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  • なぜ人は映画を早送りで観るようになったのか(後編)|稲田豊史

    2023-05-09 07:00  
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    本日のメルマガは、ライターの稲田豊史さんと宇野常寛との対談をお届けします。 稲田さんの著書『映画を早送りで観る人たち』を引き合いに、「コミュニケーション消費」が前面化している現代のクリエイティビティと作品の鑑賞態度はどうあるべきか議論します。 前編はこちら。 (構成:佐藤賢二・徳田要太、初出:2022年5月10日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ■4.20世紀の映像文化の方が特例だった
    宇野 僕が何を言いたいかというと、映像作品に対して「コミュニケーション」が優位になっている状況は、制作者側が賢くなるとか供給側の人間が何かもっとクレバーにやっていくだけでは覆らないと思うんです。これは残酷な話だと思うけど、そもそも20世紀後半のように多様なポップカルチャーがマスメディアに流通していたのは、けっこう奇跡的な状況だったんじゃないか。それは、まだコンテンツ消費に対してコミュニケーション消費が優勢になってない時期だから成り立ったといえます。しかも、映像系のポップカルチャーが生まれて100年ぐらいの若い時代だからこそ成り立ったわけです(映画の発明は1895年、TV放送の普及は第2次世界大戦後)。なおかつ、パクス・アメリカーナ的に、戦後の西側先進国に広い中流層が形成されて、世界が有史以来もっとも階級的に分断していない状態があったという、この3つの条件が揃ったときに初めて可能な奇跡だったんだと思うんですよ。そのことを認めるべきだと僕は思います。
    稲田 20世紀後半の文化のほうが、じつは歴史的には特別だったと。
    宇野 実際に、第2次世界大戦が終わった1945年から、先ごろの2022年に起こったウクライナ戦争まで、のちの歴史では大国同士の戦争がなかった特別な時代と言われる可能性も高いですよ。今にして思えば、20世紀後半の西側先進国にだけ奇跡的に成立した、安定した中流社会とテレビ以降・インターネット以前の情報環境、この2つが掛け合わさった条件下でのみ、僕らの愛したような、作家主義的で、表現に重きを置いた多様なポップカルチャーが成立したんじゃないか。
    稲田 そうかも知れない。近代以前はエリート文化と大衆文化も分かれていたし、長い歴史の中で見ると、20世紀後半みたいに中流文化が豊かな時代は本当に一瞬だったんですよね。そういう時代の表現物を少年期から青年期の多感な時期に浴びて、それが普通だと思ってしまってるおじさんたちには、今の状況は受け入れられないでしょうね。
    宇野 今となっては信じられないかも知れないけれど、僕はドラマやアニメだけでなくスポーツ鑑賞も好きな子どもで、じつは野球のナイターとかを毎晩見ていたんですよ。べつに自分からスポーツする子ではないけど、テレビの試合はよく見ていた。それで、「ここでピッチャー変えるのはないだろ!」とか、「ストライクいらないのに、なんでど真ん中に放るかなあ」なんて画面に毒づいている奴だった。振り返ってみると、これも20世紀の映像の世紀だけに成立した文化で、モニターの中の誰かに感情移入することが一番の娯楽だった時代なんですよ。王貞治も長嶋茂雄もウルトラマンと同列のヒーローだった。  今の僕は自分で走ることには興味があるけれど、もう全然スポーツ鑑賞とかには興味がなくなっている。それは、たとえが古くて申し訳ないけど、松井秀喜のすばらしいバッティングを見るより、自分の拙いランのほうが楽しいんですよ。これは覆らないと思うんですよ。よっぽど強烈なものじゃない限り、他人の物語が人間の関心の中心にくることはけっこう難しいんですよね。ファスト映画を消費する人たちは、自分がしゃべるネタとして必要だから作品を見ている。人間は、どんなに洗練された他人の物語でも人の話を聞くより、どんなに凡庸でも自分の物語を話すほうが楽しいじゃないですか。そういう困った生き物なんだと思うんですよね。  この「他人の物語」と「自分の物語」の2つのバランスが、情報環境的には逆転しています。20世紀後半は、まだ自分の話をする相手が家族や友達しかいなかった。余暇の時間を過ごすとき、今でいう費用対効果とかタイムパフォーマンスに対して得られる快楽を考えると、メディアを通じて洗練された他人の物語を取り入れるほうが、効率が良い時代だったんだと思うんですよ。でも、今は違うじゃないですか。自分の話を聞いてもらうことって簡単になってますよね。別に何万人もフォロワーがいなくても、友だちにLINEすればいい。そういう時代になると、倍速視聴みたいな現象が起きてしまうことは避けられないと思うんですよね。
    稲田 「他人の物語」とおっしゃいましたけど、本当に他人の物語に興味がない人が増えている気がしてならないんですね。結局、映画の何が一番魅力なのかには議論がありますけど、自分がまったく知らない世界とか、まったく聞いたこともない、理解しにくい価値観の人が何かをしている姿を、動物園の珍獣を眺めるように見ることが一つの楽しみだと思うんです。しかし、今の観客はそれだとよくわからない、感情移入できない、だから嫌だって話になっちゃう。そういう恐るべき他者に対する想像力のなさみたいなものが、増えていくことになってしまう。  少し前、ある雑誌で高校生を対象にした座談会の構成をやったんです。そこに来ていた17歳ぐらいの3、4人の男女は、ちょっと意識の高い子というか、わりとイケてる感じの子でした。そこで、「オタクについてどう思いますか?」と聞いたんですね。昔だったら、「オタクはキモい」とか「ちょっと嫌です」みたいな感じのことを言ってもよかったんだけど、彼らはすごく大人っぽい態度で、「いや、別に彼らは彼らだからいいっす」みたいなことを言う。これは一見すると、誰にでも人権を認めているとか、多様性を認めてるように聞こえるんだけど、そうではないと思ったんですよ。だって、多様性を認めるというのは、もっと掘り下げていくと、自分とは違う価値観の人が、一体どういう価値観であるかを、分け入って対話するなりして理解して、「俺とは違うけど、この世界に共存している」ことを心から認める状態に持っていくことだと思うんです。でも、彼らはそうじゃなくて、相手に触れず放置したまま許容した気になってるんですよね。なぜかというと、触れてトラブルになると面倒だから。だから、本質的には自分とは違う価値観の人に興味を持とうとしない。それがお互いを認め合うことみたいに、都合よく変換されてるように見える。  これはある面では、今の教育の成果でしょう。つまり、学校で建前上は「自分と違う価値観の人を否定してはいけません」って教育を受けてきた世代の子たちだから、確かにそういう対応をするのが正しいんですよ。でも、本当は多様性を認めるという考え方を因数分解していけば、「相手の価値観を学びましょう」っていう要素も含まれてるはずなんですね。ところが、自分と異質な他者を学ぶ前に、「触らぬ神にたたりなし」と切り捨てて、自分と違う世界観の人は触れないのが良いことだという考え方になってる。  それはやはり、今やインターネットでいろんな価値観の人が一か所に全部集まっているなかで、誰かの機嫌を損ねたら、炎上したり大変なことになるじゃないですか。それを見ているから、やっぱり触れない。波風が立つことは言わないし、違う価値観の人には触らないというのが一つの処世術になっている。だから、他者性がない、他人の物語にそこまで興味がないということにもつながってるんじゃないか。
    宇野 こういう時代状況になったのは誰が悪いかと言えば、別に誰も悪くないんだけど、しいて言うなら、多分僕らが悪いんですよ。僕ら今の現役世代のメディアとかコンテンツの関係者が、この状況を頭でわかっていても、後手後手に回ってきたんですよね。この本を読んで、それは間違いないなと思った。
     
  • なぜ人は映画を早送りで観るようになったのか(前編)|稲田豊史

    2023-05-02 07:00  
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    本日のメルマガは、ライターの稲田豊史さんと宇野常寛との対談をお届けします。稲田さんの著書『映画を早送りで観る人たち』を引き合いに、映像作品をめぐる「消費」の現状について議論します。 (構成:佐藤賢二・徳田要太、初出:2022年5月10日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ■1.「ファスト視聴」蔓延の理由
    宇野 今日の対談のテーマは「映画を早送りで観る人たち」です。YouTubeによく上がっている、「ファスト映画」と呼ばれる動画をご存知の方も多いと思います。商業的な映画作品をダイジェストにして、5分か10分で結末までわかる、予告編のちょっと長くなったバージョンみたいなものです。著作権的には完全にアウトなんですけど、こういうものが今、けっこうはびこっている。そして実際、「映画はもうそれでいいじゃん」と考えるタイプの視聴者が、特に若者層に広がっている。そういったことが2022年に入る前後から話題になりはじめています。その現象について、実際に映画業界にいたり、映像関係の業界誌の編集をしていた稲田豊史さんがいろいろな角度から切り込んだのが『映画を早送りで観る人たち』です。
    『映画を早送りで観る人たち  ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』 (光文社新書) 
    稲田 どうも、稲田豊史と申します。宇野さんとの関係を説明しますと、僕は2012年、東日本大震災の翌年にとある出版社を辞めて、もうボロ雑巾みたいになってたんですけど、そのときに最初に「うちの仕事を手伝いませんか」と声をかけてくれたのが宇野さんだったんです。それで少しPLANETSさんのお手伝いさせてもらって、その後とある会社に転職したんですけれどまた辞めて、その後フリーランスになってからもいろいろなプロジェクトでお手伝いさせてもらいました。宇野さんは恩人みたいなものです。
    宇野 うちからは稲田さんの著書として、『ドラえもん』を論じた『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』を出させてもらいました。それだけでなく、裏方としていくつも本の制作を手伝ってもらって、僕は頭が上がらない、尊敬する先輩編集者の一人です。こちらこそ恩人みたいな感じですね。ここ数年は、稲田さんはどちらかと言うと編集よりライティングのほうの仕事の比重が大きいですよね。
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS) 
    稲田 そうですね、ルポとかの文筆が多いですね。
    宇野 この稲田さんが、近年ではウェブサイト「現代ビジネス」の記事でたびたび「倍速視聴」問題を取り上げていて、僕の身の周りの出版業界の人や、当事者である映像業界の人たちからすごく大きな反響がありました。それがこのたび単行本になって、さらに大きな反響を呼んでいます。そこで、今回は稲田さんがファスト映画問題を取り上げたこの本をベースに、僕らにとって今日の映像作品とか、コンテンツ産業はどのようなものになっているかを、世代論、情報社会論といった、いろいろな視点から語っていきたいです。
    稲田 よろしくお願いします。まずは本の内容を手短にサマリーするかたちで進めていきたいです。まさに僕の本の「ファスト読書」ですね(笑)。最初に、作品を「コンテンツ」と呼ぶことの意味について話したいです。
    宇野 本来コンテンツって「中身」のことですからね。
    稲田 そうなんですよね。コンテンツって言葉が今のような使われ方をするようになったのは、いつごろでしょうかね。僕は「コンテンツ」ってさかんに言われるようになった時期から、なんだかモヤっとしていたんです。そうした点も含めて本の内容をざっと説明しますと、まず、映像作品を頭から終わりまでずっと1.5倍速や2倍速で見たり、あるいはつまらないシーンや冗長なシーンを10秒スキップで飛ばしながら見たり、あるいは先にネタバレサイト、結末を知ってから見始めるような人が、どちらかといえば、若年層に増えていることを指摘したものです。ここで注意が必要なんですが、これは単に「今の若者はけしからん論」ではないんですよ。じつは、そういうファスト視聴は、今や30代、40代の人も当たり前のようにやっている。それが、どちらかといえば若者に多いという話です。  最初は「現代ビジネス」で2021年3月に、「映画を早送りで観る人たちの出現が示す恐ろしい未来」という記事を書いたんですね。じつは最初に「現代ビジネス」の編集者に記事の企画案を話したとき、すでに一冊の本になるぐらいのネタがあったんです。それで1本目を書かせてもらったらけっこう反響が大きくて、そのあとも何本か書かせてもらったわけです。本の内容はウェブの記事をまとめただけではなくて、じつはウェブの記事だけだと全体の文章量の3分の1ぐらいです。そこに追加取材で肉付けしたんですね。  2021年3月の段階で、民間調査会社のデータによれば、20歳から69歳でコンテンツを倍速視聴する経験がある人は約3割でした。そして年齢が下がるほど、その比率は上がっていて、20代男性では54.5%、20代女性では43.6%、20代全体だと半数ぐらいが倍速視聴経験者となります。その後僕は本を書くため、2021年12月に青山学院大学の2年生から4年生を対象に独自調査しました。19歳から22歳ぐらいの学生128人にアンケートをとったら、3人に2人が倍速視聴を「よくする」か「ときどきする」と返答してます。10秒飛ばしをする人はもっと多くて、4人に3人です。なぜ10秒飛ばしの方が多いかというと、単純にNetflixは倍速視聴できるけど、Amazon Primeはできないからです。
    宇野 ネット視聴の拡大が影響してそうですね。
    稲田 それで、10秒飛ばし派にも言い分があります。人によっては腹が立つ話なんですけれど、まず「金を払ったんだから、どう見ようと勝手」という意見ですね。最初に「現代ビジネス」に記事を書いたときも、早送り視聴の是非について述べると「はい、老害の押し付けきました!」みたいなリプがたくさん来たんですね。次に「作り手のエゴを押し付けないでください」という種類の意見があります。Twitterは怖いなあって思った。あと、「倍速でも内容を100%理解できてるから問題ないです。キリッ」「セリフがないシーンは飛ばしてもかまわないでしょう。ストーリーが進んでないんですから。キリッ」って感じで、自信たっぷりの意見も多かった。この話を聞いているおじさんたちの怒りが手に取るようにわかります。あるいは「時間がない。だから等倍速で見たらとても本数をこなせないんです」という意見もありましたが、そこまでして見なきゃいけないなんて、この人は一体何の仕事をしているんでしょうね。それから、最近話題になった事例で「普段から大学の講義も2倍速で聞いてるから、ドラマや映画が等倍速だとまどろっこしい」という意見も。すごいですよね、ひと昔前の感覚ならSFの世界ですよ。そして「ドラマ部分がうざい。俺が見たいのはアクションなんだ、だからそれ以外は飛ばす」とか、「推しの俳優だけが見たいんだから、それ以外のシーンは不要」という意見もけっこう多いです。  こうした言い分がある中で、なぜこんなことが起こるのかという理由を3つ、本の冒頭であげたんですね。第1に、先に挙げたように等倍で見ていると時間がないのはなぜかというと、供給作品が多すぎる。定額制動画配信サービス、Amazon Prime、Netflixなどがここ数年ですごく普及したから、とにかく視聴できる作品数が多すぎて、もう飛ばさないと見きれない。第2が”タイムパフォーマンス”です。時間のコストパフォーマンス、つまり”タイパ”を求める人が増えた。短い時間でたくさんのものを味わうのが頭の良いやり方で、そうでないのは情弱だという考え方の人が増えた。そして第3に、セリフですべてを説明する映像作品が増えた。そうなると、間や風景描写で訴えようとする映画やアニメって、もう、見てられないわけですよ。そういう人たちからしてみると。
    宇野 最近だと、アニメ映画の『バブル』(2022年5月13日公開)とかそうですよね。
    『バブル』 
    稲田 1つずつ説明すると、第1の供給作品が多すぎる問題は、先ほど話したようにサブスクの影響で、もう無尽蔵に作品が見られてしまう状況がある。あと、若者に多い傾向で、流行っているコンテンツを見ないと話題に合わせられない、LINEとかで話題に参加できない。たとえば『鬼滅の刃』のアニメが流行ったら2クールの26話分を見ないといけない、あるいは『ゴールデンカムイ』なら、3シーズンあるから全36話ぐらいでしょう(対談時時点)。もうとても見るのに時間が足りない。さらに最近の大学生には本当に同情すべきことなんですけれど、貧乏暇なし。仕送り額は1990年代から下がり続けていますし、昔の大学生とか若者に比べて使えるお金が圧倒的に少なくて、バイトしないと学費が払えないような状況もある。時間もない、お金もないとなると、定額制動画配信サービスは一番安くてコスパの良い趣味なんですよね。月に数百円で見放題ですから。そういう背景がある。  そして、当たり前なんだけれど、かつては映像作品への思い入れが強い人がたくさんの本数を見ていた。ところが、動画配信サービスが普及したことによって、世の中が変わってしまって、そんなに映像作品への思い入れが高くないのにたくさんの作品を見る人が増えてしまったわけです。こういう変化が起きてしまったから、そのギャップから倍速視聴者が生まれる。そんなに映像コンテンツが好きなわけではないのに、毎月映画を何10本も見てるという人が生まれちゃった。  この前、宇野さんが「プレジデントオンライン」でインタビュー受けてましたよね。そこで、いまコンテンツを消費する快楽の何割かは、みんなが褒めているものを自分も褒めて、「みんなと同じでいること」を確認する共感の快楽が占めているという趣旨のことを語っていたと思います。
    宇野 そうですね、僕らと稲田さんが関係の深いところでいえば、ジェンコの真木太郎さんがプロデュースした映画の『この世界の片隅に』がありましたね。あれはすごくいい作品で、僕も大好きなんだけれど、作品をめぐって翼賛的な空気があって、クラウドファンディングから、実際の公開まで悪口を言っちゃいけない雰囲気がちょっとありました。  僕は原作のこうの史代さんの大ファンでもあって、それだけにいろいろ言いたいこともあるわけですよ。特に、映画で終盤のヒロインの戦争に対する態度とか、戦後に対してのわりと無自覚な礼賛的なトーンとか、そういう側面にはもっと議論があってもいいと思うんだけど、そういった視点の批評を一切言えない空気があったじゃないですか。そういう無言の同調圧力的な感じが、この数年で拡大してきた気がするんですよね。
    稲田 そうなんですよね。勝ち馬に乗らないとネットで叩かれたり劣勢になるから、皆がいいって言っているものをいいと言うのがとりあえず無難。みんなが良くないと言っているものを褒めたり、あるいは逆にみんながいいって言っているものを逆張りで悪いと言うと、SNSでは風当たりが強いですよね。その風当たりの強さが一番嫌だと思っているのが、Z世代などと呼ばれる今の若者なんです。だから、無用に叩かれるぐらいだったら、みんながいいと言っているものを同じように消費しないといけなくなる。そこは一つのサヴァイヴ手段ともいえる。  次に第2の問題、タイムパフォーマンス、つまりタイパを求める人が増えた。要は効率主義なんですけれど、やっぱり2000年代くらいから、職場とか学校ですごく効率とか時短を求めるように広まってきてる。
    宇野 僕は“タイパ”って言葉は、この本で初めて知ったんですけれど、ショックでしたね。
    稲田 ショックでしたか(笑)。まあ、すごく浸透している単語ではないですけれど、あちこちでそういう言われ方をしています。年配層のロマンチックな言い方として、「人生には回り道も無駄じゃない」といった精神論みたいなものがあるわけですが、それを信じていいのかという部分があるわけですね。もちろん、そういう考え方を一掃しちゃっていいわけではないですよ。でも、2010年代からライフハックという言葉がすごく浸透してきてもいます。僕はそれにも弊害があったと思ってるんですね。たとえば、役所とかでExcelには自動計算の機能があるのに、入力した数値を電卓で計算してるような、ブルシットジョブ的な無駄な仕事がありますね。「タイムパフォーマンス」というのは本来、そういう無駄を一掃していくとか、仕事の効率アップをさす言葉だったんですね。最小の労力で最大のリターンを得るとか、効果があるものを頭良くこなしていくことが優秀なビジネスマンだといった言説が広まった。それは大人の世界の仕事の話なんですけれど、ネット上でそう言われると、若者は影響を受けて、「あー、なるほど、回り道するのはバカのすることなんだ、情弱なんだ」と、あるいは「無駄は悪いことなんだ」と受け止めてしまう。  2000年代以降のキャリア教育というのは、時短とか効率を求める傾向があって、自分が望む職業に就くためにはこれを勉強した方がいいよという選択と集中の話なんですね。本来、学校にいる時は無駄かどうかなんて関係なく学びたいものを思いっきり学ぶのが理想ですよね。でも、キャリア教育の考え方を突き詰めていっちゃうと、やはり早いうちから、高校生とか大学生になってからも将来を考えて効率的に学ぶ内容を選択することになる。本当は文系の学問で学びたいことがあるにもかかわらず、理系の方が就職率が高いから理系を選ぼうといった話になったりする。だから、こういった効率を求めるキャリア教育の普及が、タイパを求める人が増えた背景にあるんじゃないか。  そして、Z世代に多く見られるネタバレを知ったうえでの消費も、時間の効率という考え方がある。すごく時間を費やしてある作品を最後まで見たのにつまんなかったら、その時間が無駄だったってことになるわけですよ。そうすると、無駄な時間を過ごしてしまった自分がすごくだめな人間ということになってしまうので、どうしても避けたい。だったら、先に面白いってわかっているもの、あるいは結末がわかっていて安心して乗れる作品を消費したいということになる。若者の間では、ネタバレ消費は普通にある状況ですよね。ここは世代間ギャップが大きいだろうと思います。  そして第3の「セリフですべてを説明する映像作品が増えた」という点。10秒間沈黙が続く映画なりドラマなりのシーンというのは、そこに演出意図があるんですけれど、もう本当に誇張抜きに、彼らは「セリフがないってことは、スキップしていい」という発想なんですよ(笑)。早送り視聴をしている人に、どれだけ「その沈黙に意味があるんじゃないんですか」と言っても、宇宙人と話しているみたいでね。「いや、そこに情報ないじゃないですか」と返されてしまう。セリフ以外の表現の意義が本当に通じない。  だから、説明セリフがない少ない作品を発表すると、視聴者から「意味がわかりませんでした」という感想が返ってくるわけですよ。たとえば、相手に対して好きだって気持ちがあるならセリフで「好きだ」と言わないとわからない。本当はドラマとか演出って、そういうことじゃないんですけどね。でも、それで伝わらない人が出てくると「あの人の気持ちがわからなかった」って感想が出てくる。そしてその感想はSNSに乗ってみんなに知られて、制作者にも届く。すると制作者はわかんなかったって言われてしまったから、次の脚本からはセリフで「好きだ」って書くように指示する。簡単にいうとそういうことになっていて、脚本家さんもそういうことを気にするようになってる。  テレビ番組のテロップ洪水なんかも根っこは同じですよね。もう画面の四隅が全部テロップじゃないですか。情報バラエティ番組って、音声を消してても何が行われているか大体わかりますよね。それに慣れた視聴者には、物事は全部文字やセリフで説明されるものだという感覚が定着する。物心ついたときからそうだったら、そうじゃないものの受け取り方がわからなくなるのは当然なんですよね。そういう視聴者にとっては、もう映画の『ドライブ・マイ・カー』とか、まったく意味不明なんじゃないですかね。
    宇野 そうですね。タバコを掲げているシーンで無言ですからね。この場面は意味ないっていうジャッジをされてしまう。すると、もうタバコをつけた瞬間に次のシーンで、北海道ついているみたいな感じになってしまう。
    稲田 そうです。むしろ、「ストーリーの意味がわからないから、プロットを説明してくれ」と言われると思うんですよね。実際に、先に最後までのあらすじを読んでから、作品を見る人もいます。そうはいっても、ワークショップ中の長いくだりとか、説明のしようがないじゃないですか。
    宇野 そういうタイプの人は、劇中での家福の演劇をどう見るんですかね。
    稲田 もう何も受け取れないんじゃないですかね。だから皮肉なことに、あれはアカデミー賞で話題になったから、普段ああいうのを見慣れてない人もいっぱい見に行ったんですよね。それで僕の周りでも「見たけどまったく意味わかんない」という人がいっぱいいました。ある意味では大事故ですね。でも、僕はそこで若者批判がしたいんじゃなくて、年齢の高い層でもそういう観客はいっぱいいたんです。これは別に非難するわけではなくて、普段そういう映画を見てないから、ただ見方がわからないということですね。
    宇野 でも、そういう人たちは演技とかをどう考えてるんですか?
    稲田 よくわからないです。前年、ネットで僕の記事が広まったとき、菅田将暉さんが「オールナイトニッポン」か何かで倍速視聴を話題にして、当たり前ですけど「やっぱり演者としてはちょっとね」というようなことを言っていたそうです。倍速だと、自分のせっかくの演技が早回しでチャカチャカと動いているわけですから、微妙な間も何もないですよね。だから話の流れ以外の、演技や間はどうとも考えてないんじゃないですか。
     
  • 【特別寄稿】稲田豊史『ドラえもん』と四十路男の15年 〜THE ドラえもん展に想う〜

    2017-11-22 07:00  
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    六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーで開催中の「THE ドラえもん展 TOKYO 2017」に寄せて、大のドラえもん好きであり、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』の著者である稲田豊史さんのエッセイをお届けします。15年前の同展には憤りを感じていた稲田さんが、移ろいゆく『ドラえもん』に見出した変化とは?
    2002年版「THEドラえもん展」への怒り

     気鋭の現代美術家が『ドラえもん』をモチーフにさまざまなアート作品を披露する「THE ドラえもん展 TOKYO 2017」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーで11月1日より開催中)が盛況だが、15年前にも同様の主旨で開催されている。2002年7〜9月に大阪の旧サントリーミュージアム、翌2003年3〜5月に横浜のそごう美術館。以降も04年までの間に、旭川、名古屋、大分、松江と各地を行脚したので、足を運んだ方も多いだろう。
     2002年時点で筆者は27歳。今と同じく、否、今以上に戦闘的なドラえもん好きを自認していた当時、企画内容を聞いて真っ先に抱いた印象は、一言「いけすかない」だった。
     現代美術家がてめえの勝手なゲージュツ的主張のために『ドラえもん』をまんまと「素材利用」した(ように見えた)ことに対する怒り。作品に対する深い愛の表明よりも、自己愛のほうが勝っている(ように見えた)ことに対する怒り。アーティスト自身による自作の解説テキストが「人の話を聞かないで自分語りばかりしている(ように読めた)ことに対する怒り。
     「ハイハイ、ポップアート(笑)のいちばん安直なやつね。二次創作のほうがまだマシ」等々、当時つるんでいた同世代の人文&サブカル系女性編集者と共に、深夜のデニーズで愉快に毒づいていたのが懐かしい。
     要は「外野に狩り場を荒らされた」という一方的な被害者意識から来る、見識の浅いサブカル者特有の狭量な逆恨みに他ならないわけだが、その少し前に単行本で読んだマンガ『ギャラリーフェイク』(細野不二彦・著)の有名な“村上隆ディスり回”が、15年前の筆者が振りざした「正義の怒り」の燃料になっていたことは、想像に難くない。

    『ギャラリーフェイク』の村上隆ディス

     『ギャラリーフェイク』は1992年から2005年まで「ビッグコミックスピリッツ」に連載された美術ウンチク漫画で、主人公は贋作専門画廊オーナーにして図抜けた審美眼を持つアウトロー、藤田玲司。歯に衣着せぬ物言いで、腐敗した美術界や堕落したアーティストをガンガン喝破する男である。

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  • 【特別再配信】『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)

    2017-06-12 07:00  
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    「特別再配信」の第9弾は話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、映画『聲の形』についての稲田豊史さんと宇野常寛の対談をお届けします。
    後半失速した漫画原作を、統一感のある劇場向けアニメとして見事に再構成した本作。聴覚障害者を記号的な美少女として描くことで、00年代的な「萌え絵」を生々しい「現実」と対峙させる、その試みの是非について論じます。
    (構成:金手健市/初出:「サイゾー」2016年12月号/この記事は2016年12月22日に配信した記事の再配信です)
    宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
    延長戦はPLANETSチャンネルで!



    (画像出典:映画『聲の形』公式サイトより)

    ▼作品紹介
    『聲の形』
    原作/大今良時 監督/山田尚子 脚本/吉田玲子 制作/京都アニメーション 出演(声)/入野自由、早見沙織、悠木碧ほか 配給/松竹 公開/16年9月17日
    聴覚障害を持つ硝子は、普通学級に転入したが、クラスメイトからいじめや嫌がらせを受ける。その中心になっていた男子児童・石田だったが、ある日学校側からいじめを指摘されたことをきっかけに、今度は石田がいじめられる側に回ってしまう。硝子はその後転校し、石田は心の傷を抱えたまま高校生になった。ある時、硝子と石田は再会し、周囲の友人たちも含めて徐々に関係を深めていく。原作は作者のデビュー作であり、2011年に「別冊少年マガジン」にて読み切り版が掲載された際に、大きな反響を呼んだ(その後連載化)。

    宇野 前提として、僕は原作(連載版)を読んでいたときに、後半になるにつれて舵取りに失敗した作品だと思っていたんですよね。聴覚障害を持つヒロインを萌え系の絵で描くというある種露悪性のあるギミックを使って、取り扱いの難しい題材にどこまで深く切り込めるか、少年マンガの枠組みの中で挑んだ、かなり偉大な冒険作ではある。具体的には、どうしてもどこかの部分で絶対的な断絶がある存在と、あるいはどうしても消せない過去とどうやって向き合っていくのかを描きたかったんだと思うんですよ。コンセプトも面白いし、志も高かった。
     でも、原作マンガの後半は明らかに失敗している。あの『中学生日記』ならぬ『高校生日記』みたいな青春群像劇はないでしょう?この設定を用いている意味がない内容だし、描写も凡庸。そして何より、前半で提示したテーマが、この展開で雲散霧消してしまっている。
     作者としては、読者の感情移入の装置として群像劇にすることで、この物語を他人事じゃなくて自分事として捉えられるようにしようとしたんだと思うんだけど、結果、それが作者に対して高いハードルからの逃避として機能してしまったというのが、僕の原作理解です。その原作をどう映像化するのかというときに、劇場版では取捨選択がそれなりにうまくいって、結果として『聲の形』という作品自体をかなり救済したんじゃないか。
    稲田 長めのコミック原作モノの映画化でありがちなのが、原作を読んでいなくても、エピソードを端折った部分がなんとなくわかっちゃうということ。「このシーンの前後が本当は描かれていたけど、尺の都合でカットした結果、描き込みが足りなくて説得力がなくなってるな」とか。でも、『聲の形』にはそれが全然なかった。僕は原作を読まずに劇場に行ったんですが、1本の映画として過不足なくまとまっていて、いくつかのエピソードは端折ったんだろうけど、そのことが作品の本質をまったく傷つけていないのが伝わりました。
     観る前は、「障害者差別の話とそれに関する贖罪の話なのかな」程度の認識だったんですけど、実際はその数段上をいっていた。それをはっきり感じたのは、高校生になった植野【1】と硝子【2】の観覧車のシーンです。聴覚障害者の硝子を疎ましく思っている植野が、硝子に対して「あんたは5年前も今も、あたしと話す気がないのよ」と言う。「障害者を差別する側が100%悪い」という一般的な認識が絶対多数である中、ともすれば「いじめられていた障害者側の“非”を糾弾する」とも取られかねない、なんなら炎上しかねない展開ですが、ものすごく説得力がありました。
     実際、硝子はなんでもすぐに謝ってしまうし、態度はずっと卑屈です。植野が示した不快感は「健常者だろうが障害者だろうが、卑屈なのは良くない」という、現実社会においてはなかなか口に出しては言えない心の叫びだった。だから終盤に硝子が飛び降り自殺を図ったときに、観客はそれが彼女の絶望から来る行動というよりは、「人として身勝手な行動」だという解釈に納得できる。それまでに説得力あるシーンを重ねたからこそ、そこに到達できるんです。
     もうひとつ、若者コミュニケーション論的な部分にも目がいきました。この作品、とにかく登場人物がすぐ謝るんですよね。「ごめんなさい」のセリフがすごく多い。登場人物たちも含む“さとり世代”以降の世代に特有の、「深い人間関係を築いて不協和音に苦しむよりも、さっさと謝って距離を取ったほうが楽」というやつです。それに対して、「もっと深く関わらないと駄目なんだ」ということを描いている点は、非常に批評的だと感じました。
     こういった主張や批評を実写でやったら、主張が剥き出しすぎて実に空々しくなってしまうと思うんですよ。でもアニメという様式美を通すことで、観客はストレートな主張や批評にも聞く耳を持つ。素直に受け入れられる。今後、いわゆる“文芸”と呼ばれるような、人間を描こうとする映像ジャンルは、実写よりアニメで伝えたほうが伝達効率がいいんじゃないか、とすら思いました。少なくとも若者層に対しては。

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  • HANGOUT PLUSレポート 稲田豊史×宇野常寛「『ドラえもん』から考える日本社会――のび太系男子の魂はいかにして救済されるべきか」(2017年3月6日放送分)【毎週月曜配信】

    2017-03-13 07:00  
    550pt


    毎週月曜夜にニコニコ生放送で放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめる「HANGOUT PLUS」。2017年3月6日の放送は、PLANETSのメルマガの人気連載から生まれた書籍『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』の発売を記念し、著者の稲田豊史さんをゲストにお迎えしました。大長編を中心に『ドラえもん』について徹底的に語り明かした60分の様子をダイジェストでお伝えします。(構成:村谷由香里)
    ※このテキストは2017年3月6日放送の「HANGOUT PLUS」の内容のダイジェストです。

    大長編の困難と藤子・F・不二雄の達成
     今回のテーマは『ドラえもん』です。ゲストは、3月4日にPLANETSから発売されたばかりの新刊『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』の著者・稲田豊史さんです。SF作家としての藤子・F・不二雄の作家論から、『ドラえもん』で育った「のび太系男子」の病理まで、硬軟取り混ぜてお届けする『ドラえもん』づくしの一冊です。PLANETSのメールマガジンでの連載を楽しみにしていた人も多いのではないでしょうか。
     この回はゲストの稲田さんと宇野さん――まさに「のび太系男子」世代のふたりの間で、『ドラえもん』にまつわる熱いトークが繰り広げられました。
     たとえば稲田さんは、藤子・F・不二雄の本質は短編作家であると指摘します。基本8ページという厳しい制約の中で、独創的なひみつ道具を出し、オチをつけて物語をまとめる手腕おいて、藤子・F・不二雄は卓越していた。その短編の名手が、不得手な長編に挑んだのが劇場版大長編であり、初期の作品こそ、蓄積された経験と翻案能力をもとに傑作を連発したものの、晩年は苦戦を強いられていたと語ります。
     そもそも、『ドラえもん』を大長編として描くことにどのような困難があるのでしょうか。ふたりは大きく二つを挙げます。

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  • ☆号外☆ 本日発売!『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』

    2017-03-04 11:00  

    本日3月4日(土)に、PLANETSから新刊『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(稲田豊史さん著)が発売されました!
    PLANETSメルマガでの人気連載に、大幅な加筆修正を加えて待望の書籍化。
    世代や国境を越えて読み継がれる『ドラえもん』。戦後日本の〈未来〉への夢が詰まった同作を、いま、どのように読み返すことができるのでしょうか? 
    全世界の「のび太系男子」へ贈る人生の教訓から、大長編シリーズやひみつ道具に託されたSF(すこし・ふしぎ)なメッセージまで……。
    藤子・F・不二雄先生のマンガに人生の機微を学んだ著者・稲田豊史さんが硬軟織り交ぜて語り尽くす、渾身の『ドラえもん』論が誕生です!

    【目次】
    第1章 あなたの知らない『ドラえもん』
    第2章 のび太系男子の闇【前編】 正当化される「ぐうたら」
    第3章 のび太系男子の闇【中編】 低位安定の志
    第4章 のび太系男子の闇【後
  • 『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)最終回 人生はチョコレートの箱 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.683 ☆

    2016-09-06 07:00  
    550pt
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    『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)最終回 人生はチョコレートの箱
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.6 vol.683
    http://wakusei2nd.com


    今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』の最終回をお届けします。藤子・F・不二雄が生涯をかけて追い求めたテーマ「世界の創造」と「運命の改変」。そこには、思い通りの世界を創造する「箱庭作り」と、配偶者を再選択する「人生のやり直し」という、作者の直裁的な願望が見え隠れします。大人になった私たちは、Fが残した物語から何を学べるのか。不本意な「チョコレートの箱」のフタを開けてしまった、かつての「のび太」たちへの、Fからのメッセージとは――?
    ▼執筆者プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
    http://inadatoyoshi.com
    PLANETSメルマガで連載中の『ドラがたり――10年代ドラえもん論』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回 『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産

    ●藤子・F・不二雄と村上春樹
     
     前回【第13回】で、『ドラえもん』は藤子・F・不二雄による偉大な縮小再生産の産物である、と結論づけた。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』☆★Amazonで詳しく見る★☆ 
  • 『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.657 ☆

    2016-08-02 07:00  
    550pt
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    『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.8.2 vol.657
    http://wakusei2nd.com


    今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり――10年代ドラえもん論』をお届けします。今でこそ、健全な子供向け作品の大家として知られている藤子・F・不二雄ですが、その裏には、ブラックな作風と強烈な文明批評を得意とするSF作家としての顔も持ちあわせています。『ウメ星デンカ』から『モジャ公』『ミノタウロスの皿』まで、60年代末に描かれたカルト的な魅力を持つ作品群が、後の『ドラえもん』に与えた影響について論じます。
    ▼執筆者プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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    PLANETSメルマガで連載中の『ドラがたり――10年代ドラえもん論』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第12回 反戦・冷戦・核・原発

    ●「不思議な道具」を生みだす手ぶくろ
     藤子・F・不二雄が作家活動を開始したのは1951年。その18年後、69年に『ドラえもん』が誕生するまでの間には、『ドラえもん』の前身、もしくはプロトタイプ(原型)と呼ぶべきルーツ作品が、何本か描かれている。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』☆★Amazonで詳しく見る★☆ 
  • 『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第12回 反戦・冷戦・核・原発【毎月第1水曜日配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.636 ☆

    2016-07-06 07:00  
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    『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第12回 反戦・冷戦・核・原発【毎月第1水曜日配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.7.6 vol.636
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    本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。『ドラえもん』の物語に何度も登場する、東西冷戦を背景とした「戦争」や「核」といったモチーフ。特に、エコロジー思想に傾倒する以前の作品では、藤子・F・不二雄が得意とする、辛口のアイロニーとブラックユーモアを堪能できます。いまだ色褪せることのない社会派SFとしての、往年の名エピソードの数々を論じます。
    ▼執筆者プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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    前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第11回 土地とカネの物語
    ●みじめで滑稽な独裁者のび太
     「『ドラえもん』は大人の鑑賞にも堪える作品」という文脈の中で、必ず話題にのぼるエピソードがある。てんコミ15巻「どくさいスイッチ」(「小学六年生」77年6月号掲載)だ。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』☆★Amazonで詳しく見る★☆ 
  • 『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第11回 土地とカネの物語【毎月第1水曜日配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.608 ☆

    2016-06-01 07:00  
    550pt
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    『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第11回 土地とカネの物語【毎月第1水曜日配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.1 vol.608
    http://wakusei2nd.com


    本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。『ドラえもん』の作中に頻繁に登場する「土地」や「カネ」を巡るエピソード。そこには、70年代日本の地価高騰・狂乱物価といった世相と、それに対する藤子・F・不二雄の容赦ない批評性が露わになっています。『ドラえもん』が向き合った時代性を「経済」という切り口から考えます。
    ▼執筆者プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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    前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第10回 鋭い社会批評、説教臭いエコロジー
    ●日本列島改造論と「夢のマイホーム」
     のび太は頻繁に、のび助(パパ)や玉子(ママ)が「大人の話」をしている場面に遭遇する。そのなかで最もポピュラーなのが「土地とカネの話」だ。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』☆★Amazonで詳しく見る★☆