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テレビドラマ定点観測室 2015 Spring〜『問題のあるレストラン』『デート』『ゴーストライター』から『心がポキっとね』『医師たちの恋愛事情』まで〜/岡室美奈子×古崎康成×成馬零一×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.327 ☆
2015-05-21 07:00220pt※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
テレビドラマ定点観測室 2015 Spring〜『問題のあるレストラン』『デート』『ゴーストライター』から『心がポキっとね』『医師たちの恋愛事情』まで〜岡室美奈子×古崎康成×成馬零一×宇野常寛
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.5.20 vol.327
http://wakusei2nd.com
テレビドラマファンの皆様、お待たせいたしました――。1クールに一度、ドラマシーンを振り返る好評連載「テレビドラマ定点観測室」。前クールの話題作『問題のあるレストラン』や『デート』『ゴーストライター』『山田孝之の東京都北区赤羽』の総括から、今クールの注目作『心がポキっとね』『医師たちの恋愛事情』への期待、そして『まれ』『花燃ゆ』の展望まで、3万字の大ボリュームでお届けします!
これまでの「テレビドラマ定点観測室」記事はこちらのリンクから。
▼座談会出席者プロフィール
岡室美奈子(おかむろ・みなこ)
早稲田大学演劇博物館館長、早稲田大学文学学術院教授。芸術学博士。専門は、テレビドラマ論、現代演劇論、サミュエル・ベケット論。共著書に『ドラマと方言の新しい関係――「カーネーション」から「八重の桜」、そして「あまちゃん」へ』(2014年)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』(2012年)、『六〇年代演劇再考』(2012年)など。
古崎康成(ふるさき・やすなり)
テレビドラマ研究家。1997年からWEB上でサイト「テレビドラマデータベース」(http://www.tvdrama-db.com)を主宰。編著に『テレビドラマ原作事典』(日外アソシエーツ)など。「月刊ドラマ」「週刊ザテレビジョン」「週刊TVガイド」などに寄稿多数。2011年~13年度文化庁芸術祭テレビドラマ部門審査委員。
成馬零一(なりま・れいいち)
ライター・ドラマ評論家。主な著作は『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)。週刊朝日、サイゾーウーマンでドラマ評を連載。
◎構成:飯田樹
■ 4人全員が評価、早くも今年ベストとなるか?ーー『問題のあるレストラン』
宇野 ではさっそく、前のクールの総括からはじめていきましょう。この座談会では毎回、僕を含めたこの4人が、前のクールで面白かったドラマを3つ挙げています。準備はいいですか?
せーの、ドン!
僕が『問題のあるレストラン』『山田孝之の東京都北区赤羽』『〇〇妻』。
岡室さんが『問題のあるレストラン』『デート~恋とはどんなものかしら~』『怪奇恋愛作戦』。
成馬さんが『問題のあるレストラン』『お兄ちゃん、ガチャ』『LIVE! LOVE! SING!』。
古崎さんが『デート~恋とはどんなものかしら~』『ゴーストライター』『問題のあるレストラン』ですね。
それでは、4人全員が挙げている『問題のあるレストラン』からいきましょう。
古崎 第2話が終わった段階で前回の「テレビドラマ定点観測室」がありましたよね。そのときはちょっと導入部に極端なエピソードがあり、それがどう消化されていくか、まったく見えていない段階でした。したがって、その冒頭の衝撃的なエピソードを作品がどう消化してくのかを含め先を見ていかないとわからないという状況だったと記憶しています。
その後、この冒頭の衝撃的なエピソードはしばらくまったく手つかずのままに展開していく。レストランの面々の癖のある連中が最初、バラバラに個性を主張している中でほんのわずかなことから心が接近していく。そのプロセスがいつもの坂元裕二らしい、ぎこちない展開で進んでいく。そこまで冒頭の衝撃的な話は放ったらかし状態です。
それが中盤、そのメンバーの一人、YOUが弁護士だったことが明らかになる。すると、それまでのぎこちなかった展開が嘘のように急に話がなめらかに進んでいきました。この中盤から終盤にかけての展開は流麗そのもの。この部分の坂元裕二の筆致はかつての90年代のトレンディドラマで慣らした時分の作風の復活を感じさせたほど、するすると話が展開して一瞬、ドラマを見ているということを忘れて展開に引き寄せられてしまったほどで「これはすごいな」と思ったものでした。で、最後までそれで行くのかと思いきや、坂元裕二はそれで終わらなかった。最後には予想外の辛口の結末が用意されてまったく突き放した終わり方で締めくくった。坂元さんとしては、ひょっとすると中盤のなめらかな部分は視聴者サービスのようなもので、本当に見てほしいのは、最初と最後であり、その部分を見せるがための中盤だったのもしれませんが、私はそのなめらかな中間部の展開が、坂元裕二の健在ぶりをむしろ実感させられてしまった。いつでもこういう面白い展開はできるのだと。だけど敢えてしないのだと。私はこの真ん中の流麗な部分が好きなのだなと実感してしまった。見る側がどこに価値を置いているか、問い詰められるような気がしました。
岡室 『Mother』『Woman』と書いてきた坂元裕二さんが、男性脚本家でありながら、正面切って働く女性が直面する問題を描いたことが、私が選んだ理由の一つです。東出昌大くんのセリフに「今は負けてる。だけど最終的に勝つのは、負けながら前に進むやつなんだ」というのがあって、「今は負けている人への応援メッセージ」という感じですごく心に響きました。
あとはレストランの描写で、みんなでリズムを作っていく感じが身体的に表現されているところが良かったですね。3人娘の松岡茉優、二階堂ふみ、高畑充希も素晴らしかっし、東出くんも今までで一番ぐらいの演技で、周りを固める安田顕さんたちも良かった。
坂元さんはセリフがとてもうまいですよね。初回はエキセントリックな描写でしたが、ああいう風に描かないとこのテーマができなかった気もします。
宇野 さて、最初に成馬さんに聞かなかったのは、すでに『サイゾー』(2015年5月号)で対談しているからなんですよね。あらためて振り返ってどうですか?
成馬 『問題のあるレストラン』放送中は、書ける媒体全部で書きましたね。正直、客観視ができないくらい面白かったです。あえて言っておくと、僕自身はもともと坂元裕二はそこまで好きな作家ではなくて、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』という本でも厳しく書いていたんですよ。でも、昨年の『モザイクジャパン』と本作でグイッときて、今は僕の中で暫定1位になりつつあるくらいです。
宇野 僕も第1話を観たときは「極端なカリカチュアライズがプラスに出るかマイナスに出るかは微妙だな」と思っていたんですが、すごく上手に処理がされていたと思う。話の後半では、男性キャラクターも救いすぎないように救いつつ、ジェンダー後進性への怒りを最後まで持続しながら進めていくバランスも良かったです。
この作品って、ここ数年における坂元裕二の集大成にして新境地ではないかと思うんですよ。理由は2つあって、ひとつは社会的背景の使い方が完成されていたこと。おそらく坂元裕二にとって社会問題というのは微妙な人間関係や気まずい空気を生むためのフックでしかなかったんだけど、今回初めて、作品を通して問題に怒っているのが伝わってきました。人の心を動かすために自分のメッセージを本気で発して、そこで心中しようとしている。それがビターエンドにも繋がっていくし、「人の手を殴ると自分の手も痛い」というようなことが、裁判をやったり、マスコミに情報戦を仕掛けて相手を潰そうとする展開にもよく現れている。作品をメッセージ性によって強烈に彩りながらも、それをコントロールする腕を彼は身につけたということでしょう。
もうひとつは、坂元裕二はずっと「本来の”家族”を失ってしまった人間が心の行き場をなくして、現代社会で問題を起こしていく」という90年代の野島伸司のような世界観を反復しているところがあったんですが、今まではそれに対して答えを出せていなかった。このドラマで初めて、人間が本来持っているべき”家族”というものを失っても生きていく方法を見つけていて――それはホモソーシャル同士が戦いながら切磋琢磨してイキイキしているという方向なんですが――それまでの停滞した世界観からようやく離陸できたのではないかと思えました。
岡室 私も坂元裕二さんの脚本は大好きなんですけど、彼がずっと描いてるのはコミニュケーションの問題だと思うんです。たとえば『それでも、生きてゆく』なら、風間くんが演じた犯人のように絶対に分かりあえない人物がいて、そういう人に対して愚直にコミュニケーションを仕掛ける瑛太のようなキャラクターがいる。そのコミュニケーションが最終的に成立していくのを描いたのが『最高の離婚』のようなドラマです。
最近の坂元さんの作品は、困難なコミュニケーションが最終的に成立していく話が多かったんですが、今回は最後まで見ても成立したかどうかわからないけど、それでも前に進む人たちを誠実に描いているんですよね。そこにある種の集大成を見て取れる気がします。
古崎 坂元さんは最近、人間の葛藤や激突をぐいぐい描くことが中心で、かつて90年代に『東京ラブストーリー』などのトレンディドラマで視聴者をぐいぐいひきつけていたエンターテイメント的な動かし方を忘れてしまったのかなと思っていたんですよ。しかしこの作品では、先に触れたように中盤部にその良さが導入されていた。おそらくエンターテイメント性の強い作家がこのドラマを作ろうとすると、冒頭の衝撃的な話はあったとしてもすぐに弁護士が現れて話がある程度、見る側が不満を募らせることなく、理想的に進行させていくのです。でも坂元裕二はそうはしない。『それでも生きていく』や『Woman』などで描いた人間の葛藤や激突のどうしても解決しない部分を描く補足としてこういうエンタ的手法を使いはじめたということでしょう。これまでも諸作品の持ち味の良さを融合してきているのではないかと思っています。
成馬 『わたしたちの教科書』といういじめを題材にしたドラマがありましたよね。菅野美穂演じる主人公の名前がたま子、敵側の副校長が雨木という苗字で、『問題のあるレストラン』はその反復なんですよね。坂元さんにとって『わたしたちの教科書』は向田邦子賞をとって作家として評価された転換点にある作品です。そこで構成力で見せる手法をやった後に、それを一回捨ててコミュニケーションの微妙なニュアンスで見せていく『Mother』を作り、そして「構成で見せつつ、会話も面白い」という合わせ技でこのドラマを作った。今まで培ってきた技を全部持ち込んできたんですよ。
宇野 会話の面白さと役者の力を引き出すためのアプローチは成功してるけど、物語的には失敗していて、部分の強さに全体が耐えきれていないというのが、僕の『Woman』の感想です。それが『問題のあるレストラン』では、力強い演出を下支えする強力な物語のフォーマットを手に入れたなと思っています。
ひとつは、坂元さんがずっと隠れテーマにしてきたジェンダー的な問題に対しての、社会問題の真摯かつクレバーな使い方。もうひとつは、少年漫画的な手法です。たとえば、千佳ちゃんが引きこもりのお母さんのために料理を作っていたら料理の達人になっていたとか、YOUが本当は弁護士だったとかですね。今まで自分の中になかった物語の要素を入れて、それをすごく上手に料理したことによって、部分が全体に負けることがなかったのが大きいと思います。
古崎 流麗な展開が最終回で「無名の人からのクレームで店が潰れる」というあっけない結末があって、それが導入部のエキセントリックな話と比べると恐ろしいほどリアルでしたね。ネットでは「あんなことで潰れるのか」という意見が出てたりするんですが、実際に企業をやっていると、ああいうわけの分からない批判で潰れちゃうことがあるんです。その恐ろしさが最後にさらっと描かれてたのはちょっと怖かったですね。
成馬 あれは、たま子たちがゴシップ記事で雨木の会社を潰そうとしたこととの対比になっているんですよね。たま子たちがやっていたことも、名もないクレーマーがやっていたことも、ネットの炎上的な暴力と同じじゃないかというのを最後の最後に突きつけてくる。だから社長も「世の中にはひどい奴らがいっぱいいるだろ、お父さんの敵をとってくれよ」とか息子に言うじゃないですか。あのシーンの絶望感はすごいですよね。
宇野 あの後の千佳ちゃんのセリフ、「私はあなたに何もしてあげられません」というのも良かったですよね。
成馬 呪いを解いてあげる魔法になるのか、雨木社長の呪いが子供にも続いていくのかが分からないところがあのドラマの怖さで、社長も二世というところで「きっと父親になにかされてたんだろうな」というのが少しだけわかるじゃないですか。
宇野 『問題のあるレストラン』で僕が良いと思うのは、本気で怒ってるんだけど楽しいところだと思うんですよ。
成馬 烏森弁護士役のYOUが言っていた「お花畑と泥棒の仲の対比」ですよね。復讐だけじゃ生きられない、楽しく生きることも復讐になるという。
宇野 坂元さんってその「お花畑」を持っていなかったと思うんですよ。たとえば『それでも、生きてゆく』で瑛太と満島ひかりが漫画喫茶で気まずいやりとりをしているシーンを、設定を知らずに切り取ったら、付き合う3歩手前のカップルがイチャついているものとして、微笑ましく見られるじゃないですか。ああいう部分がだんだん拡大されていったんだろうけど、今回は坂元さんの作品で一番お花畑の要素が肯定されてる作品ですよね。しかもそれが、本来あるべき「男女が仲良く家族的に会社をやっていく」というビジョンではなくて、同世代の女の子同士が集まってお店をやっているというホモソーシャル的な共同体にお花畑が結びついてる。それも今までの坂元さんにはなかった要素で新しいなと思っています。
成馬 役者はみんな微妙にイメージをずらしていますよね。ツンツン怒っている役ばかりやってた真木よう子が、明るいニコニコした役をやっていたり、松岡茉優も本来なら高畑充希が演じていた藍里を、二階堂ふみが天才シェフを、高畑充希が優等生の新田さんを演じていてもおかしくない。
あと、敵側に全員朝ドラに出演した男性俳優を置いていましたよね。みんな役者の話をする時に演技の上手い下手だけで語りがちだけれど、実は「どこに誰を置くか」という文脈や配置の面白さというのもあって、そこをこのドラマではきちんとやっていた。
古崎 坂元さんの脚本は今まで対象に寄りすぎた描写が多くて、そのために作り手自身が作品を進める中で葛藤していたような部分があったんですけど、今回はディープに入りつつもある程度突き放した部分があって、ようやく対象との適切な距離感がつかめてきたようにも見えますね。
宇野 3人娘の女優全員が、今までで一番良いと思います。二階堂ふみは、僕はそんなに好きな役者ではなかったんだけど、今回で好きになりました。
岡室 『Woman』のときも良かったですよ。
宇野 良かったけど、要求されてるものを忠実にこなしてる感じがしていて。優秀なのは分かるけど……と思っていたので。
成馬 二階堂ふみがいつものエキセントリックな演技が封じられている中で、必死にあがいてるのが面白いんですよね。
宇野 あと真木よう子も、これまで大きな役柄ではたま子のようなタイプを演じていなかったじゃないですか。仏頂面して「私いい女よ」って顔してる真木よう子よりも、今回のたま子のほうが良いと思った人はいっぱいいると思ういます。
岡室 最初の方はいつもと違う感じで良かったんだけど、最後の社長に詰め寄っていくあたりではいつもの真木よう子に戻っていて、ちょっとお説教くさい感じがしたんですよね。あそこはもうちょっとたま子ちゃん風に方の力を抜いてやってほしかったです。
成馬 そこまで温存したかったんじゃないのかなとは思いますけどね。怖い真木よう子を見せるためにたま子があった感じがします。
古崎 以前の作品と比べると後半はドラマの予定調和に流れてしまった部分はあるかもしれないですね。
■ 古沢良太が描くべき「恋」とはなんだったのか? 『デート〜恋とはどんなものかしら〜』
宇野 次にかぶってるのは『デート~恋とはどんなものかしら~』(以下『デート』)ですね。今度は岡室さんからいきますか。
岡室 月9での恋愛ドラマが難しくなっている中で、「恋愛できません」という人たちの恋愛ドラマを描いたのが新鮮だったのと、古沢良太さんの脚本ということで挙げました。私、第一話ではちょっと引いたんですよ、お化粧があんまりで(笑)。でも、恋愛できない人たちがいかに恋愛をしていくかという脚本が本当にうまかったです。あと最終回にいきなり出てきた白石加代子がすごかったですね。ワンポイントで出てきて、謎の余韻を残して去っていく。天使様だったのかなんなのか分からないですけど、そういったところも含めて面白く見ました。
古崎 冒頭に主人公が自己の生き方を漱石の「高等遊民」の生き方に擬せるセリフが出てきて、登場人物も理屈っぽい話をしていて、およそ感情が支配すべき恋愛の要素が皆無で「一体全体ここからどうやって着地させていくのか」と気になってしまいましたね。でもそれが作り手の狙いでもあったのですね。「高等遊民」というセリフ自体、本来描きたいものを隠すための装置だったのでしょうね。このドラマは、結局、そんな理屈っぽいことでカモフラージュしていますけど、中年童貞と処女が恋してしまう話なんですよね。かつて『電車男』がこういう恋愛べたな男性とそれに苦しむ女性という、恋愛難民の話を描いて共感を呼んだわけなんですけど、これまでゴールデンタイムの恋愛ドラマでは、美男美女の恋愛話が中心だったがゆえ、なかなかこういう方面を赤裸々に描くことに慎重で企画としても通りにくい部分があるのでしょう。そこで古沢さんは「高等遊民」の恋愛劇と見せておいて、実は現代で問題になっている中年童貞の人物を描き出したのではないでしょうか。
だからといって月9の枠組みを壊すことはしていない。ちゃんと恋愛の不思議さも描かれているのですよね。これまでの古沢さんの作品を眺めていると「恋愛というのは生命を継続させるためにDNAに仕組まれただけのものに過ぎない」という、宮藤官九郎が『マンハッタン・ラブストーリー』で「恋愛なんか思い込みですよ」と言っていた部分に通じる考え方の人だと思っていたのですが、「恋愛とは非常に不思議なもので、嫌い嫌いだと思っていることが実は恋愛」というのが導きだされていて、案外、それは当たり前のことなのだけど、改めてそういう結論に届くことが新鮮でもありました。そういう部分が描かれていて、ちゃんと「月9の恋愛劇」になっていました。
あとこれは表現技法の部分で、杏のあの独特の軽い声でキャピキャピと喋る話しぶり。最初は耳障りに思えたものがだんだんと滑稽さが漂っていく。この面白さは昔、どこかであったなと思っていたのですが、1970年代の『おくさまは18歳』というドラマで岡崎友紀さんと石立鉄男さんが丁々発止していたやり取りのテンポなのですね。古沢さんは過去のドラマや映画に詳しい人なのでこういう過去の成功例をさりげなく意識しているように思えますね。そういう忘れられた古き良き時代の良さを温故知新して恋愛劇をアップデートした作品に映りました。
成馬 僕は第1話が一番面白かったです。恋愛よりも理屈が勝つ話を見たかったんですよ。『リーガル・ハイ』のように理屈を並べていきたいのが本音だけど、それでも『ALWAYS 三丁目の夕日』も書けてしまえる、というのが古沢さんの作家性だと思っているんです。だけど今回は「月9=恋愛ドラマ」に合わせすぎていて、屁理屈力が落ちてしまったのではないかな、と。
岡室 「嘘を肯定していく」というところが古沢さんのドラマのエッセンスとしてありますよね。このドラマでも、全然好きではないけど、お互いの都合だけで結婚したい2人がいて、そういう中から恋愛が成り立っていくという点では、古沢さんの文法に則っている感じがしましたけどね。
成馬 契約だけで成り立つ人間関係の美しさを描けていたら「俺はもう負けました」と言っていたと思うんですけど、結局「恋って不思議ですね」というみんなが知っている回答に合わせてしまったところが気になるんです。完成度が高くて良くできたドラマなんだけど、個人的にはピンときませんでした。
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『昨夜のカレー、明日のパン』『ファーストクラス』から『ゴーストライター』まで――岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による秋ドラマ総括と冬の注目作 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.266 ☆
2015-02-20 07:00220pt※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
『昨夜のカレー、明日のパン』『ファーストクラス』から『ゴーストライター』まで――岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による秋ドラマ総括と冬の注目作
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.2.20 vol.266
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▼座談会出席者プロフィール
岡室美奈子(おかむろ・みなこ)
早稲田大学演劇博物館館長、早稲田大学文学学術院教授。芸術学博士。専門は、テレビドラマ論、現代演劇論、サミュエル・ベケット論。共著書に『ドラマと方言の新しい関係――「カーネーション」から「八重の桜」、そして「あまちゃん」へ』(2014年)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』(2012年)、『六〇年代演劇再考』(2012年)など。
古崎康成(ふるさき・やすなり)
テレビドラマ研究家。1997年からWEB上でサイト「テレビドラマデータベース」(http://www.tvdrama-db.com)を主宰。編著に『テレビドラマ原作事典』(日外アソシエーツ)など。「月刊ドラマ」「週刊ザテレビジョン」「週刊TVガイド」などに寄稿多数。2011年~13年度文化庁芸術祭テレビドラマ部門審査委員。
成馬零一(なりま・れいいち)
ライター・ドラマ評論家。主な著作は『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)。週刊朝日、サイゾーウーマンでドラマ評を連載。
◎構成:飯田樹
宇野 みなさん、こんばんは。評論家の宇野常寛です。PLANETSチャンネルプレゼンツ、「テレビドラマ定点観測室2015 winter」のお時間になりました。この「テレビドラマ定点観測室」は、3ヶ月に一度、前クールのドラマの総括と今クールのドラマ期待作のファーストインプレッションを語り合う番組です。今回も「ドラマを語るならこの人!」というドラマフリークの方々にお集まりいただきました。早稲田大学の岡室美奈子先生、ドラマ評論家の成馬零一さん、テレビドラマデータベースの古崎康成さんです。いつもどおり皆さんに前クールのいわゆる秋ドラマのベスト3を挙げてもらいました。いきますよ。せーの、ドン!
古崎 私は『きょうは会社休みます。』『昨夜のカレー、明日のパン』『シンデレラデート』です。
成馬 『ファーストクラス』『ロボサン』『さよなら私』です。
岡室 『ごめんね青春!』『昨夜のカレー、明日のパン』『グーグーだって猫である』で、次点で『Nのために』です。
宇野 僕が『Nのために』『さよなら私』『ファーストクラス』で、次点に『ごめんね青春!』ですね。
■『すいか』に通じる木皿泉の総決算?『昨夜のカレー、明日のパン』
宇野 被っているところで木皿泉さんの『昨夜のカレー、明日のパン』からいきますか。これは挙げた人2人と挙げなかった人2人で分かれました。
古崎 最初に見てまず感じたのは今までの木皿作品の底流に常に存在してきた生と死が前面に出てきたな、というところですね。これまではそれが底流にはあったもののそれ自体を表には出さなかった。今回に関しては「死んだものが生きるものに徐々に継承されていく」というところまでを描き出していました。この点については前回の期待ドラマのところで話題に出て、宇野さんが前回「そういうテーマは木皿ドラマの底流にあるのならいいのだが、前面に出しすぎるのはどうかな」という疑問をおっしゃっていて、私もそれは危惧していたわけなのですが、ひととおり見終わってみると、案外上手く着地させられたんじゃないか、という印象をもちまして、選んでおります。
岡室 古崎さんがおっしゃったとおり、生と死が前面に出ているドラマでしたよね。実際に幽霊も出てくるんだけれど、星野源の幽霊がすごく良かったし、仲里依紗や溝端淳平など役者陣も全体的に良かったです。
今回に関しては原作小説があるので木皿さんも安定して書けたのか、非常に完成度の高いドラマだったと思います。
成馬 美保純と星野源の幽霊がうろうろしているのが溝端くんにだけ見えてしまう、あの部分はオリジナルですよね。木皿さんは『すいか』でも、「お盆で幽霊が帰ってくる」というのをやっていましたよね。だから今回は、過去にやったいろんな要素の総決算になっていると思いました。
古崎 最初はそれぞれの人間関係がバラバラで、どういう人物関係なのか判然としないままの導入部だったのです。それが徐々に人間関係が見えて、「どういう関係性でこの物語が成り立っているのか」というのがわかってくる。このあたりは地上波の民放ゴールデンタイムのドラマではなかなか視聴者に不親切であるがゆえにやりにくい手法で、まさにBSならではの「わかりにくさから入っていくことの面白さ」を表現できていましたよね。
岡室 出てくる人たちがみんな「何かしら足りない」人たちじゃないですか。座れない僧侶とか、仕事中についつい笑ってしまう産婦人科医とか、ミムラが演じた「ムムム」っていう隣の子とかもそうだし。全体的に、出てくる人たちに対する眼差しの優しさが、すごく良いと思いました。
宇野 しかし僕と成馬さんは、『PLANETS』の創刊の頃から木皿泉推しでやってきたんですが、どっちもこの作品を挙げていないですよね(笑)。
成馬 ちょっと慣れてしまっている部分がある。初期が好きだったからこそ、どんどん伸びていって欲しいけれども、「これくらいの伸びじゃちょっと点入れられないよ」みたいにどうしても厳しく観てしまいますよね。
宇野 よく会う木皿ファンの中で、この作品に対して比較的評点の辛い人って「やっぱり『すいか』のセリフリメイク感が強すぎるんじゃないか」って言っていて、当たってなくはないかなという感じがしました。それだけ木皿さんにとってはライフワーク的なテーマなんだと思うけれど。
成馬 この『昨夜のカレー、明日のパン』は、もうちょっと時間が空いてふと観たら、すごく好きになると思うんですが、リアルタイムで観るドラマという感じがどうしてもしなかった。どこか時間から切り離されている作品で、「別に2014年にこれをやらなくてもよかったな」と。
宇野 ちょっとメタ的な表現になるんだけれど、結局この作品は「人間一人の力では絶対に回収しきれないものが世界にあるんだ」という前提から始まっているんだけど、そういったものをどう処理していいか木皿さん自身がわかってしまっている感じがするんですよね。「まとめ」的な作品であまり冒険はしていないのかもしれない。
そして僕は見ていて、「それって本当の意味で回収されえないものなのかな」とも思ったんですよね。ファンタジー的な要素の用い方に顕著なんだけれど、『Q10』や、舞台の『すうねるところ』のほうが、今の木皿泉にとっての「絶対に回収されないもの」に対して向き合っていたんじゃないのかなという気がする。『Q10』第1話の「助けてください」という虚空への叫びは、どこにも回収されていないけれど、この作品に出て来る人たちの叫びはちゃんと宛先が分かっている感じがする。
成馬 「ぼんやりした不安」みたいなものがすべて死に回収されているじゃないですか。人が死ぬことが……っていう。でも、人が死ぬのがつらいとか喪失感があるって、それは当たり前なんじゃないかってどうしても思ってしまうから、「死」というものの扱い方が狭くなっている気がするんです。
宇野 今からスーパー変なことを言いますね。例えば僕は昔の富野由悠季ファンなんですよ。それが、最近の若者向けガンダムとか見ると、ちょっと文弱な少年の成長物語とかは全部なくなって、過剰にみんな強くて過剰に全能感バリバリで過剰にナルシストなやつらが、ちょっと優雅なセリフを言いながら男同士イチャイチャするみたいなアニメばっかりなわけですよ。あれはあれでけっこう面白いなと思うんだけれど、それの逆バージョンを感じるんです。今どきこんなに内面がウジウジしているやついないよ、という感じの近代人たちがことごとく心に傷を負っていて、ほとんど「弱さのインフレ」になっている。
成馬 セルフパロディーみたいなところがけっこうあるということですかね。「こういうものだ」と思われているものを演じているというか。
宇野 木皿泉が描こうとしていたものって、ほんとうにああいった弱さや喪失を通してしか描けないものだったんだろうかということが、引っかかるんですよ。日本テレビの河野英裕さんと組んでいる青春ドラマの木皿泉を観てしまっていると、そこがどうしても引っかかる。
成馬 この世界を嫌っている人が基本的に出てこないですよね。『野ブタ。をプロデュース』なら、蒼井かすみが出てくるし、『セクシーボイスアンドロボ』だったらお歯黒女みたいな敵対する他者がいっぱい出てきたじゃないですか。こういう居心地のいい小さな世界があるとして、そこを壊しにくる人たちがいないから、予定調和に見えてしまう。
宇野 日テレの9時という時間枠が要求していた、ある種の同時代性や若者向けのフォーマット、究極的には「ジャニーズ」というものって木皿泉作品にとってポジティブな外部性として機能していた側面がものすごくあったはずなんですよね。社会的なテーマや同時代性が盛り込まれていれば必ずしもいいわけじゃないけれど、作家の内面にあるものが外のものとぶつかる緊張感をもたらしていたことは間違いない。
古崎 作家が描きたい世界を世間一般の視聴者にもわかるように作らなくてはならない制約がむしろ地上波のゴールデンタイムの民放ドラマの魅力であって、一方、BSだと視聴者を意識するよりも作家性を優先できる良さがある。そのあたりの違いをどう評価するかということなのでしょうね。
岡室 おっしゃることはすごくよくわかるし、私も作品としては破綻していたとしても『Q10』のような作品のほうが好きなんですよ。それはわかるんだけど、でもやっぱり実際に私はこのドラマにすごく感動して、泣きながら観たんです。
宇野 もちろんこの作品をけなす気はないんです。良いか悪いかの二択になったときに悪いっていう人間はほとんどいないと思うんですよね。でも逆にだから僕は挙げなかったんです。だいぶ悩んだんですよ。本当にギリギリまで悩んで挙げなかった。『すいか』はともかく『野ブタ。をプロデュース』や『セクシーボイスアンドロボ』は賛否が分かれるドラマだと思う。10人いたら8人は肯定派だけど2人は否定派に回る。でもこの作品はたぶんほとんどの人が肯定はすると思う。そこが逆に引っかかったんですよね。
成馬 今回の『昨夜のカレー、明日のパン』では最終話で家の話になっていて、家にレイヤーを重ねるという話になっていましたよね。実は『すいか』のシナリオ本の文庫の最終話に、10年後の話が載っているんですよ。そこでは家をリフォームしていって違う人がまた入ってくるという、人のつながりではなく家を主役にしたイメージを描いていたと思うんですが……。
古崎 今まで「性と死」の問題を根底に描いてきた木皿さんとしては、次へ進むためにも、今まで抱えていたものをここでぜんぶ出したかったとも思えるのですよ。そのために今回の作品を出す必要があった、と。作家として次のステージに進むため本作は不可欠であったのではないかと。そういう場がBSだから用意できた面があると思います。
宇野 『すいか』から10年続いた木皿泉の総決算ではあるでしょうね。
■『ファーストクラス』は『きょうは会社休みます。』と対に観る
宇野 じゃあ次の作品。『ファーストクラス』はどうでしたか?
成馬 正直に言うと、僕は第2話くらいで一旦観るのをやめてしまったんですよ。理由は、裏の『きょうは会社休みます。』と両方観るのが大変だったから。でも、5話分くらい溜まった時点で一気に観たらすごく面白かった。演出が暴走していて、とにかく作っている人たちが楽しそうなのが良かったです。
『ファーストクラス』は脚本が変わったんですよ。第1期は『名前をなくした女神』などのイジメ系のドラマを書いていた渡辺千穂さんだったのですが、第2期は及川博則さんという方がやっています。この人は第1期ではプロデューサーだった人で、第7話の演出も担当してます。ドラマの中での「心の声」のようなものはあの人が考えたらしくて、演出レベルでの暴走を意図的に仕組んだドラマにしています。
第1期はドラマとしてかなり壊れてたんだけど、第2期では壊れていたはずの『ファーストクラス』というドラマの文体をどうやったらある種の美学に昇華できるかを演出の西浦正記さんたちがどんどん追求していった結果、“ファーストクラス”としか言いようがない作品に仕上がった。だから、ストーリーレベルではひどいところもいっぱいあるのですが、このドラマがやりたかったことは全部できたと思います。この路線でどんどんやってほしいし続編を作ってほしいですね。
宇野 『ファーストクラス』の第1期というのは、バラエティーの手法を使って、今までとは違った切り口の女性の職業ドラマをやろうとしていたと思うんですよ。「マウンティング」という言葉が代表する、いわゆるサブカル系の女子語りのキーワードを取り込んで毎週登場人物の格付けを発表したり、心の中の声を過剰にナレーションしたり(笑)。
で、この第2期はこうしたバラエティ要素をぐっとピックアップしていて、見ていてすごく楽しいのだけど物語としては完全に破綻している(笑)。登場人物の動機や目的がさすがに一貫しなさすぎているし、そもそも脚本の都合で基本的なキャラ設定すらブレている。それぐらいいい加減なんだけれど、ジェットコースター的なストーリー展開と、全能感に溢れきった妙齢の女性たちがいちいち右往左往するのを見るのが楽しいというところだけに特化して力技で10話突っ切っている。これが妙に爽快だったのは間違いない。
成馬 チーフ演出の西浦正記さんが入ったことで、『リッチマン、プアウーマン』の流れも繋がっているんですよ。あの職業ドラマの流れは実は『ファーストクラス』に移ってきているんじゃないかと思います。
それから、第一期のナレーションでは沢尻エリカのことを「エリカ」って呼んでいたのですが、今期は「ちなみ」って呼んでいるんですよね。それって「今回はちゃんとフィクションをやっていますよ」という証明なんですよね。
宇野 第2期のコンセプトの象徴が木村佳乃だと思うんだよね。木村佳乃は一応設定的には超切れ者の役で、思想的にも深いはずなんだけど実は何も考えていない(笑)。
岡室 『ファーストクラス』は、裏番組の『きょうは会社休みます。』と対にして観ると面白かった。『きょうは会社休みます。』は、なんの努力もしない女の子が7歳年下の男の子と歳上の男の両方から言い寄られて、してほしいことを何もかもしてもらえて、言ってほしいことを言ってもらえて……という全く努力のないドラマです。それに対して『ファーストクラス』は女子の野心の物語じゃないですか。その裏表が面白いなと思いました。その意味では私はやっぱり『ファーストクラス』のマウンティング物語のほうが面白かったですね。
宇野 これを30代既婚男性が言うのは政治的に問題かもしれないけれども、やはり『きょうは会社休みます。』は完成度の高いファンタジーだと思うんですよ。あの設定自体が、「ああ、ポスト男女雇用機会均等法時代の”非モテ・内気女子”の自意識語りってもう食傷気味だよな」と思わせてしまう。普及しきったファンタジーは本当にファンタジーとして機能するのか、という問題ですよね。
岡室 『ファーストクラス』はあからさまにファンタジーだけど、本当は『きょうは会社休みます。』のほうが全くのファンタジーですよね。ファンタジーなのに「こじらせ女子」とか言ってリアルなふりをしているのが嫌だな、と(笑)。
古崎 『きょうは会社休みます。』は、実はファンタジーだけどそれを本物っぽく見せてくれた力があります。大きな事件を出すこともなく、これだけ地味な出来事だけで淡々とした話運びのままラストまでちゃんと観る者を引っ張り込んだのは並大抵の手腕ではないですよ。まさに事件連発で話を引っ張る『ファーストクラス』と対極の手法です。
しかもそういう脚本をそのまま通した局側の度量もすごいものがある。裏番組に連ドラがあるし、つい、もう少し視聴者をひきつけるような事件みたいなものを劇中に入れてしまいがちなところを我慢して最後まで違和感なく端正に仕上げている。脚本としては大変地道な描写力がないとできない。私はどちらかと言えば『ファーストクラス』のほうが書きやすいとは思うんですけどね。
■死を描いたのは正解だったのか?――『さよなら私』
宇野 あとは、僕と成馬さんが『さよなら私』で被っていますね。
成馬 『さよなら私』は、『昨夜のカレー、明日のパン』と『ごめんね青春!』とセットで考えることができると思っていて、三作ともモチーフとしては、ゼロ年代から続く「理想の中間共同体探し」の行き着いた先ですよね。脚本の岡田惠和さんはそれを超悪意を込めてやっている印象があります。それこそ重婚のようなものが肯定されたらみんながハッピーになるけれど、そのハッピーエンドにはグロテスクで気持ち悪いところもあるよね、というところも同時に描いている。
『ちゅらさん』ぐらいから「優しい人ばかり出てきて良いですね」と言われてきたことに対する、岡田さん本人の思うところがふつふつと湧き上がっているんじゃないでしょうか。ただ、新境地ではないですよね。
宇野 序盤のほうが面白くて、後半はわりと予定調和になっちゃったかな、とは思いますね。この作品ってやはり『最後から二番目の恋』のカウンターパートだと思うんですよ。
『最後から二番目の恋』はキョンキョンと中井貴一の、なかなか最後までは踏み込まない関係が象徴しているけれど、血縁の共同体が友愛の共同体に拡張していくモデルで、何も生まずに、ただ死に向かって行くホスピスのような共同体の魅力を描いている。
それに対して『さよなら私』はああいった拡大家族的な共同体でどう子どもを産んで、育てるかという思考実験をしたんだと思う。その結果、ほとんどカルト宗教みたいな共同体になってしまって、そこが面白かったのだけど、今回はその先に何が待っているのかを描くところまではいっていなくて、なんとなくヒロインを殺して終わらせちゃった気がするんだよね。
要するに、普通の近代人の感覚からすると目を背けたくなるような、あのグロテスクさを本気で希望として描くのだったら、ヒロインたちの共同体があのまま歳をとっていくところまでを描く必要があったと思う。僕はあれだけの作品にこういうことを言いたくはないけど、この10話ではやりきれなかったようなところがあるのかなと。
岡室 私も『さよなら私』はすごく好きで、号泣しながら見たんですよ。挙げようかとも思ったのですが、なぜ最後に死なせちゃったのかが気になったんです。『最後から二番目の恋』って、死の臭いをいっぱい散りばめながらも人が死なない、というドラマでしたよね。そこに岡田さんがすごく大事にしているものがあったと思うんです。『私という運命について』でも江口洋介が死んじゃいますよね。だから、最近の岡田さんはどうして死なせちゃうのかなというのは心にひっかかっています。
成馬 セックスを描くようになったから死も描けるようになった、ということじゃないですかね。この両方を描かないから『ちゅらさん』では中間の生ぬるい関係を描けたんだけど、セックスを描いたら、死を描くこともオッケーになったということだと思います。
宇野 『さよなら私』と『最後から二番目の恋』の2つを並べたときに、恐るべきことにどっちが批判力のある強い虚構になっているかというと『最後から二番目の恋』な気がするんだよね。あの宙ぶらりんの友愛の共同体のほうが、表面的にはカジュアルなんだけれど魅力的な、強い虚構になっているというこの逆転をどう考えるか、だよね。
普通はいい歳してくっつくかくっつかないかの微妙なラインの空気感を楽しむドラマよりも、家族と性と愛のドラマ、子供が生まれたり生まれなかったり、ガンになって死んだり死ななかったりするほうを描く方が、人生の深淵まで達している本質的なドラマだと人々は考えがちなんだけど、ふたつ並べてみたときに、どっちのコミュニティのイメージとか、どっちの歳のとり方のイメージのほうがショッキングかと言われると、僕は『最後から二番目の恋』のほうなんですよね。「子どもを生んで育てる」という要素を入れた途端に、誰が書いてもとても窮屈で教条的なものになってしまうのはどうしてなんだろうかと思う。ここに、岡田さん自身が『最後から二番目の恋』をなかなか超えられない問題があるように思えるんですよ。
岡室 岡田さんの基本はずっと『めぞん一刻』じゃないですか。限られた時間空間のコミュニティみたいなものがあって、その中でみんながいい時間を過ごして、でもそこは出て行かなければならない時間で……という『ちゅらさん』的な世界が中心だった。そして、『最後から二番目の恋』では、「どうしたらそこから出て行かなくていいか」をやっている気がするんです。でも『さよなら私』では、そこから出て行くのが死だったというのが後退のような気がしたんですよ。
古崎 岡田惠和さんのここ最近の傾向って、先ほど木皿泉がこれまで底流で描いてきた「生と死」を前面に出したのと符合していて、こちらもこれまで底流で常に「死と別れ」を描いてきた書き手で、『最後から二番目の恋』も『泣くな、はらちゃん』も「死という別れの恐怖」が裏に流れていたテーマだった。で、それは裏にあるからこそ魅力があった可能性があったのに、『尾根のかなたに』『チキンレース』を経て前面に出し始めている。岡田さんもおそらく次へ進むためにそういうテーマを出していこうとされているんじゃないか、という気がするんですよ。
ただ今回の『さよなら私』でちょっとひっかかるのは「遊び」すぎなところでして、例えば尾美としのりと谷村美月のシーンで流れる、ちょっとはかない雰囲気のピアノの旋律は「さびしんぼう」のパロディかと見まがいますし、尾美としのりが退院していく病院の看板が最終回で「岡田病院」とチラリと出てくる。こういうのはどう理解していいのか。ちょっと「遊び心」に走りすぎな面があるんですよね。
岡室 『泣くな、はらちゃん』などの、岡田さんのファンタジー路線もありますよね。そのあたりを描いてほしいですが、どうなっていくのかなと思っています。
宇野 これは一回「岡田惠和スペシャル」とか、「岡田惠和白熱論争」とかやりたいですよね。
■脚本と演出で役者の実力を引き出したのが鍵――『Nのために』
宇野 あとは『Nのために』が被っていますね。ちなみに、最初に言っておくと『Nのために』の原作って本当に面白くないですよ。
岡室 私、『Nのために』評を書くために原作を読んだのですが、のけぞりましたよ。特に、ドラマを支えていた成瀬くんの造形がぜんぜん違うんですよね。
宇野 湊かなえさんって基本的に「出オチ」の作家ですよね。描写とか文章力で魅せるタイプではなくて、ショッキングな材料をぽんぽん並べていって、最後まで逃げ切るところがあるわけですよ。そこが彼女のアドバンテージでもあるわけなんだけど。
対して、ドラマ版の『Nのために』が良かったと思うのは、描写力なんですよね。過去編の離島ロケの叙情感だったりとか、成瀬くん(=窪田正孝)もそうだし、賀来賢人もそうだし、なかなか主役にならないいわゆる当て馬俳優、当て馬イケメンたちの実力を150%引き出すリリカルな脚本と演出によって魅せていく。
いちばん感動したのが、引っ張るだけ引っ張った話のオチは全く大した事件じゃないですよね。でも、あれだけキラキラした美しい窪田正孝くんや賀来賢人くんの青春がこんなしょうもない事件で損なわれてしまうんだという喪失感が逆に襲ってくるんですよ(笑)。あれって多分ドラマの人が計算してやっていると思う。
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『アオイホノオ』『おやじの背中』『昼顔』からクドカン新作まで ―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による夏ドラマ総括と秋の注目作 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.206 ☆
2014-11-21 07:00220pt
『アオイホノオ』『おやじの背中』『昼顔』からクドカン新作まで―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による夏ドラマ総括と秋の注目作
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.11.21 vol.206
http://wakusei2nd.com
テレビドラマファンの皆様、今回もお待たせしました! 3ヵ月に1度、日本屈指のドラマフリークたちが、前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くす「テレビドラマ定点観測室」。様々なドラマを見尽くしてきた目利きたちのコメントで、毎週の楽しみが倍増することをお約束します。
▶これまでの「テレビドラマ定点観測室」記事はこちらから。
▼プロフィール
岡室美奈子(おかむろ・みなこ)
早稲田大学演劇博物館館長、早稲田大学文学学術院教授。早稲田大学大学院博士課程を経て、アイルランド国立大学ダブリン校にて博士号取得。専門は、テレビドラマ論、現代演劇論、サミュエル・ベケット論。共著書に『ドラマと方言の新しい関係――「カーネーション」から「八重の桜」、そして「あまちゃん」へ』(2014年)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』(2012年)、『六〇年代演劇再考』(2012年)など、論考に「時間の国のアリス――逆回転の物語としての『あまちゃん』」、「不穏な身体からはにかむ身体へ――タモリと『テレビファソラシド』」、「ゾンビと『はけん』――メタ歌舞伎としての宮藤官九郎作『大江戸りびんぐでっど』」などがある。
古崎康成(ふるさき・やすなり)
テレビドラマ研究家。WEBサイト「テレビドラマデータベース」
(http://www.tvdrama-db.com)
主宰。1966年生まれ。編著に『テレビドラマ原作事典』(日外アソシエーツ)など。2011年〜13年度文化庁芸術祭テレビドラマ部門審査委員。
成馬零一(なりま・れいいち)
ライター・ドラマ評論家。主な著作は『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)。週刊朝日、サイゾーウーマンでドラマ評を連載。
◎構成:大山くまお
宇野 それでは「テレビドラマ定点観測2014 autumn」を始めていきたいと思います。この番組では、三か月に一回、ドラマフリークが集まって前クールの総括と今クールの注目作に関して、皆さんと一緒に語っていきます。前回に引き続き、テレビドラマ研究家の古崎康成さん、ドラマ評論家の成馬零一さん、早稲田大学教授で演劇博物館館長の岡室美奈子さんをお招きしています。僕も含めてこの4人で熱く語っていきたいと思います。さっそく前クールの総括から入っていきましょう。みなさんにはいつも通り、夏ドラマのベスト3を選んでいただきました。
古崎 『アオイホノオ』『昼顔』『聖女』です。
成馬 『東京スカーレット』『アオイホノオ』『テラスハウス』です。
岡室 『おやじの背中』『アオイホノオ』『ペテロの葬列』です。
宇野 僕が『アオイホノオ』『ペテロの葬列』『昼顔』ですね。では、4人全員が挙げた『アオイホノオ』から取り上げましょう。
■オタク文化が歴史化したから描けた『アオイホノオ』
古崎 『アオイホノオ』は、庵野さんなども実名で出てきたりして80年代はじめの様々な事象が雑多に出て来る原作をどうやって映像としてみせるのか、正直、見る前はなかなか難しい素材じゃないかと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、見事に映像化されていてちょっと驚きました。むしろ原作を超えているのではないかとさえ思えました。スラップスティックでシュールな誇張描写でひきつけつつ、マンガを描くことの苦しみや葛藤、このうえない喜びと快感、といった心情が素直な心情でリリカルに描かれ、その両者の行ったり来たりする振幅の幅が大きくて画面に引き付けられました。ギリギリ、スレスレのところをうまく最後まで渡っていく。そのさじ加減が絶妙です。
成馬 みなさんがTwitterなどで褒めているのは、原作をちゃんと映像化している部分じゃないですか。固有名や再現フィルムを使っているとか。僕の評価はちょっと違っていて、むしろ原作を変えた部分がすごく良かったです。もっと言うと、一番すごいのは(話を)終わらせたことだと思います。福田雄一さんは(原作者・島本和彦の)弟子だと自称するぐらいですから、原作の弱点をちゃんとわかっていて、いろいろなところを変えたんですね。しかも、その変え方がうまかった。それでいて原作者にも原作ファンにも嫌われないやり方ができていいる。あと、やっぱり俺にとっては黒島結菜が演じた津田さんですよね。
宇野 俺も圧倒的に津田さん派。トンコ先輩にいくやつの気持ちがマジでわからない(笑)。
成馬 原作漫画のミューズはトンコさんなんだけど、実はテレビドラマのミューズは津田さんになっているんですよ。だから、津田さんが消えた瞬間にこのドラマがガラガラガラっと崩れて、最後はきれいに終わるという構成になっているんだけど、その構造についてオタクの人たちが意外とわかってなかったのが、すごく面白かった。
宇野 これ、アンケート採りたいよね。「あなたはトンコさん派ですか、それとも津田さん派ですか?」って。
スタッフ じゃあトンコ派と津田さん派で、二択アンケートやりましょう。
宇野 さあ、みなさんどっちでしょうか? 僕、この結果を写メって福田雄一さんにLINEしますよ。
スタッフ 津田さん派が7割です。
宇野 やっぱり津田さん派が7割だよねえ。
成馬 焔くんの津田さんに対する半分馬鹿にしたぞんざいな扱いがすごくリアルですよね。オタクって、普通のミーハーな女の子をすごくぞんざいに扱っちゃう時期があるんです。本当は、ああいう子を一番大事にしなくちゃいけないのに。学生はみんな津田さんを大事にしなさいと言いたい。
宇野 そう、まさに若さゆえの過ちだよね。
成馬 いろいろ思い出して……「津田さんごめん!」って思いながら見てました(笑)。
岡室 私は80年代にサブカルがどうやって出来てきたかがリアルにわかって、しかもドラマのつくり自体もすごくサブカル的で、自己言及的なところが良かったです。個人的には濱田岳の岡田斗司夫が大好きで(笑)。また岡田斗司夫本人が手塚治虫役で出てきたりするじゃないですか。そういう遊びもありつつ、安田顕とかムロツヨシなどのおっさんが大学生役をやっているのが妙にハマっていて(笑)。でも、何か切ない感じもあったり、絶妙な感じが面白かったですね。すごくハマりました。
宇野 僕は挙げないでおこうかと思ったけど、やっぱり前のクールで一番楽しみに見ていたのは『アオイホノオ』なんです。言いたいことはいっぱいあるんですよ。ひとつは、仕事の先輩とかからさんざん聞かされてきた80年代のサブカルチャー史がもう歴史になっているという感動がありますよね。一方で、宮沢章夫的なサブカル史観がある。NHKの『ニッポン戦後サブカルチャー史』という本当にクズみたいな番組があって。まあ、それは置いておきますが。
岡室 いや、それはちょっと置いておきたくない。私は素晴らしい番組だったと思っています。
宇野 その話は後でまたしましょう(笑)。まず、『逆境ナイン』(映画)はそんなに好きじゃなかったんですよ。島本和彦のどこまで照れていてどこまで本気かわからないけど、やっぱり本気だというテイストを福田雄一さんはあまり処理できていなかった。8割はギャグだけど2割が本気で、その2割の方に本音があるのが島本和彦の見栄の切り方ですよね。当時はあまりうまく処理できていなかった。そんな福田雄一さんが、『THE3名様』と『33分探偵』と『勇者ヨシヒコ』を経て『アオイホノオ』をやった時に、もう完璧にマスターしているどころか乗り越えていた。福田雄一がずっと持っていた、堂本剛や山田孝之のようなナルシストっぽい役者を、愛をもって弄るテクニックで、島本和彦のテイストを映像の中で表現することに完璧に成功している。あれはもうヤバイぐらい高いレベルだと思うし、僕はそれが何よりすごかったと思う。
成馬 少しフォローすると、福田さんは『逆境ナイン』では脚本だけですよね。笑いって、テンポや見せ方のさじ加減一つで大きく変わるので、福田監督のドラマは、脚本だけの場合は、どうしてもニュアンスが伝わらない場合が多い。そんな中、『勇者ヨシヒコ』シリーズと『アオイホノオ』が突出しているのは、福田監督が全話監督したことが大きくて、監督の良さが100%出ている。
宇野 本質的に演出家だと思う。脚本家であると同時に。
古崎 脚本の段階で、映像化されることの計算が入っているんですね。『なぞの転校生』の時も思いましたが、「ドラマ24」は映像としてどう見せるのかを先に考えて脚本を組み立てていく色彩が強い枠です。テレビドラマと映画との違いとして、昔からテレビドラマは脚本家のもの、映画は監督のもの、と長年言われてきました。これはテレビドラマがラジオドラマや生ドラマから生まれた存在であるがゆえ、映像より先に言葉(脚本)を優先する傾向が強いのです。80年代前半にはそれが行きつくところまで行って、テレビドラマの脚本が独立した文学作品であるかのように「シナリオ文学」とまで称され、倉本聰や山田太一、向田邦子などの脚本家のテレビシナリオが書籍として販売されていた時代があったほどです。しかし、4:3の小さな画面から今は16:9の大きな画面サイズになり、「ことば=シナリオ優先」のままでいいのか? 言葉の力よりもう少し映像側、演出側の力を生かしたほうがドラマが活性化するんじゃないの? という思いが多くの映像の作り手側の意識にはあり、そこをこの枠は制約も少ないがゆえに実現し、刺激を与えてくれている。今回はとりわけ福田さん自身が脚本だけでなく演出も担当されているのでそれが徹底して実現できています。『なぞの転校生』もそれを実践して成功していたけどまだ演出と脚本が別人だったのでここまではできなかった。それゆえ、脚本だけみると「隙」だらけなんですよね。「ここは映像化するとき考えよう」というような部分をあらかじめ用意している。あるいは「長さの関係から番組内には収まらないかも知れないが入れておこう」というようなこともなされていてそこはテレビドラマ放映版ではボツになってもDVDになったときに復活させている。したがって独立したシナリオ文学というものとはまったく異質の作りです。ですがむしろ映像とシナリオとが渾然一体として機能するにはこの方法のほうが優れているのではないかという、以前からフツフツとあった仮説が正しいと思わせてくれました。
成馬 ただ、福田さんは基本的にめちゃくちゃ脚本はうまい人ですよ。仕事の関係で、放送が始まる前に全話読ませてもらったんですけど、やっぱり原作のいいところをちゃんと抜き出しつつ、弱点を補っている。
宇野 原作より面白いというのは僕も同感です。原作は出たばかりの頃に読んでいたけど、ちょっとたるいと思っていたんです。普通に「へー、当時、大阪芸術大学ってこんなだったんだ」という伝記物としての面白さがほとんどで、表現として面白いとは全然思ってなかった。
成馬 島本さんって基本的に自分に甘いですよね。それが作品の弱点になっていて、心地よいモラトリアム空間をなかなか先に進めることが出来なかった。でも、ドラマの脚本は、焔くんの女性に対する対応も含めて、「お前のここがダメなんだよ」と指摘している。そこから一気に中央突破した感じがします。
岡室 私、さっきから柳楽くんのことを語りたくてしょうがないんですけど(笑)。ちょっと異様な存在感ですよね。
宇野 もう瞬きしないし鼻の穴広げるしもう……福田雄一が三人目の逸材を見つけたって感じでしょう。あと、福田さんは今回、細かい武器の使い方がうまかった。たとえば小嶋陽菜が演じた凩マスミって、ちょっと美人なんだけど、見ようによっては微妙な感じですよね。あて書きで小嶋陽菜を使っているのに、地方の美大で主役をやっちゃいそうな女の子の感じが完璧に再現されている。あれってテレビ的なノウハウなんですよね。
一同 うんうん。
宇野 演出に凝れない分、キャスティングのうまさとか、あるある感によって、演出していくというノウハウを使っている。福田さんのテレビバラエティ作家としての能力がすごく活かされていたと思います。昔のフジテレビ的な、楽屋落ちやタレントいじりを基板としたテレビバラエティはこの10年で崩壊していると僕は思うんですけど、その中から細かいテクニックを抽出して、うまくドラマの中に散りばめている。あれは、みんな出来ているようで出来ていないテクニックですよね。
あと、これはさんざん言われていることだろうけど、テレビドラマがなんちゃってだと、原作へのリスペクトとか背景となるジャンルへのリスペクトが全然ないんだけど、『アオイホノオ』は徹底的に調べ尽くして、関係者を巻き込んで版権も全部許可とっている。あれは地味に偉いと思う。なかなかできないよ、やろうと思っても。
成馬 NHKの『あまちゃん』とか、TBSのクドカンドラマで磯山晶さんがやった権利関係の処理とか、そういうレベルの仕事ですよね。
宇野 ただ、僕は『アオイホノオ』を見たとき、もうオタク文化は一段落ついたと思ったんです。オタク文化って戦後後半の一つの結晶なんだよね。戦後民主主義プラス消費社会の産物の一つがオタク文化。でも、今時のオタクって、ああいう屈折は抱えてないでしょう。二次元のキャラクターもカジュアルな趣味の一つになっている。勃興期だからこそ、ああいった才能が煌びやかに地方から出てくる状況があったわけで、そういう季節は終わっていく。だからこそ『アオイホノオ』のような歴史ものが作られるわけで、なんか寂しさを感じたな。まさに最終回に島本和彦本人が気のいい親父役で出てくるけど、あれはオタク文化の思春期が終わった瞬間だと僕は思うんですよ。みんな気づいていたんだけど、『アオイホノオ』であらためて思い知らされたんじゃないかな。福田雄一さんという、必ずしもオタクではない人間が、あそこまですごいものを作ってしまうということは、もう歴史だからなんだよね。フランス人でもなければフランス革命を生きていない池田理代子が『ベルばら』を描けるのは、フランス革命が歴史化されているからで、それと全く同じだと思うんです。
岡室 すごい例え(笑)。
■最終話で火遊びをやめた? 『昼顔』古崎 『昼顔』は放送がすすむにつれて、マスコミや巷で話題にのぼっていきましたが、もともと井上由美子さんらしい緻密な構成が発揮され作品の質が高かった。これは前回の定点観測でも言いましたが、演出が『白い巨塔』の西谷弘さんで、黄金コンビの復活ということになるので最初から期待していたんですよ。ただ、井上さんも最近、中園ミホさんや大石静さんなどの華々しい女性脚本家の台頭の中でちょっと地味な扱いが続いていたのです。今回ようやく不倫ドラマというセンセーショナリズムで勝負に出て、再び注目が集まってきた形になっています。もともと井上ドラマは理詰めな構成が評価される人なんですけど今回はそこに登場人物の「情動」的な動きまでを計算に入れたことが新境地でしょう。中園さんや大石さんはどちらかといえば「情動」中心で人物を動かす傾向があるのですが、そういう他の作家の良い部分も自分の作風の中にとりこめた。しかも、単なる不倫ドラマじゃなく、社会の閉塞感からドロップアウトする人たちの姿を描いているという井上さんらしいクールな社会批評にもなっている。特に前半は「もう、こんな社会やめてみましょうよ」というような誘惑を視聴者向けにも発信していたところがすごかったですね。最後はテレビドラマとしてよくある無難な結末に収束させてしまってそこは賛否両論あるのでしょうけど。
宇野 なるほど。『昼顔』は、ひたすらうまいってのが僕の感想です。井上さんはものすごくテクニックのレベルが高い人だし、西谷さんより映画が撮れない同世代の映画監督なんていっぱいいる。『容疑者Xの献身』はもちろん、『真夏の方程式』は原作が面白くないからあの程度のヒットだったけど、もう絵作りも芝居の見せ方も隙がないでしょう? 原作次第では傑作になっていた可能性がある。そういうメンツを筆頭に、美術もロケも含めて、すごく丁寧なつくりでをしていた。
岡室 私は、あの最後が許せないんですよ。最後に上戸彩と吉瀬美智子が両方とも、なんで家庭に戻るのかがさっぱりわかんなかったですね。私は『金曜日の妻たちへ』で育ってきた世代ですが、『金妻』だと元に戻るにしても、やむにやまれぬ切なさがあって、切なさの中でみんな泣いたんですよね。でも、『昼顔』にはそういうのがない。
成馬 僕、結婚していないんでわからないんですけど、なんで不倫ものってみんな好きなんですか?(笑) 「好きな人いるんだったらとっとと別れろよ、お前ら」って思いながら見ていました(笑)。
岡室 そうなんです。最終話は「別れろよ、お前ら」という話なんですよ。どうしてあそこで家庭に戻れるのか。上戸彩夫婦なんて元サヤに収まろうとしても結局は別れるわけだし、一緒にいる根拠が何もない。子供もいないわけだし、今、結婚、離婚に関しては社会的な倫理って強くないじゃないですか。
成馬 大石静さんの『クレオパトラな女たち』を見た時も、社会的なモラルに反することを何でも肯定しているのに最終話で「不倫だけは絶対だめ」みたいな部分が強烈に出てくるから、そのあたりがよくわからなかった。
宇野 僕、『昼顔』の不倫はもっと大きなものの比喩だと思っているんです。上戸彩の旦那はいまどきの草食系男子で、超常識人で、結局不倫もしない。斎藤工の奥さんも、キャリアウーマンという言葉も馬鹿馬鹿しいくらいの普通に働いている女性で。すごく正しい人たちが描かれている。僕、『昼顔』が描きたかったのはそこだと思うんですよね。「政治的にも正しいし、倫理的にも正しいんだけれど、そんな連中の作る社会は超つまんねえよ」という。木下ほうかの編集長もそう。正論を言う程つまらない方向に向かっていく今の日本みたいなものを『昼顔』から僕は感じていた。
古崎 書き手は、もっとすごいものを描いているつもりだったと思うんですよ。それは不倫じゃなくて、例えばこの世の中を変えてしまいましょう、もっと人間が気持ちよく生きていくような社会にしましょう、というぐらいのことを書いていたつもりなんですよ。テレビという誰でも見られる媒体を通じてそれを語ることの影響を重く感じて、ある種の気負いすらあったのですよ。だからこそ最後は異様に自粛しちゃったんだと思います。作り手にとっては物語がどこに帰着しようが究極のところはどうでも良かったぐらいなのかも知れない。かつて山田太一さんもドラマの結末というものは所詮は予定調和的なものになるもので、何を最終回に至るまでに描いてきたかが重要なのだ、と言っていましたがそれを地で行くような考え方だったのではないでしょうか。
宇野 でも、『昼顔』はそれで良かったのか、という話なんですよ。
成馬 冒頭と最後で火をつけることが象徴的に描かれているんだけど、むしろその放火で何かをぶっ壊したかったってことですかね。
宇野 社会に火をつけたかったはずですよ。でも、「放火? 火遊びってよくないよね」みたいな感じで終わったから、ちょっとがっかりで。普通に考えたら上戸彩が焼身自殺して終わりでしょ? という。
■小泉孝太郎が才能を開花させた『ペテロの葬列』
宇野 あと、みなさんが挙げているのが『ペテロの葬列』ですね。
岡室 私、これまで小泉孝太郎をいいと思ったことがあまりなかったんだけど、あれを見ちゃうと原作を読んでも、小泉孝太郎の顔でしか出てこなくなる。それくらいハマりました。もちろん宮部みゆきの原作が面白いんですけど、それをドラマ化するにあたって全然失敗していない。構成もうまくいっていたし、リズムとかテンポとか、いろいろな意味で良かったですね。
宇野 小泉孝太郎が気の弱い入り婿の役をやるということで出オチのキャストかと思いきや、すごい役者に成長したことをみんなに思い知らせたシリーズですね。
古崎 『ペテロ』は良かったと私も思いますが、小泉孝太郎のキャラの造形は『名もなき毒』の時に既にできあがっていたものだと思うのです。そこはやはり続編ドラマ的な良さだと。0から1を創りだしていないということで私は3本のセレクトからは外したんですけどね。むしろ前作『名もなき毒』が「原石」のおもしろさがありました。平幹二朗の存在感が今作以上に立っていて作品の総括がしっくりしていました。またお話も数話ごとに転換する仕組みでこれはトータルとしてのまとまりという点では難点かも知れませんが、飽きさせなかった。
岡室 『名もなき毒』と違った点として、井出さん役の千葉哲也がすごかったと思うんです。あれだけ嫌な人をやれるってちょっとすごい。
宇野 あんな奴が職場にいたら、出社拒否になりますよね。
岡室 小泉孝太郎演じる主人公の良いところに触れても、絶対更正しないところがすごい。そこがドラマの強度になっている。
成馬 あの人もあの人で会社人間として生きてきた人生があって、上司に対しては泣いたり、家族を大事にしたりしている。そのあたりが嫌ですよね(笑)。
宇野 『名もなき毒』になくて『ペテロ』にあるのは女優の良さだと思う。ハセキョー(長谷川京子)と清水富美加は両方ともすごく良かった。ハセキョーは基本的に演技が出来ないんです。特にちょっと漫画っぽいキャラをやると、照れちゃって全然演技にならない印象がある。でも、『ペテロ』では本人のイヤらしいところと結びついているのかわからないけど、すごくハマり役でしたね。
成馬 でも、最終話はいらなくないですか? 最終話1話前で、細田善彦がバスジャックを起こして「御厨を連れてこい」と言うところが最高だった。存在しない謎のカリスマみたいな存在を「連れてこい」と言うわけですからね。それが、宮部みゆきが描きたかった宗教や自己啓発セミナーと企業が結託している恐さだと思うので、そこで俺の中では終わっているんです。最終話は正直、蛇足だと思った。
宇野 でも、あのシリーズ自体が「凄みを帯びない悪」というか「凡庸な悪」みたいなものに対して、どう人が向き合っていくのかというテーマなので、一般市民である小泉孝太郎が結局、身の丈に合わない生活を捨てていく部分は、ストーリー的には必要だと思うんだよね。あとは構成とか配分の問題でしかない。僕はあのエピソード自体はあったほうがいいと思う。
■時代を嗅ぎ取れる作家の明暗がはっきり分かれた『おやじの背中』
岡室 実は前回、『おやじの背中』をみなさんが評価していた中で、私だけあまり推していなかったんですけど、最終的には応援したいという気持ちになりました。視聴率が取れなかったがために、応援したいという気持ちになったところもありまして。とにかく今すごく活躍している脚本家を集めてドリームチームを作ったのに、脚本家の名前ではもはや視聴率が取れないことが素朴にショックでした。
宇野 めちゃめちゃおもしろかった回とクソだった回が、はっきりしましたよね。
岡室 私は山田太一の回がすごいと思いました。一話完結で親子の関係を描こうとするとファンタジーになってしまうんですけど、山田太一はそのことに自覚的で、逆手にとって力技でもっていくような脚本を書いていたんです。この回だけ、実の親子じゃないんですよね。親子を描くシリーズの主人公に独身の中年男性をもってきたというアイデアもすごい。
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『プラトニック』『ファースト・クラス』から『昼顔』『ペテロの葬列』まで ―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による春ドラマ総括と夏ドラマ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.136 ☆
2014-08-15 07:00220pt
『プラトニック』『ファースト・クラス』から
『昼顔』『ペテロの葬列』まで
岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による
春ドラマ総括と夏ドラマ
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.8.15 vol.136
http://wakusei2nd.com
テレビドラマファンの皆様、今回もお待たせしました! 3ヵ月に1度、日本屈指ドラマフリークたちが、前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くす「テレビドラマ定点観測室」。様々なドラマを見尽くしてきた目利きたちのコメントで、毎週の楽しみが倍増するのをお約束します。
▼ 生放送の内容はこちらから試聴できます。
前編
http://www.nicovideo.jp/watch/1406271134
後編
http://www.nicovideo.jp/watch/1406271256
◎構成:西森路代
宇野 皆さんこんにちは、評論家の宇野常寛です。「テレビドラマ定点観測室 2014 summer」のお時間がやってまいりました。この番組は、3カ月に1回、前クールのドラマの総括と今クールのドラマの期待株についてみんなで話し合う趣旨の番組です。前回に引き続き、ドラマを語るならこの人という御三方に来ていただきました。早稲田大学教授で演劇博物館館長の岡室美奈子先生、ドラマ評論家の成馬零一さん、そしてテレビドラマ研究家の古崎康成さんです。それではさっそく、前クールの総括から入っていきたいと思います。皆さんには「前クールこれが良かったベスト3」を考えてきてらっていますので、さっそく発表してください!
▼2014年春ドラマベスト3
宇野:『続・最後から二番目の恋』『プラトニック』『セーラーゾンビ』
岡室:『BORDER』『55歳からのハローライフ』『ファーストクラス』
成馬:『続・最後から二番目の恋』『モザイクジャパン』『ファーストクラス』
古崎:『55歳からのハローライフ』『BORDER』『プラトニック』
■淡々とした中の凄み『55歳からのハローライフ』
宇野 では、『55歳からのハローライフ』からいきましょうか。古崎さん、総評をお願いします。
古崎 このドラマは55歳周辺の人たちが何らかの人生の転機を迎え、その先をどう生きていくかを決断するプロセスを描くドラマで毎回、違う人物が主人公に据えられているのですね。第1回を見た印象は、音楽もほとんどなく、淡々と展開していて、でもそのわりに画面にすっと引き寄せられる、妙に力のある作品でまぁ、それなりに歯ごたえもあるな、というざくっとした印象を受けていたのですが、2回目以降、次第に描かれる人物の環境が過酷さを増していきます。最後はかなり壮絶になっていく。最終回のイッセー尾形が扮した55歳の人物になると金銭的な蓄積もない人物で体が悪いのに無理をして肉体労働をしている。そんなところに少年時代に慕っていた友人と再会するけど彼も同じように貧困で、その友人はラストに悲しい末路を迎えてしまう。このドラマが物凄いのは、そういう過酷さを増す題材を第1回と同じく淡々としたトーンで一貫して描かれているところにあります。最近はなるべく先入観を持たないよう、スタッフ情報などをなるべく仕入れず視聴するようにしているので制作統括を務めているのが『ハゲタカ』『外事警察』『あまちゃん』の訓覇圭(くるべ・けい)さんで、やっぱりこういう実績ある作り手の作品だったのだと後付けで知りました。
岡室 私もこの作品はとてもクオリティが高かったと思うんです。とくに最後のイッセー尾形、火野正平の演技はすごかったですね。全体的な配役についても、リリー・フランキーのふわっとした、現実と虚構の区別のつかない感じも面白かったし、小林薫、松尾スズキ、岩松了、奈良岡朋子といった名優、怪優が散りばめられていて、やはり訓覇さんのドラマは配役が素晴らしいと思いました。内容はというと、人生の転機をいろんな形で捉えていって、回を追うごとに現実の残酷さ、苛酷さが増していくんだけど、その中で主人公が他者との結びつきを見出していくんです。非常にきめ細やかに演出が行き届いている、いいドラマだったと思います。
宇野 なるほどね。いまニコ生で「NHKドラマしか収穫ないの?」ってコメントがありましたけど、NHKのドラマはレベルが高いんですよ。この状況はもうここ5、6年動いてないですよね。
成馬 もちろん見ていましたし、面白かったんですけど、ベスト3に入れたらちょっと負けかなと(笑)。凄すぎて隙がないんですよね。それに、基本的に下り坂のドラマなので、未来がないなと感じて、あまり好きになれなかったです。僕は、松尾スズキさんがペットロス症候群の人の役で出ていた話はすごく面白く見ていました。あとは第1回でリリー・フランキーがピエール瀧と会談するところは、映画『凶悪』を連想して、同じ高齢化社会つながりとして面白かったです。
宇野 現代の日本って、もはや高齢化社会じゃなくて高齢社会になっているんですよね。これまでは主人公が40代なだけで大人ドラマと言われていたのが、もう主人公が55歳になっている。民放のドラマだと、まだテレビが若者たちのものだという嘘をつかなきゃいけないから、ここまで大胆な主人公の年齢設定ができないけど、NHKはそんな嘘をつかなくていいから、こういう試みができるんですよね。
■ホームドラマをどうアップデートするか『続・最後から二番目の恋』
宇野 次は、僕と成馬さんがベストに挙げている『続・最後から二番目の恋』はどうでしょう。
成馬 今季のドラマは、テレビドラマという枠組みの中でいろんな実験がされたと思うんです。たとえば、『BORADER』や『MOZU』という二つの刑事ドラマを比較しても、全然方法論が違うし、いろんな手法が試されていたと思います。そんな中で、一番面白かったのは、テレビドラマというものの良さは何か? ということを一番突き詰めていた『続・最後から二番目の恋』だったと思います。ただ、『続』になって以降は、『最後から二番目の恋』という作品の世界観をどう広げていくかっていう、長いスパンの物語の入り口として見ていたので、一本の作品として評価するのは、けっこう難しいんですよね。
宇野 僕も『続』を見て、これでもうこのシリーズを何作も続けられるなっていう感じがしました。『最後から二番目の恋』を見たときに誰しもが思うのは、”最後の恋”は中井貴一とキョンキョンの恋なんだろうな、ということですよね。その”最後の恋”を前に、もうちょっと若い年下の加瀬亮や長谷川京子と”最後から二番目の恋”を繰り返す、っていうことをずっと続けていくモチーフだったんですよね。ところが、想定されていたのか制作の都合なのかはよくわからないんですけれども、『続』で加瀬亮さんが途中でいなくなっちゃうんですよ。でも、僕はこのことは結果的にプラスに作用したと思っています。加瀬亮君が途中退場したおかげで、恋愛というテーマから逃れることができて、変に縛られずに済んだなと。
「セフレ」っていうキーワードがあったように、はじめは、熟年にとってのセックスとは、恋愛とは、みたいな部分にフォーカスした内容をやるつもりだったと思うんです。それがもうちょっと普遍的な、ホームドラマをどうアップデートしていくかという内容に変わっていったのかなと。ホームドラマというジャンルは、若者がどんどん増えていって、若者の価値観に年を取った世代がどう向き合っていくのかっていうことで作られてきたわけですが、『続』は出来上がってみるとぜんぜんそうではなくて、全員30代なかば以上で、人生の下り坂、後半戦を迎えて、どう死に向かい合っていくのかという話になっている。加瀬君の途中退場もあって、ドラマのテーマを、人生の残り時間をどう受け入れていくのかっていう方にスイッチして、ホームドラマ2.0をどう作るのか、っていう問題に集約していっているように見えました。そのホームドラマの新しいビジョンが、毎回意図的に食卓のシーンを入れるシーンから見えてきたかなあ、というのが僕の評価です。
成馬 加瀬亮の演じた高山涼太は、フジテレビのヤングシナリオ大賞の第一回を受賞した坂元裕二がモデルだと思ったんですよ。新人ドラマコンテストの第一回を受賞して、そのあとちょっとスランプになるとか、繊細そうなところがめんどくさそうな感じとか、坂元さんっぽいじゃないですか(笑)。だから僕は、テレビドラマ版『まんが道』じゃないけど、岡田惠和さんと宮本理江子さんが、テレビドラマを作ってきた自分たちの世代の物語を、神話化しだしたのかのように見えて、ゾクゾクしたんですよ。一方で、鎌倉の方はどんどん都市伝説化していって、箱庭感がどんどん高まっていて、ドラマ自体が吉野千明サーガみたいになっていくわけじゃないですか。まぁ、これは裏読み的な面白さですが、おそらく吉野千明には、宮本理江子さんの今までの人生がかなり投影されていると思うんです。だから、なんで高山涼太が突然いなくなっちゃったんだろうというところが、すごく気になりますよね。果たして、再登場はあるのか。
岡室 そういうシフトチェンジがあったというのは分かるんですけど、やっぱり私は、最初のシリーズみたいなときめきが足りなかったな、という気がするんです。大人の恋愛が見られると期待しちゃうんですよね。『続』では、中井貴一と小泉今日子の会話もなんかもう、芸風になっちゃっていて。
宇野 僕は一作目と『続』は半分くらい別物として見ているんです。一作目の舞台になった鎌倉って、東京と沖縄の間にあるわけですよね。要するに『ちゅらさん』で描いた二つの世界の中間にある。『ちゅらさん』には東京が現実で沖縄がファンタジーという対比があった。この現実とファンタジーはそのまま生者の世界と死者の世界。そして本作の一作目は、中間地点としての鎌倉で、いわば半分死んでいるような、死に向かっていくような人たちの日常をどうとらえるか? ということを、すごく高いレベルで表現していた。それに対して『続』は、もう「若者」が存在感を示さない今の日本で、ホームドラマをどうアップデートするかというところに主題が移ったんだと思う。
成馬 ホームドラマのアップデートという試みは、おそらく10年くらい続けてみて、はじめて意味が出てくるんじゃないかなと思っています。だから『渡る世間は鬼ばかり』みたいに、できるだけ長く続けてほしいですよね。
岡室 テレビづくりの現場を描く、みたいなことは、面白かったですよね。
古崎 ここ数年の岡田惠和さんは実にあぶらが乗り切っている感じが漂っていますよね。あくまで想像ですけど、ご自身でも怖いくらい、何を書いても面白いものができちゃうって時期じゃないかと思います。『最後から二番目の恋』も、一作目ではいろんな伏線がラストにググッと収束していくという、普通の連ドラなら当然考慮されるべき全体ドラマ構造のうねりを考慮した作りをきちんと用意して作られていて見事だったんですけど、今回の『続』になってくるともうそんなことは考えていないのではないかとすら思わせられます。持ち合わせの力だけでその場その場をグイッと楽しませて、それでいてちゃんとそれなりにラストで見終わった感を持たせてしまった。この設定でいくらでも転がしていけるよ、という余裕すら感じました。
宇野 まさに横綱相撲って感じですよね。
古崎 今後、連作として続く可能性があらかじめ報じられてましたし、それは要するにラストに大きな結末が用意されないことを公にしてしまっていたということであるわけで、それならばそんな「ラストに向けた収束」なんてはじめから意識しないで多少好きなことを盛り込んでやっちゃおうという考えがあったとも言えそうです。一作目と比べると、『続』は主人公の仕事であるテレビドラマ制作の舞台裏を描くことに比重が置かれているじゃないですか。そこは、岡田さんの手持ちの、自分の知っている、見えている世界なわけで、もともと普段からあまり取材をせずに執筆される岡田さんがまったく改めて取材もせずに書いてしまった世界なんですね。知っている世界の中を好きに転がしてしまっているところがあるのかなと思ったんです。なので、あえてベスト3からは外したんですけど、面白かったのは面白かったですよね。
■新しい切り口の『BORDER』、作りこんだがパーツの古い『MOZU』
宇野 じゃあ、刑事ものについていきましょうか。岡室さんと古崎さんは、『MOZU』じゃなくて『BORDER』を挙げているんですね。
岡室 私、『BORDER』は毎週とても楽しみに見ていたんです。テレ朝なのに、これまでの安定路線刑事ドラマとは毛色が違っていて、まずそこが嬉しかったんですね。小栗旬の演技もすごくよかったですし。東日本大震災の前って、刑事がものすごく多い時期がありましたよね。『BORDER』は刑事ドラマなんだけれども、死者と対話できるという、新しい切り口を持ってきたんですよ。1回目は、死んじゃった被害者から犯人を教えてもらう安易なドラマかなとも思ったんですけど、2回目、3回目と、毎回いろんな工夫がありました。
宇野 この設定だとすぐマンネリ化するだろうなと思って見ていたら、いろんなパターンを出してきていて、手数が多いなという印象でした。
岡室 そうですね、ラストでもちょっと思いがけない展開があったりして。『BORDER』(境界線)が、生と死の境界線でもあるし、善と悪の境界線でもある。どちらの境界線を超えるところを描くのかなと思ったら、善と悪の方を超えちゃったみたいな話ですよね。主人公の小栗旬が最初からまさに境界線上の危ういところにいて、なかなか面白いなあと思いました。
古崎 私も第1回の時に当然『MOZU』との比較で見たわけですけど、導入部から複雑な展開の『MOZU』とは対照的な、いかにもテレ朝らしい、誰でも分かりやすい間口を広くとった手堅い刑事ドラマの導入部でそこにちょっと死者と対話が出来る能力を持った設定を加えてみたのだなと思いました。毎回、死者と対話するなかで犯人を捕まえていくというある意味、娯楽的な面白さを追求していくパターンが続くのかと思っていたらそうじゃなかった。確かに途中までは殺された者の声を聞き犯人を捕まえるカタルシスを味わうという分かりやすい展開だったものが、ある回で突然、犯人がつかまらないまま逃げきってしまう回が出て来た。見ている側はギョッと驚くわけでものすごくストレスがたまった。このあたりから徐々に勧善懲悪的な作りから脱落していきました。死者と対話していくと、事件の本当の真犯人を知ってしまうわけで、普通の刑事ドラマなら犯人が捕まらなくても「ひょっとしたらあいつは犯人じゃなかったかもしれない。まあ仕方ないか」とあきらめがつくがあるのですが、このドラマはもう絶対に殺していると分かっているのに真犯人が易々と逃げおおせてしまう。この不条理、不快感が視聴者も共有されて主人公の憤りと共有されていくんですよね。
再びその次の回は、通常どおりラストで犯人が捕まる展開になるわけなんですけど一度、捕まらない回があった効果は大きくてどこか満たされないのです。そしてあの最終回ですよ。またとんでもない、もう絶対的な悪が出てくる。ところがこれが捕まらない。そのときもう主人公も正義感が強いだけに精神構造がおかしくなっている。視聴者も同じように「なぜ、この男が捕まらないのだ」と憤っている。だったら、こうするしかないというラストなのですね。まさにボーダーを超えていって瞬間を描いてしまった衝撃の私刑のラストをさらっと描いてしまった。でも、少し時間を経て、改めてこのドラマを思い返すと、実は全然違うのではないかと、ちょっとぞっとさせられてくる。それは本当に主人公は死者と対話できていたのか? ということなんです。実は主人公はケガのせいで最初から精神が少し歪んでしまっているだけで、死者と対話できると勝手に思い込んでいただけだったのではないか、とも思えてしまうのです。だとすると、最後に人を突き落して殺してしまうというのはまさに私刑でしかないわけです。このドラマはじつは精神異常の人物が主人公で、勝手に死者と対話できていると思い込んでいるだけで、無関係の人を追いこんでいるという風にも読めてしまう面白さがあるわけです。お茶の間でふだん漫然と娯楽として刑事ものをのんびり見ている視聴者を、間口を広くすることで取り込んで、いつのまにかとんでもない領域までいざなってしまった。ラストまでみて愕然としている声がネットでも多数ありました。これは目的を持って足を運ぶ人だけを対象としている映画や演劇ではできない、なにげなく見ている人の多いテレビドラマだからこそ出来る所業なのですよ。それをこのドラマは実現してしまっているのです。
宇野 たとえば、『MOZU』が海外ドラマ的なリアリズム路線で、いわゆる自然主義のリアリズムではないんだけども映像で語っていくっていう路線なのに対して、『BORDER』っていうのは漫画的なキャラクターものの路線でやっていて、そういったファンタジー要素を入れることによって善悪のテーマとか、通常の刑事ものでは扱えないようなものを持ってきている。ここはすごくよくできていたと思うんです。でも、僕の立場からすると、これは平成仮面ライダーシリーズが順にたどった道だよな、と思っちゃうところがあって(笑)、さすがにベスト3に入れなかったんですよ。
成馬 多分、一番念頭にあったのは『ダークナイト』だと思うけど、刑事ドラマをやる時は、いい加減『ダークナイト』のことは忘れようよ、っていう感じはありますね。
岡室 映像的にはやはり『MOZU』が一番、しっかり作り込んでいました。
宇野 僕も、『MOZU』は映像的にすごく作り込んであって、スタッフの志が高くて、演出が凝っているところにはリスペクトしています。でも、日本のドラマでこういうことをやらなくてもいいんじゃないかなと思ってしまう。というのも、じゃあ海外のメガヒットシリーズとガチでやり合って勝てるの? っていうことなんですよ。もし、あそこまでやるんだったら、脚本とか描写のレベルでも完全にリミッターを解除して、本気で『24』を抜くつもりでやらないと、申し訳ないけれどもイミテーション感がどこか抜けないんじゃないかなと思うんです。
成馬 物語のパーツがことごとく古いですよね。浦沢直樹の『MONSTER』だったり、『ダークナイト』だったり。それがしんどかった。
宇野 『ダークナイト』って、90年代に盛り上がったサイコサスペンスを僕らが終わらせますっていう話なんですよね。ジョーカーが作中で登場するたびにニセのトラウマを語る。その一方で、本当にトラウマに縛られている人間はみんな心が弱くてジョーカーに太刀打ちできない。『ダークナイト』の公開が2008年で、いまテレビドラマでこれを見せられるのは結構つらいなという感じがありました。
成馬 『ダークナイト』って、触れるのが今は一番恥ずかしい時期だと思うんですよね。だから、しばらくはネタとして使うのはやめた方がいいよって気がする。
■酷いのに迫力があって毎週見ちゃう『ファーストクラス』宇野 あとベスト3に挙がっているものだと『ファーストクラス』ですか。僕も最後までベストに入れようか迷ったのが、実はこの作品です。
成馬 ドラマの冒頭にあるLiLiCoのナレーションがすごいんですよ。「さあ、これからエリカの素敵な冒険が始まるわよ♪」みたいなことを言うんですけど、このときのエリカって、沢尻エリカの事で、登場人物の名前じゃないんですよね(笑)。登場人物の名前は吉成ちなみっていうんですけど、最後までナレーションではちなみって名前を言わないんですよ。ある意味、フィクションとしてのドラマ空間を捨てていて、これは沢尻エリカのドラマですっていうことをナレーションで宣言しちゃっているんです。脚本は『泣かないと決めた日』と『名前をなくした女神』の渡辺千穂さんが書いていて、『ライフ〜壮絶なイジメと闘う少女の物語〜』から延々と続くフジテレビのいじめドラマの系譜にあるドラマなんですが、これまでさんざん書いてきた、人間関係の力学が生み出す暴力みたいなテーマを、全部「マウンティング」っていう概念であっさり処理している。だから、いじめのドロドロとした雰囲気が全部なくなって、あっさりしたバラエティ番組みたいになっていて、かなりいろんなものを捨てているんですよね。
他にも、LiLiCo本人が途中で、外資系の社長役として出てきたり、菜々緒の変なモノローグとか、細かいディテールが、ことごとくひどいんだけど、その酷さが何か面白いんですよね。
宇野 菜々緒のモノローグでびっくりしたのは、途中で「ゲラゲラポー」とか言っていたことですね。こいつ妖怪ウォッチまでやっているのか! アンテナ高いな、って(笑)。
成馬 あれ、頭の中で喋っているんですよね。細かいパーツは褒めようがないんだけど、なんか見ちゃう雑な迫力があるんですよね。途中から副音声を入れているんだけど、あれは多分、『テラスハウス』に対抗しようと思っているんだと思うんです。その時点でなんか素敵じゃないですか。『テラスハウス』とちゃんと戦おうと思っているドラマが、まだこの世にあるんだっていう(笑)。
宇野 『ライフ』が放送された2007年ごろは、ソーシャルメディアでそれまで「空気」としか言われてこなかった人間関係が具体的に可視化されることによって、みんなが何となく感じていたいじめの問題とかが言及され始めたばかりだったんですよね。それ7年立って社会に完全に定着してきて、ほぼ定番の「あるあるネタ」になってしまった時代のドラマがこの『ファーストクラス』ですよね。『ライフ』の頃は、マウンティングという現象を指摘するだけで作品になったんだけど、『ファーストクラス』は冒頭からマウンティングっていうものが社会にはあるという前提で、そのどぎついところの面白さをドラマにしますよっていうところから始まっていくっていう。
岡室 最初はただのネタドラマかと思っていたんですけど、男子は要らないこととか、女子の野心だとかを正面から描いてしまう潔さが面白いと思いました。最終的には、単に上り詰めて終わりなんじゃなくて、沢尻エリカが一番最下位のところからまた始めるというのがよかったですね。それが、すごく今の女子の気分を捕まえている感じがしました。
古崎 いま皆さんがおっしゃっているのを聞いて、なるほどそういう面白さがあるんだと思ったんですけど、昔からテレビドラマを愛して見ているものとしては、ちょっとこういうのはあんまり好きじゃないかなと。「時代の空気」というものを記録するという意味では意味のあるドラマだとは思うのですけど。みなさんキャパシティ広いなと思って、私は心が狭いのかなと(笑)。
宇野 僕はむしろ『ファーストクラス』を一番楽しみにしていたかな。今回は菜々緒さんがどんなヤバいことをするんだろう、みたいなところがとくに楽しみでしたね。これは余談ですが、最後の「I’ll
be back!」って台詞はアドリブらしいですよ。
成馬 個人的な興味でいうと、沢尻エリカはこれからどうすんだろうって思いますね。こんなドラマをやってしまった後は、もう、まともな役はできないですよね。『へルタースケルタ―』の時点で、かなり危うかったけど、沢尻エリカの役者人生が気になっています。
■『プラトニック』で野島伸司は若返りをあきらめた
宇野 『プラトニック』は僕と古崎さんが挙げていますが、古崎さんは『プラトニック』いかがでした?
古崎 4月の「テレビドラマ定点観測室」のとき、
(参考:http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar524910)
地上波の連ドラでもないのに期待ドラマ3本の中に入れさせてもらったのですが、すごくよかったですね。これまで野島伸司さんは高視聴率が話題になる方でいらしたわけですけど、今回はBSという、視聴率を第一義に考えなくてもいい放送形態だった。これまで課せられていた高視聴率という枷が取っ払われたら、野島さんは何をするのかなという興味を持って見ていたんです。
野島伸司さんのうまさはドラマ展開の各段階で視聴者がどういう心理でそのシーンを見ているのか、視聴者心理の抑揚を的確につかむ、そのトレース能力の高さにあると思うのです。それが視聴率という結果につながっていたのですけどそういう能力というものはただ数字を追うだけでなく、純粋に面白い物語を作ることに生かせるのだということを改めて示してくれた気がしています。また台詞が相変わらずうまい。一つ一つの台詞が真に迫ってくるのですね。残り少ない命しかない主人公がどうやって生きていくか、その立場になった者だからこそ見える世界というものが、それなりのリアリティをもってこちらの身に迫ってきたように感じられました。それはやはり元来のトレース能力の高さも寄与している。しかも、あのラストの全くそれまでと何の脈絡もない突拍子もない終わり方がドラマ作りの常識から一つ突き抜けたものになっている。
テレビドラマにしろ、映画にしろ、物語を扱うとどうしても起承転結といった伝統的な手法に良くも悪くも縛られて、ともすればいかに伏線を張って巧妙に見せていくか、みたいなところを一つの勝負どころみたいに考える向きがあって、ドラマ好きの人もそういうところを重視しがちです。脚本家の中にもその巧妙さを売りにしている意識の人もいらっしゃる。でも、『プラトニック』を見ると、伏線を張って収束するということが現実からいかに乖離しているかを示してくれてもいるわけです。現実の死ってたぶんこんなもんなんだろうなって感じがしました。
宇野 野島さんはこの10年あまりずっと、若返ろうとしていたと思うんですよ。なんとか時代にくらいついて、若返ろう若返ろうとしていた。その無理がたたって逆ギレしてしまったのが『ラブシャッフル』。最後に主人公の玉木宏が国会議員に立候補して「時代を80年代に戻せ」って演説して終わる(笑)。
でも、そんな野島さんのあがきも『49』ぐらいが限界で、それから『明日、ママがいない』を経て、完全にあきらめていますよね。それで、今はむしろ、昔の野島ドラマの世界観に戻ってきていると思うんです。時代にくっついていこうということもやめているし、ドラマのプロットを過剰にすることによって話題を引っ張っていこうという作り方も完全に捨てていて、自分が90年代から温めていた世界観を、いかに昇華するかということを、おそらく彼にとってはある程度特別な役者であろう堂本剛を通してやっている。
実際、堂本剛も吉田栄作も、過剰にやさしい男と過剰に強い男と、という対比で描かれているわけなのだけど、これは野島さんがずっと描いてきた男性像ですよね。そこに今回、中山美穂が演じる、心臓病の娘のためなら体も売るし、なんでもやるってしまうような、ちょっと頭のおかしいヒロインを置いている。野島さんは、ここで彼女のようなキャラクターを置くことによって、むしろ周囲の男たちを描きたかったんじゃないかと僕は思うんです。自分の感性をアップデートするのをやめて、自分の考えるかっこいい男はどうすれば成立するのか、生き残っていけるのかを、ひたすら追求したのがこの「プラトニック」だったんじゃないか。
成馬 途中で、堂本剛の脳腫瘍が治ってしまうのも驚きましたね。
宇野 そう、フラグをベキッと折っちゃった。
成馬 あれも、男らしさをいかに剥奪していくかという話なんですかね?
宇野 結局、堂本剛も吉田栄作も、野島さんの考える強さとか優しさっていうものを現代で説明することはできなくて、基本的には成立しないんだけど俺は好きだよ、みたいなところで描いていて、結構いさぎよいんですよね。5年前の野島さんだったら、彼の考える男らしさが世の中に成立するために、もう一回バブルを起こせと演説するわけですよ。それも完全にあきらめてしまっていて、個人的な領域というか、ファンタジーの中に完全に退避していったっていう感じがします。
成馬 この自己完結性は、本来の意味でのハードボイルドですよね。
古崎 難病とか不治の病という設定は所詮は描きたいものを描くためのドラマ上のツールでしかないという野島伸司の認識を感じますね。『ひとつ屋根の下2』でもラスト、酒井法子がケロッと直ってしまって愕然としたのを思い出しました。
■期待値が高まり過ぎた『ロンググットバイ』
宇野 ちょうどハードボイルドの話が出たので、全員が挙げていない、あのドラマの話をちょっとしますかね。『ロンググットバイ』!
成馬 ダメな作品だとは思ってないです。ただ、ベスト3に入れるほどではないかな。
岡室 ハードボイルドってこうだよねって、ちょっと突き放している感じがして、メタ的に見ると面白かったですよ。モデル体形の超美人ばっかり出てきたりして、ハードボイルドでは女はお飾りだよね!みたいな。
古崎 シンプルな話をわざと難しくしているようなところがありましたね。演出の堀切園健太郎さんは、『外事警察』のときは難しい話をうまく分かりやすく回しているなと思って見ていましたけど、今回は分かりやすく出来る話を無理に難しくしてしまっている。深刻そうに持って回った台詞が続いているので、小雪が「財前と聞いてお医者さんだと思いましたよ」と言っても、そこで笑っていいのかどうかわからないネタがあったりして。
宇野 僕も古崎さんの感想に近くて、喋りすぎと書き込みすぎ、要は盛り込みすぎですよね。特に最終回では、あんな風に原子力のポスターを出したりだとか、柄本明演じる原田平蔵が演説をしなくても、『ロンググットバイ』を最終回まで見るような人だったら言いたいことは伝わると思うんですよ。つまり、言ってしまえば、戦後社会批判でありテレビ社会批判ですよね。テレビ社会が象徴する戦後日本の虚偽、欺瞞を原田平蔵に象徴させていて、実現しなかった戦後日本のもう一つの可能性として、主人公の増沢磐二を描いているっていうのは誰の目にも明らかですよね。だからあんなしつこい描写はする必要はないんですよ。なんというか、ムックの解説記事みたいなことを本編に盛り込むのは、やめてくれないかなと。
それよりも、言葉とか露骨な描写に頼らないで、もっとあの世界を成立させる努力をするべきだと思いますよ。特に、僕は個人的に好きな役者だからあえて言うけど、最後の綾野剛の演技ですよね。有名原作なんだから、第1回の時点で、最後にああなることはみんな分かるわけですよね。あの再会のシーンがどれだけ悲しいものになるかっていうことが分かっているからあらかじめ視聴者のハードルが上がっているのに、綾野剛の演技が演出をふくめて応えられていない、っていうのが僕の感想ですね。
岡室 丁寧に作ってはいたし、言いたいこともわかるんですが、やっぱり『カーネーション』の制作チームでしたから、こちらの期待値が高すぎたのもありますね。
■企業もの、性の問題、疲弊した地方都市の話としても面白い『モザイクジャパン』
宇野 では、成馬さんが挙げている『モザイクジャパン』いきましょうか。
成馬 『モザイクジャパン』はWOWOWで、しかもR15指定だから見てない方が、多いと思うんですよ。これからDVDが出ると思うので、是非、そのタイミングで見てほしいです。個人的には上半期ベスト1の、すごく刺激を受けた作品です。
ドラマの内容は、ある地方の田舎町が、巨大AVメーカーに乗っ取られて、企業城下町みたいになっているという話で、あらゆる場所でAVの撮影が行われているという凄い状況になっている。主人公は、瑛太の弟の永山絢斗ですが、彼が実家に帰ってきたら、昔の友達とか、学校の先生も全員AVの撮影をやっているわけですよ。それで、そんなのおかしいんじゃないか、って言うんですけど、「あんたなんかにイオンもない町で生きてる私たちの気持ちがわかってたまるか」みたいに言われちゃうわけです。
AVをモチーフにしているため、男女の性意識の問題や、体を売ることの是非みたいなテーマもあるし、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』みたいな異法スレスレのベンチャー企業モノの要素もあって、物語は二転三転するんですけど、最終的には坂元裕二さんらしい男女の話になっていくんですよ。だから、企業ものとしても、性の問題としても、疲弊した地方都市の町おこしの話としても面白い。いろんな切り口があるので、これは皆さんに見てほしいと思って、ベスト3に入れました。
岡室 私も『モザイクジャパン』をベスト3に入れようか迷ったんですよ。初回のつくりがすごく好きで、永山絢人が普通に会社で働いていたら、いきなりそこがエロい場所になっちゃって、実は撮影現場でしたっていう仕掛けがあって、そこからちょっと引き込まれた感じがありましたね。
成馬 世界が全部テレビのセットになっちゃったみたいな感覚ですよね。
岡室 そうそう。それで、永山絢人がどんどんその世界の中に取り込まれていく。台詞がいちいち坂本さんらしいんですよね。演出の水田さんからちょっとお話を伺ったんですけど、WOWOWから坂本さんにオファーがあったときに、「何やってもいいですよ」って言われたらしいんです。それで、坂本さんが「だったら一番冒険的なことは何か?」っていうことでこういうドラマになったらしくて、やっぱりすごいなと思いました。
■『花咲舞が黙っていない』と『ルーズヴェルト・ゲーム』井戸潤対決
宇野 池井戸潤対決ということで、『花咲舞が黙っていない』と『ルーズヴェルト・ゲーム』はどうでしょうか。
僕は、どっちもよくできていると思うんだけど、『花咲舞』は水戸黄門すぎた(笑)。見ていて気持ちもほっこりするし、B級グルメとかも食べたくなるんだけど、毎週見なくてもいいかなっていう感じがしちゃうんです。
逆に『ルーズヴェルト・ゲーム』は物語の起伏が過剰で、しかしその過剰さのために何をやっても予定調和に見えていた。たとえば、見たらすぐに、江口洋介がいい人だってわかっちゃう。わかっちゃうのに、後半まで彼が善玉か悪玉かでじわじわ引っ張るでしょう?
あの冒険しないために冒険している感じがちょっと辛かったですね。それこそ『ルーズヴェルト・ゲーム』というタイトル通りに、最終的に8対7で勝つことがあらかじめ分かっているんですよね。そこらへんが池井戸潤物の限界なんだと思います。
池井戸潤さんの世界観は『半沢直樹』の頃からそうなんだけど、既存のシステムの中でいかにごまかしてやってくかっていう話でなんですよね。でも、たとえばITベンチャーの人間だったらあれを見て「その仕事辞めろよ」って、ひとこと言うんじゃないかなって思うんです。だから良くないっていう話ではなくて、『ルーズヴェルト・ゲーム』っていうタイトルが象徴するような緊張感を出したいんだったら、もう少し予定調和感を崩すような仕掛けが欲しかったですね。
成馬 俺はあんまり真面目に見ていなかったんですよ。良くも悪くも時代劇というか、ディズニーランドに行くみたいな感じで、池井戸潤ワールドに遊びに行くかー、みたいな。やっぱベタな上司がいるんだな、ってゲラゲラ笑って終わりというか。逆に言うと『半沢直樹』って、作り手の意図を超えた気持ち悪さみたいなものがあってだからあんなにヒットしたんだと思うんですけど、そういうグロテスクな迫力が、今回の2作には足りなかったのかな。
古崎 『ルーズヴェルト・ゲーム』は、ゴールデンタイムで多数のスターが出てきて、タイトルバックも顔写真が浮かんでは消えるような出し方だったし、まあ王道を行く伝統的なテレビドラマを出してきたのかなと。久々にそこをうまくバランスよく作ってまとめあげた作品だなと思って見ていました。『半沢直樹』よりそのへんは上をいっていたのではないかとすら思います。
『花咲舞が黙ってない』も、同じ池井戸潤が原作とはいえ、これはまた違う。杏という役者は、そんなに複雑な芝居はできない人だと思うですが、それがかえって持ち味になっている。複雑な芝居をしないがゆえに分りやすく、単純明快なドラマになって楽しめる。どこか篠原涼子のような雰囲気が漂っていてた。『ハケンの品格』とか、あの頃の好調だった水曜22時の日テレドラマがちょっと戻ってきたような感じを受けましたね。ここからもう少し弾けて日テレドラマが再び浮揚していくきっかけとなってほしいという期待を寄せているというところです。
宇野 工藤公康の息子が役者をやっていたということが、個人的には最大の驚きでした(笑)。
岡室 私は『半沢直樹』ってスカッとするだけのドラマだと思っていて、あんまり好きじゃなかったんですよ。倍返しっていうのも品がないって思っていたし。
成馬 たぶん、その不快感が面白かったんじゃないかな。
岡室 そうですよね。だから『ルーズヴェルト・ゲーム』はもっと頑張って作っているぶん、何を見ていいのかわからなかったという感じはありましたね。そんなにスカッともしないし。
■ゾンビものの常識を覆した隠れた傑作『セーラーゾンビ』宇野 僕は『セーラーゾンビ』を挙げようかな、これは僕しか挙げない気がするので。あれは非常によくできていて、たぶんAKBが出てなくても僕はベストに挙げたんじゃないかな。ゾンビっていうモチーフは、分りやすく言えば現代人の比喩なんですよね。夢とか将来的な自己実現とかをガツガツ追いかけるんじゃなくて、なんとなく個人的な欲望に根差して、だらだら生きている人が大半で、世の中は大した問題もなく回っちゃっていると。
その中で、アイドルになりたいとか、夢を見ている人たちがちょっと特別な視線で見られている。要するにアイドルというのは現代に生きていてもゾンビにならない稀有な存在なんだってことですよね。これは今の時代におけるアイドルブームの機能というか、位置づけを上手く取り込んでいると思った。
成馬 最終話のひとつ前で、夢のなかで女の子たちがゾンビになっちゃう話がありましたよね。あれが面白いのは、あいつらから見たら私たちがゾンビで、私たちから見たらあいつらがゾンビに見えるっていう風に描かれていたところで。その反転を描いたのは、良心的だなあと思って見ていました。
宇野 このドラマの中のゾンビって、あるリズムの歌がかかった時だけ体が勝手に踊っちゃって人を襲わなくなるんです。最終回で、主人公たちがゾンビたちに追い詰められるんですけど、主人公がアイドル志望だから開き直ってゾンビの前で歌を歌うんですね。歌っている間はゾンビに襲われないで生きていける。歌い疲れて体力が切れた瞬間に、たぶん襲われて死んじゃうんですよ。でも主人公は、「私は、いつまでたっても歌っていられるから大丈夫」って笑って終わる。
成馬 AKBのドラマって、『マジすか学園』のころから、基本的にAKBのことを描いてる寓話だったと思うんですよ。そう考えると、最初、ゾンビってファンの比喩なのかなと思ったんですよね。すごくえぐいことやっているなと思って見ていたんだけど、だんだんそれが社会とかそういうとこまで拡大していた。
宇野 僕も最初、ゾンビはファンのことかと思って見ていたんだけど、この作品ではもうゾンビって現代人全員のことなんですよね。AKBの自己批評っていう意味では『マジすか学園』には絶対に勝てないところを、今のアイドルブームが象徴する現代社会全般にうまく拡大することができていたと思うんです。演技も主役の大和田南那以外は良かったですよね。とくに、高橋朱里と川栄李奈はすごく良かった。
■どうしてこうなった? 『弱くても勝てます』
宇野 『弱くても勝てます』問題についてもちょっと触れておきましょうか。どうですか、岡室さん。
岡室 前回、期待のドラマとして挙げました。1話目見てちょっとヤバいなって思いつつ、それでもやっぱり応援したいという気持ちで挙げたんですけども、なかなか……。
宇野 思い入れが空回りしている感じがありますよね。
岡室 そうですね。それと、脚本家がちょっとまだ慣れてないのかなと。だから、ドラマの中盤からどんどん慣れてくるといいなって思ったんですけど、慣れないまま終わっちゃったという感じもありましたね。
宇野 この作品については、ドラマ界の宝であるプロデューサーの河野英裕さんのためにも、愛のあるツッコミをしなければいけないと思うのですが、 -
『失恋ショコラティエ』から『続・最後から二番目の恋』まで ―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による冬ドラマ総括と春ドラマ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.065 ☆
2014-05-07 07:00306pt
『失恋ショコラティエ』から 『続・最後から二番目の恋』まで 岡室美奈子×成馬零一 ×古崎康成×宇野常寛による 冬ドラマ総括と春ドラマ
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.5.7 vol.65
http://wakusei2nd.com
今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、名だたるドラマフリークの四人、岡室美奈子、成馬零一、古崎康成、そして宇野常寛。『ごちそうさん』『失恋ショコラティエ』などの話題作や今クールの期待作を語っていきます。
テレビドラマファンの皆様、今回もお待たせしました――。
3ヵ月に1度、名だたるドラマフリークたちが前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くすニコ生番組「テレビドラマ定点観測室」。2回めの今回は、冬ドラマと春ドラマを全国屈指のドラマフリークたちが語り合いました。これを読めば、より楽しいドラマライフが送れるはず!
▼ 生放送の内容はこちらから試聴できます。
前編
http://www.nicovideo.jp/watch/1397555297
後編
http://www.nicovideo.jp/watch/1397555600
◎構成:橋本 倫史
宇野 皆さんこんにちは、評論家の宇野常寛です。「テレビドラマ定点観測室 2014 spring」のお時間がやってまいりました。この番組は、3カ月に1回、前クールのドラマの総括と今クールのドラマの期待株についてみんなで話し合う趣旨の番組です。前回に引き続き、ドラマを語るならこの人という御三方に来ていただきました。早稲田大学教授で演劇博物館館長の岡室美奈子先生、ドラマ評論家の成馬零一さん、そしてテレビドラマ研究家の古崎康成さんです。
皆さんには「これが面白かった」という冬ドラマを3本、春ドラマの注目株を3本、事前に挙げてもらっています。まずは冬ドラマから振り返っていきましょうか。僕は『なぞの転校生』、『明日、ママがいない』、『ごちそうさん』の3本です。
岡室 私は初志貫徹で、前回この番組で期待株として挙げたのと同じ3本です。『なぞの転校生』、『失恋ショコラティエ』、『明日、ママがいない』。
成馬 僕は『天誅〜闇の仕置人〜』、『僕のいた時間』、『失恋ショコラティエ』です。
宇野 おお、そうきましたか。古崎さんは?
古崎 『なぞの転校生』、『失恋ショコラティエ』、『ごちそうさん』の3本ですね。
■『失恋ショコラティエ』は恋愛劇を更新できたのか?
宇野 じゃあ、僕以外の3人が挙げている『失恋ショコラティエ』から行きましょうかね。このドラマは話題を呼んだドラマでもありますが、古崎さんはいかがでしたか?
古崎 前回、第1回目を見た段階で期待株として挙げたのですが、全体を見終わってもほぼ予想通りの面白さでした。本作を見終わって気づかされたのは、2000年代以降、長らく恋愛ドラマ不振の時代が続いているとよく言われているのですが、それは違うのではないかということです。これまで多くのテレビドラマは美男美女の絵空事のような恋愛劇があまりに多すぎた。そのため視聴者が共感を得るような生の恋愛感覚からあまりにかけ離れていた面があるんじゃないかと思えてきました。確かに『電車男』とか『マンハッタンラブストーリー』や『モテキ』など、2000年代以降でも割と節目節目では恋愛ドラマの金字塔のような作品が出ているわけで、それにそのほかの多くの恋愛ドラマがキャッチアップ出来ていなかったのだと思うのです。『失恋ショコラティエ』も美男美女の恋愛劇ではあるのですが、その美男の松潤が泥まみれの恋愛をやっているんですよ。かっこいい松潤が赤裸々に恋愛にのめり込んでいく話になっていて、その生々しさがそれまでの壁を打破したんじゃないかな、と。ちょっと最終回はせっかくそれまで拡大した物語を急にまとめにかかったような慌ただしさでまったくもって予定調和的な収束が今一つに感じられたのですが、実は連続ドラマにとって最終回というものの比重は思ったほど大きくないものでして、最終回が記憶から薄れていくにつれ、のちに残る作品となっていくんじゃないかなと思って選ばせていただいております。
成馬 冬ドラマの中では上位に入るドラマだとは思うんですけど、実は不満のほうが多くて、「もっと出来たはずなのに」という気持ちがあります。というのも、最初は安達奈緒子さんが一人で脚本を担当するはずだったのが、第4話から越川美埜子という方も脚本を書いているんですよね。安達さんが書けなくなったのか、アイデアが没になったのかはわからないですが、その結果、今までの安達作品に較べると踏み込みが浅いドラマとなっている。
前回この番組を放送したときには途中までしか原作を読んでなかったんですけど、ドラマが終わったあとで最新刊(7巻)まで読んだんです。そうしたら途中まではほぼ原作通りの展開で、オリジナルなのは越川さんが担当した最後の2話、サエコ(石原さとみ)が妊娠したという話くらいなんですよね。そこから明確に物語が失速している。圧倒的に面白い原作に対してドラマがどう立ち向かったのかを考えると、出来なかったことのほうが多いんじゃないか。
宇野 なるほどね。僕がこのドラマを挙げてない理由もそこなんです。今期の中では面白かったドラマだし、演出も意欲的だったとは思うんですよ。誰もがあこがれる美男美女を描くのではなく、そこにちょっとした残念さを付け加えることで親近感を獲得するという原作のコンセプトを、きちんと実写に置き換えている。特に松潤に“残念なイケメン”をやらせるというのは非常にうまくいっていたと思う。ただ、それ以上に何かあったかというと、「ただ過不足がない」だけという印象を受けたんですよね。
成馬 原作のある恋愛ドラマでいうと、『東京ラブストーリー』はあきらかに原作を越えようとして作ってるじゃないですか。『GTO』もそうですよね。漫画をドラマ化する以上は、原作をなぞるんじゃなくて、ドラマならではのものを見たかったというのがあるんですよね。
宇野 ただ、『失恋ショコラティエ』は、フジテレビにおけるキャラクタードラマの集大成ではあるなと思ったんです。2008年に月9の『のだめカンタービレ』を観たとき、僕は結構ショックだったんですよね。「フジテレビがこんなキャラクターものをやっちゃうんだ」と。本来はフジ以外の3局がそれぞれの文脈で得意としてきたキャラクタードラマで月9が久しぶりに当たった。これはフジの勝利に見えて実は敗北なんじゃないかって当時は思った。でもあれから何年も経って、フジなりのキャラクタードラマの文法が確立されたな、とは思うんですよ。妄想シーンの扱いに顕著だけれど。
岡室 私はちょっと捉え方が違っていて、最終回が良かったんです(笑)。『失恋ショコラティエ』は、恋愛ドラマというよりも松潤の自立の物語になっていましたよね。このドラマには石原さとみと水川あさみと水原希子が出てきます。その誰かと松潤が最終的にくっつくのが恋愛ドラマだと思うんですけど、最終的には誰ともくっつかなかったでしょう。松潤は石原さとみから、水原と水川は松潤から、それぞれ自立していく。恋愛ドラマが成立しづらくなっている状況がそこにあらわれている気もして、あの終わり方は好きでした。
成馬 あの最終回は、あらすじとしては納得するんですけど、骨組みだけ投げて終わった印象があるんです。
このドラマがすごいのって、やっぱりサエコっていうキャラクターだと思うんですよね。えれな(水原希子)というセフレもOKみたいな先鋭的な女の子がいて、一方に薫子(水川あさみ)という恋愛に対して保守的な女性がいて、そこまではよくある対比ですよね。『東京ラブストーリー』のリカとさとみみたいな、でも、本作ではそこにもう一人サエコがいるという構図なんですけど、サエコだけよくわからないんですよね。たぶん作り手もわからなかったんじゃないかと思うし、原作者もまだ答えが出せてない気がする。でも、サエコがどういう存在かということに答えを出さないと『失恋ショコラティエ』って終われないと思うんですよね。このチームならそれができると思って期待していたのですが、その勝負を逃げたという印象がどうしても残る。
岡室 でも、サエコさんがわからないのは確信犯じゃないですかね? 松潤も言うじゃないですか、「一生わからないだろう」って。
宇野 原作者の水城せとなさんは少女漫画界をリードしている作家さんですけど、彼女は新しい恋愛ドラマを作ろうとしているんだと思うんです。今やもう、インターネットを通じて恋愛のあるあるネタがカジュアルに共有されるようになって、あんまりモテモテの人生を送っていなくても『失恋ショコラティエ』に出てくる恋愛あるあるネタで盛り上がれると思うんです。実際そういった消費のされ方をしているし、水城せとなさんもそこを意図して作ってると思うんですね。そこに今回のドラマが批評的に踏み込めたかというと、あんまり踏み込めなかったんじゃないかというのが僕の判断ですね。
■詩情豊かな『なぞの転校生』の“懐かしさ”
宇野 次に名前が挙がったのが『なぞの転校生』ですね。岡室さん、どうですか?
岡室 このドラマは爆発的に面白かったというわけではないんですけど、詩情豊かだったということですね。詩情が豊かなドラマって、今なかなかないんですよ。それは岩井俊二さんのテイストなのかどうかわからないけれど、好きなドラマでした。あと、本郷奏多君がすごく良かった。彼は今期の『弱くても勝てます〜青志先生とへっぽこ高校球児の野望〜』にも出てますけど、逸材ですよね。
宇野 いや、奏多君は逸材ですよね。もう、彼の浮き上がった存在感だけでこの作品は成立している。ちなみに彼は相当なガンダムオタクで、ガンプラビルダーとしても一目置かれている存在です。「なぞの転校生」って、まず役者がいいんですよ。奏多君は大前提として、ヒロインのみどりを演じた桜井美南、彼女はナベプロが久々に力を入れて売り出している女優で、微妙にイモっぽいところがちゃんと魅力になっている希有な存在だった。他の女優陣も、正統派の美少女とはちょっと言い難いんだけれども、演出で活きるタイプの子を揃えていて非常によかったです。不良グループの樋井明日香の行き場のない感じも良かったし、アスカ役の杉咲花の芯の強い感じもよかった。
古崎 実は前回のとき、私一人だけ『なぞの転校生』をベスト3から外してたんですよね。というのも、関西では1週間遅れて放送されていたので、第1話しか観てなかった。そのため転校生がまだ登場していなかった段階でして、第1話を観た限りは「何とまぁ辛気くさいドラマなんだろう」と感じていました。まるで『ゴーイング マイ ホーム』の二の舞ではないかと。岩井俊二さんはもともとテレビドラマの人だけれど、長らく映画をやっているうち、映画系の人がドラマを撮るとき、余計な描き込みの罠に陥りがちで、そこを懸念してしまったのですが、第2回での転校生の登場から急に物語が輝きはじめました。むしろゆったりとドラマが展開することが心地良さを生んでいた。その心地よさを視聴者と共感させてくれましたよね。そしてそれが計算でもあったわけで、後半、その心地よさがゆっくり破壊されていく。ついにはアスカ(杉咲花)の命がもう長くない、というような話が出てくる。何の落ち度もない、むしろ可愛らしいほどの存在の彼女の命があとわずかだと分かったとき、それまでのゆったりとしていた心地よい時間がかけがえのない存在に見えてくる。視聴者が劇中の登場人物の心情と共感するような演出になっていましたね。SFタッチのドラマでここまで完成度の高いものは最近あまりなかったんじゃないかという気がしましたね。
宇野 なるほど。唯一挙げてないのは成馬さんですけど、前回の「テレビドラマ定点観測室」では注目作として名前を挙げてましたよね?
成馬 今期は演出が良いドラマが多かったと思うんですよね。演出が良いドラマって序盤はすごく良いんだけど、中盤からだれてくるんです。『なぞの転校生』も途中からストーリーが成立しなくなって、岩田広一(中村蒼)ってこのドラマでほとんど何もやってないでしょう。広一やその幼なじみの香川みどり(桜井美南)は山沢典夫(本郷奏多)とほとんど絡まないで、勝手に平行世界から異世界の住人がやってきて、勝手に滅んで勝手に終わるって話じゃないですか。ある意味ではすごい脚本とも言えるんだけど、あんまりドラマとして褒めたくないという感じですね。
宇野 成馬さんの言っていることは非常に正しくて、脚本はあきらかに崩壊してるんですよ。原作は平凡な男の子とその幼なじみの女の子の前に“なぞの転校生”が現われて、つまりSF的な仕掛けを使って思春期の揺らぎを描く作品だったはずなのに、今回のドラマ版では後半は完全に、転校生と彼が使える異世界のお姫様(アスカ)の物語になってしまっているわけですよね。そうやってつまんないパートは全部置き去りにして、まあ、はっきり言ってしまえば原発問題が象徴する震災以降、というテーマに取り組みたかったわけでしょう?
でも主人公とヒロインの甘酸っぱくもほろ苦い青春の自意識のドラマを繊細に描けば描くほど、転校生とお姫様が抱えている戦争や文明といった大きなテーマと乖離していってしまう。この日常と大状況の二つがうまく結びつかないという問題は製作陣の問題というより、震災以前からこの国の想像力がずっとぶち当たっている病気の症例なんです。その症例をそのまま映し出したというのは、ある意味では誠実なんですよ。あのドラマで語られていることは、一言で言うと「震災や原発が象徴する圧倒的な現実を前にしたときに、僕たちは立ちすくむことしかできない」「思春期特有の自意識のゆらぎに、大きな問題を重ね合わせるところからはじめるしかない」ということですよね。「でも、立ちすくむところからしかものを考えるしかない」と。それは岩井さんらしい回答だし、岩井俊二からは世界がこう見えているんだということがわかるという点では面白かったけれど、もうそんな時代でもないんですよね。 自意識の問題に重ね合わせるところから出発して、具体的にどのようなかたちで大きな問題に再接続するか、というイメージももうだいぶ出てきて、そのかたちの違いを問うレベルで戦っているのが現代の想像力でしょう?
成馬 岩井俊二は脱原発の運動にも関わっていたから、そういったテーマがドラマの中にどう入っていくのかというところに期待してたんですよね。原作においては冷戦構造下の水爆のメタファーとして扱われていたものを、あきらかに原発のメタファーとして登場させたらどうなるんだろう、と。でも、それには答えられていませんよね。
宇野 「圧倒的な現実を前にしたとき、僕らは立ちすくむしかない、自意識の問題に還元するしかない」という絶望を描くことは、今さらフィクションで描かなきゃいけないことではないんだよね。前提すぎる上に、とっくに乗り越えられてしまった。90年代のサブカルチャーというのは、何もかも自意識の問題に還元することで現代性を表現しようとしていたわけですよね。それが『エヴァンゲリオン』や岩井俊二の『スワロウテイル』だったわけだけど、今回の『なぞの転校生』は当時の感覚からあんまりアップデートされていなくて、しかしそれはそれでまあ少し懐かしい気持ちで観てました。
岡室 でも、私はストーリーで持って行かないところがあのドラマのいいところだという気がしたんですよね。メッセージ的な志というのも感じなくて。
古崎 テレビドラマは映画以上に職能的に業務が分化していて、脚本家は脚本家としてキッチリした脚本を作るという職責を果たそうとしていて、一方で監督は監督としてしっかりとした演出と映像を見せようとしていて、脚本家と監督がそれぞれ別個に仕事をこなすところがあります。それはある面では中身のある作品を作り出す源泉になっているのだけど一方の弊害として、脚本は脚本だけで独立して意味のあるものを作りがちになってしまっている。脚本だけ読むと不十分であってもそこに映像が加わることで、言語感覚を越えた奇蹟のような場面が生まれる瞬間がある。その微妙な良さをこの仕組みではカバーできていない面があるのです。結果的に監督が見せ場を作る余白のようなものが生まれづらい面があるのです。そこを『なぞの転校生』は見事に乗り越えた。あれだけゆったりした展開は恐らく脚本だけ読んでいると辛気くさいものでしかない部分があるのですが映像が加わることで1+1が100ぐらいの魅力的なものになりえています。こういうものって脚本と監督が同じなら実現しやすいのですが、今回は脚本が岩井俊二さんで監督が長澤雅彦さんで別人が担当されている。でも企画プロデュースも岩井さんなんですよね。おそらく岩井さんと長澤さんはちゃんと話し合って、余白のある脚本をもとにすることで、結果としてこういう詩的な雰囲気のあるドラマが出来上がったんじゃないかと思うんです。その結果として、テレビドラマがなかなか越えられない壁を越えた仕事になったんじゃないか、と思えます。
成馬 皆さん、ラストはどう観ましたか? 最後のところで“アイデンティカ”――パラレルワールドを生きる岩田広一が助けにくるわけですよね。その岩田広一というのは、原作の小説に登場する岩田広一だとも言えるし、過去に少年ドラマシリーズでドラマ化されたときの岩田広一だとも言えるし、映画版に登場する岩田広一だとも言える。そういう意味では一種のメディアミックス論になっていて、これまでに映像化された『なぞの転校生』の一つ一つがこの現実の平行世界だったということを描いているわけだよね。
宇野 でも、それはもうやり尽くされちゃってる気がするんだよね。ノベルゲームなんかがやっていたことを、10年遅れで輸入してる感じがするな。10年くらい前にナイーブな男の子の自意識を救済するために特化した可能世界論が流行ったけど、ああいった社会に溢れかえっているマッチョ願望を弱めの肉食系がどう回復するか、なんてくだらない問題意識は震災後の世界では、というか大状況を前にしては無力であるということが証明されたというのが僕の感想ですね。。
岡室 私は本当に、震災に応答しているドラマというふうには全然観てなかったんですよね。岩井さんって基本的にリリカルな人じゃないですか。リリカルな作品を作るのはなかなか恥ずかしいんだけど、それをキッチリやっているところが私は好きだったんです。
■『明日、ママがいない』に見る野島伸司の美学
宇野 他にかぶっているのは『明日、ママがいない』ですかね。岡室さん、いかがですか?
岡室 あのドラマはまず、芦田愛菜ちゃんをメタ的に使っているところが面白かったですよね。ここ数年のドラマの傾向として、血縁関係や法的な結びつきとは関係のない家族のあり方を描く作品が増えていますよね。このドラマもその一環という気はしていたんですけど、決まりかけていた瞳(安達祐実)とポスト(芦田愛菜)の養子縁組を断って、「虚構の家族は駄目だ」という話になる。でも、その一方で、グループホームの施設長である佐々木(三上博史)が「おまえは俺の娘だ」と言って終わっていくのは謎ですよね。佐々木とポストの関係だって虚構の家族なのに、そっちはオーケーなのか、と。
宇野 野島さんって、本当はずっとああいう事を描きたかったんだと思うんですよね。『人間失格』なんかでも、いじめで家族が壊れてしまって、悪いことをしていた先生が死んだあとに、残された人々がトラウマを抱えながら生きていくところを描いてもよかったと思うんです。でも、それを具体的なコミュニティとして描くと嘘くさくなる――それが当時の野島伸司さんの美学だったわけですよね。ところが、それがここ数年で変わってきて、香取慎吾君が主演の『薔薇のない花屋』になると、壊れてしまった人たちが支え合って生きていく共同体に着地している。今回の『明日、ママがいない』では、かつて自分が描いてきた世界に対する批評を取り込んで、そうした共同体をストレートに描いているなという気はしたんですよね。
成馬 放送開始直後にクレームがついて、騒動になりましたよね。そうしたハプニングをどうドラマの中にフィードバックして盛り上げていくのかと楽しみにしてたんですよね。第6話で魔王(三上博史)が大演説をするんだけど、あれは明らかに抗議に対する反論だったでしょう。「大人の中には、価値観が固定され、自分が受け入れられないものをすべて否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくる者もいる」と。でも、騒動になったわりに視聴率は伸びなかったですよね。
宇野 結局、騒いでいたのはドラマに興味のない人たちですからね。
古崎 ただ、赤ちゃんポストという実在する団体を特定できてしまうものを深く考えず扱ったのは良くなかったですね。赤ちゃんポストをやっている病院をモチーフにしたドラマでは昨年、芸術祭優秀賞を受賞した、『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』という作品がありますが、その中でも施設側が真摯に問題に取り組もうとしている一方でマスコミによる興味本位の報道ぶりも少し描かれています。児童養護施設による児童虐待が現実に多く存在しているのは事実ですが『こうのとりのゆりかご』の団体が児童虐待をやっている事実はないわけでそこは配慮不足だったと言わざるを得ないでしょう。事前に企画書を見せて取材するとかそういうこともやっていない。これらを考え合わせると『明日、ママがいない』の序盤は話題性を得ようとするがあまりセンセーショナリズムに走りすぎの印象を受けました。騒ぎになったあと、時間もない中でできる限り改善を検討して実行した作り手の取り組みは誉められていいと思います。よく健闘していました。多少寓話的すぎる展開とはいえ、見応えのある部分もありました。ただ、だからこそ冒頭の暴走が残念でなりませんね。トータルとしてのまとまりも当然不十分なままでした。テレビマンはもっとテレビの持つ影響力の大きさを考えていく必要があるとは思いますね。もちろん過度に慎重になる必要はないのでしょうが、弱い立場で地道に頑張っている人を後ろから邪魔するようなことをしてはいけないのではないでしょうか。
■『ごちそうさん』の戦後編は何を描いたのか
宇野 僕と古崎さんが挙げているのが、『ごちそうさん』ですね。古崎さん、いかがですか?
古崎 1月期はそんなに面白いドラマが多かったわけではないので、3本選ぶとすれば『ごちそうさん』も入ってくるのかなということで名前を挙げたんです。
宇野 実は僕もそうなんです。
古崎 『ごちそうさん』はですね、伏線の張り方も見事だし、話の展開にも意外性があって最後まで楽しませてくれたし、朝ドラのフォーマットに乗りながら、そのフォーマットをアップデートしたという点で高い評価をしたいところなんですけど、『あまちゃん』のように朝ドラマの世界をググッと押し広げてくれるような面白さはちょっとなかったかなという気がするんですよね。
宇野 そうですね。『あまちゃん』が作品とその外側にある現実を繋げて物語を作っていたドラマだったのに比べると、『ごちそうさん』は良い意味でスタジオの中で閉じていて、しっかりと見せるドラマになっていました。役者も良かったと思うんです。キムラ緑子の代表作と言える作品になったと思うし、杏も良かったし、源ちゃんを演じた和田正人は特撮ファンにはおなじみの役者ですけど、彼もだいぶ株を上げましたよね。ただ、あえて難点を挙げるとすると、最後の1週がほんとに伏線を回収して終わってしまって、あのスタッフと役者陣ならもうちょっと頑張れたんじゃないかという感じはする。
『ごちそうさん』の後半のポイントの一つは、め以子(杏)の娘・ふ久(松浦雅)ですよね。彼女は親から科学する精神みたいなものを受け継いでいたんだけれども、戦争で一度折れてしまっていたわけですよね。その情熱が戦後になって復活して、自然エネルギーの開発をやりたいと言い出すんだけど、ここでスタッフのメッセージが明確に浮かび上がったと思うんです。『ごちそうさん』というドラマを作るときに、昔ながらの朝ドラとして女の一代記をオーソドックスに作り上げることもできたんだけど、それをちゃんと現代に繋いだというのは非常に良心的だし、優秀な作品だったと言える。
岡室 『ごちそうさん』が面白かったのは、登場人物を俯瞰的に見ているところなんです。夫の浮気だったり嫁イビリだったり、ドラマのネタになりそうなことはたくさん起こるわけですよね。でも、ドロドロとした方向には行かずに、距離感を持ってそれを眺めている感じがする。そうしてめ以子の人生を淡々と眺めているようなドラマの中に、いろんな広がりの要素が入ってくるんです。
『雲のじゅうたん』以来、朝ドラには職業路線がずっとあって、職業か主婦かという二つのあいだで揺れてきました。でも、め以子になると、そういうことはもうどうでもいいんですよ。家にいてごはんを作っているだけなんだけど、それが仕事にもなったりするわけです。それにめ以子は資質としては科学者なんです。おにぎり一つ握るのでも、いろんな塩を使い比べて、比較検討し、吟味していく。宇野さんがさきほどおっしゃったように、そうした科学的精神が娘のふ久に受け継がれていくという話が淡々としたストーリーの中に組み込まれて、現代のエネルギー問題にも繋がっていく。め以子はいろいろな人やものを料理で繋ぐハブなんです。すごく上手い脚本だなと感じましたね。
成馬 基本的に完成度の高いドラマだということはわかるんだけど、最後がひっかかるんですよ。まず、戦後編が長いですよね。1週間で終わっていいところを、だらだら1ヵ月も続けてしまっていて、しかもなぜかめ以子が反米を叫んでいる。物語の流れとして、次男の活男(西畑大吾)が死んでしまったことが原因というのは理解できるけど、そこが引っ掛かるんですよね。『ごちそうさん』において、め以子は正義の暴力性を常に背負っている存在で、今までは常に傷ついている誰かを無自覚に追い込んで行く存在として描かれていたわけですよ。それを突き詰めていくと、戦争を後押しした大衆というものを描けたんじゃないか。これまでの朝ドラは戦後民主主義の象徴として善良な女の子を描いていたのに対して、『ごちそうさん』は朝ドラヒロインの善良性を、加害者のものとして描けたはずなのに、活男を送り出す場面でのめ以子の立ち位置を曖昧にした結果として戦後編が中途半端になったのかなという感じがします。婦人会のニュートラルな描き方が、すごくいい線いってただけに惜しいです。序盤の和枝との対比として、子どもを戦地に送り出すことで活男を殺してしまっため以子のドラマが、もっと深く描けたはずなのに。
岡室 活男は、「料理が作りたい」と言って戦争に行くわけですよね。海軍に行けば料理修行ができる、と。め以子は最初反対してたんだけど、結局行かせちゃうじゃないですか。だから活男は死ななきゃいけなかったんだと思う。め以子は活男を死なせてしまったという罪悪感を背負わされるんだけど、それを反米を叫ぶことに転嫁していたわけです。ところがある日、アメリカの将校さんがやってきて、「自分の息子も料理が好きだったけど、戦争に行かせたせいでパール・ハーバーで死んだんだ」という話を聞いて、そこでめ以子もようやく覚醒する、と。
宇野 本当は活男を死なせない選択肢もあったはずなんだけど、死なせるほうが誠実だとスタッフは考えたんだと思います。結果的に戦争というテーマをうまく扱えたとは言い難いんだけど、そのテーマに踏み込まないよりはよかったんじゃないかな。
岡室 活男を死なせたのは、死んだ人に「ごちそうさん」と言わせたかったからでもあったと思うんです。「死んだ人は美味しいものを食べに帰ってくる」という中国の話も出てきますけど、死者まで含めて料理でもてなすというか、そういう世界を描きたかったんじゃないかという気はしますけどね。
成馬 これは『ごちそうさん』に限らないですけど、関東大震災から戦争にいたる流れを描くことで現代が描けちゃうんですよね。NHKでやっていた『足尾から来た女』も、足尾銅を原発と重ねて描いてたけど、ああいうことをやっても齟齬がないということは、今はちょっとめんどくさい時代なんだなと思いましたけど。
岡室 「ごちそうさん」は、すごく意識的に現代にリンクを張っている感じがしました。ただ、どこがゴールみたいな話ではないから、最終週で盛り上げるということにはならなかったですよね。悠太郎の帰還を淡々と描いたのはよかったけれど、たどり着いたところが「蔵座敷でお金持ちに料理を出す」というのでよかったのかどうか…。そこはよくわかりません。
宇野 め以子というヒロインは、あんまりパブリックなものに向いてないと思うんですよ。実際、彼女が守ってきたものは家族や仲間たちのコミュニティで、『ごちそうさん』はそれを肯定したいという気持ちが強かったわけですよね。そういう意味では、お店を出すと言っても蔵座敷でやるというのは良くも悪くもめ以子らしいという気がするし、もっと言ってしまうと戦後日本っぽいんです。パブリックなものは育たないで、ローカルな寄り合いだけが力を持っていくわけですからね。
■『僕のいた時間』に登場する、バックボーンの見えない不気味なキャラクター
宇野 次は成馬さんの挙げた『僕のいた時間』に行きましょう。
成馬 これを挙げたのは、『明日、ママがいない』を挙げなかったことへの答えでもあるんですよね。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を題材にしたドラマなんですが、ちゃんと取材して、日本ALS協会の協力も受けて作ったすごく誠実なアプローチのドラマです。僕は本来、こういう難病モノは好きじゃなくて、「僕シリーズ」もはっきり言って好きじゃないんですけど、それでもこの作品は最後まで楽しめて、それはチーフ演出の葉山裕記さんがニュートラルな少し引いた距離感でドラマを見せていたからだと思います。面白いのは二部構成になっていて、三浦春馬演じる主人公が「僕はALSです」と告白して、そこでガラッと世界観が変わるんです。それまでは小さな悪意がブツブツ出てきて、いつか爆発するんじゃないかという不穏な空気が漂っていたんですけど、病気を告白することでガラッと変わるんですよね。
宇野 後半、主人公が病気をカミングアウトすると登場人物がほぼ全員急にいい人になるんだよね。僕は多部ちゃんが好きだからそれだけで最後まで観るわけなんだけど――いいんだよ、いいんだけど、「ここから先は踏み込まない」という線を最初に引いていて、そこから本当に一歩も出なかった気がするんだよね。これと比べるのはどうかと思うけど、24時間テレビの2時間ドラマで放送された『車イスで僕は空を飛ぶ』と並べたときに、『車イスで僕は空を飛ぶ』のほうが制約が多かったはずなのに踏み込んだ作品になっていましたよね。『僕のいた時間』は意図的に踏み込まずにきれいに作ってはあるんだけど、そこに物足りなさを感じたかな。
岡室 私もまったく同じ感想です。脚本を書いているのは橋部敦子さんで、橋部さんらしい細やかさに溢れていました。病気のことをとても細やかに描いているのは良かったと思うんですけど、宇野さんがおっしゃったように、皆があまりにもコロッと良い人になっちゃうんですよね。主人公の拓人(三浦春馬)はたくさん痛みを抱えていたはずなのに、病気になった途端に病気以外の痛みがどんどん消えていっちゃう。それはどうなんだろうと思いました。
宇野 『車イスで僕は空を飛ぶ』だったら守(風間俊介)は自殺してますよね。
成馬 印象に残っているのが、拓人の弟・陸人(野村周平)。あれは明言されてないけど、軽度のアスペルガー症候群だと思うんですよね。人の気持ちがわからなくて、無神経なことをつい言ってしまう、と。陸人みたいな人間を近年のフジテレビのドラマは積極的に描こうとしていて、葉山裕記さんがサブで演出に入っている『大切なことはすべて君が教えてくれた』の三浦春馬が演じた柏木修二もそうだし、『それでも、生きてゆく』で、風間俊介が演じた三崎文哉もそうですよね。その行き着いた先が陸人君だったのかなという気はします。彼みたいな存在を破滅させないで、「ぼくは人の気持ちがわからないところもありますが、よろしくお願いします」と言わせて、職場に適応させる最終話も含めて、すごく面白かった。
宇野 ただ、陸人や守のようなキャラクターを描くんだったら、オタクというものをちゃんと調べたほうが良い気はするんだよね。橋部さんって、思春期にある普遍的な気持ちの動き方を拾って、描写の一つ一つから共感を生み出すというのが得意な人だと思うんですよ。その描写にリアリティはないんです。陸人と恵(多部未華子)がくっつくスピードだって遅過ぎるし、そこにリアリティはないんだけど、細かい台詞回しや感情の流れを作るのがうまいから共感できるというのが橋部さんの脚本の良いところで。
古崎 おっしゃる通り、橋部さんはリアリティを越えたところにある普遍的な感情を捉えるのが非常に巧みな作り手で、それゆえ会話劇を楽しく観せる力を相当持っておられる。ただ、そういう力があるがゆえにそれに頼りすぎている面があって時にもったいないと思うことがあるんですよね。言葉ではなくもっと映像の力を信用したらどうかと思ってしまうことが多々ありますね。本作でも終盤、主人公の拓人は病気になったおかげで両親とも理解し合うことができたし、周りの人とも積極的に関わることができるようになって、むしろ病気になることによって得たものが多かったという印象を見た者が持つように作られている。それはこの作品の描きたい主題に関わる部分だと思えるのですが、それを最終回で三浦春馬君が講演会という場でそれをそのまま口にしてしまうのですよね。それは直接語ると味気ないことこの上ないでしょう。語らずともドラマを観ている我々が感じ取っていくべき部分のはずなのに、視聴者や映像の力をあまり信用していないのか、すべて脚本に放り込んでしまう。だからイマジネーションによる広がりというものは少なかった。それが非常にもったいないという気がしますね。本作に限らず前々から感じられる傾向なんですが。
成馬 でも、それは演出レベルで結構やってましたよ。三浦春馬の表情だけの演技もいっぱいあったじゃないですか。
宇野 ちょっとね、作り手が春馬君演じる主人公のことを好き過ぎるんだよね。最後に主人公が物語全体を総括するような演説をするって、普通に考えたら最悪じゃない? ああいうのは冷めるんだよなあ。
■『天誅〜闇の仕事人〜』のカルトな仕上がり
宇野 まだ話していないのは、成馬さんが挙げた『天誅〜闇の仕事人〜』ですね。
成馬 皆さん、これはたぶん観てないですよね?
宇野 ちょっと観てないですね。
成馬 金曜日の8時からやっていたドラマなんですけど、泉ピン子が主人公というのはドラマとしてはリスキーで、誰が観ても『渡る世間は鬼ばかり』を連想してしまうわけですよね。でも、このドラマはそういうピン子の「渡鬼」的なイメージを逆手にとってそこに、デートDV、援助交際、オレオレ詐欺といった現代のブラックな状況をぶち込んでるんです。しかも、戦国時代からタイムスリップしてきた女忍者がいて、そこに京本政樹や柳沢慎吾、三ツ矢雄二といった個性の強い役者が集まってきて、秘密結社のようなグループを組織して現代の悪と戦って行くんですよ。これを普通にやったら明らかに破綻するんだけど、チーフ演出の西浦正記さんが力技でまとめあげている。西浦さんは凄く力のある演出家で『大切なことはすべて君が教えてくれた』や『リッチマン、プアウーマン』のチーフ演出だった人なんですけど、そういう意味では今期のドラマは、安達奈緒子さん、葉山浩記さんと、『大切な~』組が大きく活躍したクールだったとも言えます。視聴率や話題性では裏番組の『三匹のおっさん』に負けているんだけど、向こうが「ファミリーで観られるものを」という要請に応えてうまくまとめたドラマだったのに対して、こっちはやりたいことがめちゃくちゃだったせいでカルトな作品になっていたんです。
古崎 私はちょこちょこ観ていたんですけど、たしかに伝説になりそうなドラマでした(笑)。
成馬 すごいカルトですよね。「必殺シリーズ」とかが好きな人は楽しめると思います。
古崎 昔、7時台とかに30分もののドラマをやってましたよね。『スケバン刑事』とか。そういうものに近い試みではないかと思いますね。もっとやって欲しいという意味では良いドラマだったと思います。
■成り上がり物語としての『花子とアン』
宇野 ここまで冬ドラマの総括をしてきましたが、引き続き春ドラマの期待株について話していきたいと思います。僕の3本は『続・最後から二番目の恋』、『ロング・グッドバイ』、『極悪がんぼ』ですね。
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☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.004 ☆ 「『リーガル・ハイ2』から『失恋ショコラティエ』まで 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛が語り合った「テレビドラマ定点観測室 2014 winter」
2014-02-06 07:00306pt
『リーガル・ハイ2』から
『失恋ショコラティエ』まで
岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛
が語り合った
「テレビドラマ定点観測室 2014 winter」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.2.5 vol.003
http://wakusei2nd.com
★★☆宇野占い☆★★
人間関係でトラブル発生? 正面からぶつかってもお互い疲れるだけ。ここは一度問題からはなれて、リフレッシュすると解決策が見えて来るかも。気分転換には文芸からテレビドラマまで、想像力の最先端を走る物語たちへの批評を集めた評論集を読むのがベスト。
『原子爆弾とジョーカーなき世界 』宇野常寛(メディアファクトリー・2013) http://www.amazon.co.jp/dp/484015211X"今期のドラマは何を見たらいいんだろう?"
そんな皆さんの疑問にお応えするのは、名だたるドラマフリークの4人。
秋ドラマの総括に始まり、今期の期待作を熱く議論していきます。
テレビドラマファンの皆様、お待たせしました――。
PLANETSは本年から3ヵ月に1度、名だたるドラマフリークたちが前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くすニコ生番組「ドラマ定点観測室」をスタートさせました。
放送時に大変好評だったこの番組の模様を、メルマガ読者のみなさまにドーンとお届けします。今回お送りするのは1月18日、ジュードカフェから放送された秋ドラマと冬ドラマを語り合った座談会。これを読めば、より楽しいドラマライフが送れるはず!
▼ 生放送の内容はこちらから試聴できます。前編
http://www.nicovideo.jp/watch/1390447831
後編
http://www.nicovideo.jp/watch/1390448118
◎構成:橋本倫史
宇野 2013年は、『あまちゃん』、『半沢直樹』をはじめとして、『泣くな、はらちゃん』、『最高の離婚』など、テレビドラマの存在感が大きかった1年間でした。そこで、2014年は1クールごとに、今期はどの作品が面白いのか、どこを楽しんだらいいのか、皆さんと一緒に語っていきたいと思います。具体的には、前クールの総括と今クールの注目作について、順番に取り上げたいと思います。
それではここで、ゲストの方々をご紹介します。早稲田大学教授、演劇博物館館長として、テレビドラマと演劇の研究をされております岡室美奈子さん。ドラマ評論家として、昨年12月25日に『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』という本を出版された成馬零一さん。そして、テレビドラマ研究家で、「テレビドラマデータベース」というwebサイトを運営していらっしゃる古崎康成さん。本日の「ドラマ定点観測室 2014 winter」、このメンバーで熱く語っていきたいと思います。
それではさっそく、前クールの総括から始めたいと思います。お三方にはそれぞれ、秋ドラマの注目作を3つ選んでいただきました。では、それぞれ読み上げましょうかね。まずは岡室さんから。
岡室 はい。私は『リーガルハイ(二期)』、『独身貴族』、『安堂ロイド』です。
宇野 なるほど。成馬さんは?
成馬 『49』、『リーガルハイ(二期)』、『ごちそうさん』ですね。
宇野 古崎さんは?
古崎 『安堂ロイド』、『リーガルハイ(二期)』、『ごちそうさん』です。
宇野 僕は『49』、『リーガルハイ(二期)』、『天国の恋』ですが、全員『リーガルハイ(二期)』を挙げていて、圧倒的に注目を集めているということなので、まずは『リーガルハイ(二期)』から語っていきましょう。
■ シリーズとしての完成度を高めた『リーガルハイ(二期)』
岡室 『リーガルハイ(二期)』については、『半沢直樹』以降の堺雅人という注目もあったと思うんですけど、脚本家の古沢良太さんが『半沢直樹』を意識して遊んでいましたよね。「やられてなくてもやり返す」とかね(笑)。古沢さんも今が旬の人ですよね。古沢さんはいかに嘘と本当を織り交ぜながらその境界線をなくしていくかということでフィクションの面白さを打ち出していく脚本家だと思うんですけど、それが一番活きているのが『リーガルハイ』だと思うんです。最初のシリーズが面白かったんで、第2シリーズでは失速するかなと思ったら、岡田将生が演じた羽生晴樹というキャラクターの造形が素晴らしかった。
宇野 岡田君、良かったですよね。映画『告白』で岡田君の使い方というのが業界に発見されて、そのせいでここ何年かはクセのある役が多かったんだけど、その集大成と言うべきところもあったんじゃないかと思いますね。
成馬 僕の『キャラクタードラマの誕生』の中で、「6人の脚本家」の最後の一人に古沢さんを入れたんですよ。個人的には新人枠みたいな位置づけだったんですけど、『リーガルハイ(二期)』が出たことで、他の5人に並べても遜色のない人になりました。完成度で言えば今期一番でしたが、ただ出来過ぎかなっていう気もします。というのも、『リーガルハイ(一期)』って変な話だったじゃないですか。堺雅人演じる古美門研介という変態弁護士に物語がすべて集約されていたから、彼が何かすることですべてが動いていくというイビツな話でした。今回は羽生との二項対立をはじめとして、嫌われ者の弁護士と誰からも好かれる弁護士の対立であるとか、グローバリズムに直面した日本の問題であるとか、民主主義と裁判の対立であるとか、そういう明確な対立構造が全部作ってあって、非常によくできた脚本だとは思うんですよ。でも、それ故に構図が見え過ぎるところがあるので、僕の中の評価は『49』のほうが上なんです。
古崎 『リーガルハイ』は一期も非常に面白くて、その良さは破天荒なところにあると思います。古沢さん自身、「こういうのをやってみたらどうだろう?」と毎回おっかなびっくり変化球を投じていたんじゃないかと思うんですけども、それが好評だった。それで自信が生まれ、全体の仕組みをちゃんと用意した上で組み立てたので、一期よりも完成度は高いんですよ。でも、成馬さんがおっしゃった通り、語るにしてはまとまり過ぎていて、未完成なテレビドラマの面白さというのはなくなっていた。『リーガルハイ』の一期と二期のどちらを推すかで、その人が何を求めてテレビドラマを観るのかわかるんじゃないかと思いますね。
宇野 僕も『リーガルハイ(二期)』は途中までノレてないところがあった。メッセージ性がはっきりし過ぎているところが中盤まで気になっていたんです。でも、終わってから考えてみると、二期はそういうシーズンだったのかな、と納得感がある。つまり、二期は『リーガルハイ』という作品をこの先も3作、4作と続けていけるシリーズに成長させるためには何ができるのかを模索したシーズンだったと思うんですよ。今回は言ってしまえば「羽生編」で、羽生というキャラクターの影響で中身もイデオロギッシュになっている。ああいうキャラクターを『リーガルハイ』という器に入れるとどんなドラマができるのかという実験をやっていたとも言えるわけですが、そして羽生というキャラクターを入れても古美門は壊れなかった。そのことが大事な気がしていて、終わってみると良作だったなという気がする。この先、羽生の位置にどんなキャラクターが入るか、安藤貴和の事件に何が入るかによって、『リーガルハイ』はあの世界観を維持したまま物語のバリエーションを増やして続けていけるようになった。つまり、この二期をやり遂げたことでシリーズものとしての基礎固めができたんだなと思ったんです。だから、僕は終わってみたときのほうが評価高かったですね。
岡室 たしかに『リーガルハイ』はそういうシリーズものになっていくと思うんですけど、最終的には黛(新垣結衣)が古美門をいかに打ち倒すかという話になると思うんですね。今回、羽生というキャラクターが造形されましたが、黛は正義の人だけど、正義の人は下手をすると羽生のようになっていく可能性があるわけじゃないですか。二期というのは、黛が羽生のようになることを封じていく段階だった気がします。『リーガルハイ』は黛の成長物語として進んでいくのだと思うんですけど、そのためには一回羽生という段階をやらなきゃいけなかったんじゃないか。今回、黛が一回羽生の事務所に行きますよね。でも、そのあとに「やっぱり違う」と古美門の事務所に戻ってくる。その運動をやりたかったんじゃないかなと思います。
宇野 古崎さんはさきほど、『リーガルハイ』の一期と二期のどちらが好きかでその人のドラマ観がわかるとおっしゃってましたけど、古崎さんご自身はどっちがお好きですか?
古崎 率直に言うと、二期のほうが好みではあります。ドラマ好きというのは、やはり脚本がしっかりしていて伏線をキッチリ回収する――そうした作品の完成度の高さに気を取られてしまいます。完成度の高さとしては二期のほうが好きということになってしまいますが、破天荒さであるとか、無から有を作ったという意味では一期のほうがドラマ的な評価としては高く位置づけるべきだと自分を納得させているところです。
(古崎康成さん)
■ 『安堂ロイド』は木村拓哉を殺せたか?
宇野 古崎さんと岡室さんは『安堂ロイド』を挙げられていますが、これも評価が分かれる作品ですね。
古崎 『安堂ロイド』を担当したプロデューサーの植田博樹さんの一連の世界観、あれが好きだというのが率直なところです。植田さんがプロデュースしてきた作品は、『ケイゾク』と言い、『SPEC』と言い、この『安堂ロイド』と言い、ゴールデンに放送するテレビドラマという枠組でありながら、こういう最先端のSFタッチのドラマ――SF好きの人には「あのドラマは最先端とは言えない」と言われてしまいましたが――を放送したわけですよね。それも体制を変革するという、放送するのがなかなか難しい話を、ふざけた雰囲気を醸し出すことで成立させているという点で買いかな、と。たしかに細かい作りには問題もあるんですけども、こういう作品をやることで世界は変わっていくんじゃないかと思えたところがある。
宇野 僕はおそらく、あの当時に植田さんがドラマ界で暴れてなかったらドラマ好きにはなっていなかったと思うんですよね。あの当時、植田さんが担当していた『ケイゾク』を観てからドラマを定期的に観るようになった世代なんですよ。あのドラマを観て、アニメや演劇、サブカルチャーが好きだった10代、20代が「ドラマでもこんなことできるんだ!」と思ってテレビドラマに入っていくわけです。僕なんかその典型例で、そこから岡田惠和さんや野島伸司さんといったドラマプロパーの人たちのものを面白いなって思うようになって、段々ドラマオタクになっていく。『ケイゾク』から14年が経ち、『SPEC』を完結させた植田さんが『安堂ロイド』をやっている、と。『ケイゾク』の頃は演出がサブカルっぽいだけで、物語そのものは当時流行っていたアメリカン・サイコサスペンスの日本輸入の流れで作られていたのに、今回は物語までやりたい放題で、ゴールデンタイムで正面からSFをやってるわけです。日本のサブカルチャーにとってすごく大きな石をドラマ界に投じてきた植田さんが、15年経ってついに中心に躍り出て、直球で勝負している。その感慨はすごくありました。
ただ、仕上がったものを観ると、最後の最後でキムタクへの接待を外しきれなかった。すごく応援したいドラマなんだけど、45分間のうち2回か3回くらい眼鏡を外して溜め息をつきたくなる瞬間があったんですよね。
岡室 宇野さんがおっしゃったように、『SPEC』以来となる植田さんと脚本家・西萩弓絵さんのコンビですよね。私もそのコンビを応援したいという気持ちがあるし、やろうとしたこと自体は良かったと思うんだけれども、ドラマの構成としてはもっとテンポ感があると良かったかなという気がする。あと、中途半端にチープだったじゃないですか。もっとチープにして遊んでくれたら良かったと思うんですね。それと、キムタク問題ですね。キムタクは90年代に北川悦吏子さんの“等身大恋愛ドラマ”で登場した人で、基本的には日常的ナチュラリズムの人だと思っているんですけど、ゼロ年代以降はその人に総理大臣やレーサーといった非日常的な役柄しかやらせられなかったというのが残念な気がしていたんですね。今回はさらにそれを振り切って、アンドロイドを演じさせることでキムタクの日常性を封じ込めるほうに行って、それは試みとしては良かったと思うんですけれど、どうしてもあの人の持つナチュラリズムが露出しちゃうんですよ。それに、恋愛要素を入れちゃうとどうしても日常性とリンクせざるを得ないところがあるので、個人的にはもっとアンドロイドであって欲しかったという気持ちはあります。でも、試みとしては評価しておきたいというところです。
宇野 その気持ちはすごくわかります。だからこそ、あそこまでやるんだったら最後までやればよかったと思うのですが……。
成馬 SFとして考えるとあのドラマは駄目だったと思うんですけど、木村拓哉批判のドラマとして考えるとすごく好きなんですよね。特に初期の頃、木村拓哉に「僕は破壊されることが前提の消耗品だ」と言わせてるじゃないですか。それで実際に腕がもげたりする。ああいうふうに、木村拓哉という存在がボロボロになってるんだということを描いたドラマなんですよ。木村拓哉ももう40代になって、アイドルとしても――。
宇野 うまく年を取れていないキムタクはアンドロイドのようなものだ、と(笑)。
成馬 そう、だからここで一回殺してやろうよって話ですよ。最終的にはボロボロになって破壊されて、綺麗に終わりを迎えて、「第1期の木村拓哉はここで終わりです、第2期は脇役もできる俳優になります」って話だと思ってたんですよね。でも、そうならなかった。ここ数年、他のドラマだと木村拓哉殺しができなかったんですよ。『月の恋人』も、『PRICELESS』も、『南極大陸』も駄目だったけれど、それに比べるとはるかに良よかったと思う。もちろん、SFとしては言いたいことがたくさんあるし、西萩さんも途中降板みたいになっちゃって、そこでストーリーの噛み合わせが悪くなっちゃったのかな、と。
■ 『ごちそうさん』に見る、“理系の橋田壽賀子”森下佳子のロジカルな脚本
宇野 古崎さんと成馬さんは『ごちそうさん』を挙げてますね。
古崎 朝ドラは、前期の『あまちゃん』が大ブレイクして、その前は遊川和彦の『純と愛』で、かなり変化球をぶちこんできたわけですよね。NHKとしても、ここらで正統派をということで始まったのが『ごちそうさん』だったと思います。実際、始まってみると正統派路線で、これまでの朝ドラの常套的なパターンで、過去の時代を舞台にした家族が中心の作品でありつつ、これを現代風に味付けしてるというところがうまいのかな、と。鮮やかなのは、これまでの朝ドラのパターンを週替わりで出してきてるところですね。
宇野 これ、1週ごとに全然別の話になりますよね。たとえば第1週を観ると「いつもの戦前が舞台の朝ドラか」という印象でしたが、それが2週目になると『はいからさんが通る』的なラブコメになり、そして気がついたら嫁いびりドラマになって、それも数週で終わって子育てモノになっていく。それが鮮やかですよね。
古崎 今は不倫ドラマになってますよね。
成馬 今週はすごかったですね。あれは久々にドラマを観て皆で騒いでる感じがして楽しかった。
宇野 『あさイチ』でイノッチが過剰に西門悠太郎(東出昌大)を批判してましたけど、あれは心の中で西門に共感していることを覆い隠すために、彼はわざと過剰に批判しているんだと僕は理解してるんですよ。(笑)
岡室 『あさイチ』は奥様方が観てますからね。それはやっぱり、西門を批判せざるを得ないじゃないですか。私は『ごちそうさん』を挙げていないんですけど、面白く観ています。『あまちゃん』もそうだったと思いますけど、登場人物の誰にも感情移入できない作りになっている。だからドラマが様々な要素を取り入れながらも、一方的に誰が加害者で誰が被害者だという話にはならずに俯瞰的な視点から淡々と進んでいくところがありますよね。それがときに詩情を生んだりする。それと、私は、め以子(杏)は科学者だと思っているんですね。
宇野 それが裏のテーマですよね。
岡室 そう。塩むすびを作るにしても、いろんな塩を使って比較検討していく。そういう精神は、め以子の長女・ふ久にも受け継がれている。
成馬 裏テーマは科学と建築ですよね。だから僕は、この脚本を担当している森下佳子さんのことを“理系の橋田壽賀子”と呼んでいるんですけど、ものすごくロジカルな構成になってますよね。
宇野 『ごちそうさん』の根底には、すべての困難というのは人間の知恵と科学する心で解決するんだというポジティブな確信が流れている。家出をするだとか、浮気をするだとか、家庭崩壊してるだとか、表面的には酷い話が多いんだけれども、全然ネガティブな印象を与えないでしょう。わりと一般誌とかで「『あまちゃん』に比べると『ごちそうさん』は話題になってないですね」と訊かれたりするんですけど、視聴率も高いし、決して悪いドラマじゃない。ドラマファンは『あまちゃん』と変わらないぐらい面白く観てるということは、こういう場で言っておかなきゃいけない気がする。
岡室 今日(収録日:1/18)は結構不満ツイートが多かったですね。家を追い出されていた悠太郎が戻ってきたことに対して。
成馬 め以子が戻ってきた悠太郎を追い返したら最高でしたけどね。でも、このドラマはめ以子が西門家を乗っ取る話じゃないですか。
宇野 あれで悠太郎が追い出されて、自分も父親(近藤正臣)と同じような人生を歩むことになるのかなって一瞬思いませんでした?
成馬 和枝(キムラ緑子)も追い出されているわけですよね。そうしてめ以子に追い出されていった人たち――和枝や亜希子(加藤あい)が総動員でめ以子を倒しにいくんじゃないですか、最終的に(笑)。
宇野 あの中で、め以子がラジオに料理のレシピを投稿してますよね。そのラジオで、め以子よりも投稿が採用されている「ミセス・キャベジ」という人がいますけど、あれはおそらく和枝さんですよね。
岡室 そうなんですよ。こないだの放送で亜希子が「ミセス・キャベジのレシピです」ってカレーを出したから、亜希子がミセス・キャベジなんじゃないかと思ってたんですけどね。もしそうだったら、亜希子はもっと邪悪な存在でドロドロした展開になっていたでしょうけど、そうならないのが『ごちそうさん』なんですよね。嫁いびりとか夫の浮気とか、ドロドロしそうな要素をいっぱい持ち込んでくるのに、そうならずに次に進んでいく。そこがいい。
成馬 主人公のめ以子の周りにいる人たちは、全員傷ついていたりトラウマを抱えていたりするわけですよね。そこにめ以子がずけずけと入り込んでいって傷つけるというドラマでしょう。そこで回復する人もいるし、追い出される人もいるという、結構エグいドラマですよね。
宇野 これは古崎さんに聞いてみたいんですけど、森下佳子さんってどう位置づけたらいいんでしょうか。僕が最初に気になったのは『白夜行』の脚本でだったと思うのですが……
古崎 そうですね、『白夜行』とか『JIN―仁―』の脚本家です。端正な物づくりと言いますか、次の展開を少しずつ盛り込んでうまくストーリーを引っ張っていく脚本を書く人ですよね。観ている側からすると意外な方向に展開していくんだけど、それには事前に伏線が張られている。
宇野 あと、脇役の配置がうまいですよね。ムロツヨシがあんな重要な役になるとは思わなかった。脇役の一人一人にすごく愛情を注いで丁寧に作り込んであるな、と。
成馬 森下さんって、遊川和彦さんの弟子筋に当たる方ですよね。だから方法論も似ていて、『純と愛』で遊川さんがやり過ぎたことを、弟子にあたる森下さんが端正に作り直している感じもしました。
(成馬零一さん)
■ 優れた野島伸司批評としての『49』
宇野 他にかぶっているのは、僕と成馬さんが挙げた『49』ですね。今日は後半戦も含めて、野島伸司の話にならざるを得ないところがある。
成馬 これ、観てない人は観たほうがいですよ。ひたすら楽しいですよ。話を説明すると、お父さんが交通事故に遭っちゃって、お父さんの魂が息子のからだに入るんですよ。息子を演じているのはSexy Zoneの佐藤勝利君で、お父さんの魂が入った男の子が学園のヒーローになる話なんです。これは簡単に言うと、野島伸司が「最近の若いヤツらはだらしねえな、俺が高校生だったらもっと大活躍できるのに」って話なわけですよね。
宇野 『ラブ?シャッフル』あたりから、野島伸司って明らかにおかしくなってるんですよ。『ラブ?シャッフル』は超高層マンションにいるセレブたちが恋人交換ゲームをやっているドラマでしたけど、いかにも80年代のドラマにに出てくるようなキャラクターを登場させて、セリフ回しも演出もわざと80年代風に仕立てていくんだけど、いろいろ無理が出て最終的に物語を作れなくなっていくわけですよね。それで最後には主人公の玉木宏が衆議院議員か何かに立候補して、「日本をバブルの頃に戻せ!」みたいなことを演説して終わるっていうすごいドラマなんです。野島さんって今、明らかに物語が作れなくなって壊れているんだと思うんですよ。
成馬 どうだろう。最初から壊れていた気がするけど。
宇野 いや、90年代の野島さんは人間としては壊れてはいたんだけど、作家としてはむしろ端正に世界観を作っていた。当時は「世界は終わってるけど、だからこそ人間のイノセンスが問われる」ってことだけで物語を作れていたのが、そのピュアさ、イノセンスというのも実は社会に依存していたということが判明して、段々物語を作れなくなっていった、と。だから行き詰まると「80年代に戻せ」と政治的主張(笑)をかます。こうして「ピュアなものが成立するためには何が必要か」をずっと模索してたんだけど、今回の『49』ではそういうことは一回全部忘れて、子どもに戻って少年漫画をやったわけですよね。野島さんって、『フードファイト』とか『ゴールデンボウル』とか、少年漫画的なドラマツルギーを時々用いる人なんだけれど、今回は大人が少年漫画をやるんじゃなくて、野島伸司が佐藤勝利のからだに入り込んで、本当に少年目線に立って少年漫画をやることによって、大人の世界を忘れて自分のドラマを取り戻そうとする――その意味では野島のリハビリ作品にも見える。
成馬 野島伸司がいつも持っている説教性みたいなものがありますよね。それが今回は、お父さんが佐藤勝利のからだに入っているという距離感を作ることで、「ああ、お父さんっていつもそういうこと言うよね」という程度で終わらせるわけですよ。
宇野 今回の作品は、野島伸司が若い世代とはもうズレてしまっているということを初めて受け入れた作品とも言える。自分が何を言っても空回りしてしまうことを理解した上で、それをドラマを動かすための原動力としている。『49』って基本的に、佐藤勝利君の中に入ったバブル世代の中年男性がアツいことを言って、それで空回りつつも尊敬されるという、そのズレが物語を進めているわけでしょう。しかも、これは野島伸司の脚本にあったのか、それとも演出サイドのお遊びなのかはわからないけれど、野島伸司の説教くさい脚本が盛り上がると、なぜか挿入される美少年たちのダンスシーンとかで全部破壊していくわけでしょう。主人公たちがなぜかゴールデンボンバーの喜矢武豊に率いられて、喜矢武がつくった借金を返すために――。
成馬 ホストクラブで5人組くらいのオカマアイドルをやる、と(笑)。
宇野 それで「チキンバスケッツ」という謎の団体を作って、ネットで大ブレイクするという謎の展開になる(笑)。あれはスタッフがやっているんだとしたら野島批評として面白いし、野島伸司がやっているんだとしたら自己批評としてすごく面白い。隠れた名作ですね。
成馬 後半、子どもの意識も目覚め始めるんですよね。子どもはひきこもりで、何をやっても駄目な子なんですけど、お父さんが活躍してるのを見て自殺しようとするんですよ。その男の子に、最終的には「大丈夫だよ」とからだを返してあげるわけですけど、そこでいろんな小技を使っている。それが非常に巧妙で、単なる説教に終わってないんですよね。ちゃんと今の若い子たちの魅力を描いている。その一点だけでも評価していいと思います。
■ 『独身貴族』の臆面もないロマンチズム/『天国の恋』の破綻したダイナミズム
宇野 皆さんが挙げていた作品で語ってないのは……あ、岡室さん、『独身貴族』を挙げてるじゃないですか!
岡室 すみません(笑)。
宇野 『独身貴族』のどこが……主人公の草彅君の靴を磨いているあたりですか。
岡室 これは他の人が誰も挙げないだろうと思ってあえて挙げたんですけど、私は基本的に恋愛ドラマが好きなんです。恋愛ドラマが低調になって久しいですけど、それでも各クールにちょっとずつあるわけですね。『独身貴族』も、そんなに深いドラマではないんだけど、映画制作会社を舞台にすごくロマンティックに作ってある。途中で『ティファニーで朝食を』の「ムーンリバー」なんかも流れて、その臆面もないロマンチックぶりが私は好きだった。
宇野 僕はヒロインの北川景子が許せなかったです。まあ、設定的にはそこまで可愛くないんだけど、気安さのおかげでモテる系の役ではあるんだけど、「本当は自分のこと可愛いとわかってるのにお前!」感があるんですよ(笑)。
成馬 基本的には『マイ・フェア・レディ』のプロットですよね。北川景子は脚本家を目指している女性でしたけど、脚本家としての魅力は草彅剛が磨いて、女としての魅力は伊藤英明が磨いてくみたいな方向で。最初は面白かったんですけど、作中の脚本がもっと面白ければ『最後から二番目の恋』クラスまでいったのになと思います。
他に挙げてたのは……宇野君は『天国の恋』。
宇野 僕は中島丈博さんのドロドロした脚本が好きなんですよね。中島さんの脚本のモチーフになっているのは戦後的なフェミニズムなんですよ。たとえば『牡丹と薔薇』も『さくら心中』もそうだし、『非婚同盟』が典型的です。『非婚同盟』って、新人類とバブル世代のあいだの世代のヒロインたちが、男性中心の結婚制度を否定して非婚同盟を結成してシングルマザーになるんだけど、その娘たちは親の後ろ向きの男女平等に過剰反応して結婚同盟を結成するという話だった。要するに、80年代フェミニズム的なテーマが「死んだ」ことを描いた作品だった。
それで、中島さんはこのあとに一体何を作るのかと思って『天国の恋』を観ていたんですけど、案の定何も作れていなかった。つまり、後ろ向きの男女平等というものがネガティブな形で実現してしまった今、たとえば上野千鶴子的なテーゼでは現代的なドラマを作れなくなってしまっている。その結果として、『天国の恋』は若い男を食い散らかすみたいな話になっていて、その思いつきは面白かったんだけど、「今時のアラフォー女子って肉食らしいよ」みたいなことをちょろっと耳に入れて書いちゃった感があって、案の定後半になるとドラマが作れていない。それだけなら単に駄目なドラマなんだけど、『天国の恋』はそこからが面白いんですよ。ドラマでは脇役のはずの梢さん(沢井美優)というキャラクターがいて、彼女はヒロインの腹違いの妹という役を演じているんですけど、途中から彼女がほんとにおかしくなって、彼女が義理のお父さんと不倫して妊娠して家庭が崩壊していくドラマがすっかり物語の中心に移ってしまっていて、当初のテーマだったアラフォーのヒロインの自分探しがどうでもよくなっちゃう。あれは壊れた脚本だからこそ生まれたダイナミズムだと思うし、戦後的なアナクロニズムの権化のような家長と、再保守化した若い女性がグロテスクに結びつくという点では現代的でもあった。
……ということで、皆さんに注目作を語っていただきましたけども、他に秋クールのドラマで「これは語っておきたい」というのはありますか?
成馬 これはスペシャルドラマなんですけど『オリンピックの身代金』っていうテレ朝がやったドラマがあって。これは東京オリンピックでテロを起こす話で、たぶん企画は東京オリンピックが決まる前から進んでたと思うんですよね。たまたま特定機密保護法案と重なってすごくタイムリーな話だったんですけど、犯人は松山ケンイチなんですよ。オリンピックに向けて働いている労働者が冷遇されているから、松山ケンイチが立ち上がってテロを起こすという話で。松山ケンイチと言えば『銭ゲバ』ですけど、2020年の東京オリンピックのとき、こういう格差社会のテーマがもう一回くるんじゃないか。
宇野 そうだね。僕も次の『PLANETS』で、オリンピック破壊計画を特集しようかと思ってるから。
古崎 あと語っておきたいのは、『ハクバノ王子サマ』。あのドラマ、出だしはかなり好きだったんですよ。優香が主演で、若い教師にしてしまうんですけど、始まりがプラトニックで、教養小説のようなところが返って新しく感じがしたんです。テレビマンユニオンが制作に入っているだけに端正に作られていましたが、途中に出てくる不倫の描写にリアリティがなかったと思うんですよ。
岡室 私も好きで観てたんですよ。優香のやっている役にすごくリアリティがあって、ドキドキしながら観てたんですけど、途中からちょっとツラくなりましたね。
(岡室美奈子さん)
■“恋愛ゾンビもの”の系譜にある『失恋ショコラティエ』
宇野 では、後半は今期の冬ドラマの注目作について語っていきたいと思います。皆さん、事前に書いてもらった3作を発表してください。
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