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  • ネットはV系の何を変えたのか?バンギャル漫画家と語るファンとバンドの変化・後編(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第13回)【不定期連載】

    2018-04-06 07:00  



    80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。後編では、TwitterなどのSNSの普及が、ヴィジュアル系カルチャーにもたらした変化について、ゲストの蟹めんまさんと一緒に考えます。(構成:藤谷千明)


    今のバンギャルは解散を恐れてお布施する
    市川 めんまさんがいま中高生だったとしたら、バンギャルになっていたと思う?
    めんま なっているとは思うんですけど、現代のバンギャルって私が中高生の頃のそれより、ずっと大変だと思うんですよ。
    市川 あ、そっか。現代の子たちは〈商品を買うこと〉をまず、要求されてるもんね。
    めんま そうなんですよ。「買わなきゃいけない」なんて義務はもちろん無いし、みんな好きで買ってるんですけど、「買わないと解散しちゃうんじゃないか」みたいな〈圧〉は私たちの頃よりずっとあると思うんですよ。「バンギャルはこういう気持ちでCDを買ってます!」ってひとくくりにするのは良くないんですけど、明らかに90年代とは空気が違います。
    市川 圧かぁ。V系黄金時代だった90年代と較べれば、明らかにバンギャル一人ひとりに対するバンドの依存度は増したと思うよ。たしかに。
    藤谷 分母が減ってるんで、それは仕方ないとは思うんですが。だってジャンル問わず、ミュージシャン自身が「活動を続けたいからCDを買って欲しい」「チケットを買ってライヴに来て欲しい」ということを公言する機会も増えましたし。
    めんま 私が中高生の頃は、自分の好きなバンドが「(売れなくて)解散するかも」って考えたことなかったのに。現代で中高生バンギャルでいるということは、思春期に好きなバンドの解散をたくさん経験するってことなので、きっと辛いだろうなぁ。
    藤谷 たとえば90年代のブーム期の解散の理由って、〈売れないから〉というより〈売れ過ぎて〉解散みたいなケースの方が印象に残っています。人気が出て急激に環境が変わって、いろいろなものが狂ってしまった上での空中分解ってパターン。
    めんま 私は「人気過ぎるとミーハーなファンがつくから嫌だ」とか、「売れると誰かがソロ活動始めてバンド活動に支障が出るし嫌だ」とか本気で思ってた世代ですね。いまそういうバンギャルさんは、年齢問わず見なくなりました。
    藤谷 インディーズならともかく、メジャー・デビューしている人たちが「CDを買わないと活動が立ち行かなくなりますよ」なんて言う状況、当時は考えたこともなかったんです。メジャー・デビュー後のインタヴュー記事で、皆が「外車買った」って話をしていた時代……(←遠い目)。
    市川 V系に限った話じゃないよ。もうバンドブーム以前から続く、日本人のいじましい伝統だから。売れるとまず、収入が増えます。収入が増えると、バンドに大した貢献をしてない奴に限って外車買ったりするんだよ。大体、ドラマーとかベーシストに多い現象なんだけども(失笑)。するとそいつはさらに仕事をしなくなり、にもかかわらず「(印税が欲しいから)俺にも曲を書かせろ」だの「バンドは全員平等だから(曲を書いてようが書いてなかろうが)印税は均等割りだ」だの「表紙は全員写真、インタヴューは全員同じページ数で」だのと権利ばかり主張し始めて、あとはモメるだけとくらぁチョイナチョイナ。
    藤谷 それはそれで大変でしょうけど! でもそれがゼロ年代以降、「もっと売れてたら解散しなかった」みたいなことを公言するバンドが増え始めるようになったんです。
    市川 鉄道の廃線とか飲食店の閉店とか動物園や遊園地の閉園とか、営業終了をアナウンスしたらバーっと群がる身勝手な客を見て、「普段から来てくれていれば、もっと続けられたのに」みたいなね。
    藤谷 そういう声がステージの上の人から聞こえるようになったのは、CDバブルが終わったゼロ年代からかなって思いますね。
    SNSの普及でバンドマンは弱くなった?
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  • ネットはV系の何を変えたのか?バンギャル漫画家と語るファンとバンドの変化・前編(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第12回)【不定期連載】

    2018-04-05 07:00  



    ※本記事は2018年4月5日7時に公開されましたが、弊社の設定間違いにより、ご購読者の皆さまへメールでの配信ができておりませんでした。ご購読者の皆さまへご迷惑をおかけし、メールでの配信が大変遅くなってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。【2018年4月6日20時追記】80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、バンギャル漫画家の蟹めんまさんをゲストに、ヴィジュアル系ブームのピークでありネット黎明期でもある90年代後半のファンコミュニティについて語ります。(構成:藤谷千明)


    1999年のメジャーデビューラッシュ
    藤谷 今回はゲストに『バンギャルちゃんの日常』シリーズで知られる、バンギャル漫画家の蟹めんまさんをお呼びして、「90年代からゼロ年代にかけてのV系シーン・バンギャルの変化」について伺いたいと思います。 要するに、90年代以前は情報がいわゆるトップダウン型でバンドが発した情報をメディアを通してファンに届けていた。もちろんファン同士のミニコミ活動や私設ファンクラブ活動もありましたが、それを広める手段は限られていました。 それがゼロ年代以降、iモードに代表されるモバイルインターネットの浸透から、ファン、バンギャル側も積極的に発信できるようになりました。バンド側もバンギャルのネタを取り入れるようになって……。例を挙げると人格ラヂオの“バンギャル症候群”、つまりファンの動きが創作にも影響を与えるようになったじゃないですか。ゴールデンボンバーの“†ザ・V系っぽい曲†”などです。そういう時代の境目だったのかなと思います。
    市川 はいはいはいはい(←遠い目)。
    藤谷 なんですかその〈心ここにあらず〉感は。
    市川 だってV系最前線の現場からは撤退してた時期だもん♡
    藤谷 (無視)そういうとてもとても重要な過渡期である1999年から2003年の間、私は自衛隊にいたので現世の出来事は雑誌とネットでしか知らないんですね。
    市川 〈現世〉って何?
    藤谷 いったん入隊したら届け出無しでは外に出られませんから、もう世間から隔絶されてるんです。なので、その時期に既にバリバリにバンギャルをやっていた蟹めんまさんをお呼びしたというわけです。めんまさんは98年前後のヴィジュアル系ブーム直撃世代ですよね。 蟹めんま(以下・めんま):はい。ヴィジュアル系に目覚めたのがまさにそのへんです。お呼びいただけて嬉しいです。
    市川 めんまさんは藤谷さんが彼岸に幽閉されてたころ、いくつだったの?
    めんま 99年に14歳、中学2年生でした。99年ってすごい年なんですよ。1月から7月くらいまでヴィジュアル系バンドのメジャー・デビューが続いたから、怒濤のリリースラッシュで。まず1月20日にDir en greyがメジャー・デビューして……。
    市川 ちょっと待ちなさい。日付まで憶えてるのかあんたは。
    めんま 普通憶えてません?
    藤谷 (黙って頷く)。
    市川 ひーっ。
    めんま 5月にはJanne Da ArcとLAREINEが、7月にRaphaelがメジャーデビューしたんです。当時はまだお小遣い世代だから、やりくりするのが大変でした。一度に全部買う財力は無いので、CDショップの店員さんに取り置きをお願いしたり(苦笑)。1999年は《ノストラダムスの大予言》ってあったじゃないですか。私はそれ1月から7月までのリリースラッシュのことだと思ってたんです、本当にお財布が破滅したんで。
    市川 ばははは。大丈夫かこのひと。
    ▲『バンギャルちゃんの日常』4巻©KADOKAWA
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  • 驕れる者は久しからず!? 「春の夜の夢」V系バブルの後先を振り返る・後編 (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第11回)【不定期連載】

    2017-08-08 07:00  



    80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回も引き続き全盛期V系カルチャーの総括がテーマです。そのとき、わずかに顔をのぞかせた「氷河期への萌芽」とは?(構成:藤谷千明)



    バンドマンのキャラクターに起こった変化
    市川:話を戻すと、TVの音楽番組もV系に乗っかり始め、そうすると一般大衆にも届きだすからCDも売れるし、ライヴにも人が集まるようになる。となれば、それまでV系と積極的に縁が無かったメジャー・レーベルや芸能事務所までどんどん参入してくる、と。
    藤谷:バブル期は、それこそホリプロなんかも手がけてましたからね。
    市川:天下のソニー・レコードだって、Xを扱ってたのは《STAFFROOM 3rd》というあくまでも実験的な小部署(←後のキューンソニー)で、本隊はV系なんかやってなかった。で94年にようやく初めて本格的に手掛けたV系バンドが――BODY。もう破格の制作費&宣伝費を投下して、他社に出遅れた分を取り戻さんとばかりの全力投球でさ。
    藤谷:D'ERLANGER(デランジェ)のギターCIPHER(瀧川一郎)とドラムのTetsu(菊地哲)による新バンドということで、たしか新宿アルタ前のヴィジョンで告知もしていて、当時そこまでV系を知らなかったのですが、「明星」に記事が掲載されていたのを覚えています。アイドル誌にも出ていたというのは今考えると本当にプロモーションに力を入れていたのでしょうね。
    市川:うん。雑誌広告も大量出稿だったし、メジャー・デビュー・ライヴはいきなり武道館だし、アルバムとシングルを各1枚リリースしてすぐ解散したもんなぁ。デビュー2ヶ月後ぐらい? あの見事な<やらずぼったくり>ぶりは伝説だよね。
    藤谷:当時の曲自体は今でもD'ERLANGERのライブで演奏していたりするんですよ。ほかに大手レコード会社が力を入れていたというと、東芝EMIのZI:KILLでしょうか。
    市川:Xの後継バンド最右翼的存在で91年3月にメジャー・デビューしたのに、所属事務所のトラブルで年末には早くも活動休止。あとなぜか私の仲介でYOSHIKIがソロ契約したのも東芝なんだけど、結局どうでもいいクラシック・アルバム1枚以外になーんも出なかった。笑えないわぁ悲劇の東芝EMI。そんな度重なる悲劇を乗り越えて――94年に黒夢、そしてPIERROTか。
    80年代の名古屋大須に《円盤屋》という名古屋一英国ロックに長けた輸入盤店があって、この街で構成作家兼タウン誌編集長だった頃、開局当時のFM三重で喋ってた洋楽番組のスポンサーがこの店でね。社長の鰐部さんには御世話になったんだけど『ジャパン』でB-TやXをやってた頃に再会したら、「そんなんに日寄っとっちゃあかんてー(←原名古屋弁)」とクソミソに言われたわけ。ところが数年経ち東芝からの熱烈な誘いで黒夢のメジャーデビュー前の渋公でのライブを観に行ったら、関係者受付に鰐部さんがいて「黒夢よろしく頼むでよ」。いつの間にか黒夢も含め、FANATIC◇CRISISとかSleep My DearとかMERRY-GO-ROUNDとかいわゆる<名古屋系>の連中推しで、東京事務所なんか造っちゃってメジャー・レーベルに売り込むのをメインの仕事にしてたんだから。そしたら円盤屋も、いつの間にかV系専門店に生まれ変わってたよ(苦笑)。
    藤谷:黎明期からV系雑誌に広告をよく出していたので、よく覚えています。残念ながらゼロ年代に閉店してますが。
    市川:ありゃりゃりゃ。そういえば想い出したけど、V系に限らずあの頃は大型新人のデビューや推しバンド節目のライヴに地方のディーラーやマスコミをアゴアシ込みで御招待して、終演後は懇親会兼打ち上げパーティーがレーベルの黄金御接待だった。さっきまで♪堕胎云々と吐くように唄ってた清春が、笑顔で「お願いしまーす」と挨拶して廻ってた姿が象徴的だったな。
    初期のV系は殺気というかメンチというか、中の人の実際の性格はどうであれ声をかけにくいバンドが多かった気がする。そんな気配がたぶん、黒夢あたりから失くなったね。
    藤谷:本人のインタビューを読んでも、生い立ちからして不良ではなかった、ある意味<普通>だったからこそ今でもシーンにフォロワーが生まれているような普遍的なカリスマ性があるのではとは思います。
    市川:「実は人が好くて話がわかる」みたいな。でも、話がわかっちゃ駄目なのよ。
    藤谷:PENICILLINとかも、<シリアス(美形)><お笑い>の担当メンバーが分かれていたりしましたよね。『うたばん』や『HEY!HEY!HEY!』のような90年代の音楽番組で、「話すと実は面白いメンバーもいる」とか「この人たちも普通の人間だよ」って紹介がされて、アーティストの素の姿がメディア上でも見えてくるようになり……。
    市川:これは90年代を通じてV系連中にインタヴューしてて思ったんだけど、90年代半ばには無口な奴がいなくなった気がする。特にV系は皆、やたら饒舌になった。
    藤谷:MALICE MIZERのmana様みたいなキャラは別にして、ですよね。「ヴィジュアル系って見た目は怖いけど実は〜」みたいな奇を衒う方向性だったのに、皆がそうなっちゃった。でも、そういうフックがなかったらブームにもならなかったし、小学生にまで届かなかったとも思うんです。
    私の周囲のバンギャルの子たちに訊くと大体、「小学生のときにSHAZNAをみてヴィジュアル系を知って〜」となるので、今だとゴールデンボンバーがその役目を果たしているのでしょうね。その一方でDIRやPIERROTのような<『Mステ』で喋らない人たち>が現れたのは、反動なんでしょうか。

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  • 驕れる者は久しからず!? 「春の夜の夢」V系バブルの後先を振り返る・前編 (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第10回)【不定期連載】

    2017-08-03 07:00  


    80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。ここから前後編にわたって、数々のムーヴメントを生み出した90年代後半V系シーンの功罪を総括します。今回は前編です。(構成:藤谷千明)


    90年代V系の功績はCD売上ではなくライブ動員数を上げたこと?
    藤谷:今回は、連載の本筋に戻って<90年代のV系ブーム>が何を残したのか? という話をしたいと思います。96年くらいから徐々に世間的にヴィジュアル系が浸透し始め、97年のSHAZNAのメジャー・デビューで完全に全国津々浦々の<お茶の間>まで届き、様々なバンドが音楽番組だけではなく、『笑っていいとも!』のようなTVバラエティ番組に出演することも少なからずありました。やはりピークは98年前後だと思うのですが、その時期はまだ市川さん、失踪はされてませんでしたよね。

    市川:まだいたんだなーこれが。
    藤谷:私、今ひどい質問しましたね。
    市川:別に。だってV系にとどまらない90年代超CDバブルに密接に関係してたから、私の失踪は(←得意げ)。
    藤谷:自慢してどうするんですか。
    市川:まあ、SHAZNAはともかくMALICE MIZERなんかも一般の人たちからは充分イロモノとして扱われていたし、その一方で黒夢とかはメジャー・デビューを果たしてるにもかかわらず、マニアでコアな層にウケてて――と言いながらアルバム30万枚近く売れてたんだから、現在のスモール・マーケットっぷりが嘘みたいだよ。カルト的な存在でもそれだけ売れたんだから。でそうしたマニアなバンドたち(失笑)の上にLUNA SEAやXがいて、さらにミリオンを軽く超越してラルクやGLAYがいたわけだから。
    藤谷:ちなみに98年のシングル・ランキングはGLAY「誘惑」が1位(約160万枚)、5位「SOUL LOVE」(約140万枚)、ラルクの「HONEY」(約120万枚)が7位ですね。後にも先にもヴィジュアル系がヒット・チャートを席巻したのは、この年だけだと思います。
    市川:うん、ピークだよね。でもここで俯瞰してみると――我が国の歴代トリプルミリオンセラー・アルバム(300万枚以上)は全20作品、歴代ダブルミリオンセラー・シングル(200万枚以上)は全23曲を数えるんだけど、V系バンドはGLAYの97年のベスト盤『REVIEW~BEST OF GLAY』が500万枚弱でアルバム3位に入ってる以外は、全然ランクインしてなかったりする。ダブルミリオンに到達したシングルは1枚もないわけ。
    つまりあのCDバブルの時代を牽引したのはV系ではなく、明らかに小室哲哉やミスチルなんだよね。だからV系が日本音楽シーンにインパクトを与えたとしたら、それはCDセールスによってではなく、ライヴの動員数だと思うんだなぁ。
    藤谷:「ヴィジュアル系はCD売上と動員数が同じ」って言われていたという話を以前、業界の方から聞いたことがあります。「1万枚売れるバンドは武道館できる」みたいな。
    市川:そりゃまた乱暴な(失笑)。でもたしかに、CDを買ったユーザーの<ライヴ絶対観に行くぞ>率が、他ジャンルより劇的に高いのがポイントなんだよね。だから要するに、V系が90年代音楽シーンにもたらした最大の功績とは、YOSHIKIによる<アーティストの独立性とビジネスシステムの確立>を別にすれば、ホール・ロックからアリーナ・ロック、そしてドーム・ロックにスタジアム・ロックへと、ロック・バンドのライヴの規模を圧倒的に拡大した点だと思う。で規模とキャパが大きくなれば、それに伴って演出のスケール感もデカくなるし、各バンドの口うるさい妄想家たちが「アレ演りたいコレ演りたい」と無理難題をオーダーしまくることで、大道具やらサウンドシステムやら照明やらコンサートに関するあらゆるノウハウが、加速度的に進化するという副産物も生んだんだから。結果的に。
    クリエイティヴィティーと侠気さえあれば、冒険的な企画ができた
    藤谷:明らかにそれは良い面ですけど、よく市川さんもおっしゃるのが、バンドにインタヴューしても原稿チェックとか必須になって、アーティスト側が我儘になっちゃった、と。私自身は最初からそれが当たり前だったので、そこまで抵抗はないんですけど。
    市川:それはきみらが飼い慣らされてしまったから。わははは。
    藤谷:身も蓋もない。
    市川:私の出身誌『ロッキング・オン・ジャパン』は、<日本唯一の国産ロック批評誌>を標榜してたからこその《NO原稿チェックNO写真チェック》で、その後独立して創刊した『音楽と人』も当然、同じ前提だったわけ。それまでというか『ジャパン』『音人』以外のメディアは、雑誌もTVもラジオも皆提灯と忖度が基本なわけだよ。だってプロモーション道具以外の何物でもないんだから。
    藤谷:そんないよいよ身も蓋もない(呆笑)。
    市川:だけどせっかくロック不毛の日本にバンド・カルチャーが芽生え始めたんだから、海外同様、ジャーナリズムとアーティストが正面から対峙して衆目の中で切磋琢磨することが、アーティストの創造力や覚悟を高める触媒になると確信してたのね我々は。口はばったいけどリスナーの少年少女だって、我々の正直なやりとりを読むことでロックの愉しみ方を無限に拡げられるだろうし。そのためには、アーティストもしくはマネジメントやレーベルが「恰好悪い」「恥ずかしい」「都合が悪い」と勝手に判断して削除や修正を求める原稿チェックなんて、論外でしょ。そもそもアーティスト・サイドの判断はあくまでも主観であって、客観的な視点が欠落してるよね。でも客観的に見た方が、相手本来の良さや個性が見えやすいのが世の常。ま、往々にして自分じゃ自分のことは見えないから。だから<他人の話を聞けよ!>ってことで、原稿チェックは論外なわけ。
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  • 我々はなぜ「生身のX」に居心地の悪さを覚えるのか?――X JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』を語る(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第9回)【不定期連載】

    2017-05-17 07:00  
    【配信日変更のお知らせ】 毎月第2水曜日更新の古川健介さん『TOKYO INTERNET』は、諸般の事情により今月は配信日程を変更してお送りいたします。楽しみにしていた読者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、次回の更新まで今しばらくお待ち下さい。


    80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、現在公開中のX JAPANのバンド・ヒストリーを追うドキュメンタリー映画『WE ARE X』を取り上げます。(構成:藤谷千明)


    ▲『WE ARE X』劇場パンフレット
    映画公式サイトはこちら
    〈雑誌〉の機能を代替し始めた音楽ドキュメンタリー
    藤谷 今回は市川さんたってのご希望として、番外編的にX JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』について語りたいと思います。
    市川 こらこら誰のたっての希望だよ(馬鹿負笑)。
    藤谷 (無視)この『WE ARE X』、初週の興行収入は3日で7432万円、ランキングは初登場10位とロックバンドのドキュメンタリー映画としては非常に良い滑り出しでした。「キネマ旬報」によると3〜40代の女性が中心とのことです。邦楽ミュージシャンのドキュメンタリー映画は「2週間限定上映」的な短期間公開のものも少なくないわけですけど、つまり短期間の間に劇場まで足を運んでくれる、DVDになったら購入するコア層に向けた映画ということですよね。この作品は3月に公開されて以降今でも局地的ではありますが上映が続いているのも、異例です(編注:東京や大阪では終了しているものの、それ以外の地域では上映が続いています。詳細は映画公式サイトの劇場情報をご覧ください)。《サンダンス映画祭》をはじめ各国の映画祭にも出品され、台湾やタイでの上映も決まっているそうです。
    市川 私は映画の存在をすっかり忘れていて、藤谷さんのメールで想い出したのが3月末。慌てて観ることにしたけど、もはや近場では大阪ぐらいでしか上映しておらず。それも一日1回の上映でしかも朝の8時20分スタート――週イチで教えてる女子大がある神戸から、「何が哀しくて月曜の早朝から、サラリーマンで満員の阪急電車に揺られ梅田まで行かなきゃならんのか」という。よりにもよって『WE ARE X』を鑑賞するために(醒笑)。
    藤谷 それはそれはお疲れ様でした(←おざなり)。
    市川 うわ、心ねぇぇ。ま、これはこれで私にとってはXに相応しいシチュエーションではあったんだけどね。
    藤谷 では『WE ARE X』本編の話に入る前に、まずは現在の音楽ドキュメンタリー映画にまつわる状況を整理させてください。
    市川 <無敵の議事進行マシーナ>と化しております。
    藤谷 <ましーな>?
    市川 ん、<マシーン>の女性形。適当に思いついた造語だから人前で遣っちゃ駄目だよ、きみが恥かくから。
    藤谷 ……近年、映画会社はODS(other digital stuff=非映画コンテンツ。映画館で上映される映画以外のコンテンツのこと)に力を入れており、ゼロ年代以降コンサートのライブビューイング中継やドキュメンタリー映画の上映が増えています。例えば『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズや『Born in the EXILE ~三代目 J Soul Brothersの奇跡~』もODSですね。
    市川 うん。2011年から毎年公開されている<ODSの先駆け的存在>AKBシリーズに関して言えば、「総選挙やフランチャイズ化ばっか目立つけど、AKB48はこれだけ必死で頑張ってるんです!」的なCI戦略だよね。泣いたり倒れたり挫けたりいがみ合ったり励まし合ったり、のあの戦場ドキュメント感は。
    藤谷 ジャンルを邦楽ロックバンドに絞りますと、2010年公開の『Mr. Children / Split The Difference』、『劇場版DIR EN GREY -UROBOROS-』あたりから増え始め、12年に『劇場版 BUCK-TICK ~バクチク現象~』、14年にはSEKAI NO OWARI『TOKYO FANTASY』とか、『Over The L' Arc-en-Ciel』、15年にはhideの生誕50周年を記念して制作されたドキュメンタリー「JUNK STORY」も公開されています。
    この<ドキュメンタリー>には大きく分けて二種類あります――「映画館でライブを追体験する」タイプのものと「雑誌のインタヴュー記事の実写版」というようなタイプのもの。『WE ARE X』はどちらかといえば後者寄りの作品ですね。
    市川 かつては我々音楽評論家や音専誌が担ってきた機能が、アーティスト自前のドキュメンタリー映画で賄われるようになっちゃったね。EXILEの『月刊EXILE』みたいなもんで、第三者的視点や批評性が排除される分、アーティストの一方的な美化・神格化が過度に進行してしまった感はある。

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  • ヴィジュアル系「差別」の歴史を考える(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第8回)【不定期連載】

    2017-03-30 07:00  


    80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、ヴィジュアル系バンド・ファンに対する「差別」がテーマです。90年代の「J-ROCK」からゼロ年代の「邦ロック」へと至る過程で起きた〈分断〉とは――?(構成:藤谷千明)

    「90年代V系はアリ」という空気になってきた2010年代
    藤谷 前回予告したとおり、今回は〈ヴィジュアル系と差別〉といいますか、「ヴィジュアル系」という言葉やジャンルそのものに対しての反応の変遷を追ってみたいんですよ。
    昨年秋に開催された『VISUAL JAPAN SUMMIT』三日目にMUCCの逹瑯(Vo)がMCで「いつからヴィジュアル系がかっこ悪いとされるようになったんだろう」と言ってたじゃないですか。「ファンやミュージシャンもヴィジュアル系やってるって胸張って言えるような未来にしていきたい」とも。
    市川 うん。使命感を背負った者って、常に美しいねぇ(←遠い目)。
    藤谷 MUCCのメンバーと私は多分ほぼ同世代だと推測するのですが、私くらいの世代からしたら「よくぞ言ってくれた!」みたいな感覚なんです。けれども私よりずっと若い人、いわゆる〈ネオV系〉世代のファンの知り合いが「ちょっと言ってる意味がわかんない、だって私はこれまでヴィジュアル系をかっこ悪いと思ったことがない」ということを言ってて。
    市川 それは戦後生まれか戦中生まれで戦争の解釈が異なる、みたいな話なんじゃないの?
    ましてや私のようなV系における〈戦前生まれ〉だと、きっとそれ以上に違うわけで。
    (参考:金爆は「最後のV系後継者」!? "V系の父"市川哲史ロングインタビュー)
    藤谷 《J-ROCK》と呼ばれていた90年代のことを思い出すと、大概のリスナー側はXもLUNA SEAもイエモンもミッシェルもブランキーも普通に聴いてたと思うんですけど、これがゼロ年代に入って《邦ロック》と呼ばれる時代になると、分断されてしまったというか。そもそもゼロ年代ヴィジュアル系がインディーズばかりで外のジャンルから見えにくくなったからなのか、逆に「ジャンルの壁を超えていこうぜ!」みたいな話が出てくるようになるんですよ。〈異種交流〉的に銘打ったイベントで、V系とそうでないジャンルが同じステージに立ったり――でもぶっちゃけ、「どっちのCDもタワレコで売ってるじゃん?」ってことじゃないスか!
    市川 どーどーどー。というかその話、私にはぴんと来んなぁ。その昔、ジャパメタだったりV系だったりアイドルロックだったりが差別された時代はたしかにあったけども、そうした差別を生んだ諸悪の根源は雑誌メディア――音楽誌の存在だったと思う。総合系も専門系も「○○は本誌に合う/合わない」「載せる/載せない」と勝手に垣根を作ったからこそ、ファンもバンドもレコード会社もマネジメントも〈区別〉するようになった。でも時は流れて音楽誌文化もすっかり廃れ、強いて言うならフェスの時代なんだろうな。だってV系とその他のロックを未だに区別してるメディアは、もはや『ロッキング・オン・ジャパン』だけなんじゃない? その『ジャパン』が自社フェス頼みの現状っていうのがまた、象徴的だったりするんだけども。
    だから話は逸れちゃったけども単純な話、『ロッキング・オン・ジャパン』に載ることだったバンドやレーベルやマネジメントのかつてのゴールが、「フェスに出てるロックバンドが恰好いい」に変わっただけのことなんじゃないのかなぁ。風潮的に。
    藤谷 ヴィジュアル系バブルが終わった直後は、ヴィジュアル系に影響を受けたミュージシャン、たとえばORANGE RANGE(の周囲)がV系に影響を受けていることを伏せさせていたというエピソードが、市川さんの『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』にもあったじゃないですか。それが2010年代に入ると、見るからに90年代V系の影響が濃く、後にLUNATIC FEST.(本連載第2回参照)にも出演することになる凛として時雨や9mm Parabellum Bulletだけじゃなく、Base Ball Bearみたいな一見音楽性も離れているようなバンドのメンバーも、Twitterで2010年のX JAPAN東京ドーム3DAYS公演やLUNA SEAのREBOOT宣言についてつぶやいたんですよ。さっきのORANGE RANGEの話のようにV系は黒歴史扱いされてたからこそ、凛として時雨のピエール中野さんのTwitter上での発言「LUNA SEAは日本のバンドマンに1番影響を与えているかもしれない」をよく憶えています。そして世の中的に、LUNA SEA・Xみたいな90年代V系はアリという空気になっていたわけですよ。
    市川 すべてが水に流れちゃったというか、流されちゃったというか。
    藤谷 そしたらメディアも掌くるりんぱしたというか。なんだかゼロ年代のヴィジュアル系冷遇時代を耐えてきたこちらとしては、「へぇ〜〜」みたいになるわけですよ。
    90年代、週刊誌によるV系茶化し記事の横行 
    市川 実は見落としがちなんだけどそもそもバンドブームの時点で、化粧してるバンドは沢山いたわけ。しっかり化粧してたもの、BOΦWYだってRED WARRIORSだってTHE STREET SLIDERSだって。たしかに日本のロック黎明期からRCサクセションとかYMOとか化粧してたけど、それまで洋楽畑で仕事してた私としてはびっくりぽん(←死語)だったね、「なんで?」と。だってあのデヴィッド・ボウイですら、地方都市の中高校生から〈化粧してる男はオカマ〉呼ばわりされてたのが日本の70年代の実情だもの。
    ところがやがて、メイクはヤンキー少年たちにとって〈希望〉そのものになった。だってどんなに細い目だって地味な顔だって化粧したら綺麗に見えるじゃん、女子みたく。まあ未だに全国で流行ってるYOSAKOIとかソーラン節とか、メイクすれば非日常に簡単に行ける素敵なヤンキー文化なわけでさ。誰だって恰好よくなれちゃうんだから。
    藤谷 それはわかるんですけど、「化粧をしてる」っていうことと「ヴィジュアル系というジャンルである」ってことって、微妙に重なってないと思うんですよね。中性的なメイクもですけど、ある種のナルシシズムが分水嶺になっているというか。
    ちょうど手元に1997年の『週刊プレイボーイ』の《いーかげんにしとけよ〈ヴィジュアル系〉自己陶酔バンド》というV系茶化し記事があるんですけど、いきなりリード文から〈BOΦWYまでは許せたけどRYUICHIのような自己陶酔ロックはダメ〉みたいな(苦笑)。合計4ページに渡って〈愛用ブランドはゴルチエとルナマティーノ〉〈少女漫画ロック〉と、今となってはDisなのかよくわからないDisが続く内容です。
    市川 内容以前に、よくそんなもんまで見つけてくるよねぇ藤谷さんは……。
    藤谷 違うんですよ違います違います! 国会図書館で〈ヴィジュアル系〉で雑誌検索するとこういうのばっかり出てくるんです!! 好きで探してるわけじゃないんです……。

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  • 愛すべき(?)ヤマ師の世界――V系シーンを育てたマネジメント(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第7回)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.748 ☆

    2016-12-06 07:00  
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      愛すべき(?)ヤマ師の世界――V系シーンを育てたマネジメント(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第7回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.6 vol.748
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、市川哲史さんと藤谷千明さんによる対談連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。今回は、バンドマン、レコード会社に続く第三者「マネジメント」がいかにしてV系バブルを盛り上げていったかに迫ります。

    【お知らせ】市川哲史さんの〈V系〉論、最新刊が発売中です!(藤谷千明さんとの録り下ろし対談も収録!)

    『逆襲の<ヴィジュアル系>―ヤンキーからオタクに受け継がれたもの―』(垣内出版)
    ▼内容紹介(Amazonより)
    ゴールデンボンバーは〈V系〉の最終進化系だったーー?
    80年代半ばの黎明期から約30年、日本特有の音楽カルチャー〈V系〉とともに歩んできた音楽評論家・市川哲史の集大成がここに完成。X JAPAN、LUNA SEA、ラルクアンシエル、GLAY、PIERROT、Acid Black Cherry……世界に誇る一大文化を築いてきた彼らの肉声を振り返りながら、ヤンキーからオタクへと受け継がれた“過剰なる美意識"の正体に迫る。
    ゴールデンボンバー・鬼龍院翔の録り下ろしロング・インタビューほか、狂乱のルナフェス・レポ、YOSHIKI伝説、次世代V系ライターとのネオV系考察、エッセイ漫画『バンギャルちゃんの日常』で知られる漫画家・蟹めんまとの対談、そして天国のhideに捧ぐ著者入魂のエッセイまで、〈V系〉悲喜交々の歴史を愛と笑いで書き飛ばした怒涛の584頁!

    ▼対談者プロフィール
    市川哲史(いちかわ・てつし)
    
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント!」などで歯に衣着せぬ個性的な文筆活動を展開。最新刊は『逆襲の<ヴィジュアル系>―ヤンキーからオタクに受け継がれたもの―』(垣内出版刊)。
    藤谷千明(ふじたに・ちあき)
    1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在は若手ヴィジュアル系バンドを中心にインタビューを手がけるフリーライター。執筆媒体は「サイゾー」「Real sound」「ウレぴあ総研」ほか。
    ◎構成:藤谷千明
    『すべての道はV系に通ず』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:プロデューサーの役割は〈こども電話相談室のおじさん〉である――90年代V系全盛期を支えた裏方たち(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第6回)

    ■愛すべき(?)ヤマ師たちの登場
    藤谷 前回、〈音楽的にV系を支えてきた人たち〉として、佐久間正英さんや岡野ハジメさんといった、名プロデューサーの話をしましたが、80年代後半から90年代にかけて〈V系〉シーンができあがるのに欠かせない人たちがいたと思うんです。
    市川 というと?
    藤谷 マネジメントです。ミュージシャンでありながら、自分でレーベル・事務所を立ち上げたYOSHIKIのエクスタシーレコードや、ダイナマイト・トミー【1】のフリーウィル、44MAGNUMやREACTION【2】といったジャパメタから始まり、L'Arc~en~CielやMUCCを擁するDANGER CRUEだったり、LUNA SEAを手がけて、SHAZNAが派手にブレイクした一方でLa’cryma ChristiやPlastic Treeといった音楽性の高いバンドも見出したSweet Child/Sweet Heart、PENICILLINなどが所属していたティアーズ音楽事務所などなど……例をあげたらキリがないほど「マネジメント」がシーンに影響を与えたのではないかと。ですので、今回は「V系とマネジメント」についてお話ししたいんです。

    【1】ダイナマイト・トミー:V系黎明期に人気を博したCOLORのVo。86年にフィリーウィルを設立。余談だがフリーウィル内に過去に存在したNEW HORIZONレーベルではマキシマムザホルモンの1stシングルと2ndアルバムをリリースしていた(本当に余談)。
    【2】REACTION:83年結成、ジャパメタブームの立役者のひとつ。1stアルバム「INSANE」はデンジャークルーから、メジャーデビュー以降はビクターからリリース。

    市川 ヤマ師だよヤマ師(激失笑)。そもそもなぜロックバンドにマネジメントの存在が必要だったかというと、端的に言えば〈レコード会社〉・〈マネジメント〉・〈アーティスト〉の三者契約がそもそも基本なわけ。歌謡曲の昔からずっとそうなの。まずプロダクションと歌手が契約をして、それからレコード会社を巻き添えにして「よろしくね」ってのが、日本の芸能ビジネスの伝統。タレントは事務所に所属するわけだから給料制だし、印税とか各種ギャラはバシバシ搾取されるシステムですね。で歌謡曲全盛時代はいわゆる〈大手芸能プロダクション〉の天下だったけども、フォークが流行ればヤマハがマネジメントを始めたり、バンドブームになればソニーみたくレコード会社がマネジメント業務にも乗り出すよねぇ。
    藤谷 なるほど。で、ヤマ師っていうのは一体。
    市川 V系に話を戻すと――そもそも勃興当時、V系が売れるなんて誰も思っていなかった。その前にジャパメタ・ブームもひっそりあった(らしい)けど、結局どこのレコード会社も本気で関わってない。無論、芸能事務所もロックなんかに力を入れるはずもない。だからロックバンドの地元のライヴハウスが面倒を見たり、地味に事務所もどきを作ったりしてた程度ですよ。
    で昔のV系バンドには諍い事がもれなくついてきたから、特にYOSHIKIとかライヴハウスから出禁食らってたわけで、いよいよ自分で事務所もレーベルも作るしかなかったんじゃないかと。いま思えば(失笑)。
    わかりやすい例を挙げれば、BUCK-TICKのパターンかしら。現在の《バンカー》は90年代半ばに独立して設立したセルフ・マネジメントだけども、そもそも彼らを発掘して時代の寵児にまでビルドアップさせたのは、《シェイクハンド》。そこの社長とチーフ・マネージャーの経歴は、たしかプリズムとかフュージョン・バンドのマネジメントなんだよね。つまり〈歌謡曲でもニューミュージックでもない音楽〉。
    藤谷 「既存の芸能界」の匂いがしない音楽?
    市川 日陰の音楽、つまりロックですけど(笑)。ヤマ師呼ばわりしたけども、所詮マイナーな存在だった80年代後半からV系に限らず国産ロックを生業にしてた者は皆、「歌謡曲でもニューミュージックでもないロックを、日本に根づかせてやるぜ!」的な理想と使命感をたぎらせてたんだよ、最初は。前回話したようなプロデューサーやレコード会社のディレクターも含め、我々のような活字メディアやラジオ・TVの映像メディアの人間も含め、皆が盛り上げる気満々だった。私利私欲というよりも、「自分が好きなロックが市民権を獲得すれば、自分も趣味を仕事として食っていける」といった、モラトリアム的幸福感の追求だったのかもしれない(苦笑)。
    藤谷 美しい話ですねー。
    市川 あくまでも途中までだけどね。わはは。でもたしかに美しかったよ、大の大人たちが雁首揃えて理想を語り動いてたんだから。まさに〈愛すべきヤマ師たち〉。
    たとえばアマチュア時代のBUCK-TICKは例の爆発アタマにど派手メイクなわけで、既存のメジャー・レーベルやマネジメントは当然相手にしない。そりゃそうだよね、唄も楽器も下手くそだったし。だけど彼らは《バクチク現象》と大書した謎のステッカーを自分たちで作り、渋谷中にゲリラ的に貼りまくったことで噂の存在になった。すると「こんなヤツら見たことない」とばかりに、固定観念を持たない好奇心旺盛で勇敢なシェイクハンドやビクターの連中が集まり、一丸となってBTを唯一無二のカリスマにした。だからV系がとても集金力が高い音楽ビジネスモデルとして認知された90年代突入以降は、巨大マネーが動きまくったから誤解されがちなんだけど、出発点は純粋で理想は高かったんだよ。ふ。
    ■億単位の契約金競争の時代へ
    藤谷 そこを強調しなくてもわかってますよ。やはりBUCK-TICKがスタートだったんでしょうか。
    市川 厳密に言えばV系バンドじゃないし、V系誕生以前に既に活躍してたけども、BUCK-TICKが売れたのは大きかったんじゃないかなあ。『B-PASS』や『PATi・PATi』のような総合音楽誌でも一般少女に人気を博したり、CDラジカセのテレビCMに出演したのも功績だよね。
    藤谷 ビクターの《CDian(シーディアン)》ですね。〈重低音がバクチクする〉というキャッチコピーで有名な。
    市川 お茶の間を初めて直撃したヴィジュアル・ショックですわ。

    ▲BUCK-TICKが出演したビクターのCDラジカセ「CDian」のCM。
    https://www.youtube.com/watch?v=JT2HHrEAc6o

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  • プロデューサーの役割は〈こども電話相談室のおじさん〉である――90年代V系全盛期を支えた裏方たち(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第6回)【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.691 ☆

    2016-09-16 07:00  
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    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.16 vol.691
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    今朝のメルマガは、市川哲史さんと藤谷千明さんによる対談連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。今回は、90年代V系全盛期に成田忍、佐久間正英、岡野ハジメといった名プロデューサーが果たした役割を考えます。
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    『逆襲の<ヴィジュアル系>―ヤンキーからオタクに受け継がれたもの―』(垣内出版)
    ▼内容紹介(Amazonより)
    ゴールデンボンバーは〈V系〉の最終進化系だったーー?
    80年代半ばの黎明期から約30年、日本特有の音楽カルチャー〈V系〉とともに歩んできた音楽評論家・市川哲史の集大成がここに完成。X JAPAN、LUNA SEA、ラルクアンシエル、GLAY、PIERROT、Acid Black Cherry……世界に誇る一大文化を築いてきた彼らの肉声を振り返りながら、ヤンキーからオタクへと受け継がれた“過剰なる美意識"の正体に迫る。
    ゴールデンボンバー・鬼龍院翔の録り下ろしロング・インタビューほか、狂乱のルナフェス・レポ、YOSHIKI伝説、次世代V系ライターとのネオV系考察、エッセイ漫画『バンギャルちゃんの日常』で知られる漫画家・蟹めんまとの対談、そして天国のhideに捧ぐ著者入魂のエッセイまで、〈V系〉悲喜交々の歴史を愛と笑いで書き飛ばした怒涛の584頁!

    ▼対談者プロフィール
    市川哲史(いちかわ・てつし)
    
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント!」などで歯に衣着せぬ個性的な文筆活動を展開。最新刊は『逆襲の<ヴィジュアル系>―ヤンキーからオタクに受け継がれたもの―』(垣内出版刊)。
    藤谷千明(ふじたに・ちあき)
    1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在は若手ヴィジュアル系バンドを中心にインタビューを手がけるフリーライター。執筆媒体は「サイゾー」「Real sound」「ウレぴあ総研」ほか。
    ◎構成:藤谷千明
    『すべての道はV系に通ず』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:「小山田圭吾をカツアゲするhide」の構図はどのようにして生まれたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回)
    ■優秀なリスナーは優秀なパフォーマーになれる――今井寿、hide、SUGIZOの雑食性
    藤谷 ヤンキー文化の雑食性とV系の雑食性に、共通項はあるんでしょうか。
    市川 文字通りのヴィジュアル――視覚的な要素に関しては、特にオールドスクール勢にはヤンキー的な雑食性は明らかにあったでしょ(苦笑)。ただ音楽性に関して言うならば、リスナーとして、ヘヴィーユーザーならではの雑食性だよね。洋楽に対する「日本のリスナーをナメんなよ」的な、日本ならではの勝手なリスナー文化。例えば、好きなバンドを発見したら最後、もう遡るのは当たり前、「在籍バンド全部聴くぞ!」「1曲だけセッション参加のアルバムだって聴くぞ!」「仲がいいバンドも聴くぞ!」という、オタク的な探究衝動――蒐集癖ですわ。
    藤谷 とはいえ、あの人たちに渋谷系的なスノッブさはないじゃないですか。
    市川 そりゃそうだよ。V系におけるオタク性とは本能的なものであって、その生態は真逆だからスノッブさなんて無縁無縁。スノッブなヤンキーなんて見たことないぞ。
    藤谷 ……たしかに。
    市川 だろ? 例えばhideはまったくヤンキーではなく、成績優秀だけども屈折してるデブで内向的な小中学生だったわけじゃん。洋楽ロックにはKISS聴いて衝撃を受けてそこからのめり込むんだけども、そのパターンは典型的な〈聴きまくり/聴き漁り〉タイプで。
    私は彼がリスナーとして優秀だったから、信頼できたのかもしれない。「優秀なリスナーは優秀なパフォーマーになれる」とは私の長年の確信なんだけども、まさにhideはその典型で。今やまさかのベビメタ“ギミチョコ!!”の作者として知られるようになった(失笑)、上田剛士(AA=/THE MAD CAPSULE MARKETS)もそのパターンだよね。
    BUCK-TICKの今井寿だと、そもそも音楽的基礎が一切欠落した極めて普通の一般少年なのでギターは究極の我流だし、スターリンとYMOという聴き始めてた音楽そのものも突然変異ジャンル(失笑)だから、もう本当に〈基本〉から縁遠い男なわけ。で、聴いたことがない音が出るエフェクターやチェンジャーが開発される度に、買っては変な音を出して悦んでたというギタリストの風上にも置けない奴――いいよねぇ(爆苦笑)。海外の(当時の)最先端ノイズ・ミュージックやインダストリアル・テクノも、知識や情報ではなく店頭で勘とジャケットで片っ端から聴いてたら、それがいつの間にか血肉になってるというある意味天才タイプだよね。
    藤谷 理論に頼らず、その場で自分の手元にあるものを集めながら探究していく、という感じですね。
    市川 動物的勘だな、要は(愉笑)。今井に――あとhideとかもそうだよね。対照的にSUGIZOはやっぱり、その音楽を聴く理屈や情報がまず必要な男。それはなぜかと言うと、ヴァイオリン出身だからなのかもしれない。クラシックは知識と歴史の積み重ねだもんね? しかし初期LUNA SEAの頃は、SUGIZOが〈蓄積〉と〈様式美〉で書いた曲と、元々ノイズパンク野郎だったJが〈本能〉でワーッと書いた曲で、シングルにいつも選ばれてたのはJの曲という。
    藤谷 LUNA SEAの代表曲“ROSIER”も、作曲はJですからね。
    市川 うん。まあ、そういうタイプの違いはあるけども、基本的にV系バンドマンたちは音楽に関して真面目な奴が圧倒的に多いね。「自分たちが影響を受けたロックをファンの子たちにも聴いて欲しい」という気持ちも強くて、洋楽のアルバムをやたら雑誌やファンクラブの会報やラジオで紹介しまくってたし、ファンの子たちもまた紹介されたものを素直にちゃんと聴いてたんだよねぇ。真面目だよね両者とも。
    藤谷 実際に紹介されたものを聴いて「LUNA SEAの音楽と全然違う!」と驚いた経験も、今思うと面白かったなと思います。
    市川 もちろん音楽的な理論武装ばかりだけでなく、個人差はあるけど皆楽器をすごく練習していたなと思う。正確には、目茶目茶練習する奴とまったくしない奴に二極化してたわけ。LUNA SEAは全員すごく練習してたし、hideやPATAもよく練習していた。その一方で〈センスまかせ〉の今井は、練習する必要がなかったんだけども(爆苦笑)。

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  • 〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回) 【不定期連載】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.644 ☆

    2016-07-15 07:00  
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      〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.7.15 vol.644
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは市川哲史さん、藤谷千明さんによる連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。90年代V系ブームを下支えした今井寿・hide・SUGIZOらバンドマンたちの音楽性の源泉について、同時期の渋谷系と比較しながら語りました。
    ▼プロフィール
    市川哲史(いちかわ・てつし)
    
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント!」などで歯に衣着せぬ個性的な文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)。
    藤谷千明(ふじたに・ちあき)
    1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在は若手ヴィジュアル系バンドを中心にインタビューを手がけるフリーライター。執筆媒体は「サイゾー」「Real sound」「ウレぴあ総研」ほか。
    『すべての道はV系に通ず』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。 
    前回:地方局、ライヴハウス、ご当地フェス――80年代バンドブームを演出した「周縁の力」(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第4回)
    ◎司会:編集部
    ◎構成:藤谷千明
    ■〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか
    ――前回はロックバンドがツアーを廻って全国にファンを増やしていき、最終的にバンドブームを起こした――という話をしましたが、バンドブーム後のヴィジュアル系も同じような経路で盛り上がっていったのでしょうか。
    市川 だってほら、V系はライヴを観ないと始まらないでしょ(苦笑)。「うわ、なんだこの恰好この演奏!」みたいなのが醍醐味だから。現在20歳ちょいの女子学生って当然、XもBUCK-TICKもLUNA SEAも観たことないわけ。でも授業で昔のXやらのライヴを観せるとウケてしまう。初体験なのに。1991年頃の、BUCK-TICKが“スピード”唄ってるライヴ映像なんかもう、〈魔王〉櫻井敦司に瞬殺されちゃって「この黒髪のカッコいい人誰ですかーっ♡」みたいな。すごいな日本女子の美形好きDNAは(呆笑)。
    藤谷 「美形」は普遍的なんですね……。
    市川 でまあ、ライヴハウスの敷居が低くなって〈普通の少年少女〉が通えるようになり、ライヴ人口が徐々に増え始めた結果、V系の洗礼を受ける機会も増したという流れですよ。バンドはバンドで、対バンで相手のファンを根こそぎ奪うのが勢力拡大の手っ取り早い手段なので、「対バンで目立ったもん勝ち」みたいな風潮になり。その場合田舎ではやはり、コジャレでイキったものより、おもいきりベタな方が単純明快だしヤンキーだし祭りだし、受け入れられるわけだよ。
    藤谷 全国区になるには「大衆性」が必要ということでしょうか。
    市川 うん、徹底的な大衆性が要るね。もう〈カッコイイ〉の解釈とボーダーラインが違うんだよ、地方と都会じゃ(失笑)。だって90年代の初頭に都心在住で普段洋楽しか聴かないお洒落さんが、Xの“紅”観て「わぁ、カッコいい!」って思うわけないじゃん! V系って、〈洗練〉から最も極北にあるわけだからさ。
    藤谷 90年代前半って、ビーイング、TKプロデュース、Mr.Childrenがミリオンヒットを飛ばす等々、色々なムーブメントがありましたが、その中でもV系が流行する一方で、スノッブの権化のような〈渋谷系〉も存在していたじゃないですか。
    でも90年代初頭って、ド田舎の人間からみると〈V系〉〈渋谷系〉という括りがまだあんまりなかったような。なぜかというと、雑誌メディアでは『FOOL’S MATE』の1990年5月号がここにあるのですが、筋肉少女帯が表紙、Xの渋公レポートを巻頭ぶち抜き、フリッパーズ・ギターと電気グルーヴが載っている……みたいな内容だったりして。
    市川 そりゃ田舎者が多数派を占める当時のV系村住人からすれば、「見る物聴く物みーんな好き」で渋谷系と一緒でも全然平気だろうけど、その逆はないから。渋谷系からすれば侮蔑の対象でしかなかったから、V系は(愉笑)。でね、渋谷系はLUNA SEAのデビュー(1992年)の頃から徐々に徐々に盛り上がり始めてって、その存在が一般に認知されたのはV系ブレイクのちょっと前という感じかなあ。私が『音楽と人』を創刊したのが1993年なんだけど、hideと小山田圭吾が胸ぐら掴みあってる〈V系vs渋谷系全面抗争勃発(失笑)〉の表紙号を作ったのが94年10月。

    ▲『音楽と人』1994年11月号(当時の発売元はシンコー・ミュージック・エンタテイメント)。hide・小山田対談は、hideがコーネリアスを愛聴していたということから起ち上がった企画だった。お互いに洋楽少年だったことで盛り上がり、小山田がhideに対して「人に舐められないようにするには?」と相談するエピソードも。市川氏は当時、『ロッキング・オン・ジャパン』→『音人』誌を通じてV系のことを〈美学系〉と呼んでいた。
    ――hideが文化系男子の小山田圭吾をカツアゲしている絵面にしか見えないですね(笑)。
    藤谷 これって「文化系=渋谷系/ヤンキー=V系」という構図が、94年末の段階ではすでに成立していたってことなんですよね。ただ、「ロッキング・オン」のインタビュー(1994年1月号に掲載)で実は小山田圭吾はティーンの頃はいじめっ子だったということを語っているので、あくまでイメージの話というか。

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  • 地方局、ライヴハウス、ご当地フェス――80年代バンドブームを演出した「周縁の力」(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第4回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.631 ☆

    2016-06-30 07:00  
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     地方局、ライヴハウス、ご当地フェス――80年代バンドブームを演出した「周縁の力」(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第4回)
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    2016.6.30 vol.631
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    今朝のメルマガは市川哲史さん、藤谷千明さんによる連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。前回(第3回/昨年8月25日配信)から引き続き「地理と文化(V系)の関係」がテーマ。90年代V系ブームを準備した80年代のバンドブーム、そして地方ライヴハウスとメディアの関係について論じます。
    ▼プロフィール
    市川哲史(いちかわ・てつし)
    
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    藤谷千明(ふじたに・ちあき)
    1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在は若手ヴィジュアル系バンドを中心にインタビューを手がけるフリーライター。執筆媒体は「サイゾー」「Real sound」「ウレぴあ総研」ほか。
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    前回:"YOSHIKI 2.0"としてのEXILE・HIRO――ヤンキー文化とV系(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第3回) 
    ◎司会:編集部
    ◎構成:藤谷千明
    ■ 80年代アンダーグラウンドシーンの胎動
    ――久しぶりの配信になりますが、前回まではヴィジュアル系カルチャーが郊外・地方発ならではの「ヤンキー性」を持っているということについて語ってもらいました。今回は、「地理と文化(V系)の関係」についてさらに掘り下げて整理していければと思います。
    藤谷 まず、市川さんが著書でも書かれているように、例えばX JAPANは千葉、LUNA SEAは神奈川や東京の町田市出身ですが、「東京(23区)」出身じゃない人たちによる文化だからこそ大衆性を獲得して全国区のブームになりえたわけですよね。
    でも、そもそも90年代のヴィジュアル系バンドを育んだ「場所」って、大まかに「ライヴハウス」と、テレビ・ラジオ・雑誌などの「マスメディア」の2つだったということでいいんでしょうか?  私はリアルタイムでは経験していないので、よく分かっていないところがあるんですが。
    市川 まず、前回話したように日本の80年代のアンダーグラウンドな音楽シーンには<メタル(ジャパメタ)>と<パンク(ハードコア・パンク)>という2つの部族がおり、両者は本当に不毛な暴力的抗争を繰り広げておりました。そしてそんな野蛮な不良たちとは距離を置いて、ニューウェイヴの連中が自分たちの居場所をこっそり確保しておったのです。
    ――日本昔ばなしですか(笑)。あの、そのパンクとニュー・ウェイヴって一括りにされてる場合もあればきっちり区別されてる場合もあるんですけれど、この2つの違いや機微ってどういうものだったんですか?
    市川 誤解を怖れずものすごく単純に比較すると<パンク×ニューウェイヴ>は、ヤンキー×オタク、衝動×感性、開放×閉鎖、馬鹿×小利口、みたいな(爆笑)。そもそもは衝動一発の「皆死んじまえ」全否定ロックだったパンクにどうしても体質が合わない文系者たちが、センスと理屈を頼りに始めた一見スマートなパンクが、ニューウェイヴ@ロンドン&NY。だからファッションでもアートでも映画でも文学でもテクノでも、お洒落で頭よさそうに見えるものなら何でも食べちゃう雑食性が武器だった。日本に置き換えれば、ヤンキー的な不良に「絶対なりたくない」けど、とにかく他人とは違うことを「ポップ」にやりたかった草食系かしら。
    で、後のV系との絡みでいえばこの時期に<男なのに化粧>が始まっているわけ。メジャー処だとイエロー・マジック・オーケストラ【1】が1978年頃に出てきて、その後の1982年に坂本龍一と忌野清志郎がコラボした「い・け・な・いルージュマジック」のPVでは化粧した男同士でキスしたりして、やたら話題になる。それで「ああ、バンドの人って化粧するんだ」ということが、世間に一応、どうでもいい情報として潜在的に刷りこまれたわけ。するとニューウェイヴ者がモード系に向かうのをよそに、ハードコア・パンクの連中は動物の示威行為のようにモヒカンとピアスを突き詰めて「人間凶器」的ヴィジュアルを志し、ジャパメタのほうもハノイ・ロックス【2】みたいな洋楽ロックバンドを見て、こっちはとにかく派手でグラマラスな化粧に邁進していったよねぇ。

    【1】イエロー・マジック・オーケストラ(YMO):1978年に結成された細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人による音楽グループ。80年代のテクノ / ニュー・ウェーヴのムーブメントを牽引した。アメリカやヨーロッパで受け入れられ、その後に逆輸入のかたちで日本でもヒットを飛ばし、79年には2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がオリコン・チャートの最高1位にランクインした。
     【2】ハノイ・ロックス(HANOI ROCKS):フィンランド出身のロックバンドで、1980年代前半に活躍。ガンズ・アンド・ローゼズやスキッド・ロウ、日本ではZIGGYなどに影響を与えたと言われる。音楽性は「グラム・ロック」「グラム・メタル」などと言われるもので、長髪にメイク、個性的なファッションも後代のバンドに多大な影響を与えた。


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