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  • そしてカーデザインは21世紀へ――今までの自動車、これからの自動車/日本の大衆車・後編(根津孝太『カーデザインの20世紀』最終回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.662 ☆

    2016-08-09 07:00  
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    そしてカーデザインは21世紀へ――今までの自動車、これからの自動車/日本の大衆車・後編(根津孝太『カーデザインの20世紀』最終回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.8.9 vol.662
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは、デザイナー・根津孝太さんの連載「カーデザインの20世紀」最終回をお届けします。これまでの連載の総まとめとして、現在の大衆車が置かれている状況と、その未来を考えていきます。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    ◎構成:池田明季哉
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:一億総中流はファミリーセダンの夢を見るか――「いつかはクラウン」から新型プリウスまで/日本の大衆車・前編(根津孝太『カーデザインの20世紀』第12回)

    前回は、大衆車であるファミリーセダンが戦後の日本にとって特別な意味を持っていたこと、そしてその系譜を受け継ぐプリウスのデザインについてお話ししました。しかし誰もが自動車を手にし、自動車があることを前提としたライフスタイルが一般的になっていくと、より「便利なもの」が、生活の「手段」として求められるようになっていきます。さらにバブル崩壊によって、この流れはさらに加速していきました。そこで今回は、実用性が追求されていった大衆車の現状と、それらを踏まえた21世紀のカーデザインについて考えていきたいと思います。
    ■同じ顔になってゆく自動車たち
    バブル崩壊以降、大衆車のデザインは「コモディティ化」への道を歩んでいきました。「コモディティ(Commodity)」とは「どこにでもあるもの」を意味する言葉で、商品と商品の間の差がなくなってしまい、どれを買っても大差がないような状態のことを言います。
    例えば、ホンダ・N-BOXとダイハツ・タント、そしてスズキ・スペーシアという異なるメーカーの三つの軽自動車があります。どれも人気のある車なのですが、このデザインを見て、みなさんはどういった印象を受けるでしょうか。

    ▲ホンダ・N-BOX。(出典)

    ▲ダイハツ・タント。(出典)

    ▲スズキ・スペーシア。(出典)
    もちろん作り手側がこだわっているポイントはたくさんあり、個々にユニークな機能もあるのですが、ユーザー視点から見たとき、全体的にかなり似ていると感じられるのではないかと思います。軽自動車という決められた規格の中で利便性や快適性を追求し、車内スペースの確保や製造コストの低減などを突き詰めていくと、どうしても似た見た目になってしまうんです。近年の空力解析技術の向上によって、最適解が似通ってしまうという側面もあります。軽自動車に限らず、大衆車と呼べるような自動車はどれも外見的に近づきつつあるんですね。
    コモディティ化という言葉はネガティブな意味で使われることも多いのですが、性能を追求していくことは基本的にはいいことです。誰もが安価で性能のいい自動車に乗れる、まさに「どこにでもあるもの」になったということは、大衆車のそもそものコンセプトの完成だとも言えます。
    ■ファミリーセダンが担っていた機能の分裂
    一億総中流という幻想が生きていたファミリーセダンの時代には、誰もが同じ自動車を手に入れることを夢見ていました。ところが時代が下るにつれて、ファミリーセダンが担っていた機能はいくつかのパターンに分裂していったんです。
    現在の日本の大衆車がどのようなカテゴリーに分かれているかを考えるために、今日本で最も売れている自動車のランキングを見てみましょう。

    (出典)日本自動車販売協会連合会ホームページ、全国軽自動車協会連合会ホームページ掲載の新車販売データより作成
    これは通常別々に集計されている普通自動車と軽自動車の2015年度新車販売台数を合わせて並べ、上位20位までを抜き出したものです。これを見ると、現在の日本で売れている大衆車は軽自動車、ハイブリッドカー、コンパクトカー、ミニバンという四つのカテゴリーになっていることがわかります。ひとつだけSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)というカテゴリーのホンダ・ヴェゼルがランクインしていますが、ランキング上位20台のうち実に19台が、上記四つのカテゴリーのどれかになっているわけですね。
    上位20台のうち半分を占める軽自動車は「スペース系」と呼ばれる、居住性の高さを追求したタイプが人気を集めています。軽自動車については、この連載の第5回(そして小さいクルマは立派になった―黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結)と第6回(21世紀に必要なのは「もっと遅い自動車」だ―超小型モビリティが革新する「人間と交通」の関係)で扱いました。また1位、2位、7位に登場するハイブリッドカーは、前回詳しく語っています。そこで今回は、残りのふたつ、コンパクトカーとミニバンについて見ていきたいと思います。
    ■小さなボディに秘めた走りの良さ――コンパクトカー
    「コンパクトカー」とは、普通自動車でありながら、ダウンサイジングを意図して設計された自動車のことです。法律でその存在が厳密に規定されている軽自動車よりはやや曖昧な分類ですが、普通自動車なので軽自動車よりも居住性や走行性能を確保する上で寸法的には余裕があります。そのため、軽自動車ではちょっと物足りないという人や、長距離移動をする人に支持されています。ファミリーセダンにあった「通勤の足」としての機能は、軽自動車だけでなく、コンパクトカーにも引き継がれたと言えます。
    コンパクトカーと呼べる自動車の歴史は長いのですが、現在のそれに直接繋がる車が登場したのは、00年代のはじめです。トヨタ・ヴィッツ、日産・マーチ(3代目)、ホンダ・フィットがその代表格ですね。今もモデルチェンジを繰り返しながら販売され続けているベストセラーです。これらの車は、たとえばヴィッツならカローラとその弟分であるスターレット、マーチならサニー、フィットはシビックとその弟分のロゴという、おもに70〜90年代にかけて人気を博した大衆車の系譜上にあります。ライバルと競う形で、あるいはユーザーの生活レベルの向上と共に、少しずつ大きく贅沢になっていったカローラ、サニー、シビックの弟分として、兄貴分が生まれた当時のポジションを再現すべく投入された経緯があると言ってもいいかもしれません。だいたい自動車の企画から販売までは4年程度かかりますから、バブル崩壊を受けて90年代後半に企画された車なんですね。

    ▲トヨタ・ヴィッツ(初代)。(出典)

    ▲日産・マーチ(3代目)。(出典)

    ▲ホンダ・フィット(初代)。(出典)

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  • 一億総中流はファミリーセダンの夢を見るか――「いつかはクラウン」から新型プリウスまで/日本の大衆車・前編(根津孝太『カーデザインの20世紀』第12回)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.643 ☆

    2016-07-14 07:00  
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    一億総中流はファミリーセダンの夢を見るか――「いつかはクラウン」から新型プリウスまで/日本の大衆車・前編(根津孝太『カーデザインの20世紀』第12回)【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.7.14 vol.643
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    今朝のメルマガはデザイナー・根津孝太さんによる連載『カーデザインの20世紀』第12回をお届けします。今回から前後編にわたって取り上げるのは「大衆車」。前編では、カローラからプリウスまで戦後のファミリーセダンの歴史を振り返りながら、大衆と自動車の関係を考えます。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    ◎構成:池田明季哉
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:現実を目指して疾走するフィクション――フューチャーカーとジャパニーズ・メカデザイン(根津孝太『カーデザインの20世紀』第11回)
    今回から前後編の二回に分けて「大衆車」を取り上げてみたいと思います。この連載ではこれまで水陸両用車からフィクションのなかの車まで、さまざまな個性的な自動車について語ってきましたが、誰でも少し頑張れば手が届く価格帯の大衆車も、なかなか面白い存在なんです。
    例えばスポーツカーは常に速さに価値を置いていますし、高級車は贅沢さに価値があります。速さや贅沢さというのはある意味では絶対的なもので、時代を経てもあまり変わることがありません。
    ところが大衆車の場合はそうではないんです。多くの人々に求められるものだからこそ、社会の波風の影響をまともに受けて、考え方の軸が次々と移り変わっていきます。言い換えると、大衆車とは「自動車が大衆にとってどんな存在なのかを如実に反映しながら変化してきたもの」なんですね。それゆえの面白さと難しさが大衆車にはあると思います。
    現代日本の大衆車の代表格は、トヨタ・プリウスだと思います。軽自動車を除けば新車販売台数ランキングの1位をずっと走り続けている大ヒット商品ですね。そのプリウスが、昨年末に4回目のモデルチェンジを果たしました。相変わらず販売台数は非常に好調だと言われているのですが、大胆に変更されたその新しいデザインが賛否両論となっています。そのことに、今の大衆車が置かれている難しい状況が表れている気がしています。
    今回は常に時代と共にあった大衆車の移り変わりを考えながら、プリウスの新しいデザインについても少し触れてみたいと思います。

    ▲トヨタ・プリウス(4代目)。その特徴的なフロントマスクが議論を呼んでいる。(出典)
    ■戦後日本大衆車の中心を占めた「ファミリーセダン」
    大衆車と一口に言っても様々なものがあるのですが、戦後日本において中心にあったのは「ファミリーセダン」というタイプの車たちでした。なかでもトヨタ・カローラは、戦後日本社会をある意味で象徴する存在だと思います。


    ▲トヨタ・カローラ(9代目)。典型的なファミリーセダン。5人乗りで、ドアは後部座席に乗りやすくするため4枚である。後部には独立したトランクルームにアクセスするためのトランクリッドが見える。(出典)
    「ファミリーセダン」というのは、家族で乗るセダンタイプの車という意味です。自動車は基本的に、エンジンがあって、人が乗るところがあって、荷物を入れるところがありますよね。多くはこの3つをそれぞれ別の空間に分けた「3ボックス」という構造で、なおかつ2列の座席を持ち、4-5人が快適に乗れるように作られた自動車が、「セダン」と言われているものです。
    セダンと対照的なのは「クーペ」というタイプの車で、こちらはスポーツカーによく採用されます。多くは1列2人乗りで、後部座席はないか、あっても補助的なものです。トランクも独立していない「2ボックス」タイプのものもあります。現在では形式も多様化していて、細かな分類や中間的な車もたくさんあるのですが、居住性能を大切にしたのがセダン、走行性能やスタイリングを追求するのがクーペ、と大まかに分類することができます。

    ▲シボレーのコルベット・スティングレイ。2人乗りスポーツクーペの一例。空力を高めて走行性能を追求した流れるようなラインに加えて、ドアが左右2枚となっている。(出典)
    ■人生と共にステップアップしていく車
    日本の大衆車の黎明期、1960年代に大活躍したのが前にもお話ししたスバル・360でした(参照:連載第5回「そして小さいクルマは立派になった〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結」)。ドイツのフォルクスワーゲン・タイプ1をお手本に作られた軽自動車です。政府が作った「国民車構想」に並べられた非常に高い要求をクリアし、当時としては破格の高性能と低価格を両立して大人気となりました。スバル360は軽自動車ではあるのですが、定義上はセダンでもあります。今に続くファミリーセダン的な発想の原点にある車だと思います。

    ▲スバル・360。1958年に発売。全長約3000mm、重量365kgの小型自動車。ちなみに57年後の2015年末にリリースされた4代目プリウスは、全長およそ1.5倍、重量はおよそ3.7倍である。(出典)
    その後、ファミリーセダンは60年代〜70年代の高度成長期に生まれた「一億総中流」という幻想と結びついて、ある種の特別な車として本格的に大衆に受け入れられていきます。高度経済成長に合わせて、大衆の求める車もだんだんと大きくなっていきました。誰もが「未来には今よりも豊かな生活が待っている」と期待することができた高度成長期に、車も同じように「ステップアップしていく」という価値観が一般的になっていきます。
    例えばトヨタなら、最初は小さなスターレットからスタートして、次はカローラを買って、その次はコロナ、さらにその次はコロナ・マークIIに乗り、そして最後のゴールとしてクラウンがありました。トヨタ以外のメーカーでも、だんだんと大きな車に乗り換えていく、という基本的な構造は同じです。社会のなかでより上へ上へとステップアップしていくような人生に合わせて、ステータスの象徴として自動車を乗り換えて行くことが、大衆にとって憧れとなりました。

    ▲初代トヨタ・カローラ。写真は1969年から生産された後期型。(出典)
    ■「いつかはクラウン」へと辿り着く人生
    こうしたヒエラルキーのトップに君臨していたクラウンという車は、特別な立ち位置にありました。「いつかはクラウン」という有名なキャッチフレーズが示すとおり、戦後中流的な人生のゴールを象徴する存在だったのです。

    ▲トヨタ・クラウン。写真は1967年から1971年まで生産された3代目。「日本の美」をテーマにデザインされた。(出典)

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  • 現実を目指して疾走するフィクション――フューチャーカーとジャパニーズ・メカデザイン(根津孝太『カーデザインの20世紀』第11回)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.614 ☆

    2016-06-09 07:00  
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    現実を目指して疾走するフィクション――フューチャーカーとジャパニーズ・メカデザイン(根津孝太『カーデザインの20世紀』第11回)【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.9 vol.614
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガではデザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』をお届けします。前回のコンセプトカーに引き続き、未来のイメージを担う架空の車、フューチャーカーのデザインを取り上げます。日本で独自に発展した未来のメカデザインが行き着いた意外な場所とは? リアルとフィクションが互いに影響し合って醸成されたデザインたちについて語ります。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
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    前回:「今ここ」を未来にするタイムマシン――憧れを顕現するメディア、コンセプトカー(根津孝太『カーデザインの20世紀』第10回)
    前回は、未来を描き出す車として、コンセプトカーをご紹介しました。斬新なデザインが幾つも生まれてきたことは前回語った通りですが、こうした車両も、全くのゼロから生み出されたわけではありません。
    人間はいろいろなものを目にして成長していきます。特に「デザイナーになろう!」と志す人は、やはり「あの日見た憧れのマシン」を作ろうとするものです。その憧れのマシンは、何も現実に存在する車両とは限りません。フィクションの中にしかない車両だって、憧れの対象になります。フィクションの車が現実の車に影響を与え、そして現実の車がまたフィクションの車に影響を与える。そんな相互作用の中で自動車の文化は育まれてきました。
    そこで今回は「未来を描き出す車」のもうひとつの側面として、フィクションに登場するメカと、そのデザイナーたちについて語ってみたいと思います。
    ■工業デザインが醸し出すリアリティ――シド・ミード
    未来のデザインということで言えば、一番に名前が挙がるのはやはりシド・ミードでしょう。シド・ミードはもともとフォードに在籍していたカーデザイナーでしたが、やがてその未来的なデザインが注目され、SF映画などに参加するようになっていきます。劇中に登場する車両をデザインするだけでなく、同時に都市の景観から小道具まで、ありとあらゆるもののコンセプトデザインを手がけるようになりました。シド・ミードは、自分のことをカーデザイナーではなく「ビジュアル・フューチャリスト」と呼んでいます。そんな肩書きを名乗っている人、他に聞いたことがないですよね(笑)。「未来を創り出す」卓越した力を持ったデザイナーとして、僕にとっても憧れの存在でした。
    有名なのは、リドリー・スコットが監督し、1982年に公開されたSF映画の金字塔『ブレードランナー』への参加です。また同じく1982年に公開された、CGによる斬新なビジュアルで有名な『トロン』でも、メカデザインだけでなくサイバースペースのコンセプトデザインも担当しています。

    ▲『ブレードランナー』に登場する警察車両「ポリススピナー」のコンセプトアート。陸上を走行する際は前部が展開し車輪が出現する。(出典)

    ▲『トロン』に登場する「ライトサイクル」のコンセプトアート。劇中ではすべてCGで描かれた。(出典)
    シド・ミードのデザインは、なぜそれほど人の心を掴んだのでしょう。シド・ミードが登場するまでのフィクション世界の乗り物のデザインは、『スター・ウォーズ』が代表的です。『スター・ウォーズ』のメカはオリジナリティ溢れる素晴らしいデザインの宝庫ですが、どこかファンタジックで大らかなところがありました。『スター・ウォーズ』の宇宙船や戦艦は細かいディティールがたくさんあることが印象的ですが、これは大まかな形を決めた後、タミヤの戦車などのプラモデルを大量に買ってきてパーツをどんどん貼り付けることで作られたと言われています。つまり形状のユニークさに重きが置かれていて、必ずしも機能的なリアリティは重視されていなかったのです。

    ▲『スターウォーズ』に登場する宇宙船「ミレニアム・ファルコン」のプロップ。独特な円形のフォルムはピザから発想されたと言われる。細かいディティールが巨大さを演出しているが、それぞれの機能は必ずしも明確ではない。(出典)
    対してシド・ミードが『ブレードランナー』でデザインしたパトロールカー「ポリススピナー」は、「未来にはこんな車があってもおかしくない」と思わせる説得力があります。警察車両らしいパトランプにマーキング、前回もご紹介したランチア・ストラトスゼロなどのコンセプトカーを彷彿とさせるボディ、情報を効率的に表示するコックピットのコンソール、走行時に接地している車輪が飛行時には引き込まれるギミックなど、プロダクトとして機能をデザインする発想に溢れていることが、リアリティに繋がっているのだと思います。

    ▲ポリススピナーのインテリアデザイン。説得力のあるディスプレイもさることながら、窓の外に映る渋滞の風景も、現実と地続きのリアリティを感じさせる。(出典)
    1960年代の未来観は、とても素朴で夢見がちなものでした。SFの未来像というと、塔のような高層ビルのあいだをUFOのような車が飛び交い、人々はみんなツヤツヤしたタイトな服を着ている、というステレオタイプがありますよね。60年代あたりに描かれていた未来像は、こうした現実と切り離された異世界のようなファンタジックなものが一般的でした。

    ▲60年代に未来生活を描いたアメリカのアニメ『宇宙家族ジェットソン』。ステレオタイプな未来イメージの典型。(出典)
    前回もご紹介したコンセプトカーたちは、こういった未来のイメージを具現化する役割を果たしました。「工業社会の発展が輝かしいユートピアに繋がっている」と多くの人が思っていた時代だったわけですね。しかし、1970年代以降にアメリカをはじめとした先進諸国はベトナム戦争やオイルショックを経験し、夢ばかりを見てもいられなくなります。こういった時代背景から、徐々にファンタジックな未来のデザインは退潮していきました。

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  • 「今ここ」を未来にするタイムマシン――憧れを顕現するメディア、コンセプトカー(根津孝太『カーデザインの20世紀』第10回)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.589 ☆

    2016-05-12 07:00  
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    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.5.12 vol.589
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    今朝のメルマガでは、デザイナー・根津孝太さんの連載「カーデザインの20世紀」をお届けします。コンセプトカーに託された、未来への思いとは? その歴史を辿りながら、コンセプトカーが今社会に果たすべき役割を語ります。
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    根津孝太(ねづ・こうた)
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    前回:エコと効率化のさらにその先へ――痛車・スポコンと〈欲望ドリブン〉の美学(根津孝太『カーデザインの20世紀』第9回 国産スポーツカー・後編)

    今回はコンセプトカーについて語ってみたいと思います。コンセプトカーとは、モーターショーでの展示を目的に作られた車両のことで、基本的に市販はされません。モーターショーに足を運ぶと、各社が威信を賭けて制作したさまざまなコンセプトカーを見ることができます。
    自動車業界の人や自動車ファンのあいだでは「コンセプトカーが市販されないのは当たり前だよね」ということが暗黙の前提になっていますが、読者の方のなかには「お店で売らない車をなんで作ってるの?」と不思議に思われる方も多いのではないかと思います。まずは、そんなコンセプトカーが自動車業界でどんな役割を果たしているのかについてお話ししてみたいと思います。
    ■コンセプトカーは「自動車界のファッションショー」
    コンセプトカーの存在に近いのは、アパレル業界のファッションショーです。パリコレなどで発表される奇抜な服はインターネットでも話題になったりしますよね。これは言ってみれば「コンセプトモデルの提示」なんです。かなり過激なデザインでも、ファッションショーで見せるものであれば許されるので、胸が露出しているような服を着て、女性モデルが平気でランウェイを歩いたりしています。でも、その服をお店でそのまま売るわけではありません。各メゾンがファッションショーでこぞって奇抜な服を発表するのは、新しい美の形や、次に来るべき流行、あるいは服という概念を更新するゲームを戦っているからなんですね。

    ▲オランダのメゾン、ヴィクター&ロルフの2016SSオートクチュールコレクション。「ウェアラブルアート(着て歩く芸術)」がテーマになっており、衣服と彫刻を融合させている。(出典)
    コンセプトカーの場合、ものによってはファッションショーの服よりも現実的な形をしているので、来年売られてもおかしくないような気がしてしまうのですが、構造としては同じです。コンセプトカーは、メーカーの力や未来のビジョンを示すために作られるものなんです。
    ■コンセプトカーの誕生――チシタリア・202クーペ
    コンセプトカーの源流は、遡れば自動車以前、馬車の時代に行き着きます。当時は貴族のために馬車に豪奢な飾り付けを行う「カロッツェリア」と呼ばれる架装工房が発達していました。もともとドイツやイタリアでは中世から手工業者の共同組織「ギルド」というものが発達していて、徒弟制度を敷いて親方が若い職人たちを育成していく仕組みができていたんですね。第二次世界大戦前夜、こうしたカロッツェリア文化を引き継いで、自動車のデザインを専門に手がける工房が登場します。その代名詞とも言える最も偉大なカロッツェリアが、バッティスタ・ピニンファリーナによって設立されたイタリアの「ピニンファリーナ」です。
    ピニンファリーナはたくさんの職人を擁して多くの自動車を手がけていて、さまざまな革新的デザインで一世を風靡し、やがて自動車だけでなくさまざまなプロダクトを手がけるようになっていきました。ピニンファリーナ印がついた素晴らしいデザインのプロダクトは飛ぶように売れるという、まさに言葉通りの「ブランド」を確立したデザイン工房です。

    ▲ピニンファリーナがデザインを手がけたペン「Forever Pininfarina Cambiano」。なめらかなスタイルが美しいだけでなく、ペン先に紙との摩擦で酸化し筆記する特殊な合金を使用、インクを補充したりペン先を交換することなく永久に使用できる機能を持つ。(出典)
    そのピニンファリーナが手がけた作品の中でも有名なもののひとつが、1947年に発表された「チシタリア・202クーペ」です。これはニューヨーク近代美術館(MoMA)に美術品として永久展示された史上初の自動車となりました。

    ▲チシタリア・202クーペ。全体が一体となった流麗なデザインになっている。MoMAに収蔵された8台の自動車のうちの一台。なお、本連載に登場したフォルクスワーゲン・ビートルや、メルセデスベンツ・スマート(初代)などもMoMAに収蔵されている。(出典)
    チシタリア・202クーペのデザインは、当時としてはもちろん斬新だったのですが、今見るとどことなくかわいらしいレトロな雰囲気にも見えますよね。第二次大戦直後のコンセプトカーはこうした流麗で美しいデザインが主だったのですが、60年代になるとはっきりと「未来的」なデザインを打ち出すようになっていきます。
    ■2000年の空飛ぶ自動車――フォード・X2000
    1958年には、アメリカのフォードが「X2000」というコンセプチュアルな車を発表します。今見ても未来感のある、SFマンガに出てきそうな外観になっています。

    ▲フォード・X2000。ジェットエンジンのようなテール部分や、各所に開口されたエアインテークが今にも飛びそうなイメージ。(出典)
    第二次大戦以前まで、自動車はまさに「工業化社会の象徴」でした。自動車は、世界に存在するだけで十分に未来を感じさせるものだったんですね。しかし戦前〜戦後にかけて「フォルクスワーゲン・タイプ1」や「フィアット・500」、日本ではこの連載でも以前お話しした「スバル・360」(連載第5回を参照)などの大衆車が販売され一般化していきました。そんな時代状況のなかで、改めて「自動車の未来の姿」を提案しようということで、こうした斬新なデザインのコンセプトカーが登場しはじめました。

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  • エコと効率化のさらにその先へ――痛車・スポコンと〈欲望ドリブン〉の美学(根津孝太『カーデザインの20世紀』第9回 国産スポーツカー・後編)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.564 ☆

    2016-04-14 07:00  
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    エコと効率化のさらにその先へ――痛車・スポコンと〈欲望ドリブン〉の美学(根津孝太『カーデザインの20世紀』第9回 国産スポーツカー・後編)【毎月第2木曜配信】 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.14 vol.564
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガではデザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』をお届けします。今回は前回に引き続き、国産スポーツカーを取り上げます。スポーツカーに託されるカッコよさが変化していく中、意外な場所に花開いた新たなデザインに迫ります。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:「速さ」がデザインに宿るとき、伝説が生まれる――誇り高きサムライ、国産スポーツカー【前編】(根津孝太『カーデザインの20世紀』第8回)
    前回ご紹介したのは、世界の自動車史に残るであろう日本のスポーツカーたちでした。これらは車メーカーがその威信をかけて開発したものでしたが、現代においてメーカー主導の国産スポーツカー開発は様々な理由から厳しい状況が続いています。
    一方で、日本のスポーツカー文化は70〜90年代にかけてユーザーたちがカスタムを繰り返しガラパゴス的に進化した結果、2000年代以降はまったく別の文脈で世界から注目を集めるようになっています。第4回でお話しした「バハバグ」のように、「メーカー主導」ではなく「ユーザー主導」で育まれた文化が、オリジナリティの高い独自の文化として受け止められているんですね。
    今回はそんな日本のスポーツカー文化が創り上げたもうひとつの可能性である「スポコン」「ドリフト」、そして「痛車」について掘り下げていきたいと思います。
    ■スポコン:強者に挑む弱者のスポーツカー
    「スポコン」は「スポーツコンパクト」の略で(「スポーツコンバージョン」の略とする場合もあります)、アメリカ西海岸で80年代後半から90年代にかけて流行したスタイルです。日本にも90年代後半から逆輸入され、全盛期には専門の雑誌が発売されるほどでした。基本的には、日本のコンパクトサイズのスポーツカーをベースに、派手なドレスアップを施したカスタムカーのことを指します。アメリカンカーカルチャーの本場とも言える西海岸で日本車ベースの改造が流行した、というのはなんだか不思議に聞こえますが、これには面白い理由があるのです。

    ▲『ワイルドスピード(2001年)』(出典)
    スポコンを描いた映画に「ワイルドスピード」シリーズがあります。これはストリートレーサーたちによるド派手なカーアクションばかりが全編続く、車好きの車好きによる車好きのための映画です。1作目『ワイルドスピード(原題:The Fast & The Furious)』と、2作目『ワイルドスピードX2(原題:2 Fast 2 Furious)』が主にスポコンを取り扱っています。
    「ワイルドスピード」シリーズは、マッチョな男たちが改造車で無謀なカーレースを繰り広げる、ちょっと古臭い美学の映画だと思われているところもあります。しかしそんな映画が2000年代から現在に至るまで、実に8作も作られている人気シリーズとなっているのには、きちんとした理由があると思っています。
    「ワイルドスピード」はアメリカの映画なのですが、主役車は1作目がトヨタ・スープラ、2作目が三菱のランエボとエクリプスと、どちらも日本車となっています。特に日本人が出てくるわけでもなく、日本にゆかりがあるわけでもありません。にもかかわらず、ハリウッドのカーアクション映画で主役が日本車というのは、なかなかの大抜擢です。

    (出典)

    ▲1作目の主役、トヨタ・スープラ。上がオリジナル、下が劇中仕様のカスタムカー。オレンジメタリックのカラーリングと、派手なステッカーが目を引く。(出典)
    1作目の物語は、警官のブライアンが、度重なる貨物車両襲撃事件の囮捜査でストリートレースチームに潜入、しかしチームのリーダーであるドミニクと次第に絆を育んでいく、というものになっています。2作目は引き続きブライアンが登場し、旧友ローマンと共に麻薬密売組織壊滅のため再び潜入捜査を行います。
    興味深いことに、劇中に登場するストリートレーサーたちは世界各国からやってきた移民で、生粋のアメリカ人は主人公・ブライアンぐらいです。そして移民のストリートレーサーたちはみんなバリバリのカスタムカーに乗っているのですが、ベース車はほとんどが日本車で、これが「スポコン」と呼ばれるものです。

    (出典)

    ▲2作目の主役、三菱・ランサー エボリューションVIIと、同じく三菱・エクリプス。エクリプスは当初、スパイダーにちなんで蜘蛛の巣のようなステッカーだったそうだが、搭乗するローマン・ピアース役のタイリース・ギブソンが自らデザインし直したという。(出典)
    アメリカのスポーツカーの主流は、大柄な車体にハイパワーなV8エンジンを載せたマッスルカーです。V8はほとんど信仰と言ってもいいほどの強い支持があります。これは大排気量でとにかくガソリンをたくさん消費して、パワーで押し切ってスピードを出す、というものです。「ワイルドスピードX2」に悪役(?)として登場するシボレー・カマロSSや、ダッジ・チャレンジャーがその典型で、両方ともエンジンはV8です。要するにこういったマッスルカーは、アメリカ社会の中心にいる白人男性たちのカーカルチャーの象徴なんですね。

     

    ▲シボレー・カマロSSとダッジ・チャレンジャー。V8エンジンを搭載する、アメリカンスポーツカーを代表する車種。ロングノーズ・ショートキャビンの典型的なデザイン。(出典)
    一方、外からやってきた移民は貧しく、こうしたスポーツカーを買うことは容易ではありません。でも人間、負けているところがあるからこそ、どこかでは勝ちたいと思うのは前回お話しした通りです。白人のマッスルカーに対抗するために、安くて高性能な車が求められ、そこで日本のスポーツカーが評価されたというわけです。日本のスポーツカーは、パワーで押し切るマッスルカーとは異なり、全体のバランスを整えてテクノロジーでパフォーマンスを引き出すという思想で作られているからなんですね。
    「ワイルドスピード」の劇中でも、スープラでフェラーリに勝つシーンがありますが、こうした小気味よさに、様々な人種の坩堝(るつぼ)であるアメリカの人々も共感したということでしょう。そういった意味で日本車はアンチ白人、アンチV8として、アジア系やラテン系の移民の感情移入の対象となったんです。
    マッスルカーがメインカルチャーだとしたら、日本車はサブカルチャー。アメリカにおける日本車のスポコン文化は、「バハバグ」の回でもお話ししたカウンターカルチャー的な意識に駆動されているんですね。

    ▲『ワイルドスピードX2』冒頭でレースを繰り広げる4人。ラテン系、韓国系、アフリカ系とバラエティに富むメンバーだが、乗っているのは全て日本車。(出典)
    スポコンが面白いのは、改造して速さを追求するだけでなく、競うようにして独特なセンスのグラフィカルなドレスアップが施されるようになったことです。まさに映画に登場するような、蛍光色に近いほどの鮮やかなカラーリングにド派手なステッカーが「スポコンらしい」デザインです。他にも巨大なオーディオユニットを入れたり、ネオン管やLEDで各部を光らせたり、実際の走りとは関係ない部分のカスタムもよく行われます。
    こうした独特の美学は日本にも逆輸入され、ひとつのブームになるほどの盛り上がりを見せました。これまでとは全く異なる文脈で日本車が評価されたことも面白いのですが、ドレスアップへの情熱は、速さを追求することとはまた違った、「魅せる」スポーツカーの魅力を物語っているように思います。

    ▲「ドレスアップカーマガジン」2005年4月号。上部に「SPORTS COMPACT」の文字がある通り、この時期はスポコン専門誌だった。ブーム全盛の雰囲気が感じられる。(出典)
    ■ドリフト:「追い抜く」走りから「魅せる」走りへ
    そして、日本産スポーツカーのこうした「魅せる」という側面を象徴するのが「ドリフト」という文化です。
    「ワイルドスピード」シリーズの3作目は、とうとう日本で、しかも東京で撮影されることになりました。それが『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT(原題:The Fast and the Furious: Tokyo Drift)』です。これはその名の通りドリフトをメインに据えた映画になっており、俗に「ドリ車」と呼ばれるドリフト仕様の日本車が多数登場します。

    ▲『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』(2006)(出典)
    これまでのシリーズでは、主人公たちはひたすらにスピードを追求していました。「TOKYO DRIFT」でも基本的には同じなのですが、それに加えて、ドリフトの美しさを追求しようとする姿が描かれています。

    ▲映画に搭乗する「ドリ車」、日産・シルビア。「ドリフト界のモナリザ」と呼ばれる。劇中では序盤で廃車になる。(出典)

    ▲同じく映画に搭乗するマツダ・RX-7。外装にも手が加えられ、一見RX-7がベースとはわからない。人気を博したため、続編にも登場する。(出典)
    ドリフトというのは、コーナーで敢えてタイヤ(主に後輪)を滑らせることで高速走行するテクニックです。これによってより速くコーナーを脱出できたり、小回りを利かせてきついカーブをクイックに曲がります。もともとラリーなどで広く使われていたのですが、80年代の日本で、いわゆる「走り屋」と呼ばれるストリートレーサーたちが、タイトなカーブが連続する峠道をより速く走るために、高度に技術が発展していきました。『グランツーリスモ』『リッジレーサー』などのレースゲーム、もしくは『頭文字D』のような走り屋漫画が好きな方であれば、よくご存知かと思います。

    ▲しげの秀一『頭文字D』。「走り屋」を描いた代表作。ドリフトの描写も多い。(出典)

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  • 「速さ」がデザインに宿るとき、伝説が生まれる――誇り高きサムライ、国産スポーツカー【前編】(根津孝太『カーデザインの20世紀』第8回)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.538 ☆

    2016-03-10 07:00  
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    「速さ」がデザインに宿るとき、伝説が生まれる――誇り高きサムライ、国産スポーツカー【前編】(根津孝太『カーデザインの20世紀』第8回)【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.3.10 vol.538
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    今朝のメルマガではデザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』をお届けします。今回は前後編に分けて、国産スポーツカーを取り上げます。前編では、日本が世界に誇る名車を紹介しながら、スポーツカーという存在の意外な本質に迫ります。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:クルマがファッションを纏うとき――「Be-1」「パオ」「フィガロ」日産パイクカーシリーズ(根津孝太『カーデザインの20世紀』第7回)
    今回からは前後編にわたって日本のスポーツカーを語ってみたいと思います。
    やや勢いあまって、中二病的なタイトルをつけてしまいましたが、「スポーツカー」という言葉を聞いて、みなさんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。
    車に詳しくなくても「なんとなくカッコいい」「高級品だ」というイメージを持っている人、現在であれば「速いだけで燃費の悪い使いにくい車に乗っているなんてカッコ悪い」と思う人もいるかもしれません。
    でも僕は、スポーツカーは単なる過去の流行ではなく、人類の根本的な欲望に根ざした存在なんだと思っています。
    「スポーツカーに乗る」ということには、特別な意味があります。美しい車への憧れや所有欲、速い車を乗りこなしてみたいという衝動が、人をスポーツカーに向かわせるのはもちろんですが、それだけではなく、そこには「身体の機能を補いたい、拡張したい」という欲望もあるような気がします。僕もそうなのですが、走るのが遅い人が速いスポーツカーに憧れるというように、身体の拡張感とそれによる高揚感や陶酔感がスポーツカーの魅力の根本にあることは確かではないでしょうか。パワードスーツや、ガンダムのモビルスーツへの憧れと同じものと言っていいかもしれません。かなり偏った考え方だとは思いますが、今回はこのような視点からスポーツカーを考えてみたいと思います。

    ▲パワードスーツ。身体機能を強化する。SFによく登場するが、近年は実用化が進められている。(出典)
    人間はどこかで、自分の尊厳を保てる場所を作りたいのだと思います。他のところでは負けても、いや負けているからこそ、ここでは勝ちたい。そんな思いの受け皿として機能してきたのが、スポーツカーというジャンルなんだと僕は思っています。
    日本は自動車大国でありながら、スポーツカーの分野では欧米の後塵を拝してきた国でもあります。しかしそんな日本で生まれたスポーツカーにも、世界に誇れるものはたくさんあります。今回は、そんな日本の「サムライ」たちを語っていきたいと思います。
    ■スピードを追い求めるという原初の欲求
    スポーツカーは、もともとレースなどのモータースポーツのために開発されたものでした。その歴史は古く、自動車の誕生とほぼ同時に生まれています。

    ▲20世紀初頭のレーシングカー。ペイントのカーナンバーがレースらしい。(出典)
    スピードを追い求めるということ自体、人間のプリミティブな欲求に根ざしています。人類は車輪の発明以前から、動物に乗ったり、そりのような原始的な乗り物で坂を下ってレースをしていました。スポーツカーも「どうやったらより速くなれるか」を追求していく上で、自然に生まれてきた存在です。
    エンジニアリングで速さを追求していくと、乗り物のデザインもどんどん変わっていきます。例えば自転車はわかりやすい例でしょう。チェーンドライブが発明される以前の自転車は、ペダルの一回転がそのまま車輪の一回転になっていました。車輪が一回転したときに進む距離は、円周の長さに等しくなります。円周は直径に比例しているので、車輪が大きければ大きいほど速いということになります。この時代の自転車は、前輪の大きなデザインがスポーティで「速そう」なデザインとして受け入れられていたのです。

    ▲前輪が大きな「オーディナリー型」と呼ばれる自転車。19世紀後期に流行した。重心が高いため乗りこなすのは大変だったというところもスポーツ的。(出典)
    事情は自動車も同じで、実際にモータースポーツで活躍している「速い」車であること、そしてデザインとしては「速そう」であることが何より大切です。さらに言えばそこに思い入れやストーリーが宿っていることが、スポーツカーの条件だと言えます。
    ■世界が認めた国産スポーツカー「トヨタ 2000GT」
    日本のスーパースポーツカーの元祖と言えば、1967年に登場した「トヨタ2000GT」は間違いなくそのひとつと言えるでしょう。連載の第1回でもお話ししましたが、僕が小学生の頃はスーパーカーブームが盛り上がっていた時期でした。でも華々しく取り上げられるのはイタリアやドイツ、イギリス、アメリカなど海外の車ばかりで、国産のスポーツカーはあまり目立っていませんでした。
    僕が小学生だった70年代後半は『サーキットの狼』という、実在するスーパーカーがたくさん登場して公道やサーキットで命を賭けたレースを繰り広げる漫画が大人気で、当時の男子小学生の多くが読んでいました。その『サーキットの狼』の作中で隼人・ピーターソンというキャラクターの愛車としてトヨタ2000GTが登場したのが最初の出会いです。作中でピーターソンが、外国製のスポーツカーに乗る主人公たちに向かって「日本にもすばらしい車があるのに、なんできみたちは外国の車に乗るんだ?」というようなことを言うシーンがあるのですが、「日本にもスーパーカーがあったんだ!」と興奮したのを覚えています。


    ▲トヨタ 2000GT。ヤマハ発動機の技術供与により完成した。流麗なデザインは現代の視点から見ても古臭さを感じさせない。(出典)

    ▲京商オリジナル 1/43 サーキットの狼 トヨタ 2000GT 隼人ピーターソン。ちなみに隼人・ピーターソンは一人称が「ミー」の悪役として登場する。(出典)
    さらにこのトヨタ2000GTは、映画『007は二度死ぬ』(1967年)でボンドカーにも抜擢されています。それまで『007』シリーズのボンドカーはアストンマーチンやベントレーなどのイギリス車だったのですが、外国の車がボンドカーになったのはこれが最初でした。トヨタ2000GTは、プライドの高いイギリス人も納得させられるような美しさを持っていたということなのかもしれません。

    ▲主演のショーン・コネリーが長身で窮屈だったため、オープン仕様となった2000GT。『007は二度死ぬ』はボンドガールも日本人だった。(出典)
    デザイン的には、似ているものが他にないかというとそうでもありません。こうしたノーズが長くてキャビンが後ろにある構成は、当時のスポーツカーとしては一般的なもののひとつでした。現代のスペース重視の車では、エンジンを横置きして前輪を駆動し、走るための機構をギュッと車両の前方に追いやって、その分、広い室内空間を確保するのが普通です。しかしこの2000GTでは、エンジンを堂々と縦にレイアウトし、それを内包する長いノーズを、どうだ!と言わんばかりにスタイリングの特徴にしています。運転席に座れば、助手席との間を隔てるトンネルに、エンジンからの力を伝達するトランスミッションとプロペラシャフトの存在をしっかりと感じとることができます。このスタイルがスポーツカーとしての理想的なレイアウトのひとつであり、典型的な記号でもあったのです。
    もちろん走行性能も高く、過酷なスピード・トライアルにチャレンジし、国際記録を幾つも樹立しています。スター性と実力、その双方を兼ね備えた日本のスポーツカーとして、僕にとってはすごく輝かしい存在でした。
    僕は決してナショナリストというわけではありませんが、日本車が世界市場で活躍していると、どうしても嬉しくなってしまうんですね。イチローや松井秀喜、中田英寿の海外での活躍を見る喜びにも似ているかもしれません。日本人は自分の作ったものを自分で認めるのが苦手なので、こうして外から認められることでようやく価値をはっきりと認識できる、ということもあるように思います。
    ■この車だけが未来のエンジンを積んでいた――「マツダ サバンナ RX-7」
    トヨタ2000GTは、70年代後半当時は既に生産を終了していた「幻のスーパーカー」でした。しかし、スーパーカーブームの後半の1978年、もう一台の国産スーパーカーが登場しました。それがこの、マツダ「サバンナ RX-7」です。

    ▲マツダ サバンナRX-7。(出典)
    この車の最大の特徴は、ロータリーエンジンという特殊なエンジンを搭載していることです。これはおむすび型のローターが8の字で回るというとても不思議なものです。一般的な自動車に搭載されているレシプロエンジンはピストンの上下運動をクランク軸を使って回転運動に変えているのですが、このロータリーエンジンは最初から回転運動なので効率がいいと言われていました。実際は燃費の点で不利な点もあったりするのですが、高回転域までスムーズに回り、軽量コンパクトで高出力なことからも「未来のエンジン」として持て囃されていました。

    ▲ロータリーエンジンの動作。おむすび型の頂点に位置する気密用の「アペックスシール」の開発が難航した。(出典)
    アイディアとしては第二次世界大戦当時からある古いものです。当初、ドイツでは低振動・低騒音であると見込まれ、戦車に搭載すれば、搭乗員の疲労を減らし、作戦行動時間を延長できるのではないかと構想されました。そして戦後の1964年に、西ドイツ(当時)の自動車メーカーであるNSUがロータリーエンジンを搭載した自動車を開発しましたが、故障が多く実用化というにはほど遠いものに終わっていました。つまり当時の世界の技術力をリードしていた西ドイツでさえ量産には成功しなかった、いわく付きのエンジンなんですね。
    それをなんと、日本のマツダが1967年に完成させ、「コスモスポーツ」というスポーツカーに搭載して発売してしまったんです。『帰ってきたウルトラマン』に防衛隊の特殊車両として登場するので、特撮ファンの方にはおなじみかもしれませんね。そして、そのコスモスポーツの正統な流れをくむサバンナ RX-7が、スーパーカーブームの真っ只中に彗星のように登場するのです。当時の小学生たちのスーパーカーか否かの判断基準はややお粗末で、使用しない時には収納される「リトラクタブルヘッドライト」(当時の通称は「隠しライト」)がついているかどうかが最大の影響力を持っていました。サバンナ RX-7にはまごうことなきリトラクタブルヘッドライトが搭載されていますから、間違いなくスーパーカーに分類されるわけです。
    しかもスーパーカーとしては非常に安い価格で販売されたところもポイントです。僕が通っていた小学校の先生が、サバンナRX-7を買って学校に乗って来ていて、それまでなんとも思っていなかったその先生が急に神様のように見えたのを覚えています(笑)。当時の公立学校の先生のお給料ですから、それほど高いというわけではなかったと思いますが、それでも頑張れば買えるくらいの価格だったんですね。「実際に手の届くスーパーカー」というそれまでには考えられなかったプロダクトだったんです。ちなみに、僕も小学生ながらディーラーに行ってカタログをもらってきたりしました。

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  • クルマがファッションを纏うとき――「Be-1」「パオ」「フィガロ」日産パイクカーシリーズ(根津孝太『カーデザインの20世紀』第7回)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.517 ☆

    2016-02-11 07:00  
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    クルマがファッションを纏うとき――「Be-1」「パオ」「フィガロ」日産パイクカーシリーズ(根津孝太『カーデザインの20世紀』第7回)【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.2.11 vol.517
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    今朝のメルマガではデザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』をお届けします。今回のテーマは80年代〜90年代前半にかけて一世を風靡した「日産パイクカーシリーズ」。バブルの自由な空気の後押しを受けて生まれたこのシリーズから、「ファッション・オリエンテッド」なカーデザインの可能性を再考します。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
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    前回:21世紀に必要なのは「もっと遅い自動車」だ ――超小型モビリティが革新する「人間と交通」の関係(根津孝太『カーデザインの20世紀』第6回 日本の軽自動車 未来編)
    今回は「パイクカー」を取り上げたいと思います。パイクカーという言葉は指し示す範囲が広く「デザインに主な価値を置いた車」といった意味で使われることが多いのですが、中でも日産から80年代〜90年代前半にかけて発売された「Be-1」「パオ」「フィガロ」と3車種続いたシリーズが代表格です。今回はこの「日産パイクカーシリーズ」について語ってみたいと思います。
    敢えてちょっと意地悪な言い方をすると、パイクカーは「デザインだけで売ろうとした車」とも言えます。「Be-1」「パオ」「フィガロ」の3車種は、発売されるやいなや、大人気になりました。全て数の限られた限定生産だったのですが、中でもBe-1は10,000台の予約がたった2ヶ月で完了、あまりの人気に中古市場は高騰し「買った値段の倍で売れる」とさえ言われていました。
    この3台は外見こそ全く異なっていますが、実は中身は全て傑作コンパクトカーである日産の初代「マーチ」をベースにしています。そこにちょっといいデザインのボディを乗せたところ、マーチより価格が上がっているにもかかわらず、あっという間に完売してしまうような、とんでもなく価値の高い車として迎え入れられたのです。
    これはとても革新的な考え方でした。基本的に車の価値は、エンジニアリングが基本だと考えられていました(これは今でも大部分がそうです)。燃費や加速性能、安全性など、車の性能を決めるのは全てエンジニアリングの部分です。車メーカーは、こうした性能を向上させるために、新たにエンジンを開発したり、トランスミッションやサスペンションを工夫したりしています。でもパイクカーは全て中身は「マーチ」を使っているわけですから、エンジニアリングの部分で新しいことは一切していません。デザインを成り立たせるための調整こそ行われていますが、エンジニアリングには価値を置いていない、とも言えるんですね。
    ですから、このシリーズを世に出すまでは「新しい技術もないのにデザインだけ変えたようなものを売り出すとはけしからん、そんなものはクルマのデザインではない」という声もあったようです。車のデザインが持つ雰囲気や気分のようなふわっとしたものに価値を置いていることは、それほどまでに新しい考え方だったのです。

    ▲日産「マーチ」(初代)。直線的なデザインは、ジョルジェット・ジウジアーロによるもの。(出典)
    ■ 何かに似ているようで何にも似ていない「Be-1」
    パイクカーの中で、最初に発売されたのがこのBe-1です。発表されたときの衝撃は今でも覚えています。当時デザインを志そうとしていた学生だった僕は「コレ欲しい!」「工業デザインでこんなこともできるんだ!」と思いました。


    ▲日産「Be-1」。直線的なデザインが主流だった80年代に、どこかレトロな雰囲気も感じさせる曲線主体の外観は革命的だった。ロゴもキュート。(出典)
    「Be-1」はデザインとしても、とても面白い試みがなされています。いい車のいい雰囲気だけを持ってくるために、何かに似ているようでいて何にも似ていないオリジナルのデザインが巧妙に組み立てられています。一見イギリスのミニ・クーパーに印象が似ていますが、それは印象だけで、実際には全くの別物になっています。これはとても高度なテクニックですね。

    ▲モチーフのひとつと思われる「ミニ」。一見似た印象にも思えるが、比較すると驚くほど似ていない。(出典)
    もう一つ僕が学んだのは、車の表情の作り方です。車のライトって、目に見えますよね。グリルは口に見えるかもしれませんし、ひょっとしたらナンバープレートは歯に見えるかもしれません。人は実際に車のフロントを「顔」として認識して、そこに表情を読み込んでいるというウィーン大学の研究(http://www.afpbb.com/articles/-/2520582)もあります。Be-1は車のフロントを顔として捉えて、キャラクターをデザインするように作られているのです。実際、デザインするときには「目」となるヘッドライトの大きさや形状にとても気を遣ったそうです。目は口ほどに物を言う、ともいいますが、人間は目に非常に敏感に反応するということでしょう。
    最初から雰囲気作りだけを目的として、いい雰囲気だけ持ってくることを確信犯的にやっている――中身はマーチでも、雰囲気を作ることについては徹底的に突き詰められてデザインされているのです。
    ■ 冒険よりも冒険「気分」――「パオ」
    Be-1の大成功を受けて、次に送り出されたのがこの「パオ」です。パイクカーの中でも最も成功した一台で、50,000台以上を売り上げました。


    ▲日産「パオ」。ドアやトランクのヒンジ、ボンネットやサイドの強度確保のためのライン、曲げたパイプに取り付けられたサイドミラーなど、タフなイメージの記号が散りばめられていながらも全体としては丸くて可愛らしい。(出典)
    このパオは当時の「バナナ・リパブリック」というファッションブランドをイメージソースとしています。カリフォルニア発のこのブランドが掲げていたのは「冒険」というテーマでした。「サファリテイストを取り入れた服を身にまとうことで、冒険気分を味わおう」という遊び心あるコンセプトが、バブルに沸く日本で人気を集めていました。実際に冒険に行くのではなく、今いる場所に冒険の気分を持ち込む。「パオに乗っていると、電柱がヤシの木に見えるんだ」という話を聞いたことを覚えています。

    ▲バナナ・リパブリックのカタログ。オニオオハシやシマウマなど、濃厚なサファリ感。(出典)
    パオのデザインも、軍用車のようなタフな車をイメージさせる記号がたくさん散りばめられています。例えばドアのヒンジがそうです。今の車はヒンジがボディに内蔵されて外から見えないようになっていますが、昔の車や軍用車はパオのように外側にヒンジがついていました。

    ▲モデルのひとつと思われる、第二次世界大戦で活躍したドイツの軍用車「キューベルワーゲン」。ドアはもちろん外ヒンジ。プレス加工のビードをあしらったサイドの雰囲気もよく似ている。このビードには本来、薄い板厚で剛性を確保するという意味があるが、パオではそれをファッションとして取り入れている。(出典)
    これを見たトヨタ時代の上司が「なんで外ヒンジなのに、マーチより高いんだ」と苦笑していました。自動車の文化史的に言えば、外ヒンジはシンプルな構造による生産性と低コストのために止むなく採用するものであって、内ヒンジの方が外観も滑らかで、錆びることも少なくていい、というのが常識です。
    でもパオは「冒険の気分のためには、外ヒンジの方が『らしい』よね」、という発想で作られていて、しかもそのことに価値を感じて、みんながお金が払ったんです。
    ちなみに、このパオは特に女性から人気がありました。女性は男性に比べて「ここが気に入ったから買います!」というように、車のディティールを大切に考えて購入を決める印象があります。パオにはこの外ヒンジのような「ここが可愛い」というポイントが幾つもたくさん散りばめられていたことが、成功の秘密になっていることは間違いないでしょう。
    実際にパオが冒険に適した車かといえば、そうではありません。繰り返しますが、中身はあくまでマーチなのですから。機能ではなく、雰囲気こそを大切にするというファッションの感覚が、きちんとコンセプトと繋がったデザインになっているのです。
    ■ クラシックの雰囲気とモダンの性能――「フィガロ」
    パイクカーシリーズ最後の一台がこのフィガロです。フィガロは限定20,000台を応募者に抽選で販売しました。車を販売するのに抽選なんてなかなかありません。それくらいパイクカーシリーズの人気は盛り上がっていたということです。


    ▲日産「フィガロ」。レトロなスポーツカー風の外観。トップは手動で開閉するオープンカー。(出典)
    この車に乗ったことのある人は、冗談めかして「フィガロはハンドルの切れも良くないし、後ろのトランクも開けにくいし、ツードアなので後部座席へのアクセスも不便」ということを語ったりします。
    もし仮にそういったことを本当に不便に感じるようでしたら、「あちらにマーチという素晴らしい車がありますよ」ということになります。「フィガロの不便だった部分が、マーチでは全部直ってる!」いやいや、マーチが元なんですけどね(笑)。

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  • 21世紀に必要なのは「もっと遅い自動車」だ ――超小型モビリティが革新する「人間と交通」の関係(根津孝太『カーデザインの20世紀』第6回 日本の軽自動車 未来編)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.494 ☆

    2016-01-14 07:00  
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    21世紀に必要なのは「もっと遅い自動車」だ ――超小型モビリティが革新する「人間と交通」の関係根津孝太『カーデザインの20世紀』第6回 日本の軽自動車 未来編【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.1.14 vol.494
    http://wakusei2nd.com


    今朝はデザイナー・根津孝太さんによる連載『カーデザインの20世紀』をお届けします。前後編にわたって軽自動車を取り上げましたが、後編では未来の小型車である「超小型モビリティ」構想について、掘り下げて考えます。
    「1tの車を100km/hで運転しなければならない」という車業界のドグマを解きほぐし、いま真に追求すべき「車と社会の関係」について語ってもらいました。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:そして小さい車は立派になった 〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結〜 (根津孝太『カーデザインの20世紀』第5回 日本の軽自動車 過去編
    ■「フライングフェザー」「フジキャビン」の精神をどう受け継ぐか
    前回は過去編ということで、「フライングフェザー」と「フジキャビン」、そして「スバル360」という黎明期の国産軽自動車たちについてお話しました。今回は「未来編」ということで、これからの小型車が持つべき「別の可能性」についてお話ししていきたいと思います。
    前回ご紹介した「フライングフェザー」や「フジキャビン」はとてもかわいらしいデザインでしたよね。しかし当時の技術者たちは決して「変わったものを作ってやろう」と奇を衒っていたのではなく、大真面目に「次に求められる新たな自動車はこれだ!」と、みんなのニーズのど真ん中に投げ込む思いで作っていたんじゃないかと思います。
    そして黎明期の軽自動車は「車を小さくしよう」というよりも、「自転車やバイクから上がっていく乗り物」として作られていた、というお話をしました。こうした発想こそが、今の軽自動車に限らず、21世紀の車全体を再定義する上で必要なものではないかと思うんです。
    そこで今回は、僕が考えている未来の車、「超小型モビリティ」についてお話ししていこうと思います。
    ■ より重く、頑丈になってしまった小型車
    「超小型モビリティ」とは具体的にどういうものかをお話する前に、現代の小型車を取り巻く状況について、前回よりもさらに掘り下げて整理してみたいと思います。
    「軽自動車大国」である日本だけでなく、実はヨーロッパでも小型車は長い歴史を持っていて人気もあるカテゴリーです。たとえばメルセデス・ベンツを販売するダイムラー社の傘下であるスマート社(本部:ドイツ・ベーブリンゲン)が90年代後半に開発した「smart」は、低燃費志向が高まった2000年代後半のヨーロッパでヒット商品となりました。
    「smart」はまさに車のRe-Definition(再定義)を試みたプロダクトだと思っています。写真のように2人乗りの小さな車なのですが、「トリディオンセーフティーセル」と言う独自の構造を採用していて、車体の下側を非常に頑強に作ってあり、事故の際の乗員保護をできるようになっています。初代smartの分解展示を見たときには「ドイツ人ってやっぱりすごいな。ここまで工夫するんだな」と思いました。分解された部品ひとつひとつがとても美しかったことを覚えています。シートもモノコック構造(前回参照)のシェルになっていて、側面衝突時の衝撃緩和に役立つようにも作ってありました。こうした努力の積み重ねで、「小さいけれどもこれまでとは違う次元の安全な車」という印象を人々に与えることに成功したと思っています。

    ▲2人乗りの「smart fortwo(スマート・フォーツー)」。小さなサイズでも頑強で安全だが、決して軽量とは言えない。こちらは昨年末発売になったばかりの第3世代で、初代に比べるとサイズも排気量もいつのまにかずいぶん大きくなっている。(出典)
    しかし、こうしたより安全な車の希求は功罪両面を生み出してしまうのだと思います。メルセデス・ベンツなどのドイツ車が中心になって「より安全で頑丈に」という競争を仕掛けていったことによって、自動車業界全体が兵器の開発競争のような状況に陥ってしまいました。あえて否定的な言い方をすれば、「自社の車に乗っている人だけが助かる」という終わりなき競走に否応なく巻き込まれていったのです。
    どういうことかというと、そもそもメルセデス・ベンツなどの自動車はドイツの高速道路であるアウトバーンを時速200kmで走ることを想定して作られているんですね。高速走行時に衝突しても大丈夫なように作らないといけないので、できるだけ軽く作る努力をしたとしても、必然的にどうしても重くなってしまいます。コンパクトな2人乗り自動車であるスマートも、最新の第3世代では見かけによらず1t近くあります。こうした傾向はなにもドイツ車に限ったことではなく、厳しい国際競争の中で他社の車が丈夫になれば自社のものはもっと丈夫にしようと、各社が競って戦車のように頑強な車を開発しなければならない状況に陥っていくのです。さらに、重大事故が増える中、各国政府が車に対して設ける安全基準も際限なく高まっていってしまうんです。
    少しだけ物理学の話をしましょう。ある物体が別の物体にぶつかったときのエネルギーは、

    e=1/2mv^2

    という式に従うことが知られています。eはエネルギー(energy)、mは質量(mass)、vは速度(velocity)です。つまり衝突エネルギーは、質量に比例し、速度の二乗に比例する。わかりやすく言えば、重くなればなるほど、そして速くなればなるほど、ぶつかったときのダメージが大きいんですね。細かく言えばもっといろいろなことが関係しているのですが、車の事故の衝撃の大きさを考える上では、おおまかな原理として「重さと速さ」が大きな要因になることは確かです。特に二乗に比例してしまう速度のほうは影響が甚大ですし、高速走行時の衝突に対応しようとすれば必然的に重くなってしまうのは先ほどお話ししたとおりです。
    歩いている人同士がぶつかっても、タンコブくらいはできるかもしれませんが、大怪我にまでは至らないですよね。それは重さも速さも車の衝突事故とは比べものにならないくらい小さいからです。最近自転車の事故が危険視されているのは、かなりのスピードで走る人が増えたからなんですが、それでも自転車同士や自転車と歩行者なら、人間の生命を脅かすところまでは至らずにすむことも多いでしょう。
    しかし、重くて頑丈な車にぶつかられたときに身を守る方法は、基本的には自分も重くて頑丈な車に乗ることしかありません。重い車が猛スピードで行き交うことを前提にすると、どうしても重くしないと安全基準を満たせなくなっていきます。軽量化の技術も進んではいますが、ドイツだけでなく世界中で、車はどんどん大きく重くなっていく傾向にあります。
    当然、日本の軽自動車も例外ではありません。市販されているほとんどの軽自動車は、時速100kmで高速道路を走ることができる性能を持っています。時速100kmで走れるということは、その速度での衝突も想定して作らなくてはならないということでもあります。
    現行の国産軽自動車は700kgから900kgが主流となっていますが、黎明期の「フライングフェザー」や「フジキャビン」の重量が300kg台で、大人なら一端を持ち上げて向きを変えることも可能だったのとは、隔世の感があるんじゃないかと思います。

    ▲最も売れている軽自動車のひとつであるダイハツ「タント」。最も軽いモデルでも920kgと1t近い。(出典)
    ■ 歩行者に突進、高速道路を逆走――「お年寄りが1tの物体を時速100kmで動かしている」ということ
    もうひとつ別の観点から考えてみましょう。いま高齢者による自動車事故が問題になっていることをご存知の方も多いですよね。東京都内では交通事故の件数そのものは年々減少しているものの、高齢者が事故を起こす割合はむしろ高くなっています。高齢者の運転する車がペダルの踏み間違えで歩行者の列に突っ込んでしまったり、道路標識を見誤って高速道路の出口から進入し逆走してしまう、といった事故もしばしば報道されています。高齢者の方は、ご本人が感じている以上に身体機能・認知機能が低下していて、運転に必要な判断・注意を行うことが難しかったりするんですね。
    自動車事故の被害に遭うことも大変悲しいことですが、高齢者の方々が、人生の最後の最後で悲惨な自動車事故の加害者になってしまうというのも、避けなければならない社会問題であると思います。

    ▲警視庁による、東京都内における高齢者運転者の関与した交通事故発生状況。高齢者が事故に関与している割合は年々上昇している。(出典)
    この問題については政府も対策を取っていて、運転に自信のない人に対して運転免許証の自主返納を勧めています。免許証は身分証代わりの役割もありますから、免許を返納しても身分証として使える「運転履歴証明書」を発行する制度の普及を進めていたりするんですね。

    ▲運転経歴証明書の交付に伴って、タクシー代金や飲食店での割引など、さまざまな特典が得られる自治体もある。交付自体は大幅に増加している。(出典)
    高齢者の家族から、「おじいちゃんが車に乗りたがって困る」という悩みもよく聞きます。車を手放したくないのには「生活に不可欠だから」という理由があります。特に地方部では徒歩圏にスーパーなどの生活インフラがあることは稀で、2km離れたスーパーに行って重い荷物を持って帰らなければなかったりします。バスも限られていますし、毎回タクシーを使うと費用もかさんでしまうため、必然的に車を使わざるを得ないわけですね。そこまで日常的に必要はなくても、何かあったときに不安だからということで持ち続ける高齢者の方もいます。
    また、本当はまったく必要ないけどそれでも車に乗りたくて、「これが人生最後の車だから」と言いながら何回も車を買い替える「人生最後の車詐欺」のような話もあったりします。現在の高齢世代にとって車は「自由の象徴」でもあったものですから、失ったときの喪失感を考えると「車を手放したくない」という思いも理解できますよね。
    そう考えたとき、運転免許の返納を促したりして「高齢者に車を運転させないようにする」というだけで果たしてよいものでしょうか。
    逆に、こう考えてみてもいいんじゃないかと思います――自動車というモノ自体、「健康で元気な人が運転するもの」ということを暗黙の前提にして始まっていて、21世紀に先進国がこれだけの高齢社会になることを想定してはいなかった。そのまま進化していった結果、今では「身体能力や認知機能に関係なく、誰もが1tもの重量の物体を時速100kmで動かさなければいけない」という思い込みに凝り固まってしまった。であるならば、今こそそういった近代の車社会の前提そのものを問い直すべき良いチャンスであるとも思います。
    ■ いま必要なのは「もっと遅い」自動車
    こういった硬直化した状況を一旦リセットするために、「オルタナティブな自動車」を構想しなければいけない。その有力なものとして、僕は「超小型モビリティ」の可能性を模索しています。
    「超小型モビリティ」はご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、軽自動車よりもっと小さな、おおむね2人乗りの自動車です。スクーター(原動機付自転車、原付)などの二輪よりも走行安定性や雨天時の利便性が高く、普通の自動車よりコンパクトで小回りが利き、地域の手軽で便利な移動の手段として使われることを想定しています。
    そういったサイズの仕様以上に、実はここまでお話ししてきた「どういう速度帯にするか」ということが、超小型モビリティを考える際の肝だと思います。
    今は車業界全体が「時速100kmで走らなければいけない」ということを前提にしています。しかし、逆に言うと「もっと遅いスピードを前提にすれば、車を過度に重く頑丈に作る必要がなくなる」ということでもあるんです。

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  • そして小さいクルマは立派になった 〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結〜 (根津孝太『カーデザインの20世紀』第5回 日本の軽自動車 過去編)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.469 ☆

    2015-12-10 07:00  
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    そして小さいクルマは立派になった
    〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結〜
    根津孝太『カーデザインの20世紀』第5回 日本の軽自動車 過去編【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.10 vol.469
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでお届けするのは、デザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』最新回です。今回からは「国産軽自動車」を過去編・未来編の2回にわたって取り上げます。「ガラ軽」とも言われる特異な進化を遂げた軽自動車が進化の過程で失ってしまったものとは? 過去編では、軽自動車の元祖である「フライングフェザー」「フジキャビン」「スバル360」という3つの車の「原初の思想」について考えます。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    ◎構成:池田明季哉
    前回:アメリカ西海岸より愛をこめて──自動車改造文化の金字塔「バハバグ」(根津孝太『カーデザインの20世紀』第4回)
    「今の日本の自動車の主流ってなに?」と聞かれたら、どう答えるべきでしょうか。
    1960〜70年代の高度成長期であれば、トヨタが1966年に発売した「カローラ」はまさに日本のクルマの代名詞ともいうべき存在感を持っていました。2010年代の現在、高度成長期の「カローラ」と似た立ち位置にあるのは、同じくトヨタの「プリウス」や「アクア」、そしてホンダの「フィット」といったハイブリッド車だと言う人もいるでしょう。この3車種は現在、新車販売台数の上位に常にランクインしています。

    ▲トヨタ・アクア。発売以来、街で見かけない日はないほどの大ヒットとなった。(出典)
    一方で、今の日本のもうひとつの主流として「軽自動車」が大活躍しているのも、誰もが納得することではないかと思います。たとえば2015年上半期の新車販売台数ランキングを見ると、上位10車種のうち、1位は前述した「アクア」で、他にも「プリウス」「フィット」といったハイブリッド車がランクインしているなかで、残りの7車種はすべて軽自動車です。
    (参考リンク)2015年上期の新車販売ランキング、上位10車種の7車種が軽自動車 - 日経トレンディネット 
    日本の軽自動車は低燃費で高性能、サイズの小ささから小回りも利きますし、最近では「スペース系」という名前が定着するほど、居住性に優れ乗り心地も快適です。スズキの「ワゴンR」、ダイハツの「ムーヴ」や「タント」、ホンダの「N-BOX」などがその代表で、大人気となっています。
    全自動車の保有台数に占める軽自動車の割合というデータがあるのですが、都道府県によっては軽自動車の比率が5割を超えています。東京・大阪・愛知などの都市部では軽自動車の割合が低い一方で、鉄道やバスなどの公共交通機関が充実していない地方部では、家族がひとり一台軽自動車を持っていることも珍しくありません。人々の生活に不可欠な「足」として、まさに文字通りの「国民車」としての地位を確かに築いています。

    ▲ダイハツ・ムーヴ(6代目)。スペース系軽自動車の代表格。(出典)
    しかし、デザインとして今の軽自動車を見ると、どうしても「リジッド(硬直的)なものになってしまっているな」というのが、僕がいま感じていることです。
    法的に軽自動車の規格がはっきりと決まっているのもそうですし、デザイン的にもだんだんと似た形に収斂していっています。決められたサイズの中で室内空間をできるだけ広く取ろうとすると、どうしても似たようなデザインになってきてしまうという事情もありますが、軽自動車というフォーマット自体が社会の中で決まった位置付けになっていることとも関係があるのではないかと思っています。
    携帯電話にも同じことが起きました。iPhone前夜にはさまざまなデザインの携帯電話が、スタンダードの座を狙ってたくさん出てきていたことを覚えている人も多いでしょう。しかしiPhoneが出た瞬間、みんなが「これこそスタンダードだ」と確信しました。そして携帯電話のデザインは、iPhoneをベースとしたものに収斂していきました。
    多くのものが模範とする雛形となるデザインは、様々な試行錯誤を経て生まれるもので、そこには様々な苦労があります。しかし一度その雛形が決まってしまうと、黎明期にあったデザインの多様性や自由な発想力が失われていってしまう部分もあると、僕は思っています。
    静岡県にある浜松楽器博物館のお仕事をさせていただく機会がありました。たくさんの楽器が展示されているのですが、僕が心惹かれたのは、今では作られなくなった奇妙なデザインの楽器たちです。今でこそ楽器と言えばどのメーカーが作っても、基本形はほとんど同じデザインになっていますが、当時はどんなデザインの楽器にすべきなのか、お手本がない中で真剣に考え、さながらカンブリア紀の生物たちのように、さまざまな試行錯誤が行われていたのです。
    日本の軽自動車も、最初から今の形だったわけではありません。軽自動車の黎明期には、収斂しようにも最初の雛形がない中で、みんながそれぞれ真剣に課題と向き合って、新たなフォーマットを切り拓こうと野心的な車が次々と生まれていきました。そんな強い想いと独自の思想に貫かれたユニークな国産軽自動車の系譜は、リジッドになってしまった今の軽自動車のフォーマットを考えなおすために、きっと参考になるものだと思います。
    今回はそんな軽自動車の姿について、過去編と未来編の二回に分けてお話していきたいと思います。過去編では黎明期に次のスタンダードを模索してきた軽自動車たちについてご紹介し、未来編では軽自動車の新たなる姿として僕が考えている、超小型モビリティについて掘り下げていきたいと思います。
    ■羽のように軽やかに──軽量化を徹底しすぎた「フライングフェザー」
    日本で軽量で安価な自動車であるところの「軽自動車」が模索され出したのは、1950年代半ばのことです。戦後から10年、日本は急速に復興を遂げつつありました。国全体が一丸となって豊かさへと向かっていく中で、自動車の位置付けも変わっていきます。それまで自動車はものすごく高級で、所有していること自体がステータスでした。しかし国民みんなが少しずつ豊かになっていくにつれて、誰もが手にできる自動車が求められるようになっていました。そんな国民車を作ろうとさまざまな試みが行われていたのが、1950年代という時代でした。
    まず最初にご紹介する「フライングフェザー」は、1950年代半ばに住江製作所によって作られた2人乗りの自動車です。デザイナーは、日産出身の富谷龍一さんです。「フライングフェザー」はその名前の通り、「羽根のように軽い」ことを目指した車でした。重量はなんと380kg。現代の自動車は、たとえば前出のアクアで約1t、軽自動車のワゴンRで約800kgですから、その驚くべき軽さがわかります。

    ▲フライングフェザー。軽量化と簡素化を突き詰めた末の独特な佇まいが魅力。(出典)
    軽量化と簡素化には多くのメリットがあります。軽量であれば、パワーの出ないエンジンでもよく走ります。また、簡素な構造にすることによって、小規模な設備で安価に生産することもできます。衝突した場合でも、みんなが軽ければ被害はずっと少なくてすみます。軽く簡素にすることで、様々な点でよい循環を生み出せるようになるのです。戦後まもなくで物資も不足し、自動車の普及率がまだ高くなかった日本で、小型軽量安価な国民車の役割を担うべく開発されたフライングフェザーが、軽量化を至上命題として掲げたのも納得できるというものです。

    ▲軽量安価なインテリアは質素の極み。(出典)
    デザインにもこうした野心的な試みが現れています。まず目を引くのがタイヤで、なんとバイク用の、幅の狭いタイヤを流用しているんです。
    基本的に、車の物理学はタイヤで決まります。外世界と車が接するのは、タイヤと道路が接触しているハガキ1枚ほどの面だけです。(フライングフェザーではもっと小さいですが。)速度が上がってくれば空気抵抗も影響してきますが、どんなタイヤを採用するかによって、どのような性格の車になるかは自ずと決まってきます。
    今の自動車は軽も含めて、基本的には前の車種よりも優れた装備を搭載したり、安全な装置を加えたりして、基本的にはどんどん「武装」していく傾向にあります。より快適で便利に、より安全で頑丈にというわけですね。
    ところが、これは未来編でもお話することと繋がってくるのですが、この「フライングフェザー」はむしろ「みんな自転車やバイクを使っているけれど、そこに雨除けがあったり、四輪で走行が安定して誰でも運転できるようにしたほうがいいよね」という素朴な発想でつくられているように思うのです。
    バイクは便利な乗り物ですが、雨が降ればライダーはぬれてしまいますし、バランスをとって乗る必要があるため、一定以上の身体能力も必要とされます。そうなると小さな子供を連れた女性や、体力の衰えた高齢者にはハードルの高いものになってしまいます。
    そういったバイクのハードルを低くして、多くの人に簡単に運転してもらえるようなものにしたい――この「フライングフェザー」は、現代の軽自動車の「小さなクルマでも大きなクルマとできるだけ同じに」という方向性とは違い、「バイクを誰でも簡単・便利に、生活のなかで使えるものしよう」という下から上がっていく発想が根底にあるんですね。
    「フライングフェザー」のデザイン面では他に、車体後部にあるエアーアウトレットが目を引きます。リアにあるエンジンからの排熱という必要性に迫られた形だと思うのですが、カッコよく仕上がっていますよね。徹底して装飾を廃し薄い鋼板でハンドメイドされたボディを含め、今見てもなかなか個性的で小気味いいデザインをしているなと思います。

    ▲後部に大きく開けられたエアアウトレット。(出典)
    また、もうひとつの大きな特徴として挙げられるのが、なんとフロントブレーキを搭載していないことです。リアブレーキしかない自動車は1920年代以降ほとんど作られておらず、時代に逆行しているとも捉えられかねない仕様でした。確かにエンジンは後部に搭載されていて、人も中央より後ろに乗っているので、重量配分から言えば後部ブレーキだけで事足りるというのは合理的な選択かもしれません。しかしだからといってフロントブレーキまでなくしてしまうのは、当時の人にとってもやりすぎと思えるものでした。
    結局フライングフェザーのあまりに強すぎる思想は、市場には受け入れられませんでした。たったの50台ほどが生産されただけで、姿を消してしまったのです。
    ■超小型自動車のパイオニア──あまりにも未来を走った「フジキャビン」
    「フライングフェザー」の後、同じ富谷龍一氏が富士自動車で手掛けたのがこの「フジキャビン」です。これも「フライングフェザー」と当初の思想が似ていて、「倒れなくて雨除け(屋根)があるバイク」というコンセプトで開発されています。エンジンもオートバイ用のものが使用され、内部機構もオートバイと自動車の中間的なものとなっています。

    ▲フジキャビン。その姿はどこからどう見ても「未来の車」だ。(出典)
    「フライングフェザー」が四輪であったのに対し、フジキャビンが特徴的だったのは前二輪、後一輪の三輪レイアウトになっていることです。50年代当時から「オート三輪」と呼ばれるカテゴリはありましたが、前一輪、後二輪が主流でした。このレイアウトは、前半部分はオートバイそのままで、荷物を積む後ろ半分だけを二輪にすればよかったため、比較的簡単に設計できましたが、その分コーナリングで倒れやすいという欠点も抱えていました。戦後の日本では、交差点でオート三輪が転倒している姿が日常風景のひとつだったりしたんです。

    ▲かつてマツダが生産していたオート三輪「マツダ・K360」(出典)

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  • アメリカ西海岸より愛をこめて──自動車改造文化の金字塔「バハバグ」(根津孝太『カーデザインの20世紀』第4回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.453 ☆

    2015-11-18 07:00  
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    アメリカ西海岸より愛をこめて──自動車改造文化の金字塔「バハバグ」 (根津孝太『カーデザインの20世紀』第4回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.11.18 vol.453
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    今朝のメルマガはデザイナー・根津孝太さんによる連載『カーデザインの20世紀』第4回をお届けします。前回はおおらかで夢見がちなアメ車文化の象徴としてバットモービルを取り上げましたが、今回はアメリカ西海岸のカウンターカルチャーを源流とする自動車改造文化「バハバグ」に焦点を当てます。ユーザーたちのDIYスピリットの結晶であるこの「バハバグ」をテーマに、車というものに宿るプリミティブな魅力を考えます。
    根津孝太『カーデザインの20世紀』これまでの連載はこちらのリンクから。
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    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    ◎構成:池田明季哉
    ひょっとしたら、今回取り上げるバハバグという車は、ご存知ない方も多いかもしれません。これは連載の第2回にも登場した「フォルクスワーゲン・タイプ1」を不整地走行用に改造して作られたバギーカーの総称で、普通に市販されている車ではありません。その個性的な可愛らしくも力強いデザインに宿った、今失われつつある車の別の可能性について語ってみたいと思います。


    (出典)

    (出典)

    ■ 荒地を1600km疾走するマシン
    バハバグは「バハ1000(baja1000)」というレースに出場する「バギー(buggy)」と、フォルクスワーゲン・タイプ1の愛称である「ビートル=虫=バグ(bug)」をかけて「バハバグ(baja bug)」という名前になったと言われています。バハ1000はアメリカのカリフォルニアの南、メキシコのバハ・カリフォルニア半島を縦断するレースで、その名の通りコースはおよそ1000マイル(約1600km)。コースと言っても舗装など一切されていない、砂漠に近い荒野です。不眠不休でこのコースを走り、走行時間は20時間以上、完走率はなんと半分程度と、世界で最も過酷なレースと呼ばれています。バハ1000は改造元の車種などによっていくつものカテゴリーに分かれているのですが、このタイプ1を改造したバハバグはそれだけでひとつのクラスになっているほどの人気ぶりです。

    ▲コースを走るバハバグ。過酷な環境であることがよくわかる。(出典)
    もともとバハ1000は、北米大陸で行われていた草レースがその発祥と言われています。20万人を動員する大規模なレースになった今でも、個人がたくさん参加しています。車のレースはどうしてもお金がかかるので、みなさんが普段目にするF1やWRCのような大きなレースは、基本的にスポンサーが入って大きく資本を投入しているものばかりです。バハにももちろんスポンサーは入っていいるのですが、他のレースに比べればその商業化の度合いは低いと言えるでしょう。参加者もエンジニア兼ドライバーとして参加する人が多く、基本的には自分の車を改造し出場して楽しむ稀有なイベントなのです。
    ■ 機能の追求が可愛い見た目を生んだ
    バハ1000を攻略するために生まれたバハバグは、非常に個性的なデザインになっています。もちろん個人の改造車なのでいろいろな仕様があってそれぞれの魅力があるのですが、「これぞバハバグ!」という代表的な仕様はなんとなく決まっています。
    まず、一番目につくのはその巨大なタイヤでしょう。でこぼこの荒地を走るので、車高を上げて車体が地面にぶつからないようにしなければいけません。つまり、悪路の走破性を高めるための改造なんです。外見からすぐにはわかりませんが、道のでこぼこに合わせてサスペンションも大きく上下に動くようになっています。
    タイヤのサイズを上げてサスペンションのストロークを取ると、タイヤがフェンダー(タイヤを囲うように取り付けられた泥よけ)にぶつかってしまいます。そこでフェンダーを切ってしまうわけですが、本来そこについているライトをどこかに移動させなくてはなりません。そこで多くのバハバグでは、ボディ前面にふたつのライトを並べています。この寄り目のデザインがとても可愛いですよね。

    ▲特徴的な寄り目が愛らしい。(出典)
    また、後部のエンジンはだいたい剥き出しになっています。思い切ったデザインですが理由は明確で、空冷エンジンなのでカバーで覆っていると冷えないのですね。暑いバハ・カリフォルニアを不休で走り続ける過酷なレースに合わせた改造です。また、故障したときにすぐに修理しやすいという整備性の問題もあるでしょう。

    ▲完全に露出しているエンジン。写真のように、一応パイプで保護しているものも多い。(出典)
    こうして出来上がったバハバグのデザインは、タイヤとエンジンと人という、車のプリミティブな要素を剥き出しにしたものになっています。鳥山明さんの漫画に出てくるメカや、チョロQのようなディフォルメ感も感じられるのではないでしょうか。過酷なレースに適応するためであれば「いかつい」デザインになっていきそうなものですが、逆により可愛くなってしまっている。こんなユニークなデザインはなかなか他にありません。
    ■ なぜバハバグは「バグ」なのか
    バハバグがこうしたデザインになっていったのは、フォルクスワーゲン・タイプ1という車の素性も関係しています。そもそもカリフォルニア半島でスタートしたこのレース、なぜ外国車であるドイツ車が改造されるようになったのでしょう。当時の王道アメリカ車であるフォードやGMがベースになっても良さそうなものです。
    最も大きな理由は、タイプ1の基本設計が優れていたことです。この連載の第2回でもお話しさせていただいたように、ポルシェ博士がヒトラーの国民車構想に応える形で練り上げたタイプ1は、車としての基本性能が優れているだけでなく、シンプルで耐久性が高く、専門知識を持つメカニックでなくとも手を入れやすい構造だったのです。
    タイプ1はエンジンのあるリアセクションやフロントのサスペンション、ステアリング機構などが全てユニット化されています。ユニットごとにカスタムしたりパワーアップすることが容易である、という優れた特徴を持っていたんです。それゆえ、改造を施していくときに、ひとつひとつの機能が主張する形になっていった。これが真面目な理由です。
    もうひとつ、なんでも真面目な理由の裏には、真面目じゃない理由があるものです。タイプ1のような可愛いらしいものがバカでかいタイヤを履いて荒地を走るなんて、燃えると思いませんか? 「こいつ可愛いのにすごい!」という感動が、カリフォルニアの男たちにタイプ1を選ばせたのだと僕は思っています。
    ■ ヒッピー、シリコンバレー、そしてバハバグ
    バハ1000は1967年にスタートしたレース。バハバグは70年代がその黄金時代です。70年代アメリカ西海岸でフォルクスワーゲンと言えば、ヒッピーたちがサイケデリックなペイントを施した、フォルクスワーゲン・タイプ2が有名です。デザインは全く違いますが、同じ時代と場所を背景に生まれてきたという意味では、通じるところもあるように思います。

    ▲サイケペイントのフォルクスワーゲン・タイプ2。ヒッピームーブメントの象徴となった。(出典)
    現在、アメリカ西海岸発祥のカウンターカルチャーは世界中で大きな影響力を持っています。AppleやGoogle、最近ならFacebookもそうですが、こうした世界を変えた錚々たるIT企業の本拠地シリコンバレーは、西海岸文化を象徴する存在です。スティーブ・ジョブズが率いた創業期のAppleは、ガレージで組み上げたコンピュータを売ることで誰でもコンピュータを手にできる時代をもたらそうとしました。こうした「何でも自分でやってしまう」という西海岸のDIY精神が、今の情報産業の爆発的な発展の基礎を作り上げたことは間違いありません。現在の僕たちの生活は、こうしたカルチャーの大きな影響を受けているのです。
    僕が西海岸に行ったとき、「スワップミート」と呼ばれる市場がありました。ボロボロのジャンクをみんなで持ち寄って交換するのです。そこで古いApple IIを買ったのですが、これがちゃんと動くんですね。誰が買うの? と思うようなパーツがあっても、必ず誰かが買っていくんです。非常に西海岸らしい光景だなと思いました。

    ▲スワップミートの様子。もちろん西海岸以外でも行われている。(出典)
    僕はこうしたアメリカ西海岸のDIYカルチャーとバハバグは、同じような感覚を共有しているように思います。もちろんレースで勝つことも大事なのですが、「やっていること自体が楽しい」というのが肝なんです。だからパーツを交換し合ったり、「どんないじり方をしたの?」というお互いの交流を通じて、濃いコミュニティが出来上がっていったのだと思います。
    スティーブ・ジョブズが学生時代にヒッピーカルチャーに傾倒していたことは有名ですが、バハバグ文化において外国車であるフォルクスワーゲンが改造のベースに選ばれたことも、そういったカウンターカルチャー的な意識があったからではないかと思っています。メインストリームのアメ車ではなく、あくまでアメリカではサブカルチャーであるドイツ車のフォルクスワーゲンを改造するからこそ面白いというわけですね。70年代、まだおおらかさが残るアメリカでは、方向性はいろいろあるにせよ、自由を表現することが許されていた。その自由を表現する対象のひとつとして車が選ばれていたと言えるかもしれません。

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