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  • 島根県民ファンドのプロデュース|田辺孝二

    2020-08-13 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第7回目は、田辺孝二さんです。通産省(現:経産省)の中国経済産業局長として、2000年代初頭という早期から島根県に県内企業向けの県民ファンドを創設した田辺さん。一過性の成果でなく、地域にベンチャー文化とエコシステムを根付かせるための仕組みづくりを振り返ります。
    プロデューサーシップのススメ#07 島根県民ファンドのプロデュース
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第2弾として、田辺孝二氏をご紹介します。
     ベンチャーキャピタルは、普通、「カネ(資金)」を投資したベンチャー起業家に自らの「コネ(人脈等)」や「チエ(経験等)」も同時に投じていくことで成長を導くものです。成功しそうなものにカネだけ投じてあとは伸びるのを待つ、というわけでは決してありません。二人三脚なのです。今日では、日本でも首都圏を中心にこのような「普通」のベンチャーキャピタルが増えてきましたが、田辺プロデューサーはこれを2000年代に島根県で創設しました。
     しかし、この「島根県民ファンド」の評価に関して、集めた資金は1500万円足らず。投資した6社のうち、業績拡大したのは1社のみ。5社は業績が向上せず、うち2社は倒産といった結果を指して、あまりうまくいかなかったと見る向きがあるかもしれません。ですが、そうした理解はやや浅薄であると言わざるを得ないでしょう。というのも、実は、島根県民ファンドは、創設当初から、営利的な成功を必ずしも目的にしていませんでした。
     田辺プロデューサーは、ファンドの支援を得た起業家たちが失敗することを完全に前提にしており、むしろ失敗による経験と学びを得る機会を与えて、これからの地域経済を担う人材の育成を企図していました。また、個人貯蓄の多い地方の人々が地域経済の活性化を自分ごととして捉えるきっかけとなることも重視してファンドを設計しました。
     つまり、ファンドの組織やシステムだけではなく、失敗を肥やしにして挑戦を何度でも続けていく人材が多くの機会を得て躍動する地域、地域住民が補助金頼みではなく自腹を切って地元を盛り立てていく地域、すなわち、ベンチャー文化それ自体を創育するという、地方創生やイノベーション促進の真髄を突く事業だったのです。島根をシリコンバレー化しようとしたわけなのです。
     また、この事業は、田辺プロデューサーが中国経済産業局長時代に着想し、退職後に一個人の課外活動として実行したものでした。枢要な地位にあったからこそ得られたコネとチエを活用していることは、「コンサバをハックする」という点でも要注目です。もちろん、局長を経験すれば誰にでもできることでは決してありません。また、経済産業省が政策としてファンドを創設していたら、一個人発信の声がけによる草の根活動よりも、ベンチャー文化の創出効果はむしろ低かったかもしれません。  ちなみに、コンサバのハック、ファンド創設といった手法の点で、知事との連携、コンテスト創設を行った前号の桐山登士樹プロデューサーと異同を比較するのも面白いと思います。  本文最後に、田辺プロデューサーは反省点も率直に述べられています。島根の経済史に残る歴史的事業に関する極めて重要な回顧録から、今回もみなさんと一緒にプロデュースの要点を学んでいきたいと思います。(ZESDA)


    1.島根県民ファンドとは?
     田辺孝二と申します。今回は、私が取り組んだ、地域(島根県)のアントレプレナーと彼らを応援したい人たちを結びつけて、島根県の活性化を図った「島根県民ファンド」を紹介します。また、この「島根県民ファンド」のプロデュースの事例から、「応援者としての立場」に重点を置くプロデューサーの機能について考察します。
    1.1 地域のためのベンチャーファンド
     島根県民ファンド(正式名称は島根県民ファンド投資事業組合1号)は、島根県内のベンチャー企業に投資することを目的に設置されたファンドです。本ファンドは筆者が提唱し、2004年3月に民法上の組合として設立され、2014年6月まで運営され、資金総額は1440万円でした。  県民ファンドの目的は、「新ビジネスの創出や地域の課題解決等に資する事業にチャレンジする島根県内の企業に対し、投資という形で資金提供し、応援することによって、投資先企業の発展を推進すること」(島根県民ファンド投資事業組合契約書)であり、利益の確保を一義的な目的とするものでなく、地域でチャレンジする企業を応援するためのファンドであることを明確に打ち出しました。 県民ファンドの運営を担う業務執行組合員は、当初、片岡勝氏(市民バンク)と筆者の2名が就任し、2008年1月から吉岡佳紀氏(元島根県職員)が加わり、3名となりました。ファンド運営の報酬はなく、ボランティアで務めました。投資先企業の決定は、業務執行組合員の合意で行いました。 ファンドの出資者は、地元の産業界・大学・自治体の方々など島根県内を中心に、島根県出身で県外におられる方々、島根県とは縁のない筆者の知人なども含め、76名の個人と1グループ(県庁職員有志)です。県民ファンドへの出資は個人に限定し、一口10万円、5口までで募りました。1000万円を超えたところで県民ファンド設立の新聞発表をしたところ、県内外から出資の問い合わせがあり、最終的に144口になりました。  ファンドの事務局業務は、ベンチャー企業投資の経験豊富な「ごうぎんキャピタル株式会社」(松江市)に委託し、ファンド運営のアドバイスとともに、投資先企業への出資業務、会計決算業務、組合員への連絡業務などをお願いしました。
    1.2 島根県民ファンドの特徴
     島根県民ファンドは、ベンチャーファンドとして、投資先候補企業のビジネスの将来性や、経営者の能力等を評価して投資先を決定する点は、一般のベンチャーファンドと同じですが、地域の問題解決のためのコミュニティファンドとして、次のような特徴があります。
    ・島根県内のベンチャー企業のみを対象  出資者は島根県内に限っていませんが、島根県内の企業に投資することを前提に資金を募った、地域限定のベンチャーファンドです。このため、島根県出身者であっても県外で設立する企業は対象としていません。また、ベンチャーファンドであるため、将来の発展が期待できる企業を対象とし、島根県内でビジネスを行う組織であっても、コミュニティビジネスを行うNPOや、事業の発展可能性が高くない企業は対象としていません。
    ・資金とともに信用と応援団を提供する  ベンチャーが必要としているのは資金だけではなく、信用や顧客・経験・人脈などが欠けているのがベンチャーです。県民ファンドの投資を受けることによって、県内で脚光を浴びることができ、将来性のある企業だと評価され、信用力を高めることができます。また、200名を超える県民ファンド出資者が、顧客として投資先企業の製品を購入したり、アドバイスの提供や取引先の紹介を行ったりします。つまり、投資先企業に応援団を提供するのです(図1)。

    図1 島根県民ファンドの仕組み
    ・地域へのリターンを目指すファンド  島根県民ファンドでは、出資者に対してリターンがあまり期待できず、儲かるファンドではないことを明確に伝えました。一方で、地域にはリターンがあることを訴えました。まず、ベンチャーを応援することは、地域経済の活性化の効果があること、また、投資先企業が失敗したとしても、地域の未来を担う人材の育成には役立ちますので、地域にはリターンがあるのです。ファンドは寄付ではなく、出資者が応援することによって、投資先企業が成長すれば、出資者にもリターンの可能性があり、応援団としての活動がリターンに結びつくことを伝えました。 業務執行組合員の報酬はなく、ファンドの運営はボランティアベースで実施しました。一般のベンチャーファンドの場合、ファンド運営の報酬・費用で3割程度かかり、ベンチャー企業への投資のための資金は7~8割程度ですが、県民ファンドは95%以上を投資に使うことができました。
    1.3 島根県民ファンドの投資先企業
     投資先企業の決定には、事業の将来性と経営者の資質を評価するとともに、地域経済の活性化に貢献する観点も考慮し、次の6社に投資しました。ファンド運営期間中に、業績を拡大したのは1社のみで、5社は業績が向上せず、うち2社が倒産する結果となりました。
    ・「サプロ島根(飯南町)」:山陰地域に自生するくま笹から抽出したエキスは、すぐれた抗菌作用や血液浄化作用などを有しており、くま笹エキスの抽出、同エキスを配合した笹塩製品等の製造・販売を行いましたが、くま笹収集のコスト増等から採算が悪化し倒産しました。
    ・「ティーエム21(松江市)」:山陰地域の総合情報ポータルサイト(山陰ホームページナビゲーター)の運営、独自開発のホームページ自動作成システムによる事業など、地域の各種情報サイト及びWebアプリケーションを構築運営し、着実に業績を拡大しました。
    ・「しまね有機ファーム(江津市)」:有機栽培の桑葉・大麦若葉等の有機農産物による原料・製品の製造、販売事業を行い、原料生産・加工・販売まで地域で一貫して行う「農業の6次産業化」の実践に取り組み、売り上げは拡大しましたが、収益面は改善しませんでした。
    ・「アルプロン製薬(斐川町)」:健康維持に役立つ機能性食品のβ-グルカンに関する島根大学との共同開発など、独自の技術によるパン酵母から高純度のβ-グルカンの製造・販売を行いましたが業績が低迷し、サプリメント事業に取り組みました。
    ・「アートクラフト設計(松江市)」:地域再生型福祉施設の設計、歴史的建造物のリニューアル設計、古民家の建材を活かした設計などに取り組みましたが、市場が拡大せず、倒産しました。
    ・「島崎電機(出雲市)」:洗剤なしで洗濯・除菌ができる洗浄水・除菌水生成装置を開発・製造し、老人ホームやクリーニング工場などに販売しており、顧客から高い評価を得ていますが、営業体制などの制約から、業績は改善しませんでした。
     投資先企業から、「県民ファンドからの投資により、地元からの応援や期待を感じる」、「就職説明会において、県民ファンドから投資を受けていると話したところ、学生の態度が違った」などの声が寄せられたりしました。
     ファンドは当初の予定通り、10年間で清算をし、保有の株式を出資先企業の経営者に買い取っていただき、出資者の方々に1口約9万円の返還をしました(これは、業務執行の3人が資金返還の受け取りを辞退したことなどによるものです。)。
    2.島根県民ファンドのプロデュースの経緯
    2.1 現代版「頼母子講」の発想
     島根県民ファンドの構想を筆者が得たのは、2001年7月に島根県松江市で開催された、地元企業の方々との交流会の意見交換がきっかけでした。中国経済産業局長として初めて島根県を訪問した機会に、地域の経済産業局の役割は3つのブリッジ、「地域と経済産業政策とのブリッジ」、「地域企業と必要とする経営資源とのブリッジ」、「地域の望ましい未来と現在とのブリッジ」という考えを伝え、政策として新事業を創出するために、産学官連携や大学発ベンチャーを推進していることを話したところ、ある経営者から「日本の地方の問題はベンチャーを応援するエンジェルがいないこと」との問題提起がありました。  その会合の後に思いついたのが、日本の伝統の「頼母子講(たのもしこう)」、「無尽(むじん)」です。みんなでお金を持ちより、必要とする人に融通する仕組みです。つまり、一人で多額の資金をベンチャーに提供するエンジェルはいなくても、多くの方が小規模のお金を持ちよることでベンチャー支援ができるのではないか、と考えたのです。
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  • デザインによる富山県と伝統産業のプロデュース | 桐山登士樹

    2020-07-15 07:00  
    550pt

    NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第6回目は、富山県総合デザインセンターなどで活躍する桐山登士樹さんです。
首都圏でのデザインやメディア業界での経験と人脈を基に、富山県の地場産業とデザイナーを持続的にマッチングしていくエコシステムの構築で大きな成果を上げた、テクノロジー×デザイン×アートの力を活用していくプロデュース手法とは?
    プロデューサーシップのススメ#06 デザインによる富山県と伝統産業のプロデュース
     本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
     今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第1弾として、富山県総合デザインセンター所長等を務める桐山登士樹氏をご紹介します。
     これまでご紹介してきたinspire型、introduce型のカタリストは、それぞれ、チエとコネをイノベーターに注ぐという、いわば局地戦における個別の価値供給によってイノベーション促進に貢献してきました。これに対して、produce型カタリスト(いわゆる、プロデューサー)は、チエとコネがイノベーターに大量かつ持続的に注がれていくエコシステム全体、すなわち戦場全体を包括的にマネジメントする存在です。
     プロデューサーのミッションや活動内容は、プロデュースに関わる時点の状況によって大きく異なってきます。コミットした時点で既に多数のアクターが複雑に関係していれば、調整力や、果断なリーダーシップが求められたりするでしょうし、誰も居なければ、まずアクターを集めることから始めなくてはなりません。
     桐山さんのプロデュースは、後者の事例です。富山県の伝統産業をデザインで活性化するというミッションを帯びて富山県総合デザインセンターにやってきた当時、県内にデザイナーは数名しかいないというのが出発点でした。注目すべきは、その人集めの手法です。桐山さんは、コンペという手法を取りました。結果、今では300人の日本トップクラスのフリーのデザイナーが富山県内で活躍しています。
     そして、危機回避能力も見事です。行政からセンター存続の条件として短期的な売り上げを求められた際には、「お土産プロジェクト」によって応じ、県のサポートを維持することに成功しました。センターのみならず芽吹きつつあったエコシステム自体も守ったのです。
     また、富山県総合デザインセンター所長以外にも、ミラノ・サローネの日本館のプロデューサー、富山県美術館副館長をはじめ、非常に多くの肩書をお持ちで活躍されています。
    「テクノロジー、デザイン、アート」が自分の基本的なツールだと述べつつ、デザイン、インフラ、メディアの業界に長く関わり、海外と地方、ブランディングやマーケティングまでを一人で射程に収めてビジネス成果を出し続けてきた稀有な経歴をお持ちです。まさしく「マルチ・リテラシー」の権化とも言うべき典型的プロデューサーです。その上、足をマメに運び、目的達成に必要なコネやチエやカネを、方々から集めてくるチカラも兼ね備えておられます。そうして、デザイン、アート、ブランディング、資金などなどのあらゆる価値が、富山県の中小企業に総合的に注ぎ込まれ、より優れたプロダクトが国内外のマーケットに展開され、新たなコネやチエやカネを生み出していく、というエコシステムを創育しています。
     今号では、富山県の、いや、日本の伝統産業の明日を切り拓くため、今日も最前線で戦っている桐山プロデューサーから、新しいエコシステムの創育手法を学びたいと思います。(ZESDA)


    「オーケストラの指揮者」としてのプロデューサー
     桐山です。私は富山県に1993年に呼ばれて、約25年間富山に毎週通いながら、富山県の価値をどう上げるかということにこれまで携わってきました。本稿では、特にデザインの力による地方創生というテーマに焦点を当てて、私のこれまでのプロデュース活動をご紹介させていただければと思います。  私がTRUNKというデザイン会社を作ったのが、今から30年ほど前になります。当時は出版社に勤めてましたが辞めました。なぜ出版社を辞めたかと言うと、いわゆる業界に閉じたシゴトではなく、もう少し横断的なことがやりたいなと思ったからでした。そこでちょうど私のイニシャルがTKだったので、私が走るという意味のTRUNKという名前の会社を作ったのですが、今日まで全然休みなく走ってるという、とんでもない目に遭ってるわけでございます。

     それでは、私がこれまで関わってきたことを簡単にご紹介します。私はミラノとの縁が非常に長く、32年間通っています。出版社時代に知り合ったイタリア人の方と仲良くなったのがきっかけです。去年、おととしにミラノ万博がありました。そこで日本館のプロデューサーをやってましたので、通算して年に10回以上行くこともありました。
     それから私は専門がデザインですから、デザインとインフラを整備する、いわゆる中核支援施設の仕事にも携わってきました。20年近く横浜市のYCSデザインライブラリーに関わっております。世田谷区では永井多惠子さん(せたがや文化財団理事長)に誘われて、彼女の下で6年間お仕事をしていました。富山県では知事の下でデザインセンターや県立美術館に携わってきました。このような形で、いわゆる地域のインフラに関わるようなこともずっとやってきたわけです。  さらにデザインのメディアというものにも関心を持ちました。私もメディア出身の人間なものですから、それをベースにどう伝えられるかというコミュニケーションを考えておりました。業界内の話で終わるのではなく、いかに周辺の人、またこれから関わっていく人に伝えていくかということも長く私の一つの仕事としてやっています。  このように、私は、デザイン、インフラ、メディアにまたがったビジネスを創る経験をしてまいりました。
     プロデューサーとは、わかりやすく言うと「オーケストラの指揮者」だと思っています。私はクラシックが大好きでして、特にモーツァルトやバッハでは、彼らの譜面をいかに解釈するかというのが指揮者の重要な役目であり、そこに一緒になって演奏する人たちは一流でなければいけないわけですね。そして当然そこにはオーディエンスがいるわけです。だからその中でいかに感動的な演奏をするかっていうのは、その指揮者の解釈と、その場を読む力とか、盛り上げる指導力が問われることになろうかと思うんです。

     そして私は、テクノロジーとデザインとアートを用いてプロデュースを行っています、現代におけるものづくりでは、テクノロジーはどうしても外せませんが、テクノロジーをより現代的で新しい価値創造に向かわせていくのがデザインのチカラであり、役目だと思っています。さらに、これだけ世の中が流動化してボーダーレスになってくると、自分たちの価値観を超えてどこまで飛躍できるか、という部分が非常に重要になってきます。ですから、アートという、束縛から自由になる、何者にも捉われないある種の創造性、表現性の要素もないと、人を惹きつけられない、違いを生み出せないと確信しています。
     したがって、テクノロジーもデザインもアートも、全て含めて取り入れて、統合的な価値を作っていくというのが、プロデュースというものだろうと私は思ってます。
    富山県総合デザインセンターの理念と成果
     私がプロデュースしている例として富山県のケース、特に私が所長を務めている、富山県総合デザインセンター(以下、「センター」)のことをお話ししたいと思います。

     センターは、デザイナーと企業が集まって、商品開発支援や異業種交流の場の提供やコンテストなどを通じた多彩な富山デザインの発信を行う施設です。今から約25年前にその前身となるものができたわけなんですけど、県直営になったのは約15年前です。その時の所長が、SONYのロゴマークをデザインしたりソニーのウォークマンを開発した著名な工業デザイナーの黒木靖夫さんでした。なぜか黒木さんと私は呼吸が合って仲が良かったんです。私は特別なことはしなかったんですけど、黒木さんがよく「ちょっと来れない?」といろんな機会にお呼びくださるなかで、次第に仲良くなりました。毎月酒を飲みながらいろいろお話をしまして、黒木さんとの付き合いは彼が亡くなるまで続きました。影響を大なり小なり受けていますから、私は今、色々な面で黒木さんに少し似てきているかもしれません。



     黒木さんとセンターを作る際には、3つのポイントを掲げました。それは大まかには「開かれたセンターにしよう」、「支援するセンターにしよう」、「考えるセンターにしよう」の3つです。ほかにも色々ありますが、この3つを基本の設立理念として打ち出そうと決めました。
     現在は、ソフト、ハード両面で整備を進めています。ハードに関しては、おそらく世界最先端の機材と、それから富山県が持つ400年にわたる、もの作りの町工場を上手く活用しながら、あらゆる機械を整備しようとしております。目標としては、ここに来れば、面白い人と出会え、最新鋭の機械と、そしてそれらの使い方をきちんと支援できる研究員がいるという環境を整備しようとしてます。
     一方ソフト面ですが、ものづくりというものは、価値を作っていかなければいけません。特に最近はコミュニケーションも含めて考えなくてはいけませんし、いかに海を渡って物を売っていくかということを考えなくてはいけません。販路の開拓などはまだまだこれからなんですが、マーケティングも含めて整備を進めています。
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