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記事 18件
  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第5回 喪われた歴史:1996-97(後編)

    2019-07-09 07:00  
    540pt

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第5回の後編をお届けします。1997年の「つくる会」発足に端を発する右傾化、その背景には、基軸なきポスト冷戦期における相対主義の浮上など、複雑な世相がありました。一方、カルチャーの世界では、安室奈美恵が女子高生のカリスマとなり、宮崎駿が国民的映画監督としての地位を固めます。
    死産した「歴史修正主義」
     私が歴史修正主義(者)という用語をはじめて耳にしたのは、高校2年生だった1996年ごろだと思います。歴史ではなく英語の授業で、文脈を思い出せませんが“revisionist”という単語が登場し、「日本でいうと藤岡信勝とか、西尾幹二のような人だね」と解説された記憶があるのです。もっともそのときはさほど気に留めず、まさかこの語彙が――2001年9月11日の後のterroristのように――「市民社会が忌むべき対象」として平成日本で普及してゆくとは、想像もしませんでした。
     97年の「つくる会」発足へといたる平成初期の歴史修正主義の台頭は、これまで歴史の「軽さ」がもたらしてきたものとして、いささか浅薄にあしらわれてきたように思います。日本におけるrevisionismが最初に世界で問題視されたのは、1995年初頭のマルコポーロ事件。歴史学は素人の著者(医師)が、極右思想というより純粋に推理ゲームのような筆致で「ナチス・ドイツの収容所にガス室はなかった」と唱える論考が雑誌『マルコポーロ』に載ったもので(注19)、ユダヤ人団体をはじめ海外から非難が殺到。発行元の文藝春秋は同誌を廃刊とし、花田紀凱編集長の退社につながりました。
     お察しのとおり、直後の95年3月には地下鉄サリン事件が起こり、仮想戦記や陰謀史観をつぎはぎしたオウム真理教の「偽史」的世界観に注目が集まります。教団の広報担当としてテレビに反論した上祐史浩(現・ひかりの輪代表)の狂信的な熱弁は話題を呼び、「ああいえば上祐」(こういう、との掛詞)なる流行語を生むほどでした。話の内容(歴史観)じたいはチープでも、パフォーマンスで圧倒すればいい。つくる会の発足後、こうしたディベート的な心性とのつながりを最初に批判したのは、サブカルチャーと社会問題の接点で評論活動を展開していた大塚英志さんです(注20)。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第5回 喪われた歴史:1996-97(前編)

    2019-06-26 07:00  
    540pt

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第5回をお届けします。1996年、日本の戦後史を象徴する3人の歴史家(丸山真男、高坂正堯、司馬遼太郎)が逝去。以降「歴史の摩耗」は止めどなく進行します。今回は「歴史」が生きていた最後の時期――自社さ連立政権時代を振り返ります。
    「戦後の神々」の黄昏
     後世にも歴史学という営みが続くなら、平成9年(1997年)は「右傾化の原点」と記されるかもしれません。同年1月、西尾幹二会長・藤岡信勝副会長の体制で「新しい歴史教科書をつくる会」が発足(創立の記者会見は前年末)。5月には既存の保守系二団体が合同して「日本会議」が結成されます。また96年10月の最初の小選挙区制での衆院選に自民党(橋本龍太郎総裁)が勝利して以降、社民党と新党さきがけは閣外協力に転じていましたが、新進党からの引きぬきにより97年9月に自民党は衆院で単独過半数を回復、社さ両党の存在感が消えました(翌年に正式に連立解消)。
     しかし一歩ひいた目で眺めると、「つくる会」とその批判者が繰りひろげた論争にもかかわらず、この平成ゼロ年代の末期は歴史が摩耗していく――「過去からの積み重ね」が社会的な共通感覚をやしなう文脈として、もはや機能しなくなる時代の先触れだったように思えます。その象徴がいずれも1996年に起こった、3人の「歴史家」の逝去でしょう。すなわち東大法学部に日本政治思想史の講座を開いた丸山眞男(享年82歳)、京大で独自の国際政治学をうちたてた高坂正堯(62歳)、小説のみならず紀行文や史論でも知られた歴史作家の司馬遼太郎(72歳)です。
     戦後の前半期、思想史家としての本店のほかに「夜店」として数々の政治評論をものし、60年安保の運動も指導した丸山は「戦後民主主義の教祖」のイメージが強く、かえって生の肉声が知られていないところがあります。近年活字化された録音テープを基に、平成初頭の彼の発言を聞くと、そうした先入見とは違った意外な姿が見えてきます。
    「マスコミはひどいですよ、『社会主義の滅亡』とか『没落』とかね。……第一に理念と現実との単純な区別がない。これは戦後民主主義〔の場合〕と同じです。現実の日本の政治のことを戦後民主主義と言っているわけだ。どこまで戦後民主主義の理念というものが現実の政治の中で実現されているのか、現実政治を測る基準として、戦後民主主義で測っているのか、というと、そうじゃないわけです」[1](1991年11月)
     これ自体は「教祖」らしい発言です。戦後民主主義というとき、たんに実態として戦後、いかなる政治が展開されたかを追うだけでは意味がない。そうではなく価値の尺度――言語化された理念として、むしろ批判的に現実と対峙してきた思想の営みこそを「戦後民主主義」と呼ばねばならない。しかし重要なのは、当時盛んに言われた「社会主義の滅亡」に対しても、同じ態度が必要だと丸山が主張している点です。眼前に崩壊しつつあったソビエト連邦の現実とは異なる、理念としての社会主義をみなければ意味がないというわけですね。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第4回 砕けゆく帝国:1995

    2019-05-09 07:00  
    540pt

    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第4回をお届けします。時代の転換点と言われる「1995年」。55年体制の終焉、オウム真理教事件、サブカルチャーの爛熟ーーその背景にあったのは、かつて江藤淳が「ごっこ遊び」と批判した、戦後日本の欺瞞を覆い隠していたアイロニーの機能不全でした。
    エヴァ、戦後のむこうに
    「それは今すぐにも切り裂かれる空の、告別の弥撒(ミサ)のようだ。パイプ・オルガンの光りだ、あれは。  ……この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のように私は仕込まれている。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知るだろう」[1]
     1995(平成7)年10月4日に初回が放送され、97年7月公開の旧劇場版(Air/まごころを、君に)での完結まで一大旋風を巻き起こしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のノベライズにある一節です――と書いたら、ひっかかる人はいるでしょうか。もちろんそうではなく、三島由紀夫が1968年に発表した自伝的な随想『太陽と鉄』の末尾にある、自衛隊機F104への搭乗記の一部です。
     『太陽と鉄』の鉄とは、ボディビルディングに使用していたバーベルのこと。同書が刊行された68年10月に三島は民兵組織「楯の会」を発足させ、70年11月25日の割腹自殺へと歩みはじめます。この大文学者の想像力のなかでも、性的なマッチョイズムが軍服と私兵と機械(戦闘機=銀いろの鋭利な男根)に形象化されていたことが[2]、よくわかる美文と言えるでしょう。
     『新世紀エヴァンゲリオン』(旧エヴァ)が平成前半の日本で社会現象となった理由は、さまざまに語られてきました。主人公・碇シンジら中学生の心の闇(家庭崩壊やコミュニケーション不全)を描くシナリオと、95年のスクールカウンセラー事業開始にみられる心理主義的な風潮との合致。キリスト教(敵キャラクター=使徒)と異教との対立をモチーフに人類全体の浄化(補完)をめざす闇の組織ネルフが、やはり95年の春から大問題となるオウム真理教を連想させたという偶然[3]。ブルセラショップが街にあふれる時代とシンクロした、青少年向けのTV番組としてはきわどい性描写など。
     しかし高校生だった当時エヴァをまったく見ておらず、2007年に大学教員になって日本文化史を講じるためにようやく鑑賞した私には、この作品がむしろ違うことを訴えていたように思えます。『旧エヴァ』は14歳の碇シンジの失敗し続けるビルドゥングス・ロマン(成長物語)である以上に、つねに軍服に身を包み悪役然として登場するその父・ゲンドウが、いかに「父になれない」存在かが主題だったのではないか、と。
     総監督の庵野秀明さんは1960年生なので、本人の体験ではないのでしょうが、ゲンドウには全共闘時代(70年安保)の過激派学生を思わせるところがあります。主要人物の過去が描かれるTV版のなかば、傷害事件で収監されたゲンドウが釈放されるシーンがありますが、引受人は善人そうな大学教授の冬月コウゾウ。この冬月は結局ゲンドウに、事実上自分の研究室(と女子学生・碇ユイ――シンジの母)を乗っとられるわけですが、その後一時はもぐりの医者をしてセカンドインパクトの被災者に尽くしたという描写にも、冷戦下の「良心的知識人」の戯画としての性格がうかがえます。
     温厚で理知的だが、暴力をためらう冬月のような甘っちょろい(または、平和ボケした)インテリ教授の権威を転覆して、権謀術数に手を染め「解放区」のように治外法権が許される特務機関ネルフの支配者におさまったゲンドウ。しかし、彼の内面は空疎です。亡妻ユイの思い出にいつまでも執着し、その似姿としての人造人間・綾波レイをクローンのように量産しては溺愛する。いっぽうで実の――かつ同性の――子であるシンジとは向きあい方がわからず、世話役を部下の葛城ミサトに丸投げ。
     そうした目で見ると「全共闘世代は父になれるか」こそが、『旧エヴァ』の命題ではなかったかという気がしてきます。全共闘の担い手は団塊の世代(終戦直後の1947~49年生まれ。命名者は堺屋太一)と重なりますが、「団塊親」こそは放映当時、宮台真司氏が「かれらの世代がかつて〔学生運動で〕世間や道徳を否定した実績ゆえに、親本人が絶対的な道徳を信じていない」[4]ため、ブルセラ女子高生を叱る権威をもちえないと指摘していた世代でした。叱ったところでゲンドウのような「厳父のコスプレ」にしかなりえない人びと、ということですね。
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  • 與那覇潤×宇野常寛 ベストセラーで読む平成史――『ウェブ進化論』と『電車男』(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-30 07:00  
    540pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、「文學界」に掲載された與那覇潤さんと宇野常寛との対談をお届けします。インターネットが普及し、様々な新しい文化が花開いたゼロ年代。そんな時代状況をそれぞれのかたちで映し出し、ベストセラーとなった2冊の本から、日本のウェブ空間と「近代的個人」の問題を読み解きます。(初出:『文學界』2014年10月号) ※この記事は2014年10月9日に配信された記事の再配信です。※この記事の前編はこちら
     
    與那覇 前回は平成の政治家二人の書物を取り上げて、ウェブ世代にとっての「政治」の新しいフォーマットとはなんだろうかという話になりました。今回はインターネット界隈から生まれた2000年代半ばの二冊のベストセラーから、ウェブ体験が私たちの社会をどう変えたかを考えたい。
    まずは梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006年)。「〇〇2・0」というすっかり定着したフレーズも、同書が唱えた「Web2.0」が元祖でしたよね。新しいインターネットの上では「誰もが自由に、別に誰かの許可を得なくても、あるサービスの発展や、ひいてはウェブ全体の発展に参加できる」(120P)。不特定多数の力が何かを生むことを信じて、みずからの情報データベースをどんどんオープンにしてユーザーを獲得していく、Googleやアマゾンがその象徴だと。
    宇野 この本は一時期、不当に槍玉に挙がることが多かったと思うんです。要するに、日本のブログ社会は梅田さんの予想するようなかたちで個人を啓発し、その創造性を引き出す、というかたちでは進化しなかった。「自立した個」の絶対数がインターネットによって増えて、その結果「一億総表現社会」になる、といった近未来は来なかったわけです。そしてその一方で、どちらかというと、2ちゃんねるやニコニコ動画といった、匿名もしくはハンドルのユーザーが集まる、日本的なムラ社会に適応したサービスが集団主義的なクリエイティビティを発揮していった。しかし、梅田さんがこの本で書いた未来予測で、現実と大きくずれていたのはこの部分くらいだし、それ以上に当時この本を読んで沸き立った読者の方が、梅田さんの主張を願望込みで過大に受け取って、そして勝手に裏切られたと思っている側面も大きいと思うんです。
    與那覇 ブログ社会については後ほど議論するとして、いま読むとそれ自体に意外の念を受けるのは「インターネットは終わった」と言われた時期がかつてあったということ。2000年代初頭にITバブルがはじけて、シリコンバレーも沈鬱な状態になった。しかしそれは終わりではなく始まりなんだ、というメッセージで「2.0」という表現が使われているわけですよね。
    歴史研究者として面白かったのは、ブライアン・アーサーの「技術革命史観」を引用するところです(42P)。19世紀の鉄道革命のときだって、一回バブルははじけてる。しかし真に不可逆的な変化というものは、それを乗り越えて結局普及していくんだ、という教訓を引いています。

    ▲梅田望夫『ウェブ進化論』(2006年)
    ■「総表現社会」はなぜ挫折したか?
     
    宇野 インターネットの登場は単なる情報産業の効率化か、それとも人間観や社会観を根本から揺るがす変化か。梅田さんは迷うことなく後者なんですよね。僕もそう思います。オールドタイプからは「結局インターネットなんて情報を集めて拡散するだけだ」とか「ネットワークからは本質的な表現は出てこない」という意見が出てくる。でも、それは、グローバル化が進むとネット右翼が出てくるのと同じで、一種のアレルギー反応にすぎないと思う。
    與那覇 宇野さんが「過大に受け取って勝手に裏切られた」と仰ったけど、いま『ウェブ進化論』についてよく叩かれるのが、同書がうたった「総表現社会」なんて来なかったじゃないかと。アメリカのブロゴスフィアのように、メッセージ性のあるブログがどんどん立ち上がってネット上で討議する空間が出来上がるんだみたいな夢物語を、煽ったけど失敗しました、みたいに言われる。
    今回読みなおすと、これはちょっとかわいそうな評価で、まず総表現社会といっても本当に全員が情報発信するとは書いてない。クラスに一人くらいいた「ちょっと面白いことをいう奴」がセミプロ的にブロガーになって、総計で全人口の一割ほどの読者層を獲得する、くらいのビジョンです。また、興味深いのはむしろ、日米の同一性ではなく差異の方に目配りしているところ。「米国は米国流、日本は日本流で、それぞれのブログ空間が進化していけばいいのだと思う。たとえば、日本における教養ある中間層の厚みとその質の高さは、日本が米国と違って圧倒的に凄いところである」(144P)と書かれていて、米国流に日本が合わせろという話では、必ずしもないんですね。
    宇野 当時、20代後半だった僕のイメージでは、いちばん盛り上がっているブログは技術系だったんですね。プログラムも書ければ、自分でサイトも構築できるような人たちが「こういうやり方が有効だ」という話を共有しているページが一番盛り上がっていた。
    與那覇 「プチ・シリコンバレー」的なITテクノロジストの共同体であれば、日本でも米国と割りあいに似たものが作れた。言い換えると、フューチャリストとしての梅田さんのビジョンを挫折させたのは、日本が強いとされたはずの「中間層」が、その後に続かなかったからだということになる。その理由はどうご覧になりますか。
    宇野 梅田さんの予測が現実とずれてしまったところがあるとしたらそこだと思うんですよ。要するに「教養ある中間層の厚みとその質の高さ」が存在しないことが、この10年で、それも皮肉なことにインターネットのせいで完全に可視化されてしまった。
    あるいは10年前はまだ、アンテナが低くなりすっかり問題設定の能力もクリエイティビティもなくなってしまった新聞やテレビといったマスメディアに対して、インターネットから若く、そして力のあるほんとうのジャーナリズムや文化発信が生まれると信じられていた。しかし後者はともかく前者は残念ながらほぼ破綻しているわけですね。あれほど当時テレビ文化を軽蔑していたアラフォーのネット文化人とその読者たちが今何をやっているか。一週間に一回目立っているひとや失敗した人をあげつらって袋叩きにする。そして自分たちはその叩きに参加することで「良識の側」にいることを確認する。要するに自分たちがさんざん軽蔑してきたテレビ文化と同じことをやっているわけですよね。
    與那覇 悪い意味でワイドショー的ということですか。要するに、日本の中間層って人口的には分厚いかわり、クオリティ・ペーパーじゃなくてスポーツ新聞を手に取る人々だったと。戦後の一億総中流というのも、そういう意味だったので。中間層が自分たち自身を「社会で公的な役割を果たすべき、ハイブロウな中産階級」としてではなく、「そのへんのおっちゃんおばちゃん」として自己規定していることの表れだから。
    宇野 クオリティ・ペーパーをとっている人たちも似たようなもんだと思いますよ。たとえば震災とその後の原発事故のあと、文学や美術といったハイカルチャーにかかわる人たちに「放射脳」と呼ばれるような陰謀論者が少なくないこともネットが可視化してしまったわけですからね。
    でも僕の認識ではそれは決してSNSの普及で起こったことじゃない。この本が出るずっと前からそうだったんですよ。
    だから僕は梅田さんのシナリオは、かなり手前の段階で挫折していたと思う。僕の記憶でも、2005年~06年ころのブログの世界で、それも社会や文化の話題で注目を集めていたのは、基本的にはそういった、梅田さん風に言えば質の高くない中間層によるソーシャルいじめ的な「炎上」案件で、本質的な議論や独立した読み物は注目を集めなかった。
    與那覇 ブログ論壇でもオープンなアリーナで議論を戦わせるというよりは、井戸端会議というか、知りあいどうしで「口喧嘩」の野次馬をしあうような感覚になっちゃっていたと。SNSという言い方が流行るのは、FacebookやTwitterが上陸した2000年代末からですが、ブログ時代から日本人はコメント機能なんかをSNS的に使ってきたわけですね。
    宇野 象徴的に言えば「『はてな』が何も残さなかった問題」ですね。
    與那覇 しかしこの本は、梅田さんが最後その「はてな」の創立に関わるところで終わっているのですが……。
    宇野 当時僕が、雑誌を作ることにこだわってたのもそこなんですよね。ブログ論壇で発信する限り、そこでの「空気」を読まなきゃいけなくなってロクなコンテンツを出せないし、質の高い記事も評価されない。だから別の回路を作らなきゃいけないと思って紙の雑誌(PLANETS)をつくったんですよ。
     
     
    ■LINE、ニコニコ動画の優位とは
     
    宇野 要するに梅田さんの予測と現実とのズレがどこにあったのかというと、ブログ論壇的な中間層が想定よりずっと生産性が低く、ムラ社会のネットいじめしかできなかったのに対し、匿名的、半匿名的な趣味や世間話のコミュニティばかりが発達し、結果的にはクリエイティビティも後者のほうが高かったということなんですよね。
    ところで、僕自身のSNSの使い方としてはLINEをよく使うのですが、あれは完全に閉じた仲間内の中でダラダラとしたコミュニケーションをとる、という、いわば「おしゃべり」の楽しさですね。逆に、TwitterやFacebookは、自分の言論活動のツールとして、もっといえば「宣伝媒体」として活用している。
    そんな僕には日本のブログ空間というのは非常に中途半端に見えます。日本語に閉じられているし、かといって「顔が見える」ような近さでもない。匿名ゆえの「炎上」や「叩き」が横行し、梅田さんが想定していたような知的発信の場としての可能性が摘まれてしまっているのではないでしょうか。
    與那覇 なるほど。僕は自分ではやらないからよくわかりませんが、LINEは情報発信のツールではなく、人間関係のメンテナンスツールというわけなんですね。
    宇野 その通りです。LINEは、設計思想的にはガラケー(ガラパゴスケータイ)のiモードの子孫なんです。iモードはeメールをカジュアルなおしゃべりを楽しむものにしたことが革命的だったと言われています。要するに携帯電話で使用するショートメールというものは端的に要件を伝えるものだった。しかしiモードはそこに絵文字をはじめとするエンターテインメントの要素を盛り込んでいった。LINEの「スタンプ」なんかは、その延長線上にあります。
    與那覇 学生たちと話すと、彼らにとっての「ソーシャル」って社会ではなく「世間」なんですね。だからリア友対象のLINEが一番使われるし、Twitterでも近況報告とか文字通りの独り言のみで、「社会に向けて」は全然発信しない。リツイートされるってこと自体が想定外なので、「RT欄に表示があるなんて先生はすごいですね」と言われたことがあります。
    宇野 僕は人間というのは、実はそんなに開かれた広場に出てきたい生き物ではないと思うし、開かれた広場があると社会がうまく回っていくという発想も疑問なんですよね。現にこうして日本のネット社会を見ていると広場を形成するブロゴスフィアのほうが陰険で非生産的だという現実がある。だから僕はインターネットのもうひとつの可能性を考えたほうがいいと思うんですよ。みんなインターネットというと、世界中につながるGoogle的なものを想定すると思うんです。しかし、閉じたつながりが並列されたLINE的なものだって、インターネットの生んだ社会なんですよ。
    與那覇 インターネットに関する議論はよく「情報社会論」といわれるけど、情報というよりも紐帯、否むしろ情報なき紐帯を強化する方向への進化が起きたということですね。総表現社会のうち、みんながつながりあう「総」の部分だけが実現して、パブリックに意見を表明する「表現」の部分は全部落ちた。
    宇野 これからの社会を考える時に、情報なき紐帯をどう活用するのかをしっかり考えることは、意外と大事な気がします。それが、アジア発のウェブ社会の姿かもしれない。
    與那覇 ただ、それって要するに開発途上国的ということではないですか。人的紐帯はどんな世界にもあるけど、市民社会は先進国にしかない。顔見知りどうしが井戸端会議をしない国はないけど、政治的な公共圏のある国は限られる。
    宇野 西洋近代の雛形から遠ざかると後進的、というのは僕にはちょっと同意できないのですが……。それに、僕が言っているのは人間というのはどうしようもなく身勝手でワガママな存在なので、現実を受け入れた上でその欲望を逆手にとった制度設計をしないと、この種の議論は絵に描いた餅で終わってしまう。だから、実際に匿名空間から「表現」を生んだケースについてしっかり評価しなければいけない。
    たとえば濱野智史さんが指摘するように日本的共同性にマッチしたユーザー環境をうまく作ったのがドワンゴだと思うんですね。ブログ文化がうまくいかなかったのは、そこにインターネット上の「世間」が誕生してしまったからだと思うんですよ。しかしニコニコ動画はその半匿名性を利用して、井戸端会議的なコミュニティの濃さと、それが固定しない流動性の高さを実現していった。その結果、高いクリエイティビティが生まれていった。これは西洋近代的な市民社会をネット上にどう実装するか、という発想からは絶対に出てこない。
    與那覇 いや、後進的といいたいのではなくて、仰るように少なくとも西洋近代的なそれとは違う。むしろ逆の方向性を持った何かだということをはっきりさせておきたいということですね。よしあしは別にして、日本のウェブ進化の方向性をめぐって一種の「転向」があったことは間違いないのだから。
    ふと連想するのは「大正教養主義から昭和農本主義へ」の流れです。阿部次郎の『三太郎の日記』とか、世界に通ずるコスモポリタンを目指して最初は輝かしかったはずのものが、後になってみるとすごく閉ざされた「意識の高い俺アピール」に見えてしまう。で、みんな「あれはイタい」と思って、周囲の個別具体的な対人関係をリア充化していく方向に走る。
     
     
    ■95年の煩悶から05年のベタ回帰へ宇野 ここで『電車男』(中野独人著、新潮社、2004年)についても見てみましょうか。文化史的な話をすると、『電車男』は、オタクのカジュアル化のメルクマールですよね。ネタになるということは、その問題をシリアスに捉えている人間が少なくなっているということです。M君事件の頃には、これはできなかったでしょう。
    與那覇 2005年には、人気俳優を使って映画とドラマにもなった。要するにオタクというものが異星人じゃなくて、サラリーマンとかOLとか弁護士とかと同類の「ごく普通に劇中で演じられるキャラのジャンル」になった。
    宇野 同じ時期にアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』もヒットしていますが、世の中はつまらないから、本当に宇宙人が居ればいいのにと思っていたオカルト狂いの女の子がちょっと部活をやってみたら、結構普通に友達ができて、わりと楽しいという話なわけですよね。そのことが象徴するように、オタク的なものが、居場所のなさを異世界に解消していく、といったパターンが完全に終わり、現実の中でカジュアルに居場所を見つけられるようになった。今思うと、そこにもソーシャルメディアの発達が、一役買っていると思います。
    與那覇 宇野さんの『ゼロ年代の想像力』のラストが、まさにその「セカイ系の女の子=涼宮ハルヒが日常回帰していく」という話でしたよね。同書には「95年の思想」というキータームがあったけど、僕は「05年の思想」というのがありえるのかなという気がしています。
    電車男ブームが起きた2005年は、平成史的にみると日本人の「ベタ回帰元年」だったのではないか。政治的には「郵政解散」でちょっと吹っ切れていたけど、この年は愛知万博(愛・地球博)の年でもある。開催前は「高度成長期でもあるまいし、いまさら万博かよ」みたいにインテリ層は言っていたけれど、意外とこれが当たっちゃうわけでしょう。で、同じ年に『ALWAYS 三丁目の夕日』も大ヒット。電車男現象もいま振り返ると、2ちゃんねるは怖いとか、オタクは危ない人だと思っていたら「なんだ。普通に女の子とデートしたがってる、しごく平凡な人たちじゃないか」ということを、社会全体で確認する儀式だったように見えますよね。
    宇野 その指摘は面白いですね。戦後的な文化空間が、多分下部構造的にも、コミュニティ的にも、コンテンツレベルでも解体されていったのが95年だとすると、それをどう維持、あるいは再構築するのかを考えたのが、その後の10年です。戦後的なアイロニーが使えないなら、別のアイロニーは可能か、みたいなことをずっとやってきた。だけれど、結局、ベタ回帰した。
    その背景にはインターネットが代表する情報技術の発達があったわけです。「アイロニカルな没入」がなければロマン主義的に振る舞えないのが戦後社会だとするなら、この時代は物語の力が内面に作用するアイロニーから、社会心理学や行動経済学的に人間の心理を操作するアーキテクチャーに没入の支援装置が変化したわけです。「今更こんなベタな物語にハマれないよ」という自意識を突破する方法が、このころ文化空間の「空気」から、ウェブサイトの導線設計やゲームデザインに変化した。「電車男」はその代表的なコンテンツで、「いまさらこんなベタな話にはまれないよ」と思っていた人たちが、「2ちゃんねる」の匿名空間に自分も参加する、あるいは参加できたかもしれないリアリティがあるとすんなり泣くことができた。いわば「アーキテクチュアルな没入」ってやつですよね。
    與那覇 「95年の思想」の典型として挙げられたのが初期の宮台真司氏であり、右傾化する直前の『ゴーマニズム宣言』であり、『新世紀エヴァンゲリオン』(旧版)でしたね。彼らは、自分が正しいと信じるものが結局は「自分にとっての正しさ」に過ぎないという逆説に煩悶するとともに、それを受け入れて生きる道を模索したと。しかし、それらは結局、決断主義への衝動の前に崩壊した。そう説いた宇野さんは一方で、「05年の思想」にはある程度肯定的なわけですね。
    宇野 というよりも、不可避だと思うんですよ。「95年の思想」というのは戦後の終わりのことです。冷戦が終わっている以上、それを肯定しても否定しても仕方がない。
    與那覇 ただ、ベタ回帰って「思考停止」という側面もあるわけでしょう。戦後の日本がいかに「平和」や「正義」を普遍的に語ろうと、それらは実は、冷戦体制の特殊な地政学の下で享受される賞味期限つきの特権に過ぎなかった。そのパラドクスに気づいて、さあどうする、というのが「95年の思想」ですよね。
    しかし「05年の思想」では、「そんなこじれたこと考えたってしゃあないやん」となってしまう。前回取り上げた、93年の小沢一郎『日本改造計画』は「パラドクスを解こう」としていたけど、06年の安倍晋三『美しい国へ』は「日本にパラドクスなんてない」と言い張るのと、それは正確に対応します。
    宇野 僕は2005年のそれが単純なベタ回帰だとは思ってないんですよ。それを言ったら、いわゆる80年安保の反動としてのポストバブル期の90年代ベタ回帰のほうがよっぽど酷かった。そもそも、「昔のようにこじらせろよ」と若いオタクたちに説教しても絶対に空振りになるだけですよ。だって、かつてオタクたちをこじらせていた社会環境自体が変化しているんだから、こじらせをバネにしたものとは異なった表現を生む回路を発展させるしかないし、現にそうして成果を上げてきた現実が既にある。
    與那覇 加藤典洋氏の論文「敗戦後論」もまた「95年の思想」だったわけですが、その用語でいうと戦後日本という国自体が「ねじれ」を帯びざるを得ない位置にいたわけですよね。そのせいで、突き詰めて物事を考えるとみんなこじれたわけで。僕は、日本国民が自意識の上でベタに回帰しても、日本という国の立ち位置自体はベタな「普通の国」にはなってくれないものだと思うんですよ。その状況をこじらせずに「普通に」受けとめちゃう人の方が、マスになったときちょっと怖いなという気持ちがある。
    宇野 だから、集団的自衛権の問題でも冷戦下の国際情勢が変化して、戦後的な「ねじれ」の力が弱まった以上、日本は「普通の国」になった上でどうリベラルな外交戦略をとっていくかを議論したほうがいいに決まっている。そんな当たり前のことがなんで昔の左翼の人にはわかんないのか、僕には不思議ですらあるんですが。

    ▲中野独人『電車男』(2004年) ■参加型コンテンツだった「電車男」
     
    宇野 ベタ回帰ということで言うと、もう一つは『電車男』の「いい話」性ですね。2ちゃんねるという悪口を書くことがデフォルトの世界で「めしどこか(教えてくれ)たのむ」と書きこむと、みんな答えてくれる。
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  • 與那覇潤×宇野常寛 解釈改憲と『戦後』の終わり (ベストセラーで読む平成史 テーマ:『美しい国へ』と『日本改造計画』)(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-29 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、「文學界」に掲載された與那覇潤さんと宇野常寛との対談をお届けします。政治家が筆を執りベストセラーとなった『美しい国へ』(安倍晋三)と『日本改造計画』(小沢一郎)の2冊の本から、1990-2010年代の政治状況の変遷を読み解きます(初出:『文學界』2014年9月号) ※この記事は2014年9月11日に配信された記事の再配信です。
    宇野 僕は1978年、與那覇さんは79年生まれとほぼ同世代です。つまり、平成の始まった1989年頃がちょうど十歳前後で、記憶に残る最初の大きな事件は、昭和天皇の崩御だったりします。その意味では、「平成」はまるごと自己形成期と重なります。
    しかし、僕たちより一回り下の平成生まれの学生たちと話していると、オウム事件や9・11ですらリアルタイムの出来事ではなく、そうした事件とその後の言論のもつ「文脈」が見えなくなっている印象を持ちます。
    與那覇 大学で日本史を教えていても、そのことは強く感じます。若い人のあいだで「戦争の記憶が風化している」なんてよく言うけど、実は毎年8月に定期的にコンテンツが供給される戦時期はまだましで、「戦後の記憶」、特に直近の過去の記憶こそ一番風化している。ネット右翼や陰謀史観のように、戦後の価値を全否定する極端な言説が横行するのも、そうした「同時代史の不在」が大きな要因だと思います。
    宇野 この「ベストセラーで読む平成史」という対談シリーズは、平成年間にベストセラーになった本を、與那覇さんと一緒に読み返すことによって、「今」がどう作られてきたかを考えてみたいという趣旨です。
    第1回目は、『美しい国へ』(安倍晋三、2006年、文春新書)と、『日本改造計画』(小沢一郎、1993年、講談社)です。このセレクトについて、與那覇さんの方から少し補足してもらえますか。
     
     
    ■「自分語り」の政治学
     
    與那覇 「次はこの人だ」と目された政治家の著作がベストセラーになる現象は戦後に3回あって、古くは、首相になる直前に出た田中角栄の『日本列島改造論』(1972年)。残り2回は平成に入ってからで、新党を作って自民党を割るタイミングで出た小沢さんの『日本改造計画』と、小泉政権の後継は確実と言われた時期に安倍さんが出した『美しい国へ』ですね。
    いままた総理をされているので安倍さんの方から行くと、第一次政権では「戦後レジームからの脱却」、つまり正面切っての戦後批判を掲げていたのが、第二次政権では結局「実は解釈改憲で、集団的自衛権は行使できるんです」という路線になった。戦後憲法の全面否定という色を薄めたわけです。アベノミクスといわれる経済政策にしても、公共事業を中心とした戦後自民党的な再分配体制からの、脱却というよりは「延命策」に見える。平成初頭の『日本改造計画』と比べると、現状変革のボルテージがだいぶ落ちていますね。
    宇野 最初に立場を明確にしておくと、僕は安倍政権の外交安全保障政策には強く危うさをおぼえているし、解釈改憲をめぐるものごとの進め方も当然支持することはできない。その上で今回、『美しい国へ』を読み返して、この数ヶ月の集団的自衛権をめぐる安倍政権の舵取りを見ていて思うのは、この二回目の安倍政権はいわゆるリベラルな知識人や文化人が口汚く罵るような強権なファシズム的なものでもなければ、カルトな右翼思想にとりつかれた誇大妄想狂でもないということです。むしろ、安倍晋三という政治家はこの『美しい国へ』を書いた当時の失敗を経て非常にしたたかに、そして冷静に現実を分析できるようになっている。ただ、こうしたしたたかさと現実主義を武器に彼が成し遂げたい「理想」は、個人史的なものに根ざした、非常に危ういものであることは間違いない。実際、この本を読んでいると、こういっては何だけれど、意外と普通のことしか書いていない。戦後的なシステムは耐用年数が過ぎているけれど、いきなりドラスティックには変えられない、だからバランスを取ってうまくやっていこう、といったあたりがこの本を書いた当時の安倍首相の基本スタンスです。しかし、その一方で軍事・外交や歴史認識の話題になると途端にトラウマ語りモードになる。
    外交や社会保障などの実務的な政策については案外普通で無難なことしか言っていない。かたや、歴史認識といった部分になると、いきなり情緒的でわけがわからなくなる。その落差がすごい。
    與那覇 特攻隊員の日記に感動した、とか映画『ALWAYS 三丁目の夕日』はすばらしい、とかですね。
     
    情緒的ということでいうと、小沢さんの『日本改造計画』は「自分語り」を一切しないんですね。純粋な政策論だけで、本人の生い立ちとかは全く語られない。対して安倍さんは情念の人で、『美しい国へ』の前半は自らの一族の「無念語り」です。祖父・岸信介は国民のために行った安保改定を大バッシングされ、父・安倍晋太郎は外相として心身をすり減らして総理になれずに亡くなった。そうして自分が後継になったら、議員としての初仕事がなんと社会党首班の実現だった(村山自社さ連立内閣、94年成立)。この怨み晴らさずにおくものか、という思いが行間から滲み出ている。
    宇野 この落差が安倍晋三という個性なんでしょうし、その厄介さを理解した上で攻略しない限り、すべての安倍批判は空回りしてしまうんじゃないかって思うんです。マッチョな主張で人気を集めているその一方で、こうしてトラウマも隠さないし、Facebookで愚痴も言う。僕はまったく共感できないけれど、そこが人間臭くて共感を持つ人は多いんじゃないかと思うんですよね。少なくとも、保守っぽい連中ってバカだよねって目配せし合っているリベラル知識人よりは共感を集めやすい。そしてこの人は少なくとも今はそのことに気付いている。たぶん安倍晋三という政治家は、そういう人間的な弱さの魅力を、コントロールするんじゃなくて、ずっと出し続けるんだと思いますよ。
    與那覇 祖父が国民の憎悪を一身に浴びたことのある一族だからこそ、心底「いまは違う。ぼくは国民に愛されている」って思いたいんだろうなという感じがしますね。極めて個人的な動機で「戦後レジーム」から脱却したい。
    宇野 具体的にはそこでいわゆる「ネトウヨ」との幸福な共犯関係が生まれているわけでしょう。
    與那覇 とにかく何かつぶやくと、「いいね!」が殺到する。
    宇野 実際に、「いいね!」がたくさん集まって気持ちがほっこりしてるんだと思うんですよ。あれだけマスコミに叩かれて退陣した人が、奇跡の復活を遂げてインターネットで直接国民の支持を目の当たりにする。そんな共犯関係が生まれている状態で、安倍晋三は日本のヒトラーだ、さあ、明日にも戦争が始まるぞって子どもっぽい印象操作で攻撃しようとするとかえって彼らの結束を固くしてしまうだけだと思うんですよね。
    與那覇 同感です。むしろ批判している左翼の支持者のほうが減っていくのではと、心配になりますよね。
    宇野 安倍首相のああいったナイーブな部分とFacebookが結びついたとき、はじめて政治と直接つながっているように思えた国民は多かったんだと思うんですよ。
    與那覇 「私的なことは政治的だ」というのがフェミニズムとか、新しい社会運動のスローガンだったけど、いまは逆に「政治的なことは私的だ」の時代なんじゃないかな。安倍さんの「爺ちゃんの名にかけて」は、そこにマッチする。
    宇野 そして僕の実感ではこうしたリアリティに惹かれているのは何も自信のないネット世代の団塊ジュニア以下の男性、いわゆる「ネトウヨ」だけじゃない。その外側にも、かなり本格的に拡大している。いまとなっては僕は安倍政権の支持母体って、ネトウヨ的な層はごく一部でしかないと思うんですよ。洗面器の底に穴が開いていると水は汲めないから民主党ではダメだ、と消去法で自民党を支持している〝ライト(軽い)なライト(右)〟が大半で、その感覚は、リベラルたちが思っているよりも安全保障に関心が高いんじゃないか。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第3回 知られざるクーデター:1993-94(後編)

    2019-03-27 07:00  
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    今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第3回(後編)をお届けします。1993年の政変の内部で行われていた「父殺し」。その中心となったのは、左翼運動からの転向経験を持たない世代の学者たちでした。そして同時期、「女(少女)」という論点から旧守派を批判する、2人の若手社会学者が登場します。(この記事の前編はこちら)
    転向者たちの平成
     ほんらいの細川ブレーンだった香山健一や、佐藤誠三郎らのビジョンの相対的な穏和さを考えるとき、鍵となるのは彼らが昭和の「転向者」の系譜を引くことだと思います。じつは香山は、60年安保で活躍した共産主義者同盟(一次ブント、非共産党系)の創立者で、つまり中沢事件で佐藤とともに東大を去った西部邁の先輩格。佐藤も都立日比谷高校で民青同盟(共産党系の学生組織)のキャップを務め、東大文学部の在学中には反共的な教員への抗議運動を組織して大学院に落第、法学部で学士からやりなおした硬骨漢でした【11】。
     転向とは、もとは昭和戦前期、激しい弾圧のもとで共産主義の思想を放棄することを指す用語ですが、戦後の場合はむしろ、左翼運動への「失望」を契機とする点に特徴があります。そうした「戦後転向」のピークは、ざっくり言って3つあげられるでしょう。
     ひとつめは戦後初期で、渡邉恒雄氏(のち読売新聞主筆)や氏家齊一郎(日本テレビ会長)に共産党への入党歴があるのは有名ですね。彼らと旧制高校・東大時代の親友で、終生左翼の立場をつらぬいた網野善彦(日本中世史)も、朝鮮戦争(1950~53年)のもとでの武装闘争路線の惨状をみて、党の活動から離れました。逆に、強固な反マルクス主義の実証史家になる伊藤隆さん(昭和政治史)のほうが、むしろその後の武装闘争の放棄を機に党中央と対立し、ハンガリー動乱(56年)に際して離党、やはり転向した佐藤誠三郎と生涯の盟友になるのも、この時代の不思議な綾でした。
     ふたつめは60年安保の挫折によるもので、香山・西部ら左翼組織の幹部のほか、市民派との共闘を見切って「完全に保守化した」という意味では、江藤淳や石原慎太郎さん(作家。のちに自民党の国会議員をへて東京都知事)も広義の転向者に入るでしょう。みっつめはご想像のとおり、70年安保とも呼ばれた全共闘世代の転向組です。
     転向者とは「一度は自分もまちがえた」体験をもち、そのことを公にしている人たちなので、その後の行動パターンは2つに分かれます。西部邁のように、異なる立場にたいしても一定の鷹揚さを示す「懐の深い人間」としてふるまうか、1995年春に自由主義史観研究会を組織して以降の藤岡信勝さん(教育学者)のように、かつての「汚点」の払拭を期してもう一方の極端へと歩みを進めるかですね。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第3回 知られざるクーデター:1993-94(前編)

    2019-03-26 07:00  
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    今朝のメルマガは、2日連続配信で與那覇潤さんによる「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第3回をお届けします。1993年、自民党一党支配の55年体制が終焉し、細川護煕首相による連立内閣が発足します。しかし、日本型多元主義に基づく「穏健な多党制」を志した改革は、いつしか小沢一郎とそのブレーンである若手学者たちによる『日本改造計画』、小選挙区制による「集権的な二大政党制」へとすり替わっていきます。
    フェイクニュースだった大疑獄
     1993年(平成5年)が、日本政治の分水嶺だったことを否定する人はいないでしょう。この年7月の衆院選(いわゆる嘘つき解散)をうけて、8月に非自民8党派による細川護煕連立内閣が発足、自民党一党支配の別名である55年体制が崩れ落ちました。翌94年3月に同政権が成立させた政治改革四法により、衆議院選挙に小選挙区制(比例代表との並立制)が導入され、やがてそれが2000年代前半の小泉改革や、2010年前後の民主党政権を生みおとすのは周知のとおりです。
     よほどの保守派をのぞくと、このとき行われた改革は――後に混乱や副作用をもたらしたにせよ――戦後の政治経済体制の行きづまりが生んだ、時代の「必然」だったとみなす人がほとんどです。じつは私も、かつてそのように書きました【1】。しかし、それはほんとうだったのでしょうか。
     このとき国民の政治改革熱が高まった主たる要因は、昭和最末期の1988年夏から政界を揺るがしたリクルート事件でした。新興企業として勢いのあったリクルートが、値上がり確実と目された子会社の未公開株を有力政治家にばらまき、便宜を得ていたとされる事件ですね。当時の竹下登首相、中曽根康弘前首相、後継候補の本命だった安倍晋太郎・宮澤喜一らがこぞって譲渡を受けていたため、派閥領袖ではない「子供」の宇野宗佑内閣が生まれた経緯は先にふれました。
     しかし政治報道の第一線にたっていた田原総一朗さんは後日、この事件を冤罪だと断言しています【2】。田原氏は当時「朝生」以外にも多くの番組でキャスターを務め、93年5月31日の「総理と語る」で宮澤首相から「今国会で政治改革を必ずやる」との言質をとったことが、2か月後の衆院解散と政権交代をもたらしたとされました。
     その政治改革のシンボルだった田原さんが、なぜリクルートを冤罪と呼ぶのでしょうか。じつは公開に先立ち未公開株を有力者に譲渡して、会社に箔をつけるのは当時広くみられた慣行(=業界人のつきあい)でした。近日だと、ソフトバンク株が2018年末の上場時に公開価格を下回って話題となりましたが、思った値段がつかなければ未公開株を持っても損をするので、一概に利益供与とは言えないのです。リクルートの側が見返りを得た事実もこれといって見当たらず、当初は検察も立件は無理という判断だったそうです。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第2回 奇妙な政治化:1991-92

    2019-02-26 07:00  
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    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史」お届けします。第2回では、1991年に始まった『批評空間』と『ゴーマニズム宣言』から、平成初期の言論状況ーー〈子供〉であり続けることと、〈父〉を擬制することが、奇妙に共存する日本のポストモダンについて。さらに、同時期に進行していたアカデミズムの制度的変化がもたらした影響について考えます。
    「運動」し始める子供たち
     平成3~4年にあたる1991~92年に、平成思想史を描く上で欠かせないふたつのメディアが発足します。91年4月に柄谷行人さん(文藝批評家)と浅田彰さん(哲学者)が創刊した『批評空間』(~2002年)と、漫画家の小林よしのりさんが92年1月から『SPA!』で連載を開始した『ゴーマニズム宣言』(ゴー宣。95年からは「新」を附して『SAPIO』に移籍)です。
     だいぶ年長の世代にあたる柄谷さん(1941年生、改元時に47歳)については後に触れますが、当時の浅田さん(57年生、同31歳)と小林さん(53年生、同35歳)には、自覚的に「子供っぽさ」を強調して自分のイメージを作っていったという共通点があります。昭和の終焉期に行った柄谷氏との対談で開口一番、浅田さんが言い放った「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと」[1]のような一節(『文學界』89年2月号)が典型ですね。
     1983年に『構造と力』をベストセラーにして登場した浅田さんは、当時「ニュー・アカデミズム」(ニューアカ)のスターと呼ばれていました。ものごとを本質ではなく「構造」に還元して分析する構造主義の手法を使えば、一見するとバラバラな研究対象(たとえば国際政治と性的欲望とサブカルチャー)を自由に横断して論評できる。そうしたスタンスを武器に、論文とエッセイの中間的な文体で、学会や専攻の枠にとらわれない活動を展開したのが「新しかった」わけですね。
     専門をひとつに絞り、長期の徒弟修業のようにじっくり研究することで、その分野に成熟していく――こうしたオールドなアカデミズムのあり方からすると、ニューアカは「子供っぽく」にみえます。浅田さんはそうした批判に、ドゥルーズとガタリらのポスト構造主義(のうち特に精神分析批判)を使って、あらかじめ応えていました。『構造と力』のエッセンスをより平易に描いた、1984年の『逃走論』の一節にそれが表れています。
    「言うまでもなく、子どもたちというのは例外なくスキゾ・キッズだ。すぐに気が散る、よそ見をする、より道をする。もっぱら《追いつき追いこせ》のパラノ・ドライヴによって動いている近代社会は、そうしたスキゾ・キッズを強引にパラノ化して競争過程にひきずりこむ」[2]
     資本主義、およびそれとパラレルなものとして成立した近代家族は、「勤めてお金を稼がなくてはならない」「家庭でそれを支えなければならない」といった特定の規範に人間を押し込めて「大人」を作ってきた(パラノイア=偏執狂的である)。しかし近代が終わりつつあるいま、むしろ単一の成熟イメージに捕らわれずスキゾフレニア(分裂症)的に、子供っぽくふるまう方がクリエイティヴだという発想ですね。この言い回しは大流行し、「スキゾ・パラノ」は1984年の第1回新語・流行語大賞に入賞するほどでした。
     若い方だと、2017年に堀江貴文さん(実業家)がヒットさせた『多動力』にある「永遠の3歳児たれ」を連想したかもしれません。平成末期からふり返るならある意味で堀江さんや、もう少しフレンドリーだと古市憲寿さん(社会学)のような、「自分が『頭がいい』と見られていることを知っていて、『だから許される』ことを前提に炎上発言をする人」の先駆者として、1980年代の浅田氏を位置づけることもできます。
     いっぽうギャグマンガ家時代の小林さんの出世作は、1976~79年に『週刊少年ジャンプ』に連載された『東大一直線』。なにがなんでも東大に入ろうとするおバカな生徒の異様な行動が惹起する笑いを通して、パラノ的に「受験戦争の勝者」になることに固執する日本人を風刺した作品です。86~94年に『月刊コロコロコミック』に掲載された代表作『おぼっちゃまくん』も、オノマトペ(茶魔語)を連呼するお子ちゃまなのにお金の力にしがみつく財閥の跡取り息子を露悪的に描くコメディでした。「スキゾなくせにパラノ」な人間が、一番気持ち悪いというメッセージを受けとることも可能でしょう。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第1回 崩壊というはじまり:1989.1-1990

    2019-01-24 09:00  
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    今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史」の第1回をお届けします。昭和最後の年となった1989年は、奇しくも「昭和天皇の崩御」や「東西冷戦の終結」といった歴史的事件が重なった1年でした。それは、保守革新の両陣営における擬制的な「父」の死と、それにともなう抑圧なき時代ーー「平成」の始まりを告げるものでした。
    ツヴァイクの「ダイ・ハード」
     「昨日の世界」ということばをご存じですか。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクがアメリカ大陸での亡命行のさなか、ナチス台頭により崩壊しつつあった「古きよきヨーロッパ」への郷愁をつづった回想録の標題です(1942年に著者自殺、44年刊)。近年ではウェス・アンダーソン監督の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)が、同著をモチーフに作られていますので、ご覧になると雰囲気が伝わるかもしれません。
     みずからが生きていると思っていた「同時代」が、いつの間にか決定的に過去のもの――「昨日」へと反転してしまう。そして(亡命作家のような繊細さを欠く)多くの人は、そのことに気づかない。そうした体験は、必ずしもツヴァイクの時代に特有のものではないと思います。否むしろ、全体主義と世界大戦という「誰の目にも衝撃的な」できごとによって時代が書き換わっていった1930年代と比べて、秘かに、しかし確実に社会のあり方が変わっていった21世紀への転換期をふり返る際にこそ、直近の過去を「昨日の世界」として見る視点が必要ではないでしょうか。
     たとえば1988年、つまり冷戦終焉の前年にして昭和63年のヒット作である『ダイ・ハード』(監督ジョン・マクティアナン)。舞台となるのが当時、米国市場を席巻中だった日本の企業や商社をモデルに造形された「ナカトミ・プラザ」であることは、ご記憶の方も多いかもしれません。しかし何人が、同ビルを占拠した武装集団の目的が金だったと知った時に発せられる、以下の台詞を覚えているでしょうか。
    What kind of terrorists are you? (君らはどんな種類のテロリストなのかね)
     イスラム国(IS)ほか宗教原理主義の武装組織による「身代金目的の誘拐」が日常茶飯事となった今日、ハリウッド大作に登場するテロリストの目的がお金なのは、むしろ当たり前だと思われるでしょう。しかし共産主義の理想が生きていた冷戦下では、テロとは「富裕層が私腹を肥やす資本主義や帝国主義を倒すために、損得を度外視した『純粋』な青年が起こすもの」――過激化した学生運動のようなものとされていました。だからこそ、上記の問いかけに対するギャングの首魁(アラン・リックマン)の答えも「テロリストを名乗った覚えはないね(Who said we were terrorists?)」だったのです。
     『ダイ・ハード』はシリーズ化されて2013年の5作目まで続いているので、相対的には「いまも現役」の映画ですが、こうした目でふり返ると、モチーフのひとつひとつが「昨日の世界」の息吹のように見えてきます。ポリティカル・コレクトネス(PC)が進展した現在では、たぶんヒロイン(主人公の妻)はもっと聡明で、主体的に事態の解決に乗り出す女性として描かれているでしょう。高層ビルの奪還にむけて主人公をサポートする黒人警官にしても、閑職の巡査ではなく知性派の上級職が割り振られる気がします。
     そしてなにより、同作はキャリアウーマンの妻に愛想を尽かされていた凡庸な刑事(ブルース・ウィリス)が、武装集団との死闘を通じてその愛情と社会的な名声を取り戻す「男性性の回復」の物語でもありました。かつクリスマスが舞台なために、みごと勝利して迎えるエンドロールでは、劇中でもスコアの各所に旋律が埋め込まれていたベートーヴェンの「第九」(歓喜の歌)が鳴り響きます。
     60年代後半以降、外にはベトナム戦争の敗北、内には公民権運動とフェミニズムの高まりでゆるやかに衰弱しつつあったアメリカという国家のマチズモ(男らしさ)は、1989年の冷戦の勝利によってまさしく映画と同様の、奇跡的な復権をとげることになります。同年11月にはベルリンの壁が崩壊、高まる東西ドイツ統一への熱気(90年10月に実現)のなかで、両国の統一歌として愛唱された「第九」のファンファーレは世界中に響き渡りました――しかしそうした現実もまた、虚構としての『ダイ・ハード』の復活譚と同様、いまやリアリティを追体験しえない「昨日の世界」の一挿話にすぎません。
    「昭和の崩壊」と「ソヴィエト崩御」
     世界史には「冷戦終焉の年」として刻まれるその1989年の1月7日、昭和天皇が亡くなります。前年9月の吐血以来、連日のように病状が報道されていたため、その死はあらかじめ予想されたものであり、その点では2016年7月に「退位のご意向」が突如報じられて始まった「平成の終わり」のほうが、より衝撃的だったとも言えます。しかし「終わり」の後に遺されたインパクトに関して、昭和は平成の比ではありませんでした。
     「平成元年」となった89年1月8日以降に、ポーランドでの自主管理労組「連帯」の選挙圧勝(6月)、ハンガリーの社会主義放棄(10月)、チェコスロヴァキアのビロード革命(11月)、米ソ両国の冷戦終結宣言とルーマニアの独裁者チャウシェスク処刑(12月)と、国際政治でも劇的なニュースが続きます。ソヴィエト連邦自体の解体はもう少し後(91年12月)ですが、実質的にはこの年に「社会主義が終わった」ことは、広く認められていると言ってよいでしょう。
     かくして平成は「ポスト冷戦」とともに始まった――とは、この時代を扱うほぼすべての論説に記されています。しかし昭和天皇と社会主義の「死」がともに同じ年に起きたことの意義を、ほかならぬ日本人の視点から掘り下げる作業は、意外にもあまりなされてこなかったのではないでしょうか。
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  • 【新連載】與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 序文 蒼々たる霧のなかで

    2019-01-23 07:00  
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    今朝のメルマガは、與那覇潤さんによる新連載「平成史」です。昭和のような、誰しもが共通して抱く時代のイメージを、最後まで持ち得なかった「平成」。インターネットという巨大なアーカイブを擁しながら、全体像を見通すことができない、晴れ渡りながら同時に霧が立ち込めたような、奇妙な時代のあり方について考えます。
    與那覇潤さんの過去の記事はこちら 【対談】與那覇潤×宇野常寛「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(前編 ・後編)
    歴史を喪った時代
     青天の下の濃霧だ――。平成の日本社会をふり返るとき、それが最初に浮かぶ言葉です。
    いま多くの人びとが終焉に際して、平成という時代を嘆いています。しかし、たとえば改革の「不徹底」が停滞を招いたと悔やむ人がいる傍で、逆に「やりすぎ」が日本を壊したとこぼす人もいる。ネットメディアの普及が知性を劣化させたと咎める人の隣に、オールドメディアの持続こそが国民を無知にしていると苛立つ人がいる。正反対の理由で、しかし共通に失望される不思議な――ある意味で「かわいそうな時代」として、現在進行形だった平成はいま、過去になろうとしています。
     昭和史(ないし戦後史)を語る場面であれば、私たちは自身が体験していないことも含めて、今日もなお共有されたイメージで話すことができます。悲惨な戦争と焦土からの復興、高度成長と負の側面としての公害、学生運動の高まりと衰退、マネーゲームとディスコに踊ったバブル……。美空ひばり・田中角栄・長嶋茂雄といった組みあわせを口にするとき、背後には「豊かさを目指してがむしゃらに駆けていったあの頃」のような、統一された時代像がおのずと浮かびます。
     ところが「平成史」には、そうした前提がありません。安室奈美恵と小泉純一郎と羽生結弦の三人を並べても、共通するひとつのストーリーを創ることはできそうにない。あるいは、「あの戦争」という言い方を考えてもよいでしょう。昭和史の文脈で「あの戦争」が指すものは自明ですが、平成史ではどうか。たとえば中東に限ってすら、90年代の湾岸戦争か、ゼロ年代のイラク戦争なのか、10年代のIS(イスラム国)との戦争を指すのか、ぴたりと言い当てることは至難ではないでしょうか。
     まるで霧のなかに迷い込んだかのように、全体像を見渡しにくい時代。しかし奇妙なのは、空が晴れていることです。たとえば安室さんのヒット曲は、ほぼすべてのビデオをYouTubeで見ることができます。1999年の第145回国会からインターネット中継が始まったおかげで、小泉政権以降の政治家の主要な発言は、大量のコピーがウェブ上に拡散しています。政治がオープンになり、文化がアーカイブされたいま、私たちはかつてなく「見晴らしのよい社会」に住んでいるはずなのです。
     それなのに、共有できる同時代史が像を結ばない。こうした困難は、ふだん歴史をふり返ることのない人たちにとっても、日常に影を落としているように思います。
    知識人凋落の根源
     たとえばいま、社会の「分断」が進んでいるとされます。平成に展開した雇用の自由化により、正規雇用者と非正規雇用者のあいだで生まれた経済的な格差は、やがて結婚できる/できない、子供をつくれる/つくれない人びとの差異へと発展し、人生観や価値体系さえもが異なる文化的な断絶へと深まっていった。インターネット上ではサイバーカスケード(=同じ嗜好のサイトにしか接続しない傾向)が進展し、異なる意見の人どうしでは対話がなりたたない。そういったことが言われます。
     しかしながら裏面で、この社会は確実に「画一化」もしています。昭和の時代には「政治家なら裏金くらいあって当然」「芸能人だもの、不倫のひとつふたつ当たりまえ」ですまされたことが、よし悪しは別にしてもう通らない。ローカルな慣習や暗黙の合意で処理されてきた事案が、ひとたび白日の下にさらされるや、非常識きわまる利権として糾弾が殺到し、だれも弁護に立つことができない。コンフォーミズム(順応主義)を色濃く帯びたマス・ヒステリーは、いまや定期的な祭礼として定着した観さえあります。
     晴れた空の下を塗りこめる霧のように、引き裂かれながら均質化してゆく社会という不思議。その逆説を解けないことがいま、私たちにとって「知ること」や「考えること」をむずかしくしています。
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