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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-07 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。阪神淡路大震災にオウム真理教事件と、戦後日本社会の繁栄を揺るがす出来事が相次いだ1995年。その時代の空気に呼応するかのように、TBS金曜ドラマ枠の『未成年』や「土9」の先駆けとなる日本テレビ系の『家なき子』では、野島の作風は自閉的な肥大化に向かっていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点
    1995年の『未成年』
     ここまでの野島ドラマの特徴をまとめると、以下のようになるだろう。
    ・子どもや少年・少女といった「無垢なる存在」への憧憬。 ・社会から開放された仲間たちだけで暮らす疑似家族的共同体の構築。 ・愛する者を守るためなら「暴力も辞さない」という覚悟。
     つまり、「無垢」、「共同体」、「暴力」の3点こそ、当時の野島が70年代的な表層の奥底に抱えていたテーマだと言えるが、この問題意識を極限まで突き詰めたドラマが『未成年』だ。
    ▲『未成年』
     1995年の10月から金曜ドラマで放送された『未成年』は、野島ドラマの臨界点とでも言うような作品だ。それは95年という時代とも完全にシンクロしていた。 物語は、父との関係がうまくいっておらず、優秀な兄・辰巳(谷原章介)にコンプレックスを持っている高校生のヒロこと戸川博人(いしだ壱成)が、ライブハウスの警備員のアルバイトをしている時に知りあった女子大生・新村萌香(桜井幸子)と出会うところからはじまる。 萌香は兄の恋人だが、心臓に疾患を抱えており性行為ができない身体だった。そんな萌香に惹かれていくヒロ。そして彼の周りには、クラスメイトのインポこと田辺順平(北原雅樹)、ヤクザの構成員のゴロこと坂詰五郎(反町隆史)、デクこと知的障害者の室岡仁(香取慎吾)、進学校に通いつつ母親からの過干渉でノイローゼになっている優等生こと神谷勤(河合我聞)といった、それぞれに深い悩みを抱えた少年たちがおり、やがて立場を超えて深い友情で結ばれるようになる。
     あるとき、デクがゴロから預かった拳銃で銀行員を誤射してしまったことから、ヒロたちは銀行強盗だと誤解されてしまい指名手配されてしまう。しかし家にも学校にも居場所がないヒロは、デクと一緒に逃げようと言う。そして一度は自首を勧めた仲間たちも、家にも学校にも職場にも居場所がなくなり、この世界から逃げ出して山奥の廃校で暮らそうと決意して、ともに家出をすることになる。 夜中に仲間たちが先に乗り込んだ貨物列車に乗り込もうと走るヒロの姿に「知ってるかい? 知ってるかい? これから何もないとこ目指すのさ」「知ってるさ、知ってるさ、そこにはきっとホントのことしかないってことを」というモノローグが被さる。 廃校での暮らしは、はじめは順調に思えた。しかし、田畑瞳(浜崎あゆみ)の出産準備をする中で、神谷がノイローゼになって火炎瓶を作って「戦いの日は近い」と言い出し、妄想じみた革命思想に囚われるようになっていく。 「誰と戦うってんだよ」と言うヒロに銃を突きつけて神谷は「体制さ。歪んだ社会をつくってる国家さ」と言い、その後、ゴロを撃ってしまう。 神谷は、地球と人間を含めた生物を一つの巨大な生命体だと唱えるガイア理論と反体制思想が混同されたような、被害者意識にまみれた妄想を語り、戒厳令を敷くと言ってヒロたちを閉じ込める。 そんな神谷の盲言を、(田畑の出産をフォローするために)廃校を訪ねた萌香が録音してマスコミにリーク。その音声が恣意的に編集されて、ワイドショーで報道されてしまったことで、ヒロたちは革命思想を持った反社会的組織だと誤解されてしまい、やがて機動隊に取り囲まれる。
     廃校に立て籠もったヒロたちが機動隊に取り囲まれる様子は、まるで浅間山荘の立てこもり事件の戯画化のようでもある。しかし、それ以上に連想してしまうのは、95年に連日連夜放送されていた地下鉄サリン事件に端を発したオウム真理教事件だろう。状況を煽るワイドショーの露悪的な見せ方も含めて、よく95年にこれを放送できたなぁと、改めて感心する。
     『未成年』の放送がスタートした95年10月には、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)もスタートしている。ユダヤ教の旧約聖書をベースにした宗教的世界観のもとで展開される哲学的な物語だったこともあってか、『エヴァ』もまたオウム事件と一緒に語られることが多い作品だった。  本作は使徒と呼ばれる謎の巨大生物と人類の戦いを描いたロボットアニメだったが、物語は途中から迷走していき、最終的には主人公の14歳の少年・碇シンジの内面が自己啓発セミナー的な舞台装置のもとで強引に救済されて終わる。
     『未成年』の終わり方も『エヴァ』と同じように、最後に物語を放棄したような展開となり、ヒロの自問自答のような演説の果てに、唐突に終わる。  廃校から逃げ出したヒロは、警察に捕まったデクを助けて無罪を立証しようとする。しかし、その過程で萌香は病気が悪化し命を落とす。 仲間とはぐれ孤立無援となったヒロは、高校の屋上に立つ。 見上げる同級生たちの前でヒロは演説をし、デクの無罪と正当な裁判を受けさせてほしいと訴える。 「俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女、人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ。頭の出来や、身体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ! 俺たちを比べるすべてのやつらを黙らせろ! お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ」  その後、ヒロの演説に熱狂したクラスメイトたちの後押しもあってかヒロたちは改めて公平な裁判を受けることになり、物語は幕を閉じる。 長回しで引いた視線から撮影されるヒロの演説は、下から見上げる生徒たちや撮影するカメラマンの目線で描写される。つまり正面から彼の表情を捉えたアップがないのだ。下から見上げる限定された視点は、ドラマの映像というよりは報道番組の映像で立てこもり犯の姿を観ているようである。
     ヒロの姿は、テレビカメラを通じて全国に中継される。『人間・失格』でも誠の葬式の場にワイドショーのリポーターが押しかけ、憔悴した衛に話しかける無神経な場面が描かれたのだが、『未成年』では当時の加熱するオウム報道の影響もあってか、事件を煽る報道の在り方そのものに対する批判にも見える。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(3)──作家的到達点としての『高校教師』『人間・失格』 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-30 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。バブル絶頂期のトレンディドラマ、純愛ドラマというブームの波に乗って、一躍時代の寵児となった野島伸司。フジテレビ系からTBS系に活躍の場を移した野島は、『高校教師』『人間・失格』で、いよいよその本来の作家性を剥き出しにしていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(3)──作家的到達点としての『高校教師』『人間・失格』
    要約されることに対する反撥
     1990年代前半に野島伸司が手掛けたフジテレビ系のドラマは、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白い。しかし、音楽の使い方等の演出がトレンディドラマで培った欲望と感情を煽るような広告的な手法と変わらなかったため、手法と描こうとしたテーマが乖離している印象が残る。  大多と野島が当時おこなったことはヒットの要素を因数分解していき、それぞれのパーツをわかりやすく見せることだった。そのため、主題歌、衣装、ロケ地、俳優、キャッチーな決め台詞といった個々の要素が風俗として語られることは多いのだが、今見ると古臭く見えて、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。  日進月歩の激しい映像表現の側面から過去作を裁くことがアンフェアなのはわかっている。しかし、当時のフジテレビが作ったトレンディドラマ的手法の最大の問題点として、このわかりやすさ。個々のパーツの順列組み合わせに見えてしまうという弱点については、どうしても指摘しておきたい。
     山田太一は、コラムニストのボブ・グリーンがセールスマンについて書いた露悪的な文章に対して「ひとの人生をそんな風に要約してはいけない」と反撥を感じたことが『ふぞろいの林檎たち』(1983年)を書いたきっかけだと語っている。

     セールスマンだとか三流大学、三流会社だとか、そういう視点で、ひとの人生を要約することに反撥して書きはじめたのが、この作品であった。自作の中でパートⅡを書く値打ちのある世界だと、はじめて続篇を書くことにしたのがこの作品である。結局のところドラマというのは、要約を憎む人々のものなのではないだろうか、(などとドラマを要約すると、それから漏れるものをドラマから沢山感じてしまう人々のものなのではないか、だからこそ論文ではなくドラマを求めてしまうのではないか)などと思うのである。[26]

    ▲『ふぞろいの林檎たち』
     この文章が書かれたのは1988年だが、トレンディドラマと、そこから派生した野島ドラマに対する本質的な批判に読めてしまう。  山田が語っていることは、テレビドラマを考える上でとても重要なことだと感じる。テレビドラマに限らず、現在、世の中に出回っているフィクションは、現実の出来事に根ざした現代的なテーマを扱っているかがジャッジの基準となっており、現実との答え合わせにおける加点法(もしくは減点法)によって作品が評価されがちである。いわゆる社会派ドラマ全盛という状況はトレンディドラマの時代とは真逆の現象だが、どこか表裏一体に思えるのは、そうやってテーマやリアリティに対する作品の態度が抽出される時に、フィクションならではの雑多な魅力がないがしろにされて、受け止める側も箇条書きの情報として処理して「要約」になっていると感じるのだ。  おそらく同じ問題意識を打ち出したドラマが、2017年に坂元裕二の執筆したドラマ『anone』(日本テレビ系)だろう。本作の冒頭、余命半年の男・持本舵(阿部サダヲ)が、医師が(様態が悪い時に患者に)よく言う「止まない雨はありませんよ」「夜明け前が一番暗いんです」といった名言の羅列にうんざりして「自分、ちょっと名言恐いんで」と言う場面があるのだが、この台詞は、本来、ひとつの流れで理解するべきドラマの台詞を断片的に切り取って名言集にされてしまうことが多い、坂元裕二が自身のドラマの消費のされ方に対して苦言を呈しているように見える。それは言い換えるならば、「簡単に要約するな」ということである[27]。
    ▲『anone』
     つまり、いくら大多や野島が脱トレンディドラマを打ち出そうとして、70年代的なものや不幸なシーンを持ち出したとしても、それ自体がわかりやすい商品としてパッケージ化され流通してしまう構造がすでにでき上がっていたため、何を書いても断片が切り取られて、わかりやすく「要約された情報」としてしか流通できないということだ。そんなフジテレビで作った野島ドラマの限界が見えてしまうのが『愛という名のもとに』(1992年)以降の作品で、だから今となっては色あせて見える。
     対してTBS系の金曜ドラマで放送された野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうる強度を保っている。
    1993年の『高校教師』

     デビュー当時の僕は、それこそ日本中の視聴者に好かれなければならない、好青年であらねばならないという思いが非常に強かったんです。でも、視聴者とドラマの制作者というのは恋愛関係のようなもので、たとえ一部の人に嫌悪されても、僕の作品を支持してくれて、濃くわかりあえるような視聴者がいるんなら、それでいいんじゃないかと思うようになって…。そのきっかけが「高校教師」の成功だったんです。[28]

     1993年、野島伸司はドラマ『高校教師』を執筆する。野島にとって憧れの場所だったドラマのTBSの金曜ドラマ初登板だった。
    ▲『高校教師』
     物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村隆夫(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていく。しかし繭は芸術家の父親と近親相姦の関係にあった。  物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢直子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプすることで自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。  教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても、過剰に性的でスキャンダラスな物語だった。  しかし映像の見せ方は淡々としていて心理描写は行間を読ませるものとなっている。森田童子の主題歌「ぼくたちの失敗」に乗せてゆったりと展開される自然音を多用した映像には、静謐な雰囲気があり、簡単に消費することができないドラマとしての強さが存在した。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(2)──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-16 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。フジテレビのトレンディドラマ路線を築き上げたヒットメーカー・大多亮プロデュースのもと、坂元裕二とともに頭角を現していった野島伸司。しかしその路線は、1990年代に入ると『素敵な片想い』に始まる「純愛三部作」を機に、大きな転換を遂げていくことになります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(2) ──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ
    1990年の『すてきな片想い』
     1989年1月7日に昭和が終わり、翌日から平成がはじまると、少しずつ世の中の雰囲気が変化していき、その影響もあってか、フジテレビのドラマも少しずつ変わっていく。  野島に続く形で坂元裕二も柴門ふみ原作の『同・級・生』(’89)で連ドラデビュー。野島真司も89年に明るい学園ドラマ『愛しあってるかい!』をスマッシュヒットさせるものの、既存のパターンを踏襲したトレンディドラマに大多は手応えを感じなくなっていく。そしてトレンディドラマの集大成と言える90年の『恋のパラダイス』が平均視聴率14.4%(関東地区、ビデオリサーチ社)と不調に終わったことで、次の路線を模索するようになる。その結果、生まれたのが野島伸司脚本の『すてきな片想い』である。

    ▲『すてきな片想い』
     本作は大多にとって初めての単独プロデュース作品。本作のコンセプトについて大多は以下のように語っている。

     キーワードは“一途な想い”。  今までのトレンディドラマが華麗な多重恋愛をしながら“よりいい恋”を探していたのに対して、ここでは、届かないかもしれないけど、決して揺れない、一途な恋を描いていこうと思ったのだ。[21]

     本作と、その後、作られる坂元裕二脚本の『東京ラブストーリー』(’91)、そして野島伸司脚本の『101回目のプロポーズ』(’91)の三作を、大多は純愛路線だと『ヒットマン』の中で書いている。  この三作はトレンディドラマと混同されて語られがちだが、大多の中では明確に区分けされている。もっとも大多自身も、トレンディドラマを全否定したわけでなくポイントを変えただけで「リニューアル」だと語っているため、ある程度は地続きなのだろう。しかしここでポイントを変えたことが作り手にとっては重要だった。
     ではどこが変わったのか?
     物語は海苔問屋で働く地味で平凡なOL・与田圭子(中山美穂)と小さなおもちゃ会社で働く野茂俊平(柳葉敏郎)のラブストーリー。二人は友達を介して知り合うのだが、電車の中で野茂に醜態を見られたことがある与田は正体を隠し、本棚にあった小説の作家、林真理子と吉本ばななの名前をもじった、林ナナという名で野茂と話すようになる。  物語はリアルでは与田圭子、電話では林ナナというキャラクターで野茂と接する与田の二重生活がコミカルに描かれる一方で二人の友達を交えた3×3のグループ交際を描いた恋愛ドラマとなっている。  インターネットが登場して以降は複数のキャラクターを使い分けるコミュニケ―ションが当たり前のものとなっているが、そういった感覚をいち早く“電話”で描いていたドラマだと言えるだろう。もちろん、すでにテレクラや伝言ダイヤルは存在しており、1976年の山田太一脚本のドラマ『岸辺のアルバム』でも、間違い電話をかけてきた男と不倫関係になる主婦の姿が描かれていた。そういった先行事例を踏まえると、「嘘」というモチーフをラブコメにうまく落とし込んだ秀作というのが、妥当な評価だろう。  一方、大多が言うような純愛路線として、それ以前のトレンディドラマから脱却していたかというと、当時の筆者の感覚としては、そこまで差があるとは思えなかった。確かに主人公の職業はマスコミ系のオシャレなものでもリッチな金持ちでもないが、華やかさで浮ついた印象は相変わらずだった。
     それでも大多にとっては手応えがあったようで、本作について以下のように語っている。

     このドラマがコケてたら、もしかしたらトレンディドラマは死んでいたかもしれないし、そうなったら現在のテレビ界におけるフジのドラマ黄金時代というのもなかったような気がする。  ドラマの重心を主人公の一途な想いに集中させることによってトレンディドラマは生まれ変った。それを最も効果的に表現できることができるテーマが“純愛”だった。[22]

     大多は「物欲的なトレンディから地味な純愛路線に」[23]路線転換を狙った作品だと本作を解説するのだが、この対比をみていると大多がトレンディドラマの向こう側に、80年代後半に日本で達成された高度消費社会を見ており、その先に来るものとして「純愛」というテーマを持ち出したように見える。  この次に大多が手掛ける『東京ラブストーリー』は柴門ふみの同名漫画が原作だ。当時の柴門は「恋愛の神様」と呼ばれていた。邦楽では90年にKANの『愛は勝つ』が200万枚を超えるヒットとなり、恋愛こそが唯一信じる価値として様々なメディアで語られていた。それを準備したのはトレンディドラマやファッション雑誌が提示した高度消費社会における男女のゲームとしての恋愛カルチャーだったが、そこから発展して恋愛の宗教化が加熱しはじめたのが90年代だったのだろう。その状況を大多は「純愛」という言葉に集約させたのだろう。
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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-09 07:00  
    550pt

    今月から(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信いたします。大幅にグレードアップした第1部で取り上げるのは、90年代を代表する脚本家・野島伸司。昭和最終年となった1988年のヤングシナリオ大賞でのデビュー当時、バブル経済下の「トレンディドラマ」の時代とどう対峙していったのかを辿ります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として
    転換点としての1995年と「野島伸司の時代」
     1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。  戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだ。  また、バブル崩壊により1993年から有効求人倍率は1.0%を切り、95年にはついに0.63倍に。終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営は機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。後に「失われた20年」などと言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。  だが一方で、ポップカルチャーは、遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は653万部を達成。小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲は立て続けにミリオンセラーを記録した。中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。  95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めたオムニバスアニメ『MEMORIES』といった劇場アニメが公開された。大友克洋は88年公開の『AKIRA』が、押井は93年公開の『機動警察パトレイバー2 the movie』がそれぞれ海外でカルト的に評価され、それ以降「日本のアニメはクール」という、ジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが起こっていた。その勢いがいよいよ本格化するのも、この年である。  何よりもっとも反響を巻き起こしたのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送だろう。  14歳の少年・碇シンジが、エヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う本作は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とも言えるような物語となっており、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写は、アニメの枠を超えて、あらゆる国内カルチャーに影響を与えた。  一方、テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。  つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わりを告げ、不況が始まる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが、この95年だったと言えるだろう。
     そのような激動の年、テレビドラマは、連日のオウム事件に対するニュース報道の影響もあってか、全体的に不調だったとも言われている。しかし、それでも現在(2020年)とくらべると高い視聴率を誇っており、歴史に名を残す話題作も多数放送されていた。  中でも、もっともこの年を象徴する作品だったのが野島伸司脚本のドラマ『未成年』(TBS)である。本作は93年の『高校教師』、94年の『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』に続くTBS制作の野島ドラマ。この三作は、野島三部作と呼ばれており、彼のキャリアにおいてはもちろんのこと、日本のテレビドラマ史においても重要な作品だ。しかしそれ以上に『未成年』には、この95年にしか成立し得ない同時代性が刻印された野島ドラマ最大の問題作だった。
     2020年現在、野島伸司はテレビドラマの中心にいるとは言えない存在だ。辛辣な言い方をするならば、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)とコンプライアンス(法令遵守)が叫ばれ、倫理的な振る舞いが一番に求められるテレビドラマにおいて、野島ドラマはとても座りが悪いものとなっている。雑誌等で「今のテレビでは放送できないドラマ特集」を組むと、上位を90年代に野島が書いたドラマが独占することが多いのだが、これは逆説的に彼が時代とズレてしまったことを証明している。  民放プライムタイムで脚本を手掛けたドラマは、2018年の『高嶺の花』(日本テレビ系)が最後の作品となっており、現在は、FOD(フジテレビオンデマンド)で配信されるドラマが活動の中心となっている。  それらの配信ドラマも、表向きは過激な題材を扱っているようにみえるが、かつての求心力があるというわけでもない。どうにも中途半端な立ち位置に今の彼はいる。  しかし、テレビドラマの歴史において「野島伸司の時代」としか言いようがない時代が、かつて存在した。  それは『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)が大ヒットした91年から『未成年』が放送された95年までの5年間である。この時代、なぜ野島ドラマはヒットを連発し、物議を呼んだのか? まずは彼がたどった80年代末から90年代前半の道のりをなぞることで、本書で中心に扱っている1995年以降のテレビドラマを準備した前史について整理しておきたい。

    ▲『101回目のプロポーズ』
    ヤングシナリオ大賞でのデビュー
     野島伸司は1963年生まれの脚本家だ。1988年に第二回フジテレビヤングシナリオ大賞を『時には母のない子のように』で受賞し、ドラマ脚本家としてのキャリアをスタートしている。  ちなみに第一回(1987年)のヤングシナリオ大賞を受賞したのは当時19歳だった坂元裕二である。  ヤングシナリオ大賞はフジテレビがトレンディドラマブームの中で、若手新人脚本家を輩出するために設立した新人賞だ。  第一回の坂元裕二、第二回の野島伸司を筆頭に、金子ありさ、尾崎将也、浅野妙子、武藤将吾、安達奈緒子、金子茂樹、桑村さや香、野木亜紀子といった、今も現役で活躍する脚本家たちも、この賞でデビューしている。  応募資格は自称35歳以下。「月刊ドラマ」1987年8月号に掲載された第一回ヤングシナリオ大賞の選評「ヤングの特権」で、シナリオライターの佐伯俊道は、この賞の審査基準について以下のように書いている。

     ノッているか、ノリが悪いか。 過去をひきずり、未来を嘱望しつつ、いかに現在に具現化しているか。  『夢に飛べ!!』と銘打つヤングシナリオ大賞の審査の基準はそこにある。[1]

     これだけだと「若くて勢いのある作家が欲しい」くらいしか意図がわからないのだが、それ以降には、歴史ある他の賞の最終審査だったら残る水準の作品は、第一次、第二次で落としたと書かれており、以下のような宣言が書かれている。

     『文学としてのシナリオ』『テクニックに長けたシナリオ』『完璧に近いが何も新鮮味の感じられないシナリオ』は対象外なのだ。  具体的に言えば、『東芝日曜劇場』や『銀河ドラマ』の線は要らない。  泣かせや笑わせのだけで引っ張ろうとするドラマは要らない。[2]

     東芝日曜劇場はTBS、銀河ドラマはNHKのドラマ枠でどちらも80年代後半に良質のドラマを放送していたドラマ枠だ。  70年代後半から80年代初頭にかけて頭角を表した、山田太一、倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家が書いたドラマが文学的な評価を得ており、その拠点となったのがNHKとTBSである。中でもTBSは「ドラマのTBS」と呼ばれていた。  そんな大人向けの文学的なドラマに対してアンチテーゼとして打ち出されたのがフジテレビのトレンディドラマだった。
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