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「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」創刊編集長・朝比奈耕太に聞く ファッションとライフスタイルの接近(PLANETSアーカイブス)
2019-05-02 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは、「ランドネ」の創刊編集長・朝比奈耕太さんのインタビューをお届けします。近年、レジャーの一環としてアウトドアはすっかり定着し、高機能の登山用ウェアを街中で着ている人たちも珍しくなくなりました。2009〜2010年ごろには「山ガール」という言葉も話題となり、ファッションとアウトドアの垣根はますますなくなりつつあります。今回はそのファッションとアウトドアという2つの「文化」を結びつけ、登山やキャンプ初心者のバイブルとなったアウトドア誌「ランドネ」の創刊編集長である朝比奈耕太さんに、文化としてのアウトドアウェアの歴史を聞いてきました。(取材:小野田弥恵 構成:小野田弥恵、中野慧) ※この記事は2015年6月24日に配信された記事の再配信です。本記事のタイトルに誤記があったため、修正して再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【5月2日22時30分追記】
▲「ランドネ」創刊編集長の朝比奈耕太さん
■ アウトドア不遇の時代だった90年代後半から、「フィールドライフ」の創刊へ
――ランドネは現在に続くアウトドアブームの火付け役だと思うのですが、その創刊を手掛けた朝比奈さんは、そもそもなぜ「女性向けのアウトドア誌」を作ろうと思ったんでしょうか。
朝比奈 僕が最初にアウトドアに興味を持ったのは、もう20年近く前の1997年、シーカヤック(*1)の雑誌を制作したことがきっかけです。取材で奄美大島諸島を一週間かけてシーカヤックで周ったんですが、それはもう震えるほどの体験でした。無人島にテントを設営して、薪を集めたき火をし、海に潜って魚を突いて、じゃんけんで負けたらカヤックを漕いで商店までビールを買いに行く。「こんなに楽しいことがあるんだ」とすごく感動して、それ以来「雑誌の力でもっと多くの人たちをアウトドアに巻き込みたい」と思うようになりました。
その雑誌は休刊となってしまったんですが、他ジャンルの雑誌をつくりつつ、「アウトドア誌を作りたい」と会社にプレゼンをし続けていました。ですがタイミングが悪く、90年代後半から2000年代前半ってアウトドアが下火になった時期だったんです。ショップもメーカーも規模を縮小して、90年代まではたくさんあったアウトドア誌も数えるほどになってしまっていました。
そんなときに「R25」(*2)が2004年に創刊してフリーマガジンのブームが起きたのを見て「同じように広告料だけで無料のアウトドア誌をつくれないか」と思い立って制作したのが、今年で12年目になる「フィールドライフ」です。それから数年後に「ランドネ」を創刊できたのも、この雑誌が支持されたことが大きいですね。
(*1)シーカヤック…カヌーの一種で、シャフトの両端に水をかくパドルがついており、カヌーに比べ小ぶりで小回りの効く艇のことを「カヤック」と呼ぶ。川や湖などフィールドによってタイプが異なり、海で利用するものを「シーカヤック」という。海上散策から数泊に及ぶキャンプツーリングまで、用途に分けて艇の型もさまざま。
(*2)R25…リクルートホールディングスが発行する、25歳以上の男性をターゲットにしたフリーマガジン。2004年7月に創刊し、首都圏の主要駅や都心10区のコンビニ、大手書店などで無料配布されている。同年3月に期間限定配布したところ人気が出たため、創刊に至った。
――「フィールドライフ」といえば、よくショップに置いてある、アウトドアユーザーにはお馴染みのフリーマガジンですよね。
朝比奈 はい。最初は2〜3万部のスタートでしたが、おかげさまで現在は平均10万部ほどを刷って、たくさんのショップに置いてもらっていますね。
▲「フィールドライフ」1号目では、キャンプ、カヤック、クライミングなどを取り上げている
――「フィールドライフ」では、どういう人をターゲットにしていたんですか?
朝比奈 本当の意味での「初心者のユーザー」をターゲットにしていました。エイ出版社は「趣味の雑誌」をキーワードにいろんな雑誌・本をつくっていますが、雑誌を買ってくれるのってその趣味にエントリーしてから1〜2年目の人たち、つまり「初級〜中級者」が多いんですよ。始めようか迷っている本当の初心者の人たちは、数百円出してまで有料の雑誌を買わない。でも「フィールドライフ」は無料にすることで、逆に初心者に向けてつくることができたんですね。
――なるほど、それまでアウトドア誌では「初心者向け」のものが作りづらかったんですね。
朝比奈 それともうひとつ「フィールドライフ」が良かったのは、広告費さえ集まれば好きなように特集を組めることでした。山の雑誌って普通は「初夏に北アルプス特集をして、秋前に八ヶ岳の特集をする」というように季節ごとの制約があるんですが、そういった縛りがないので自由に遊び方を提案することができたんですね。
■ アウトドア人口拡大のカギは「女性」
朝比奈 僕が「フィールドライフ」で目指していたのは「アウトドア人口の拡大」でした。でも、どうしても越えられない壁として「女性ユーザーが増えない」ということがありました。自然のなかには虫もいるし、お風呂に入れないし、日焼けもするし、トイレだって不自由しますし、それらを解決する術(すべ)は基本的にないわけです。
ただ、そのハードルさえクリアすればもっともっと楽しいことが待っている――そのことを伝えたかった。そこで女性をイメージキャラクターにして表紙に登場してもらい、2年間色んなフィールドでアウトドアを経験し、どんどんスキルアップしていく姿を紹介していきました。1年目は国井律子さんに、その次はモデルのKIKIさんに登場してもらいました。そうやって地道にやっていけば女性のアウトドア好きも増える……と思っていたんですが、でもなかなか右肩上がりというわけにはいきませんでしたね。ようやく変化が見られるようになったのは2007年ぐらいのことです。
▲アイコンとなる女性モデルはあらゆるアウトドアをおよそ2年かけて経験し、成長して、次世代へ交代していく
――それは、どんなきっかけだったんでしょうか?
朝比奈 アウトドア業界にも、自動車業界でいうところの「モーターショー」のような国際規模のショーがあるんですが、そこで2007年ぐらいに急に女性向けのアウトドアブランドやラインが一斉に増え出したんです。カラーリングも彩り豊かになり、機能の面でも、バックパックなら女性のバストを締め付けない構造のストラップが登場したり、ウエアならウエスト部分を細く、ヒップ部分に余裕を持たせるような女性の身体を考慮したものが目立つようになりました。
それまでの女性用アウトドアギアって、男性市場のおまけくらいの位置づけで、ウエアも男性用のダウンサイジング版でしかなかったんです。もともと北米やヨーロッパって、日本に比べると女性のアウトドア人口は多かったんですけど、この時期から明らかに女性市場を拡大しようとする動きが起きていましたね。
■ 「山スカート」の誕生(2006年頃)
――この時期に女性市場を開拓する動きが出てきたのはなぜなんでしょうか。
朝比奈 ひと昔前に流行っていた「LOHAS(ロハス)」の一環で、健康的な生活をするべく公園でヨガをしたり、森のなかをハイキングしたりする女性が急増したのを受けて、2005〜2006年ごろからアウトドアメーカーが動き出したんだと思います。
この動きに気づいてすぐ、アウトドアメーカーの人たちに「来季はもう少し女性向けのウェアを拡大できないか?」と言って回ったんですが、その時期はまだ「売り場にスペースがないから……」と断られてしまうことが多かったですね。
そうこうしているうちに、「クラウドベイル」というブランドの来季商品にランニング用スカートが出ているのを発見して、「このスカートで山登りをしてみるのはどうだろう」と思ったんです。
――数年後に、「山ガール」と呼ばれる女性たちが高尾山などでこぞって履くようになった「山スカート」の原型ですね。
朝比奈 他ブランドでも似たようなものはいくつかありましたが、当初は山専用ではなかったと思います。初めはなかなか受け入れられませんでしたね。誰に話しても反応は良くなかったし、結局女性用の商品が広く市場に出始めたのはそれから2年後のことでした。
――以前取材したスポーツ/アウトドアショップのオッシュマンズの角田さんも、ランスカートについて「最初は全然受け入れられなかった」とおっしゃっていました。今ではすっかり当たり前になりましたが、「山スカート」も同様だったんですね。
▲のちにランドネで紹介されるようになった山スカート。カラフルなタイツと組み合わせる
■「アウタージャケットを1week着回し!」参考にしたのは女性ファッション誌
――そんな空気のなかで朝比奈さんは2009年に「ランドネ」を創刊したわけですが、どうやってそこまで漕ぎ着けたんでしょうか?
朝比奈 2008年に「フィールドライフ」の書店売り版としてアウトドアギアのカタログ号を作って、そのなかで「Out Girls」という企画を綴じ込みでやったんです。友人の編集者・福瀧智子さんが「女性向けのアウトドア誌を作りたい」と提案してくれていたのを受けて作ったものです。これが好評だったので、ようやく会社で企画が通って、女性向けのアウトドア誌として「ランドネ」を創刊することになりました。
▲ランドネの原型は、フィールドライフの綴じ込み企画だった
――雑誌の当初のコンセプトはどういうものだったんでしょうか?
朝比奈 朝比奈 ショッピングや美味しいものを食べに行くのと同じくらいの感覚で、ピクニックやキャンプに行ってくれたらいいなと思っていて、女の子を振り向かせる手法としてカラフルな「アウトドアファッション」を取り上げました。
僕個人は実践的なアウトドアが好みなので「格好から入るというのはどうなんだろう」という思いはありつつ、でもファッションがきっかけで自然の中で遊ぶ魅力に気づく人が増えてくれたらいいなと。だから当初の「ランドネ」はあえてアウトドア誌らしい作り方はしていなくて、当時人気のあった女性ファッション誌を研究して参考にしていましたね。 記事ではウエアを中心に紹介しつつ、コスメについても扱ったり、登山のみでなくあらゆるアクティビティを広く紹介したりして、今までにない広がりのあるアウトドア誌になっていたと思います。
――女性ファッション誌の作り方というのは、たとえばどういう部分を参考にしたんでしょうか?
朝比奈 「一週間の着回しをアウトドアウエアをベースに紹介する」というようなものです。中心は「街のアウトドアファッション」的なものでした。
▲女性ファッション誌ではよく見かける「1週間着回しコーデ特集」。”アウトドアウエアでハイキング”は、休日のお楽しみという位置づけになっている
――「アウトドアウエアを日常着としても活用しよう」という提案なわけですよね。
朝比奈 やっぱり「日常着でも使えるよ」ということをどうしてもアピールしないといけなかったんです。例えば登山の必須道具であるレインウエアは、高価なものだと5万円以上します。その値段だと購入までのハードルが高くなってしまう。だから、「日常使いもできます」というアピールが重要だったんですね。
■ 野外フェスから高尾山へ、そしてさらなる高みへ
朝比奈 それと初期の「ランドネ」の特徴のひとつに、さっき言った「山スカート」の提案があると思います。この頃にはメーカーさんも「女性のアウトドアブームの機運も高まっていますし、今度こそやりましょう」という流れになっていて、すんなり受け入れてもらうことができました。
僕達が最初に提案したのは、クライミングの聖地であるカリフォルニアのヨセミテで、80年代にクライマーたちの間で流行ったファッションでした。スカートやショートパンツに柄物のタイツを組み合わせた派手でクラシックなスタイルです。
▲サイケデリックなタイツを、スカートやショートパンツに合わせる
▲80年代のカリフォルニアのクライマースタイル。ヴィヴィッドカラーが眩しい。(40 Years of American Rock - Climbing | Climbing より)
――原色使いで、カラフルですね。女性としては、これを着て気分を上げたい気持ちがよくわかります。いつもの通勤服では地味に抑えている分、休みの日に自然のなかにいくなら、こういう色鮮やかな装いで気分を上げたいですよね。
朝比奈 当時の登山の世界ではこんなに派手な格好をする人はいなかったし、山のなかでおしゃれをするという発想自体が「あり得ない」ものでした。ただ、ウエアのデザインが派手なこと自体は悪いことではないんです。万が一遭難したとき、ウエアが派手なほうが発見されやすい。……という大義名分のもと、当時のランドネでは「カラフルな色の組み合わせでかわいくオシャレに登山を楽しもう」ということを提案していました。街のなかだと人目が気になるけど、山のなかでなら一層映えるし、何より「派手であればあるほど安全」という大義名分が背中を押してくれて、胸を張ってカラフルな格好ができるわけです。
▲「街中では人目が気になるけど、山中でなら…」という思い切りと、「派手なほうがリスク管理につながる」という大義名分が後押しする
――初期のランドネには、野外フェスのレポートも多いですよね。
朝比奈 朝比奈 ランドネが創刊した2009年ごろは、すでに野外フェスブームでした。音楽だけを楽しむのではなくて、よりアウトドア志向の、キャンプを伴ったかたちで行うフェスがある程度の市民権を得た時期ですね。
野外フェスでは雨具が必要だから、レインジャケットを購入する女性も多いし、バーナーやテントを購入する人もいる。これらはすべて登山でも活用できるものばかり。だから「山でも使ってみようよ」という提案ができる。そのため、当初はフェスの特集にもかなり力を入れてやっていました。
そうやってフェスに参加していた女性が、今度は一気に高尾山へ押し寄せた、という感じではないかなと思っています。つまり山に入った女性の第一波は、野外フェスですでにギアを揃えた人たち。第二波で、純粋に登山がしたくてウエアを購入した、という女性が入ってきたんだと思います。
▲野外フェスでも、登山でも、はじけるようにカラフルな装いが目立つ
――今見ると、彼女たちの装いは「森ガール」にも近い気がしますね。
朝比奈 「〜ガール」というのが流行ったのは2008年ごろからで、「山ガール」と言われだしたのもこのころです。
――「山ガール」という言葉を最初に使ったのは、やはりランドネなんですか?
朝比奈 いえ、ランドネでは一度も「山ガール」という言葉を使ってないんですよ。やっぱり流行り言葉になってしまうと消費スピードも早くなってしまいます。一過性のブームで終わらせたくはなかったんです。
■ ブーム定着後のネクストステップ――登山情報のニーズの高まり
――野外フェスを通じて登山を始めたり、アウトドアファッションを通じて登山を始めたりした女性は、どんな人たちだったんでしょうか。
朝比奈 普段は運動をまったくしない「文化系」の子たちが圧倒的に多かったですね。もともと運動が好きな子は自分でどんどん開拓していってしまいますから。あと、登山はウエアやギアを揃え、さらに交通費や宿泊費も含めるとどうしてもお金がかかるので、働いていて自分である程度自由にお金を使える、20代後半から40代前半の方が多かったですね。これは創刊から今も変わらない傾向です。
――20代後半以降なんですね。やっぱり、20歳すぎの女子大生くらいだと、なかなか山に登るところまでは行かないですよね。
朝比奈 アウトドアは街のなかで遊ぶことに飽きてきたころになってやっと「楽しいな」と思えるものなので、20代前半ぐらいだとまだその魅力に気づきにくいのかもしれません。
――メインの読者はやっぱり都市部に住んでいる方が多いんでしょうか?
朝比奈 最も多いのは関東近郊で、あとは大阪などの都市圏が中心です。大型書店があることも大きいと思いますが、そもそも山の近くに住んでいる人たちは外遊びを欲しないというのもありますね。実際、山が好きで麓に移住した人も、案外山に行かなくなっちゃうんですよ。ないものねだりというか、都会で仕事をしていてストレスを感じれば自然が恋しくなるし、その逆もまた然りなんでしょうね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング ――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか (アウトドアカルチャーサイト「Akimama」 滝沢守生インタビュー・後編)(PLANETSアーカイブス)
2018-08-06 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは、アウトドア情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんのインタビューの後編です。フェス以降のアウトドアブームの背景にある「コト」消費の思想。さらに、クライミングやBBQといった新しいアウトドアカルチャーがもたらす可能性について考えます。 ※この記事は2016年6月14日に配信した記事の再配信です。 前編はこちらのリンクから。
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(写真:編集部)
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
■フェスのユーザーマッピングと、ブームのゆくえ
――いまの日本の各フェスのユーザー層は、それぞれどう色付けできるでしょうか。
滝沢 出演しているアーティストにかなり依存してますよね。フジロックに行く層は、洋楽好きなロック層ですからちょっと世代は上がりますし、J-POPを聞いているような若い子たちはなかなか参加しづらいかもしれません。
千葉と大阪で日替わりで開催されているSUMMER SONICは、洋楽も邦楽もメジャーアーティストのおいしいとこ取りができて、しかも都市型。日本で最もユーザーの年齢層の幅が広いフェスだと思います。ただ、会場の半分は屋内ですからインドアです。逆に言えば装備がいらないから参加しやすいんですね。
それと、洋楽は知らないけど日本人アーティストが好きな若い子たちが一番入って行きやすいのは、茨城県のひたちなか海浜公園で開催されているROCK IN JAPAN FESTIVALですね。日本人アーティストのみのラインナップで、天候もフジロックのように荒れることが少ないので装備もほとんど要らず、トイレ等の設備も整っているので敷居が低い。参加者も、どちらかというと街場のライブにも行くような子たちですね。他にも、中小規模のフェスはどんどん増えています。
――そうして成熟してきたフェスブームは今、もしかしたら曲がり角にきているのかなと思ったのですが。
滝沢 ええ、来ていると思いますね。イベントはすでに飽和状態で、特色を出せなければ淘汰されていくと思います。成功例でいえば「GO OUT JAMBOREE」などでしょうね。ここでやっているのはキャンプインに特化した、おしゃれキャンパーフェスというものです。買い物をメインにしつつ、ラインナップは多くはありませんが、今のフェスの中心にいるような旬なアーティストをブッキングしています。
昔は「夏フェス」と呼ばれていましたが、実は今、夏にやるイベントってそれほど多くなくて、それよりも、春や秋の方が多いんです。3月から11月の終わりまで、至るところでフェスをやっていますね。
地方フェスの場合は、全国的な知名度はないけれど地域でちょっと有名な先輩バンドをいっぱい呼んで、自治体とも組んで「地域のお祭り」へと押し上げようとしています。イベントは収支がないと立ち行かないものですが、それだけを追いかけていてもダメで、身の丈にあった規模で、町興しの側面にも気を配りながら時間をかけてファンを作っていくようなイベントは残っていくでしょうね。
野外フェスは、登山、カヌーなどのアウトドアアクティビティのいちジャンルとしてすでに定着したと思います。一方で、フェスがこれからどれだけ淘汰されるかはわかりません。フジロックだってなくなるかもしれない。けれど、フジロックがなくなったとしても、夏のアウトドアのイベントとして、これからもフェスは供給され続けていくと思います。
――アウトドア全般におけるユーザー層もどんどん変化していますよね。登山でも、以前に比べて親子連れをよく見かけるようになったし、フジロックでもファミリー層がぐっと増えてきています。
滝沢 フジロックは今年で20周年になるので、20年前に二十歳だった人はもう今は40歳。そうなると小学生くらいの子がいてもおかしくない世代だから、そろそろ「じゃあみんなでフジロックに行ってみようか」ということが当たり前に起きる。フェスとファンが一緒に成長して、次世代につながっていく。実は親子3世代で来ている人もいたりして、これは他のフェスでは見られない現象ですね。
――家族の恒例行事というか、まるで冠婚葬祭のようなものになり始めていると。
滝沢 やっぱり、フェスは新しい「お祭り」の形なのかな、と思います。フジロックがあと10年〜20年続けば、もっとトラディショナルなお祭りになる気もしますね。ただ、「アウトドアは不況のときに流行る」とよく言われるので、時代の流れ次第でどう変化していくかはまだまだわかりません。
▲フジロックのメインステージである「グリーンステージ」(写真:sumi☆photo)
――ちなみにフェスの新たな動きといえば、2015年にお台場で開催され3日で9万人を動員した「ULTRA JAPAN」のような試みもありますよね。
滝沢 今は世界的にEDMブームですから、遅かれ早かれああいった流れは日本にも必ず来ると思っていましたし、「ULTRA」のような音楽イベントは今後もっと大きくなる可能性はあると思います。ただ、EDMフェスは「踊る」という機能に特化したもので、そこにはアウトドア的なペーソスがもともとないですから、EDMとアウトドアが結びつく可能性は低いんじゃないかな、と思います。
――なるほど。当初、アウトドアと音楽という2つのジャンルが「フェス」という旗印のもとに合流することで大きなムーヴメントになっていったと思うのですが、その2つが今また分かれようとしている――「ULTRA」のようなEDMフェスの隆盛は、そのことを象徴しているのかもしれないですね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.617 ☆
2016-06-14 07:00550ptチャンネル会員の皆様へお知らせ
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.6.14 vol.617
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガでは、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんへのインタビュー後編をお届けします。前編のテーマは「アウトドアと音楽フェスの歴史」でしたが、今回は「フェス以降」のアウトドアがどうなっていくのかについて、さらに深掘りして伺いました。
前編はこちらのリンクから。
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(写真:編集部)
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
■フェスのユーザーマッピングと、ブームのゆくえ
――いまの日本の各フェスのユーザー層は、それぞれどう色付けできるでしょうか。
滝沢 出演しているアーティストにかなり依存してますよね。フジロックに行く層は、洋楽好きなロック層ですからちょっと世代は上がりますし、J-POPを聞いているような若い子たちはなかなか参加しづらいかもしれません。
千葉と大阪で日替わりで開催されているSUMMER SONICは、洋楽も邦楽もメジャーアーティストのおいしいとこ取りができて、しかも都市型。日本で最もユーザーの年齢層の幅が広いフェスだと思います。ただ、会場の半分は屋内ですからインドアです。逆に言えば装備がいらないから参加しやすいんですね。
それと、洋楽は知らないけど日本人アーティストが好きな若い子たちが一番入って行きやすいのは、茨城県のひたちなか海浜公園で開催されているROCK IN JAPAN FESTIVALですね。日本人アーティストのみのラインナップで、天候もフジロックのように荒れることが少ないので装備もほとんど要らず、トイレ等の設備も整っているので敷居が低い。参加者も、どちらかというと街場のライブにも行くような子たちですね。他にも、中小規模のフェスはどんどん増えています。
――そうして成熟してきたフェスブームは今、もしかしたら曲がり角にきているのかなと思ったのですが。
滝沢 ええ、来ていると思いますね。イベントはすでに飽和状態で、特色を出せなければ淘汰されていくと思います。成功例でいえば「GO OUT JAMBOREE」などでしょうね。ここでやっているのはキャンプインに特化した、おしゃれキャンパーフェスというものです。買い物をメインにしつつ、ラインナップは多くはありませんが、今のフェスの中心にいるような旬なアーティストをブッキングしています。
昔は「夏フェス」と呼ばれていましたが、実は今、夏にやるイベントってそれほど多くなくて、それよりも、春や秋の方が多いんです。3月から11月の終わりまで、至るところでフェスをやっていますね。
地方フェスの場合は、全国的な知名度はないけれど地域でちょっと有名な先輩バンドをいっぱい呼んで、自治体とも組んで「地域のお祭り」へと押し上げようとしています。イベントは収支がないと立ち行かないものですが、それだけを追いかけていてもダメで、身の丈にあった規模で、町興しの側面にも気を配りながら時間をかけてファンを作っていくようなイベントは残っていくでしょうね。
野外フェスは、登山、カヌーなどのアウトドアアクティビティのいちジャンルとしてすでに定着したと思います。一方で、フェスがこれからどれだけ淘汰されるかはわかりません。フジロックだってなくなるかもしれない。けれど、フジロックがなくなったとしても、夏のアウトドアのイベントとして、これからもフェスは供給され続けていくと思います。
――アウトドア全般におけるユーザー層もどんどん変化していますよね。登山でも、以前に比べて親子連れをよく見かけるようになったし、フジロックでもファミリー層がぐっと増えてきています。
滝沢 フジロックは今年で20周年になるので、20年前に二十歳だった人はもう今は40歳。そうなると小学生くらいの子がいてもおかしくない世代だから、そろそろ「じゃあみんなでフジロックに行ってみようか」ということが当たり前に起きる。フェスとファンが一緒に成長して、次世代につながっていく。実は親子3世代で来ている人もいたりして、これは他のフェスでは見られない現象ですね。
――家族の恒例行事というか、まるで冠婚葬祭のようなものになり始めていると。
滝沢 やっぱり、フェスは新しい「お祭り」の形なのかな、と思います。フジロックがあと10年〜20年続けば、もっとトラディショナルなお祭りになる気もしますね。ただ、「アウトドアは不況のときに流行る」とよく言われるので、時代の流れ次第でどう変化していくかはまだまだわかりません。
▲フジロックのメインステージである「グリーンステージ」(写真:sumi☆photo)
――ちなみにフェスの新たな動きといえば、2015年にお台場で開催され3日で9万人を動員した「ULTRA JAPAN」のような試みもありますよね。
滝沢 今は世界的にEDMブームですから、遅かれ早かれああいった流れは日本にも必ず来ると思っていましたし、「ULTRA」のような音楽イベントは今後もっと大きくなる可能性はあると思います。ただ、EDMフェスは「踊る」という機能に特化したもので、そこにはアウトドア的なペーソスがもともとないですから、EDMとアウトドアが結びつく可能性は低いんじゃないかな、と思います。
――なるほど。当初、アウトドアと音楽という2つのジャンルが「フェス」という旗印のもとに合流することで大きなムーヴメントになっていったと思うのですが、その2つが今また分かれようとしている――「ULTRA」のようなEDMフェスの隆盛は、そのことを象徴しているのかもしれないですね。
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.595 ☆
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音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.5.19 vol.595
http://wakusei2nd.com
これまでPLANETSメルマガでは、スポーツ・アウトドア・ファッション・ライフスタイルが渾然一体となった新たなカルチャーの輪郭を描き出すべく、いくつかの記事を不定期で配信してきました。今回は、1970年代〜現在までのアウトドアの歴史を「野外音楽フェス」を軸に紐解いていこうと、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにお話を伺いました。
《これまでの本シリーズのダイジェスト》
近年、都市住民を中心としてランニングやヨガやフリークライミング(ボルダリング)、登山などのアウトドア・アクティビティを生活やレジャーに取り入れる動きが活発化しています。かつてはスポーツといえば学校の球技系部活が中心となっていましたが、個人でも取り組めて、かつ「競う」のではなく「楽しむ」趣味の一貫として、または運動不足に悩むデスクワーカーたちが健康維持のために行うものとしてのスポーツが存在感を増しています。水面下で起こっているこの巨大な変化を私たちはどう捉えればいいのだろう――そんな問題意識から、このシリーズはスタートしました。
最初にPLANETS編集部は、「ライフスタイル化するスポーツとアウトドア」の様々なギアをパッケージングして販売し、好評を博しているスポーツセレクトショップ「オッシュマンズ」の営業計画・販売促進担当マネージャー・角田浩紀さんにお話を伺うことにしました。
都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
角田さんによれば、「今の東京の都市生活者たちのライフスタイル・スポーツの文化は、アメリカの東海岸と西海岸の文化を融合させた独自のものだ」とのこと。さらに、アウトドアウェアのような機能性の高い服を日常着として着る文化はアメリカ発であるものの、そこにさらに「ファッションとしての文脈」を加えたのは、80年代の日本のファッション業界だったようです。
そこで今度は、アウトドア&スポーツウェアが日常着として日本社会で受容された経緯について「ファッション」の側から明らかにすべく、BEAMSの中田慎介さんにお話を伺いました。
「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
中田さんによれば、カウンターカルチャー全盛の60年代アメリカでは、スーツをはじめとしたビジネススタイルへの反発からワークウェアがヒッピーたちの支持を得た、とのことでした。「文脈の読み替え」として、機能的な服がファッション文化において意味を持つようになったのでした。
さらに、アウトドアウェアの日本受容が進むなかで、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上で「ファッションアイテム的なモノ」として位置付けられたことが、文化の拡大において大きな役割を果たしたそうです。
一方で、純粋なアクティビティとしての「アウトドア」の側面からは、現在までの状況をどう捉えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。そこで今度は、アウトドア誌「ランドネ」(エイ出版社刊)の朝比奈耕太編集長にお話を伺いました。
「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近
かつては男性の趣味と思われていたアウトドアが女性に人気となり、メディア上で「山ガール」と名付けられ話題になったのは2009〜2010年ごろのこと。もともと運動に無縁の「文化系女子」たちがカラフルなウェアに身を包み、続々とアウトドアに参入していくようになりました。その結果、昔ながらの登山者たちとの対立構図なども生まれつつ、アウトドア・アクティビティの楽しみ方は多様性を増していっている、とのことでした。
ここまで3人の方に取材を重ね、なかでもオッシュマンズの角田さん、「ランドネ」の朝比奈さんが口を揃えて語っていたのは「アウトドアブームの拡大にはフジロックが大きな役割を果たした」ということでした。
そもそも「文化系」のものである音楽フェスがきっかけとなってアウトドアへの入口が大きく開いたとすると、「フェスを中心としたアウトドアの歴史」も描くことができるのではないか。そんな関心から、今回は音楽フェスからアウトドアまで幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにインタビューをお願いすることにしました。
*
『Akimama』は、フェスや登山、キャンプなど、アウトドアに関する情報を網羅するウェブメディアとして2013年よりスタートしました。運営は、これまで20年以上アウトドア業界に携わってきた編集者、ライター、カメラマンなど、その道のエキスパートたちによって行われています。自らの視点と自らの足で入手した一次情報をいち早くニュースとして配信、ビギナーからベテランまで幅広いアウトドアユーザーに、オンリーワンな情報ツールとして親しまれています。
サイトを立ち上げた代表の滝沢さんは、山岳専門誌を出版する「山と溪谷社」に勤務、その間、1976年に創刊された月刊誌『Outdoor』にて6年間編集デスクを務め、その後、独立。これまで数多くのアウトドアメディアに携わるだけでなく、フジロックのキャンプサイトの運営責任者を10年務めるなど、野外イベントの制作・運営などもを行うアウトドア業界の第一任者として広く活躍されています。そこで、アウトドアカルチャーの歴史と変遷を熟知する滝沢さんに、1970年代に日本にはじめて到来したアウトドアムーヴメントから2000年代のフェスの隆盛までを振り返っていただきながら、これからのフェスやキャンプ、アウトドアブームはどう変化していくのかについて、お話を伺いました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
■思想と分離された70年代のアウトドアファッション
――『Akimama』は、アウトドアのなかでは気軽なフェスから、登山、クライミング、バックカントリー、女子も気になる “アウトドアごはん”に“ファッション”など、アウトドアカルチャー全体の旬な情報を発信していますよね。「なんとなくアウトドアに興味がある」という人でもとっつきやすい一方で、山岳ガイドや専門店のスタッフによる寄稿など、読み応えのある記事も多い充実したメディアだと感じています。
滝沢 ありがとうございます。もともとは、僕がアウトドア雑誌で編集をしていたときから一緒に仕事をしていた仲間のライターやカメラマンらと「ウェブで自分たちのアウトドアのメディアを作れないか」とよく話していたのがきっかけです。「出版不況だし、紙ではなく、自分たちの拾ってきたリアルな情報をニュースとして伝えるウエブメディアを作ってみよう」というようなノリで始めました。
誰もやっていないことをやりたかったので、今のところは非常に手応えを感じています。ただ、しっかりとお金を使って綺麗なデザインにしたり、SEO対策をしたりと、ウェブの世界で常套手段とされているようなことは、まだまだあんまりできていないんです。月に2回、編集会議と称して勉強会のような形で、いろいろな専門家の方を招き、サイトについての意見を聞きながら、ちょっとずつ自分たちも学びながらやっています。今も試行錯誤中、という感じですね。
――今日は「フェスを中心としたアウトドアの歴史」をテーマにお話を伺っていきたいのですが、まず滝沢さんが長年アウトドアメディアに携わってきたなかで、ご自身の印象としてアウトドア誌が最も盛んだったのはいつごろなんでしょう?
滝沢 雑誌『Outdoor』(山と溪谷社刊)が創刊されたのが1976年、『BE-PAL』(小学館刊)は81年ですから、70年後半から80年ぐらいが、日本のアウトドアの草創期ではないでしょうか。そもそも日本のアウトドアって1970年代のアメリカ西海岸のライフスタイルやグッズを紹介した『Made In USA Catalog』(マガジンハウス刊)の刊行をきっかけに、アウトドアグッズを組み合わせたファッションスタイル「ヘビーデューティー」の流行、つまりファッションの輸入によってもたらされたものなんです。
当時のカリフォルニアはカウンターカルチャーの絶頂期でした。もともと、1950~1960年代中盤のアメリカ西海岸では、ビートジェネレーションを背景に、資本主義やベトナム戦争に異を唱える学生や反体制運動家によって自然回帰を求める「バックパッキング革命」が起こっていました。東海岸のエスタブリッシュな人間が、自然への回帰やエコロジーの思想を求め、バックパックに荷物を詰めて都市から荒野へ旅に出よう、というものです。そういった思想を背景に広がったのがアメリカのアウトドアムーヴメントだったんです。
しかし1970年代に日本に輸入されたのは、アウトドアのなかのファッションやギアのみで、思想は二の次、ともいうべきものでした。アウトドアのアイテムは、当初は「新しいファッションアイテム」という側面が注目されたんですね。一方で、フライ・フィッシングやバックパッキングなどの目新しいアクティビティは、輸入されると同時に、スタイルとともに、その思想もしだいに広まっていきました。
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(撮影:編集部)
■日本の元祖山ガールは、戦前の女学校登山?
――日本におけるアウトドア文化の受容の初期段階において、「ファッション」の部分が先行していたわけですね。独特でとても面白い現象のように思います。そもそも70年代まで、「アウトドア」という言葉は日本にはなかったということなんでしょうか?
滝沢 そうですね。1978年に出版された子ども用のキャンプ読本などを読んでも、「アウトドア」の「ア」の字も出ていないんですよ。ただ、「アウトドア」という言葉がなくても、すでに行為そのものは成立していました。今でこそ、山に登る女性を「山ガール」と呼んだりしてちょっと特別な現象のように言いますけど、実はそのルーツは戦前の「高等女学校【1】」なんですよ。今でも地方の学校で、年に一度、“学校登山”を行事として行っている学校もありますが、あれはもともと戦前の女学校でちょっとしたブームになって定着したものなんです。
【1】高等女学校:戦前の日本で、女子に対して中等教育(現在の日本の学校制度における中学校・高等学校の教育課程)を行っていた教育機関。主に12〜17歳の5年間を修業年限としていた学校が多い。
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