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記事 2件
  • 【対談】與那覇潤×宇野常寛 「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(後編)

    2018-05-01 10:45  
    550pt
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    『知性は死なない――平成の鬱をこえて』を上梓した、歴史学者の與那覇潤さんと宇野常寛の対談の後編をお届けします。平成初期の「啓蒙の時代」、2000年代初頭の「インターネットの理想」が頓挫した後に、ソーシャルメディアによる「言葉のインスタ化」の時代が始まります。平成の30年間を総括しながら、次世代を担うであろう知性の萌芽について語り合いました。(構成:菊池俊輔)この記事の前編はこちら。本記事内のリンクに誤りがあったため、修正いたしました。記事をお読みくださった皆さまにはご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます。【5月1日10時45分追記】
    書籍情報
    『知性は死なない――平成の鬱をこえて』 平成とはなんだったのか!? 崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探して―いま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!
    「95年の思想」と「啓蒙の時代」
    與那覇 2014年から長期連載になる予定だった、宇野さんと一緒にベストセラーを読み解きながら平成史を語る企画を、自分の病気でだめにしてしまって本当に申し訳なかったと思っているのですが…。そこで考えたかったことのひとつが、「平成の啓蒙主義」はいかに挫折したか、ということだったんです。 たとえば1994年に、東京大学出版会から東大駒場の名物教授たちのオムニバスという形で出された『知の技法』が、数十万部売れるということがありました。「象牙の塔から開かれた濃密さへ」みたいなコピーだったと思うけど、昭和の頃はエリート限定で閉ざされていた知性が平成にはオープンになり、国民全体の知的な底上げが起きる、いや起こすんだといったムードがあったと思うんです。東大教授がベストセラーを出すどころか、ジャーナリストの立花隆さんが「知の巨人」と言われて、「いまの東大生は教養がない。もっと上を目指せ」みたいに煽って、ますます人気が出るといった現象も起きました。 宇野さんの『ゼロ年代の想像力』では、「95年の思想」とその破綻が論じられていましたよね。95年に発生したオウム真理教事件に集約される問題と格闘して、処方箋を模索するすごく真摯な試みが宮台真司・小林よしのり・庵野秀明の各氏によってなされたけど、それらは発表されると同時に行き詰まってしまってもいたと。にもかかわらず、なのか、まさにそれゆえに、なのかはわからないのですが、ぼくはその後の1996年から2001年くらいまでが、いわば「啓蒙2.0」――そういう表記はこの頃まだなかったですが――の時代だったと思うんです。 右派であれば「新しい歴史教科書をつくる会」が96年末に記者会見をして(翌年初頭に発足)、小林さんがその主張を漫画で描きまくった。賛否は別にして、少なくとも戦前世代の軍国老人どうしでなれあうんじゃなくて、若い人たちを「啓蒙」して国民的な主体にするんだという意識があったわけです。左派的な側でも、やはり96年の丸山眞男の死を一つの契機として、姜尚中さんや高橋哲哉さんによって、「戦後啓蒙」の死角になっていたところに光を当てていこうと。たとえば旧植民地の視点をもっと取り入れて、連帯して、よりバージョンアップした市民社会を下から築いていこうという試みがなされました。 いわばここまでは、戦後民主主義と同様に「啓蒙」は続けようと。ただし、戦後日本が見落としたものを拾う方向で、という空気が言論の世界で広く共有され、育成されるべきは「国民」か「市民」かをめぐって、識者が争った時代だったと思うんです。しかしそれが2000年代前半に、左右ともガタガタッとコケていき、啓蒙へのエネルギーがむしろ「自己啓発」に向かうようになる。2007年から一世を風靡しはじめた勝間和代さん的な、国民でも市民でもなく「自分」が賢くなって、もっと稼ぎましょう、という潮流に傾いていった。
    宇野 「95年の思想」と「啓蒙の時代」はシームレスに繋がっていると言えます。「95年の思想」には、80年代的な「ネタ」の時代からの90年代前半のバックラッシュとしての「ベタ」への転換が背景にあった。中身のないこと、意味のないことに意味があるというモードの80年代に対して、90年代になると文学者たちが湾岸戦争反対の署名運動をやり、『それが大事』や『愛は勝つ』がミリオンセラーになるベタソングブームがあった。この「ベタ回帰」に対して、ためらいや試行錯誤を受け入れて、あえて迷い続けることを選ぶ態度。「80年代の相対主義には戻れないが、かといってベタ回帰に陥るのも避けたい」というある種の良心が「95年の思想」には込められていたわけです。しかし、それはニーチェ主義的な超人思想でもあったわけです。小林よしのりさんの変節が体現するように、人間はその状況には耐えられず、やがて「人は物語なしでは生きられない」という開き直りの方が強くなっていく。平成初期の時点では、まだ啓蒙という理念が生きていて、それが右では「新しい教科書をつくる会」、左ではカルチュラル・スタディーズやポリティカル・コレクトネスの動向として現れていた。どちらもイデオロギー回帰的な運動体ですが、與那覇さんのお考えでは当時のこれらの運動にはまだ動員のロジックに負けない啓蒙主義の強さがあった、というわけですね。
    與那覇 もちろん動員は動員なのだけど、「最初から味方」な人たちを動かせばそれでいいんだ、というのではなく、ニュートラルな人たちに訴えかけて、新しく味方を作っていくことを真剣に考えてはいた。それが啓蒙ということではないでしょうか。政治的にも1996年にオリジナルの民主党が結成されたときは、「自民党・対・小沢一郎」みたいな、どっちもプロどうしの札束合戦、既存の組織票の積みあいはもう嫌だと。健全なアマチュアリズムをめざそうじゃないかという、時代の空気をつかんだ面はあったと思う。 木村幹さんの『日韓歴史認識問題とは何か』での「つくる会」評に感嘆したのは、そこを描かれているところでした。直前までむしろリベラルだった小林さん、もとは共産党系の教育学者だった藤岡信勝さんが前面に出て、アマチュアに訴えかける手法を持ち込んで展開した点が、それまでの保守系の運動とは違っていた。いまの若い方は知らないと思うけど、『教科書が教えない歴史』みたいなタイトルって、昭和時代にはむしろ左翼的な人たちが、「自国に都合の悪いエピソードを隠す、文部省の教科書検定に抗おう」というニュアンスで使ったものだったんですよ。ぼくなんかそういう本だと思って立ち読みして、全然正反対で驚いた記憶がある。 しかし、初代会長を務めた西尾幹二さんが『保守の怒り』という本で怒っていましたが、2000年代の前半を通じて運動がいわゆる日本会議系統の「昔ながらの保守」の人たちに主導権をとられていき、西尾さんも2006年に手を引くことになる。その後は要するに、自民党の地方議員を動かして、国会議員をつき上げましょう、経済系の親睦団体をつうじて、地場産業の保守オヤジで結束しましょうといった「ありがちな昭和の風景」に戻っていった。 「家のPCでインターネットにつなぐ」のが、富裕層や先進的な趣味人に限定されない普通の生活スタイルになっていったのが、孫正義さんの参入でブロードバンド(ADSL)が普及した2001年ごろからかと思うのですが、そこにも当初は、いい意味でのアマチュアリズムの残り香があったと思います。同年にローレンス・レッシグの『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』を山形浩生さんが訳して、その解釈をめぐって池田信夫さんと論争したりもしましたが、どちらも「ネット発の論客」という新しさがあった。もちろん、それぞれ翻訳家・経済学者としての業績はお持ちでしたけど、それまで多かった「すでにテレビや本で有名な人が、ファンサービスでホームページも開きました」というのとは違っていた。 かつ、この頃はまだ、そうしたインターネットの新しさが、のちに「ネットde真実」と揶揄されるような、書籍中心の知識人に対するいわゆる反知性主義的な攻撃という形をとってはいなかったんですよね。書物的な教養には敬意を払った上で、相互に補完していこうというスタンスだった。2000年にベストセラーになったジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』の日本語版で、Further Readings (参考文献リスト)が削除されていたことに怒って、山形さんたち有志が復刻版を公開したりとかもありましたよね。
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  • 【対談】與那覇潤×宇野常寛「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(前編)

    2018-04-24 07:00  
    550pt

    『知性は死なない――平成の鬱をこえて』を上梓した、歴史学者の與那覇潤さんと宇野常寛の対談の前編をお届けします。「中国化」がもたらす科挙的な能力主義、あるいは平成という「鬱(うつ)の時代」を乗り越えるための知性とは……? 與那覇さんが闘病の中で見出した「新しい知性」のあり方について議論しました。(構成:菊池俊輔)
    書籍情報
    『知性は死なない――平成の鬱をこえて』 平成とはなんだったのか!? 崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探して―いま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!
    『中国化する日本』の世界観を乗り越える
    宇野 與那覇さんの新刊『知性は死なない――平成の鬱をこえて』(文藝春秋、4月6日刊)を読ませていただきました。素晴らしい内容で、非常に勉強になりました。いくつも話したい点はありますが、まずは、この本を書くことになったきっかけやコンセプトについてお伺いしたいと思います。
    與那覇 もちろん直接的なきっかけは、躁うつ病(双極性障害)にともなう激しいうつ状態の体験ですが、病気とはまったく別に、「いつかは同時代史を書きたい」という気持ちは歴史研究の過程で強く持っていたんです。「自分たちが生きてきた、平成とはどんな時代だったのか?」という問題意識ですね。 元々そう思っていたところに、病気と休職・離職を経験したことで、「大学教員などの知識人が、自身の知見を広く社会に還元することで、人々を啓蒙し、日本をよりよい国にしていく」といった理想が、自分もふくめてことごとく失敗していった時代として、平成を総括しようと考えるようになりました。どこでつまずいたのか、それを分析して、反省すべき点を次の時代につながなくてはいけない。そうすることが、大学はやめても、「知性」に対して自分ができる最後のご奉公だろうと。
    宇野 躁うつ病という個人的な体験を掘り下げることが、結果的に平成という「鬱の時代」を論じることに繋がっている。そこに非常に説得力を感じました。 この本には、與那覇さんがうつ状態で仕事を辞めざるをえなくなり、闘病生活を送った記録、病気によって自分自身の世界観そのものが打ち砕かれていった過程が記されています。うつは複合的な症状をもたらしますが、そのひとつは知的能力が大きく低下してしまうことで、この体験を結節点として究極の近代主義としてのネオリベラリズムに対する、そして同時に『中国化する日本』で與那覇さんが提示したネオリベラリズムの進化系というか、その本質の露呈としての「中国化」を乗り越えるための思考が展開されるわけですね。それは具体的には人間の能力は個人の内側にあるのではなく、共同体や個人の関係性の中で発動するものだという能力観の転換として提示されるわけです。 『中国化する日本』では、歴史的にグローバルな「中国化」とローカルな「江戸化」の間で揺れ動いてきた日本が、今、否応なしに「中国化」への対応を迫られていることが指摘されています。この傾向は著者としては決して望ましくはないが、その状況に対応するしかないことを半ば宣言しているという、非常に挑発的な本でした。 『中国化する日本』をいま僕なりに読み返すと、中国的な血族主義はネオリベラリズムに対して有効なセーフティネットになるのだけれど日本的なムラ社会、ご近所コミュニティや昭和の大企業共同体はなすすべもなく解体されてしまったし、一時期日本でも流行っていたグラノヴェッターのいう「弱いつながり」がそれを代替するには、まだまだ環境が整っていない。さあ、どうするんだという挑発で終わっているのだけど、対してこの『知性は死なない』では「中国化」と「江戸化」のどちらでもない「第3の道」が見出されているわけですね。
    與那覇 ありがとうございます。同書も色々な誤読をされた本ですが、『知性は死なない』に一番つながる観点で振り返るなら、「中国化」とは人類最初の本格的メリトクラシー(能力主義)、つまり宋以来の伝統である「科挙」の価値観が全面化した社会のことですね。 自分も病気で、一時は日常会話にも不自由するようになって身にしみたけど、公正な社会の条件でもある能力主義は、「能力が低い」人にとっては地獄そのものなわけです。だから、それ「だけ」では社会を維持できないので、必ずバッファー(緩衝材)がいる。  緩和策として伝統中国で採用されたのが、宗族(父系血縁集団)という親族体系で、要は「能力がないやつは、能力のある親戚にタカって暮らせ」という発想ですね。しかしこれが、今日の共産党にいたるまで、政治腐敗の温床になった。宗族ってものすごい人数の血縁集団で、そこからたった一人の秀才に投資して官僚になってもらい、残りの凡人全員がぶらさがって暮らすということだから、いくら不正蓄財しても足りなくなってしまう。  逆に日本の江戸時代は、身分制度が残った点では中国より「遅れて」いたわけですが、能力主義が徹底しない分、いまでいう核家族に近い小規模の家族経営で、親の仕事を見よう見まねで続けていけば、そこそこ食べられる仕組みだった。皮肉にもこれが相対的には、近代化に向いていたんです。数人の家族を食わせるだけでいい分、官吏がそこまで汚職をしなくてすんだというのが、京極純一さんの『日本の政治』での分析でした。 『中国化する日本』を「中国システムを礼賛し、ヨイショする本だ」と誤解する人が多かったので、当時講演を頼まれたりしたときは、この京極説を紹介して中和したりしてたんですよ。必ず聴衆がどっと笑って、「なんだ。やっぱり中国は二流、日本が一流じゃん。安心した」みたいな空気になる。でも、その後ぼくが病気で寝ているあいだに、もうそんなことを言っていられない情勢になったようで…。
    宇野 『中国化する日本』が刊行された2011年は、中国はグレート・ファイアウォールに囲まれ、グローバルスタンダードから外れた特殊な国という理解をされていたと思うんです。あれから5年以上経った今、たぶん僕たちが生きている間はずっと世界経済の中心は中国であり続ける可能性が高い。20世紀後半がアメリカを中心とした「西側諸国」と「それ以外」に(安易な見方をすれば)区分できる時代だったとするのなら、これからは「中国」と「それ以外」の時代になるわけです。政治的には欧米型リベラル、経済的には資本主義の組み合わせでやっているアメリカやEU、そして日本は中国という新しいスタンダードから外れた「周辺」になることも十分考えられるわけです。良くも悪くも。そして今でこそ経済誌などを中心にこうした中国観は珍しくないのだけど、與那覇さんは当時からグローバル化とは、実は「中国化」であると指摘していたわけですね。
    與那覇 同書を出した頃は、ネットには叩く人も相当いましたね。「こいつは『最新の学問の成果』を詐称して、中国が先進国だなどとトンデモを広めている!」みたいな感じで。たしかに当時、たとえばサムスンの韓国製スマホやタブレットは日本でも広まっていたけど、ファーウェイなんかは無名でしたよね。  でも病気から起き上がってみたら、IT企業で日本は中国に完敗、コンテンツ産業もそのうち抜かれそう、権力者を恐れて官僚が公文書を偽造だなんて「もう中国並みだ」みたいな記事がネットに溢れていて…。もし同書をいま出していたら、「学問、学問って偉そうなくせに、内容が平凡すぎる」と逆から叩かれそうですね(笑)。
    宇野 テンセントやアリババも、今のような巨大な存在感を示していませんでしたからね。
    與那覇 今回、自分なりの平成史をまとめてみて再認識したのですが、いちおうは歴史研究者をしていたこともあって、やっぱり発想が後ろ向きなんですよね。あの本にしても、「中国はどんどん伸びる!将来は世界を支配するぞ!」みたいなことには、あまり関心がない。  ぼくはむしろ、そうして「中国的になってゆく世界」に合わせなきゃ競争に負けるぞ!、というかけ声の下で、どんどん日本社会が機能不全に陥ってゆく、そのなかで失われてゆくものの方を見ていたんだなと思います。ただし保守派の人たちと違うのは、それを「古きよき日本が外圧で奪われた」とは捉えずに、むしろ中途半端に日本の「悪いところ」が残り続け、それが中国的な競争社会のダークサイドと癒合して、奇っ怪な病理的症状を呈していると考えた。「ブロン効果」【※注】という言葉で指摘したものですね。
    ※注 ブロン効果:星新一の短編『リオン』に由来する概念。メロンとブドウをかけ合わせ、巨大な実がたくさんなる新品種を作ろうとしたら、ブドウのような小さな実がメロンのように少数できる品種になってしまった。このエピソードから、両者の「良いとこ取り」を狙ったにも関わらず、結果的に「悪いとこ取り」になってしまう現象のことを指す。
    宇野 そしてこの本では、「中国化」と「江戸化」の対立の中で、「中国化」を批判的に受容しながら上手く舵取りをしていくべきだった大学が、言葉の最悪の意味で「江戸化」していった。個人の研究では相応の実績を残しながら、組織としては日本的なムラ社会以上の機能を果たしてない今の大学の状況が、克明に描写されていたと思います。
    與那覇 認めるのはつらいことですが、まさにそうです。あの頃、宇野さんとはテレビの討論番組とかの「若手論壇」的な場でずいぶんご一緒したけど、だいたい、似たような話になったじゃないですか。日本の戦後社会を支えてきた、典型的には終身雇用企業的な「中間集団」は、これからも要るのか、むしろ崩してしまうべきなのか、みたいな。  「もう崩しちゃえよ」って言ったほうが一貫するのはよくわかっていたけど、そういう場で自分がなかなかそう言えなかったのは、やっぱり所属していた大学というものへの信頼というか忠誠心と、期待があったんです。知性によって選抜された人たちが、議論に基づいて運営してゆく大学というものが、いまの日本で一番、いわば「理想の中間集団」みたいなものに近いところにいるのではないかと。そんなの、お前が当時は准教授をしてたことから来るだけのナルシシズムだろ、と言われたら、それまでかもしれませんが…。  そういう虚妄に賭けて、みじめに失敗したことはよくわかっているのだけど、でもそこで見聞きした実態をぶちまけるだけでは、ただの露悪的なゴシップになってしまう。どうしたら、そうではなく自分の体験を普遍性のある考察につなげられるかと考えたときに、見えてきたのが「能力」の概念、能力主義の意味を根底から組み替える再考察、という一本の筋だったんですね。
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