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記事 3件
  • 【特別寄稿】成馬零一 私たちは何を見ているのだろうか?――名前をめぐる問題

    2019-07-25 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、成馬零一さんの特別寄稿です。私たちはテレビドラマの登場人物を、なぜ演者の名前で呼ぶのか。〈虚構〉と〈日常〉の中間に位置する日本のテレビドラマの特性と、それを逆手にとった『マジすか学園』や山田孝之のドキュメンタリードラマなどの作品について考えます。 ※初出:『美術手帖』2018年2月号(美術出版社)
     テレビドラマの話をする時、いつも気になるのは登場人物の呼び名についてだ。  SNSでドラマの感想を読んでいると、多くの視聴者はドラマの登場人物を役名で呼ばずに、木村拓哉や松たか子といった演じる俳優の名で呼んでいる。  筆者はドラマの記事を書く時、例えば『HERO』(フジテレビ系)だったら久利生公平(木村拓哉)という風に役名の後で俳優名を括弧に入れて記載し、可能な限り役名(この場合は木村ではなく久利生)を主語にして書くようにしている。これはテレビドラマを映像表現として批評しているという意識があるからだ。 しかし、知人とドラマの話をしているときは、役名がすらすらと出てくるということはとても少なく、ついつい「木村拓哉が」とか「松たか子が」と、俳優を主語にして語ってしまう。 そのたびになんだか軽い罪悪感を抱いてきたのだが、最近は、そうやって俳優名で呼ばれてしまうこと自体に「テレビドラマの本質」のようなものがあるのではないかと思い始めている。
     なぜ、テレビドラマでは、役名よりも俳優の名前の方が存在感が大きいのだろうか? おそらくテレビドラマは、映画やアニメといった映像メディアと比べた時にきわめて虚構性が薄い映像表現なのだろう。多くの視聴者はテレビドラマを純粋なフィクションとしてではなく、俳優が役をいかにうまく演じられるのか、そしてその演技力が高く評価されるか? という俳優たちのドキュメンタリーとしても楽しんでいる。
    ドラマの役名をめぐって
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  • 宇野常寛 いまこそ語ろう90年代テレビドラマとその時代ーー野島伸司・北川悦吏子・三谷幸喜 (PLANETSアーカイブス)

    2019-05-01 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、宇野常寛の90年代テレビ論をお届けします。90年代のテレビドラマの魅力は何だったのか? 当時のドラマがいかに“大衆の気分”を反映していたか代表的な作品と脚本家を振り返りながら、宇野が語りました(取材・文:福田フクスケ)。初出:「ROLa」2013年11月号・新潮社※この記事は2014年4月11日に配信された記事の再配信です。
    ■赤名リカの敗北とバブル終焉
     
     今振り返ると、“90年代的な”テレビドラマは、『東京ラブストーリー』(91年・以下『東ラブ』)から始まったと僕は思っています。要するに、トレンディドラマの“敗北”と“終焉”から始まっているんじゃないでしょうか。
     フジテレビの「楽しくなければテレビじゃない!」というモットーが象徴的ですが、80年代のテレビは“意味のなさ”“軽さ”が、当時出現しはじめていた消費社会の批判力を体現していました。その終盤に現れた『抱きしめたい!』(88年)や『君の瞳に恋してる!』(89年)といった作品が代表するトレンディドラマの多くは、都心のマンションに住むおしゃれな登場人物が、最先端のスポットやファッション、アイテム、ライフスタイルを見せる“消費社会のショーケース”だったわけです。
     『東ラブ』も、そんなトレンディドラマの代名詞だと思われています。しかし、個人的にこの作品は、むしろトレンディドラマ的な価値観の終焉を描いていたように思います。というのも、主人公のカンチ(織田裕二)は、バブリーでトレンディな赤名リカ(鈴木保奈美)ではなく、手作りおでんを持って家に押し掛ける古風な関口さとみ(有森也実)を最終的に選ぶんですよね。
     奇しくも『東ラブ』が放送された91年は、バブル崩壊の年。“赤名リカの敗北”というこのドラマの結末は、大衆の本音がバブル的/トレンディドラマ的なものを実は求めていなかった、ということを暗示していたのだと思います。
     
     
    ■トラウマを描いた野島伸司
     
     消費社会の“モノ”の過剰さと、“物語”の空虚さを体現していたトレンディドラマがその役割を終えたときに、90年代のドラマは始まりました。この比喩を続けると、この時期にどう“物語”を過剰にしていくかというゲームが展開されることになった。過剰なストーリー展開で見せる「ジェットコースタードラマ」が生まれたのもこの頃。それに加えて当時、大事MANブラザースバンドの「それが大事」とか、KANの「愛は勝つ」といったヒットソングが流行ったでしょう? あれと同じで、当時のマスメディアはほとんど胸倉つかんで感動しろと言っているような、ある種の“ベタ回帰”のフェイズに入ったと思うんですよね。
     今、僕が話した一連のトレンディドラマからベタ回帰への流れを体現していたのが、間違いなく野島伸司でしょう。彼は、トレンディドラマでデビューしてまさにベタ回帰のお手本のような『101回目のプロポーズ』(91年)や『ひとつ屋根の下』(93年)の大ヒットを通じて、トップクリエイターになっていった。このとき彼がやったのは、ある種の物語の“感動サプリメント化”のようなものだと思います。
     野島さんはその後『人間・失格』(94年)辺りから、レイプやいじめといった過激なモチーフと、それに伴う露骨な“トラウマ”を登場人物に負わせることで、物語を動かす手法を使いはじめる。登場人物の動機をすべて過去のトラウマに回収させていくこの手法は、書き割りのような人間観で深みがない、と批判されることが現在では多かったりもします。基本的には僕もそう思うけれど、野島伸司という作家をそれだけで片付けていいようにはどうしても思えない。
     彼にはたしかに、効率的に視聴者を(後に引かない程度に)傷つけて、効率よく感情を揺さぶるために、トラウマ頼みの人物造形を行っていた側面があるんでしょう。しかしその一方で、彼のドラマには“もっとも深く傷ついている者こそ、もっとも深く救われる”という独特の美学が貫かれています。その美学が、ときに私たち視聴者の道徳感覚とズレているため、違和感ややりきれなさといった理不尽な感情がかきたてられ、それが野島ドラマの不思議な魅力になっていたと思います。
     
     
    ■シットコムに憧れた三谷幸喜
     
     一方、同時期に欧米のシチュエーションコメディ(シットコム)の手法を使って、従来のテレビドラマの文法を拡張したのが三谷幸喜です。彼はずっと、日本で本格的なシットコムを作りたかった人ですが、どうもうまくいっているとは言えない。その理由は、政治風刺の文化の違いなど、いろいろあるんでしょうね。その代わり、“基本的に一話完結”“舞台設定を変えない”といったシットコムの手法だけを部分的に取り入れて、独自の手法を確立していく。その成果が『振り返れば奴がいる』(93年)というシリアスドラマや、『古畑任三郎』(94・96・99年)というキャラクタードラマだったように思えます。その集大成といえる『王様のレストラン』(95年)は、名作として今も評価が高いです。
     しかし、彼の悲劇は『総理と呼ばないで』(97年)や『合い言葉は勇気』(00年)など、彼が本来やりたいものを書くとヒットしなかったということ。シットコムを受け入れない日本文化が生んだいびつな成功例として、日本の文化空間を考える上で重要な人だと思います。
     三谷さんは、『古畑』で自身が生み出した名脇役・今泉巡査に対して、シリーズを重ねるごとに「ウンザリしていた」と語っています。僕にはこのエピソード、シットコムの手法がキャラクターものにしか生かせない日本の文化空間への呪詛に聞こえたりもしますね。
     
     
    ■時代の空気と寝た北川悦吏子
     
     もうひとり、この時期の重要なヒットメーカーが北川悦吏子です。野島伸司が過激なモチーフや練り込まれた構成で、戦略的に時代の波に乗ったのに対して、彼女はナチュラルに時代と寝られた人。
     『あすなろ白書』(93年)が「大学に入るとこんな青春が待っているんだ」という憧れのひな形として機能したように、90年代はテレビが日本を標準化し、世間のスタンダードを作る力を持っていた時代でした。北川さんは、そんな時代の空気や世間の感性を汲み上げる天性を持っていたんでしょうね。
     そのセンスが時代の転換点と一致した最高傑作が『ロングバケーション』(96年)でしょう。本作の“神様がくれた休暇”というロマンティックなモチーフは、かつてのように右肩上がりの日本には戻れないとみんなが薄々気付いていた時期に、「“疲れた”“休みたい”と言ってもいいんだよ」というメッセージを提示しました。大衆が心の底では求めていたけど、自覚していなかったテーマを探り当てたわけです。
     ここまで挙げた野島伸司、三谷幸喜、北川悦吏子の3人が、90年代のテレビドラマの方向性を決定付けた、代表的な脚本家といえるでしょう。
     
     
    ■『踊る』と『ケイゾク』
     
     90年代後半になると、“プレ・ゼロ年代”とも言うべき潮流が出てきます。その萌芽と言えるのが、日テレの土曜9時枠のドラマ。ジャニーズ俳優を主演に起用したティーンズ向けのドラマ枠と思われがちですが、ドラマ史を考える上では非常に重要です。
     堤幸彦がメイン演出を務めた『金田一少年の事件簿』(95・96年)をはじめ、凝った映像やトリッキーな演出で、俳優の身体を漫画のキャラクターのように撮る手法は、漫画原作のドラマが増えたゼロ年代的な演出手法のさきがけとなりました。
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  • 真実一郎・宇野常寛の語る「サラリーマンコンテンツ」の現在――『島耕作』『パトレイバー』から『半沢直樹』『重版出来』まで ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.211 ☆

    2014-11-28 07:00  
    220pt

    真実一郎・宇野常寛の語る「サラリーマンコンテンツ」の現在――『島耕作』『パトレイバー』から『半沢直樹』『重版出来』まで
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.28 vol.211
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑は『文化時評アーカイブス2013-2014』収録の「サラリーマンはどこから来てどこへ行くのか 〜2010年代の働き系コンテンツの潮流〜」に真実一郎さんが加筆・修正を加えた原稿と、『半沢直樹』に関する宇野常寛との対談のお蔵出しをお届けします。
    初出:『文化時評アーカイブス2013-2014』(月刊サイゾー5月号増刊)に加筆・修正▼プロフィール真実一郎(しんじつ・いちろう)現役サラリーマン。広告から音楽、マンガ、グラビアアイドルまで幅広く世相を観察するブログ「インサイター」を運営。「SPA!」(扶桑社)などにてコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y)。
     
     
    ■「働き方」探しの時代に蘇った昭和サラリーマン
     
    いまほど「働き方」をめぐるバズワードが乱舞する時代もないだろう。ノマド、社畜、正規・非正規、グローバル人材、ワークシフト、セカンドキャリア、ブラック企業……。雇用環境が流動化し、従来のような正規雇用の中間層=サラリーマンが一枚岩ではなくなった結果、古い働き方への懐疑と新しい働き方の模索が大規模かつ同時多発的に起こっているというわけだ。
    だからこそ、極めて昭和的な会社員を描いたドラマ『半沢直樹』が爆発的にヒットし、社会現象化したのはちょっと意外だった。半沢は堅苦しい縦社会組織の中で、パワハラに耐え、深夜残業を厭わずモーレツに働き、飲みニケーションも頻繁に行い、献身的な専業主婦の妻を持つ。そんな古風なワークスタイルの主人公が2013年を代表するキャラクターになるなんて、誰も予想しなかっただろう。
    『半沢直樹』の原作を手掛ける池井戸潤【註1】の小説は、サラリーマンや中小企業経営者を主人公としたものが多く、特に2010年代になってから支持層を拡大している。池井戸が描く一見古臭いサラリーマンが、なぜ「働き方」探しの止まらない現代において支持されるのか。日本のサラリーマン・コンテンツの潮流を振り返りながら、その背景を考察してみたい。
     
    【註1】池井戸潤…大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に7年間勤務。退職後、コンサル業の傍らビジネス書を執筆。98年に小説家デビューし、11年『下町ロケット』で第145回直木賞受賞。
     
     
    ■コンテンツが映し出すサラリーマンの軌跡
     
    サラリーマンが時代の主役に躍り出たのは1950年代半ばからだった。太平洋戦争で兵隊として国家の為に戦った人々が帰還し、会社の為に戦う企業戦士へと転身して、日本の復興に心血を注いで高度経済成長を牽引したのだ。戦没者に対して後ろめたさを引きずっていた彼らを肯定・承認するエンターテイメントとして、源氏鶏太【註2】の勧善懲悪的なサラリーマン人情小説や、底抜けに明るい東宝の映画「社長シリーズ」「日本一シリーズ」【註3】が量産され、サラリーマンものブームが巻き起こった。定年退職まで守られた家族的な会社に身を置き、会社のためにモーレツに働けば、誰もが豊かな未来を夢見ることができた、戦後日本の青春時代だ。
     
    【註2】源氏鶏太…戦前から財閥系企業の経理畑に勤め、終戦後本格的に作家デビュー。自身の25年にわたる会社勤めの経験をもとに、サラリーマン小説を多数発表した。51年に『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。85年没。
    【註3】「社長シリーズ」「日本一シリーズ」…「社長シリーズ」は森繁久彌が社長役で主演する喜劇映画(195 6〜70年)。高度経済成長期の企業を舞台に、キャラのバラバラな部下や社員たちとてんやわんやの騒動を繰り広げる(『社長三代記』『『社長太平記』ほか)。後者はクレイジーキャッツ・植木等が主演した、歌って躍る喜劇映画(62〜71年)。「社長シリーズ」とは異なり、植木の役柄や働く企業・業界は毎回違うものになっているが、基本的に常にモーレツ社員として描かれる(『日本一のゴマすり男』『日本一のワルノリ男』ほか)。
     
    しかし1970年代になると、モーレツで非人間的な労働環境に対する疑問が拡大する。オイルショックが決定打となって高度成長が終わる頃には、賃金カットや人員整理が相次ぐサラリーマン受難の時代となり、会社に奉仕する人生への忌避感が蔓延。サラリーマンという存在を肯定的に描くコンテンツも消えていった。この時期に支持を集めた城山三郎【註4】の企業小説の数々は、悩めるサラリーマンを代弁して、組織に振り回される個人のリアリティ、無念さを徹底的に追求している。
     
    【註4】城山三郎…大学にて経済学の教鞭を執る傍ら、作家として活動を始める。第40回直木賞受賞作『総会屋錦城』のような企業小説と、吉川英治文学賞『落日燃ゆ』のような伝記・歴史小説それぞれにおいて、日本のエンタメ小説界にジャンルを確立した。07年没。
     
    「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれて日本型経営が見直され、バブル景気に突入する1980年代半ばになると、サラリーマンに再び活力が漲り始める。その受け皿となったのが、いわゆるトレンディドラマの数々であり、更には源氏鶏太の漫画版ともいえる『課長島耕作』【註5】だった。大企業の正社員で、謙虚で勤勉。上司や女性から人柄を認められ、ひたすら会社のために奉仕して出世する献身的な好漢。こうした島耕作的なキャラクターが、高度経済成長期的な快活なサラリーマン像をセンスアップさせる形で甦らせ、働き盛りとなっていた団塊世代や新人類世代の会社員生活を肯定していく。
     
    【註5】『課長島耕作』…弘兼憲史/講談社「モーニング」83年〜現在にいたるまで続く「島耕作」シリーズの一発目。内容は言わずもがな、初芝電器に務める会社員・島が行動力と前向きさと強運で出世していく物語である。その後「部長」「取締役」「常務」「専務」「社長」「会長」「ヤング」「係長」と続き、終止符を打った……はずが「学生」編を現在連載中。
     
    1991年のバブル崩壊以降、状況は大きく変わる。終身雇用、年功序列といった会社神話が音を立てて崩れはじめたのだ。会社に依存できなくなったサラリーマンたちは、2000年の「明日があるさ」ブーム【註6】を最後に共通の夢を失い、分断されていく。ある者はプロジェクトXのような過去の栄光に救いを求め、またある者はライブドアのような若いベンチャーに希望を見いだしたが、どれも日本経済の低迷を打開はしなかった。コンテンツの世界では医者やホストといった特定職業を描いた職業ドラマや職業漫画が急速に増加し、サラリーマンはコンテンツの主役から姿を消していく。
     
    【註6】「明日があるさ」ブーム…脚本/高須光聖ほか 演出/李闘士男ほか 出演/浜田雅功、藤井隆ほか 放映/01年4〜6月(日テレ) 缶コーヒー・ジョージアのCMから発展したテレビドラマ。総合商社で働くサラリーマンを吉本興業の芸人たちが演じた。初回最高視聴率が30%を記録し、スペシャルドラマ、映画の続編が作られた。
     
     
    ■池井戸潤が描く「志のシェア」
     
    そこに現れたのが池井戸潤の作品群だった。池井戸の企業小説の特徴は、城山三郎的な「組織対個人」、さらには「大企業対中小企業」のリアリティをシビアに描きつつ、同時に源氏鶏太的な勧善懲悪ファンタジーも貫かれるところだろう。新しい働き方の模索で浮き足立つ世相に惑わされず、古い働き方のストレスを抱いたまま、大逆転劇で力強い未来を見せる。そんな戦後サラリーマン小説のハイブリッド的なプロットは、過渡期にある最大公約数の日本人の支持を集める必要条件を確かに満たしている。
    そしてもう一点、池井戸作品を大きく特徴づけるのは、組織や世代の壁を越えた共闘意識、チームワークだ。これは源氏鶏太、城山三郎から弘兼憲史に至るまで、これまであまり描ききれてこなかった部分だろう。
    吉川英治新人文学賞を受賞した『鉄の骨』【註7】では、中堅ゼネコンに務める四年目社員が「談合」という古い業界慣習と格闘するために先輩社員たちから多くを学んで成長し、年老いた大物フィクサーとまで気持ちを通い合わせる。直木賞受賞作品である『下町ロケット』【註8】でも、さまざまな部署の社員や弁護士がひとつの夢に向かってエネルギーの塊になっていく。『半沢直樹』の続編となる『ロスジェネの逆襲』【註9】では、バブル世代を忌み嫌うロスジェネ世代の部下が半沢と共闘し、友人のIT企業を買収から救う。
     
    【註7】『鉄の骨』…池井戸潤/講談社/09年 中堅ゼネコンで入社4年目にして配置換えを受けて、通称〝談合課〟に席を置くことになった主人公。建設業界における談合の持つ意味合いに葛藤する中、新地下鉄敷設計画という巨大案件が動き始める。07年に小池徹平主演でドラマ化された(NHK)。のちに『平清盛』を手がける磯智昭プロデューサーが制作統括を務めた。
    【註8】『下町ロケット』…池井戸潤/小学館/10年 ロケット開発の職を辞して町の製作所を経営する佃のもとに、ライバル企業から訴状が届く。法廷闘争に巻き込まれ会社存亡の危機に立たされる中、同社の特許技術がなくてはロケットが飛ばないことが判明し、大手製造会社・帝国重工が製作所にやってくる。
    【註9】『ロスジェネの逆襲』…『半沢直樹』の原作である「オレたちバブル入行組」シリーズの3作目となる小説。12年にダイヤモンド社より刊行。半沢が出向させられた証券会社を舞台に、ロスジェネ世代の部下たちと共に戦う姿を描く。
     
    池井戸作品は、トラディショナルな昭和サラリーマンを描いているようでいて、保身と社内政治に勤しむ大企業の社畜を決して肯定はしていない。かといって会社組織から完全に自由なノマドやグローバル人材が登場・活躍するわけでもない。単純な世代による善悪の仕分けも行われない。ワークスタイルやキャリアの違いを超えて、志をシェアする者同士が繋がり、本気で仕事に取り組む醍醐味をとことん味わい尽くす。チームの求心力となるのは「どう働くか」という表面的なスタイルではなく、「何をしたいか」「何のために働くか」という本質だ。
    旧来の会社組織に頼れない「個の時代」になりつつあるからこそ、組織や世代の壁を越えた熱く強固なチームの生成が、ビジネスを充実させる鍵を握る。そのことに自覚的なコンテンツとして、池井戸作品が浮上してきたというわけだ。
     
     
    ■〈スタイル〉から〈中身〉へ
     
    池井戸作品的な、働く現場におけるこうしたチームワークの充実感を、いま最も高揚感のある形でパッケージ化しているのが、松田奈緒子の漫画『重版出来』【註10】だろう。
     
    【註10】『重版出来』…松田奈緒子/小学館「スピリッツ」12年〜(既刊2巻) 大学まで柔道一筋で生きてきたが、就職で出版社の青年誌編集部に飛び込んだ女子の奮闘を描く出版業界モノ。13年3月に単行本1巻が刊行されると話題が広がり、書店で品切れが続いてまさに重版された。
     
    主人公は、大学まで柔道一筋で生きてきた黒沢心。子供の頃に感動した柔道漫画の話題で世界中の選手と交流できた体験を振り返り、「世界の共通語となる漫画作りに参加して、地球上のみんなをワクワクさせたい!」という思いを抱いて大手出版社に入社。漫画の編集部に配属され、新人特有の無邪気な行動力と愛され力で、上司の編集者や営業社員、漫画家、書店員、製版会社社員までを巻き込み、ひとつの方向に向かって突き進んでいく。
    出版社を舞台とした女性社員の奮闘記ということで、安野モヨコの『働きマン』【註11】と比較する人も多いだろう。しかし、無垢な新入社員の素朴な一石投入によって周囲の先輩社員や関連会社の人間が触発されチームが活性化する、というプロットは、バラバラの個人の群像劇だった『働きマン』よりも、むしろ百貨店を舞台とした高橋しんの『いいひと。』【註12】に近い。伝統的に日本企業を支えてきた体育会系のバイタリティに再着目し、斜陽といわれる業界にも根源的な働く喜びを見出し、サラリーマンの仕事とはチーム戦であることを炙りだす。その古くて新しい試みは、今のところかなり成功している。
     
    【註11】『働きマン』…安野モヨコ/講談社「モーニング」04年〜(既刊4巻)週刊誌編集部で働く松方弘子(28歳独身)を主人公に、女性がガツガツ働くことの難しさやそれぞれの仕事観が描かれる。作者体調不良による休業から、休載が続いている。
     
    【註12】『いいひと。』…高橋しん/小学館「ビッグコミックスピリッツ」(26巻完結)北海道出身の“ゆーじ”は高校大学と陸上長距離に打ち込み、その後スポーツメーカーに就職する。常に楽観的で人の好い彼と、周囲にいる会社の人々が感化されたりしなかったりしながら共に働く姿を描く。
     
    「働き方」を巡る論争は、有意義な落としどころが見つからないまま当分続くだろう。もともと働き方に万人を納得させる正解などないのだから。そんな<スタイル>を巡って漂流する議論を横目に、これからは労働の<中身>を輝かせるコンテンツがスポットライトを浴びることになるはずだ。
     
    (了)
     
     
    ■真実一郎×宇野常寛『半沢直樹』
     

    初出:『サイゾー』13年11月号(サイゾー)所収:『文化時評アーカイブス2013-2014』(サイゾー)
     
    ▼作品紹介
    『半沢直樹』
    原作/池井戸潤 脚本/八津弘幸 演出/福澤克雄ほか 出演/堺雅人、及川光博、上戸彩、香川照之、片岡愛之助ほか
    13年7月7日〜9月22日(毎週日曜21:00〜21:54/TBS)
    東京中央銀行の銀行員・半沢直樹が、銀行内部の腐敗とそれに伴う癒着と戦い、出世を目指す姿を描く。重厚かつ爽快感のある物語に加えて、映画や演劇、歌舞伎でも活躍する役者陣を揃え、初回から視聴率19%を達成。その後もうなぎ上りを続け、最終回は42.2%を獲得した。
     
    ◎構成・竹下泰幸(甘噛みマガジン)
     
     
    真実 ドラマ『半沢直樹』は、日本のサラリーマンを主題にした作品の集大成だなと思って、僕はとても面白く観ました。『半沢直樹』は小説原作(原題『オレたちバブル入行組』04年、『オレたち花のバブル組』08年)ですが、サラリーマンを描いた小説として、1950年代には源氏鶏太的【註1】な「戦後の社内政治を勧善懲悪でハッピーエンド」という前向きな素朴さが主流だったのに対し、景気が悪くなってきてそれがリアリティを失った70年代頃には、城山三郎【註2】とか山崎豊子【註3】に代表される、いわゆる「企業小説」で組織に振り回される個人の悲惨な戦いを描いたシリアスな作品が増えた。そして『半沢』シリーズは、悪く言うと新しさはないんだけど、城山三郎的な個人VS組織のシビアさの中で、源氏鶏太的に勧善懲悪で「正義は(たまには)勝つ」ところを描くという、日本のサラリーマンコンテンツのいいとこ取りをしている。そういう点で作者の池井戸潤【註4】は、源氏鶏太・城山三郎に続く直木賞サラリーマンもの作家の完成形だと思いました。それをドラマにするに当たって、プロットはほぼ原作そのままに、キャスティングと演出の妙で見せていた。大映テレビ【註5】的な大げさな演技を取り入れて、時代劇的な要素を取り込むことで、世代を超えたヒットにつながった。

     
    【註1】源氏鶏太…戦前から財閥系企業の経理畑に勤め、終戦後本格的に作家デビュー。自身の25年にわたる会社勤めの経験をもとに、サラリーマン小説を多数発表した。51年に『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。85年没。
    【註2】城山三郎…大学にて経済学の教鞭を執る傍ら、作家として活動を始める。第40回直木賞受賞作『総会屋錦城』のような企業小説と、吉川英治文学賞『落日燃ゆ』のような伝記・歴史小説それぞれにおいて、日本のエンタメ小説界にジャンルを確立した。07年没。
    【註3】山崎豊子…去る9月29日、88歳で没したことが報じられた女性作家。毎日新聞記者を経て、吉本興業創業者をモデルにした『花のれん』で第39回直木賞受賞、作家活動に専念。『不毛地帯』『沈まぬ太陽』『大地の子』『運命の人』『白い巨塔』『華麗なる一族』と、大半の作品が映像化され、ヒットしている。
    【註4】池井戸潤…大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に7年間勤務。退職後、コンサル業の傍らビジネス書を執筆。98年に小説家デビューし、11年『下町ロケット』で第145回直木賞受賞。
    【註5】大映テレビ…時代劇映画を得意とした大映の流れをくむ制作会社。70年代に『スクール☆ウォーズ』『不良少女とよばれて』(共にTBS)、『ヤヌスの鏡』(フジ)などでヒットを飛ばし、大げさな芝居や泥沼の展開といった特徴的な路線を確立した。近年は2時間ドラマなどを制作している。

     
    宇野 僕がまず思ったのは、『半沢直樹』の放送枠であるTBS日曜劇場で演出の福澤克雄【註6】さんがやってきたことって、「戦後を時代劇として描く」ということだったんですよね。つまり、松本清張や山崎豊子の有名原作が近過去やリアルタイムの時代の精神を表す共感コンテンツとして描いてきた「戦後」を、徹底して「時代劇」として描いたことだと思うんです。時代劇って本質的にはコスチュームプレイで、だからこそほとんど「キムタク」のコスプレをしているような状態の木村拓哉の主演【註7】こそがハマっていたりした。ただ、それがさすがに一回りしてネタ切れになり、キムタクのコスプレにも飽きが来てしまった。『南極大陸』はその顕著な例でした。
    そうしたとき、次のステージに行くにはどうしたらいいかという答えが『半沢』だったんだと思います。コンセプトは2つあって、ひとつは思い切って「現代劇にしてしまう」ということ。それも、時代は現代日本なんだけど、都市銀行という戦後の古いサラリーマン社会が一番色濃く残っているところを舞台にすれば、"時代劇"をやってきた彼らのノウハウを活かすことができる。これは原作自体がもともとそういうコンセプトで、そこを活かしたつくりにしたんでしょうね。もうひとつは主にキャスティング面にいえることで、いわゆる舞台俳優や映画俳優を中心に組み立てるということ。これは、これまでのノウハウを動員すれば、有名俳優にコスプレさせるのではなくて、舞台俳優のアクの強い魅力を引き出すことができるという自信の現れでしょうね。このキャスティング戦略を背景に、これまでの時代劇的テイストが、真実さんが指摘したように、その延長線上にあるかつての大映や東映のB級ドラマの流れに進化している。この2つによって、行き詰まってきていた日曜劇場をアップデートさせることに成功したなと感じています。

     
    【註6】福澤克雄…TBSのドラマプロデューサー、演出家。『3年B組金八先生』シリーズや、「日曜劇場」での『白い影』『GOOD LUCK!!』『砂の器』『華麗なる一族』『南極大陸』などを手がけ、視聴率を獲る演出家。福沢諭吉の玄孫。
    【註7】木村拓哉の主演…『ビューティフルライフ』『GOOD LUCK!!』『華麗なる一族』『南極大陸』と「日曜劇場」で実に4度の主演。そしてこの秋から『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』がスタート。

     
    真実 同時期にNHKで同じく池井戸潤原作の『七つの会議』【註8】をやっていて、これも実は面白かったんですが話題にはならなかった。それはやっぱりキャスティングと演出の問題で、こちらは抑えめな演技のハードボイルド路線だったから、話題の広がり方がすごく限定的だったんでしょう。『半沢』を観て、キャスティングって大事だなとすごく思いました。

     
    【註8】『七つの会議』…脚本/宮村優子 演出/堀切園健太郎 出演/東山紀之ほか 放映/13年7月(NHK土曜ドラマ/全4回)中堅電機メーカーを舞台に、社員各自の思惑が不祥事を巻き起こしていくさまを描く群像劇。演出の堀切園は『ハゲタカ』『外事警察』などを手がけている。

     
    宇野 『半沢』制作陣は、すごくクレバーだと思うんです。大和田(香川照之)をはじめとした悪役の描写って、絶対に笑わせようと思ってやってるじゃないですか(笑)。ネット的なネタ消費のことを、かなり演出側が意識していて。片岡愛之助や石丸幹二も、水を得た魚のように楽しそうに演じてましたよね。
    真実 第一部から第二部で、演出が明らかにエスカレートしていきましたね(笑)。でも個人的には、小木曽(緋田康人)や藤沢未樹(壇蜜)をはじめ魅力的なキャラクターが登場した第一部のほうが面白かった。それと、最初は「倍返し」がキャッチコピーじゃなかったんですよね。開始当初のコピーは「クソ上司め、覚えていやがれ!」で、あの決め台詞をそこまでフィーチャーしていたわけじゃなかった。