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  • [特別寄稿]世界中が繋がり続けるアフターコロナ時代の新しい共創の形(後編) ──次世代組織開発から展望する未来の3つのシナリオ 田原真人

    2020-07-08 07:00  
    550pt

    新型コロナ危機によって、多くの人々が半強制的にワークスタイルやライフスタイルの変容を求められている2020年現在。その潮流は、マクロには20世紀型の均質な大衆社会の崩壊を加速し、ビッグデータ+AIの結託が人々の統制に向かう「監視社会シナリオ」や、真偽不明の情報のインフォデミックが反知性主義的なカオスを蔓延させる「暗黒社会シナリオ」の到来リスクを高めています。そんな望ましからぬ未来を避けながら、なるべく多くの人々が多様で生産的な繋がりを創発してゆく「統合シナリオ」へ向かうための羽ばたき方とは?「オンライン社会変革ファシリテーター」として、コロナ危機のずっと以前からリモート教育や「Zoom革命」を主導してきた田原真人さんが、その理論と実践を架橋しながら問う論考の後編です。
    前編はこちらから
    「監視社会シナリオ」の構造を『1984』から読み解く
     まず、監視社会シナリオから検討していこう。  ジョージ・オーウェルが1948年に発表した風刺SF小説『1984』には、監視社会シナリオを理解するための重要なヒントがある。この小説では、オセアニアと呼ばれる全体主義国家を統治する独裁者、ビッグブラザーが巨大ポスターやテレスクリーンに登場し、「ビッグブラザーがあなたを見ている」というメッセージを伝え続ける。これは、国民が心の中に超自我として抑圧者の視点を取り込む効果がある。  内面化された超自我は、自分自身から創発する物語を抑圧し、抑圧者の語る物語を生きるよう強制し続ける。「過去の歴史の改竄」を担当する小役人のスミスは、過去の新聞記事を見つけたことから党に対して疑問を抱く。これは、独裁者のプロパガンダ物語と個人から創発する物語との対立であり、全体主義を維持する側からすると抑え込まねばならないゆらぎである。  このようなゆらぎを抑え込むための機能として、思想警察による取り締まり、ニュースピークと呼ばれるボキャブラリーを減らした言語、論理矛盾が気にならない二重思考などの仕組みが、オセアニアには準備されている。思想警察は、疑問を抱くことに対する怖れを生み出してゆらぎの発生を予防するのと同時に、精神的拷問や洗脳によってゆらぎを矯正する。ニュースピークは、複雑な思考ができないようにボキャブラリーを制限し、自らの物語を語れないようにするためのものである。二重思考は、心の中に論理矛盾が生まれたとしても、それを違和感として感じないようにするためのものである。
     深尾葉子は、『魂の脱植民地化とは何か』において、「人間の魂が、何者かによって呪縛され、そのまっとうな存在が失われ、損なわれているとき、その魂は植民地状態にある」と定義し、「魂の自律性が失われているとは、自らへの感覚のフィードバックが絶たれているかどうか」であり、「自分自身の感覚との接続を部分的に断ち切り、あるいは、長期にわたって知覚できないように抑え込む装置ないし機構を、「蓋」と呼ぶ。」と述べた。  魂の上に蓋をし、自分の本来の感覚へのフィードバックが絶たれた状態で、内部に取り込んだ抑圧者が提示する「正しさ」を頼りに、社会に適合するためのインターフェースとしての外部人格を形成する場合、環境に応じて複数の外部人格が蓋の上に形成され、それらが、矛盾したまま共存する。深尾は、このような外部人格のことを「箱」と呼ぶ。箱によって区切られた外部人格が互いに矛盾していても、それらは感覚と切り離されており、その場に応じて外部に適応するために切り替えられるため問題にならない。これは、『1984』の二重思考に対応するものである。

    ▲図10 魂、蓋、箱
     現在、監視社会シナリオに最も近いのが中国であろう。街中に監視カメラが設置され、顔認証によって個体識別される。個人の行動データはクラウド上に蓄えられ、ビッグデータをAIが解析して行動データから意味を生み出すアルゴリズムの研究が進められている。扱えるビッグデータの量が膨大なため、AIアルゴリズムを成熟させていく環境が整っており、この分野で世界最先端に躍り出ている。  Covid-19の感染拡大防止のため、国民には緑(健康)、黄(注意)、赤(危険)の3色の健康コードが付与され、感染者が出た場合、クラウド上に蓄えられたデータから濃厚接触者が割り出されて健康コードが変更になる。黄や赤になるとバスやレストランの使用が制限される。この仕組みは、Covid-19の感染拡大防止に効果を上げているが、同時に、あらゆる行動が常に国家によって監視されている状態がすでに実現していることを表している。このような状況の中、中国本土の人々や、香港の人々の創発的な語りは蓋をされて封じ込められていくのか、または、蓋を押し上げていくのか、予断を許さない状況が続いている。監視社会シナリオは、テクノロジーによって実現する現在の全体主義である。
    学問が崩壊して反知性主義が広がる「暗黒社会シナリオ」
     続いて、「暗黒社会シナリオ」へ向かうメカニズムを考えてみよう。  インターネットの発展により情報格差が無くなることは、知の開放をもたらす一方で、玉石混合の情報が溢れるということも起こる。その結果、出所が不明な情報を組み合わせてストーリー化した陰謀論や、世紀末の恐怖を煽るカルトの情報などにも簡単にアクセスできるようになる。あらゆる世界観が並列し、相対化されてくる。人々が自分にとって都合のよい世界観に閉じこもった結果、世界観の違いによって考え方が細かく分断し、建設的な議論や対話ができなくなって知性が減退し、陰謀論やカルトが台頭しやすくなるというシナリオが、暗黒社会シナリオである。
     コンゴの子ども兵をテーマにした映画『Ninja & Soldier』の映画プロデューサー袋康雄は、子ども兵になっていく過程を以下のように説明する。

    「子どもを脅して、友達や親を傷つけたり殺させたりさせて罪悪感を植え付けると、子どもを支配できるようになって子ども兵になる。」

     これと同様の構造は、多くのカルトでも見ることができる。
     社会的暴力や抑圧によって心が傷つき、その傷から発生する怒りが他人へ向かうと「殺したい」という衝動になり、自分に向かうと「死にたい」という衝動になる。この仕組みを極端な形で利用して支配しているのが子ども兵やカルトであるが、同様の仕組みは、学校や企業組織などにおける管理体制の中でも作動している。この仕組みを、より一般化した形で語ると、次のようになる。
    「社会的暴力や抑圧によって罪悪感を植え付けられると、自己嫌悪によって自分自身と対峙することが難しくなり、自己欺瞞が発生しやすくなる。その結果、自己欺瞞を維持できる世界観に惹かれるようになる。そこで、相手の支配を受ける代わりに自己欺瞞を維持するという共依存関係が生まれる。」
     安冨歩は、『生きるための経済学』の中で、この思考連鎖を次のように表現している。
      自己嫌悪→自己欺瞞→虚栄→利己心→選択の自由→最適化
     自己嫌悪によって自分の生命ダイナミクスとの繋がりを断ち切ると、自己欺瞞が発生し、それを維持するための共依存関係を外部と結ぶ選択肢が立ち上がる。自分の中の流動性を否定した人は合理的思考が優位となり、全体主義の秩序の一部となることに惹かれやすくなる。一方で、合理的思考を否定した人は、身体性、精神性が優位となり、自分の感覚と通じ合うコンテンツやコミュニティに惹かれやすくなる。ビッグデータとAIによって多様化する消費者の好みを分析し、それに応じた多様なコンテンツを豊富に提供するプラットフォームは、個別最適化された多様な顔を見せる現代のビッグブラザーである。自分にとって居心地のよいコンテンツ世界への依存が進むと、異なる世界観の人同士での建設的なコミュニケーションが取れなくなり、視座を上げた抽象的な思考ができなくなってプラットフォームに飼いならされていく。監視社会シナリオも暗黒社会シナリオも、自己嫌悪からの逃避による闘争/闘争エネルギーによって生まれる活動の行きつく先という点で同根である。
     社会に設定される画一的な主流派の価値観と、そのアンチテーゼとして生まれる反主流派の価値観とは、表裏一体であり、ちょうど対極にある部分を否定し、その部分を抑圧するため、戦いが終わらない。アメリカで発生している白人警官と黒人との対立構造も、このメカニズムなのではないだろうか。

    ▲図11 主流派と反主流派の終わらない戦いの構図
     画一的な子どもを育てる工業社会の教育システムは、正解主義によって子どもがありのままの自分を受容することを阻害してきた。正解がすでに無くなっている時代に、正解を教える教育システムが機能不全に陥っていることの現れの一つは、不登校児童生徒の数が16万人を超えていることだろう。自己疎外から発生する闘争/逃走のエネルギーは受験という競争に勝ち抜くための行動として活用されている。受験勉強で問われるのは、合理的思考である。そのため、受験勉強と就職活動という競争の勝者が辿り着く官僚的な大企業の多くでは、ありのままの自分の持つ性質である、個人の自由や流動性が否定され、それらは「自分勝手」「わがまま」として忌避される傾向がある。そのため、それらが表現されると、そこに、攻撃のエネルギーが向かいやすい。攻撃のエネルギーが組織外部に向いているときは、企業の競争力として活用できるが、何かのきっかけで組織内の他人に向かうとパワハラとなり、自分自身に向くと自己否定が起こってメンタルダウンを引き起こす。
     私たちの社会は、そのような火種を発生させ、暴発のリスクを内側に抱え込んでいる。
     このような闘争/逃走のエネルギーは、Covid-19が感染拡大する状況の中で、世界中で発動している。
     たとえば、
    「自分勝手に外出する奴のおかげでロックダウンが台無しだ! 警察や軍は、あいつらをちゃんと取り締まれ!」
    という言葉がSNSで肯定的に語られている。それは、全体主義を推し進める口実を与える。中国では、Covid-19をきっかけに管理体制が強まり、監視社会シナリオへと向かう制度や設備が急激に整ってきている。
    多様性を自己受容に活用する「統合シナリオ」
     以上のような監視社会シナリオ・暗黒社会シナリオへの道筋は、きっと多くの人々が避けたいと望む未来像であろう。では、ビッグデータやAI、Web会議といった情報化社会を司るテクノロジーを、ありのままの自分が受容され、暴力の火種が生まれにくくすることに活用できないだろうか。  その可能性を探るのが、「統合シナリオ」である。
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  • [特別寄稿]世界中が繋がり続けるアフターコロナ時代の新しい共創の形(前編) ──次世代組織開発から展望する未来の3つのシナリオ 田原真人

    2020-07-07 07:00  
    550pt

    Covid-19のパンデミックを機に、いま世界中で既存の秩序の矛盾や綻びが露わになり、想像を絶する勢いで、社会は先の見えない混迷の時代に突入しているように感じられます。一方で、個々人の働き方や暮らし方には様々な選択肢が生まれ、新たな可能性が拓けつつあることも確かです。この変容の本質をどのように捉えれば、創造的なチャンスに転じていけるのか。「オンライン社会変革ファシリテーター」として、コロナ危機のずっと以前からリモート教育や「Zoom革命」を主導し、イノベーティブな組織開発の取り組みを表彰するODNJエクセレントアワード組織賞を受賞したトオラス主催の田原真人さんが、その理論と実践の架橋をつづった刺激的な論考を、前後編でお届けします。
    Covid-19危機によるオンライン化が生み出した二極化
     2020年は、後から振り返れば、Covid-19の年として記憶されるだろう。  感染症の世界的大流行を表すパンデミックは、人類史上、何度も起こっている。14世紀にヨーロッパに広まった黒死病、16世紀に南北アメリカに広まった天然痘、近年では、1918年のスペイン風邪など、パンデミックの歴史を辿れば、数十年に一度の頻度で起こっていることがわかる。   しかし、Covid-19には、過去のパンデミックとは明確に異なる特徴がある。それは、グローバライゼーションによって一体化した世界が初めて体験するパンデミックだということである。人間が地球規模で移動するようになった影響で、Covid-19は、わずか数週間で世界中に広まってしまった。これは、かつて人類が経験したことがない事態である。私たちは、地球規模で同じ問題に取り組むという体験をしている。その体験によって、Covid-19は、私たちの記憶に刻まれるだろう。
     世界中で行われているのは、感染拡大を防ぐために「Stay at home(家にいろ)」である。私たちは、世界中でほぼ同時に、仕事場やカフェで人と会うことが大きく制限されるという状況を体験している。感染拡大と医療崩壊を防ぐためには、お互いの接触をできるだけ減らすしかないのである。1918年のスペイン風邪のときにも、同様の対策が取られたはずだ。  だが、今回のCovid-19には、もう1つ大きな特徴がある。それは、インターネット時代のはじめてのパンデミックであるということだ。私たちは、世界中の人たちが自宅に籠り、インターネットで繋がりあっているという共通体験をしているところである。  その結果、なかなか進まなかった教育のオンライン化と仕事のリモートワーク化が急激に進むことになった。学校を再開できない状況の中で多くの教師がオンライン授業に挑戦をし始めたし、在宅ワークをせざるを得ない状況の中で、Web会議に初めて取り組んだ人が大量発生した。それを端的に表しているのが、Web会議システムZoomのユーザーの急増である。Covid-19以前は1千万人程度だったのが、わずか1カ月後には30倍の3億人へと急増したのである。
     私は、2005年からオンライン教育に取り組み始めた。2011年にマレーシアに移住してから現在までの9年間、すべての仕事をオンラインで行っている。2012年には「反転授業の研究」というFacebookグループを立ち上げ、オンラインの参加型ワークショップのノウハウを集合知によって作り、2017年にはオンラインで繋がる自律分散型の組織「与贈工房(現在は、トオラスに改名)を立ち上げて、そのノウハウを個人や企業に向けて提供している。同じ年に出版した『Zoomオンライン革命』は、日本で最初に出版されたZoomに関する書籍である。  15年間、オンライン化というものが社会に何をもたらすのかということを考えてきた。本稿では、Covid-19が社会の変化のプロセスをどちらの方向に進めたのかを考察したいと思う。
     Covid-19以前にオンラインに関心がなかった層は、「オンラインはリアルの劣化版である」と認知していることが多い。例えば、図1のように、リアルでできることを100とすると、オンラインでできることは50であると捉えていたりする。

    ▲図1 オンラインはリアルの劣化版か?
     しかし、「オンラインだからこそできることはないだろうか?」という問いを立てて探究を始めた人は、図2の水色の領域が存在することに気づく。ひとたび、その領域の存在に気づくと、様々な新しい使い方を工夫できるようになる。それと同時に、テクノロジーの進化によってできることが増えていく。

    ▲図2 オンラインだからこそできること
     それが、さらに進むと、リアルだからできることの領域よりも、オンラインだからできることの領域のほうが大きいと感じるようになってくる。そのとき、自分の意識の中心が、リアル世界(黄色い円)から、オンライン世界(青い円)へと移行し、世界の捉え方に変化が生まれる。

    ▲図3 リアルからオンラインへ視座の中心が移る
     その結果、リアル基準でオンラインを捉える人と、オンライン基準でリアルを捉える人との二極化が起こる。Covid-19による自粛が空けると、前者はCovid-19以前の生活に戻り、何事もなかったかのように生活するだろう。しかし、今回をきっかけに後者の可能性に気づいた人は、Covid-19以前の生活に戻ることはない。リアルとオンラインを両方選べる状態で、オンラインを選択する機会が多くなるからだ。すでに発生している前者と後者の意識の乖離は、今後、さらに大きくなっていくだろう。
     リアル基準の意識で見ると、リモートワークは、リアルの劣化版の仕事環境である。指示命令系統が混乱したり、マネージャーが姿の見えない部下の管理に苦労したりする。コミュニケーションのすれ違いから人間関係のトラブルが発生したり、メンタル不調を訴える人も増えてくる。   一方で、オンライン基準の意識で見ると、別の可能性が見えてくる。管理を手放して、自律分散型で動ける組織へと転換すると、各自がマイペースで仕事ができ、柔軟にオンラインで集まって話せるオンライン環境の生産性の高さに気づく。グループウェアで情報を共有し、多対多・双方向コミュニケーションを日常的に行う環境を構築して、必要に応じて対面やオンラインでミーティングを行う働き方は、一人一人に意志決定を行うために必要な環境を与えるということである。日常的に議論や対話が行われる組織文化を育てることができれば、知的生産性を飛躍的に高めることができる可能性を持つ。

    ▲図4 リモートワークの二極化
     トップダウンで管理する組織がリモートワークへ移行すると、にらみを効かせるマネジメントが機能しなくなり、劣化版の一方向コミュニケーションによってチームが崩壊しやすくなる。このようなチームは、Covid-19騒動が収束するのをじっと我慢して耐え、収束後は、元のやり方へ戻るだろう。その一方で、自律分散型の組織がリモートワークへ移行すると、拡張版の多対多・双方向コミュニケーションがリアルを超えた価値創造の可能性を持つことに気づき、生産性がむしろ上がっていく。  新たな可能性に気づいた組織は、Covid-19騒動が収束した後も、元のやり方には戻らずに、見出した可能性を発展させていくだろう。私は、Covid-19におけるオンライン化によって、このような二極化が起こることを予想している。
    会話ネットワークのWeb化が進み、アイディア創発やナラティブ創出が起こる
     Covid-19によって、多くの人が在宅勤務になり、1日に何時間もオンライン会議をする人が増えた。オンライン会議が当たり前になったことで、社交もオンラインへと移行しつつある。SNSで繋がっていた古い友人と何十年ぶりかでZoomで話したり、遠隔地に住む仲の良い友人たちを誘い合ってオンライン飲み会をしたり、オンラインが当たり前になったことで、話し相手の顔ぶれが変わった人も多いのではないだろうか。   9年前からマレーシアに住んでいる私にとっては、イベントの多くがオンライン化することによって、参加できるイベントの選択肢が爆発的に増えた。かつては、東京や大坂で実施されているイベントを海外からうらやましい気持ちで眺めていたが、2020年になり、それらの多くがオンラインで参加可能になった。イベントがオンライン化したことで、地方や海外に住んでいる人の知的活動の範囲は急激に広がっている。それは、今後、集団としての知的生産性の向上に結びつくだろう。
     世界中で、様々な組み合わせのグループで会話がなされている様子は、地球規模でワールドカフェが行われているかのようである。ワールドカフェとは、グループのメンバーをシャッフルしながらグループ対話を行っていくワークショップ手法である。ワールドカフェでは、参加者のアイディアがWeb状に相互に繋がり合って新しいアイディアを生み出し、未来を創造する自己組織化が起こるようにデザインされている。
     私は、毎日のように、Zoomを使って様々に異なるメンバーとオンライン対話を続けているが、朝の対話で思いついたアイディアが、午後の別のグループの対話で発展し、夜にはアイディアが大きく育っているということがよくある。また、今までうまく表現できなかったことが、ふっと耳にした言葉によって「それが言いたかったんだ!」と思い、その言葉を借りて表現できるようになることもある。そんなとき、私は、毎日、ワールドカフェをし続けているような錯覚に陥る。  アイディアの創発やナラティブの創出は、直線的に起こるものではない。蜘蛛の巣(Web)のように複雑に張り巡らされたコミュニケーションのネットワークを、様々な言葉が増殖しながら飛び交い、アイディア同士が結びついてアイディアが創発したり、言葉と言葉が様々な形で結びついて物語化することによってナラティブが創出したりする。それらは、生き生きとしたグループ対話を、様々なメンバーとし続けることで、必然的に起こってくるものである。
     Covid-19以前には都市部に偏っていた文化的イベントへのアクセスが、オンライン化によって世界中へと広がり、それらに触発された人たちが、毎日、毎日、様々な組み合わせで語り合いながら、複雑な会話のWebを作っている。その中で生まれたアイディアやナラティブがアフターコロナの進む先を示すヒントになるのではないだろうか。
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