• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 11件
  • テレビドラマクロニクル(1995→2010)堤幸彦(9) 『SPEC』(後編)  超能力から〈病い〉へ

    2019-02-14 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。9回に及んだ堤幸彦論は今回がラストです。「超能力(スペック)を使う犯罪者」という設定を取り入れながら、当初は『ケイゾク』の作風を反復していた『SPEC』ですが、主人公がスペックに覚醒したことで、物語は新しい展開を迎えます。
    『SPEC』は2010年にTVシリーズ(起)が放送され、2012年にSPドラマ『SPEC~翔~』と映画『劇場版SPEC~天~』、2013年に当麻と瀬文が出会う前の前日譚を描いたSPドラマ『SPEC~零~』、そして完結編となる映画『劇場版 SPEC~結~』の前編『漸ノ篇』と後編『爻ノ篇』が放送された。  「ミステリーから超能力へ」というジャンルの変化を通して90年代から00年代への変化を描いた『SPEC』だったが、では、ストーリーと演出はどのようなものだったのか?
    ▲『SPEC~翔~』『劇場版SPEC~天~』(2012)
    ▲『SPEC~零~』(2013)
    ▲『劇場版 SPEC~結~漸ノ篇/爻ノ篇』(2013)
    組織と個人
    TVシリーズが始まった当初、『SPEC』が描こうとしたのは「人間VS超能力者」の戦いだった。 1~4話では、スペックホルダーと当麻たちミショウの刑事たちとの戦いが描かれる。スペックを表現するためにドラマでは異例の量のCGが用いられたが、漫画やアニメでは定番化している超能力をいかに可視化するか。というのが演出面での一番の課題だったと言えるだろう。これに関しては「時間が止まった世界」の描写も含めて、本作ならではの映像が展開できていた。その意味でも、最初の課題はクリアできていた。 5話以降になると、スペックホルダーの存在を追って研究・捕獲・監視していた警察内組織・公安零課(アグレッサー)が物語に絡んでくる。物語はより複雑化し、誰が敵で誰が味方なのかわからない混乱状態になっていく。 この展開は、『ケイゾク』後半の反復だが、スペックホルダーをヒューマンリソース(人的資源)として利用しようとする謎の秘密組織・御前会議が登場する陰謀論的展開は類型的で、やはり印象に残るのは、国家や御前会議の思惑を超えて暴走するスペックホルダーたち、中でも自由気ままに振る舞う時間を止めるスペックホルダー・ニノマエの圧倒的な存在感だ。 物語も、暴走するニノマエをいかに止めるのか? というクライマックスへと向かう展開が一番見応えがある。 ニノマエの「時を止める」能力が、超高速で動く能力で、それと引き換えにニノマエの体感速度が常人の数万倍だと気づいた当麻が、毒を混ぜた雪を浴びせることでニノマエを倒すという展開も、「人間VS超能力者」という構図にこだわった本作ならではの展開だったと言えるだろう。
    心配だったのは、この対立軸を作り手が放棄して、当麻や瀬文がスペックホルダーに目覚めて超能力者同士のバトルになってしまうのではないか? ということ。 特に「時間を止める」という圧倒的な力を持ったニノマエを冒頭で出してしまったため、彼に対抗するには『ジョジョの奇妙な冒険』第三部における空条承太郎とディオ・ブランドーの対決のように、主人公サイドも敵と同じ(時間を止める)能力に目覚めさせるしかないのではないか? と心配だった。『ジョジョ』の映像化なら、それでも構わないのだが、本作の斬新さは、人間が超能力者に立ち向かうという構図にあり、これを放棄してしまえば、作品自体のアイデンティティが瓦解すると思っていた。 その意味で、対ニノマエ戦までは見事だったと言えよう。 しかし、最終話で、当麻の恋人・地居聖(城田優)が、実は人の記憶を操作するスペックホルダーで当麻の記憶も地居に操作されたものだったことが唐突に明かされると、雲行きは一気に怪しくなる。
    心から身体へ
    心の闇を描こうとしたサイコサスペンステイストの『ケイゾク』に対し、『SPEC』では身体性が強調されている。これは堤がチーフ演出を務めた『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)を経由して『ハンドク!!!』(同)や『TRICK』などにも現れていた00年代的な傾向だろう。 中でも『SPEC』は、当麻が餃子を食べるシーンを筆頭に、食事のシーンが多い。同時に出てきた時から包帯を巻いている当麻を筆頭に、身体の損傷や痛みを通して身体性が強調されている。「死」の描き方も重みが増しており、瀬文の部下だった志村が事故で意識不明の重体となって入院する姿が執拗に描かれていた。 そこには「心から身体へ」とでもいうような流れが伺える。これは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の「破」にも見られた傾向で、漫画ではよしながふみの『西洋骨董洋菓子店』(新書館)、テレビドラマでは木皿泉の『すいか』(日本テレビ系)などに現れていた、食事を通して身体性とコミュニティを取り戻そうという、00年代のフィクションに現れていた一つの流れだったと言える。
    当麻たちは地居によって記憶を操作されてしまうのだが、サイコメトリー(触った人間の記憶を読み取る能力)のスペックを持った志村美鈴(福田沙紀)の協力によって真実を思い出す。記憶を取り戻した瀬文は「人間の記憶ってのはなぁ、頭の中だけにあるわけじゃねぇ、ニンニク臭え人間のことはなぁ、鼻が、この傷の痛みが、身体全部が覚えてんだよ!」と、地居に宣言する。
    おそらく、「記憶を書き換える」スペックを持ち真実は存在しないとうそぶく地居は、『ケイゾク』の朝倉のような90年代的な悪意を象徴する存在なのだろう。地居が当麻と瀬文に倒される姿を通して90年代から00年代、『ケイゾク』から『SPEC』へという時代の変化を描いたのであれば、最終話が、地居との対決で終わるのは、必然だったのかもしれない。 ここまでは納得できる。しかし最後の最後で本作は「人間VS超能力者」という対立構造を放棄してしまう。 地居に追い詰められた当麻は怪我で動かない左手で拳銃を構えて「左手動けぇ!」と叫び、発砲する。すると、時間が止まり、地居が撃った弾丸は地居に命中する。死んだはずのニノマエが生きていたのか? それとも当麻がスペックを発動したのか? 謎は宙吊りにされたままTVシリーズは終了する。
    盗用と借用 呪われた力
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 堤幸彦(8) 『SPEC』(前編)ミステリーから超能力へ

    2019-01-16 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『ケイゾク』の続編として企画された『SPEC』は、ミステリドラマにも関わらず、本物の超能力者が登場します。それは「謎」が存在する世界の終わり、インターネットカルチャーとニューエイジ思想が融合した、10年代の「圧倒的な現実」の投影でもありました。
    2010年10月8日『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別係対策事件簿~』(以下『SPEC』)の甲の回(第一話)が金曜ドラマ(TBS系夜10時枠)で放送された。
    ▲『SPEC』
    プロデューサーは植田博樹、脚本は西荻弓絵。堤幸彦の出世作となった『ケイゾク』チームが再結集した本作は『ケイゾク』と同じ世界観の続編的な作品という触れ込みで、幕を開けた。
    舞台は「ミショウ」と呼ばれる警視庁公安部に設立された未詳事件特別対策係。 捜査一課が取り扱うことのできない超常現象が絡んだ科学では解明できない犯罪を捜査する部署だったが、警視庁の中では、変人が集まる吹き溜まりと見られていた。
    所属しているのは『ケイゾク』にも登場した係長の野々村光太郎(竜雷太)とIQ210の女刑事・当麻紗綾(戸田恵梨香)の二人のみ。 そこに元特殊部隊(SIT)所属の瀬文焚流(加瀬亮)が異動してくるところから、物語ははじまる。瀬文は任務の最中に部下の志村優作(伊藤毅)を誤射した疑いで聴聞会にかけられる。突然、隣りにいたはずの志村が目の前に飛び出してきて発砲、そして何故かその銃弾は志村に命中したと瀬文は主張。確かに着弾した銃弾は志村のものだったが、上層部は瀬文が銃をすり替えたのだと取り合おうとしない。真相がわからぬまま事件は迷宮入り。瀬文はSITを除隊となり、左遷に近い形で「ミショウ」に配属となった。 やがて、ミショウに、政治家の五木谷春樹(金子賢)と秘書の脇智宏(上川隆也)が訪ねてくる。懇意にしている占い師・冷泉俊明(田中哲司)が、明日のパーティーで五木谷が殺されると予言したため、調査を依頼しにきたのだ。冷泉は2億円払えば「未来を変える方法」を教えると言う。当麻と瀬文は冷泉の元へと向かい、恐喝の容疑で逮捕する。しかし、冷泉の予言したとおり、五木谷はパーティーで心臓麻痺で命を落とす。 ここまでは『ケイゾク』や『TRICK』(テレビ朝日系)などで繰り返されてきたミステリードラマの展開である。 定石どおりなら、ここから冷泉の予言と殺害のインチキ(トリック)を暴くという展開になるところだろう。しかし、物語は予想外の方向へ傾いていく。 やがて、五木谷を殺したのは第一秘書の脇智宏(上川隆也)だったとわかる。元医師の脇は、無痛針で五木谷にカリウムを注射して殺害したのだ。そして証拠の注射針を天井に突き刺して隠したのだった。 しかし、当麻の推理を聞いた脇は凄まじい豪腕でテニスボールを投げて天井に刺さった注射針を破壊。先に証拠の存在に気づいた当麻たちは注射針を確保していたものの、真相を知られた脇は凄まじい腕力でテニスボールを当麻と瀬文に投げつけ、二人を殺そうとする。猛スピードで動き、瀬文の銃を奪い取った脇は瀬文めがけて発砲。 そこで突然、時間の流れが停止して謎の少年・一+一(ニノマエジュウイチ・神木隆之介)が現れる。 ニノマエは銃弾の軌道を反転させて脇を殺害。そして姿を消す。残された瀬文は、志村の時と同じ現象が起きたことに戸惑うが、何が起きたのかは理解できない……。
    いい意味で「裏切られた」と感じた第一話である。
    オカルトの皮を被ったミステリードラマかと思いきや、超能力者が本当に登場したのだ。何より驚いたのがニノマエの登場シーンである。いきなり「時間を止める」という圧倒的な力を持ったラスボス的存在が姿を現したのだ。
    アナログ放送が終わり、地デジ化へと向かう2010年
    この第一話が放送された10月8日のことは、よく覚えている。 筆者はこの日、地デジ(地上デジタル)対応の薄型テレビを購入し、はじめて画面に映ったテレビ映像が、この『SPEC』だったからだ。
    『SPEC』が放送された2010年。テレビは過渡期を迎えていた。 翌2011年にアナログ放送が終了して地上波デジタルに完全移行することが決まっていた。その結果、今のアナログテレビでは番組が映らなくなるため、地デジ対応テレビの買い替え特需が起きていたが、一方で、地デジ化によってテレビの視聴者が大きく減るのではないかと、不安視されていた。 同じ頃、WEBではYouTubeやニコニコ動画といった動画サイトが勢いを増していた。テキストが中心だった時代はテレビ局にとっては対岸の家事だったインターネットの隆盛は、動画サイトが登場し、映像の複製と拡散が簡単になると、他人事ではなくなっていた。やがて、映像文化は、テレビからWEBに取って代わるのかもしれない。まるで、超能力者に人類が支配されるかのように。そんな地殻変動の気配が2010年にはあった。
    翌2011年に3月11日に東日本大震災が起きたこともあり、今となっては忘れられているが、当時の地デジ化報道の背後には、時代の変化に対する期待と不安が渦巻いていた。
    そんな時代状況を反映してか、この年のテレビドラマは、2010年代のはじまりを象徴する作品が多数登場している。
    NHKでは後の連続テレビ小説(朝ドラ)ブームの先駆けとなる『ゲゲゲの女房』と大河ドラマの映像をアップデートした大友啓史がチーフ演出を務めた『龍馬伝』が放送。  テレビ東京系ではAKB48総出演の『マジすか学園』と、大根仁の出世作となった『モテキ』が放送され、深夜ドラマブーム、アイドルドラマブームの先駆けとなった。 そして、日本テレビ系では2010年代を牽引する脚本家・坂元裕二の『Mother』が登場。今振り返ると、これらの作品は、テレビドラマの方向性を決定付ける新しい流れの始まりだった。 同時に宮藤官九郎脚本の『うぬぼれ刑事』(TBS系)と木皿泉脚本の『Q10』(日本テレビ系)という00年代を象徴する脚本家の集大成となるドラマも登場しており、2000年代の終わりと2010年代のはじまりを象徴する作品で賑わっていた。
    そんな中『SPEC』は、『ケイゾク』の続編ということもあり、00年代の終わりを象徴する過去の作品という印象だった。 すでに『ケイゾク』は伝説のカルトドラマとして神格化されていた。定期的に続編が作られて大衆化した『TRICK』と違い、熱狂的なファンが多い作品だっただけに、続編を作るということの意味はとても重かったと言えるだろう。
    『ヱヴァ』と『SPEC』
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)堤幸彦(7)『TRICK』小ネタ消費とカルト批判

    2018-12-13 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『池袋ウエストゲートパーク』『ケイゾク』を経て、映像作家としての全盛期を迎えた堤幸彦。その次に手がけたのが、カルト批判をテーマにしたミステリードラマ『TRICK』ですが、その結末には、フィクションの衰弱と自己啓発の時代の到来が刻印されていました。
     2000年春クール(4~6月)に『池袋ウエストゲートパーク』(以下『池袋』、TBS系)の放送を終えた堤幸彦は、休むことなく夏(7~10月)クールに連続ドラマ『TRICK』(テレビ朝日系)を金曜ナイトドラマ枠(23時9分~0時4分)で手がけることになる。
    ▲『TRICK』
     堤は作品数の多い映像作家だが、2000年は『ケイゾク/映画Beautiful Dreamer』『池袋』『TRICK』と立て続けに発表していたことになる。どの作品も堤にとっては代表作といえるもので、この年に堤のスタイルが完成したと言えるだろう。
    『TRICK』は、売れないマジシャンの山田奈緒子(仲間由紀恵)と物理学者の上田次郎(阿部寛)が、超能力者や霊能力者が起こす超常現象のインチキ(トリック)を暴いていくというミステリードラマだ。 『金田一少年の事件簿』(以下『金田一』日本テレビ系)、『ケイゾク』(TBS系)と続いてきた堤幸彦のミステリードラマ路線の延長にあるものだが、同時に今まで積み上げてきたことの集大成だといえる。
     ドラマシリーズが三作、スペシャルドラマが三作、映画版が四作、スピンオフドラマ『警部補 矢部謙三』が二作も作られた『TRICK』は、断続的に2014年まで制作されたロングヒットシリーズである。 本作の成功によって映像作家としての堤幸彦のキャリアは決定的なものとなったと言っても過言ではないだろう。それは他の関係者にとっても同様だ。
    『金田一』や『ケイゾク』では、裏方として関わってきた蒔田光治は、本作ではメインの脚本家としてクレジットされている。本作以降、蒔田は脚本家兼プロデューサーという立ち位置を確立し、『富豪刑事』や『パズル』(ともにテレビ朝日系)といった作品を手がけるようになっていく。つまり『TRICK』の成功によって、堤が作り上げてきたミステリードラマのスタイルは拡散していき、一つのジャンルとしてテレビドラマに完全に定着するようになるのだ。  今では多くのドラマや映画を手がけているオフィスクレッシェンドの木村ひさしと大根仁も演出家としてクレジットされている。『TRICK』が、堤だけでなく、オフィスクレッシェンドという制作会社にとっても大きな転機となったことがよくわかる。
     オフィスクレッシェンドの代表・長坂信人が執筆した『素人力 エンタメビジネスのトリック?!』(光文社新書)は、自社を立ち上げたきっかけや、手がけた映像作品にまつわる秘話がまとめられたものだ。本書の冒頭で長坂は、『TRICK』の制作費が持ち出しとなってしまい、3000万円の大赤字を出したことを告白している。  オムニバス形式(1エピソード1~3話)でその都度、オールロケで撮影を行なっていたため、予算が大幅にオーバーしたのだ。 会社は大打撃を受けて危機的状況に追い込まれた。  責任を感じた堤は監督としての印税をオフィスクレッシェンドに全額譲渡。その後、DVD-BOXが売れ、オリジナル企画として『TRICK』に可能性を感じた長坂はシーズン2を制作することを決断、実家の駐車場を抵当に入れて制作費を捻出したという。  本書に収録された長坂との対談で堤は、「失敗していたら今ごろうらぶれて、地元テレビ局の下請けをやってると思います」と語っているが、様々な困難を乗り越えて『TRICK』を作り続けたからこそ、今の堤とオフィスクレッシェンドはあるのだと言えるだろう。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 堤幸彦(6)『池袋ウエストゲートパーク』後編ーー堤、クドカン、窪塚洋介。それぞれのIWGP

    2018-11-01 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『池袋ウエストゲートパーク』論の後編です。ドラマ版と原作小説を比較しながら、作品に関わった3人のクリエイター、石田衣良と堤幸彦と宮藤官九郎の影響を検討。さらに本作以降、窪塚洋介が背負うことになった時代性について考察します。
    石田衣良からみた『IWGP』
     次に原作小説とドラマのストーリーの違いについて考察したい。   石田衣良はシナリオ版『池袋ウエストゲートパーク』(角川書店)の解説で、小説とドラマの違いについてこう書いている。
     メディアが違うから、原作(寒色系シリアス)とドラマ(暖色系コメディ)のトーンは違うけれど、両者は最も大切な部分で共通していたとぼくは思う。  それは圧倒的なスピード感とキャラクターの立体感だ(もうひとついうなら池袋という現実の街のライブ感)。ぼくも作家なので、文体にはかなり気をつかう。IWGPでなにを一番大切にしているかというと、人物の描写と文章のスピード感なのだ。  それを宮藤さんは即興性豊かな組み立てと特異なコメディセンス(その場の思いつきともいう、だがなんと切れ味のいい思いつきか)でしっかりと再現してしまった。(「風を切ってフルスイング 石田衣良」:『宮藤官九郎脚本 池袋ウエストゲートパーク』著:宮藤官九郎・角川書店より)
     石田はドラマ化に際して「小説とテレビではメディアが違います。原作に気兼ねなどしなくていいから、とにかく思い切りフルスイングしてください。そしたら空振りだって納得できますから」(同書)と磯山に伝えたそうだが、ドラマ版『池袋』と小説を比べると、物語の流れは大筋では同じだが、細部が微妙な変更が施されており、その改変の仕方が見事だというのが当時の印象だった。
     のちに数々のオリジナルドラマを手がけることになる宮藤だが、本作は原作モノだったこともあり、作家性に関してはまだ未知数だったが、まずは優秀なアレンジャーとして、その才能は大きく印象づけたと言えよう。
    「ダサさ」をまとうことで見えてくるもの
     原作の改変ポイントは多数あるが、中でも大きく変わったのは主人公のマコトの造形だろう。小説はマコトの一人称で進むハードボイルド小説の構造となっている。台詞もカッコよくてクールだ。  それをドラマ版では工業高校上がりの馬鹿なヤンキーで素人童貞という側面を強く打ち出している。
     原作小説の第一巻が発売されたのは1998年、ドラマ化されたのは2年後だが、最先端の都市の風俗(ストリートカルチャー)というものは、活字になった時点でどんどん古びてしまう。 小説の『池袋』もその側面は強く、情報の鮮度という意味ではドラマ版は圧倒的に不利である。また、小説では成立したカッコいい語りも生身の人間が喋ったら台無しになることも多い。仮に小説をそのまま映像化していたら目も当てられない作品となっていただろう。  だが、宮藤の脚本はカッコよく書かれていた石田衣良の世界を少し斜めから見て、あえてかっこ悪く――宮藤がドラマ内で用いる言葉で言うなら「ダサく」――することで、物語を読み替えて言った。
     それはそのまま、トレンディドラマで描かれていたような匿名性の高いおしゃれな街としての東京ではなく、地元(ジモト)としての池袋という、具体的な土地の持つ固有性を打ち出していくという作業だった。  宮藤の脚本は脚本の構成はごちゃごちゃしているが、一つ一つが具体的だ。会話の中には固有名詞がたくさん登場し、その延長で、実在するテレビ番組や芸能人が登場する。  権利関係の処理の問題もあってか、実在する商品名や固有名詞を出すことをためらうドラマは今も少なくないが、固有名詞が具体的であればあるほど、そこに描かれている人間たちの実在感は増していく。すべてのものに固有の名前があり、ワイドショーや雑誌で語られる記号としての東京や女子高生やカラーギャングではなく、くだもの屋のマコトや風呂屋のタカシといった、固有名を取り戻すことで、流行り廃りの激しい風俗の根底にある地に足の付いた感覚を取り戻したことこそが、テレビドラマにおける宮藤の最大の功績だろう。
     それは人間関係の描き方にも現れている。特に画期的だったのはマコトの母親・リツコ(森下愛子)の描き方だ。  原作小説では、ほとんど描写されてないリツコのディテールはコミカルではあるが、シングルマザーながらにマコトを育ててきた母親としての優しさやたくましさが描かれていた。
     のちに織田裕二主演の連続ドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)の脚本を宮藤に依頼するプロデューサーの高井一郎は『池袋』の脚本について「よく見ると普遍的な親子愛や友情が隠れて描かれていますよね」(「特集・宮藤官九郎」『クイックジャパンvol.35(太田出版)』より)と語っている。  小ネタで彩られたサブカルドラマとして語られがちな宮藤の作風の奥底にある本質を高井は早くから見抜いていた。  それは一言で言えば家族も含めた共同体(仲間)に対する信頼である。  80年代のトレンディドラマ以降、テレビドラマで家族が描かれる機会は年々減っていた。橋田壽賀子・脚本の『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)を例外とすれば、家庭内暴力や不倫といったネガティブな形でしか家族は描かれなくなっていた。  『未成年』(TBS系)等の野島伸司のドラマは、その反動もあってか、家族再生を試みるのだが、そこで描かれたのは血の繋がらない中間共同体的なもの、『池袋』で言うとGボーイズ的な共同体だった。そういった共同体は反社会的な性質を帯びて、やがては暴走して崩壊する。それは学生運動末期の連合赤軍事件やオウム真理教の地下鉄サリン事件などに連なる、日本の疑似家族共同体の失敗の歴史の反復とも言えよう。  対して宮藤が面白いのは、一方で疑似家族的な仲間のつながりを描きながら、対立軸として血縁関係にある親子を描かないところだ。むしろ、親子も友達のように付き合ってしまうことで、今まで重々しいものだった家族という概念自体を軽いものとして扱っていたのである。
    原作小説とドラマ版の大きな違い
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第7回 堤幸彦(5)『池袋ウエストゲートパーク』前編ーーリアルな場所でめちゃくちゃ虚構

    2018-10-02 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、2000年に放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を取り上げます。宮藤官九郎が脚本を手掛け、長瀬智也や窪塚洋介といったキラ星のごとき若手俳優たちが出演していた本作は、以降のテレビドラマの方法論を劇的に変えることになります。
    『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』が公開された直後の2000年4月。堤幸彦は石田衣良の小説をドラマ化した『池袋ウエストゲートパーク』(以下、『池袋』)をTBSで手がけることになる。
    ▲『池袋ウエストゲートパーク』(2000)
     物語の舞台は池袋。くだもの屋の実家で母親と暮らす真島マコト(長瀬智也)は、仲間たちとつるんで楽しい日々を送っていたが、ある日、友達のリカ(酒井若菜)が何者かに殺される。リカが援助交際をしていて、あやしい男に付きまとわれていたことを、ヒカル(加藤あい)から聞かされたマコトは、カラーギャングのGボーイズたちの協力の元、独自の調査をはじめる。やがて世間を騒がしている性犯罪者・絞殺魔(ストラングラー)に犯人の目星をつけたマコトたちはストラングラーを捕獲。リカを殺した犯人とは別人だったが、この事件をきっかけにマコトの名前は池袋中にとどろき、警察には相談できないイリーガルな事件の解決を依頼されるようになる。
     リカを殺した犯人はいまだ不明だったが、トラブルシューター(便利屋)として池袋で起こる事件を次々と解決していくマコト。一方、池袋では勢力を拡大するGボーイズに対抗するカラーギャングのB(ブラック)エンジェルズが勃興、やがて、池袋を巻き込んだ抗争へと発展する。
    『池袋』は今となっては伝説的な作品だ。
     まずは豪華な出演俳優。主演の長瀬智也を筆頭に佐藤隆太、山下智久、窪塚洋介、坂口憲二、妻夫木聡、高橋一生といった、のちに頭角を表す若手俳優が勢揃いしている姿は壮観だ。同時に脚本を担当したのが大人計画の宮藤官九郎だったこともあって、阿部サダヲ、荒川良々、池津祥子といった大人計画所属の俳優も脇で活躍しており、大人計画以外にも古田新太、河原雅彦、きたろう、峯村リエといった小劇場系の俳優が出演している。三谷幸喜という先行例はあったものの、小劇場系の才能がテレビドラマに一気に流入してくるきっかけとなったという意味でも画期的な作品である。
     この見事な配役を行ったのが、プロデューサーの磯山晶。『ケイゾク』の植田博樹と同じ1967年生まれ。1990年にTBSに入社した二人は同期である。
    『池袋』は、今はなくなった金曜夜9時枠で放送されていたドラマで、夜10時からの金曜ドラマでは植田がプロデュースする『QUIZ』が放送されていた。 『QUIZ』は『ケイゾク』にあったアメリカン・サイコサスペンスの要素をより強めた劇場型犯罪を題材にしたもので、閑静な住宅街で起きた誘拐事件を精神を病んだ女刑事・桐子カヲル(財前直見)が追いかけていくというドラマだ。チーフディレクターは『ケイゾク』に参加した今井夏木が担当した。
     一方、『池袋』には『ケイゾク』に参加していた金子文紀がセカンドディレクターとして参加している。磯山と金子、そして本作でプライムタイムの連続ドラマの初執筆となった宮藤が『池袋』でチームを組むことになる。後にクドカンドラマと呼ばれる一連の流れはここから始まったのだ。

    ――当時を振り返ると、「ケイゾク」の植田さんと、「池袋ウエストゲートパーク」(2000年TBS)の磯山晶プロデューサーという、TBSの2人のプロデューサーがドラマ界に新しい風を吹き込んだような印象があります。
    「磯山の『池袋』もそうですけど、それまでのTBSのドラマ作りのフォーマットを大きく変えたとは思いますね。スタジオ2日、ロケとリハで3日みたいな、それまで何十年も続けてきたクラシックな撮り方ではなく、オールロケで、編集室を3ヶ月押さえっぱなしにして編集し続けるとか、音楽も、劇伴をそのまま使うのではなく、コンピューターに取り込んで音の要素だけを使うとか。『JIN-仁-』(2009年TBS系)も、音楽は『ケイゾク』のチームが担当しましたし、その後のTBSのドラマは、当時のチームの分派が作ってるものが多い。『ケイゾク』や『池袋』で始めたドラマ作りのノウハウは、今のTBSドラマに着実に受け継がれていると思いますね」【テレビの開拓者たち/植田博樹】「地上波のドラマもできるし、ネットで見ても面白い、というドラマを作るのが理想」(2/3)

    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第6回 堤幸彦(4)『ケイゾク』ーー柴田純の限界と朝倉の悪意

    2018-09-04 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。押井守作品の強い影響下にありながら、刑事ドラマとしては真逆の方向を向いていた『踊る大捜査線』と『ケイゾク』。そして、堤幸彦が『ケイゾク』で鋭く追求したオタク/匿名性の問題は、後のフェイクニュースの時代を予見することになります。
    『踊る大捜査線』と『ケイゾク』ーーアニメの影響下に生まれた真逆のドラマ
    「否定すること自体がテーマだった」という『ケイゾク』だが、その否定していった作品の一つに、1997年に登場した刑事ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系、以下『踊る』)も含まれていたのが、今振り返ると興味深い。 『踊る』と『ケイゾク』。この二作は90年代に盛り上がりを見せていた『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメの影響が、テレビドラマに移植されていった代表作だと言える。 しかしその影響の現れ方は、今振り返ると正反対だったと言えるだろう。
    まず、『踊る』について簡単に説明したい。 本作は1997年にフジテレビ系で放送された刑事ドラマだ。
    ▲『踊る大捜査線』
    主人公は脱サラして刑事になった青島俊作(織田裕二)。コンピューター会社の営業として働いていた青島はサラリーマン的なしがらみに幻滅して刑事となるが、刑事ドラマのような世界は現実には存在せず、警察の世界もサラリーマンと同じく、組織のしがらみに縛られた場所だったという現実に直面する姿を描いたドラマだ。
    本作には過去の刑事ドラマや『新世紀エヴァンゲリオン』等のロボットアニメからの影響が強い。監督の本広克行(1965年生まれ)はアニメ監督の押井守の影響を受けており、その影響を隠そうとしないオタク世代の監督だった。
    『踊る』は、舞台となる湾岸署を中心とした箱庭的世界観が実に豊かで、細部まで作り込まれた、繰り返しの視聴に耐えうる作品だった。そのためテレビドラマでは珍しいオタク的なファンが多数生まれた。 視聴率こそ当時の基準ではヒット作といえるものではなかったが、熱狂的なファンの後押しもあってか、放送終了後にレンタルとビデオセールスが盛り上がり、SPドラマが三本放送された後に映画化された。 こういった、テレビ放送時は低視聴率で打ち切りに近い形で終わるものの、熱狂的なファンコミュニティが生まれ、再放送で人気に火が付き、雑誌やラジオといったメディアの後押しと口コミで話題となり、やがて劇場映画が公開されて大ヒットしイベント化していく流れは、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』や1979年の『機動戦士ガンダム』といったアニメで起きた現象だ。1995年に放送された『新世紀エヴァンゲリオン』も、テレビ放送終了後に同じ流れを辿り社会現象となっていき、インターネットのファンサイトがその後押しをした。 つまり、『踊る』は作品自体も繰り返しの鑑賞に耐えうるマニアックな作品だったが、ファンの消費行動や、放送終了後のメディア展開も、『ヤマト』、『ガンダム』、『エヴァ』といったアニメ作品をなぞるようなものとなっていったのだ。
    深夜ドラマの『NIGHT HEAD』(フジテレビ系)など、「ドラマから劇場映画へ」という流れはそれ以前にもあったが、この流れを決定的にしたのが『踊る』だった。 今ではドラマシリーズの続きが劇場版として放送されるというモデルは当たり前のものとなっているが、視聴率偏重だったテレビドラマの評価軸に、新しい成功モデルを持ち込んだドラマだったといえよう。 テレビシリーズが終了した後にSPドラマ、劇場版が作られた『ケイゾク』も、基本的には『踊る』と同じビジネスモデルを展開していたといえる。 しかし、同じアニメの影響下にあるオタク的なテレビドラマでありながら、画面に現れている世界観は、真逆のものだったと言える。
    それはどちらも押井守作品を参照していながら、『踊る』の劇場版タイトルが『踊る大捜査線 THE MOVIE』という『機動警察パトレイバー』の劇場版タイトル『機動警察パトレイバー the Movie』 を連想させるものとなっていたのに対し、『ケイゾク』の劇場版タイトルが『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』であったこと。押井守の初期代表作で、『パトレイバー』に較べるとアニメ的なビジュアルが全面に出ていて、記号的な映像だからこそできる観念的な世界を展開した『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』から引用されていたという違いに、大きく現れている。
    ▲『踊る大捜査線 THE MOVIE』/『機動警察パトレイバー2 the Movie』
    ▲『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』/『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第5回 堤幸彦(3)『ケイゾク』ーー過去は未来に復讐する

    2018-08-07 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が、1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。それは、サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。
    堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクター達に大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像センス自体を書き換えてしまったと言っていいだろう。
    彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。 (「テレビドラマの仕事人たち」著:上杉純也/高倉文紀(KKベストセラーズ)堤幸彦インタビューより)
    堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田はTBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一少年の事件簿』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。その後、植田はプロデューサーに復帰。1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。 
    TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(同書)
    視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたが、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗のイメージがあった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。 そんなTBSの社員ということもあって、自分とは違う世界を生きるエリートだと、植田に対してはどこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。 そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。
    ▲『ケイゾク』
    『ケイゾク』ーーミステリーに対する醒めた視点
    『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・捜査一課弐係に配属されるところから始まる。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 第4回 堤幸彦(2) 悪ふざけと革命願望(後編)

    2018-07-11 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回の(2)では、堤幸彦のほか、押井守や村上龍、小林よしのり、秋元康など、多くの作家を輩出した1955年生まれを、「60年代の革命と80年代の消費社会の間に宙吊りにされた世代」という側面から捉え、彼らの作品に滲み出る、革命への〈憧れ〉と〈断念〉について考えます。
    堤の「人工的でありながら生々しい映像」
     堤幸彦は『テレビドラマの仕事人たち』(著:上杉純也/高倉文紀・KKベストセラーズ)に収録されたインタビューの中で、自身の映像について「マルチカメラを使ってトレンディドラマみたいなことはムリ」と語っており、外様の自分が世の中に出て目立つためには、他のドラマがやらないことをやるしかなかったと語っている。
     インタビュアーの上杉純也は、堤の演出の特徴を以下のように書いている。
    極力スタジオセットを避ける、スタジオで撮る場合でもセットは全部天井ありの4面総囲みにする。それは“人間の視点に一番近い映像でなくては、アニメやCMには勝てない”という思いからだった。(『テレビドラマの仕事人』より)
     堤は『金田一』の際に、マルチカメラ(複数のビデオカメラを使ってマルチアングルで撮影する手法)で、スタジオに組んだセットで撮るという、既存のテレビドラマの手法ではなく、オールロケで一台のカメラで撮影していくという手法を選択した。  また、当時のテレビドラマとしてはカット数が多く、下から煽るようなアップや、魚眼レンズの歪んだ映像で顔を撮影するような、奇抜な構図の映像が多かった。これはミュージッククリップの手法からの影響である。 『金田一』第2シーズンではマンネリを避けるために、演出がより過激化した。
    例えば“犯人はお前だ!”っていうのも“は・ん・に・ん・は・お・ま・え・だ・!”って10カットくらいになったり、縦にカメラがグルグル回ったり。まぁ、小難しくても、小学生が楽しめる作品にはなったと思いますけど」(同書)
     また『サイコメトラーEIJI』では、照明を使わずにノーライトで撮影しているが、これは当時としては画期的な一つの事件だった。 当時のテレビドラマが、映画と比べて映像面で劣ると言われた理由は、照明に時間を割くことができず全体にライトを当てるため、陰影のないぺらぺらの映像となっていたからだ。照明を使わずに撮影すると、ザラザラとした映像となりブロックノイズなども出てしまうが、それが逆にドキュメンタリー映像のような生々しさを生んでいた。
     1. 奇抜な映像でカット数が多い。 2. オールロケ 3. 照明を使わない手持ちカメラの映像 堤演出の特徴をまとめるなら以上の三点だろう。 (さらに、『金田一』の時点ではまだ控えめだが、『池袋ウエストゲートパーク』以降になると、大人計画の宮藤官九郎のような、小ネタを多用したアドリブ混じりの軽妙な会話劇が劇中に持ち込まれるようになっていく)
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第3回 堤幸彦(1) 悪ふざけと革命願望(前編)

    2018-06-13 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回では、『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』などで知られる映像作家・堤幸彦を取り上げます。1995年に「土9」枠でヒットした『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの先駆けとなる、画期的な作品でした。

    テレビドラマの画期となった『金田一少年の事件簿』
    1995年。失速する野島伸司と入れ替わるようにテレビドラマの世界で頭角を現したのが、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、以下『金田一』)でチーフ演出を務めた堤幸彦だ。 
    『金田一』は少年マガジン(講談社)で連載されていた人気ミステリー漫画をドラマ化した作品だ。横溝正史の推理小説『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』に登場する名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(はじめ)が主人公となり、行く先々で起こる殺人事件を探偵として解決していく。

    ▲『金田一少年の事件簿』
     
     95年4月にSPドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』として放送された本作は7月から連続ドラマとして放送された。その後、SPドラマ、第二シーズンが放送されたのちに映画化されて大ヒットとなり、堤幸彦は日本テレビから社長賞を受け取った。
    堤が手がけたシリーズはここで一旦終了したが、その後、二度もリブートされる人気シリーズとなった。
     
    『金田一』は様々な意味で画期的な作品だった。
     まず第一に、本作は10代から20代前半の若者向けのドラマとして作られていた。 
    本作が放送された日本テレビ系土曜9時枠(土9)は、もともとトレンディドラマブームの余波で作られたドラマ枠だった。しかし、後発ゆえに視聴率の面では苦戦しており、他局との差別化に苦しんでいた。
    そんな中、野島伸司が企画した『家なき子』が大ヒットしたことで、ドラマ枠の方向性が大人向けの作品から子供向けへと大きくシフトすることになる。その結果、生まれたのが少年漫画を原作とする『金田一』だった。
    本作の成功は、仕事と恋愛が中心だった日本のテレビドラマに、漫画やアニメを楽しんでいたような男性視聴者の取り込みに成功した。
    70年代から80年代前半にかけては人気刑事ドラマの『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)や松田優作が主演を務めた『探偵物語』(日本テレビ系)のような男性視聴者に向けた男臭いドラマが多かったが、80年代後半になりバブル景気が盛り上がっていくと、トレンディドラマのような社会で働く女性にとっての仕事と恋愛を描いたものが増えていった。その結果、いわゆるF1層(20~34歳の女性)に向けた作品がテレビドラマの中心となっていく。当時は邦画も停滞期だったため、男性視聴者の多くは漫画・アニメ・ゲームといったオタクカルチャーへと関心が向かっていた。そんな中、少年マガジンのミステリー漫画を原作とする『金田一』は、劇中の犯人を推理するというゲーム的な要素もあって、普段はドラマを見ない男性視聴者からの支持を獲得した
     同時に、主演を務めたのが、ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル(以下、ジャニーズアイドル)・KinKi Kidsの堂本剛だったことで、アイドルファンの女性視聴者の取り込みにも成功している。つまり本作は、男性アイドルを主人公にした「アイドルドラマ」の始まりでもあったのだ。 
     今でこそ、テレビドラマの主演をジャニーズアイドルが占めることは当たり前となっている。しかし、当時はSMAPの木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)等の恋愛ドラマに進出し始めたばかりの時期で、堂本剛も同じユニットの堂本光一と共に『人間・失格〜例えば僕が死んだなら〜』(TBS系)に出演していたが、それはあくまで例外的なもので、俳優とアイドルの境界は、今よりも大きく隔たっていた。本木雅弘、岡本健一といったジャニーズアイドルの俳優業が本格的にスタートするのはアイドルを辞めてからであり、アイドルでありながら俳優としても活動するというスタイルが成立するのは、SMAPによってアイドルが歌、バラエティ、司会、俳優といった多ジャンルで活躍できることが証明されてからである。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第2回 野島伸司とぼくたちの失敗(後編)

    2018-04-10 07:00  
    540pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。TBS三部作において〈無垢なるものを守るための共同体と暴力〉という主題に向き合った野島伸司。1995年にその臨界点となる『未成年』が放送されますが、その結末が示した限界は、キャラクタードラマの時代への転換を促すことになります。

    野島三部作が切り開いたものと、その限界
     90年代前半の野島伸司のフジテレビ系の作品は、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白いのだが、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。
     対してTBS系の金曜ドラマで放送された『高校教師』以降の野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうるクオリティを保っている。
     中でも圧倒的な完成度を誇るのが1993年の『高校教師』である。

    ▲『高校教師』
     物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていくのだが、実は繭は芸術家の父親との近親相姦の関係にあった。
     物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢友子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプして自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。
     教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても過剰に性的な物語だった。
     本作と同時期に女子高生がブルセラショップでパンツを売ったり、テレクラで売春(援助交際)を行うといったゴシップ記事が話題となり、やがて90年代後半の女子高生がマーケティングの対象となるコギャルブームへとつながっていった。
     そう考えると本作もまた、女子高生を性的に消費することに対する過剰な盛り上がりを見越したトレンディな作品だったと言うこともできるのだが、桜井幸子が演じる繭の異様な存在感(当時、桜井幸子は19歳で年齢的には高校生ではなかった。元々大人びた雰囲気を持つ女優だったが、彼女だけが一人浮き上がって見えるような大人びた存在感は年齢の問題もあるのではないかと思う)もあってか、今見返しても色あせていない。野島ドラマの中では数少ない時代を超えた古典的傑作となっている。白を基調とした映像も素晴らしく、テレビドラマとしてのルックも格段に美しい。
     本作は、はじめて野島伸司がTBSの金曜ドラマという名作ドラマ枠で執筆した作品だ。
     金曜ドラマは古くは『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』といったテレビドラマの巨匠である脚本家・山田太一がドラマを発表していた場所で、ドラマファンからすると特別なドラマ枠だ。90年代の野島伸司作品以降も堤幸彦演出の『ケイゾク』や宮藤官九郎・脚本の『木更津キャッツアイ』などが放送され、テレビドラマ史に残る作家性の強いドラマの多くはここから生まれてきた。
     今までフジテレビで書いてきた野島にとって、金曜ドラマで書けるということはそれだけ名誉なことで、ここで作家として認知されたという面は大きいだろう。
     岡田惠和、北川悦吏子、三谷幸喜といったこの時期に頭角を表した脚本家たちは、山田太一や倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家の作品を見て影響を受けた書き手が多い。彼らのドラマは作家性が高く評価されており、シナリオ文学と一部で呼ばれていた。
     彼らのシナリオ集は書籍として販売され、脚本家志望の若者に大きな影響を与えた。
     そして、1980年に向田邦子が直木賞を受賞したことでドラマ脚本家が作家として評価される機運が高まった後で、彼らのシナリオを読んで世に出てきたのが90年代に活躍した脚本家だ。
     野島も無論、その一人だ。彼の群像劇の中に社会性のあるショッキングなテーマを盛り込んでいくというアプローチは、山田太一の『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』の方法論をよりスピーディーかつショッキングなものとして、キャッチーに見せていると言えよう。
     しかし、そんなスピード感が、一つ一つのエピソードやモチーフを軽く扱っているように見えてしまう。当時から野島の作風を山田太一や倉本聰といったシナリオ文学以降の流れとして捉える向きはあったが、山田太一のドラマのドラマを熱心に見ていた視聴者ほど、野島に対する評価は厳しかったと記憶している。野島ドラマは高尚な文学として読まれるには、下世話で面白すぎたのだ。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。