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記事 18件
  • 統計学者・鳥越規央インタビュー(前編)セイバーメトリクス以降の優雅?で感傷的?な日本野球(PLANETSアーカイブス)

    2019-05-17 07:00  
    540pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、統計学者・鳥越規央さんへのインタビューです。映画『マネーボール』などでも脚光を浴びた、「野球を統計で分析する」手法=「セイバーメトリクス」の歴史と現在についてお話を聞きました。スポーツだけでなく、AKBのような文化興行や政治にまで射程を及ぼすセイバーメトリクス、その本当のポテンシャルとは――?(聞き手・構成:中野慧) ※この記事は2015年2月10日に配信された記事の再配信です。
     セイバーメトリクス――この聞き慣れない単語が徐々に広まり始めたきっかけは、やはりブラッド・ピット主演で映画化された『マネーボール』(2011年)だろう。米オークランド・アスレチックスの敏腕GM(ゼネラルマネージャー)として弱小球団を強豪に育て上げたビリー・ビーン。彼はそれまでのアナクロなスカウティングシステムを拒否し、徹底的なデータ活用(=セイバーメトリクス)によって、強豪球団から声のかかることのない一見実力のない選手たちを安価な給料で集め、アスレチックスを強いチームに育て上げていく。そのビリー・ビーンを描いたこの映画は、「弱者の一撃」という古典的なストーリーラインに加えて、脚本のアーロン・ソーキン(『ソーシャル・ネットワーク』他)らによる、人情話に重きを置きがちだったそれまでの野球映画と異なる冷徹な描き方が、野球好きのみならず映画ファンのあいだでも高く評価された。

    ▲『マネーボール』2011年/ブラッド・ピット(主演)ベネット・ミラー(監督)アーロン・ソーキン(脚本)他
     しかしこの「セイバーメトリクスによる革命」はアメリカに限ったものではなく、まさに「耐用年数を過ぎた戦後文化の象徴」たる日本のプロ野球にも2000年代以降導入され、それによって球界の勢力図も急速に塗り変わりつつある。
     今回は日本におけるセイバーメトリクスの第一人者で(実はAKBオタでもある)統計学者・鳥越規央先生をお招きし、セイバーメトリクスの歴史や日本におけるローカライズ、そして他分野への応用可能性についてお話を伺った。
    ■オタクとインターネットがセイバーメトリクスを作り上げた
    ――「セイバーメトリクス」というものはこれまでのような打率や打点、投手なら勝利数や防御率のようなわかりやすい指標ではなく、「もっと細かく色んな数字を組み合わせることで、選手の能力をより精緻に数値化することができる」ということを打ち出し、それらのデータをもとに選手を集めチームを強くしようという手法ですよね。このセイバーメトリクスは、そもそもどのようにして生まれてきたんでしょうか。
    鳥越 もともと「データで野球を見る」という観戦文化はアメリカでも一部のマニアのあいだで昔からあったのですが、セイバーメトリクスそのものは、1970年代前半のビル・ジェームズという退役軍人が始祖であると言われています。彼は友達の靴屋でバイトをしながら野球を見ていて、もともと野球好きだからとデータを取っていった。そうしたら面白いことが分かってきて、それらをまとめて自費出版したんですね。
     最初は全然売れず、一説には75人しか購入しなかったといわれてます。ですが、これまでの野球のセオリーに反するような分析結果もデータから証明できるという面白さが、だんだんマニアの口コミで広がっていったんですね。版を重ねるに連れ、購読者も増えその結果、スポーツ・イラストレイテッドのライターの目に留り、1982年に出版社から販売されるとたちまちベストセラーになったのです。ただやはりというか、日本と同じようにアメリカでも「野球の素人がこんなこと言っても俺たちは騙されないぞ!」みたいな感じで現場ではなかなか受け入れられなかったようです。
     セイバーメトリクスが面白いのは、「思い込みを是正する」という部分です。たとえば、野球の世界だと「ノーアウト満塁は点数が入りにくい」というのがありまして。
    ――「大チャンスに見えるけど、実は得点するのが難しい」という野球界の定説ですよね。ノーアウト3塁やノーアウト2・3塁に比べると内野ゴロをホームでフォースアウト→一塁に転送でダブルプレーを取られやすいですとか、スクイズしても走者へのタッチでなくホームベースへの触塁だけでアウトにできるからとか、いろんな理由が言われていますよね。
    鳥越 でも、ノーアウト1塁、ワンナウト1・3塁、2アウト2塁……等々、状況別に整理したデータを見ると、得点が入る期待値が一番高いのってノーアウト満塁なんです。
     なぜ野球界で「ノーアウト満塁では点が入りにくい」という説が流布するかというと、一番点数が入りやすそうなチャンスであるにも関わらず、自分のひいきのチームがノーアウト満塁で無得点に終わったらそのショックが大きすぎて、実際は点が入ってる場面が多いにもかかわらず心の中で「ノーアウト満塁は点が入りにくい」という思い込みを形成してしまうからですね。
     セイバーメトリクスって、そういう「人間の思い込みを是正する」というのがテーマなんです。「思い込み」はプレイヤーの方にもあるようで、これはロッテのコーチから実際に聴いた話なのですが、自分はコントロールが悪いと思い込んでいる投手がいて、「いや、君の三振率とフォアボール率の比率(K/BB という指標)を見ると平均よりも高いんだから、自分でノーコンと決めつけることないよ」と諭したりできる。余計な悩みだったことがわかれば、選手自身も自分が本当に改善すべきポイントが見えてきますよね。
    ――なるほど。ちなみに、セイバーメトリクスの始祖であるビル・ジェームズや、その後この手法を発展させていったのってどういう人たちだったんですか? 『マネーボール』でも描かれていましたが、必ずしも元プレイヤーだったりするわけではないわけですよね。
    鳥越 それは「野球オタク」のみなさんですね。セイバーメトリクスの語源となったアメリカ野球学会(Society for American Baseball Researchのこと。頭文字を取った「SABR」をセイバーと発音する)というものがありまして、僕は2007年に参加したんですが、とにかく参加者すべて「オタク」臭を漂わせている人たちばかり。会場のロビーでは野球カードに興じる人達もいれば、オールドスタイルのユニフォームを身にまとう人もいたりで、まさに「野球版コミケ」ですよ。参加者の内訳ですが、いわゆるアナリストと言われる人は4割ぐらいで、あとは企業の社長だったりお医者さんだったり、作家さんだったり、本当に野球が大好きで趣味でデータ分析をしている人たちの集い、という感じでしたね。
     コンピュータやネット環境が発達したことによって、そういう人たちが自分なりの分析を発表できる時代になった。その分析を見て、さらにいろんな人たちが考えて改良を重ねていくわけです。
    ――ソフトウェア開発でいうならオープンソースのように、ボトムアップで作られていったんですね。
    鳥越 そういうことですね。例えばピッチャーの評価法に、DIPS(Defense Independent Pitching Statistics)という概念があります。これは「失点のピッチャーによる責任ってどこまでなんだろう?」ということを考えたときに、運とかチームの守備力といった「投手自身ではコントロールできない」部分の影響はできるだけ排除してあげたいと思うわけです。でも一方で、例えば「ホームラン打たれるのは投手の責任だよなぁ」とか、「フォアボールを与えたりするのは明らかにピッチャーの責任」とか「逆に三振を取るのはピッチャーの力量のみに依存する」といった考えから 「じゃあこの3つの指標だけでピッチャーを評価してみるのはどうか?」ということを誰かが提起するんです。この場合の「誰か」というのはボロス・マクラッケンという人なんですけど。そうすると、色んなセイバーメトリシャンがそれに基づいて「自分はこう考える」といろんな意見を出し合って、一番理に適い、しかも計算が容易な指標が普及していくんですね。DIPSの中で今一番普及しているのはトム・タンゴが提唱したFIP (Fielding Independent Pitching) という指標です。ちなみにこのFIPという指標は先発・中継ぎ・抑えも同様に評価できるので、今では主要な指標のひとつとなっています。
     さらには、野手も投手も究極的に同じ指標で評価することのできるWAR(Wins Abobe Replacemnt)が出てきたり、これまでセイバーメトリクスの中でメジャーな指標だったOPS(出塁率+長打率。打率などよりもより得点貢献への相関が高いとされる)よりもRC (Runs Created) や XR (eXtrapolated Runs) 、さらにはwOBA(Weighted On-Base Average)というように、どんどん新しい指標が提案されていくんですね。
    ――野球には「この選手は打率や打点とかではあんまりパッとした数字は出ていないけれど、なぜかいつも強いチームにいる」ということがよくありますよね。そういったかたちで、これまではっきりとした数字は出ていなかった「なんとなく」だったり「空気感」のような部分を、より細かな指標で可視化させるというのが、セイバーメトリクスの大きな意義ですよね。
    鳥越 その意味では最近、「運」というものを数値化しようという考え方が出てきています。選手本人の調子が悪くなくても、不運が重なって思うように成績を残せないことがよくありますが、たとえばバービップ(BABIP)という指標はその「運」「不運」を可視化しようというものです。
     投手が投げた球を打者に打たれて、それがフェアゾーンに飛んだとき(ホームランを除く)にそれがヒットになる確率って、ほとんどの投手で3割付近に収束するという理論があるんです。たとえば今季、ある投手の調子が悪いなと思ったときにBABIPを見たら3割5分だった、と。そうなると、その選手の調子が悪いというよりも、チームの守備がまずかったり、たまたま転がったところが悪かっただけである可能性が高いと考えられる。なので翌年は本来の数字に戻せるのではと推測する。逆に成績がよくてもBABIPが2割5分だったら運に助けられている部分が大きいから、次のシーズンは成績がよくないかもしれないと予想できる。
    ――そのセイバーメトリクスが一部のマニアだけでなく、アメリカで少しずつ世の中に広がり始めたきっかけってなんだったんでしょうか? やはりビリー・ビーンの登場が大きい……?
    鳥越 いや、大きなきっかけになったのは『ファンタジーベースボール』でしょうね。ビリー・ビーンがチーム編成にセイバーメトリクスを取り入れ始めたのは90年代前半以降ですが、ほぼ時を同じくして『ファンタジーベースボール』がネット上で爆発的に普及し始めました。
     『ファンタジーベースボール』というのは、オンラインゲームの一種で、サラリーキャップ(選手の総年俸額を制限すること)の中で自分たちの夢のチームを作るというものです。実際のメジャーリーガーを題材にしていまして、彼らの現実世界での活躍がゲームでの加点対象になるのです。サラリーキャップですからオールスター級の選手を集められるわけじゃないですよね。だから実際の成績を見て、コストが安いけど良い成績を残している選手を集めていく。これはまさにビリー・ビーンのやっていることと同じですね。プレイヤーがデータを見て年俸の安い若手を雇った結果、その選手が実際に活躍してチームに大きなポイントをもたらしたとき、プレイヤー冥利につきるのでしょうね。
    ■パ・リーグを中心にセイバーメトリクスが普及した2000年代
    ――セイバーメトリクスの日本での受容についても伺っていきたいのですが、そもそも「野球にデータを導入する」という意味では、日本では90年代ヤクルト・野村克也監督の「ID野球」もありましたよね。鳥越さんの著書では、要するにID野球というのは野村監督の経験知に負う部分をデータ化・定式化していたものだったという分析も書かれていました。そうなるとID野球とセイバーメトリクスはまったく別物ということなんでしょうか?
    鳥越 セイバーメトリクスのスタート地点では対極にあるものだったと考えています。僕は「ミクロの視点」と「マクロの視点」というふうに整理していますが、ミクロの視点で「次のノーアウト1,2塁でボールカウント2-1で、ここからはこう投げたらいい」という一瞬一瞬の判断をする際に、野村ID野球の経験知が使えるんだと思います。ですがセイバーメトリクスはミクロな判断というよりは、「この選手は科学的に見るとこういう成績だったから、この人の評価はこうですよ」というマクロな視点を与えるものなんです。
    ――なるほど。では、アメリカ流のセイバーメトリクスが日本で本格的に受容され始めたのは、いつぐらいなんでしょうか。
    鳥越 一番最初に導入したと言われているのは、ロッテの監督を二度にわたり務めたボビー・バレンタインですね。もともとテキサス・レンジャーズで監督をやっていた方なので当然、セイバーメトリクス的考え方を身につけていたわけです。彼が最初に日本に来たのは1995年ですが、ポール・プポという統計の専門家をフロントに招聘して積極的にデータの活用を推し進めた。それで万年Bクラスだったロッテをいきなり2位に押し上げ、ファンのあいだでも大変支持されていたんですが、残念ながら彼のやり方は当時のフロントやコーチ陣に受け入れられなかった。やっぱり「俺たちの意見よりもデータを見るのか!」と反発する人が多いわけです。
    ――日本のプロ野球全体が、職人芸のようなスカウティングを頼りにしていた時代ですよね。
    鳥越 やっぱり「職人さんの粋な腕を評価する」という文化が日本にはあるわけですね。しかしその後約10年間、ロッテはBクラスに沈んだため、ファンは余計にバレンタインの復帰を待望するようになっていったのです。
    ――そのバレンタインがロッテの監督に復帰したのは2004年で、1期目と2期目には約10年の間がありますよね。ちょうどこの時期はビリー・ビーンの手法がメジャーでかなり注目され始めた時期だと思うのですが、その間にセイバーメトリクスを導入していった日本の球団ってあるんでしょうか?
    鳥越 ボビーが戻ってくるのと同時期、2004年に日本ハムファイターズが東京から北海道に本拠を移したのですが、それを機に、2005年頃に導入しています。デトロイト・タイガースのGM補佐から、阪神の総務部次長へと歴任された吉村浩さんをヘッドハンティングしたんですね。彼はセイバーメトリクスの知識を持っていて、1億円かけてBOS(Baseball Operation System)というシステム作り、それを基にフロント主体でチーム作りをやっていくことになったんです。
     一方で同じ頃ロッテに復帰したボビーは、パ・リーグの予告先発制度を活用して、相手の先発投手に相性のよい打者を選んで毎試合打順を組むという大胆なことをやって、前の日4番だった里崎が次の日にはスタメン落ち,その翌日は9番だったりするもんだから「猫の目打線」なんて呼ばれていたりしましたね。結局2005年シーズンはロッテがパ・リーグのチーム得点1位の攻撃力でクライマックス・シリーズを勝ち抜き優勝、阪神との日本シリーズは4勝0敗の圧勝で日本一になったわけです。そのシリーズでの両チームの総得点33−4は、いまでもネット上で大差の例えとして使われていますよね。
    ――ロッテと日ハム以外に、セイバーメトリクスを導入していった球団ってどういうところがあるんですか?
    鳥越 今だと、楽天が2012年から導入していますね。8月から立花陽三さんという、元々ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス、メルリンチなどで証券マンをやってた人を球団社長に迎えたんですね。彼はまず「我々でもわかるように楽天の戦力を数値化しろ」と指令した。そのためにセイバーメトリクスの分析をしている会社と契約して、2012年のシーズンが終わったところで分析結果を見てみたら、田中将大投手を中心に投手陣は揃っていて十分戦えるが、打線の方は4番・5番が穴だということがわかった。そこで右の長距離砲に狙いを定めて調査したところ、スカウトがA.J(アンドリュー・ジョーンズ)とマギーをリストアップしてきた。そこで立花さんが自ら交渉に向かい中軸を埋めた。そして2013年、投打がうまく噛み合って日本一になったわけです。
     それからソフトバンクも日本IBM、クロスキャットとともに「χ援隊(かいえんたい)」と名付けられたデータ解析、レポート配信システムを構築しまして、スコアラーだけでなく、首脳陣や選手すべてに支給されたiphone、ipadにリアルタイムで分析したデータを配信、チーム内で共有できるようになりました。パ・リーグ優勝がかかった2014年10月2日の対オリックス戦で、10回裏1アウト満塁、一打決めればサヨナラ優勝という場面での松田がベンチ前でスタッフが手にしたデータを凝視しているシーンはちょっと感慨深いものがありましたね。
    ――パ・リーグを中心にセイバーメトリクスが普及して勢力図がどんどん書き換わっていったわけですね。しかしこれだけセイバーメトリクスが有名になってきているのに、セ・リーグのチームは導入していないんですか?
     
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  • 【インタビュー】森田創 戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか・後編(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-19 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューの後編をお届けします。プロ野球人気の高まりと逆行するように衰退していく六大学野球。その一因となったのは、GHQが推奨したラジオ中継の存在でした。今後の大学野球のあり方や、沢村栄治ら往年の名選手たちの伝説的プレーはどう捉えるべきかなど、草創期の記憶を辿りながら戦後の野球文化について考えます。(聞き手:菊池俊輔、中野慧/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月25日に配信された記事の再配信です ※本記事には、前編と中編があります。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■「GHQの意向を汲んだライブコンテンツ」としての戦後プロ野球
    ――戦前は大学野球が非常に人気があって、後発のプロ野球は大学野球に負けていたということですが、その力関係が並列ないしはプロのほうが上になっていったのはいつぐらいなのでしょうか。
    森田 これはいろんな議論があって「長嶋茂雄が昭和33(1958)年に巨人に入るまでは人気も実力もプロ野球より六大学のほうが上だった」という人もいますが、僕は実力自体はプロのほうが上だったと思います。六大学は週末しか試合がなくて年間30試合が最大なんですが、プロは最初の年は別としても昭和12(1937)年から100試合前後やっているわけで、それだけたくさんの試合をしていればどんどんうまくなりますよね。しかもプロ野球選手は野球で生計を立てていくしかないから危機感も全然違う。
     戦争直後のゴタゴタの時期には、兵隊に取られて戦死してしまった選手もたくさんいたので一時的にプロのレベルは下がったようですが、昭和30(1955)年ごろには戦前のレベルに戻ったと言われています。
    ――人気の面ではどうでしょうか。
    森田 人気面は、長嶋がプロ入りするぐらいまでは六大学のほうが上だったかもしれません。ただそれはあくまでも東京地区の話で、全国的にはプロ野球のほうが人気だったと思います。
     メディア論的な観点から言えば、戦前も真珠湾攻撃の日までテレビが実験放送されていましたが、主要なメディアはやはりラジオ。終戦直後、GHQはそのラジオを「民主主義を広めるためのツール」として活用したんです。当時のGHQにとって、日本人の赤化を防ぐことが至上命題で、そのための特効薬が天皇制とベースボールだったわけですが、ベースボールはアメリカの国技であり、GHQの信じる「民主主義」と相性が良かったんですね。実際にGHQは大量のゴムを日本に持って来て、何十万個という軟式ボールを全国に配り、野球のさらなる普及を図っています。
     で、当時のラジオは今のように切れ目なく放送していなかったんですが、GHQが出した指示は「切れ目なく放送せよ」。そのためにプロ野球が一気に中継されるようになったんです。ラジオは夕方の時間であればニュースや芸能、ラジオドラマがあるんですが、午後に放送するものが少なかった。当時のプロ野球は昼間にやっていたので、空白地帯を埋めるのに都合が良かったんです。こうして野球人気は一気に高まっていったんです。
     もちろん戦前からラジオでプロ野球中継をやってはいたんですが、一番良いアナウンサーは六大学野球、なかでも早慶戦の実況中継を担当するという位置づけで、プロ野球はあくまでも1〜2年目の駆け出しアナウンサーの練習台だったんです。当時のプロ野球って六大学野球に対抗するためにもっとスピーディーにやろうという方針で、試合展開が早くて平均で80〜90分ぐらいで試合が終わっていた。テレビのような映像のない状態でヴィヴィッドに、かつ的を射た実況をしなければいけないので、アナウンス技術を磨くためには良い素材だったんですね。戦前に駆け出しだったNHKの志村正順さんのような人が、戦後には中堅どころになっていて、彼らの実況をコアにしてプロ野球中継がどんどん人気が高まっていったんです。
    ■戦後日本社会のなかの六大学野球
    ――最近、六大学野球は各大学の校風を象徴するようなポスターを制作していて、ネットでも話題になっていました。ただ不思議なのが、果たしてそこまでして人々は六大学野球に対して盛り上がらなければいけないのか? ということだったんです。
    森田 まあ、六大学の人たちの側からすれば「六大学野球は人気がなければいけない」という思いがあるんでしょうね。大学のプロモーションとしても六大学野球は効果的なコンテンツだったので。
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  • 【インタビュー】森田創 知られざる「大衆文化」としての戦前プロ野球・中編(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-12 07:00  
    540pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビュー中編をお届けします。戦前のプロ野球は、当時の東京都民にどのように受容されていたのか。洲崎球場と東京下町をホームとしたプロ球団の可能性や、当時人気絶頂だった大学野球と黎明期のプロ野球の関係について語ってもらいました。(聞き手:菊池俊輔、中野慧/構成:中野慧)インタビュー前編はこちら ※この記事は2016年10月11日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■新聞社・鉄道会社と絡み合いながら発展した戦前プロ野球
    ――野球というスポーツの発展は、マスメディア、特に読売グループとの関係を抜きにしては語れないと思います。戦前から東京の下町地域で読売新聞がシェアを伸ばしていったということでしたが、そこには様々な背景があったわけですよね。
    森田 昭和10年代は東京の東側に市街地が拡大し新住民がたくさん移り住んできたわけですが、その地域を走っていたのが京成電鉄です。読売新聞社主の正力松太郎は、京成電鉄の社長だった後藤圀彦(ごとう くにひこ)と大親友だったんです。正力はこの沿線に着目して「谷津遊園」という遊園地や、谷津球場という巨人軍の練習場を京成と作ったんです。この谷津遊園は、今は「谷津バラ園」となっています。ちなみに浦安にディズニーランドができたのも、正力と京成電鉄の関係によるところが大きかったんです。

    ▲読売新聞社主(当時)の正力松太郎。プロ野球だけでなく、戦後のテレビ放送や原子力発電の普及において大きな役割を果たした。(画像出典)
     前回お話ししたように読売は、山の手のインテリの住む地域では朝日や日日新聞に勝つことができなかった。だから下町に目を付けたんです。しかも紙面も、小難しいことは言わずに誰でもわかるようなものにしたわけですが、なかでも興味深いのは日本の新聞で初めて「都内版」を作ったことです。その第1号が「江東区版」でした。何をやったかというと、冠婚葬祭のニュースや人探しとか、とにかく住民の名前を載せたんです。そうすると「ご近所の◯◯さんが新聞に出てる」ということで、住民の人たちも人情で買いたくなる。この企画のコンセプトは、「政治とか経済とかそういう小難しいことはいいから、『自分ごと』として新聞を読んで貰えるようにしよう」ということだったわけです。
     本紙のほうでも「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を作って、そのテーマに絞って記事を作っていった。そういった取り組みが下町の庶民の心を捉えたんですね。
     発足当初のプロ野球って、そういった都市の発達・新住民の流入と密接に関係するビジネスだったんです。昭和11年のプロ野球発足時は、巨人、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、阪急(現・オリックス・バファローズ)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、名古屋金鯱軍、東京セネタース(西武を経営母体としていたが現在の埼玉西武ライオンズと直接の関係はない)、そして洲崎球場を本拠とした大東京軍(現在の横浜DeNAベイスターズの前身のひとつ)の7球団でスタートしたものなんですね。このうち巨人、名古屋軍、名古屋金鯱軍、大東京軍の4球団は新聞社を母体としていて、残りの3球団は鉄道会社を母体としていた。当時のプロ野球は本業だけで回収できるビジネスモデルではなく、鉄道会社は観客輸送による運賃増、新聞社なら新規読者の開拓による購読料収入増を織り込まないと、なかなか成り立たないものだったんです。
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  • 【インタビュー】森田創「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球・前編 (PLANETSアーカイブス)

    2019-04-05 07:00  
    540pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。(聞き手:菊池俊輔、中野慧/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月12日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。
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  • 野球をめぐるいくつかの現代的寓話――『カルテット』とWBC中継延長問題(文化系のための野球入門 vol.5)

    2017-06-09 07:00  
    540pt

    野球という〈古い日本の象徴〉を、新たな視点で捉え直す「文化系のための野球入門」。今回は、この春に行われた野球の世界大会「WBC」のテレビ放映をめぐって起こった文化的対立をヒントに、現代社会における〈野球〉の位置を考えます。(文:中野慧<PLANETS編集部>)
    「カルテット民 VS やきう民」紛争でフラッシュバックした世紀末の光景
     今年(2017年)の春先、野球の世界大会ワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)の第4回が開催されました。「侍ジャパン」こと野球日本代表は、事前の壮行試合で苦戦したこと、イチローやダルビッシュやマー君(田中将大)といった誰もが知るスター選手の不在などもあり前評判はあまり高くなく、「世間的な盛り上がりに欠ける」というようなことも言われていました。しかし、いざ蓋を開けてみると本大会では6連勝と快進撃を続け、準決勝で優勝国アメリカに敗れはしたものの、終わってみればそれなりに盛り上がった――少なくとも野球ファンのあいだでは――といえそうです。
     私自身、二次ラウンドの日本VSイスラエルを東京ドームで観戦したのをはじめ、日本戦以外もテレビや現地などで観戦しました。健闘したイスラエルやオランダ、そして4回目にしてようやく初優勝した「野球の母国」アメリカ代表の戦いぶりなども含め、とても見応えのある大会だったと感じました。
     しかし、「侍ジャパン」や他のチームの戦いぶりなどのゲームの内容以上に、マスメディアでの報道やネットユーザーたちの論じ方で見えてきた「WBCと日本社会」の構図が大変興味深かったという印象を持っています。
     WBCが開催されていた2017年春季はちょうど、TBS系『カルテット』(出演:松たか子、松田龍平、満島ひかり、高橋一生 脚本:坂元裕二)というテレビドラマがドラマファンのあいだで注目されていました。このドラマは火曜22時(『逃げるは恥だが役に立つ』と同じ枠)の放送だったのですが、ちょうど3/7のWBC1次ラウンド日本VSキューバ、3/14に行われた2次ラウンドの同じく日本VSキューバが火曜日に行われ、野球中継が延長に延長を重ねてドラマの放映開始時間が後ろ倒しになる、という事態が起こっていました。
     私はふだんテレビ番組を観る際、2ちゃんねるやツイッターなどネット上の書き込みを追っているのですが、このときネット上では『カルテット』を楽しみにしている視聴者(ここでは「カルテット民」と呼びます)とWBC視聴者(同じく「やきう民」と呼びます)のあいだで小競り合いが起こっていました。カルテット民は「野球ウザい早く終われ」、やきう民は「どうせ低視聴率不人気ドラマでしょ」と応酬するという、いつかどこかで見たような不毛な光景が繰り広げられていたのです(なお、『カルテット』はドラマファン内での評価は高かったものの、リアルタイム視聴率は多くの回で一桁台でした)。

    ▲「野球 延長」でGoogle検索するとレコメンドで出てくる単語群。「うざい」「ムカつく」といった感情的なワードから、「何時まで」といった実利的な情報を求めるものまで様々。
     松井秀喜などを擁し、まだ巨人が盤石の人気を誇っていた90年代半ば、私はまだ野球の魅力に目覚めていない漫画やドラマが好きな小学生だったのですが、野球中継の延長により楽しみにしている番組が後ろ倒しになる、もしくはVHSでの録画に失敗するといった経験を通して、テレビの番組表を乱す「野球」の傍若無人な振る舞いに深い恨みを抱くようになりました。特に、日テレ系列土曜21時の放映枠だった少年少女向けドラマ『家なき子』『金田一少年の事件簿』『銀狼怪奇ファイル』などを楽しみにしていたのですがいずれも野球の犠牲となり、悲しい思いをしたことを覚えています。
    今の野球中継はどうなっているのか? 
     おそらく前世紀末、まだ一家にテレビ一台が普通だった時代は、あくまでも比喩ですが「野球中継を観たい父親 VS ドラマを観たい娘」といった思想的対立が、広く日本中の家庭で起こっていたのではないでしょうか。今年の「カルテット民 VS やきう民」もそれを彷彿とさせるもので、ドラマファンからは「なぜ野球は延長するのか? BSやサブチャンネルを使えばいいのでは?」という声が上がっていました。
     私はそういった光景を眺めていて、その種の感想が出てくること自体が興味深いと感じました。というのも、「野球が傍若無人に番組表を乱す」ということは以前よりも明らかに少なくなっていることが、事実としてあるからです。
     ふつうプロ野球のナイターは18時に試合開始で、おおむね3時間で終わると想定されています。そこでテレビで野球中継を行う場合は、中盤から試合終了までの19〜21時の放映枠を取っていることが多いです。しかし野球が3時間で終わることのほうが実は少なく、昔は平均的には10〜30分ぐらい延長することが多かったわけです。
     しかし野球中継の延長は近年、急速に減少しました。なぜかというと巨人戦が以前ほど視聴率を取れなくなり地上波での放映数が減少し、その一方で90年代以前は映像で観ることが難しかった巨人戦以外のセ・リーグ球団やパ・リーグの試合が、BS・CSなど多チャンネル化やネット放送(ニコニコ生放送、スポナビライブ、DAZN、Abema TV、SHOWROOM等)の充実によって様々な方法で視聴できるようになり、プロ野球の「巨人頼み」の構図が大きく転換したからです。
     テレビ放送についても、たとえば地上波の日テレで巨人戦を放送する際には(18時に試合開始で)19-21時のみ放送し、試合時間が放送枠を超えた21時以降はBS日テレに移行、そしてもし22時を超えてBSの放送枠に食い込むようだったらサブチャンネルで放送するなどし、放送枠を乱さないような改善が行われました。少なくとも、昔のように頻繁に地上波で野球が延長するということがなくなり、棲み分けができるようになってきているわけです。これは今や野球ファンのなかではほとんど共通了解のようになっています。

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  • 戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.718 ☆

    2016-10-25 07:00  
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    戦後の日本野球は何を生み出し何を失ったのか『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(後編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.25 vol.718
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューの後編をお届けします。
    プロ野球人気の高まりと逆行するように衰退していく六大学野球。その一因となったのは、GHQが推奨したラジオ中継の存在でした。今後の大学野球のあり方や、沢村栄治ら往年の名選手たちの伝説的プレーはどう捉えるべきかなど、草創期の記憶を辿りながら戦後の野球文化について考えます。

    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手:菊池俊輔、中野慧
    ◎構成:中野慧
    本記事には、前編と中編があります。
    ■「GHQの意向を汲んだライブコンテンツ」としての戦後プロ野球
    ――戦前は大学野球が非常に人気があって、後発のプロ野球は大学野球に負けていたということですが、その力関係が並列ないしはプロのほうが上になっていったのはいつぐらいなのでしょうか。
    森田 これはいろんな議論があって「長嶋茂雄が昭和33(1958)年に巨人に入るまでは人気も実力もプロ野球より六大学のほうが上だった」という人もいますが、僕は実力自体はプロのほうが上だったと思います。六大学は週末しか試合がなくて年間30試合が最大なんですが、プロは最初の年は別としても昭和12(1937)年から100試合前後やっているわけで、それだけたくさんの試合をしていればどんどんうまくなりますよね。しかもプロ野球選手は野球で生計を立てていくしかないから危機感も全然違う。
     戦争直後のゴタゴタの時期には、兵隊に取られて戦死してしまった選手もたくさんいたので一時的にプロのレベルは下がったようですが、昭和30(1955)年ごろには戦前のレベルに戻ったと言われています。
    ――人気の面ではどうでしょうか。
    森田 人気面は、長嶋がプロ入りするぐらいまでは六大学のほうが上だったかもしれません。ただそれはあくまでも東京地区の話で、全国的にはプロ野球のほうが人気だったと思います。
     メディア論的な観点から言えば、戦前も真珠湾攻撃の日までテレビが実験放送されていましたが、主要なメディアはやはりラジオ。終戦直後、GHQはそのラジオを「民主主義を広めるためのツール」として活用したんです。当時のGHQにとって、日本人の赤化を防ぐことが至上命題で、そのための特効薬が天皇制とベースボールだったわけですが、ベースボールはアメリカの国技であり、GHQの信じる「民主主義」と相性が良かったんですね。実際にGHQは大量のゴムを日本に持って来て、何十万個という軟式ボールを全国に配り、野球のさらなる普及を図っています。
     で、当時のラジオは今のように切れ目なく放送していなかったんですが、GHQが出した指示は「切れ目なく放送せよ」。そのためにプロ野球が一気に中継されるようになったんです。ラジオは夕方の時間であればニュースや芸能、ラジオドラマがあるんですが、午後に放送するものが少なかった。当時のプロ野球は昼間にやっていたので、空白地帯を埋めるのに都合が良かったんです。こうして野球人気は一気に高まっていったんです。
     もちろん戦前からラジオでプロ野球中継をやってはいたんですが、一番良いアナウンサーは六大学野球、なかでも早慶戦の実況中継を担当するという位置づけで、プロ野球はあくまでも1〜2年目の駆け出しアナウンサーの練習台だったんです。当時のプロ野球って六大学野球に対抗するためにもっとスピーディーにやろうという方針で、試合展開が早くて平均で80〜90分ぐらいで試合が終わっていた。テレビのような映像のない状態でヴィヴィッドに、かつ的を射た実況をしなければいけないので、アナウンス技術を磨くためには良い素材だったんですね。戦前に駆け出しだったNHKの志村正順さんのような人が、戦後には中堅どころになっていて、彼らの実況をコアにしてプロ野球中継がどんどん人気が高まっていったんです。
    ■戦後日本社会のなかの六大学野球
    ――最近、六大学野球は各大学の校風を象徴するようなポスターを制作していて、ネットでも話題になっていました。ただ不思議なのが、果たしてそこまでして人々は六大学野球に対して盛り上がらなければいけないのか? ということだったんです。
    森田 まあ、六大学の人たちの側からすれば「六大学野球は人気がなければいけない」という思いがあるんでしょうね。大学のプロモーションとしても六大学野球は効果的なコンテンツだったので。

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  • 知られざる「大衆文化」としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(中編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.708 ☆

    2016-10-11 07:00  
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    知られざる「大衆文化」としての戦後プロ野球『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(中編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.11 vol.708
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    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビュー中編をお届けします。戦前のプロ野球は、当時の東京都民にどのように受容されていたのか。洲崎球場と東京下町をホームとしたプロ球団の可能性や、当時人気絶頂だった大学野球と黎明期のプロ野球の関係について語ってもらいました。
    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手:菊池俊輔、中野慧
    ◎構成:中野慧
    インタビュー前編はこちら。
    ■新聞社・鉄道会社と絡み合いながら発展した戦前プロ野球
    ――野球というスポーツの発展は、マスメディア、特に読売グループとの関係を抜きにしては語れないと思います。戦前から東京の下町地域で読売新聞がシェアを伸ばしていったということでしたが、そこには様々な背景があったわけですよね。
    森田 昭和10年代は東京の東側に市街地が拡大し新住民がたくさん移り住んできたわけですが、その地域を走っていたのが京成電鉄です。読売新聞社主の正力松太郎は、京成電鉄の社長だった後藤圀彦(ごとう くにひこ)と大親友だったんです。正力はこの沿線に着目して「谷津遊園」という遊園地や、谷津球場という巨人軍の練習場を京成と作ったんです。この谷津遊園は、今は「谷津バラ園」となっています。ちなみに浦安にディズニーランドができたのも、正力と京成電鉄の関係によるところが大きかったんです。

    ▲読売新聞社主(当時)の正力松太郎。プロ野球だけでなく、戦後のテレビ放送や原子力発電の普及において大きな役割を果たした。(画像出典)
     前回お話ししたように読売は、山の手のインテリの住む地域では朝日や日日新聞に勝つことができなかった。だから下町に目を付けたんです。しかも紙面も、小難しいことは言わずに誰でもわかるようなものにしたわけですが、なかでも興味深いのは日本の新聞で初めて「都内版」を作ったことです。その第1号が「江東区版」でした。何をやったかというと、冠婚葬祭のニュースや人探しとか、とにかく住民の名前を載せたんです。そうすると「ご近所の◯◯さんが新聞に出てる」ということで、住民の人たちも人情で買いたくなる。この企画のコンセプトは、「政治とか経済とかそういう小難しいことはいいから、『自分ごと』として新聞を読んで貰えるようにしよう」ということだったわけです。
     本紙のほうでも「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を作って、そのテーマに絞って記事を作っていった。そういった取り組みが下町の庶民の心を捉えたんですね。
     発足当初のプロ野球って、そういった都市の発達・新住民の流入と密接に関係するビジネスだったんです。昭和11年のプロ野球発足時は、巨人、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、阪急(現・オリックス・バファローズ)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、名古屋金鯱軍、東京セネタース(西武を経営母体としていたが現在の埼玉西武ライオンズと直接の関係はない)、そして洲崎球場を本拠とした大東京軍(現在の横浜DeNAベイスターズの前身のひとつ)の7球団でスタートしたものなんですね。このうち巨人、名古屋軍、名古屋金鯱軍、大東京軍の4球団は新聞社を母体としていて、残りの3球団は鉄道会社を母体としていた。当時のプロ野球は本業だけで回収できるビジネスモデルではなく、鉄道会社は観客輸送による運賃増、新聞社なら新規読者の開拓による購読料収入増を織り込まないと、なかなか成り立たないものだったんです。

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  • 「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.700 ☆

    2016-09-29 07:00  
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    「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.29 vol.700
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。
    ▼プロフィール
    森田創(もりた・そう)
    1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ◎聞き手:菊池俊輔、中野慧
    ◎構成:中野慧

    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。

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  • 地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.698 ☆

    2016-09-27 07:00  
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    地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.27 vol.698
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    今朝のメルマガは「文化系のための野球入門」をお届けします。今回は「野球人気の地域差」に着目し、日本社会に暮らす人々が、野球というスポーツ/エンターテインメントに接する際の温度差について考えます。
    ▼執筆者プロフィール

    中野慧(なかの・けい)
    1986年生、PLANETS編集部。文化、政治からスポーツまで色々な書籍・記事を担当しています。過去の構成担当書籍に『静かなる革命へのブループリント』(宇野常寛編、河出書房新社)、『ナショナリズムの現在』(著・小林よしのり他、朝日新聞出版)、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編、KADOKAWA/中経出版)等。

    過去の配信記事一覧はこちらから。

    前回:いま野球界の構造はどうなっているのか? 選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)

    本記事に関するご意見、ご感想等は、こちらまでお送りください。
    ■昔から「地域密着」していたプロ野球
     前回に引き続き、野球界の基底構造を試論として述べてみたいと思います。
     先日、広島東洋カープが25年ぶりの優勝を果たし、ニュースやSNSのタイムラインを賑わせていたと思います。そこで意外な人がカープファンだったことが明らかになり、驚いたりした人も多いのではないでしょうか。「◯◯という野球チームのファンである」ということは、当人たちがあえて日常のコミュニケーションで表明しようと思わないぐらいに身体化されていたりします。
     その一方で、例えばしばしばメディアで「高校野球は国民的行事だ」といういうことが言われるわけですが、「そもそも高校野球に関心がないから、国民的行事だなんて1ミリも思わないよ」と反発を覚える人もいると思います。
     ここで考えてみたいのは、個々人の出身地域や所属する文化的クラスターによって「野球」というスポーツ/エンターテインメントの受け取り方に大きな差が出てくる、ということです。そこで今回は「地域によって『野球』というものの重みがどう違うか」に着目して、野球文化の内実を考えてみたいと思います。
     この連載のもとになった記事(いま文化系にとって野球の楽しみ方とは?――「プロ野球ai」からなんJ、『ダイヤのA』、スタジアムでの野球観戦、そしてビヨンドマックスまで)では、「野球人気低下」の実相について検討しました。よくマスメディアで言われる「野球人気」のバロメーターは、つまるところ「テレビにおける巨人戦の視聴率」だったわけです。現在の地上波における巨人戦中継数や視聴率はたしかに減少傾向であるものの、スタジアムに足を運ぶ観客の数や、野球を実際にプレーする選手の数は21世紀に入って右肩上がりになっています。野球人気を考える上では、「マスメディアを通した薄く広いファン層」ではなく、球場に足を運んだり自分でやったりする「濃い」ファン層の推移を考える必要があるという論旨だったのですが、地域の野球人気を考える際もやはり観客動員の数に着目する必要があります。
     近年、プロ野球においてJリーグをモデルとした「地域密着」型の球団経営が志向されていることは、野球に詳しくなくても知っている方が多いのではないかと思います。北海道では2004年に札幌に本拠地を移した北海道日本ハムファイターズ、東北では2005年に新規参入を果たし仙台に本拠を置いた東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡では2006年に親会社が変わった福岡ソフトバンクホークスといったパ・リーグ球団が、それぞれ地域での人気を確立しています。
     実際に2008〜2015年に開催されたプロ野球公式戦の各チームのホームゲーム観客動員数の推移を見てみると、ソフトバンク、日本ハムの観客動員数は高水準を維持していますし、2005年に球界に参入したばかりの楽天も急上昇中です。

    ▲日本野球機構 統計データより作成。
     では、プロ野球において「地域密着」が進んだのは最近かというと、必ずしもそういうわけではありません。大阪府・兵庫県の阪神タイガース、愛知県なら中日ドラゴンズ、広島県なら広島東洋カープといったいくつかのセ・リーグ球団は、戦後にプロ野球が復活して以降、長きにわたって地域住民に愛されてきており、現在の観客動員数でも上位に位置しています。
     たとえば広島東洋カープは、ある種の「戦後復興・反戦平和の象徴」として生まれ、市民の支持を受けてきました。被爆都市である広島で戦後にプロ球団が誕生した経緯、市民の受容過程や、カープがどのような「意味」を背負っていたかについては、『はだしのゲン』で有名な中沢啓治の漫画作品『広島カープ誕生物語』でも描かれています。

    ▲中沢啓治『中沢啓治著作集(1)広島カープ誕生物語』DINO BOX
    ■日本で一番野球が盛んな都道府県はどこか
     野球文化は大きくプロ野球とアマチュア野球のふたつに分けられるわけですが、大阪・愛知・広島の3府県は戦前から高校野球も盛んであり、全国優勝経験のある強豪校を多く抱えていてアマチュア野球が市民の身近にあることも、野球人気の高さを下支えしています。
     では、日本で一番野球が盛んな都道府県はどこか? と問われたとき、暫定的には「大阪府」と答えるのが、もっとも正解に近いと思います。プロ野球においては阪神タイガースが伝統的に根強い人気を誇り、阪神以外にも近鉄バファローズ(前身も含めて1952年より大阪に本拠を置き、2004年に消滅)、南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス。1952年〜1988年まで大阪に本拠を置き、89年より福岡に移転)、阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ。1952年〜2004年まで兵庫県に本拠を置き、現在は大阪府を本拠としている)と、20世紀後半には4つものプロ球団が大阪周辺に本拠を置いていました。

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  • いま野球界の構造はどうなっているのか? 選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.665 ☆

    2016-08-12 07:00  
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    いま野球界の構造はどうなっているのか?選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.8.12 vol.665
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    2016年は清原元選手の逮捕、巨人選手の野球賭博問題、プロ球団の試合前後の金銭授受など、野球界で様々な問題が噴出しました。またアマチュア野球においては、この夏も女子マネージャーの高校野球への参加をめぐって「炎上事件」が起きています。本記事では、野球界が抱える構造的な問題を、より俯瞰的な視点から解説します。
    ▼執筆者プロフィール
    中野慧(なかの・けい):1986年生、PLANETS編集部。文化、政治からスポーツまで色々な書籍・記事を担当しています。過去の構成担当書籍に『静かなる革命へのブループリント』(宇野常寛編、河出書房新社)、『ナショナリズムの現在』(著・小林よしのり他、朝日新聞出版)、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編、KADOKAWA/中経出版)等。
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    前回:「高校野球カルチャー」の本当の問題点とは?――高野連、坊主頭、夏の大会「一票の格差」を考える(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.2)
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    ■野球文化の問題点は「特別扱い」「異常なことを異常だと感じられなくなっていく構造」
     久しぶりの配信になりますが、最初に宇野編集長より与えられたこの連載のミッションは「いま文化系にとって野球とは?」を語っていくことでした。野球文化にはまだ明示的に語られていない面白い要素があるのでそこをメインにしたい――と思っているのですが、前回の記事を配信した際に様々な方から感想をいただいて、野球に詳しくない人にはまだまだ不親切な部分があったと感じました。
     今、野球界は様々な問題を抱えています。まずは、「現状のプロ、アマチュア含めた野球界の全体像はどういうものか?」「いま騒がれている問題の根源はどこにあるのか?」について、野球に詳しくない人に対してもわかりやすく見取り図を整理したいと思います。そこで今回の記事は編集担当者でもある僕(中野)の発表パートにして、その後にこれまで座談会に参加してくれた皆さんも含めて、討議形式で考えてみたいと思います。この発表パートでは、野球に詳しい人であれば「そんなの当たり前でしょ」と思うような部分も詳しく解説していきます。
     結論から言うと、野球文化の問題点は「特別扱い」「異常なことを異常だと感じられなくなっていく構造」にあると思っています。
     まずは、現状メディアに出ている問題の数々を順番に整理してみることにします。今年(2016年)、元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤で逮捕され、巨人選手が野球賭博に関与していた事件の詳細もより明らかになりました。さらにプロ12球団中8球団で、試合前に各選手が現金を拠出し合い、試合前の円陣で声出しを担当した選手に、勝った場合には「ご祝儀」と称して金銭を与え、負けた場合には当該選手が現金を支払うという慣習が定着していたことも発覚しました。
     基本的に刑法の賭博罪において、「ゴルフで勝負して負けた人が勝った人にジュースをおごる」というような行為は、その場で消費できる少額のものであるので許容されています。「声出し金銭授受」に関しては数万円と金額が大きくなるので賭博罪に該当する可能性も高くなってくるのですが、まだグレーゾーンの範囲のため、プロ野球を統括するNPB(日本野球機構/プロ野球の統括団体)は選手たちに処罰を下しませんでしたし、刑事事件に発展する可能性も低いとされています。
     ただ、巨人選手の賭博行為に関しては、そもそも野球賭博は公営ギャンブルではないため関与すると賭博罪に該当します。また、NPBが制定している「野球協約」というルールでは野球賭博に関与することが明確に禁止されているため、NPBは3選手を永久追放、1人を1年間の出場停止という処分を下しました。この件については警察も動いており、主犯格の1人が今年4月に逮捕されています。
     そしてこの問題と前後して、西武・巨人・オリックスで活躍したスーパースターである清原和博が覚醒剤取締法違反で逮捕されています。保釈時に報道陣が大挙して押し寄せるなどメディアスクラムが加速した一方で、「覚醒剤のような依存症に対しては『刑罰』ではなく『治療』によって対処すべきだ」という意見も出ています。
    (参考)
    薬物依存症は罰では治らない(松本俊彦/精神科医)SYNODOS-シノドス-
    薬物問題、いま必要な議論とは(松本俊彦×荻上チキ)SYNODOS-シノドス-
     清原事件と巨人選手の野球賭博問題に関しては、「タニマチ」の存在がクローズアップされました。タニマチとはもともと相撲界の言葉で、スターと私的に付き合い、金銭的なバックアップをするお金持ちの支援者のことです。相撲、芸能界、野球界など比較的古い世界では、こうしたインフォーマルな関係はよくあることだとされています。
     ただ、タニマチは必ずしも善人ばかりではなく、中には裏社会と繋がりのある人たちもいたりします。そういった「悪い人」の中には野球賭博を開帳している人もいたりしますし、芸能界との繋がりのなかでスターを薬物使用に引き込んでいくような文化もあるわけです。
     プロ野球界においては、巨人・阪神という伝統的に人気のある2球団の選手にタニマチがつく場合が多いとされています。また巨人・阪神に限らず、アマチュア時代から人気のある選手にもタニマチがつく場合があります。そういったインフォーマルな付き合いのなかで、清原も、そして巨人選手たちも悪事に手を染めていったのではないか、というのが現状出ている議論ですね。
     また、今年7月になって「ハンカチ王子」こと日本ハムの斎藤佑樹選手も、個人的につながりのあるベースボール・マガジン社の社長に「ポルシェをねだる」ということをしていた疑惑が「週刊文春」によって報じられました。これに関しては基本的には違法性はない(あるとすれば車庫証明違反等)わけですが、「高い年俸を貰っているプロ野球選手である以上、ポルシェに乗りたいなら自分で稼いだお金で買うべきだ」という批判も出ています。ここでは違法かそうではないかというよりも、スポーツ選手としてのイメージが問題になっているわけです。
     こうした数々の問題に、深いところで共通するものが、「野球の特別扱い」と、「異常なことを異常だと感じられなくなっていく野球界の構造」だと思っています。たとえば「出版社の社長にポルシェをねだるとお金を出してもらえる」というのはとても普通の感覚ではありえないことですが、そういった異常なことを「異常だと感じられなくなっていく」構造が野球界には深く根付いています。
    ■「高校球児のコスプレ」をする野球エリートたち
     なぜそうなってしまったのか。様々な要因が考えられますが、社会と野球との関わりということで言えば「戦後社会で野球があまりにも特別扱いされすぎてきた」、そして野球界内部の問題で言えば「野球エリートの育成課程に問題がある」ということだと思います。
     先に結論を言ってしまうと、サッカーのJFA(日本サッカー協会)のように、プロ・アマを総合的に統括するような組織が野球にはないことが最大の要因です。これはしばしば色んな人が言及していることですが、もっともっと強調されていいことです。
     日本の野球界はアマチュアとプロがずっといがみ合ってきた歴史があります。さらにアマチュア野球界内部でも高校と大学では統括する組織が違いますし、大学野球界ではさらにひどい縄張り争いが繰り返されてきました。そういった歴史の積み重ねと、日本社会における「野球」というものの独特のプレゼンスの大きさが歪みを引き起こし、ここに来て様々な症状として噴出しているのだと思っています。
     まずは、「野球エリートの育成課程」の特殊性について説明していきたいと思います。基本的にプロ野球選手になる人の多くは、小学生のときに野球やソフトボールを始めている場合が大半です。学童野球はゴムでできていて安全な「軟式球」を使うことが多く、軟式野球の場合は、年代別に小学校低学年なら「D球」、高学年は「C球」、中学は「B球」、高校〜一般は「A球」とそれぞれサイズと重さが違う球を使います。軟式球は日本発祥の規格です。
     しかし、特に才能がありそうな子はプロと同じ「硬式球」を使う「ボーイズリーグ」「リトルリーグ」「ヤングリーグ」といった組織に所属するクラブチームでプレイします。「将来にわたってトップレベルでプレイし続け、プロ野球選手を目指すのであれば、早めに硬式球に慣れていたほうがいい」というわけです。ちなみに「本場」であるアメリカでは野球といえば硬式球を使うものなんです。アメリカ人は軟式球の存在すら知らないことが多いですね。日本における軟球の代わりとしてソフトボールがすごく人気があったりします。

    ▲下段左が硬式球、真ん中が軟式球。硬式球はコルクの周りに糸を巻き付け牛革で覆っているが、軟式球は内部が空洞になっており外皮はゴム(ちなみに一番右のボールは準硬式球と呼ばれ、内部構造は硬式とほぼ同じだが外皮が軟式と同じゴムでできていて、中間的な球。準硬式球のプレイヤー数は硬式・軟式と比べるとかなり少ない)。硬式球はほとんど石のような固さで、投球や打球が直接身体に当たるととても痛く、骨折の危険性も高いが、軟式球が当たって骨折するケースは非常に少ない。(画像出典)野球図鑑|ホームメイト・リサーチ 

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