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  • 2作目のハリウッド版ゴジラは「日本的怪獣映画」をどう再解釈したのか? ――切通理作と宇野常寛が語る映画『GODZILLA/ゴジラ』 (PLANETSアーカイブス)

    2019-06-21 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、映画『GODZILLA/ゴジラ』をめぐる切通理作さんとの対談をお届けします。これまで「特撮」についての数多の評論を世に問うてきた2人の批評家は、ハリウッドによるこの2度目のリメイク作をどう観たのでしょうか――?(構成:佐藤大志) ※初出:『サイゾー』2014年10月号 ※この記事は2015年10月24日に配信された記事の再配信です。
    切通 今回の『GODZILLA』、面白かったです。本作では、人間の目線の切り取り方がメインになっていて、ずっとゴジラが小出しにされているんですよね。従来の怪獣映画だと、出現の予兆は尻尾だけ映したりして小出しにするけれど、一度登場してしまうとあとはひたすら前面に映され続けていました。それが今回は、ゴジラは登場した後も霧の向こうやビルの陰にいて、少しずつしか見せない。一番すごいと思ったのは、ハワイでゴジラとムートー【1】が戦い始めたら場面が変わって、アメリカ本土の主人公の家庭で奥さんが子どもに「テレビを消しなさい」なんて言ってるのが映されるところ。今はCGでどんな場面も作れてしまいますよね。だからはっきり言って、ゴジラとムートーの戦いをずっとやっていても飽きてしまう。それが本作では、2者が戦い始めて「おっ」と思っている間に画面が変わって、それからまた、建物や空の隙間から戦いが垣間見える、という繰り返しにすることで解消されている。そうしたON/OFFの効いた見せ方は新鮮な感じがしました。これはギャレス・エドワーズ監督の前作『モンスターズ/地球外生命体』【2】でも用いられていた手法だったので、その監督を抜擢してゴジラでこの撮り方をするというのは正解だったと思います。
    それから、ラストシーンもよかったですね。海にゴジラが去っていって、その背中を見送った途端にあっさり映画が終わる。僕は平成ゴジラ【3】の、海の底で死んだと思われたゴジラが最後の最後で「ヤツはまだ生きていた!」と終わるエンディングには「またか」と思っていたので「これだよ!」と。
     

    【1】ムートー
    本作の敵怪獣。見た目は昆虫に似ている。フィリピンの炭鉱で発見された化石に繭の状態で寄生しており、一匹は日本へ、一匹は卵の状態でアメリカ本土に保管される。日本にやってきた雄は雀路羅市の原発を破壊し、そこで研究機関・モナークの管理のもと隔離されていた。目覚めた二匹は、生殖のためにアメリカ西海岸を目指す。
    【2】『モンスターズ/地球外生命体』
    監督・脚本/ギャレス・エドワーズ 公開/11年
    地球外生命体のサンプルを積んだ探査機がメキシコ上空で大破してから数年後、近辺に謎の生物が多数発生。危険地帯となったメキシコに、カメラマンがスクープを狙って乗り込む。
    【3】平成ゴジラ
    後述の84年版『ゴジラ』から『ゴジラVSデストロイア』までの7作を指す。

     
    宇野 僕は実際に観るまで、正直に言うとあまり期待していなかったんですね。だけど観てみたら意外とよかった。脚本はもう少し整理できたと思うし、手放しでは絶賛できないですが、全体としてはそれなりに満足している。
    今回の『GODZILLA』は、初代『ゴジラ』【4】でも84年版『ゴジラ』【5】でもなく、「VSシリーズ」【6】のリメイクになっていて、それが正解だった気がします。
    怪獣映画のルーツにはハリウッドで生まれたキング・コングがあるけれど、日本の怪獣はそこから隔世遺伝的に派生して、ほぼ別物になってしまっている。だからアメリカで再びゴジラを撮ろうとしたら、「怪獣とはなんなのか」を問い直す映画にならざるを得ない。
    日本において怪獣は、当初は戦争の比喩として誕生した。ゴジラは原爆や水爆といった国民国家の軍事力の比喩だったし、それが街を襲うのは空襲の比喩だった。戦後日本では直接的に戦争映画を描けなかったので、怪獣というファンタジーの存在を投入することでイマジネーションを進化させていったのが特撮映画だったわけです。それが70年代には戦争の記憶が薄れ社会が複雑化して、その比喩が説得力を持たなくなり、怪獣なのに正義の味方になってしまったり公害の比喩になったりと迷走してしまった。その後、90年代に、当時のリアリティを取り入れる形でゴジラを作り直そうとしてVSシリーズが作られ、そのコンセプトをより徹底させたものとして「平成ガメラ」【7】が生まれた。善でも悪でもなく、敵となる怪獣がやってきたら地球の生態系を守るために戦う「地球の白血球」的存在としてガメラを描こうとしたのだけど、さまざまな理由からスタッフはコンセプトを徹底できなかった。象徴的なのは『ガメラ2 レギオン襲来』のラストですね。瀕死のガメラが子どもたちの祈りによって復活し、結局ヒーローになってしまう。当時のスタッフは、そうしないと怪獣映画をまとめられなかったんだと思うんですね。物語的なカタルシスを、そうしないと作れなかった。だから90年代は日本の怪獣映画にとって、怪獣をシステムとして描こうとして失敗していった時期だった。
    そして本作では、ラストシーンで、去ってゆくゴジラを見て「神だ」と言うわけです。今作のゴジラは自然界のバランスを壊すムートーと戦うために現れて、自然の摂理そのもの=神として描かれている。これは日本人にはできない言い切りで、アメリカ人が怪獣というものを真正面から受け止めると、「神」という結論にならざるを得ないんだな、と思いました。だからこそ、ラストでただ去っていくゴジラを見て、VSシリーズを下敷きにした意味がよくわかった。一周回ってベタな設定になっているとは思うけれど、非常に説得力があった。システムとしての怪獣ではなく、「神」としての怪獣王としてゴジラを捉えることで、平成ガメラシリーズの罠を回避しているわけです。まあ、映画全体のつくりは、特に脚本がざっくりしすぎていて、全体的な完成度を考えると、VSシリーズはともかく、平成ガメラを超えたとはちょっと言い難いような気もしますが……。
     

    【4】『ゴジラ』
    1954年に公開された第一作目。日本の怪獣映画の始祖。海底に潜む太古の怪獣が水爆実験によって目を覚まし、東京を襲撃するという設定。今回の『GODZILLA』で渡辺謙が演じた芹沢猪四郎博士の名は、この作品のキーマン・芹沢大助博士の苗字と、監督・本多猪四郎の名前から付けられている。
    【5】84年版『ゴジラ』
    84年公開、ゴジラシリーズ16作目。54年版から時間軸が繋がっており、ゴジラは人類の敵として描かれる。
    【6】「VSシリーズ」
    89年『ゴジラVSビオランテ』を皮切りに、キングギドラ(91年)、モスラ(92年)、メカゴジラ(93年)、スペースゴジラ(94年)、デストロイアとゴジラが戦う一連シリーズ。
    【7】「平成ガメラ」
    『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)、『ガメラ2 レギオン襲来』(96年)、『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99年)の3部作。すべて金子修介監督、樋口真嗣特技監督、伊藤和典脚本。

     
    切通 僕は今作は、今までのすべてのゴジラシリーズを肯定していると思いましたね。初代から『ゴジラ対メガロ』、あるいは84年版『ゴジラ』まで、どれに繋がってもおかしくない。誕生の理由は大きく異なるけれど【8】、それ以外、実はゴジラという存在そのものはベールに包まれていていじってないんです。ムートーは放射能を食べているし、雌雄があって生殖もするけれど、ゴジラは何を食べているか、オスかメスかもわからない。人間に攻撃されるとムートーは反撃するけど、ゴジラは意に介さない。「スターさん」なんだな、と。
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