式からは、日本人の「消極性」を考える上での重要な知見が得られたようです。
こんにちは。 消極性研究会の栗原一貴(津田塾大学)です。今私はアメリカの西海岸の街、シアトルに住んでいます。1年間の滞在で、ワシントン大学で客員研究員として席を置きつつ、家族とともに生活をしています。
前回の執筆の続きとして、私の消極性研究について今回もお届けするつもりではあったのですが、ここアメリカはシアトルでの生活は私の消極性パーソナリティに予想外の強い影響を与えており、ぜひそれを皆様と共有させていただきたく、筆をとりました。
なお無遠慮にアメリカでは、などと主語を大きくして語ってしまっていますが、適宜「シアトルでは」や「栗原の生活圏では」と読み替えていただけるとありがたいです。また、昔から語られている、同調圧力・低コンテクスト・高コンテクスト文化みたいなことを今更語っているだけのような気もしますので、詳しい方々には有益な情報を提供できなくて申し訳ありません。理系の私が柄にもなく社会的なことを論じるので、皆様お手柔らかにお願いします……。
アメリカ人はナイスガイでありたい
アメリカ人は、基本的にナイスガイでありたい、そうでないといけないと思っている、と在米歴の長い知人に聞いたことがあります。確かにそう感じます。初対面でも愛想がよく、笑顔が素敵で、私のような一時滞在者にも「My Pleasure!」と親身に相談に乗ってくれます。一方でその反動のギャップもあります。日本的感覚で、「ここまで愛想がよく面倒見のいい人なら、信頼できる。きっとしっかり仕事してくれるだろう」と予想していた人でも、意外な仕事の杜撰さが後に発覚し、おいおい何だったんだあの笑顔と自信は、と思うこともしばしばです。しかし個人的には、そのギャップを差し引いても、とりあえず人当たりがよいというだけで、コミュニケーションの躊躇はぐっと少なくなります。
アメリカは空気が薄い
アメリカはとても空気が薄いと感じます。もちろん酸素濃度のことではなく、日本人が読むのに心血を注ぐあのコミュニケーションの空気です。多様性の極みともいうべきシアトルは、多種多様な人種と文化のサラダボウルであり、かつ「どんな人でもWelcomeだよ」という態度をとることをアメリカの皆さんはプライドに思っている、あるいはそこにアイデンティティを感じているように思います。そして、シアトルはマイクロソフト、アマゾン、コストコなどの有名大企業があり、実際のところ経済的にも潤っているのでしょう。物価は高いですが、人々に余裕が見られます。余裕があるとき、人は理想を追求したくなるもの。そういう意味で、シアトルは(リベラルな?)アメリカ人が理想とするアメリカ像をしっかり実践できている場所なのかもしれません。もちろんホームレスの人々も多いですよ。でもホームレスへの各種社会的支援もなかなかのボリュームです。
日本人がアメリカ文化で辟易する、飲食のカスタマイズ文化。スターバックスのコーヒーのカスタマイズ。サブウェイのサンドウィッチのカスタマイズ。これらもひとえに、「みんな違って当たり前。君は何を望むの?それを叶えるのが私達の喜びさ。」ということこそおもてなしと考える、アメリカ文化の一つの象徴のような気がします。「おまかせで」とは対極ですね。コミュニケーションにおいても、誰がどんな思想を持っているかなんてバラバラ。違っていて当たり前。言いたいことがあれば言えばいいし、言いたくないなら言わなければいい。興味があればwelcomeだし、興味が無いなら去ればいい。静かにそこに居たいならそれも自由。この考えが徹底している感じがします。
【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売!
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
宇野常寛 遅いインターネット(NewsPicks Book) 幻冬舎 1760円
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宇野常寛 NewsX vol.4 ゲスト:栗原一貴・濱崎雅弘(消極性研究会)「消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい」【毎週金曜配信】
2018-10-26 07:00550pt
宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。9月25日に放送された第4回のテーマは「消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい」。栗原一貴さんと濱崎雅弘さんをゲストに迎えて、消極的な人々のコミュニケーションを手助けすることで、彼らの秘められたポテンシャルを引き出す「消極性研究会」の活動について掘り下げます。(構成:籔和馬)
NewsX vol.4「消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい」2018年9月25日放送ゲスト:栗原一貴・濱崎雅弘(消極性研究会) アシスタント:加藤るみ(タレント) アーカイブ動画はこちら
宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネル、ひかりTVチャンネル+で生放送中です。アーカイブ動画は、「PLANETSチャンネル」「PLANETS CLUB」でも視聴できます。ご入会方法についての詳細は、以下のページをご覧ください。 ・PLANETSチャンネル ・PLANETS CLUB
『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』の記事一覧はこちら
消極性研究会との出会い
加藤 NewsX火曜日、今日のゲストは消極性研究会から、栗原一貴さん、濱崎雅弘さんのお二人です。よろしくお願いします。
栗原&濱崎 よろしくお願いします。
加藤 お二人とも本業は研究者なんですよね?
栗原 はい。でも、消極性研究会も本業としてやっている活動で、ユニット名とかじゃないんです(笑)。
宇野 お二人の厳密なご専門はどんな感じなんですか?
栗原 専門は主に情報科学の分野で、コンピューターをどういうふうにデザインしたり、プログラミングしたりすれば、人にとって役に立ったり、面白い応用ができるのかを研究しています。
加藤 お二人が参加している消極性研究会を、これから深掘りしていきたいと思うんですが、宇野さんはどういう経緯でお知り合いになられたんですか?
宇野 僕の友人に簗瀬洋平さんというゲーム作家の人がいるんですよ。簗瀬さんは、僕が作っている雑誌の「PLANETS vol.9」に参加してもらっていて。それがご縁で仲良くなって、僕がクローズドでやっていた勉強会のメンバーになってもらったんですよ。その中で、「実は私、消極性研究会に参加しています」と簗瀬さんに言われて、なんじゃそりゃと思って、くわしく話を聞いたら、めちゃめちゃ面白くて。その頃に、消極性研究会の研究をまとめた本(『消極性デザイン宣言-消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。』が出たんですよ。その本を読んで、本当に面白いなと思い、消極性研究会のみなさんにうちのメールマガジンで連載をしてほしいとラブコールをずっと送っていたんですよ。そのときは、本が出たばかりで事例がまだ溜まっていないから、ちょっと待ってくださいと言われたんですけど。念願叶って、数ヶ月前から、消極性研究会には5人のメンバーがいるんですけど、ローテーションでうちのメールマガジン用に記事を書いてもらっているんですよね。その流れで、「PLANETS vol.10」にも出てもらって、今日も来ていただいたという感じです。
『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』過去の配信記事はこちら。
加藤 今日のテーマは「消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。」としました。
宇野 これは先ほど紹介した消極性研究会さんの著書のサブタイトルなんですけど、すごくいいキャッチだと思うんですよね。
栗原 相当悩んでつけましたからね。
宇野 今のコンピューターの力を使うとか、最新の認知科学とか、いろんなものの知見を合わせると、積極的じゃない人でも気持ちよく世の中を暮らすデザインはいっぱいできるんじゃないかという、すごいポジティブな発想に溢れていて、その精神が凝縮されたコピーだと僕は思っているんですよね。
コミュニケーションの現代的困難に向き合う「消極性研究」
加藤 それでは、今日も三つのキーワードでトークしていきたいと思います。まず一つ目が「消極性研究とはなにか」。
宇野 「消極性研究」という言葉は、世界でたぶんみなさんしか使っていない言葉だと思うんです。
栗原&濱崎 (笑)。
宇野 消極性研究とはなにか、ということをストレートにお伺いしたいと思います。
栗原 まず、消極性を、コミュニケーションに対する苦手意識と、あとやる気が出ない、モチベーションが上がらないという、二つの意味で名付けて使っています。昔はやる気があることが当然で、やる気がなければ鍛えるとか教育して直すという感じで、人付き合いがうまい人が世の中でのし上がっていくような、単一リアル社会至上主義みたいなものがあったと思うんですよ。ジャイアンみたいな人が勝つみたいな。 昔はそういう世の中だったけど、今は情報化社会になってきたから、個人が扱わなきゃいけない情報も増えたし、関わらなきゃいけないコミュニティやコミュニケーションがどんどん増えてきたと思うんですよ。だから、自分の時間やコミュニケーションに関わるリソースをちゃんと配分して生活しなければ、すぐに個人が破綻してしまうような世の中になったんじゃないかと思うんですよね。なので、積極的な人、消極的な人と二分して話していましたけど、「実は積極的だと思っていたあなたの中にも消極的な部分、ちょっとぐらいはありませんか?」と言うと、だいたいの人が「あっ」と言うふうに思ってくれると僕は信じていますけどね。
宇野 そもそも説教とか、ああしろという強制とかは、自分にウットリした人がやることだと思うんですよね。本当に世の中を変えようとしたら、仕組みを変えないといけない。説教で世の中を変えられるんだったら、説教がうまい人が死んじゃったら意味ないし、持続しないですよね。だから、最終的には仕組みを変えていかないと、絶対に世の中はうまくいかないと思うんですよ。ただ、今のコミュニケーションとか、人間関係とか、やる気とかは、最近までデザインしようという発想が希薄だったと思うんですよ。それが今、認知科学とか、情報工学とか、いろんな科学の発展によって、デザインできるんじゃないかという段階にきたんだと思うんですよね。だから、消極性研究が自然と生まれてきたんじゃないかなと思うんですね。
栗原 グラフを出していただきたいんですけど。
栗原 圧倒的にコミュニケーションが求められ続けていますけど、「コミュニケーションとは何か」と聞かれたときに、「うーん……?」とみなさんなっていませんかね。コミュ力ってどうするの? 何かを説得する力なの? それとも、共感を得る力なの? というのが、わけがわからないまま、特に学生とかが就活で苦労しているわけですよね。
宇野 このグラフ、絶望的に頭悪いですよね。
一同 (笑)。
宇野 全部同じことを言っていません? 要は、自分におべんちゃらを使ってくれて、なんでも言うことを聞くような使いやすい社畜予備軍の学生が欲しいよ、ということでしょ。
加藤 たしかにコミュ力を鍛えたらいいと言いますけど、どうやって鍛えるんだろうとか思ったりもします。
栗原 個人が関わるコミュニティが多様化してくると、このコミュニティではやる気はあるけど、こっちはそうでもないとか。あれだけ好きな友達だったけど、5分おきにLINEがくると鬱陶しいとか。そういうのはいくらでもあると思うので、個人がどんな対象に、なけなしの積極性を発揮できるかというのは予測不可能なものであると捉えて、世の中を計画したほうがうまくいくんじゃないかと思うんですよね。なので、先ほどおっしゃったように、それは叱咤激励ではなくて、浮き沈みが人間にはあるから、どんな状況になってもやっていけるような仕組みを自分の身の回りからデザインしていきましょうと。それは難しいコンピュータ・プログラミングやモノづくりだけじゃなくて、取り決めや約束事ぐらいでもいいんですけどね。そういうところから始めていきましょうと言っているのが、本の中でも言っている「SHY HACK」しましょうということなんですよね。
加藤 「SHY HACK」とは?
栗原 シャイを懲らしめてその人を改善するんじゃなくて、シャイに向き合って状況や環境を改善するためにはどうすればいいのかということを、ローカルなところから始めていこうというような取り組みを紹介しています。
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『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』第3回 アレクサで始める #SHYHACK(栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY)
2018-06-19 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)の連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』、今回は情報科学者の栗原一貴さんに、身近な #SHYHACK についてご紹介いただきます。最近身近になってきたスマートスピーカーは、じつは言いにくいことを人に伝えるときにも活躍をするのだとか。育児やビジネスの場面での効果的な消極性デザインとは?
はじめに
皆さんこんにちは。「物議を醸すモノづくり」が得意な情報科学者、栗原一貴と申します。2012年に珍妙な賞として世界的に知られている「イグノーベル賞」を受賞し、自らのマッドサイエンティスト人生を運命づけられました。現在は「秘境の女子大」と巷で呼ばれているらしい津田塾大学学芸学部情報科学科で、リケジョの育成に邁進しています。
さて、拙著「消極性デザイン宣言」で私は、一対一、あるいは一対少数のコミュニケーションにおける「自衛兵器」の研究を紹介しました。
おしゃべりな人を邪魔する銃「スピーチジャマー」、性能の悪い人工知能の暴走を装って自分のスマホやパソコンの画面を覗く人を撃退する「PeepDetectorFake」、耳の「蓋」として働くことで聞きたくない声や音を遮断する「開放度調整ヘッドセット」、そして人の目を見て話せない人のために視界のすべての人にモザイクをかける「視線恐怖症的コミュ障支援メガネ」などです。
本日は執筆後の近況報告として、身近な話を一つ。家庭の話から、最後はビジネスコミュニケーションの話に繋がります。
育児withアレクサ
書籍執筆後の反響として、章末の寸劇でレイ子さんが言っていたように「コンピュータや技術にあまり詳しくない私は、どうやって消極性デザインすればいいのか」というものがやはり、ありました。これについては我々消極性研究会でも日々議論しておりまして、皆さんとともに「 #SHYHACK 」と称して日常の小さな工夫・デザインによって自分の環境改善に取り組んだ事例の共有を進めています。
本日は、そのような中で最近我が家で流行している #SHYHACK のひとつ、「育児withアレクサ」をご紹介したいと思います。これは、消極性デザイン宣言の中で紹介した「性能の悪い人工知能の暴走を装って自分のスマホやパソコンの画面を覗く人を撃退するPeepDetectorFake」の原理を身近に応用したものの一つです。Amazon EchoやGoogle Homeなどの最近流行りのスマートスピーカーをお持ちの方であれば、その標準的な機能によって簡単に実践できます。すでに実践されている方もいらっしゃるでしょう。ですから新活用方法の提案というより、よくある利用実態の分析という感じでしょうか。
PeepDetectorFakeのポイントは、以下のようなものでした。
・人間、特に消極的な人は、他人を咎める、責める、叱るようなことに多くのエネルギーが必要である。
・他人に咎められ、責められる、叱られるとき、そこに感情が込められていると、受け手も防衛反応からか感情的になってしまう傾向がある。
・コンピュータを使えば、人工音声やテキストメッセージによって、人に対して感情を排除して淡々とメッセージを送ることができる。
・コンピュータに発言を代理させれば、メッセージの発信責任について、「暴走した性能の悪い人工知能のせい」と偽装することができる。
・人が人にネガティブなメッセージを伝えなければならないとき、コンピュータを媒介にすれば、伝える側も気楽にできるし、伝えられる側も冷静にそれを受け止められる可能性がある。
これを家庭内で応用することを考えてみましょう。こどもを叱るのって、難しいですよね。気持ちを込めて、心に訴える叱責。感情を抑えて、冷静に伝える叱責。その後のこどものダメージをフォローする工夫。我が家でも毎日、試行錯誤の連続です。私が特に苦手なのが、こどもが毎日のように忘れてしまう約束について、毎日のように守ることを促す叱責作業です。
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