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記事 12件
  • 分断を埋める「洒落」をアップデートする | 丸若裕俊

    2020-05-26 07:00  
    550pt

    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて』。今回のテーマは「洒落」です。新型コロナウイルスによって多くの分断が露呈してしまった現状を前に、茶が提供する「和やかさ」は、人々にどんな影響をもたらすのでしょうか。日本的な美意識と、そのアップデートをめぐる対談です。

    丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて第12回 分断を埋める「洒落」をアップデートする
    コロナであらわになった「分断」
    丸若 まず、先が見えないなかの話にはなるんですが、ある程度視野を広く持っている人ってこのコロナ禍が起きたことって、すごく大きな転換期として捉えていると思うんです。   僕も、今まではまずはとにかく「1人でも多くの人にお茶を飲んでもらいたい」と考えていたけど、正直言うとそれだけではいられなくなってしまった、というのが今の正直な心情です。  たとえばいま、何事もなかったかのように街に出ている人たちがたくさんいる。もちろん、理由があって街に出ている人もいると思うんですが、そうじゃなくて、単に気にせずに、いつも通り徘徊してしまう人もたくさんいるじゃないですか。そしてそういう人とどうコミュニケーションを取っていいか、僕にはわからないなって痛感しちゃったんです。同じ日本人で同じ地域に暮らしてるってところは一緒でも、こうも違うんだっていうのがもろにわかってしまった。
    宇野 今回のできごとで、いわゆる社会の分断というものが大きく加速してしまったことは間違いないと思います。まず受動的にテレビやTwitterを眺めている人たちと、もう少し能動的に自分から公的な情報と専門家がそれにどう反応し、議論が別れているかを調べている人たちに大きく別れている。そして前者の人々の中にも、自粛していない人々をまるでウイルスのように警戒する人々もいれば、逆にびっくりするくらい気にせずに「今日はよく晴れてるから鎌倉に行こう」と出かけてしまう人々もいる。  もちろん、最低限の知識が共有できていなくて、無防備に出かけてしまう人たちはベタに、そして徹底的に啓蒙しなきゃいけないと思うんだけれど、それがいわゆる「自粛警察」的なインターネットリンチによってなされるのは、後世のために絶対に認めちゃいけない。しかしこの警鐘自体が、リンチの対象になりかねないところまで事態はエスカレートしているように思えます。
    丸若 だから僕も、以前は本心で「より多くの人にお茶を」って思ってたんだけど、もうそれが変わってしまって。
    宇野 たとえばいまアメリカでは健康保険に入っていない人たちが困ってると言われています。その人たちの何割かは確実にトランプに投票してるわけです。彼らはトランプが「アメリカらしいアメリカを取り戻す。お前たちの仕事がなくなっているのは移民のせいだ、だからグローバル化を制限して、壁を作ります」って言ったから、投票したわけです。要するにこれって、みんな承認の問題を解決するためにトランプに投票しているわけですよね。トランプの政策が自分たちの生活にプラスになるかどうかを、彼らは冷静に判断してなかったと思うし、その能力もなかった。その結果、彼らは実際にオバマケアを外されて、生命の危機に瀕しているわけですよ。  言い換えれば彼らは効率と安全よりも、承認と安心を取ったわけですよね。同じようなことがおそらく世界中で起こっていると思う。ウイルスってよくわからないものが流行っていて、不安だからテレビ、Twitterを見る。情報を探しているときだけは不安を忘れられる。その結果として不確かな情報をいっぱい吸収して、うち何割かは再拡散する。  つまり、同じようなことがいまも繰り返されているわけです。人間って心の安定のためだったら平気で命も売るんだ、ということがよく分かる。このような状況に、丸若さんがコミットしてきた日常に句読点を打つ行為がどうコミットできるのか、を今日は考えたいです。
    日本の美意識は「和やかさ」にある
    丸若 日本の美意識って、よく「繊細さ」「研ぎ澄まされてる感じ」「緊張感」「引き算」という言葉で語られますけど、最近「ちょっと違うな」と思っているところもあるんです。いま僕が注目しているのは「和やか」というキーワードです。茶道にせよ、日本美術といわれているものにせよ、緊張感だけじゃなくてちょっと笑顔になるとか、気持ちが安らぐというところが、美しさの頂点にあるんです。  それは日常的に飲まれてきた茶の話でも同じで、茶は安らぎや穏やかさを与える飲み物だったからこそ、みんなに重宝されてきたと思うんですよね。もちろん、茶の美味しさが美食家の舌を唸らせることもあるんだろうけど、世の中には他にいくらでも舌に対してアプローチする飲み物がある。この和やかさが、いま日本人だけじゃなく世界中にすごく求められていると思っています。  でも、この「和やかさ」は実は経済と反比例したところにあるのかもしれない。みんなその感覚を麻痺させられてきたから、どうやってそれを取り戻していいのかわからなくなってしまった。
    宇野 「和やかさ」は確かにいま、もっとも求められているけれど、もっとも足りていない成分かもしれないですね。でもこれは難しい問題で、たとえば戦争中に「お前、なんでスカート履いてるんだ。もんぺ履けよ」みたいなことを注意して回るおばちゃんがいたと思うんですよ。あの人たちは別に本当に彼女が空襲にあったときにスカートだと逃げられないから注意してるんじゃなくて、空気を読んで我慢しない人がいるのが嫌で攻撃してるんだと思う。そしてそういう、本当はどうでもいい他人の人生に干渉することによって自分が死ぬかもしれない不安から逃げたかったんだと思うんです。  この、スカートを履いて歩いているお姉ちゃんを注意するもんぺのおばちゃんみたいなものと、「和やかさ」を大事にする日本的な美って実はコインの裏表なんだと思うんです。そして残念ながら、このコロナ禍は日本的なものの悪いところの方が出ちゃってる気がしている。なんとかして恒常性を維持したいという気持ちが、ソーシャルネットワークではデマの温床になっているし、休日の小町通りはごった返すということにつながっている。  そこに対して、和やかであることを求める日本的な美のポジティブな面でいかに対抗するかですよね。「毒を以て毒を制す」じゃないけれど。
    丸若 だから僕はこの前お話したとおり、茶を配って「みんな家で飲もうよ」というところから、その次のステップのティータイムというものを考えたいと思っていて。「間」っていうのは和やかさのことだと思うんです。良い間があるということは、和やかな状態のこと。今は隙間のないところに無理やり隙間を作ろうとしてるから、みんな変に必死になっている。それって滑稽じゃないですか。
    宇野 はい、滑稽ですよね。
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて 第11回 (いまだからこそ)「一服」の価値を再考する

    2020-04-23 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて』。今回は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて丸若さんが始めた、茶のプレゼントをめぐる対話です。先行きの見えない今だからこそ、茶が提示することのできる可能性を探ります。(構成:石堂実花)
    贈り物としての茶が持つメッセージ
    丸若 最近、新型コロナウイルスの影響でなんだか人と会いづらくなっているじゃないですか。このタイミングに自分もなにかできないかと考えて、ぱっと浮かんだのが「炊き出し」なんですよね。災害が起きる度にどこよりも先に、その土地にあらわれるような存在ってすごいなと思っていて、それに近いことができないかと考えていて……。 そして最近1パックずつの茶を、近しい方々へまとまった数をセットしてプレゼントするということをやっているんです。もらった人は、自分で飲む以外にも、仕事先とか会社とかに渡すのも自由にしてくださいという形で送っています。正直、このご時世なので何をやっているんだとお叱りを受けることもあるかなと思っていたんですが、実際に送ってみると「はっとした」「そういうことだよね」と言われたという反応が多くて、ほっとしています。

    宇野 これは面白いですね。というか、久しぶりに「粋な話」を聞いたな。いま、たしかに新型コロナウイルスの影響で人と会いづらくなっているけれど、多くの人はその埋め合わせを、インターネット上での過剰なコミュニケーションによって行っていると思う。寂しさを埋め合わせるために、とにかくインターネットでコロナウイルスについて話すことに夢中になっている。けれど、そういった寂しさの埋め方というか、不安の誤魔化し方を僕はあまりいいことだとは思わないんですよね。そういったコミュニケーションが、デマやフェイクニュースの温床になってしまうことを、僕らはあの震災でさんざん思い知ったはずですから。
    でも、このやり方ならちょっと違う人間同士のつなぎ方ができるように思う。インターネットを使って言葉だけで過剰につながろうとすると、目の前の不安から逃げ出したい気持ちに負けてしまうけれど、言葉じゃなくてモノを渡されるとちょっとそこが違ってくる。しかも、iPhoneとか宝石とかじゃなくて、茶が送られてくる。それってモノのプレゼントじゃなくて、実は時間のプレゼントなんですよね。「一拍間をおいて、一服しませんか」というメッセージになっている。このタイミングだからこそ、このメッセージはとても意味がある。不安から安易な言葉のつながりに逃避するのではなくて、一服してきちんと不安を受け止めようということですよね。
    丸若 たとえば、こんなご時世だから宅配サービスみたいなサービスを利用しようという人も増えていると思います。でも、ああいうサービスは良くも悪くもですが、人と人との関係を切ってしまいがち。でも、同じ遠隔のコミュニケーションでもこういうかたちなら、遠隔のコミュニケーションだからこそ伝わる真心があると思うんです。だから今回は、茶のプレゼントを通じて、みんなを共犯者にしようと思って……。
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて 第10回 都市のダウナーな快楽を求めて

    2020-03-26 07:00  
    550pt

    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。意識の高い層によるアッパー系の文化が主流を占めた近年ですが、最近はサウナ、シーシャ、純喫茶といったダウナー系のサービスが注目を集めています。2020年代の都市空間でダウナーな快楽を呼び起こすための条件を探ります。

    ペットボトルと茶の湯
    宇野 今日は喫茶文化が日本の都市圏において、どう変わっていくのかをテーマに議論したいと思います。かつて街の喫茶店がカフェに変わっていったことが、都市のライフスタイルを規定したように、2020年代には茶を中心に日本の喫茶文化が変貌を遂げていくのではないか。 もう少し具体的に言うと、緑茶の大衆化のターニングポイントになったのは、1990年代に伊藤園が始めたペットボトルの「おーい、お茶」ですよね。ペットボトルによって淹れる手間なくコンビニでお茶を買えるようになって、さらにあれが90年代後半には小型化されて持ち運べるようになった。あれは日本の茶の文化を書き換えた出来事でしたが、それと同じレベルの変化がこの先、お茶系飲料に起きることで、日本の喫茶文化にも大きな影響があるのではないか。これまでは「ペットボトルのお茶」と「茶の湯」の中間の領域について議論してきましたが、そのペットボトルのお茶も、30年ほど前に開発されたものでしかない。まずはそこから議論をはじめてみたいと思います。
    丸若 考えてみたいのは、なぜ日本では商品を良くしようとしたとき、プロダクト自体にしか考えが向かないのか、ということです。たとえばペットボトルのお茶がコンビニで売れだしたときに、コンビニはどういう背景でその商品を仕入れたか。当時の人々の嗜好やどんなテレビ番組を見ていたか。それらを踏まえた上で、どうすれば次の段階に行けるのか、という風には考えない。漆のお椀であれば「お椀自体がカッコよければ売れるはずだ」となる。
    宇野 商品をどうやって売るのかにはフォーカスしても、商品の周辺についてはあまり見えていない。前提の深堀りが足りないというか、システムの一部だけを見て話しても意味がないんですよね。
    丸若 そういった発想では、ペットボトルと茶の湯が同じ「茶」として一緒くたにされてしまう。たとえば、ニューヨークで砂糖入りの抹茶が流行っていますが、あれが良いとか悪いとかではなく、何を変えて何を残せば本質の強度が保たれるのかを考えないといけない。それができないと、タピオカミルクティーみたいにブームとして消費されて終わってしまう。逆にそこを確保できれば、変に面倒な説明をしなくても「イエス」と言ってもらえる。本来あるべきシーンを作って、そこにはめ込めば、知識がない人でもお茶を飲むだけで「美味しいね」となる。それがないから過剰なプレゼンをして、本当か嘘かわからないような話に持っていくしかない。これは茶に限らず、文化全般に対して言えることだと思います。 これはF1とプリウスを並べて、車のあるべき姿を議論しているようなもので、茶の湯の話をしてる風なのに、実はペットボトルの話をしていたり、ペットボトルの話をしていたはずが、すごく高尚な話になっていたりする。
    大航海時代という物語性
    丸若 以前、コーヒーについて掘り下げて考えてみたことがあって。そのときに辿り着いたのは、もちろん味も重要ですが、それよりも大事なのはストーリーだということです。コーヒーの場合はそれが明確で、背景にあるテーマは大航海時代なんです。『ONE PIECE』のように、いろんな土地を旅して手に入れたものを皆で飲むことが、コーヒー文化の大本のコンセプトとしてある。日本の茶の場合はそれとは違っていて、もちろん静岡の土壌はいいとか鹿児島はこうというのはあるんですが、狭い国内での文化なので、土地や自然環境から極端な差は生まれにくい。それもあって、ストーリーを上手く作り切れていないんです。 GEN GEN ANはサードウェーブっぽいとよく言われますが、それはアウトプットの話であって、本質は違います。その一番の理由は、日本の歴史には大航海時代がないからで、サードウェーブのストーリーをそのまま日本の茶に適用するのは無理があるんです。コーヒーが土地の文化で横軸に展開しているなら、日本茶は歴史を縦方向に深堀りする文化。そのストーリーを上手く構築できれば、コーヒーに匹敵するドキドキ感を伝えられるはずです。
    宇野 産地に紐づいた物語作りは、植民地経済のスケールがないと作りづらい。だったら横軸ではなく縦軸でストーリーを作ることを考えたほうがいいということですね。
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて 第9回 渋谷の街から考える〈見立て〉と〈閒〉(後編)

    2019-12-03 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。かつてストリートカルチャーが隆盛し、現在は東急が力を持つようになった渋谷に、GEN GEN ANは何をもたらそうとしているのか。都市空間から生活の場へと浸透していく〈閒〉の思想の可能性について語り合います。※本記事の前編はこちら
    銀座の巨大商業ビルで「閒」に出会う

    宇野 ここまで丸若さんと「体験のデザイン」と「平和なカオス」についての話をしてきましたが、後者についてもう少し僕なりに解釈してみたい。 90年代の渋谷のストリートには「平和のもたらしたカオス」があったと思うんですよね。僕は雑誌の中でしか知らないけど、丸若さんは実際に体験していると思う。しかし、それは当時のアフターバブルの東京という経済的条件と、インターネットがまだ生まれていない情報環境があって初めて成立したものだから、二度と戻ってくることはない。 さすがに今の渋谷にそんなことを考えている人はいないと思うけど、90年代のカオスな渋谷を現代にそのまま再現するのはどう考えても無理ですよね。 90年代の渋谷は、バブル的なラグジュアリーのカウンターパートで、バブル後のストリートから若い世代によって、ジャンクで勢いのあるカオスなカルチャーが生み出された。そういった力学があってはじめて、90年代の渋谷のストリートは成立していたと思うんですよね。それを踏まえると、丸若さんが今、渋谷でGEN GEN ANを開いていることは、結果的にそこに生まれてくる意味も含めて、すごく考えちゃうんですよね。丘の上のパルコは、今度復活するんでしたっけ?
    丸若 今年の11月にオープンしましたね。この時代に巨大建造物作って何を伝えるのか?そして誰に?という思いの中、実はそこでもある取り組みがスタートします。こちらについては、後日またお話ししたいです。
    宇野 90年代に「丘の上の西武」と「谷底の東急」の対立があって、東急が勝つ形で和解を果たし、その後は東急が駅の南側や東側に「渋谷」を広げるかたちで巨大な開発が行われている。これは東急的な駅ビル中心の最適化が勝ったという流れなんですよね。いまの東急の戦略は、ストリートから建物へ。谷底から丘の上へのストリートが渋谷なのではなくて、ヒカリエとかストリームと言った「駅ビル」を拠点に働き、生活できるエリアが渋谷「圏」という発想でエリアマネジメントしている。この力が強くて、かつてのストリート的なものは劣勢になっている。 当時の文脈では、銀座的な大人の文化に対する渋谷的な若者の反乱でバランスが取れていた。ラグジュアリーに対するいい意味でのカウンターパートとしてカオスがあった。「バブル的なラグジュアリー」に対する「アフターバブル的なカオス」が、渋谷のストリートカルチャーだった。だとすると、GEN GEN AN的なものって東急的な最適化の重力に渋谷エリア全体が惹きつけられているときに、そこにノイズ的に入り込む「閒」なんだと思うんですよね。
    丸若 今までは、広尾や青山といったお洒落スポットにつくられていたものを、既存の価値観とガチンコでぶつかるところと何となく調和するのではなく、思いっきりアンチテーゼとして20世紀的な価値観で作られた人工的な都市につくる。
    宇野 いい意味で対抗するというか、陰と陽みたいな関係ですよね。バブル期のDCブランドブームとかイケイケの消費社会カルチャーがなければ、90年代後半の渋谷ストリートもなかっただろうし、今の駅ビル化・最適化・巨大建築化の流れがあるからこそ、丸若さんのGEN GEN ANが体現する「閒」も力を発揮できる。巨大な時代の動きに対する応答として、クリエイターの力が発揮されていく。 最近のGoogle Mapsでは、ライドシェアやコミュニティサイクルを検索できるようになっていていますが、今後MaaSが普及すると、人々は建物から建物へ最短ルートで移動し、目的地まで迷わずにたどり着けるようになる。そうなるとストリートカルチャーはますます死んでいくと思います。ストリートカルチャーは街をフラつくことが前提なので。だからこれからの時代は目的の場所に、目的ではない「変なもの」がなぜかあることが大事になるんですよね。東京中が駅ビル化している今、この流れは変えられない。でも、そんな時代だからこそ、訪れた先に「変なもの」があるというハックは面白いですよね。都市の中になぜか最適化されていない領域があって、そこは「空間」ではなくて「閒」であると。
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて 第8回 渋谷の街から考える〈見立て〉と〈閒〉(前編)

    2019-10-21 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。茶筒の老舗と家電メーカーの協業は、丸若さんの演出する「茶」に何を寄与するのか。千利休的なストイシズムと古田織部なラグジュアリーの対比、さらにGEN GEN ANが渋谷にある理由と、そこから生まれる「見立て」について語り合います。

    開化堂とパナソニックが共同開発した「響筒」が表現するもの
    丸若 今日は最初に見てもらいたいものがあるんです。茶を入れるための茶筒をつくっている老舗に、明治時代から続く開化堂というお店があるんですが、宇野さんも以前、行ってくれていましたよね? その彼らが、何とも乙な取り組みをパナソニックと組んで面白いものをつくっていて。「響筒」という製品で、見た目は開化堂の伝統的な茶筒なんですが、フタを開けると内部はスピーカーになっていて、音楽を再生できる。フタを閉じると音は完全に消えます。開化堂の茶筒は気密性がハンパないから。
    宇野 本当だ。すごい。
    丸若 「次の世代にも渡したくなる家電」がコンセプトなんだけど、開発者の皆さんのスイッチが入ったらしくて、採算度外視でつくっちゃって。ワイヤレス充電にまで対応してる(笑)。これは、パナソニック的にはむちゃくちゃチャレンジだったらしいです。開化堂の茶筒は時間を経ると色合いが変わったり味わいが出てくるんですが、経年変化する家電は技適に通らないんですよ。
    宇野 でも、むしろ経年変化しないと開化堂の茶筒とはいえないわけですよね。
    丸若 そもそも茶筒を売って儲けを出すという開化堂のビジネスモデル自体、よく考えると一見、不可思議なところがありますよね。茶筒ってなければなくてもいいものですから。だけど、ある種の美意識に気づかせてくれるアイテムのような気もするんです。この響筒を今度の茶会のときに出してみようと考えているんですが、そこで伝えたいのは、「閒」を使って、いろんなことに気付いてほしいということ。気付くというのは本当は怖いことで。周囲に気付いた人間がいると、みんな怖くなって、その人を潰そうとすることすらある。でも、子どもの頃は、気付くというのはめちゃくちゃ楽しい遊びだったはずで。そういうことを伝えていきたい。
    宇野 この10〜20年、工業社会から情報社会に移り変わる中で、僕らはラグジュアリーなものを手放してきた。もともと工業製品は生活に足りないものを満たし、生活水準を上げるためのものだったのだけれど、必需品が一通り行き渡って消費社会になると同時に自己表現の手段になっていったわけですよね。モノを所有することが自己表現になっていった。このとき、モノの「過剰さ」や「余剰」が、心に余裕を持って世界を見つめ直すための回路として機能した。ラグジュアリーなモノの批判力ってここにあったわけです。ところが、情報社会下ではモノではなくコトが価値の中心になる。そうなると、モノを通じた自己表現自体がかっこ悪くなっていって、モノは可能な限り余剰を削ぎ落としてミニマルにしていく。確かに、工業社会時代の手垢を落としたことで楽になった部分はある。モノからコトへ、他人事から自分事へと軸足を移したことで、シンプルでスマートになったのはいいんだけれど、シンプルでスマートになった分の欠落を、どう埋めればいいのか、わからなくなっているところがある。余剰が最適化されたその先に、僕らはどこに向かうのか。もちろん、モノを削ぎ落としたその分、豊かなコトを追求するのが基本になる。じゃあ、その「コト」ってなんなのか。今はとりあえずFacebookに自分の豊かなソーシャルグラフを誇ることとか、Instagramにリア充で「映え」る休日を載せることになっている。でも、ちゃんと考えている人はどこに向かうのかというと、それはやっぱり「閒」なんじゃないかと思っていて。余計なものを削ぎ落として、無駄なくスマートにシンプルにまとまっている。そこからラグジュアリーな過剰さに戻るのではなくて、「閒」を取り入れてみよう。もうちょっと物事に対する距離感や進入角度を自由に取れるようにしてみよう。時間ではなくて「閒」を獲得してみよう、という流れをつくっていけると思うんですよね。

    モノが促す思考によって「閒」を楽しむ
    宇野 今年の夏休みに漫画『へうげもの』を改めて読み返したんけど、あの時代の茶人たちは、茶器や茶そのものと同じくらいパフォーマンスを重視していましたよね。茶を飲むシチュエーションや、もてなしというかたちでの関係性の構築に、すごくこだわっていた。変な場所に茶室を建てたり、インテリアの配置に工夫を凝らしたり。あれは建築やモノを通じて体験そのもののをデザインしていたわけですよね。情報社会下のモノのデザインはこれに近くなると思う。情報技術の発展によって、体験そのもののデザインはより容易に、そして細かいところまでできるようになる。チームラボの空間演出がいい例だよね。さっきの響筒にしても、すごく実験的な企画だから、ある種のネタ感というか、サプライズ的な要素の方にみんな興味がいっちゃうのかもしれないけど、本当はこういう製品が出てくるのは自然なことだと思う。開ければ音が鳴る茶筒が流行るという意味ではなくて、茶を飲むという体験そのものをどうデザインするか。そういう方向に向かうと思うんですね。だからこそ、茶をつくっている丸若さんが幻幻庵をやるし、茶筒をつくっている開化堂がKaikado Cafeをやる。昔はあまりなかったことかもしれないけど、この先はそれが当たり前になっていくと思う。茶や茶筒をつくるなら、それがどう使われてどんな体験をもたらすかまで、しっかりプロデュースしたいと考える作り手が増えるし、お客さんもそれを望むようになる。
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて 第7回 モノとコトから生まれる〈もてなし〉の精神

    2019-04-02 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。近年のインバウンドブームで安易な観光ビジネスが蔓延する京都の現状を踏まえつつ、〈共感〉に頼らずに他者をもてなす発想と、豊かなコミュケーションを引き出す茶の可能性について考えます。

    京都の観光は何を目指すべきか
    丸若 最近、仕事で京都に行くことが多いのですけど、外から見ている観光都市・京都ではなく、京都の同世代の人たちとコミュニケーションを深めていくと、日本が京都を始め国際化をしていくときの落とし穴みたいなものを気付かせてもらいます。
    宇野 そうですね。僕も大学の仕事で京都はよく行くし、若い頃何年か住んでいたこともあってとても思い入れのある街なんですけれど、いま、明らかにインバウンドのバブルでおかしくなっている。もともと僕は観光地としての京都って全然好きじゃないんです。もともと京都に限らず観光産業には、観光客の求める姿を演じるためにコスプレしている側面があると思うのだけど、最近はいよいよそういうプレイヤーが増えたように思うんです。街中ホテルだらけになっているし、あの安い着物もどきを3000円くらいで外国人観光客に貸し出す業者とか、どうにかなんないのかと思う。
    丸若 極端な例えですが、現代のパリの街にマリー・アントワネットの格好をした人たちがいるようなもので、それを本当に美しいと思えるのかどうか。なぜ着物を街中に出していきたいのかが、僕はあまり腑に落ちていないんですよね。本質的な意図は分かるんですが、現状の「着物で京都」な感じは単純にダサイです。
    宇野 僕はウィキペディアやデジカメがある今、現地に足を運んで絵葉書と同じ景色の写真を撮って確認して、現地のトラディショナルな服を着てコスチュームプレイをすることに、どれだけ意味があるのかと思うんですよ。確かに19世紀や20世紀にはあったのかもしれない。でも、これだけ情報化されて、知識も瞬間的に無料で手に入る時代に、人々がわざわざ街に身体を運んで味わわなくてはいけないものってなんだろうかと。旅先でずっと俯いてスマホでウィキペディアを調べているような人たちは、本当に街を味わっていると言えるのだろうかと。
    丸若 人間は賢くなり過ぎておかしくなっているのかもしれませんね。
    この「客」という存在をどう捉えるか。客と言った瞬間に他者という認識になるけど、旅先では自分が客になることもある。この両者は本当は同一のもので、要は、自分はどうありたいかということなんですよね。結局のところ、すべてが怠惰で安易だし軽くなってきている。観光地で着物を着て満足するのも怠惰から生まれる発想で。それで排気ガスにまみれてネオンサインだらけのコンクリートの街を歩くことに何の情緒もないですよね。
    宇野 情緒もへったくれもない。本当に味わうべきは、違う時間の流れなんですよね。歴史のある街には近代的な時間とは違った、言ってしまえば前近代的な「間」みたいなものが部分的に残っていて。中でも京都は、それが最も集約されて生き残っている街のはずです。本来は、そのゆっくり流れる時間、いや、「間」みたいなものを味わってもらわなきゃいけない。でも今は、それを持ち帰ってもらうためのアプローチとして、3,000円のレンタル着物が象徴するように、全部逆の方向に行ってると思うんですよね。

    モノとコトから考える「もてなし」の本質
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて 第6回 旅人の喫茶と、都市に見る〈幻〉

    2019-03-07 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。今回のテーマは「ジャーニー」。茶を「伝える」というテーマのもと、新しいプロジェクトにアップデートされようとしているGEN GEN ANについて。さらに、コーヒーと茶が交差する地点から見えるフォースウェーブの可能性について考えます。(構成:大内孝子)
    GEN GEN ANという実験装置
    丸若 今日は、「EN TEA」と「GEN GEN AN」ついて考えたことをお話しできたらと思っています。もともと茶のマスターブランドとしてEN TEAがあって、これは茶の製品開発と製造を手がけています。もうひとつ、GEN GEN ANという店舗の経営を渋谷でやってきて、2年くらい経った今、なぜGEN GEN ANを始めたのかを改めて考えていたんです。それでわかったのは、茶を「作る」ことに特化したのがEN TEAで、茶を「伝える」ことに特化したのがGEN GEN ANなんです。その中のひとつのプロジェクトとして店舗があった。店舗というのはひとつのアウトプットで、茶には本来こういう楽しみ方があるよね、こういう意味があるよね、みたいなことを伝えるプロジェクトの総称だったなと。だから、来年は店舗だけではないGEN GEN ANをちゃんとしていかなくちゃなと思っています。
    宇野 店舗だけではないGEN GEN ANというと、具体的には?
    丸若 二つ、キーワードがあります。ひとつは「ジャーニー」をテーマに、今年の春からGEN GEN ANというプロジェクトで、パリ、ポートランド、コペンハーゲン、アムステルダムなどの諸国へ旅したいと考えています。それは、江戸時代にいろいろなところを旅して茶を広めた売茶翁が、最後に構えた庵が幻幻庵で、それを現代にアップデートしたのが渋谷のGEN GEN ANである、というコンセプトに繋がるんですね。海外の人たちにこのGEN GEN ANをどう伝えていくか。今回行ってみてどこが一番いいか探してこようと思っています。
    今は冗談みたいなアイディアだしでしかないけれど、例えば、アムステルダムはコーヒーショップの隣にティーショップを作ってみたり。コペンハーゲンでは、クリスチャニアなんかでTEA TIMEなんかしてみたい。お金儲けになるわけがないんですが、めちゃくちゃおもしろそうだなって。アンチテーゼを具体的な形にしたいと思っていて、どれが一番形になりやすいかも含めたジャーニーです。茶だからこそ旅するっていうのがいいなと思っています。
    もうひとつは、もっとスペシャルな茶の体験ができる空間を作ろうと思っています。具体的な場所はもう決まっていて、ざっくりとしたイメージだとワインでいうテイスティングハウスのような空間を作りたいんです。
    GEN GEN ANの動きでいうとその二つなんですが、全部実験なんです。GEN GEN ANをやってきて「こういう茶のスタイルありだよね」とか「こういう茶葉の淹れ方ありだよね」というのが、3年目になってようやく形になってきた。その一つとしてのアウトプットがEN TEA HOUSEだったんです。
    また、まだお話しできませんが、他の飲料との取り組みや、ライフスタイルを引率するブランドとのプロジェクトも。 分かる人には、分かるという概念を一つ一つ解放していきたいと思っています。 こんな風に、今まで僕たちも想像でしかない、新たな茶の楽しみ方を多くの人々と形にしていけているのは、たぶん幻幻庵があったからなんですよ。すごい小さい実験なんだけど、そのアウトプットがいきなり飛躍する感じがおもしろい。これは現代的だし、東京的だなと思うんです。
    だから、今はジャーニーってハードコアなことに見えるかもしれないけど、数年後には、日本人が旅行するときは茶を持っていくことになるかもしれない。茶にまつわる場所に行くのが世界のお金持ちの一つのトレンドになるかもしれない。そういう人間の飽くなき探求のところに茶を差してくということをしたいんです。食とか、そういうところの実験装置としてのプロジェクトがGENGENANなんです。
    ▲渋谷・「GEN GEN AN」
    茶を通じて都市をアップデートする
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  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて 第5回 〈間〉を埋める西洋と、〈間〉を楽しむ東洋

    2019-01-17 07:00  
    550pt

    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。今回のテーマは時間性です。西洋の定量的な〈時間〉の概念を、伸縮可能な〈間〉として解釈する茶の思想をもとに、喫茶の文化において来るべき第四の波、フォースウェーブのあり方について考えます。(構成:大内孝子)【お詫び】本記事について、一部内容に間違いがございました。読者の皆様には、謹んでお詫び申し上げるとともに、今後再発のないよう、編集部一同、重々注意して参ります。(2019年1月17日16時25分追記)
    漏れる月明かりを〈間〉とする東洋
    丸若 昨年はポートランドとコペンハーゲンで企画展示をしましたが、今年は2月にアムステルダムでやります。こちらからアプローチして、というより"縁"です。コペンハーゲンにはヒッピータウン「クリスチャニア」があり、ポートランドもナイキやサードウェーブを擁する先進的な街だし、アムステルダムも自由な国です。茶というと、イギリスとかカチッとしているところから話が来そうなのに、カウンターカルチャーを牽引しているようなところから企画が来る。これは、必然なんだろうなと思います。
    宇野 20世紀の、特に前半の文化はロンドンとニューヨーク、あるいはパリとニューヨークの間のパワーバランスで動いていたのだけど、それが20世紀の末からグローバル化に従って多極化していったと言えると思うんですよね。その代表がたとえば、西海岸のコンピューターカルチャーだった。ただ彼らはたしかに新しいものを作っているけど、歴史的な蓄積がない。だから、自分たちのアイデンティティを記述できるような文化を外に求めていっているのだと思います。チームラボの最初の大型単独展がシリコンバレーで行われたのはそれを象徴するような出来事だと思っていて、丸若さんにそういった都市から声がかかるのもそれと同じ話だと思います。
    丸若 今回、宇野さんとお話をさせてもらいたいのが、時間というか〈間〉についてです。今、僕たちはこの時代のティータイムを楽しもうとやっていますが、ティータイムは直訳すると「茶の時間」です。でも「茶の時間」だと何か違うな、と。僕はティータイムは「茶の時間」ではなく「茶の間」だと思っているんです。この〈時間〉と〈間〉の違い。時間はみんなが効率よく動くためのルール。だからこそ国によって時差があったり、技術の進歩で移動時間が短縮されたりします。インターネットによって、100年前の時間と今の時間は違うものになっていますし。時間というのは、人間が都合よく刻んだものに過ぎないわけです。
    宇野 時間は「時」の「間」と書きますからね。
    丸若 おもしろいのは、この「門」に「日」と書く、今の「間」という漢字が使われるようになったのは、実は昭和になってかららしいんですね。それまではどうやら「日」も使う場面もあったようなのですが、そもそもは、「門」に「月」だったという。語源は中国で、城壁などを門で閉ざして自分たちの世界と外の世界を区切る。そのとき、木の門だからどうしても隙間が空く。そこから漏れる月明かりを「間」として考えていたと。月という点では、茶で使われているのも月の暦ですし。
    宇野 そうですね。太陰暦でしたから。
    丸若 月は満ち欠けもするし、伸び縮みする。つまり、〈間〉は伸び縮みすることを前提に考えられている。僕は江戸時代ぐらいに変わったのかなと思っていたんですが、調べてみたらそうではなかった。因果関係があるのかどうかはわかりませんが、昭和に入って戦争に負けてから、「月」から「日」という字に変わったらしいんです。
    宇野 象徴的なエピソードですね。
    丸若 1分を1時間にできるのが茶の時間。この考えを海外の人に説明すると食いついてくるんですよ。「間」という字自体がおもしろいし、東洋思想的ですからね。彼らは現代物理学によって時間が伸縮する領域にたどり着いているけれど、日本人とか東洋の人たちは感覚知で時間をすごく曖昧な概念として理解してきたというのがある。
    こうして今、僕と宇野さんの会話の中で時を刻んでいます。そこに、ちょっと句読点が入る。それは、「〈間〉を生むこと」なのではないかと思うんです。すごく忙しい人、たとえば、猪子さんとかは、日常の中で〈間〉がないわけですよ。でも、茶を飲む瞬間に止まったりする。これはすごくおもしろいなと思って。海外の人たちも関係なく感じることなんじゃないかなと。
    宇野 すごく、おもしろいですね。たとえばGoogleとかFacebookがやろうとしているのはそれこそ「間を奪う」ことなんですよね。通勤時間だったり、誰かを待っている時間、仕事中に集中力が切れた瞬間はもちろん、日常生活の中のちょっとした「間」をもスマホで奪おうとしている。結局、西洋近代のロジックに慣れた人間というのは間ができたら、それを埋めたくなってしまう。そこに目をつけたのがGoogleであり、Facebookであり、というところ。
    つまり20世紀の工業社会に飼いならされた人間はちょっとでも間ができるとイラっとしてしまう。間を楽しめなくなってしまっている。ディズニーランドのアトラクションで並んでいる間に『ポケモンGO』をやろうぜ、みたいな感じで、間を埋めるものとしてスマートフォン的なもの、シリコンバレーのインターネットプラットフォームのサービスというものが侵入してきている。20世紀の工業の力では、時間を区切ることはできでも、そこで発生してしまう間というものに関してはアプローチできなかった。彼らはコンピューターの力で、その〈間〉を埋めようとしているんですよね。
    今の丸若さんの話を僕なりに解釈すると、Google、Facebookといったシリコンバレーのやり方とは違う方法で、もっと間というものを大事にしていきたいと考えたときに、僕らが戦えるとしたらその武器が茶だったのではないかということになるのだと思います。
    言い換えると20世紀は〈時間〉で、21世紀は〈間〉がポイントになってくる。それはグローバルなビジネスの流れを見ても明らかです。実際、産業の流れを見ると、やはりGoogleやFacebookというシリコンバレーの企業というのは、その〈間〉を埋める方向にいきますよね。〈間〉を細切れの時間として"使う"方向にいってしまう。〈間〉を〈間〉のままにしておくという方向は、今のところいっていないと思います。だから〈間〉を〈間〉のまま味わうためにはそこにもうちょっと違う方向のことを考えないといけない。それを、茶のようなものを通じてやっていくことにおもしろさがあると思います。

    西洋の庭、東洋の庭
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  • 丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』第4回「喫茶」は日常と非日常を往復する

    2018-08-30 07:00  
    550pt

    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。今回は、東京・お台場にオープンしたチームラボの常設展内にある、丸若さんの手がけるカフェ「EN TEA HOUSE」をテーマに語っていただきました。茶の持つ遅さや日常性、飲むという行為は、私たちと世界、自然との関係をどのように変えていくのでしょうか。(構成:高橋ミレイ)
    デジタルとアナログの両面から東洋的な価値を更新する
    丸若 チームラボが6月21日、お台場にミュージアム「森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス」をオープンしました。その中に、チームラボとコラボしたカフェ『EN TEA HOUSE』(以下、TEA HOUSE)を出店しています。
    ▲「森ビル デジタルアート ミュージアムエプソン チームラボ ボーダレス」https://borderless.teamlab.art/jp/ 東京・お台場に開設された、チームラボの常設型ミュージアム。巨大な敷地は、「Borderless World」「運動の森」「学ぶ!未来の遊園地」「ランプの森」「EN Tea House」の、5つの空間から構成されます。アートは、部屋から出て移動し始め、他の作品とコミュニケーションし、他の作品と境界がなく、時には混ざり合う。そのような作品群による、境界のない1つの世界、『チームラボボーダレス』が作り上げられています。
    ▲『EN TEA HOUSE』https://en-tea-house.teamlab.art/odaiba/jp/ 「森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス」内のティーハウス。チームラボと、丸若屋の手がける「EN TEA」とのコラボレーション。「EN TEA」が用意した4種類のお茶と、チームラボのインスタレーション作品『小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々』『Enso - Cold Light』を楽しめる茶室となっています。
    ここは最先端のテクノロジーが詰まっている場所ですが、そこで飲む茶は自然農法によってつくられています。その陰と陽の部分がすごく先進的だし、同時に日本的で、それが楽しめる空間です。
    これまでのチームラボの展覧会と大きく違うのは、常設展なので長期的に陳腐化させないことが重要だということです。これは展示全体に言えることだと思うんですが、テクノロジー的な表現を単年ではない期間でやるというのは初の試みに近くて、機材的なものの進歩を考えると、結構なチャレンジだと思うんです。そこに茶という普遍的な要素を加えることによって、これまでテクノロジーの分野では、アナログの要素は足を引っ張るイメージがありましたが、むしろ、それによって陳腐化しないという現象が生まれたらいいと思っています。
    宇野 いまのお話を聞くと、丸若さんは相当深く考えられていますよね。
    先にチームラボの話からすると、今のコンピュータ技術は一般的には西洋的なものの究極の形だと言われているけれど実はそうじゃない、むしろコンピューターは西洋近代的な発想の外側に出るための道具であって、日本的な侘びや寂び、「もののあはれ」を可視化する装置だと言っているのが、猪子寿之率いるチームラボであり、落合陽一です。あの二人はやっていることは全然違うんだけれど、デジタル技術を東洋的なものとして捉えているという共通点がある。そこに丸若さんのような、トラディッショナルな文化をどう現代にアップデートするかを模索しているプレーヤーが合流するのは必然的な流れだし、僕は丸若さんの仕事を見て、猪子さんにはこういった並走者が要るだろうと思ったんです。
    そしてもうひとつ、情報テクノロジーには実体がないので、発展や変化のスピードがすごく早い。チームラボが2〜3年前に、当時の最先端の技術でつくっていた作品は、アートとしてはいまだに素晴らしいけれど、裏側のテクノロジーに関しては、古くなっているものがいっぱいあるはずで、それでも表現のレベルで陳腐化しないように、一生懸命やっている。
    それに対して茶は、圧倒的に遅いんです。20世紀的な遅い工業社会と21世紀的な早い情報社会では、後者が有利と言われてきたけど、今は普遍的なものを追求しようとすると、一周回って「遅いもの」の優位性が生まれてきていると思う。茶の新茶のサイクルは、1年以下にはなりませんが、その「遅さ」によって陳腐化しない。どんなに頑張ってもサイクルが縮まらないことが、普遍性を獲得しているところがあると思います。だから、茶と出会うことで、猪子さんは大きな武器を手に入れたし、丸若さんも猪子さんのようなプレーヤーにずっと刺激を受けてきたわけですよね。
    丸若 現代のお茶には余計なものが付きすぎているので、今は付いたホコリを払っているというか、化石を掘り起こす感じです。一方でテクノロジーは、肉付けをして積み重ねていく。アプローチは逆ですが、どちらもひとつの答えに向かっていて、両側からやると答え合わせの速度が倍速になる。削っているだけだと見えないものが、両方の角度からだと見えてくると思うんです。
    宇野 猪子さんやチームラボは、テクノロジーそのものを開発しているわけではなくて、最新の情報テクノロジーをアートとして文化的に応用することで、どう東洋的な価値をアップデートできるかということを彼なりにやってきた。それは「こんな感じで応用したら、こういうものが見えてきた、あんなものが見えてきた」といった試行錯誤の成果、積み重ねなんです。対して丸若さんは、千年以上の歴史を持つ茶というものが、近代化の中で本質が見えなくなっている、そのホコリを取り除く作業をしている。だから、足し算と引き算の比喩は正確だなと思いました。どちらも近代を通過した後に、現代のテクノロジーがなければ可視化できない東洋的なものの本質を、いかに出していくのかという作業を、それぞれ逆方向からしてるんだと思うんです。
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  • 丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』 第3回 Reブランディングされた喫茶文化がもたらす可能性

    2018-06-27 07:00  
    550pt