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  • 人間の「伸びしろ」を測定することは可能か? ──統計学的思考の教育への応用可能性 鳥越規央(統計学者)×藤川大祐(教育学者)(PLANETSアーカイブス)

    2020-11-06 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、統計学者でセイバーメトリクスの専門家でもある鳥越規央さんと教育学者の藤川大祐さんによる対談をお送りします。 野球において、統計学の手法を用いて分析するセイバーメトリクスという手法は、試合の戦略分析だけでなく、選手の育成方針の策定のためにも用いられています。では、その手法は教育にも応用することはできるのでしょうか。教育現場での事例を踏まえて、その可能性を探ります。 ※この記事は2015年10月28日に配信した記事の再配信です。
    鳥越先生の「セイバーメトリクス観戦講座」レポート
     鳥越先生による観戦講座が行われたのはまだ夏の暑さの残っていた8月29日。あいにくの曇り模様のなか、急造のPLANETS野球取材チームはたくさんの人でごった返す海浜幕張駅に到着しました。
     千葉ロッテマリーンズのチームカラーは白・黒・赤・グレーですが、駅で周りを見渡すと、もっとカラフルな出で立ちの人ばかり。色は、赤・黄・緑・ピンク・紫……これはもしや、ももクロ……!? 調べてみると案の定、ももクロのファンクラブ会員限定イベントが幕張メッセのイベントホールで行われていたようです。やはり現代は、アイドル一強時代なのか……?
     アイドルに負けない21世紀的な「野球2.0」はいかにあるべきかを構想しながら歩くこと15分、ようやくQVCマリンフィールドに辿り着きました。

     モノノフに席巻されていた海浜幕張駅とうって変わり、QVCマリン周辺は少し落ち着いた雰囲気。ロッテファンは昭和からの伝統的な野球応援スタイルと決別し、Jリーグのサポーターを参考に独自の応援スタイルを築き上げたと言われていますが、やはり若い人が多め。
     球場そばの「マリーンズ・ミュージアム」には球団の歴史を振り返る展示があり、単なるグッズ売り場というよりは、メジャー球団のボールパークに併設されている博物館のようでした。
     グッズショップには、写真のように球団の正式ユニフォームとは違う、オリジナルデザインのNEW ERAキャップが並んでいました。ただ単にユニフォームと同じキャップだと昭和の野球少年になってしまう恐れがありますが、それとわからないさりげないデザインで主張するところに、現代のファンを掴もうという工夫が感じられます。実はこうした取り組みは現在多くの球団が行っているのですが、特にロッテのグッズデザインは洗練されているようです。

    ▲グッズショップには様々なデザインのグッズが並んでいます。かつて野球場のグッズ売り場といえば掘っ立て小屋やプレハブのようなイメージでしたが、今はまるでセレクトショップのような雰囲気。文明はどんどん発達していく…

    ▲さっそく試合開始! 先発投手はロッテが左の古谷拓哉(ふるや・たくや)投手、オリックスが昨年ブレイクした西勇輝(にし・ゆうき)投手でした。

    ▲Macbookでデータを見ながら参加者に解説する鳥越先生。右下にはマリーンズのユニフォームに身を包んだ藤川先生の姿も。
     この日の参加者は30人ほど。鳥越先生の解説は、手渡されたトラベルイヤホンで聞くことができます。一緒に来た人と解説の感想をわいわいと言い合ったり、鳥越先生ご本人に直接質問したりすることができます。

    ▲(株)エアサーブの提供するトラベルイヤホン。普段は美術館の音声ガイドなどに使っているそうですが、球場で生観戦しながら解説を聞けるというわけです。他にもいろいろ応用できるかも……?
     また、ゲストとして鳥越先生のご友人というプロ野球選手のモノマネ芸人さんたちも登場。

    ▲左からニセ勇輝さん(西勇輝投手のモノマネ芸人)、伊藤ピカルさん(伊藤光選手)、小谷野ええ位置さん(小谷野栄一選手)。一般的にそれほど有名とはいえないオリックス選手のモノマネを選択されることに男気を感じます。ただ小谷野ええ位置さんは坂上忍のモノマネで定評を得るなど、みなさんレパートリーは豊富なよう。

    ▲そして、あれは、く、桑田さん……? 元メジャーリーガーも幕張に駆けつけました
     オリックス選手以外にも、巨人〜ピッツバーグ・パイレーツで活躍した桑田真澄さんのモノマネ芸人・桑田ます似さんが1イニングだけでしたがゲスト解説に登場し、桑田そっくりの語り口で参加者の笑いを誘っていました。
     試合は1回にいきなり糸井が2ランホームランを放ちオリックスが先制するも、その後ロッテ先発の古谷がオリックス西に負けじと好投。ロッテがじわじわと追い上げて6回に逆転に成功し、9回は守護神・西野が危なげなく試合を締めました。
     鳥越先生はデータから古谷の好投を予想、打球方向の傾向から8回のヘルマンの左中間二塁打を的中させるなど、プロ野球OBの解説にはない語り口が新鮮でした。

    ▲地元ロッテが勝利し全身で喜びを表現する藤川先生
    「現場で解説を聞く」という新しい観戦スタイル──メディア論的観点から
    ──今回は鳥越先生と藤川先生のお二人に、「セイバーメトリクスや統計学的思考の教育への応用可能性」というテーマでお話を伺っていければと思うのですが、まずは今回の観戦講座について振り返ってみたいと思います。藤川先生はいかがでしたか?藤川 いや~、楽しかったですよ。「楽しい」って色々な意味があるんでしょうけれど、まず野球場で野球を見るということは基本楽しいわけですが、耳元で鳥越先生が解説してくれてこちらから質問できて、データに着目していくと目の前に起こっていることも確率的に説明がつくことが多かったじゃないですか。フィールドの雰囲気プラス知的な楽しさが重なって、本当に楽しい時間を過ごすことができましたよね。
    ──鳥越先生は「左投手の古谷に合わせてオリックス打線は右バッターを並べてきたけれど、それは逆効果だ」とおっしゃっていましたよね。
    鳥越 先発投手としての格で言えば古谷よりも西の方が上なわけで、戦前の予想もオリックス有利と出ていました。しかしスタメンが発表されたとき「おや?」って思ったんです。というのもオリックスのスタメンが糸井を除いてすべて右バッターだったんです。それまで調子のよかった左の小田裕也や駿太をはずして。たしかに古谷は左投手ですが、データを見ると右バッターに対する被打率が1割7分3厘(当日までのデータ、シーズン通算。185)と、じつは右打者のほうが得意な投手なんです。野球界では「左投手は左打者が得意」という定説があって、それは統計的にもある程度正しいのですが、古谷に関してはそれが当てはまらない。なので右バッターを並べるというオリックスの選手起用はよくなかった。それがオリックスの敗因のひとつでしょうね。
     あと、今日の試合をセイバーメトリクス的な観点からみていて良いと思ったのが、ロッテが角中(勝也)を2番に置いているということでした。日本野球ではとかく2番に出塁率がいいわけではないけども、バントは上手いという選手を置きがちですが、序盤のノーアウト1塁で送りバントをするのって統計的には悪手なんですよ。
     角中は以前首位打者を取っていて非常にシュアなバッティングをするバッターですが、彼を3番ではなく2番に置く。同じようにヤクルトでは川端慎吾(かわばた・しんご)という3番を打っていてもおかしくない打者を2番に置いていましたよね。こういったことは非常に良い傾向だと思います(その後、川端はセ・リーグ首位打者のタイトルを獲得、所属するヤクルトはセ・リーグを制覇した)。
    藤川 「2番は送りバント」っていうのはだいぶ廃れつつあるんじゃないですか?
    鳥越 いえ、たとえば今年のソフトバンクはまだ2番は打力のそこまで高くない選手を起用しています。ただソフトバンクには圧倒的な戦力がありますから、2番の起用に関しては相手チームにハンデを与えているものと思ってみています(笑)。本来なら柳田(悠岐)のような強打者を2番に置いたほうが得点はもっと増えますよ。(注釈:ただ2番に起用される選手の守備力はリーグ随一なので、そういう意味では必要不可欠な選手です、ただ打順が……。)
    藤川 おそらくデータを見ずにただグラウンドで見ていたら今日の試合も、「ロッテが逆転して逃げ切った」というストーリーにしかならないんですけど、データがあることによってどこにドラマがあるのかがわかるから、より深く楽しめるんですよね。
    鳥越 野球って「左ピッチャーには右バッターを当てろ」みたいなステレオタイプがたくさんあるんですけど、そういう「思い込み」に惑わされないようになるというのが、データで野球を観ることの面白さのひとつですね。
    ──藤川先生は教育学者として「エンタテインメントの方法論をどう教育に生かすか」や、メディアリテラシー教育について発言していらっしゃいますが、メディア論的な視点からみて今日の観戦講座の試みをどう感じましたか?
    藤川 鳥越先生の解説で面白かったのは、オリックスのヘルマンというバッターが左中間に打つ確率が高いというのと、守るロッテ外野陣の荻野・岡田・清田の守備範囲がすごく広いので、そのせめぎあいが見どころとおっしゃっていたところ、ヘルマンが本当に左中間にツーベースを打ったんですよね。もしテレビで見ていてそういう解説があったとしても、テレビはピッチャーとバッターを主に映すから、外野陣の守備位置までは見ることができないじゃないですか。その意味で、球場全体を見渡すことのできる視点から解説を聞くことの面白さを感じましたね。
    ──「予言を当てる」といえばジャイアンツ戦での江川解説なんかがありますけど、江川の場合は経験知とカンに基づいた「神がかり」のようなものであるのに対し、鳥越先生の解説は統計的な根拠に基づいたものなのでより身近に感じることができますよね。
    藤川 やっぱりテレビの画面にとって野球場って広すぎるんですよね。これは球場などのいわゆる「大箱」でやるAKBのコンサートでも感じるんですけど、200人とかのメンバーがウロウロしていても、スクリーンの画面に映るのって1人2人なんですよ。常に99%の人が映っていない。たとえば、私の推しメン(村山彩希さん)はそこまで推されているわけでもないので会場のビジョンに映る機会も少なく、肉眼で探すのが大変なんです(笑)。
     サッカーなんかはテレビでもフィールド全体を映すので選手の位置はよくわかりますけど、野球はテレビ中継では投手と打者以外に球場で他の選手が何をやっているのかよくわからない。球場だったらネクストバッターズサークルで「次は誰が代打に出てきそうだ」とかわかるじゃないですか。その意味で、自分で見る場所を選べる現場観戦は非常に価値がありますね。
    鳥越 もしマスメディア的に野球を盛り上げるんだったら投手と打者の「一対一勝負」をクローズアップしてドラマ性を盛り上げていくことになるんですが、データは一対一勝負以外の様々な場面で使えるので、テレビだけだとどうしても解説できることが制限されてしまうというのはありますね。
    ──数年前から楽天や横浜DeNAのようなIT系球団を中心に主催試合をニコ生やSHOWROOMなどでネット中継していて、ネタコメントが流れたり、アナウンサーのフリーダムな実況が面白かったりして非常に人気があります。横浜の場合、1試合のニコ生視聴者は20万人以上になることもあるんですが、無料公開だから球場に来なくなるんじゃないかと思いきや、スタジアムへの来場者も右肩上がりなんですよね。
    藤川 やっぱりメディアとスポーツってすごく重要な関係があるわけですけど、まずメディアで見て現場に行きたくなって、現場で楽しんで行けないときはメディアで楽しむというかたちですよね。で、従来は現場に行くと解説を聞けなかったんですよ。やっぱり今の時代は本当に楽しみたければ自分でデータ見たりしながら人の話も聞いていたい。ところが今回は鳥越先生が全部その場で調べてくれて、しかもそれをリアルタイムで教えてくれるわけですからね。
    鳥越 昔は横浜スタジアムや神宮球場で球場内FM放送といって、案内されたFMの周波数に合わせると誰でもDJのトークを聞けるというものがあったんですが、「ラジオ聞きながらだと集中してしまってファールボールに気づかないから危険」という理由で廃止になってしまった。でも今回は2階席からだったからそこまでファールボールの危険性もなかったですね。
     球場にラジオを持ち込んで実況中継を聞きながらみるのもいいのですが、「第1球投げた!」という、映像を見ていない前提の細かな実況が煩わしく感じてしまったり、radikoで聞くと5秒のズレが生まれてしまったりするんですよね。
    藤川 球場でピッチャーが投げたのを見た5秒後に「ピッチャー投げた!」っていう実況が流れてくるのは許しがたいですね。
    鳥越 そういう意味では、エアサーブさんのイヤホンガイドによる実況解説は聴講されたみなさんにもストレスを感じさせることはなかったと思います。
    藤川 誰でも聞けるというかたちではなく、特定のゾーンの人だけが聞けるシートを設けるなどしてプレミア感を出したほうがいいですよね。
    ──いまIT系の球団を中心に、様々なプレミアを付けたシートを少し高い値段で売り出していますが、それが当初の予想以上に売れているようです。砂かぶり席(球場のファールゾーンに新たに客席を設置してより臨場感が楽しめるようになっている。来場者にはファールボールの危険に備えてヘルメットとグローブが貸与される)が代表的ですが、スタジアムの上の方の座席を改造してパーティーができるような席種も販売されています。普通なら「チケットを値上げしたら売れないだろう」と思うのですが、むしろ様々な付加価値を乗せて高く売ることで全体の売上は増える。そういうビジネスモデルのひとつとして考えてみてもいいかもしれないですね。

    ▲広島カープの本拠マツダスタジアムに設置された内野パーティーデッキ。
    http://www.carp.co.jp/ticket/zaseki/partyfloor.shtml#deck

    ▲横浜スタジアムに今年から新設された「ベースボールモニターBOXシート」。居酒屋のような席配置で友人たちと飲み会をしながら観戦できる。テーブル中央にはタブレットPCが設置されており、選手の成績やリプレイ、実況映像なども見ることが可能。
    ──もうひとつ今日の観戦講座で感じたのが、「鳥越先生の今の解説面白かったよね」というように、一緒に来た人や隣の席の人とコミュニケーションするきっかけになるということなんです。
    鳥越 そういうエリアシートって今までになかったわけですから面白いですよね。その場に集まった人でも仲良くなれるでしょうし。ほんと、そういうシートを売り出して欲しいですね。一消費者として(笑)
     実は今、アプリ開発を考えているんです。どういうものかというとスマホで音声が聞けて、そこに文字情報を入力してもらってニコ生のコメントみたいに実況者側が拾っていくというものです。ただスマホだけだと入力が大変なんですけどね。
     こういうことは野球だけではなく色んなスポーツで試せると思っていて、もちろんサッカーもそうですし、大相撲なんかでできたら面白いはず。
    藤川 大相撲こそ、現場で解説があったらものすごく楽しいでしょうね。解説なしで見てると何が何だかわからない。現場にいたら間合いも長いですし、立ち合いで力士が何回立ったかとか、そういう情報もあったらいいですよね。
    鳥越 チケットの売り方にしても、いろいろとデータを活用すれば見えてくるものは多いはずです。そういう意味でオリックスは集客にデータ解析を使ってるんですよ。ファンクラブサイトに書き込まれる文字をデータマイニングして、「今はこの選手が注目されてる」ということを弾き出して、その選手のグッズを強化して売りだしたりしています。
     もともとオリックスは観客動員数が少ないチームだったんですが、女性ファンにアピールするために「オリ姫」企画なんかをやっていますよね。実は関西の女性野球ファンって母数が非常に多いんですよ。もちろん阪神ファンを中心にですが。で、阪神の試合が甲子園で開催されていない日にオリ姫企画をやると、阪神ファンの女性が「じゃあ今日は私、オリ姫になる」と言って来るんですよ。
    ──昔は関西といえば南海ホークスや近鉄バファローズがあったりして競合が多かったけれど、パ・リーグでは在阪球団がオリックスだけになったから関西の野球好きは「セは阪神、パはオリックス」がひとつのかたちになるという。近年プロ野球チームが地方展開していったことの副産物かもしれないですね。
     集団には「均質性」と「多様性」のバランスが必要
    ──ここからは今日のテーマでもある「データや統計学的手法を教育にどう応用するか」を伺っていきたいと思います。まず基本的なところを藤川先生にお聞きしたいのですが、現代の教育現場では先生が持っている生徒一人一人のデータというのはどういうものなんでしょうか?藤川 教師によるというところはあるんですが、基本的には文部科学省が策定した学習指導要領に基づいて、教師が「評価基準」を設けます。これは、「知識・理解ができているか」を測るというものがあり、それに加えて「関心・意欲・態度」や「思考・判断・表現」といったものが加わります。到達目標を時間や単元で決めていって、どの子が目標に到達しているか/していないかを評価するというやり方です。こうしたことは、教師はまず義務としてやらなければなりません。
     一方でユニークな指導をしている先生のなかには「意外な発見を書く」ということをやっている方もいます。子供を見ているときに、予想通りの発見や予想通りの気付きだったら別に記録しておかなくてもよいですよね。しかし、「おとなしいと思っていた子が意外なところでリーダーシップを発揮している」とか「普段はすごく自信を持っている子が逆に物怖じしてしまっている」とか、そういう姿を見つけたら書く。これはその子を発見的に見ていくために有効なんです。
     さきほど鳥越先生は「人は人を思い込みで見てしまう」とおっしゃっていましたが、人間は多様な側面を持っているものですし、そもそも小中学生ぐらいの時期って人間はめまぐるしく成長するんです。一番気をつけるべきなのは、教師が子供のことを第一印象で決めつけてしまって、そうではない姿を見ても見ぬふりをして指導にあまり活かさないということ。固定観念というのはスポーツにかぎらず教育においてもとても怖いものなんです。
    鳥越 教育の評価基準について僕が感じているのは、ある2つの評価基準があったらそれを単純に足して2で割るような発想をしてしまっているということです。でもそうではなく5〜6個の要素をベクトルと見て、それを5〜6角形のマトリクスにしてその面積の大きさで評価する、そういうやり方のほうがいいのではないか。
    藤川 多元的に評価するということですね。
    鳥越 それと、昔は評価って相対評価だったじゃないですか。平均を3として、そこからどれだけ離れているかで成績を判断する。でも今は絶対評価で、「ここまでできたら4」「これが完璧にできたら5」というように判断する。そうなるとみんなが4とか5を取ることが可能で、差別化が難しくなってくると思うんですが、いまの実際の教育現場ではどういうふうに運用しているんですか?
    藤川 実際は「みんなが5にはなる」というのはなかなかないですね。教師が評価基準をきちんと作らなければいけないというプレッシャーがあって、みんなが簡単に到達できるような目標ばかりを設定することはありません。現実には、「やっぱりこの子はちょっと無理だよな」という子もいる。だからみんなが一番上の評価を取るというふうにはなりにくいのが現実ですね。
    鳥越 なるほど、絶対評価が相対評価に近づいてしまっているわけですね。しかしそれも学校ごとに微妙に違うものになってしまう。そうなるとやはり、推薦入試などで活用可能な統一的な指標としては成り立ちづらくなっていきますよね。
    藤川 だから高校・大学では、内申点を入試で使うことは難しくなっていますね。
    鳥越 その意味で、かつて批判された偏差値って本当は公平なシステムだったんですよね。偏差値って実は統計学的に非常に素晴らしい発明で、平均が50でそこからどれだけ離れているかを一律に測ることができた。個人の主観抜きに、自分が相対的にどこにいるかを冷静に判断することが可能だったわけですから。
     でも、なぜか偏差値だけが一人歩きして、評価が高ければ人格的に評価できる、というようなことになって批判の対象になってしまった。僕は偏差値の良さを再評価してもいいんじゃないかとは思うんですよね。
    藤川 ただ、入試で学生を選ぶ側からすると、偏差値はどうしても一元的な評価になりやすいし、何度も繰り返しやったらブレがなくなっていく。それで上位だからって本当にいいのかということはずっとあります。言い換えると、入試についてはもう少し偶然性があってしかるべきという部分があるんですよ。
     これは言い方がなかなか難しいのですが、入学者選抜のような場合にも、スポーツぐらいの確率論的な見方を持ち込んでみてもいいのではないかということなんです。これは決して、「適当に選べばいい」というわけではありません。
     そもそも学校教育って個人で学ぶものではないので、ある程度の幅の多様性を確保しておきたい。基本的に学校でも企業でもそうですが、均質的すぎる集団は脆いもの。ある程度の質を担保しつつも、ちょっと違うタイプの人もいるぐらいのバランスが、集団での指導をしやすいんです。
    ──学ぶときの共同体というものを考えたとき、多様性があったほうが共同体全体の活性化につながるということですか?
    藤川 多様であればあるほどいいというわけでもないんです。あんまりにもみんながバラバラだと何も一緒にできないですけど、均質的過ぎると発想が貧困になったり、均質さゆえにお互いが潰しあったり、一人ひとりの良さが発揮されにくくなる。だから多様性と均質性のバランスをとるという意識がすごく大事だと思いますね。小学校の学級経営や中学校の部活指導もそうです。均質すぎると異質な人が排除されていじめられてしまうということもあるので、逆に異質な人を活かすように集団を作っていくというのが教育をしていく上では常に課題ですよね。
     決定論的に緻密な評価を行って集団の構成を決めるのではなく、確率論的なブレを担保しておくということ。スポーツというエンタテインメントにしても、どっちかが有利だから必ずその通りになるというのではなく、確率論的に結果が覆ることがあるのが面白いわけですよね。
    ランダム指名はなぜ有効なのか──「偶然のチャンスをモノにする」ということ
    藤川 確率論ということでいえば、私はよく授業で「ランダム指名」をすることの有効性を言っています。どういうことかというと、先生から指名されたら、どんなにその課題が苦手であっても、他の子に助けてもらってもいいから全力で発表する。そのかわり、当たっていないときは自分のペースでゆっくりやってもいい。当たったときは集中してやって、そうでないときは無理せずというように、メリハリをつけるんですよ。たとえば算数の授業とかってどうしてもずっと活躍する子と、ずっと活躍しない子に分かれてしまう。そうなると先生はできそうな子にばっかり当てるんですよ。鳥越 50分で終わらせるという授業運営のことを考えるとどうしてもそうなってしまいますよね。
    藤川 でもそれでは、できない子はずっとできないままになってしまう。一方で、できない子にばっかり当ててしまうのも辛いわけですよ。
    ──「完全にランダムである」ということが重要なわけですよね。先生が、例えばあまりできない子に対して「これぐらいの簡単な問題だったらできるだろうな」という意図を持って指名するのもよいことではないと。
    藤川 やっぱり、先生の意図どおりに動かされていると思った瞬間、白けちゃう子はたくさんいます。そうではない運営をするというのが、授業技術的に大事なことなんですね。そういう意味で、ランダムで、時々自分が主役になる場が巡ってくることにすごく意味があるわけです。
     子供ってやっぱり突然目覚めることがあるんですよ。逆に言えばチャンスが来なければなかなか目覚めない。かといって毎回チャンスを与えられると辛く感じる。スポーツってよくそういうことがあるじゃないですか。たまたまチャンスを与えられたら偶然に打ってしまって、それで一皮むける、というような。
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  • 統計学者・鳥越規央インタビュー(前編)セイバーメトリクス以降の優雅?で感傷的?な日本野球(PLANETSアーカイブス)

    2019-05-17 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、統計学者・鳥越規央さんへのインタビューです。映画『マネーボール』などでも脚光を浴びた、「野球を統計で分析する」手法=「セイバーメトリクス」の歴史と現在についてお話を聞きました。スポーツだけでなく、AKBのような文化興行や政治にまで射程を及ぼすセイバーメトリクス、その本当のポテンシャルとは――?(聞き手・構成:中野慧) ※この記事は2015年2月10日に配信された記事の再配信です。
     セイバーメトリクス――この聞き慣れない単語が徐々に広まり始めたきっかけは、やはりブラッド・ピット主演で映画化された『マネーボール』(2011年)だろう。米オークランド・アスレチックスの敏腕GM(ゼネラルマネージャー)として弱小球団を強豪に育て上げたビリー・ビーン。彼はそれまでのアナクロなスカウティングシステムを拒否し、徹底的なデータ活用(=セイバーメトリクス)によって、強豪球団から声のかかることのない一見実力のない選手たちを安価な給料で集め、アスレチックスを強いチームに育て上げていく。そのビリー・ビーンを描いたこの映画は、「弱者の一撃」という古典的なストーリーラインに加えて、脚本のアーロン・ソーキン(『ソーシャル・ネットワーク』他)らによる、人情話に重きを置きがちだったそれまでの野球映画と異なる冷徹な描き方が、野球好きのみならず映画ファンのあいだでも高く評価された。

    ▲『マネーボール』2011年/ブラッド・ピット(主演)ベネット・ミラー(監督)アーロン・ソーキン(脚本)他
     しかしこの「セイバーメトリクスによる革命」はアメリカに限ったものではなく、まさに「耐用年数を過ぎた戦後文化の象徴」たる日本のプロ野球にも2000年代以降導入され、それによって球界の勢力図も急速に塗り変わりつつある。
     今回は日本におけるセイバーメトリクスの第一人者で(実はAKBオタでもある)統計学者・鳥越規央先生をお招きし、セイバーメトリクスの歴史や日本におけるローカライズ、そして他分野への応用可能性についてお話を伺った。
    ■オタクとインターネットがセイバーメトリクスを作り上げた
    ――「セイバーメトリクス」というものはこれまでのような打率や打点、投手なら勝利数や防御率のようなわかりやすい指標ではなく、「もっと細かく色んな数字を組み合わせることで、選手の能力をより精緻に数値化することができる」ということを打ち出し、それらのデータをもとに選手を集めチームを強くしようという手法ですよね。このセイバーメトリクスは、そもそもどのようにして生まれてきたんでしょうか。
    鳥越 もともと「データで野球を見る」という観戦文化はアメリカでも一部のマニアのあいだで昔からあったのですが、セイバーメトリクスそのものは、1970年代前半のビル・ジェームズという退役軍人が始祖であると言われています。彼は友達の靴屋でバイトをしながら野球を見ていて、もともと野球好きだからとデータを取っていった。そうしたら面白いことが分かってきて、それらをまとめて自費出版したんですね。
     最初は全然売れず、一説には75人しか購入しなかったといわれてます。ですが、これまでの野球のセオリーに反するような分析結果もデータから証明できるという面白さが、だんだんマニアの口コミで広がっていったんですね。版を重ねるに連れ、購読者も増えその結果、スポーツ・イラストレイテッドのライターの目に留り、1982年に出版社から販売されるとたちまちベストセラーになったのです。ただやはりというか、日本と同じようにアメリカでも「野球の素人がこんなこと言っても俺たちは騙されないぞ!」みたいな感じで現場ではなかなか受け入れられなかったようです。
     セイバーメトリクスが面白いのは、「思い込みを是正する」という部分です。たとえば、野球の世界だと「ノーアウト満塁は点数が入りにくい」というのがありまして。
    ――「大チャンスに見えるけど、実は得点するのが難しい」という野球界の定説ですよね。ノーアウト3塁やノーアウト2・3塁に比べると内野ゴロをホームでフォースアウト→一塁に転送でダブルプレーを取られやすいですとか、スクイズしても走者へのタッチでなくホームベースへの触塁だけでアウトにできるからとか、いろんな理由が言われていますよね。
    鳥越 でも、ノーアウト1塁、ワンナウト1・3塁、2アウト2塁……等々、状況別に整理したデータを見ると、得点が入る期待値が一番高いのってノーアウト満塁なんです。
     なぜ野球界で「ノーアウト満塁では点が入りにくい」という説が流布するかというと、一番点数が入りやすそうなチャンスであるにも関わらず、自分のひいきのチームがノーアウト満塁で無得点に終わったらそのショックが大きすぎて、実際は点が入ってる場面が多いにもかかわらず心の中で「ノーアウト満塁は点が入りにくい」という思い込みを形成してしまうからですね。
     セイバーメトリクスって、そういう「人間の思い込みを是正する」というのがテーマなんです。「思い込み」はプレイヤーの方にもあるようで、これはロッテのコーチから実際に聴いた話なのですが、自分はコントロールが悪いと思い込んでいる投手がいて、「いや、君の三振率とフォアボール率の比率(K/BB という指標)を見ると平均よりも高いんだから、自分でノーコンと決めつけることないよ」と諭したりできる。余計な悩みだったことがわかれば、選手自身も自分が本当に改善すべきポイントが見えてきますよね。
    ――なるほど。ちなみに、セイバーメトリクスの始祖であるビル・ジェームズや、その後この手法を発展させていったのってどういう人たちだったんですか? 『マネーボール』でも描かれていましたが、必ずしも元プレイヤーだったりするわけではないわけですよね。
    鳥越 それは「野球オタク」のみなさんですね。セイバーメトリクスの語源となったアメリカ野球学会(Society for American Baseball Researchのこと。頭文字を取った「SABR」をセイバーと発音する)というものがありまして、僕は2007年に参加したんですが、とにかく参加者すべて「オタク」臭を漂わせている人たちばかり。会場のロビーでは野球カードに興じる人達もいれば、オールドスタイルのユニフォームを身にまとう人もいたりで、まさに「野球版コミケ」ですよ。参加者の内訳ですが、いわゆるアナリストと言われる人は4割ぐらいで、あとは企業の社長だったりお医者さんだったり、作家さんだったり、本当に野球が大好きで趣味でデータ分析をしている人たちの集い、という感じでしたね。
     コンピュータやネット環境が発達したことによって、そういう人たちが自分なりの分析を発表できる時代になった。その分析を見て、さらにいろんな人たちが考えて改良を重ねていくわけです。
    ――ソフトウェア開発でいうならオープンソースのように、ボトムアップで作られていったんですね。
    鳥越 そういうことですね。例えばピッチャーの評価法に、DIPS(Defense Independent Pitching Statistics)という概念があります。これは「失点のピッチャーによる責任ってどこまでなんだろう?」ということを考えたときに、運とかチームの守備力といった「投手自身ではコントロールできない」部分の影響はできるだけ排除してあげたいと思うわけです。でも一方で、例えば「ホームラン打たれるのは投手の責任だよなぁ」とか、「フォアボールを与えたりするのは明らかにピッチャーの責任」とか「逆に三振を取るのはピッチャーの力量のみに依存する」といった考えから 「じゃあこの3つの指標だけでピッチャーを評価してみるのはどうか?」ということを誰かが提起するんです。この場合の「誰か」というのはボロス・マクラッケンという人なんですけど。そうすると、色んなセイバーメトリシャンがそれに基づいて「自分はこう考える」といろんな意見を出し合って、一番理に適い、しかも計算が容易な指標が普及していくんですね。DIPSの中で今一番普及しているのはトム・タンゴが提唱したFIP (Fielding Independent Pitching) という指標です。ちなみにこのFIPという指標は先発・中継ぎ・抑えも同様に評価できるので、今では主要な指標のひとつとなっています。
     さらには、野手も投手も究極的に同じ指標で評価することのできるWAR(Wins Abobe Replacemnt)が出てきたり、これまでセイバーメトリクスの中でメジャーな指標だったOPS(出塁率+長打率。打率などよりもより得点貢献への相関が高いとされる)よりもRC (Runs Created) や XR (eXtrapolated Runs) 、さらにはwOBA(Weighted On-Base Average)というように、どんどん新しい指標が提案されていくんですね。
    ――野球には「この選手は打率や打点とかではあんまりパッとした数字は出ていないけれど、なぜかいつも強いチームにいる」ということがよくありますよね。そういったかたちで、これまではっきりとした数字は出ていなかった「なんとなく」だったり「空気感」のような部分を、より細かな指標で可視化させるというのが、セイバーメトリクスの大きな意義ですよね。
    鳥越 その意味では最近、「運」というものを数値化しようという考え方が出てきています。選手本人の調子が悪くなくても、不運が重なって思うように成績を残せないことがよくありますが、たとえばバービップ(BABIP)という指標はその「運」「不運」を可視化しようというものです。
     投手が投げた球を打者に打たれて、それがフェアゾーンに飛んだとき(ホームランを除く)にそれがヒットになる確率って、ほとんどの投手で3割付近に収束するという理論があるんです。たとえば今季、ある投手の調子が悪いなと思ったときにBABIPを見たら3割5分だった、と。そうなると、その選手の調子が悪いというよりも、チームの守備がまずかったり、たまたま転がったところが悪かっただけである可能性が高いと考えられる。なので翌年は本来の数字に戻せるのではと推測する。逆に成績がよくてもBABIPが2割5分だったら運に助けられている部分が大きいから、次のシーズンは成績がよくないかもしれないと予想できる。
    ――そのセイバーメトリクスが一部のマニアだけでなく、アメリカで少しずつ世の中に広がり始めたきっかけってなんだったんでしょうか? やはりビリー・ビーンの登場が大きい……?
    鳥越 いや、大きなきっかけになったのは『ファンタジーベースボール』でしょうね。ビリー・ビーンがチーム編成にセイバーメトリクスを取り入れ始めたのは90年代前半以降ですが、ほぼ時を同じくして『ファンタジーベースボール』がネット上で爆発的に普及し始めました。
     『ファンタジーベースボール』というのは、オンラインゲームの一種で、サラリーキャップ(選手の総年俸額を制限すること)の中で自分たちの夢のチームを作るというものです。実際のメジャーリーガーを題材にしていまして、彼らの現実世界での活躍がゲームでの加点対象になるのです。サラリーキャップですからオールスター級の選手を集められるわけじゃないですよね。だから実際の成績を見て、コストが安いけど良い成績を残している選手を集めていく。これはまさにビリー・ビーンのやっていることと同じですね。プレイヤーがデータを見て年俸の安い若手を雇った結果、その選手が実際に活躍してチームに大きなポイントをもたらしたとき、プレイヤー冥利につきるのでしょうね。
    ■パ・リーグを中心にセイバーメトリクスが普及した2000年代
    ――セイバーメトリクスの日本での受容についても伺っていきたいのですが、そもそも「野球にデータを導入する」という意味では、日本では90年代ヤクルト・野村克也監督の「ID野球」もありましたよね。鳥越さんの著書では、要するにID野球というのは野村監督の経験知に負う部分をデータ化・定式化していたものだったという分析も書かれていました。そうなるとID野球とセイバーメトリクスはまったく別物ということなんでしょうか?
    鳥越 セイバーメトリクスのスタート地点では対極にあるものだったと考えています。僕は「ミクロの視点」と「マクロの視点」というふうに整理していますが、ミクロの視点で「次のノーアウト1,2塁でボールカウント2-1で、ここからはこう投げたらいい」という一瞬一瞬の判断をする際に、野村ID野球の経験知が使えるんだと思います。ですがセイバーメトリクスはミクロな判断というよりは、「この選手は科学的に見るとこういう成績だったから、この人の評価はこうですよ」というマクロな視点を与えるものなんです。
    ――なるほど。では、アメリカ流のセイバーメトリクスが日本で本格的に受容され始めたのは、いつぐらいなんでしょうか。
    鳥越 一番最初に導入したと言われているのは、ロッテの監督を二度にわたり務めたボビー・バレンタインですね。もともとテキサス・レンジャーズで監督をやっていた方なので当然、セイバーメトリクス的考え方を身につけていたわけです。彼が最初に日本に来たのは1995年ですが、ポール・プポという統計の専門家をフロントに招聘して積極的にデータの活用を推し進めた。それで万年Bクラスだったロッテをいきなり2位に押し上げ、ファンのあいだでも大変支持されていたんですが、残念ながら彼のやり方は当時のフロントやコーチ陣に受け入れられなかった。やっぱり「俺たちの意見よりもデータを見るのか!」と反発する人が多いわけです。
    ――日本のプロ野球全体が、職人芸のようなスカウティングを頼りにしていた時代ですよね。
    鳥越 やっぱり「職人さんの粋な腕を評価する」という文化が日本にはあるわけですね。しかしその後約10年間、ロッテはBクラスに沈んだため、ファンは余計にバレンタインの復帰を待望するようになっていったのです。
    ――そのバレンタインがロッテの監督に復帰したのは2004年で、1期目と2期目には約10年の間がありますよね。ちょうどこの時期はビリー・ビーンの手法がメジャーでかなり注目され始めた時期だと思うのですが、その間にセイバーメトリクスを導入していった日本の球団ってあるんでしょうか?
    鳥越 ボビーが戻ってくるのと同時期、2004年に日本ハムファイターズが東京から北海道に本拠を移したのですが、それを機に、2005年頃に導入しています。デトロイト・タイガースのGM補佐から、阪神の総務部次長へと歴任された吉村浩さんをヘッドハンティングしたんですね。彼はセイバーメトリクスの知識を持っていて、1億円かけてBOS(Baseball Operation System)というシステム作り、それを基にフロント主体でチーム作りをやっていくことになったんです。
     一方で同じ頃ロッテに復帰したボビーは、パ・リーグの予告先発制度を活用して、相手の先発投手に相性のよい打者を選んで毎試合打順を組むという大胆なことをやって、前の日4番だった里崎が次の日にはスタメン落ち,その翌日は9番だったりするもんだから「猫の目打線」なんて呼ばれていたりしましたね。結局2005年シーズンはロッテがパ・リーグのチーム得点1位の攻撃力でクライマックス・シリーズを勝ち抜き優勝、阪神との日本シリーズは4勝0敗の圧勝で日本一になったわけです。そのシリーズでの両チームの総得点33−4は、いまでもネット上で大差の例えとして使われていますよね。
    ――ロッテと日ハム以外に、セイバーメトリクスを導入していった球団ってどういうところがあるんですか?
    鳥越 今だと、楽天が2012年から導入していますね。8月から立花陽三さんという、元々ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス、メルリンチなどで証券マンをやってた人を球団社長に迎えたんですね。彼はまず「我々でもわかるように楽天の戦力を数値化しろ」と指令した。そのためにセイバーメトリクスの分析をしている会社と契約して、2012年のシーズンが終わったところで分析結果を見てみたら、田中将大投手を中心に投手陣は揃っていて十分戦えるが、打線の方は4番・5番が穴だということがわかった。そこで右の長距離砲に狙いを定めて調査したところ、スカウトがA.J(アンドリュー・ジョーンズ)とマギーをリストアップしてきた。そこで立花さんが自ら交渉に向かい中軸を埋めた。そして2013年、投打がうまく噛み合って日本一になったわけです。
     それからソフトバンクも日本IBM、クロスキャットとともに「χ援隊(かいえんたい)」と名付けられたデータ解析、レポート配信システムを構築しまして、スコアラーだけでなく、首脳陣や選手すべてに支給されたiphone、ipadにリアルタイムで分析したデータを配信、チーム内で共有できるようになりました。パ・リーグ優勝がかかった2014年10月2日の対オリックス戦で、10回裏1アウト満塁、一打決めればサヨナラ優勝という場面での松田がベンチ前でスタッフが手にしたデータを凝視しているシーンはちょっと感慨深いものがありましたね。
    ――パ・リーグを中心にセイバーメトリクスが普及して勢力図がどんどん書き換わっていったわけですね。しかしこれだけセイバーメトリクスが有名になってきているのに、セ・リーグのチームは導入していないんですか?
     
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  • 【インタビュー】森田創 戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか・後編(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-19 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューの後編をお届けします。プロ野球人気の高まりと逆行するように衰退していく六大学野球。その一因となったのは、GHQが推奨したラジオ中継の存在でした。今後の大学野球のあり方や、沢村栄治ら往年の名選手たちの伝説的プレーはどう捉えるべきかなど、草創期の記憶を辿りながら戦後の野球文化について考えます。(聞き手/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月25日に配信された記事の再配信です ※本記事には、前編と中編があります。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■「GHQの意向を汲んだライブコンテンツ」としての戦後プロ野球
    ――戦前は大学野球が非常に人気があって、後発のプロ野球は大学野球に負けていたということですが、その力関係が並列ないしはプロのほうが上になっていったのはいつぐらいなのでしょうか。
    森田 これはいろんな議論があって「長嶋茂雄が昭和33(1958)年に巨人に入るまでは人気も実力もプロ野球より六大学のほうが上だった」という人もいますが、僕は実力自体はプロのほうが上だったと思います。六大学は週末しか試合がなくて年間30試合が最大なんですが、プロは最初の年は別としても昭和12(1937)年から100試合前後やっているわけで、それだけたくさんの試合をしていればどんどんうまくなりますよね。しかもプロ野球選手は野球で生計を立てていくしかないから危機感も全然違う。
     戦争直後のゴタゴタの時期には、兵隊に取られて戦死してしまった選手もたくさんいたので一時的にプロのレベルは下がったようですが、昭和30(1955)年ごろには戦前のレベルに戻ったと言われています。
    ――人気の面ではどうでしょうか。
    森田 人気面は、長嶋がプロ入りするぐらいまでは六大学のほうが上だったかもしれません。ただそれはあくまでも東京地区の話で、全国的にはプロ野球のほうが人気だったと思います。
     メディア論的な観点から言えば、戦前も真珠湾攻撃の日までテレビが実験放送されていましたが、主要なメディアはやはりラジオ。終戦直後、GHQはそのラジオを「民主主義を広めるためのツール」として活用したんです。当時のGHQにとって、日本人の赤化を防ぐことが至上命題で、そのための特効薬が天皇制とベースボールだったわけですが、ベースボールはアメリカの国技であり、GHQの信じる「民主主義」と相性が良かったんですね。実際にGHQは大量のゴムを日本に持って来て、何十万個という軟式ボールを全国に配り、野球のさらなる普及を図っています。
     で、当時のラジオは今のように切れ目なく放送していなかったんですが、GHQが出した指示は「切れ目なく放送せよ」。そのためにプロ野球が一気に中継されるようになったんです。ラジオは夕方の時間であればニュースや芸能、ラジオドラマがあるんですが、午後に放送するものが少なかった。当時のプロ野球は昼間にやっていたので、空白地帯を埋めるのに都合が良かったんです。こうして野球人気は一気に高まっていったんです。
     もちろん戦前からラジオでプロ野球中継をやってはいたんですが、一番良いアナウンサーは六大学野球、なかでも早慶戦の実況中継を担当するという位置づけで、プロ野球はあくまでも1〜2年目の駆け出しアナウンサーの練習台だったんです。当時のプロ野球って六大学野球に対抗するためにもっとスピーディーにやろうという方針で、試合展開が早くて平均で80〜90分ぐらいで試合が終わっていた。テレビのような映像のない状態でヴィヴィッドに、かつ的を射た実況をしなければいけないので、アナウンス技術を磨くためには良い素材だったんですね。戦前に駆け出しだったNHKの志村正順さんのような人が、戦後には中堅どころになっていて、彼らの実況をコアにしてプロ野球中継がどんどん人気が高まっていったんです。
    ■戦後日本社会のなかの六大学野球
    ――最近、六大学野球は各大学の校風を象徴するようなポスターを制作していて、ネットでも話題になっていました。ただ不思議なのが、果たしてそこまでして人々は六大学野球に対して盛り上がらなければいけないのか? ということだったんです。
    森田 まあ、六大学の人たちの側からすれば「六大学野球は人気がなければいけない」という思いがあるんでしょうね。大学のプロモーションとしても六大学野球は効果的なコンテンツだったので。
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  • 【インタビュー】森田創 知られざる「大衆文化」としての戦前プロ野球・中編(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-12 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビュー中編をお届けします。戦前のプロ野球は、当時の東京都民にどのように受容されていたのか。洲崎球場と東京下町をホームとしたプロ球団の可能性や、当時人気絶頂だった大学野球と黎明期のプロ野球の関係について語ってもらいました。(聞き手/構成:中野慧)インタビュー前編はこちら ※この記事は2016年10月11日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■新聞社・鉄道会社と絡み合いながら発展した戦前プロ野球
    ――野球というスポーツの発展は、マスメディア、特に読売グループとの関係を抜きにしては語れないと思います。戦前から東京の下町地域で読売新聞がシェアを伸ばしていったということでしたが、そこには様々な背景があったわけですよね。
    森田 昭和10年代は東京の東側に市街地が拡大し新住民がたくさん移り住んできたわけですが、その地域を走っていたのが京成電鉄です。読売新聞社主の正力松太郎は、京成電鉄の社長だった後藤圀彦(ごとう くにひこ)と大親友だったんです。正力はこの沿線に着目して「谷津遊園」という遊園地や、谷津球場という巨人軍の練習場を京成と作ったんです。この谷津遊園は、今は「谷津バラ園」となっています。ちなみに浦安にディズニーランドができたのも、正力と京成電鉄の関係によるところが大きかったんです。

    ▲読売新聞社主(当時)の正力松太郎。プロ野球だけでなく、戦後のテレビ放送や原子力発電の普及において大きな役割を果たした。(画像出典)
     前回お話ししたように読売は、山の手のインテリの住む地域では朝日や日日新聞に勝つことができなかった。だから下町に目を付けたんです。しかも紙面も、小難しいことは言わずに誰でもわかるようなものにしたわけですが、なかでも興味深いのは日本の新聞で初めて「都内版」を作ったことです。その第1号が「江東区版」でした。何をやったかというと、冠婚葬祭のニュースや人探しとか、とにかく住民の名前を載せたんです。そうすると「ご近所の◯◯さんが新聞に出てる」ということで、住民の人たちも人情で買いたくなる。この企画のコンセプトは、「政治とか経済とかそういう小難しいことはいいから、『自分ごと』として新聞を読んで貰えるようにしよう」ということだったわけです。
     本紙のほうでも「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を作って、そのテーマに絞って記事を作っていった。そういった取り組みが下町の庶民の心を捉えたんですね。
     発足当初のプロ野球って、そういった都市の発達・新住民の流入と密接に関係するビジネスだったんです。昭和11年のプロ野球発足時は、巨人、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、阪急(現・オリックス・バファローズ)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、名古屋金鯱軍、東京セネタース(西武を経営母体としていたが現在の埼玉西武ライオンズと直接の関係はない)、そして洲崎球場を本拠とした大東京軍(現在の横浜DeNAベイスターズの前身のひとつ)の7球団でスタートしたものなんですね。このうち巨人、名古屋軍、名古屋金鯱軍、大東京軍の4球団は新聞社を母体としていて、残りの3球団は鉄道会社を母体としていた。当時のプロ野球は本業だけで回収できるビジネスモデルではなく、鉄道会社は観客輸送による運賃増、新聞社なら新規読者の開拓による購読料収入増を織り込まないと、なかなか成り立たないものだったんです。
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  • 【インタビュー】森田創「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球・前編 (PLANETSアーカイブス)

    2019-04-05 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。(聞き手/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月12日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。
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  • 野球をめぐるいくつかの現代的寓話――『カルテット』とWBC中継延長問題(文化系のための野球入門 vol.5)

    2017-06-09 07:00  

    野球という〈古い日本の象徴〉を、新たな視点で捉え直す「文化系のための野球入門」。今回は、この春に行われた野球の世界大会「WBC」のテレビ放映をめぐって起こった文化的対立をヒントに、現代社会における〈野球〉の位置を考えます。(文:中野慧<PLANETS編集部>)
    「カルテット民 VS やきう民」紛争でフラッシュバックした世紀末の光景
     今年(2017年)の春先、野球の世界大会ワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)の第4回が開催されました。「侍ジャパン」こと野球日本代表は、事前の壮行試合で苦戦したこと、イチローやダルビッシュやマー君(田中将大)といった誰もが知るスター選手の不在などもあり前評判はあまり高くなく、「世間的な盛り上がりに欠ける」というようなことも言われていました。しかし、いざ蓋を開けてみると本大会では6連勝と快進撃を続け、準決勝で優勝国アメリカに敗れはしたものの、終わってみればそれなりに盛り上がった――少なくとも野球ファンのあいだでは――といえそうです。
     私自身、二次ラウンドの日本VSイスラエルを東京ドームで観戦したのをはじめ、日本戦以外もテレビや現地などで観戦しました。健闘したイスラエルやオランダ、そして4回目にしてようやく初優勝した「野球の母国」アメリカ代表の戦いぶりなども含め、とても見応えのある大会だったと感じました。
     しかし、「侍ジャパン」や他のチームの戦いぶりなどのゲームの内容以上に、マスメディアでの報道やネットユーザーたちの論じ方で見えてきた「WBCと日本社会」の構図が大変興味深かったという印象を持っています。
     WBCが開催されていた2017年春季はちょうど、TBS系『カルテット』(出演:松たか子、松田龍平、満島ひかり、高橋一生 脚本:坂元裕二)というテレビドラマがドラマファンのあいだで注目されていました。このドラマは火曜22時(『逃げるは恥だが役に立つ』と同じ枠)の放送だったのですが、ちょうど3/7のWBC1次ラウンド日本VSキューバ、3/14に行われた2次ラウンドの同じく日本VSキューバが火曜日に行われ、野球中継が延長に延長を重ねてドラマの放映開始時間が後ろ倒しになる、という事態が起こっていました。
     私はふだんテレビ番組を観る際、2ちゃんねるやツイッターなどネット上の書き込みを追っているのですが、このときネット上では『カルテット』を楽しみにしている視聴者(ここでは「カルテット民」と呼びます)とWBC視聴者(同じく「やきう民」と呼びます)のあいだで小競り合いが起こっていました。カルテット民は「野球ウザい早く終われ」、やきう民は「どうせ低視聴率不人気ドラマでしょ」と応酬するという、いつかどこかで見たような不毛な光景が繰り広げられていたのです(なお、『カルテット』はドラマファン内での評価は高かったものの、リアルタイム視聴率は多くの回で一桁台でした)。

    ▲「野球 延長」でGoogle検索するとレコメンドで出てくる単語群。「うざい」「ムカつく」といった感情的なワードから、「何時まで」といった実利的な情報を求めるものまで様々。
     松井秀喜などを擁し、まだ巨人が盤石の人気を誇っていた90年代半ば、私はまだ野球の魅力に目覚めていない漫画やドラマが好きな小学生だったのですが、野球中継の延長により楽しみにしている番組が後ろ倒しになる、もしくはVHSでの録画に失敗するといった経験を通して、テレビの番組表を乱す「野球」の傍若無人な振る舞いに深い恨みを抱くようになりました。特に、日テレ系列土曜21時の放映枠だった少年少女向けドラマ『家なき子』『金田一少年の事件簿』『銀狼怪奇ファイル』などを楽しみにしていたのですがいずれも野球の犠牲となり、悲しい思いをしたことを覚えています。
    今の野球中継はどうなっているのか? 
     おそらく前世紀末、まだ一家にテレビ一台が普通だった時代は、あくまでも比喩ですが「野球中継を観たい父親 VS ドラマを観たい娘」といった思想的対立が、広く日本中の家庭で起こっていたのではないでしょうか。今年の「カルテット民 VS やきう民」もそれを彷彿とさせるもので、ドラマファンからは「なぜ野球は延長するのか? BSやサブチャンネルを使えばいいのでは?」という声が上がっていました。
     私はそういった光景を眺めていて、その種の感想が出てくること自体が興味深いと感じました。というのも、「野球が傍若無人に番組表を乱す」ということは以前よりも明らかに少なくなっていることが、事実としてあるからです。
     ふつうプロ野球のナイターは18時に試合開始で、おおむね3時間で終わると想定されています。そこでテレビで野球中継を行う場合は、中盤から試合終了までの19〜21時の放映枠を取っていることが多いです。しかし野球が3時間で終わることのほうが実は少なく、昔は平均的には10〜30分ぐらい延長することが多かったわけです。
     しかし野球中継の延長は近年、急速に減少しました。なぜかというと巨人戦が以前ほど視聴率を取れなくなり地上波での放映数が減少し、その一方で90年代以前は映像で観ることが難しかった巨人戦以外のセ・リーグ球団やパ・リーグの試合が、BS・CSなど多チャンネル化やネット放送(ニコニコ生放送、スポナビライブ、DAZN、Abema TV、SHOWROOM等)の充実によって様々な方法で視聴できるようになり、プロ野球の「巨人頼み」の構図が大きく転換したからです。
     テレビ放送についても、たとえば地上波の日テレで巨人戦を放送する際には(18時に試合開始で)19-21時のみ放送し、試合時間が放送枠を超えた21時以降はBS日テレに移行、そしてもし22時を超えてBSの放送枠に食い込むようだったらサブチャンネルで放送するなどし、放送枠を乱さないような改善が行われました。少なくとも、昔のように頻繁に地上波で野球が延長するということがなくなり、棲み分けができるようになってきているわけです。これは今や野球ファンのなかではほとんど共通了解のようになっています。

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  • 戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.718 ☆

    2016-10-25 07:00  
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    戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(後編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.25 vol.718
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューの後編をお届けします。
    プロ野球人気の高まりと逆行するように衰退していく六大学野球。その一因となったのは、GHQが推奨したラジオ中継の存在でした。今後の大学野球のあり方や、沢村栄治ら往年の名選手たちの伝説的プレーはどう捉えるべきかなど、草創期の記憶を辿りながら戦後の野球文化について考えます。

    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手/構成:中野慧
    本記事には、前編と中編があります。
    ■「GHQの意向を汲んだライブコンテンツ」としての戦後プロ野球
    ――戦前は大学野球が非常に人気があって、後発のプロ野球は大学野球に負けていたということですが、その力関係が並列ないしはプロのほうが上になっていったのはいつぐらいなのでしょうか。
    森田 これはいろんな議論があって「長嶋茂雄が昭和33(1958)年に巨人に入るまでは人気も実力もプロ野球より六大学のほうが上だった」という人もいますが、僕は実力自体はプロのほうが上だったと思います。六大学は週末しか試合がなくて年間30試合が最大なんですが、プロは最初の年は別としても昭和12(1937)年から100試合前後やっているわけで、それだけたくさんの試合をしていればどんどんうまくなりますよね。しかもプロ野球選手は野球で生計を立てていくしかないから危機感も全然違う。
     戦争直後のゴタゴタの時期には、兵隊に取られて戦死してしまった選手もたくさんいたので一時的にプロのレベルは下がったようですが、昭和30(1955)年ごろには戦前のレベルに戻ったと言われています。
    ――人気の面ではどうでしょうか。
    森田 人気面は、長嶋がプロ入りするぐらいまでは六大学のほうが上だったかもしれません。ただそれはあくまでも東京地区の話で、全国的にはプロ野球のほうが人気だったと思います。
     メディア論的な観点から言えば、戦前も真珠湾攻撃の日までテレビが実験放送されていましたが、主要なメディアはやはりラジオ。終戦直後、GHQはそのラジオを「民主主義を広めるためのツール」として活用したんです。当時のGHQにとって、日本人の赤化を防ぐことが至上命題で、そのための特効薬が天皇制とベースボールだったわけですが、ベースボールはアメリカの国技であり、GHQの信じる「民主主義」と相性が良かったんですね。実際にGHQは大量のゴムを日本に持って来て、何十万個という軟式ボールを全国に配り、野球のさらなる普及を図っています。
     で、当時のラジオは今のように切れ目なく放送していなかったんですが、GHQが出した指示は「切れ目なく放送せよ」。そのためにプロ野球が一気に中継されるようになったんです。ラジオは夕方の時間であればニュースや芸能、ラジオドラマがあるんですが、午後に放送するものが少なかった。当時のプロ野球は昼間にやっていたので、空白地帯を埋めるのに都合が良かったんです。こうして野球人気は一気に高まっていったんです。
     もちろん戦前からラジオでプロ野球中継をやってはいたんですが、一番良いアナウンサーは六大学野球、なかでも早慶戦の実況中継を担当するという位置づけで、プロ野球はあくまでも1〜2年目の駆け出しアナウンサーの練習台だったんです。当時のプロ野球って六大学野球に対抗するためにもっとスピーディーにやろうという方針で、試合展開が早くて平均で80〜90分ぐらいで試合が終わっていた。テレビのような映像のない状態でヴィヴィッドに、かつ的を射た実況をしなければいけないので、アナウンス技術を磨くためには良い素材だったんですね。戦前に駆け出しだったNHKの志村正順さんのような人が、戦後には中堅どころになっていて、彼らの実況をコアにしてプロ野球中継がどんどん人気が高まっていったんです。
    ■戦後日本社会のなかの六大学野球
    ――最近、六大学野球は各大学の校風を象徴するようなポスターを制作していて、ネットでも話題になっていました。ただ不思議なのが、果たしてそこまでして人々は六大学野球に対して盛り上がらなければいけないのか? ということだったんです。
    森田 まあ、六大学の人たちの側からすれば「六大学野球は人気がなければいけない」という思いがあるんでしょうね。大学のプロモーションとしても六大学野球は効果的なコンテンツだったので。

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  • 知られざる「大衆文化」としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(中編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.708 ☆

    2016-10-11 07:00  
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    知られざる「大衆文化」としての戦後プロ野球『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(中編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.11 vol.708
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビュー中編をお届けします。戦前のプロ野球は、当時の東京都民にどのように受容されていたのか。洲崎球場と東京下町をホームとしたプロ球団の可能性や、当時人気絶頂だった大学野球と黎明期のプロ野球の関係について語ってもらいました。
    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手/構成:中野慧
    インタビュー前編はこちら。
    ■新聞社・鉄道会社と絡み合いながら発展した戦前プロ野球
    ――野球というスポーツの発展は、マスメディア、特に読売グループとの関係を抜きにしては語れないと思います。戦前から東京の下町地域で読売新聞がシェアを伸ばしていったということでしたが、そこには様々な背景があったわけですよね。
    森田 昭和10年代は東京の東側に市街地が拡大し新住民がたくさん移り住んできたわけですが、その地域を走っていたのが京成電鉄です。読売新聞社主の正力松太郎は、京成電鉄の社長だった後藤圀彦(ごとう くにひこ)と大親友だったんです。正力はこの沿線に着目して「谷津遊園」という遊園地や、谷津球場という巨人軍の練習場を京成と作ったんです。この谷津遊園は、今は「谷津バラ園」となっています。ちなみに浦安にディズニーランドができたのも、正力と京成電鉄の関係によるところが大きかったんです。

    ▲読売新聞社主(当時)の正力松太郎。プロ野球だけでなく、戦後のテレビ放送や原子力発電の普及において大きな役割を果たした。(画像出典)
     前回お話ししたように読売は、山の手のインテリの住む地域では朝日や日日新聞に勝つことができなかった。だから下町に目を付けたんです。しかも紙面も、小難しいことは言わずに誰でもわかるようなものにしたわけですが、なかでも興味深いのは日本の新聞で初めて「都内版」を作ったことです。その第1号が「江東区版」でした。何をやったかというと、冠婚葬祭のニュースや人探しとか、とにかく住民の名前を載せたんです。そうすると「ご近所の◯◯さんが新聞に出てる」ということで、住民の人たちも人情で買いたくなる。この企画のコンセプトは、「政治とか経済とかそういう小難しいことはいいから、『自分ごと』として新聞を読んで貰えるようにしよう」ということだったわけです。
     本紙のほうでも「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を作って、そのテーマに絞って記事を作っていった。そういった取り組みが下町の庶民の心を捉えたんですね。
     発足当初のプロ野球って、そういった都市の発達・新住民の流入と密接に関係するビジネスだったんです。昭和11年のプロ野球発足時は、巨人、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、阪急(現・オリックス・バファローズ)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、名古屋金鯱軍、東京セネタース(西武を経営母体としていたが現在の埼玉西武ライオンズと直接の関係はない)、そして洲崎球場を本拠とした大東京軍(現在の横浜DeNAベイスターズの前身のひとつ)の7球団でスタートしたものなんですね。このうち巨人、名古屋軍、名古屋金鯱軍、大東京軍の4球団は新聞社を母体としていて、残りの3球団は鉄道会社を母体としていた。当時のプロ野球は本業だけで回収できるビジネスモデルではなく、鉄道会社は観客輸送による運賃増、新聞社なら新規読者の開拓による購読料収入増を織り込まないと、なかなか成り立たないものだったんです。

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  • 「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.700 ☆

    2016-09-29 07:00  
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    「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.29 vol.700
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。
    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手/構成:中野慧

    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。

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  • 地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.698 ☆

    2016-09-27 07:00  
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    地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.27 vol.698
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは「文化系のための野球入門」をお届けします。今回は「野球人気の地域差」に着目し、日本社会に暮らす人々が、野球というスポーツ/エンターテインメントに接する際の温度差について考えます。
    ▼執筆者プロフィール

    中野慧(なかの・けい)
    1986年生、PLANETS編集部。文化、政治からスポーツまで色々な書籍・記事を担当しています。過去の構成担当書籍に『静かなる革命へのブループリント』(宇野常寛編、河出書房新社)、『ナショナリズムの現在』(著・小林よしのり他、朝日新聞出版)、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編、KADOKAWA/中経出版)等。

    過去の配信記事一覧はこちらから。

    前回:いま野球界の構造はどうなっているのか? 選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)

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    ■昔から「地域密着」していたプロ野球
     前回に引き続き、野球界の基底構造を試論として述べてみたいと思います。
     先日、広島東洋カープが25年ぶりの優勝を果たし、ニュースやSNSのタイムラインを賑わせていたと思います。そこで意外な人がカープファンだったことが明らかになり、驚いたりした人も多いのではないでしょうか。「◯◯という野球チームのファンである」ということは、当人たちがあえて日常のコミュニケーションで表明しようと思わないぐらいに身体化されていたりします。
     その一方で、例えばしばしばメディアで「高校野球は国民的行事だ」といういうことが言われるわけですが、「そもそも高校野球に関心がないから、国民的行事だなんて1ミリも思わないよ」と反発を覚える人もいると思います。
     ここで考えてみたいのは、個々人の出身地域や所属する文化的クラスターによって「野球」というスポーツ/エンターテインメントの受け取り方に大きな差が出てくる、ということです。そこで今回は「地域によって『野球』というものの重みがどう違うか」に着目して、野球文化の内実を考えてみたいと思います。
     この連載のもとになった記事(いま文化系にとって野球の楽しみ方とは?――「プロ野球ai」からなんJ、『ダイヤのA』、スタジアムでの野球観戦、そしてビヨンドマックスまで)では、「野球人気低下」の実相について検討しました。よくマスメディアで言われる「野球人気」のバロメーターは、つまるところ「テレビにおける巨人戦の視聴率」だったわけです。現在の地上波における巨人戦中継数や視聴率はたしかに減少傾向であるものの、スタジアムに足を運ぶ観客の数や、野球を実際にプレーする選手の数は21世紀に入って右肩上がりになっています。野球人気を考える上では、「マスメディアを通した薄く広いファン層」ではなく、球場に足を運んだり自分でやったりする「濃い」ファン層の推移を考える必要があるという論旨だったのですが、地域の野球人気を考える際もやはり観客動員の数に着目する必要があります。
     近年、プロ野球においてJリーグをモデルとした「地域密着」型の球団経営が志向されていることは、野球に詳しくなくても知っている方が多いのではないかと思います。北海道では2004年に札幌に本拠地を移した北海道日本ハムファイターズ、東北では2005年に新規参入を果たし仙台に本拠を置いた東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡では2006年に親会社が変わった福岡ソフトバンクホークスといったパ・リーグ球団が、それぞれ地域での人気を確立しています。
     実際に2008〜2015年に開催されたプロ野球公式戦の各チームのホームゲーム観客動員数の推移を見てみると、ソフトバンク、日本ハムの観客動員数は高水準を維持していますし、2005年に球界に参入したばかりの楽天も急上昇中です。

    ▲日本野球機構 統計データより作成。
     では、プロ野球において「地域密着」が進んだのは最近かというと、必ずしもそういうわけではありません。大阪府・兵庫県の阪神タイガース、愛知県なら中日ドラゴンズ、広島県なら広島東洋カープといったいくつかのセ・リーグ球団は、戦後にプロ野球が復活して以降、長きにわたって地域住民に愛されてきており、現在の観客動員数でも上位に位置しています。
     たとえば広島東洋カープは、ある種の「戦後復興・反戦平和の象徴」として生まれ、市民の支持を受けてきました。被爆都市である広島で戦後にプロ球団が誕生した経緯、市民の受容過程や、カープがどのような「意味」を背負っていたかについては、『はだしのゲン』で有名な中沢啓治の漫画作品『広島カープ誕生物語』でも描かれています。

    ▲中沢啓治『中沢啓治著作集(1)広島カープ誕生物語』DINO BOX
    ■日本で一番野球が盛んな都道府県はどこか
     野球文化は大きくプロ野球とアマチュア野球のふたつに分けられるわけですが、大阪・愛知・広島の3府県は戦前から高校野球も盛んであり、全国優勝経験のある強豪校を多く抱えていてアマチュア野球が市民の身近にあることも、野球人気の高さを下支えしています。
     では、日本で一番野球が盛んな都道府県はどこか? と問われたとき、暫定的には「大阪府」と答えるのが、もっとも正解に近いと思います。プロ野球においては阪神タイガースが伝統的に根強い人気を誇り、阪神以外にも近鉄バファローズ(前身も含めて1952年より大阪に本拠を置き、2004年に消滅)、南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス。1952年〜1988年まで大阪に本拠を置き、89年より福岡に移転)、阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ。1952年〜2004年まで兵庫県に本拠を置き、現在は大阪府を本拠としている)と、20世紀後半には4つものプロ球団が大阪周辺に本拠を置いていました。

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