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記事 15件
  • [特別無料公開]『いだてん』というニッポンの自画像|成馬零一

    2021-04-26 07:00  

    今朝のメルマガは、いよいよAmazon・書店での一般発売が開始された成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。今回は宮藤官九郎脚本の大河ドラマ『いだてん』をめぐる論考の一部を特別無料公開! 『あまちゃん』スタッフと豪華俳優陣で臨んだ本作は、それまで「男の子たちの物語」を描き続けてきた宮藤が「大きな物語」に挑んだ集大成とも言える作品でした。
    2019年の『いだてん』
     2019年に宮藤が脚本を担当した大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK)は、日本のテレビドラマ史、サブカルチャー史の金字塔と言える作品である。  主人公は1912年に日本人で初めてオリンピック(ストックホルム五輪)に出場した日本マラソンの父・金栗四三(中村勘九郎)と1964年の東京オリンピック招致に尽力した日本水泳の父・田畑政治(阿部サダヲ)の二人。  物
  • [特別無料公開]その後の『あまちゃん』|成馬零一

    2021-04-19 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。前回に引き続き本書の表紙を飾る女優・のんさん主演の『あまちゃん』をめぐる論考の一部を特別無料公開!『あまちゃん』以降、現代を舞台としたドラマを描けなくなっていく朝の連続テレビドラマ小説。それは、震災以降の社会の空気とも無縁ではありませんでした。
     2000年の『池袋』がビッグバンとなり、その後、様々な場所で、ドラマに関わったスタッフや俳優が活躍するようになったように、『あまちゃん』も関わった人たちにとってビッグバンとなり、様々な作品を生み出していく。  まずは、言わずと知れた宮藤官九郎の作品。その後、宮藤は3本の連ドラを手掛け、2019年に再び『あまちゃん』のチームと、大河ドラマ『いだてん』を執筆することになる。これらのドラマを執筆することで宮藤の作風がどう
  • [特別無料公開]『あまちゃん』という2010年代ドラマのビッグバン|成馬零一

    2021-04-12 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。今回は本書の表紙を飾る女優・のんさん主演の2013年の作品『あまちゃん』をめぐる論考の一部を特別無料公開!クドカン初の朝ドラであり、社会現象を巻き起こした本作は「震災」という厳しい現実に対して、時に不謹慎だと言われかねない「笑い」を巧みに折り込み、虚構の力で打ち勝とうとした力作でした。
    2013年の『あまちゃん』
     連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』は、宮藤がはじめてNHKで手掛けたドラマだ。チーフ演出は井上剛、チーフ・プロデューサーは訓覇圭。後に『いだてん』を手掛けるスーパーチームの第1作である。

     伝統ある朝ドラで、ドラマの王道を目指してみたい。明るく朝が迎えられる喜劇はどうか。作為的に笑わせるのではなく、自然に笑えて楽しい気持ちになれる、た
  • [特別無料公開]初期クドカンの集大成としての『タイガー&ドラゴン』|成馬零一

    2021-04-05 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。今回は衝撃の最終回を迎えた『俺の家の話』が話題の宮藤官九郎・長瀬智也タッグによる2005年の作品『タイガー&ドラゴン』を特別無料公開!前作『マンハッタンラブストーリー』の失敗からヒットを義務付けられた本作は、第一期クドカンドラマの集大成であると同時に、「笑い」が宮藤官九郎の思想として確立される最初のきっかけでもありました。
    2005年の『タイガー&ドラゴン』
     2004年に宮藤が手掛けた脚本は、映画は『ドラッグストア・ガール』、『ゼブラーマン』、『69sixty nine』の3作。舞台は大人計画ウーマンリブvol.8 『轟天vs港カヲル〜ドラゴンロック!女たちよ、俺を愛してきれいになあれ』と、第49回岸田國士戯曲賞を受賞した『鈍獣』の2本と、あいかわらず多方
  • [特別無料公開]『テレビドラマクロニクル 1990→2020』はじめに|成馬零一

    2021-03-29 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』の「はじめに」を特別公開します。当初はオリンピックイヤーとして、華々しいスタートを切るはずだった2020年1月。コロナウィルスが上陸し、テレビドラマをめぐる状況も少しずつ変化していくなかで、本書の論考は幕を開けます。
    はじめに
     本書はテレビドラマについて書かれたクロニクル(年代記)である。  野島伸司、堤幸彦、宮藤官九郎。  1990年代以降のテレビドラマに大きな影響を与えた彼ら3人の作品を批評することで、その表現が後世に与えた影響や同時代性について語っている。  まずは第1章では、野島伸司の作品を通して1980年代末から1990年代前半のテレビドラマと日本国内の状況を語り、第2章では、1995年以降、映像作家の堤幸彦が更新したテレビドラマの演出論と、その背景となる時代状況の変化。第3章で
  • 2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-22 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、『木更津キャッツアイ』から宮藤官九郎の作家性を掘り下げます。本作の主人公・ぶっさんの〈死〉をめぐる物語は、生身のアイドルの有限性と相まって、〈終わらない日常〉と〈死なない身体〉への鋭い批評性を体現していました。
    【成馬零一さん最新刊、刊行決定!!】 本連載を元に、2020年に至るまでの新章を大幅加筆した最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』が、特別電子書籍+オンライン講義全3回つき先行販売中です! バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん] 詳細はこちらから。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)
    『木更津』はドラマ業界に、どのように受け止められたのか?
     宮藤の出世作となった『木更津』だが、放送当時はどのように受け止められたのか?
    ▲『木更津キャッツアイ』
     脚本家の岡田惠和は「宮藤さんがドラマ界に現れた頃のことはよく覚えてます」(9)と語っている。『木更津』の第1話が放送された翌日、当時仕事をしたドラマチームでの飲み会で、本作が話題になった際、ベテランと若手で意見が真っ二つに分かれたと、岡田は回想する。

    「何喋ってるのかさっぱりわからん」「いったい何の話なんだ? あれは、ふざけすぎ」 ベテランプロデューサー達には理解できなかった。なのに皆が面白い! と絶賛するので、悔しかったのかもしれませんね。  対して若手は、言葉には出さないけど、「あれがわからないんじゃ終わってんな、このおっさん」 と顔に書いてある感じ。でも「どこが面白いんだ?」 と問われると、うまく言葉にすることが出来ない。そんな感じでした。(10)

     そんなベテランと若手の反応を見ながら、岡田は「よわったなぁ」と思ったという。宮藤の新しい作風に脅威を感じながらも、それ以上に「かなり好きだなこれ」と混乱し、自分がやりたかったのはこういうことだったのかもしれないと、憧れを抱いたという。しかし「今から下の世代に憧れるってのもな、ちょっと辛いしな」と思い、「忘れよう、影響受けるのやめよう」と決めて、その後、宮藤と同じジャンルのドラマを書くことは、絶対にやめようと考えたという。(11)  同業者の先輩に、ここまで言わせるのだから、すごい才能である。  だが、宮藤の登場によりドラマ界の空気が一変し、世代交代が起きたかというと、そうはならなかったと岡田は振り返る。宮藤の世界が「ダントツに個性的」で主流にはならなかったからだ。(12)

     ドラマ界は宮藤さんを受け入れた。でもそれはある意味、出島的な特別区みたいなポジションです。ドラマ界の地図を塗り替えるというよりは、地図にひとつ島を増やしたような変化。そこに関してはベテランたちもどこか寛容です。なぜなら出島なんで、自分たちの領土は守られてるから。そこでの活動は許す、みたいな。まさに「クドカン特区」ですね。「クドカンだからねえ」 「あぁクドカンでしょ? はいはい」みたいな許され方とでも申しましょうか。  爆発的に人気あるけど、どうも世帯視聴率はさほど芳しくないという、だからどこか長老たちのプライドも犯さないという、独特なチャーミングなポジションも獲得しました。嫌ですね、そんな長老。(13)

     『木更津』が放送された2000年代初頭は、視聴率という評価軸がまだまだ絶対的だった。『踊る大捜査線』や『ケイゾク』のような視聴率は高くないが、放送終了後に映画化されて大ヒットするという作品も現れはじめていたが、これらの作品は、視聴率が低いと言っても、10%台前半は獲得していた。  しかし『木更津』は野球の構成に合わせた全9話で平均視聴率10.1%(関東地区・ビデオリサーチ)で、これ以降のクドカンドラマはシングル(一桁台)が当たり前になっていく。近年のドラマは、シングルが常態化しており10%台で成功作と言われるぐらい合格ラインは下がってしまったが、当時のシングルは、打ち切りでもおかしくない数字である。思うに『木更津』とクドカンドラマの登場は、視聴率一辺倒だったテレビドラマの評価が、DVD等のソフト消費とネットで話題になるSNS消費へと大きく分裂していく始まりの作品だったのだろう。
    『キャラクター小説の作り方』に書かれた木更津キャッツアイ論
     テレビシリーズ終了直後に語られた、もっともクリティカルで早かった『木更津キャッツアイ』論がある。大塚英志の『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書、2003年)だ。  本書はまんが原作者や小説家としても知られる評論家の大塚が、ライトノベル専門誌「ザ・スニーカー」(角川書店)で連載していた、ライトノベルの書き方についてのレクチャーをまとめたものだ。  本書ではライトノベルのことを「キャラクター小説」と呼んでいるのだが、キャラクター小説について大塚は、以下のように定義している。

    ①自然主義的リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。 ②「作者の反映としての私」は存在せず、「キャラクター」という生身ではないものの中に「私」が宿っている。(14)

     そして「自然主義の立場に立って「私」という存在を描写する「私小説」が日本の近代小説の一方の極だとすれば、まんが的な非リアリズムによってキャラクターを描いていく」小説が「キャラクター小説」(=ライトノベル)であると、大塚は語っている。(15)  なお、筆者は生身の俳優が、まんがやアニメのキャラクターを演じる作品をキャラクタードラマと呼んでいる。そして、この連載で堤幸彦の演出とリミテッドアニメの方法論の類似性を指摘したが、この〝キャラクタードラマ〞という着想は、本書で書かれた大塚のキャラクター小説論が下敷きとなっている。中でも大きな影響を受けたのが、「第一〇講││主題は細部に宿る」で語られる『木更津キャッツアイ論』である。

     
  • 2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(前編)テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-15 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、宮藤官九郎編の初期の代表作『木更津キャッツアイ』を取り上げます。「地元」と「普通」を主題にした本作は、一部の識者からバブル批判の文脈で称賛されます。しかし、そこで本当に描かれていたのは、均質化した郊外と「普通」すら困難になりつつある時代の訪れでした。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(前編)
    2002年の『木更津キャッツアイ』
     『池袋ウエストゲートパーク』で高い評価を得た宮藤官九郎は、翌2001年、織田裕二主演のドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)を手がける。アラサーの青年3人の自分探し的な物語は、山田太一脚本の『想い出づくり。』や『ふぞろいの林檎たち』を彷彿とさせる青春群像劇。『池袋』を見て、宮藤の本質は家族愛や友情を描けることだと思ったプロデューサー・高井一郎による抜擢だった。
    ▲『ロケット・ボーイ』(小説版)
     残念ながら本作は、放送中に織田裕二が椎間板ヘルニアで入院してしまったことで、話数が全11話から7話に短縮されてしまう。そのこともあってか、宮藤の作家性が存分に発揮されていたとは言えず、ソフト化もされていないため、今では幻の作品となっている。  後の『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系、2016年)にも通じるシリアス路線だったため、完全な形で仕上がっていれば、今のクドカンドラマの傾向とは違う流れが生まれていたかもしれない。『池袋』は原作モノでチーフ演出の堤幸彦のカラーも強く、『ロケット・ボーイ』は不完全燃焼。そのため宮藤の評価は保留とされた。  その意味で、ドラマ脚本家としての作家性が正当に評価されたのは、翌2002年に放送されたドラマ『木更津キャッツアイ』(以下『木更津』)からだと言えるだろう。  本作は千葉県木更津市で暮らす若者たちを主人公にしたコメディテイストの青春ドラマだ。実家の理髪店「バーバータブチ」を手伝いながら、毎日ブラブラしているぶっさん(岡田准一)、一人だけ大学に通う童貞のバンビ(櫻井翔)、プロ野球選手を目指す弟と比較されコンプレックスを感じている実家暮らしで無職のアニ(塚本高史)、学校の先輩と結婚して居酒屋「野球狂の詩」を切り盛りする子持ちのマスター(佐藤隆太)、神出鬼没で何を考えているかわからないうっちー(岡田義徳)。彼ら5人は、高校時代に同じ野球部だった仲間で、高校を卒業しても地元に残り、草野球をしながら仲間たちと戯れる日々を送っていた。ずっと続くかと思われていた彼らの日常だったが、ある日、ぶっさんが余命半年の癌(悪性リンパ腫)だと判明する……。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(9)『タイガー&ドラゴン』(後編) 笑えない噺なんか、誰も聞きたくないだろ?

    2020-01-22 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『タイガー&ドラゴン』の後編です。古典落語を下敷きに不器用な二人の主人公の生き方を描いた本作が最後に辿り着いたのは、「笑えない現実」に対して、「笑い」はいかに向き合うのかというテーマでした。
    『タイガー&ドラゴン』では、古典落語を下敷きにして現代(2005年)を舞台にしたドラマが展開されるのだが、ドラマ評論家として耳が痛かったのが、第3話「茶の湯」だ。
     竜二(岡田准一)の経営する洋服屋「ドラゴンソーダ」はメッシュ素材のダサい服ばかりなので閑古鳥が泣いていたが、そこに「原宿ストリートファッションの神様」と言われるトータルプロデューサー・BOSS片岡(大森南朋)が現れ、「キテるね」「ヤバいね」と絶賛する。竜二はBOSS片岡とコラボすることになり、片岡が主催するクラブイベント・ドラゴンナイトの入場券代わりとなるリストバンドのデザインを発注される。 一方、ヤクザの噺家、林家亭子虎こと山崎虎児(長瀬智也)の前には淡島ゆきお(荒川良々)という男が現れる。淡島はジャンプ亭ジャンプという高座名を持つ落語家でアマチュア落語のチャンピオン。古典落語を得意とする粟島は虎児の師匠・林家亭どん兵衛(西田敏行)に弟子入りするが、どん兵衛が口座にかけようとしていた演目「茶の湯」を先に喋り挑発する。 どん兵衛と淡島、ふたつの「茶の湯」を聞いた虎児は「どっちが面白かった?」と、どん兵衛に聞かれ「笑ったのは淡島のだ、でも、もう一回聞きてえと思ったのは師匠のだ」と答える。
    どん兵衛「……なるほど、確かに演る人間によって印象はガラッと変わる、それが古典落語の面白いところだ、正解なんてのぁ無いんだ、お前さんがどうアレンジするか……」 虎児「いや……アレンジしねぇ」 どん兵衛「んん?」 虎児「こいつの見てて思った、若いとか経験が浅えとかそんなの言い訳になんねえよ、今度こそ古典をきっちりやりてえ……いや、やる」 (宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「茶の湯」の回)
     一方、淡島はどん兵衛から「人に何かを教わるという姿勢が出来てない」と、弟子入りを断られる。  師匠から教わった古典落語をそのまま高座で話す虎児。寄席ではそこそこ受けるがネットの掲示板では「子虎も終わった」という酷評の嵐、荒々しいキャラクターと古典を下敷きに現代を舞台にしたデタラメな落語が受けていたのだが、その持ち味を壊してしまったのだ。  対して竜二はデザインのOKが中々出ない。打ち合わせの席には代理店や雑誌編集者、クラブのオーナー、ミュージシャンが同席して意見を言う。一方、BOSS片岡は要領を得ず、挙げ句の果てに、決まったはずのデザインは別のものに変えられてしまう。商品は売れたが、自分のものではないと思った竜二は、売上と商品を突き返し、BOSS片岡とのコラボを解消する。
     虎児はイベントに押しかけ、BOSS片岡に啖呵を切る。
    虎児「お前等が軽々しく『来てる』だの『終わってる』だの言うたんびに一喜一憂してるヤツがいるんだよ、何故だか分かるか? 必死だからだよ、必死にどーにかなりてえ、カッコいいもん作りてえ、面白えもん作りてえって身体すり減らしてやってるんからだよ、分かるか? 自分の言葉に責任持て」(同書)
     竜二は落語家でありながらテレビで汚れ仕事をして家族を養う兄のどん太(阿部サダヲ)とも、寄席で古典落語にこだわる父親のどん兵衛とも違う「自分の好きなものだけ作って、それで売れてみせますよ、直球ですけど」と言う。 これに対し虎児は「俺も自分が面白えと思う話で笑い取ってやるよ」と返す。 落語やファッションを題材にしているためか『タイガー&ドラゴン』にはタレントやクリエイターの心の叫びが透けてみえる。特に面白いのは虎児の立ち位置で、本人は古典をやりたいと思っているが、世間が求めているものは、粗暴な振る舞いだったりする。ヤクザで「笑い」がわからない粗暴な男が、寄席とは場違いゆえにそのキャラクターが消費される姿と、竜二のダサいファッションセンスが気まぐれに消費されていく姿が対になっているが、若者向けサブカルチャーの一つとして色モノ的に消費されたくないが、古典をしっかりと演じるほどの基盤もまだ出来上がっていないという、宮藤たち作り手の心境が“直球”で描かれていたと思う。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(8)『タイガー&ドラゴン』(前編)

    2019-12-18 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は2005年放送の『タイガー&ドラゴン』を取り上げます。前作『マンハッタンラブストーリー』の失敗からヒットを義務付けられた本作は、第一期クドカンドラマの集大成であると同時に、「笑い」が宮藤官九郎の思想として確立される最初のきっかけでもありました。
     2005年の4月に金曜ドラマ枠(TBS系夜10時~)で放送された『タイガー&ドラゴン』は、落語を題材にした一話完結のドラマだ。
    ▲『タイガー&ドラゴン』
     『マンハッタンラブストーリー』(以下、『マンハッタン~』)から約一年ぶりとなった宮藤官九郎×磯山晶コンビの作品だが、宮藤は売れっ子脚本家としての地位を確立し、04年に脚本を執筆した映画は『ドラッグストアガール』、『ゼブラーマン』、『69 sixty nine』の三作。舞台はウーマンリブシリーズ「vol.8 轟天VS港カヲル~ドラゴンロック!女たちよ、俺を愛してきれいになあれ」、第49回岸田國士戯曲賞を受賞した『鈍獣』の二本。俳優としては、堤幸彦演出のドラマ『ご近所探偵TOMOE』(WOWOW)の主演を務めたりと、多方面で活躍していた。
     それだけに、04年にドラマが一本もなかったことは寂しかったが、年明けしてすぐにSPドラマ『タイガー&ドラゴン 三枚起請』が連続ドラマに先駆けて放送されたことは、素直に嬉しかったと同時に、宮藤はまだテレビドラマを描き続けるのだなと安堵した。
     物語は借金取りを生業としているヤクザの山崎虎児(長瀬智也)が、借金回収に向かった落語家の林家どん兵衛(西田敏行)に林家亭子虎として弟子入りをするところからはじまる。
    虎児は笑いのセンスがなく、話が苦手。一方、もうひとりの主人公・谷中竜二(岡田准一)は、裏原宿で洋服屋「ドラゴンソーダ」を営んでいる。しかし、ファッションセンスがないため、借金がかさんでいた。
    虎と竜が交差するノンフィクション落語
     『タイガー&ドラゴン』は物語の冒頭に劇中の落語家が枕として本編にまつわる話をするのだが『三枚起請』は、林家亭どん吉(春風亭昇太)のこんな語りからはじまる。
    昔から実力が伯仲する者同士が争う事を『竜虎にらみ合う』などとを申します、竜と虎、しかしこれには大きな矛盾がございまして、竜てぇのは想像上の生き物で誰も見たことないんです、一方、虎は別に珍しくもない、上野行ったら会えるんで、つまり虎と竜は住む世界が違うから勝負になんない、これはそんな違う世界に住む虎と竜の話で……(宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「三枚起請」の回)
     この語りのとおり、本作は“虎”児と“竜”二が主人公の一種のバディものとなっている。物語は毎回、虎児がどん兵衛に「三枚起請」や「芝浜」といった落語の演目を教わるところからはじまる。江戸時代の専門用語が多いため内容を理解できない虎児が七転八倒していると、周囲でその演目と似た事件が起こる。虎児は、「面白いこと」が大好きな竜二といっしょに事件を探偵のように調べていき、事件が解決することで、自己流の「三枚起請」や「芝浜」といった実話を元にした“ノンフィクション落語”を作り上げ、それを寄席で披露するという流れとなっている。  さながら「落語ミステリー」とでも言うような本作だが、現実の生き物である“虎”と想像上の生き物である“竜”という対比は虎児と竜二の対比だけでなく、現実と落語、あるいは現実と虚構の関係になっている。 こういった虚実の相関関係、虚構の世界のキャラクターを演じることで現実の問題を乗り越えていくという物語は、宮藤が得意とするものである。 『木更津キャッツアイ』(以下、『木更津』)なら北条司の漫画『キャッツ・アイ』(集英社)から名前が取られた怪盗団・木更津キャッツアイに主人公たちが扮し、何かを盗むことが結果的に困っている人を助けるという物語となっていた。 一方、『マンハッタン~』の最終回では、恋愛に悩む主人公が劇中で放送されていた恋愛ドラマ『軽井沢まで迎えにいらっしゃい』の登場人物たちの台詞によって後押しされ、ヒロインに告白するという展開となっていた。 『タイガー&ドラゴン』はそういったクドカンドラマに内包されていた虎(現実)と竜(虚構)の関係が、落語というモチーフを使うことで、より自覚的に打ち出されるきっかけとなった作品だ。
    第一期クドカンドラマの集大成
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  • 宇野常寛 いま・ここに・潜る~宮藤官九郎、再生のシナリオ(PLANETSアーカイブス)

    2019-12-13 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、2013年のNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』についての宇野常寛の論考です。宮藤官九郎の「地元」「サブカルチャー」という主題は、NHKの朝ドラが描いてきた伝統的な社会像をいかに刷新したのか。日本の戦後史を射程に収めた本作の「家族」再生の目論見を読み解きます。(初出:「調査情報」2013年9-10月号,TBS) ※本記事は2013年9月6日に配信された記事の再配信です。
      放映中のNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の勢いが止まらない。  岩手県の三陸地方を舞台にした本作は、母親の離婚を機に当地を訪れたヒロイン・アキが祖母の後を継いで海女になり、そしてやがてそこで知り合った親友・ユイの影響でアイドルを志して行く、という物語だ。  放送開始と同時に「面白い」という声がインターネットを中心に殺到し、はやくも劇中で登場人物が頻繁に用いる方言「じぇじぇ」は今年の流行語大賞の有力候補だとささやかれている。もはや人気朝ドラ・大河ドラマでは恒例行事になりつつあるTwitter上での二次創作イラスト投稿(通称「あま絵」)も盛り上がっている。話題になっている割に振るわないと言われていた視聴率も20%を超えることが多くなり、9月末の最終回に向けてその熱狂はクライマックスを迎えつつあると言えるだろう。9月には劇中で東日本大震災が発生する予定で、主要登場人物の死亡も十二分に予測出来る。震災後の日本をこの物語がどう描くのか、注目が集まっている。  本稿ではそんな「あまちゃん」について、8月10日前後までの内容に基づいて分析を試みてみたい。■宮藤官九郎はなぜ「地元」にこだわるのか  本作の脚本を担当する宮藤官九郎は劇団「大人計画」所属の作家兼俳優である。同劇団の若手としてカルトな人気を博していた宮藤は2000年放映のTBS系ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」以降、連続ドラマの書き手としてドラマファンの認知を受け、それまでとは異なる広いファン層を獲得していった。特にTBSのプロデューサー磯山晶とのコンビでは、ジャニーズ事務所所属俳優を主役にすえた作品を定期的に発表し、視聴率こそ特に目立った成果を残していないものの内容面に対するドラマファンの評価は極めて高く、映画などの続編展開やソフト販売においても良好な結果を残している。まさに、先の10年(2000年代)を代表するドラマ脚本家が宮藤だったと言えるだろう。  宮藤×磯山コンビのドラマのキーワードは「地元」だ。「池袋ウエストゲートパーク」の「池袋」、「木更津キャッツアイ」(2002)の「木更津」、「タイガー&ドラゴン」(2005)の「浅草」、そして「吾輩は主婦である」(2006)の「西早稲田」など、特に2000年代前半~半ばには舞台となる土地が明確に設定されており、その土地やコミュニティに対する登場人物の思い入れ、拘泥がドラマを牽引することになる。  しかしその一方で宮藤がこれらの作品で描く「地元」は、それこそ数多くの「朝ドラ」がこれまで描いてきたように「消費社会で忘れ去られようとしている人間の温かみのある歴史と伝統の街」といった物語をストレートに引き受けたものではない。むしろその逆で、こういった「物語」が実のところまったく意味をなさないもの、機能しないもの、嘘であるという認識からスタートしている。  たとえばこれは有名な話だが、「木更津キャッツアイ」は企画当初「柏キャッツアイ」だったという。要は、東京のキャストとスタッフを前提としたロケ事情が許す範囲の郊外都市であれば「どこでもよかった」のだ。  北は北海道から南は九州・沖縄までロードサイドにファミレスとパチンコ屋とマクドナルドとブックオフと、そしてイオンのショッピングセンターが並ぶ……。消費環境の画一化が地方の風景をも画一化し、その文化空間をも画一化していく。三浦展のいう「ファスト風土化」を「前提」に宮藤はその「地方」への「地元」へのアプローチを行ってきたのだ。  したがって宮藤の描く「地元」は歴史や伝統が個人の人生を意味づける空間ではあり得ない。たとえば「木更津キャッツアイ」で、主人公の無職青年たちのグループがあの「ファスト風土化」した、「何もない」木更津という空間を愛するのは、そこが「仲間内の記憶」にとって重要な場所であるからであり、そして同様に仲間内で愛好されるサブカルチャーに由来する場所(劇中には氣志團や加藤鷹、哀川翔が実名で登場し、木更津の何でもない場所に記念碑を刻んでいく)だからだ。つまり自分たちで捏造した偽史を流しこむべき器として「地元」は機能しているのだ。  「土地」やそこに紐づいた歴史ではなく、今、ここに生きている仲間たちの記憶とサブカルチャーの生む「偽史」で地元での日常を彩ること。これが初期作品における宮藤のアプローチだった。
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