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  • サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(後編)/井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.347 ☆

    2015-06-18 07:00  
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    サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(後編)井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.6.18 vol.347
    http://wakusei2nd.com


    本日は、『PLANETS vol.9』刊行記念イベント「サイボーグ化する身体と社会」の内容の後編をお届けします。サイボーグ的な義肢装具が普及することで社会制度や、私達の「人間観」はどう変わるのか――? 前編では義肢装具開発や光学迷彩研究、ゲームデザインなど様々な立場から議論しましたが、後編はさらに掘り下げて「サイボーグ化時代に人間の美意識はどう変わるのか?」について考えました。
    前編はこちらから。
     
     
    ■ 「人々がフェアだと感じられる楽しいゲーム=社会」をどう設計するのか
     
    宇野 『PLANETS vol.9』で僕らは、井上くんを中心にいろんなプランを考え、いろんなところに取材に行きました。そこで思ったのは、handiiiのように「高い技術による義肢装具を作っていく」のももちろん大事なんだけれど、それと同じぐらい「多様化する身体を受け入れられる社会のルールを整備する」ということについてしっかりと考えなければならいということだったんです。
     近代スポーツがそうですが、現代社会のルールってどこかで「健康な成人男性」を標準にしているんですよね。実はこれは民主主義にも同じようなことが言えて、「教育を通過した人間にはある程度の判断力が宿る」という幻想をもとにして動いているんです。その幻想をみなが共有していたから、何となく世の中がフェアに回っていると思っていた。
     でも今はその幻想が壊れつつあるわけですよね。「健康な成人男性」中心主義はマイノリティを抑圧してしまうし、「意識の高い市民」を前提にした民主主義はこの規模と複雑さをもつ社会に対応できなくなってきている。そのときに、どういったルールであれば人々に納得感を与えることができるのか――そういった議論を、僕らはこの本のなかでずっとしているんです。
     井上くんは、自分が関わってないページも含めて、この本のなかの議論を読んでどんなことを思いましたか?
    井上 僕が直接関わってないページで「おぉー!」と思ったのは、実際のパラリンピックの選手のインタビューですね。僕自身の原稿で「パラリンピックではこういう問題が起こっている」という話をしているんですが、どういう問題かというと「クラス分けを雑にしてしまうと、不利益を被る選手がたくさん出てきてしまう」という話だったんです。インタビューのなかでパラリンピックの選手の皆さんは、このこと問題について競技者として深く認識しつつも、それでも受け入れざるを得ないという話をしていて、すごく複雑な気持ちになりました。「その不平等を受け入れる事がリアリストなんだ」、というような認識が出てきてしまっているわけです。
     「良くない」と思っていてもそれを受け入れざるを得ないのはなぜかというと、その摩擦を調整する仕組みを動かす人が、現時点ではまだあまりいないからだと思います。このままだと不平等な状態がリアリズムによって維持されるという逆説的な状態が続いていってしまうので、『PLANETS』みたいな雑誌で新しい法則を打ち立てることを、とにかく何度もやっていくことが重要だと改めて思いましたね。
    小笠原 要するに「諦め」の境地に至ってしまっているわけですよね。でも一方で、義手はその「諦め」を無くすために作っていたりするわけですよね。諦める人がいるから逆に諦めない人も生まれる、そういうバランスもあると思うんですが、どうなんでしょうね。
    宇野 これは「フェアである」ことと「フェアと感じられる」ことの差の問題だと思います。人間が幸福だと思えるために必要なのは後者なんですよ。
     本当にフェアなゲームというのは、強い奴が勝ってしまう。それだとみんな嫌なんです。ゲームのルールって、裏技があったり運に左右される要素が多いほうが人々はフェアだと感じるし、もっと言うと幸福だと思えるわけですよね。現代の社会は残念ながら三歩手前くらいにいて、スポーツでいえば健康な成人男性以外はマイノリティとして不利になってしまう。
     これはスポーツだけではなく社会そのものにも当てはまる。仮に今日山浦さんや稲見先生が仰ってるようなサイボーグ化が身体的な条件を覆す――少なくともハンディキャップが単なる不利な条件ではなく、個性になるレベルまでは行ったとしたとき、その上で人々がフェアだと感じられる楽しいゲーム、面白いゲーム、やり甲斐を感じるゲーム=社会をどう設計するのか、という問題が浮上するのだと思うんです。
     この問題に対する井上くんの今回の本での回答は、「集団戦にすることによって運の要素を拡大すると皆フェアに感じやすいですよ!」ということだったと思います。この件に関して、他の三人がどう思うか聞いてみたい。稲見先生どうですか?
    稲見 まず、強い人が勝ってしまう、戦う前から結果が見えてしまうのはゲームをする意味がない、というのはその通りだと思います。何か不確定な要素を残しておくことが良いゲームデザインだと率直に思いますね。
     先日、「リアリティってなんだろう?」という話になって、色んなリアリティの考え方の一つとして、「パーフェクトじゃないものがリアリティかもしれない」という話をしました。つまりアイディアルな平面や直線は現実世界には存在しないわけじゃないですか。パーフェクトに予測された通りにならない部分を残しておくこと自体を、我々はリアルだと感じるのかもしれない。その部分では井上案に賛成します。
     また、そこまで制度を頑張って考えなくてはいけないのは移行期だからですよね。なぜならパラリンピックで「近視部門」なんてないわけでしょう。たとえば今日、この会場に来ている人で近視で眼鏡をかけている人はマジョリティですよね。
    宇野 そうですね。この場は圧倒的に眼鏡が多いですね。
    稲見 私はもともと小学生のときは宇宙飛行士になりたかったんですが、当時のスペースシャトルに関する本には「視力の悪い人は宇宙飛行士になれない」と書いてあって、諦めたんです。
     でも眼鏡やコンタクトが普通に存在する現代のスポーツでは、決して何か諦める必要はないですし、眼鏡をかけるようになったから別のカテゴリーでスポーツをやらないといけないということもありません。つまりサイボーグ技術や義手義足の技術がきちんと実装されたときには、眼鏡と同じぐらいの扱いになるべきですし、コンタクトレンズぐらいになった時に我々はそんな区別は気にしなくなるものだと思います。
     逆に言うと「眼鏡のためのスポーツ」が作られてきたわけではありませんし、「眼鏡をかけている人のための社会制度変革」も今まで行われてきませんでした。そう思うと私はあまり心配しなくてもいいのかなと、楽観的に考えています。
    山浦 総得点方式などの競い方をしたらいいんじゃないか、という提案についてですけど、私が義手を作っていてよく思うのが本当に義手義足ってパラメーターの振り分けだと思うんですよ。とにかく力が強い義手というだけなら、ただただ重いモーターを積めばできるんですけど、そうすると持続時間が短くなる。逆にただ持続時間の長い義手にすると力も弱くなる。そのトレードオフがあるんです。だから開発する上ではそのパラメーターの振り分けがキモになってくる。
     何かを競うときに、総得点方式にしてパラメーターの振り分けの上手さを競うというのは見ていても面白いと思うんですね。そういう意味で義手義足を使う人と、そうじゃない人も含めて競うという形はすごくアリですし、私自身、面白いなと思いました。
    小笠原 僕は「強い奴が勝つ」というのは、強くなるところまでがその人の努力であるということも含めてルールだと思っていて、その代替手段として例えば違う道具を使うというのはいいかもしれない。
     一方で、総得点方式はゲームとして面白いですけど、ルールに慣れてしまうと攻略法やパラメーターの振り分けの話だけにフォーカスしてしまう気がしていて、僕はそんなに長く楽しみにくいかなと思ってしまいましたね。
    宇野 つまり集団戦にするところまでは良いんだけれど、総得点方式のようなやり方でいくと意外と早くハックの方法が分かってしまって、ヌルゲーと化すんじゃないか、という疑問ですね。井上くんはお三方の反応を見てどう思いました?
    井上 小笠原さんの「ハックしやすそうだな」という話は最初のざっくりとしたルール案を作って当てはめた段階では、その通りだと思うんです。ただ、将棋などが典型的ですが、対人のルールの面白さは千年ぐらいかけて少しづつルールを修正しながら進化していくものです。「ズルされてつまんなくなる部分をもっているけど基本構成はすごくいいよね」という人が一定数いたら、どんどん修正パッチが作られてルールが洗練されていくと思うんですね。修正パッチを入れていく構造みたいなものまで含めて作れたら、そこで初めて成功だと言えるんだろうと思っています。
     山浦さんには基本構想に同意していただけたので、是非何か一緒に考えていければいいなと。稲見先生の眼鏡の話がありましたけれど、半分はおっしゃる通りだと感じました。ただ、眼鏡の基本的なコンセプトって、「普通の人よりも目がよく見えるようになる」道具ではなく、「普通の人のように目が見えるようになる」道具だと思うんです。その眼鏡が例えば、「この眼鏡を付けると透視能力が発現する」となってしまうとまた話が違ってしまうのかなと。
    稲見 最近コンタクトレンズ型デバイスで、ウィンクするとズームと普通とを切り替えられるのが出てきましたよね。市販はされていませんが、研究としては出始めています。
    (参考リンク)ウィンクでズーム! 望遠鏡機能つきのコンタクトレンズ : ギズモード・ジャパン 
    井上 あ、そうなんですか! ではその望遠鏡レベルの機能が付いたコンタクトや眼鏡が社会に普及して、普通に歩いている人が「実は500m先のマンションで何のテレビ見てるとかもう丸見えです」というような状態になってきたら、それは法制度なりの規制を入れなきゃいけないと思うんですね。現在の眼鏡と同様に上手く調和できれば話は早いと思うんですけど、オーバーテクノロジーつまり普通の人のさらに先を行ってしまったときにどうするかという問題が生まれます。社会的な身体ということで宇野さんが整理してくれましたが、そこで単に物理ではないところで対応していかなければいけないのかなという風に思いますね。
     

     
     
    ■ 稲見昌彦は、超身体を活用する為の脱身体をどう位置付けているのか?
     
    宇野 何となく対立点が明らかになってきたと思います。この五人の中では僕と井上君が、どちらかというとエンターテインメント的な考え方をしていますね。人々が幸福になるため、あるいは面白く参加するためにはゲームに運や偶然性の要素が大きく作用している必要がある。人々は単にフェアなだけでは参加してくれない、「フェアに思える」ということが大事なんだという発想をもっている。これはゲームデザイナー的な発想ですね。
     それに対してお三方、特に稲見さんや小笠原さんは、そんな単純な立場ではないことを承知で大雑把に言うと「そんなものはテクノロジーの進歩で基本的に打ち砕くことができるのだ」という立場ではないかと思います。稲見さんの冒頭のプレゼンの中で人間の身体の拡張のマップがありましたね。
     

     
     これって要するに、超身体と脱身体の関係の問題だと僕は思っているんです。要するに、僕や井上くんはゲームデザインの思想を背景に、超身体を社会が受容するためには脱身体のレベルにフォーカスした社会設計が必要だと考えていることになる。
     だから僕がここで聞きたいのは「稲見昌彦は超身体を活用するための脱身体をどう位置付けているのか?」ということなんです。
    稲見 たしかに、現代は〈脱身体〉の時代という言い方をしますが、今の技術レベルで実現できるオンライン上の身体ってまだそこまで発達しきっていないと思っていて、そういう脱身体的なテクノロジーが進化する前に、物理的な身体のほうを拡張しておこうという発想です。
     オンラインでアバターを使っているよりも物理的な身体のほうが楽しくなるのであれば、わざわざオンラインに行かなくてもいいわけじゃないですか。肉体だと食べ物も美味しいですし。『マトリックス』にも食べ物のシーンが出てきますが、それは大切なことです。そういう段階を経た後に、最終的に行くのが「分身体」「融身体」かなと思っています。ですから、いま私がやっているのはもしかすると「いったん脱身体から超身体に戻す」という作業なのかもしれません。
     
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    PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は6月も厳選された記事を多数配信予定!
    配信記事一覧は下記リンクから。
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201506

     
  • サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(前編)/井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.318 ☆

    2015-05-08 07:00  
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    サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(前編)井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.8 vol.318
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、『PLANETS vol.9』(以下、P9)刊行を記念しDMM.make AKIBAで行われたイベント「サイボーグ化する身体と社会」の内容をお届けします。
    『P9』ではパラリンピックで進む義肢のサイボーグ化にヒントを得て、人間の身体をより拡張的に使用することの可能性を議論しました。一方で、そのためのルール設計はこれからの社会にとっての課題でもあります。
    そこで今回は、実際にテクノロジーの開発に従事する研究者、そしてアカデミックなゲーム設計を考える専門家が集い、サイボーグ化で社会の在り方がどう変わっていくのかを考えました。
    ※今回は前半部分を配信します。後半は近日中に公開予定です!
      
    ▼出演者プロフィール
    稲見昌彦(いなみ・まさひこ)
    バーチャルリアリティ、ロボット工学を背景とし、拡張現実感(AR)や強化人間(AH)など、コンピュータや最先端の技術を誰もが自在に利用するための「自在化技術」を研究。人の「生理」に根ざして生じる「現実感」に着目し、五感をはじめとする感覚・知覚、および筋肉による運動という人間の入出力機能の特性に根ざしたシステム研究開発を手掛ける。現在まで光学迷彩、触覚拡張装置、吸飲感覚提示装置、動体視力増強装置など、人の感覚・知覚に関わるデバイスを各種開発。情報処理学会EC研究会主査、日本VR学会理事、コンピュータエンターテインメント協会理事、CEDEC運営委員等を歴任。米「TIME」誌Coolest Inventions、文化庁メディア芸術祭優秀賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞など各賞受賞。
     
    山浦博志(やまうら・ひろし)
    1984年、千葉県生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。パナソニック株式会社でデジタルカメラの設計開発に従事し独立。exiiiの共同創業者として筋電義手「handiii」の開発にあたる。おもな受賞歴に東京大学大学院工学系研究科長賞、James Dyson Award 2013 国際準優勝、Gugen2013 大賞、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞など。
     
    井上明人(いのうえ・あきと)
    1980年生まれ。関西大学特任准教授。専門はゲーム研究。2005年慶應義塾大学院政策・メディア研究科修士課程修了。2010年に日本デジタルゲーム学会第一回学会賞(若手奨励賞)受賞。2012年CEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞を受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。2011年より#denkimeterプロジェクトを提唱。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
     
    宇野常寛(うの・つねひろ)
    1978年、青森県生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、ほか多数。
     
    【コメンテーター】
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1990年、京都市の建築設計事務所に入社。データセンター及びホスティング事業のさくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役を努め、インターネット・インフラとモバイルサービスにそれぞれ黎明期から取り組む。以降、「Open x Share x Join =∞」をキーワードにスタートアップ向けシード投資やシェアスペースの運営などスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化し株式会社ABBALabとしてIoTプロダクトのプロトタイピングへの投資を開始。同年、DMM.makeのプロデューサーとしてDMM.make 3D PRINTの立ち上げ、2014年にはDMM.make AKIBAを立ち上げている。他、経済産業省 新ものづくり研究会 委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ等。1971年京都府京都市生まれ。
     
    ◎構成:大井正太郎
     
     
    ■ SF的思考実験の「サイボーグ化」を、社会的身体の再定義という観点から問い直す
     
    宇野 本日は、昨年11月にオープンしたばかりの「DMM.make AKIBA」(以下make)に場をお借り致しまして、PLANETS初となるトークイベントを開催させていただいきたいと思います。テーマはこの場にふさわしく『サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか』です。
     簡単に、このイベントに至る経緯をお話ししたいと思います。ここmakeのプロデューサーである小笠原さんには、日本版のメーカーズムーブメントとインターネット文化の関係を解説する役として、PLANETSにもよく出ていただいています。
     
    ▼参考記事
    ・過剰を抱えた人間のためのフロンティア――DMM.make AKIBAが目指す次のインターネット(プロデューサー・小笠原治インタビュー)
     
     小笠原さんには、僕が毎週月曜日に担当しているJ-WAVEのラジオにゲストに来ていただいたり、たびたびこのmakeを中心に何が起こっているのか話してもらっています。日本人の大半はこのmakeを中心にして何が起こっているのかにまだピンと来ていないので、その解説をお願いしているわけです。
     しかし、今回のイベントは趣旨が違います。今回のテーマは「サイボーグ化」です。これから情報技術の進化の恩恵を最も強く受けるジャンルの一つと言われており、これまではSF的想像力を媒体とした思考実験としてしか捉えられなかったこの問題を、どちらかというと「社会的身体の再定義」という観点から問い直そうと考えています。要するにサイボーグ化というのは、身体の多様性を前提とした社会設計の問題であるというところまで、今日は話していけたらいいなと思っています。今日はそのことを議論するために最適なメンバーを集めました。まずは真ん中に座っていらっしゃる、慶應義塾大学の稲見昌彦先生です。
    稲見 よろしくお願いします。
     

    ▲左から井上明人さん(Skype参加)、稲見昌彦さん、山浦博志さん、小笠原治さん、宇野常寛
     
    宇野 稲見さんは光学迷彩やバーチャルリアリティの研究で知られている方ですね。僕の知る限り、社会的身体としてのサイボーグ化という問題に最もアクチュアルに取り組んでいる研究家の一人だという風に思っております。稲見先生にはこの問題の見取り図の提示を定義してもらいたいと個人的には考えています。
     お隣が株式会社exiiiの山浦博志さん。このDMM.make AKIBAのCMにも登場する「筋電義手handiii」の開発スタッフの一人です。どちらかというと、エンジニアとしての実践から見える課題について今日はお話ししていただいきたいと思っております。
     最後にSkype参加になっている、ゲーム開発者の井上明人さんです。今は京都にある立命館大学のオフィスにいらっしゃいます。本業はゲーム研究者です。PLANETS vol.9ではその知見を活かしてオリンピックをサイボーグ化した身体を前提として、多様な身体を持つプレイヤーが同じルールで競い合うことが出来る新しいゲームにスポーツをアップデートするということを提案しています。なので今日は、そんなゲーム研究者の立場からサイボーグ的身体の社会へのアダプテーションの問題を主にお話ししていただいきたいと思っております。
    井上 よろしくお願いします。
    宇野 そしてコメンテーターを、小笠原治さんにお願いしています。
    小笠原 よろしくお願いします。
    宇野 本日のイベントはニコニコ生放送でも放送されています。コメントをいただいたら、僕の方で議論の途中に取り上げると思いますので、ばしばし投稿してください。Twitterハッシュタグ「#PLANETS9」の方も同時にチェックしております。
     
     
    ■ 拡張スポーツの先に、「身体と魂が一対一対応ではない未来」がある
     
    宇野 ということで、まずはゲストの皆さんに簡単な自己紹介とプレゼンをお三方にしていただいきたいと思います。それではまず稲見先生からお願い致します。
    稲見 ご紹介いただきました稲見でございます。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科という所で研究しております。私の比較的有名な研究としましては、光学迷彩があります。再帰性反射材と言う特殊な反射材で出来たスーツを着ているんですけれども、それとプロジェクター技術をうまく組み合わせることで透明になったかの様な効果を出すことができます。
     なぜこれを作ったかと申しますと、博士課程の研究室に入ったときに当時助手(現阪大教授)の前田太郎先生から、必読書として『攻殻機動隊』という本を出されたんです。普通は論文とかが出されますよね? なので「これが教科書ですか?」という感じで、最初はすごい苦労しながら読んだんですけど、そのうちいつか、自分の研究に繋がることがわかって作らせていただいた。『攻殻機動隊』にはだいぶインスパイアされているんですけど、今恩返しもしてまして『攻殻機動隊』のリアライズプロジェクトに関わっております。例えばロジコマの熱光学迷彩をリアルにしていくなど、『攻殻機動隊』の世界をどう現実化していくかという研究を行っております。
     

    ▲士郎正宗『攻殻機動隊』講談社、1991年
     
     今日、まさに秋葉原でこういう話ができるのは非常に意義深いことだと思っています。私も高校の頃からだいぶ通ってはいるんですけど、やはり秋葉原というとテクノロジーとサブカルチャー、その二つの日本における中心地と言えると思います。その二つがうまく混じり合うことによって、日本は世界の中でも非常にユニークな研究をリードできていると、日頃から感じております。
     最近の研究としては、メガネ屋さんのJINと一緒に「JINS MEME(ミーム)」というメガネ型のウェアラブルデバイスをつくっています。これ、何か映像が出るというわけではないです。その代わりに、電極がメガネの鼻の所についておりまして、眼の動きや頭の動きをリアルタイムに計測できます。生活の中で、皆さんが今集中しているのか、そろそろ眠いのか、ということが、例えば瞬きのパターンでクリアにわかるんです。それらをうまく計測しながら我々の普段気が付いていない自分を見守ったりとか、もしくはそろそろ眠くなったから休んだ方がいいんじゃないかということを行おうとしております。
     

    ▲JINS MEME
    https://www.jins-jp.com/jinsmeme/
     
     これは私が学部一年生の頃からの一貫したテーマなんですけど、「人機一体」ということをなんとか実現したい。「人馬一体」という言葉がございますよね。人と馬が一緒になる。我々がやりたくないことを機械にやらせるのは自動化ですが、人間が馬ではなくコンピューターやロボットと一体になることによって、我々がやりたいことを自由自在にやることができる自在化ともいえる物を実現していきたいと思っております。こういう考え方というのは、決して私がオリジナルではなくて、1945年にヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)という元MITの副学長の方が、「私たちが考えるように(As We May Think)」というエッセイの中で、頭の上にカメラがついている絵を紹介しています。これは1945年の絵で、この頃にもうコンセプトは出ていたんです。「Google Glass」とかもう古い感じですよね。
     

     
     戦争が終わったとき、彼は「科学者たちは軍事技術だけじゃなくて我々の能力を拡張するためにテクノロジーを使うべきだ」と主張しました。そのプロトタイプとして、GEが1960年代に「ハーディマン(Hardiman)」というエクソスケルトン型のスーツを作り始めました。私自身も1990年頃から、家電やアームロボットにパッと指さすとと動いたりする「データグローブ」というものを自作していました。人には橈骨神経という指を動かしている神経があるんですが、ここを電気刺激してあげることによって自在な手の形、握った感覚を出したりと、一種の人間の身体をハックする――そういうことを継続的にやってきて今に至ります。
     今私のやっていることは、今回のPLANETSでも紹介していただいているように、2020年がアジェンダになっています。最初、2020年の東京オリンピックが決まったのを見たとき、私も「自分には関係のないことだな」と思ってました。小学生の頃から運動は苦手で、どちらかというとのび太みたいな生活をずっとしていて、ドラえもんを待っていた。そして、待ちきれないから道具を作り始めたんです。
     ですが、もしかすると自分がやってきた人機一体の技術が、2020年に活かせるかもしれないと思い至りました。それが「超人スポーツ」というコンセプトです。身体とテクノロジーを融合することにより、誰もが身体的制約や空間的制約を越えて楽しむことができる。そんな新しいスポーツを日本発で出せないかと考えています。
     
     これまでのスポーツは、一つルールが決まってしまうとそれがすべてでした。ルールのなかでがんばって業績を出していく、レコードを出していくんですけど、そうではなくテクノロジーと共に進化し続けるということができるかもしれない。それを誰もがオリンピックとパラリンピックの区別が意味不明になるくらいまでにして、しかもみんなが見るときも非常に楽しめるものにできるのではないか。それをテクノロジーが支える、というのが私の目標です。
     私もプレイしてみて非常に面白かったんですが、聴覚でプレイする「ブラインドサッカー」というスポーツがあります。これもテクノロジーの力で、もっと鋭敏にコウモリの耳を持ったかのようにできるかもしれない。あるいは車いすを拡張したチームスポーツもあるかもしれない。身体を拡張したり、道具を拡張したり、フィールドを拡張したり、トレーニングを拡張したり、そしてプレーヤー層を拡張したり、観戦を拡張したりと、拡張スポーツにはさまざまな方向性が考えられます。そういうことを行うための組織として、超人スポーツ協会を6月に立ち上げます。
     また、似たような試みとして、スイスのETH(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)でロバート・ライナー先生が「Cybathlon(サイバスロン)」というのを2016年に開催しようとがんばっておられます。そういったところとも2020年にうまく連携できたらと思っています。ポイントとなるのが、スポーツを発明するということ。我々が小学生の頃は自分たちで遊びをさんざん発明してきたはずなのに、いつの間にか部活になってからいいレコードを出すことだけに集中することになってしまっています。でも、もう一回ルールごと発明することがあってもいいんじゃないか。つまりスポーツ工学というものがこのチャンスにできるかもしれない。そういう意味で超人スポーツを盛り上げていきたいと思います。
     
     プレゼンの最後に、「身体がどうなっていくか」という私の考えのロードマップをお話しします。実はここまでお話ししてきた取り組みは身体を再定義していく第一歩にしかすぎないと思っております。いわゆる人機一体化、超人化というのは、今ある身体を超身体に拡張していくという話です。私は平行しながら、もしくはその次の段階として脱身体という時代が来ると思います。これはSFとして言っているわけじゃなく、例えばテレイグジスタンス、テレプレゼンスといわれている技術は、自分がいる場所をロボットにして飛ばすことができるということです。もしくは、バーチャルリアリティは自分の身体像をサーバー空間に飛ばすことができるということ。そういった技術をきちんと進めていくと、脱身体、肉体と魂の分離が可能になるはずです。最終的に何がやりたいかというと、分身体、融身体、つまり「人類補完計画」みたいなことです。
     我々の身体と魂は一対一対応であるか? 決してそうではない。1人が複数の義体を操作したり、複数の人が一つのロボットを操作したりという時代もあるかもしれない。そうしたときに、今我々が想像した身体像が変わるかもしれない。そんな議論が出来たらなといいつつ、私の紹介を終わらせていただいきます。
    宇野 ありがとうございました。短い間にエッセンスがぎゅっと詰まっていましたが、今の身体拡張の問題やどのあたりまで射程に入っているのかについて、非常にコンパクトにまとめていただいたと思います。
     
     
    ■ 筋電義手「handiii」は安くてデザインも選べる「気軽な選択肢」
     
    宇野 続きまして、山浦さんにプレゼンをお願いします。
    山浦 はじめまして。exiiiという会社で義手の開発しております、山浦と申します。元々、大学でこうした義手やパワーアシストの研究をしておりましたが、その後はメーカーに就職をして、デジタルカメラの機械設計をしておりました。
     その時期に家庭用の3Dプリンターが出始めて、早速買ってみたら、1人でもいろいろ出来そうだなということで、昔の研究の義手を試しに作ってみようと2013年頃からスタートしました。そのときは本業の片手間というかたちだったんですけど、やっていくうちにだんだんのめり込んでいって、会社を辞めてこっちをメインにしようと、2014年10月にexiiiという会社を仲間と一緒に起こして、今は義手の開発をメインに行っているところです。
     僕たちが開発している筋電義手というのは、人間の筋肉の動きを読み取って、それを手先のメカの動きに伝える義手です。実際に手がない方でも筋肉は残っていますので筋肉に力を入れると手が動く。これをはめてしまえば、自分の手のように扱うことができるようになります。
     筋電義手はすでに世の中にあるんですが、非常に高価で、買おうとすると150万円以上します。実際に普及率が1%しかありません。デザイン面でも、人の手を模したものしかない。そういう事情があり、欲しい人が買えない状況が今の問題になっています。それに対し、欲しいなと思っている人が気軽に買えてデザインも選べるものを私たちは作ろうとしています。開発のコンセプトは「気軽な選択肢」です。
     

    ▲handiiの動作を実演する山浦さん
     
     私たちのつくっている「handiii」という筋電義手は、筋肉からの信号を電気信号にしてBluetoothでスマートフォンに送信し、スマートフォンがそれを解析してどんな動きをしたいのかを見て動かす仕組みです。なぜスマートフォンでやるかというと、スマートフォンで置き換えることができて、他の既存のシステムはいらなって価格を安く抑えられるという考えからです。
     そして次に中のメカも工夫して、少ないモーターでもいろんな物を握れるようにしています。これも、モーターが少ないことが低価格化に繋がるからですね。
     あとは3Dプリンターを活用して製造します。一個一個デザインの違ったものを安くするために3Dプリンターはすごく有利です。製造方法を見直して、部品を付け替えられるようにしてしまおうというわけです。そして現在のところは、ユーザーの方と協力しながら実用化を目指しながら開発を行っています。というところで、私の自己紹介を終わらせていただいきたいと思います。
    宇野 ありがとうございました。ニコ生のコメントを見ていたら、このサイボーグの手だとスマートフォンが操作できないんじゃないかという、ぬるいツッコミがあったんですけど、これは答えるべきじゃない(笑)? 
    山浦 そうですね(笑)。ツッコミに答えさせていただいくと、義手ではないほうの手でいろいろ出来ることは多いんですね。ただ、二本ないと、例えば傘や買い物袋を持ってしまうと出来ることが少なくなってしまう。そういう最低限の状況をカバーしたいと思っているので、「スマホは反対の手で動かしてください。買い物袋は義手で持てるようにしましょう」というイメージです。
    宇野 最初に稲見先生と山浦さんのプレゼンを見ていただいたんですが、小笠原さんはこのお二人の発表を見ていただいて産業側の人間の立場からどう思われましたか? 
    小笠原 僕はexiiiを最初の頃から見ているんですが、みんな同時に同じ様なことを考え始めているので、この5年10年くらいにアイデアを実現していくための動きがどんどん起こっていくんだろうなと想像しております。
    宇野 最初に僕と小笠原さんとでこのイベントを企画したときには、こんなに人が来ると思わなかったんですよね。実際には僕らの予想の2倍くらいの人がやってきていて、これも何かが動き始めている証明なのかなという気はしますね。
     

    ▲当日は100人以上もの方にご来場いただきました…!
     
     
    ■ ルールを見直すことで老人も障害者も混ぜこぜの新しいスポーツイベントが生まれる
     
    宇野 プレゼンの最後は、『PLANETS vol.9』でサイボーグ技術を使ったスポーツのアップデート、パラリンピックのアップデートのアイディアを考えてくれたゲーム研究者の井上明人さんです。
    井上 はい、よろしくお願いします。ちなみに稲見先生と山浦さんのプレゼンを聞いていて、人機一体と魂と身体の分離の話があったんですが、Skypeで参加している僕は今一番魂と身体が分離した状態だと思います(笑)。
     

    ▲Skype経由でプレゼンを行う井上明人さん(左のディスプレイ内)
     
     いま皆さんのお話を聞いていて確かに、人機一体ではないなと感じていました。というのも、Skypeだと自分で首を動かして視点を変えられないのが辛いですね。会場の方を見てしまうと、Skypeだとどうしてもプロジェクタで投影されている画面の方が見えないので、スタッフさんにLINEで「俺の首を動かしてください!」とお願いしながらパワポをなんとか見ているんですけど。これが終わったら、スタッフさんに僕の首になってもらって、逆側が見えるようにしてもらわないといけないですね。
     Skypeは素晴らしいですけど、まだまだこういうときに距離が感じられるなと改めて感じます。前置きはさておき、改めましてゲーム研究者の井上です。よろしくお願いします。
     
     PLANETSはvol.7の頃から5年くらい関わらせてもらっています。基本的に僕はゲームばっかりやっている人間なんですけど、「ゲームのデザインや何がゲームの面白さなんだろう?」ということだったり、あるいはゲームの面白さを突き詰めて「ゲームとして多くの人が楽しむ」ためにはいろいろなルールの調整をやらなければならない――そういったことを考えてきました。
     それが4年前にゲーミフィケーションというブームが国内で起こった時に、たまたま節電のゲームをつくったりして遊んでいて、それ以降ゲームの社会応用に関わるようになりました。
     今回の『PLANETS vol.9』では宇野さんがオリンピック、パラリンピックの話をやりたいということで、ぜひ、パラリンピックのルールの話をきっちりやってみたいということで、今回パラリンピックの拡張について書きました。
     
     僕がどういった原稿を書いたかを簡単に説明したいと思います。
     話はシンプルで、パラリンピックの基本ルール変えませんかということですね。パラリンピックで今、いろいろな問題が起こっています。パラリンピックのルールってけっこう複雑で、障害が重い人、軽い人というのが、競技によって5クラスとか10クラスに分かれています。その一番障害が重いクラスと障害がちょっと軽いクラスと、ボーダーラインのあたりにいる人が妙に不利になってしまう現象がたくさんあります。
     実際に、水泳で金メダルをたくさん取った選手がいるんですけど、選手が一つ級を変えられたとたんにメダルに絡むことが難しくなったことがありました。この単純な解決策は、級を細かくしていくことですね。パラリンピックの公平性はそうすれば増します。ただ、そこを細かくしようとすると、今度はパラリンピックの開催期間を延ばしたり、場所を増やしたりとさまざまな問題などが絡んできて、トレードオフの問題がある。なので、今はパラリンピックの級をそこまで増やさないようになってきています。
     ただ、この問題は実は「パラリンピックとオリンピックの間の行き来をどうするか」というさらに大きな問題にも絡んでいて現状のあり方でよいのかどうかが問われています。
     例えばオスカー・ピストリウスという義足の選手で、オリンピックに出場した方がいます。彼がオリンピックに出ることになったときに、義足の性能が問題になって一旦ストップがかかりました。というのも「義足の性能が普通の身体を持っている人よりも20〜30%いいんじゃないか?」ということが問題になったんです。これでオリンピックに出てしまうと、オリンピックの選手にとって不公平になり、ピストリウスが有利になるだろうということで揉めに揉めました。結局ピストリウスは最終的に出場できましたが、同じような話は他にもたくさん出てきています。
     ルール設計を「クラス分け」という発想でやっていると、サイボーグ的な身体を持った人、あるいは障害者の人を、一緒の場所に混ぜてなにかをやることは難しくなります。
     
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