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  • 木俣冬×宇野常寛 『真田丸』――『新選組!』から12年、三谷幸喜の円熟を感じさせるただただ楽しい大河の誕生(PLANETSアーカイブス)

    2020-02-07 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』をめぐる木俣冬さんと宇野常寛の対談です。当時、低迷の中にあった大河ドラマは、12年ぶりとなる三谷幸喜作品によって大人気を博しました。これまでの三谷作品の変遷を追いながら、本作における作家の円熟を読み解きます。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年2月号) ※本記事は2017年3月1日に配信された記事の再配信です。
    木俣 『真田丸』は本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、「それでいいのか?」と自分で思うくらいでした。三谷幸喜さんの新たな代表作になったんじゃないでしょうか。
    宇野 僕も、三谷幸喜という作家の円熟を感じさせた作品だったと思います。三谷さんはおそらくはその中核にあるであろうシットコム的なものをやると空回ってしまう一方で、そのエッセンスをキャラクターものに応用すると評価される、ということを繰り返してきた作家だと思うんですよね。多分『HR』【1】のほうが三谷さんにとっては自分のやりたいことをストレートに出しているのだけれども、やっぱりシットコムの手法を別ジャンルに応用した『古畑任三郎』【2】のほうがずっとハマっている。それって多分「笑い」から政治風刺的なものを脱臭してきた、この国の文化空間の問題が根底にあるんだと思うんですよ。三谷さんはもっと欧米の政治風刺的なシットコムに憧れているところがあると思うんですが、それを日本のテレビは受け付けない。だから空気を読んで脱臭してやると『HR』みたいに無味乾燥になって、無理して押し通すと『合い言葉は勇気』【3】や『総理と呼ばないで』【4】のように空回ってしまう。どこが空回っているかというと、三谷さんの考える「正義」というのは基本的に戦後民主主義的というか、学校民主主義的な優等生っぽい「正義」で、端的に言えば淡白でダサい美学に基づいた正義感なんですよ。それを笑いで包むことによって粋に見せたいのだけど、政治と笑いを結びつける回路がこの国のテレビを中心とした文化空間では死んでしまっているわけです。
     そこで発見したのがキャラクターものとしての「歴史」という回路だったと思うんですよね。要するに、歴史ものという解釈のゲームに退避することによって、三谷さんの抱えてきた「笑い」と「正義」が初めてちゃんとかみ合うようになった。それが例えば『新選組!』【5】だったはずで、あの1話が劇中の1日になっていて、全50話をかけて近藤勇の人生で重要な50日を描く、なんてやり方なんかは、三谷さんがそれまでやってきたシットコム的なものの応用がハマった例ですよね。あのコメディの枠組みがあるから、新選組という敗者の側に立つことで学校民主主義的なイノセンスを浪花節的に見せる、というベタベタなものが逆に気持ちよく観れる。毀誉褒貶はあったみたいだけれど、僕は『新選組!』はアクロバティックな手法がうまくハマった作品だと思っていて、だから『真田丸』で今更やることがあるのかな? とまで思っていたわけです。しかし蓋を開けてみたらものすごくアップデートされていてびっくりしました。
    木俣 本当に、三谷さんの集大成になったな、と思いますね。『新選組!』に対しては、絶賛の一方で、「史実に沿っていない」などの批判もかなりあったじゃないですか。実際はそんなことなかったようで、その誤解に対する悔しさもあったかもしれませんね。それから12年、『真田丸』を描くまでに、三谷さんは結構いろんなことに挑んでいます。以前から好きだった人形劇に挑戦したり(『連続人形活劇 新・三銃士』【6】)、その発展形で文楽をやってみたり(『其礼成心中』【7】)。
     演劇の方面から三谷さんを語ると、彼は1980~90年代のいわゆる小劇場ブームの頃に人気があった東京サンシャインボーイズの主宰で、座付き作家であり、ときには俳優もやっていました。その頃は夢の遊眠社と第三舞台が小劇場界の二巨頭で、どちらの主宰も、イデオロギーというか、70年代的な社会問題意識みたいなものを隠し持った劇団だった。その中にあって、唯一全然思想を感じさせない、非常にウェルメイドで誰もが楽しめるお芝居を始めた珍しさを持っていたのがサンシャインボーイズで。それもあって、三谷さんはあまり政治色を出さない人だと思っていたんです。代表作である『笑の大学』(96年)は太平洋戦争開戦前の検閲の話ですが、あくまで2人の人間の関係性を描いた作品で。
     それが、13年にゲッベルスを中心にした群像劇『国民の映画』【8】をやったんですね。この舞台は世界が緊張状態にある中でのさまざまな立場の人たちの関係性を描いたもので、「ナチス」とか「ヒットラー」という言葉を一切出さないにもかかわらず、その巨大な抑圧みたいなものも感じさせ、作家としてかなり円熟味を増していた。『真田丸』はこの作品で突き抜けた先にあったと思います。この12年間の経験値が、『真田丸』を充実したものにしたんでしょうね。深みがある上、子供やお年寄りが観ても楽しめるような、すごくオーソドックスな構成でもあった。

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    インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
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  • 『真田丸』――『新選組!』から12年、三谷幸喜の円熟を感じさせるただただ楽しい大河の誕生(木俣冬×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】

    2017-02-23 07:00  
    550pt


    近年低迷している大河ドラマは2016年、12年ぶりとなる三谷幸喜作品によって大人気を博しました。話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、今回は大河ドラマ『真田丸』をめぐる木俣冬さんと宇野常寛の対談です。三谷作品の変遷を追いながら、作家の円熟を読み解きます。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年2月号)



    ▼作品紹介
    『真田丸』
    脚本/三谷幸喜 演出/木村隆文ほか 出演/堺雅人、大泉洋、草刈正雄、長澤まさみほか 放送/NHKにて、2016年1月10日~12月18日
    真田信繁(幸村)を主人公に据えた16年大河ドラマ。信繁の青年期に主君・武田家が滅び、父と兄らと右往左往する様子から、大阪の陣で破れ去る最期までを描く。出演者たちの演技はもちろん、『信長の野望』などで知られるコーエーテクモゲームスが劇中背景CGを提供していることや、大阪の陣における真田丸の戦いで超大型オープンセットを組んだ撮影なども話題に。

    木俣 『真田丸』は本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、「それでいいのか?」と自分で思うくらいでした。三谷幸喜さんの新たな代表作になったんじゃないでしょうか。
    宇野 僕も、三谷幸喜という作家の円熟を感じさせた作品だったと思います。三谷さんはおそらくはその中核にあるであろうシットコム的なものをやると空回ってしまう一方で、そのエッセンスをキャラクターものに応用すると評価される、ということを繰り返してきた作家だと思うんですよね。多分『HR』【1】のほうが三谷さんにとっては自分のやりたいことをストレートに出しているのだけれども、やっぱりシットコムの手法を別ジャンルに応用した『古畑任三郎』【2】のほうがずっとハマっている。それって多分「笑い」から政治風刺的なものを脱臭してきた、この国の文化空間の問題が根底にあるんだと思うんですよ。三谷さんはもっと欧米の政治風刺的なシットコムに憧れているところがあると思うんですが、それを日本のテレビは受け付けない。だから空気を読んで脱臭してやると『HR』みたいに無味乾燥になって、無理して押し通すと『合い言葉は勇気』【3】や『総理と呼ばないで』【4】のように空回ってしまう。どこが空回っているかというと、三谷さんの考える「正義」というのは基本的に戦後民主主義的というか、学校民主主義的な優等生っぽい「正義」で、端的に言えば淡白でダサい美学に基づいた正義感なんですよ。それを笑いで包むことによって粋に見せたいのだけど、政治と笑いを結びつける回路がこの国のテレビを中心とした文化空間では死んでしまっているわけです。
     そこで発見したのがキャラクターものとしての「歴史」という回路だったと思うんですよね。要するに、歴史ものという解釈のゲームに退避することによって、三谷さんの抱えてきた「笑い」と「正義」が初めてちゃんとかみ合うようになった。それが例えば『新選組!』【5】だったはずで、あの1話が劇中の1日になっていて、全50話をかけて近藤勇の人生で重要な50日を描く、なんてやり方なんかは、三谷さんがそれまでやってきたシットコム的なものの応用がハマった例ですよね。あのコメディの枠組みがあるから、新選組という敗者の側に立つことで学校民主主義的なイノセンスを浪花節的に見せる、というベタベタなものが逆に気持ちよく観れる。毀誉褒貶はあったみたいだけれど、僕は『新選組!』はアクロバティックな手法がうまくハマった作品だと思っていて、だから『真田丸』で今更やることがあるのかな? とまで思っていたわけです。しかし蓋を開けてみたらものすごくアップデートされていてびっくりしました。
    木俣 本当に、三谷さんの集大成になったな、と思いますね。『新選組!』に対しては、絶賛の一方で、「史実に沿っていない」などの批判もかなりあったじゃないですか。実際はそんなことなかったようで、その誤解に対する悔しさもあったかもしれませんね。それから12年、『真田丸』を描くまでに、三谷さんは結構いろんなことに挑んでいます。以前から好きだった人形劇に挑戦したり(『連続人形活劇 新・三銃士』【6】)、その発展形で文楽をやってみたり(『其礼成心中』【7】)。
     演劇の方面から三谷さんを語ると、彼は1980~90年代のいわゆる小劇場ブームの頃に人気があった東京サンシャインボーイズの主宰で、座付き作家であり、ときには俳優もやっていました。その頃は夢の遊眠社と第三舞台が小劇場界の二巨頭で、どちらの主宰も、イデオロギーというか、70年代的な社会問題意識みたいなものを隠し持った劇団だった。その中にあって、唯一全然思想を感じさせない、非常にウェルメイドで誰もが楽しめるお芝居を始めた珍しさを持っていたのがサンシャインボーイズで。それもあって、三谷さんはあまり政治色を出さない人だと思っていたんです。代表作である『笑の大学』(96年)は太平洋戦争開戦前の検閲の話ですが、あくまで2人の人間の関係性を描いた作品で。
     それが、13年にゲッベルスを中心にした群像劇『国民の映画』【8】をやったんですね。この舞台は世界が緊張状態にある中でのさまざまな立場の人たちの関係性を描いたもので、「ナチス」とか「ヒットラー」という言葉を一切出さないにもかかわらず、その巨大な抑圧みたいなものも感じさせ、作家としてかなり円熟味を増していた。『真田丸』はこの作品で突き抜けた先にあったと思います。この12年間の経験値が、『真田丸』を充実したものにしたんでしょうね。深みがある上、子供やお年寄りが観ても楽しめるような、すごくオーソドックスな構成でもあった。

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