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【最終回】落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第6回 インターネット時代の新帝国主義(後編)【毎月第1木曜配信】
2017-05-11 07:00
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。〈物質〉と〈実質〉の境界が失われ、人間中心主義ではなくなっていく世界の中で、GoogleやFacebookに代表される新帝国主義に対抗する、オープンソース的な「穏やかな世界」の実現を考えます。(構成:長谷川リョー)
働かずして富を得るか、働かずして貧しくなるか
インターネット以降の世界の覇権争いにおいて、勝利国家となったのはアメリカでした。そして現在、唯一それに対抗しうる国家といえるのが中国です。
中国のインターネットといえば、中国共産党にとって不都合な情報へのアクセスを遮断する国家規模の巨大なファイアウォール「金盾」がよく知られています。当初、この施策は「グローバリズムに乗り遅れている」と揶揄されていましたが、しかし彼らは、このファイアウォールを築いたことにより、インターネットにおける米国の植民地支配から逃れることができました。アメリカで生まれたインターネットですが、中国国内のインフラはすべて中国製品によって代替されています。その巨大な市場によってAlibabaなどの中国企業は、一大勢力を築くに至りました。
翻って日本では、FacebookやTwitterを受け入れたことにより、結果的に国産SNSのmixiを潰してしまいました。日本人は気質的にソーシャルネットワークサービスと親和性の高い民族であるにも関わらず、グローバリズムの波を受けて、その全てがアメリカナイズされてしまったことは、残念といえば残念です。
ソフトウェアはハードウェアとは異なり、人間の内面にまで入り込んで影響を与えます。その「見えない檻」によって僕らは周囲を取り囲まれ、制御されている。その環境のことをユビキタス・コンピューティングと呼んだりもしますが、その「見えない檻」の向こう側、デジタルネイチャーに辿り着いたときに僕達が遭遇するのは、新しい自由なのか、あるいはさらなる争いでしかないのか。
そこで重要なトピックとなるのが「労働」についての議論です。今後は、最低限の労働で収入を得られる社会、いわば「楽園」に暮らす層と、それ以外の貧困層に分かれてくでしょう。前者では帝国的なプラットフォームが世界中からコミッションを徴収する仕組みによって、人々は働かずに豊かな生活を送ることができます。一方、それ以外の世界では、ロボットの普及によって人間の仕事は大幅に減っていますが、そこに暮らす人々は貧しい。
『銃夢』というSF漫画では、「ザレム」と「クズ鉄町」という2つの未来社会が描かれています。「ザレム」はカリフォルニア連合国のような様相を呈しており、クズ鉄町がそれ以外の全てとなっている。この世界ではロボット技術が普及し、人間は働かなくてもいいように統治されていますが、それでも「持たざる者」は仕事をせざるをえない。私たちを待ち受ける未来も、これと似たようなものになるでしょう。
しかし、こうした格差をテクノロジーのせいにするのはお門違いです。人類社会がテクノロジーに支えられていることは厳然たる事実であり、それ以前の生活に戻ることは不可能です。事実「植民地支配だ!」と言って、スマホを手放す人はいないわけで、今後も我々はこの世界で生きていかなくてはなりません。
ロボットによる労働の代替が進むと、お金よりも人間の時間をいかに占有するか、すなわち可処分時間でしか物事の価値を測れなくなるでしょう。たとえば、Facebookに1時間、Twitterに1時間、国産アプリに1時間、テレビに2時間使っている人がいるとします。すると、日本国に滞在している実質的な時間は3時間ということになり、3時間分の上がりを国家が、それ以外の2時間分の上がりを帝国が持っていくということになります。このように、可処分時間の割り当てが重視されるようになると、人々はアビリティ(才能、能力)ベース、もしくはアクションベースの発想になります。個々人のアビリティやアクションを、どのような配分で切り出して仕事にするのか、あるいはオープンソースに貢献するのか、ということを考えていくようになるでしょう。
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第6回 インターネット時代の新帝国主義(前編)【毎月第1木曜配信】
2017-04-06 07:00
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。今回は、〈物質〉と〈実質〉の境界を突き崩すデジタルネイチャーラボの研究、そしてGoogleとAppleによって成立した新しい帝国支配の核心に迫ります。(構成:長谷川リョー)
ヴァーチャル・リアリティに欠けている感覚を補完する
ここまでの連載では、「ネットワークに住み着いた人間と機械の共進化関係」という概念について論じてきました。
これまでの世界は、〈人間(生物)〉と〈機械〉、〈物質〉と〈実質〉という4象限に分割されていました。しかし、ネットワークによってあらゆるものが接続された現在、〈人間(生物)〉と〈機械〉、〈物質〉と〈実質〉の区分はあいまいになりつつあります。この4象限の中間地点に「オルタナティブ」が生成され、そこを中心に新たな価値基準が形成されていく。デジタルネイチャーラボでは、こういった変化が作り出す新しい世界について、日夜研究を進めるため、各象限の変換法や相転移を目指す研究を行っています。
たとえば、現在のヴァーチャル・リアリティに不足している要素に「触覚」があります。その例として、僕たちが朝、目覚めてから触るものを考えてみましょう。まず、パジャマやパンツといった衣服に触りますよね。朝食を食べるとき食べ物にも触る。あとは家から出るときにドアノブを触るし、出勤のために自動車のハンドルに触るかもしれない。会社に着いたらパソコンのキーボードにも触ります。
だけど、自動ドアになればドアノブは不要だし、ハンドルも自動運転車になれば触らなくてもいい。キーボードも音声認識になれば触らなくなります。そう考えていくと、一日中VRゴーグルを被ってヴァーチャルの世界で暮らしたときに不足する触覚というのは、実はかなり限られてくる。そうすると「人間が直接触るところはアナログでマテリアルなものが欲しいけど、それ以外はヴァーチャルでいい」という発想も出てきます。人間が触ることのない箇所は、マテリアルであるべきか、それともヴァーチャルでいいのか。これは各人の趣味嗜好の話でしかないし、突き詰めていくと「〈物質〉と〈実質〉のどちらを信じるか」という宗教的な情念に近づいていくでしょう。その世界では、私たちの考え方は今とはまったく違ったものになっているはずです。
ここでデジタルネイチャーの世界観を実現するための重要なテーマを3つ挙げてみましょう。
・「拡張現実/現実拡張」――存在しないものをあるかのよう見せる、存在しているものをさらに拡張する
・「データ化/物質化」――〈モノ〉をデジタル化する、〈モノ〉をコンピュータが操作する
・「人間機械化/機械人間化」――コンピュータによって〈人間(生物)〉を制御する、〈人間(生物)〉がコンピュータやロボットに乗り移る。
この3つのアプローチによってデジタルネイチャーという新しい世界観を実現するのが、我々のラボの目指すところです。
「拡張現実/現実拡張」――存在しないものをあるかのよう見せる、存在しているものをさらに拡張する
まずは「ディスプレイ」の研究から紹介していきましょう。弊ラボでは、プリンティング・マテリアル(刷版材料)の反射を自在に制御する研究を行っています。これは高澤和希くんという学生の卒論で、「Leaked Light Field」という技術です。皮財布や木製のボードの表面にドットが浮き上がっていますね。
▲Leaked Light Field at LAVAL Virtual Award
皮や木材といったアナログ素材の表面を発光させてデジタルな表現を可能にする。具体的には、マテリアルな素材の質感を損なわずに光を透過する、微細な穴を開ける加工技術を開発しているのですが、これはいわば、「物質的な素材」と「実質的な存在」の間を埋めるための研究です。
同様の技術で、光の反射を自在に制御することで、見る方向によって映る内容が違う鏡を作るという研究も進めていて、そこでは「視覚的な見た目」と「投影される事象」の間に、新しい関係を作り出すということを考えています。
この研究は後で紹介する素材研究の一面も含んでいます。
〈物質〉と〈実質〉の中間の研究の例としてもう一つ、これはタッチパット上で「動く心臓」を表現する技術です。
▲Cross-Field Haptics - SIGGRAPH Asia 2016 Emerging Technologies
タッチパットの画面に流体が敷き詰められていて、導電性幕により表面が凹んだり出っ張ったり変化することで、見た目だけでなく触り心地を再現できます。これは弊ラボの橋爪智くんの「Cross-Field Haptics」という研究ですが、液晶による見た目の表現と、触覚による感触の表現の間を埋めることで、独特の感覚を出現させています。
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第5回 機械の時間と最適化された世界(後編)【毎月第1木曜配信】
2017-03-02 07:00
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。今回は、コンピュータによる全体最適化で多様性を失った人間は、いかにして強度を確保するのか。人間性を超越した機械による新しい統治の原理について考えます。(構成:長谷川リョー)
人間の寿命を超えた知性が出現する
第5回の前編では、AlphaGoを引き合いに出しながら、コンピュータ・サイエンスの専門家が他分野に侵食しつつある現状、そして、二つの思考法のパラダイムが生まれていることに触れました。
たとえば、現在生まれつつある「◯◯の専門家」vs「コンピュータの専門家かつ◯◯の素人」という対立構図においては、後者が前者を駆逐していくのは明白でしょう。しかし、この変化はあくまで人間の生物時間を単位とした場合のものです。これが、「インターネットの意思ないし集合知」vs「ある世代の人類」だった場合、その変化は、前者よりもはるかにゆるやかなペースで進むことになります。
個人の人生の中で、目的の実現を目指すのであれば、ラディカルな変化が求められます。そこでは資本主義的なテコの原理によって、問題を短時間で効率良く解決するフレームワークが有効です。それに対して、個人の人生を超越した全体を想定する場合、変化はより長いタイムスパンに及び、ゆるやかな速度で進んでいくでしょう。この時間尺度で捉えたインターネットは、人類の集合知であると同時に、人類の生物学的限界を超えた「寿命から切り離された知識」と言えるかもしれません。
こういった個人の寿命をはるかに超えた全体が想定された事業の例は、人類史上においてほとんど見当たりません。約300年の建造期間が想定されたアントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアや、1000年以上もの間、増築され続けた万里の長城、1500年続くと言われる伊勢神宮のライフサイクルなどはその数少ない例外です。このような数百年単位で完遂される知的活動の事例が少ないのは、人間の生活実感をはるかに超えた時間単位における知性の働き方は、我々の知るそれとは全く異なっているからです。
もっとも、状況に応じて生み出された巨大な仕組みが、結果的に人々の思惑を超えたところで全体として機能し始めることは、往々にしてあります。たとえば、津波を避けるための防波堤がそうです。最初に防波堤が建てられたのは、震災時の被害を食い止めようとする人々の意志によるものでしょう。しかし、一度システムに組み込まれた防波堤は、あたかもそれ自体が意思を持っているかのように存在し続けるようになります。防波堤が壊れるたびに「防波堤がないとダメだ」という議論になり、人々は誰に命じられるでもなく、防波堤を修理し続ける。次の大地震が来るまでのタイムスパンが、人間の一生よりも長い場合、その活動は個人を超えた意志のもとに維持され続けます。いずれはインターネットも、そういった巨視的な前提に立った構造物を数多く産み出すようになるでしょう。
このコンピュータによる全体最適化は、「死の概念」や「個人の幸福」といった人間の倫理観を超越しています。しかし、だからといってそれが、人間の尊厳や基本的人権を直接的に脅かすことはないはずです。なぜなら、人間が判断や意思決定しうるスパンは、せいぜい自分の一生、80年程度が関の山だからです。それ以上の時間的スケールを要する問題は、周波数が遅すぎて考えることができず、おのずと認識の外側に置かれるからです。
全体最適化による問題解決――それはきわめて全体主義的ですが、同時に誰かを不幸にすることもありません。将来的には、この「全体最適化による全体主義によって全人類の幸福を追求する」という思想が、人間社会を覆い尽くすことになっても、不思議ではないと思います。
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第5回 機械の時間と最適化された世界(前編)【毎月第1木曜配信】
2017-02-02 07:00
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。第5回の前編となる今回は、全体最適化による全体主義は、なぜ〈幸福〉なのか。オープンソースの普及や、インターネットによる学習効率の向上がもたらす変化の先にある、新しい社会の形態を素描します。(構成:長谷川リョー)
▼ニコ生放送時の動画はこちらから!
http://www.nicovideo.jp/watch/1475244623
放送日:2016年9月27日
多数決に依らない全体最適化による全体主義
第5回となる今回は、インターネットで徐々にその傾向を強めつつある全体主義性が、どのような原理によってもたらされているのか。それがどんな世界を導くのかについて考えてみたいと思います。
現在のインターネットは、資本主義で駆動される世界と、オープンソースに基づく世界の二方向に分かれつつあります。資本主義的な世界はアプリケーション的な要素から構成され、企業体が存在しユーザーが存在する、当たり前ですが民主主義的に駆動されています。それとは若干異なって、オープンソースの世界は、論文・コード・ライブラリといった要素から構成され、全体主義的な性質を持ちます。
なぜ、このような二つの世界が現れたのか。簡単に前回のおさらいをしましょう。マックス・ウェーバーは資本主義が成功した要因の一つとして「資本の再投下」に着目しました。シリコンバレーにおいては、黎明期にIntelやHPといった企業が成功を収め、その利益がAppleなどの次世代の企業に再投下され、さらにその利益がGoogleやFacebookに再投資されました。この資本の再投下のループによって戦後のアメリカ経済は大きく発展しますが、その裏側では、LinuxやGitHubなどに代表されるオープンソースの思想が誕生します。オープンソースによってインターネットの裾野は拡大し、公開された基礎技術の恩恵を資本主義企業も受け取る。こういったプロセスを辿りながらアメリカのIT業界は成長してきました。
そして2000年代以降、オープンソースはさらに影響力を強めています。これからの社会は、オープンソースを基盤とした全体主義的な社会構造になっていくのはないか、というのがここでの問題提起です。
ただし、ここでいう全体主義というのは、20世紀前半の全体主義とは明確に区別されるべきものです。前世紀の全体主義が「民主主義に由来する全体主義」とすれば、これは「全体最適化による全体主義」といえるでしょう。
民主主義による意思決定で焦点となるのは人間の数です。現在の制度では多数決で意思決定が行われますが、そこには必然的にマジョリティとマイノリティの区分が生まれ、マイノリティは大多数を締めるマジョリティの意見に従わなければなりません。しかし、全体最適化を意思決定の根拠とする場合は、賛同する人間の数は問題になりません。あくまで、生態系として捉えた社会、その全体にとって都合が良い選択肢が個々の問題や一人一人に対して別々に選び出されるわけです。
インターネット学習がもたらした知識と技術の〈下駄〉
この「全体最適化による全体主義」が実現するのであれば、そこではAIが重要な役割を担うことになるのは間違いありません。すでにAIは我々の社会に入りこみつつありますが、そこで必ず出てくるのが「人工知能が人間の仕事を奪う」といった「AI脅威論」です。しかし今現在、世界で起きているのは、それとはすこし位相の違った現象です。
たとえば、AIの「AlphaGo」はトップ棋士のイ・セドルに勝利しましたが、「AlphaGo」のエンジニアの囲碁の腕は、イ・セドルよりもはるかに劣るはずです。この事実が示唆してるのは、既存の専門家から職を奪うのは、AlphaGoのようなAIそのものではなく、AIのエンジニアだということです。これからはバイオやデザインなど他の分野にもAIが介入し、専門的領域の多くがコンピュータ・サイエンスによって覆い尽くされていくでしょう。ただし、それは「AIが世界を統治する」のではなく「コンピュータ・サイエンスの研究者があらゆる分野に進出する」という言い方が正しいのです。
そう遠くない将来、どの分野においても、トップの研究者たちはコンピュータ・サイエンスの研究者とタッグを組むようになり、AIと距離を置く人たちは、影響力を失っていくでしょう。AIと組んだ研究者グループによる高度な成果が基準となることで、それに太刀打ちできない人々は淘汰されます。この「AIと人間の協業」がオープンソースをベースに展開されることになれば、私たちの社会は大きくその姿を変えるはずです。
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第4回 オープンソースの倫理と資本主義の精神(後編)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.764 ☆
2017-01-05 07:00
落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」第4回 オープンソースの倫理と資本主義の精神(後編)【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2017.1.5 vol.764
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは落合陽一さんの『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第4回の後編をお届けします。
オープンソースの思想は、資本主義と拮抗しながら、バイオやハードウェアなどの分野に拡大しつつあります。プロテスタンティズムに由来する資本の絶え間ない再投下の果てに、インターネットが辿り着いた「脱倫理」と「全体主義」という二つの思想について論じます。
【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
(紙)/(電子)
取り扱い書店リストはこちらから。
▼プロフィール
落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
◎構成:長谷川リョー
『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』これまでの連載はこちらのリンクから。
前回:落合陽一 「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」第4回 オープンソースの倫理と資本主義の精神(前編)
▼ニコ生放送時の動画はこちらから!
http://www.nicovideo.jp/watch/1473245015
放送日:2016年8月30日
◼︎オープンソースの精神が変えつつある社会
すでに私たちは、オープンソースなしでは生きていくことができなくなっています。オープンソースの上に成り立つ資本主義の世界を生きている。そういう意味において、私たちは知らず知らずのうちに「オープンソースの精神」を身に付けていると言えそうです。
オープンソースという概念や、それよって支えられたインフラは、インターネット以降の人類のみが持ち得る特殊な環境です。こうした環境が整備されることが人間の社会をどのように変えていくのでしょうか。
いま我々が生きているのは、「オープンソースの精神」と「資本主義の精神」が拮抗する世界です。2000年以降に全面化してきたオープンソースを、どうやって資本主義と共存させていくのか。オープンソースが生み出したものを、いかにして市場経済の枠組みの中に取り込むんでいくか、という葛藤があらゆる場所で起き始めています。
オープンソースと資本主義の関係は、いまのところ繊細なバランスの上に成り立っています。たとえば、もし仮に、全てがオープンソースとなってシェア化されたときに、果たして資本主義経済は維持されるのでしょうか。資本主義は資本の集積と再投下によって成り立っていますが、全てが共有財産になった場合、シェアされた利益は誰の一存で再投下されるべきなのか、その判断は非常に難しいと思います。
その一方で、公共的なプラットフォームが資本主義的な価値観によって運用されている状況は、必ずしも安定的ではありません。たとえば、Appleが突然App Storeを閉鎖したり、GoogleがAndroidの機能を停止する可能性はゼロではなく、そこに関して我々は極めてセンシティブにならざるをえません。
また、オープンソースから資本主義側に価値を提供する流れでは、さほど大きな問題は起きていませんが、もし資本側がオープンソースを買収しようとすれば、これは大きな問題となるでしょう。
オープンソースによって社会が少しずつ変化すると、それによってプラットフォームの構造も変わってきます。たとえば、Googleの情報検索やFacebookのソーシャルグラフといった技術は、オープンソースとしては公開されていませんが、その代わり、APIが提供されることによって、外部のプラットフォームから自由にその機能を利用できます。ようは、自由に価値を提供したり、逆に価値を享受できるような枠組みが求められるようになってきたということで、それを体現しているのが、近年登場してきた「シェアリングエコノミー」や「ソーシャルグッド」でしょう。
いま、シリコンバレーから拡大し全世界的でメジャーとなりつつあるビジネスモデル、限界費用ゼロのサービスを提供することで薄く広くユーザーを獲得し、そこに資本主義的な資金の投下を繰り返すことで、最終的に利益を生み出すまで事業を育てていく。こうしたモデルが、オープンソースと資本主義が共存を始めた社会においても続いていくのか、改めて考えていく必要があるでしょう。
◼︎各分野で生まれるオープンソースによる二層構造
ここまでの議論では、インターネットやコンピュータ業界において、オープンソースという新しい価値が蓄積されるようになったという変化を論じてきましたが、そういった動きは、ほかの分野にも拡大しつつあります。
たとえば、バイオ分野の研究では、遺伝子のコーディング、CRISPR-Cas9によるゲノム編集、iPS細胞の製造といった先端技術の基本的なアイディアは、オープンに公開されています。もちろん多数のバイオ系企業は特許によって売り上げを得ているのですが、iPS細胞であれば、最初の発見者である山中伸弥先生の特許を確保した上で開放しているため、公的な研究機関であれば無償で利用できるし、関連企業はライセンス料を支払うことで製造を手がけられる。このように最新の研究成果が「知のインフラ」として整備されることによって、自前で細胞を製造できない小規模なベンチャーでも、バイオ系企業に依頼してIPS細胞を購入し、新しい心筋細胞や網膜細胞を作る、といったアプローチが可能になってきています。
同じことはハードウェアの分野でも起きていて、Arduinoなどに代表される、オープンソースハードウェアが登場しています。これはインターネット上でハードウェアの設計図や回路図が無償で公開されていて、深圳の工場に発注をかければ、誰でも安い金額で用途に応じたパーツを製造できるわけです。
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落合陽一 「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」第4回 オープンソースの倫理と資本主義の精神(前編)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.745 ☆
2016-12-01 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
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を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
落合陽一 「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」第4回 オープンソースの倫理と資本主義の精神(前編)【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.12.1 vol.745
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは、落合陽一さんの『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』の第4回の前編をお届けします。「資本主義の精神」に駆動されているように見える現代のインターネット社会ですが、その根底ではまったく別の原理による思想が、着実にその影響力を強めています。マルクスの『資本論』とウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を援用しながら、現代を規定する新しい上部・下部構造について論じます。
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1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
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◎構成:長谷川リョー
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前回:落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(後編)
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放送日:2016年8月30日
◼︎マルクスとウェーバーからデジタルネイチャーの社会構造を考える
「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」も4回目となります。今回はインターネット上における「資本主義の精神」と、オープンソースのコミュニティを成立させている倫理観について考えてみます。この議論を進めていく上で避けられないのが、カール・マルクスとマックス・ウェーバーです。
我々は、民主主義の社会制度と、資本主義の経済圏の中で生きています。1989年の東西冷戦の集結によって、共産主義は力を失い、資本主義が世界のスタンダードになりました。現在のインターネットのシステムであるWWW(World Wide Web)が動き始めたのは、その翌々年の1991年のことです。
近年登場した、共産主義とよく似た概念としてはベーシックインカムやオープンソースなどがありますが、たとえば「Kickstarter」をはじめとするクラウドファンディングサービスを考えてみましょう。これは共産主義的であると同時に、極めて資本主義的でもあります。クラウドファンディングには二つの側面があります。一つはソーシャル的なアプローチで社会問題の解決を目指す共産主義的な側面。もう一つは実際にプロダクトをリリースしていく資本主義的な側面です。こういったインターネットの登場以降に現れたカルチャーを、新しい経済活動として捉え直し、その根底に流れている思想を読み解いていくのが今回のテーマです。
カール・マルクスは『資本論』で、封建領主と農奴の関係、生産様式や搾取、余剰価値や過剰生産などの分析によって、社会の発展過程と資本主義経済の成り立ちを読み解きました。唯物史観と呼ばれる彼の思想においては、二項対立が止揚されることで社会が新しい段階へと進む弁証法的展開が、決定論的に起こっていくと説かれます。そして、政治的な上部構造は、経済的な下部構造によって規定されると主張しました。
これに対し、マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、ヨーロッパでの最初の資本主義の形成の過程で、プロテスタンティズムが果たした役割について論じています。ウェーバーの議論で重要なのは、マルクスのいう下部構造としての経済(資本主義)の始原において、宗教的倫理が重要な役目を果たしていたという指摘、つまり「経済の根底には文化がある」という意味での唯物論の否定にあります。この論文では、ルターからカルヴァンへの流れを辿りながら、労働で得られた対価を蓄積することなく、資本として新事業に再投下することを善とするプロテスタンティズムの禁欲的な行動様式が、資本主義の誕生に繋がったことが説明されています。
ただしこの論においてウェーバーは、マルクスとは違って運命論的な決定史観を持っておらず、プロテスタンティズムも資本主義を成り立たせる複雑な要因の一つとしてみなしており、プロテスタンティズムだけが決定的な要因であったとは考えていなかったようです。僕も、現代の資本主義社会には、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に定式されるわけではないと考えていますが、そこについて考えて行くことにデジタル文化としての価値を感じています。
これから我々の資本主義はどのような方向に向かうのか。マルクスの決定論的な唯物史観で考えていく方法と、文化論的で、そこに多様性や多数のオルタナティヴを認めるウェーバーの方法の、二つの捉え方があり得ると考えられます。いずれにせよ、どのようなバックグラウンドから今の世界を見ていくのかが、そこでは重要になってくると思います。
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PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(後編)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.725 ☆
2016-11-03 18:00※本記事では一部に文字化けが発生していたため、表記を正しく修正した記事を再配信いたします。ご購読者の皆様にはたびたびご迷惑をおかけし、心よりお詫び申し上げます。【11月3日18:00訂正】
落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(後編)【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.11.3 vol.725
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本日は落合陽一さんの『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第3回の後編をお届けします。「人」「機械」「物質」「場」のサイバネティクス的な探求は、多種多様な可能性としての選択肢=「オルタナティヴ」を生み出します。最適化されたモデルを指向する工業化社会とは真逆の、コミュニティと資本の力によって常に更新され続ける、新しい循環構造について論じます。
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▼プロフィール
落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
◎構成:長谷川リョー
『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』これまでの連載はこちらのリンクから。
前回:落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(前編)
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放送日:2016年7月18日
■ プラットフォームという「魔術化」の外部を探究する
前回の記事では、「オルナタティヴ」についての議論を進めてきました。
VRが普及しつつある現在においては、バーチャル(仮想的)/リアル(現実的)よりも、バーチャル(実質的)/マテリアル(物質的)という区分が有効であり、その両極の中間に多種多能な可能性「オルタナティヴ(選択肢)」が生成される。すでに現れつつあるその萌芽も実例としていくつか紹介してきました。
こういったデジタルネイチャー的な世界観においては、理論探究の目標として何を設定するのか、ということが非常に重要になります。
この世界を構成している要素として「人」「機械」「物質」、そして「場」という4つの要素を想定してみましょう。「機械」にはコンピュータに集積されたデータやアルゴリズムの研究も含まれます。「場」はVRイメージをはじめ、光や磁場、音場、電場などが形成するフィールドです。
これらは、それぞれがインターネットに接続されることで、相互的な通信関係にあります。かつてノーバート・ウィーナーは「サイバネティクス」で、制御と通信を基礎とした関係性の理論を打ち立てましたが、現在におけるサイバネティクスは、この4要素間に結ばれる関係性を統一的に把握するための理論として捉え直すことができるでしょう。そして、この4つの要素の機械的分析による探求が多様性や選択性、つまりオルタナティヴを生み出していきます。
ただし、プラットフォーム化が進行した社会においては、こういった探求をエンドユーザーが行うことはありません。なぜならプラットフォームの内部の仕組みはユーザーには不可視であり、結果だけがもたらされる。つまり、テクノロジーの「魔術化」が起こっているからです。
前著『魔法の世紀』では、米国の社会批評家モリス・バーマンの1970年代の著書(『デカルトからベイトソンへ』)にある、「高度化したテクノロジーが世界を再魔術化している」という指摘を紹介しましたが、ここで語られている「魔術化」は、現在においては「プラットフォーム化」と言い換えることができるでしょう。
プラットフォームには、常に新しい機能を内部に取り込もうとする力が働いています。その内圧の外側に、いかに新しいイシュー(問題意識)を置くか。「問題」と「解」を同時に設定することで、プラットフォームの圏域から脱出し、その外部に屹立するトピックを打ち立てる。そのための力の源泉となるのがstate of the art のイノベーションであり、それはアートや文化的な価値を持ちうる。そうやって外部に飛び出したトピックの周辺には、やがて賞味期限が切れて第二のプラットフォームが形成される。
こうした話を『魔法の世紀』では論じていたわけですが、プラットフォームの外部に飛び出し、新たなプラットフォームの母体になる可能性としての選択肢、それこそが、ここでいうオルタナティヴに他ならないわけです。
(参考)
落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第3回 イシュードリブン時代のプラットフォーム論)
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(前編)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.705 ☆
2016-10-06 18:00※本記事では一部に文字化けが発生していたため、表記を正しく修正した記事を再配信いたします。ご購読者の皆様には心よりお詫び申し上げます。今後、同様のことがないよう、編集部一同再発防止に務めてまいります。【10月6日18:00訂正】
落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティックス(前編)【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.10.6 vol.705
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今朝は落合陽一さんの『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』の第3回の前編をお届けします。今回は、60年代にノーバート・ウィーナーが提唱した「サイバネティクス」の思想を、現代のテクノロジー環境に合わせながらアップデート。当時の研究者が予期できなかったインターネットによる大変革を踏まえながら、物質-実質・人間-機械の中間に生成される「新しい選択肢」=オルタナティヴについて論じます。
【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
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▼プロフィール
落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
◎構成:長谷川リョー
『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』これまでの連載はこちらのリンクから。
前回:落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回 デジタルネイチャー時代の『人間機械論』(後編)
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放送日:2016年7月18日
■サイバネティクスが予期できなかったもの
第3回目のテーマは「デジタルネイチャーとサイバネティクス」です。前回まではノーバート・ウィーナーの『人間機械論』 を現代に読み替えながら、人間と機械の関係について論じてきましたが、デジタルネイチャーについての質問が多かったので、改めてこの概念の説明から始めましょう。
僕は1991年から20XX年までを、「ユビキタスコンピューティングの時代」と考えています。生活の中に多くのコンピュータが偏在(ユビキタス)するようになり、それらが背後でインターネットに接続されることで、人々は機械の存在を意識することなくIT技術の恩恵を受けられるようになる。近年、IoT(Internet of Things)と呼ばれ注目を集めている技術ですが、今後はユビキタスコンピューティングの「コンピューティング(comuputing)」の部分、つまり「どのように計算機を使っていくのか」という発想自体が、もっと違う世界観に移行していくのではないでしょうか。
これまで機械をはじめとする人工物は、自然(ネイチャー)とは全く異なった存在とみなされてきました。ところが、コンピュータが世界の全てを認識するようになると、人工と自然のさらにひとつ上位のレイヤーとして、自然・人間・コンピュータ・データを一元的に包括するような生態系を生み出します。それを僕は前著『魔法の世紀』の中で「デジタルネイチャー」と呼びました。
実は、デジタルネイチャーの前には、「コンピュテーショナル・スーパー・ネイチャー(computational super nature)」という呼称を考えていました。直訳すると「計算機による超自然」ですね。より詳しくいえば、「〈自然〉をより上位から俯瞰する計算機によって生み出された〈超自然〉」という意味です。現在は 「コンピュテーショナル」≒「デジタル」という使い方をされることが多いので、「コンピュテーショナル・スーパー」を「デジタル」という表現に集約しましたが、将来的には「デジタル」という言葉も消失し、「ネイチャー」という表現にすべてが回収されていくのではないかと考えています。
それでは前回の続きから始めていきましょう。まずはノーバート・ウィーナーの『人間機械論』のおさらいです。彼が提唱したのは、人間社会におけるあらゆる対象の行動は、「通信」と「制御系」に分けて捉えられるということです。たとえば、人間の腕は神経電位によって脳と繋がっていて、その伝達系統によるビジュアルフィードバックの制御でモノを掴むことを可能にしています。人間や機械に限らず、世の中のあらゆるものが、こうした通信と制御系のモデルで捉えられるのではないか、ということをウィーナーは1960年代に発表し、サイバネティクスという一大分野を築きました。
しかし、サイバネティクスの時代には、インターネットはまだ存在しておらず、それがウィーナーの発想の大きな制約となっていました。
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落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回 デジタルネイチャー時代の『人間機械論』(後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.685 ☆
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落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回 デジタルネイチャー時代の『人間機械論』(後編)
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今朝は『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回の後編をお届けします。今回は、ノーバート・ウィーナーの『人間機械論』をベースに構想するデジタルネイチャーの社会論です。単一のコンピュータが人間を支配するディストピア的な社会観を超えて、各人向けにカスタマイズされたコンピュータを仲介に集合知と繋がる、新しい社会構造の仕組みを考えます。
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落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
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前回:落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回 デジタルネイチャー時代の『人間機械論』(前編)
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放送日:2016年6月28日
◼︎人間知性をコンピュータの知性が補完する新しい協業関係
前編では、「コンピュータが〈人間の補集合〉を作るようになる」というところまで、議論を進めましたが、これは一体どういう意味を持つのでしょうか。
我々の知性には限界があります。一人の人間が知り得る物事は、この世界全体の持っている情報量からすると、あまりにも少なすぎます。しかし、もしAさんが知らないことの全てを代わりにコンピュータが把握してくれるようになれば、それは、Aさんが考えつかないアイディアを提案する装置になっていく。
この〈人間の補集合〉としてのコンピュータは、現実化しつつあります。たとえば、日立製作所はウェアラブル技術で「幸福度を測る装置」を発表していますし、あるいはFacebookが開発していると噂される「自殺しそうな人を特定するシステム」も、(ややディストピア的ではありますが)そのひとつかもしれません。
これらが意味するのは、我々自身について、すでに自分よりもコンピュータの方が詳しくなりつつあるということ、自分の知らないことまでコンピュータが把握しているという状況です。たとえばスマホもそのひとつです。昨日の朝食に何を食べたか、スマホに残っている写真を見て思い出したなら、それはすでにスマホの方が自分に関する記録をより多く持っているということです。
これは、生まれたときからスマホに全情報を蓄積している世代が大きくなったときに、より大きな意味を持つでしょう。誕生以降のすべての記憶をクラウドにバックアップすることで、生涯の全記録をいつでも取り出せるようになる。それは、人間の記憶よりも遥かに巨大な容量のメモリを用いた、過去へと向かうタイムマシンのようなものです。
先日、講演を行ったある中学校では、生徒の全員が21世紀生まれで、99%がスマートフォンを持っていました。彼らが大人になったとき、特定の日時の情報を引っ張り出して、自分がそのとき何をしていたのかを容易に振り返ることが可能になるはずです。
このように、人間と機械が新しい関係の元で対峙したときに、これまでの人類社会ではありえなかった価値観が生み出されつつあります。
たとえばTwitterには、Botと変わらないような行動をしている人間がたくさんいます。特定の有名人に粘着してリプライする、その人の「ツイート検知器」みたいになっている人もいますね。そんな人と、Microsoftが開発した女子高生AIの「りんな」を比べれば、後者の方がはるかに人間的でしょう。これは人間が機械的になり、機械が人間的になりつつある状況の一例だと思います。
もちろん、人工知能の「人格」をいかに定義するかについては、様々な議論があると思いますが、そこで行われている入力された情報に対する処理は、人間並みに複雑になっているはずです。逆にいえば、我々人間も、ある統計的な情報に基いて、言葉や行動の形で情報を出力しているに過ぎない。統計的な情報であれば、コンピュータにも人間と同様に蓄積できるはずです。その出力手段としての「言語」は、確かに複雑な体系を持っていますが、有限個の組み合わせである以上、人格の存在を推測しうるレベルの高度な情報の伝達が、いずれ行えるようになるのではないか。そういうことが明らかになりつつあるのが2016年の世界です。
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落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回 デジタルネイチャー時代の『人間機械論』(前編)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.680 ☆
2016-09-01 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
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落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第2回 デジタルネイチャー時代の『人間機械論』(前編)
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2016.9.1 vol.680
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今朝のメルマガは落合陽一さんの『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』の第2回です。半世紀以上前、サイバネティクスの創始者ノーバート・ウィーナーによって発表された『人間機械論』を2016年の世界に読み替えながら、人間と機械の境界が融けた社会における文化・コミュニケーションを論じていきます。
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落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
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前回:落合陽一『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』 第1回 人間性の脱構築と7つの仮想未来
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放送日:2016年6月28日
◼︎「人間はモデリング可能な機械」と看破したノーバート・ウィーナー
第二回目のテーマは「デジタルネイチャーと魔法の世紀」です。
『魔法の世紀』では、モリス・バーマンの著作『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』(1988年)と、マーク・ワイザーの論文「21世紀のコンピュータ(The Computer for the 21st Century)」(1991年)を下敷きに、世界を読み解きました。
文章中では直裁的には触れてはいませんが、これらの著述には、20世紀前半に活躍した数学者ノーバート・ウィーナーの世界観が大きな影響を与えています。彼の著書『サイバネティクス』では、「人間の行動をどう数理的にモデリングしていくか」「人間は機械として捉えることができるのではないか」という主題が初めて提唱されましたが、それを一般向けに啓蒙しようと著したのが『人間機械論』です。副題には「人間の人間的な利用」と付されていますが、これは『人間機械論』を理解する上で非常に重要なフレーズとなります。
▲ノーバート・ウィーナー(1894年〜1964年)(画像出典)
▲『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』
▲『人間機械論 人間の人間的な利用』
たとえば、工場の流れ作業に従事している人がいるとします。その労働者は、視覚的な認知と筋肉を動かす単純な動作しかしていません。人間には本来、創造的に思考する能力があるのにも関わらずです。この状態は、ともすれば極めて非人間的に映ります。
労働社会において、人間が非人間的に扱われることへの問題提起から始まるのが『人間機械論』です。もちろん、この問いは現代においても当てはまる部分があります。コンビニでアルバイトをしている人が、人間としての能力をフルに使っているかといえば、恐らくそうではないでしょう。
この「人間」の本質を問う価値観は、フランス人権宣言などからも明らかなように、16~17世紀のヨーロッパ世界に端を発しており、その背景には、「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトをはじめとする思想家たちの存在があります。
また、「労働」についても、ヘーゲルからマルクスへと続く社会経済思想の系譜が、いかに富を蓄え再分配するかという資本主義下の社会システムや経済状況を読み解く上で、強い影響力を持ち続けています。
こうした思想史の大前提を押さえた上で、我々がデジタル社会で直面する問題を考える中で避けられないのが、ノーバート・ウィーナーです。工学者でありながら社会批評家としての視点も併せ持ち、社会がどういった仕組みで動いているのかを、文理両面から探求しました。
彼は科学史的には、大学の工学部で必ず習う「フィードバック制御」の概念の提唱者として知られています。これは出力の結果を入力側にもう一度戻す機構のことで、たとえば移動している対象をカメラで捕捉するために、カメラで対象を撮影するだけでなく、その撮影した映像を元にカメラの位置を自動的に調整する。対象から得た情報を出力元に還元するような操作を指します。
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