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  • ここが全ての始まり、太平洋のインフォーマルマーケット|佐藤翔

    2021-09-24 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。中央アジアから地中海を抜け、七つの海をつなぐ世界のインフォーマルマーケットを巡ってきた本連載も、いよいよ最終回。地球の隅々にあらゆる商品を提供する太平洋の両岸、アメリカと中国での非正規市場のあり方に迫ります。21世紀の世界経済を牽引し、表の市場が非正規市場を駆逐しつつあるように見える両国での存在感を確かめながら、これからの世界でのインフォーマルマーケットの役割を考察します。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第9回(最終回) ここが全ての始まり、太平洋のインフォーマルマーケット
    太平洋は、アメリカや日本といった国々が面する巨大な海です。中国の沿岸にあるのは黄海や東シナ海、南シナ海といった海であり、太平洋には直接面してはいないものの、環太平洋の国々に含まれることが多いです。商業航路となった歴史は大西洋や地中海よりも短いですが、現代では経済大国に囲まれ、世界で最も重要な経済圏の一つとなっているのは間違いありません。
    南シナ海と同様、太平洋も華僑の活躍が著しい地域です。北米の中華モールは、彼らの活動が太平洋の西側だけではなく、東側にも及んでいる証拠です。今回は主に太平洋を挟む二つの大国、アメリカと中国について、これらの国々のインフォーマルマーケットがどのような構造になっているのかをお話ししたうえで、各地のインフォーマルマーケットが今後どのようになっていくのかについて、私なりの予測を述べたいと思います。
    アメリカ・カナダにもあるインフォーマルマーケット
    アメリカは、言うまでもなく世界最大の経済大国です。最強の経済力を持つ国家の政府にとっては、インフォーマルマーケットは自国企業のビジネスの邪魔にしかなりません。これまでにも何度も取り上げてきたアメリカ通商代表部は、各国のインフォーマルマーケットを敵視し、アメリカの様々な業界団体から情報をかき集め、毎年「悪質市場リスト」の一覧を発表している、インフォーマルマーケットの格付け機関でもあります。
    さて、このようにビジネスにおいても世界の警察官たらんとしているアメリカ合衆国、その国内には、インフォーマルマーケットは存在しないのでしょうか? アメリカのインフォーマルマーケットはFBIや内国歳入庁、ウォルマートが皆根絶やしにしてしまったのでしょうか? 答えは否です。
    アメリカは世界中から様々な人が集まる超大国です。長大な国境と海岸線を持ち、膨大な数の人々が出入りする国です。不法移民の処遇は社会的なイシューとして頻繁に取り上げられています。私がかつてアリゾナ州の大学院に留学していた際、夜にヘリコプターがサーチライトで地上の何かに照明を当て続けているのを見たことがあります。近くの人に、「あのヘリコプターは何をしているんですか?」と聞くと、「Man Hunt!」という答えが返ってきました。メキシコに接するアリゾナ州では、メキシコからアメリカに強行突破で入ってくる人々がいるそうなのです。このように、ヒトの移動ですらインフォーマルな流れが起きているのに、モノの移動にインフォーマルな流れがないわけがありません。
    アメリカのインフォーマルマーケットの規模についてよく引用されるのが、やや古いですが、Richard J. CebulaとEdgar Feigeによる「アメリカの無申告経済」という2012年の論文です。彼らは、2009年のアメリカにおいて、1.8~2.4兆ドルの収入がアメリカの内国歳入庁に申告されていない、と述べています。1ドル=110円として日本円にすると198兆円~264兆円、約100兆円程度とされる日本の一般会計歳出よりもずっと大きいのです。
    この中には当然、大企業による申告漏れのようなものも含まれているわけですから、私たちがこれまでに見てきたインフォーマルマーケットの定義にこの収入規模の全てが当てはまるわけではありませんが、アメリカの経済がフォーマルマーケットだけで成り立っていない、ということはこの数値からよくわかります。アメリカが麻薬の大消費国であり、中南米からアメリカに大規模なコカインの流通網がある、というのはよく知られているかと思いますが、このような完全なアンダーグラウンドの商品以外でも、新興国で見るような偽物商売はアメリカでもきちんと(?)成り立っているのです。一番わかりやすい例はアメリカの大都市の各地で定期的に開催されているフリーマーケットでしょう。
    フリーマーケットを不用品交換会、swap meetと呼ぶこともあります。ロサンゼルスですと、毎年年初にカレッジ・フットボールの試合が行われることで有名なローズ・ボウルで毎月第二日曜日に開催されるフリーマーケットがヴィンテージ品や古着、各種中古品の販売市として有名です。入場料の存在、高価な場所代などもあって、このローズ・ボウルのフリーマーケットはカリフォルニアの数あるフリーマーケットの中でも最も秩序があり、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケットの限界事例のような存在になっています。
    ▲ロサンゼルス郊外のフリーマーケット。フリーマーケットはアメリカでは最も身近なインフォーマルマーケットかもしれない。
    ▲フリーマーケットで販売されていた中古ゲームの類。
    自動車大国であるアメリカでは、郊外のドライブインシアターでフリーマーケットが開催されることがしばしばあります。特にカリフォルニア州のようにメキシコと国境を接する州では、メキシコ人のトレーダーがこうしたマーケットに訪問し、商品を売りさばいています。
    アメリカのインフォーマルマーケットがどのような状態になっているのかは、ロサンゼルスのような、日本人がよく行くような大都市でも観察することができます。特に見つけやすいのは都市中心部の問屋街と問屋街の間にある隙間地域です。一例を挙げましょう。ロサンゼルスには、トイ・ディストリクトという玩具問屋地区があります。この卸売店が立ち並ぶストリートの中に、狭い路地があります。この路地を抜けていくと、パラソルを指した露店が立ち並ぶ裏通りに出るのです。ここでは、ゲームや映画の海賊版製品が多く売られているのを目に出来ました。北米ではオンラインのコンテンツ流通が整備されているので、こうした海賊版製品はハリウッドのメジャーな作品などではなく、現地のヒスパニックに人気のある音楽や映像作品が販売の主力になっていました。
    ▲ロサンゼルス、トイ・ディストリクトの裏路地の露店街。
    ▲ロサンゼルスの露店で売られている映像作品やゲーム類の海賊版。
    アメリカの隣国であるカナダも先進国扱いされる国の一つですが、インフォーマルマーケットはやはり存在します。有名なのが東部の五大湖の一つ、オンタリオ湖に面するトロントにある、パシフィックモールです。このモールは商人がテナント式でオーナーから区画を買い、店を開く仕組みになっており、中国製の海賊版や偽物商品が売られる店がたくさん存在することで知られてきました。こうした状況ゆえ、ショッピングモールは2018年にUSTRによって「悪質市場」の一つに指定されました。カナダで唯一悪質市場の認定を受けたことで、ショッピングモールのオーナーは強くショックを受けたことを表明し、偽物を取り扱う商人の取り締まりに協力することを表明しました。
    ▲カナダのパシフィックモール。(出典)
    新興国の市場においては、USTRにこうした指定を受けてもなかなか変化がないものなのですが、このショッピングモールの場合には海賊版ビジネスは本当に消えていったようです。北米でオンラインでのゲーム・映画等コンテンツの流通が早期に整備されたことが前向きに働き、映像作品の海賊版ビジネスそのものが成り立ちにくくなったのです。このショッピングモールの場合は、先にロサンゼルスの話で出てきたような、ヒスパニック向けの映像作品といった、オンラインのコンテンツプラットフォームの恩恵を受けにくい層に刺さるニッチ市場の海賊版製品も少なかったようで、こうした商売が成り立たなくなってきたところに強い取り締まり要請があったことが、海賊版ビジネスが収束する要因になりました。
    しかし、海賊版ビジネスは鳴りを潜めたものの、偽物商品は相変わらず一定量扱われているようです。一旦商人がモール内の区画を買ってしまった後に、海賊版や偽物を売り出すようになってしまうと、通報でもない限り、ショッピングモールのオーナーは手出しができないからです。このパシフィックモールは、USTRの「悪質市場」にこそ掲載されなくなりましたが、欧州委員会(EC)の偽物・海賊版ウォッチリストには2020年版に相変わらず掲載されており、服や履物、玩具、カメラ、スマートフォン、コンピューター、電化製品、化粧品、宝飾品といった様々な分野の偽物がこのショッピングモールで扱われていることを警告しています。
    ちなみにこの欧州委員会のレポートによると、パシフィックモールのほかに、欧州のケベックのSaint Eustache Flea Market、オンタリオの747 Flea Marketといった市場が偽物商品を扱っている市場として警告を受けており、カナダ全土にこうした偽物商売の拠点があることがわかります。
    「世界のインフォーマルマーケットの元締め」中国
    世界各国のインフォーマルマーケットで扱われている商品は、最先端の製品、汎用品を問わず、中国製のものが多い、という話はどの地域でも見てきた通りです。では、それらのインフォーマルマーケットの商人は中国のどこから商品を仕入れているのでしょうか?
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  • 中華ビジネスの実験場、南シナ海|佐藤翔

    2021-08-25 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、東南アジアを中心に南シナ海に面した諸国のインフォーマルマーケットを巡ります。正規か非正規かを問わず、いまや世界中の市場に商品が流れ出していく華僑系ネットワークの玄関口でもある南シナ海。インドと中国という2大国に挟まれ、多地域からの文物が入り混じる文化圏に根を張る屋台市のカオスから、様々な社会階層の人々の生き様を追いかけます。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第8回 中華ビジネスの実験場、南シナ海
    南シナ海は中国ビジネスの実験場
     太平洋とインド洋に挟まれた南シナ海。北は中国、南はインドネシアやベトナムといった東南アジアの国々に囲まれています。東南アジアは、中国からの移民の最大の受け入れ先であるとともに、中国とインドという大国に挟まれ、多地域から文化や産業など様々なものを積極的に取り込んできた歴史があります。中国から世界中のあらゆる正規・非正規のマーケットに商品が流れていく玄関口でもあり、中国のフォーマル・インフォーマルなビジネスの実験場ともなっている地域でもあります。
     これまでの回では、大西洋で活躍するレバノン人、インド洋で躍動するパキスタン人について話をしてきました。南シナ海は、名前にシナという言葉が入っているように、華僑と呼ばれる中華系の人々の影響力が極めて大きい地域です。タイやインドネシア、フィリピンなどの国々では、中華系の財閥が様々な産業で重大な影響力を持っていますし、中国企業も海外進出となると、まず東南アジアを念頭に置くところが多いようです。最近は中国で堂々と海賊版を売っていたような商城や、海賊版を制作していた工場は大都市では姿を消し、地下に潜行してきていますが、中国で摘発され、追い出されていった偽物ビジネスの工場の本場は、今やベトナムやタイなど東南アジアに広がってきています。
     ただ、私たちが誤ってはいけないのが、こうした東南アジアで活躍する中国系の人々は必ずしも一枚岩にはなっていない、ということです。広東系のコミュニティと福建系のコミュニティは別々に民族互助団体を持っていることが多いですし、客家系の人々は、広東人とも福建人とも違う独自のアイデンティティを持っています。実際に東南アジアのビジネスを観察すると、必ずしも中国系同士が協力し合っているばかりではなく、むしろ中国系企業の最大のライバルが中国系企業、などとなっていることもあり得るようです。東南アジアにおける中国人の関わりはフォーマル・インフォーマルの双方に及ぶ幅広いものなのです。
    ▲スリランカにある、福建省出身者のための商工会議所。
     東南アジアのインフォーマルなビジネスに目を向けると、華僑以外では意外にムスリムが多いことが目につきます。インドネシアは世界一のムスリムの人口を抱える国ですし、マレーシアやブルネイの国教はイスラームです。シンガポール、タイやフィリピンではマイノリティにイスラームが信仰されています。ミャンマーにおけるロヒンギャ・ムスリムは国際社会でも近年よく知られるようになりました。さらに規模は小さくなりますが、ベトナムやカンボジア、ラオスでも少数民族でイスラームを信奉している者がいます。このように東南アジアには結構な数のムスリムがおり、特にフィリピン南部、タイ南部のような地域ではかなりの結束力を持っているようです。彼らが華僑から商品を仕入れ、東南アジアの色々なところで、フォーマルなビジネスが扱いにくい商品を売りさばいている、という構図があるようですね。
    ▲フィリピン・マニラに多数あるモバイルアプリのダウンロード屋の様子。
     東南アジアは、中南米やアフリカなどと比べると日本にずっと近いので、日本のマーケッターにとって観察がしやすい地域のはずです。しかし現地へ行くと、都市中心部の立派なショッピングモールやビジネスディストリクトに目を奪われ、インフォーマルセクターがどうなっているのかについては、なかなか目が行かないものです。南シナ海のインフォーマルマーケットというと、本来は中国南部も含まれるのですが、東南アジアだけでもインフォーマルビジネスにまつわる、様々な興味深い話がありますので、今回は中国国内のお話は最小限にとどめたうえで、東南アジアや香港のインフォーマルなビジネスについて、その実態を書いていきます。
    中華系のショッピングモールと名もなき屋台市
     東南アジアにおけるインフォーマルマーケットの広がり方についてですが、キプロスのドルドイやウクライナの7kmマーケットのように、国の中に国があるような感じではなく、中国の電脳商城のように、特定のショッピングモールで偽物や怪しい商品が取引されています。私がこれまで行ってきた場所を振り返ってみると、こうしたショッピングモールは中華系の資本が運営していることが多かったです。具体的に名前を挙げると、インドネシアのマンガ・ドゥア、フィリピンのグリーンヒルズ・ショッピングセンター、ベトナムのベンタイン市場のような場所が偽物市場として有名です。
    ▲インドネシアの怪しげなショッピングモール。
     東南アジアで特徴的なのは、屋台商売の規模の大きさです。繁盛している商業施設の周りには、必ずと言っていいほど屋台が広がっています。商業施設の近くにあるものは一応商業コミュニティとして一定の統率が取られ、許可も得ているようで、ある程度は秩序があるのですが、それらの屋台のさらに周縁にある屋台は許可など取っている様子がなく、怪しげな商品をいろいろ販売しています。もちろん、この屋台市の層の厚さは東南アジアの中でも国や都市によって異なるのですが、こうした名もなきインフォーマルマーケットとしての屋台市は東南アジア諸国の経済において、重要な存在となっています。
    ▲フィリピンのマニラ、商業施設の前に屋台が広がる。
    ▲フィリピンのマニラの夜。夜限定の屋台(ナイトマーケット)は東南アジアらしい光景。
     ここでは東南アジア各国のコンテンツ関連のインフォーマルな商売について見ていきます。タイのバンコクは、10年前にはアジアの偽物がよく取り扱われていました。例えば下の写真にある、バンコクにあったゲーム系のインフォーマルマーケットがそうです。川の上に杭を立てて床を敷き、商売をしている辺り、日本で言うと東京・江戸川区にかつてあったヤミ市、小岩ベニスマーケットに似ているところがあるかも知れません。土地の権利がうるさい都市中心部においては、このように川の上でインフォーマルなビジネスが発達するというケースがしばしばあります。逆に言うと、川のそば、ちょっと郊外で交通の便が多少良いところ……とアタリをつけて探しに行ってみると、知られざるインフォーマルマーケットが見つかることがあったりするのが面白いところです。
    ▲バンコクにあったゲーム系インフォーマルマーケット。すでに閉鎖されている。
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  • パキスタン人が活躍するインド洋のインフォーマルマーケット|佐藤翔

    2021-07-27 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、アフリカ大陸からユーラシアにかけて、インド洋に面した国々を巡ります。大西洋ではレバノン人たちのネットワークが存在感を発揮していたのに対して、インド洋沿岸はパキスタン人の国際的な活躍がめざましい地域。アフリカ屈指の大国・南アフリカから、ケニアなどの東アフリカ諸国、さらに湾岸アラブからインド周辺まで、低所得者層が多いがゆえに大きく発展を遂げた各地のインフォーマルマーケットの多彩な実像に迫ります。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第7回 パキスタン人が活躍するインド洋のインフォーマルマーケット
    インド洋で活躍するパキスタン人ネットワーク
     大西洋ではレバノン人のネットワークが重要な役割を果たしていたように、インド洋でもインフォーマルマーケットにおける重要なプレイヤーがいます。それはパキスタン人です。パキスタンという国は、国際社会においては核開発やテロリストの潜伏など、残念ながら、あまりポジティブなイメージを持たれてはいません。その一方で、パキスタン人はインド洋の国際貿易においては大きな活躍を見せています。
     かつてインドやパキスタン、バングラデシュを含む地域がイギリスの植民地であった時代、インド人やパキスタン人のような南アジアの人々は労働者や兵士として、南アフリカやケニアといったイギリスの他の植民地や中東諸国のような場所に移住していきました。戦前はペルシア湾湾岸諸国の貿易決済はルピーで行われていましたし、第一次世界大戦では多くのインド兵がイラクで戦いました。ネパールのグルカ兵は世界の様々な地域で活躍しています。また、アフリカのウガンダ鉄道はインド人の労働者が多数建設に携わったことで知られています。
     インド料理やインドの労働者由来の歌といったものは、インド洋各地で今でもしばしば見かけることがあります。また、インド建国の父であるガンジーは南アフリカで弁護士として働いていたとき、列車で受けた差別が後の社会改革運動の原体験となったと言われています。インドがパキスタンと別個に独立し、多くの国々がイギリスから独立を果たした後も、パキスタン人を中心に南アジアの人々はインド洋における商業ネットワークを発達させてきました。インド三大財閥の一つであるリライアンス財閥の創業者、ディルバイ・アンバニ氏は、若いころはイエメンのアデンで働いていたことで知られていますし、中東諸国には、パキスタン人やインド人が多数出稼ぎに行っています。
    ▲Relianceのスーパーマーケット、Reliance Smart。
     大西洋においてレバノン人が中国人と協力してビジネスを行っているように、インド洋のインフォーマルマーケットにおいても、パキスタン人と中国人が協力して事業を実施しているケースが目につきます。例えば、下図にあるのは南アフリカでも有名なIT系商品の卸市場です。
    ▲南アフリカ、ヨハネスブルグ郊外のIT商城。奥に中国語で「東方商城」と書かれている。
     このマーケットはヨハネスブルグの近郊にあり、スマートフォンなどが中国から湾岸諸国などを通って運ばれてくる場所です。現地で聞き込みをすると分かるのが、このショッピングモールのオーナーは中国人ですが、店主になっているのはパキスタン人が多いのです。つまり中国人とパキスタン人が協力して南アフリカで中国製のIT商品販売を行っているわけですね。国単位でも、パキスタンと中国は長い友好関係にあることが知られていますが、人単位でも、彼らはビジネスパートナーとしてインド洋で活動しているのです。
    ▲東方商城の中のDVDショップ。
     パキスタン人のビジネスとして有名なのが日本の中古車貿易です。日本の中古車貿易事業者のうち、オーナーの半分程度はパキスタン人であると言われているほどで、大きな売上高を出している企業もいくつかあります。自動車産業は自動車部品やゴム製品など、経済波及効果が大きいため、国の輸出入政策の影響を受けやすいビジネスです。パキスタン人はインド洋を中心に、世界中にコミュニティがあるため、そのコミュニティの持つ情報ネットワークを生かして、各国の自動車の流行だけではなく、中古車貿易に関する規制やクオータ(輸入制限)に関する情報を入手し、日本車の世界における販売で重要な役割を果たしてきたのです。
     インド洋の国々はどれも取り上げると面白い話が多くきりがないのですが、今回は南アフリカ、東アフリカ、アラブ諸国、南アジアの話と時計回りにインド洋周辺の地域を見ていき、それぞれの地域でインフォーマルマーケットにまつわる興味深いトピックについて取り上げていきます。
    民族間の対立構造が治安の悪さのイメージを生む南アフリカ
     南アフリカは、西アフリカのナイジェリアと並ぶアフリカ有数の経済大国です。ダイヤモンドや金などの産出で知られるほか、ベンツのような自動車の生産をはじめとして製造業もかなり発達しており、G20に加盟する国の一つでもあります。しかし、日本人の南アフリカに対するイメージは、そうした経済的な繁栄や成長より、「危ない」というものではないでしょうか。実際、ヨハネスブルクの住宅街を歩くと、頑丈な壁や鉄格子とともに、“Armed Response”(許可なく立ち入る場合は、武器で応じる)という物騒な注意書きの書かれたサインボードが目につきます。また、現地に駐在する日本人の家族が強盗に入られた、というケースも報告されており、日本と同じ感覚では歩けないのは間違いのない事実ですし、危険な事件が発生した場所もいくつかあります。
    ▲ヨハネスブルグの住宅街にある、警備会社による注意書き。
     私がヨハネスブルグのセントラル・ビジネス・ディストリクトの近くにある、DVD Highwayという、海賊版コンテンツが多数売られているインフォーマルマーケットへ訪問する予定だと現地人に話したときは、「絶対に行くな、お前のような中国人(私は日本人ですが)が行くと命の危険があるぞ」などと、強い警告を受けました。しかし、実際現地に行ってみると、目抜き通りにはパトカーが複数並んでいて、警察官がパトロールをしており(しかも賄賂を要求してこない!)、やや騒々しい場所ではあるものの、危害を加えられそうな場面や危険な状況に遭遇することは特にありませんでした。ここではハリウッド映画やボリウッド映画、以前取り上げたナイジェリアのノリウッド映画などのDVDがむき出しで売られていました。
    ▲ヨハネスブルグのダウンタウン。
     現地調査に協力をしてもらったジンバブエ人によると、この地域のインフォーマルマーケットで働いているのはジンバブエ人やモザンビーク人といった海外の労働者が多いため、南アフリカの主要民族であるハウサ人やズールー人からは、こうした海外からの労働者が商売をしているマーケットが嫌われている、とのことでした。どうも、ヨハネスブルグの危険なイメージの出元は日本人というよりも、海外労働者、特に不法移民の脅威を誇張したがる現地のハウサ系やズールー系の人々の吹聴によるところが大きいようです。
    ▲DVD Highwayの様子。ハリウッド映画やアフリカ映画など、様々な映画のDVDがむき出しで売られていた。
     こうしたアフリカ系民族間の分断の象徴になっているのがポンテタワーというタワーマンションです。このマンションはかつて、麻薬取引などが行われる治安の悪いビルとして知られ、今でも危険な場所という扱いを受けています。しかし、私が行った際には、普通に中まで入ることができて、特に危険を感じることはありませんでした。最近ではポンテタワーの住民に対する誤解を解くためのタワー内ツアーのようなものが組まれるようになっています。
    ▲ポンテタワーを下から見た様子。
    ▲ポンテタワー内部の共有スペース。アーケードゲーム機がいくつか置かれていた。
    インフォーマルマーケットの中の秩序を目指すトイ・マーケット
     東アフリカには、ナイジェリア、南アフリカのような経済大国はありません。強いて言えば、ケニア、タンザニア、エチオピアという三つの国が人口面で地域大国と言えるかもしれませんが、経済規模ではいずれもナイジェリアや南アフリカに劣ります。こうした地域ではインフォーマルマーケットの役割がとても大きく、公的機関もインフォーマルマーケットの存在を認め、商人との長年の関係の中で独自のローカルルールを生み出していることがあります。私は東アフリカでは、エチオピアのメルカト、ケニアのトイ・マーケットなどに訪問しましたが、今回はケニアのトイ・マーケットとそこに隣接するキベラ・スラムの話をしたいと思います。
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  • 大西洋沿岸のインフォーマルマーケットとレバノン人ネットワーク|佐藤翔

    2021-06-15 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、旧大陸側から大西洋を渡って新大陸へ。大航海時代の欧州列強による植民地化の時代を経て、地中海東岸のレバノンからの移民ネットワークがこの1世紀あまりで拡大している中南米地域。ブラジル出身のカルロス・ゴーンやメキシコの富豪カルロス・スリムなど、国際ビジネスの表舞台でも存在感を発揮するレバノン人たちの活動が、いかに大西洋西岸のインフォーマルマーケットを牽引しているかにスポットを当てます。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第6回 大西洋沿岸のインフォーマルマーケットとレバノン人ネットワーク
    大西洋におけるレバノン人の存在感
     ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸をつなぐ大西洋。「大西洋革命」という表現があるように、アメリカ・西ヨーロッパにおける近代社会の成立を促したとも言える海です。東側におけるアフリカとヨーロッパ、西側における中南米諸国とアメリカ・カナダを比較すればわかるように、両岸とも南北に極端な経済格差があるため、南側の国々に巨大かつ国際性の強いインフォーマルマーケットが形成されています。
     大西洋のインフォーマルマーケットを語る際に欠かすことができないのがアラブ系移民の存在です。シリア系移民はブラジルやアルゼンチンに多く、パレスチナ系移民はチリに多いのですが、大西洋沿岸諸国において数が最も多いのはレバノン系移民です。地中海東岸に位置する中東諸国の一つであるレバノンは、古くから様々な地域に移民を出してきましたが、特に第一次世界大戦中に深刻な飢饉が発生したため、多くのレバノン人が国外へ移住しました。
     東地中海からジブラルタル海峡を越え、北に沿ってレバノンの委任統治を行っていたフランスへ、あるいは南に沿って西アフリカへ、さらに西アフリカから中南米へ、そして中南米から北米へと、大西洋全域に広がっていきました。その後も独立前後の混乱やレバノン内戦といった事件を契機に、移民は増え続けました。
     こうしてそれぞれの地に住み着いたレバノン人同士が連絡を取り合い、大西洋に一大商業ネットワークを築き上げたのです。移住したのは、20世紀前半はキリスト教徒が中心だったようですが、1943年にレバノンが仏領委任統治からの独立を果たした後は、キリスト教徒だけではなく、ムスリムの移民も増加していったようです。
     西アフリカの旧フランス植民地では、レバノン人の商人が各国経済において重要な役割を担っています。特にコートジボワールではレバノン商人の経済における影響が非常に大きいとされています。また、セネガル出身でフランス在住の弁護士ロベール・ブルジは、フランスと旧フランス植民地をつなぐ政治人脈のボスとして知られています。レバノン内戦以降は、前回取り上げたナイジェリアでもレバノン人の移民が増えていったようです。
     西アフリカ以上にレバノン人の存在感が強いのは中南米です。レバノン・シリアのゴラン高原で飲まれるマテ茶、ラテンアメリカのマーケットでよく見る水タバコは中東から中南米へはるばる旅をし、本国と交流を保ってきた証とも言えます。
    ▲ブラジル・サンパウロのゲーム屋に置かれていた水タバコ。(筆者撮影)
     さて、中南米でコミュニティを形成するレバノン人の商人としての才覚としたたかさを代表する二人の人物を挙げたいと思います。一人はかつて日本の日産自動車のトップの座にあり、2019年レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンです。ブラジル西部のロンドニア州ポルト・ヴェーリョ出身の彼は、父親がブラジル生まれのレバノン人ですし、母親も西アフリカ・ナイジェリア出身のレバノン人です。彼が述べたところによりますと、彼の父方の祖父であるビシャラ・ゴーンが、3ヶ月かけてレバノンのベイルートからブラジルに移住した、とされています。
     もう一人はメキシコの富豪であるカルロス・スリムです。「フォーブズ」紙の長者番付において、2010年から4年間、ビル・ゲイツを資産保有額で上回り、世界最高の金持ちとなったこともあります(2021年版は16位)。彼の母方の祖父はメキシコでレバノン人向けの新聞を発行し、メキシコのレバノン人コミュニティにおける有力人物でした。最近では長者番付のトップ10から外れたとはいえ、カルロス・スリムはどのようにしてビル・ゲイツを一時的にとはいえ上回る金持ちになったのでしょうか?
     その答えは彼がオーナーとなっているメキシコの通信キャリア、アメリカ・モビルにあります。1990年に民営化した際に彼によって買収されたアメリカ・モビルは、世界有数の通信キャリアであり、中南米の大半の国ではスペインのテレフォニカとともに、通信キャリア市場を二分する存在になっています。本国であるメキシコでは固定電話・携帯電話ともにほぼ独占に近いシェアを築き上げてきました。

    ▲メキシコの固定電話業者Telmex。かつてはアメリカ・モビルの親会社だったが、巨大化したアメリカ・モビルに逆に買収され、カルロス・スリムが会長になった。(筆者撮影)
     国内における通話料・通信料以上に安定して大きな収入源となっているのが、アメリカのヒスパニックの本国への通話料です。アメリカのヒスパニックで最も多いのはメキシコ系ですが、アメリカからメキシコへの国際電話の通話料の精算制度は、メキシコ政府の規則上、2004年までメキシコの最大通信キャリアであるアメリカ・モビルが代表して交渉を行うことになっていました。つまり、国際通話の料金の決定権は民間企業であるアメリカ・モビルが事実上独占していたのです。
     アメリカからメキシコへのトラフィックのほうが、メキシコからアメリカへのトラフィックよりも断然多い、ここがミソです。つまり、アメリカ・モビルが通信インフラの整備に大きな投資をしなくても、発信のための通信インフラは、世界一の技術力を持つアメリカの通信キャリアが整備してくれます。しかも、アメリカのヒスパニックが増えれば増えるほど、アメリカ・モビルの収益は増大することになります。このように他の通信キャリアにはない大きな収益源をテコに、中南米各国に次々進出していったことで、アメリカ・モビルは世界有数の巨大な通信キャリアへと成長していったのです。
     レバノン本国は内戦以降、経済はあまり活発ではありませんが、彼らのように強力なビジネス・ネットワークを誇るレバノン移民を、自国経済の発展に活用しようとしています。レバノンの外務・移民省は「Lebanese Diaspora Energy」というレバノン移民のための国際イベントをアメリカやフランス、アフリカなど様々な地域で行っています。TED TalksライクのLDE Talksという、レバノン人によるレバノン人のためのプレゼンテーションコーナーなどもあるようです。
    ▲Lebanese Diaspora Energyの公式サイト(出典)
    ▲LDE Talks(出典)
     このように国際ネットワークを持つレバノン人は、中南米のインフォーマルマーケットにおいても重要な存在です。ブラジルの大きなインフォーマルマーケットでは、レバノン人が商売を行っているケースを多く目にしてきました。面白いのは、中南米におけるレバノン人のネットワークはレバノン人だけで完結した閉じたネットワークではなく、他のエスニシティに属する人々と共同経営の形を取っていることがあることです。私がブラジルのサンパウロで訪問したインフォーマルなゲームの販売店でヒアリングを行った際も、レバノン人が華僑と一緒にビジネスをしているケースを見かけました。
     さて、前回はナイジェリアという大西洋東側・ギニア湾にある国を中心に扱いました。大西洋西側の中南米諸国はGDPや一人当たり可処分所得のような表面上の数字だけを見れば対岸のアフリカよりも立派な数字ですが、いずれもインフォーマル経済が重要な役割を果たしています。インフォーマルマーケットが欧州のように一定の空間に限定されておらず、明らかにフォーマルではない要素が町中ににじみ出ているのです。これらの中でもインフォーマルマーケットの中心となっているのは地域経済大国、つまり中米の大国であるメキシコ、南米の大国であるアルゼンチン、そしてブラジルの存在です。
    ▲ブラジルのストリートにあったグラフィティ。(筆者撮影)
     メキシコはアメリカという世界最大の経済大国に隣接しており、中米における人やモノのインフォーマルな流れの集約点となっているため、インフォーマルマーケットも巨大になっています。メキシコで有名なインフォーマルマーケットとして挙げられるのが首都メキシコシティのテピートと、グアダラハラのサン・フアン・デ・ディオスで、何度も「悪質市場リスト」に取り上げられています。そのほか、日本のアニメやマンガ関連のインフォーマルマーケットとしては、現地のFriki Plazaというショッピングモールチェーンが重要な役割を果たしています。
    ▲メキシコのオタクビル、Friki Plaza。現地ゲーム・アニメ・マンガファンの実態を知るにはここが一番。(筆者撮影)
     アルゼンチンはこれまでに何度も債務不履行に陥ったことで有名な国です。私が現地のゲーム開発カンファレンスへ訪れた際も、銀行のATMに人々が列をなしていました。そして財政破綻の連続で自国通貨であるアルゼンチン・ペソの信用がまるでないため、街中には「カンビオ! カンビオ!(スペイン語で両替の意)」と連呼し、ヤミレートでアルゼンチン・ペソとアメリカ・ドルを交換する両替商人を多数見かけました。
    ▲アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの通り。こうしたところにも行商人や両替屋が出没していた。(筆者撮影)
     さらには、暗号通貨に手を出す市民も多く、ビットコインのATMがあり、ブロックチェーンを活かしたスタートアップが多数出てきています。こうした中で、アルゼンチン最大のインフォーマルマーケットであるラ・サラディタはこの国のカオスぶりを象徴する存在です。毎度おなじみの「悪質市場レポート」によると、オーナーはアルゼンチン大統領の海外訪問に同伴し、ラ・サラディタの海外支店を作ろうとするほどの経済力を持っています。
    ▲ブエノスアイレスで見つけた求人広告。「MiniGame、3Dモデラーを募集中。お支払いはUSドルかビットコインで。」(筆者撮影)
     ブラジルにおいては連邦政府、州政府、市などが様々な税金を課すため、世界一税制が複雑な国と言われています。下の表は世界銀行が発行している“Doing Business”において、1年間に従業員60人程度の企業が、法人税・消費税/売上税・源泉所得税などの税金や社会保障費を政府に収めるためにかかる手続きの時間を示したものです。ブラジルで納税に必要な作業時間は1,501時間。ご覧の通り、まともに払おうとすると、日本やアメリカのような国はおろか、ロシアやインドのようなブラジル以外のBRICs諸国と比べても桁違いの時間がかかるのです。昔は2,600時間かかったのでこれでもかなりマシになったのですが、世界銀行が集計している国の中では圧倒的な最下位です。
    ▲税務作業手続にかかる時間の比較。(世界銀行“Doing Business”をもとに筆者作成)
     もっとも、これは外資系企業や中規模以上の企業についての話で、小規模の会社についてみると、ブラジルは税制が非常に簡略化されています。このため、ブラジルにはゲームも含めて優れたスタートアップがたくさんあるのに、売り上げが上がって成長フェーズに入るとアメリカなどに移転してしまうケースが後を絶たないのです。税制以外のルールも複雑なため、インフォーマルマーケットが大きくなるのも当然と言えるでしょう。
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  • ナイジェリアのカオスを生き抜くコンテンツビジネス|佐藤翔

    2021-05-12 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、大西洋を南下しギニア湾の奥側に面するナイジェリアで発展するインフォーマルビジネスの背景と実像に迫ります。石油産業を中核にアフリカ屈指の経済大国へと成長しつつある一方で、政治的・軍事的には不安定で、佐藤さんが訪れた地域でも群を抜いて治安が悪いというナイジェリア。そんな環境のもとで生まれてきた新たなコンテンツ産業のクリエイティビティとは?
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第5回 ナイジェリアのカオスを生き抜くコンテンツビジネス|佐藤翔
    はじめに
    ナイジェリアは西アフリカに位置する、人口2億人を超えるアフリカ有数の地域大国です。西部のプロテスタントのヨルバ人、東部のカトリックのイボ人、北部のイスラームのハウサ人が三大民族として扱われ、その他にもたくさんの民族が居住しています。GDPは2000年代まで約20兆円とされていましたが、2014年に再計算が行われ、約50兆円と、いきなり南アフリカを超えるアフリカ最大の経済大国となりました。これを見てナイジェリアのポテンシャルを評価するか、それとも統計のいい加減さに呆れるかは人次第だと思いますが、石油産業が発達するとともに最近はエンターテインメント産業のような新産業が成長し、発展を続けているのは事実です。
    ▲ナイジェリア、ラゴスのストリートの写真。筆者撮影。
    日本でナイジェリアと言うと、1970年代のビアフラ戦争で飢餓状態に陥った子供たちのイメージや、詐欺メールの代表格である「ナイジェリアの手紙」など、残念ながらネガティブな印象が根強くあります。最近のニュースでも、ボコ・ハラムが学生を誘拐した(出典)だの、刑務所を武装集団が襲撃して1,800人が脱走した(出典)だの、ヘビが教育機関の金庫にあった現金約1,000万円を吞み込んだという証言が出た(出典)だの、あまりポジティブなニュースが出る国ではありません。
    実際、現地の治安はとても良いものとは言えず、ビジネスにおいても、インフォーマルマーケットがフォーマルマーケットを圧倒している状況です。一方、海賊版の流行やインフラの致命的な不足をものともせず、インフォーマルマーケットに即した形でコンテンツ産業が映画産業を中心に急速な発展を遂げており、インフォーマルビジネスの壮大な実験場ともなっています。
    今回は、アラバ・インターナショナルなど、現地のインフォーマルマーケットを取材した筆者の知見に基づき、ナイジェリアのインフォーマルビジネスがどのようなものになっているのかを、コンテンツ産業を中心に見ていくことにします。
    ナイジェリアの治安の「格」
    皆さんは治安の悪い国というと、どのような場所を思い浮かべるでしょうか? 麻薬組織、ギャングや武装ゲリラが蠢くフィリピンでしょうか? 警察に十分な予算が割かれず、マフィア同士が白昼堂々銃撃戦を繰り広げているブラジルでしょうか? それとも2chのテンプレで有名な南アフリカのヨハネスブルクでしょうか? 私はこれまで五大陸の様々な国を訪れてきましたが、現地ユーザーの事情を可能な限り知るために、フィリピンのスラムに訪問したこともありますし、ブラジルでは違法ゲーム改造工場に踏み込んだこともあります。ヨハネスブルクの夜のダウンタウンを一人で歩く羽目になったこともありますし、ポンテタワーへ入り込んだこともあります。
    ▲ポンテタワーの写真。筆者撮影。
    もちろん、戦争状態にある国々など、ここに書いたような場所よりもはるかに危険な場所へ行かれた方々は探せばいくらでもいらっしゃるでしょうが、平和な都市を歩くコンテンツ産業の一マーケッターに過ぎない私個人の感想を言わせてもらえば、各国に赴き、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケットの双方を調査する中で、これまでの人生で最も治安が悪いと感じたのはナイジェリアです。以下、ナイジェリアの治安の悪さの「格」の違いを、英国内務省が発行している「国別背景情報:ナイジェリア」(出入国在留管理庁による日本語訳あり)をベースに、簡単に説明させていただきましょう。
    ナイジェリアの武装組織と言えば世界的にもよく知られているのが、イスラーム原理主義勢力とされるボコ・ハラムです。ナイジェリア北東部にあるボルノ州を中心に出没し、地域住民や軍人に対して襲撃や誘拐事件を多数引き起こしている彼らが、並外れた暴力集団であることは論を俟ちません。しかし、ボコ・ハラムの影響力はナイジェリアの北東部、チャドなどとの国境周辺地域に限定されており、ナイジェリアにおける数ある武装勢力の一つに過ぎません。
    ▲アフリカ戦略研究センターより、ナイジェリアの治安上の脅威分布図。(出典)
    ナイジェリア東部のカメルーンとの国境沿いにはカメルーンの分離主義者が徘徊しています。ナイジェリア南東部の石油採掘地域では、ニジェール・デルタ解放戦線が大暴れしていた時代があり、今でもその残党が出没します。ナイジェリア東部のイボ人居住地域では自警団が大きな治安上の脅威となっており、自分たちに従わない人間を超法規的措置でリンチにし、殺す事件が多数発生しています。ナイジェリア北西部のニジェールなどとの国境沿いには越境強盗団が出没し、強盗・殺人事件が多発しています。都市部ではアワワ・ボーイズやワン・ミリオン・ボーイズのようなギャングが存在します。
    ▲治安当局に逮捕されたアワワ・ボーイズ(出典)
    また、日本の全学連系セクトを彷彿とさせる「学生秘密結社」の存在は、都市部では重大な治安上の脅威となっています。様々な大学で秘密結社が結成され、抗争と分派を繰り返す中で、その多くがカルト化していきました。ナイジェリアの学生カルトのルーツとなったとされるのは、1953年にユニバーシティ・カレッジ・イバダン(現在のイバダン大学)で結成されたサークル、「パイレーツ協会」です。このサークルはのちにノーベル文学賞を受賞する詩人、ウォーレ・ショインカ氏のイニシアチブで結成され、当初は部族主義と植民地根性からの離別、騎士道時代の復活という気高い目的で作られたものでした。アメリカによくあるギリシア三文字クラブのアフリカ版と考えていただけると、わかりやすいかも知れません。しかし、ウォーレ・ショインカ氏がナイジェリアから離れ、様々な事件を経るうちに当初の目的は忘れ去られ、秘密主義のカルトに変貌していってしまいました。
    大学当局はカルトを大学から追放しようとしましたが、それはかえってカルトの広域化、他大学発祥のカルトとの間の縄張り争いの激化を招きました。私がナイジェリアに訪問していた時に読んだ新聞でも、AiyeというカルトとEiyeというカルトが縄張り争いで銃撃戦を行い、無関係の警備員が犠牲になった、という記事を読みました。AiyeやEiyeのほかにも、バイキングス、バッカニアーズ(海賊)、黒い斧/ネオ黒人運動、KKK協会(もちろんアメリカのKKKとは別)、アイスランダースなどの組織が知られています。
    ナイジェリアが危険なのは陸だけではありません。ギニア湾は世界有数の海賊出没地域です。ナイジェリアでは、経済成長のスピードに港湾の整備が追い付かず、税関の非効率もあって、数か月にわたって船舶が順番待ちのためギニア湾で停泊させられることが珍しくありません。ポール・コリアーの「収奪の星」という本によると、1970年代には入港に数ヶ月、場合によっては数年かかることを逆手に取って、安く粗悪なセメントを積んだ老朽船を停泊させて滞船料をむしり取るやり口が横行し、沖合に停泊する多数のセメント船は「セメント無敵艦隊」などと現地人に揶揄されていたそうです。この状況は半世紀経った今も大して変わっていないようで、ナイジェリア近海に停泊している船が海賊の恰好の餌食になっています。
    海賊と言っても、ナイジェリアの海賊は世界的に有名なソマリアの海賊とは「ビジネスモデル」が全く異なります。ソマリアの沿岸を高速で走る船を拿捕し、身代金を獲得するのが目的のソマリア海賊は軽武装で高速の船を使いますが、ナイジェリア海賊は停泊している船に襲い掛かり、積み荷ごと船を奪ったり金品を奪ったりするなど、強盗を行うのが目的ですので、重武装が特徴となっています。現地の民間軍事会社の方にヒアリングしたところ、民間軍事会社のビジネスとして海賊対策の警備が重要な事業となっているとのことでした。全世界の海賊事案の4割がギニア湾で発生しているということもあって、外務省も強く注意を促しています。
    ▲ナイジェリアの海賊。(出典)
    このようにナイジェリアの数ある危険な勢力の上位に位置し、最も良く武装し、最も危険なのが腐敗した警察官や軍人です。「民間人が夜にタクシー待ちをしていたらいきなり警察官に射殺された」「賄賂を拒否したら警察官に超法規措置で射殺された」など、ナイジェリアのメディアを探せば恐ろしい事件は枚挙にいとまがありません。私もナイジェリアに滞在する間は何度となく警察官や役人に賄賂を要求されたり銃を向けられたりしたものでした。
    世界で「活躍」するナイジェリア人ネットワーク
    ナイジェリアのカオスぶりの一端をご理解いただけたかと思いますが、興味深いのはナイジェリア人の海外における活動が盛んになっていることです。
    欧州の例を挙げると、イタリアでは先に挙げたナイジェリアの学生カルトであるEiyeがマフィアと協力し、イタリアの売春婦を手配していると言われています。ル・モンド・ディプロマティークに2018年に掲載された論文では、フランスにおけるナイジェリアの売春組織について記述しています。この論文によると、渡航前に売春組織が売春婦候補となるナイジェリア人女性に対して呪術的な儀式を行ったうえで呪物を渡しているそうで、彼らとの契約を破ると祟りが起こるということで組織の言いなりにならざるを得ない人が多くいたとのことです。
    アジアにも中国や日本にかなりの数のナイジェリア人が進出していることが知られています。広州のある地域にはアフリカ系住民の集住地区が存在し、スマートフォンをはじめとして様々な商品の貿易を行う人々が居住しています。ここにおいてナイジェリア人は大きな勢力となっているようです。もっとも、近年のコロナ禍においては中国政府当局が違法滞在者の取り締まりを強化したため、こうした地区におけるナイジェリア人の活動は縮小しているようです。
    ▲広州のアフリカ系移民集住地区の写真。筆者撮影。
    日本におけるナイジェリア人移民は1990年前後から増加したと言われています。東京、特に六本木で呼び込みやドアマンなど、夜の仕事に従事している人が多いとされています。例えば、川田薫氏による「盛り場「六本木」におけるアフリカ出身就労者の生活実践」という論文においては、世襲制の伝統的宗教の預言者の家に生まれたイボ人が、神のお告げで日本に行き、風俗店を経営するに到るなど、日本に在住するナイジェリア人の多種多様なライフストーリーが記されています。この論文によると、日本に在住するナイジェリア人は、ヨルバ人・ハウサ人と並ぶ三大民族の一つであるイボ人や、エド州に居住するエド人が多いようです。もっとも、六本木のストリートで就労している黒人は、日本人から出身地を聞かれても、日本人のアフリカに対するネガティブなイメージや関心の低さを懸念して、アメリカなどと回答する人が多いようですが……。
    コンピューター・ビレッジとアラバ・インターナショナル
    さて、このような状況にあるナイジェリアにおいて、インフォーマルマーケットはどのような構造になっているのでしょうか?
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  • イスラエルのダウンロード・バレーとモロッコのデルブガレフ・バレー 地中海インフォーマル経済とイノベーション|佐藤翔

    2021-04-15 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、有史以来さまざまな文化圏が交錯してきた地中海の東側・イスラエルのITスタートアップたちが跳梁するオンラインの非合法市場「ダウンロード・バレー」と、西側・モロッコ最大のインフォーマルマーケット「デルブガレフ」を紹介します。片やハイテク中のハイテクでグローバルビジネスを展開、片やローテクの掘っ立て小屋で北アフリカのIT産業の裾野を広げている二つの「バレー」の実態に迫ります。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第4回 イスラエルのダウンロード・バレーとモロッコのデルブガレフ・バレー 地中海インフォーマル経済とイノベーション|佐藤翔
    地中海におけるヒト・モノ・カネの移動
     ヨーロッパ大陸とアジア・アフリカ大陸に挟まれた地中海。前近代にはバルバリア海賊が幅を利かせていたこともある海です。16世紀には当時の「後進国」イギリス商人が、スペインやイタリアのような当時の「先進国」の商品と偽るために偽物の焼き印(ブランド)などを使って、自国の低品質な商品をマーケットに流す「海賊版ビジネス」を行っていました。現代では国ごとの役回りが変わりこそすれども、地中海がインフォーマルな経済の舞台となっていることに変わりはありません。
     現代においては、北岸のヨーロッパ大陸と南岸・東岸のアジア・アフリカ大陸との間に大きな経済格差があります。そのため、ボートや粗末な船を用いてアフリカや中近東からヨーロッパへ密航しようとする人々が後を絶たない状況になっています。このことは、シリアやリビアの政情不安に伴う難民増加により、世界的にもよく知られるようになりました。  一方、ヨーロッパで売られている最新の商品は、アフリカや中近東で暮らす人々にとって魅力的なものであり、北から南に多くの商品が正規・非正規を問わず、人知れず様々な形で流入しています。ヒトは南から北に、モノは北から南に、というのが現代地中海のインフォーマルビジネスの大まかな構造と言えるように思います。
     もっとも、これはあくまで単純な図式化に過ぎません。実際には、アフリカにおいてもショッピングモールに代表されるようなフォーマルマーケットが一定の機能を果たしているように、西ヨーロッパの「先進国」にもインフォーマルマーケットはあります。西ヨーロッパでも色々な地域、とりわけ国境沿いなどにおいては、インフォーマルマーケットは現代でも見えにくい形で存在するのです。  フランス・パリ北東部にはサントゥーアンやモントルイユという著名な蚤市があります。この蚤市は許可証をもらってビジネスをしているフリーマーケットが中心部にある一方で、その周辺には許可証を持たずに警察の目などを避けて流動的に商売をしている、よりインフォーマルな商人もおり、フランスでは“biffins(日本語で言えば「くず屋」)”と呼ばれています。彼らは独自の組合を作り、社会的認知の向上のために色々な活動をしているようです。
    ▲パリのインフォーマルマーケット商人連盟、Ameliorの公式ページに掲載されている写真。(出典)
     また、スペインのカタルーニャ州ジローナ県のフランスとの国境沿いにあるEls Limitsという村は、アメリカ通商代表部の悪質市場リスト2019年版まで掲載されていました。スペイン政府当局の努力ゆえか、はたまたコロナにより国境沿いの街から客足が遠のいただけか、2020年版ではリストから削除されました。  他にも、イタリア南部のシチリア島東岸では、アラブ起源の隊商文化が馬などから車に形を変えて残っており、スーパーなど近代小売が発達している現代においても、地元の主婦の日用品購入に欠かせない存在になっているとされています。これらの例が示すように、現代において、西ヨーロッパのような「先進国」においてさえも、インフォーマルマーケットの存在を消し去ることができないのは興味深い事実です。
     ただそうは言っても、21世紀において、インフォーマルマーケットがより生々しく、より人々の生活に即した形で力強く存在するのは地中海のヨーロッパ側よりもアジア・アフリカ側です。チュニジアのブマンディル・マーケット、レバノンのミンゲイ・マーケット、トルコのシリア国境近く、ガジアンテップにあるイラニアン・バザールなどなど、多種多様なインフォーマルマーケットが花咲いています。その中でも強烈な存在感を誇るのがモロッコのデルブガレフです。
     また、オンラインのインフォーマルマーケットという点で見ると、イスラエルの起業家たちの「活躍」が目につきます。そこで今回は地中海に数あるインフォーマルマーケットの中でも、東側、イスラエルにおけるオンラインのインフォーマルマーケットと、地中海の西側、モロッコにおけるオフラインのインフォーマルマーケットを順番に見ていきたいと思います。
    イスラエル軍OBがアラブ人スタートアップを支援?
     イスラエルのIT産業には近年世界的な注目が集まっています。イスラエルのIT産業隆盛の一因として、イスラエルの徴兵制度と、それによって築かれた人脈の存在がしばしば挙げられます。軍隊時代の先輩が後輩を自分の作ったスタートアップに芋づる式に採用し、軍人時代に培ったチームワークを元に企業を成長させていった、というわけです。特に元8200部隊やタルピオットなど、エリート部隊のネットワークはイスラエルIT産業のインナーサークルの中で重要な役割を果たしていると言われています。
     最近では、こうした起業家ネットワークを生かして、ユダヤ人だけではなくイスラエルのマイノリティであるアラブ系にもIT起業を広げる試みがなされています。例えば、イスラエルに住むアラブ人の起業したカジュアルゲームの会社で、Obscure Gamesという会社があります。彼らが作っているのは、最近イスラエルでも多く出てきたハイパーカジュアルゲーム、つまりデジタル広告のネットワーク(アドテク)を前提にしたきわめてシンプルなゲーム内容のゲームです。
    ▲Obscure gamesの公式サイトより。(出典)
     この会社はHybridというイスラエルのアクセラレーター(インキュベーションプログラムの一種)によって支援を受けていますが、このHybridはウェブページにはっきりと書かれている通り、イスラエル軍の著名な諜報機関である、8200部隊所属経験者がアラブ系スタートアップの育成を目的として創設したものです。イスラエルでは労働を拒否するユダヤ教超正統派とともに、アラブ系(主にパレスチナ人)の就業率の低さが課題となっており、一方でイスラエルにおけるIT人材の人件費高騰の中、人材のパイを少しでも広げていくことを目的にアラブ系の起業支援にも目を向け始めているということなのでしょう。
    ▲アクセラレーションプログラム、Hybridのページ上に掲載されている8200部隊所属経験者同窓会のマーク。(出典)
     ただ、イスラエルという国の性格上、軍事活動や諜報活動の重要性が強いとはいえ、軍隊の仕組みや諜報活動だけがイスラエルのスタートアップ隆盛の原因ではありません。軍事・諜報活動だけがスタートアップ隆盛の主因であるならば、先軍政治を掲げる北朝鮮がIT先進国であっても良さそうなものです。昔はアルファ碁が出てくるまで世界最強だった囲碁AIソフト、最近では仮想通貨取引所のハッキング、ゲーム業界で言えば欧州ゲームタイトルの外注など、興味深い活動がまったくないとは言いませんが、北朝鮮が全体で見てIT産業で進んでいる国とはちょっと言えませんよね。
     一国における産業の発達には、様々な要因が絡んでいます。産業が成長する中では、フォーマルな部分とインフォーマルな部分の境目を突っ切るかたちで成長を目指そうとする企業が多数出てきますが、イスラエルのIT産業はそうした意味でも興味深い要素を持っています。本稿では、インフォーマルビジネスの観点から、イスラエルのIT産業の発達の要因を考えたいと思います。
    シリコン・ワディとダウンロード・バレー
     イスラエルのIT産業が1990年代に急速に発展していく重要な要因となったのが、冷戦終了にともなう東側諸国からの移民増加です。ソ連崩壊に伴い、旧ソ連圏からロシア系ユダヤ人が100万人近くイスラエルに移住してきました。ユダヤ系でありさえすれば、アメリカのような国よりも移住が容易だったからです。新しい移民のため、イスラエル政府は失業対策を進めざるを得なくなりました。その結果として、当時世界的な市場規模が拡大しつつあったIT産業の起業振興が急速に推し進められたのです。1993年には、官民出資のベンチャーキャピタル、ヨズマが創設され、イスラエルのスタートアップへの出資体制が整えられました。ロシア系ユダヤ人の多くはソ連で優れた工学教育を受けており、3人に1人が科学者、エンジニアもしくは技術職に就いていましたが、こうした政策は彼らの持っている知識や技能によくマッチしました。
     イスラエルのビジネスの特徴は産業面・市場面双方における国際性の高さです。イスラエルの人口は少ないため、グローバル市場を念頭においたITサービスが発展していきました。企業が成長すると、投資家が集中するアメリカに本社を移し、イスラエルにはR&Dセンターだけを置く、という会社が多く出てきました。アメリカのベイエリアのIT起業と話をする際に、社長がイスラエルのテルアビブ出身、というパターンを、私もこれまでかなりの数目にしてきました。
     さらに、イスラエルでエンジニアの人件費が高騰するようになると、開発をロシアやウクライナ、ベラルーシといった旧ソ連圏に外注するようになりました。この地域からの移民を多く受け入れたイスラエルの企業にとっては、人的ネットワークの深耕が容易な地域であり、また時差が少ないため一緒に仕事をしやすいのも彼らにとって利点となっています。このような起業環境において、アメリカやヨーロッパのIT企業が進出していないニッチな分野で大きな成功を収める企業が多数登場するようになり、イスラエルは中東版シリコンバレー、「シリコン・ワディ」と呼ばれるようになったのです(ワディとは中東で良く見られる枯れ川のこと)。
    ▲シリコン・ワディを紹介するポスター。(出典)
     ゲーム業界に近いところで言えば、アイテム課金型のカジノゲームであるソーシャルカジノなどの分野で、Playtikaなどの有力企業が多く登場しています。他にもサイバーセキュリティや自動運転などの分野でアメリカなどの投資家の出資を受け、成長する企業がいくつも出てきています。
     このような華々しい成果を上げる企業が続出する一方で、テルアビブのIT産業はもう一つの異名を持っていました。それは「ダウンロード・バレー」です。イスラエルでは2000年代まで、ブラウザ・ハイジャッカーやアドウェアなどのマルウェアにより、ネットユーザーを特定サイトに誘導することで、視聴数やダウンロード数を稼ぎ、大きな広告収入を得るビジネスが大きく発達したのです。その中でも有名だったのがツールバービジネスです。

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  • 旧東側諸国の人々が融和する、黒海の7kmマーケット|佐藤翔

    2021-03-10 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、黒海の北岸に面する港湾都市・オデッサ市にあるウクライナ最大の非正規市場「7kmマーケット」にスポットを当て、その実態や成立経緯、そして紛争多発地域での多民族の融和と生活防衛を担う役目を紹介します。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第3回 旧東側諸国の人々が融和する、黒海の7kmマーケット|佐藤翔
    インフォーマルマーケットの豪快なマーケティング
     読者の皆さんは、ヤミ市というと、表通りから一歩奥に入ったところにある、横丁のような存在を思い浮かべるのではないでしょうか。戦後直後の日本においてもGHQ本部に近い、東京駅付近のヤミ商人は瞬く間に追放されたようですし、警察庁・警視庁のある桜田門にヤミ市ができるということもありえませんでした。しかし、現代の新興国のインフォーマルマーケットにはそのような奥ゆかしさ、慎ましさは一切ありません。現代のインフォーマルマーケットの住人は生きるために手段を選ばず、自らの存在を積極的に露出し、生き残りを図っています。その典型と言えるのが、ウクライナ最大のインフォーマルマーケットである、7kmマーケットです。
    ▲7kmマーケットの日用品コーナー。(筆者撮影)
     7kmマーケット(現地ではСедьмой Километр)は前回のドルドイ・バザールと同様、アメリカ通商代表部の「悪質市場リスト」に毎年のように掲載されているマーケットです。「中国やその他のアジア諸国から輸入される大量の偽物を扱って」いるのにも関わらず、「2020年には政府当局はまったく取り締まりを行っていない」という、欧米グローバル企業からすれば不倶戴天の敵と言える市場です。ところが、私がオデッサへ7kmマーケットを現地のゲーム開発者に連れられて見に行った際、オデッサ空港から車で都市の中心に向かおうとすると、ガードレールに堂々と「7kmマーケットはこちら!」という矢印付きの看板が立てられていました。彼らは日本の「闇」のイメージとはまるで異なり、自らを隠そうとする気なぞまったくないことがわかります。
    ▲7kmマーケットの入り口付近。(筆者撮影)
     もっとわかりやすい例を提示しましょう。Google Earthを起動してください。そしてウクライナの南西部、オデッサ市の空港の近くへ移動してみましょう。空港から北のあたりに、やたらとコンテナが集まっている場所があります。この地域でも目立つ白っぽい部分を拡大すると、下記のような画像が出てきます。これは、白いコンテナの集まりをキャンパスとして、青いコンテナで「7km」という文字を書いているのです! 衛星写真を見ているみなさん、ここにでっかいインフォーマルマーケットがありますよ! 合法っぽいものも合法っぽくないものも何でもありますよ! 是非お越しください!! という呆れるほど商魂たくましいアピールをしているわけですね。
    ▲Google Earthの写真で見える7km。
     7kmマーケットはドルドイと同様、こんなインフォーマルマーケットであるのにも関わらず、きちんと公式サイトがあり、Facebook、Instagram、Twitter、YouTube、Telegramで随時セールなどの宣伝をしています。ついでに市の賑わいぶりを伝えるために、ウェブカメラも設置されています。昼になると人々がコロナ禍を物ともせず行き交い、夜になると怪しげな人たち(笑)が集まって何やら話をしているのを見ることができたりします。  もう一つ、こちらから7kmマーケットの公式のパノラマ写真を鑑賞できます。コンテナに囲まれて商売をしているところを歩く際の、あの何とも言えない気分が味わえるので、こうした市場に関心のある方にはおススメです。こういう多彩な工夫をして市場に興味を持ってもらおう、という努力が伝わってきますね。
    ▲7kmマーケットのウェブカメラより。コロナ禍にある2021年2月20日時点でも慌ただしく人が行き交っている。(出典)
    悪質市場のボスは「優良納税者」
     7kmマーケットは75ヘクタールもの広さを持つオデッサ郊外の巨大なマーケットです。このマーケットが開業したのは1989年12月のことです。当時のソビエト連邦では物資が不足し、オデッサの街角にはさまざまな商品を扱う商人が多数出没しました。オデッサは世界各地からソ連邦に集まるあらゆる物資を積み下ろしする最重要の拠点だったので、闇流通においても重要なハブとなっていたのです。オデッサの政府当局はこれらの露天商に対し、オデッサの都市中心部から7km以内で商売してはならない、という命令を下しました。そのため、オデッサの露天商は身を寄せ合い、オデッサからちょうど7km離れたこの地にマーケットを開業したのです。
    ▲7kmマーケットの公式サイト、7kmの歴史ページより。(出典)
     はじめは仕事を失った元水夫や元工員が、泥の上に新聞紙を敷き、海外から流れてきた物資を手に入れて商売するという原始的な露店の集まりだったようです。そのうちコンテナを使って商売を始めるようになり、それが拡張に拡張を重ね、今や欧州最大と言える規模のマーケットにまでなりました。現在、ここには60,000人ほどの人々が働いているとされており、店舗数は15,000ほどあります。
     訪問客は毎日20万人以上に達し、オデッサ市内を走るバスのうち、10路線ほどが7kmマーケットを通ります。ウクライナ国内だけではなく、モルドバ、ルーマニアなど、数百km近く離れた海外からも安価なバスツアーが実施され、客を集めています。下手なショッピングモールよりも、よほど集客の仕組みを徹底しているのです。もちろん普通の客というよりも、他国のインフォーマルマーケットのトレーダーが多く、彼らは7kmマーケットで商品を仕入れ、自分の住んでいる都市で買った商品を売りさばいているというわけです。
    ▲オデッサから7kmへ向かうバスルートの紹介。(出典)
     前回取り上げたドルドイと同様、7kmも現地の人には「国の中にある国」と呼ばれ、国家権力の手の届かない空間で、独自のビジネスモデル、というよりは自治が行われています。7kmで商売をしたい人は、コンテナのオーナーから200,000ドル程度でコンテナを不動産のような扱いで購入します。多くの場合、こうしたコンテナを買った商人は売り子を雇い、商品をさばかせます。商品の売上の3%が売り子に渡され、原価や流通コスト、諸経費を差し引いた残りの収益が商人のものとなるわけです。一方で、コンテナをオーナーから賃貸して、自分の責任で物を売り買いしているトレーダーもいるようです。コンテナのオーナーは7kmマーケット全体の顔役に警備料などの名目で手数料を支払っている、という構造です。
    ▲7kmマーケットの玩具街。(筆者撮影)
     当然、こうした取引には政府の許認可や消費税・所得税・固定資産税のような税金、社会保険料などは一切絡んできません。個々の商人が政府に納税などをしない代わりに、7kmマーケットのボスは、政府当局・自治体に毎年、約1,000万ドルのお金を「税金」として支払っている、と言われています。さらに、政治家との関係も密接です。かつてこの7kmマーケットがオデッサ市によって立ち退きの圧力がかかった際、ウクライナの元大統領、ヴィクトル・ユシチェンコが7kmマーケットを視察しオーナーに面会しました。現地のメディアによれば、彼は多いときは2ヶ月に1回ここに訪れ、2,000万ドルのポケットマネーを受け取っていた、と言われています。このように、非正規の「税金」を納めたり政治家を手厚く接待したりすることによって、当局との関係を良好に保っているわけです。  ちなみに2012年に、7kmマーケットは「優良納税者賞(Добросовестные налогоплательщики:直訳すれば「良心的な納税者」)」を授与されています。天下に名高い「悪質市場」が優良納税者とは、冗談のような話ですね。
    キャッシュキオスクから見えるウクライナのゲーム事情
     この市場で偽物や海賊版を見つけることはとても容易です。玩具や日用品などは多くの場合、中国浙江省の義烏から流れてきています。実際に調べると、中国の義烏とウクライナのオデッサの双方に支店を持つ怪しげな貿易会社がネット上で色々見つかります。一方、メディア関連製品はブランクCD・DVDなどを輸入し、現地で直接データを書き込んでいるようです。私も7kmマーケットに入って10分ほどで、海賊版ゲームが売られている店をいくつか見つけることができました。私が一通り見たかぎりでは、この街では家庭用ゲームよりもPCゲーム向けの海賊版商品が多数売られていました。
    ▲7kmマーケットで売られるメディア商品。右に「GTA」シリーズや”CS:GO”、”SIMS”などが売られている。(筆者撮影)
     ところで、スマートフォンでオンラインゲームを遊ぶのが当たり前の時代に、なぜ今さら、これほどの海賊版ゲームがこの地域で流通しているのでしょうか?
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  • キルギス人が支配する中央アジア経済の心臓|佐藤翔

    2021-02-16 07:00  

    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる新連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、中国に隣接する中央アジアの小国キルギスの広大なコンテナ・マーケットから、冷戦体制崩壊後の旧ソ連圏で拡大したインフォーマルマーケットの役割の重要性を考察します。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第2回 キルギス人が支配する中央アジア経済の心臓
     冷戦構造崩壊後に膨れ上がったインフォーマルマーケット。旧東側諸国に冷戦後登場した数々のコンテナ・マーケットは、インフォーマルマーケットとグローバル経済の新興国における実態を理解するうえで格好の事例です。今回はその中でも規模・商流・商品などの観点から代表的と言える、中央アジアの小国、キルギスのドルドイ・バザールについて、佐藤が2018年に訪問したときに撮影した写真を都度掲載しつつ、考察していきたいと思います。
    ▲ドルドイ・バザール、入り口付近。(筆者撮影)
    「鋼鉄のキャラバンサライ」ドルドイ・バザール
    ▲中国に隣接する中央アジアの小国、キルギス。(出典)
     キルギスと聞いて、どのような国かピンとくる読者は少ないかもしれません。2015年にニューヨークタイムズの記者はキルギスをキルズベキスタン(Kyrzbekistan)と間違えた表記をして笑いものになりましたが、キルギスは残念ながら国際社会であまり知名度の高い国とは言えないのは事実です。アメリカ人や日本人が知らないのに限った話ではなく、私の米国大学院時代のキルギス人のクラスメートは、「中国はキルギスの隣国で影響力も大きいのに、中国人の留学生は誰もキルギスを知らない」と嘆いていました。もっとも、世界情勢に詳しい方の中には、イシククル湖の傍らに咲き誇るチューリップ畑などを思い浮かべる人もいるでしょうし、テレビや新聞のニュースから、チューリップ革命をはじめ、たびたび社会騒乱が起きていることを知っている人もいるでしょう。文学に詳しい方なら、ギリシアの「オデュッセイア」やインドの「リグ・ヴェーダ」よりもはるかに長大な、50万行という超大作としてギネス記録にも認定されている世界最長の叙事詩、「マナス」の存在を知っている人がいるかも知れません。
    ▲「マナス」のイメージ。東洋文庫で3冊の抄訳が出ています。(出典)
     ただ、ビジネスのイメージ、つまり「彼らがどのようにして食べているのか?」というイメージをはっきり持っている人は、現地に住んでいた人でもないかぎりほとんどいないはずです。中央アジアの国々の中では、カザフスタンやトルクメニスタンは石油採掘が、ウズベキスタンは綿花栽培が主産業ですが、キルギスはカナダの企業が開発したクムトール金鉱山や水銀の採掘を除けば、石油もなく目立った産業はありません。とはいえキルギスは人口600万人近い国ですから、まさか全員が金と水銀の採掘だけで食べていけるわけもありません。一人当たりGDPが1,148ドルと日本の約40分の1に過ぎず、アジアでも最下位クラスの貧しい国において、一体人々はどこで何をして生きているのでしょうか?
     その答えとなるのが中央アジア最大とされるインフォーマルマーケット、「ドルドイ・バザール(Dordoi)」です。このバザールはキルギスの首都ビシュケクの北東部に位置します。“Informal Market Worlds”によると、総面積は250ヘクタール以上に達しており、日本の最大規模のショッピングモールである埼玉県越谷市のイオンレイクタウンの敷地面積(33.7ヘクタール)の7倍以上というとんでもない広さとなっています。世界銀行の2009年の調査によると、ドルドイ・バザールの年間売上は4,000億円前後と推定されていますが、キルギスの2009年のGDPが46.9億ドルであることを考慮に入れると、規格外の売上規模であることがうかがえます。
    ▲ドルドイ・バザールの内部。写真は玩具街。(筆者撮影)
     このコンテナだらけのマーケットの中に、30,000から40,000もの店舗が存在すると言われています。2020年11月のBBCロシア語版の記事によると、ドルドイ・バザールにおいて、15万人が職を得ているとされています。言い換えると、首都の人口の6分の1程度がこのインフォーマルマーケットで直接職を得ているという計算になります。運送業やインフラ関連など、このマーケットがあることで生まれる国内外の職業を足し合わせると、60万人以上にものぼるとされており、このバザールの雇用創出力ははかり知れません。
     ここには、衣料品、家具から玩具、メディア用品、文具、テレビやPCなどの家電製品に到るまで、あらゆるものが売られています。このドルドイ・バザールの中に入ると、両脇に二段積みのコンテナがずらっと並び、一段目が店舗で、二段目が倉庫、という仕組みになっています。商品がない場合、店主ははしごをかけて二階に商品を取りに行きます。コンテナには緑、青、灰色などと、扱っている商品によって違う色が塗られています。コンテナの中で客引きをする商人だけではなく、手押し車を引いた商人もコンテナ街の間をせわしなく走り回り、コンテナに商品を供給したり、街の人に食べ物を販売していたりします。このドルドイ・バザールにはビシュケク市民が買い出しに来るだけではなく、カザフスタンやウズベキスタンなど、近隣の国の商人も商品を買い付けにやってきます。卸街や小売街といった分別はなく、B2BとB2Cが混然一体となっています。
    ▲ドルドイ・バザール、食料品コーナー。厳冬下でパイナップルが売っている。(筆者撮影)
     このドルドイ・バザールの主要製品は衣料品です。帽子やコート、スポーツウェア、靴などあらゆる製品が販売されています。コンテナで衣料品を扱っている商人は女性が非常に多いです。ちなみに、世界銀行が発行している“Borderless Bazaars and Regional Integration in Central Asia”というレポートに掲載されている2008年の調査によると、ドルドイ・バザールを始めとする中央アジア各国のバザールで働いている商人の7~8割が女性となっています。家庭内で奥さんが商品販売を、夫が運び屋をやる、という分業が成り立っているわけですね。
     ここで売られている多くの衣料品は中国からの輸入品が多いですが、最近は中国から輸入した布をキルギス国内で加工してドルドイ・バザールで販売する製造業も発達してきています。もっとも、製造業とは言っても、家庭内での零細な業者がほとんどのようです。
    ▲ドルドイ・バザール、衣料品街。大部分は中国製品だ。(筆者撮影)
     ドルドイ・バザールは約10のエリアで構成されており、それぞれのエリアに「ヨーロッパ」、「キタイ(中国)」といった名前が付けられています。エリアによって取り扱っている商品は大まかに異なりますが、必ずしもあるエリアが玩具街、あるエリアが電気街と決まっているわけではありません。例えば、ほとんどのエリアで何かしらの衣料品が扱われています。エリアのオーナーはそれぞれ異なり、全体の計画、警備や広告、ロビー活動などのバザール全体に共通する事柄については、後述するドルドイ・アソシエーションが統括をしています。このようなかたちにすることで、緩やかな連合体形式の組織を作りつつも、エリア同士で競争をさせ活気を生み出しているのです。
    ▲ドルドイ・バザールの全体地図。コーナーごとに「ヨーロッパ」、「キタイ(中国)」などと名前が付けられている。(出典)
     コンテナの賃料はエリアによって異なり、例えばヨーロッパマーケットは月600~1,000ドル、キタイ・マーケットは月500〜800ドル、最も安いAZSマーケットでは月100〜150ドルとなっています。場所によってはコンテナの買い取りもできるようです。この価格の上に警備代などのサービス料金が上乗せされるかたちになっています。一応、国からの事業税はあるようですが、売上が不透明なため、しっかり納めている業者は少ないようです。
     現地の一人当たりGDPが1,000ドルをやや上回る程度でしかないキルギスでは、賃料を始めとするこれらの負担は相当なものですが、この高い賃料を補って余りあるほどの売上のチャンスがあるようです。実際、ドルドイ・バザールのコンテナ一つで商売をし、家族4、5人を養い、子どもを大学に通わせている、という家庭は多数存在します。中には莫大な売上を上げ、億万長者とはいかないまでも百万長者になり、コンテナを複数買い上げ、他の商人に貸して賃料だけで生活しているという人もいるとのことです。
    ▲ドルドイ・バザール、家庭小物街。(筆者撮影)
     キルギスだけではなく中央アジアの経済に欠かせないドルドイ・バザールですが、知財侵害品が多数取引されているのも事実です。ドルドイ・バザールはアメリカの通商代表部が発行する『悪質市場レポート』の常連です。2019年版のレポートには、今もなお膨大な数の知財侵害品が扱われており、まともな取り締まりが全く行われていないと書かれています。実際私も2018年に訪問した際に、ドルドイ・バザールのメディア系ショップ街で、違法コピー品のゲームなどが多数販売されているのを目にしました。
     このようにドルドイ・バザールで知財侵害品が多数扱われているということは紛れもない事実ですが、世界の最貧国の一つでもあるキルギスにおいて、このような巨大な商業施設が機能し、キルギスのみならず中央アジア全体の経済を支えているというのは驚くべきことと言えます。
    ▲ドルドイ・バザール、メディア街の一店舗。書籍、音楽メディア、ゲームの海賊版などが売られていた。(筆者撮影)
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  • [新連載]インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち 序説:「インフォーマルマーケット」とは何か|佐藤翔

    2021-01-20 07:00  

    今月から、国際コンサルタントの佐藤翔さんによる新連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」がスタートします。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場として、実は欠かすことできない存在である非正規市場(インフォーマルマーケット)たち。世界五大陸に広がるそのネットワークの実態を地域ごとにリポートしていきながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。初回は、世界に拡がるインフォーマルマーケットの全体像について解説します。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち序説:「インフォーマルマーケット」とは何か
     はじめまして、ルーディムス株式会社代表の佐藤翔と申します。ゲーム業界専門のシンクタンクであるメディアクリエイトという会社で数年間にわたり、世界各地のゲーム市場の調査をしてまいりました。現在はコンテンツ市場の海外進出に関するお手伝いをさせていただいています。とりわけ新興国のゲーム産業や市場、そして正規の販売ルートを外れた非正規市場、すなわち「インフォーマルマーケット」との付き合いは、コンサルタントとしての私の最初の勤務国であるヨルダンで働いていた頃から数えて、10年目になります。 この連載では、その過程で接することになった五大陸に広がる多様なインフォーマルマーケットと、それらをつなぐ七つの海を股にかけた人々のネットワークという視点から、私なりの考察を展開していければと思います。
     まず、なぜ私がこのように五大陸のインフォーマルマーケットを研究するハメになったのか、というところから、お話しをしていきましょう。
    ヨルダンで出会った『シェンムー』
     2011年、ヨルダンの首都、アンマンにあるゲーム業界団体、Jordan Gaming Taskforceというところで私が勤務していた頃の話です。私はチェルケス人の上司の指導の下、ヨルダンのゲーム会社の海外進出のために、戦略を策定するという仕事を任されていました。仕事が終わってから町を歩いていると、違法コピーの店をそこら中に見かけました。やけに数が多いな、とは何となく感じてはいましたが、その頃には自分には関係のないことだなと思い、ちょっと中を覗く程度で、あまり気にかけることなく通り過ぎることがほとんどでした。
    ▲ヨルダンでの佐藤の講演の様子。
     私が少しだけ考え方を変えたのが、ヨルダンのゲーム屋の店主との対話です。断食月(その年は8月でした)のころ、マーケティングの勉強だと思って現地の人を見習い断食しながら働いていた頃だったかと思いますが、私の友人で、新しい風力発電機を発明しようとしているヨルダン人の起業家が、彼の知り合いのゲーム屋の店長を紹介してやる、インタビューをしてみてはどうか、と言ってくれたのです。
     翌日、彼にその店に連れて行ってもらいました。店に入ってすぐの所には"Microsft"や"Micosoft"というロゴの入った中国製の携帯ゲーム機ケースがあり、左右には海賊版としか思えないゲームが置かれた棚がいくつも並んでいるという所で、奥の方にやや体格の大きい店主さんが立っていました。パッと見はヨルダンではどこにでも見かける、どうしようもない店です。しかし、私が彼に最近のアンマンにおけるゲームの売れ行きなどについてのインタビューをしながら、店内をよく見渡すと、『シェンムー』、それもきれいなパッケージの、まごうことなき正規品のドリームキャスト『シェンムー 一章 横須賀』日本語版が、神棚よろしく、店の一番立派な棚の最上段に、それはそれは丁寧にまつられていたのです。私が店主さんにそのことを尋ねると、「『シェンムー』は俺の人生を変えたゲームなんだ。俺は『シェンムー』に出会ったからゲームを売る商売をしているんだ!」と、なぜか誇らしげに返答してきました。
    ▲『シェンムー I&II』プロモーション映像
     だったらちゃんと正規品を売ってセガのクリエイターに利益を還元しろよ、と私が心の中でツッコミを入れたのはさておき、この時に私が率直に感じたのは、こんな怪しげなゲームの販売店をやっているような奴は、確かにどうしようもない奴だけれども、彼らは単に儲かるから、それしか売り物がないからではなく、彼らなりにゲームが好きだからこんな商売をやっているんだな、ということでした。当時は今ほど様々な調査技法を身に着けていませんでしたし、「インフォーマルマーケット」という表現も知りませんでしたが、今にして思えば、この経験こそがこうした正規市場でないマーケットでものを売っている人々、さらにはそのマーケット自体の生態系に目を向けるようになったきっかけだったようです。
    新興国のリアリティとしてのインフォーマルマーケット
     さて、話は前職での仕事に移ります。私は日本におけるゲーム業界のシンクタンクであるメディアクリエイトに入社して2年後、新興国のゲーム市場の調査を行うようになりました。自分のバックグラウンドはヨルダンですが、中東だけではなく、南アジア、東南アジア、中南米など、世界のあらゆる新興国のゲーム市場について、可能なかぎり的確な情報提供を行うことを求められるようになりました。
     そうして様々な場所を訪れる中で最も印象的だったものの一つがモロッコでの体験です。モロッコの私の友人は、正規のショッピングモールのゲーム販売店を見せてくれた後、モロッコ最大の非正規市場デルブ・ガレフに連れていく際にこう言ってくれました。「Sho Sato、ショッピングモールで見て分かるものなんてのは見せかけの、薄っぺらなものに過ぎないんだ。あんなところで誰もゲームなんて買っちゃいない。あれは仮想現実みたいなもんでリアルじゃあない。このデルブ・ガレフこそが俺たちのリアルなんだよ!」。
    ▲正規市場であるモロッコのショッピングモールのゲーム屋と玩具屋。(筆者撮影)
    ▲モロッコのインフォーマルマーケットのひとつ、デルブ・ガレフのゲーム屋とPC屋。(筆者撮影)
    ▲デルブ・ガレフの上空写真(出典)
     彼は、自分がどれだけここに流れ着いたありとあらゆる日本の中古ゲームを買って遊んできたかをとうとうと語ってくれました。親子三代で非正規流通品のゲームをさばいている店も案内してもらいました。そして彼は今や、モロッコを代表するゲーム開発者の一人になっています。きれいなショッピングモールを見て、きらびやかなオタクコンベンションに参加するだけでは、ゲームがどのような商流になっているのか、ユーザーがどのようにゲームを遊んでいるのか、そしてどのようにゲームが生まれてくるのか、こうした新興国のリアリティを把握することは絶対にできません。
     驚くべきことは、こうしたマーケットが一地域に限らないことです。ダウンロード版のゲームが増えてきたとはいえ、オフラインの商流は、家庭用ゲームの比率が高い日本企業にとっては現在でも非常に重要です。結局、ゲーム市場の実態を可能なかぎり客観的なかたちで知るには自分の足で稼ぎ、自分の目で確かめる以外に手段はありません。そのため、お客様に新興国市場の正確な姿をお伝えするため、私は休みの日であっても寸暇を惜しみ、世界各国のゲーム市場を回るようになりました。
     こうした調査の結果、東南アジア、中南米、インド、中東、サブサハラアフリカ、東欧、中央アジア、ありとあらゆる地域にインフォーマルのマーケットがあり、しかも地元経済に重要な役割を果たしており、ゲームユーザーの好みさえ規定し、さらには現地のゲーム開発者のゲームプレイ経験に大きな影響を与えていることを目の当たりにしてきました。そしてこうした観察を通じて、大部分の新興国ではフォーマルマーケットがインフォーマルマーケットを規定しているというよりも、インフォーマルマーケットが圧倒的な存在で、フォーマルマーケットはそこに乗っかっているに過ぎないのだ、ということが分かってきました。 さらに、どうも非正規市場には、一定の特殊性と共通性があるのだ、ということがつかめてきました。
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