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「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹
2022-07-15 07:00
本日のメルマガは、認定NPO法人フローレンス 代表理事の駒崎弘樹さんと宇野常寛との対談をお届けします。「政治参加」と言えば選挙やデモなど、積極的な行動を取る手段がイメージされがちな日本。しかし「政策起業家」の駒崎さんによれば、むしろ「普通の人々」の現場の声こそが政治を動かすのだと言います。そうした普通の人々が社会を変えていくためにはどうすればいいのか、駒崎さんの近刊『政策起業家:「普通のあなた」が社会のルールを変える方法』を手がかりに議論しました。(構成:野中健吾・徳田要太、初出:2022年1月14日(金)放送「遅いインターネット会議」)
「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹
宇野 本日は「政策起業家」という言葉をテーマに、駒崎弘樹さんとの対談を企画しました。駒崎さんは1月に『政策起業家』という本を出版し、また、代表を務める特定非営利活動法人フローレンスとしてさまざまな社会問題解決に携わっています。「政策起業家」は耳慣れない言葉かと思いますが、今日の民主主義や統治論を考える上で外せないファクターでもあります。この概念を日本的な形で持ち込むことが今の日本の民主主義の行き詰まりに対して一石を投じることになるのではないかと提案しているのがいまご紹介した『政策起業家』です。それでは今日はよろしくお願いします。
駒崎 よろしくお願いします。
宇野 駒崎さんの前著『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』が出たのは2015年でもう5年以上経ちますが、『政策起業家』はこの数年間のセルフドキュメンタリー的な内容ですよね。フローレンスが立ち上げた事業がどのような社会的反響を得て、それが政治を通じて法制度や条例にどういった変化をもたらし、結果的にどう世の中を変えていったのか、ということが克明に記されています。
駒崎 日本だと法律を作ったり変えたりするのは政治家と官僚、特に官僚のお仕事だという発想が浸透してしまっていて、法律は民間から変えられるものだという概念自体がそもそも無いんですよね。しかし実際はそうではありません。民間からも法律を変えたり作れたりするということをぜひ知ってもらいたいんです。なぜならそれが、危機感を抱くほどにグダグダになっている日本の政治シーンの突破口になると感じているからです。今日はそんな話をガッツリとしていきたいと思います。
保育園の「20人の壁」を壊したら待機児童の未来が開けた。
駒崎 「政策起業家」という言葉自体はアメリカでは「ポリシーアントレプレナー」と言われていて割とメジャーなものです。論文数で言えば5年で8,780本も出ていますが、これが日本だと5年でたったの19本しかなくほとんど知られていません。僕は政治家でも官僚でもありませんが、今まで政策起業家として10本以上の法律や制度を変えてきたので、政策起業家というのは一体どういうものか、僕が実践してきた事例でお話ししたいと思います。 まず僕自身のことですが、普段は認定NPO法人フローレンス(フローレンス=ナイチンゲールより命名)という団体で子育て支援・障害児の保育・特別養子縁組の支援といったことをしています。そうした「目の前の人を助ける」ことも非常に大事ですが、一方で、困っている人が生まれる社会構造や仕組みを変えていくというのが政策起業家の役目です。
例えば僕らが取り組んだものに「小規模保育所の制度化」があります。きっかけはある時産休・育休を取っていたうちの女性社員から「保育園に全部落ちて復帰できません。仕事もやめなきゃいけない」と連絡が来たことです。彼女を戦力として当てにしていたこっちは「ええっ!?」とびっくりしてしまいました。当時は待機児童という言葉がまだまだメジャーではなくて、子育て支援の仕事をしていた僕らでも「話に聞いてはいたけど、そんなことってこんな身近で起こるんだ」という状況でした。 ではどうするかと考え、ちょうどその時に病児保育にも取り組んでいたので、「保育する人がいるんだから、彼女のお子さんを預かれる保育園を作ればいいじゃないか」と思ったんです。そこですぐに役所に保育園の作り方を聞いてみたんですが、「入り口と出口は別々じゃないといけない」「このぐらい広さがないといけない」といったようなルールが大量にありました。その中でも一番つらかったのが、「子供の数が20人以上いないと保育園として認めません」というルールでした。20人だとかなりの広さが必要ですが、都市部にそんな空き地なんてありませんし、既存の商業物件に入るとなると坪単価がとても高くなってしまいます。「だから保育園ってなかなか作れないんだ」とそこで気づいたんです。でも「どうして20人なのかな」と思って、その理由を厚生労働省に電話して聞いてみたら「うーん、ちょっと理由はわかんないですけど、従ってください。昔からそうだったんで」と言われました。 そこで僕は、「ははあ、これは大した理由がないな」と思ったんです。「人間工学的に20人がベストというような理由は多分なくて、何かの理由でたまたまそう決まっているんだろう。だったら別に従わなくてもいいかも」と思いました。というのもこの「20人の壁」を何とか取っ払って9~10人で認められるなら空き家を保育園として利用できるんですよね。3LDKのマンションでも保育園ができるから、その辺の至るところで作れるようになります。そのために話を聞いてくれそうな政治家にかたっぱしからアポを取り始めて、その中に以前からの知り合いだった松井さんという方がいたのですが、わざわざ首相官邸まで呼んで直々に話してくれたんです。そこで「松井さん、かくかくしかじかで児童の数が9人や10人の保育園を作れたら絶対広がると思いますよ」と説得したら、厚労省に話を通してくれました。 実は僕の故郷である東京都江東区の豊洲エリアは「待機児童のメッカ」というニックネームがついています。そこでマンションの空き物件だった一室を保育園にしました。家を使うから「おうち保育園」というそのままの名前で、日本で初めて定員9人の小さい保育園を2010年にオープンしました。園庭などはもちろん無いんですが、近くの公園へ散歩も普通にできて子供たちは楽しく過ごせます。この「おうち保育園」は定員9人のところ、オープンしたら20数人の申し込みが来ました。おまけに、保育士不足の中で保育士さんもたくさん採用できたんです。実際に保育士さんに、「なんでうちに来てくれたんですか?」と聞いたら、「大きな園だと子供一人ひとりと向き合えないけど、ちっちゃい園だったらもっとちゃんと向き合えると思いました」という、意外だけど嬉しい答えをもらえました。つまりもう「おうち保育園」自体は成功したんですよね。
ですが、それで助けられたのは目の前の9人だけだったわけです。それはそれですごく尊いことなんですが、待機児童問題は日本中にありますよね。でも今のままだと、「おうち保育園」は単なる特殊なケースで終わってしまいます。これをモデルケースにして制度自体を変えていかなければならないと思いました。それで官僚や政治家の人に何度も視察に来てもらい、その場でそのモデルを売り込みました。そうしたら、注目してくれた方の中の1人に村木厚子さんという女性官僚の方がいて、彼女が待機児童対策特命チームのリーダーだったんです。その村木さんが「なんで気づかなかったんだろう。大きな保育園は作りにくいけど、小さい園だと確かに作りやすいよね」と言ってくださったんですね。そして法案を書き換えて「小規模保育」という言葉を入れ込んでくれました。その法案が子ども・子育て支援法という形で通って、2015年に小規模認可保育所が正式に制度化されました。それまで保育園の仕組みは70数年間ほとんど変化が無かったんですけれど、初めて大きく変わりました。児童が20人未満でも保育園として認められるようになった瞬間でした。この小規模認可保育所は2010年時点ではおうち保育園の一つでしたが、制度化された2015年のうちに約1600ヶ所に増えて、2020年には5000ヶ所以上に増えました。そのうちフローレンスでやっているのは10数園だけで、あとは他のいろいろな事業者の方が参入して運営しているという状況です。これで大きく待機児童問題は前進することになりました。 つまり、一つのモデルケースを作ってそれを政府にパクらせることによって国全体にその仕組みが広がり、より多くの人たちを助けることができるわけです。こう考えると、世の中を変えるというのは絵空事じゃないということがおわかりいただけるかなと思います。このように制度を変えていく人たちを「政策起業家」と言っています。
こういった話をすると、「いやそれ駒崎さんだからできたんですよね」というようなことを思うかもしれないですが、まったくそんなことはありません。その一つとして双子ベビーカーの事例をご紹介させていただきたいと思います。 うちの市倉さんという女性社員が、「双子の育児って本当に大変なのに周りに理解されない。外出もろくにできなくて鬱の一歩手前」と友人から話を聞いたそうなんです。市倉さんが「バスに乗って出かければいいじゃない」と伝えたところ、「いや、双子ベビーカーはバスに乗せてくれなくて、『乗る時はたため』とか言われる。でも双子抱えてベビーカーたたむのなんて無理」と、事実上、公共交通機関であるバスから排除されているエピソードを友人から聞かされて驚いたんですね。 そこで彼女はGoogleフォームで双子育児についてのアンケートを作り、フォロワーなんてロクにいない自分のTwitterアカウントでこの問題提起を投稿してみたんですね。するとこのアンケートにたくさんの反応が集まって、どれも双子育児についての悩みや大変さがつづられていました。その後相談があったので、「会社としてやろう」と伝え、フローレンスとして彼女を中心にチームで取り組むことになりました。詳しいことは『政策起業家』で述べたので省きますが、彼女が頑張った結果として小池都知事にアポが取れ、都知事もこの課題を認識してくれました。その結果、双子ベビーカーを折りたたまない乗車がまずは都バス全線で、そして2022年には私営含む都内のバス全路線で解禁されることになりました。だからこれから双子の子育てをする人にとっては双子ベビーカーがバスに乗れることが当たり前になると思います。そういう新しい当たり前を行政に関わっているわけではないママが情熱から起こした行動で作れたということは素晴らしいことだなと思います。
実はこの事例と同じことが50年ほど前に車いすでも起きていたんです。今やノンステップバスが当たり前ですが、1970年代までは車いすはバスに乗れなかったんです。けれど、当時青い芝の会という脳性麻痺者の障害団体の人がゲリラ的に車いすでバスへ乗り込んで、そこにマスメディアを呼び、今で言う炎上を起こしたんですね。それで話題になって車いすも乗れるようになったということがあったんです。
このように、我々が当たり前だと思っていることは実は名もなき市民たちが政策起業家として体を張り、情熱を持って動いて変えてきたという歴史があります。そうして積み上げてきた数々の当たり前の上にいま我々は生活しているんだということをぜひ知ってもらえたらなと思います。ですから誰だって政策起業家にはなれます。読者の皆さんも、何か変えようと政治家に1本メールを打った瞬間に、政策起業家の道としての一歩を踏み出しているんだということを知っていただけたらなと思います。理不尽なルールがあふれている我が国ですけれども、変えるのは政治家でも官僚でもなくて我々なんです。
アメリカのシンクタンク文化に対する日本の政策起業家
宇野 ありがとうございました。本来だったら、政治に関する官民の交流はもっと活発に行われるべきだし、民間からのルールメイキングの動きももっと当たり前のものとして存在しなければならないと思うんですよ。でもそれを今の日本の社会のルールの上でやろうとすると、一生懸命考え抜いた末のアクロバティックな手を打つしかない。それはすごく不幸だなと思います。だからこそ駒崎さんは自分たちが10年かけて実践しながら編み出してきたこの「日本的政策起業家」ともいうべきカルチャーを浸透していくことが今の日本に必要だと思ってこの本を書いたんだと思います。 けれど最初に聞いてみたいのは、もっとそもそも論のところで日本社会を変えていくことを考えなかったのかなというところなんです。例えば、永田町(政治家)と霞が関(官僚)の関係などの根っこの構造にメスを入れようと思った時期はありませんか?
駒崎 たとえばさっきお話しした通り、政策起業家というのはアメリカのほうがずっと盛んですが、その一因として大統領が変わると官僚が根こそぎ変わる点があります。例えば日本だと菅政権から岸田政権に変わろうが官僚はそのままですよね。これがアメリカの場合、トランプ政権からバイデン政権になるとトランプ政権の官僚は全員辞めて、民間のシンクタンクで勤めていた人が官僚になります。これはリボルビングドア=回転ドアという言い方をするんですけど、公共の政策をわかっている人が民間に出て、逆に民間から公共へ人が入ってくる。こうして政策をわかっている人たちが社会全体に蓄積されていくよう機能しています。そうすると民間と公共の間でいろいろなアクションも起きやすく、民間から政府に政策を提案できて実際にいろいろな政策が実現しています。このように、ある意味政策起業家が生まれやすい状況というのがあるんですよね。したがって、アメリカだと民間から政策を変えたいという意志のある人は、たとえばシンクタンクを起業して、どんどん政策提言をしていったりします。けれど日本でシンクタンクというと省庁から調査を引き受けたりする外注先であり、要するにSIerのような組織を指します。ですからシンクタンクからどんどん政策を提言して実現していこうというふうにはなっておらず、日本の政策起業家もほとんど育っていません。これは非常に勿体ないんですよ。なぜなら「日本ほどいま政策起業家が必要な国ってないんじゃないの?」という状況になっているからです。
実は、アメリカのシンクタンクは一体どうやって政策起業家的なことをやっているのかなと思って以前調べたことがあります。それでわかったのは、面白いことにアメリカのシンクタンクというのは寄付を資金源としたNPO法人なんです。ものによっては数百億円という額が寄付で集まるんですが、寄付をしているうちの多くは政界に関わりを持っているわけではない一般人なんですよ。法人や、何名かの大金持ちも寄付しているんですが、基本的には個人が多くて寄付層のポートフォリオバランスが良いままに運営されています。日本はどちらかと言うと法人の方が多くて個人が少ないし、寄付総額もあまり大きくありません。このように寄付文化とそれに根差した仕組みが違うから、資金調達力の面でアメリカと日本では大きな差が出てしまうんですよね。ですから、活動するための人材を集めるにしてもアメリカは結構容易にできるけど日本では難しい。そういった事情もあって、日本でアメリカのような政策提言をするシンクタンクが成立するところまで行くのはちょっと道のりが遠いという状況があります。 だけど個人が動いて政策を変えるということだったらそんなに資金力がなくてもできる。だから僕は統治機構や天下国家の視点ではなくて、ゲリラ戦士としての政策起業家をどれだけ増やすかという方向に向かいましたね。ただ、この政策起業家をそのうち仕組みにしてチームにしていくことが必要で、そうなった時にはアメリカ的なシンクタンクに発展していけるだろうという想いはあります。
宇野 そこにたどり着こうとした時に、日本はその1万歩ぐらい手前にいて、まずは民間からルールメイキングできるんだという「当たり前」を証明するところから始めなければならないのだと思います。でも、何十年後かには「あの頃は政策起業家っていったら、まず前例となるベンチャービジネスを成功させて、それから霞が関や永田町に強烈にアピールして自分たちのモデルをパクらせることで全体に普及させていく、みたいなまどろっこしいことやってたんだぜ」ということが昔話として言われるようになっているかもしれない。
駒崎 まさにそういうところを目指しています。そういう長いスパンで考えるのもあながち無駄ではないかなと思うのは、例えば僕は社会起業家第1世代とか、日本の社会起業家の代表事例のように言っていただいたりもするんですが、「社会起業家」という言葉自体は2008年に輸入されて2010年くらいから知られるようになったものです。ですから僕がフローレンスを立ち上げた2004年頃は僕の職業を名付ける概念が日本には無くて、「なんかNPOみたいなのやってる人」という扱いだったんです。つまり、今は無い職業や今は社会に無い概念であっても20年もあれば仕事にできることだってある。だから政策起業家も10年くらいかければ本気でそれを目指す人がある程度は出てきて10年後には割と普通な職業として、みんなが選択できるようなったらいいですね。
日本的な「スマートではない」ルールメイキングの有効性
宇野 「民間からのルールメイキング」というテーマを今の流行に乗った形で論じると、いわゆるGovTechとかvTaiwanの事例のようにテクノロジーでなんとかしようという話に陥りがちです。それはそれで良いのですが、ならばなぜ日本で駒崎さんはスマートさとは程遠いような現場での泥臭い手法で長年頑張っているのか、ここを考えないといけないと思うんです。
駒崎 言ってしまえば、台湾のようにテクノロジーを使って意見を集約して全体最適を見て意思決定するといったスマートなところにも、日本は遠く及んでないんですよね。もっともっと非常にウェットで、「こんなに困っている親御さんがいてね、どう思われますか?」といった意見を聞いた政治家が涙を流しながら「それは大変だね、なんとかできるよう頑張るよ」という世界なんですよ。10年後とかにはもっとスマートになっているかもしれませんが、いいか悪いかは別としてそういう状況なので本当に制度を変えたいとなるとそのウェットさにがっぷり四つに組んで戦っていかなければなりません。僕が政策起業家の概念を提起した時は、本当にリアリズムが徹底された中で出すしかなかったんです。
宇野 いや、僕はこのスマートではないアプローチが逆にいいと思っています。例えばvTaiwanというのはやはり専門家とマニアの集まりで、専門的な問題について議論ができたり意識が高く能力もある市民が集まって「シェアリングエコノミーの規制をどうするか」というような検討をしたりしているわけです。要はvTaiwanなどに表れているオードリー・タン的なアプローチというのは、テクノロジーエリートが先導することによって全体最適を目指すという発想ですよね。ですが今の日本というのは、スマートではない部分で民主主義の目詰まりを起こしているわけです。だから日本では等身大の困りごとに対してみんなで徒党を組んで行政の人と話しに行く、そしてその困りごとを解決するための仕組みを考えてみる、とかいった形で公共を作っていくことに駒崎さんは取り組んでいると思います。
駒崎 そうなんですよね。しかも、台湾は人口規模的にも小さいですが日本は1億2000万人以上いるし、新たなテクノロジーに不慣れな高齢者も非常に多い。その状況のモデルケースとなる国がない中で、それでもいかにこの衰退を緩和させていくかということが今の我々の世代に問われています。だからそこはもう徹底的にリアリスティックにやるしかないところですね。いろいろと取り組んでいる中で、わが国では市民が強い公共意識を持って動くなんてことは実際にはないんだという実感があります。とはいえ、それでも課題解決に向けて1ミリでも前に進めなければならないとしたら、やはり政治家に石を投げたり公務員を馬鹿にしていたりするだけでは駄目なんですよね。彼らに通じる言葉で、何が課題なのかを噛み砕いてお伝えして、そのためには何をすればいいのかを説明して、一緒にやっていきましょうよと説得していく。そういう地味な営業マンようなことが必要で、この泥臭さこそが日本的なのではないかなと思います。
宇野 変な話だけど、そんなに専門知識があるわけでもないしすごく卓越した自分の知見があるわけでもないような人が世の中にコミットしようと思ったときには、嫌いな政治勢力をTwitterでディスるという手法が、恐ろしいことにいま一番人気がある。そういったことをする人々に対して、「スマホを握って誰かを攻撃すること以外にも社会にコミットする方法ってあるんだよ」と実例で教えることが大事だと思います。そういった人たちはvTaiwan参加者のようなスマートなやり方ができないからそうしていて、だから「スマートじゃない」アプローチをしている駒崎弘樹的な政策起業家のモデルにこそ最大の可能性があると僕は思ってるんですよね。
駒崎 本当にそうですよね。10年前に僕らが共演したNHKの番組「ニッポンのジレンマ」でも話しましたけど、当時は僕らもSNSが日本の民主主義を変える夢を見ていました。しかし、結果そうはならなかった。僕は1999年に慶応のSFCに入って、「インターネットが世界を変える」「民主主義をより活性化させ、より個人が発信できるようになり、より自由になる」という夢を大学4年間で叩き込まれたんですよね。だからネットに対する夢はものすごくあって、その延長線上に生まれたSNSは個人が本当に世界に発信できて、より自由な市民社会を描けるんだという思いで宇野さんとも夢を語り合っていました。ところが、そこから「アラブの春」などを経て結局行き着いたのが、Twitter上でのディスり合いとその追走劇です。さらにはTwitter上の世論なんて現実の政治には基本関係なく、選挙では「ドブ板選挙」が勝利していき、自民党はずっと与党であり続けるという、僕らの夢が全敗した絶望の10年でした。ただ、マクロで見ると負けであっても、その中でミクロでの勝利を重ねていって少なくとも生活空間の中では少しずつ良くなっているということを生み出したいんですよ。
宇野 でも僕は今がけっこう勝負のときだと思っていて、例えば選挙の話をすると、公明党や共産党って明らかに足腰が弱っている。あの人たちがすごく得意だった、ひと家庭ずつ訪問して困りごとを聞きながら自分の党の中に取り込んでいくようなやり方も基本的には昭和の遺物なので団塊世代とともに緩やかに退場していく運命にあると思うんですよ。でも、彼らがいなくなったからといって、困っている人とか弱い人、ある種天下国家のことを理知的に分析する余裕がない人は変わらず大量に居続けるわけなんですよね。このままいくとそこにイデオロギーが入ってくる。比喩的に言えば橋本チルドレンと山本太郎の取り巻きが入ってくる。それが結構危ないと僕は思っていて、そうではなくイデオロギーを地上に下ろさないために何か自分たちの生活の課題や困りごとを政治に結びつける市民文化が必要だなと思っています。それを向こう10年ぐらいで作っていって、それが共産党や公明党が退場した後の受け皿になっていく以外、この国の民主主義がまともに機能するシナリオが思い浮かばないよ。悪い意味でのSNSを通じたイデオロギー浸透が生じる前に、スマートではないけどしっかり人々が社会に関わって世の中を変えられるんだという手触りを覚えられる市民文化を作っていかないと、時間切れになる気がしている。
駒崎 その「イデオロギーを地上に下ろさない」というのは非常にいい言葉ですね。あるイデオロギーの視点から誰かを悪者にしてそれをぶったたこうという発想が、ネタとして言っている次元から本当にそういうふうに思い込んで実際に排除が始まることがあるので、やっぱりイデオロギーというのは怖いですよね。また「スマートじゃないけど手触りのある市民文化」という言葉を聞いて僕が想起するのは、アメリカへ視察に行った時にボストンで参加したゴミ拾いイベントです。特に誰彼関係なくみんなでゴミ拾いやろうぜという感じのイベントで、ボロボロの格好の人とかも当たり前のように参加していました。そこに僕も混ぜてもらって、一通りゴミを拾い終わった後にみんなで輪になって、その日の感想を話し合っていたんですよ。そしたらそこにいた7歳くらいの男の子が最後に「僕はこのイベントを通じてボストンに貢献できたことを誇りに思います」というようなことを普通に言っていて、「えええっ!?」って衝撃だったんですよね。そんな言葉を子供が普通に言うのかと。例えば自分の子供とかが「住んでいる北区に貢献できて嬉しい」なんて言わないわけです。だからボストンでは地域社会というものの手触り感がしっかり根付いているという事実に少し戦慄したんですね。 もちろんこれはアメリカの一側面であって全然駄目なところもたくさんあるんですけど、市民としての社会への関わり方について、7歳の子供にその温度感があるのはすごいなと思いました。じゃあ、我が国にそれがあるのか? 例えば地域社会への貢献が普通に手触りを持って日常の中に組み込まれているかといったら、ないわけですよね。
宇野 そこの話で言うと、地域に愛着があるから関わりたくなるとみんな思いがちだけど、それは逆だと僕は思っている。別に好きで北区に住んでいる奴ばかりじゃないけれど、例えばゴミ捨て場が少なすぎだとか暴走族がうるさいよねとか身近で困っていることはあって、それを自分たちの動きで変えられたらその街のことが好きになるんじゃないかと思う。だから僕は先に「変えられる仕組み作り」からやっていけばいいなと思うわけ。地域への愛情なんてものは最初からなくてもいいし、後から勝手に出てくると思う。
駒崎 それはその通りで、いわゆる「IKEA効果」ですね。あそこの家具は安くて素敵だけど、組み立てるのに2時間とかかかる。汗だくになりながら本棚とかを作って、「作業時間を時給に換算したら果たして安かったのかな?」なんて思ってしまいます。でも、作った後にその家具がすごく愛しくなる。あれはコミットメントしたから愛せるんですよね。それと地域も同じなんです。関わって悪戦苦闘しながら変えていく中でいろいろな知り合いができたりこういうことができるんだという達成感も出てきたりします。だから行動しようとしたら自ずと愛は生まれることはあると思うし、「よくわかんないけどやってみようか」といった形で人々を巻き込む装置が必要かなと思います。
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箕輪厚介さん&たかまつななさん出演決定!【12/30】Hikarie +PLANETS 渋谷セカンドステージSPECIAL「PLANETS大忘年会2017」(号外)
2017-12-25 07:30いよいよ今週末になりました、12月30日(土)の年忘れ大型イベント、
Hikarie +PLANETS 渋谷セカンドステージSPECIAL「PLANETS大忘年会2017」に追加ゲストの出演が決定しました!
先日放送の〈HANGOUT PLUS〉にご出演いただいた際も大反響をいただきました、
幻冬舎編集者の箕輪厚介さんが第3部にご出演されます。
さらに、〈水曜解放区〉でおなじみの、お笑いジャーナリストたかまつななさんが第4部に出演決定!
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駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.239 ☆
2015-01-13 07:00
駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.1.13 vol.239
http://wakusei2nd.com
本日のほぼ惑は昨年12月13日の「PLANETS Festival」にて行なわれた、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さん、そして評論家でTBSラジオ「Session-22」パーソナリティも務める荻上チキさんとの対談をお届けします。このトークの翌日、12/14(日)に衆議院総選挙が投開票され、自公が326議席を獲得し圧勝しました。しかし、直近の選挙結果だけでは決して可視化されることのない、この国の政治文化の本当の課題があるはず。その課題を解決するために一体、どんな「ポジ出し」が必要なのか――? 荻上さん、駒崎さんに加えて、途中から宇野常寛も参加して白熱した議論の全容を、一部加筆・修正なども加えた「完全版」でお届けします。
▼当日の動画はこちらから。(PLANETSチャンネル会員限定)
▼プロフィール
駒崎弘樹(こまざき・ひろき)
1979年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、「地域の力によって病児保育問題を解決し、子育てと仕事を両立できる社会をつくりたい」と考え、2004年にNPO法人フローレンスを設立。日本初の「共済型・訪問型」の病児保育サービスを首都圏で開始、共働きやひとり親の子育て家庭をサポートする。2010年からは待機児童問題の解決のため、空き住戸を使った「おうち保育園」を展開し、政府の待機児童対策政策に採用される。2012年、一般財団法人日本病児保育協会、NPO法人全国小規模保育協議会を設立、理事長に就任。2010年より内閣府政策調査員、内閣府「新しい公共」専門調査会推進委員、内閣官房「社会保障改革に関する集中検討会議」委員などを歴任。現在、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員会座長、内閣府「子ども・子育て会議」委員、東京都「子供・子育て会議」委員、横須賀市こども政策アドバイザーを務める。著書に『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』(英治出版)、『働き方革命』(ちくま新書)、『社会を変えるお金の使い方』(英治出版)等。一男一女の父であり、子どもの誕生時にはそれぞれ2か月の育児休暇を取得。
荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年生まれ。シノドス編集長。評論家・編集者。著書に『ネットいじめ』(PHP新書)、『社会的な身体』(講談社現代新書)、『いじめの直し方』(共著、朝日新聞出版)、『ダメ情報の見分け方』(共著、生活人新書)、『セックスメディア30年史』(ちくま新書)、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)、『彼女たちの売春』(扶桑社)、『夜の経済学』(扶桑社 飯田泰之との共著)、『未来をつくる権利』(NHK出版)、編著に『日本を変える「知」』『経済成長って何で必要なんだろう?』『日本思想という病』(以上、光文社SYNODOS READINGS)、『日本経済復活 一番かんたんな方法』(光文社新書)など。
◎構成:鈴木靖子
「どこに投票すればいいのかわからない」ときに僕たちはどうすればいいのか?
宇野 今日はですね、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さんと評論家の荻上チキさんをお招きして、「政治への想像力をいかに取り戻すか」をテーマに議論していきます。荻上さんはジャーナリズムで、一方の駒崎さんは病児保育という分野で社会起業をし、世の中を変えていくための活動を続けています。くしくも、明日は衆議院議員選挙投開票日。まずは、ぶっちゃけ、「今回の選挙戦どうよ?」という話からしていきたいと思っています。
駒崎 僕は今回、全力を尽くしましたね。
宇野 尽くしましたね。戦って燃えましたね(笑)。
駒崎 僕は選挙が公示された12月2日にまず、『候補者イケメンランキング』(『これで貴女も、争点の無い選挙でも楽しめる☆衆院選イケメン候補者リスト』)をアップして、1週間後に、『落としちゃ、だめよ、だめだめ』っていうリスト(『【総選挙2014】落としちゃ「ダメよ?、ダメダメ」な衆院選候補者リスト』)を出したんです。
「みんな、投票に行こう」というメッセージに加えて、もう一歩踏み込んだかたちで、党に関係なく「この人はいいよ」という考え方があるという言説を展開したんですが、その反応はいろいろでしたね。例えば『イケメンランキング』のほうは、「政治は顔じゃないだろ」「政策で選ばなければいけない」みたいなマジレスもいただきました。
荻上 「女性をなめてるのか!」っていう反応もあったよ。
駒崎 「子育て支援とかしてるくせに、フェミニストの敵だ」とも言われ、まあ、燃えました。
荻上 すごいぶっこんだなと思いました。ジェンダーコードとか完全に無視するんだなって。
駒崎 そうですね(笑)。でも、そこはある種、意図的だったりもします。「落としてはいけない人がいる」「党とは関係なくいい人がいる」という話をしたかったから、そこに対してはしっかり踏み込めたかなあというふうには思いました。
でも、選挙結果はというと、投票日前日にもかかわらず自民圧勝が明らかですよね。そういう状況に対して僕らはどういう姿勢をとればいいのか、ということをチキさんと考えていけたらいいなと。
荻上 「投票結果が出て、そこで政治参加が終わり」というのはとてももったいないですからね。でも、投票に行かないのはもっともったいない。なにせ、選挙に行く人と行かない人の間の「一票の格差」たるや大きいですよ。そういう事実を呼びかけていくことは物書きとして続けなきゃいけないといつも思っています。
今回に限らずですが、選挙って常に難しい。自分にとってベストマッチな政党なんて存在しないわけですから。例えば、自民党は経済政策で評価するけど政治思想は評価しないっていう立場の人もいるだろうし、一方で自民党の経済政策は「NO!」と思う人がいたとしても、野党の政策に自らの「NO!」を託せるのかというと、やや物足りないと感じる人もいるでしょう。
今回の選挙戦を見ていても、誰が何によって投票するのかという意志行動は、さらにバラけていくように思います。
駒崎 僕自身、経済政策的にはアベノミクスを中心とした金融政策とかはまあまあ賛成という立場ですが、安倍首相の封建的な家族観や、育児休暇を3年に延長する「抱っこし放題3年」とかは止めてほしいと考えています。
そんな僕は自民党に入れればいいのか、あるいは自民党じゃないところに入れればいいのか?というところがよくわからない。でも投票しないのはちょっとイヤだし「どうすりゃいいの?」というある種のジレンマがある。これはたぶん、みんな思い当たるところがあると思うんですね。
僕らは「選挙」というものに対して、どのような姿勢をとっていくのか? さらに言えば、僕らにとって民主主義ってなんだっけ?ということを改めて考えていかないといけない。
荻上 今回のように大きな流れが確定している選挙のときって、僕は常に第三極、あるいは「スパイス」を探すという投票行動をとっています。「自民党だから」「非自民だから」とか、「どの党に与党になって欲しいか」というだけではない観点もありますよね。
例えば、所属政党と無関係に、あるジャンルにとても強く、国会質問を通して情報発信をしている議員がいます。国会議員は法律をつくるのがひとつの仕事だけれど、政府に対して質問をするのも仕事なわけです。「質問」は実は、ジャーナリズムと同じ役割を果たしている部分がある。国民の知る権利を満たすために「資料を出せ、考えを示せ」ということを問い続ける役割を政治家は担っている。だから、質問力がある人や特定の領域に共感できる人を見ていくと国会は面白くなるんです。
駒崎 そうなんですよね。僕にも、自民党、公明党、民主党など、党とは関係なく知り合いがいます。僕は子育て支援の事業をする中で、政治家に「この法案のここの部分が問題であり、修正して欲しい」といったロビイングをしていますが、さっきチキさんもおっしゃったように、国会で質問をしてもらうことで政府の見解を引き出すのもひとつのテクニックなんですね。
国会で答えたことは、絶対にやらなくてはならない。あるいは、国会で答えた解釈は曲げてはいけない、というルールがあります。だから例えば、子育て支援で、ある件について、「とても使い勝手が悪い運用をしてますけれど、これは、法律に書いてあるんですか?」ということを質問してもらい、答弁を書く厚生労働省の担当者、発言する政治家から、「そのつもりはありません」「改めていきたい」という一言を取れるということはとても重要です。
荻上 言質(げんち)を引き出すわけですよね。
駒崎 こうした草の根ロビイングから国会で質問をしてくれる議員って与野党関係なくいます。選挙となれば、多くの人が「与党選び」だと考えていると思いますし、確かにそうなんです。でも、いい野党を選ぶという考え方も重要ですよね。
荻上 東京大学先端科学技術研究センターの菅原琢さんの研究室のサイトには『国会議員白書』が公開されています。こうしたデータを見ると、国会議員になったのにまったく質問をしていない人もいれば、そもそも国会に来てもいない議員もいる。これは職務放棄であり、明らかに無駄。選挙に関しては、そういう視点から考えるのもひとつのアプローチになると思いますね。
マスメディアでの報道量が激減していた今回の選挙戦
荻上 今回の選挙で、僕自身がメディアの中にいて、結構、これまでと違うなと思ったのは、やっぱりメディアの側の緊張感が大きかったところですね。
駒崎 それはどんな風に?
荻上 テレビの報道時間などのメタデータをログし続けている「エム・データ」という企業があって、そこのデータが話題になりましたね。前回の衆議院選挙、あるいはその前と比較しても、今回の選挙って、公示から1週間の選挙報道の総時間が激減していると。以前の選挙と比べると、だいたい3分の1だったかな。
駒崎 めちゃくちゃ少ないですね。
荻上 理由はいくつかあるだろうけど、政府が「公平中立にやってくれ」と言ったとき、特にワイドショー番組とかって「2歩くらい下がって安全をとる」という行動を取りがち。ワイドショーの多くは制作会社が作っていて、外注である制作会社にとっては、ただでさえ数字がとれない選挙報道でポカしてテレビ局から切られるのは避けたい。そういった自粛が働いた可能性がひとつあります。ただワイドショーって政策ではなくて候補者のキャラクターが立った場合に取り上げやすいですから、数が減ったイコール選挙報道から手を引いたと単純には言えないんだけど。
駒崎 それにしても減りすぎじゃないですか。
荻上 テレビから情報を得て、投票をする人もいるので、「情報のレパートリー」が少なくなっていることは問題だと言える気はしますね。
駒崎 ちなみに、公正中立報道の要請という点では、今回チキさん自身が当事者になりましたよね。
荻上 『朝生』の一件ですね。自民党が出した要望書が直接の理由かどうかはさておき、これまで『朝生』がやっていた「ゲストを招いて議員に質問をぶつける」という方式を、今回は「偏らないように」ということで配慮して、直前になってゲストの出演がなくなった。
これは別に、荻上チキだからNGというわけではないし、たぶん僕はこれからも『朝生』には呼んでいただけるとは思います。だけど、そういうふうに「選挙期間中にゲストを呼ばずに議員だけを呼ぶのが公平」というかたちにしてしまうと、討論番組の枠が狭まってしまいますよね。知る権利とか議論の幅を拡張していくべき時代にある中で、今までできていたことを手放してしまうのはすごくもったいないな、と。
駒崎 どんどん枠が小さく狭くなっているんですよね。なんというか、政治のことを語るのにそういうふうな手続きが必要になっていくと、逆に民主主義を根腐れさせるような状況になってしまわないか、ちょっと心配です。
荻上 そもそも「特定の政党を集中して批判するな」ということは、どの法律にも書かれていません。こうした議論のときに必ず放送法が引用されますが、放送法をよく読むと、そこで謳われているのはまず「政治権力からの中立」。つまり政権が不当にメディアに対して介入しちゃいけないということが書かれている。
一方で、メディアに対しては「公共の電波を使っている自覚をもて」ということが書いてある。「メディアは不偏不党で公平に努めろ」「そんなメディアに対して権力は不当に介入しちゃいけない」というのが、放送法に書かれていることなんです。
駒崎 なるほど。
荻上 だけど、なんとなく「政治権力を怒らせるような報道をしてはいけない」というのが「中立」の意味だという捉える人がいる。基本的な社会認識がズレているということは、要所要所で感じましたね。
さらに一方で、放送法第4条に謳われているような、「メディアは公平性を担保しろ」という文章を削除すべきだという議論もある。例えば、アメリカなどでは放送メディアも、それぞれ支持する政治傾向がはっきりしてたりしますね。
駒崎 FOXニュースとか見ていると、オバマ大統領に対してすごく批判的でビックリしますよね。
荻上 FOXニュースでは、イラクの大量破壊兵器があったと信じる割合が高いとかね。そんなアメリカでは、約30年前に、フェアネスドクトリン、つまりメディアの公平原則に関する規則を削除しているんですね。そこまでやるかどうかは別にして「メディアの中立性」を考える上では、たとえば放送法を改正するとか、現行の「国が放送メディアに対して免許を与える」という形式を改めたほうがいいのではないかという議論もあります。
例えば今回引き合いに出された「椿事件」って、1993年当時にテレビ朝日のトップだった椿貞良氏が民放連の会合で、政権打倒のために放送をしたというようなことを言ったと報じられ問題となり、証人喚問されたという一件です。一連の出来事が、ちょうど放送免許の更新時期に起こって、テレビ朝日の放送免許が発行されない可能性が出たわけですね。ただしその後、言われていたような放送が行われたかという点については調査報告が出ている。
そもそも、政治権力が免許を与えて、「お前は報道していい、お前は報道しちゃいけない」と判断する制度そのものが、放送局が権力側の顔色を伺うということを温存する構造になっている。NHKの経営委員会を選ぶプロセスもそうですね。だとすれば、中立的な審議会のようなものを立ち上げて、そこが放送局に対して免許を与えるように、制度そのものを変えてメディアの中立性を議論し直そうという議論も、以前からあるんですよ。
駒崎 それは絶対やったほうがいいですよね。
荻上 一方で、今の「公平性」というのは、なぜか「中立性」つまり「色を出すな」という方向に行っています。中立性と公平性は厳密には違うんだけど、そんなことをしていて、どんな議論ができるんだよ、となる。極端な話、「経済政策のここがダメ」だと指摘したら与党批判になり、「フェア」ではなくなってしまう。そのコンセンサスが、メディア側にも弱かったですね。
SNS上の言論空間は何がダメなのか?
駒崎 テレビはそういうふうに制限されるかもしれないから仕方がない。ならばということで、「じゃあネットメディアで頑張ろう」「ネットで自由闊達な議論をしていこうよ」という議論も一方でありますよね。
そして数年前くらいまで、「ネットの普及で自由な言説が互いにぶつかりあう議論の場ができる」みたいな話だったはずなのに、今のSNSはデマとディスり合いが繰り広げられる惨憺たる有様です。テレビもネットもどちらも、メディア空間としては問題を抱えてしまっているように思えます。
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