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記事 16件
  • 読書のつづき[二〇二〇年五月第一週]| 大見崇晴

    2020-08-06 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。緊急事態宣言が延長され、例年繰り返してきた読書生活のリズムにも狂いが生じる大型連休。ステイホームで部屋掃除ばかりが捗る中で、往年のテレビバラエティの旗手らの変調や世間の「カモ」たちの動向を横目に、歴史なるものの功に思いを馳せます。
    読書のつづき 大見崇晴
    五月一日
     部屋片付け。カルペンティエール『方法異説』[1]、チェスタトン[2]『チョーサー』[3]が見つかる。独裁者もの[4]が読みたくなっていた昨今だから、ちょうど良かった。
     長谷川宏[5]訳のヘーゲル『美学講義』[6]を落札。
    「全力!脱力タイムズ」がテレワークを前提としたコントを放送。この手のものではいち早い。
     注文しておいた以下の書籍が届く。
    ・デイヴィッド・ロッジ[7]『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』 ・ロバート・ブレイク『英国保守党史』 ・ジャン・クリストフ・アグニュー『市場と劇場』
     ロッジとブレイクの本は、第二次世界大戦前、カズオ・イシグロが描いた過去のイギリスが描かれているようなもの。イギリスという国は二つの大戦を経て、植民地を手放し、連合王国の栄光を失った。世界の覇権というものがあるならば、第一次世界大戦が終戦したあたりでイギリスからアメリカ合衆国に、それは移行している。そうだとしても、当時のイギリスは依然として植民地を多く抱えた宗主国に変わりなかった。
     パンク・ロックを代表するボーカリストであるジョン・ライドン[8]はザ・キンクス[9]のファンとして知られている──このこと自体が英国の複雑さを物語っている。ジョン・ライドンは家系をたどればアイルランド移民であり、差別の対象だったわけであるから──が、キンクスには『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』という名盤がある。このアルバムは、イギリスの絶頂期にあたるヴィクトリア女王の時代が過ぎ去り、オーストラリアに移住する家族の物語をコンセプトに作られた。発売されたのは一九六九年だが、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』[10]を発売したのが一九六七年だから、それから二年遅れてのことになる。ロック史、というよりは商業音楽史の重要なエポック・メイキングのことなので、さも常識のように『サージェント・ペパーズ』と略されるビートルズのアルバムは、レコードアルバムが楽曲を集めたコンピレーションというものから、コンセプトに沿って録音された芸術であると、多くの聴衆の理解(受容意識)を変えた作品だった。
     ある意味においてはへんてこなことである。イギリスのロックシーンは世界を席巻しているのである。しかしキンクスは「大英帝国の衰退」を歌わなくてはいけなかった。このへんてこさは当時のイギリスを考えると理解ができる。ビートルズは一九六五年にエリザベス女王から勲章を受章したが、これはイギリスがビートルズのレコードで外貨を多く獲得できたからというものだ。それほどまでに商業音楽というものは巨大化していたわけだが、イギリスはすでにして工業において他国に遅れを取り始めていた。だからこそビートルズの輝きは、より鮮明に思われたわけである。産業革命が起こった国であるイギリスは、脱工業化のまっただなかにあった。工業と貿易で世界に覇を唱えたイギリスは国のつくり自体を大きく変えなくてはいけなかった。それゆえの「衰退」であり、オーストラリア行きである。そのオーストラリアは、形式的にはイギリス国王を君主としているからイギリスみたいなものだが、二〇世紀には実質的には独立国家になっている。イギリス本国にとって、領土の開墾という意味よりも、富の源泉である国民が流出しているという意味のほうが大きくなっている。
     連合王国であるイギリスの悩みというものを、小説や演劇などよりも、ポップ・ミュージックであるロックがわかりやすく、かつ芸術的に成立したものとして表現してしまうのが、第二次世界大戦のイギリスである。レコードを中心とした音楽産業はイギリスを抜きにして語ることが難しいだろう。しかし、大戦後の小説をイギリス抜きでも語れてしまいそうなぐらいには、目立たなくなっていく。その理由はいったい何なのだろう。

    [1]『方法異説』 キューバの作家アレホ・カルペンティエールが一九七四年に発表した長編小説。小説は水声社から寺尾隆吉の訳で二〇一六年に刊行された。「啓蒙的暴君」である架空の独裁者を描く。
    [2]G・K・チェスタトン ギルバート・キース・チェスタトン。イギリスの作家、評論家。一八七四年生、一九三六年没。熱心なカトリック信者としても著名。推理小説の古典となっている「ブラウン神父」シリーズは彼の手によって生まれた。一九〇九年に発表した『正統とは何か』はキリスト教擁護論の古典であり、多くの保守主義者が参照する一冊となっている。
    [3]ジェフリー・チョーサー イギリスの詩人、外交官。一三四三年ごろに生まれ、一四〇〇年没する。ボッカチオの物語集『デカメロン』の影響を受け、『カンタベリー物語』を執筆した。未完となったが『カンタベリー物語』はイギリスを代表する文学作品として評価されている。
    [4]独裁者もの(独裁者小説) 第二次世界大戦後、植民地だった地域はそれ以前から引き続き次々と独立したが「開発独裁」と呼ばれる軍事力を背景にした独裁政権が多かった。ラテンアメリカも多分にもれず独裁国家が多かったため、一九七〇年代に体制を皮肉った文学が流行を見せた。代表的な作品はカルペンティエール『方法異説』(一九七四)、アウグスト・ロア=バストス『至高の存在たる余は』(一九七四)、ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』(一九七五)など。
    [5]長谷川宏 日本の在野研究者。一九四〇年生。一九六八年東京大学大学院哲学科博士課程を終了。学生運動に参加したこともあり、大学に就職しなかった。一九九〇年代から読書会の成果であるドイツ哲学者ヘーゲルの翻訳を続けて刊行する。訳書はヘーゲル『哲学史講義』(一九九二~一九九三)、『歴史哲学講義』(一九九四)、『美学講義』(一九九五~一九九六)、『精神現象学』(一九九八)など。
    [6]『美学講義』 ヘーゲルがベルリン大学で開いていた美学の講義を、受講していた学生のノートを元に書籍化したもの。一般的には聴講生だったホトーのノートに依拠したものが広まっている。近年シュナイダーという速記者が残したノートを元にした講義録も出版されている。
    [7]デイヴィッド・ロッジ イギリスの作家、英文学者。一九三五年生。一九九八年に長年にわたる功績から大英帝国勲章が授けられた。大学の研究者を題材にとった『交換教授』などで知られることになったが、近年はヘンリー・ジェイムズやH・G・ウェルズの伝記小説を著している。
    [8]ジョン・ライドン イギリスのミュージシャン。一九五六年生。ニックネームは「ジョニー・ロットン」で、この名前で呼ばれていた時期にセックス・ピストルズに参加。一躍パンク・ロックの代名詞的存在となる。アイルランド系移民の子供で、幼少期に差別を受ける。七歳で髄膜炎を患って昏睡状態に陥るなど弱者の立場を経験していた。衰退にあるイギリスで体制(現状)を皮肉った「アナーキー・イン・ザ・UK」、「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」、「プリティ・ヴェカント」などの作詞を手掛ける。過激な詞が原因で保守派の暴漢からナイフで襲われた。セックス・ピストルズ脱退時に「ロックは死んだ」と発言し、このことは広く知られることになった。脱退後は、クラウト・ロックと呼ばれた西ドイツの実験的なロックや、ジャマイカで生まれイギリスでも独自に発展していたダブを愛好していた友人らとP.I.L.(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成。一九九三年と二〇〇七年にセックス・ピストルズを再結成したが、そのたびに「金のためだ」と取材に応えた。二十一世紀に入るとリアリティーショーに多く出演し、テレビタレントとしてを活動の領域に加えた。女性ミュージシャンへのリスペクトが多いことでも知られ、スリッツやレインコーツ(のちにソニック・ユースのメンバーとなるキム・ゴードンが所属)を評価し、後押しをした。
    [9]ザ・キンクス イギリスのロックバンド。一九六四年にレイとデイヴのデイヴィス兄弟によって結成された。オアシスがデビューする以前は兄弟仲の悪いバンドの代名詞のように必ず名前が挙がっていた。デビュー年のシングルである「ユー・レアリー・ガット・ミー」はヴァン・ヘイレンによってカバーされた名曲。ディストーションサウンドを広めた楽曲として知られる。「ウォータールー・サンセット」は男女の恋愛風景を描いた名曲として知られる。七〇年にヒットした「ローラ」は自分を誘惑した美女が実は男性だったことを歌ったもので、ミュージカル「キンキー・ブーツ」に影響を及ぼした。
    [10]『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 ザ・ビートルズのアルバム。一九六七年に発売され、グラミー賞では「最優秀アルバム賞」、「最優秀コンテンポラリー・パフォーマンス賞(ロック部門)」、「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞」、「最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)」、「最優秀アルバム・ジャケット賞(グラフィック・アート部門)」を受賞した。架空のブラスバンド「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のショウを収録したレコードというコンセプトをとっており、バンドの自己紹介からアンコール曲で締めくくられる構成となっている。

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  • 読書のつづき[二〇二〇年四月中・下旬]| 大見崇晴

    2020-07-02 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。いよいよコロナ狂騒曲が本格化していくゴールデンウィーク前。大林宣彦監督や岡江久美子氏など、昭和人が慣れ親しんできた文化スターたちの逝去の報が飛び交う中で、メディア越しのリアリティはどのように移り変わっていったのでしょうか。
    読書のつづき 大見崇晴
    四月十一日
     総理が出勤を七割減にすることを企業に求めたとのこと。感染防止策には出歩かないことが一番だから理解できなくもないが、よりにもよって休日である土曜日に要請することだろうか。
     新訳の『全体性と無限』のあとがきを読んでいると、当初予定では合田正人[1]と共同訳になるはずが、合田氏多忙にて単独の翻訳となったとの記載。
     大林宣彦[2]監督、死去の報。

    [1]合田正人 一九五七年日本生まれ。哲学研究者。レヴィナスなどユダヤ人哲学者を多く研究している。日本におけるレヴィナスの紹介は、合田正人と内田樹によって進められた。 [2]大林宣彦 一九三八年尾道生まれ。映画監督。出生地である尾道を舞台にして三部作(『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』)で知られる。角川書店で原作が刊行されている作品を映画化した、いわゆる「角川映画」と呼ばれる作品を多く手掛けた。

    四月十ニ日
     星野源が「うちで踊ろう」[3]という曲を動画として発表して、これに楽器伴奏やコーラス、ダンスを合わせた映像にしてほしいと、コロナでも共演(コラボレーション)可能にすることを始めたのだそうだ。これに総理もやってみたという映像が話題だと言うので見てみたが、首相が自宅で佇む映像に星野源が劇伴しているような映像になっていた。多くの人が考えるようなコラボレーションではないのだが、誰か周りで止める人間はいなかったのだろうか。そう疑問を覚えることに、政権の人材不足が現れているような気がする。それに犬を政治家が映像に映すのなら、チェッカーズ・スピーチ[4]ぐらい、頭を使ったほうがよいと思うのだが。
     毎週楽しみにしている「相葉マナブ」、大ファンだというJUJUがゲスト出演していた。ハライチ澤部もアンジャッシュ渡部も盛り上がっていた。
     「ダーウィンが来た!」のアニメに、やり手の経営者として、ジェーン・ツー[5]というペンギンが出てきた。「美食探偵」、明智五郎の父親役が宮崎哲弥[6]という配役に意味のわからなさを感じる。山下友美『モンスターDJ』[7]シリーズの続編が発表されたと知る。
     『はじめて学ぶ法哲学・法思想―古典で読み解く21のトピック』を注文。

    [3]「うちで踊ろう」 星野源(一九八一年生埼玉生まれ)が二〇二〇年四月三日にInstagramのアカウントでリリースした楽曲であり、動画。外出しづらいコロナ禍の状況で、動画を用いたコラボレーション(伴奏、ダンスなど)を呼びかけ、気の詰まる状況に開放感を与えた。
    [4]チェッカーズ・スピーチ のちにアメリカ大統領となるニクソンが、一九五二年にテレビの前で行ったスピーチ。ニクソンは共和党の大統領候補だったアイゼンハワーの副大統領候補に選ばれかけていたが、資金面で保守系の支援団体の援助が多かった。ニクソンは物品の提供を受けたことはないが、支持者から受け取り、娘たちの愛犬となったコッカースパニエルのチェッカーズだけは例外で、また返すことができないと国民に向けて情に訴える演説を行った。この演説は自身に向けられた疑惑への具体的な釈明といえなかったが、この演説によって副大統領候補から取り下げられることを回避した。
    [5]ジェーン・ツー 『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』などの著書で知られ、近年はラジオパーソナリティとして活躍するジェーン・スー(一九七三年生まれ)をパロディしたと思われるキャラクター。
    [6]宮崎哲弥 博報堂社員であったが、「宝島30」への投稿からライター業を開始し、二〇〇〇年代を代表する論客となる。ブッディストとして著名であり、二〇〇〇年代には古書店で仏教書を集めている姿が散見されていた。有吉弘行がつけたあだ名は「インテリ原始人」。
    [7]山下友美 薬剤師の傍らマンガ家業を始めた。「モンスターDJ」シリーズは、アメリカの地方ラジオ局でDJやスタッフが巻き起こすコメディ作品。ホラーシルキーVol.3で霊感DJが活躍する新シリーズを開始し、旧シリーズのキャラクターを登場させた。


    四月十三日
     ベネッセとソフトバンクが共同でサービスしている学習教育支援アプリで一二二万人のID情報漏洩。ルイ十六世がネットトレンドになっていたので何事かと調べてみると、安倍首相がルイ十四世と皮肉られたことへの反応で、間違えて十六世と答弁したのが理由だそうだ。「朕は国家なり」で知られるルイ十四世を引き合いにして、国家を私有物のようにすることが立憲制と相反することと皮肉ったのだろう。それを理解していないか、ギロチンにはめられると日々感じてでもなければ、ルイ十六世とでも口にしない気はするけれど。もっとも日本で一番知られているフランスの国王は、『ベルサイユのばら』[8]の登場人物でもあった十六世のほうだろうけれど。
     寒いと思っていたら大雪警報が出ていた。
     読売新聞の速報記事で内閣支持率は四二%、不支持は四七%。

    [8]『ベルサイユのばら』 池田理代子(一九四七年生まれ)が一九七二年に連載した少女マンガ。男装の麗人である主人公オスカルがフランス革命に巻き込まれ、また革命に加わっていく。宝塚歌劇団のレパートリーにもなり、長く愛される作品となった。池田理代子は連載当時、吉本隆明が主張した「自立」などを意識しながら執筆していたという。

    四月十四日
     政府が一律補助へ反対の姿勢を崩していないが、補助金に格差をつけて、どうこうする時期でもなかろうに。時間をかけてでも差をつけたいのは、敵味方の色分けでもしたいのかとうがってしまう。赤江珠緒[9]アナ、コロナ罹患の疑いがあるため、外山惠理[10]アナが「たまむすび」の代打。外山アナは気取らないひとで、永六輔立川談志爆笑問題稲垣吾郎と取り扱いが面倒なひとともストレートに接してきたので知られているが、それも関東ローカル局を中心にしてのことなので、こうした代打を機に、だんだんとそれ以外の地域にも知られるのだろうかと感じたりもした。
     首相への質問があまりにもなっていないものばかりだから、大川興業の大川豊総裁に取材の仕方でも聞きに行ったらどうかと思う。
     毎日新聞の「余録」。いい記事だった。荻原魚雷[11]さんが書かれたのだろうか。
     「火曜サプライズ」、ウエンツ瑛士帰国の放送。山瀬まみさんが年を追うごとに赤毛のアンみたいになっている気がする。
     一律補助金、どうやら支給されそうだが、官邸主導ではなく自民党二階幹事長と公明党の後押しあってのこととの報道。
     元阪神の片岡篤史がコロナに感染、入院。しかし片岡も日ハムではなく阪神の野球人という印象が強くなってしまった。

    [9]赤江珠緒 一九七五年生まれ。アナウンサー。報道番組やワイドショーの司会と並行して、自身がメインパーソナリティである「たまむすび」(TBSラジオ、二〇一二年四月~)で人気を博す。授業中にミロを食べているところを、教師にバレそうになると校庭にバラマいて事態を隠蔽するなど、奔放な人物。
    [10]外山惠理 一九七五年生まれ。TBSアナウンサー。ラジオ番組の生放送中にバランスボールに座っている。『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で長期に渡って永六輔のアシスタントを務め、晩年に近づき滑舌があやしくなった永六輔の発言を翻訳して放送を成立させていた。爆笑問題と浅草キッドの二組が不仲であることを知らず、自然体で二組とのやりとりをまとめたことで、冷戦状態にあった仲を緩和させた。また、永六輔の番組や、立川談志の番組でナレーションを担当していたこともあり、伝統藝能の演者との交流もあり、二〇〇〇年代の藝能を語る上で欠かせない人物である。
    [11]荻原魚雷 一九六九年三重県生まれ。明治大学文学部中退。編集者、フリーライター。高円寺と古本に関するエッセイと書評で知られる。初の著書は『借家と古本』(二〇〇六)であるが、これは国際標準図書番号がない、同人誌形式のものである。国際標準図書番号が付いた初の著書は『古本暮らし』(二〇〇七)である。『古本暮らし』は「あとがき」にもあるように、編集者中川六平の依頼で本となった。中川六平は「ベトナムに平和を!市民連合」の参加者で、のちに東京タイムズ記者・編集者となった人物であり、坪内祐三の初の著書も彼の手によるものだった。岸田國士の間接的な弟子とも言えた編集者・作家である古山高麗雄と雑誌の取材で出会い、晩年の語り相手を務めた。古山高麗雄の手に入りづらいエッセイをまとめた『編集者冥利の生活』では、解説を担当している。

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  • 読書のつづき[二〇二〇年三月下旬〜四月上旬]| 大見崇晴

    2020-06-10 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。人生の習慣をも悉く中断させていくコロナ禍の拡大が、日常を日常でないものに変えていく令和二年の春。異常と平常とが奇妙な振れ幅をみせる緊急事態宣言前後の日々は、高見順や永井荷風ら昭和の文人たちが遺した戦時の日記文学への追想を、自ずと引き起こさずにはいられないものでした。
    読書のつづき 大見崇晴
    二〇二〇年三月下旬
    三月×日  ミル『自由論』の新訳が岩波文庫[1]で出るらしい。ロールズの『公正としての正義再説』は岩波現代文庫[2]に収まるそうだ。後者は読んでも私は理解できない気がする。

    [1]ミル ジョン・スチュワート・ミル。一八〇六年生、一八七三年没。イギリスの思想家。父親は政治経済学者として著名なジェイムズ・ミル。父の友人であるベンサムの影響を受け、功利主義の代表的な論者となる。女性解放論者としても著名。私生活では人妻であったハリエット・テイラーとの交友ののち、結婚をした。著作におけるテーマは幅広く、主著は『論理学体系』、『経済学原理』、『自由論』、『功利主義論』、『代理制統治論』、『女性の解放』、『自伝』と多岐にわたる。
    [2]ロールズ  ジョン・ロールズ。一九二一年生、二〇〇二年没。アメリカの学者。二〇世紀中葉以降の政治哲学を代表する人物。一九七一年に出版した『正義論』は、その後の政治哲学を大きく規定している。自由と自由を可能にする分配が主題である。社会的な基本的な財(自由・機会・所得・資産・自尊心の基盤)の分配は、恵まれないひとへの利益にならないかぎり、不平等に分配してはならないとする構想を打ち出したことなどが、大きな論点となった。

    三月x日 注文しておいたロラン・バルト[3]『新しい生のほうへ』が届く。だが、これを注文した理由を忘れてしまった。

    [3]ロラン・バルト 一九一五年生、一九八〇年没。フランスの批評家。劇作家のブレヒトに感銘を受け、フランスにおけるブレヒトを支持する批評家として頭角を現す。世界的に著名となる契機は小説に関する評論によるものでカミュを論じた『零度のエクリチュール』(一九五三)だった。ほかにはフランスを代表する劇作家ラシーヌを以前と異なる手法を多用して論じた『ラシーヌ論』(一九六三)、「作者の死」について触れた『物語の構造分析』(一九六六)、バルザックの小説『サラジーヌ』を過剰に読み込むことで読書体験自体を展開した『S/Z』(一九七〇)などがある。『ラシーヌ論』では、旧来のアカデミズムを代表する学知ピカールと論争を起こしており、新しい批評を鮮明にしたことは強く記憶される。「新しい小説」(ヌーヴォ・ロマン)と呼ばれるフランスの小説を支持し、伴走した批評家でもあった。写真論や映画論、ファッション論も手掛けており、記号学を広めた。しかし根底には、それまで見落とされてきた観客や読者、消費者といった受容者側に対しての観点を強く打ち出すという点が貫かれており、観客に自発性を促す作劇を心がけていたブレヒトからの影響が強く伺える。その死は交通事故による唐突なものだった。

    三月x日  通院。吉祥寺の書店をひととおり巡る。買ったのは以下のとおり。 • 松沢裕作『生きづらい明治社会』 • 青山拓央『分析哲学講義』 • 講談社現代新書『江戸三百年』1~3 • 渡辺慧『認識とパタン』 • 横張誠『侵犯と手袋 「悪の華」裁判』 • 『魯迅案内』 • 『つかこうへいによるつかこうへいの世界』 • 寺山修司・虫明亜呂無『対談 競馬論』 『生きづらい明治社会』[4]は石岡良治[5]さんが推薦されているのを見かけて買ってみた。『侵犯と手袋』は同じ著者の『ボードレール語録』が書名とまったく異なり語録と思えない内容の、奇妙な本で面白く読んだので手にとってみた。『魯迅案内』は竹内好[6]・久野収[7]らの対談が収められていたのが気にかかった。『つかこうへいによるつかこうへいの世界』は例によって買い直し。これで何冊目になるのだろう。何度読んでも『蒲田行進曲』のヤスに柄本明[8]を抜擢するくだりに唸ってしまう。 『対談 競馬論』は書棚から見つからなくなってしまったので、探すより買い直したほうが早いと思ってしまった。そういう買い物。寺山修司[9]も虫明亜呂無[10]も、私より年上のひとまでしか、そんなに読んでいないだろう。読んでいたとしても、なにかを読み落としているのではないか。この二人は変人である。変人の対話というのは、書き起こすひとの実力が試される種類のもので、奇を衒うと、かえって興が削がれる。この本ではそうしたしくじりはあまりなく、ちゃんと面白い。たとえば、次のようなやりとり。

    虫明 どういう疑問ですか? 寺山 競馬は、一頭のドラマではなくて、群衆のドラマだということです。これはきわめて重要なことだ。つまり、競馬の楽しみがローマン主義的になってゆけばゆくほど、それへの反発として、もっとぬきさしならない悲劇の翳がちらちらしはじめる。 (中略)虫明 つまり、言うところのレースの展開とか、ペースの均衡とか、コーナリングにまぎれが生まれて勝敗がきまるということのほうが興味の中心になってしまった。(寺山修司・虫明亜呂無『対談 競馬論』)

     二人の間で会話として成立しているのだから、驚く。

    [4]『生きづらい明治社会』 二〇一八年に岩波書店から岩波ジュニア新書として刊行された書籍。明治維新など開放的な印象が記憶されていることが多い明治時代が、生きるには過酷な時代であったことを地道な検証をもとに示したことが話題となり、二〇一八年度新書大賞の一〇位となった。著者は慶応大学経済学部教授・松澤祐作(一九七六年生)。
    [5]石岡良治 一九七二年生。二〇一八年度より早稲田大学文学学術院准教授。美学・藝術学に関する豊富な知見(ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』の解説は行き届いたものとして知られる)をもとに、サブカルチャー・ハイカルチャーの区別なく論じる。
    [6]竹内好 一九一〇年生、一九七七年没。中国文学者であり、魯迅の代表的な紹介者。東京都立大教授であったが、六〇年安保での国会強行採決への抗議として辞職。一九五〇年代の国民文学論争などでポストコロニアル(アジア・アフリカなどの植民地からの視点)を先駆的に示したことで知られる。
    [7]久野収 一九一〇年生、一九九九年没。評論家。戦後民主主義を支持し、市民概念を広めた。思想の科学社の初代社長。体系だった著作がないことでも知られるが、反面『久野収対話史』(一九八八)のような対話を集めた大冊がある。
    [8]柄本明 一九四八年生。妻は劇団仲間だった角替和枝、息子は柄本佑と柄本時生。佑の伴侶が安藤サクラ、時生の伴侶が入来茉里であり、皆俳優である。一九七六年に劇団東京乾電池を結成。ベンガル・岩松了・高田純次らと活動。当初はアドリブ劇が主だったとされる。のちに岩松了を作家に据えて騒がしい劇だけでなく「静かな演劇」も主導した。フォークシンガーだった高田渡を敬愛していたことでも著名。
    [9]寺山修司 一九三五年生、一九八三年没。歌人、劇作家。演劇集団である天井桟敷を主宰。路上劇が事件になったことや、住居侵入で逮捕されたことでも世間を騒がせた。早稲田大学時代の友人はドラマのシナリオで有名な山田太一。『書を捨て、街へ出よ』で若者を魅了した。彼のもとに集まり世に出たひとは多い。一九七〇年には『あしたのジョー』の力石徹の葬儀委員長を務めるなどサブカルチャーとの縁も深く、竹宮惠子との交流も知られる。大学の短歌会で同席した大橋巨泉が短歌では勝てないと感じ、俳句に転向したことは有名。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」は彼の歌である。この歌が日本に対する愛国歌と安易に捉える読者が多いが、このうたは後に「李康順」という長編叙事詩に組み込まれたように、特定の国家に対する歌ではない(ように寺山が詠みかえた)ことに注意すべきだろう。
    [10]虫明亜呂無 一九二三年生、一九九一年没。「むしあけ・あろむ」と訓む。本名。三島由紀夫より強く信頼をされ、『三島由紀夫文学論集』の編集を依頼される。競馬評論として有名となり、タレント活動などで多忙になったのち、一九八三年に脳梗塞で倒れる。その死について触れたエッセイで小林信彦が自身の仲人であったことを明かしている。

    三月x日 勤務先近くの図書館に足を運んだら、コロナウィルスの感染防止ということで、返却と予約図書の貸し出ししかしなくなっていた。開架資料を目当てにしていたので、とりあえず戻って、インターネットで書籍を予約することにした。
    三月x日 丸善丸の内OAZO店で、安藤礼二[11]推薦図書とポップがあったポ―[12]『ユリイカ』(岩波文庫)を買う。学生時代に『ユリイカ』は目を通した気もするのだが、改めて買ってみると、まったく知らない内容に思える。数年前からプラグマティズム[13]を勉強しているから、ポーの「宇宙」が、ジェイムズ[14]の多元的宇宙論の「宇宙」のようなものとして読めるのが、歳を重ねた証拠か、それとも要らぬ裏読みか。 それにしてもアメリカの書き手というのは不思議だ。時間よりも空間にこだわりを見せる。だから宇宙とかフロンティアといった空間を連想する言葉で考えが表明される。あれはいったいなんなのだろう。

    [11]安藤礼二 一九六七年生。編集者ののち文芸評論家。多摩美術大学芸術人類学研究所所員。『神々の闘争 折口信夫論』から継続して折口信夫に関する研究・評論を執筆している。角川文庫にあった折口信夫の著作が新版として角川ソフィア文庫に収まった際に新版解説を担当している。
    [12]ポ― エドガー・アラン・ポー。一八〇九年生、一八四九年没。アメリカの作家・詩人・評論家・編集者。「モルグ街の殺人」で探偵小説を発明する。「詩の原理」など作詩法に関する考察はのちの詩人たちに大きな影響を与えた。『ユリイカ』は一九四八年に発表された散文詩。
    [13]プラグマティズム アメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースによって名付けられた。実用主義とも訳される。
    [14]ジェイムズ 一八四二年生、一九一〇年没。アメリカの哲学者、心理学者。弟は小説家のヘンリー・ジェイムズ。ベルグソンやヴィトゲンシュタインなど同時代の哲学者にも大きな影響を及ぼした。

    三月x日 植松聖被告に死刑判決が出た[15]。判決前に植松被告が発言したがったそうだが、裁判官から許されなかったそうだ。ニュース記事を追ってみると、マリファナ解禁について語りたかったそうだ。ああ、これでは本当に「マリファナの害について」だな、と思ったが、チェルフィッチュ[16]の初演は二〇〇三年のことだった。もうあれから十五年以上も経過しているのか。時の流れは早い。

    [15] 植松聖 相模原障害者施設殺傷事件の犯人。死刑が確定している。
    [16] チェルフィッチュ 劇作家・岡田利規が一九九七年に結成、主宰している演劇ユニット。代表作である「三月の5日間」(二〇〇四)は岸田國士戯曲賞をもたらした。同時受賞者は宮藤官九郎。

    三月x日 志賀浩二『無限のなかの数学』を読もうとしたが睡魔に襲われ、果たされず。
    三月x日 『評伝ウィリアム・フォークナー』なんて翻訳されていたのか。値段もだが、まず分厚さに圧倒されて、この年度末忙しいだろうから読むこともできないだろうと判断して買うのを諦める。
    三月x日 バーリン選集を取り出す。ゲルツェン[17]について彼が何を書いていたかを思い出したくなった。

     魚類マニアたちは、魚が「生来」飛ぶようにつくられていることを証明しようと努めるかもしれない。しかし、魚は飛ぶようにつくられていない。

    それはそうだろう。

    [17] ゲルツェン 一八一二年生、一八七〇年没。ロシア人。亡命し諸外国で執筆。社会主義革命に強い影響を与えた。

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  • 読書のつづき[二〇二〇年三月前半]| 大見崇晴

    2020-05-13 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく新連載「読書のつづき」。COVID-19の大規模感染がまたたく間に人々の日常を蝕んでいった世界の変貌をよそに、老舗学術出版社の廃業や故・坪内祐三氏ら、逝きしものたちの足跡に思いを馳せる、反時代の本読みがとらえた令和二年の弥生とは──。
    読書のつづき[二〇二〇年三月前半] 大見崇晴
    はじめに
    この連載で書かれるのは私の読書日記めいたものである。「私」は誰かと言うと大見崇晴という人物だ。男性である。独身である。一九七八年の生まれなので今年で齢四十二歳となる。会社員であるが偶に記事を書く。記事の主だったものは読書の感想だ。
    文章を書くことには慣れている。だがほとんどが仕事文だ。それを読まなくては仕事にならないからと決めてかかって読む人に向けて書いている。そうした文章ならではの苦労はある。だが、好き好んで手に取られるような文章ではない。書き手も読み手も仕事と割り切っている。読者の期待を裏切る場合には、仕事の役に立たぬ、実利的でないためだ。遊興娯楽や精神修養、自己啓発といった主体的に読まれる種類の文章ではない。そういう類のものは、もうしばらく書いていない。
    以前は誰に求められるもなく長文を下ろすことがあった。いまでもそうだが私が買ったり読んだりしている本は仕事と関係がないものが全体の九割を占める。当時は読んだものを頭の中に溜めておくのがしんどくなっていたのだ。そうした文章がきっかけで宇野さんとも相知ることになった。宇野さんは干支を一回りしたような人物が現れると思っていたらしい。実際には私と宇野さんは同年齢である。けれども文章が抹香臭かった。若い頃から私は老人になりたがっていた。
    そんな私も不惑を過ぎた。いまだ何事につけても迷ってばかりだが、反面いい加減にして記録に残さなければならないと思うことも多々あった。年下の知人も、兄事する先輩も、この数年に亡くなった。そのひとたちのことを何らかのかたちで記録に残せればと思った。こうした事情であるから、この日記はむかしを思い出しながらのものとなるが、湿っぽいものにはしないように心がけるつもりである。とりあえずは年寄り気取りの繰り言だと思って読んでいただきたい。
    3月x日 寂しい知らせ
     おうふう[1]が廃業したという情報をツイッターで見つけた。母校國學院大學の日本文学・国語学などの教科書を一手に引き受けていたようなかんじだったので、これからどうしたものだろう。昨年の院友会報[2]にも、おうふうの電話番号が掲載されていた記憶があるのだが。複雑な気持ちが入り混じり過ぎて言葉にならない。

    [1] おうふう 旧社名は桜楓社。学術出版社。國學院大學の講義で用いられるテキストを多く出版した。令和の元号を提案した中西進や、折口信夫門下生の書籍を多く手掛けた。Twitterで倒産の報を伝えたのは勤務経験があった、ひつじ書房の創業者松本功。 [2] 院友会報 國學院大學卒業生(院友)たちにも届けられる会報。季刊。

    3月×日 ゼロ年代の神保町
     早々に仕事を切り上げた。帰途、東京丸善本店に寄って「本の雑誌」(二〇二〇年四月号)を買う。坪内祐三追悼号であったからだ。  坪内祐三[3]氏の姿が見える風景とは、ゼロ年代前半の神田神保町のように思われる。私もまた、それを眺め、風景の一部に紛れ込んでいた一人だった。坪内氏以外にも、ちょうど氏と同年代の書き手を多く見かけたのが当時の神保町だった。坪内氏の対談連載のパートナーをつとめた福田和也[4]氏は、コラムで本人が戯画化して文章にしていたように、三省堂本店で編集者を荷物持ちにしてカゴいっぱいに新刊を積み込んで、レジに楽しそうに向かっているのを、よく見かけた。そんな福田氏を見かけることが多かった三省堂四階の人文書コーナーは、宮台由美子[5]さんが担当されていた。書店での頒布物を作り始められたころで、その存在がにわかに知られはじめていた。リオタールの『経験の殺戮』[6]が本店である神保町店にだけ在庫があると知って買いにでかけたら、対応してくださったことを思い出す。開架されていなかったようで、倉庫の奥から探し出されたようだった。  いまもたまに見かけるのが、大塚英志[7]氏で、日本文学専門の古書店で見かけた。両手に古書でいっぱいの紙袋を携えて店から出てくるのに遭遇したこともある。  文壇論壇が崩壊したと言われて久しい[8]が、あのころの神田神保町にはまだそうした気風が残されていた。  坪内祐三氏は、その姿を東京堂書店[9]で多く見かけた。いまはダイソーとなっている場所は、かつて東京堂の支店だった。ふくろう店という名前で、その一角は「紀田順一郎文庫」と名づけられていた。ビブリオマニア(愛書家)として知られる紀田順一郎[10]氏は、当然のことながら古書収集家として著名で、神保町を題材とした小説や随筆も数多くある。そんな紀田氏のコレクションが若干量ながら放出されたのは、二〇〇四年ごろのことだった。  古書の値付けというのは、そう簡単にできるわけではない。といって、難しくもないのだが、勘所を心得ているひとはいるようで、いない。紀田氏は処分をしようとしているのだから、それを第一義とするなら只同然で市場に放出すれば済むことである。道理ではそうである。が、実際には、そうは簡単にはいかない。というか愛書家たるものは、手放す際にチリ紙同然に手放すことはできない。かといって、そのような面倒事を進んで引き請けるひとは、そうはない。  当時、この任に当たっていたと思われるのが、中堅の評論家となっていた坪内祐三氏だった。野坂昭如[11]が解説を寄せた『靖国』ぐらいしか、文庫本になっていなかったころだ。坪内氏が値付けされた本を摑んで、自動ドア近くの一角にある書棚へ本を並べている氏のことを、私は思い出す(これらの経緯は坪内氏の『本日記』という著作に仔細書いてあるそうだが、手元にないので確認できない)。  ちょうど『古くさいぞ私は』か『ストリート・ワイズ』を読んでいたころだったから、文章の整理の見事さに、書き手は手堅くで穏やかなひとだと私は思いこんでいた。実際には、酔漢にからまれて半死半生の目にあったのが「噂の真相」[12]で報じられたから、当時の私は表層的にしか理解していなかったのだろう。激情家としての氏を知らないでいたのだ。だいたい、早稲田を代表する文人である坪内氏を、もっと保守的な大学の出身と誤解していたぐらいだった。そうでもなければ、引退同然の福田恆存と若年の坪内氏が交流を持つことはないだろうという、私の先入観があってのことだったが。
     閑話休題(それはともかく)。
     「本の雑誌」を開いてみると坪内祐三氏の本棚が撮影され掲載されている。保守派論客として知られていたから保田與重郎[13]の全集があるだろうことは予期していたが、それは仕事部屋全体においては、あまり目立たない。それよりもバーリン[14]選集や柳田國男[15]全集が揃っていることが目につく。折口信夫[16]の著作も思っていたより目立つ場所に置かれている。手にとりやすさ重視しての配置なのだろう。  注目するのは山口瞳[17]の『男性自身』の並べ方だ。ソフトカバーで刊行されたものと、文庫になったもの、両方が棚にある。それも目立つところに。  『男性自身 年金老人奮戦日記』などは、つい最近まで参照されていたらしい置かれ方をしていることが写真から見て取れる。棚に戻し切れていないのだ。この本は、山口瞳が「男性自身」でコラム形式を捨て、日記形式を採用した時期のもので、その中でも白眉である。私の部屋にも二冊以上は置いてあるはずだ(ただ、よく手に取る一冊しか見当たらない)。  巷間されるように、雑誌「女性自身」になぞられて名付けられた「男性自身」というコラムのタイトルは、編集者斎藤十一[18]が「週刊新潮」のために決めたもので、山口瞳はこれを嫌っていたという。けれども山口瞳は最晩年には、この連載に集中していた。小説の執筆をほとんどしなくなっていた。この日記形式のコラムを読むと、田島陽子[19]がマスコミを騒がしだしたころや、競馬ブームが再燃したころなどが平成の初頭の出来事であったのだと知らされる。三十年以上に渉って書き続けていた週刊誌コラムを、山口瞳は戦後の生活誌として、一代の事業として取り組んでいたのだろう。柳田國男の『明治大正史世相篇』に似た書物を、平成の生活誌をまとめることを計画していたという坪内氏が愛読していたのも、むべなるかな。

    [3] 坪内祐三 一九五八年五月、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。一九六〇年代まで文壇論壇をリードし、戯曲家であった福田恆存と若い頃に知遇を得る。「東京人」編集者ののち、一九九〇年に評論家に転じる。編集者時代に社長であり、日本の保守文壇のキーパーソンでありつづけた粕谷一希と交流を持つ。編集者辞職後、作家でも批評家でもなく評論家を名乗ることについては、『21世紀 文学の創造 8 批評の創造性』(岩波書店、二〇〇二年二月)に寄稿した「一九七九年のバニシング・ポイント」に詳しい。同年に写真家神蔵美子と結婚。一九九三年から目白学園女子短期大学非常勤講師。一九九六年から「週刊文春」で「文庫本を狙え!」の連載を開始。初の単著『ストリート・ワイズ』(一九九七年四月、晶文社)を刊行。編集は元べ兵連の中川六平。東京外骨語大学(宮武外骨の研究会)などを通じ山口昌男や松田哲夫などと親しくなる。二〇〇〇年九月から編集を担当した筑摩書房の『明治の文学』が配本される。このころ暴漢との喧嘩により重傷を負う。「噂の真相」で、その旨が報じられた。二〇〇一年から早稲田大学非常勤講師。マガジンハウスの文藝誌「鳩よ!」で連載していた『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』で講談社エッセイ賞を受賞。二〇〇三年から「文藝春秋」で「人声天語」の連載を開始。雑誌を何誌も変えながら日記を連載。『酒中日記』(二〇一〇年二月、講談社)は二〇一五年に映画化された。二〇一〇年代に入り、コラムやエッセイといった雑文をまとめた著作よりも、テーマが一貫した作品が増える。二〇〇八年に本の雑誌社が「本の雑誌」にて初代編集長だった椎名誠が編集後記にて倒産間近であることが書かれ話題となったが、その際に雑誌の支援に協力した一人(『書中日記』二〇〇八年十二月の日記題名は「浜本さん百万円までならなんとかするぜ」だ。浜本氏は学生時代に配本部隊の一員となり、現在は「本の雑誌」の発行人となった、本の雑誌社一筋の編集者である)。ラジオでは開店したばかりの代官山蔦屋書店についてキャスターの森本毅郎と意気投合を見せるなど、東京人らしい気の合い方を見せた。政治の党派性を超えて人付き合いをしたところなどは、日本の中道を象徴していた往年の中央公論のごときであった(福田恆存は中央公論社主嶋中鵬二のブレーンであり、編集者として師にあたる粕谷一希は中央公論を代表する編集者の一人だった)。二〇二〇年一月十三日死去。
    [4] 福田和也 一九六〇年十月九日、東京生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。慶應義塾大学教授。文芸批評家。『奇妙な廃墟―フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』(国書刊行会、一九八九年一二月)が第一冊目の単著。一九九三年に三島由紀夫賞を『日本の家郷』(新潮社)で受賞。九〇年代に活動を始めた代表的な批評家だが、雑誌「リトルモア」(Vol.9、一九九九年七月)に掲載された「禅譲1?」と題された対談で、その当時日本文学の代表的な文芸批評家だった柄谷行人から「まあよろしくたのむよ」と後継指名をされる。二〇〇〇年からは三島賞の審査員となる。二〇〇〇年には『作家の値打ち』(飛鳥新社)を著す。点数式の作品批評自体は、中上健次などの前例があり目新しいわけではなかったが、その党派的な記述が、失われたと思われていた「文壇」的な雰囲気を醸し出すものとして、話題となった。二〇〇二年からは「SPA!」にて坪内祐三との対談が連載開始される。二〇〇三年からは扶桑社から文藝誌「en-taxi」を刊行。編集同人となる。他の同人メンバーは坪内祐三、柳美里、リリー・フランキー(のち、柳美里が抜け、重松清が参加)。リリー・フランキー『東京タワー』(扶桑社、二〇〇五年六月)がヒット作となる。二〇一六年ごろに各賞の審査員を辞任。二〇一八年に坪内祐三との対談が連載終了。未完の連載をまとめ、『ヨーロッパの死』(青土社)として刊行。デッド・ケネディーズはアメリカのハードコア・パンクパンド。駆け出しだったころの福田和也は彼らと交流を持っていたと肩書に記していた。福田がパンク右翼を名乗っていた当時は青二才サヨクと呼ばれていた島田雅彦をカウンターパートにした企画が多かった。
    [5] 宮台由美子 三省堂でゼロ年代の書店イベント、小冊子の頒布を多く手掛ける。旧姓佐伯。宮台真司夫人。
    [6] ジャン=フランソワ・リオタール 一九二四年八月一〇日生、一九九八年四月二一日死去。フランスの哲学者。フランクフルト学派からの影響を受けた。「ポストモダン」という言葉を広めた著作『ポスト・モダンの条件』(一九七九)はカナダのケベック州からの委託によって執筆された。
    [7] 大塚英志 一九五八年、東京生まれ。中学生時代に作画グループ(みなもと次郎、聖悠紀などが参加したマンガ家同人)に入会。一九八一年筑波大学卒。教官だった宮田登の助言に従い編集者に就いたと言われる。徳間書店のマンガ雑誌編集、自販機雑誌などの編集を手掛けながら、評論家としての活動でも著名になる。宮崎勤の連続殺人事件への傍聴はライフワークとなった。オタクに関する論争に参加する他、原作を担当した『魍魎戦記MADARA』などで角川書店のマルチメディア事業を推進した。雑誌「新現実」を刊行するなど、二〇〇〇年代に純文学における主要な論争をリード。二〇一〇年代からは学術的な仕事に集中する。二〇一三年から国際日本文化研究センター研究部教授。大映徳間角川と続いた日本映画における呼び屋文化を知る一人。
    [8] 文壇崩壊論 社会学者である日高六郎が文壇が一部の人間にしか開かれていないことを「文壇ギルド」と呼び批判したことを受け、文藝批評家・十返肇が「『文壇』の崩壊」(「中央公論」昭和三十一年一二月号所収)で、すでに文壇というものは崩壊していると反論した。
    [9] 東京堂書店 戦前の出版界を代表する出版社・博文館の小売部門として開業。取次・出版事業にも拡大する。取次部門は第2次世界大戦中に日本出版配給に統合され、戦後GHQにより解体され、東京出版販売(現:トーハン)として出直すことになる。小売部門は東京堂書店として再起することになった。神田すずらん通りにある神田神保町店が旗艦店として知られている。
    [10] 紀田順一郎 一九三五年、神奈川県生まれ。慶応大学在学中に推理小説同好会に参加。同会でメンバー(大伴昌司、草森紳一)ら後にも著名な愛書家たちと交流。商社に勤めながら活発な同人活動を行う。雑誌「幻想と怪奇」に荒俣宏らと関わる。伝説の雑誌とされたが今年二〇二〇年に復活。評論活動だけでなく推理小説家としての仕事も著名。大衆小説の戦後の代表的な研究者でもあり、『蔵書一代』には資料の散逸を嘆く学究ならではの苦難が綴られている。
    [11] 野坂昭如 一九三〇年生、二〇一五年没。戦後を代表する作詞家、放送作家。また作家でもあった。作詞家としての仕事は「おもちゃのチャチャチャ」など。映像化された小説『火垂るの墓』はあまりにも著名だが、映像と小説における文体とかかけ離れていることが知られる。野坂は江戸戯作から織田作之助に通じる饒舌体の文体で知られていたが、アニメで監督を担当した高畑勲は東大仏文科出身であり、エリュアールの訳詩集を刊行する詩情を持っていたことが大きいと思われる。現在では死語となったコマソン(コマーシャル・ソングの略)での活躍はハトヤホテルの作詞などでも知られるが、本人が歌手として登場したサントリーのCM(「ソ・ソ・ソクラテス」)が映像で見ていた世代には鮮明だろう。文筆活動で認められる際には三島由紀夫からの評価が高かったことに始まるが、それらについては著書『文壇』(二〇〇二年、文藝春秋)に詳しい。タレント活動も含め、ある種の絶頂期に見えた一九七〇年代に松田哲夫が手がけた雑誌「終末から」(一九七三~一九七四、筑摩書房)に論評を寄稿。一九八三年にはロッキード事件で逮捕されたものの選挙に立候補した田中角栄の対抗馬として新潟選挙区に立候補し落選。二〇〇〇年代前半までは旺盛の活動を継続し、クレイジー・ケン・バンドを率いたライブも行った。二〇〇三年に脳梗塞で倒れる。盟友である永六輔とは三木鶏郎門下の構成作家として働いていたころからの仲であり、病床の野坂の口述筆記したコラムは永六輔のラジオでたびたび読み上げられていた。自称していた焼け跡派らしい活動を生涯止まなかった。
    [12]「噂の真相」 岡留安則を発行人とした雑誌。前身となる「マスコミ評論」から離脱する形で「噂の真相」を創刊。作家としてだけでなくトップ屋(一面記事になるスクープ記事を記者)として知られていた梶山季之の雑誌「噂」(一九七一~一九七四)を想起させる雑誌名だが、作家の遊び場が銀座を中心とした梶山世代と対立するように、ゴールデン街にたむろした世代を象徴するような雑誌となった(後年、雑誌の裏表紙にテキストエディタソフト「Vzエディタ」の広告が掲載されていたが、広告には馳星周などゴールデン街と雑誌に馴染み深い人物が起用されていた)。マスコミの評論誌としてはマガジンハウスから発行されていた「ダカーポ」(一九八一~二〇〇七)が他にあり、書き手も一部重複していた。九〇年代後半ごろから、文藝誌における評論がテクニカルな方向へ進んだ中、従来どおりの文壇動向を伝える媒体が「ウワサの真相」一誌に集約化されたことを背景に、「噂の真相」までが文藝批評の範囲だという議論がなされたこともある。スクープ記事に対する訴訟が嵩んでいたが、発行部数が十万部を切らぬうちに終刊。
    [13] 保田與重郎 一九一〇(明治四三)年四月二三日生まれ、一九八一(昭和五六)年一〇月四日死去。奈良生まれ。東大美学科。中国文学研究者の竹内好と高校時代の同級生。在学中より「コギト」、「日本浪漫派」などの同人に参加。「近代の終焉」など、シュペングラー『西洋の没落』(一九一八)などヨーロッパの相対的な地位低下を踏まえた評論を著した。農本主義的な田舎の牧歌的な生活を肯定する文章が多い。しかし至って近代的な価値観に立ち、阿部次郎『三太郎の日記』などの大正教養主義を土台にしていたことは今日知られるところである。隠者の生活を評価しながらも、自身は工業化され資本経済が行き渡った社会に根ざした生活だったことは今日問われるべきであろう。一九四八年に公職追放。回想には同志が離脱したことが少なからず綴られている点が着目される。戦後の彼に同調する反動的な読者には、保田が主宰した雑誌「浪漫」の投稿者であった富岡幸一郎などがいる。「日本人のやることとは思われない」といったニュアンスの文章で持って外国人へのヘイトスピーチ的な文章を多く書いたこともあり、政治的なレトリックを真に受けることが多い人達には全くもって薦められない。レトリカルかつ若者を惹きつけた文章を知るなら中河与一『天の夕顔』(新潮文庫)の解説文だろう。
    [14] アイザイア・バーリン 一九〇九年ラトビア生、一九九七年没。二〇世紀を代表する政治哲学者とされることもあるが、思想史家である。その文章はエッセイに近いものであり、理論家というよりはカーライルやマコーレー、メーストルシラー、ゲルツェンといった「長い一九世紀」(ホブズボーム)を継承した語り部のようである。理論においてはジョン・L・オースティンら日常言語学派に親しんだ。また、観念史学派を形成したアーサー・O・ラブジョイに近く、"Dictionary of the History of Ideas"(邦訳:平凡社『西洋思想大事典』)の編集委員を務めた。
    [15] 柳田國男 一八七五年兵庫県生、一九六二年没。日本における民俗学の開祖。島崎藤村ら自然文学者と交流し、文壇などで名前が知られるようになるが、官僚としての道に進む。『遠野物語』、『蝸牛考』、『明治大正世相史』などで知られる。弟子に折口信夫がおり、彼が死去した際には國學院大學での講義を代理で引き受けた。
    [16] 折口信夫 一八八六年大阪生、一九五三年没。民俗学者・日本文学者。詩人としては釈迢空として知られる。歌人であり彼の弟子は歌会始撰者を務めた岡野弘彦がいる。他にも五博士と彼が名付けた弟子、ラジオやテレビの黎明期に活躍した作家・伊馬春部などが門人にいた。若い頃にコカインを使用したことや、ゲイセクシャリティであることが、彼の死後に文学的な題材として取り扱われることも多い。小説は寡作ながら『死者の書』、『身毒丸』といった翻案されることが多い作品がある。
    [17] 山口瞳 一九二六年東京生、一九九五年没。國學院大學卒。卒論の題材は森鴎外。一時期早稲田大学院中退を肩書にしていたが、院友からの批判があり、現在では「國學院大學卒」と履歴に記されることが多い。若年の鎌倉在住期に川端康成の知遇を得る。編集者として職に就くが失業していたころに、広告部にありながら文筆稼業に慌ただしくなっていた開高健の穴埋めとして請われる形で寿屋(現:サントリー)に入社。トリスのキャッチコピーを担当する。のちに毎年四月ごろにサントリーが打つ「新入社員諸君へ」という広告の文章を山口が担当したのは、こうした所以による。一九六三年に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。川端康成にして芥川賞でも受賞ができたと評し、三島由紀夫ら戦中派を感涙せしめた小説だった。一九六三年から死ぬ直前まで「週刊新潮」でコラム「男性自身」を執筆。今日では「男性自身」は高度成長期から平成までを辿る生活誌として知られている。
    [18] 斎藤十一 一九一四年北海道生、二〇〇〇年没。戦後日本を代表する編集者。新潮社社主・佐藤亮一の右腕として辣腕をふるい、「新潮」、「週刊新潮」、「FOCUS」、「新潮45+」といった雑誌の立ち上げに関わる。「新潮社の天皇」と呼ばれるほどだったが、TBSテレビ「ブロードキャスター」の番組後半に自身の映像が流れた翌日に死去。
    [19] 田島陽子 一九四一年岡山生。日本を代表するフェミニスト。一九八〇年代後半からのテレビ出演で著名となり、二〇〇一年から二〇〇三年までの期間は参議院議員となった(所属政党は社民党)。メディアへの露出が多く、フェミニストとして矢面に立つことがしばしばだったが、二〇一九年には雑誌「エトセトラ」(Vol.2)で特集されたこともあり、近年再評価されている。

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  • 大見崇晴「イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫」特別編 『騎士団長殺し』 その白々しい語りについて【不定期連載】

    2017-03-17 07:00  
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    サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家としても活動している、大見崇晴さんの「イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫」。今回は特別編として、2017年2月24日に発売された『騎士団長殺し』の書評を寄せていただきました。村上春樹は何故「白々しい語り 」を必要としているのか。春樹への批評や、春樹自身の他作品からの引用を踏まえながら、話題の最新刊に鋭く切り込みます。

     2017年2月17日に、村上春樹の新刊タイトルが『騎士団長殺し』と知ったとき、旧来からの読者はため息をついた。そのタイトルからモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』であることが察せられたからだ。
     『ドン・ジョヴァンニ』では主役ドン・ジョヴァンニが女たらしで様々な女性と関係を持ち、剣捌きにも優れ、騎士団長を殺したほどでもある。そして彼は、石像となった騎士団長に地獄に引きずり込まれる。
     こういった筋立ては、しばしば揶揄される村上春樹作品の特徴そのものである。幾人かの女性と関係を持ち、地獄を巡り、眠りにつくことで小説が閉じられる。だから、『騎士団長殺し』というタイトルから、自己の作品に対して作者自身が言及している、いかにも村上春樹らしい、白々しい小説だと予想されたのだ。
     実際に、『騎士団長殺し』という小説は白々しい小説なのだ。屋根裏に隠された「騎士団長殺し」と名付けられた日本画を眺め、「それから私ははっと思い出した。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』だ」と語り手が呟いている小説なのだ。
     この白々しい語りを村上春樹は何故必要としているのか。その解答は簡単なものだ。連載では以前説明したが、村上春樹の小説とは、「自己療養」のために「心理学」を土台にした比喩が用いられ、それらのみでは単調で短編小説にしかならない作品を引き伸ばすために「商品カタログを盛り込んで水増しさせた小説」なのである。その手口を自ら「騎士団長殺し」というタイトルで以って明かしたのである。
     では何故、村上春樹は手品師が廃業手前でするように、手口を明かしてしまったのだろうか。この理由は「自己療養」のために「心理学」で小説を執筆してきたため、既存の作品についての記憶も振り返る必要が出てきたためだ。本作では明らかに過去の作品を意識させる表現が多く盛り込まれている。
     作品冒頭で主人公夫婦が離婚危機にあるのは『ねじまき鳥クロニクル』を模したものだ。作中のキーパーソンとなる免色渉(メンシキ・ワタル)は、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のことを意味している。「あれではとてもイルカにはなれない」という章タイトルは『羊をめぐる冒険』(いるかホテルが登場する)を意識したものだろう。主人公の年齢が36歳に設定されているのは、作中で地下を潜るという表現を最初に活用した長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を発表した年齢であり、この小説でも地下めぐりは行われる。ジョージ・オーウェルの『1984』についても言及がある。それどころか「風の音に耳を澄ませて」というデビュー作『風の歌を聴け』を想像させるフレーズが会話に散りばめられる。『ねじまき鳥クロニクル』で取り扱われたノモンハン事件は、南京虐殺に置き換えられ、以前は「井戸」(=イド、無意識といった個人的なもの)として語られていたものが、「(忘却の)穴」(集団による暴力的なもの)といった思想家ハンナ・アーレントを想起させるように改善がなされている。
     そのような常連さん向けの接待にしか思えない部分が多いとはいえ、『騎士団長殺し』は、村上春樹にとっては久々のヒットといえる小説だ。この小説は過去のテーマを総ざらいしたところがある。また、いままで深掘りしてこなかったテーマをようやく取り扱ったという新味がある。死と老いである。
     「死と老い」というテーマについては、のちほど語ることとして、ひとまず従来から幾つかある村上春樹のテーマにおいて、本作に重く取り扱われるているものを取り扱うこととしよう。
     第一部「顯れるイデア編」、第二部「遷ろうメタファー編」といった部のタイトルにもなっているように、創作について問題意識がある。画家という作者とクリエーターという共通点を持っている主人公が、クリエイトすることについての問題意識とテクニックが比喩を用いて物語として紡がれる。
     小説中登場する「騎士団長」なるキャラクターは、自分のことを「イデア」と名乗る。騎士団長は作中の登場人物・雨田具彦の日本画「騎士団長殺し」に描かれた飛び出したキャラクターである。このキャラクターとの対話で主人公である「私」は次のように語る。

    「ぼくが思うに」と私は言った。「イデアは他者の認識そのものをエネルギー源として存在している」
    「そのとおり」と騎士団長は言った。そして何度か肯いた。「なかなかわかりがよろしい。イデアは他者の認識なしに存在し得ないものであり、同時に他者の認識をエネルギーとして存在するものであるのだ」
    (第二部p.119)

     ここから読み取れるのは、村上春樹の芸術観である。イデアとは芸術作品の言い換えであって、作品は他者に認識されることで作品として存在し得るというのが村上春樹の芸術観なのである。

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  • 大見崇晴「イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫」第9回 『風の歌を聴け』について 複製とその起源【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.771 ☆

    2017-01-17 07:00  
    550pt

    大見崇晴「イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫」第9回 『風の歌を聴け』について 複製とその起源【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2017.1.17 vol.771
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載「イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫」第9回をお届けします。ヴォネガットやブローティガンといったアメリカ文学の〈借用〉からなる村上春樹の作品。デビュー作『風の歌を聴け』を参照しながら、そのメタフィクショナルな手法が構築した「自己複製の起源」について論じます。
    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
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    前回:大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回 あなたが純文学作家になりたいならば――ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』と『2666』を中心として

     本論では可能な限り、村上春樹の処女作『風の歌を聴け』(一九七九)に関わる内容に留める。このような断りが村上春樹の作品を論じる際には求められがちになる。かつて批評家、中村光夫が断じたように戦後日本文学においては需要に応えるべく作品を生産するために、自己模倣を繰り返す傾向が見られた。
     だが、そのことを差し引いても村上春樹の自己模倣は甚だしい。いや、むしろ自己模倣というよりも、村上春樹作品は、自己複製の反復の結果、巨大に増殖したひとつの連続体のようにも読める。多くの読み手(批評家、研究者たち)は、そのような読みの誘惑に抗えずに来た。たとえば、村上春樹研究書としては最もポピュラーなものといえる加藤典洋『村上春樹イエローページ』(荒地出版社、のちに幻冬舎文庫)においては、登場人物のひとり「鼠」からそう呼ばれることもある「鼠三部作」(処女作の他には、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』)との関連性を読み解こうとしている。おそらく加藤典洋の読み方がオーソドックスなものと思われるが、本論では敢えてこのような観点による読みを断念したい。そのことによって、毎年ノーベル賞候補に取り上げられることで、今日では作家として自明な存在になった村上春樹と処女作に対して忘れかけていた疑問を浮かび上がらせることになる。
     すなわち、「自己複製する作家である村上春樹は、処女作において何を複製したのか」、という疑問である。
     二十一世紀においては、村上春樹が登場した時の鮮烈さ――それが二〇〇〇年ごろにおいても、国語教科書が掲載している小説と断絶が感じられるほど――だったことは、最早伝わりづらいかもしれない。ひとまず、主要な芥川賞作家たちを取り上げることで鮮烈さを感じる所以となる停滞を説明しておこう。
     一九五五年、石原慎太郎の『太陽の季節』が発表され、一躍流行する。これに追うように一九五八年に開高健、大江健三郎が芥川賞を受賞し、二十代の作家たちが活躍する。彼らはスターとして扱われた。このことは新人賞として設けられながら、創設間もないころに尾崎一雄が四〇代で受賞するなどして、その意義が曖昧だった芥川賞が、文字通りの「新人賞」として機能していた時期にあたる。文芸時評を多く担当し、戦後日本文学のペースメーカーとして機能した批評家・平野謙はこの時期を次のように振り返る。

     戦後、第一次戦後派とか「第三の新人」の名のもとに、おおくの新人が輩出して、なかでも石原慎太郎の登場は、戦後文学史の上でも注目すべき「事件」のひとつだった。いわば純粋戦後派ともよぶべき文学世代がここに登場したことになる。開高健・大江健三郎は石原慎太郎につづく純粋戦後派の新鋭にほかならなかった。
    (平野謙『平野謙全集 第九巻』所収「開高健・大江健三郎」)

     こうした傾向は、一九六〇年代までは継続されたが、一九七〇年代になると歩留まりする。一九七〇年代は明らかに前進よりも停滞である。具体的な作家名を取り上げると、森敦のような戦前から文壇居住者といえる人物から、戦後派に近い古山高麗雄、戦中に小学生であった所謂「焼跡派」である日野啓三、林京子といった第二次世界大戦を体験した世代が多く受賞している。
     戦後生まれの受賞は知られているように、一九七五年の中上健次「岬」に始まる。とはいえ、その文体は大江健三郎や自然主義小説に影響を受けたものであり、小説に親しみを持たない読者にはひと目で分かる新しさではなかった。清新さを持って受け止められたのは翌一九七六年の村上龍『限りなく透明に近いブルー』である。アメリカ文化(ドラッグ・カルチャーなど)を素材に盛り込んだことも清新さの一因であった。さらに翌一九七七年に、村上春樹の同級生にあたる三田誠広が、一九六〇年代末の早稲田大学の学生闘争を題材にした『僕って何』で受賞している。
     一九七九年に村上春樹が『風の歌を聴け』で登場したのは、こうした閉塞感からの脱出が伺えた時機であり、その素材として一九六〇年代以降のカウンター・カルチャー(およびポップ・カルチャー)が見出されつつあったと言える。突破口を開いたとも言える村上春樹について、坪内祐三は以下のように回想する。

     同時代の中でうすうすとそう感じていながら、あとから振り返ってそれを断定的に語ることのできる事象がある。
     たとえば一九七九年に文章表現の世界で一つのパラダイム・チェンジが起きたこと。
     当時、私は、大学二年の若者だった。
     (中略)
     村上春樹の小説言語、沢木耕太郎のノンフィクション言語、椎名誠のエッセイ言語、それらに共通しているのは、それぞれに、そのジャンルの言語表現を強く意識化していたことだ。つまり村上春樹の小説はメタ・フィクションであり、沢木耕太郎のノンフィクションはメタ・ノンフィクションであり、椎名誠のエッセイはメタ・エッセイだった。
    (坪内祐三「一九七九年のバニシング・ポイント」)


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  • 大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回 あなたが純文学作家になりたいならば——ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』と『2666』を中心として【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.755 ☆

    2016-12-16 07:00  
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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回 あなたが純文学作家になりたいならば――ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』と『2666』を中心として【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.16 vol.755
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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第8回をお届けします。近年注目を集めているラテンアメリカ文学の代表的作家ロベルト・ボラーニョ。その代表作『野生の探偵たち』『2666』における、ひたすら間延びしていく記述と有名作品のパロディから、村上春樹との共通項を見出していきます。
    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
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    前回:大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)

     二〇〇九年ごろ、ラテンアメリカ文学の歴史を変えた小説家として、ロベルト・ボラーニョの名前が日本でも喧伝されはじめた。その噂はボラーニョ最後の著作となる『2666』の英訳が全米批評家協会賞を受賞したことがきっかけだった。まず、短編集の『通話』が翻訳され、次いで大作として前評判が高かった『野生の探偵たち』が二〇一〇年に翻訳された。
     『野生の探偵たち』の翻訳は、それまで土着的な、それでいて幻想的な世界を表現していると――それは近代的な表現である小説に、前近代的な世界観を織り込むという矛盾を含む表現方法であるのだが――思われてきたラテンアメリカ文学の印象を一新させた。小説に登場するのはラテンアメリカの文壇だ。小説中の前衛詩人をめぐって五十三人のインタビューが収録されている。インタビューされた人物にはノーベル文学賞を受賞した詩人オクタビオ・パスの秘書もいる。描かれるのはラテンアメリカの土着的な風景ではなく、都市生活者である詩人や作家たちの楽屋裏である。
     近年、紹介者として八面六臂の活躍をしている寺尾隆吉が『ラテンアメリカ文学入門』で説明するところによれば、ボラーニョ登場の直前は回想録(そこには「大御所作家の友人という特権を頼みに私生活を切り売りしたような」ものが混ざっていたという)が氾濫する状態であり、閉塞感があったようである。寺尾によれば『野生の探偵たち』は「批評界から高い評価を受けたほか、販売面でも好成績を収め、作家の道を模索する新世代の純文学作家たちにとって道標」になったという。
     ところで筆者は、翻訳されて間もない『野生の探偵たち』を読んで鼻白んだ。この小説は数十頁で収まる内容を邦訳にして八百頁程度に引き伸ばしたものだったからである。だが、翻訳当初は訳者である柳原孝敦が「めっぽう面白くて紛れもない傑作なのだけれど、何しろ長くて難解なこの小説」と「訳者あとがき」に記しているように、ボラーニョは前衛的な、それも難解な小説家と思われていた。しかし、これは途方もない誤解であると筆者は断じる。ボラーニョの小説は難解なのではなく、ただひたすら頁数を消費しており、読者が読み解こうとする苦労が報われない――読み解こうとした所で謎がないためだ――小説であり、その報われ無さを難解さとして納得しようとする読者に向けた小説なのである。
     つまるところ、それは難解さを装った書物であり、頁を捲るという肉体労働を続けるだけで、難解さと対峙したと誤解できる書物なのである。そのような小説を求める読者とは難解を受容している自分に酔いしれるために書物を消費しようとしている読者である。
     この悪質な作者と読者の結託による構造的な欠陥を持った小説がボラーニョ文学の特徴と言える。日本の海外文学におけるボラーニョの紹介は、そのような構造欠陥を知って知らぬかのようになされたと言えよう。
     たとえば、三島賞作家小野正嗣と英米文学者である越川芳明との対談は、ある意味では欺瞞に満ちたものと言える。

    小野 ストーリーが明確な構造を持っていて、透明に意味が伝わってくるものを好むようです。スピードと透明さに価値を置く読者が明らかに増えていて、小説を「享受」というより「消費」している。でも小説は「言葉でできた芸術作品」ですから、「そういう読み方ってまずいんじゃないか」って思っている読者も実はけっこういると思うんです。だから、そうした人たちは、あっという間に消費される作品とは対極にある『2666』のような作品を待ち望んでいて、いまこの本を読みながら、わからないものに時間をかけて取り組む喜びを感じているのではないでしょうか。もちろん、わからないって言っても、決して難解なわけではないですから。読み手にある程度の負荷をかけてくる作品を、読者もどこかで希求しているんじゃないでしょうか。
     そうは思うのですが、おそらくこの小説を本屋で見て手に取る人は、やっぱり一般的な読者の方ではないですよね。
    越川 村上春樹が好きな人は手に取らないよね。
    (「この小説は「砂漠」だ」)


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  • 大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.738 ☆

    2016-11-22 07:00  
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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(後編)【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.22 vol.738
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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回の後編をお届けします。
    あまりに有名な三島由紀夫の最期、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺に目論まれたパフォーマンス的な意図とは。遺作『豊穣の海』の虚無的な結末や、晩年の異常ともいえる切腹への執着から、三島の「死とエロティシズム」の思想を明らかにします。

    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
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    前回:大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(前編)

     ここで一旦、これまでの議論を振り返ることとしよう。
     三島由紀夫はノーベル賞を逃して以降、強烈に(俗流的な解釈ではあるが)バタイユに惹かれていた。その結果として禁止の設定とその違犯を骨格に据えた作品を多く生むことになる(本人がインタビューで明言したものとしては、日本演劇史屈指の名作とされる「サド侯爵夫人」がある)。
     『豊饒の海』四部作もまた、同様に禁止と違犯を確認し続ける物語である。主人公がおり、禁止を犯しては死に至るが転生し、それを本多繁邦なる人物が観察し続けることで成立する奇妙なクロニクルであるのだ。違犯するものは時代ごとによって異なる。明治末を描いた第一部『春の雪』は、宮家(天皇家)への違犯である。昭和初期を描いた第二部『奔馬』は体制への違犯(血盟団事件や二・二六事件を連想させる)である。戦中から戦後まもなくの日本を描かず、なぜかタイに舞台を移すのだが、第三部『暁の寺』は同性愛という当時における禁止(この場合は女性同士)が描かれる。この第三部は明確に歪な作品であり、小説の半分が継続されてきた転生物語なのだが、もう半分は作者・三島にとっての仏教観として読めるものなのだ。
     のちに「小説とは何か」の中で第三部に触れて「私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかつた。それは私にとつての貴重な現実であり人生であつた筈だ。しかしこの第三巻に携はつてゐた一年八ヶ月は、小休止と共に、二種の現実の対立・緊張の関係を失ひ、一方は作品に、一方は紙屑になつた」と述べ、「最終巻が残つてゐる。『この小説がすんだら』といふ言葉は、今の私にとつて最大のタブーだ。この小説が終つたあとの世界を、私は考へることができないからであり、その世界を想像することがイヤでもあり怖ろしい」と三島自ら禁止を自己演出してみせる。この場合実行される違犯は明らかに自殺である。その口吻とは裏腹に三島由紀夫は第三部の完了とともに、自刃に向けて猛スピードで準備を整えていく。
     そして第四部である。描かれるのは作品と同時代の昭和四十五(一九七〇)年である。ここでは禁止は描かれない。ただ、これまで延々と観察されてきた転生物語が、観察者・本多の単なる妄想に過ぎないという荒廃した結末だけが待っている。転生者を名乗る「透」なる青年も本多の資産目当ての狡っ辛い人物として描かれ、物語には救いはない。あたかも、これまで執拗にも反復されてきた禁止と違犯の物語が徒労であったかのように、スカスカな終焉を向かえる。
     かのように、見える。しかし、『天人五衰』という小説の末尾には下記年月日が記されている。

    「豊饒の海」完。
    昭和四十五年十一月二十五日

     この一点において三島は虚構である『豊饒の海』と現実の行動とを切り結ぶ。この日付が記されたその日に、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地に森田必勝ら楯の会を引き連れ、人生最後の日を迎えるのだ。現実を虚構が侵食しだす。違犯が実現するとすれば、現実においてないというわけだ。
     ところで、三島由紀夫は中村光夫との対談で行動について次のようにやり取りをしている。

    三島 しかし文学者は、生きていて自分の作品行動自体を行動化しようというのは無理だね。ぼくはそういうことをずいぶんいろいろ試みてみたけれど、ただ漫画になるばかりで、何をやってもだめですよ。
    中村 そういうことはないでしょう。
    三島 というのは、生きている文学者が自分の作品行動と自分の何かほかの行動とが同じ根から出ているのだということを証明することがとてもむずかしい。(中略)それを証明しようと思って躍起になればなるほど漫画になるのはわかっているけれど、死ねばそれがピタッと合う。自分で証明する必要はない。世間がちゃんと辻褄を合わせてくれる。
    (『人間と文学』所収「行動と作品の『根』」)

     三島自身が語る悪戦苦闘ぶりからもわかるとおり、『天人五衰』の末尾に記された日付とは「行動と作品」を世間が辻褄を合わせる最後の一手なのである。この日付があるだけで、のちに鳥肌実や後藤輝樹によってパロディされてきたパフォーマンスを記憶に残せたのである。

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  • 大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(前編)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.703 ☆

    2016-10-04 07:00  
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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第7回 三島の終焉 その美的追求によるパフォーマンス原理(前編)【不定期連載】
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    2016.10.4 vol.703
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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第6回をお届けします。
    多彩な分野で才能を発揮しながら、実は長編作家としての評価は必ずしも高くない三島由紀夫。そこには〈人物〉よりも〈風景〉に他者性を認める特殊な資質があり、その限界を乗り越えようと晩年の彼が挑んだのは、自らの生の神話化と、日本的な官能美の追求でした。

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    前回:大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』補論 記号と階級意識(後編)【不定期連載】

     「劇作家としては一流、批評家としては二流、作家としては三流」。
     これが純文学プロパーの間で紋切り型の符牒がごとく伝わっている三島由紀夫に対する評言である。後輩世代の作家、特に「若い日本の会」のメンバーたちに共有された三島評価であった。ある意味で後発世代なりに三島を追い落としに掛かった表現と言えるのだろう。
     たとえば、「三島由紀夫と天皇」について語らないできたと『物語から遠く離れて』の小冊子に収録されたインタビューで答える批評家(にして三島賞作家!)・蓮實重彦は、ほぼ同年代ではあるが四歳ほど年長の批評家・江藤淳に「まァ三島由紀夫の小説は、江藤さんの初期批評以来あまり買っていらっしゃらないということはわかるんですけれども、(笑)でも彼の出現なんていうのは、戦前的なものの残照的でしょうかね」と話に水を向ける。

    ……結局、三島さんは、戯曲家としてもっとも優れ、短編作家としてとしてこれに次、長篇作家としては非常に辛い道を歩んだでのはないか。ところが人間というのはむずかしいもので、あの人はやはり、本格的な小説家として自分を登録してもらいたかったから、最期に無理をして四部作を……。あれはちょっと悲惨だったなァと思いますよ。(中略)要するに、短編を無限にに引きのばすというかたちでしか長編小説を書けないという感受性はどうしようもないですね。
    (江藤淳・蓮實重彦『オールドファッション』)

     江藤淳の述懐は、自身が三島由紀夫の欠点を真正面から指摘した評論「三島由紀夫の家」に対して、その誠実さを讃えた三島からの返礼があったことを思い出しながらのものだ。
     かように好意的な記憶とともに引き出されながらも、なお否定的に評価される三島の(長篇)小説は、如何なる欠点を持っていたのか。結論を先取すると、三島由紀夫という作家は小説というジャンルに対して、決定的な見当違いをしているのだ。特に小説中のリアリズムについて大きな見当違いをしている。
     さらに先取して述べるなら、三島由紀夫という作家はリアリズムについて決定的な見当違いをしたために、「本格的な小説家」に登録することは叶わなかったし、鬼面人を驚かす右翼的作家への変貌を見せるのである。しかし、三島由紀夫の素顔は――仮面は愛国的な作家というところだろうが――それどころか三島由紀夫の死には、国体の護持との関連は殆ど無い。天皇にすら実際のところ関心はない。垣間見えるのは同性愛への関心とそれに密接に関連している美に関する傾向だ。
     さて、ひとまずはリアリズムにおける三島の見当違いを明らかにすべきであろう。この見当違いについては、またしても彼自身が手の内を明かしている(!)。われわれは三島由紀夫のアリバイとも言える随筆「わが創作作法」にあたるべきだろう。この随筆の中で三島は四つの方法が重要だと述べている。「主題の発見」、「環境を研究すること」、「構成を立てること」、そして、最期に必要なこととして、評論よりも堅苦しくない随筆にふさわしく「書きはじめること」の重要さを読者に説く。いかにも随筆らしい落ちと言えるだろう。ところで、三島は随筆中で「本格的な小説家」にはふさわしくない記述を幾つか犯している。特に、第二の方法である「環境を研究すること」には三島という作家の才能を制限する習慣が存在していたことを無意識的に明かしている。おそらくは、そこに多くの読者も何かしらの言いようのない、誤りが認められることだろう。三島という作家の限界が露呈するのは例えば下記のような文章である。

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  • 大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』補論 記号と階級意識(後編)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.688 ☆

    2016-09-13 07:00  
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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』補論 記号と階級意識(後編)【不定期連載】
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    2016.9.13 vol.688
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    永山則夫から加藤智大に至るまで、現代の無差別殺人の特徴は、そのあまりの「凡庸さ」にあります。昭和から平成まで断続的に発生している「メッセージなき犯罪」。その根底にある、コミュニケーションの不全性について論じます。
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    前回:大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』補論 記号と階級意識 〜消費・要請・演技・自意識・幸福・アルゴリズム〜【不定期連載】

    3.演技と消費
     消費社会が訪れたことを、若者批判を介して明らかにしようとしていた人物がいる。その人物もまた、寺山修司だった。
     当時すでに『書を捨てよ、町へ出よう』や『ドキュメンタリー家出』などで知られていた寺山修司は、若者たちの「自立」や「反抗」を代弁する人物に思われがちだ。しかし、よく読めば彼は一貫して新左翼によるテロリズムに対して疑いを持ち続けていた。社会主義・共産主義の激戦地域だったベトナムに向かわず、アラブや北朝鮮に亡命していった日本赤軍派の宣伝主義的な疚しさを寺山修司は視界に収めている。若者たちは自己実現のために反抗的な若者を演じ、それにふさわしい舞台を探しているのではあるまいか? 寺山修司の評論は当時の若者たちが抱えていた疚しさを見逃さない。引用魔として知られた寺山は経済学者ヴェブレンの言を引いて論じる。

     (略)爆弾を投げて戦死した奥平剛士の死は、政治的にだけ解明しようとしても解明できるものではない。彼には、表現したい願望があり、それが彼の参加の理由でもあった。「もはや消費が自己顕示の手段として有効ではありえない時代では、あとはじぶんの命を浪費することによって自己顕示する手段がのこされる」(ベブレン「有閑階級の理論」)。

     日本赤軍は自己顕示のために自らの命を浪費した部分が存在すると、寺山は分析する。つまり、日本赤軍に属した奥平の死に、政治によって社会を変革する以外のことが強く存在すると看る。寺山は自死も厭わぬテロに消費主義を見出す。「持つこと」、所有のための対価を支払うことを超えた消費である。言うなれば、何者かを演技するために必要な衣裳の所有することをも超越した消費主義である。消費の対象は自らの生命に達する。そこにあるのは、演技の果てに、依頼もなく死地に向かう人間である。永山と同時代に、階級や階層を無くそうとした(共産主義に熱中した)若者の末路には、こうした消費主義の極限が待ち受けていた。
     顧みれば、これほどまでに消費に飽き足らなかった若者たちが、消費のない世界を思い描いて行動することでしか、消費というエクスタシーの享受が不可能だったのが、昭和元禄(一九六四)と呼ばれた高度成長期を迎えた日本だったのである。

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