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記事 8件
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(9)『タイガー&ドラゴン』(後編) 笑えない噺なんか、誰も聞きたくないだろ?

    2020-01-22 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『タイガー&ドラゴン』の後編です。古典落語を下敷きに不器用な二人の主人公の生き方を描いた本作が最後に辿り着いたのは、「笑えない現実」に対して、「笑い」はいかに向き合うのかというテーマでした。
    『タイガー&ドラゴン』では、古典落語を下敷きにして現代(2005年)を舞台にしたドラマが展開されるのだが、ドラマ評論家として耳が痛かったのが、第3話「茶の湯」だ。
     竜二(岡田准一)の経営する洋服屋「ドラゴンソーダ」はメッシュ素材のダサい服ばかりなので閑古鳥が泣いていたが、そこに「原宿ストリートファッションの神様」と言われるトータルプロデューサー・BOSS片岡(大森南朋)が現れ、「キテるね」「ヤバいね」と絶賛する。竜二はBOSS片岡とコラボすることになり、片岡が主催するクラブイベント・ドラゴンナイトの入場券代わりとなるリストバンドのデザインを発注される。 一方、ヤクザの噺家、林家亭子虎こと山崎虎児(長瀬智也)の前には淡島ゆきお(荒川良々)という男が現れる。淡島はジャンプ亭ジャンプという高座名を持つ落語家でアマチュア落語のチャンピオン。古典落語を得意とする粟島は虎児の師匠・林家亭どん兵衛(西田敏行)に弟子入りするが、どん兵衛が口座にかけようとしていた演目「茶の湯」を先に喋り挑発する。 どん兵衛と淡島、ふたつの「茶の湯」を聞いた虎児は「どっちが面白かった?」と、どん兵衛に聞かれ「笑ったのは淡島のだ、でも、もう一回聞きてえと思ったのは師匠のだ」と答える。
    どん兵衛「……なるほど、確かに演る人間によって印象はガラッと変わる、それが古典落語の面白いところだ、正解なんてのぁ無いんだ、お前さんがどうアレンジするか……」 虎児「いや……アレンジしねぇ」 どん兵衛「んん?」 虎児「こいつの見てて思った、若いとか経験が浅えとかそんなの言い訳になんねえよ、今度こそ古典をきっちりやりてえ……いや、やる」 (宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「茶の湯」の回)
     一方、淡島はどん兵衛から「人に何かを教わるという姿勢が出来てない」と、弟子入りを断られる。  師匠から教わった古典落語をそのまま高座で話す虎児。寄席ではそこそこ受けるがネットの掲示板では「子虎も終わった」という酷評の嵐、荒々しいキャラクターと古典を下敷きに現代を舞台にしたデタラメな落語が受けていたのだが、その持ち味を壊してしまったのだ。  対して竜二はデザインのOKが中々出ない。打ち合わせの席には代理店や雑誌編集者、クラブのオーナー、ミュージシャンが同席して意見を言う。一方、BOSS片岡は要領を得ず、挙げ句の果てに、決まったはずのデザインは別のものに変えられてしまう。商品は売れたが、自分のものではないと思った竜二は、売上と商品を突き返し、BOSS片岡とのコラボを解消する。
     虎児はイベントに押しかけ、BOSS片岡に啖呵を切る。
    虎児「お前等が軽々しく『来てる』だの『終わってる』だの言うたんびに一喜一憂してるヤツがいるんだよ、何故だか分かるか? 必死だからだよ、必死にどーにかなりてえ、カッコいいもん作りてえ、面白えもん作りてえって身体すり減らしてやってるんからだよ、分かるか? 自分の言葉に責任持て」(同書)
     竜二は落語家でありながらテレビで汚れ仕事をして家族を養う兄のどん太(阿部サダヲ)とも、寄席で古典落語にこだわる父親のどん兵衛とも違う「自分の好きなものだけ作って、それで売れてみせますよ、直球ですけど」と言う。 これに対し虎児は「俺も自分が面白えと思う話で笑い取ってやるよ」と返す。 落語やファッションを題材にしているためか『タイガー&ドラゴン』にはタレントやクリエイターの心の叫びが透けてみえる。特に面白いのは虎児の立ち位置で、本人は古典をやりたいと思っているが、世間が求めているものは、粗暴な振る舞いだったりする。ヤクザで「笑い」がわからない粗暴な男が、寄席とは場違いゆえにそのキャラクターが消費される姿と、竜二のダサいファッションセンスが気まぐれに消費されていく姿が対になっているが、若者向けサブカルチャーの一つとして色モノ的に消費されたくないが、古典をしっかりと演じるほどの基盤もまだ出来上がっていないという、宮藤たち作り手の心境が“直球”で描かれていたと思う。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(8)『タイガー&ドラゴン』(前編)

    2019-12-18 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は2005年放送の『タイガー&ドラゴン』を取り上げます。前作『マンハッタンラブストーリー』の失敗からヒットを義務付けられた本作は、第一期クドカンドラマの集大成であると同時に、「笑い」が宮藤官九郎の思想として確立される最初のきっかけでもありました。
     2005年の4月に金曜ドラマ枠(TBS系夜10時~)で放送された『タイガー&ドラゴン』は、落語を題材にした一話完結のドラマだ。
    ▲『タイガー&ドラゴン』
     『マンハッタンラブストーリー』(以下、『マンハッタン~』)から約一年ぶりとなった宮藤官九郎×磯山晶コンビの作品だが、宮藤は売れっ子脚本家としての地位を確立し、04年に脚本を執筆した映画は『ドラッグストアガール』、『ゼブラーマン』、『69 sixty nine』の三作。舞台はウーマンリブシリーズ「vol.8 轟天VS港カヲル~ドラゴンロック!女たちよ、俺を愛してきれいになあれ」、第49回岸田國士戯曲賞を受賞した『鈍獣』の二本。俳優としては、堤幸彦演出のドラマ『ご近所探偵TOMOE』(WOWOW)の主演を務めたりと、多方面で活躍していた。
     それだけに、04年にドラマが一本もなかったことは寂しかったが、年明けしてすぐにSPドラマ『タイガー&ドラゴン 三枚起請』が連続ドラマに先駆けて放送されたことは、素直に嬉しかったと同時に、宮藤はまだテレビドラマを描き続けるのだなと安堵した。
     物語は借金取りを生業としているヤクザの山崎虎児(長瀬智也)が、借金回収に向かった落語家の林家どん兵衛(西田敏行)に林家亭子虎として弟子入りをするところからはじまる。
    虎児は笑いのセンスがなく、話が苦手。一方、もうひとりの主人公・谷中竜二(岡田准一)は、裏原宿で洋服屋「ドラゴンソーダ」を営んでいる。しかし、ファッションセンスがないため、借金がかさんでいた。
    虎と竜が交差するノンフィクション落語
     『タイガー&ドラゴン』は物語の冒頭に劇中の落語家が枕として本編にまつわる話をするのだが『三枚起請』は、林家亭どん吉(春風亭昇太)のこんな語りからはじまる。
    昔から実力が伯仲する者同士が争う事を『竜虎にらみ合う』などとを申します、竜と虎、しかしこれには大きな矛盾がございまして、竜てぇのは想像上の生き物で誰も見たことないんです、一方、虎は別に珍しくもない、上野行ったら会えるんで、つまり虎と竜は住む世界が違うから勝負になんない、これはそんな違う世界に住む虎と竜の話で……(宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「三枚起請」の回)
     この語りのとおり、本作は“虎”児と“竜”二が主人公の一種のバディものとなっている。物語は毎回、虎児がどん兵衛に「三枚起請」や「芝浜」といった落語の演目を教わるところからはじまる。江戸時代の専門用語が多いため内容を理解できない虎児が七転八倒していると、周囲でその演目と似た事件が起こる。虎児は、「面白いこと」が大好きな竜二といっしょに事件を探偵のように調べていき、事件が解決することで、自己流の「三枚起請」や「芝浜」といった実話を元にした“ノンフィクション落語”を作り上げ、それを寄席で披露するという流れとなっている。  さながら「落語ミステリー」とでも言うような本作だが、現実の生き物である“虎”と想像上の生き物である“竜”という対比は虎児と竜二の対比だけでなく、現実と落語、あるいは現実と虚構の関係になっている。 こういった虚実の相関関係、虚構の世界のキャラクターを演じることで現実の問題を乗り越えていくという物語は、宮藤が得意とするものである。 『木更津キャッツアイ』(以下、『木更津』)なら北条司の漫画『キャッツ・アイ』(集英社)から名前が取られた怪盗団・木更津キャッツアイに主人公たちが扮し、何かを盗むことが結果的に困っている人を助けるという物語となっていた。 一方、『マンハッタン~』の最終回では、恋愛に悩む主人公が劇中で放送されていた恋愛ドラマ『軽井沢まで迎えにいらっしゃい』の登場人物たちの台詞によって後押しされ、ヒロインに告白するという展開となっていた。 『タイガー&ドラゴン』はそういったクドカンドラマに内包されていた虎(現実)と竜(虚構)の関係が、落語というモチーフを使うことで、より自覚的に打ち出されるきっかけとなった作品だ。
    第一期クドカンドラマの集大成
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  • 宇野常寛 いま・ここに・潜る~宮藤官九郎、再生のシナリオ(PLANETSアーカイブス)

    2019-12-13 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、2013年のNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』についての宇野常寛の論考です。宮藤官九郎の「地元」「サブカルチャー」という主題は、NHKの朝ドラが描いてきた伝統的な社会像をいかに刷新したのか。日本の戦後史を射程に収めた本作の「家族」再生の目論見を読み解きます。(初出:「調査情報」2013年9-10月号,TBS) ※本記事は2013年9月6日に配信された記事の再配信です。
      放映中のNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の勢いが止まらない。  岩手県の三陸地方を舞台にした本作は、母親の離婚を機に当地を訪れたヒロイン・アキが祖母の後を継いで海女になり、そしてやがてそこで知り合った親友・ユイの影響でアイドルを志して行く、という物語だ。  放送開始と同時に「面白い」という声がインターネットを中心に殺到し、はやくも劇中で登場人物が頻繁に用いる方言「じぇじぇ」は今年の流行語大賞の有力候補だとささやかれている。もはや人気朝ドラ・大河ドラマでは恒例行事になりつつあるTwitter上での二次創作イラスト投稿(通称「あま絵」)も盛り上がっている。話題になっている割に振るわないと言われていた視聴率も20%を超えることが多くなり、9月末の最終回に向けてその熱狂はクライマックスを迎えつつあると言えるだろう。9月には劇中で東日本大震災が発生する予定で、主要登場人物の死亡も十二分に予測出来る。震災後の日本をこの物語がどう描くのか、注目が集まっている。  本稿ではそんな「あまちゃん」について、8月10日前後までの内容に基づいて分析を試みてみたい。■宮藤官九郎はなぜ「地元」にこだわるのか  本作の脚本を担当する宮藤官九郎は劇団「大人計画」所属の作家兼俳優である。同劇団の若手としてカルトな人気を博していた宮藤は2000年放映のTBS系ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」以降、連続ドラマの書き手としてドラマファンの認知を受け、それまでとは異なる広いファン層を獲得していった。特にTBSのプロデューサー磯山晶とのコンビでは、ジャニーズ事務所所属俳優を主役にすえた作品を定期的に発表し、視聴率こそ特に目立った成果を残していないものの内容面に対するドラマファンの評価は極めて高く、映画などの続編展開やソフト販売においても良好な結果を残している。まさに、先の10年(2000年代)を代表するドラマ脚本家が宮藤だったと言えるだろう。  宮藤×磯山コンビのドラマのキーワードは「地元」だ。「池袋ウエストゲートパーク」の「池袋」、「木更津キャッツアイ」(2002)の「木更津」、「タイガー&ドラゴン」(2005)の「浅草」、そして「吾輩は主婦である」(2006)の「西早稲田」など、特に2000年代前半~半ばには舞台となる土地が明確に設定されており、その土地やコミュニティに対する登場人物の思い入れ、拘泥がドラマを牽引することになる。  しかしその一方で宮藤がこれらの作品で描く「地元」は、それこそ数多くの「朝ドラ」がこれまで描いてきたように「消費社会で忘れ去られようとしている人間の温かみのある歴史と伝統の街」といった物語をストレートに引き受けたものではない。むしろその逆で、こういった「物語」が実のところまったく意味をなさないもの、機能しないもの、嘘であるという認識からスタートしている。  たとえばこれは有名な話だが、「木更津キャッツアイ」は企画当初「柏キャッツアイ」だったという。要は、東京のキャストとスタッフを前提としたロケ事情が許す範囲の郊外都市であれば「どこでもよかった」のだ。  北は北海道から南は九州・沖縄までロードサイドにファミレスとパチンコ屋とマクドナルドとブックオフと、そしてイオンのショッピングセンターが並ぶ……。消費環境の画一化が地方の風景をも画一化し、その文化空間をも画一化していく。三浦展のいう「ファスト風土化」を「前提」に宮藤はその「地方」への「地元」へのアプローチを行ってきたのだ。  したがって宮藤の描く「地元」は歴史や伝統が個人の人生を意味づける空間ではあり得ない。たとえば「木更津キャッツアイ」で、主人公の無職青年たちのグループがあの「ファスト風土化」した、「何もない」木更津という空間を愛するのは、そこが「仲間内の記憶」にとって重要な場所であるからであり、そして同様に仲間内で愛好されるサブカルチャーに由来する場所(劇中には氣志團や加藤鷹、哀川翔が実名で登場し、木更津の何でもない場所に記念碑を刻んでいく)だからだ。つまり自分たちで捏造した偽史を流しこむべき器として「地元」は機能しているのだ。  「土地」やそこに紐づいた歴史ではなく、今、ここに生きている仲間たちの記憶とサブカルチャーの生む「偽史」で地元での日常を彩ること。これが初期作品における宮藤のアプローチだった。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 宮藤官九郎(7)『マンハッタンラブストーリー』と恋愛ドラマの変節

    2019-11-21 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は低調な視聴率ながら、今なお高く評価されている異色の恋愛ドラマ『マンハッタンラブストーリー』(2003年)を取り上げます。喫茶店を舞台に次々と連鎖する片思い、さらにその関係の入れ替え可能性を描いた本作には、普通の恋愛ドラマが成立しにくくなった当時の時代性が如実に投影されていました。
     2003年、『ぼくの魔法使い』(日本テレビ系)の後の10月クールに宮藤が脚本を手掛けたのが問題作『マンハッタンラブストーリー』(TBS系、以下『マンハッタン』)だ。
    ▲『マンハッタンラブストーリー』
     舞台は純喫茶マンハッタン。近くにテレビ局があるため、この喫茶店はテレビ関係者のたまり場となっていた。 タクシー運転手の赤羽伸子(小泉今日子)は、ダンサーのベッシーこと別所秀樹(及川光博)をタクシーに乗せたことで知り合いとなる。ケンカしながら少しずつ距離を縮めていく二人。しかし、ベッシーはミュージカルのオーディションに合格し、一年間ニューヨークに行くが決まっていた。一度はベッシーへの気持ちを諦めようとしていた赤羽だったが営業所の無線から流れてきた「早く止めないと1年以上あえなくなるんだぞ! それでもいいのか?!」という謎の男の声に押されてベッシーを引き止める。無事、結ばれたかに見えた二人。しかし、ベッシーが好きだったのは脚本家の千倉真紀(森下愛子)だった……。
     物語は毎話、主要人物が変わっていくのだが、一話が「A」二話が「B」とアルファベットのタイトルになっている。これは各話の主人公の頭文字で、Aが赤羽、Bがベッシー、Cが志倉。つまり、Aでは赤羽を主人公にベッシーとの恋愛が描かれ、Bではベッシーを主人公に志倉との恋愛が描かれ、Cでは志倉を主人公にDこと売れっ子声優の土井垣智(松尾スズキ)との恋愛が描かれるといった感じで、片思いの連鎖が続いていく。 その状況を唯一知っているのが喫茶店の店長(松岡昌宏)である。 店長は店の中で起こる恋愛模様をすべて把握しており、一人やきもきしている。そして恋愛を成就させるために彼・彼女らの背中を押すメッセージを、正体を隠して発するのが毎回の見せ場となっている。 赤羽に無線でメッセージを送ったのも店長で、つまり彼は恋のキューピットなのだが、そうやってうまくくっつけたはずの片方が実は別の人を好きだったことが連鎖していくことで、いつしか人間関係は複雑にこんがらがっていく 店長は寡黙で人前では一言二言しか喋らないのだが、その代わりモノローグ(心の声)が絶えず流れている。モノローグのほとんどは、各キャラクターに対するツッコミで、それが結果的にオーディオコメンタリー的なものとなっているのは今見ても面白い。 つまりマスターは自分で恋愛ドラマを作ると同時にその状況に対してツッコミを入れているのだ。
     プロデューサーは『木更津キャッツアイ』(以下、『木更津』)に続き磯山晶だが、今回のチーフ演出は金子文紀ではなく、土井裕泰が担当している。 近年では坂元裕二脚本の『カルテット』(TBS系)が高く評価された土井の映像手腕は今見ても実に見事で、金子文紀とは違った洗練された魅力を与えている。 同時に人を突き放したようなクールさもあり、それが最終的にこの作品のルックを決めてしまったようにも思う。
     企画の発端は『木更津』で視聴率の低迷に悩んだ磯山が「ラブストーリーなら数字がとれるかも」と言ったことがはじまりだ。その意味で他の作品とくらべると売れ線狙いの不純な動機ではじまった企画だが、宮藤と磯山が作るドラマが一筋縄で行くはずはなく、物語はどんどん予想外の方向に転がっていく。
    視聴率の低さと評価のズレ
    『マンハッタン』は、『木更津』や『あまちゃん』(NHK)に比べるとクドカンドラマの中ではマイナーな作品だが、本作をクドカンドラマ・ベスト1に挙げる人は少なくない。
     脚本家の坂元裕二は宮藤との対談で「今まで観た日本のドラマで一番好きなのが『マンハッタンラブストーリー』なんです」と発言している。
    とにかく毎週、お腹痛いぐらい笑ってたし、出てくる人はみんな魅力的だし、ドラマを観ながら思っていたことが、最後にカチッカチッと、全部気持ちよくハマっていって。なんて完成度の高い脚本なんだって、圧倒されたんですよね。 (坂元裕二×宮藤官九郎『カルテット』『脚本家 坂元裕二』Gambit)
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  • 宇野常寛×中川大地 いま、「もう一度、男女を出会わせる」ことは可能か?――『ごめんね青春!』でのクドカンの挑戦と挫折を考える(PLANETSアーカイブス)

    2019-09-06 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、2014年の宮藤官九郎脚本のドラマ『ごめんね青春!』をめぐる、宇野常寛と中川大地の対談です。『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』など初期作からクドカンを見守ってきた二人が、『あまちゃん』大ヒット以降の新たな挑戦を考えます。(初出:サイゾー2015年2月号) ※本記事は2015年2月25日に配信されたものの再配信です。
     

    ▲『ごめんね青春!』Blu-ray BOX
     
    ▼作品紹介
     『ごめんね青春!』
    プロデューサー/磯山晶 脚本/宮藤官九郎 演出/山室大輔、金子文紀 出演/錦戸亮、満島ひかり、永山絢斗、斎藤由貴ほか 放映/TBS系にて毎週土曜21:00〜21:54(14年10月〜12月)
    TBS「日曜劇場」枠にて放映された、クドカン脚本作品。経営難を理由に合併話が持ち上がった、駒形大学付属三島高校(通称「東高」トンコー)と、カトリック系の聖三島女学院という不仲の別学校を舞台に、その教師であり高校時代に後ろめたい過去を持つ原平助(錦戸)と、シスターでもある蜂矢りさ(満島)ら教師、そして学園の生徒たちの恋愛と青春を描く。
    宇野 「つまらないわけじゃないんだよなぁ」という感想ですね。宮藤官九郎(以下、クドカン)&磯山プロデューサー【1】コンビのドラマは、長瀬智也くんと一緒に年を取ってきたところがあるわけじゃないですか。思春期の終わりに直面している『池袋ウエストゲートパーク』(00年〜)、大人になって地に足をつけた共同体や家族的なものと向き合わないとやっていけないというのが『タイガー&ドラゴン』(05年)で、大人になりきった後にホモソーシャル空間でどう生きていくかというのが『うぬぼれ刑事』(10年)だった。その流れの中で一番重要な作品がやはり『木更津キャッツアイ』(02〜06年)ですよね。これはまさに男の子のモラトリアムとその終わりの話で、今でいう「マイルドヤンキー」的な、部活動の延長線上にあるような同世代のホモソーシャルに依存したまま年を取って死んでいく、というモデルを提示したわけで、これはやはり決定的に新しかった。その後のクドカンはむしろ、『木更津キャッツアイ』的なものを自分で信じられなくて試行錯誤していったところもあると思うんですよね。
    【1】磯山プロデューサー:TBSのドラマプロデューサー・磯山晶。『IWGP』以降のクドカンTBS作品をすべて手がけた、クドカンを育てたゴッドマザー。
     磯山ドラマで培ったものを、80年代以降の消費社会の総括に応用して大成功を収めたのが『あまちゃん』(13年)だったと思うんです。そして今回クドカンがTBSに帰ってきたわけだけど、今度は長瀬くんより5歳若い30歳の錦戸くんを主人公にして、もう一回青春との決別の話をやった。『木更津〜』シリーズでケリをつけたはずだったところに、戻ってきてしまった。もちろん、あれから10年くらい経っていて、相応のアップデートは随所に見え隠れしていたんだけど、全体的には単ににぎやかな楽しい話を無難に描いて終わってしまったように思うんです。もちろん、それはそれでいいんだけど、なぜ今この作品を描く必要があったのか、よくわからないんですよね。
    中川 「先に進めなかったな」という感想は、僕も同感。はじめは、すごく期待感があった。基本的にクドカンが得意としていたのは、『木更津〜』以降の、ホモソーシャル的なコミュニティで異性愛を絶対視しない幸福像を描くことだったわけだけど、だんだん世の中がそこに追いついてきて、2014年に至っては『アナと雪の女王』で「ソフト百合な女子バディもの最強!」になりましたよね。で、これに対して男女共にホモソーシャルな世界観が広がってきた中で、今度は女子高と男子校の合併話を通じて2つのホモソーシャリティがぶつかると、どのように軋轢を起こし融和するかのプロセスを描くという、そのコンセプト性はすごく刺激的でした。実際、最初の2〜3話くらいまではそれがいきいきと描かれていてワクワク観てました。最近ネットで神経質になりがちな性愛にまつわるジェンダー問題も相当先回りして取り込んだ上で、「そうはいっても一緒にやっていかないといけないよね」という描き方は非常に巧みだった。だけど、その葛藤が解消されてからドラマがなくなってしまった。
    宇野 90年代の日本のポップカルチャー全体は、Jポップに代表されるように、恋愛至上主義的だったわけですよね。ゼロ年代はその反動で、脱恋愛の流れがやってきた。というか、恋愛やファミリーロマンスでは人間の欠落は埋められない、という世界観が支持を集めていって、まず『ONE PIECE』的な仲間主義が台頭し、さらに先鋭化したものはだんだん「ホモソーシャリティ最高!」となっていった。クドカンはその先鋭化を担っていた中心的な作家ですよね。そのクドカンが、人間はホモソーシャル抜きでは生きていけないことを前提にした上で、もう一回男女をどう出会わせるか、ということを今回やったわけだけど、コンセプトが途中で空中分解してしまったところがあると思う。
     中川さんが言う通りそのモチーフは、第3話で生徒会長(黒島結菜)が「男子」と書いて「アリ」と読んだ瞬間に終わってしまった。でも、それを「アリ」としてしまったら、ただの共学青春ものになってしまう。
     『木更津〜』って「人は死なないと青春を卒業できない」という話だったと思うんですよ。「青春」や「卒業」といった概念自体を崩していった作品だともいえる。だって木更津にいる大人も、キャッツの連中とやっていることはあまり変わらない。「そういうところから究極的に離脱する唯一の方法が死なんだ」として、モラトリアムが終わって意識の高い大人になっていくという従来の青春観を打ち破っていくところが斬新だった。なのに『ごめんね青春!』では、最後に平助が「卒業」してしまう。
    中川 「遅れてきた卒業」モチーフって、日テレ土曜9時枠の『マイ☆ボス☆マイ☆ヒーロー』(06年)や『35歳の高校生』(13年)で、さらに赤裸々なシチュエーション設定でやられちゃったからね。
    宇野 そう、まさに00年代クドカン磯山ドラマのライバルだった河野英裕プロデューサー【2】が立脚していた、オーソドックスな成熟観に寄り添ってしまって、しかもそれをクドカン自身が信じきれていない。

     
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  • 世界が「木更津」化したあとに――『ごめんね青春!』(PLANETSアーカイブス)

    2018-10-22 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、宇野常寛による『ごめんね青春!』批評です。『木更津キャッツアイ』『あまちゃん』などで時代の空気を絶妙に掴んできたクドカンは、今作ではなぜこれまでのような切れ味を発揮できなかったのか? この10年余りの社会状況・情報環境の変化から考えます。(初出:『ダ・ヴィンチ』2015年3月号(KADOKAWA)) ※この記事は2015年3月13日に配信した記事の再配信です。
     クドカンこと宮藤官九朗の最新作『ごめんね青春!』は、主にその低視聴率による「苦戦」で世間に知られる結果になってしまった。しかし、そもそも彼の作品が視聴率的にヒットしたのは東野圭吾原作の『流星の絆』くらいの話で他は良くてもスマッシュヒット、といったところだろう。二度も映画化されたロングセラー『木更津キャッツアイ』も本放送の視聴率はぱっとしなかったし、あの『あまちゃん』でさえも、内容的には凡作としか言いようがない『梅ちゃん先生』に平均視聴率では負けていた。クドカン作品の魅力とは、端的に述べれば広く浅く拡散していくものではなく、深く刺さるタイプのものなのだ。
     だから僕は本作をその視聴率的苦戦をもって何か言おうとは思わない。現に僕自身、このドラマを毎週楽しみにしていて、最後まで面白く観ていたのは間違いない。
     しかし残念ながらその一方で、僕はこのただ楽しく、面白いドラマに物足りなさを感じていたことも正直に告白しようと思う。もちろん、テレビドラマに楽しく面白い以上の価値は必要ない、という考えもあるだろう。しかし、少なくとも僕はクドカンドラマにそれだけではないものを感じてこれまで追いかけてきたのだ。
     
     今思えば『池袋ウエストゲートパーク』はモラトリアムの「終わりの始まり」の物語だった。長瀬智也演じるマコトが思春期の終わりに、それまで足場にしていた「ジモト」のホモソーシャルの限界に直面する。そして同じ長瀬智也が主演を務めた『タイガー&ドラゴン』はいわゆる「アラサー」になった主人公が、若者のホモソーシャルとは一線を画した大家族的な共同体に軟着陸していく過程を描いていた。そして長瀬が32歳で主演を務めた『うぬぼれ刑事』は、完全に「おじさん」になった主人公がもう一度、大人のホモソーシャルに回帰していくさまを描いていった。要するに、クドカンは自分よりも8つ年下の長瀬智也の肉体を借りて男性の成熟を、歳の取り方を描いてきた作家でもあるのだ。同世代の同性たちからなる若者のホモソーシャルが加齢とともにゆるやかに解体し、やがて(擬似)家族的なものに回収されていく。しかしクドカンの想像力は教科書的な成熟と喪失の物語を選ぶことはなく、やがて男の魂は新しい、大人のホモソーシャルに回収されていったのだ。
     クドカンのドラマから僕がいつも感じるのは、部活動的なホモソーシャルだけが人間を、特に男性を支えうるという確信と、その一方でこうしたホモソーシャルの脆弱さに対する悲しみだ。この確信と悲しみの往復運動が、クドカン作品における長瀬智也の演じるキャラクターの変遷をかたちづくり、あるいは『木更津キャッツアイ』シリーズでクドカンが描いてきた儚いユートピアのビジョンに結実していった。
     
     この視点から『木更津キャッツアイ』について振り返るのならば、人間がこうした部活動的なホモソーシャル、同世代の、同性からなる非家族的な友愛の、「仲間」的なコミュニティに支えられたまま(「まっとうな近代人」の感覚からすればモラトリアムを継続したまま)歳をとって死んでいくという人生観を提示し、しかもそれを幸福なものとして描き出したところが衝撃的だったと言える。そして『タイガー&ドラゴン』以降の作品は、クドカン自身がこの『木更津キャッツアイ』で提示したものを自己批評的に展開していったものに他ならない。
     
     思えばクドカンが台頭したゼロ年代は、「仲間主義」と「ホモソーシャル」の台頭した時代だった。90年代的な恋愛至上主義文化の反動から、恋愛やファミリーロマンスでは人間の欠落は埋められないという世界観が支持を集め、まず『ONE PIECE』的な仲間主義が台頭し、そして「日常系」アニメ(『けいおん!』『らき☆すた』)からAKB48、EXILEまでホモソーシャル(では正確にはない。これらのコミュニティには紅/緑一点の異性すらいない。ミソジニー傾向の代わりに、ボーイズ・ラブ的な友愛の関係性が支配している)の中での非生殖的、反家族的な関係性がジャンル越境的に国内ポップカルチャーにおいて支配的になっていった。そう、今思えば『木更津キャッツアイ』はその後10年に起こることを先取りしていた作品だった。
     
     あれから10年余り、世界はある意味すっかり「木更津」化した。
     若者向けのポップカルチャーはすっかり木更津キャッツアイ的な「ホモソーシャル2.0」の原理が支配的になった。『木更津キャッツアイ』は企画当初『柏キャッツアイ』であったことが象徴的だが、彼らがジモトを愛する理由は、そこに地縁と血縁があるからではなく、自分たちの「仲間」の思い出が、歴史があるからだ。だから同作に登場した青年たちは自分たちの内輪ネタとサブカルチャーの「小ネタ」で凡庸な郊外都市である木更津を、自分たちにとっての「聖地」に変えていった。
     そして今、こうしたコンテンツ依存のジモト愛の喚起、町おこしはむしろ地方自治体の常套手段と言っても過言ではなくなった。2013年に社会現象的ブームを巻き起こし、後世にはおそらくクドカンの代表作として語り継がれるであろう『あまちゃん』の放映時に、舞台となった岩手県三陸地方がこうした「聖地」化によって大きくクローズアップされたことは記憶に新しい。
     そう、この10年余りのあいだに、世界はすっかり「木更津」化したのだ。
     
     クドカンの話に戻そう。クドカンの一連の試行錯誤の集大成が『あまちゃん』だったことは間違いない。クドカンはここで、戦後の消費社会史をアイドルというアイテムを用いて総括した。ここでは前述のクドカンがそれまで培ってきた「ジモト」への視線が、戦後社会の精神史を描く上で大きく寄与していたのだが、本作『ごめんね青春!』では『あまちゃん』では扱われなかった男性の成熟とモラトリアムの問題が再浮上することになった。本作のプロデューサーはTBSの磯山晶、『池袋ウエストゲートパーク』にはじまる一連の長瀬智也主演作品や『木更津キャッツアイ』を担当した人物だ。主役を務めるのは長瀬よりも6歳若い錦戸亮。彼が演じる高校教師が、勤務先の男子校と近所の女子校の合併のために尽力しながら、30歳になっても引きずっている青春の日のトラウマに決着をつける、という物語が展開した。
     これは言い換えれば、『木更津キャッツアイ』で一度男女を分離した、少なくともロマンチック・ラブ・イデオロギーやファミリー・ロマンス信仰とは異なるかたちの救済を提示したクドカンが、もう一度男女を出会わせようとしたもの、とひとまずは言えるだろう。しかし、残念ながらこのコンセプトは物語前半で空中分解してしまった。
     本作では当初激しかった主人公の属する男子校と、合併先の女子校との対立は物語の序盤(第三話)であっさりと解決する。男子生徒嫌いの急先鋒だった黒島結菜演じる女子校側の生徒会長が、自分たちはこれから「男子」と書いて「アリ」と読む、と宣言する。あまり気の利いたセリフ回しではないが、それはまあ、いいだろう。しかし、その後同作はホモソーシャル同士の衝突を正面から描くことはなくなり、端的に言ってただの学園ラブコメになってしまう。もちろん、ただの学園ラブコメであることが悪いわけではない。ただ、この瞬間にどうしてこの複雑な設定が存在するのか、その意味はなくなってしまった。
     こうして「再び〈男女〉を出会わせる」というコンセプトを失ってしまった同作は、最終回へ向けて主人公の教師・平助のトラウマの解消、高校時代に犯した罪の告白と清算(彼なりの「青春」への決別)に焦点を移すことになる。そして、最終回で平助は自分が担任していた学年の卒業式に学生服で乱入し、自分の「卒業」を宣言して青春に別れを告げる。思春期の恋が生んだ葛藤にケリをつけて、次のステージに進む。教師をやめ、満島ひかり演じる女子校の教師と結婚し、自分は学校をやめて地元FM局のDJになる。大いに結構だが、ここで提示された「成熟」モデルが、僕にはどうにも魅力的なものには見えなかった。
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  • 世界が「木更津」化したあとに――『ごめんね青春!』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.281 ☆

    2015-03-13 07:00  
    220pt
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    世界が「木更津」化したあとに――『ごめんね青春!』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.13 vol.281
    http://wakusei2nd.com



    本日のメルマガは、宇野常寛による『ごめんね青春!』批評です。『木更津キャッツアイ』『あまちゃん』などで時代の空気を絶妙に掴んできたクドカンは、今作ではなぜこれまでのような切れ味を発揮できなかったのか? この10年余りの社会状況・情報環境の変化から考えます。
    初出:『ダ・ヴィンチ』2015年3月号(KADOKAWA)
     
     クドカンこと宮藤官九朗の最新作『ごめんね青春!』は、主にその低視聴率による「苦戦」で世間に知られる結果になってしまった。しかし、そもそも彼の作品が視聴率的にヒットしたのは東野圭吾原作の『流星の絆』くらいの話で他は良くてもスマッシュヒット、といったところだろう。二度も映画化されたロングセラー『木更津キャッツアイ』も本放送の視聴率はぱっとしなかったし、あの『あまちゃん』でさえも、内容的には凡作としか言いようがない『梅ちゃん先生』に平均視聴率では負けていた。クドカン作品の魅力とは、端的に述べれば広く浅く拡散していくものではなく、深く刺さるタイプのものなのだ。
     だから僕は本作をその視聴率的苦戦をもって何か言おうとは思わない。現に僕自身、このドラマを毎週楽しみにしていて、最後まで面白く観ていたのは間違いない。
     しかし残念ながらその一方で、僕はこのただ楽しく、面白いドラマに物足りなさを感じていたことも正直に告白しようと思う。もちろん、テレビドラマに楽しく面白い以上の価値は必要ない、という考えもあるだろう。しかし、少なくとも僕はクドカンドラマにそれだけではないものを感じてこれまで追いかけてきたのだ。
     
     今思えば『池袋ウエストゲートパーク』はモラトリアムの「終わりの始まり」の物語だった。長瀬智也演じるマコトが思春期の終わりに、それまで足場にしていた「ジモト」のホモソーシャルの限界に直面する。そして同じ長瀬智也が主演を務めた『タイガー&ドラゴン』はいわゆる「アラサー」になった主人公が、若者のホモソーシャルとは一線を画した大家族的な共同体に軟着陸していく過程を描いていた。そして長瀬が32歳で主演を務めた『うぬぼれ刑事』は、完全に「おじさん」になった主人公がもう一度、大人のホモソーシャルに回帰していくさまを描いていった。要するに、クドカンは自分よりも8つ年下の長瀬智也の肉体を借りて男性の成熟を、歳の取り方を描いてきた作家でもあるのだ。同世代の同性たちからなる若者のホモソーシャルが加齢とともにゆるやかに解体し、やがて(擬似)家族的なものに回収されていく。しかしクドカンの想像力は教科書的な成熟と喪失の物語を選ぶことはなく、やがて男の魂は新しい、大人のホモソーシャルに回収されていったのだ。
     クドカンのドラマから僕がいつも感じるのは、部活動的なホモソーシャルだけが人間を、特に男性を支えうるという確信と、その一方でこうしたホモソーシャルの脆弱さに対する悲しみだ。この確信と悲しみの往復運動が、クドカン作品における長瀬智也の演じるキャラクターの変遷をかたちづくり、あるいは『木更津キャッツアイ』シリーズでクドカンが描いてきた儚いユートピアのビジョンに結実していった。
     
     この視点から『木更津キャッツアイ』について振り返るのならば、人間がこうした部活動的なホモソーシャル、同世代の、同性からなる非家族的な友愛の、「仲間」的なコミュニティに支えられたまま(「まっとうな近代人」の感覚からすればモラトリアムを継続したまま)歳をとって死んでいくという人生観を提示し、しかもそれを幸福なものとして描き出したところが衝撃的だったと言える。そして『タイガー&ドラゴン』以降の作品は、クドカン自身がこの『木更津キャッツアイ』で提示したものを自己批評的に展開していったものに他ならない。
     
     思えばクドカンが台頭したゼロ年代は、「仲間主義」と「ホモソーシャル」の台頭した時代だった。90年代的な恋愛至上主義文化の反動から、恋愛やファミリーロマンスでは人間の欠落は埋められないという世界観が支持を集め、まず『ONE PIECE』的な仲間主義が台頭し、そして「日常系」アニメ(『けいおん!』『らき☆すた』)からAKB48、EXILEまでホモソーシャル(では正確にはない。これらのコミュニティには紅/緑一点の異性すらいない。ミソジニー傾向の代わりに、ボーイズ・ラブ的な友愛の関係性が支配している)の中での非生殖的、反家族的な関係性がジャンル越境的に国内ポップカルチャーにおいて支配的になっていった。そう、今思えば『木更津キャッツアイ』はその後10年に起こることを先取りしていた作品だった。
     
     あれから10年余り、世界はある意味すっかり「木更津」化した。
     若者向けのポップカルチャーはすっかり木更津キャッツアイ的な「ホモソーシャル2.0」の原理が支配的になった。『木更津キャッツアイ』は企画当初『柏キャッツアイ』であったことが象徴的だが、彼らがジモトを愛する理由は、そこに地縁と血縁があるからではなく、自分たちの「仲間」の思い出が、歴史があるからだ。だから同作に登場した青年たちは自分たちの内輪ネタとサブカルチャーの「小ネタ」で凡庸な郊外都市である木更津を、自分たちにとっての「聖地」に変えていった。
     そして今、こうしたコンテンツ依存のジモト愛の喚起、町おこしはむしろ地方自治体の常套手段と言っても過言ではなくなった。2013年に社会現象的ブームを巻き起こし、後世にはおそらくクドカンの代表作として語り継がれるであろう『あまちゃん』の放映時に、舞台となった岩手県三陸地方がこうした「聖地」化によって大きくクローズアップされたことは記憶に新しい。
     そう、この10年余りのあいだに、世界はすっかり「木更津」化したのだ。
     
     クドカンの話に戻そう。クドカンの一連の試行錯誤の集大成が『あまちゃん』だったことは間違いない。クドカンはここで、戦後の消費社会史をアイドルというアイテムを用いて総括した。ここでは前述のクドカンがそれまで培ってきた「ジモト」への視線が、戦後社会の精神史を描く上で大きく寄与していたのだが、本作『ごめんね青春!』では『あまちゃん』では扱われなかった男性の成熟とモラトリアムの問題が再浮上することになった。本作のプロデューサーはTBSの磯山晶、『池袋ウエストゲートパーク』にはじまる一連の長瀬智也主演作品や『木更津キャッツアイ』を担当した人物だ。主役を務めるのは長瀬よりも6歳若い錦戸亮。彼が演じる高校教師が、勤務先の男子校と近所の女子校の合併のために尽力しながら、30歳になっても引きずっている青春の日のトラウマに決着をつける、という物語が展開した。
     これは言い換えれば、『木更津キャッツアイ』で一度男女を分離した、少なくともロマンチック・ラブ・イデオロギーやファミリー・ロマンス信仰とは異なるかたちの救済を提示したクドカンが、もう一度男女を出会わせようとしたもの、とひとまずは言えるだろう。しかし、残念ながらこのコンセプトは物語前半で空中分解してしまった。
     本作では当初激しかった主人公の属する男子校と、合併先の女子校との対立は物語の序盤(第三話)であっさりと解決する。男子生徒嫌いの急先鋒だった黒島結菜演じる女子校側の生徒会長が、自分たちはこれから「男子」と書いて「アリ」と読む、と宣言する。あまり気の利いたセリフ回しではないが、それはまあ、いいだろう。しかし、その後同作はホモソーシャル同士の衝突を正面から描くことはなくなり、端的に言ってただの学園ラブコメになってしまう。もちろん、ただの学園ラブコメであることが悪いわけではない。ただ、この瞬間にどうしてこの複雑な設定が存在するのか、その意味はなくなってしまった。
     こうして「再び〈男女〉を出会わせる」というコンセプトを失ってしまった同作は、最終回へ向けて主人公の教師・平助のトラウマの解消、高校時代に犯した罪の告白と清算(彼なりの「青春」への決別)に焦点を移すことになる。そして、最終回で平助は自分が担任していた学年の卒業式に学生服で乱入し、自分の「卒業」を宣言して青春に別れを告げる。思春期の恋が生んだ葛藤にケリをつけて、次のステージに進む。教師をやめ、満島ひかり演じる女子校の教師と結婚し、自分は学校をやめて地元FM局のDJになる。大いに結構だが、ここで提示された「成熟」モデルが、僕にはどうにも魅力的なものには見えなかった。


     
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  • いま、「もう一度、男女を出会わせる」ことは可能か? ――『ごめんね青春!』でのクドカンの挑戦と挫折を考える(宇野常寛×中川大地) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.269 ☆

    2015-02-25 07:00  
    220pt
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    いま、「もう一度、男女を出会わせる」ことは可能か?――『ごめんね青春!』での
    クドカンの挑戦と挫折を考える(宇野常寛×中川大地)

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.25 vol.269
    http://wakusei2nd.com



    本日のメルマガは、昨年話題となった宮藤官九郎の新作『ごめんね青春!』をめぐる、宇野常寛と中川大地の対談です。『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』など初期作からクドカンを見守ってきた二人が、『あまちゃん』大ヒット以降の新たな挑戦を考えます。

    初出:『サイゾー』2015年2月号(サイゾー)
     

    宮藤官九郎『ごめんね青春!』シナリオ集(KADOKAWA/角川マガジンズ、2014年)
     

    ごめんね青春! Blu-ray BOX(製作著作・発売元:TBS 販売元:TCエンタテインメント)
     
    ▼作品紹介
     『ごめんね青春!』
    プロデューサー/磯山晶 脚本/宮藤官九郎 演出/山室大輔、金子文紀 出演/錦戸亮、満島ひかり、永山絢斗、斎藤由貴ほか 放映/TBS系にて毎週土曜21:00〜21:54(14年10月〜12月)
    TBS「日曜劇場」枠にて放映された、クドカン脚本作品。経営難を理由に合併話が持ち上がった、駒形大学付属三島高校(通称「東高」トンコー)と、カトリック系の聖三島女学院という不仲の別学校を舞台に、その教師であり高校時代に後ろめたい過去を持つ原平助(錦戸)と、シスターでもある蜂矢りさ(満島)ら教師、そして学園の生徒たちの恋愛と青春を描く。
     
    ▼対談者プロフィール
    中川大地(なかがわ・だいち)
    1974年生まれ。文筆家/編集者。著書に『東京スカイツリー論』(光文社新書)ほか。
     
     
    宇野 「つまらないわけじゃないんだよなぁ」という感想ですね。宮藤官九郎(以下、クドカン)&磯山プロデューサー【1】コンビのドラマは、長瀬智也くんと一緒に年を取ってきたところがあるわけじゃないですか。思春期の終わりに直面している『池袋ウエストゲートパーク』(00年〜)、大人になって地に足をつけた共同体や家族的なものと向き合わないとやっていけないというのが『タイガー&ドラゴン』(05年)で、大人になりきった後にホモソーシャル空間でどう生きていくかというのが『うぬぼれ刑事』(10年)だった。その流れの中で一番重要な作品がやはり『木更津キャッツアイ』(02〜06年)ですよね。これはまさに男の子のモラトリアムとその終わりの話で、今でいう「マイルドヤンキー」的な、部活動の延長線上にあるような同世代のホモソーシャルに依存したまま年を取って死んでいく、というモデルを提示したわけで、これはやはり決定的に新しかった。その後のクドカンはむしろ、『木更津キャッツアイ』的なものを自分で信じられなくて試行錯誤していったところもあると思うんですよね。
    【1】磯山プロデューサー
    TBSのドラマプロデューサー・磯山晶。『IWGP』以降のクドカンTBS作品をすべて手がけた、クドカンを育てたゴッドマザー。
     磯山ドラマで培ったものを、80年代以降の消費社会の総括に応用して大成功を収めたのが『あまちゃん』(13年)だったと思うんです。そして今回クドカンがTBSに帰ってきたわけだけど、今度は長瀬くんより5歳若い30歳の錦戸くんを主人公にして、もう一回青春との決別の話をやった。『木更津〜』シリーズでケリをつけたはずだったところに、戻ってきてしまった。もちろん、あれから10年くらい経っていて、相応のアップデートは随所に見え隠れしていたんだけど、全体的には単ににぎやかな楽しい話を無難に描いて終わってしまったように思うんです。もちろん、それはそれでいいんだけど、なぜ今この作品を描く必要があったのか、よくわからないんですよね。
    中川 「先に進めなかったな」という感想は、僕も同感。はじめは、すごく期待感があった。基本的にクドカンが得意としていたのは、『木更津〜』以降の、ホモソーシャル的なコミュニティで異性愛を絶対視しない幸福像を描くことだったわけだけど、だんだん世の中がそこに追いついてきて、2014年に至っては『アナと雪の女王』で「ソフト百合な女子バディもの最強!」になりましたよね。で、これに対して男女共にホモソーシャルな世界観が広がってきた中で、今度は女子高と男子校の合併話を通じて2つのホモソーシャリティがぶつかると、どのように軋轢を起こし融和するかのプロセスを描くという、そのコンセプト性はすごく刺激的でした。実際、最初の2〜3話くらいまではそれがいきいきと描かれていてワクワク観てました。最近ネットで神経質になりがちな性愛にまつわるジェンダー問題も相当先回りして取り込んだ上で、「そうはいっても一緒にやっていかないといけないよね」という描き方は非常に巧みだった。だけど、その葛藤が解消されてからドラマがなくなってしまった。
    宇野 90年代の日本のポップカルチャー全体は、Jポップに代表されるように、恋愛至上主義的だったわけですよね。ゼロ年代はその反動で、脱恋愛の流れがやってきた。というか、恋愛やファミリーロマンスでは人間の欠落は埋められない、という世界観が支持を集めていって、まず『ONE PIECE』的な仲間主義が台頭し、さらに先鋭化したものはだんだん「ホモソーシャリティ最高!」となっていった。クドカンはその先鋭化を担っていた中心的な作家ですよね。そのクドカンが、人間はホモソーシャル抜きでは生きていけないことを前提にした上で、もう一回男女をどう出会わせるか、ということを今回やったわけだけど、コンセプトが途中で空中分解してしまったところがあると思う。
     中川さんが言う通りそのモチーフは、第3話で生徒会長(黒島結菜)が「男子」と書いて「アリ」と読んだ瞬間に終わってしまった。でも、それを「アリ」としてしまったら、ただの共学青春ものになってしまう。
     『木更津〜』って「人は死なないと青春を卒業できない」という話だったと思うんですよ。「青春」や「卒業」といった概念自体を崩していった作品だともいえる。だって木更津にいる大人も、キャッツの連中とやっていることはあまり変わらない。「そういうところから究極的に離脱する唯一の方法が死なんだ」として、モラトリアムが終わって意識の高い大人になっていくという従来の青春観を打ち破っていくところが斬新だった。なのに『ごめんね青春!』では、最後に平助が「卒業」してしまう。
    中川 「遅れてきた卒業」モチーフって、日テレ土曜9時枠の『マイ☆ボス☆マイ☆ヒーロー』(06年)や『35歳の高校生』(13年)で、さらに赤裸々なシチュエーション設定でやられちゃったからね。
    宇野 そう、まさに00年代クドカン磯山ドラマのライバルだった河野英裕プロデューサー【2】が立脚していた、オーソドックスな成熟観に寄り添ってしまって、しかもそれをクドカン自身が信じきれていない。

     
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