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記事 6件
  • 日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー(PLANETSアーカイブス)

    2018-11-19 07:00  
    540pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、トイメーカー「メディコム・トイ」代表の赤司竜彦さんへのインタビューです。ソフビに関するディープな趣味の話題から、日本の「ものづくり」の本質と未来像。さらに、文化の世代継承をめぐる対話が繰り広げられました。怪人やヒーローたちのレトロな造形と鮮やかな色彩にも注目です。(構成:有田シュン) ※この記事は2015年2月27日に配信した記事の再配信です。
    ■日本の地場産業「スラッシュ成型」を活用すべく誕生した
     
    宇野 僕は普段、評論家として活動しつつメルマガの編集長としていろいろな記事を出しているんですが、時々完全に自分の趣味の世界の記事を出しているんです。そんな僕が今一番ハマっているものが「東映レトロソフビコレクション」シリーズです。ほぼ毎月買っています!
    赤司 本当ですか?(笑)
    宇野 そのくらいハマっているんです。それに「ハイパーホビー」(徳間書店)が休刊になったことが非常にショックで、僕はこれからどうやって「東映レトロソフビコレクション」の最新情報をゲットすればいいのだろうと途方に暮れていたんですが、「もう自分で取材に行くしかない」という結論に至り、今日お伺いした次第です。
     

    ▼メディコム・トイの運営するソフビ総合情報サイト「sofvi.tokyo」
     
    赤司 なるほど! ありがとうございます。
    宇野 今日はこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを手掛けてらっしゃる、赤司さんのお仕事について伺っていきたいと思います。そもそもこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを立ち上げたきっかけは何ですか?
    赤司 まずちょうど三年くらい前に、いわゆる日本の地場産業であるソフビを作る上でのスラッシュ成型を持つ工場の仕事がない、というお話をひんぱんに聞くようになってきたんです。当時は、大体ソフビ商品の9割が中国で生産されていたという時期だったのですが、その話を聞いて改めて「今、日本の工場はそんなに大変なんだ」「じゃあ日本の工場でできる仕事を何か考えないと」と考えるようになりました。
     ただ、弊社も日本での製造自体は、会社の創業当時以来12年くらいブランクがあったんです。そんな時にとあるメーカーの同世代の方からソフビ工場をいくつか教えてもらい、「東映レトロソフビコレクション」を作りたいんだけど、と相談したんです。
     そしたら、皆さん「えっ、メディコムさんってうちでやるんですか?」と意外にもびっくりされていました。もちろん中国と比べて、日本の方は製作費が高いというような背景はあったものの、「こんな小さなソフビフィギュアを作れるんだ」という技術力の高さもあって、ちょっとずつ仕事を始めたんです。
     そして一番最初に出たのが、『仮面ライダー』の「ドクガンダー」と『人造人間キカイダー』の「グレイサイキング」の2つです。2011年の発売です。なぜ『キカイダー』かというと、「なんで『キカイダー』のスタンダードのソフビはないんだろう」っていう夢を見たからなんです(笑)。 
     

    ▲東映レトロソフビコレクション グレイサイキング(『人造人間キカイダー』より)
     
    宇野 なるほど(笑)。 
    赤司 なんで当時作られていなかったんだろう……。まあ多分、20時台のオンエアだったとか、あんまり子供が観てなかったとかいろんな理由があったのかもしれないですけど、あったら欲しいなぁ、から始まっているんです。そこからライセンス周りで半年くらいかけて何とか東映さんにご尽力いただいて、ライセンスをオープンしていただけるような環境ができてきて。そこから、やっと実際に商品を作り始めることになったわけです。 
    宇野 全国のソフビオタクにとってはなるほど、っていう感じのお話ですよね。最初に雑誌で見た時は、「あ、なんか変わったものが始まったな」と思っていたんですが、実際に現物を見てみるとびっくりするくらいクオリティが高くて、「ああ、これはもう集めるしかないぞ!」と思いました。僕はたぶん『仮面ライダーV3』の「ガマボイラー」ぐらいから買い始めました。(2013年10月発売)
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ガマボイラー(『仮面ライダーV3』より)
     
    赤司 そこから遡るのは結構大変ですね。
    宇野 大変でした。だから中古ショップで買い漁ったり、ヤフオクを駆使して集めました。ザンブロンゾあたりが結構大変でしたね。
     
     
    ■「東映レトロソフビコレクション」シリーズの制作体制
     
    宇野 どういう体制で制作されているのでしょうか。
    赤司 熊之森恵という原型師さんを中心に据えて、その他の6人の原型師さんチームにオペレーションを任せます。当然原型師さんごとに技術的な差やスピードの違いもあるのですが、その辺を熊之森さんがうまくコントロールしてくれています
    宇野 レトロ感のあるスタンダードサイズでありながら、造形の精度は21世紀のレベル。当時のスタンダードソフビが結果的に持っていたデフォルメの面白さというものを、ものすごく引き出しているアイテムになっていると思います。
    赤司 あまり具体的に定義したことはないんですけど、ネオレトロとか言われているようなジャンルなんだろうとは思うんですよね。当然マーケットには、レトロをレトロのまま再現することしか認めない!という方もいらっしゃるんですが、実はレトロという方向性で商品の構成とアレンジを詰めていくと、意外と物足りなく感じるようになったり、色々な玩具を見た上でレトロな方が物足りないって感じる方が多いのも事実なので、そこらへんのさじ加減はさすが熊之森アレンジといったところですね。
    宇野 本当にそうですよね。でも、僕はこのスタンダードサイズのソフビの頃はまだ生まれていなくて、スカイライダーの方の『仮面ライダー』(1979年放送)の一年前に生まれているので、後からビデオで70年代の特撮とかを見て好きになった世代なんですよ。
     ですので、スタンダードサイズのソフビとか全然知らないで育っているんです。同サイズの500円ソフビとか700円ソフビしか知らないで生きているのですが、この「東映レトロソフビコレクション」を見た時に、70年代の東映キャラクターの良さというものが150%引き出されていると非常に感動したんです。本当にそれぞれのキャラクターの魅力というものを、とてもうまく引き出すデフォルメになっていると思います。
     他のスタンダードサイズのレトロソフビというのは、言ってしまえば当時の思い出をリフレインしているだけの商品になっていると思うんです。でも「東映レトロソフビコレクション」シリーズは、明らかにこのサイズでデフォルメすることを利用して、元のキャラクターの魅力を引き出すというゲームを戦っています。
    赤司 ありがとうございます。私もキャラクターの魅力を引き出すという点では、このアレンジは有効だと感じています。 
    宇野 現代の造形センスとすごく合っていて、特にこの「ドクガンダー」のカラーリングとか……!
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ドクガンダー(※成虫。『仮面ライダー』より)
     
    赤司 ニヤっとしちゃいますよね。 
    宇野 個人的なエピソードになりますが、中古ショップでまず「ドクガンダー」の「ワンフェス2012冬開催記念モデル」を買ったんです。これは素晴らしいなと思って飾っていたんですが、カタログ見てたらオリジナル版もどうしても欲しくなって、そっちはそっちでまたヤフオクに出た瞬間を狙って落札。以来、毎日眺めてます。どうやったらこのカラーリングにたどり着くことができるんでしょうか。
    赤司 たぶん、世代的なものもあるのかもしれないですね。自分たちからすると、意外とナチュラルなカラーリングなんですよ。劇中に出てきた「ドクガンダー」を、70年代のフィルターに通すとこんな感じになるだろうなあと。ソフトビニールという素材を使ってキャラクターをどうディフォルメ、カリカチュアするかというメソッドに、70年代風でありながら、そこだけではないみたいなところがきっとあるんでしょうね。
    宇野 そこがやはり、このシリーズの魅力だと思います。ただ当時のスタンダードサイズのソフビを再現しました、っていうシリーズだったら、たぶん僕は買ってないと思います。
    赤司 なるほど。その辺りはさじ加減の問題ですよね。一個一個の商品を見てみると、原型師さんによって微妙にテイストは違うんですけど、最後に熊之森さんがうまくアレンジをしてくれるんです。
     生産の方のメソッドになって、ちょっとテクニカルな話になっちゃうんですけど、元々作った粘土原型を一度蝋(ワックス)に置き換えるんですが、この作業は全部熊之森さんがやっていて、そこで彼独自のテイストとかアレンジが施されます。そうしながら最後に蝋を落としているんですが、その工程が一番シリーズとしての統一感を出しているところなんじゃないかな、という気がします。
    宇野 なるほど。ちなみに、このラインナップはどう決められているんですか?
    赤司 僕と熊之森さんが、ほぼ一日かけて半年分くらいを決めます。
    宇野 第一弾が「ドクガンダー成虫」という恐ろしい決断を下されたわけですが、結果的に大傑作だったと思います。このセレクションはどこから生まれてきたんですか?
    赤司 意外とここは明快です。当時、バンダイさんが出していたソフビの中で、頭から消していって、たぶん一番最初に欠けているのが「ドクガンダー 幼虫」なんです。そこで、「幼虫はダメだろう!」という話になって、最終的に成虫になったという感じだった気がします(笑)。
    宇野 そうだったんですね! その後の「スノーマン」、「ザンブロンゾ」という2号編の怪人が最初に来てるのもそういう理由ですか?
    赤司 そうですね。この辺も、やっぱり最初は立体化に乏しいものを作っていこうという発想からだと思います。 
    宇野 「ガニコウモル」とかは有名怪人だし、なんとなくわかるんですけど、「スノーマン」「ザンブロンゾ」、「イソギンジャガー」って結構すごいラインナップですよね。
     

    ▲東映レトロソフビコレクション イソギンジャガー(『仮面ライダー』より)
     
    赤司 なぜ「イソギンジャガー」を選んだかというと、この回は石ノ森章太郎先生が監督をされているんですよ。

     
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表・赤司竜彦インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.271 ☆

    2015-02-27 07:00  
    216pt
    ※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)


    日本の町工場から鮮やかに蘇る東映怪人たち――「メディコム・トイ」代表赤司竜彦インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.27 vol.271
    http://wakusei2nd.com


    ▲東映レトロソフビコレクション仮面ライダー旧2号(『仮面ライダー』より)


    本日のメルマガは、「BE@RBRICK」のヒットなどでも注目を集めるトイメーカー「メディコム・トイ」代表の赤司竜彦さんへのインタビューです。
    そもそものきっかけは、特撮オタクの宇野常寛がメディコム・トイのソフビシリーズ「東映レトロソフビコレクション」に注目し、コレクションし始めたこと。「このシリーズ面白いから、一度製作者の人の話を聞いてみたいよねー」そんな何気ない一言がきっかけで、編集部はメディコム・トイに取材を打診してみました。
    するとなんと、代表の赤司さん自らインタビューに答えていただけることに。ディープな趣味の話だけではなく、日本の「ものづくり」の本質と未来像、そして文化の世代継承をめぐる対話となっています。(怪人やヒーローたちのレトロな造形と鮮やかな色彩にも注目です!)


    ▼メディコム・トイ「東映レトロソフビコレクション」ラインナップ一覧は下記リンクから。
    http://www.medicomtoy.co.jp/prod/1/
     
    ▼プロフィール
    赤司竜彦(あかし・たつひこ)
    株式会社メディコム・トイ代表取締役社長。

     
    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:有田シュン
     
     
    ■日本の地場産業「スラッシュ成型」を活用すべく誕生した
     
    宇野 僕は普段、評論家として活動しつつメルマガの編集長としていろいろな記事を出しているんですが、時々完全に自分の趣味の世界の記事を出しているんです。そんな僕が今一番ハマっているものが「東映レトロソフビコレクション」シリーズです。ほぼ毎月買っています!
    赤司 本当ですか?(笑)
    宇野 そのくらいハマっているんです。それに「ハイパーホビー」(徳間書店)が休刊になったことが非常にショックで、僕はこれからどうやって「東映レトロソフビコレクション」の最新情報をゲットすればいいのだろうと途方に暮れていたんですが、「もう自分で取材に行くしかない」という結論に至り、今日お伺いした次第です。
     
    ▼ちなみに、メディコム・トイの運営する新たなソフビ総合情報サイト「sofvi.tokyo」が2/1よりオープンしています!(編集部より)

     
    赤司 なるほど! ありがとうございます。
    宇野 今日はこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを手掛けてらっしゃる、赤司さんのお仕事について伺っていきたいと思います。そもそもこの「東映レトロソフビコレクション」シリーズを立ち上げたきっかけは何ですか?
    赤司 まずちょうど三年くらい前に、いわゆる日本の地場産業であるソフビを作る上でのスラッシュ成型を持つ工場の仕事がない、というお話をひんぱんに聞くようになってきたんです。当時は、大体ソフビ商品の9割が中国で生産されていたという時期だったのですが、その話を聞いて改めて「今、日本の工場はそんなに大変なんだ」「じゃあ日本の工場でできる仕事を何か考えないと」と考えるようになりました。
     ただ、弊社も日本での製造自体は、会社の創業当時以来12年くらいブランクがあったんです。そんな時にとあるメーカーの同世代の方からソフビ工場をいくつか教えてもらい、「東映レトロソフビコレクション」を作りたいんだけど、と相談したんです。
     そしたら、皆さん「えっ、メディコムさんってうちでやるんですか?」と意外にもびっくりされていました。もちろん中国と比べて、日本の方は製作費が高いというような背景はあったものの、「こんな小さなソフビフィギュアを作れるんだ」という技術力の高さもあって、ちょっとずつ仕事を始めたんです。
     そして一番最初に出たのが、『仮面ライダー』の「ドクガンダー」と『人造人間キカイダー』の「グレイサイキング」の2つです。2011年の発売です。なぜ『キカイダー』かというと、「なんで『キカイダー』のスタンダードのソフビはないんだろう」っていう夢を見たからなんです(笑)。 
     

    ▲東映レトロソフビコレクション グレイサイキング(『人造人間キカイダー』より)
     
    宇野 なるほど(笑)。 
    赤司 なんで当時作られていなかったんだろう……。まあ多分、20時台のオンエアだったとか、あんまり子供が観てなかったとかいろんな理由があったのかもしれないですけど、あったら欲しいなぁ、から始まっているんです。そこからライセンス周りで半年くらいかけて何とか東映さんにご尽力いただいて、ライセンスをオープンしていただけるような環境ができてきて。そこから、やっと実際に商品を作り始めることになったわけです。 
    宇野 全国のソフビオタクにとってはなるほど、っていう感じのお話ですよね。最初に雑誌で見た時は、「あ、なんか変わったものが始まったな」と思っていたんですが、実際に現物を見てみるとびっくりするくらいクオリティが高くて、「ああ、これはもう集めるしかないぞ!」と思いました。僕はたぶん『仮面ライダーV3』の「ガマボイラー」ぐらいから買い始めました。(2013年10月発売)
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ガマボイラー(『仮面ライダーV3』より)
     
    赤司 そこから遡るのは結構大変ですね。
    宇野 大変でした。だから中古ショップで買い漁ったり、ヤフオクを駆使して集めました。ザンブロンゾあたりが結構大変でしたね。
     
     
    ■「東映レトロソフビコレクション」シリーズの制作体制
     
    宇野 どういう体制で制作されているのでしょうか。
    赤司 熊之森恵という原型師さんを中心に据えて、その他の6人の原型師さんチームにオペレーションを任せます。当然原型師さんごとに技術的な差やスピードの違いもあるのですが、その辺を熊之森さんがうまくコントロールしてくれています
    宇野 レトロ感のあるスタンダードサイズでありながら、造形の精度は21世紀のレベル。当時のスタンダードソフビが結果的に持っていたデフォルメの面白さというものを、ものすごく引き出しているアイテムになっていると思います。
    赤司 あまり具体的に定義したことはないんですけど、ネオレトロとか言われているようなジャンルなんだろうとは思うんですよね。当然マーケットには、レトロをレトロのまま再現することしか認めない!という方もいらっしゃるんですが、実はレトロという方向性で商品の構成とアレンジを詰めていくと、意外と物足りなく感じるようになったり、色々な玩具を見た上でレトロな方が物足りないって感じる方が多いのも事実なので、そこらへんのさじ加減はさすが熊之森アレンジといったところですね。
    宇野 本当にそうですよね。でも、僕はこのスタンダードサイズのソフビの頃はまだ生まれていなくて、スカイライダーの方の『仮面ライダー』(1979年放送)の一年前に生まれているので、後からビデオで70年代の特撮とかを見て好きになった世代なんですよ。
     ですので、スタンダードサイズのソフビとか全然知らないで育っているんです。同サイズの500円ソフビとか700円ソフビしか知らないで生きているのですが、この「東映レトロソフビコレクション」を見た時に、70年代の東映キャラクターの良さというものが150%引き出されていると非常に感動したんです。本当にそれぞれのキャラクターの魅力というものを、とてもうまく引き出すデフォルメになっていると思います。
     他のスタンダードサイズのレトロソフビというのは、言ってしまえば当時の思い出をリフレインしているだけの商品になっていると思うんです。でも「東映レトロソフビコレクション」シリーズは、明らかにこのサイズでデフォルメすることを利用して、元のキャラクターの魅力を引き出すというゲームを戦っています。
    赤司 ありがとうございます。私もキャラクターの魅力を引き出すという点では、このアレンジは有効だと感じています。 
    宇野 現代の造形センスとすごく合っていて、特にこの「ドクガンダー」のカラーリングとか……!
     

    ▲東映レトロソフビコレクション ドクガンダー(※成虫。『仮面ライダー』より)
     
    赤司 ニヤっとしちゃいますよね。 
    宇野 個人的なエピソードになりますが、中古ショップでまず「ドクガンダー」の「ワンフェス2012冬開催記念モデル」を買ったんです。これは素晴らしいなと思って飾っていたんですが、カタログ見てたらオリジナル版もどうしても欲しくなって、そっちはそっちでまたヤフオクに出た瞬間を狙って落札。以来、毎日眺めてます。どうやったらこのカラーリングにたどり着くことができるんでしょうか。
    赤司 たぶん、世代的なものもあるのかもしれないですね。自分たちからすると、意外とナチュラルなカラーリングなんですよ。劇中に出てきた「ドクガンダー」を、70年代のフィルターに通すとこんな感じになるだろうなあと。ソフトビニールという素材を使ってキャラクターをどうディフォルメ、カリカチュアするかというメソッドに、70年代風でありながら、そこだけではないみたいなところがきっとあるんでしょうね。
    宇野 そこがやはり、このシリーズの魅力だと思います。ただ当時のスタンダードサイズのソフビを再現しました、っていうシリーズだったら、たぶん僕は買ってないと思います。
    赤司 なるほど。その辺りはさじ加減の問題ですよね。一個一個の商品を見てみると、原型師さんによって微妙にテイストは違うんですけど、最後に熊之森さんがうまくアレンジをしてくれるんです。
     生産の方のメソッドになって、ちょっとテクニカルな話になっちゃうんですけど、元々作った粘土原型を一度蝋(ワックス)に置き換えるんですが、この作業は全部熊之森さんがやっていて、そこで彼独自のテイストとかアレンジが施されます。そうしながら最後に蝋を落としているんですが、その工程が一番シリーズとしての統一感を出しているところなんじゃないかな、という気がします。
    宇野 なるほど。ちなみに、このラインナップはどう決められているんですか?
    赤司 僕と熊之森さんが、ほぼ一日かけて半年分くらいを決めます。
    宇野 第一弾が「ドクガンダー成虫」という恐ろしい決断を下されたわけですが、結果的に大傑作だったと思います。このセレクションはどこから生まれてきたんですか?
    赤司 意外とここは明快です。当時、バンダイさんが出していたソフビの中で、頭から消していって、たぶん一番最初に欠けているのが「ドクガンダー 幼虫」なんです。そこで、「幼虫はダメだろう!」という話になって、最終的に成虫になったという感じだった気がします(笑)。
    宇野 そうだったんですね! その後の「スノーマン」、「ザンブロンゾ」という2号編の怪人が最初に来てるのもそういう理由ですか?
    赤司 そうですね。この辺も、やっぱり最初は立体化に乏しいものを作っていこうという発想からだと思います。 
    宇野 「ガニコウモル」とかは有名怪人だし、なんとなくわかるんですけど、「スノーマン」「ザンブロンゾ」、「イソギンジャガー」って結構すごいラインナップですよね。
     

    ▲東映レトロソフビコレクション イソギンジャガー(『仮面ライダー』より)
     
    赤司 なぜ「イソギンジャガー」を選んだかというと、この回は石ノ森章太郎先生が監督をされているんですよ。


     
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    配信記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201502

     
  • 『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ(宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.210 ☆

    2014-11-27 07:00  
    216pt

    『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ(宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.27 vol.210
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、宇野常寛の単著『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)電子版399円セール記念! 「ユリイカ」2012年9月特別増刊号(平成仮面ライダー特集)に掲載されたインタビュー記事「『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ」のお蔵出しです。『仮面ライダーW(ダブル)』『オーズ/OOO』『フォーゼ』の近作3本を宇野が批評的に読み解いています。『リトピ―』と併せて読み直せば、平成仮面ライダーシリーズへの理解が深まること間違いなし! 

    ▲宇野常寛『リトルピープルの時代』
    定価 2,376円のところ、11月限定で電子版のみ399円(83%OFF)で発売中! 紙書籍版を持っている方も、持っていない方もこの機会にぜひどうぞ。セールは11月30日まで!
     

    ▲初出:「ユリイカ2012年9月臨時増刊号 総特集=平成仮面ライダー 『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーフォーゼ』、そして『仮面ライダーウィザード』へ・・・ヒーローの超克という挑戦」青土社、2012年
     
    ◎聞き手:ユリイカ編集部
     
     
    ■『リトル・ピープルの時代』その後――「ヒーローと公共性」のゆくえ
     
    ――宇野さんが昨年刊行された『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)は平成仮面ライダーシリーズにほとんど特権的とも言える位置を与えて、執筆時点までに放映されていた『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーW』までの歴代作品を非常に細やかに論じられています。しかしやはり、その後の作品についてのお考えも気になるところですので、今回は同書では取り上げられていない『仮面ライダーオーズ/OOO』と現在放送中の『仮面ライダーフォーゼ』を中心に「続・リトル・ピープルの時代」といったようなかたちでお話をうかがえればと思います。
    宇野 では、『リトル・ピープルの時代』での議論を前提にお話ししますね。
    奇しくも仮面ライダーが誕生してからの四〇年間は世界中で「こんな時代だからこそ(勧善懲悪の)物語を」と考えている人たちがうまくその気持ちを社会にぶつけられなくて暴走してしまうことが、社会を脅かす最大の暴力のひとつとしてずっと問題視されてきた時代だったんですよね。実際、連合赤軍やオウム真理教や「新しい歴史教科書を作る会」やアルカイダに走ってしまった人たちは主観的にはそう考えていたはずです。 
    こうなったときに、「こんな時代だからこそ勧善懲悪を描く」のが正しい現実批判としてのファンタジーだ、というような単純なロジックは成り立たないと思うんです。むしろ「正義」というものが基本的には成立しない世界について考えることのほうがフィクションのなかでしかできないことであり、ファンタジーの役目になるのかもしれない。『リトル・ピープルの時代』での整理では前者が『クウガ』や『仮面ライダー響鬼』や『W』で、後者が『仮面ライダーアギト』や『仮面ライダー龍騎』や『仮面ライダー555』になる。もちろん、表現を生む方法論として考えたとき、このふたつの考え方はどちらかが正しくて、どちらかが間違っているというわけじゃなくて、どっちもあっていいと思うんですよ。ただ、僕は個人的には後者のほうに圧倒的に刺激を受けて、一〇年くらい考え続けて、その結果長々と評論を書いてしまったんですけどね。
    そして『リトル・ピープルの時代』の結論というのは、どちらも難しいところに乗り上げてしまっている、ということなんですよ。前者については、端的に縮小再生産になっていっていると思うんです。世界の平和を守るヒーローが胡散臭くても、街の平和を守るヒーローならまだ成立する、というのが『W』です。でもある街の正義と別の街の正義は違うかもしれない、というのが現代におけるヒーローが直面している問題だと思うので、そこを回避しちゃったら何か肉が入っていないカレーを食べさせられているような気になっちゃう。
    『仮面ライダーディケイド』のほうはあそこまでやってしまうともう物語が維持できなくなることを露悪的に証明してしまった。下手に小賢しいメタ物語を紡ごうとするよりも、徹底して考えれば考えるほど物語を語れなくなる現実を、創作物ならではの切り口で表現している。
    だから僕は単純に「仮面ライダーは平成初期の白倉路線に戻るべき」だなんて絶対に思わない。『W』は現にそういう視点から作られていると思う。じゃないとわざわざ『仮面ライダー×仮面ライダー  W&ディケイド  MOVIE大戦  2010』であんな嫌味な『ディケイド』の茶化し方はしない。ダミー・ドーパントをヒロインが「マネっ子なんてカッコ悪い」と罵倒するシーンのことですね、念のために付け加えると。
    ちなみに『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』のときに白倉(伸一郎)さんが「昭和まで戻らないと仮面ライダーは正義の味方だとは言えなかった」ってコメントを出していたでしょう? 僕もまったくそう思うんですよ。だからあの映画はむしろ『ディケイド』では「~ではない」という言い方で表現していたものを「~である」という言い方に変えているだけ、いやその逆なんですよね。
    ――『ディケイド』まである種の構図を突き詰めることによってなにか極端な境界線に触れてしまった。そこからの展開(転回?)としての『W』になるわけですね。
    宇野 『W』のキーマンって(左)翔太郎だと思うんです。ハードボイルドというのは社会の承認なんか要らない、自分だけの正義というか信念を貫けばそれでいい、という態度ですよね。でも翔太郎はハードボイルドじゃなくてハーフボイルドでいいじゃないか、というキャラクターじゃないですか。世界の平和を守る大文字の正義は成立しない、かといって自己完結してハードボイルドにもならない。じゃあどうするのかっていうときに自分の街とか、仲間内とかの狭い世界に限定すれば「正義」は成立するというのはとても正しいと思うのだけれど、わざわざフィクションで描かなきゃいけないことだとも思えなかったんです。だって、むしろみんなそういう前提で生きているでしょう? だからこそ翔太郎にはもっと嘘くさくてもいいから積極的なハーフボイルドのビジョンを示してほしかったと思うんですよね。もちろん、なにもかもに目をつぶって大文字の正義のもとに世界の平和を守ります、って見栄を切る方向じゃなくてね。でも『W』ってそれくらいのポテンシャルのあるモチーフを内包していたと思うんです。
    これはもう、半分は批評でもなんでもない個人的なキャラクターへの願望なんですけれど、翔太郎は最終回でフィリップと再会しないほうがよかったのかもしれない、とも思うんですよね。もちろん、これはハッピーエンドを見せられてホッとした後だからこそ出てくる注文というか、二次創作的な妄想(笑)なんですが翔太郎はひとりになったほうが「正義」という問題と向き合えたのかもしれないし、もっと魅力的なハーフボイルドのビジョンを示すことができたんじゃないかなって思うんですよね。
    ―― たしかにフィリップの復活はどうしても翔太郎を「居場所」に回収してしまう。自らをハードボイルドのハーフとしての存在に留めてしまうような側面があったかもしれません。
    宇野 いま、「財団X」というすべてを影であやつる秘密結社の存在が『W』以降の第二期平成仮面ライダーシリーズの共通の黒幕として設定されていますよね。僕はあれ、あんまり興味がもてないんですよ。たとえば昔かわぐちかいじが『沈黙の艦隊』という漫画を連載していましたけど、あれって要するに小沢一郎が当時提唱していた手段としての国連主義を実践したらどうなるかというシミュレーションだったと思うんですよ。でも、終盤で物語をまとめられずに、「アメリカの軍需産業こそが黒幕だ」という展開になって一気に白けてしまった。あの作品が面白かったのは、そんな「世界を裏で操る秘密結社」みたいな陰謀論で説明できない世界、明確な「悪」が設定できない世界で、どう平和を実現するかという難題に向き合っていたからだと思うんですよね。その緊張感があってはじめて成立していた。僕は「財団X」設定はうまく使わないと、『沈黙の艦隊』と同じような落とし穴にはまってしまうような気がするんです。「大ショッカー」はパロディだからこそ機能したわけですからね。
    ――なるほど。新しく黒幕(財団X)を創出しなければならなくなったことの意味というのはやはり重要なものだと思います。その財団Xをいわば劇場版における縦軸とする『W』『オーズ/OOO』『フォーゼ』の第二期のなかではどの作品に惹かれるものを感じられますか。
    宇野 第二期の三部作でいちばん「好き」なのは『オーズ/OOO』ですね。人間の欲望がメダル=貨幣に変化して、その集積からグリード=キャラクターが生まれるという設定にはゾクゾクしましたよね。終盤のアンクの死をめぐるエピソードは、実にキャラクターという、言ってみれば僕らが愛さないと存在しない半透明の存在だからこそ描ける展開で、素晴らしかったと思います。資本主義の中から生まれた幽霊、貨幣の交換が生む余剰の結晶としてのキャラクターという存在を突き詰めたエピソードですよ。あれは2・5次元で描くからこそ活きた物語だったはずです。
    ただ、『オーズ/OOO』は放送コードの関係なのか個々のエピソードや表現にこの作品のヤバいところがきれいに隠蔽されていたのが惜しいんですよね。 
  • 宇多田ヒカル以降のJ-POPと「作詞」はこれからどうなる? ——作詞家・藤林聖子インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.059 ☆

    2014-04-24 07:00  
    514pt

    宇多田ヒカル以降のJ-POPと「作詞」は
    これからどうなる?
    ――作詞家・藤林聖子インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.24 vol.059
    http://wakusei2nd.com


    今回の「ほぼ惑」は、作詞家・藤林聖子さんのインタビュー。日本のポップカルチャーに大きなインパクトを与えてきた作詞家・藤林聖子の創作の秘密に迫ります。

    藤林聖子は、アニメ・特撮・映画・ドラマの主題歌にとどまらず、J-POPやK-POPの様々なアーティストに歌詞を提供し、年間100本以上のリリックを生み出す、現代日本でも屈指の売れっ子作詞家である。作詞家としてはあの”秋元康”と並び称されうる存在と言っても過言ではない。そして、井上敏樹(脚本家)、白倉伸一郎(TVプロデューサー)と並んで、「平成仮面ライダーシリーズ」の各作品を語る上では最重要人物の一人でもある。
    今回、宇野常寛とPLANETS編集部は、その藤林さんのクリエイティブワークの秘密を探るべく、六本木の事務所を訪ねた。そこで明らかになった「平成ライダーシリーズ」主題歌の作詞の秘密、そして「宇多田ヒカル以降」と日本語ラップ、J-POPの関係とは――!?
     

    ▼プロフィール

    藤林聖子(ふじばやし・しょうこ)

    1995年作詞家デビュー。オフィス・トゥー・ワン所属。サウンドのグルーヴを壊さず日本語をのせるスキルで注目され、独特な言葉選びにも定評がある。
    E-girls の大ヒット曲「Follow Me」を始め、平井堅、水樹奈々、BENI、三代目J Soul Brothers、Hey!Say!JUMP、w-inds.、BIGBANG、BOA、T-ARA等様々なジャンルのアーティスト作品から、テレビアニメ『ONE PIECE』主題歌「ウィーアー!」「ウィーゴー!」、『ジョジョの奇妙な冒険』『ドキドキ!プリキュア』等の主題歌や仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ、更にはドラマ主題歌、映画主題歌、その他CMソングまで多岐に渡って活躍。映像作品の芯を理解しアーティストの世界観として創り上げる能力とスピード感に定評がある。近年はアーティストのリリックプロデュースも手がけている。
    現在、NHKみんなのうたで放送中の藤林が書き下ろした「29Qのうた」(歌:つるの剛士)が話題沸騰中。
     
    【現在オンエア中】
    ●NHKみんなのうた『29Qのうた』(歌:つるの剛士)
    ●TOKYO- MX系他アニメ「M3~ソノ黒キ鋼~」主題歌 『Re: REMBER』/May’n
    ●テレビ東京系アニメ「マジンボーン」主題歌 『Legend Is Born』/加藤和樹
    ●NHK Eテレ 「すイエんサー」エンディングテーマ 『アンブレラシュークリーム』/すイエんサーガールズ
    ●TOKYO- MX系他アニメ「史上最強の弟子ケンイチ 闇の襲撃」主題歌『Higher Ground』/関智一・エンディングテーマ『BREATHLESS』/野水伊織 
    ●テレビ東京系アニメ「ガイストクラッシャー」主題歌『爆アツ!ガイストクラッシャー』/きただにひろし
    ●NHK Eテレアニメ 「くつだる。」テーマソング『マボロシ☆ラ部』/ 堀内まり菜・金井美樹・佐藤日向・島ゆいか
    ●TOKYO- MX、MBS 他アニメ「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセーダーズ」オープニングテーマ『STAND PROUD』/橋本 仁 
    ●読売テレビ系アニメ「金田一少年の事件簿」主題歌『Brand New Story』/東京パフォーマンスドール
    ●ANB系「仮面ライダー鎧武/ガイム」主題歌『JUST LIVE MORE』/鎧武乃風
    ●ANB系「烈車戦隊トッキュウジャー」エンディングテーマ『ビュン!ビュン!トッキュウジャー』/Project.R
    ●TOKYO‐MX 系他アニメ「彼女がフラグを折られたら」主題歌 『クピドゥレビュー』/悠木碧
     
    最新情報
    http://www.oto.co.jp/profile/profile.php?no=55
     
    ◎構成:葦原骸吉・中野慧
     
     
    ■偶然から「絶滅危惧種」の職業作詞家に宇野 藤林さんは10年以上にわたって、作詞家として第一線で活躍されているわけですが、正直言って僕も含めて、「職業作詞家」というもののことをそもそもよくわかっていないところがあると思うんです。と、いうか、作詞家ってどうやってなっていくものなのかが、前からすごく気になっていて(笑)。
    藤林 気になりますよね(笑)。私はもともと雑誌の編集やライターのような文章を書く仕事をやりたいと思っていたんですが、出版業界への入り口が分からなかったんですね。で、そのうち友達の友達みたいな感じで、たまたま作詞家の人と知り合いになったんです。私たちの世代だと、当時作詞家といえば「おニャン子クラブ」の秋元康先生のイメージがすごく強いので、「カッコ良い!」とか思って「私もやってみたいです!」と言ったら、その方が「じゃあやってみたら? 紹介しますよ」と勧めてくださったんです(笑)。
    宇野 なるほど。それまでは会社員をされていたりしたんですか?
    藤林 いえいえ、普通に東京に来て大学卒業後に専門学校に行ってたんですけど、なんとなく渋谷から先に行けなくなっちゃって、そしたらそういう知り合いができて……という。わりとストリート感の強いイメージで考えていただいて大丈夫です(笑)。
    宇野 なるほど、90年代当時の、ストリート感が溢れてる頃の渋谷の話ですよね。
     僕は今35歳ですが、僕が中学の頃の1990年代初頭から、たとえば小沢健二や、槇原敬之、大黒摩季のようなJ-POPのシンガーソングライターが増えてきましたね。なので逆に、今の時代の「職業作詞家」という存在はすごく面白いなと思っていて。
    藤林 そうですね、絶滅危惧種に近いと思います。当時事務所には阿久悠先生がいらしたので「作詞家がたくさんいるのかな」と思っていたのですが、いませんでした。この事務所は、作詞家を育てるスキームがあって「地道にいろんな所でお仕事できるようになりましょうね」という感じで教育されました。現・Flying Dogにいた女性ディレクターさんにはよく電話で何時間も相談に乗ってもらいましたね。昔はディレクターさんもそういう母心のような感じで接してくれる余裕があったんです。私は生え抜きで、もう18年ぐらいいます。
    宇野 藤林さんが影響を受けた作詞家さんはいらっしゃいますか?
    藤林 私はあんまり他の作詞家さんの歌詞を勉強したりしなかったんですが、あえて言うと、阿久悠先生と、康珍化(かんちんふぁ)先生ですね。阿久先生には、ロングインタビュー取材に同席させていただいたりしました。私と康先生は同じくBoAさんの作詞をしていたり、『仮面ライダーBLACK RX』(1988年)の主題歌を作詞なされていたので、勝手に親近感が湧いて、康先生の80年代アイドル物の歌詞をちょっと見たりしました。やっぱり歌詞に、いきなり「ボーンっ!」と行っちゃうような、突破力があるところがすごいですね。
    宇野 なるほど。藤林さんご自身はどんな楽曲やミュージシャンがお好きなんですか?
    藤林 わりと洋楽の方をよく聴いていてとくにR&Bが好きでした。最近は仕事で打ち込みの曲ばかり聴くので、プライベートでは生演奏っぽい曲を聴きます。たとえばエイミー・ワインハウスやジョン・メイヤー、ブルーノ・マーズのような比較的アコースティックな感じの人ですね。日本のミュージシャンでは久保田利伸さんも好きでした。今にして思うと、久保田利伸さんや鈴木雅之さんに詞を提供なされた銀色夏生さんには憧れがあったかもしれません。
     
     
    ■「先の展開を予見したライダー主題歌」が生まれた秘密
     
    宇野 僕が藤林さんの作詞を意識したのは、だいたい『仮面ライダーアギト』(2001年)の主題歌「仮面ライダーAGITO」あたりからなんです。
    藤林 『アギト』の主題歌はわりと、今も好きと言ってくださる方が多いですね。わりとシンプルなメロディーで、覚えやすかったのかな。
    宇野 覚えやすいし、シンプルなメロディながら、ちょっと変わった歌詞だと思ったんです。最初の歌い出しの「♪闇の中見つめてる/掴み取れ君求めるもの」という部分が、歌詞カードを見ると「 」の中に入ってるんですね。これは変わってますね。
    藤林 その部分は、曲調もですが、番組冒頭のアバンタイトル直後だから、天の声みたいな感じで聞こえたらいいと思って、ナレーション代わりの感覚なんです。だからその「 」が外れた所から現実に戻ってくるようなイメージで書いた記憶があります。
    宇野 そうなんですか。13年前からの疑問が氷解しました。平成ライダーシリーズの主題歌は、放送開始前に書かれているわけですが、どのように作詞しているんですか。
    藤林 歌詞を書くときは、大まかな企画書とプロット、最初の1、2話の台本が一冊になった物をいただきます。あとは、バンダイさんからのライダーのデザインとベルトの解説などをいただきます。それと、ときどき番組のプロデューサーさんと打ち合わせさせて頂いて、その時点での展望を聞いたりして作らせていただいてます。
    宇野 なるほど。いつも、まだ材料がない状態で歌詞を書いてるはずなのに「なんでこんなに作品世界にマッチしてるんだろう」と、ずっと不思議でした。
    藤林 そうですね、一番は私の「ライダー愛」だと思うんですけれど(笑)。あるプロデューサーさんのお話では、番組が一年もあるので展開に迷ったときは、スターティングポジションに戻って、主題歌を聴いて考えてくださっているそうです。最初に作詞家とのミーティングがあれば、「こういう展開にするはずだった」と思い出すこともあるのかもしれません。だとしたら、光栄です。
     『仮面ライダークウガ』(2000年)の高寺成紀プロデューサー(現:KADOKAWA)とは何回も打ち合わせさせていただきましたね。平成ライダーシリーズ最初の立ち上げということもあり、「昭和ライダーとの違いを出すにはどうするか?」という話になって、「じゃあどうしましょうか?」と聞き返したら、そのままずっと5分ぐらい考え込んでしまって、そのときはたしか夜中だったので「寝てしまったのかな?」と思ってしまったりしました。一番話し合いの時間も長く、直しも多かったのは高寺さんでしたね。
    宇野 なるほど、すごく高寺さんらしいエピソードですね。
    藤林 最近では、武部直美プロデューサー(東映)と最新作の『仮面ライダー鎧武』の打ち合わせをしたときですが、当然ですが武部さんもすごく特撮ヒーローにお詳しく「こういう曲でも良いと思うんですよね」と、かつてのヒーローソングで、「君の青春は輝いているか」という曲を聴かせてくださいました。
    宇野 ああ、『超人機メタルダー』(1987年)の主題歌ですね。ジェームズ三木さんの作詞で、ヒーローの名前が出てこない、当時としてはめずらしい曲ですね。
    藤林 さすがにお詳しいですね。武部プロデューサーは、きっとこういう方向性の歌詞のイメージをお持ちなんだろうなと思いました。今回は鎧武乃風こと湘南乃風さんが歌うということもあって、「♪信じた道を行け」というような命令形の歌詞とか、上から落とし込む様な言い回しをつくったのですが、「これで本当にいいのかな?」という躊躇も、最初はあったんですよ。でも、今まではそこまで「生きる」のようなテーマの歌詞をやってこなかったので、チャレンジしてみようと思って今のような歌詞にしてみたんです。
     歌っている鎧武乃風さんは人数の多いユニットですから、歌詞がストーリー的に繋がっていく感じより、飛び飛びでも大丈夫かなと思って、ちょっとお父さん的な目線があったり、主人公本人らしい目線があったりしますが、どこから取ってもすごくメッセージっぽく刺さるように書きましたね。
    宇野 それで言うと『クウガ』の主題歌は製作者の直接的な目線になっていたと思うんです。たとえば「♪時代をゼロから始めよう」というフレーズは、結果的に「仮面ライダーシリーズを復活させてやり直すんだ」という意味が込められているように聞こえますね。
    藤林 それはもうプロデューサーさんも意図していて、「昭和を引きずらないで、まったく新しいものを始めよう」のような想いがあったのかもしれませんね。
     歌詞の視点について言うと、『アギト』は若い主人公の成長譚でしたが、歌われた石原慎一さんはベテランの方なので、当時は無意識でしたけど、歌詞中の視点という意味でバランスを考えて作った面はあるかもしれません。平成ライダーシリーズはいつも、歌い手さんも主人公ではなく、第三者目線ですね。そのためダイレクトなイメージではなくなるのかと思いますね。自分がすごく照れ屋だから、あまり「俺が俺が」みたいな打ち出しができないのかもしれないですが。
     
    ▲藤林さんからいただいたおみやげのCD
     
     
    ■藤林作詞のポイントは「アクセントを合わせる」
     
    宇野 僕は詩人の水無田気流さんとJ-POPの歌詞分析の授業を大学で行ったことがあるんですが、1990年代中盤の小室哲哉さん以降、「踏切の前であなたを待ってる」といった具体的なシーンではなく、抽象的で観念的に「この世界の歴史の中、私はあなたを〜」といった歌詞になっているんです。藤林さんはやはり、「小室以降」の作詞家さんだと強く感じますね。
    藤林 わざとそっちに寄せている面もありましたね。以前、私は「大人っぽい」ということを「余裕のある、何でも笑い飛ばせる」と解釈していたんですが、ある他の音楽関係者の方が、「私の痛みを云々」といった観念的なフレーズのほうが大人っぽいと思っていらして、私の感覚とは違って話がうまく通じなかったことがあります。世の中的には小室さんが作ったそういう感じをアーティストっぽいとか、大人っぽいって言うんだなと学んだ時期はありましたね。
    宇野 あの時期の小室さんって、間違った英語を意図的に歌詞に入れていますよね。ネットでもよく話題になっていましたが、「Feel Like dance」とかって明らかに文法的に間違っている。でも今聴くと、音として単純に使ってるんですよね。その後の浜崎あゆみさんのようなアーティストは「具体的な描写はしない」「英語を音として使う」という小室メソッドで歌詞を作っていっているわけです。
     1980年代後半以降、J-POPは「英語を日本語の歌にどう入れるか」に悪戦苦闘してきたと思うんです。小室さんのように英語フレーズを単に音として使ったり、サビだけ英語にするといった試行錯誤があったあとに出てきた藤林さんの歌詞は、日本語と英語の接続がすごく滑らかで、完成度が高いと思いますね。
    藤林 ありがとうございます。2000年ごろのR&Bブームの時期に「どうしたらグルーヴを壊さないように、スムーズに曲に日本語が乗るんだろう?」と、すごく試行錯誤したんです。そこで学んだコツは、「楽曲のリズムと歌詞のアクセントを合わせる」ことなんですね。
     
  • 楽器と武器だけが人を殺すことができる――井上敏樹が『海の底のピアノ』で描いた救済 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.049 ☆

    2014-04-10 07:00  
    500pt

    楽器と武器だけが人を殺すことができる
    ――井上敏樹が『海の底のピアノ』で描いた救済
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.10 vol.049
    http://wakusei2nd.com

    今回の「ほぼ惑」は宇野常寛による、8000字にわたる井上敏樹論です。彼が『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー555』から、新作小説『海の底のピアノ』へ引き継いだ問題意識とは? そして、『衝撃!ゴウライガン』で示された、世界を変えるための想像力とは――?
    初出:ダ・ヴィンチ2014年4月号 KADOKAWA
     もし21世紀の日本でもっとも重要な作家は誰かと尋ねられたら、僕は間違いなく井上敏樹の名前を挙げるだろう。
     井上敏樹は1959年、脚本家・伊上勝の長男として埼玉県に生まれた。伊上勝は『隠密剣士』『仮面の忍者 赤影』など日本のテレビ草創期から児童向けの時代劇や冒険活劇などを手掛けるヒットメーカーとして知られた存在だった。(ライターの岩佐陽一は「主人公の必殺技にリスクがあり、敵がそこを攻めてくる」「敵が裏切りを偽装して主人公に接近するが、それをきっかけに改心し任務と心情の狭間で苦悩する」「リタイアした歴戦の勇士が悪の組織に人質を取られ、心ならずも主人公に戦いを挑む」といったヒーロー番組に頻出するプロットを伊上の「発明」だと指摘している。)そんな伊上の最大の代表作は1971年に放映開始された『仮面ライダー』シリーズだった。仮面ライダーは社会現象と言えるブーム(第二次怪獣ブーム/変身ブーム)を起こし、70年代を通して国民的ヒーロー番組に成長していったが、作家としての伊上は70年代の末には壊死しつつあったという。
     晩年の伊上は酒に溺れるようになり、そして、当時大学生だった井上敏樹は「借金しか残さなかった」父親を傍らに家計を助けるという目的もあってアニメの脚本を手掛け始めた。やがて井上敏樹の名前は『鳥人戦隊ジェットマン』(1991~1992年)、『超光戦士シャンゼリオン』(1996年)など、東映特撮ヒーロー番組を通してファンの間に知られるようになる。その作風は1話完結パターンの発明と再利用に長けた父親のそれとは真逆のものだった。井上敏樹が得意とするのは特撮ヒーロー番組の長い放映期間を活用した複雑な群像劇の展開と、パターン破りによる問題提起的なストーリーだった。
     そして2001年、井上敏樹は父・伊上勝の手がけた仮面ライダーについにメインライターとして関わることになる。井上は『仮面ライダーアギト』(2001~2002年)にて全51話中50話を手掛けた。僕の知る限り、「アギト」は90年代を席巻したアメリカのサイコサスペンスドラマ(『ツイン・ピークス』がその代表例だろう)のノウハウの輸入とローカライズにもっとも成功した作品である。三人の仮面ライダー(主人公)を軸に膨大な登場人物が絡み合いながら、ある客船の遭難事件に端を発する巨大な謎を解き明かしていく。しかも、三人の主人公の三つの物語は互いに絡み合いながらも、物語の後半まで決して合流しない。そしてクライマックスでの合流の後、エピローグでは再び三つに分かれていく。僕の知る限り、こんなアクロバティックなドラマを一年間(全50話)展開し、破綻なく描ききった作家はいない。
     しかし、それ以上に僕が衝撃を受けたのは、井上が本作で示した人間観と世界観だ。同作には複数の仮面ライダー(劇中では「アギト」と呼ばれる)が登場するが、この「アギト」とはいわゆる超能力者のことだ。そしてこの超能力者(アギト)たちが、自分の居場所を発見していく過程が物語の軸になる。
     ここで僕たちは初代「仮面ライダー」が(特に石森章太郎の原作版で)「異形」のヒーローとして描かれていたことを思い出すべきだろう。原作漫画において仮面ライダー1号=本郷猛は感情が高ぶるとその顔面に改造手術で受けた傷跡が浮かび上がる。その醜い傷を隠すために本郷は仮面を被り、自らを拉致しサイボーグにしたショッカーと戦うのだ。
     そして同作に登場する超能力者たちもまた、ことごとくその過去の体験から精神的外傷(トラウマ)をもつ。この世界ではトラウマと超能力が、比喩的に深く結びついているのだ。その結果彼らはその傷を埋め合わせるために力(超能力)を行使し、そしてその結果ことごとく命を落としていく。そしてその一方で、この物語には「いま、ここ」にある快楽に全力でぶつかっていく人々が登場する。彼らは生活自体を楽しみ、ことごとくよく食べ、よく楽しみ、そしてよく恋をする。そして彼らは劇中においてまったく命を落とすことなく、ほぼ全員が最後まで生き残っていく。そして彼らは全員アギト「ではない」普通の、超能力を「もたない」人間として設定されているのだ。これはなかなか悪意のある設定だと言えるだろう。
     特に「食べる」というモチーフに井上の意図は明確に表れている。『仮面ライダーアギト』はヒーロー番組とは思えないくらい、食事のシーンが多い。登場人物たちは、何かにつけて家庭の食卓を囲み、外出先でサンドウィッチをむさぼり、屋台のラーメンを啜り、そしてストレスが溜まると焼肉屋で飲み明かしそれを発散する。そしてこれらの「食べる」という行為はどれも生き生きと描かれ、視聴者の食欲を誘う。(特に焼肉については、当時狂牛病問題で牛肉の消費が下がっていたため同番組は関連機関から感謝状を贈られているほどだ。)
     そして、ほとんど毎回のように描かれる食事のシーンが、前者(超能力者=アギト)にはほとんどなく、後者(非超能力者)に集中しているのだ。
     そんな哀しき超能力者=アギトの中で唯一例外的な存在として描かれるのが主人公の津上翔一(仮面ライダーアギト)だ。翔一は、この物語の中で唯一トラウマを持たない。と、いうかそもそも記憶喪失で過去のことをほぼ覚えていない。しかし、そのことを本人はあまり気に留めておらず、居候先での「主夫」生活を楽しんでいる。趣味は料理を作ることで、毎日のようにユニークな創作料理を手がけ、他人に振る舞おうとする。当然、自身の食事シーンも多い。
     そう、翔一は劇中に登場する唯一の「もの食う」超能力者だ。そもそも記憶のない翔一は、トラウマに捉われない。したがって自身の超能力(仮面ライダーへの変身能力)にもこだわりはなく、警察の尋問にあっさりと「実は僕、アギトなんですよ」と答えてしまう。物語の終盤、記憶を取り戻してからもその佇まいは変わらない。「津上翔一」とは記憶喪失中に仮に与えられた名前だが、彼は物語後半に判明した本名にも関心がなく周囲の人間には好きなように呼ばせてしまう。翔一は、世界に与えられたもの(記憶、名前、超能力)に関心を示さない、ある種超越した存在だ。彼を支えるのは「食べる」ことが象徴する、「いま、ここ」の世界から快楽を、生きる力を汲みだす思想だ。そして物語では、ほとんどの仲間たちが死にゆく中、翔一に感化された超能力者たちだけが生き延びていく。
     かつて伊上勝は石森章太郎の描く悲劇的なドラマツルギーを、痛快娯楽活劇の「パターン」に落とし込むことで事実上無効化していった。しかしその息子の井上敏樹は、石森的なものを継承しながらも、その世界観を完全に反転させたのだ。
     そして『仮面ライダーアギト』と双子の関係にあるのが、井上が全50話の脚本をすべて手掛けた『仮面ライダー』(2003~2004年)だろう。同作には、「アギト」同様、超能力(モンスターへの変身能力)をもつ人類の亜種が登場する。オルフェノクと呼ばれるその亜種は、人類を特殊な方法で殺害する。そして殺害された人類は一定の確率でオルフェノクとして蘇る。こうしてオルフェノクたちは密かに勢力を拡大していく。主人公の青年・乾巧は偶然手に入れたベルト(仮面ライダーへの変身能力を付与する)を用いて、人類を襲うオルフェノクたちと戦うことになる。
     津上翔一と乾巧はコインの裏と表のような存在だ。陽気でコミュニカティブな翔一に対して、巧は周囲に心を開くことを苦手とする。料理好きの翔一とは対照的に、巧は猫舌でほとんど「食べる」ことを楽しめない。そして翔一がアギトであったように、巧もまたオルフェノクであることが判明する。(本作におけるオルフェノクはいわゆる「怪人」に相当する。そう、『仮面ライダー555』は仮面ライダーと怪人が「同じもの」であるという初代「仮面ライダー」の世界観に回帰した作品でもあるのだ。)
    『555』でもまた、井上はアクロバティックな脚本術を披露している。『仮面ライダー555』では物語が進行するとオルフェノクは誕生と共に壊死の始まる種であり、既にその存在が滅亡する寸前であることが明かされていく。そして、物語も巧を含むオルフェノクたち(登場人物の大半)が壊死していく未来を示唆して、終わる。要するに同作は予め滅びの運命を刻印されていた人々が、そのときを迎えるまでの短い時間を描いたものだった、と言えるだろう。実際に、同作の展開を俯瞰するとベルト(仮面ライダーへの変身能力)と人間関係(主に恋愛関係)の移り変わりが存在するだけで、同作の世界には何も本質的な変化は起っていないのだ。
    『555』には海堂直也というオルフェノクが登場する。
     かつて天才的な才能を示し、音楽家(ギタリスト)としての将来を嘱望されていた海堂だが、その才能を妬む人物により事故を仕組まれ、指の神経を失ってしまう。以降、海堂は自暴自棄な生活に溺れるようになり、やがてオルフェノクとして覚醒する。オルフェノクとなった海堂は、やがて自分に匹敵する才能をもった若いギタリストにその夢を託し、そしてすべてを清算するために愛用していたギターを階上から放り投げて、壊す。
     しかし、以降の海堂は夢(生きる目的)を失い、迷走する。あるときはベルトを入手して(仮面ライダーとなって)人類に加担するオルフェノクを排除しようとする。またあるときは逆にオルフェノクから人類のを守るために奮闘する。しかし海堂の心は満たされない。
     海堂は劇中で語る。「夢ってのは呪いと同じなんだよ。呪いを解くには夢を叶えなければ。でも、途中で挫折した人間は、ずっと呪われたままなんだよ」──アギト=オルフェノクとはまさにこの「呪い」を受けた存在だろう。しかし『555』の主人公・巧には「夢」がない。正確に言えば(オルフェノクである自分の人生に絶望しているため)「夢」を抱くことができないのが巧の「呪い」だ。したがって巧はもっとも救済され得ないオルフェノクとして描かれる。『555』という物語はそんな巧の救済をめぐる物語だと言えるだろう。
     そして物語の結末で、巧はその死(の暗示)によって救済される。巧は長い闘いを経て「夢」をもつことのできない自らの宿命を受け入れる。「夢=呪い」から自由になった巧の立つ場所は翔一のそれと同じ地点だと言える。しかしその救済の瞬間は同時に彼の死が暗示された瞬間であり、物語の結末でもある。ここには翔一的な超越を、徹底して作品世界から排除しようとする井上の意図が感じられる。こうして考えると、同作は津上翔一のような超越者(アギト=オルフェノクであるにもかかわらず、「食べる」ことができる)を設定することなく、井上の世界観を追求したものだと言える。
     そもそも「食べる」というモチーフは、井上敏樹の作品において世界への肯定の象徴であると同時に、執着を持たないことの象徴でもあった(津上翔一の描写はその最たるものだろう)。「食べる」という行為は一瞬で快楽をもたらし、そして一瞬で終わる。要するに、井上敏樹にとって「食べる」=世界を肯定することと「夢=呪い」をもたないことは等号で結ばれているのだ。
     だとすると井上がその作品世界から翔一的な超越者を排除した理由が浮かび上がる。そう、『555』で「食べる」ことではなく「夢=呪い」を主題にすえた井上の意図は明らかだ。井上の本作におけるねらいはただ滅ぶだけの、世界を肯定できない呪われた存在たち=オルフェノクたちの目を借りてこの世界を描写することだ(前述したようにこの作品には事実上「展開」が存在しないのだから)。
     そして、井上敏樹の最新作となる小説『海の底のピアノ』は、井上が『555』で掴み出したものに10年の歳月を経て再びアプローチした作品だと言える。 
  • 切通理作×宇野常寛3万字対談「いま昭和仮面ライダーを問いなおす」 ――映画『平成ライダーVS昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』公開(勝手に)記念 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.039 ☆

    2014-03-27 07:00  
    514pt

    切通理作×宇野常寛3万字対談「いま昭和仮面ライダーを問いなおす」
    映画『平成ライダーVS昭和ライダー仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』公開(勝手に)記念
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.27 vol.39
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑は「仮面ライダー」についての3万字対談。それも平成ではなく、「昭和」のライダーについてです。昭和の特撮作品のスタッフを数多く取材してきた切通理作氏と平成ライダーの評論を手がけてきた宇野常寛が魅力を語り尽くします。

     
    「変身!」のかけ声とともに、現在まで続くブームを起こした『仮面ライダー』とは何だったのか? 1970年代当時のヒーローとしての画期性、今も多くの人々の目を引くアイコンとなっているデザイン、スタッフの苦心が生んだアクションとドラマの化学反応、世界観や話作りのノウハウなど現代の「平成ライダーシリーズ」にも形を変えて引き継がれた要素……。ゼロ年代のあらゆるエンターテインメント作品を鋭く語ってきた評論家・宇野常寛と、昭和・平成の数々の特撮スタッフ取材を重ねてきた文筆家・切通理作が、昭和の『仮面ライダー』の魅力を語り尽くす!


    ▼プロフィール
    切通理作(きりどおし・りさく)
    1964年生、東京出身。和光大学人文学部卒。編集者経験を経て1990年代前半から文筆活動に携わる。『ウルトラマン』『仮面ライダー』シリーズをはじめとする特撮作品、その他の映像作品のスタッフインタビューや作品解説をはじめ、幅広く世相やサブカルチャーを網羅し、「キネマ旬報」「特撮ニュータイプ」「宇宙船」「わしズム」など数多くの媒体で活動。代表的な著書に、歴代ウルトラシリーズの脚本家に取材した『怪獣使いと少年』(宝島社)、写真家・丸田祥三との共著『日本風景論』(春秋社)、『特撮黙示録1995‐2001』(太田出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新書)ほか。『宮崎駿の「世界」』(ちくま文庫)で第24回サントリー学芸賞を受賞。
     
    ◎構成:葦原骸吉
     
    ■原点としての「旧1号編」
     

    ▲仮面ライダー VOL.1 
     
    宇野 今回は映画『平成ライダーVS昭和ライダー』を記念して、歴代の昭和『仮面ライダー』を順を追って語っていきたいと思います。しかし僕は1978年生まれなので、昭和仮面ライダーの第一期、つまり初代『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』まではリアルタイムでは接していなくて、本やビデオの後追いで知った世代なんです。だからまず、なんと言っても初代『仮面ライダー』(1971年)をリアルタイムで目撃した世代の、ファーストインプレッションをまず伺ってみたいなと思うのですが。
    切通 僕は圧倒的に仮面ライダーそのものに魅力を感じます。ライダーのデザインって、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)さんの漫画と実写で微妙に違うんですよ。漫画では触覚がホントの昆虫みたいにしなやかなんですけど、実写の、当時エキスプロにいた三上陸男さんが造型したライダーは、触覚がラジオのアンテナを曲げたみたいで、まるで町の工場で造ったような工作的な感覚に、当時のラジカセや自転車とか僕らの身近にある機械のデザインを見た時のような、なんとも言えない味わいを感じます。大人になってからも、あの顔の写真を一目見ただけで気持ちが持っていかれてしまうんです。
    宇野 僕も初代『仮面ライダー』の何が一番好きかというと、デザインとスーツの造形なんです。同じ特撮ヒーローものでも石ノ森さんのデザインワークは『ウルトラマン』の成田亨さんのものとはまったく違う。たとえば成田さんの場合、ゼットンは水牛がモチーフで、レッドキングも恐竜がモデルだろうけど、どちらもモデルになった生物の進化したものではなく、あくまで実在のものとはまったく別種の生物になっている。つまり成田さんは現実にはこの世界に存在しない、あたらしい生物を産み出す天才だった。対して、石ノ森さんはすでに存在する二つのモノを組み合わせる天才だった。クモ+人間でクモ男、カニ+コウモリでガ二コウモル、そもそも仮面ライダーのバッタの仮面にライダースーツというデザインを考えついたというだけでもう確実に天才だと思うんです。要するにウルトラマンが世界の外側から来訪した超越者で、仮面ライダーは僕たちのこの世界の内側から産まれ落ちた存在だという物語上の設定がデザインコンセプトにも通底しているわけですね。
    切通 あのライダースーツと一体化したような、レザーのしなりが感じられるボディラインも、見ていてシビれるものがあります。
    宇野 僕はウルトラマンシリーズも大ファンで、昭和ウルトラマンと昭和仮面ライダーの物語のどちらが面白いかと言えばやっばりウルトラのほうなんですよ。もともと昭和仮面ライダーはストーリー重視の番組ではないですしね。しかし、大野剣友会のアクションは洗練されていて何度観ても飽きないし、デザインについても仮面ライダーの方に惹かれるんです。持っている玩具も子どもの頃から仮面ライダーの方が多い。仮面ライダーのキャラクターデザインに接していると、世界との関係について感覚がひらかれるようなところがある。
    切通 なるほど、だから宇野さんの本『リトル・ピープルの時代』の表紙は1号ライダーなんですね。「どちらかといえば平成ライダーを熱く語っているのに、なんで昭和ライダーが表紙なのかな?」って思っていました。
    宇野 あれは装丁家の鈴木成一さんのアイデアですね。僕も出版社の担当さんも、表紙では仮面ライダーがテーマの本であることはむしろ隠して、村上春樹論だと思い込んで買った読者を驚かせようと思っていました(笑)。でも、鈴木さんがここは仮面ライダーのフィギュアを使うべきだと主張して、僕の私物を提供したんです。ちなみに、このフィギュアは海洋堂が昔発売していた1/4スケールの旧1号ですね。原型師は木下隆志さんです。
     

    ▲宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)
     
    切通 そうだったんですね。初代仮面ライダーが始まったとき、僕は小学校二年生だったんですが、クラスで一番優等生だった、みんなと遊ばないような子から、「すごい変な番組が始まった。なんか暗い感じの、キチガイ博士みたいなのが出てきて、人間を改造してる、見たこともないような番組なんだ」って感じに紹介されて、僕も「見なきゃ! いつやってるの?」と初めて見たのが「人喰いサラセニアン」の回(第4話)でした。それ以来毎週見るようになりましたね。女性が植物園で地中に引きずり込まれるのが印象的で、ホラーなテイストで、戦闘員もまだ全頭マスクではなくて、顔にサイケな模様を直接塗ってるし、暗闇にライダーのCアイが光って……スカッとするヒーローものっていうより、怪奇ものって感じの印象を持っていましたね。
    宇野 当時は等身大の変身ヒーローという概念自体がなかったんですね。
    切通 変身シーンもまだバイクで加速して姿が変わるという段階だったし、新しいセンスの番組を見ているという感覚がありました。そもそも『仮面ライダー』って名前が独特じゃないですか。『ウルトラマン』は全部英語、『月光仮面』は全部漢字。後の「キカイダー」や「イナズマン」もそうですが、石ノ森章太郎独特の日本語と英語が混ざったセンス。「仮面」って言葉自体もちょっと復古調で、新しいものと見知ったものがミックスされてる感じ。僕は最初、仮面の人がバイクに乗っている状態を「仮面ライダー」って呼ぶのかと思ってたんですけど(笑)。
    宇野 旧1号編(1〜13話)の前半って、当時の東映+石ノ森だからできた怪奇テイストで、たぶん一番原作の雰囲気を残している。本郷猛は自分が改造人間になってしまったことでずっと苦しんでいるし、ショッカーの作戦も日常の生活風景の中に潜む恐怖として非常にミステリアスに描かれている。この旧1号編前半のシリアスなモードが好きな人って多いですよね。でも、僕が好きなのはむしろ旧1号編の後半なんです。第10話以降は藤岡弘さんが撮影中のケガで降板しちゃって本郷猛のシーンは全部バンク、ライダーの声はショッカー首領役の納谷悟朗さんの弟の納谷六朗さんが演じている。六朗さんは『クレヨンしんちゃん』の園長とか『幽遊白書』の仙水の声で有名ですね。僕はあのときにライダーって従来のヒーローから解放されたところがあったと思うんです。要するに、平成の『仮面ライダー555』や『仮面ライダーディケイド』に続くような、「ライダーの中身は誰でもいい」「誰がライダーに変身してもいい」という感覚が結果的にあのときに生まれたんじゃないか、と。
    切通 藤岡さんの事故は当時とても有名で、子どもの僕も知ってましたが、一方僕は迂闊な子だったので、藤岡さんが事故後の1号ライダー編の新規撮影分には出てないことには気付かなかった(笑)。映像の使い回しで、声だって違ったのに。
    宇野 旧1号編の後半はシナリオの工夫も面白くて、たとえばゲバコンドルの回(第11話)は、当時助監督だった長石多可男さんが適当にでっち上げたストーリーですね。
    切通 藤岡さんが新規に出ないでどういう話が成立するか、助監督さんに書いてもらったストーリーから急遽選ばれたっていう回ですね。ライダーの相棒役であるFBIの滝和也が初めて登場する。
    宇野 意外と好きなのは怪人ヤモゲラスの回(第12話)です。この回はほとんど緑川ルリ子が主役じゃないですか。当時の真樹千恵子(現:森川千恵子)さんってちょっとはっとするような美人で、僕なんかは単に彼女がたくさん映って活躍するのを見ているだけでも楽しいんですよ。
    切通 森川千恵子さんは『アイアンキング』でも、敵の不知火一族十番目の影を演じていて、明るく健康的な風情なのにどこか影を背負った役柄を演じさせられているんですよね。どちらも物語の中途でいなくなるし。彼女の活躍は確かにレア感があります。緑川ルリ子は原作にも登場するキャラクターですしね。
    宇野 この回は、デンジャー光線っていう兵器を開発した博士を、ヤモゲラスが無理矢理ショッカーに協力させようとしてライダーと戦う話なんですけど、最後にヤモゲラスはその博士に反撃されてデンジャー光線で倒されちゃう。この話ではライダーは本当に添え物にすぎなくて、ときどき助けに来て暴れて帰っていくっていう位置づけですよね(笑)。でも、その何でもアリな感じがいいんですよ。
    切通 滝和也登場と、本郷編ラストである13話の間に挟まって、埋もれた感じのヤモゲラス回が宇野さんからすると印象的だというのは、面白いですね。いま見ると、本郷猛の場面を新規撮影できないから、ライダーを添え物にせざるを得なかったんでしょうけどね。
    宇野 それでもちゃんと番組として成立しているのがすごいと思うんです。こうしたエピソードの積み重ねが、結果的にだけれども、ヒーローものの射程というか、『仮面ライダー』という作品で許されることを広げている気がするんですよね。
    切通 そういう見方もあるのか。僕は旧1号編の後半というとやっぱり滝和也の存在が大きいんですけど、生身であれだけ戦える滝がその後レギュラーとして定着していくということ自体が、宇野さんの言う、単体ヒーローものでありながら射程を広げている部分なのかもしれないですね。2号ライダー編以降は、完全に二人のコンビものになっていきます。子ども心に、滝が最後はライダーに怪人を倒す役を譲っているのが大人だなと思ったりして見てました。
    宇野 あとトカゲロンの話(第13話)も大好きですね。後に劇場版や最終決戦に引き継がれていく再生怪人がズラリと並ぶ、あのお祭り感はここで開発されたわけでしょう?
    切通 それまで出てきた怪人が総登場する最初ですよね。戦闘員並みに弱くなってるんだけど(笑)。
    宇野 ショッカーの頓珍漢な作戦も好きです。サッカー選手を改造人間(トカゲロン)にして、その強靭なキック力で爆弾をシュートしてターゲットの研究所のバリアー(なぜか作中では「バーリア」と呼ばれる)を破るのが目的(笑)。爆弾の威力が問題じゃないのかよ、と。
    切通 人間を改造するところから描くんですよね。でも視聴者に同情心を持たせないためか、チームメイトにやたらぞんざいな態度を取る、チンピラみたいなサッカー選手に描かれているところが東映っぽくていい(笑)。トカゲロンは、見てる僕が当時はまだ<怪獣>っていうものがカッコイイんだという概念だけに縛られていたから、怪獣みたいなデザインの怪人が出てきたのが単純に嬉しかったですね。
     後に『クウガ』のプロデューサーとなる高寺成紀さんは、ウルトラマンや怪獣が好きでありながら、いち早くライダー怪人ならではの良さに気づいていたということなんですが、僕はまだそこまで目覚めてなかったのをいまは恥じています。
     
     
    主役俳優の事故の生んだ「王道」の確立――「旧2号編」
     


    ▲仮面ライダー VOL.3
    宇野 僕は2号編(14〜39話)の初期も好きなんです。旧1号編って、まず石森色が強い状態で始まって、だんだん東映色に染まっていく過程だったと思うんですね。藤岡さんの事故でこの流れはぐっと加速して、主役交代後の2号編はもう完全に東映+シナリオの伊上勝さんが作った世界になっている。2号編になると「とにかくアクションをCM前と後の二回見せる」「そこから逆算してストーリーを組み立てて行く」という正しい娯楽活劇路線が完全に確立されているんですよね。
    切通 何か起こると一文字隼人が必ずバイクで通りかかるという。端的な導入でパッパッと進む。井上敏樹さんが父親の伊上勝さんを「親父の脚本は紙芝居だ」と言うゆえんですね。
    宇野 たとえば、怪人ピラザウルスの回(第16話&17話)なんてもう、すごいじゃないですか(笑)。ショッカーがプロレスラーを改造して、そのプロレスを見に来た政府要人を毒ガスで暗殺する、という謎の作戦を実行するんですよね。どう考えても、クライマックスにリングで仮面ライダーとピラザウルスが戦うシーンを撮るというアイデアが先にあって、そこに合わせてストーリーを強引にでっち上げている。
    切通 集まった観客の前でリング上の戦いを繰り広げるシーンはめちゃくちゃ興奮した! 先にライダーが倒れるところとかもドキドキしましたし。 
    宇野 最高に燃えるシュチュエーションを作るために、あそこまで強引なストーリーをでっち上げるイマジネーションって素晴らしいと思うんですよね。物語をアクションに正しく奉仕させている(笑)。
    切通 でも、あの話は2号ライダー編にしてはドラマがある方でしたよ。怪人にされたレスラーに弟がいて、最後に兄が元に戻って、弟が「お兄ちゃん怪人だったの!?」って言うと、一文字隼人が「怪人は死に、お兄さんは蘇ったんだ」って答える。一文字自身も改造人間なのに、その弟の前ではあえてそこを切り捨てて言い切っていますよね。そんな一文字に強さ、優しさを感じてジーンとなりました。
    宇野 一文字って終始明るいんですよね。本郷猛って、特に初期は孤独で暗いんだけどその分人間的な深みがあるキャラクターとして描かれていた。あれはあれで格好いいんだけれど、一文字隼人は、仲間や子どもの前でも、背負っているものを全部飲み込んで常に笑顔じゃないですか。あれがいいんですよね。
    切通 一文字のキャラクターには、あの頃の東映のテイストが入っていますよね。当時東映で、宮内洋さんも出てた『キイハンター』(1968〜73年)というアクションもののドラマがあって、ナレーションで「恋も夢も望みも捨てて」って言ってるのに、みんないつも遊んでるように冗談を言い合ってる。本当は、任務で個人の生活を犠牲にしてる部分もあるんだけど、表面は常に明るいっていう。一文字隼人もそんな感じですね。
    宇野 子ども心に疑問だったのが、第39話のクリスマスのエピソードでライダーが狼男を倒したあと、子どもたちへのクリスマスプレゼントとして自分で仮面ライダーグッズを配ってるんですよ。あれがちょっとおかしくて(笑)。今考えるとメタフィクションっぽいですよね。
    切通 当時からべつに感動したとかはないんだけど、でも妙に印象に残る場面ですね。ちゃんと憶えているし。
    宇野 あれって一文字だから配れるんですよね。本郷猛はキャラ的に配れないんですよ、たとえ新1号編の、少し明るくなった本郷でもちょっと無理がある。
    切通 なるほどね。しかもその翌週(第40話)に1号が帰って来る。
    宇野 当時は、いわゆるダブルライダー編ってすごく盛り上がったんじゃないですか?
    切通 やっぱりもうめちゃめちゃ期待して見ましたよ。お正月の放映だったし、お年玉もらったみたいな気持ちになるイベントでしたね。鹿児島ロケで、桜島が舞台でね。
    宇野 ダブルヒーローというもの自体がそれまであまりなかったんですよね。それだけで十分引きがあるのに、あのたった数話の中で、片方のピンチにもう片方が駆けつけたり、片方が一時洗脳されて敵に回ったりと、後の作品で踏襲されていくダブルヒーローものの脚本術がかなり開発されている。それが今観てもすごいなって思うんですよね。あとは、ライダーダブルキックですよね。あれはもう言葉の響きだけで感動します。僕、小学生の頃にレンタルビデオで観るまでは本でしか知らないんですよ。なのにもう、大好きでしたもん。
    切通 そうですよね。やっぱり、ドラマの『仮面ティーチャー』(2013年)や、『スケバン刑事2』(1987年)とかでダブルキックが出てくると妙に燃えるんですが、その原点はあそこでしょうね。ただ、あの回は見ていて「1号ってあんなに黒かったっけ? 最近は2号の方を見慣れてるからギャップ感じるのかな」って思ったんです。でもいま考えると、あれはあの時だけのマスクだったんですね。
    宇野 「桜島1号」と呼ばれるスーツですよね。フィギュアが発売されるときも必ず旧1号とは別のスタイルとして別個に商品化されていますからね。僕は旧1号のほうが好きな造形とカラーリングですけれど、旧2号と並べるのならやっぱり桜島1号じゃないとしっくり来ないものがあります。
     
     
    ■『V3』プロローグとしてのショッカーライダー編――「新1号編」
     

    ▲仮面ライダー VOL.16
     
    宇野 で、その後、本郷猛が本格的に復帰して新1号編(53〜98話)になるわけですね。
    切通 じつは、僕が一番好きなのは新1号編の後半(80〜98話)から、続く『仮面ライダーV3」前半の「26の秘密」編ですね。
    宇野 初代『仮面ライダー』は物語があってなきに等しいのですけれど、一番物語性があったのは初代から『V3』へ移りかわるこの時期ですよね。
    切通 ショッカーライダー編とかだよね。ショッカーに親兄弟を殺された人達が作ったアンチショッカー同盟っていう組織が出てくるんですが、それが、連合赤軍じゃないけど、立花藤兵衛やライダーとも立場が違って、組織としての規律を守るためには個人を犠牲にしようしたりする。三者三様の錯綜した対決の中で、しかも偽仮面ライダーが投入されて「8人の仮面ライダー」っていうタイトルも、敵味方入り乱れて8人っていう……あの辺りの感覚にもどこか興奮しましたね。
    宇野 ショッカーライダーが6人と、それに加えて1号と2号の8人ですね。ちなみに、ショッカーライダーって石ノ森さんの原作版の方が早く登場していますよね。しかも、本郷猛を殺してしまう役どころだった。
    切通 原作のテイストが少し入ってきた、っていう興奮もあったかもしれない。
    宇野 原作漫画だとショッカーが仮面ライダーを量産して、本郷猛が十二人の仮面ライダーに囲まれてフルボッコにされて死んじゃうじゃないですか。そのショッカーライダーの一人が一文字隼人で、戦闘中に脳に衝撃を受けて正気に戻り二代目の仮面ライダーになる。やっぱり仮面ライダーはウルトラマンと違って絶対の存在じゃないんですよね。あくまでショッカーが作った改造人間が一人脱走しただけの存在だから、量産も可能だし、条件さえ満たせば「誰でも仮面ライダーになれる」。この決してオンリーワン「ではない」ヒーローという設定は仮面ライダーならではのものだと思います。これは旧1号編の後半で藤岡弘さんが降板した結果生まれた「誰がライダーになっても構わない」というメタルールが、その後も適用されていると言えますよね。
    切通 だから「8人の仮面ライダー」というタイトルにぞわっとくるのかもしれない。同じライダーなのに敵味方入り乱れて8人いるあたりに、子どもながらにヒーロー性のゆらぎを感じていたのかもしれないですね。
     
     
    ■『仮面ライダー』第9クールとしての『V3』――『仮面ライダーV3』
     

    ▲仮面ライダーV3 
    宇野 当時の感覚だと『仮面ライダーV3』(1973年)は、新番組が始まったというより、『仮面ライダー』の第9クール目のように見えたということでいいんですか?
    切通 そう、だから『V3』の第2話「ダブルライダーの遺言状」が仮面ライダーの第100話なんです。『V3』の序盤には本郷猛と一文字隼人が当たり前のようにいて、V3こと風見志郎は彼らに改造されるわけですよね。で、本郷と一文字が大空に散るのが第2話。『仮面ライダー』の最終回はショッカーを追いつめるという意味での最終回で、『V3』の2話で1号と2号が最後を迎えるという意味での締めくくりになっている。つまり最終回と第1話がシンクロしてるわけですから、盛り上がらない方がおかしい(笑)。
    宇野 『V3』の初期のドラマは独特の緊張感がありますよね。V3はスペック的にはすごく強いんだけれど、風見志郎が経験不足のせいで初期は何かと苦戦するじゃないですか。色々教えてくれるはずの先輩1号と2号は生死不明になってしまうし。