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記事 39件
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル1995→2010 最終回 2020年代の連続ドラマ(後編)

    2020-04-08 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。最終回の後編では、2010年以降のテレビドラマの状況を総括します。NetflixやHuluにともなうグローバル化の進展や、作家主義の衰退、多文化主義の影響によって抜本的な変化を迫られている日本のテレビドラマ。その文化的遺産をいかに継承するかを考えます。
     ここで改めて2010年のテレビドラマについて振り返っておきたい。 この年、朝ドラでは『ゲゲゲの女房』、大河ドラマでは『龍馬伝』というNHKを代表する二大コンテンツの方向性を大きく変える作品が登場した。 一方、深夜ドラマでは『モテキ』と『マジすか学園』(ともにテレビ東京系)が登場。 2010年代はNHKドラマと深夜ドラマの時代だったが、その先駆けとなる作品はこの年にすでに出揃っていたのだ。
     大根仁が全話の脚本と演出を担当した『モテキ』は、作家性の強い連続ドラマとして高く評価され、福田雄一、山下敦弘、深田晃司といった力のある映画監督がテレビドラマの演出を全話手掛ける流れの先陣を切ったと言えるだろう。 一方、AKB48のメンバーが総出演した『マジすか学園』は、グループアイドルを売り出すためのショーケース的なドラマで、“たば(束)ドラマ”とでも言うようなドラマの走りとなった作品である。 この『マジすか学園』の手法をより発展させたのが、ダンス&ボーカルグループ・EXILEが所属する芸能事務所LDHが、テレビ・映画・ライブといった複数のメディアをまたいだ総合エンターテイメントプロジェクトとしてスタートした『HiGH&LOW』シリーズだ。 全員主役と銘打ち、複数の物語を同時進行していく『HiGH&LOW』シリーズは、芸能事務所主導の企画だからこそ生まれた作品だ。ファン向けのノベルティグッズであることを逆手にとった本作は、作り手がやりたいことをやり切った作品で、その結果として『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』のようなロボットアニメ、あるいは冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』(集英社)のようなバトル漫画に対する、実写ドラマからの返答となっていた。面白いのは、それが結果的に『ゲーム・オブ・スローンズ』のような、国内では作ることが難しい大規模な海外ドラマに拮抗した表現となっていたことだろう。 芸能事務所主導ゆえに、役者を魅力的に見せたり、派手なアクションを撮る意識が先行していて、既存のテレビドラマと比べたときに、脚本、演出の面においてチグハグだという欠点はあるものの、それを補って余りある華やかさがあり、貧乏くさい日本のドラマコンテンツの中で、ビジュアルとアクションにおいては突出している。 今後、AKBグループやジャニーズ事務所といった大手芸能事務所主導の企画から『HiGH&LOW』のような企画が生まれれば、また状況は活性化するのではないかと思う。
     この全員主役(もしくは主役不在)の群像劇の“たばドラマ”の対となるのが、2012年にシーズン1が放送された『孤独のグルメ』(テレビ東京系)だ。 個人で輸入雑貨商を営む中年男性・井之頭五郎(松重豊)が仕事の合間に立ち寄った飲食店で、料理を食べながら料理の感想をモノローグで延々とつぶやく姿を描いた本作は、後に多くのフォロワーを生み出し、グルメドラマというジャンルを深夜ドラマに定着させた。 近年はその方法論を発展させた、サウナを舞台にした『サ道』や、キャンプを題材にした『ひとりキャンプで食って寝る』『ゆるキャン△』といった、グルメドラマの手法を使った他ジャンルの作品も生まれており、バラエティとドラマの中間のような作品を生み出している。印象としてはYouTubeなどに上がっている、一人で黙々と何かをやる姿を見せる実況動画に近い。 これらの作品が面白いのは、サウナやキャンプといった趣味の世界を覗き見できることもさることながら、「一人遊び」で自己充足することを肯定的に描いていることだろう。『孤独のグルメ』における“孤独”の部分に重点がおかれている、つまり、“たばドラマ”に対する“ぼっちドラマ”とでも言うような作品で、こういった今までにない斬新な手法のドラマを、力のある映像作家が手掛けることで、深夜ドラマは発展してきたのだ。
     対して2010年の民放プライムタイムのドラマでは、宮藤官九郎脚本の『うぬぼれ刑事』(TBS系)、木皿泉脚本の『Q10』(日本テレビ系)といった、00年代を代表する脚本家の集大成的な作品が発表された。また、木村拓哉主演のドラマでありながら、平均視聴率が20%台を切った月9ドラマ『月の恋人~Moon Lovers~』(フジテレビ系)が放送される。 その一方で、坂元裕二の新境地となる『Mother』(ともに日本テレビ系)のような、2010年代を牽引する作家の方向性を決める意欲作も登場。 『逃げるは恥だが役に立つ』や『アンナチュラル』(ともにTBS系)といった作品で2010年代を代表することになる脚本家・野木亜紀子が、フジテレビのヤングシナリオ大賞受賞作『さよなら、ロビンソンクルーソー』で脚本家デビューを果たすのもこの年だ。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 最終回 2020年代の連続ドラマ(前編)

    2020-03-05 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。最終回の前編となる今回は、本連載が辿ってきた、平成のテレビドラマ史を総括します。世相の移り変わりやメディア環境の変化の中で発達してきた日本のテレビドラマ。その黄金時代とも呼べる15年間の過程と到達点について改めて考察します。
     あと2回でこの連載は終わるのだが、最後に改めてこの連載の趣旨と2010年代のテレビドラマ総括。そして2020年代のテレビドラマ、もとい配信も含めた総体としての連続ドラマがどのような方向へと向かうのかについて、まとめておきたい。
     まず、この連載は「95年から2010年にかけてのテレビドラマについて書かないか?」という依頼からスタートしたと記憶している。
     その際に、筆者が考えたのは、2013年に出版した『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)で、あまり触れることができなかった脚本家や演出家について言及し「この時代(今、考えればそれは平成のテレビドラマ史を振り返ることとイコールだったと言える)のテレビドラマで何が起きていたのか?」を検証することだった その時に、まず書いておきたいと思ったのが脚本家・野島伸司である。
     野島伸司は90~95年を象徴する脚本家であると同時に、企画として参加した『家なき子』(日本テレビ系)で漫画やアニメの表現手法を実写ドラマに落とし込むキャラクタードラマを準備した脚本家だ。つまりこの連載で語られるクロニクルの前史を代表する脚本家である。 『家なき子』の成功によって同作を放送していた土9(日本テレビ系土曜9時枠、現在は10時に移動)は漫画原作をジャニーズアイドル主演で制作する、10代向けのジュブナイルドラマへと路線変更し、独自の道を歩み始める。 そのはじまりとなる『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)のチーフ演出を担当したのが堤幸彦だった。 彼が持ち込んだトリッキーな演出手法とミステリードラマというフォーマットは、その後のテレビドラマに大きな影響を及ぼし、テレビドラマの風景を書き換えてしまったと言っても過言ではないだろう。 MVやバラエティ番組、ドキュメンタリーといった他ジャンルから持ち込んだ映像手法を巧みに組み合わせることで生み出された野外ロケを駆使したカット数の多い映像は、まるでリミテッドアニメのようで、漫画やアニメのエッセンスを取り込んだキャラクタードラマというジャンルを演出レベルで開拓していった。 その映像は『ケイゾク』(TBS系)以降は、バブル崩壊以降の先行きが見えない不安定な時代を象徴する独自の美学へと昇華され、映画とは違うテレビドラマ独自の映像作品へと昇華されていった。そんな堤の演出論と彼が作品を通して何を描いてきたのかを記述すること。それは前著では踏み込めなかった「映像としてのテレビドラマ論」であり、今回の連載でもっとも書きたいことだった。
     そして最後に登場するのが、堤が演出した2000年の連続ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)で脚本を手掛けた宮藤官九郎である。
     宮藤について書いておきたいと思ったのは、執筆のタイミングが2019年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック~』(NHK)と重なったからだが、何より彼が現在のテレビドラマを象徴する脚本家だからだ。 宮藤については、前述した『キャラクタードラマの誕生』の中でも一章を割いているが、そもそもこの本自体、同年に大ヒットした連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』(NHK)ブームがなければ企画が通らなかった評論だったと言える。 更に言うと、筆者の初の単著となった『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)はジャニーズアイドルの俳優論を彼らが出演したドラマ評をまとめたものだ。この本もまた、アイドルグループ・嵐の人気が高まっているどさくさで出版された新書だが、彼らが出演した『木更津キャッツアイ』や『流星の絆』(ともにTBS系)といった宮藤が脚本を手掛けたテレビドラマが評論の主軸となっている。
     その意味でも筆者のドラマ評論と宮藤官九郎の存在は、切っても切り離せないものであり、2010年代を締めくくるドラマ評論の最後に宮藤が改めて登場するのは、必然だったと今は思う。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(9)『タイガー&ドラゴン』(後編) 笑えない噺なんか、誰も聞きたくないだろ?

    2020-01-22 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『タイガー&ドラゴン』の後編です。古典落語を下敷きに不器用な二人の主人公の生き方を描いた本作が最後に辿り着いたのは、「笑えない現実」に対して、「笑い」はいかに向き合うのかというテーマでした。
    『タイガー&ドラゴン』では、古典落語を下敷きにして現代(2005年)を舞台にしたドラマが展開されるのだが、ドラマ評論家として耳が痛かったのが、第3話「茶の湯」だ。
     竜二(岡田准一)の経営する洋服屋「ドラゴンソーダ」はメッシュ素材のダサい服ばかりなので閑古鳥が泣いていたが、そこに「原宿ストリートファッションの神様」と言われるトータルプロデューサー・BOSS片岡(大森南朋)が現れ、「キテるね」「ヤバいね」と絶賛する。竜二はBOSS片岡とコラボすることになり、片岡が主催するクラブイベント・ドラゴンナイトの入場券代わりとなるリストバンドのデザインを発注される。 一方、ヤクザの噺家、林家亭子虎こと山崎虎児(長瀬智也)の前には淡島ゆきお(荒川良々)という男が現れる。淡島はジャンプ亭ジャンプという高座名を持つ落語家でアマチュア落語のチャンピオン。古典落語を得意とする粟島は虎児の師匠・林家亭どん兵衛(西田敏行)に弟子入りするが、どん兵衛が口座にかけようとしていた演目「茶の湯」を先に喋り挑発する。 どん兵衛と淡島、ふたつの「茶の湯」を聞いた虎児は「どっちが面白かった?」と、どん兵衛に聞かれ「笑ったのは淡島のだ、でも、もう一回聞きてえと思ったのは師匠のだ」と答える。
    どん兵衛「……なるほど、確かに演る人間によって印象はガラッと変わる、それが古典落語の面白いところだ、正解なんてのぁ無いんだ、お前さんがどうアレンジするか……」 虎児「いや……アレンジしねぇ」 どん兵衛「んん?」 虎児「こいつの見てて思った、若いとか経験が浅えとかそんなの言い訳になんねえよ、今度こそ古典をきっちりやりてえ……いや、やる」 (宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「茶の湯」の回)
     一方、淡島はどん兵衛から「人に何かを教わるという姿勢が出来てない」と、弟子入りを断られる。  師匠から教わった古典落語をそのまま高座で話す虎児。寄席ではそこそこ受けるがネットの掲示板では「子虎も終わった」という酷評の嵐、荒々しいキャラクターと古典を下敷きに現代を舞台にしたデタラメな落語が受けていたのだが、その持ち味を壊してしまったのだ。  対して竜二はデザインのOKが中々出ない。打ち合わせの席には代理店や雑誌編集者、クラブのオーナー、ミュージシャンが同席して意見を言う。一方、BOSS片岡は要領を得ず、挙げ句の果てに、決まったはずのデザインは別のものに変えられてしまう。商品は売れたが、自分のものではないと思った竜二は、売上と商品を突き返し、BOSS片岡とのコラボを解消する。
     虎児はイベントに押しかけ、BOSS片岡に啖呵を切る。
    虎児「お前等が軽々しく『来てる』だの『終わってる』だの言うたんびに一喜一憂してるヤツがいるんだよ、何故だか分かるか? 必死だからだよ、必死にどーにかなりてえ、カッコいいもん作りてえ、面白えもん作りてえって身体すり減らしてやってるんからだよ、分かるか? 自分の言葉に責任持て」(同書)
     竜二は落語家でありながらテレビで汚れ仕事をして家族を養う兄のどん太(阿部サダヲ)とも、寄席で古典落語にこだわる父親のどん兵衛とも違う「自分の好きなものだけ作って、それで売れてみせますよ、直球ですけど」と言う。 これに対し虎児は「俺も自分が面白えと思う話で笑い取ってやるよ」と返す。 落語やファッションを題材にしているためか『タイガー&ドラゴン』にはタレントやクリエイターの心の叫びが透けてみえる。特に面白いのは虎児の立ち位置で、本人は古典をやりたいと思っているが、世間が求めているものは、粗暴な振る舞いだったりする。ヤクザで「笑い」がわからない粗暴な男が、寄席とは場違いゆえにそのキャラクターが消費される姿と、竜二のダサいファッションセンスが気まぐれに消費されていく姿が対になっているが、若者向けサブカルチャーの一つとして色モノ的に消費されたくないが、古典をしっかりと演じるほどの基盤もまだ出来上がっていないという、宮藤たち作り手の心境が“直球”で描かれていたと思う。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(8)『タイガー&ドラゴン』(前編)

    2019-12-18 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は2005年放送の『タイガー&ドラゴン』を取り上げます。前作『マンハッタンラブストーリー』の失敗からヒットを義務付けられた本作は、第一期クドカンドラマの集大成であると同時に、「笑い」が宮藤官九郎の思想として確立される最初のきっかけでもありました。
     2005年の4月に金曜ドラマ枠(TBS系夜10時~)で放送された『タイガー&ドラゴン』は、落語を題材にした一話完結のドラマだ。
    ▲『タイガー&ドラゴン』
     『マンハッタンラブストーリー』(以下、『マンハッタン~』)から約一年ぶりとなった宮藤官九郎×磯山晶コンビの作品だが、宮藤は売れっ子脚本家としての地位を確立し、04年に脚本を執筆した映画は『ドラッグストアガール』、『ゼブラーマン』、『69 sixty nine』の三作。舞台はウーマンリブシリーズ「vol.8 轟天VS港カヲル~ドラゴンロック!女たちよ、俺を愛してきれいになあれ」、第49回岸田國士戯曲賞を受賞した『鈍獣』の二本。俳優としては、堤幸彦演出のドラマ『ご近所探偵TOMOE』(WOWOW)の主演を務めたりと、多方面で活躍していた。
     それだけに、04年にドラマが一本もなかったことは寂しかったが、年明けしてすぐにSPドラマ『タイガー&ドラゴン 三枚起請』が連続ドラマに先駆けて放送されたことは、素直に嬉しかったと同時に、宮藤はまだテレビドラマを描き続けるのだなと安堵した。
     物語は借金取りを生業としているヤクザの山崎虎児(長瀬智也)が、借金回収に向かった落語家の林家どん兵衛(西田敏行)に林家亭子虎として弟子入りをするところからはじまる。
    虎児は笑いのセンスがなく、話が苦手。一方、もうひとりの主人公・谷中竜二(岡田准一)は、裏原宿で洋服屋「ドラゴンソーダ」を営んでいる。しかし、ファッションセンスがないため、借金がかさんでいた。
    虎と竜が交差するノンフィクション落語
     『タイガー&ドラゴン』は物語の冒頭に劇中の落語家が枕として本編にまつわる話をするのだが『三枚起請』は、林家亭どん吉(春風亭昇太)のこんな語りからはじまる。
    昔から実力が伯仲する者同士が争う事を『竜虎にらみ合う』などとを申します、竜と虎、しかしこれには大きな矛盾がございまして、竜てぇのは想像上の生き物で誰も見たことないんです、一方、虎は別に珍しくもない、上野行ったら会えるんで、つまり虎と竜は住む世界が違うから勝負になんない、これはそんな違う世界に住む虎と竜の話で……(宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「三枚起請」の回)
     この語りのとおり、本作は“虎”児と“竜”二が主人公の一種のバディものとなっている。物語は毎回、虎児がどん兵衛に「三枚起請」や「芝浜」といった落語の演目を教わるところからはじまる。江戸時代の専門用語が多いため内容を理解できない虎児が七転八倒していると、周囲でその演目と似た事件が起こる。虎児は、「面白いこと」が大好きな竜二といっしょに事件を探偵のように調べていき、事件が解決することで、自己流の「三枚起請」や「芝浜」といった実話を元にした“ノンフィクション落語”を作り上げ、それを寄席で披露するという流れとなっている。  さながら「落語ミステリー」とでも言うような本作だが、現実の生き物である“虎”と想像上の生き物である“竜”という対比は虎児と竜二の対比だけでなく、現実と落語、あるいは現実と虚構の関係になっている。 こういった虚実の相関関係、虚構の世界のキャラクターを演じることで現実の問題を乗り越えていくという物語は、宮藤が得意とするものである。 『木更津キャッツアイ』(以下、『木更津』)なら北条司の漫画『キャッツ・アイ』(集英社)から名前が取られた怪盗団・木更津キャッツアイに主人公たちが扮し、何かを盗むことが結果的に困っている人を助けるという物語となっていた。 一方、『マンハッタン~』の最終回では、恋愛に悩む主人公が劇中で放送されていた恋愛ドラマ『軽井沢まで迎えにいらっしゃい』の登場人物たちの台詞によって後押しされ、ヒロインに告白するという展開となっていた。 『タイガー&ドラゴン』はそういったクドカンドラマに内包されていた虎(現実)と竜(虚構)の関係が、落語というモチーフを使うことで、より自覚的に打ち出されるきっかけとなった作品だ。
    第一期クドカンドラマの集大成
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 宮藤官九郎(7)『マンハッタンラブストーリー』と恋愛ドラマの変節

    2019-11-21 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は低調な視聴率ながら、今なお高く評価されている異色の恋愛ドラマ『マンハッタンラブストーリー』(2003年)を取り上げます。喫茶店を舞台に次々と連鎖する片思い、さらにその関係の入れ替え可能性を描いた本作には、普通の恋愛ドラマが成立しにくくなった当時の時代性が如実に投影されていました。
     2003年、『ぼくの魔法使い』(日本テレビ系)の後の10月クールに宮藤が脚本を手掛けたのが問題作『マンハッタンラブストーリー』(TBS系、以下『マンハッタン』)だ。
    ▲『マンハッタンラブストーリー』
     舞台は純喫茶マンハッタン。近くにテレビ局があるため、この喫茶店はテレビ関係者のたまり場となっていた。 タクシー運転手の赤羽伸子(小泉今日子)は、ダンサーのベッシーこと別所秀樹(及川光博)をタクシーに乗せたことで知り合いとなる。ケンカしながら少しずつ距離を縮めていく二人。しかし、ベッシーはミュージカルのオーディションに合格し、一年間ニューヨークに行くが決まっていた。一度はベッシーへの気持ちを諦めようとしていた赤羽だったが営業所の無線から流れてきた「早く止めないと1年以上あえなくなるんだぞ! それでもいいのか?!」という謎の男の声に押されてベッシーを引き止める。無事、結ばれたかに見えた二人。しかし、ベッシーが好きだったのは脚本家の千倉真紀(森下愛子)だった……。
     物語は毎話、主要人物が変わっていくのだが、一話が「A」二話が「B」とアルファベットのタイトルになっている。これは各話の主人公の頭文字で、Aが赤羽、Bがベッシー、Cが志倉。つまり、Aでは赤羽を主人公にベッシーとの恋愛が描かれ、Bではベッシーを主人公に志倉との恋愛が描かれ、Cでは志倉を主人公にDこと売れっ子声優の土井垣智(松尾スズキ)との恋愛が描かれるといった感じで、片思いの連鎖が続いていく。 その状況を唯一知っているのが喫茶店の店長(松岡昌宏)である。 店長は店の中で起こる恋愛模様をすべて把握しており、一人やきもきしている。そして恋愛を成就させるために彼・彼女らの背中を押すメッセージを、正体を隠して発するのが毎回の見せ場となっている。 赤羽に無線でメッセージを送ったのも店長で、つまり彼は恋のキューピットなのだが、そうやってうまくくっつけたはずの片方が実は別の人を好きだったことが連鎖していくことで、いつしか人間関係は複雑にこんがらがっていく 店長は寡黙で人前では一言二言しか喋らないのだが、その代わりモノローグ(心の声)が絶えず流れている。モノローグのほとんどは、各キャラクターに対するツッコミで、それが結果的にオーディオコメンタリー的なものとなっているのは今見ても面白い。 つまりマスターは自分で恋愛ドラマを作ると同時にその状況に対してツッコミを入れているのだ。
     プロデューサーは『木更津キャッツアイ』(以下、『木更津』)に続き磯山晶だが、今回のチーフ演出は金子文紀ではなく、土井裕泰が担当している。 近年では坂元裕二脚本の『カルテット』(TBS系)が高く評価された土井の映像手腕は今見ても実に見事で、金子文紀とは違った洗練された魅力を与えている。 同時に人を突き放したようなクールさもあり、それが最終的にこの作品のルックを決めてしまったようにも思う。
     企画の発端は『木更津』で視聴率の低迷に悩んだ磯山が「ラブストーリーなら数字がとれるかも」と言ったことがはじまりだ。その意味で他の作品とくらべると売れ線狙いの不純な動機ではじまった企画だが、宮藤と磯山が作るドラマが一筋縄で行くはずはなく、物語はどんどん予想外の方向に転がっていく。
    視聴率の低さと評価のズレ
    『マンハッタン』は、『木更津』や『あまちゃん』(NHK)に比べるとクドカンドラマの中ではマイナーな作品だが、本作をクドカンドラマ・ベスト1に挙げる人は少なくない。
     脚本家の坂元裕二は宮藤との対談で「今まで観た日本のドラマで一番好きなのが『マンハッタンラブストーリー』なんです」と発言している。
    とにかく毎週、お腹痛いぐらい笑ってたし、出てくる人はみんな魅力的だし、ドラマを観ながら思っていたことが、最後にカチッカチッと、全部気持ちよくハマっていって。なんて完成度の高い脚本なんだって、圧倒されたんですよね。 (坂元裕二×宮藤官九郎『カルテット』『脚本家 坂元裕二』Gambit)
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  • 【特別寄稿】成馬零一 2019年の「現実 対 虚構。」 ーー朝ドラ『なつぞら』と大河ドラマ『いだてん』(後編)

    2019-10-24 07:00  
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    今朝のメルマガは、成馬零一さんによる寄稿の後編です。2019年の朝ドラ『なつぞら』と大河ドラマ『いだてん』は、いずれも実在の歴史が題材ですが、そのアプローチの仕方には明確な違いがあります。史実に対してフィクションはいかに向き合うべきか。象徴的な2つの作品から、今日の「現実 対 虚構」のあり方について考えます。 ※本記事の前編はこちら、中編はこちら
    連続テレビ小説『なつぞら』ーーモデルからヒントへ
    実話を元にしたテレビドラマとして、現在もっとも注目されているのは、NHKの連続テレビ小説(以下、朝ドラ)と大河ドラマだろう。
    朝ドラでは、9月末まで大森寿美男脚本の『なつぞら』が放送されていた。一方、2019年の大河ドラマは宮藤官九郎脚本の『いだてん~東京オリムピック噺~』が現在、放送されている。 『なつぞら』は終戦直後からスタートし、当時はまだ“漫画映画”と呼ばれていた戦後アニメーション草創期の歴史が背景となっていた。対して『いだてん』は明治末からはじまり、1964年の東京オリンピック開催にいたる「オリンピックに関わった人々の歴史」を背景にした、「事実を元にしたフィクション」だが、両作品の歴史に対するスタンスは大きく異なる。『なつぞら』の主人公・奥原なつ(広瀬すず)は東映動画に所属した女性アニメーターの奥山怜子がモデルとなっている。だが、この言い方は正確ではない。公式にはモデルではなく「ヒントになった」と表記されている。この、モデルを特定しないという傾向は近年の朝ドラで強まっており、2016年の『とと姉ちゃん』からは「モチーフ」と言われるようになっている(参照)。『とと姉ちゃん』プロデューサー・落合将はモデルとモチーフの違いについて「基本的にそんなに差はないと思います。簡単にいうと、朝ドラは、多少コメディタッチにディフォルメしています」と語っているが、邪推すると「史実と違う」という批判をかわして、作品の自由度を高めるための苦肉の策にも思える。
    『なつぞら』では、その傾向はより強まっており、“ヒント”という言い方をすることで、より(史実をもとにした)フィクションというカラーが強まっている。 脚本を担当した大森寿美男はインタビューの中で以下のように語っている。
    孤児のヒロインが黎明期のアニメーションと出会うことにして、なつが、当時、実際、活躍していた女性アニメーターの草分け的存在・奥山玲子さんのような立場になったらどういうふうな反応をするかという発想で話を考えました。奥山玲子さん自身を描くつもりではなくて、当時の女性アニメーターの参考例として旦那さんの小田部羊一さんに取材させて頂いたんです(「なつぞら」最終回 脚本家が明かすぎりぎりの創作秘話。「締めのナレーションには好き嫌いがあると思う」(インタビュー:木俣冬))
    ヒロインの奥原なつは、奥村怜子の経歴や性格を部分的に採用したり逆に戦災孤児で北海道の酪農家の元で育ったというオリジナル要素を加えたりしている。後者の要素は、アニメーションというテーマと重ねるため『アルプスの少女ハイジ』や『火垂るの墓』のキャラクターから引用した要素なのだが、こういったさまざまな設定が混ざり込んでいる。 一方で奥村自身が持っていた自立した女性としての生き方や考え方、つまりフェミニズム的な価値観は、柴田夕見子(福地桃子)ら他の女性キャラクターに割当られており、そういった設定の足し算と引き算が各キャラクター間でおこなわれている。ある種、タランティーノが作劇手法としてもちいた「引用と編集」がキャラクターレベルでおこなわれていると言えるだろう。 また、奥村は実際には小田部羊一と結婚したのが、ドラマのなつは、高畑勲をヒントに造形された坂場一久(中川大志)と結婚する。そして劇中に登場するなつが関わったアニメも、現実の作品をヒントにした架空のものとなっている。こういった改変に関しては意見が分かれるところだろうが、アニメ関係者からの批判はほとんどなかった。これは奥村の夫だった小田部がアニメーション時代考証を担当し、アニメーション監修に元スタジオジブリの舘野仁美が関わっていたことも大きいだろう。 
    確かにスタジオの名前は東映動画から東洋動画に変更され、『白蛇伝』は『白蛇姫』に変わったが、歴史的な経緯は史実を踏まえており、流れ自体は間違っていない。 なつが十勝で暮らした経験が後に『大草原の小さな家』を原案とする『大草原の少女ソラ』(無論、『アルプスの少女ハイジ』がヒントとなっている)に修練されていくとことで、なつの日常とアニメが対照関係になっている脚本は実に見事だったと言えよう。
    しかし、東映動画と奥山玲子、そして彼女の同僚だった高畑勲、宮崎駿といった人々を描いた物語と見た時に、果たしてこの展開で良かったのか? と疑問が残る。 特に宮崎駿の高畑への愛憎を知っていると、宮崎駿にヒントを得た神地航也(染谷将太)の扱いは粗雑でストーリーにうまく生かされていない。 本来なら宮崎・高畑の功績とされる作品の多くが奥原(奥山)・坂場(高畑)の功績に書き換えられているのをみていると「史実をヒントにしたフィクション」だとわかっていても、その解釈は違うのではないかと思ってしまうのだ。
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  • 【特別寄稿】成馬零一 2019年の「現実 対 虚構」ーー史実の暴力に、どう向き合うべきか?(中編)

    2019-10-15 07:00  
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    今朝のメルマガは、成馬零一さんによる寄稿の中編です。溶解する現実と虚構を素材とした映像作品は、海外からも次々と登場していますが、そこには歴史改変につながる危うい欲望が見え隠れしています。タランティーノ、スパイク・リー、フィンチャーの最新作から、虚構と作家性の関係について掘り下げます。 ※本記事の前編はこちら
    クエンティン・タランティーノの最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(以下、『ワンス』)は1969年のハリウッドを舞台にした映画だ。 テレビの西部劇スターだった落ち目の俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と、リックの親友で専属スタントマンのクリフ・ブース(ブラッド・ピット)、リックの家の隣に引っ越してきた、映画監督・ロマン・ポランスキー(ラファル・ザビエルチャ)の妻で若手女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)。カメラはこの三人の姿を交互に追っていく。 俳優として行き詰まり、酒に溺れながらも西部劇ドラマの撮影に挑むリック。リックが撮影している合間にフラフラしていると、ヒッピーの少女に連れられてマンソン・ファミリーのコミュニーンに足を踏み入れてしまうクリフ。そして、自分が出演した映画『サイレンサー第4弾/破壊部隊』を鑑賞するシャロン。 三人の姿を描いた後、物語は半年後の1969年8月9日へと飛ぶ。イタリアの西部劇(マカロニ・ウエスタン)に出演したリックはイタリアで成功を収めた後、イタリアで結婚した妻を連れて帰国。契約を解消するクリフと最後の晩餐を過ごしていた。一方、シャロン・テートはポランスキーの子を妊娠していた……。
    ▲『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
    本作は1969年のハリウッドを、落ち目の西部劇俳優の視点から描いたノスタルジックな映画だ。劇中では当時の風景やファッションや車が忠実に再現されており、ブルース・リー(マイク・モー)、シャロン・テート、ロマン・ポランスキーといった実在する映画監督や俳優が登場する。主人公の二人、リックとクリフは架空の人物だが、モデルとなった人物は複数いるようで、タランティーノの映画に出演したある老俳優が専属スタントマンと共に行動する姿を見て、二人の関係に魅力を感じたことがきっかけだったという。 劇中でかかるラジオ番組も実際に流れていたものらしく、本作の魅力は1969年のハリウッドを忠実に再現した箱庭的な楽しさだと言える。その意味で『全裸監督』にも通じる実話をもとにした偉人伝系の作品だが、そこはタランティーノらしい虚実の入り混じった巧妙な仕掛けが施されている。
    引用と編集と暴力
    90年代に『レザボア・ドックス』や『パルプ・フィクション』といった作品で注目されたタランティーノの作風は「引用(サンプリング)と編集(リミックス)と暴力(バイオレンス)」だ。 ビデオショップの店員だったという出自が伝説化しているタランティーノは、過去の映画や音楽、あるいはジョン・トラボルタのような過去に活躍した俳優を自由自在に引用して、物語の時系列を巧みに組み替えることで、どこにでもありそうで、どこにもなかった物語を作り上げた。
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  • 【特別寄稿】成馬零一 2019年の「現実 対 虚構。」――『全裸監督』をめぐって(前編)

    2019-09-30 07:00  
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    今朝のメルマガは、成馬零一さんによるNetflixドラマ論をお届けします。今日の劇映画において、以前にも増して肉薄しつつある「虚構」と「現実」の関係。それは、80年代の性風俗を描いたNetflixのドラマシリーズ『全裸監督』では、現実に対するフィクションの劣位として現れています。本作があらわにした「実話を元にしたフィクション」の問題点について考えます。
     現実 対 虚構。
     これは2016年に公開された庵野秀明監督の怪獣映画『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである。ちなみに現実にはニッポン、虚構にはゴジラとルビが触られている。 東京に上陸した謎の巨大生物・ゴジラの暴走を止めようとする日本政府の戦いを描いた本作は、実査に謎の巨大生物が日本を襲来した際に、官僚組織や自衛隊がどのように動くのかという政治状況を精密に描いている。 1954年に作られた本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』は、ビキニ環礁の核実験に着想を得ている。放射能を吐く怪獣ゴジラは核兵器とまだ日本人にとって生々しい記憶だった東京大空襲の暗喩だった。 『シン・ゴジラ』は2011年の3月11日に起きた東日本大震災による津波とその影響による原発事故の暗喩として『ゴジラ』を捉え直し、もしも東京で津波と原発事故が起きていた場合に日本政府はどう行動するかという、ありえたかもしれない3.11(と、その克服)を怪獣映画の形で表現されていた。 そんな『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである「現実 対 虚構。」は、本作のテーマを言い表した優れたコピーであると同時に、3.11という圧倒的な現実を、ゴジラという荒唐無稽なフィクションの世界に凝縮した本作のあり様を現している。つまり膨大な情報を加圧縮したリアリスティックな作りこそが、庵野秀明たちフィクションの作り手による最大限の(現実に対する)抵抗だったと言えるだろう。
    『シン・ゴジラ』を筆頭に、国内外問わず、現在のフィクションの作り手は、日々世界中で起こる、次から次へと押し寄せてくる圧倒的な現実に対し、虚構の担い手としていかに振る舞うのかが、問われている。
     それは一見、純粋な虚構にみえるアメコミ映画やディズニーアニメ、あるいはファンタジー世界を描いた海外ドラマの『ゲーム・オブ・スローンズ』にしても同様だ。どれだけCGやアニメーションを駆使した荒唐無稽な作品であっても、否、むしろ虚構性が極まるほど、それらの作品は現代の神話として見られるようになり、フィクションの裏側にある現実の暗喩を読み解くための駒となってしまう。純粋なフィクションであるアメコミやファンタジーですらそうなのだから、いわゆる現代を舞台にした劇映画の担い手は、より現実に接近した作品を作らざるを得ないというのが現状だろう。
    賛否を呼んでいる『全裸監督』
     そんなフィクションの現状が大きく現れていたのがNetflixで8月8日に配信された『全裸監督』だ。 本作は本橋信宏がまとめた『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版)を原作とするドラマだ。
    ▲『全裸監督 村西とおる伝』
    英会話教材の営業マンだった村西とおる(山田孝之)が、ビニ本販売を入り口にエロの業界に足を踏み入れ、やがてアダルトビデオ制作に乗り出す姿を描いた本作は、80年代の風俗や町並みを再現したピカレスクロマンとなっている。  地上波のテレビドラマと比べて破格の制作期間と予算を準備し、アダルトビデオの世界というグレーゾーンの世界(劇中では村西と警察の性表現にまつわるイタチごっこが続き、その時代の常識において行き過ぎた性表現を展開する度に村西が逮捕される)を描いた本作はNetflixという会員向け有料配信メディアだからこそ可能なドラマとして、SNSで話題となった。 主演の山田孝之も積極的に他メディアで精力的に宣伝している、窮屈な時代だからこそ人間のありのままを描いた作品だという逆張りを展開し、その挑発的な宣伝も話題だ。
    海外市場への目配せ
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル1995→2010 宮藤官九郎(6)クドカンドラマの女性観(前編)

    2019-09-11 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『木更津キャッツアイ』をはじめ、男性を中心としたコミュニティの描写を得意とする宮藤官九郎は、ある時期まで、恋愛に対しては非常に冷めた視線を向けていました。今回は初期のクドカンドラマが女性をどのように描いてきたかを振り返ります。
     恋人よりも仲間といる時の男子校的な「わちゃわちゃ感」の方が楽しそうに描かれるクドカンドラマだが、では彼の作品において女性はどのように描かれてきたのだろうか?
     宮藤と連続ドラマを作り続けているTBSの磯山晶プロデューサーだが、彼女がはじめて宮藤を脚本家として起用したのが、1999年の『親ゆび姫』である。
    ▲『親ゆび姫』
     本作は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「親指姫」を現代的なホラーに読み替えた作品だ。   女子高生の町田冴子(栗山千明)は同級生の君島祐一(高橋一生)に片思いをしていたが、なかなか気持ちを打ち明けられずにいた。ある日、冴子は公園で知り合った化粧をした謎の男から「恋のお守り」として赤い液体を手渡される。覚悟を決めて、祐一に告白する冴子。しかし祐一は、今は誰とも付き合う気がないと言って断ってしまう。 「これを振りかければアナタの思い通りになるの」 男の言葉を思い出した冴子は衝動的に赤い液体を祐一にかける。祐一の身長は4センチの人形ぐらいの大きさに縮んでしまう。
     小さくなった祐一を冴子は家に連れて帰る。『親指姫』というよりは内田春菊の漫画『南くんの恋人』(青林工藝舎)の男女逆バージョンとでも言うようなドラマである。 過去に何度もアイドル女優主演でドラマ化された『南くんの恋人』が、思春期の少年少女にとっての甘酸っぱい願望を描いた(小さくなった女の子と少年がいっしょに暮す)秘密の同居モノだったのに対し、『親ゆび姫』は甘酸っぱさが皆無で、宮藤が書くとここまでおぞましいものに変わるのかという話に読み替えられていた。
     小さくなった祐一に責任を感じ必死で世話しようとする冴子。祐一が好きなお菓子やジュース雑誌を買って目の前に置くのだが、祐一は彼女に冷たい。
    冴子「(ドクター・ペッパーをスポイトで吸いながら)フフフ、ワタシ、祐一くんの事、なんでも知ってるんです。寝る時はジャージにタンクトップ、中学の時はバスケ部で、遠征にいくバスでモノマネやってたんでしょ? 好きな映画は『アルマゲドン』で、ヒップホップが好きで、モーニング娘。では鼻ピアスの子が好きで、サングラスかけてアダルトビデオ借りにいって、門脇先生に見つかって、あとそれから……」 祐一「やめろよ!」 冴子「……え?」 祐一「……言ったよね? おれ、アンタの事なんとも思ってないの。だから、こんな事されても、不愉快なだけなの」 冴子「……ごめんなさい(目に涙ためる)」 祐一「だから困るんだよね、泣かれても」(著・宮藤官九郎『宮藤官九郎シナリオ集 親ゆび姫×占っちゃうぞ♡』角川書店)
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル1995→2010 宮藤官九郎(5) 木更津キャッツアイ(後編)「アトムの命題」とジャニーズ・アイドル

    2019-08-08 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、『木更津キャッツアイ』から宮藤官九郎の作家性を掘り下げます。本作の主人公・ぶっさんの〈死〉をめぐる物語は、生身のアイドルの有限性と相まって、〈終わらない日常〉と〈死なない身体〉への鋭い批評性を体現していました。
    宮藤官九郎の出世作となった『木更津キャッツアイ』(TBS系、以下『木更津』)だが、放送当時はどのように受け止められたのか?
    ▲『木更津キャッツアイ』
    宮藤のエッセイ集『え、なんでまた?』(文春文庫)の「解説」を担当した脚本家の岡田惠和は「宮藤さんがドラマ界に現れた頃のことはよく覚えてます」と語っている。
    『木更津』の第一話が放送された翌日、当時仕事をしたドラマチームでの飲み会で、本作が話題になった際にベテランと若手で意見が真っ二つに別れたと、岡田は邂逅する。
    「何喋ってるかさっぱりわからん」「いったい何の話なんだ? あれは、ふざけすぎ」 ベテランプロデューサー達には理解できなかった。なのに皆が面白い! と絶賛するので、悔しかったのかもしれませんね。対して若手は、言葉には出さないけど、「あれがわからないんじゃ終わってんな、このおっさん」 と顔に書いてある感じ。でも「どこが面白いんだ?」 と問われると、うまく言葉にすることが出来ない。そんな感じでした。(同書)
     そんなベテランと若手の反応を見ながら、岡田は「弱ったなぁ」と思ったという。新しい才能に脅威を感じながらも、それ以上に「かなり好きだなぁ」と混乱し、自分がやりたかったのはこういうことだったのかもしれないと、憧れを抱いたという。 しかし、今から下の世代の影響を受けるのは辛いと思い、「忘れよう、影響受けるのはやめよう」と決めて、その後、宮藤と同じジャンルのドラマを書くことは絶対にやめようと考えたという。
    同業者の先輩に、ここまで言わせるのだから、すごい才能である。
    だが、宮藤の登場によりドラマ界が一変し、世代交代が起きたかというと、そうはならなかったと岡田は振り返る。宮藤の世界が「ダントツに個性的」で主流にはならなかったからだ。
    ドラマ界は宮藤さんを受け入れた。でもそれはある意味、出島的な特別区みたいなポジションです。ドラマ界の地図を塗り替えるというよりは、地図のひとつ島を増やしたような変化。そこに関してはベテランたちもどこか寛容です。なぜなら出島なんで、自分たちの領土は守られてるから、そこでの活動は許す、みたいな。まさに「クドカン特区」ですね。「クドカンだからねぇ」 「あぁクドカンでしょ? はいはい」みたいな許され方とでも申しましょうか。  爆発的に人気あるけど、どうも世帯視聴率はさほど芳しくないという、だからどこか長老たちのプライドも犯さないという、独特のチャーミングなポジションも獲得しました。嫌ですね、こんな長老。(同書)
    『木更津』が放送された00年代初頭は、視聴率という評価軸がまだまだ絶対的だった。『踊る大捜査線』(フジテレビ系)や『ケイゾク』(TBS系)のような視聴率は高くないが、放送終了後に映画化されて大ヒットするという作品も現れはじめていたが、これらの作品は、視聴率が低いと言っても、10%前半は獲得していた。 しかし『木更津キャッツアイ』は野球の構成に合わせた全9話で平均視聴率10.1%(関東地区・ビデオリサーチ)で、これ以降のクドカンドラマは、シングル(一桁台)が当たり前になっていく。近年のドラマは、シングルが常態化しており10%台で成功作と言われるぐらい合格ラインは下がってしまったが、当時のシングルは、打ち切りでもおかしくない数字である。 思うに『木更津』とクドカンドラマの登場は、視聴率一辺倒だったテレビドラマの評価が、DVD等のソフト消費とネットで話題になるSNS消費へと大きく分裂していく始まりの作品だったのだろう。
    『キャラクター小説の作り方』に書かれた木更津キャッツアイ論
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