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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル1995→2010 宮藤官九郎(6)クドカンドラマの女性観(前編)

    2019-09-11 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『木更津キャッツアイ』をはじめ、男性を中心としたコミュニティの描写を得意とする宮藤官九郎は、ある時期まで、恋愛に対しては非常に冷めた視線を向けていました。今回は初期のクドカンドラマが女性をどのように描いてきたかを振り返ります。
     恋人よりも仲間といる時の男子校的な「わちゃわちゃ感」の方が楽しそうに描かれるクドカンドラマだが、では彼の作品において女性はどのように描かれてきたのだろうか?
     宮藤と連続ドラマを作り続けているTBSの磯山晶プロデューサーだが、彼女がはじめて宮藤を脚本家として起用したのが、1999年の『親ゆび姫』である。
    ▲『親ゆび姫』
     本作は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「親指姫」を現代的なホラーに読み替えた作品だ。   女子高生の町田冴子(栗山千明)は同級生の君島祐一(高橋一生)に片思いをしていたが、なかなか気持ちを打ち明けられずにいた。ある日、冴子は公園で知り合った化粧をした謎の男から「恋のお守り」として赤い液体を手渡される。覚悟を決めて、祐一に告白する冴子。しかし祐一は、今は誰とも付き合う気がないと言って断ってしまう。 「これを振りかければアナタの思い通りになるの」 男の言葉を思い出した冴子は衝動的に赤い液体を祐一にかける。祐一の身長は4センチの人形ぐらいの大きさに縮んでしまう。
     小さくなった祐一を冴子は家に連れて帰る。『親指姫』というよりは内田春菊の漫画『南くんの恋人』(青林工藝舎)の男女逆バージョンとでも言うようなドラマである。 過去に何度もアイドル女優主演でドラマ化された『南くんの恋人』が、思春期の少年少女にとっての甘酸っぱい願望を描いた(小さくなった女の子と少年がいっしょに暮す)秘密の同居モノだったのに対し、『親ゆび姫』は甘酸っぱさが皆無で、宮藤が書くとここまでおぞましいものに変わるのかという話に読み替えられていた。
     小さくなった祐一に責任を感じ必死で世話しようとする冴子。祐一が好きなお菓子やジュース雑誌を買って目の前に置くのだが、祐一は彼女に冷たい。
    冴子「(ドクター・ペッパーをスポイトで吸いながら)フフフ、ワタシ、祐一くんの事、なんでも知ってるんです。寝る時はジャージにタンクトップ、中学の時はバスケ部で、遠征にいくバスでモノマネやってたんでしょ? 好きな映画は『アルマゲドン』で、ヒップホップが好きで、モーニング娘。では鼻ピアスの子が好きで、サングラスかけてアダルトビデオ借りにいって、門脇先生に見つかって、あとそれから……」 祐一「やめろよ!」 冴子「……え?」 祐一「……言ったよね? おれ、アンタの事なんとも思ってないの。だから、こんな事されても、不愉快なだけなの」 冴子「……ごめんなさい(目に涙ためる)」 祐一「だから困るんだよね、泣かれても」(著・宮藤官九郎『宮藤官九郎シナリオ集 親ゆび姫×占っちゃうぞ♡』角川書店)
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル1995→2010 宮藤官九郎(5) 木更津キャッツアイ(後編)「アトムの命題」とジャニーズ・アイドル

    2019-08-08 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、『木更津キャッツアイ』から宮藤官九郎の作家性を掘り下げます。本作の主人公・ぶっさんの〈死〉をめぐる物語は、生身のアイドルの有限性と相まって、〈終わらない日常〉と〈死なない身体〉への鋭い批評性を体現していました。
    宮藤官九郎の出世作となった『木更津キャッツアイ』(TBS系、以下『木更津』)だが、放送当時はどのように受け止められたのか?
    ▲『木更津キャッツアイ』
    宮藤のエッセイ集『え、なんでまた?』(文春文庫)の「解説」を担当した脚本家の岡田惠和は「宮藤さんがドラマ界に現れた頃のことはよく覚えてます」と語っている。
    『木更津』の第一話が放送された翌日、当時仕事をしたドラマチームでの飲み会で、本作が話題になった際にベテランと若手で意見が真っ二つに別れたと、岡田は邂逅する。
    「何喋ってるかさっぱりわからん」「いったい何の話なんだ? あれは、ふざけすぎ」 ベテランプロデューサー達には理解できなかった。なのに皆が面白い! と絶賛するので、悔しかったのかもしれませんね。対して若手は、言葉には出さないけど、「あれがわからないんじゃ終わってんな、このおっさん」 と顔に書いてある感じ。でも「どこが面白いんだ?」 と問われると、うまく言葉にすることが出来ない。そんな感じでした。(同書)
     そんなベテランと若手の反応を見ながら、岡田は「弱ったなぁ」と思ったという。新しい才能に脅威を感じながらも、それ以上に「かなり好きだなぁ」と混乱し、自分がやりたかったのはこういうことだったのかもしれないと、憧れを抱いたという。 しかし、今から下の世代の影響を受けるのは辛いと思い、「忘れよう、影響受けるのはやめよう」と決めて、その後、宮藤と同じジャンルのドラマを書くことは絶対にやめようと考えたという。
    同業者の先輩に、ここまで言わせるのだから、すごい才能である。
    だが、宮藤の登場によりドラマ界が一変し、世代交代が起きたかというと、そうはならなかったと岡田は振り返る。宮藤の世界が「ダントツに個性的」で主流にはならなかったからだ。
    ドラマ界は宮藤さんを受け入れた。でもそれはある意味、出島的な特別区みたいなポジションです。ドラマ界の地図を塗り替えるというよりは、地図のひとつ島を増やしたような変化。そこに関してはベテランたちもどこか寛容です。なぜなら出島なんで、自分たちの領土は守られてるから、そこでの活動は許す、みたいな。まさに「クドカン特区」ですね。「クドカンだからねぇ」 「あぁクドカンでしょ? はいはい」みたいな許され方とでも申しましょうか。  爆発的に人気あるけど、どうも世帯視聴率はさほど芳しくないという、だからどこか長老たちのプライドも犯さないという、独特のチャーミングなポジションも獲得しました。嫌ですね、こんな長老。(同書)
    『木更津』が放送された00年代初頭は、視聴率という評価軸がまだまだ絶対的だった。『踊る大捜査線』(フジテレビ系)や『ケイゾク』(TBS系)のような視聴率は高くないが、放送終了後に映画化されて大ヒットするという作品も現れはじめていたが、これらの作品は、視聴率が低いと言っても、10%前半は獲得していた。 しかし『木更津キャッツアイ』は野球の構成に合わせた全9話で平均視聴率10.1%(関東地区・ビデオリサーチ)で、これ以降のクドカンドラマは、シングル(一桁台)が当たり前になっていく。近年のドラマは、シングルが常態化しており10%台で成功作と言われるぐらい合格ラインは下がってしまったが、当時のシングルは、打ち切りでもおかしくない数字である。 思うに『木更津』とクドカンドラマの登場は、視聴率一辺倒だったテレビドラマの評価が、DVD等のソフト消費とネットで話題になるSNS消費へと大きく分裂していく始まりの作品だったのだろう。
    『キャラクター小説の作り方』に書かれた木更津キャッツアイ論
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(4)『木更津キャッツアイ』が描いた「地元」と「普通」

    2019-07-04 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。宮藤官九郎編の第4回では、初期の代表作『木更津キャッツアイ』を取り上げます。「地元」と「普通」を主題にした本作は、一部の識者からバブル批判の文脈で称賛されます。しかし、そこで本当に描かれていたのは、均質化した郊外と「普通」すら困難になりつつある時代の訪れでした。
    『池袋ウエストゲートパーク』((以下『池袋』)、TBS系)で高い評価を得た宮藤官九郎は、翌2001年、織田裕二主演のドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)を手がける。  アラサーの青年三人の自分探し的な物語は、山田太一脚本の『想い出づくり。』や『ふぞろいの林檎たち』(ともにTBS系)を彷彿とさせる青春群像劇。『池袋』を見て、宮藤の本質は家族愛や友情を描けることだと思ったプロデューサー・高井一郎による抜擢だった。
    ▲『ロケット・ボーイ』(小説版)
     放送中に織田裕二が椎間板ヘルニアで入院してしまったことで話数が全7話に短縮されたこともあってか、宮藤の作家性が存分に出ていたとは言えず、ソフト化もされていないため、今では幻の作品となっている。後の『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)にも通じるシリアスドラマ路線だったため、完全な形で仕上がっていれば、今のクドカンドラマの流れとは違う流れが生まれていたかもしれない。
    『池袋』は原作モノでチーフ演出の堤幸彦のカラーも強く、『ロケット・ボーイ』は不完全燃焼。そのため宮藤の評価は保留とされた。 その意味で、ドラマ脚本家としての作家性が正当に評価されたのは、翌2002年に放送されたドラマ『木更津キャッツアイ』(以下『木更津』、TBS系)からだと言えるだろう
    『木更津』は千葉県木更津市で暮す若者たちを主人公にしたコメディテイストの青春ドラマだ。  高校卒業後、実家の理髪店「バーバータブチ」を手伝いながら、毎日ブラブラしているぶっさん(岡田准一)、一人だけ東京の大学に通う童貞のバンビ(櫻井翔)、プロ野球選手を目指す弟と比較されコンプレックスを感じている実家暮らしで無職のアニ(塚本高史)、学校の先輩と結婚して居酒屋「野球狂の詩」を切り盛りする子持ちのマスター(佐藤隆太)、神出鬼没で何を考えているかわからないうっちー(岡田義徳)。彼ら5人は、元、高校の野球部、高校を卒業しても地元に残り、仲間たちと戯れる日々を送っていた。ずっと続くかと思われて彼らの日常だったが、ある日、ぶっさんが余命半年の癌(悪性リンパ腫)だと判明する……。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(3)『三月の5日間』と『鈍獣』

    2019-06-12 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。松尾スズキの漫画的方法論と、平田オリザの現代口語演劇は、2000年代以降、劇団☆新感線やチェルフィッシュといった劇団によって拡大・発展を遂げます。その二極化を象徴するのが、2005年に岸田國士戯曲賞を同時受賞した、岡田利規『三月の5日間』と宮藤官九郎『鈍獣』でした。
    90年台代小劇場演劇で起こった松尾スズキによる漫画的方法論と平田オリザの現代口語演劇の二極化は、演劇における方法論はもちろんのこと、劇団運営の在り方においても真逆の方向に発展している。
     松尾スズキ率いる大人計画は、人気俳優を輩出し、宮藤官九郎がテレビドラマの脚本家としてブレイクすると共に人気劇団となり、次第に大所帯となっていく。小劇場からスタートした劇団が、公演ごとに大きな劇場で公演し、動員人数を拡大しながら人気を博していく様は“小劇場すごろく”と呼ばれ、演劇における成功の一例として語られている。 80年代の、夢の遊眠社と第三舞台からはじまった傾向だが、新劇のカウンターとしてはじまったアンダーグラウンドな小劇場演劇がテレビ局や大企業と提携することで、ドームコンサートをおこなうミュージシャンのような人気を獲得するに至ったのだ。
     そのような時代の変化に乗って、大人計画以上の拡大路線を図ったのが、いのうえひでのりが主宰する劇団☆新感線だろう。古田新太が所属していることで知られる新感線は、いのうえを中心とする大阪芸術大学舞台芸術学科の学生を中心に旗揚げした劇団だ。 『髑髏城の七人』、『阿修羅城の瞳』、宮藤官九郎が脚本を担当した『メタルマクベス』などで知られる彼らの作風は一言で言うと痛快エンターテインメント。 おどろおどろしい時代劇の世界観にアクション、ミュージカル、笑いを散りばめ、ハードロックやヘビィメタルを劇中音楽として使用し、派手な照明を駆使した演出はミュージシャンのコンサートのよう。和のテイストを強く打ち出した豪華でケレン味のある演出は“いのうえ歌舞伎”と言われている。 座付作家の中島かずきは、アニメ『天元突破グレンラガン』『キルラキル』『プロメア』といった今石洋之監督作品の脚本でも知られている。大人計画とは違う意味で漫画やアニメの想像力を演劇に持ち込んだ劇団で、00年には高橋留美子の漫画『犬夜叉』(小学館)を舞台化している。
     劇団☆新感線のプロデュースを担当する株式会社ヴィレッヂ会長の細川展裕は自著『演劇プロデューサーという仕事「第三舞台」「劇団☆新幹線」はなぜヒットしたのか』(小学館)の中で、『犬夜叉』について「今から思えば「元祖2・5次元演劇」だったということです!」と、振り返っている。これはあながち間違ってはいないのではないかと思う。  2.5次元ミュージカルと、大人計画や劇団☆新感線といった小劇場演劇は別枠で語られてしまことがほとんどだ。しかし、漫画やアニメの想像力を舞台に移植する方法論においては、もっと比較検証されてもいいのではないかと思う。
    平田オリザの後継者たち
     一方、平田オリザの現代口語演劇は、後続の作家たちに大きな影響を与えた。
    2013年に刊行された『演劇最強論 反復とパッチワークの漂流者たち』著・徳永京子、藤原ちから(飛鳥新書)は、2010年代の小劇場シーンについてまとめられたものだ。  本作では、三浦直之(ロロ)、藤田貴大(マームとジプシー)、柴幸男(ままごと)、といった70~80年代生まれの劇作家について大きく扱われているが、彼らのルーツとして、チェルフィッシュの岡田利規の存在が挙げられている。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(2) 演劇とお笑い クドカンを育んだ小劇場演劇

    2019-05-15 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、宮藤官九郎のルーツである戦後の演劇文化を論じます。新左翼の強い影響下にあった小劇場演劇は、80年代以降は学生運動を相対化する「笑い」に転じ、「身体の再解釈」という主題を得て、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史、平田オリザといった才能を輩出します。
     小劇場演劇からキャリアをスタートして、テレビドラマで成功した二大脚本家と言えば、三谷幸喜と宮藤官九郎だが、今もテレビドラマと小劇場演劇の交流は活発だ。 現在放送中の『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』(NHK)の脚本を担当する三浦直之も劇団ロロの主宰で、小劇場演劇で高く評価されている。本作は浅原ナオトの小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA)をドラマ化した原作モノではあるものの、ボーイミーツガール・ストーリーの名手として知られる三浦の筆致はみずみずしいもので、珠玉の青春ドラマに仕上がっている。  昨年はインスタグラムのストーリー機能で配信された縦長の画面を駆使したショートドラマ『デートまで』『それでも告白するみどりちゃん』(現在はどちらもYouTubeで視聴可能)が評価され、いつか長尺の連ドラを書いたら面白いのではないかと思っていたのだが、NHKのよるドラ枠という、新鋭クリエイターを積極的に起用する深夜枠(夜11時30分放送)の脚本家として起用された。このタイミングで三浦を起用したNHK関係者の眼力は確かで、今後のテレビドラマを考える上で重要な作品となるのではないかと思う。他にも岩井秀人(劇団ハイバイ)や根本宗子(月刊「根本宗子」)など、小劇場演劇からキャリアをスタートしてテレビや映画といった他ジャンルに進出していくという流れは定着している。
    旧劇と新劇
     古くは寺山修司から近年の三浦直之に至るまで、小劇場演劇を拠点に様々な才能が誕生した。今回はそんな小劇場演劇の歴史について振り返ることで松尾スズキの歴史的立ち位置について検証する。
     まず、日本の演劇には「旧劇」と「新劇」がある。 旧劇は能、文楽、狂言、歌舞伎といった江戸時代までに生まれた伝統演劇。明治以降、ヨーロッパ演劇に影響を受けた演劇が新劇だ。 前者が様式的な時代劇、後者がリアリズムを基調とした現代劇だと言えよう。 宮藤官九郎の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)を見ていると、スポーツと体育が、外国人との身体能力の落差に追いつくための手段として国家規模で推し進められていたことがよくわかる。  夏目漱石や森鴎外が持ち込んだ近代文学にしても同様だ。鎖国を解いて世界を向き合うことになった日本は江戸時代までの古い文化を捨てて、近代に適応するため政治や軍事技術はもちろんのこと、文学やスポーツも取り入れようとした。 新劇もそういった文化の一つで、ヨーロッパの演劇を取り込むことで日本人は近代の身体と思考法を手に入れようとしたのだ。
    新劇のカウンターとして生まれた小劇場演劇
     左翼的なイデオロギーが強かった新劇は、戦時下には弾圧され戦意高揚の軍事劇に駆り出された。その結果、数々の劇団が解散へと追いやられたが、戦後、再び盛り返す。 文芸坐、俳優座、民芸といった大手劇団や、左翼系の新劇を否定する浅利慶太の「劇団四季」が結成され、三島由紀夫や安部公房らが戦後派の劇作家も活躍した。
     演劇評論家の扇田昭彦は戦後新劇について以下のように語っている。
    これらの劇作家によって、優れた劇作がいくつも生まれたことは間違いない。だが、戦前派の指導者を中心に再出発・再編成されたためもあって、戦後の新劇界は、文学における「戦後文学」に匹敵するような、「戦後演劇」の新しいかたちを総体として作り出さないまま、一九六〇年代を迎えた。 (『日本の現代演劇』著・扇田昭彦(岩波新書)「序章 新劇場がスタートした」)
     そんな旧態依然とした新劇に対するカウンターとして登場したのが小劇場演劇である。 60年代にはじまった小劇場運動は、バラックのような倉庫や映画館、路上や、テントなどで創作劇を上演し、新劇が手をつけてこなかった伝統劇との繋がりをめざし、前近代的なものの再検証がおこなわれた。中心となったのは寺山修司の天井桟敷と唐十郎の赤テントである、彼らの芝居は「見世物小屋の復権」が提唱され、「アングラ演劇」と呼ばれた。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 第三回 宮藤官九郎(1) 大人計画と松尾スズキ

    2019-04-04 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回より宮藤官九郎編が始まります。劇団・大人計画を主宰する松尾スズキによって才能を見出された宮藤。後に平成を代表する脚本家となる宮藤と、近年は純文学作家として評価が高い松尾の資質の違いについて、90年代に2人が脚本を共作した、ある深夜ドラマを手がかりに考えます。
     現在放送中の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)をてがける宮藤官九郎は宮城県出身の1970年生まれ。連続ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)など、数々の名作を手がける宮藤は、現代のテレビドラマを代表する脚本家の一人だ。脚本以外にも俳優、ミュージシャン(グループ魂)、タレント、放送作家、映画監督、ラジオパーソナリティなど、宮藤の活動は多岐に渡っているが、何より外せないのは、彼が松尾スズキの主宰する劇団・大人計画に所属しているということだろう。
    ▲大人計画OFFICIAL WEB SITE
     高校時代に聴いていたラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」でビートたけしに合いの手を入れていた構成作家・高田文夫に憧れていた宮藤は、高校を卒業したらたけし軍団に入りたいと漠然と思っていた。
     高校卒業後、日本大学藝術学部放送学科に入学した宮藤は、1991年に松尾がWAHAHA本舗の公演用に戯曲を書いた『神のようにだまして』のボランティア・スタッフとして参加し、そこで松尾スズキを知る。 その後、宮藤は演出助手として大人計画に参加。  宮藤の仕事は、松尾スズキが口だてで言ったことを脚本に起こすというものだった。
     あいつとは、師弟関係とか、そんな感じじゃなくて、歳下の遊び相手みたいな感じだったんだよね。作家的スタンスで、面白いことについて語り合える人間と、やっと出会えたというか。(中略)宮藤がオレに対して意見を言うってことはほとんどないんだけど、なんかね、九州と東北の末端で育った人間の出会いみたいな、持たざる者同士が出会って、お互いに「面白い」と感じるものを共有できる気持ちよさがあったんだよなあ。(文藝春秋『「大人計画」ができるまで』著:松尾スズキ、聞き書き:北井亮)
     思うに、松尾スズキの演出助手をしていた時の宮藤は、ビートたけしを補佐する高田文夫のような気持ちだったのかもしれない。  出会った時の宮藤について松尾は以下のように語っている。
    「こいつすげぇ、オレを超えている」とか、そういう劇的なことはなかったけど、なにかあるやつだな、とは思った。小器用とかではなく、むしろ不器用だと思ってたんだけどね。ところが、「こうしないと客には伝わらないよ」っていうことを最初のうちはオレがアドバイスしていて、そりゃすごくアドバイスしていて、でも、気がついたらオレよりもすごく伝わることをやってたっていう。(同書)
     92年、宮藤は大人計画の舞台『殴られても好き』の作・演出を担当。その後、大人計画で数々の作品を手がけることになる。
    大人計画と松尾スズキ
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  • テレビドラマクロニクル(1995→2010)番外編 宮藤官九郎 『いだてん~東京オリムピック噺~』とフィクションの最前線

    2019-03-12 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は番外編として、現在放送中のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を取り上げます。宮藤官九郎作品の総決算的な意味を持つ本作が、大河ドラマの鬼門である「明治以降」をどのように描こうとしているのか、スポーツや落語を通じて、政治性抜きの「男の子の物語」を復権させようとする、その試みについて読み解きます。
    次回からこの連載では、クドカンこと宮藤官九郎について語ることになるのだが、今回は番外編として宮藤の最新作『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)について触れておきたい。おそらく本作はクドカンドラマの中で、もっとスケールが大きな野心作であり、今まで彼が追求してきたテーマの総決算となるのではないかと思う。
    『いだてん』は日曜夜8時から放送されているNHKの大河ドラマだ。プロデューサーは訓覇圭、音楽は大友良英、チーフ演出は井上剛と、宮藤が手がけた連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』(NHK)のスタッフが再結集している。同時に外部ディレクターとして『モテキ』(テレビ東京系)などで知られる大根仁とVFXスーパーバイザーとして『シンゴジラ』などを手がけた尾上克郎が参加している。
    物語の舞台は1964年の東京オリンピックを控えた昭和の東京からはじまり、50年前の明治時代へと遡り、二つの時代を行き来しながらオリンピックに関わった人々の姿が次々と描かれていく。  主人公は日本マラソンの父と言われる金栗四三(中村勘九郎)と、東京オリンピックの招致に尽力した日本水泳連盟元会長の田畑政治(阿部サダヲ)ということになっているが、脇を固める俳優も役所広司、綾瀬はるか、森山未來、生田斗真、杉咲花、シャーロット・ケイト・フォックス、竹野内豊、神木隆之介、星野源、小泉今日子、ビートたけしetcと実に豪華。 作品の規模、出演俳優、参加スタッフの座組を見るだけでも、本作が2019年現在におけるフィクションの最前線をひた走っていることは明らかだろう。まさに総力戦である。  宮藤にとってはもちろん日本のテレビドラマ史、サブカルチャー史においてもっとも重要な作品となることは間違いないだろう。
    全員主役の群像劇
    『いだてん』は、主演級の俳優が多数出演しているため、全員主役の群像劇を見ているかのようである。
    日本人初のオリンピック参加を目指して大日本体育協会を設立し、ストックホルムオリンピックの参加資金のために奔走する嘉納治五郎(役所広司)の物語は、昨年役所が主演を務めた『陸王』のようなTBSの日曜劇場で放送されている池井戸潤原作ドラマのようでもあるし、金栗四三と美川秀信(勝地涼)が故郷の熊本を後にして東京高等師範学校の寄宿舎で暮らす姿は、夏目漱石の『三四郎』のような青春文学の味わいがある。 一方、裏の主人公と言えるのが、語り部の落語家・古今亭志ん生(ビートたけし)だろう。若き日の志ん生・美濃部孝蔵(森山未來)が落語家の橘家円蔵(松尾スズキ)と出会い落語家として成長していく姿が金栗の物語と併走する形で描かれるのだが、町のチンピラとして浅草で放蕩生活を送っている孝蔵を取り囲む遊女の小梅(橋本愛)や車夫の清さん(峯田和伸)たちが啖呵を切る姿は宮藤の『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)を思い出させる。 また孝蔵と円蔵の弟子と師匠の関係を軸とした落語家の物語や、落語の演目「富久」が本編と重ねて語られるという虚実入り混じったストーリー展開は、同じく宮藤の『タイガー&ドラゴン』(同)を思わせる。 そして、スポーツを愛する若者たちの集団・天狗倶楽部のパリピ的な振る舞いは明治時代の『木更津キャッツアイ』(同)と言えるだろう。 天狗倶楽部は実際に明治時代に存在したスポーツ同好会だが、彼らの姿を見つけた時、宮藤は歓喜したに違いない。彼らのリーダー的存在の三島弥彦(生田斗真)のやけにタメのあるドヤ顔的な演技は『木更津』の主人公・ぶっさん(岡田准一)を彷彿とさせるが、第一話で全体像を見せた後で、2~5話をかけて第一話で見せた予選会の裏側を見せるという構成自体、『木更津』で見せた野球の試合になぞらせて、物語を表と裏の視点から見せていく手法の発展したものである。 まだ序盤だがこの時点で宮藤の『池袋』『木更津』『タイガー&ドラゴン』という初期代表作のテイストが散見できるあたり、本作にかけるクドカンの本気度が伺える。
    ▲『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』
    群像劇がもたらす多様性と政治的正しさ
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  • テレビドラマクロニクル(1995→2010)堤幸彦(9) 『SPEC』(後編)  超能力から〈病い〉へ

    2019-02-14 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。9回に及んだ堤幸彦論は今回がラストです。「超能力(スペック)を使う犯罪者」という設定を取り入れながら、当初は『ケイゾク』の作風を反復していた『SPEC』ですが、主人公がスペックに覚醒したことで、物語は新しい展開を迎えます。
    『SPEC』は2010年にTVシリーズ(起)が放送され、2012年にSPドラマ『SPEC~翔~』と映画『劇場版SPEC~天~』、2013年に当麻と瀬文が出会う前の前日譚を描いたSPドラマ『SPEC~零~』、そして完結編となる映画『劇場版 SPEC~結~』の前編『漸ノ篇』と後編『爻ノ篇』が放送された。  「ミステリーから超能力へ」というジャンルの変化を通して90年代から00年代への変化を描いた『SPEC』だったが、では、ストーリーと演出はどのようなものだったのか?
    ▲『SPEC~翔~』『劇場版SPEC~天~』(2012)
    ▲『SPEC~零~』(2013)
    ▲『劇場版 SPEC~結~漸ノ篇/爻ノ篇』(2013)
    組織と個人
    TVシリーズが始まった当初、『SPEC』が描こうとしたのは「人間VS超能力者」の戦いだった。 1~4話では、スペックホルダーと当麻たちミショウの刑事たちとの戦いが描かれる。スペックを表現するためにドラマでは異例の量のCGが用いられたが、漫画やアニメでは定番化している超能力をいかに可視化するか。というのが演出面での一番の課題だったと言えるだろう。これに関しては「時間が止まった世界」の描写も含めて、本作ならではの映像が展開できていた。その意味でも、最初の課題はクリアできていた。 5話以降になると、スペックホルダーの存在を追って研究・捕獲・監視していた警察内組織・公安零課(アグレッサー)が物語に絡んでくる。物語はより複雑化し、誰が敵で誰が味方なのかわからない混乱状態になっていく。 この展開は、『ケイゾク』後半の反復だが、スペックホルダーをヒューマンリソース(人的資源)として利用しようとする謎の秘密組織・御前会議が登場する陰謀論的展開は類型的で、やはり印象に残るのは、国家や御前会議の思惑を超えて暴走するスペックホルダーたち、中でも自由気ままに振る舞う時間を止めるスペックホルダー・ニノマエの圧倒的な存在感だ。 物語も、暴走するニノマエをいかに止めるのか? というクライマックスへと向かう展開が一番見応えがある。 ニノマエの「時を止める」能力が、超高速で動く能力で、それと引き換えにニノマエの体感速度が常人の数万倍だと気づいた当麻が、毒を混ぜた雪を浴びせることでニノマエを倒すという展開も、「人間VS超能力者」という構図にこだわった本作ならではの展開だったと言えるだろう。
    心配だったのは、この対立軸を作り手が放棄して、当麻や瀬文がスペックホルダーに目覚めて超能力者同士のバトルになってしまうのではないか? ということ。 特に「時間を止める」という圧倒的な力を持ったニノマエを冒頭で出してしまったため、彼に対抗するには『ジョジョの奇妙な冒険』第三部における空条承太郎とディオ・ブランドーの対決のように、主人公サイドも敵と同じ(時間を止める)能力に目覚めさせるしかないのではないか? と心配だった。『ジョジョ』の映像化なら、それでも構わないのだが、本作の斬新さは、人間が超能力者に立ち向かうという構図にあり、これを放棄してしまえば、作品自体のアイデンティティが瓦解すると思っていた。 その意味で、対ニノマエ戦までは見事だったと言えよう。 しかし、最終話で、当麻の恋人・地居聖(城田優)が、実は人の記憶を操作するスペックホルダーで当麻の記憶も地居に操作されたものだったことが唐突に明かされると、雲行きは一気に怪しくなる。
    心から身体へ
    心の闇を描こうとしたサイコサスペンステイストの『ケイゾク』に対し、『SPEC』では身体性が強調されている。これは堤がチーフ演出を務めた『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)を経由して『ハンドク!!!』(同)や『TRICK』などにも現れていた00年代的な傾向だろう。 中でも『SPEC』は、当麻が餃子を食べるシーンを筆頭に、食事のシーンが多い。同時に出てきた時から包帯を巻いている当麻を筆頭に、身体の損傷や痛みを通して身体性が強調されている。「死」の描き方も重みが増しており、瀬文の部下だった志村が事故で意識不明の重体となって入院する姿が執拗に描かれていた。 そこには「心から身体へ」とでもいうような流れが伺える。これは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の「破」にも見られた傾向で、漫画ではよしながふみの『西洋骨董洋菓子店』(新書館)、テレビドラマでは木皿泉の『すいか』(日本テレビ系)などに現れていた、食事を通して身体性とコミュニティを取り戻そうという、00年代のフィクションに現れていた一つの流れだったと言える。
    当麻たちは地居によって記憶を操作されてしまうのだが、サイコメトリー(触った人間の記憶を読み取る能力)のスペックを持った志村美鈴(福田沙紀)の協力によって真実を思い出す。記憶を取り戻した瀬文は「人間の記憶ってのはなぁ、頭の中だけにあるわけじゃねぇ、ニンニク臭え人間のことはなぁ、鼻が、この傷の痛みが、身体全部が覚えてんだよ!」と、地居に宣言する。
    おそらく、「記憶を書き換える」スペックを持ち真実は存在しないとうそぶく地居は、『ケイゾク』の朝倉のような90年代的な悪意を象徴する存在なのだろう。地居が当麻と瀬文に倒される姿を通して90年代から00年代、『ケイゾク』から『SPEC』へという時代の変化を描いたのであれば、最終話が、地居との対決で終わるのは、必然だったのかもしれない。 ここまでは納得できる。しかし最後の最後で本作は「人間VS超能力者」という対立構造を放棄してしまう。 地居に追い詰められた当麻は怪我で動かない左手で拳銃を構えて「左手動けぇ!」と叫び、発砲する。すると、時間が止まり、地居が撃った弾丸は地居に命中する。死んだはずのニノマエが生きていたのか? それとも当麻がスペックを発動したのか? 謎は宙吊りにされたままTVシリーズは終了する。
    盗用と借用 呪われた力
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 堤幸彦(8) 『SPEC』(前編)ミステリーから超能力へ

    2019-01-16 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『ケイゾク』の続編として企画された『SPEC』は、ミステリドラマにも関わらず、本物の超能力者が登場します。それは「謎」が存在する世界の終わり、インターネットカルチャーとニューエイジ思想が融合した、10年代の「圧倒的な現実」の投影でもありました。
    2010年10月8日『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別係対策事件簿~』(以下『SPEC』)の甲の回(第一話)が金曜ドラマ(TBS系夜10時枠)で放送された。
    ▲『SPEC』
    プロデューサーは植田博樹、脚本は西荻弓絵。堤幸彦の出世作となった『ケイゾク』チームが再結集した本作は『ケイゾク』と同じ世界観の続編的な作品という触れ込みで、幕を開けた。
    舞台は「ミショウ」と呼ばれる警視庁公安部に設立された未詳事件特別対策係。 捜査一課が取り扱うことのできない超常現象が絡んだ科学では解明できない犯罪を捜査する部署だったが、警視庁の中では、変人が集まる吹き溜まりと見られていた。
    所属しているのは『ケイゾク』にも登場した係長の野々村光太郎(竜雷太)とIQ210の女刑事・当麻紗綾(戸田恵梨香)の二人のみ。 そこに元特殊部隊(SIT)所属の瀬文焚流(加瀬亮)が異動してくるところから、物語ははじまる。瀬文は任務の最中に部下の志村優作(伊藤毅)を誤射した疑いで聴聞会にかけられる。突然、隣りにいたはずの志村が目の前に飛び出してきて発砲、そして何故かその銃弾は志村に命中したと瀬文は主張。確かに着弾した銃弾は志村のものだったが、上層部は瀬文が銃をすり替えたのだと取り合おうとしない。真相がわからぬまま事件は迷宮入り。瀬文はSITを除隊となり、左遷に近い形で「ミショウ」に配属となった。 やがて、ミショウに、政治家の五木谷春樹(金子賢)と秘書の脇智宏(上川隆也)が訪ねてくる。懇意にしている占い師・冷泉俊明(田中哲司)が、明日のパーティーで五木谷が殺されると予言したため、調査を依頼しにきたのだ。冷泉は2億円払えば「未来を変える方法」を教えると言う。当麻と瀬文は冷泉の元へと向かい、恐喝の容疑で逮捕する。しかし、冷泉の予言したとおり、五木谷はパーティーで心臓麻痺で命を落とす。 ここまでは『ケイゾク』や『TRICK』(テレビ朝日系)などで繰り返されてきたミステリードラマの展開である。 定石どおりなら、ここから冷泉の予言と殺害のインチキ(トリック)を暴くという展開になるところだろう。しかし、物語は予想外の方向へ傾いていく。 やがて、五木谷を殺したのは第一秘書の脇智宏(上川隆也)だったとわかる。元医師の脇は、無痛針で五木谷にカリウムを注射して殺害したのだ。そして証拠の注射針を天井に突き刺して隠したのだった。 しかし、当麻の推理を聞いた脇は凄まじい豪腕でテニスボールを投げて天井に刺さった注射針を破壊。先に証拠の存在に気づいた当麻たちは注射針を確保していたものの、真相を知られた脇は凄まじい腕力でテニスボールを当麻と瀬文に投げつけ、二人を殺そうとする。猛スピードで動き、瀬文の銃を奪い取った脇は瀬文めがけて発砲。 そこで突然、時間の流れが停止して謎の少年・一+一(ニノマエジュウイチ・神木隆之介)が現れる。 ニノマエは銃弾の軌道を反転させて脇を殺害。そして姿を消す。残された瀬文は、志村の時と同じ現象が起きたことに戸惑うが、何が起きたのかは理解できない……。
    いい意味で「裏切られた」と感じた第一話である。
    オカルトの皮を被ったミステリードラマかと思いきや、超能力者が本当に登場したのだ。何より驚いたのがニノマエの登場シーンである。いきなり「時間を止める」という圧倒的な力を持ったラスボス的存在が姿を現したのだ。
    アナログ放送が終わり、地デジ化へと向かう2010年
    この第一話が放送された10月8日のことは、よく覚えている。 筆者はこの日、地デジ(地上デジタル)対応の薄型テレビを購入し、はじめて画面に映ったテレビ映像が、この『SPEC』だったからだ。
    『SPEC』が放送された2010年。テレビは過渡期を迎えていた。 翌2011年にアナログ放送が終了して地上波デジタルに完全移行することが決まっていた。その結果、今のアナログテレビでは番組が映らなくなるため、地デジ対応テレビの買い替え特需が起きていたが、一方で、地デジ化によってテレビの視聴者が大きく減るのではないかと、不安視されていた。 同じ頃、WEBではYouTubeやニコニコ動画といった動画サイトが勢いを増していた。テキストが中心だった時代はテレビ局にとっては対岸の家事だったインターネットの隆盛は、動画サイトが登場し、映像の複製と拡散が簡単になると、他人事ではなくなっていた。やがて、映像文化は、テレビからWEBに取って代わるのかもしれない。まるで、超能力者に人類が支配されるかのように。そんな地殻変動の気配が2010年にはあった。
    翌2011年に3月11日に東日本大震災が起きたこともあり、今となっては忘れられているが、当時の地デジ化報道の背後には、時代の変化に対する期待と不安が渦巻いていた。
    そんな時代状況を反映してか、この年のテレビドラマは、2010年代のはじまりを象徴する作品が多数登場している。
    NHKでは後の連続テレビ小説(朝ドラ)ブームの先駆けとなる『ゲゲゲの女房』と大河ドラマの映像をアップデートした大友啓史がチーフ演出を務めた『龍馬伝』が放送。  テレビ東京系ではAKB48総出演の『マジすか学園』と、大根仁の出世作となった『モテキ』が放送され、深夜ドラマブーム、アイドルドラマブームの先駆けとなった。 そして、日本テレビ系では2010年代を牽引する脚本家・坂元裕二の『Mother』が登場。今振り返ると、これらの作品は、テレビドラマの方向性を決定付ける新しい流れの始まりだった。 同時に宮藤官九郎脚本の『うぬぼれ刑事』(TBS系)と木皿泉脚本の『Q10』(日本テレビ系)という00年代を象徴する脚本家の集大成となるドラマも登場しており、2000年代の終わりと2010年代のはじまりを象徴する作品で賑わっていた。
    そんな中『SPEC』は、『ケイゾク』の続編ということもあり、00年代の終わりを象徴する過去の作品という印象だった。 すでに『ケイゾク』は伝説のカルトドラマとして神格化されていた。定期的に続編が作られて大衆化した『TRICK』と違い、熱狂的なファンが多い作品だっただけに、続編を作るということの意味はとても重かったと言えるだろう。
    『ヱヴァ』と『SPEC』
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)堤幸彦(7)『TRICK』小ネタ消費とカルト批判

    2018-12-13 07:00  

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『池袋ウエストゲートパーク』『ケイゾク』を経て、映像作家としての全盛期を迎えた堤幸彦。その次に手がけたのが、カルト批判をテーマにしたミステリードラマ『TRICK』ですが、その結末には、フィクションの衰弱と自己啓発の時代の到来が刻印されていました。
     2000年春クール(4~6月)に『池袋ウエストゲートパーク』(以下『池袋』、TBS系)の放送を終えた堤幸彦は、休むことなく夏(7~10月)クールに連続ドラマ『TRICK』(テレビ朝日系)を金曜ナイトドラマ枠(23時9分~0時4分)で手がけることになる。
    ▲『TRICK』
     堤は作品数の多い映像作家だが、2000年は『ケイゾク/映画Beautiful Dreamer』『池袋』『TRICK』と立て続けに発表していたことになる。どの作品も堤にとっては代表作といえるもので、この年に堤のスタイルが完成したと言えるだろう。
    『TRICK』は、売れないマジシャンの山田奈緒子(仲間由紀恵)と物理学者の上田次郎(阿部寛)が、超能力者や霊能力者が起こす超常現象のインチキ(トリック)を暴いていくというミステリードラマだ。 『金田一少年の事件簿』(以下『金田一』日本テレビ系)、『ケイゾク』(TBS系)と続いてきた堤幸彦のミステリードラマ路線の延長にあるものだが、同時に今まで積み上げてきたことの集大成だといえる。
     ドラマシリーズが三作、スペシャルドラマが三作、映画版が四作、スピンオフドラマ『警部補 矢部謙三』が二作も作られた『TRICK』は、断続的に2014年まで制作されたロングヒットシリーズである。 本作の成功によって映像作家としての堤幸彦のキャリアは決定的なものとなったと言っても過言ではないだろう。それは他の関係者にとっても同様だ。
    『金田一』や『ケイゾク』では、裏方として関わってきた蒔田光治は、本作ではメインの脚本家としてクレジットされている。本作以降、蒔田は脚本家兼プロデューサーという立ち位置を確立し、『富豪刑事』や『パズル』(ともにテレビ朝日系)といった作品を手がけるようになっていく。つまり『TRICK』の成功によって、堤が作り上げてきたミステリードラマのスタイルは拡散していき、一つのジャンルとしてテレビドラマに完全に定着するようになるのだ。  今では多くのドラマや映画を手がけているオフィスクレッシェンドの木村ひさしと大根仁も演出家としてクレジットされている。『TRICK』が、堤だけでなく、オフィスクレッシェンドという制作会社にとっても大きな転機となったことがよくわかる。
     オフィスクレッシェンドの代表・長坂信人が執筆した『素人力 エンタメビジネスのトリック?!』(光文社新書)は、自社を立ち上げたきっかけや、手がけた映像作品にまつわる秘話がまとめられたものだ。本書の冒頭で長坂は、『TRICK』の制作費が持ち出しとなってしまい、3000万円の大赤字を出したことを告白している。  オムニバス形式(1エピソード1~3話)でその都度、オールロケで撮影を行なっていたため、予算が大幅にオーバーしたのだ。 会社は大打撃を受けて危機的状況に追い込まれた。  責任を感じた堤は監督としての印税をオフィスクレッシェンドに全額譲渡。その後、DVD-BOXが売れ、オリジナル企画として『TRICK』に可能性を感じた長坂はシーズン2を制作することを決断、実家の駐車場を抵当に入れて制作費を捻出したという。  本書に収録された長坂との対談で堤は、「失敗していたら今ごろうらぶれて、地元テレビ局の下請けをやってると思います」と語っているが、様々な困難を乗り越えて『TRICK』を作り続けたからこそ、今の堤とオフィスクレッシェンドはあるのだと言えるだろう。
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