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【特別寄稿】井上明人 それはどこにある「現実」なのか:作品について書くということ
2020-04-15 07:00
ゲーム研究者の井上明人さんの特別寄稿をお届けします。10代の頃、岡崎京子の『リバーズエッジ』の「露悪的な現実」を賛美する批評界隈の風潮に、反感を抱いていたという井上さん。しかし年齢を経たあとで、批評に内在する、違う誰かの生き方への想像力に開かれた、コミュニケーションの可能性に気付いたといいます。
しばしば指摘されてきたことであるのにも関わらず、作品について論じること、すなわち「批評的な行為」がコミュニケーションとしての属性を持っているということを言うと、なかなか通じないと思うことが多い。学生にも通じないし、人文系の研究者にすら通じないことが多い。 作品というのは、作者と読者のそれぞれの「現実」の観察を映し出す鏡のような性質をもっている。そのため、作品について論じるということは、コミュニケーションとしての側面を持つ。そのことについて、私なりに簡単に整理しておきたい。
「この物語は、現実である」とみなすこと。:『リバーズエッジ』
十九歳のとき、岡崎京子の『リバーズエッジ』をはじめて読んだ。この作品を褒める批評家の言葉に従って、作品を手にとって、最後まで読んだ。 そのとき、私はこの作品を「露悪的」な作品だと、最初におもった。そして、この作品を褒める批評家達に、軽い嫌悪を覚えた。物語の技術的な質の高さという意味では、この作品を褒める文脈がありうることはそのときの私にも理解できた。だけれども、この作品を安易に褒める批評を軽蔑した。
十九歳の私は、批評家たちのあさましさを憎んでいた。 今思えば、その憎しみは、私が今よりも、若かったからだ、と思う。 *
当時の私が気に入らなかった批評は次のようなものだ。リバーズエッジが語られるとき、この作品は1990年台当時の「時代」とむすびつけて語られることが多かった。作者もまさにそのように書いている。この作品は、現代の日本を象徴的にうつしとった作品なのだ、と書いていた。 しかし、私にとって、この作品は私の生きる生活とは、ほとんど結びついていなかった。同性愛者の友人はさておくとしても、女性をレイプするような乱暴な友人もいなかったし、寂しさをまぎらわすためにセックスをしてまわるような女性もまわりにいなかった。あるいは、いたとしても、気づいていなかった。私の10代は、進学男子校の生徒として本を読んだりゲームをしたりして生活を送る日々であり、友人のほとんども文化系のおとなしい男の子たちだった。そういうリアリティの持ち主に、こういう作品を「現代という時代を反映した問題作」として語られても、私は同じ世界のリアリティを共有できない。私の生のリアリティは、なんだかんだで、おおむね穏やかな日常に彩られていたと思う。そういう人間にとっては、同時代のセンセーショナルで残虐な話をつきつけられても、そこに同時代性を見いだせるはずもない。まず、この点で、私はまったく岡崎の描いた物語が嘘くさいと思った。 それに、岡崎京子がしばしば、ある種の残酷さを、何かロマンティックなものとして描くことに、酔うような話が多くて辟易したということもある。
もっとも、岡崎は「現代性」を僭称することの「うそくささ」に単に鈍感であったわけではない。岡崎は、現代のメディア環境の「うそくささ」に気付かずにはいられない人々についてたくさん描いている。 それは、たとえば、チェルノブイリを語るメディアの風景やら、環境問題を語るメディアの風景やら、そしてCMをにぎやかにしているやらイメージたちなどの象徴的にあらわれている、という。 それはそうだ。 それはそうだろう。 あれは、テレビというメディアのもたらしたものに他ならない。 だけれども、岡崎がテレビの「うそくささ」を登場人物に喋らせる以上に、私にとっては岡崎が「うそくさいもの」に見えて仕方がなかった。 テレビの「うそくささ」を「ウソだ」と指摘することでしか、自身のリアリティを担保できていないように思えた。岡崎の作品は、マスメディアを「ウソだ!」と指摘することで、その真逆のリアリティを肯定しようとしているだけのように思えた。極端に善良できらびやかな風景を「うそだ」と攻撃してみせることが、その真逆に位置している極端に残酷でわけのわからない風景を「ほんとだ」と言うための方法になっているようにしか思えなかった。単に安易な敵を攻撃しているようにしか、見えなかった。
これが「現代」だなんて。 なんて、馬鹿げた悲壮感ただようロマンティズムに酔っているのだろう、と。 こんな、手軽な、ロマンティズムが、ある種の「文学性」だとして語られるのであれば、そんなもの、クソくらえだと思った。おそらく「文学」という言葉を語る人種の中でも、自分が最も軽蔑すべき種類の人間だろうと思っていた。
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しかし、今は十代の頃とは違う感想を持っている。 岡崎京子のロマンティズムが、岡崎京子の描く現実は、そこまで露悪的である、と断定できる気分ではなくなったことだ。私は、なんだかんだで、あまり極端に治安が悪い地域で生まれ育った友人は少ない。岡崎京子の描く現実は、「わからなかった」。こんな現実が描かれているということが、どの程度まで岡崎京子の判断によるもので、どの程度までが判断によらないものなのか――すなわち、一部の人々の「日常」にどの程度まで対応しているのか、いないのか――ということが、理解できなかった。 ただ、はじめて読んでからだいぶ経ってみてわかったのは、岡崎の描くよう世界に近いリアリティを生きている人たちは、同時代の日本に、どうやら、ほんとうにいるようだということ。少なくとも、「いない」とは言えない。 つまり、私が十代の時に感じていたこと――岡崎の描く現実は、岡崎によって都合良く露悪的に粉飾された「現実」であるという感覚――は、私という読者にとっての真実であっても、別の読者には別の真実があったということだ。リバーズエッジが過度に「露悪的」ではなく、それが実際の日常の感覚の延長に位置するものとして受け止められることは十分ありうるということは、否定できなくなった。やはり、一部の読者にとっては、これは、それほど、日常の風景と遠いわけではないはずだ。 実際に、岡崎の描く世界が自らの十代の日々のそれに近かった、という告白を人からうけたこともある。そういう人にとってみれば、岡崎の描く物語は、彼/彼女らの日常へと、極めて鋭く世界の再解釈を迫るような物語として機能したであろうことは想像に難くない。そして、さきほど少し記したような、十九歳の頃の私の岡崎への「嫌悪感」は、考えようによって、とても、乱暴で、粗い感想に聞こえて仕方ないものだろう。
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)最終回 人生はチョコレートの箱 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.683 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)最終回 人生はチョコレートの箱
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.9.6 vol.683
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今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』の最終回をお届けします。藤子・F・不二雄が生涯をかけて追い求めたテーマ「世界の創造」と「運命の改変」。そこには、思い通りの世界を創造する「箱庭作り」と、配偶者を再選択する「人生のやり直し」という、作者の直裁的な願望が見え隠れします。大人になった私たちは、Fが残した物語から何を学べるのか。不本意な「チョコレートの箱」のフタを開けてしまった、かつての「のび太」たちへの、Fからのメッセージとは――?
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回 『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産
●藤子・F・不二雄と村上春樹
前回【第13回】で、『ドラえもん』は藤子・F・不二雄による偉大な縮小再生産の産物である、と結論づけた。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.657 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.8.2 vol.657
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今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり――10年代ドラえもん論』をお届けします。今でこそ、健全な子供向け作品の大家として知られている藤子・F・不二雄ですが、その裏には、ブラックな作風と強烈な文明批評を得意とするSF作家としての顔も持ちあわせています。『ウメ星デンカ』から『モジャ公』『ミノタウロスの皿』まで、60年代末に描かれたカルト的な魅力を持つ作品群が、後の『ドラえもん』に与えた影響について論じます。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第12回 反戦・冷戦・核・原発
●「不思議な道具」を生みだす手ぶくろ
藤子・F・不二雄が作家活動を開始したのは1951年。その18年後、69年に『ドラえもん』が誕生するまでの間には、『ドラえもん』の前身、もしくはプロトタイプ(原型)と呼ぶべきルーツ作品が、何本か描かれている。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第12回 反戦・冷戦・核・原発【毎月第1水曜日配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.636 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第12回 反戦・冷戦・核・原発【毎月第1水曜日配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.7.6 vol.636
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本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。『ドラえもん』の物語に何度も登場する、東西冷戦を背景とした「戦争」や「核」といったモチーフ。特に、エコロジー思想に傾倒する以前の作品では、藤子・F・不二雄が得意とする、辛口のアイロニーとブラックユーモアを堪能できます。いまだ色褪せることのない社会派SFとしての、往年の名エピソードの数々を論じます。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第11回 土地とカネの物語
●みじめで滑稽な独裁者のび太
「『ドラえもん』は大人の鑑賞にも堪える作品」という文脈の中で、必ず話題にのぼるエピソードがある。てんコミ15巻「どくさいスイッチ」(「小学六年生」77年6月号掲載)だ。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第11回 土地とカネの物語【毎月第1水曜日配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.608 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第11回 土地とカネの物語【毎月第1水曜日配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.6.1 vol.608
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本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。『ドラえもん』の作中に頻繁に登場する「土地」や「カネ」を巡るエピソード。そこには、70年代日本の地価高騰・狂乱物価といった世相と、それに対する藤子・F・不二雄の容赦ない批評性が露わになっています。『ドラえもん』が向き合った時代性を「経済」という切り口から考えます。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第10回 鋭い社会批評、説教臭いエコロジー
●日本列島改造論と「夢のマイホーム」
のび太は頻繁に、のび助(パパ)や玉子(ママ)が「大人の話」をしている場面に遭遇する。そのなかで最もポピュラーなのが「土地とカネの話」だ。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第10回 鋭い社会批評、説教臭いエコロジー【毎月第1水曜日配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.581 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第10回 鋭い社会批評、説教臭いエコロジー【毎月第1水曜日配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.5.4 vol.581
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本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。初期の『ドラえもん』で既存の価値観へ疑問を投げかけるSFセンスを発揮していた藤子・F・不二雄ですが、80年代に入ると、当時流行のエコロジー思想へと急接近していきました。『ドラえもん』はいかにして環境保護の旗印となり、現在へと至ったのか、その変遷の歴史をたどります。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第9回 大長編考・後編 リメイク問題とオリジナル問題
●落語とSFショートショート
幼い頃に読んだ『ドラえもん』を、ふと大人になってから読み返すと、そのモチーフやセリフにドキッとすることはないだろうか。それは『ドラえもん』という作品が単に「夢いっぱい」なだけでなく、普遍性の高いアイロニーや警句を多く含み、社会批評的な側面も有していたからだ。こちらの連載を大幅に加筆修正した書籍が発売中です!
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第9回 大長編考・後編 リメイク問題とオリジナル問題【毎月第1水曜日配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.557 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第9回 大長編考・後編リメイク問題とオリジナル問題【毎月第1水曜日配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.4.6 vol.557
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今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。藤子Fの死後も、大人の事情から製作され続けた大長編ドラえもん。目を覆いたくなるオリジナル脚本の駄作が連なる中、唯一輝きを放った『のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)』に秘められた、ドラえもんらしからぬ批評性とは?
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『押井言論 2012-2015』(編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第8回 大長編考・前編 ふたつの「ドラえもんコード」
●新ドラの迷走・リメイク問題
声優リニューアル後のドラえもん(新ドラ)まわりでよく話題にのぼるのが、映画版のリメイク問題である。前回(第8回参照)でも触れたが、2006年以降の映画ドラえもんは、11本中6本が過去作品のセルフリメイクだ。
2006年『のび太の恐竜2006』
*『のび太の恐竜』(80)のリメイク
2007年『のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』
*『のび太の魔界大冒険』(84)のリメイク
2008年『のび太と緑の巨人伝』
*オリジナル。原案はてんコミ26巻「森は生きている」とてんコミ33巻「さらばキー坊」
2009年『新・のび太の宇宙開拓史』
*『のび太の宇宙開拓史』(81)のリメイク
2010年『のび太の人魚大海戦』
*オリジナル。原案はてんコミ41巻「深夜の町は海の底」
2011年『新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』
*『のび太と鉄人兵団』(86)のリメイク
2012年『のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』
*オリジナル。原案はてんコミ17巻「モアよ、ドードーよ、永遠に」
2013年『のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)』
*オリジナル
2014年『新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』
*『のび太の大魔境』(82)のリメイク
2015年『のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』
*オリジナル
2016年『新・のび太の日本誕生』
*『のび太の日本誕生』(89)のリメイク
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第8回 大長編考・前編 ふたつの「ドラえもんコード」【毎月第1水曜日配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.532 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』 (稲田豊史) 第8回 大長編考・前編ふたつの「ドラえもんコード」【毎月第1水曜日配信】
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2016.3.2 vol.532
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本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。今回からは「大長編考」として、毎春公開される「映画版ドラえもん」についての考察です。大長編初期の傑作群「神7(セブン)」、そして映画ドラの必要条件ともいえる「大長編ドラえもんコード」について論じます。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第7回 「世界」を改変する道具たち
●大長編ドラえもんの歴史
3月と言えば映画ドラえもん(映画ドラ、春ドラ)の公開月である。毎年、子供たちの春休みを狙って公開される映画ドラは、第1作の『のび太の恐竜』(80年公開)から今月公開の最新作『新・のび太の日本誕生』まで、合計36作が制作されており(*1)、もはや日本人にとって「春の風物詩」と化していると言ってよい。
(出典)
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第7回 「世界」を改変する道具たち【毎月第1水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.510 ☆
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『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第7回 「世界」を改変する道具たち【毎月第1水曜配信】
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2016.2.3 vol.510
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今朝のメルマガは稲田豊史さんによるドラえもん論『ドラがたり』の第7回です。今回は「「世界」を改変する道具たち」。ドラえもんが四次元ポケットから取り出す数々の道具の、今だから分かる驚くべき先見性。そして、道具に込められた重要なモチーフ〈世界の改変〉について論じます。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第6回 ふたりのファム・ファタール 後編
●一番好きな道具はなんですか?
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2次元と3次元の狭間にあるもの――『テニミュ』が生み出したリアリティ(アニメ&ミュージカルプロデューサー 片岡義朗インタビュー) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.441 ☆
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2次元と3次元の狭間にあるもの――『テニミュ』が生み出したリアリティ(アニメ&ミュージカルプロデューサー 片岡義朗インタビュー)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.10.30 vol.441
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▲『ミュージカル テニスの王子様』初演DVDより
「2.5次元ミュージカル」――2次元で描かれた漫画・アニメ・ゲームなどの世界を、舞台コンテンツとしてショー化したものの総称です(2.5次元ミュージカル協会HPより)。
そして、この2.5次元舞台作品をとりまとめる「2.5次元ミュージカル協会」設立に関わり、メイン作品である『ミュージカル「テニスの王子様」』のプロデューサーも務めたキーマンとも言えるのが片岡義朗さん。今回はその片岡さんに、「日本発コンテンツ」としての2.5次元の魅力と展望についてお話を伺ってきました。
▼これまでに配信した関連記事
・「2.5次元って、何?」――テニミュからペダステまで、「2.5次元演劇」の歴史とその魅力を徹底解説 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.270 ☆
▼プロフィール
片岡義朗(かたおか・よしろう)
アニメ&ミュージカルプロデューサー。「タッチ」「ハイスクール!奇面組」「キテレツ大百科」など多くのアニメ化や『ミュージカル「テニスの王子様」』や『ミュージカル「聖闘士星矢」』『「セーラームーン」ミュージカル』といった多くの2.5次元作品をプロデュースする。現在は(株)コントラの代表を務める。
◎聞き手:真山緑、稲葉ほたて
◎構成:真山緑、中野慧
■ 声には演じる人の人生が現れる――90年代アニメにおける「津田健次郎、涼風真世、ラサール石井」の声優起用
――片岡さんは「2.5次元ミュージカル」のキーマンとして著名ですが、今回はまず、これまでのお仕事の来歴について伺いたいと思います。もともとはアサツーディ・ケイで『タッチ』などのアニメのプロデューサーを担当されていたわけですよね。
片岡 僕はいろんな媒体で広い意味での「プロデューサー」をしてきたと思っていますが、やってきた事を振り返ってみるとアニメが原点であることは間違いないですね。
――『テニミュ』で初めて片岡さんのお名前を知ったのですが、復刻した『ハイスクール!奇面組』のDVDで片岡さんのお名前を見つけてとてもびっくりしたことを覚えています。『奇面組』ではOPとEDが「おニャン子クラブ」からの派生ユニットですが、アニメと3次元のアイドルを抱き合わせる方式は80年代後半当時としては珍しかったですよね。
そのあと90年代前半に手掛けられた『姫ちゃんのリボン』や『赤ずきんチャチャ』のアニメでも、主題歌にジャニーズタレントさんや声優さんを起用されたりしていました。その時点で、いわゆる2次元と3次元を繋げようという意識はあったんですか?
片岡 そうですね。『赤ずきんチャチャ』で香取慎吾さんに声をかけて声の仕事をお願いしたのは僕ですし、『姫ちゃんのリボン』で草彅剛くんにお願いしたのも僕でした。
ちなみに『姫ちゃんのリボン』の当時、草彅くんはは、セリフは伝わるけど滑舌はあまり得意ではなかったみたいで苦労してましたが、何話かアフレコしているうちに頑張ったのでしょう、その後はどんどんよくなっていきましたね。
アニメ的な表現に3次元のタレントを起用したのは、おニャン子クラブもそうですし『ミュージカル「聖闘士星矢」』のSMAP、アニメ『こちら亀有公園前派出所』のラサール石井さん、『るろうに剣心』の涼風真世さんもそうですし、ちょっと違う例ですが、『H2』の津田健次郎くんも実写映画畑の俳優さんにお願いしたのもそういう例に入るかもしれませんね。
――片岡さんのそういったキャスティングには、どんな意図があったんでしょう。
片岡 僕は、「声には、演じる人の人生が現れる」と思っているんです。
『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』のアニメ化(2000年に放映開始/以下、『遊戯王』)の際、ジャニー喜多川さんに「誰か(主人公の)遊戯を演じられそうな、主人公と同年齢か近い年齢で芝居のできる俳優はいないですか」と聞いたんですよ。『遊戯王』は武藤遊戯というキャラクターに表遊戯と裏遊戯というふたつの性格があって、裏になったときは強い性格になるけれど、表のときはフニャっとしている。だから「お芝居がうまい人」であることに加えて、「表と裏のある人」を表現できる人が必要で、そのようにジャニーさんに話したら、当時まだ中学生でジャニーズ事務所で下積みをしていた風間俊介くんを推薦してくれたんですね。結果的にはこれが大成功で、遊戯=風間くんはファンの方にもすごく愛されるキャラクターになりました。
風間くんが何歳からジャニーズの稽古場に通い始めたかはわからないけど、事務所から見て「センスがある」と思われる人じゃないとデビューできないはずなんです。そういう厳しい淘汰の道を通って来た「根性」があって、なおかつ演技力のある人が『遊戯王』の主役に必要だったんですね。
『遊戯王』は他のファンタジー作品と違って、普通の生活があって裏の顔があるのが面白い作品ですよね。裏の遊戯のように攻撃的にガンガン戦う強い人間と、フニャっとした普段の普通の中学生のリアルな男の子、どちらの人格も「演技力」でやられたら困ると思っていたんです。なぜかというと、実際の『遊戯王』のカードゲーム大会に行くと、みんなただ俯いてカードゲームをやっているわけで、あれが中学生のリアルなんですよ。そういうリアルな中学生のようなフニャフニャした感じがベースにあって、演技で「裏」をできる人として、風間くんが見事にハマってくれました。
――風間さん自身がその「リアル」を持っていたんですね。
片岡 声優に求められるのは「キャラクターが持っているリアリティをどう体現するか」ということだと思うんです。『こち亀』ではラサール石井さんに両津勘吉の声をお願いしましたが、彼自身が演技学校で研究生だった時代にアルバイトとして渋谷のストリップ劇場の幕間のコントに出ていたんですよ。ストリップ小屋の幕間のコントって、出てきた瞬間に「帰れ!」ってお客さんに言われるんです。おねーちゃんの裸を見たくて来てるオッサンたちの前に出て「まぁまぁ」ととりあえずなだめて落ち着かせて、だんだんと自分の世界に引きずり込んで笑わせちゃうっていう……そのことだけ考えても、ラサールさんは両津勘吉にハマると思ったんですよね。
今のアニメ業界・声優業界の意見とは違うかもしれないけど、宮﨑駿監督のアニメはまさにいい例ですよね。宮﨑監督も俳優の演技にその人の人生観が反映すると思ってらっしゃるように僕には見受けられます。
■ 演劇とミュージカルは違う――『タッチ』から『聖闘士星矢』、そして『テニミュへ』
――片岡さんはSMAPを起用して1991年に『ミュージカル「聖闘士星矢」』(1991年上演/以下『星矢』)を制作されていて、それが『テニミュ』の一つの原型と言われていますが、その前に『「タッチ」ミュージカル』も制作されていたんですよね。
片岡 この経緯をお話しすると、まず僕がテレビでアニメの『タッチ』を作っているときに「ミュージカルでやりたい」と申し出てくれたミュージカル会社があったんです。彼らがやっていたのは、日本アニメーションが企画・制作していた『小公女セーラ』や『若草物語』といった「世界名作劇場」枠のアニメのミュージカル化でした。夏休みの時期に、「後楽園アイスパレス劇場」という今のGロッソの前身のようなところで上演していたんですね。
その一環として『タッチ』をやりたいということで、僕もミュージカルが好きだったからプロデューサーとして一緒にやることにしたんです。でも結果として、僕が思っている漫画やアニメの『タッチ』とはまったく違うものができあがってしまった。なんというか、「文法」が違ったんですよ。
――「文法」というのはどういうことなんですか?
片岡 2.5次元舞台を作ろうとするときにプロデューサーが一番最初に考えることは「どうやって原作を尊重して別の表現に移し替えるか」ということなんです。アニメ作りも同じで、原作の漫画をくまなく読んで、一コマの中に何が描いてあるか、コマの中に前のコマの何が繋がって続いて描かれているのか、といったことをとことん読み取っていかなければいけない。
たとえば『タッチ』のあだち充先生の漫画って非常に独特な間がありますよね。セリフとセリフの間、コマとコマの間の時間の流れの独特な「緩急」というか……。基本はゆったりしているんだけれども、その中にきゅっと短く「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜ…それで…」というセリフが入ることで、心にグサって何かが刺さりますよね。
『タッチ』のときはミュージカルの経験の長い方が演出を担当されていたんですが、やっぱりそういった漫画・アニメ的な手法に対する理解があまり深くなかった。あちらはプロで、僕はミュージカルに関しては初心者だしで、こちらの意図を押し通すこともできなかったのでとても悔しい思いをしました。
その『タッチ』のミュージカルでの経験が直接の引き金になって、「これはもう自分でやるしかない」と思い、『ミュージカル「聖闘士星矢」』をやることになったんです。
――そして『星矢』以降、様々な漫画を舞台化していくことになるわけですが、そもそも片岡さんにはアニメ以外にも演劇やミュージカルをやりたいという思いがあったんですか?
片岡 そうですね、演劇やミュージカルは好きでもともとよく観ていたんです。僕が学生時代を過ごした1960年代は、いま世の中にある文化の芽が少しずつ出始めた、疾風怒濤の時代と言ってもいい時代で、当時は演劇が「サブカルの権化」みたいなところがあったんです。そういう世の中の熱に浮かされてよく観に行っていたんですね。
――当時は、唐十郎さんや寺山修司さんといった方が活躍されていましたね。
片岡 そうですね。僕が一番自分に合うなと思って観ていたのは、自由劇場の吉田日出子さんや串田和美さんたちでした。吉田さんのちょっとすましたところだったり、とにかく洒落ているところが好きだったんです。そういった60年代のアングラ演劇に触発されるかたちで小劇場運動が起こって、つかこうへいさんや野田秀樹さん、鴻上尚史さんといった人が70〜80年代に続々と出てきました。それらをぜんぶ観てきたので、演劇はよく行っていたんですが、一方でミュージカルはミュージカルで別のジャンルのものだと思っていたんです。どうも、自分が観ているミュージカルはつまらないなぁと思っていて。
――ミュージカルというと、劇団四季のようなものでしょうか?
片岡 それ以前にも四季のミュージカルは観てはいたんですが、1982年に会社を移籍するタイミングで一ヶ月程時間を取ってニューヨークで毎日のようにミュージカルを観たことがあって、「あ、これは日本のミュージカルとまったく別のものだ」と思ったんです。「もしかしたら日本のミュージカルは、まだミュージカルと呼ぶには値しないんじゃないか?」、と。
――どういうところが違っていたんでしょう?
片岡 劇中の人物が本当に「生きている」んですね。例えて言うなら、日本の劇団四季の『CATS』には「猫がいなかった」んですよ。でも、ブロードウェイで観た『CATS』には「完全な猫」がうじゃうじゃいたんです。
もうひとつ別の驚きもあって、向こうとこっちではダンスのレベルが違いすぎるんです。関節全部が動いてそれが物語るようなダンスを踊る。僕がニューヨークにいた頃はボブ・フォッシーという有名なダンサー兼振付師の演出家が生きていた頃で、まず技術的なレベルが違うし、作中人物がドンとキャラクターとして立って性格が見えてくるんです。
それからニューヨークとロンドンと日本を行き来しながらそれぞれの国のミュージカルを観るということを繰り返して、「アングラ演劇の面白さとミュージカルの面白さは違う」ということを思い知りましたね。アングラ演劇が「一生懸命見ようとして、面白さをなんとか捕まえて楽しむ」ものだとすると、ミュージカルは娯楽作品として洗練されていて、どんな人でも座っているだけで劇中世界に入っていけて、完全に浸りきって受け取って帰ることができるというものなんじゃないか、と。
■ 劇団四季を反面教師にして構築された『テニミュ』システム
――ストレート・プレイ(ミュージカル以外の演劇のこと)にはない、ミュージカルならではの面白さの本質があるわけですよね。
片岡 ミュージカルは、観客の身体のレセプター(受容体)の数が多いんです。まず歌としての感情表現があるから、座っているだけで引きずり込まれるようにできている。だから、観劇の初心者の人でも入りやすいですよね。
僕はそうしてミュージカルの面白さにどんどんハマっていって、そうなると四季のミュージカルが物足りなく感じてしまったんです。ここから先はいつも言ってることなんだけど、僕にとっては劇団四季が反面教師なんです。四季がなかったら2.5次元舞台は、今のようなかたちでは育ってこなかったと思っています。もし四季のミュージカルを見て面白いと思う人がいたら、ぜひ2.5次元舞台を観てほしい。歌は下手かもしれないけど、ちゃんと役者が活き活きと演っていますから。
たとえば「歌で表現される中身が観客に届いてるか」に関して、僕は『テニミュ』の役者の歌もきちんと届いていると思うのです。
――『テニミュ』では、劇団四季のどういった部分を反面教師にしたんでしょうか?
片岡 まずひとつ、劇団四季って劇場に行かないと誰が何役をやっているかわからなかったんです。たとえば普通の演劇を観るお客さんなら、『オペラ座の怪人』を観に行くときに誰がファントム役なのかにすごく関心があると思うんですけど、劇団四季は「誰が演るかは問題ではない。劇団四季の俳優だったら誰が演っても同じレベルでできるから名前を公表しないんだ」と、表向きにはそういうメッセージを出しているわけです。
だけどこのやり方って実は大量生産の手法なんです。機械的に同じ型に当てはめた役者をどんどん作って、ファントム役の型に当てはめた俳優を10人作っておけば全国10カ所で『オペラ座の怪人』を上演できるというわけなんですね。
――たしかに、劇団四季の常設劇場はそうなっていますね。
片岡 そう、全国にいくつもあると思いますけど、たとえばそれらの劇場全部で『オペラ座の怪人』を演ればどこでも一定のお客さんが入るようになっているんです。「ファントムを演じているこの役者さんの演技がすごい」という評判が立ってしまったら、その人がいる劇場にしかお客さんが来なくなるし、もしその人が辞めてしまったらドッと集客が落ちる。こういうことを避けるために、誰が演っても出来るしどんな役に対しても演れるようにするという仕組みが劇団四季のやり方なんです。
でも、役者側からすると「誰がやっても同じ」と言われたら頑張り甲斐がないでしょう? 『テニミュ』の役者って、「ここで初めてプロとしてお金をもらった」という人がたくさんいるんです。「ここでしっかりできれば、俺は一生この道でやっていけるようになるかもしれない」というモチベーションがある。
一方で四季の場合は給料システムで、1ステージいくらで年間に100ステージ立てばいくらになると保証されるようなかたちなんです。もちろん、1ステージの単価が上がっていって1ステージ10万円で年間200ステージ保証されると年間2000万円になるけれども、そういう枠の中でやる以上は、ハングリーさがやっぱり違ってきてしまいますよね。
そして、四季は、誰がやっても同じように歌い誰が演じても同じようにセリフを喋るんです。「四季の発声法で発音しなさい」「この歌はこういう風に歌いなさい」というのが決まっていて、そこからはみ出した歌い方をすると外されてしまうんですね。
でも、こうしたことは僕にとっては違う方法を採用するきっかけになった事ではありますが、四季が果たしてきた日本にミュージカルを大きく根付かせたという功績を否定することではありません。単に方法論の違いを言っているだけで、四季の舞台は今でも観に行きますよ。
――いつ行っても同じクオリティで観られるけれど、それ以上のものを観ることはできないということでもありますね。
片岡 そういうことを全部裏返しにして、『テニミュ』の役者には、「ダブルキャストや代が違う同じ役柄の俳優と同じようにやらなくてもいい。原作漫画やTVアニメの中から君なりの手塚を演ればいい」と伝えていました。
『テニミュ』は「卒業」というキャストの代替わりがあるんだけど、代が変わるときに同じキャラに同じようなタイプの役者を選ばないことにしているんです。見た目が似ている人を選ぶと、同じような演技に見えてしまうことがあるからです。
『テニミュ』の1stシーズンで言えば、2代目の手塚役は城田優くんで、背が高くてかっこいい男だし、歌もすごくうまいし何も言うことのない完璧な手塚を創りあげていました。今や『エリザベート』にも出ていて日本ではトップクラスの舞台俳優になりましたよね。
その手塚役が2代目から3代目に変わるとき、南圭介くんというそこまで歌が上手いとはいえない人にスイッチしたことがありました。城田くんと同じことをやろうとしてもできないことはわかっていたので、「完璧な手塚の後なら違う方向性にしよう」と、演技に人柄の良さが滲み出るタイプの南くんをキャスティングしたんです。
本人にも「歌が上手くなくても、歌詞のメッセージやメロディの情感が伝わればいいんだから、それをお客さんに届けられるように頑張ればいいんだよ」と言っていました。南くんは歌も個人教授について、必死に勉強して見事に手塚役を全うしてくれました。
役者にはそれぞれ育ってきた家庭の事情や環境があるわけです。その人の個性がどういうもので、役柄を自分の手の内に入れてどう表現するかということを演出家と役者が話し合って、僕自身はキャラクターという大枠の中に収まっているかどうかを判断するという役回りでした。このやり方は、反面教師としての四季があったおかげで、早い段階でつくり上げることができましたね。
■「役者として表現する」ことと「キャラクターになりきる」ことの違い
――2.5次元舞台では、その役者自身の個性が取り込まれた方が面白くなるというこということですよね。
片岡 そうですね。ただ、だから『テニミュ』のキャスティングに素人か素人に近い人を使っているのかというと、それは違います。
さっきの声の話と矛盾するように聞こえるかもしれないけど、アニメのキャラクターを演じる俳優にはある種の「匿名性」が必要だと思っているんです。たとえばある有名俳優Aさんが手塚を演じるとして、天才的な俳優なら難なくできると思いますよ。でも、どう考えでも「Aさんが演る手塚」を観に行くことになるでしょ?
――「手塚国光」だけを観には行けなくなりますね。どうしてもその「Aさん」というイメージが先に出てしまいます。
片岡 もちろん、そういうものとして楽しんでもらうこともできるとは思うんだけど、そもそも制作側が大物ばかりをキャスティングすることもできないわけです。だったら逆に、基本的に全部をまっさらな人でやろうと。プロはいないとまずいから適度に入れようというのはあったんですが、プライオリティーとしてはできるだけ「新人」「顔を知られていない人」を選んでいます。それもこれもすべて、キャラクターになりきって演じてもらうために、お客さんにとっての障害物となるような要素をできるだけ少なくしようとしていたことはありますね。
――『テニミュ』では初舞台の人を起用したり『HUNTER×HUNTER』の舞台ではメインに声優を起用したりしていますよね。いわゆるプロの舞台俳優をあまり起用しなかったのはそういう理由があったんですね。
片岡 アニメの仕事をしている人たちや、まったくまっさらで何の仕事もしてないキャリアの浅い人たちは、そのキャラクターや役柄に「なりきる」努力をするんです。もちろん、キャリアのあるセンスの塊みたいな俳優に仕事をお願いしたとして、彼らもなりきる努力はちゃんとやってくれると思います。でもそういう努力と、お客さんから観たときに「キャラ」として見えるかどうかは別次元の問題なんですよ。
――「キャラ」ではなく「表現」になってしまうということですよね。少し抽象的な質問かもしれないのですが、「表現すること」と「なりきること」はどう違うんでしょう?
片岡 僕の考えでは、まず「なりきること」が大前提としてあって、「表現すること」はなりきった後に出てくるものなんです。「表現する」というのはとても難しいことで、訓練されたスキルを持っている人が自分の引き出しの中から生み出すものなんです。
持って生まれて演技の才能を持っている俳優はは表現者として大変素晴らしい演技を披露してくれるに違いないけど、キャラクターになりきることを通り越していってしまうかもしれない。そうなるとキャラクターの本来の魅力がなかなか出てこなかったりします。要するに観客が持っているキャラクターのイメージを飛び越えて作れてきてしまうので、トゥーマッチになってしまうんですよね。
■ 伝説のテニミュ俳優「カトベ」はいかにして生まれたのか
――原作やアニメのキャラクターを求めて観に来た人にとっては、それはもう2次元発生のキャラクターではなくなってしまうということですよね。ちなみに、なりきるのが上手な俳優はどういう人たちなんですか?
片岡 単純に、なりきるのが上手なのは「なりきろうと思う」人ですよ。なりきろうと真剣に思う人は「なりきれる」。そのキャラクターになりきることが表現することだと思い込んでやりきってくれればいいんです。
――すごくなりきってるなと思う人と、ちょっとイマイチだな、という人との違いはどんなところにあるんでしょう?
片岡 それはやっぱり、抽象的な言葉だけれど「熱量」ですよね。『テニプリ』の人気キャラ・跡部景吾役を演じて「カトベ」と言われるぐらいになりきって大人気になった加藤和樹くんという役者がいますが、オーディション会場に入って来たときからすでに跡部だったんですよ。彼なりの稽古着を着て現れて、その瞬間にこちらも「跡部は彼しかいない」ということになってしまいました。他にオーデションを受けてた人たちも、もうその時点で「しょうがない。あいつで決まりだ」と思ったらしいですね。
――他にも跡部候補がいる中で一発で決まったんですか?
片岡 ええ、たくさんの跡部候補がいた中でも圧倒的に「跡部」でしたね。ちょうど同じタイミングで斎藤工くんもオーディションを受けていたんだけど、工くんにはぴったりの役があってその役をお願いすることになりました。
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